邦題 |
満足度 |
感想 |
カーズ
(2006年制作) |
9 |
擬人化された車達の世界を描くピクサーの長編CGアニメ。 やはりピクサーは脚本が良い。アニメにしては長尺の2時間の作品。その上テーマそのものが「勝つことが全てじゃない」とか「大切なのは周りを気遣う心」みたいな説教臭い物なのに(w)、最後にはきっちり感動させてくれる。序盤でいやに直線を強調した高速道路を見せるけど、最後にはその意味がちゃんと分かるようになるし、またCGが前面でありながらある種のノスタルジーを感じるのは、やっぱり話に説得力があるからだよね。見事。 主役の車の名前がマックイーン、伝説のレーサーだったドック役の声優がニューマンなんて、ファンならそれだけでニヤリとさせられる。そういう洒落っ気にも十分に楽しませてもらいました。 そういえばフェラーリ役が本物のシューマッハだった!これは吹き替え版じゃ分からないよなあw |
カーズ2
(2011年制作) |
7 |
擬人化された車達の世界を描いたCGアニメの続編。 前作で主人公の親友となったメーターが本作の主人公。米国のスパイだと間違われ、英国諜報員のフィン・マックミサイルと共に国際的陰謀に立ち向かう…。とプロットだけで言うと、メーターというキャラありきのドタバタ劇なので、前作の様に「スピードだけが全てではない」といった“車の世界”であるからこそ生きてくる比喩もなりを潜め、「カーズ」の世界観を使った違う映画みたいな印象になってしまった。ピクサー作品だからこそ求めてしまうテーマ力からすると少々物足りない。 でも、映像のクォリティーは高いし、話のまとまり方も良くできているのは確か。日本、イタリア、英国を舞台にしたレースも、各国の特徴を表現した背景の作り込みはよくできていて感心する。話のメインがスパイものなので、レースシーンがあまり深く描かれなかったのは少し残念だけど。せっかくスピード感抜群の映像だったしなあ。 スパイ映画のパロディとしては、ボンドカーのようなフィン・マックミサイルが、ハリー・パーマーの声(マイケル・ケイン)だというジョークが楽しい。メーターも話を引っ掻き回す良いキャラではあるんだけど、やはりメインで引っ張ると尺の長い番外編の様に見えてしまうのが勿体ないかな。 |
カーズ クロスロード
(2017年制作) |
7 |
擬人化された車達の世界を描いたCGアニメの3作目。次世代レースカーが台頭し始める中、大クラッシュを引き起こしてしまったマックイーンは自信を失いかけるが…。 本作は世代交代をテーマに「人生」の物語を感じさせてくれるあたり、1作目の正当な続編という感じ。スパイコメディだった2作目よりも本作の方が作風として好みだが、作劇的には…全体的にちょっとキャラの掘り下げが薄い気もするんだよね。1作目が122分かけてマックイーンのドラマを描いたのに対して本作は102分だからなのかなあ?レーサーに憧れていたトレーナーのクルーズとマックイーンの関係が、かつてのマックイーンとドック・ハドソンとオーバーラップするところに感動点があるのは事実。だけど、クルーズのレースに対する想いとかは、もうちょっと掘り下げて欲しかったような気もしたね。 クライマックスのレース中にマックイーンとクルーズが交代したのは、普段F1を観戦している自分としては違和感があるんだけど…まあ映画のテーマを強烈に印象付けるには成功してるか。この世界のレースがナンバーをつけていれば途中交代もOKというルールなら仕方がない。でもそれならその技が使えることを伏線で事前に見せておいて欲しかったかも? そういえばクルーズが付けてる携帯電話機能のハミルトン。声がルイス・ハミルトンだった!これはF1を知ってて字幕版を観た人にしか分かりませんなw |
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
(2014年制作) |
8 |
お尋ね者の寄せ集めが銀河を救う…。マーベル・コミック原作の宇宙を舞台にしたスーパーヒーロー・アクション・コメディ。 「アイアンマン」から始まり「アベンジャーズ」で一つの完成を見たマーベル・ユニバースだが、あちらは話がつながっているので、全部見ているのが前提となるとだんだん敷居が高くなってきたかもしれない。そこへきて全くの新顔として現れた本作は…どのキャラクターを見ても「誰?」という感じw だけどその新顔のヒーローたちの活躍を面白楽しく描いた活劇っぷりは実に爽快だし、コレクターやサノスで「マイティ・ソー」とのつながりが若干あるとはいえ、そこは知らなくても問題ない作りが、作品の間口を広げていて良いと思う。 70年代の曲は年代的に知らない部分もあるので、それほど感慨はなかったのだけれど、曲を流すタイミングのセンスは感じられる。個人的にはそれよりも台詞で出てくる80年代の映画ネタが楽しい。いずれにせよ、作り手のあの年代のカルチャーに対するオマージュがあるからこそ、こういう楽しい映画になったのかな。言及されないにせよ「スター・ウォーズ」的なものも良いよね。ロケットとグルートなんて、ソロとチューバッカの関係性を思い出してしまう。 観始めた時には知らないキャラクターばっかりだったのに、終わるころにはまた彼らの活躍が観たいと感じさせる、そんな良いエンターテイメント作品だったと。それにしてもラストのおまけカット…、まさかあのキャラがゲスト出演するとは。やられたなあ…確かに原作はマーベルだったけど、これも80年代映画へのオマージュだよねw |
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス
(2017年制作) |
9 |
奴らが再び銀河を救う。宇宙を舞台にしたスーパーヒーロー・アクション・コメディ。 のっけから怪物相手に大立ち回りをしているのに、画面の真ん中ではベビー・グルートのカワイイ踊りを見せて、肝心の戦いは背景でピンボケ…。いい掴みだw 前作が仲間になる物語だとすると、本作は家族になる物語か。テーマとしてはありきたりかもしれないけど、こんな突飛なキャラばかりなのにも拘らず巧みなキャラの組み合わせがとてもよく効いていて、最後まで全く飽きず、カッコよくて面白く、そしてちょっと感動する。ヨンドゥ、あんたは最高だよ。全体的にも、普通なら主要キャラの多さで散漫になりそうなものなのに、個々にちゃんと“家族”というテーマも背負わせているし、その上でバランスよく物語に組み込んでいる構成力にはとても感心しました。 ノリと音楽はこのシリーズの重要な部分だけど、本作でもとてもよくハマっていたよね。シリアスな状況でも常にグルートやドラックスが笑いを提供してくれるノリは楽しい。そして今回の80年代ネタはドラマ「ナイトライダー」推しからの…あのカメオ出演には虚を突かれて声を出してしまった。ソヴリンの遠隔操縦がなんか昔のゲームっぽい音なのがいい感じ。そういう意味では…パックマンの使い方は卑怯だわw でもどれもちゃんと前振りをした上でのジョークになっていて、ただの勢い任せのコメディにはなっていないのが良いと思う。 今作も良いエンターテイメント映画だった! |
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3
(2023年制作) |
8 |
瀕死の重傷を負ったロケット。仲間であるロケットを救うためにガーディアンズが動き出す。宇宙を舞台にしたスーパーヒーロー・アクション・コメディ。 前作までに比べるとコメディよりシリアスに傾いている印象。というか前作「リミックス」の公開から6年も経っているのですね。いやその間に「エンドゲーム」があったので、それからだと4年か…。さらにその後、映画ではないけれど「ホリデー・スペシャル」も配信されているので、実は意外に久しぶり感はない。 物語の動機が“ロケットを救う”ためといういことでシリアス風味も強くなっているのだろうけど、さらにこれまで語られていなかったロケットの出自も回想(走馬灯?)で描かれていく。マッドサイエンスティックな実験で生み出された過去はなかなかパンチが効いていたね。その黒幕であるハイ・エボリューショナリーの思想や行動は、ちょっと「メイド・イン・アビス」のボンボルドも想起させる感じ。(あそこまで泰然としていないので、小物っぽく感じてしまうが。) とにかく本作はそのハイ・エボリューショナリーとの対決が話のメインになる。 中盤に出てくる生体衛星オルゴスコープは、どこかチープな美術セットがなんとも言えない味で面白かったな。こういう微妙な遊びがジェームズ・ガン監督の面白いところでもある。あとどこかで残酷描写ぽいことをやるところもねw ガン監督は本作でMCUを離れるので、「GOTG」の1作目から続いた監督とこの登場人物たちとのチームアップもこれで最後。映画のエピローグでは“ガーディアンズ”もそれぞれの道を歩くことを決意して解散、そして新生ガーディアンズになっていく。ちょっと寂しいけれど、最後まで「なんだかんだ良いチームだよなあ、こいつら」と思わせてくれたシリーズだった。 |
カールじいさんの空飛ぶ家
(2009年制作) |
7 |
死んだ妻との約束の地、南米のパラダイスの滝を目指して、カールじいさんは風船を使って家ごと出発する。 冒頭でカールじいさんの愛する妻との出会いから死別までを一気に見せきった描写は見事。台詞無しという演出は日本の短編アニメ「つみきのいえ」を連想するけど、通じるところはあると思う。全体の内容も良くまとまっているし、見ている方も楽しいんだけど、“大量の風船をつけた家が空を飛ぶ”というワクワクするイメージの話の膨らませ方としては、何か微妙な無理矢理感もある。特に巨鳥のケヴィンを守る云々という展開は、家が空を飛ぶという設定にはほとんど関係ないしね。“ピクサー”というイメージのハードルが高い分、損をしているかな。 登場人物のキャラ造形はさすがに良くできていて、表情の豊かさなどもデフォルメされたデザインなのに本物の人間以上に感情が分かる。この辺は「Mr.インクレディブル」以来のノウハウの賜か。犬を擬人化する演出はよくあるけど、“装置”を使って人間と同じ地平で犬語をコミュニケーションさせた設定はなかなか面白い。しかし悪役になってしまった冒険家のムンツは、鳥を探さずとも、この犬語翻訳機の発明だけで十分に世界を見返せると思うがなあ。 |
ガールフレンド・エクスペリエンス
(2009年制作) |
6 |
ニューヨークを生きる高級コールガールと、彼女のクライアントやボーイフレンドとの日常を描いたスティーヴン・ソダーバーグの監督作品。 相変わらずドキュメントタッチのソダーバーグ。日常会話と独白とインタビューで構成し、プロとしての自信と不安を抱いている姿を描いていく手腕はさすがだが、どうしてもその乾燥した画面の感じが俺には合わない。もはや監督の作風と言ってしまえばそうだけど、盗み見ているかのように描いていく画面はその場にいるような感覚とは違っているし、どうしても踏み込んでいかない一歩引いた感じは観察者としての高みにいるようで鼻につく。そういう意味では同じくドキュメントタッチでもグリーングラス監督の作風とは真逆か。 意図的に時系列をいじくっているけど、構成としてはついていけるの問題ない。けど、そうやって見せなければ、ほんとに日常過ぎてなんだという話に見えてしまうかもしれない。 |
海角七号 君想う、国境の南
(2008年制作) |
8 |
台北でミュージシャンの夢が破れた青年。故郷の恒春に戻った彼は郵便配達の仕事に就くが身が入らない。一方、町は地域を盛り上げるために日本人コンサートの前座に地元住民の出演を画策する。 終戦直後に台湾から本土に引き上げた教師の、現地に残した恋人への想いを綴った手紙が、ストーリーに絡まなさそうで絡んできて、最後には何か心がしんみりといい感じになる。正直、なんか昔のトレンディドラマにでもありそうな話(演出とかも含めて)とも思った部分もあるけど、恋文の相手である60年前の友子(台湾人の日本名)と、現代の主人公である台湾人の青年と日本人のモデル・友子という関係性の対比が、この物語全体に漂う日台の結びつきという主軸の両輪になっていて、良いドラマとは思ったね。 台湾人と日本人のやり取りだけでなく、自称・月琴の国宝である茂(ボー)爺さんが口ずさむ唱歌の「野ばら」が印象的に使われいるところも、歴史や文化面での日台の関係性を感じさせるところである。ただ、個人的にはそういった部分は、ことさらに日台関係がどうのという意味よりは、郷愁感の表現手段なのかなとも思った。 歴史に絡んだそういったセンシティブなテーマがある一方で、人情コメディとも言えるような笑いが多々差し込まれている部分もこの作品の魅力。まあジャンルで言えば先にも書いたようにトレンディ・ドラマに近いと思うのだけれど、雰囲気「寅さん」の様なベタな掛け合いもあり楽しませてもらいました。茂(ボー)爺さんのタンバリンのくだりは笑ったなあw |
かいじゅうたちのいるところ
(2009年制作) |
7 |
ベストセラーとなっている絵本を原作に、スパイク・ジョーンズ監督が実写化したファンタジー映画。 8歳の少年、マックスは子供らしい子供だけど、少々かんしゃく持ち。自分の思ったとおりにしてくれなかった家族への不満から、ある日家を飛び出すが…そのままボートに乗り“かいじゅう”のいる島へ。なんと、現実からまったく地続きな空間としファンタジーの世界になってしまったじゃないか。この辺はいかにもスパイク・ジョーンズらしい世界観ですな。(一応、空想を匂わせる演出はある。) “かいじゅう”達は着ぐるみで撮影され、顔にCGで表情をつけたものだけど、これがなかなか独特の風合いで不気味な可愛さがある。原作の絵を生かしたデザインではあるが、子供にはちょっと怖い?w 個人的には「ネバー・エンディング・ストーリー」のファルコンを思い出し、なかなか良い感じではあった。 そしてそこで描かれるかいじゅう達の社会は、主人公(つまり8歳の子供)の意識を反映したものであって「子供の夢」そのもの。このあたりはかなり原作から膨らまされた部分だけど、マックスとキャロルの鏡像のような設定を見せることで、マックス自身が自己を見つめ直しているとする流れは、映画的な膨らませ方とすると正しいと思う。ただ、単純に子供らしい暴れん坊だった原作のマックスと比べ、映画版は序盤に“かんしゃく持ち”が強調されているので、大人からすると子供のイヤな一面として映らなくもない。原作と比して、マックスが親に心配をかけすぎているお子さんだというプロットも、俺が感情移入しきれなかった一因かも。 |
海底47m
(2017年制作) |
6 |
妹のリサとメキシコのリゾートにやってきたケイト。ケージに入りサメを鑑賞するダイビングを体験するが、その時ケージが突然海底に向かって降下し始める。 海底から海面に出ようにも巨大なサメがうろついているので海底に縛り付け…というシチュエーションは嫌だねえ。ということで、サメ映画のようにも見えるけど、基本的にシチュエーションホラーだと思うような中身でした。見通しが利かない・酸素の残量が厳しい…という「海底に取り残されている」絶望感に対して、サメが襲ってくること自体の恐怖があまり上回ってくることはなかったのもそう思ってしまう部分。序盤こそサメの主観と思わせるような演出もあって不安を煽られるんだけど、その後のサメを使った脅かし方などはベタの域に収まってしまったのがちょっと勿体ない。シチュエーションは抜群なんだけど。 とはいえ発煙筒で浮かび上がるサメや、助かったと思わせて実は幻覚だったというあまり救いのないオチなど、気に入った部分もあるんだけどね。あれだけ噛まれて足がつながってたら嘘っぽいなあと思ってたので納得w 一時は死んだと思った妹と一緒に助かるようなご都合主義を蹴飛ばす感じは好みなのです。気の毒だけど。 |
海底47m 古代マヤの死の迷宮
(2019年制作) |
6 |
姉妹とその友人たち4人で水中に沈んだ遺跡の眠る洞窟潜水を行うが、そこで巨大なサメに遭遇してしまう。 邦題は前作から引用したせいで「海底47m」になってるけど、本作の舞台は海底じゃなくて水中遺跡の中。まあ実際には原題が“47 METERS DOWN: UNCAGED”なので「本作は前作と違ってカゴがないですよ」という話ですね。ただ、遺跡があるのがセノーテの中だと考えると普通は淡水なんじゃないかって気もするんだけど、サメがいるんだから設定的には海水なのか。まあ細かいことはいいや。 ともかく狭い遺跡の中で盲目ザメに襲われる話なわけだけど、ある意味で予定調和というか、予想の範囲を超えてこない。死ぬんだろうなと思った友人は予想通り死ぬし、頼りになりそうな人物もすぐに死ぬ。サメの襲撃シーンも基本的に登場人物の背後に迫る姿を見せる場面が多いので、「後ろ!後ろ!」と観客をハラハラさせる意図があるのは分かるもののそれほど効果があったかは分からないなあ。親父さんが食われたシーンは「ディープ・ブルー」のサミュエル・L・ジャクソンのパロディ?と思わなくはない感じで悪くはなかったけど、そこまでにサメの襲撃を見せすぎていてショックは薄い。 ラストでサメ観光船の目の前で姉妹が襲われるシーンは皮肉が効いてはいたかな。でも噛まれても反撃して助かってしまうのは前作と比較してもちょっとヌルいなあと思ってしまった。というか反撃されたサメはそれまで襲ってきていた盲目ザメとは違うサメだし、むしろサメに同情してしまったわ。 |
怪盗グルーの 月泥棒 3D
(2010年制作) |
8 |
世界中の有名な物(主に建造物)を盗む怪盗・グルーが、ピラミッドを盗んだライバルに対抗して月を盗む事を画策するが、作戦のために養子にした3人の女の子に翻弄されながらも情が芽生えていく姿を描いた3DCGアニメ。 ピラミッドを盗むとか月を盗むとか、冷凍光線銃に縮ませ光線銃、バナナから作られたミニオン軍団など基本的には絵本の中のような世界観。だけど女の子とグルーの交流や、秀逸なミニオンのキャラクター性が素直に面白い。確かに話の構成としてはグルーの母親やネファリオ博士のキャラクターに今ひとつ深みがないし、ライバルもうるさいだけの小者だし、色々と詰めの甘い部分もあるんだけどね。 グルーの変心も既定路線なのは最初から分かるので、ここももう少し捻りがあるとさらに良かったのだけど…、少し素直すぎるキャラクターだったかな? プロポーションは独特で、どちらかというとヨーロッパの臭いがする感じ。それにしてもこの映画はミニオンというキャラにずいぶんと救われているね。悪気を感じないドタバタぶりは、見ていても楽しく気分が良いです。 |
怪盗グルーの ミニオン危機一発
(2013年制作) |
8 |
3人のいい父親になろうとしている元怪盗のグルーだったが、ある日、反悪党同盟のエージェントにスカウトされる。 映画としては3年間が空いたけど、劇中の子供たちは大きくなっていないので時間経過はあまりないのかな?前作は家族を持つことで変わっていくグルーだったけど、今作ではついに結婚…と、まあ本筋のグルーの恋話は見え見えなので予定調和のそれだけども。でもそれ自体も、話を動かしてミニオンをどう楽しく描くかの背骨にしかすぎず…、いやとにかくミニオンが楽しい。ファミリー向けのアニメとしては、それだけで及第点でしょう?ミニオン軍団は何を言っているか分からないのにとにかく喜怒哀楽がハッキリしていて、観ているだけで楽しいです。 敵役のエル・マッチョは憎めないし良いキャラだと思うんだけど、終盤はもう一盛り上がり欲しかった感じかなあ。でも敵を倒すというよりは懲らしめるという感じではあるし、人死にも出ないので安心して楽しめるよね。イーヴル・ミニオンはせっかくなのでノーマルなミニオンともっと戦ってほしかった気もするけど、ちょっと残念。まあ戦力差がありすぎるか?それにしてもネファリオ博士は何がしたいのかよくわからんw まあ楽しい作品だったので、ぜひこの勢いで3作目も作ってほしいですね! |
怪盗グルーの ミニオン大脱走
(2017年制作) |
6 |
悪党のバルタザールを取り逃がし、反悪党同盟をクビになったグルー。そんなある日、双子の兄弟と名乗る人物から連絡が…。 2作目との間にスピンオフを1本挟んでのシリーズ3作目。4年ぶりの続編だけど、相変わらず子供たちは大きくなっておりませんw 「見た目も中身も12歳や」と年齢に関するセリフもあったから、時間が進まないことについて若干ネタにしている節もあるかな。 それはさておき、作品自体はどうも話がとっ散らかっていて微妙だった。バルタザールとの対決、そしてグルーの双子の兄弟というプロットの二本立てではあるんだけど、それを繋ぐ部分が薄いというか…。それぞれの要素がほとんど平行線なので、話があちこち飛ぶように感じて散漫な印象。合間合間に挟まるミニオンの刑務所暮らしや、アグネスのユニコーンの話とかも、結局話のつなぎにしかなってないのでバラバラ感が強い。ミニオンの集団行動自体はすごく楽しかったし、面白くなりそうな要素は多いのになんだかもったいないなあ。 今回の敵となるバルタザールはすごくキャラ立ちしてるが、いつまでも80年代って感じのビジュアルが良いね。過去のビデオ映像の様な質感がすごくリアルだと思ったら、終盤の巨大バルタザールロボの質感にはさらに驚愕。そういうところにはすごくこだわりを感じましたw |
怪盗グルーの ミニオン超変身
(2024年制作) |
6 |
反悪党同盟エージェントの元悪党グルーは、かつて学んだ悪党学園の同窓会で過去に因縁のあったマキシムを逮捕。しかし脱獄したマキシムはグルーへの復讐を予告する。 7年ぶりの続編ということで本作が4作目。マキシムの復讐から身を隠すために身分を偽ってメイフラワーで新たな生活を始める…という話だけど、全体的には"新生活のドタバタ"・"マキシムの追跡"・"隣人の娘ポピーの企み"・"反悪党同盟で改造されたメガミニオンの騒動"が並走するので正直とっ散らかっている印象。出来事によっては起きたことに対しての結末がふわっとしたままのものもあるので、色々と詰め込みすぎた部分もあるのかもしれない。 メガミニオンのドタバタやターミネーター2のモロなパロディは面白かったけど、結局瞬発的なネタの積み重ねなので「それなら短編で…」と思わなくもない。もう長編でグルーというキャラクターになにかのテーマを背負わせるのは難しいのかもね。エンディングでグルーが"Everybody Wants to Rule the World"を歌っているけど「永遠に続くものなど何もない」という歌詞は、そろそろシリーズの終わりも感じさせる。その歌のシーンは刑務所でこれまでの敵が総出演していたので、それも相まってシリーズの終わりを感じてしまいました。でももしこれがシリーズのまとめだとするなら、やっぱりとっ散らかっていた内容がちょっともったいない。1作目の完成度が懐かしいなあ。 |
カウボーイ&エイリアン
(2011年制作) |
6 |
19世紀末の西部を舞台に、突如現れたUFOやエイリアンとカウボーイたちとの戦いを描いた、グラフィック・ノベル原作のSF西部劇。 エイリアンと西部劇という取り合わせは面白い。ただ、やはり100年前の武器しかない人間と、オーバーテクノロジーを持った宇宙人とが対等に戦えるわけがないわけで、案の定彼らの撃つ拳銃はUFOには効かないw そこで登場する主人公の左手につけられた兵器。その破壊力によって敵を倒していくわけだけど、グラフィック・ノベルならともかく実写で真面目にこれをやられると、正直戸惑ってしまう。 中途半端にリアリティに寄っているのでそれが余計に嘘くさく見えてしまうんだよなあ。ご都合と言えばそうだし。最たるものはヒロイン的な女性が死んで火葬にされたと思ったら生きかえり、あまつさえ「私は別の星から来たの、今まで言えなくてごめんなさい。」ってビックリですよw 登場するエイリアンも、この手の映画では類にもれず粗暴で野性的。これだけの科学力があるのに? 西部劇としては主人公のダニエル・クレイグもハリソン・フォードも貫録たっぷりなだけに、なんだかイロモノ映画的になってしまったのはちょっと残念。 |
帰ってきたヒトラー
(2015年制作) |
8 |
2014年のドイツによみがえったアドルフ・ヒトラー。彼を物まね芸人だと思った人々によって、彼はTVの人気者になっていく。 現代に蘇えったヒトラーを見た人々の反応、という意味では「ボラット」の様に街中に“ヒトラー”を突撃させているモキュメンタリー風の描写。あくまでフィクションのはずの映画が、ここではリアルな空気に変わる。市井の人が“ヒトラーのそっくりさん”をヒトラーと仮定して政治等の不満を語っているという場面は完全にドキュメンタリーですな。否定的な反応も含めて興味深い。 とはいえストーリーの大半は本物のヒトラーが人気者になる騒動をストーリーの軸に描くコメディなわけだけど、笑いの点においては時代やテクノロジーギャップのお約束ネタはあれど、基本的にヒトラーそのものを笑いものにしていないところがこの作品の真剣さを感じるところ。自分が70年後に蘇えったことを理解し、政治や歴史の情報を取り込むヒトラーの姿は、彼が知的でビジョンを持った人物であるという描き方だ。そしてTVで大衆を魅了していくヒトラーの姿に、ヒトラーがヒトラーとなりえたのはなんだったのかを浮かび上がらせていく。「大衆を扇動したのではない。計画を示したものを大衆が選んだのだ。」彼の言っていることもまた真実だろう。移民問題を抱える欧州にあって、ヒトラーを生んだものは何だったのかを考えさせられるラストは良くできている。これぞ風刺ってやつだな。 他方、人気の出たヒトラーの排除を目論むTV局の副局長は、一方でまたヒトラー的な野望が誰にでもあるということをカリカチュアしたような人物でもある。局長を追い落とすために策を弄し、半ばクーデター的に局長に上り詰めるところは、ヒトラーが政権を握る過程を比喩的に体現している感じもする。だからこそ、どん底の視聴率に会議室でキレている場面で「ヒトラー 最期の12日間」のまんまのパロディになっているのがとても面白かった。皮肉w |
ガガーリン 世界を変えた108分
(2013年制作) |
7 |
人類初の有人宇宙飛行に成功した宇宙飛行士、ユーリー・ガガーリンの伝記映画。発射から帰還までの様子とともに、彼の幼少期から訓練時代の姿を描く。 伝記映画としてはオーソドックスな構成ではある。彼の偉業である初の有人宇宙飛行の様子を全編を使って描く一方で、その合間に回想という形で彼という人間を描くエピソードを挟んでくる。そうなると必然的に時系列が行ったり来たりするので、有人宇宙飛行ミッションという緊張感としてはちょっと途切れがちかもしれない。でもその回想がミッションや人物たちの解説の役目もはたしているので、短時間で人の半生を描くにはありかな。まあ全体にちょっと淡泊だけど。 宇宙開発の作品となるとやはりハリウッド映画の方が有名なものが多いので、「ライトスタッフ」にしても「アポロ13」にしてもドラマの「人類月に立つ」にしてもアメリカの話ばかり。そこに人類初であるガガーリンの伝記映画をロシアが撮ったというのだから、これは興味が沸いた。まあ結果的にはオーソドックスな内容だとは思ったけども、見ごたえのあるVFXでボストークの打ち上げから帰還までを観ることができたのは嬉しいな。 誰も宇宙に行ったことのない時代、しかも無重力が人体に及ぼす影響も不明な中で、さらにミサイルの先に人を乗せて飛ばすという行為は(いくら犬を使った実験で成功していても)やっぱり尋常なことじゃないよね。冷戦という国家間競争の時代が生んだ話として、宣伝に使う気満々のフルシチョフの様子などにそういう時代の一端が描かれているが、考えれば考えるほどすごい時代だと思う。その時代の東側の様子が垣間見える作品としては興味深い。 |
輝く夜明けに向かって |
6 |
アパルトヘイト施行下の南アフリカで、無実の罪で公安に逮捕された男の半生を描く、実話を元にした社会派サスペンス。 無実の反体制的でない黒人のパトリックが、テロ封殺を目的とした公安の拷問を受けたことによってテロリストになっていくという矛盾に満ちた展開。しかし抑圧する白人の公安職員側が悪かと言えば、テロ抑止という正義があるといった矛盾。このねじれた世界を映し出しているのだけれども、どこか逼迫したモノを感じない。伏線のある展開は悪くないし、きちんと纏めてきているのだけれども、演出自体が淡泊なのか、それとも結論(許し)があることによって達観した視線になってしまっているのか…?何となく感情のせめぎ合いが薄い感じ。 個人的にはもう少しパトリックがANCに行く時の怒り、また公安のフォスの感情に寄った感じがあっても良かったと思う。 |
カサブランカ
(1942年制作) |
10 |
1941年のフランス領モロッコ、カサブランカ。ドイツの侵攻から逃れた人々がその途上にやってくるこの街で、アメリカ人のリックが経営する酒場にある男女が来店する。 第16回アカデミー作品賞も受賞した作品で評価も高いけど、俺もこの映画が大好きです。ジャンル的に得意ではないラブストーリーもののはずなんだけど、ハンフリー・ボガードの渋さにやられてしまっているのかもしれませんなw ボガートが演じる皮肉屋なリックのキャラクターとセリフ回しの格好良さ。中盤の回想で彼をそういう人物にした背景を知って以降は、人情家の面にさらに感情移入してしまう、そういうストーリーの語り口のうまさ。これが脚本未完で撮入し、撮りながら脚本を書いていた作品だというのだから驚きです。シリアス場面でもちょいちょいユーモアをぶち込んでくるセンスも良い。特に警察署長のタヌキっぷりは作品の面白さを持ち上げているよね。 「君の瞳に乾杯」"Here's looking at you, kid."は有名すぎるくらいのセリフだけど、これは日本語訳も上手かったんだよなー。他にも「君と幸せだったパリの思い出があるさ」とか、キザったらしいはずなのにボガートが言うととても格好よく見えるんだから、ただただ凄い。相手役のイングリッド・バーグマンも美しく、いつまでも色あせない引き込まれるラブストーリーだと思います。 ナチス・ドイツのフランス侵攻はストーリーの背景に大きく関係しているので、当時の歴史的な状況は知っておいた方が良いかな。内容的にナチス・ドイツを完全に悪役にしている部分は米国から見たドイツのイメージを強調している部分もあると思う。(そういう面ではプロパガンダ映画ともいえる。) 結果的に連合国側が勝ったことで、戦後も同様の価値観でナチス・ドイツのイメージが確定したわけだけど、この作品のナチス観が戦後の歴史観と合致したからこそ“不朽の名作”になったという偶然(あるいは必然?)はあるのかもしれないと思う。 |
華氏451 |
6 |
活字の存在が違法となった近未来、本の取り締まり・焚書に携わる主人公が本の面白さを知ったことで追われる側となる。 言論弾圧という体制側による一方的な横暴や、TV漬けになることへの疑問をSFという形を借りて表現した作品で、世界観自体は非情に風刺的で面白い。でも映画的に言うと…全体的にヨーロッパ映画風であるし、詩的な表現もあって特にエピローグなんて良いんだけど、それでも話の運び方が今ひとつな感じなんだよね。話は分かるけど盛り上がりに欠けるというか、主人公の感情起伏が今ひとつ伝わってこない。 細かいことを言うと、活字の無い世界にいる主人公が本を読めるというのもなんだか妙ではある。 |
華氏911 |
8 |
マイケル・ムーアのスタンスは一貫している。それは社会的弱者の視点から権力者を糾弾すること。アポ無し突撃取材を行うこと。ハッキリ言って気持ちが良い。ムーアは人の言いにくい意見を、ハッキリ面と向かって言いに行く、そういう人物だ。しかし今作はそういう意味での彼の持ち味があまり感じられなかった。確かにニュース映像やインタビュー映像から彼の主張はハッキリ伝わってくるが、その一方で彼の露出は減り、インタビュー対決することも無い。もちろんブッシュ政権の人間が彼を相手にするわけはないだろうが、体当たり取材を“挑んだ”という証くらいは見たかった。そこには「ザ・ビッグ・ワン」でNIKE社長を説き伏せ、「ボウリング・フォー・コロンバイン」でKマートから弾丸を撤去させたあの行動力は感じられない。法案を朗読したり、イラク派兵の署名を議員に迫るシーンは彼らしかったが…。
とはいえ映像の力というものは思い知らされる。腕の肉がえぐれ骨が見えているイラクの子供。イラク人に滅多打ちにされ、引きずられ、最後には吊される黒こげの米兵の死体。そしてブッシュの無責任な顔。家族を空爆で殺され、泣き叫ぶイラクの老婆。息子をイラク戦争で失い、泣き崩れる米国の婦人。そしてブッシュの無責任な言葉。もはや言葉も出ない。
この映画は、アメリカという国を信じている人に是非見てもらいたい作品です。 |
華氏119
(2018年制作) |
7 |
マイケル・ムーアの新作はドナルド・トランプを大統領にした米国選挙制度のあれこれ。 実にムーア監督らしいテーマと構成のドキュメンタリーだけど、前々作の「世界侵略のススメ」の様で見せた様な趣向の面白さは影を潜めて彼の映画的には先祖返りしたような感じ。とはいえ今やアポなし突撃取材も顔が売れすぎて出来ず、一方的に言いたいことを言っているだけになっているので少し物足りない。州知事の家に行って水を撒いてるだけじゃなあ(苦笑) 身近な問題から権力へと切り込んでいくのが彼のスタイル。今作では故郷ミシガン州フリントの水問題とフロリダ州パークランドの高校で発生した銃乱射事件から、米国選挙制度の問題…つまり今や国民の意思が反映されていない米国の選挙制度に問題はないのか?という話につなげていくが、彼の主張は分かるものの、それぞれの主題に深入りしていくので全体的にはやや散漫な印象になってしまった感じ。 “トランプは当初NBCへ出演料の当てつけで立候補した”という見方は面白かった。一方で何でもかんでもヒトラーと比較するのは(ディスる方法としては簡単なんだろうけど)何だかなあ、とも思う。 |
カジノロワイヤル |
7 |
本家007を制作していた制作会社に映画化権がなかったため、別会社がシリーズとは全く別のコメディ映画として制作した007の番外編。 67年に制作されたこの作品、当時はショーン・コネリー版007が大人気だったはずのご時世、このコメディ版ではオリジナルをしっかり茶化してます。「女好きのスパイなんて…」とか何とかw 出演陣もとにかく豪華で、ピーター・セラーズ、デヴィッド・ニーヴン、ウディ・アレン…、その他ちょい役に大物が出まくってます。なんて豪華な映画なんだろうか、出演料が非常に気になる…。しかし出演陣の豪華さに対してストーリーは微妙。コメディ映画だからと言っても展開は上手くはない。よくよく知ると監督が5人もいたようで、どおりでギクシャクしている訳か…。 今観れば微妙なギャグは多いけど、ウディ・アレンのシーンは俺は好き。あとラストのドタバタもこのあたりのコメディ映画らしいメチャクチャさで好きですw 劇中曲は今でも時々耳にする曲で、これがオリジナルと思うと感慨もあるけど、やはり映画の筋自体が大したこと無いのが勿体ないです。 |
風が吹くとき |
9 |
イギリスの田舎町に暮らす老夫婦。核戦争が忍び寄る中、夫は政府の手引き書に従い簡易シェルターを作るが、そんなある日、原子爆弾が炸裂する。 アニメーションで核と放射能の恐怖を見事に描き切った、イギリスの傑作アニメーション。老夫婦は初撃である爆風と熱からは生き延びるものの、放射能について無知であるが故に被爆し、物語の終盤には見るも無惨に衰弱していく…。その淡々とした日常の崩壊する様子が痛々しく、とても哀しい。飲み水が無くなったからといって、核爆発後の雨水を「雨水が一番キレイなんだよ、これは常識だよ」と言って飲料用に使うなんて…。 夫は政府を盲信し、被爆後も必ず救援隊が来ると信じ切っている。妻は政治には関心はなく、戦争になっても日常生活を守ることが第一義の様に考えている。どちらもある意味で純粋で純真な善意の人であって、このような悲劇に遭う運命であるなんて、とてもいたたまれない気分になるが…。この作品は正にそれが狙いであって、主人公夫婦が善人であるからこそ、その悲劇を通じて人類の“核戦争”という愚行が痛烈に心に響くんだよね。 アニメーションによる人物と、実写模型の背景を組み合わせた画はなかなか効果的。最初に“シェルター”に潜った時にガタガタ揺れる戸板と、ラストの芋袋は印象に残る。演出面で無駄なズームが何度かあったのが気になったけど、色んな意味で心に焼き付く名作であることは間違いない。 |
風と共に去りぬ
(1939年制作) |
9 |
言わずと知れた不朽の名作。南北戦争前後をたくましく生きる奔放な主人公、スカーレット・オハラの半生を描いたドラマ。 まず最初に、主人公に共感できないw ワガママで勝ち気で自尊心の強いスカーレットにどれだけの人が振り回されているのか。でも南北戦争という時代にあって逞しく生きた彼女の姿は、この性格あってのストーリーなんだなと思う。“映画”という世界にあって、ヴィヴィアン・リー演じるスカーレットとクラーク・ゲーブル演じるバトラーというキャラクターは、誰も代われる者のいない存在であることは間違いない。 上映時間は232分という長尺だけど、最後まで気の逸れることのない作りは見事でした。個人的にはインターミッションまでの前半の展開が良いと思う。南部人の生活と南北戦争の足音や、ついに焼け落ちるアトランタは実にドラマチックだった。逆に後半は人物描写にクローズアップしていくのでどことなくこぢんまり感が出てしまっているような。まあ、人物の深みは増していくのだが。 しかし'39年の作品でこの画の力強さはどうか。どれだけ撮影技術が発達してもこの映画の空気は再現できないだろうなあ。技術的に言えば手間と費用のかかるテクニカラーを使ったカラー作品となるわけだけど、白黒映画時代にあってカラー撮影をしたその労力は、人々を感動させる作品として永久に残っていきますね。 |
ガタカ
(1997年制作) |
8 |
優生学的な見地からデザイナーベビーを作ることが一般化した近未来。その世界に遺伝子操作されることなく生まれた主人公は、身分を偽って夢である宇宙飛行士を目指すが…。 遺伝学的な管理社会の中で、それが劣っているという事だけで犯罪の容疑者とまで判断される。そのくらい遺伝子差別が一般化された世界というのは間違いなくディストピア。だが、この映画はその中で身分査証というサスペンスの裏に、人間の可能性を謳いあげた賛歌だとも思った。主人公は確かに身分を詐称したが、宇宙へ行きたいという夢とそこに向かっての努力が本物だったからこそ観客は感情移入できる。映画の終盤…打ち上げ直前に抜き打ち検査があった場面で、彼は自分の正体をごまかすことをやめた。そこにはある種の諦めもあったのかもしれないが、ここが良い、テーマとして大きいよね。医師がその結果に見て見ぬふりをしたというのは、優生学ではなく“彼自身を”認めたという事だ。身分を偽り続けていた彼は、最後に“自分自身として”夢をつかんだのだ。 地に足ついたテーマは近未来SFとして描かれるが、ストーリーを支える部分はサスペンス。正体がばれるか否かのドラマとしてはまあまあ。読める部分もあるもののイーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウといった実力派がそれを支えていて見応えはある。しかし個人的にはちょい役にアーネスト・ボーグナインがいることが何か嬉しい。「人は外見ではない」ということを描いた「マーティ」の名優が人間の可能性を描いた作品に出ている事、それだけで意味を感じてしまうよ。 |
哀しき獣
(2010年制作) |
7 |
中国東北部に住む朝鮮族の主人公は、借金の返済に追われる日々を過ごしていた。ある日、多額の報酬と引き換えに韓国での殺人を依頼されるが…。 監督・脚本は「チェイサー」のナ・ホンジンだが、殺人の凄惨な描き方は相変わらず。ストーリー的には前作と比べると意外性があまりなくなって少し物足りない。前半の殺人計画を進めるあたりまではテンポも良く引き込まれたのだけれど…。主人公の逃亡が始まると、3つの勢力から追われることになって少し話が煩雑になった感じ。ひたすら揺れるカメラやカーチェイスシーンなどは「ボーン」シリーズの影響が垣間見える。でも肝心の逃亡者はプロじゃないので、上手く立ち回って逃げたり追い詰めたりという部分の説得力が…運と話の勢いでしかないのがなあ。 一方、ブローカー社長であるミョンのキャラクターは強烈。メインウェポンに手斧を使用し、殺戮を繰り広げていくが…無双すぎる!さすがに最後はダメージの蓄積で死んだけれど、ハッキリ言って主人公より印象に残ってるよw それにしてもミョン一派の描き方は、人というよりは野生動物を描くような印象だったな。 主人公が最後に“女は不倫をするものなのだ”と理解して立ち去る場面は悪くない。結果的にはそれは間違いだったというラストは、少ししんみりしてしまうね。 |
KANO 1931海の向こうの甲子園
(2014年制作) |
9 |
1931年、夏の甲子園大会決勝戦に挑む台湾の嘉義農林学校野球部の姿を、実話をベースに描いた台湾映画。 上映時間180分の大作で、さすがに長さを感じる部分もあるけれど、高校野球映画として芯のあるストーリーは観ていて心を打たれる。まあ全力プレイで観客の心をつかんでいくという筋書きはベタかもしれないが、スポーツ映画はそれがいい。当時の甲子園を再現した試合シーンも見応えバッチリ。たまにCGと分かるシーンはリアルと混ぜると白けるのと紙一重だが、そこは何とか踏みとどまっているかな。 一方で日本統治時代の日本と台湾の関係を感じさせてくれる作品としても感動させられた。野球のエピソードとは直接関係ない嘉南大シュウ(土へんに川)や八田與一の事も含めて時間を割いているのは、台湾人にとってその時代を語るに外せない事だからということもあるのだろうか。日本人としては、その感謝にはこそばゆい限りであるw 日本統治時代の話であるので、作品の9割は日本語で描かれるし、主演の永瀬正敏や坂井真紀など日本人俳優が多数出演し、邦画と思ってしまうような雰囲気も。でもこの映画が台湾の人によって作られたのだということが、本当に感じ入る部分である。描かれる日本人・漢人・高砂族の3民族混成チームが一丸となって目標に挑む姿は実に感動的だった。こうありたい。 |
カフェ・ソサイエティ
(2016年制作) |
8 |
1930年のハリウッドとニューヨークを舞台にしたウディ・アレン監督のロマンティック・コメディ作品。 ジェシー・アイゼンバーグが演じる主人公はウディ・アレン自身が若かったら自分で演じてそうな役だなあ、と観ながら思ったり。物語的には主人公もヒロインも他所からハリウッドに来た人で、そこで恋に落ちて、分かれて、しばらく経ってから再び出会った時に過去のことを振り返る…と、なんだか流れは同時期に公開された「ラ・ラ・ランド」と近いような気もするが…。それは逆に言えば恋と成長物語の王道みたいなもんだってことなのかな。で、その王道のほろ苦い恋の話をウディ・アレンが撮るとどうなるか…っていうのがこの映画。 状況説明のナレーションが多いけどそれは話のテンポアップにつながっている感じ。その上で主人公の早口な感じは完全にウディ・アレン的キャラのそれアイゼンバーグが好演していると思う。主人公と叔父のちょっとした認識のズレが引き起こす可笑しさや、ギャングの兄が行った人殺しに関係するブラックな笑い、そしてユダヤネタがジワジワと面白いなあ。全体に流れるジャズのリズムもさすが。 ただどちらかというと正攻法に過ぎるロマンス映画だと思ったし、1930年という時代に対する郷愁みたいなものに訴えすぎているんじゃないかと感じもした。それはそれでハリウッド黄金期へのオマージュのようなものもあったのかもしれないけど、個人的には「ミッドナイト・イン・パリ」で見せたような奇想天外さが無い分だけ地味な印象もある。 |
ガフールの伝説
(2010年制作) |
8 |
キャスリン・ラスキーのフクロウたちを主人公にした児童文学を、ザック・スナイダー監督が3Dアニメ化したファンタジー作品。 設定自体はどこかで見聞きしたような…、例えば優生学を掲げる敵側はナチスっぽいイメージだし、伝説の戦士はヨーダ的なイメージ。他にもファンタジーとして類型的なプロットが色々と目につくものの、リアルな造形のフクロウ達を主人公にしたことで、鳥の世界の話として楽しめたかな。展開も良く言えば王道なので安心感はある。まあ個人的には序盤の“伝説”のくだりがもっと大仰であれば、主人公がその伝説の戦士を目にした時の感動とギャップが大きくなっただろうと思うんだけど、序盤は結構駆け足だった気がするなあ。尺の問題だろうけど、全体的にご都合なくらい展開が早い。まあ児童文学だからご都合主義的なのは仕方がないかとは思うが。 ビジュアル面ではどこからどう見てもザック・スナイダーの作品。特に戦闘などのアクションシーンはお得意のスローモーションを多用したり、光を背にした印象的な構図を取ったりと凝っていて良い。「300」や「ウォッチメン」など、どちらかというとビジュアル系映画でも大人向けの方の人だと思っていたので、こういう子供向け作品でも力を発揮するとは驚いた。 飛行シーンなどのスピード感と距離感の見せ方は上手いね。元々3D演出は飛行シーンと相性が良いように思うけど、この映画でもそれを証明していると思う。まあそういう風に見せられる監督の映像センスがあってのことだろうけどね。 |
カプリコン・1
(1977年制作) |
7 |
人類初の火星有人飛行はスタジオのセットで撮影したでっち上げだった。協力させられた宇宙飛行士たちは身の危険を感じ逃亡を試みるが…。 アポロ月面着陸捏造説という、いわゆる都市伝説から着想を得たかのような話。国家の陰謀説が好きなお国柄であれば「実際にあるかも」と思い込むことでハラハラはするかもしれない。ただ、強引な導入部や新聞記者一人処理できないような展開など、ちょっと筋立てのアラが目立つ感じ。宇宙飛行士たちが逃亡してからは突然サバイバル映画になってしまうし、ちょっとふり幅が極端だよなあ。(スネークイーターになるとは思わなかったw) しかし終盤の複葉機vsヘリの空中チェイスはすごい迫力。というかパイロットの技量がすごすぎるでしょ。低空飛行から崖の高低差に沿ってのダイブや急上昇。全部リアルにやっているのだから、そりゃあもうこれだけでお腹いっぱいですよ。…結局、個人的にはそのチェイスしか印象に残らなかったかもしれない。 |
カポーティ |
7 |
作家トルーマン・カポーティがノンフィクション小説の傑作「冷血」を書き上げるまでの経緯と苦悩を描いた伝記映画。 カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンはこの役でアカデミー主演男優賞を受賞したわけだけど、受賞も納得の熱演でしたね。ただストーリーはこの映画を観てるだけではついて行けない内容。少なくとも事前にカポーティがどんな人かは知っておかないとダメだし、「冷血」を読んだか、もしくは詳しいあらすじを知っている事も前提ですな。そう言う意味では敷居の高い作品ということになるか。 映画ではカポーティは死刑囚であるペリーと交感し、作家としての自分と、ペリーの友人である自分との間で葛藤する。死刑が差し迫ったそのあたりの複雑な葛藤は実に良かったと思う。でも個人的には何故カポーティがペリーに感じるモノを見いだしたのか今ひとつ分かりにくかったかなあ。 |
神々の山嶺
(2021年制作) |
9 |
エベレスト登山のカメラマンとしてネパールに滞在していた深町は、かつて世界三大北壁に挑み、その後姿を消した登山家・羽生を目撃する。深町は羽生が手にしていたカメラの正体に興味を持ち、日本へ帰国後に羽生の消息について調査を始めるが…。 夢枕獏の原作小説を漫画化した谷口ジローの漫画のアニメ化作品。アニメを制作したのはフランスなのに…と書くと失礼かもしれないが、1970年代や90年代の日本の描写に関してほとんど違和感がないことに感心した。そういうところからもこの作品に対する制作者たちの真摯さを感じるところである。(本棚に「鉄コン筋クリート」が並んでいたりしたところは、フランスが好きそうだなあとは思ったりw) 内容はとてもストイックだが、深町が羽生の生き様を追う内にどんどん引き込まれていく様子に観客も巻き込んでいくところが上手い。登山の描写も心情の描写にも説明ゼリフを殆ど使用せず、70年代の羽生と90年代の深町の場面が行ったり来たりする様な演出もあるのに、観る側がしっかりついてこれるようになっているのは感情の面でブレがないからだろうか。これは演出に自信がないとなかなかできない気もする。 「なぜ山に挑むのか」という山屋のメンタルを追体験させてくれるような彼らの経験とその目にしてきた風景のリアリティは、キャラクターとその背景が一つの絵の世界でクオリティが統一されているからこその真実味だとも思う。これは実写ではなくアニメであるからこその強みだとも思えるけれど、そこまでに昇華させたのはやはり演出側の力量だ。 果たして羽生は登頂したのかどうか。かつてマロリーは登頂したのかどうか。第三者がそこに見出す意味と、当人たちがそこに挑むことの意味との違いを言葉にならない感覚で理解させてくれたような気持ちにさせてくれる作品だった。 |
仮面の男 |
6 |
ストーリーは、「まぁ、有りかな」とは思うが、何かセットが作り物っぽくて、のれなかった。牢獄とかの石組みが軽そうに見えて・・・妙に明るかったせいかなぁ。しかし鉄仮面救出場面で、それは無いだろってな変装。笑っちまった。あれは普通ばれるって、明らかに体型がおかしいもん。ジョン・マルコビッチはいい感じ、ファンになりそう。 |
カリフォルニア・ダウン
(2015年制作) |
8 |
米国西海岸で巨大地震が発生。レスキュー隊隊長である主人公は、家族の身に危険が迫っていることを知り現場へと急行する。 直球ど真ん中のディザスター・ムービー。ロサンゼルスの高層ビル群の揺れ具合や崩壊にゾッとし、サンフランシスコの津波に絶望する。その崩壊シーンの迫力たるや劇場の大画面での3D効果がいかんなく発揮されていて素晴らしい。災害映画の難しいところは、主人公が全を通じて災害の中心部に居続けるかという設定にあると思うけど、この映画は「家族の救出」という動機の分かりやすさも良かった。 ただ一方で、その動機のために大災害の中でもパーソナルな範囲で終始したのはちょっと思うところもある。主人公はレスキュー隊の隊長ということであらゆる乗り物を乗りこなす超人ぶりにも(演じてるのがドウェイン・ジョンソンということもあるが)説得力があるものの、逆にレスキュー活動をそっちのけで家族を救いに行っている姿をどう受け取るかでちょっと複雑な思いも。(離脱の許可は取っているけどね。)いや家族を見殺しにしろとは言わない。けど、レスキュー隊という肩書が万能設定くらいにしか生きていないのが…。個人的にはオープニングの様なレスキュー隊のチームプレイももっと入れてほしかったのだが、まあそれは贅沢というものだろうか。 おそらくモブは万単位で死んでいると思うけど、映画のラストは「学者の警告によって多くの命が救われた」、「壊れた町はまた作ればいい」という前向きな感じで終わる。阪神と東北の震災を知る身としては少し思うところもあるものの、あくまでエンタメのディザスター・ムービーとしてはそれで良いと思う。 |
華麗なるギャツビー
(2013年制作) |
7 |
F・スコット・フィッツジェラルドの名作を、バズ・ラーマン監督がディカプリオを主演に煌びやかな映像で描いた実写3D映画。 原作は有名な古典だけど、未読だったのでストーリーはこの作品で初めて知った。ニック(トビー・マグワイア)を語り部に進行する物語は、その元の文学性を感じさせる部分もあったけど、一途と言えば一途だが、粘着質と言えばそんな気もするギャツビーの愛は、共感と共に少し引いた感じでも観てしまった。ギャツビーの繁栄と求めすぎたが故の破滅は、当時の好景気とその後の大恐慌を前にした米国的なものそれ自体と重なっているのだと思う。そういう意味で単純な三角関係のドラマ以上に感じさせる部分はあるか。 とは言え、見た目の美的感覚はデザインこそ20年代ぽい感じがするものの、とにかく派手で現代的な感覚が強い。乱痴気パーティーの派手さ、音楽の使い方などはPVを観ているかのようだったね。なのでどちらかというと話に没入するより前に、表面の画に意識をとらわれがちになったかなあ?まあ、ディカプリオの立ち姿のキマり方を見れば、それでもいいような気がせんでもないが。花火を背景にした登場はケレンたっぷり。一方で想い人との再会を前にドギマギする姿は可笑しかったw 画面構成自体は3Dを意識した奥行きのある画が多いので、出来るなら3Dで観るべき映画なのは間違いない。 |
彼らは生きていた ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド
(2018年制作) |
8 |
英国の帝国戦争博物館にある資料映像と証言記録をもとに、第一次世界大戦を兵士の視点で描いたドキュメンタリー映画。 こういった記録映像を基にしたドキュメンタリーは多いけど、本作は意図的にナレーションなどによる大局的・客観的な説明を省いているのが特徴だね。実際に従軍した兵士のインタビュー音声を再構成して繋ぎ、新兵から帰還兵となるまでの様子をある意味で追体験したかのような気持ちにさせてくれる。興味深いのは、これらがある一個人の印象ではなく200人の退役軍人の記憶のモンタージュということかな。高揚と不安や恐怖と安堵などの兵士毎によって幅のある証言を切れ間なく流すことによって、感情面において主観的でありながらも平均的という“最前線の印象”に落とし込めている。そこから見えてくるのは「大量殺戮の完成」と称された第一次世界大戦の一端だった。 本作の予告編などではカラー化した当時の記録映像や、その映像に再現した音声や環境音を乗せたことを売りにしていたけど、実際に観てみると前述の証言のモンタージュこそが本作のキモだったと思う。大量の記録映像や挿絵のモンタージュはそのイメージの補完に過ぎない。ただ、それでもその効果は抜群だ。特に鳴りやまぬ弾幕爆撃の轟音や、兵士の笑顔と死体のクロスカットは効いている。 しかしどれだけの映像や証言を見聞きしても実際に従軍した兵士の経験や感情を理解できないだろうという事も痛感する。ある帰還兵の「善意の同情は無意味だ、“同情せねば”と思う事自体が何もわかっていないことを示している。」という言葉が印象に残った。 |
眼下の敵
(1957年制作) |
8 |
第二次大戦の南大西洋。米駆逐艦と独Uボートの一騎打ちを描いた戦争映画。 手練の艦長同士による手の内の読み合った戦闘シーンは潜水艦映画の醍醐味を詰め込んでいて見応えがある。冒頭の人物紹介の時点で主人公の米独艦長2人からイデオロギー色を薄めているけれど、そのおかげで死力を尽くした戦闘後にお互いに認め合うラストにもつながっている感じかな。そういう部分では、戦争映画というよりはスポーツ映画を観ている様な妙な爽やかさもある。駆逐艦に一撃を食らわせたUボートがトドメを与えるまでに“5分の猶予”を与えたのに、その隙を突いて駆逐艦が反撃するのはいささか卑怯な気はするが…。まあ駆逐艦が完全に降伏していた訳ではないから、死んだふりからの一発逆転としてはアリなのかなあ。(あくまでも米国目線になってしまうけど。) 米駆逐艦の艦長役はロバート・ミッチャム。冒頭では“新任の艦長”ということで水兵からは不安視されるも、一度の作戦で手腕を認めさせるほどのカリスマを発揮。その様子にも説得力があるな。一方の独潜水艦艦長役はクルト・ユルゲンス。ドイツ人ですが劇中ではほとんど英語。Uボート内の会話が英語なのはちょっと白けなくもないけど、その辺は演出上の都合だからまあ仕方がないか。ラストの方で、米軍と独軍が一緒にいるシーンではちゃんとドイツ語のセリフになってたね。 駆逐艦と潜水艦の多くはミニチュアによる特撮だけど、水中シーンなどはそれと分かるものの時代を考えればかなり頑張っている。米駆逐艦の爆雷投下シーンに関しては実写なので、その海上での爆発の様子も含めて迫力満点だね。さすがに潜水艦内の場面はセットにしても小綺麗すぎる気はするが、こればっかりは完璧すぎる四半世紀後の独映画「Uボート」と比べるのは酷かな。 |
ガンジー |
8 |
英国領インドで、インド独立のために非暴力不服従を貫いた“偉大なる魂”マハトマ・ガンジーの闘いを描いた伝記映画。 彼のような人物はこれから先現れるかどうか、そう思えるほど彼の行動は偉大だ。徹頭徹尾貫かれた信念の強さには本当に尊敬の念を覚えずにはいられない。映画の尺は3時間あるけれど、それでも舞台の時間経過が早いというか場面展開が急な感じ。映画の冒頭でも語られるけど、人の人生を描くには3時間でも語り尽くせないと言うことでしょうか。 この非暴力不服従という抵抗運動は素晴らしいけれど、映画を観ていて思うのは、その相手がイギリスだったから通用したのではないか、ということ。そしてヒンズーとイスラムの反目に、今の中東情勢を垣間見るけど、「“ガンジー”という存在のない中東はやはりそうはなれないか」とも思って、少々複雑な気持ちになる。 後にも先にもガンジーのような偉大な人物は現れるかは難しいと思う。でも彼の偉業を知ることで人の考えが変わる可能性があるなら、この映画はそれを伝える重要な作品ですね。 |
関心領域 |
8 |
第二次大戦中の、ある一家と邸宅。何不自由なく生活する彼らはアウシュヴィッツ強制収容所の所長一家だった。 この映画は半分どころか7〜8割が音で出来ている。目に映る生活の向こう側から聞こえてくる収容所の音。怒声・銃声・その他諸々。観客はその音の正体も、そこで何が起きているかも理解している。しかし登場人物たちの関心事はそこではない。彼らの関心事は彼らがこの生活にしがみつけるかどうかなのだ。主人公(の妻)にとってはもはや「アウシュヴィッツ」というのは理想の場所ですらある。「関心領域」という言葉自体は大戦中にナチスがつけたアウシュヴィッツの収容所を中心とした地域の隠語のようなものらしいが、翻ってこの映画ではその地名から抱くイメージに対するギャップ、「登場人物たち関心の関心はどこにあるのか」という意味が付加されているようにも思う。彼らは自分たちの生活にしか関心がないのだが、しかしそこで行われていることに対して理解していないわけではない(ユダヤ人の金品を手に入れ、歯で遊び、川に流れる灰の意味するところを知っている)ところが恐ろしい部分でもある。 この作品の8割は音だと前述したけれど、それを印象づけるのはオープニングの長い暗転だ。視覚を奪うことで観客に「聴け」と促しているわけだね。そして劇伴はほとんど無く、あっても不協和音のような音。劇中の環境音がその世界のこちらと向こう側を表現している。エンディングロールでは叫びともうめき声とも聞こえるような音の洪水が観客を襲い、彼らの「生活」が何の上で成り立っていたのかを想像させる。これは背筋の冷える様な体験だった。 終盤、「ヘス作戦」を下命された所長が一人階段を降りるシーンで突然吐き気をもよおす場面があり、突然脈略もなく現代のアウシュヴィッツ収容所の博物館の様子が映し出される。正直面食らったが、これは映画的な説明描写というよりは所長の幻視と理解すれば良いのだろうか。彼の関心の外にあった現実が、その未来が彼に襲いかかった、そんな場面だったのだろうか。 |
完全なるチェックメイト
(2015年制作) |
7 |
1972年に米ソ冷戦の代理戦争とまで呼ばれたチェスの世界王者決定戦。天才チェスプレイヤーであるボビー・フィッシャーの半生を描いた伝記ドラマ。 トビー・マグワイアは、ボビー・フィッシャーの奇行が次第にエスカレートしていく様子を段階的に、そして繊細に演じていて、神経がすり減っていく様が実にサスペンスフル。天才と奇人の紙一重な感じからいうとフィッシャーは川を渡って奇人の方へ行ってしまった人なんだろう。ただ、幼少期から描かれるフィッシャーの様子からして元からそういった神経症的な感じがあった感じもする。チェスが故に天才と呼ばれ、一方チェスによって精神的に悪い方へいったとするならば皮肉な物語だよなあ。フィッシャーへの精神科の治療の話が出た時、セコンドの神父・ロンバーディー(ピーター・サースガード)がその精神性とチェスの才能が不可分であるという話をしたが、彼が彼たりうる事が彼にとって本当に幸せだったのかは、俺にはよく分からない。しかし彼はソ連のチェス王者スパスキーに勝利し、歴史に名を刻んだ。 相手のスパスキーも程度の差はあれどフィッシャーと同じように神経質であるように描かれる。政治的指導者からのプレッシャー、世間の注目、監視の目の疑念。チェスの頂上決戦というだけでは済まない注目度は、冷戦の代理戦争に巻き込まれた時代の不運でもあったのかもしれないなあと思った次第。しかし逆説的に言えば、冷戦中でなければこの様に歴史に名を刻む事もなかったのかもしれない。 演出は確かだが少々ストイックさが強い。天才の思考を表現するに、例えば序盤の盤上で文字が浮かぶというような演出は後半では使われなかったね。ひらめきの表現として「ビューティフル・マインド」の様なビジュアルで見せても面白いと思ったのだけど、この映画の主題はきっとそこ(天才の表現)ではないのだろう。原題"PAWN SACRIFICE"にもあるように、冷戦構造の中でのチェスの駒になった犠牲者の物語か。 |
間諜最後の日
(1936年制作) |
7 |
ヒッチコック監督が英国時代に制作したスパイ・サスペンス映画。 身分を偽り、美女と恋に落ち、敵国スパイと対決する英国のスパイ。これだけ書くと007の様だけど、まあその先祖みたいなモノか。一応サスペンスではあるけど、序盤は英国的なジョークを感じさせる比較的軽め演出で、サスペンスっぽくはなくこれはこれで面白い。メキシコ人に扮するピーター・ローレの怪演が道化役として効いているけれど、次第に不適な表情を見せ始め…後半は深読みを誘って怪しさ満点。まあ表情が怪しいだけで何もなかったがw 中盤に無実の老人を誤認殺人してしまった際、主人公とヒロインが今後の任務に逡巡してしまうシーンがある。それはそれで良いんだけど、その後すぐにラブラブな雰囲気になったりと、ちょっと起伏が大きすぎて俺には少々違和感が…。決着の付け方も、前フリがあったとはいえちょっと大味な感じがしたのは残念かな。ミニチュアの列車転覆シーンは、この時代の作品としてはなかなかの迫力ではあった。 |
鑑定士と顔のない依頼人
(2013年制作) |
7 |
自分のコレクションのためなら不正も働く一流美術鑑定士のヴァージル・オールドマン。ある日、電話で美術品の鑑定を依頼され現地へ向かうが、依頼人は姿を現すことはなかった。 話の導入部分は非常に上手い。主人公の人となりや能力を流れで一気に理解させる演出はさすが。ジュゼッペ・トルナトーレ監督作にしてはイタリアの匂いが少ない気もするけど、ヴィラの白壁になんとなく雰囲気を感じるかな。しかし演出が確か過ぎて逆に伏線というかケレンが目立ちすぎる感じ。おかげで色々疑わしく思って見ていたものが、おおよそその通り怪しかったわけで…。最後のどんでん返しも手際は良いけど、そこまで至るに詐欺の手が込み過ぎている印象を持ってしまったので、個人的には少し引いてしまったかな。 序盤の駆け引き…、待ち合わせに現れないとか、癇癪起こして追い返すとか…。観ている側はミステリーに引き込まれるし、主人公の気を引くことにも成功してるんだろうけど、最終的な詐欺が目標だと思うと、いささか老いらくの恋をあてにする不確定要素が気にもなるんだよなあ。 それでも主人公を演じるジェフリー・ラッシュの演技が良いので最後まで楽しめたけどね。詐欺の話ではなく恋愛ミステリーと思えばあり。エンディングも解釈の幅も残していい感じではある。 |
カンフーハッスル |
7 |
悪を志すチンピラが、庶民とギャングとの抗争を通じて成長するカンフーコメディ。
シンチーは「ビジュアルの面白さが娯楽なんだ」と思って作ってるんやろうか。そういう姿勢でここまでやってくれると確かに面白いw ストーリーはある意味ベタだけれでも、こういう映画ではこれで良いと思う。主人公の思い出絡みの話も、ベタなのに「いい話だ」と思ってしまうし。しかしギャグは違う意味で子供の好きな感じですな。馬糞(?)に顔を突っこむ大家、ナイフがザクザク刺さる主人公、クビが回転して死ぬボス…etc。確かに笑えるけど、観る人を選ぶような気も。 この映画で好感が持てたのは、シンチー演じる主人公がラストまでほとんどメインでないこと。主人公は豚小屋砦の庶民。庶民だけどカンフーの達人w “主人公はカンフーである”というシンチーの姿勢が垣間見えるような気がしたね。 しかしラストの方のニュアンスは、仏教徒以外に上手く伝わるのかなあ? |
カンフー・パンダ
(2007年制作) |
9 |
ひょんな事で伝説の龍の戦士に選ばれてしまったデブでカンフーオタクなパンダの物語。 ドリームワークスの作品としては近作の「シュレック3」がガッカリな出来だっただけに、この作品も少々不安な思いで観始めたんだけど、予想以上に良くできていました。ダメな主人公が師匠の元で修行して、最後には最強の敵に勝つ。王道とも言える展開だけど、中国のカンフー映画を換骨奪胎してこれだけ上手くカンフーアクションのアニメにしてしまう感性には、ほとほと感心します。見た目以上に東洋的なものを感じさせる作品を、ハリウッドが作ってしまうんだからねえ…。 CGアニメだからこそ出来る迫力あるウソのカンフーアクションは見事。実写だったらマンガみたいに思ってしまうだろうけど、これがCGアニメだとリアルに見えてしまうから不思議だね。決め技の伏線も分かりやすいし、簡潔に理解できる人間(?)関係もよく纏まってました。ギャグも結構笑えたし、面白いです。 |
カンフー・パンダ2
(2011年制作) |
8 |
龍の戦士となったパンダのポーは、仲間のマスターファイブと共に世の中の悪と闘っていた。そんなある日、クジャクのシェン大老によってカンフー協議会の長・マスター・サイが殺されたという知らせが届く。 カンフーアクションは多数のキャラが入り乱れての大迫力。派手さやスピード感が前作にも増して楽しめます。主人公のポーも、強いのに相変わらずすっとぼけていて面白い。ポーの向こうに声を演じたジャック・ブラックという人物が透けて見えるくらい、何か一致したキャラクター性が感じられるのが魅力かも。(そういう意味では吹替えに向かない作品かもしれない。) 冒頭の昔話は影絵、ポーの夢の中は前作のオープニングと同じ中国風アニメ、そして現実は3DCG。3DCGは今回3D映画になったことでさらに演出に磨きがかかり、立体表現であることを存分に生かしたアクションになってました。ただテーマとしては前作ほどカンフー映画のエッセンスを感じることはなくて、単純に派手で楽しい映画になってしまった感じ。一応“内なる平和”ということを言ってみたりはしているけど、ちょっと取ってつけた感はあるか。ストーリーのメインに、ポーの出自に関すること(ガチョウの父親ではなく、本当の両親はどうなったのか)を持ってきたのは、2作目としては妥当だと思うけどね。 |
カンフー・パンダ3
(2016年制作) |
8 |
魂の世界でウーグウェイ導師の気を吸収し現世に復活したカイ。導師の弟子を倒さんとするカイの魔の手がポー達に迫る。そんなときポーのもとに本当の父親パンダが現れるが…。 前作で触れられたポーの出自に関する話の続きでもあるが、並行して強大な敵も現れる。ストーリー上のけじめと新たな敵の出現という2つの話をくっつけるために、「気功」という要素を組み込んだところは一工夫ですな。東洋らしい要素だし。カイの襲撃で次々と倒されるマスターたちのシリアス風味と、ポー達パンダ村でのコミカル騒ぎとの対比が話の分断ギリギリだけど、最後にはそれもちゃんと生かしながら一大決戦と大団円を迎えるあたり、構成はよく出来ているなあ、と。 本作の敵はウーグウェイ導師への私怨が動機になっている感じだし、強い気を持つマスターを吸収していくという目的も分かりやすい。復活したものの、誰もカイの事を知らないというギャグが、カイ自身をちょっと憎めないキャラにしているので可笑しくて好き。ポーの父親については、ポーの養父であるピン(ガチョウ)からの一方的な敵視と和解がちょっとしたドラマか。ベタだけど俺は嫌いじゃないよ。 アクションは相変わらず派手だし、3D演出も遠近感を上手く使って見応えがあったね。“ウーシーの指固め”からの自爆は悟空がセルを界王星に瞬間移動させたあれを思い出したし、最終的にみんな気功を使えるようになるのはご都合主義な気もするけど…。まあそれはそれで。 |
キートンのゴルフ狂の夢
(1920年制作) |
7 |
喜劇王バスター・キートン初期の作品。タイトルの通りですな。というか、この邦題ってオチを言ってるんじゃ? ゴルフをやっていたキートンが自打球で気絶し、そこを囚人に服を取り替えられ、囚人に間違えられたキートンが看守に追いかけられたり刑務所で騒動を起こしたりするんだけど、大オチとして“それは夢でした”ということです。邦題を読んでしまうとオチが分かった上で観ることになるんで、少々もったいない。 ドタバタっぷりは面白いけど、少々おとなしめかなあ。絞首刑のシーンは体を張ってやってたけど、よくあんなコトするわw ゴルフボールを飲んだ魚を捕まえるところや、犬にボールをかっさらわれる所は良かったね。何につけても、タイトルでオチを言っちゃダメでしょw |
キートンの文化生活一週間
(1920年制作) |
8 |
喜劇王バスター・キートン初期の作品。新婚夫婦の新居にまつわるドタバタ劇。 いやあ、笑ったw キートンの体を張ったギャグは今でも通用するね。というか未だに真似をするコメディアンもいるぐらいだし。 ギャグ自体はベタなものだけど、'20年当時にそこまでやってくれたキートンには本当に感心する。倒れる壁と窓枠の間一髪とか、汽車激突の外し方とか、やっぱり上手い。俺が一番ウケたのは、家を引っ張る車が、車体の下だけ走っていったところ。良くあんな発想が出来るw 何にしても、顔色変えずにこれだけ体を張るキートンは凄いよ。回転する家なんて結構危険だよなあ。 |
キートンのハード・ラック
(1921年制作) |
8 |
笑わない喜劇王バスター・キートン初期の作品。 序盤、人生に悲観し、自殺しようとするも上手くいかない。うん、面白いね。素直に笑いましたw 映されるのは今ではベタとも言えるギャグだけど、それの元祖だと思うとやっぱりその発想力は凄いと思う。自殺しようと車の前に…とか、馬が牛に…とか、ロープの先に熊が…逃げられない!とか、ホントにベタだけど良いんだよね。 オチはさらにトンデモでビックリ。地球の裏側(中国)に行っちゃった訳ねw |
キートンの化物屋敷
(1921年制作) |
7 |
笑わない喜劇王バスター・キートン初期の作品。ニセ札作りのカモフラージュに化物屋敷を仕立てた銀行の出納係。ヒラ行員のキートンは銀行でのドタバタの末に偶然その屋敷に行くが… 繰り返し映される階段が滑り台になるネタは、古典的なカラクリだけどこの時代にはセンセーショナルな笑いのネタだったんだろうか。1世紀近く経った今でも使われることのある仕掛けと思えば、その起源を知る様で興味深いね。 銀行でキートンがうっかり手に糊を付けてしまって、お札がひっついて大騒ぎということと、化物屋敷で奇怪な現象に右往左往ということが話の中では独立しているので、あくまでその場その場のシチュエーションを楽しむだけのコント。それもまた古典的な喜劇映画らしいとこではある。 ただ、やはりそういう喜劇の中にも“ストーリー”を入れてきたチャップリン(同年に「キッド」を制作)と比較すると、ちょっと物足りない気はするかな。 |
キートンの強盗騒動
(1921年制作) |
7 |
笑わない喜劇王バスター・キートン初期の作品。間違いで脱走殺人犯として指名手配になったキートンの騒動を描く。 パンの配給待ちでひと笑い。蹄鉄がラッキーアイテムというのは欧米の感覚だが、それのせい(自業自得)で警官に追われる追われる。逃げるために乗った機関車の客車が切離れてて動かない、などはベタベタだけどシンプルで面白い。走行中の列車で客車を切り離すシーンは縦構図というのが、ワンフレームに逃げる側と逃げられる側が上手く収まっていて、90年近く昔の映画だけどセンスが良いよなあ。 指名手配される切っ掛けのくだりは少々強引だが、本作ではその「間違えられた男」としての追いかけっこがメインな感じ。エレベーターと階段での追いかけっこもドタバタコメディっぷりが良く出ていていい感じだが、エレベーターの矢印表示のネタはもはやカートゥーンの世界観じゃないの?飛び出すエレベーターの箱の発想が自由すぎて、もうw |
キートンの船出
(1921年制作) |
7 |
喜劇王バスター・キートン初期の作品。 自宅のガレージで建造した小さい船。出口が小さくて運び出せないというお約束から始まり、最後まで息をつかせぬドタバタコメディ。進水式で船もろとも沈んでいくキートンには笑ったw でも次のシーンでは浮かんでいるのだからすごいご都合だが、そのテンポが良いね。後半に入ると船が嵐に遭遇し船内がしっちゃかめっちゃか。冒頭から揺れるセットを使ってはいたけど、どんどん激しくなって来るのはさすがはキートン。揺れるどころか回転してやがるw でも個人的に一番笑ったのは水漏れだなあ。画を飾るのに釘を打って…とはベタの極みだけど、それを逃がそうとそこに穴をあけた時の水の勢い!理屈なんてカンケイない、画づらの面白さと勢いが最高で、爆笑させてもらいましたw そんな具合にスラプスティックさでは抜群に面白かったのだけど、度々出てきて最後のオチにもなる船名"DAMFINO"のネタは、俺にはあまりピンと来なかった。後で調べたら"Damned if I know!"に引っかかってる?らしいのだけど言葉の音ネタなのかな、damfino ! |
キートンの電気屋敷
(1922年制作) |
7 |
喜劇王バスター・キートン初期の作品。 落とした卒業証書の取り違えで電気技師と勘違いされたキートン…というシチュエーションで始まるので、とんでもない工作をするのかと思いきや、電気工学入門を数日読みふけっただけでまともな“電気館”をこしらえるのだから、恐るべしキートン。前半で提示される仕掛けは、階段や食卓やビリヤード、食器洗い機にバスタブ、ドアやプールなどが色々と電気仕掛けで当時としては物珍しい光景でもあったのかと想像。それだけでもある意味面白い?けどキートンのコメディとしては違うわな。 そうこうしてたら後半にそれらの仕掛けを使ったスラプスティックな騒動が繰り広げられる構成で、ちゃんと前振りとオチとしてできている。“自動化”というテーマは後年チャップリンが「モダンタイムス」で資本主義の風刺として描きもしたが、本作はそういった深いテーマもなく、潔いくらいにドタバタ劇に終始。まあ短編だしね。エスカレーターの先の窓から飛び出してプールへドボンのネタがしつこく繰り返されるが、反復ギャグの元祖みたいなもんかな。 |
キートンの警官騒動
(1922年制作) |
7 |
喜劇王バスター・キートン初期の作品。 女性に振られたとはいえ、(図らずも)財布の中身をいただいたり、引っ越しの家具を(勘違いで)奪ったりと、本作のキートンは少々素行不良。馬車の上からマジックハンドのボクシンググローブで警官を殴ったりと小ネタを挟むものの、個人的にはいまいち面白くなかった。 が、後半一転。キートンを追う警官の数はなんだ!こりゃあ笑ってしまうわw ひとりを追い回すのに何人動員してるって話だが、そのギャップが楽しい。逃げ回る場面では、キートンがハシゴのシーソーや走る車に掴み乗る体を張ったアクションを見せるけど、まさに彼の真骨頂ですな。前半の退屈さを帳消しにするドタバタぶりは最高でした。ラストはに再び振られたキートンは、自ら警官に掴まって墓石の画にてエンディング。人様の金や荷物をパーにしたとはいえ…死刑になったってこと? |
紀元前1万年 |
6 |
狩猟に生きる主人公達がいた紀元前1万年の世界。ある日、突然に襲ってきた文明人に連れ去られた仲間と恋人を救うべく、主人公が旅をする。 やっていることは“逆「アポカリプト」”。この話を「アポカリプト」の半年後にされては比較せずにはいられないが、こちらはストーリー自体が浅薄なので特に感じるところもない。とどのつまり、監督のローランド・エメリッヒは表面的に叙情的なストーリーであればそれだけで良く、彼の見せたいのは“映像”、それにしか興味がないのではないのかとすら思う。マンモスやピラミッド建設のCGは確かに凄い。でもそれだけ良くできた映像なのに話が面白くない。 そもそも「伝説」を映像化したという体なんだろう。だからもう“時代考証”や“地理感”なんていう言葉は無いような演出なので、そのあたりのツッコミはやめておきますw とにかく「凄い映像だろ?」という監督の声が聞こえてくるようだけど、ただフィクションが成立するにはもう少し土台となるリアリティも必要ではないかなあ? もしくはもっとファンタジーにするかだね。 「インデペンデンス・デイ」の頃はその辺のさじ加減も上手かった気がするんだけど…。 |
奇人たちの晩餐会
(1998年制作) |
8 |
出版社社長のピエールは毎週友人たちと晩餐会を開いていたが、それはゲストに呼んだバカを皆で笑いあうという「奇人たちの晩餐会」だった。しかしその当日、ピエールはぎっくり腰になってしまう。 もとは同名の舞台劇ということで、映画の方も基本的にピエールの屋敷で繰り広げられるドタバタが中心。舞台らしい会話劇っぽさは残ってるね。バカを笑うための悪趣味な晩餐会を楽しみにしているピエールと、それに呼ばれた変わり者のピニョンの、電話や勘違いを駆使して繰り広げられる掛け合いは実に秀逸。導入はさほど笑うことはなかったけど、「たった5秒で忘れた!」のやり取り以降は随所に笑いどころがあって楽しい。特に最高なのは査察官シュヴァルのネタだが、これには不意を突かれたなあw ラストも、良い話に持っていきながら、しっかりオチをつけているところが良いね。 しかし、そもそも「バカを笑うための晩餐会」という悪趣味な会を、観客はどうとらえればいいのか。もちろん観る側としては、感情的にはピエールのその趣味を否定的な目で見てしまうのだけど、一方でこの映画を観て笑うということは、裏返せば自分もバカたちを見て笑っているに他ならない。ここがこの作品のヒネリの効いたところで、「高尚な人間なんていやしない」とこちら側も全部ひっくるめて看破されているような気さえしてくる。一見バカ映画の類の様に見せながらも、その実、笑いの裏に込められた皮肉に、風刺の本場のセンスの高さを感じるところでもある。 |
キック・アス
(2010年制作) |
9 |
スーパーヒーローに憧れるオタクな高校生デイブは、ある日ついにネットで購入したコスチュームに身を包んで町に繰り出すが、最初のミッションでチンピラに刺された上に車に轢かれてしまう。 冒頭で「なぜ誰もスーパーヒーローになろうとしないんだ?」という問いが提示され、その解として徹底的に“痛み”が提示される。表面的にはティーン向けのアクション・コメディの体裁を取る作品だけど、その部分のテーマに妥協がない。必要以上にバイオレンスなアクション描写にしても、そこにはブラックな表現以上の意図を感じるね。理不尽な暴力への傍観を批判しつつ、一方で暴力による復讐者・殺戮者としての"ビッグ・ダディ"はしっかり報いを受けているという点でもそう思う。 この作品で最も活躍する存在が小学生のスーパーヒーロー少女"ヒット・ガール"。演じるクロエ・グレース・モレッツは強烈なインパクトあるこのキャラクターを見事に演じきってました。容姿と凄惨なアクションのギャップがまたすごいが、ここまでやってくれると爽快ですらある。オタク高校生の主人公と、この少女ヒーローの話が噛み合った映画の後半の展開はお見事で、ビッグ・ダディが変身する時に見る鏡で、キック・アスが傷を洗って自分を見つめ直すという構成も良い。上手いです。 映画としての構成では、もちろんコメディ映画であるということを最後まで自覚しているのも評価するところ。シリアス場面ですら要所要所にギャグが入り、女と付き合えるか否かというティーン映画らしい下らない(w)悩みもちゃんと描かれる。そして全編に渡って出てくる「スーパーマン」「バットマン」「スパイダーマン」「Xメン」などのアメコミヒーロー作品への言及が、それら作品へのリスペクトとして感じさせるところも良い。この映画の登場人物達に超能力がないのは、メタ的な立ち位置としてそれらアメコミを見ているからに他ならないが、しかしそれらアメコミの土台の上に作られた一つのヒーローコミックとして、確かな存在感を放つ作品だと思う。 |
キック・アス ジャスティス・フォーエバー
(2013年制作) |
7 |
前作から数年後。養父にヒーロー活動を禁じられたヒット・ガールは、違和感を感じつつも普通の女の子の生活を目指す。一方、ヒーロー活動を再開したキック・アスは、なりきり自警団のジャスティス・フォーエバーに参加するが…。 映画としては無難によくある2作目になった感じ。続きが見たかった観客の期待には応えたとは思うけど、前作の様な満足感までは至らず。やはりどうしてもインパクトの後退は否めない。でもそれは続編の宿命として仕方ないとは思うけど、「キック・アス」的なものが何かを考えた時に、バイオレンスと下ネタ要素がそれだという感じになってしまったのは少し残念。現実にヒーロー活動をするというメタな視点からの、各種アメコミへのオマージュこそが作品魅力だと思っていたのだけど、そういうテーマは薄まってしまった。 一方でヒット・ガールの人生はクローズアップ。高校のダンス部に入ったり、女のイジメに遭ったり、そうなると俄然ティーン映画の様相が強くなる感じだけど、華のあるクロエ・グレース・モレッツなので飽きは来ないな。ヒーロー集団のまとめ役、ストライプス大佐も、ジム・キャリーの笑いを控えた濃いめの演技が良い感じだけど、意外にあっさり退場したのは驚いた。ただ前作のビッグ・ダディほどその死に意味が込められなかったのはちょっともったいない。どちらかというとキック・アスの親父さんの方が重要な要素になってるよなあ。それにしてもこの場合、友人のトッドの責任はどうなんだろうか? |
キッド |
8 |
チャップリン初の長編作品。1時間に満たない作品ながら、悲喜こもごもの人情味溢れる内容は、チャップリン作品の魅力が十分伝わってくる。喜劇として笑え、そして話として感動出来るのは凄い。チャップリンの仕草そのものが道化として面白いわけだけど、ただそれだけじゃない。ちゃんと動きで喋ってる。特に中盤にある子供のケンカのシーンで、最初止めに入ろうとするも、自分の育てた子が優勢なのを見てけしかける様はお気に入りですw
貧しいながらも幸せそうな主人公達の姿は、彼の作品に通じる何かの優しさのようにも思える。この映画はハッピーエンドな訳だけど、彼自身が子供時代に貧しく孤児院で生活していたことを考えれば、そういった展開になるのも、一つの理想として希望を描いたのかもね。それもまた映画らしさだと思う。 |
きっと、うまくいく
(2009年制作) |
8 |
卒業から10年、大学時代の親友・ファルハーンとラージューは、何かと対立することの多かった同窓のチャトルから急遽大学に呼び出される。 青春コメディというジャンルながら、競争社会に対する痛烈な風刺、そして直接的に“自殺”という問題を描いている点で、笑っているだけではいられない心に残る作品になった。ジョイ・ロボの自殺のシーンはショッキング。ラージューも助かってはいるが、ことさらに自殺という影が作品内で描かれるということは、やはり当地でそれが社会問題になっているということなのだろう。 社会構造を体現する学長、そしてそれに立ち向かう主人公の一人・ランチョーという構図で物語は進む。その対立は、現実的にはともかく、「映画の中くらいは理想論を振りかざしたっていいじゃないか」という気分の代弁者として、ランチョーへの感情移入はしやすい。あちこちに撒いた伏線の回収や最後のオチもキレイだし、風刺映画だとしても最後には“映画は娯楽”ということを確信的にやっているあたり、観ていて気持ちのいい映画だった。 原題は"3 IDIOTS"で「3バカ」ってところだろう(実際、日本初公開時のタイトルは「3バカに乾杯!」だった)が、現邦題の「きっと、うまくいく」は内容を考えても良いセンスだと思う。 |
キャスト・アウェイ |
8 |
公開前はやたらとトム・ハンクスの減量の話で盛り上がったけど、やっぱりすごい俳優だわ、彼は。ひとり芝居だけで1時間半も持っていく。ウィルソン君との別れは感動すらする。ストーリーは個人的には好き。「生きるという事は何か」と考えさせられる。ほとんどBGMがないのが印象的。 |
キャッチ・ミー イフ・ユー・キャン |
9 |
逃げるディカプリオ!追うトム・ハンクス!なんて夢の競演が楽しい。経歴詐称七変化の主人公がいかにして詐欺師になったかという経過を見ると、犯罪者とはいえ共感が生まれてくる。尊敬している父親をいつも思い、彼の期待に応え、そして彼に再び幸せになってもらいたいと常に思っている主人公。C.ウォーケン演じる父親を見ていると、確かに尊敬するに値する父親だと思う。そして一瞬ブルース・ブラザースに見えてしまうトム・ハンクスの久しぶりの軽い縁起も良かった。一見するとコメディ色の強い逃亡・追跡ものかもしれないけど、主人公の孤独さや父親への思い、そして追跡者との奇妙な友情というところに感動したね。 |
キャッツ
(2019年制作) |
6 |
トニー賞を受賞し、ロングランも記録した名作ミュージカルの映画化作品。 基になったミュージカルは存在こそ知っているものの観劇したことはなく、この映画で初めてちゃんと内容を知ったのだけど…、文字通り「いろいろな猫たち」の話だったんだね。もちろん映画としては舞台劇よりもビジュアル的に作りこんでいるわけだけど、その匙加減に首をかしげる要素がないわけではない。世界の描写を観客が想像力で補完する舞台劇と、具体的に描く必要がある映画とでは、観客に伝える媒体としての性質が違うわけで。そのことを理解するにはいい教材になる作品…かな。 一般的に評判の悪い“猫人間”とも形容されるような猫たちのビジュアルは確かに一見してギョッとするもので、デフォルメでもリアルでもない妙な生々しさが終始観る側に違和感を感じさせる。明らかにプロダクションデザインの段階で方向を見誤っているとは思うんだけど、一方で監督が舞台劇を観た時に脳内補完して出来上がった世界のイメージそのものだとするならば、それはそれで表現出来ているのだろう。でも、大衆の見たいものがこんな「猫人間」だったのかどうかということに思い至らなかったとするならば、別の意味で作り手の想像力を疑ってしまうが。 見た目のインパクトを横に置けば、ミュージカルとしては「いろいろな猫」を紹介するコンセプトを正しく表現した作品だとは思う。舞台劇の演出をそのまま取り込んだような、例えば観客に語り掛けるジョディ・デンチの場面とかは「もう少し映画的に工夫してくれよ」とも思った部分もあるけれど。でもいい歌曲場面もあって、個人的にはテイラー・スウィフトの「マキャヴィティ」の演出がとても気に入りました。鉄道猫のタップダンスからの展開も良かったなあ。 |
キャッツ&ドッグス |
7 |
やっぱり子供向けの映画のためか、それなりな内容。でも007やミッション:インポッシブルのパロディーがあったり、ほんとに子供をねらってるのかなぁとも思う。ニンジャ猫はいいキャラだったけど、一つ疑問なのは、来る時はパラシュートで降りてきたのに、帰りはどうやって飛行機に乗ったのか?ニンジャだからジャンプしたのだろうか?どうせならその跳躍力を見せてくれ(笑) |
キャットウーマン |
6 |
“キャットウーマン”と聞くとやはりティム・バートン版の方、つまり「バットマン・リターンズ」を思い出しちゃうわけですが、当たり前に全然別物です。露出の高いコスチュームは論外としても、ストーリー自体楽しめず、なんだか今ひとつの映画でした。個人的に気になったのは、やたらとCGのビルなどを空撮していること。これがリアルならまだしも、なんとなく浮いてるし…。あとはどんでん返しにならないストーリー展開。サプライズ要素としては、ストーリー上には十分あるわけです。が、もう中盤で(狙ってやっているとは思うけど)バレバレの演出をしているので、終盤で「はめられた!」と驚いているのはキャットウーマンだけ。観客がみんな分かってるという事に、どれだけの意味を持たそうとしたのでしょうか?監督。なんだか違う意味で肩透かしを食らってしまいました。 |
キャピタリズム マネーは踊る
(2009年制作) |
8 |
突撃ドキュメンタリー監督・マイケル・ムーアが、“資本主義”による社会悪や問題に切り込んだドキュメンタリー作品。 「アメリカ社会は、いったい何故こうも歪んでしまったのか」という視点で、前作「シッコ」の医療問題に続き、今回は経済問題。いや、経済全体と言うよりも、一部の富裕層が富を独占することで起きている格差のスパイラルを糾弾している。いつものムーアらしく、問題提起は簡潔そのもの。「サブプライム問題で多く人々は破綻し家を奪われたのに、なぜ銀行は破綻しても公的資金がもらえるのか。」「その資金は何に使われた?幹部の給料?」「監督委員は使途を監視しないのか?なに?長官が『あえて問わない』だって?」 一般人からしたら普通の疑問だろう。そしてその問題に至った経緯を様々な過去映像のモンタージュで説明していく。経済というややこしい題材ながら、このあたりの編集も分かりやすく、ムーアの感覚が冴えているところか。しかし残念ながら「ボウリング〜」以前のような体当たり取材は今作でも行われなかった。一応アポ無し突撃はあるものの、最初から相手にされないと分かっていてやっているので物足りない。突撃取材をウリに一躍有名になったがために、それに応じてもらえなくなったというのは皮肉だね。でも取材される側も非がないと思っているなら応じるべきだろう。そうしないのはムーアの指摘が正しいと言っているようなもんだ。 作品の主張としては、そのような一部の富裕層のみが富を独占する“資本主義”は是正されるべきだというモノ。しかし俺は“資本主義”が問題なのでなく、“拝金主義者のブタども”がガンなのだと感じる。しかしそれを生んだのは“資本主義”なのだ。難しい問題だ…。 |
キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャーズ
(2011年制作) |
7 |
マーベル・コミックのヒーロー、キャプテン・アメリカの誕生と活躍を描いた実写版アメコミ映画。 貧弱な体格だが人一倍愛国心に満ちていた青年が、軍の超人兵士実験に参加したことでスーパーヒーローに。ストーリーとしては彼の誕生に重きを置いているので、彼がいかに見出されていったかという過程が長い。それはそれで悪くはないけど、逆に前線で活躍するようになってからの活躍が、まるでダイジェストで片づけられるというのはいささか偏りを感じるかな。 キャプテン・アメリカのコスチュームは大きく3種類登場するけど、戦時国債キャンペーンのコスチュームがほぼ原作のデザインというのが良いね。これはリアルでやるとアメリカの広告塔という道化以外の何者でもないのに、それをあえて逆手に取った見せ方で上手い。劇中劇の白黒映画なんかは良い雰囲気です。次に登場する革ジャンコスチュームは素直に渋く、3つ目のオリジナルの雰囲気を残しつつ現実的になった(全身タイツではない)デザインも良かった。 ただ、総じて言うと何かが物足りない。ベタすぎる部分が大きい気もするけど、やはり盛り上げるべき活躍部分で、あまりにも一直線で含みのない展開だったところがなあ…。最後の基地に突入にしても、正面突破が囮になっているという描写も良くわからないし。 エンドクレジット後には「アベンジャーズ」の予告が入るわけですが。これだけだと、ただの前振り映画という印象になってしまうかも。 |
キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー
(2014年制作) |
8 |
「アベンジャーズ」後、S.H.I.E.L.D内部で発生した不穏な動きと、それに対峙するのキャプテンの姿を描いた実写版アメコミ映画。 全編これぞアクション映画!という派手な見せ場にはお腹いっぱい。一方で“組織内で暗躍する敵”というスパイ映画風味なサスペンス感もあり、エンターテイメント作品としての懐の深いですわ。そういう意味では、明らかにコミック的世界観の敵キャラだったレッドスカルとの戦いを描いた1作目とは作風が少し変わったかもしれない。だけど、70年後の世界でもキャプテンの敵はヒドラであるところ等、世界観の連続性を持ち、「キャプテン・アメリカ」シリーズとして上手い展開を見せるよなあと感心した次第。 1作目や「アベンジャーズ」での登場人物の話などが深く絡むので、あくまで前作までを知ったうえで観るのが良い作品ではある。ウィンター・ソルジャーの正体は出来過ぎな感じがしなくもないけど、まあ原作コミック通りとのことなので、そこはそれあくまでコミックヒーローの物語として。飛べないキャップを補う形の新キャラ・ファルコンの活躍はスピード感があって悪くない。ただ、ファルコンは優秀な兵士とは言え一般人だと思うんだけど…タフだw
それはともかく、個人的にはコスチュームネタがうれしい。正直言ってコスチュームデザインは1作目が一番良いと思っていて、「アベンジャーズ」の時のは微妙だし、今作の新スーツはマシだけどもう少しだったんだよね。なので、前半チラ見せで「お、ファンサービスか」と思わせておいて、後半でまさかもう一度最初のスーツ(マイナーチェンジはしてる)を着て大活躍してくれるとは!制作者は分かってるよなあw |
シビル・ウォー キャプテン・アメリカ
(2016年制作) |
9 |
アベンジャーズを国連の監視下に置く協定を巡りヒーローたちの中で意見が分かれる中、テロ事件が発生しチームは分裂を始める。 まさにタイトル通り、「内戦」。広がり続けるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の世界観を見事にコントロールし、ヒーロー対ヒーローの対決を描き切った脚本はお見事。目指すものは同じなのに、スティーブ(キャプテン・アメリカ)の信念とトニー(アイアンマン)の後悔という動機の隔たりから生まれる方向性の違いがドラマを生んでいる。本作の敵となるダニエル・ブリュール演じるジモ大佐のバックボーンも、ヒーロー活動の裏に隠れた犠牲者という考えさせられるものだったね。劇中、ジモ大佐が度々電話していた相手の妻が故人だと知った終盤、彼の憎悪を単純に悪と断じるにはいささか複雑な感情が芽生えた。奇しくも同年公開の「バットマンvsスーパーマン」(DC)も似たテーマだったが、本作の方がドラマの完成度は上だったと思う。 基本的にシリアスな人間ドラマだが、ちゃんとヒーロー映画としてのカタルシスはあり、その点でも満足できる作品だった。キャプテンとアイアンマンの殴り合い…色んな意味で痛い。しかし目玉は何と言っても空港でのヒーロー同士の対決だが、6対6のバトルを見事な構成で見せ切ったスピード感のアクションは最高。遂に参戦したスパイダーマンの軽快なアクションとルーキー然とした振る舞いも楽しいが、特にアントマンの規格外の戦闘方法には…爆笑したw 怪獣映画やんけ!“古い映画”の「帝国の逆襲」をネタにしたのも何か嬉しかったなあ。 MCU・フェイズ3の口火を切った本作、通算13作目にして衰えぬどころか上がり続けるクオリティには脱帽です。 |
キャプテン・フィリップス
(2013年制作) |
8 |
米国船籍の貨物船マークス・アラバマ号がソマリア沖で海賊に乗っ取られた。乗組員を守るべく、襲撃した4人の海賊と対峙するが…。 海賊に追跡されていると知った時のフィリップス船長はいかに行動するか。的確に状況を理解し、船員の生命を第一とし、船の責任者として先頭に立つ。そのリーダーの行動は称賛に値するよなあ。これがセガールなら一人で海賊を制圧するんだろうけど、主演のトム・ハンクスは責任感ある普通の民間人船長という雰囲気を上手く出しているよね。格闘して勝てるような感じはしないけれど、責任者という貫禄があるというか。終盤、精神的な限界の叫びと、緊張の糸が切れた後の戸惑いと涙の演技は最高だった。 話としてはコンテナ船での攻防と、救命艇での逃亡の大きく2つの状況に分かれるかな。コンテナ船での攻防は、MGS2のタンカー編を思い出すような緊張感。アクション映画になる要素も十分に持つけど、そこはリアル派のグリーングラス監督、海賊を誘導したり(他の船員が)隠れて行動したりと静かな闘いにハラハラする。後半の救命艇は、海賊4人の中に船長1人という極限状態の緊張感が良い。米海軍が到着した時の「来た!」感も素晴らしいですわ。 でもこの映画の一番良いところは、ソマリアの海賊をエイリアンとして扱っていないところだよね。もちろん犯罪者であることには変わりないけど、彼らの事情が垣間見える描写が多々あり、絶対的な悪とは思わせないところに感銘を受けます。 |
キャプテン・マーベル
(2019年制作) |
8 |
キャプテン・マーベル誕生の物語を描いたMCUの21作目。過去の記憶を失っているクリー帝国の戦士、ヴァース。ある作戦に参加した彼女はクリー帝国の宿敵であるスクラルに囚われてしまう。 いわゆる価値観の相転移というか、味方だと思っていた組織が敵で、敵だと思っていた相手が実は敵ではなかったというところがこの映画の捻りではあるのだけど、その点についてはあまり驚きはなかったかな。とはいえヒーロー誕生の物語としては普通に観られるわけで、彼女の出自…スーパーパワーを手に入れた切っ掛けやヒーローとしての使命に目覚める流れには納得もできるし、若き日のフューリーとのバディ感も楽しかった。ポケベルやWindows95っぽいPCなども登場したりして、90年代が今やノスタルジーとして描かれていることにおっさんの俺としては複雑な思いもあるが…。そういえばヴァースが地球に落下したビデオ店で吹っ飛ばした看板が「トゥルー・ライズ」って、何となく本作のテーマに引っ掛けてるのかね。 単作として観ると可もなく不可もなくといったヒーロー映画だったのだけど、MCU全体で考えると色々なところに「そう繋がっていていくのか」という面白みが確かにある。キャプテン・マーベルがあれだけ強いのにもかかわらず、19作目まで存在を匂わすこともなかった理由も分かったしね。IWのあの時点まで呼ばなかったとは、フューリーはさすがに胆力あるなあ。というかフューリーの片目の傷の原因って猫だったんかいw(中身はフラーケンだけど。) それはさておき、スタン・リーに敬意を表したオープニングのマーベルロゴ、最高でした。 |
ギャラクシー・クエスト
(1999年制作) |
8 |
過去に放送されていた人気SFドラマの役者たち。ひょんなことから本物だと勘違いされた宇宙人たちに救いを求められ…。 明らかに「宇宙大作戦」のオマージュ&パロディで構成されているけど、展開などは「サボテン・ブラザース」の翻案…SF版って感じ。要するにベタな勘違いコメディなのだが、漂う「スター・トレック」っぽさやお約束の数々にはついニヤニヤしてしまう。タガート艦長を演じたネズミスを演じるティム・アレン(ややこしいなあ)のカーク船長っぽい座り方に、モッサリしたアクションw Dr.ラザラスを演じたアレックス(アラン・リックマン)が「『リチャード3世』を演じた私が…」とぼやくのは、TNGのピカード艦長を演じたパトリック・スチュワートがシェイクスピア俳優だからだろう。勘違いでやってきた宇宙人たちの髪型がバルカン人っぽいのもネタだと思うけど、星雲の名がクラトゥとは…ここだけ「地球の静止した日」やん。 しかしこの映画の時にシガニー・ウィーバーは50歳なのに、紅一点のキレイどころを見事にこなしてますよ、すごいなあ。終盤、通路の途中にあるピストンの仕掛けを見て「何で通路にこんなものが!?」「これを書いたシナリオライターは死ね!」と絶叫する彼女の姿には笑ったw この映画、「宇宙大作戦」や「新スター・トレック」を笑いに変えてはいるけど、決してバカにしているわけではないよね。登場人物はこの作品の中で、役に誇りを持ったり、信頼しあったりときちんと成長もしていく。「スター・トレック」への敬意が詰まったコメディだと思う。 |
キャリー
(1976年制作) |
8 |
スティーブン・キングの同名小説を原作に、ブライアン・デ・パルマが監督したホラー映画。 劇判に「サイコ」を引用していたり、カメラワークやシャワーシーンが実にデ・パルマらしくてニヤリとするw イジメにあっていた主人公が、プロムで幸せの絶頂になりそこから一気に急降下。鬱屈した部分と力の解放の対比は素晴らしいなあ。善意の人も悪意の人もひっくるめて惨劇に見舞われる有名なプロムのシーンは…いささか救われない気分になるけど、100分弱に周囲の人物との関わりをキッチリ入れ込んでいるので、キャリーに対して感情移入してしまう。でも大勢を惨殺するに至った原因は、元はと言えばキリスト教に狂信的な母親であったわけだし、皮肉を利かせた話だよね。 主演のシシー・スペイセクの雰囲気は見事だし、母親役のパイパー・ローリーも良い。特撮部分は今観ると安っぽい部分もあるけど、70年代の映画なので。そこかしこにキリストのイメージがあって、サイコキネシスの設定以上に宗教的な何かを感じさせる見せ方が魅力かな。 |
キャリー
(2013年制作) |
6 |
1976年に映画化されたスティーブン・キング原作の同名作品をクロエ・グレース・モレッツ主演でリメイクした作品。 話の流れはほぼデ・パルマ監督の'76年版と変わらないものの、話をテキパキこなすばかりでこれと言って目を引く演出もなく、オリジナルと比べると物足りない印象。キャリーのどん底から絶頂に行き、そして叩き落される過程にもう少しタメというか、差が欲しかったかな。 クロエ・モレッツは若手の女優として華も女優としての格もあると思うのだけど、この作品の主演としては個人的には微妙。オリジナルでシシー・スペイセクが漂わせていたような、イジメを受ける者特有の負のオーラが見えないんだよなあ。すでに定着してしまった強い女の子のイメージが勝ってしまっているというか…。 あと、サイコキネシスをある程度自覚的に操っているのは余計な説明か。あれは感情の爆発…ヒステリーの様なものだと理解していたのだけど、どうも違うらしい。親切にしてくれた教師の命を救う理性があることを示してしまうと、その他大勢の惨殺行動が(嘲笑した奴らというだけでは)どうも行動として結びつかない気がして。オリジナルと同じく問答無用で皆殺しの方が説得力があったのに、その改変はイマイチだと思った。 |
キャロル
(2015年制作) |
7 |
若き女性主人公と、気品のある夫人。次第に惹かれあう二人の愛を描いたドラマ。 おっさんの身の自分としては…女性同士の恋という理解を超える関係を描いた話ですが、キャロルとテレーズという2人の女性の間で次第に気持ちが近いづいてく様子、そして許されぬ状況の中での彼女らの心情がとてもよく伝わってくる。演じたケイト・ブランシェットもルーニー・マーラもそこの気持ちの揺れの具合の体現性が凄いね。個人的には一線を越えるまでの間柄、そして終盤にキャロルが断られることを怖れながら会食に誘うシーンが好き。映画ではハッキリ何年ごろの話とは言わないが、デパートで流れるアイゼンハワー大統領の就任を祝う館内放送から1952〜53年の話であることが分かる。 ただ、話の構造自体は目新しいものでもないし、女性同士のメロドラマという印象以上には感じなかった。確かに50年代の同性愛者という存在に対しての世間の目の様な苦難は多いだろう。女性が、まして同性愛者が“自分らしく生きる”事は大変な障害があった時代だとも思う。しかし、この映画の登場人物たちにとっての障害は、どちらかというと社会構造への言及よりも、親権や女性を愛したという内向き(個人的)のベクトルが強く、そこに周囲への理解を生み出すだけのメッセージがあったかというと…個人的にはあまり感じない。なので「ミルク」や「フィラデルフィア」といった同性愛をテーマの一つにした他の作品と比べると、話が内向的すぎて俺には乗り切れなかったのも事実。 |
ギャング・オブ・ニューヨーク |
10 |
かなりやられた!アメリカの根底というものを描きつつ、それでいて人間ドラマとしても秀逸。血なまぐさい闘争の描写が多いが、その世界にもルールというものが存在していて、決闘のシーンを見ているだけでこれが単なる抗争ではない事が分かる。互いの存在をかけて闘う男のドラマだ。主人公の父の仇も、けして純粋に悪ではなく、悩み、互いに尊敬し合えるような、義というものを知っている男だったと思う。今のNY(に限った話ではないが)の存在の源流には、あのような世界があった事を知らしめている。登場人物が信念を持って生きているところに、ものすごく感動した。ところで監督自身がチラッと映ってたねw |
吸血鬼ドラキュラ
(1958年制作) |
7 |
ハマー・フィルム・プロダクションによるユニバーサル映画の古典「魔人ドラキュラ」のリメイク作品。 ドラキュラと言えば「魔人ドラキュラ」のベラ・ルゴシか本作のクリストファー・リー。逆にクリストファー・リーと言えばドラキュラ!となるくらいに彼のイメージを決定づけた作品。一応「魔人ドラキュラ」のリメイクではあるけど、ストーリーからキャラ設定までかなり違っているのでエッセンス以外は別物の作品という感じかな。本作のドラキュラはなかなか動作が機敏だし、どうも人間臭いというか超常的な雰囲気がしない。終盤も城で焦って穴を掘ってるところをヘルシングに見つかって「あっ」ていう感じが、なんだか間が抜けていて笑ってしまったw とはいえ長身痩躯のリーのビジュアルは確かに印象に残る。舞台セット然とした雰囲気の「魔人ドラキュラ」に対して、本作はTV映画のセットの様な印象も強いのでそういう面では時代を感じるが、それはそれで。 一方でヘルシング教授は設定が医者(博士?)になり、老人から中年に設定変更、そして演じるはピーター・カッシング。俺の中ではハマー・フィルムのスターというよりは「スター・ウォーズ」のターキン総督というイメージだけど、切れ者っぽい感じがこの映画のヘルシングをリーのドラキュラの向こうを張らせるに実に良い存在感。この映画の主役はヘルシングなんだよね。 |
96時間
(2008年制作) |
8 |
パリに旅行に行った娘が人身売買グループに拉致された。元CIAエージェントの主人公は、娘を救うべく独りで敵組織の足取りを追う。 任務優先だった人生を捨て、娘のために生きていくことを決意している主人公の心情を映画の序盤を使って割としっかり見せているので、事件発生後の鬼気迫る追跡の姿勢にも説得力が感じられる。 見事な手際で敵勢力を突き止めて肉薄していく様や、カットを割りまくって迫力を出しているアクションシーンなどは、多分に「ボーン」シリーズの影響があるかも。まあそこまで上手いかといえば微妙だけど、十分に楽しめたのだからヘタな二番煎じとはまで言えない。割と使いこなしてるかな? 欧州の人身売買の手段については英ドラマ「セックス・トラフィック」等でも詳しく描かれているけど、それとは違いこの映画ではターゲットが西側の無防備な観光客になっている。引っかかっている人たちはみんな無防備過ぎやしないか?と思ったりもするけど、まあそこはそうしないとストーリーにならないか。それを言い出すと、発端の事件も犯人達は建物に侵入してまで誘拐する必要は無いハズなんだよね。 |
96時間 リベンジ
(2012年制作) |
7 |
前作で壊滅させられた人身売買組織の身内が、その復讐のため、リーアム・ニーソン演じる主人公を家族もろとも拉致する計画を実行する。 そもそも96時間なんてキーワードすら出てこない本作だけど、続編だから仕方ないか。リベンジされるのは主人公側。拉致された主人公とその妻に対して、娘は間一髪で難を逃れ、父親の指示の下に救出に向かう…というちょっと捻りが入っているのが面白い。ただ基本的にはリーアム・ニーソンの無双を眺める話であって、もはやリュック・ベッソン脚本と言えばこんな話、と思えるようなテンプレートな展開ですわ。だけども…今作もものすごいスピード感で解決に突き進んでいくんだよね。そういうスピード感のおかげで普通に楽しめるアクション映画になっている。 そのアクション部分はますます編集が「ボーン」チックで迫力満点。もしかしたら「ボーン・レガシー」より上手かったかもね?w |
96時間 レクイエム
(2014年制作) |
7 |
身に覚えのない妻殺しの罪を着せられた主人公・ミルズは、警察の追跡を掻い潜りながら真相を追う。 何となく黒幕が序盤で分かってしまうのはご愛嬌。そこへどうたどり着くのかという経過を観るにあたっては、次々と繰り広げられるカーチェイスと肉弾戦のテンポの良さでグイグイと話を引っ張っていくので悪くない。ただ相手が警察なのでリーアム・ニーソン演じるミルズも少し大人しいというか、単純な無双映画でもなくなった感じ?警察側の有能な刑事ドッツラーとの駆け引きは、最初からドッツラー(フォレスト・ウィテカー)がミルズ主犯説を信じてないのも見て取れるので、どうしてもそこは緊張感が薄くなる部分もあったかなあ。もっとギラギラと追いつめてくれれば「逃亡者」のトミー・リー・ジョーンズの様にもなれた気がするのだが。 カーチェイスは派手だった。コンテナで大惨事になってたけど、あれは関係ない人がだいぶやられちゃってるんじゃ?w それにしてもカット割りの数が凄い、秒単位でカットを割っていくので観ている方は目が回りますわ。確かにスピーディーで良いし、アクション場面でもキレがあるように感じさせる効果も発揮してるが…、ちょっとやり過ぎな気も。 |
CUBE
(1997年制作) |
8 |
目覚めるとそこは謎の部屋。事情が分からぬまま同じような部屋を移動する男女数名だったが、そこには死のワナが仕掛けられていた。 不条理サスペンスとでもいうべきか。しかしワンセット、ワンシチュエーションで見せ切るアイデアは秀逸。観客に対しても状況説明が全くないので、事情が分からぬまま手探りで脱出を試みる主人公たちと同じ目線で物語に入り込める。分かっているのは迂闊に動くと殺される強烈な罠が仕掛けられている、ということだけで、実にサスペンスフルだよね。低予算でもアイデア次第で面白い映画が出来る好例でしょう。 脱出の謎解きはそれらしきことが提示されているだけなので、正直言って観客側で悩む必要はない。素数と言われればなるほどと思うし、因数の数と言われればなるほどと思うくらいの、マクガフィンと思っておけばいいくらいの意味だろう。重要なのは、結果的に「動かなければ良かった」ということ、キューブ自体が“目的のない公共事業”であること、体制側である警官が最も暴力的ということ、最後に助かる者が無垢であること、といった具合に何もかもが皮肉であること。監督はさぞ皮肉が好きなんだろうが、皮肉が好きなだけではこんな物語は思いつくまい。それが凄い。 そういえば登場人物は皆、何らかの役割を持っていたわけだけど、最初のスキンヘッドの男だけ不明だね。一言も発せず死んでしまったしw あるとすれば観客への説明役…か? |
CUBE2
(2002年制作) |
5 |
目覚めるとそこは謎の部屋。そして永遠に続くその部屋は時空までもが捻じれていた。 一言で言えば駄作。ワンアイデアをうまく生かした1作目から“謎の立方体の部屋”というシチュエーションだけパクったまがい物。これが正統続編とは虚しくなるが、そりゃあこんな話では前作の監督のヴィンチェンゾ・ナタリも降板するでしょうよ。根本的に話が薄っぺらく皮肉もドラマも感じないし、4次元とパラレルという仕掛けだけで何とかしようというストーリーに工夫が足りない。永遠に人を殺して食ってる?目合ったままミイラ化?うーんリアリティがないなあ。安っぽいCGに頼りすぎているのも興を削ぐが、そもそものビジュアルとして何故真っ白い部屋だけにしたのか…。明るいとそれだけで不安感が無くなるのに。 前作は謎の部屋という嘘の中にも人間の業がきちんと描かれていたので、それが観る者に緊張感と共感を与えたのだと思う。本作にはその共感性が無い。ただ、画面の中で右往左往しているだけでは…。説明をしない事と想像する余白があることとは違うと思うんだよね。安易な2作目が失敗する好例かな…。 |
CUBE ZERO
(2004年制作) |
6 |
目覚めるとそこは謎の部屋。そして彼らを監視する二人の男。 2作目よりは不条理サスペンスに揺り戻っている感じで、罠も1作目に近い仕掛け系になっているのでちょっと安心。話も単にキューブの中を彷徨うだけでなく、それを監視する男たちを登場させることでヒネリを出そうとしている。ただ、彼らが案外アナログな方法で対応しているのがそこはかとないガッカリ感も漂わせるが…。こういうシチュエーション物は謎は謎のままとしておいた方が良いところも多いからね。(あまり裏方の苦労は観たくないw) 体制側と思しき初老の男が如何にも胡散臭い風体だったり、兵士を操るチップなどで微妙にSFチックなのが逆にちょっと安っぽい。体制批判のカリカチュアにしたってちょっと漫画チックすぎて…。が、それでもラストで主人公を1作目の精神病の男に繋げてきたところは、シリーズのラストの展開としては悪くないかな。まあ1作目の場面を再現している割には他のキャストを似せるつもりもないようで、開き直りすぎじゃない?(もしかして別人?)とも思ったが。せめてこのオチにするならキューブのデザインはそろえてほしかったなー。 まあ、作品自体が蛇足には違いないんだけどね。 |
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
(2023年制作) |
8 |
1920年代初頭にオクラホマ州オーセージ郡で起きた実際の連続殺人事件を題材にした犯罪映画。 石油利権に絡む連続殺人事件だが、その石油の権利を持つのがその地に住んでいた先住民のオセージ族で、そしてそれに擦り寄る白人という構図が本作の背景として描かれる。原作は「花殺し月の殺人」というノンフィクション作品ということで、映画にするためにだいぶ脚色しているような雰囲気はあるかな。なんでも、当初の主人公はFBI捜査官のトム・ホワイトだったそうで、結果的には主人公と敵自体を入れ替えたような話になったわけか。まあ物語としては、黒幕の甥の目線で事件を追っていく方が事件の根っこを垣間見た感じがするので、本作の構成を選択したのは良かったのかなと思う。 主人公のアーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)はオセージ族の女性・モーリーと結婚する。それ自体は"おじ"であるウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)の思惑も絡んでのことだけど、アーネスト自身は本当にモーリーを愛していたんだろう。でもそれとは裏腹に"権利を掠め取るための"策謀がモーリーの身の回りの人々を次々に消していき、モーリー自身も衰弱してしまう。このあたりの描写の積み重ねを206分の上映時間の大半を使って描いているのだけど、3時間超えの長さを不満に思うような間延び感はなかった。その時間があってこその主人公の感情というのが確かにそこにあるよね。どちらかというと巻き込まれ型の主人公アーネストは、時々「そんなはずじゃなかった」といった状況に当たってなんとも微妙な評定をするのが面白い。特に義妹の家が爆弾で吹っ飛んだときなんかは「マジか…」みたいな表情で、シリアス場面なのに妙に可笑しかったなあ。終盤はどんどんしかめっ面が増えていき、ディカプリオのへの字口が随分と印象に残る作品となってました。 映画のクライマックスとしてはもう一山あっても良さそうな感じもするけど、そこはノンフィクションが原作として極端な創作を入れなかったというところでもあるのだろうか。後日談を当時のショー形式で語るというのはユニークだったけど、さすがは出るのが大好きなスコセッシ監督。しっかり出ていましたねw |
KILL BILL |
7 |
全編オマージュだらけの映画。まさにタランティーノの趣味が炸裂した1本になってます。しかしこの映画、「何でわざわざ日本語の台詞を喋る必要があるんだろう?」と思ってたけど、観て納得。そう、この映画の決めゼリフは日本語ばっか。タランティーノはそれを言わせたかったんだ、とw ほんとに監督は日本映画が好きなんだなと思うと、違う意味で感動したね。個人的に勉強不足の為、元ネタをほとんど知らないのが残念。もし全部元ネタが分かったら満足度も+2点くらいいってたと思う。それくらい個人的な思い入れがひしひしと伝わってくる映画でした。エンドロールの曲はピッタリで驚いたw |
KILL BILL vol.2 ザ・ラブ・ストーリー |
7 |
前作のハイテンションぶりはどこへやら、なにやら序盤から落ち着いた雰囲気。と思ったらタランティーノ映画には違いないが別のベクトルの作品になってます。前作のようなモノを期待すると、肩透かしを食らいますな。俺は素直に「こういう風に昇華していくのか〜」と感心した。途中の格闘シーンやカンフーの修行なんかは前作とも繋がってるけど、それも控え気味。R指定が外れたのも納得。細かい演出ですが、カンフーの師匠、パイ・メイにカメラがぐっとクローズアップするのは明らかに香港映画のオマージュか。パイ・メイのシーンだけやたら映像がざらついてるし、芸が細かい…。ストーリーは、最後まで観てみると確かに邦題のサブタイ通り「ザ・ラブ・ストーリー」やったね。しかしザ・ブライドは北斗神拳もどきまで使いますか…。 |
ギレルモ・デル・トロの ピノッキオ
(2022年制作) |
8 |
カルロ・コッローディの「ピノッキオの冒険」を原作にしたストップモーションアニメ作品。 タイトルの「ギレルモ・デル・トロの」に偽りのない、デル・トロの作家性がにじみ出た雰囲気の「ピノッキオ」。ストップモーションの人形劇にしたのはディズニーの偉大なアニメ版との差別化にも効果を発揮しているように思う。人形劇だけども表情豊かにキャラクターが演技するさまは圧巻。3Dプリンターが生んだこういった人形の表情演技の効果はライカの「コララインとボタンの魔女」以降どんどん発展しているけど、この作品もその延長線上で進化を感じさせる出来栄えですね。ミュージカル調の演出もいい感じだし、楽しませてもらいました。 第二次世界大戦前のイタリアが舞台で、ファシストの存在もちらつく設定は本作独自。ファンタジーでもそういう陰のある部分はデル・トロの「パンズ・ラビリンス」も思い出したりもする。でもあれほど尖った異形の不気味さは出さず、あくまでファミリー映画で楽しめるレベルにはなっているけどね。ラストの「本当の少年になる」という解釈を、「永遠の命を捨てる」というの形にしたのには「なるほどなあ」と思った。単純に肉体を得るとすればどうしてもディズニー版との比較が避けられないけれど、人形のままではあっても「限りある生命と家族との人生を過ごしたのだ」というのが人間性を感じさせる物語になっていると思う。 |
疑惑のチャンピオン
(2015年制作) |
7 |
ツール・ド・フランスで1999年〜2005年にかけて7連覇を達成した(後に剥奪された)自転車選手、ランス・アームストロングの伝記映画。重度の癌に侵されながら、奇跡のカムバックを果たした裏で行われていたドーピングの実態を描く。 アームストロングの行為がバレなければ難病からの復活劇ということで感動話になったかもしれないが、この話はそれが主題ではない。原題の“THE PROGRAM”が指し示す「ドーピング・プログラム」の実態を描いていて、伝記というよりはツール・ド・フランスを舞台にしたドーピングの内幕を描く暴露映画になっている。 映画を観ていて「何だか淡々としているなあ」と感じたのは、レース自体の興奮を描くのではなく、ただアームストロングが確信的に“プログラム”をこなしている行為を中心に描いているからなんだろうか。彼自身にはそこへの迷いがあまり感じられなかった。癌患者たちの希望の星にもなったことに対して逡巡があるのかと思いきや、それもあまり意に介さずチャンピオンとして邁進する。むしろ葛藤があったのはフロイド・ランディスの信仰との揺らぎの方だけど、そっちの方がむしろドラマ的だと思った次第。 劇中でも癌を克服してのツール・ド・フランスでの優勝に「これは映画化されるぞ!」などと何度か言及されるが、結果的に彼のドーピング行為が主題の映画になるとは、何とも皮肉w 製作中止になったジェイク・ギレンホール主演の伝記映画の事も少し触れられてたね。 |
キング・オブ・コメディ
(1983年制作) |
8 |
コメディアンとして世に登場するため、テレビの人気コメディアンであるジェリー・ラングフォードに執拗に接近を試みる主人公のルパート・パプキンの姿を描いたドラマ。 夢に向かって行動する主人公の偏執的な前向きさが、もはや“ヤバい奴”としか感じられない冒頭からの流れが絶妙。身なりが小綺麗なだけに余計に際立つが、パプキンを演じるロバート・デ・ニーロの醸し出す“執着”のオーラはさすがだなあと思った。 ジャンル的にはブラック・コメディ…になるのかな。後半に差し掛かったあたりのパプキンがラングフォードの別荘から追い返されるまでは、主人公の“行動力”がただただ哀れだし、彼の妄想やストーカー行為自体に怖さも感じるのだけれど、その後にジェリー誘拐を実行してからはシチュエーションコメディ感が増して普通に笑える場面もあったね。電話口でのキューカードのやり取りは好きだな。クライマックスにあるスタンダップコメディのワンカットも普通に面白かったし、エンディングに向かって話の潮目を変える説得力にも繋がっている。基本的に主人公の行為に共感はしないけど、「どん底で終わるより一夜の王になりたい」というセリフはとても良い。 ジェリーには主人公以外にもう一人ストーカーがいて、その女がまた顔をゆがめてまくしたてたり突然歌いだしたりして強烈な印象を残すのだけど、終盤でジェリーに逃げられた後どうなったのか…。そこはちょっとオチが弱い気はする。でも全体的には物語の浮き沈みの構成が面白かった。一見すればビョーキの男の地味な話にもなりそうなところ、期待と妄想と現実とを彷徨って暴走した挙句に夢を実現してしまうんだからね。皮肉が効いてると思うわ。 |
キング・コング (1933年版) |
9 |
言わずとしれた映画史に残る怪獣映画の金字塔。 ストップモーションのぎこちない動きからでも、コングの感情が伝わってくるくらいこのコングには魅力がある。それはコングが破壊するだけの単なる怪獣ではなくて、劇中で“美女と野獣”がやたらと引き合いに出てくるように、美女に恋した怪物だからなんだろう。けど、結局コングは救われることなくビルから墜落死する。その落ちる直前のコングの悲哀。人形だと分かっていてもこれだけ伝わってくるとは…。 そう言ったストーリーの魅力もあるけれど、やはりSFXそのものも凄い。ストップモーションは今でこそぎこちなく見えてしまうけど、“生きているコングを見せよう”という制作者の意気込みが伝わってくるし、当時はきっと本物に見えたのかも。中盤のコングvs恐竜も良くできているけど、やはり目を見張るのはラストのエンパイア・ステート・ビル。コングvs複葉機のシーンで、突然飛行機の主観になったのは興奮してしまったw |
キング・コング (2005年版) |
10 |
1933年版「キング・コング」を「LOTR」のピーター・ジャクソンがリメイクした大作。 オリジナルが100分の映画なのに対して、188分という長尺さが監督の思い入れを物語ってるよね。怪獣映画で3時間を超えているのに、全然ダレないのも凄い。人物設定を一部変えてはいるけど、大半の展開がオリジナルに忠実なのも非常に好感が持てる。こういうのを“リメイク”というんですな。 オリジナルと大きく印象が違うのはコングとアン・ダロウの関係。オリジナルではアンは最後までコングを大猿としてしか見ていなかったけど、今作ではアンのコングに対する気持ちが全く違う。そのせいか、エンパイア・ステート・ビルでの戦いは涙無くして観ることは出来なかった…。こんなに映画で落涙したのは久しぶり。 リメイクならではの部分というと、オリジナルをネタにしたシーンが良い。序盤で女優探しをするデナムが「フェイ・レイは?」と言うと、助手が「彼女はRKOで撮影が…」のと言うのが面白いw まさに1933年版の「キング・コング」を撮影中ッスかw 終盤、コングお披露目の劇場で再現される原住民の踊り。これはオリジナルでの島のシーンを再現したものですな。監督、本当にオリジナルが好きなんだねえ。 劇中劇で「想いは言わなきゃ分からない」といった台詞がある。でもコングとアンの関係はそうじゃない。言葉にしなくても通じ合うことは出来るんだとこの映画は描いてる。ラストシーンは本当に泣いたなあ。 |
キングコング 髑髏島の巨神
(2017年制作) |
7 |
1970年代の南太平洋のある島に上陸した調査隊。そこで遭遇したのは巨大な“コング”だった。2014年の「GODZILLA」と同じ世界観の中で描かれるハリウッド怪獣映画シリーズの第2弾。 2020年に予定されている「Godzilla vs. Kong」への布石として、本作は“キングコング”の顔見世作品でもある。という事で「キングコング」としてはリブートではあるけどリメイクではなく、髑髏島を舞台にしたオリジナルの展開が繰り広げられるので、観ている側としても新鮮に楽しめた。「GODZILLA」(2014年)の様に登場を焦らしたりすることもなく、冒頭や序盤からコングを惜しみなく観せてくれるのは良いね! ヘリ編隊のシーンは明らかに「地獄の黙示録」のオマージュだが、70年代という時代設定にしても人間が怪獣に翻弄されるくらいにはちょうどいい武器火力の具合だと思う。最新兵器でないところもある種のロマンを感じるところ。 コングの存在感は圧倒的。ヘリを相手に大暴れする姿も良いが、それよりも島の中をゆっくりと歩く姿…それを人間が仰ぎ見るようなアングルで映される姿が素晴らしい。まるで「ワンダと巨像」の第一の巨像に出くわした時のような巨大感の表現にしびれました。…と思ったら、監督は「ワンダと巨像」の雰囲気をイメージしてると公言してるのか。なるほどw しかし「まだ成長期」というセリフは…、きっとゴジラと戦わせるときにはもっと大きくするつもりなんだろうなあ。 ストーリー的には「巨大生物の島からの脱出」という目的に向かって進むだけの話。米軍大佐の復讐という並行した筋もあるけど、ある程度結末は見えちゃっているから、ドラマ的にはさほど引き込まれはしなかったかな。怪獣映画としてはシンプルでいいけど。個人的に一番盛り上がったのはエンドクレジット後の今後の展開をにおわせる壁画の写真を観た時だね。「おお、あれも、これも出すのかー!」と興奮しましたw |
キングスマン
(2014年制作) |
7 |
高級テーラー“キングスマン”の本業は、どこの国にも属さないスパイ機関だった。 劇中でも言及されるような古き良きスパイ映画のノリを、スタイリッシュなスパイや印象に残るヴィランでオマージュたっぷりに描いたスパイ活劇。って感じかな。個人的には主人公のスカウトと訓練が、いまいちヴァレンタインの計画進行と終盤までかみ合ってないというか…どうにも散漫な気がしてしまったのだけど、まあそんな不満も終盤には消えてしまった。あの“花火”のシーンは反則ですわ。「威風堂々」を劇判にしてテンポに合わせてポンポン飛ぶとかw 良い意味でホントにヒドイw 人間本来の残虐性を発現させるヴァレンタインのシステムはなかなか脅威だと思う。この話を一言で表すなら「ポップな『虐殺器官』」ってところだけど、人間が地球に対するウイルスだから間引きしようって部分は、ガイア理論的な思想として目新しくはない。まあこの敵の嫌なところは、本人がその題目でもって地球を救うつもりでいるところだよね。とはいえヴァレンタインを倒したからと言って「俺たち人間はもっと地球の事も考えなくては」ともならない訳で。そういうところが、とにかくこの映画は表面的に楽しめればそれで良いと開き直っているように思える。本作のノリとしてはそれでいいとは思うけどね。 しかしスウェーデンの王女さんの扱いはすごいな。スウェーデン王室は怒らないのかいなと、要らぬ心配をしてしまったw |
キングスマン ゴールデン・サークル
(2017年制作) |
8 |
どこの国にも属さないスパイ機関“キングスマン”が麻薬組織“ゴールデン・サークル”のミサイル攻撃によって壊滅する。生き残った主人公エグジーとブレーンのマーリンのみ。 安易な二番煎じになるのかと思いきや、マシュー・ヴォーン監督のセンスはそれを確実に面白楽しく再構成している。前作と違って世界観の説明などに時間を割かなくて良いので、その分本題のテンポが良いこともあるのだろう。それでもアクション映画にしては長尺の2時間20分もあるが、勢いがあるので気にならなかった。前作の場面をを引用しながらも、お約束を外したりといったジョークも好調。ハリーの復活はさすがにご都合主義だとは思うが、それでもそのおかげで師弟での敵地突入が観られたのだから良しとしましょうw 長回しアクションも決まってたしね。“ステイツメン”の投げ縄やガンアクションは見栄えが良くてカッコよかったなあ。 今回の敵はジュリアン・ムーア演じる麻薬王ポピー。基本的に人間を信用していないという彼女だが、人間を挽肉機でミンチにしてハンバーガーを作ったのはさすがに「オエッ」となる悪趣味さ。まあ、頭を花火にした前作を考えればこれくらいは…ありかw でもその挽肉機、彼女の異常さの説明用かと思ったら終盤でもちゃんと役に立っていて、考えられているなあと。カントリー・ロードの唄もここでそうくるかあ…という使い方だったし、前振りと回収が分かりやすいのもテンポに貢献していると思う。「麻薬をやる奴は死んでしまえばいいのか?」という本作のテーマの一つはちょっと考えさせられたが、それがポピーの思想ではなく、大統領の計略というのが何とも。その辺は多分に風刺が入っている様な感じ。 それにしても登場人物ではエルトン・ジョンの大活躍が想定外すぎて…もうたまらんw 一方、新登場のチャニング・テイタムはほとんど寝ているだけという…。彼の使い方が分かってるなあw |
キングスマン ファースト・エージェント
(2021年制作) |
8 |
これまでに2本作られた「キングスマン」シリーズの前日譚。平和主義の名門貴族オックスフォード公は、英陸軍のキッチナー元帥からフェルディナンド大公の護衛の依頼を受けサラエボへと渡るが、秘密結社の手の者により大公が暗殺されてしまう。 前日譚でありながら、シリーズのリブートとしてこのまま続けてほしいと思えるような出来栄え。やはり世界情勢の裏で組織が暗躍するというオールドスクールなスパイアクションは分かりやすくて面白いな。特に本作はスコットランド人の黒幕がイングランドへの復讐のためにドイツをけしかけて世界大戦を起こさせるというトンデモ計画なのに、「第一次世界大戦の勃発」という史実を上手く使って組み立てているのが良いね。 予告だけを観ると怪僧ラスプーチンがラスボスなのかと思っていたけど、そんなこともなくきちんと起承転結で引き込んでいくのだから展開がう上手い。特にオックスフォード公の息子であるコンラッドの死は驚いた。ホッとした瞬間の「そこで死ぬ?」というタイミングだったので、あの「転」にはやられたね。まあ“キングスマン”の始まりが「第一次大戦で跡継ぎを失った資産家が世界平和のために始めた副業」という設定だったということを考えれば、彼の死は必然でもあったわけだけれど…。そんなことは観ている間は忘れているわなw この映画のオープニングでオックスフォード公の親子の物語として話を始めるあたりも、観客へのミスリードを上手く誘ってるなあと思う。 本作もマシュー・ヴォーン監督のセンスの良さを感じさせられる一本であったけど、相変わらず「007」に対する目配せを感じられるところがまたニヤついてしまうね。黒幕のチラ見せの仕方なんて完全にそれっぽいしw そういう古典的なオマージュをみせつつも、スタイリッシュに決めるところは決める。さすがです。 |
キングダム・オブ・ヘブン |
7 |
妻子を失った悲しみから十字軍に入り、エルサレム王国のために騎士として生きる男を描いた歴史モノ。 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地であり、現在でも争いの絶えないエルサレム。この映画で描かれる時代は十字軍が聖地を奪還し、イスラム教徒と休戦協定を結んでいた時代を描いている。エルサレム王ボードワン4世とイスラムの指導者サラディンとの理性有る和平は、“異教徒とも分かり合える”という現代世界に対するメッセージか。 個人的にはこのボードワン4世の話までが面白かった。色々考えさせてくれたからね。しかし主人公がストーリーの中心となる中盤以降、あまり話に入りこめなかった。 騎士道を貫くのは分かるけれども、行動理念に対する説得力があまり感じられない。同監督作の「グラディエーター」にはあんなに感じたのに…。ボードワン4世という人物の方が、よっぽど苦悩していて共感出来たねえ。 |
キングダム 見えざる敵 |
9 |
現代のサウジアラビアで欧米人を狙った爆弾テロが発生。仲間を殺された米国FBIの捜査官4人は司法庁の意向を無視し、サウジ側に直接話を付けて5日間の期限付きで彼の国に入国する。 内容は捜査と銃撃戦の刑事ドラマだが、ただし舞台はサウジアラビア。やはり中東情勢抜きには話せない内容です。ただ、オープニングでの情勢説明が簡潔で上手く、突き放した社会派ドラマにはなってないのが良い感じ。 主人公たちがサウジに入国してから緊張感がずっと続く。協力するサウジ国家警察官が、警官仲間に「お前は敵に味方するのか」と囁かれるのが端的に中東における米国の状況を表しているね。その一方でFBI捜査官とサウジ警察大佐には捜査協力を経て友情すら芽生えるのだから、そこに負の感情を乗り越える人としての希望を感じたいが…。 終盤の市街銃撃戦は迫力満点でアクション映画としての面も上手く出しつつ、エンディングの主人公とサウジの少女の言葉がその印象を吹き飛ばし、終わらない復讐の連鎖に絶望させてくる。このバランス感覚は見事でした。 |
禁じられた遊び |
7 |
戦争孤児となった少女が、知り合った少年から死んだ者の葬る方法を教わり、少女と少年の二人がで次々に墓を建てていく姿を描いた作品。 子供の純粋さが哀しいね。死んだものを葬る為に墓を建てるという精神と、そして自分たちの墓のために墓地から十字架を盗という行為の矛盾。まだその意味が分かるには若すぎた子供達。犬のために墓を掘り、ゴキブリを突き刺して殺す子供。犬とゴキブリの差は何なんだろうか? それは「あいつらならやりかねない」と隣家同士啀み合う家族でも表現してる。つまりは争いや残虐性は人間の身勝手な偏見から起こるのか。 それらのテーマを子供達の“禁じられた遊び”を等して描いてる。直接的な表現こそ冒頭部分にしかないが、この映画が反戦映画と言われる由縁はそこかな? テーマもそうだけど、終盤の別れのシーンとか、もの悲しさだけが残る映画ですね…。 |
禁断の惑星 |
7 |
惑星アルテアに残る博士とその娘の救助に来た宇宙連邦の隊員達。彼らはその星で未知の怪物の襲撃を受ける。 50年代の映画と考えると、SF映画という体裁で、発展する文明の末路と人間の本質をテーマに描いた深いストーリーには驚く。まあ、そういうテーマはあれど基本的には娯楽作品の類だけどね。 ロボットのロビーは映画史に残る名ロボットだけど、今観ると、いかにも“人が入ってる”感がレトロで良いねw 中に入ってる人は大変だったろうなあ。 主人公は、後に「裸の銃を持つ男」のドレビン警部役をするレスリー・ニールセン。もちろんおちゃらけなんて無く、ひたすらマジメに演じてますw それ以前に若い!彼にも二枚目俳優時代があったんだなあ。 |
クィーン |
9 |
ダイアナ妃の事故死したことで、国民感情と王室の立場の間で苦悩するエリザベス女王の姿を描いたドラマ。 国民に絶大な人気のあったダイアナ妃。彼女の死に対して弔意を示さなかった王室はバッシングを受けるわけだけど、その時の女王の苦悩がありありと描かれていて実に見応えのあるドラマでした。女王として、私を捨てて生涯公人として生きることを誓ったエリザベス女王の凄さを垣間見た気がしたね。 女王を演じるヘレン・ミレンの巧さは言うまでもないけど、ブレア首相を演じたマイケル・シーンも雰囲気はバッチリ。女王に対して本当に尊敬の念を抱いていくブレアの姿は良かった。女王に対して批判的なことを言った側近に怒ったブレア首相も、観ていてスカッとしたわ。 政治ドラマとしても、人間を描いたドラマとしても良くできていると思う作品でした。 |
空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎
(2018年制作) |
6 |
夢枕獏の小説「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を原作にした歴史ファンタジー。唐代の中国・長安を舞台に、空海と白楽天が人を憑り殺す妖猫と対峙し、その裏に隠された真実を暴く姿を描く。 原作は未読。史劇というよりは妖術幻術何でもござれの完全にファンタジー。同原作者の「陰陽師」にも似た世界観だね。登場する空海は作品の主人公ではあるが、白楽天とのコンビもホームズとワトソンの様なバディムービーの様相を呈してはいるものの、実際には物語を進行させる狂言回し的な立ち位置でしかない。物語の真の主役は妖猫となった白竜なわけだが、そこに着地するまでの話の捻りが本作本来の魅力であるはず。ただ、その真相を追う過程がどうも淡泊に感じられて、今一つ入り込めなかったというのが正直なところ。進行が段取りと紙一重なせいで、阿倍仲麻呂の登場を唐突に感じてしまうのも…どうかなあ。キーマンの瓜翁も明らかにネタ振りにしか見えない登場の仕方だったし。ラストの青龍寺での邂逅はオチとして悪くなかったけど。 3D映画を意識したかのようなアングルやVFXが多く、特に幻術の類は画面を華々しくさせてはいるものの、現実離れが強いので逆に安っぽく感じてしまったのはちょっと残念。正直言うと動物などのVFXは微妙に不自然に感じるんだけど…ワザとなのか?逆に広大なセットや美術の規模には目を見張った。 |
空軍大戦略 |
7 |
1940年、英国侵攻のためにドーバー海峡を越え戦略爆撃を行うナチスドイツ。英国は不利な空軍力、戦況の中で反撃を試みる。 実機を飛ばして撮影された空中戦はなかなか見応えがあるけども、展開が専ら空中戦に偏っているので後半は少々ダレた印象がある。全くないわけではないけど、政治的な駆け引きとかエピソードとかをもう少しテンポ良く展開できれば違ったかな。実機の戦闘機に興味がない人には少々盛り上がりに欠けるストーリーだった気もする。 妙にのんびりした感じの英国人気質の描写は可笑しかった。ギャグなのか…?空襲後の基地を上空から映した描写もなかなか良い。ただ、飛行機関連の映像は多々使い回されていたものがあって、それに気づくとテンションが下がります。むしろ同じ映像を繰り返すくらいならカットしてテンポを上げてくれても良かったかもね。 |
グーニーズ |
7 |
開発による立ち退きが迫る我が家を救うべく、屋根裏で見つけた宝の地図を頼りに海賊の宝を探す悪ガキ達の冒険を描いた作品。 非常にご都合な展開や、細かいことを気にし出すと疑問に残る設定も多く、純粋な心を失ってしまった俺には少々キツイw ただ、俺だって子供の頃にこういった宝探しに憧れた事実はあるわけで、まさにそれを見せてくれるこの作品は、子供心には非常に楽しい作品として映るのでしょう。 「007」や「スーパーマン」(これは監督つながりか)のパロディもあり、「グレムリン」(制作したスピルバーグつながり)を思わせる会話もある。そういったネタ自体も楽しいのだけども、子供の好きそうな“見て笑える”シーンが多いのがこの作品の魅力ですかね。 |
クール・ランニング
(1993年制作) |
8 |
1988年のカルガリー・オリンピックに初出場したジャマイカ・チームの姿を描いたスポーツコメディ映画。 「雪も降らない国がボブスレーに出るの?」という意外性がキャッチーで面白いけど、ストーリー自体は事実を元ネタにしたフィクションだし登場キャラクターも架空の人物とのこと。でもそこは素直にコメディ映画として楽しめばいいし、「参加することに意義がある」というオリンピック精神を上手く落とし込んだラストの情景には心があたたかくありますねえ。 序盤のアニメチックなドタバタのノリはちょっとクドい気はするものの、後半にはその辺が落ち着いてきて話にも入り込みやすくなる感じ。主人公たちの努力している姿に感化されてしまうのは、この話が人の持つ「判官贔屓」の感情をうまくくすぐってくるからなんだろうなw 過去に過ちを犯して挫折したコーチがチームのために奔走する姿もいい塩梅で話をサイドから支えていると思う。少年少女というターゲット層を意識した“お行儀のいい”作品なのは間違いないけど、実写ディズニー映画らしい安心感のある心地よい佳作だと思いますわ。 |
グエムル -漢江の怪物- |
7 |
韓国の漢江に突然現れた“怪物”。その怪物に娘をさらわれた家族と怪物の戦いを描いた作品。 普段目にしている風景の中を異形の怪物が闊歩するという異常な光景という点で、韓国人にとっての漢江は身近な存在で良い題材なんでしょう。ストーリーは王道からかけ離れた展開で、なかなか面白い。というのも、主人公達の行動がほとんど報われない。ラストに至っても決してハッピーエンドにならない展開は、ある種のリアリティの追求として良いと思う。実際に怪物が現れたら、結果はこんなもんだろう。 ただ、それがエンターテイメントとしてどうなのかといえば、最終的に主人公達自らが報復するが如く倒してしまう事以外には、ほとんどカタルシスがない。映像的な見応えはあるのだけどもね。 作品にちりばめられた体制批判に在韓米軍批判は、少々鼻につきすぎたかな。 |
グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち |
7 |
なかなか考えさせてはくれたけど、感情移入するところまでは行けなかった。ストーリーもまとまってたし、ツボもついてくるんだけど、何か客観的に見てしまって・・・。どうも恋愛的な物が苦手なせいもあるのかも。カウンセラーや、友人との友情には多分に考えさせられ、ある程度の感動はあった。けど、個人的な感想でいうと、普通の映画なんだよなぁ。悪い意味じゃなく。 |
グッド・シェパード |
8 |
CIA設立に関わった1人の諜報員が、国家と家族の狭間で苦悩する姿を描いたドラマ。 非常に重苦しい雰囲気の続く話だし、特に娯楽作品のような盛り上がりもないのに、ドラマとしての一本筋が通っていて見応えがある。フィクションなのに真実味のある諜報員(マット・デイモン)の雰囲気と、監督デ・ニーロの演出が見事だね。 KGBとの諜報戦の緊張感、そして国のために家族を裏切り続ける主人公の背中が何とも苦しいけど、凄く引きつけるものがある。あと序盤から色々と伏線が張ってあって、それが終盤で効いてくるのも良い感じ。父の遺書の使い方は良かったなあ。遺書の内容は主人公そのもののことかと思いきや、実は父の遺書。それを燃やす主人公はもはや父の願ったように生きることに決別(戻れない)したわけだね。 最後の最後まで続く一定の重いテンションは、この話を描ききろうとした監督の意思の強さなんだとも思いました。 |
グッドフェローズ
(1990年制作) |
8 |
1950年代から80年代のニューヨークを舞台に、実在の人物の半生をモデルにしたマフィア映画。子供のころからマフィアに憧れていた主人公は、使い走りから始め、次第に頭角を現していく。 スコセッシ監督と言えば暴力描写、とはこういう事かと直球で伝わってくる。それくらい生々しくマフィアの殺しが描かれているけども、別に暴力が映画の主体なわけじゃなくて、マフィアの社会を実録モノチックに描くという点を主題として生々しく活写したわけだ。それをしっかり描くのだから、そりゃあ暴力描写は不可分だわな。あと、店の裏口から入る場面とか、所々でブチ込んでくる長回しが印象的だった。 マフィアに憧れて、NYのイタリアン・マフィアに加わることになった主人公が出会った仲間のジミーとトミー。演じるレイ・リオッタ、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシのアンサンブルが見もの。特にトミー役のジョー・ペシはキレてるなあ。奴がマジかどうか、いつ銃をぶっ放すか、それが分かりにくい怖さが良い。当時ほぼ無名のサミュエル・L・ジャクソンが脇役で出演するも、あっという間にジョー・ペシに殺されて違う意味で泣ける(w) 結局のところ、主人公はアイルランド系ということもあって幹部になれるわけでもなく、組織としても御法度の麻薬密売に裏で手を出すなど、ファミリーの枠に入りきれない人物。言ってみればチンピラみたいなものかもしれないが、そちらの目線でその世界を描くから生々しさが良い感じに伝わってくるんだろうな。デ・ニーロのジミーはもう一段上の貫録だし、トミーは前述のとおり感情移入するにはキレ過ぎる。3人の主要人物の中で主人公のまだどこか殺しに積極的でない感じが、観客としては感情移入しやすいキャラだったと思う。 |
グッドナイト&グッドラック |
9 |
“赤狩り”が吹き荒れた50年代の米国。赤狩りこそが正義というマッカーシ上院議員の主張に疑問を持ったCBSのキャスター、エド・マローは、マッカーシーに対して彼こそが不正義ではないかと訴えかける番組を放送する。 実話を実に真摯に映画化した作品。全編通してドキュメンタリーかとも思えるような作りは、まるで画面から空気が伝わってくるようにも思えた。放送直前の緊張感。煙草の煙が立ちこめるスタジオ。エド・マローを演じたデヴィッド・ストラザーンの雰囲気は素晴らしい。この映画は、白黒の画面が凄く効果的だと思ったね。 赤狩りの嵐の中で真っ先に疑問を表明したエド・マローとCBS局員の勇気には感銘を受けたわ。これが真のジャーナリズムなんだ、と。それを訴えることで、マッカーシーがマロー自身に攻撃の矛先を向ける事が分かっていても、目の前で起こる不正義を看過できなかった彼。同僚のホレンベックの頼みを断ったことも、その行動が決して私怨に基づくものではなく、報道人としての責務を果たすという信念だったことの表れだろう。真の報道人、真の勇気というものを見せてもらいましたね。 |
グッバイ、レーニン! |
10 |
母親が昏睡状態の間に東ドイツが崩壊した事実を隠すべく、東奔西走する息子を描いたドラマ。 こう一言で紹介するとコメディ色が強そうに聞こえるけど、実際はそうでもない。東の人間が体験した西側世界に対するカルチャーショックを多少面白く描いているとはいえ、笑いのシーンは決して大仰ではなく自然で小気味良かった。 主人公は周りの人間も巻き込んでの大嘘をつくわけだけど、けして悪意のないこの嘘に最初のうちは俺も好意的に観ていた。でも中盤になるにつれ、俺も“いい加減本当のことを言った方が良いよなあ”と思うように…。ただ彼自身が「次第に目的が変わっていった」と独白し、それはそれで正直な彼に共感。しかし映画の前半に話題になった東ドイツのヒーローをあんな風に使うとは…。その辺りの歴史をパロディにするところは「フォレスト・ガンプ」に似た面白さがあるね。 この話のみそは“親子愛”だけれども、全てが最後のニュースを見るシーンに集約されているように思う。あの母親の目。この映画、終盤が綺麗すぎて感動してしまった…w |
KUBO クボ 二本の弦の秘密
(2016年制作) |
8 |
追手から逃れ、母と二人で隠れ住む主人公の少年クボ。近くの村で折り紙を操る不思議な大道芸によって日銭を稼ぐ日々だったが、ある日ついに追手に見つかってしまう。 日本的な世界観を上手くファンタジーに昇華していて素晴らしい。折り紙、サムライ、三味線といったガジェットで日本風なビジュアルにするだけなら簡単だが、その上で根底にある東アジア的な死生観がとてもいい。表面的ではなく、その感覚がちゃんと理解して作られているように感じられるところに好感が持てるね。これはもう新しい“日本昔話”でいいんじゃない?などと観ながら思ってしまいました。まあ“月の帝”のビジュアルは日本というよりはちょっと中国風味なので気になるけど。 本作はアニメスタジオのライカによるストップモーション・アニメで、「コラライン」〜「パラノーマン」からの正当進化としても素晴らしいクオリティで作り上げている。多種多様な表情を見せる人形の演技はライカの真骨頂だが、毎回これには敬服しますわ。若干ホラー風味なところがあるのもライカらしいw 本作では巨大な骸骨との戦いもあり、エンドクレジットでその撮影風景の一部が映されたけど、その大きさにも驚いた。 原題は"KUBO AND THE TWO STRINGS"なので「クボと二本の弦」。内容はまさにその通りで、彼にとっての2本の弦の存在に感動を呼ぶ。二本の弦に秘密があるのかと言えば…、一部の真実は終盤まで隠されてはいるものの、秘密であることが話の本質ではないので邦題はちょっとズレてるかな。 |
クライ・マッチョ
(2021年制作) |
6 |
クリント・イーストウッドの40本目の監督作品。かつてテキサスのロデオ界でスターだった老カウボーイのマイク。過去の落馬事故以来、苦労が絶えず孤独な生活を送っていたが、ある日かつての雇い主から個人的な仕事…メキシコから彼の息子を連れ帰ってくるように依頼される。 正直に言えば、本作を観て真っ先に浮かぶのは「さすがに歳だな…」という想い。御年91歳のイーストウッドが自ら演じた本作の主人公は本当に91歳の老人が演じてピッタリの役だったんだろうか? “イーストウッドだからギリギリ許されるライン”も少し超えているような気がする。あと10年、いや15年くらい若ければ丁度よかったかもしれない。「ミリオンダラ−・ベイビー」で2004年か。「グラン・トリノ」が2008年だな。そのあたりのイーストウッドで観たかった…、それが正直な感想。 物語はとてもまったりと進行し、内容もとてもマイルド。ややスレた少年と老カウボーイをロードムービー的な感じで相互理解させていく構成は目新しいものでもないし、輪をかけて緊張感も薄くまったり感が強い。一応、少年の母親から追手がかかるという部分で話の山谷は用意されているのだけど、その追手自身が大した者ではないのでサスペンスにもならないというのが…何とも微妙な感じだった。じゃあ少年と老人の話で感情が揺さぶられるのかというとそれほどでもない。どちらかというと描きたいのはそういう交流よりも、「半ばやさぐれて孤独に生きていた老人が、メキシコの地で逗留したある町で出会った未亡人と恋をして、そこでもう一度生きることに決めた」という方だよな。主題歌もそういう歌だし。 そういう話だと思った時に、やっぱりイーストウッドはマイク役には歳を取りすぎている気がする。「再出発するのに年齢は関係ない」と捉えた方がいい? でもマイクに色目を使う少年の母にしても、マイクに惚れる町の未亡人にしても、その相手にはマイクの姿は老人すぎる気がして(苦笑) 観客としては画面に映るマイクを額面通りに捉えて観ればいいのか、それとも“イーストウッド”という記号を観ればいいのか? イーストウッドが“かつてのスター”という部分に自身を重ね合わせた意図もわからなくはない、でもやっぱり「あと10年…いや15年くらい若いイーストウッドだったら」と思ってしまう。 |
グラインドハウス |
9 |
かつてB級映画を数本立てで上映していた映画館(俗称:グラインドハウス)の魂を、ロドリゲスとタランティーノの2人の監督が再現してみせたB級2本立て作品。 日本ではロドリゲス監督の「プラネット・テラー」とタランティーノ監督の「デス・プルーフ」は別々に公開されたけど、2本立て仕様の米国公開版も限定公開されてました。「グラインドハウス」はその2本立て仕様のタイトルです。個人的には別々に観るよりも、「グラインドハウス」に収録された順番で観るのが一番良いと思った。別々の映画ながら、微妙に登場人物が被っているあたりも連続上映を意識しているからだと思うしね。 上映順は、まずフェイク予告編がかかってから1本目の「プラネット・テラー」、3本のフェイク予告編の後に「デス・プルーフ」。本編はフィルムのノイズがのりまくり、コマは飛ばされるし、なんとリール紛失まで再現している凝りっぷり! 今の上映環境ではあり得ない雰囲気がたまりませんw フェイク予告編ですらとんでもなく良い出来なんだけど、総じてB級テイストの良さが理解できてないとついていけないかも? 「プラネット・テラー」はゾンビテイストなホラー作品だけど、グチャグチャっぷりも片足マシンガンの女の格好良さもロドリゲス監督は楽しみまくってますね。ブルース・ウィリスやタランティーノの死に様も酷い(w)けど、それもB級の洒落っ気で良いです。 「デス・プルーフ」はうって変わった感じだったので終盤まで分かりにくかったけど、でも最後のカーチェイスに至る持って行き方やカート・ラッセルの変態っぷりを見て納得。筋に関係あるのか疑問だった女4人組の会話(しかも長回し)も、なるほどカーアクション愛に満ちた映画の伏線として成立してる。しかしラストのラッセルのボコられ具合と唐突な“THE END”はもうギャグの域だねえw ロバート・ロドリゲスとクエンティン・タランティーノの映画オタクっぷりがよく分かる作品でした。 |
クラッシュ
(1996年制作) |
5 |
自動車事故に快感を感じるという性的倒錯者達の姿を描いた作品。 デヴィッド・クローネンバーグの作品だけど、ホラーではなくエロ映画? でもある種ホラーだなw 個人的には登場人物の嗜好が全く理解できないし、その上に物語も有るのか無いのか分からず、始終同じ調子でどんどん車絡みの興奮(?)に倒錯していくばかり。結局よく分からないまま終劇してしまった。 自動車事故に性的興奮を覚えるという異常嗜好をテーマにしているところは面白いとは思うけど、それだけでは映画としては面白くないなあ。同じテーマでも、後年にタランティーノが撮った「デス・プルーフ」ぐらいに遊んでくれれば面白いと思うけどね。でも、それじゃクローネンバーグの作品とは言えないか?w |
クラッシュ
(2004年制作) |
8 |
様々な人種の人間が生活するLA。そこで繰り広げられる“衝突”を描いた群像ドラマ。 人種的な偏見が人間の性悪説的な側面だとすれば、そのまた一方で、分かり合える可能性を持っている性善説的な側面もあると思う。 映画で描かれる人種差別は、悲しいけれど誰もが色んな形で心に抱いているんだろうし、恥ずかしながら俺も例外じゃない。同僚の黒人差別を嫌がったハンセン巡査が終盤の黒人ヒッチハイカーを撃ち殺したことも、お題目を並べてもどこかに壁を作っている人間の悲しさを感じさせるね…。でもそれでもどこかに人間は良くなれる可能性があるんだと感じさせてくれるストーリーに救いを感じたわ。 鍵屋とペルシャ人。人種差別警官と裕福な黒人の婦人。善意の警官と不良黒人。それぞれの“衝突”は衝撃的で考えさせられた…。 |
グラディエーター |
9 |
久しぶりに大スペクタクル映画がハリウッドに戻ってきた!やっぱり映画はこういう風に血湧き肉躍るってのが一番おもしろい!主人公は格好いいし、コロシアムの描写もすごい。やはりオープニングで心を鷲掴みされたせいか、2時間半もあっという間に感じる。久しぶりに「映画を観た!」っていう感じだった。 |
グラディエーターII 英雄を呼ぶ声
(2024年制作) |
8 |
1作目の「グラディエーター」から24年後に公開された続編。ヌミディアで妻と生活していた主人公・ハンノは侵攻してきたローマ軍と戦うが、ヌミディアは陥落し、妻は殺され、ハンノは奴隷としてローマに連行される。 1作目の「グラディエーター」は名作です。ハリウッドで長らく下火だったスペクタクル映画というジャンルの再ブームを起こすくらいのインパクトがある作品でした。その続編ともなればすぐに作られそうなものだったけど、まさか24年も間が空いてからの2作目となるとは…。個人的には本作はあの名作の続編としては納得できるものになっているとは思います。直接的に引き継がれたキャラクター、剣闘士の戦闘、ローマ皇帝や元老院も絡む陰謀、どれをとっても「ああ確かに『グラディエーター』の続編だ」と感じたし、面白かった。「続編をやるならこれしかない」という展開なのも間違いない。 だけど「なぜ24年も経ってから撮る必要があったんだろう?」という部分については、いまいち説得力をもった回答は提示されなかったように思うかな。間隔の開いた続編として完璧な作品だった「トップガン マーヴェリック」と比べると分が悪いとは思うけど、その"年月の重み"という部分の描き方が思ったよりも軽かったかも。そういう意味では、前作に登場したルッシラを再演したコニー・ニールセンが前作からの橋渡し役を一身に背負っていて、彼女はシリーズの背骨としていい立ち位置のキャラクターだったと思います。もちろん本作は「主人公のハンノが実はルシアスだった」という物語なので、その点でも直接の続編としての説得力も持たせようとはしているかな。ルシアスの国外逃亡→ローマの奴隷→皇帝の血筋で返り咲きの主人公ムーブはなかなかの強運ですがねw まあそういう予定調和なところも、「ハンノの伝説」という物語としては"あり"かもしれませんけれど。 |
暗闇でドッキリ
(1964年制作) |
8 |
「ピンクの豹」で好評となったクルーゾー警部のスピンオフ作品。パリの大富豪宅で発生した殺人事件の捜査に赴くクルーゾーだったが、容疑者のマリアに一目ぼれしてしまう。 「裏窓」を想起させるようなオープニングの見せ方。ミステリーの気配で始まり、その後の筋立ても「事件→捜査→容疑者を集めての推理ショー」とミステリーのセオリーに従っているはずなのに、クルーゾーが絡むだけでヒドい(ほめてます)ドタバタ劇にw 「事実を積み上げるのだ!」と熱弁したそばから事実を無視した推理(願望)を展開して部下のエルキュールにツッコまれるのが可笑しいが、結果的に案外的を外していないのがクルーゾーの良いところ。マリアを尾行するために変装するも、毎度警官に捕まって護送される反復ギャグはもう最高w これぞコメディ!って感じですな。 本作からは以降の「ピンク・パンサー」シリーズでレギュラーとなるドレフュスとケイトーも登場。クルーゾーが一人でドタバタ(何かを引っかけて倒すとか、壊すとか)するのは若干クドいと感じていて、定番となるケイトーとの絡みも同じく暴れているだけ…ってイメージなので個人的にはいまいちかな。でもドレフュス本部長…彼は面白いわ。登場からして妻との会話と思わせて…のミスディレクションでニヤリとさせるが、後半のクルーゾーを狙う男の仕掛けも上手い。次第に神経がまいっていく積み重ねがあってこそ納得のできるオチだけど、演じているハーバート・ロムがいいよね。強運のクルーゾーと空回りのドレフュス。いいコメディ映画です。 |
グランツーリスモ
(2023年制作) |
8 |
ゲームの「グランツーリスモ」からリアルレーサーを見出すプロジェクト「GTアカデミー」。GTアカデミーを経てリアルレースの世界へ挑んだ英国の青年ヤン・マーデンボローの実話を基に、カーレースの世界を描いた物語。 夢を追いかけて実現した若者の話としてはベタな展開だけれど、中盤以降に熱を帯びてくる話とレースの描写が面白い。個人的には鬼コーチ・ジャックがいいなあ。ジャックとヤンの師弟関係とも言える様子がドラマにとって良い核になっていて、しばしば胸を打ちました。特にGTアカデミーでの最終レースで勝者を決めるシーン。マーケティング的な側面の意見をはねのけて、ジャックによって「レースの世界では1000分の1秒でも前にいたものが勝者なのだ」という真っ当な哲学が貫かれたシーンは良かったなあ。そのあたりからレースの熱さと話の熱さがシンクロしながら盛り上がっていったような気がする。起承転結の"転"でやってくる大事故によってさらに師弟の想いが近づいていく展開もいい感じです。 実話を素にしているけど脚色は多いんじゃないかという印象ではある。でもそこは問題にはならないかな。まあ細かいことを言えば実際と違うところも色々と目につくんだけど、まああくまで劇映画であってドキュメンタリーではないので気にしても仕方がないしね。要は話が面白ければ良い。レースの世界に挑む想いと熱さが描かれていれば良い。その点でこの作品は十分な出来栄えだったと思います。 |
グランド・ブダペスト・ホテル
(2013年制作) |
8 |
ある作家が昔ホテルで出会った老人に聞いた話を記した本、「グランド・ブダペスト・ホテル」。その老人の若かりしころの体験にまつわる物語。 ウェス・アンダーソンらしいおとぎ話のようなミステリー・コメディだね。ドリーやパンを駆使した画作りは相変わらず、監督の完成された作風として心地いい。随所にミニチュアを使った場面もあって、それが安っぽくならずに逆に何か懐かしさを感じさせるのも彼の演出の賜物か。終盤の雪山のチェイスなんて、実写映画の只中であのクオリティが許された上に逆にニヤニヤしてしまうのは、やっぱり演出力ですわ。劇中では3つの時代が出てくるけど、時代ごとに画角を変えていることにもこだわりを感じるところ。 ミニチュアとは逆に栄華を誇ったころのホテルの美術は実写の空間なので豪華さが伝わってくる。寂れたころのホテルの姿との対比も上手く、“かつて在ったが失われたもの”という作品の背景にあるテーマが良く分かるね。老人がなぜホテルのオーナーなのか、なぜ使用人の部屋に泊まるのかといったミステリーが動力の話ではあるけど、そこに隠されたちょっとセンチメンタルな結末は、やはりかつて在ったが失われた人としての在り様を描いた話でもあるんだろうなあ。そう、ムッシュ・グスタフは完璧な善人でも完璧な悪人でもないが、2度も客車で軍人に楯突く、人としての尊厳をもった人物だった。 |
グランド・ホテル |
8 |
ベルリンのグランド・ホテルを舞台に交錯する5人の人生模様を描いたドラマ。 この手の群像劇というジャンルを確立した代表作ですね。1932年の作品ながら普遍的な話を描いているので、今見ても十分話に入り込めます。 誰が見てもそうなんだろうけど、ジョン・バリモアが演じるガイゲルン男爵の憎めないキャラクターが良い。それだけにその展開には驚かされるんだけど…。ジョン・バリモアとライオネル・バリモアがこの映画を引っ張っている気がしますわ。一応この映画的にはグレタ・ガルボが一番のスターなんだろうけど、でもキャラクター的にちょいと情緒不安定な役で、俺はあまり共感できませんでした。逆にジョーン・クロフォードが演じた速記者の方がよっぽどヒロインらしい。 結局この映画で描かれるエピソードは悲惨な話が多いんだけど、それを感じさせない話の持ってきかたが上手いですね。やはりこのジャンルを確立したというだけある名作だと思います。 |
グランド・マスター
(2013年制作) |
7 |
1930年代から1950年代にかけて生きた中国武術の達人たちの姿を描いた、ウォン・カーウェイ監督のアクション・ドラマ。 冒頭からすぐにアクションシーンなんだけど、クロースアップ・スローモーション・水しぶきの畳みかける映像美。いわゆるカンフー映画としてイメージするエンターテイメント路線とは違いますよ、とここでスッパリ言って聞かされた感じ。アクションシーンは確かに要所要所にあるのだけど、主眼はその時代に生きた達人たちの物語であって、鑑賞後も俺はアクション映画を観たって気分にはならなかった。手合せをしたことで芽生える葉問と宮若梅の関係性や、宮若梅が背負う馬三に対する復讐心と決意。そういった部分に宗師たちの生きざまを感じる。 描かれる時代の範囲が長いので、すこし断片的な感じもしたし、そのせいか映画も少し長く感じたのだけれど。けど、時代の空気をイメージで伝えるのは上手いよね、さすがに。この時代を描くと日中戦争の話は避けて通れないけど、ことさらに悪役として日本が描かれるでもなく、あくまで宗師達の物語としてブレなくて一安心w 葉問については、俺はドニー・イェンの映画のイメージが強いけど、トニー・レオンの佇まいももちろん良い。しかし個人的にはチャン・ツィイーの宮若梅の、一門を従えているシーンがすごく印象に残ったなあ。 |
グラン・トリノ |
10 |
偏屈爺の主人公とその隣の家にやってきた少数民族の家族との交流を描いた、クリント・イーストウッド監督・主演の人間ドラマ。 主人公は差別発言を繰り返すいかにも偏屈な爺様だけど、イーストウッドの風貌やその演出も相まって憎めないキャラとしての魅力がある。低い唸り声をあげて怒りを腹にため込んでいる孤独な序盤、隣人とその一族にかすかな親近感を覚えていく中盤、そして彼らを救うために決断する終盤。その話の積み重ねが見事で、隣人であるスーやタオに対する心情が観客にダイレクトに伝わってくるんだよね。だからこそ最後の決断と行動には心を強く揺さぶられる。 終盤の事件からエンディングはまさにキリストのイメージであり、自身の罪を背負っての自己犠牲そのもの。イーストウッドのイメージからすれば立ち向かうシーンまでは西部劇だから、血の復讐こそその起こりえそうな展開だけど…主人公はそれを選ばなかった。でもそれは反戦とか非暴力とかそういう大仰なテーマでなく、もっとプライベートな、主人公のスーやタオへの遺産なんだろう。主人公からタオへ、グラン・トリノという物質とともに、彼への未来に対する希望が贈られたのだという終幕の余韻がすばらしい。 笑えて、泣けて、"これぞ映画!"という映画でした。 |
グラン・プリ
(1966年制作) |
8 |
1960年代のF1ドライバーたちの生きざまを描いたカーレース映画。初戦のモナコでクラッシュを喫し解雇された主人公・アロン(ジェームズ・ガーナー)。彼は日本チームのヤムラから再び参戦する。 1シーズンの世界選手権を通して、それぞれタイプの違うドライバー4人のレースとプライベートを描いているけど、レースシーンの迫力の見事さに比べると、色恋などの部分は少しテンポがイマイチというか。そのあたりは主人公よりも助演のサルティ(イブ・モンタン)の方がよっぽどドラマかなあ。個人的にはもう少しチーム内やドライバー同士のプロフェッショナルとしての話も踏み込んでほしかったけど、割と淡泊な印象だった。それでも当時のレースが真に命がけであったこともちゃんと描かれているけどね。ラストの展開はしんみりするが、レーサーという人生を感じさせる。 レースシーンは50年前の映像とは信じられない、本物だからこそ出てくる迫力。当たり前だけどCGなんて無いわけだし。空撮・オンボード・並走を駆使したカット割りのスピード感が最高ですわ。また、F1ファンとしては60年代当時のサーキットやレースの空気が伝わってくるのも非常に興味深かった。今とほとんど同じレイアウトのモンテカルロで微妙な風景の違いに見入ったり。逆に公道時代のスパ・フランコルシャンに興奮し(こんな鮮明な映像で…しかも雨のスパ!)。今や使われていないモンツァのオーバルなんて、これだけでとんでもなく貴重な映像じゃないか。 なんだか映画というよりもF1ファンとして盛り上がってしまいましたw |
クリード チャンプを継ぐ男
(2015年制作) |
8 |
ロッキーのライバルであり親友であったアポロの息子・アドニス・ジョンソンが、プロボクサーを目指し引退したロッキーを訪ねる。「ロッキー」シリーズ7作目にしてスピンオフのボクシング映画。 製作に名は入っているけど、今までのシリーズとは違ってスタローンはこの企画を持ち込まれた側。そして近年の続編企画に多い“シリーズのファン”によるリブート作品ともいえる。そういった作品は往々にして作り手の思い入れにあふれていて、ファンの観たい作品の血がより色濃く透けて見えるが、本作も多分に漏れず「ロッキー」な映画だった。主役はあのかつてのライバル・アポロの息子。愛人の子供というアイデンティティとの葛藤が見え隠れし、優良企業と思しき会社を辞めてまでボクシングの道を目指す。自己証明、ハングリー、努力、そして友情…紛れもなく「ロッキー」な映画だ。 最初はアポロの息子となると歳が行き過ぎてるんじゃ?などと思ったけど、アポロの死んだ「4」が85年の映画だから息子は30歳くらいか…ということで納得。主演のマイケル・B・ジョーダンは端正な肉体がボクサーとしての説得力もあっていい。対戦相手役は本物のボクサーなんだね。試合のシーンはTV中継を意識したカットよりは臨場感重視。特にデビュー戦の2ラウンドをワンカットで描いてきたところは唸った。一方終盤の試合では入場シーンをワンカットにして、試合のシーンはオーソドックスに割ってくる感じだが、そのテンポのつけ方は上手い。ダウンしたときのフラッシュバックにアポロの姿が見えた時、そして一瞬だけ鳴り響くロッキーのテーマ。これは熱い。 この映画はアドニス・ジョンソンの物語なので基本的にはアドニスのテーマ曲が流れるが、鑑賞中は「やはりロッキーのテーマは流さないよなあ、そりゃそうだ」と思ったらクライマックスでこれだ。ズルいわw ロッキーがエイドリアンと同じく癌になるという展開は、個人的にはちょっと出来過ぎと思う部分もある。でもそれがアドニスとロッキーの絆をより強固にしているから…まあ熱いんだけどね! エピローグ、あのフィラデルフィア美術館の階段をゆっくりと登る2人。かつて駆け上がったロッキーの姿はもうないが、それをささえるアドニスの姿に「ロッキー」という映画そのものに対する作り手のリスペクトが強く込められているように感じた。 |
クリード 炎の宿敵
(2018年制作) |
7 |
かつてアポロをリング上で倒し、命を奪ったロシア人ボクサーのドラゴ。そのドラゴの息子が今やチャンピオンとなったアドニスに対戦を挑んできたが…。 物語の構造としてはオーソドックス。因縁の対戦者が現れ、一度は敗れるも不屈の精神で立ち上がって再戦、最後には勝利するというもの。あまりにもベタ過ぎて新鮮味がないのだけど、さすがに「アポロを倒したドラゴの息子との対戦」という因縁中の因縁な対戦には興味をそそられるのも事実。劇中でプロモーターが仕掛けた通りの話題性が、この映画そのままの話題性になっているようで、不思議なメタフィクション感もありますな。 かつてのドラゴは当時の冷戦時代を象徴する明確な“敵”だったわけだけど、本作ではロッキーに敗れた後に母国で辛酸をなめ、息子とともに苦労している感じが描かれる。この辺りは時代の変化だよなあ。ドラゴ役がちゃんとドルフ・ラングレンなのは嬉しい。 ただ全体的には物語が「ロッキー4」に囚われすぎている気がしてならない。せっかくアドニスの新しい物語をスタートしたのに、ここまで過去作の要素に乗っかっている様では単なる「ロッキー」の後日談にしか思えなくなって、なんだかもったいないなあという想いの方が強かった。ストーリーラインがオーソドックスだからこそそれが目立つというか…。良い場面もあるんだけどね。ロッキーの、アドニスにとってのメンター的な存在感がすごいし、いいセリフもある。だからなおのことどっちの続編なんだという感じ。 |
クリード 過去の逆襲
(2023年制作) |
7 |
世界チャンピオンとして引退したアドニス。そんなある日、刑務所から出所した幼馴染のデイミアンがアドニスのもとを訪ねてくる…。 前作の感想で「せっかくアドニスの新しい物語をスタートしたのに、ここまで過去作の要素に乗っかっている様では単なる『ロッキー』の後日談にしか思えない」と書いたけど、本作ではそのロッキーが全く登場しなくなったので完全にアドニスの物語になりました。しかし逆に劇中でロッキーのことが言及されないとなると、「彼は今どうなってるんだろう?」と気になってしまうのだから、人間とは現金なものだなあと自己嫌悪をに陥ったりする始末(苦笑) それはともかく、本作で監督デビューとなった主演のマイケル・B・ジョーダンは、そつなく作品をまとめ上げ、安定感のある主役っぷりも見せていたと思います。一方でそつがなさすぎて意外性に欠ける気もするのだけど、そこまで求めるのは無いものねだりになっちゃうかなあ? 過去の出来事があり、その負い目から手を貸した友人に裏切られて、最後に引退を撤回してでもリング上での対戦をするという展開は予定調和のそれを超えるものはなかったと思う。いや、意外性がないだけで普通に見れるドラマにはなっていたけど、普通以上でも以下でもないというか、「ロッキー不在でも観た者の心を熱くできるのだ!」という熱量まではいま一歩という感じ。 |
グリーン・インフェルノ
(2013年制作) |
8 |
森林開発で消滅の危機にあるペルーの原住民の村。米国の学生達は現地へ赴き、その開発の様子を動画配信することで開発を止めようと計画するが…。 1980年の映画「食人族」のリイマジネーション作品って感じの本作ですが、「ホステル」を撮ったイーライ・ロスらしいグロ描写とテンポの良さが良い感じ。もちろん人肉食という恐ろしい光景が主題のホラー映画なわけだけど、主人公たちが一応意識高い系の学生たちという設定には色々と皮肉を感じるなあ。義憤は結構だが所詮は誰かの手のひらの上で踊らされているという話だし、「開発によって原住民の暮らしが消滅しようとしている、許せない!」と言っていた身が、その原住民の暮らしである人肉食によって命を奪われるってんだから、本望でしょ?などというのは意地悪な見方かw でもそういう話なんじゃないのかな。「ブルドーザーが来れば助かる」なんて言っているわけだから。 しかし生きたまま解体される最初のシーンなどはなかなか気合が入っていて、劇判も相まってショッカー描写として秀逸。しかし「なんて野蛮な!」と思わせておいて次の場面では本当に“日常風景”としての料理場面になっていくわけで、価値観の押しつけは良くないという描き方もしていると思う。 なんにせよ、確かにグロでゴアなホラー映画ではあるけれど、意外にストーリーにテーマ性を感じるところが気に入りました。とはいえ万人に薦められる作品ではないがw |
グリーン・ゾーン
(2010年制作) |
8 |
イラク戦争が行われた2003年。大量破壊兵器の捜索を行う米陸軍上級准尉は、常に上からの誤情報に振り回されていた。疑念を持った彼は、同じ疑念を持つCIA職員に協力を仰ぎ真相に迫っていく。 歴史的事実から言うと“大量破壊兵器”は存在しなかった。しかし誰かが“ある”と言ったから戦争は行われたわけで、その部分を真相を国防総省情報局員パウンドストーンに割り当てている。その上の政府がどこまで認知していたのかまで本作では言及しないけど、そのあたりの踏み込み加減が社会派になりすぎないアクションサスペンスとして、エンターテイメント性を上手く保つことに成功していると思う。 主人公が組織の陰謀に振り回され、反撃して真相を明かしていくという筋書き自体はグリーングラス監督の出世作「ボーン」シリーズとあまり構造が変わらない。だけど、やはりアクションの見せ方、めまぐるしいカット割りという手練の演出・編集に思わず身を乗り出してしまった。さすがに終盤は暗い場面が続くので分かりにくい部分もあったけど、それでも緊張感とスピード感の見事なマッチングはすごいです。 この映画におけるパウンドストーンという人物は、米国の論理、“グリーン・ゾーンの論理”という名の悪役か。結局、大きな流れはパウンドストーンの計画通り事は運びつつ、ラストの新生イラク最初の会議が紛糾というシニカルなエンディングにニヤリとする。 |
グリーン・デスティニー
(2000年制作) |
8 |
剣の達人ムーバイは引退し、名剣"グリーン・デスティニー"を北京のティエ氏に献上する。しかしその夜何者かによってその剣が盗み出され…。武侠小説『臥虎蔵龍』を原作とした、中・香・台・米合作の武侠映画。 ワイヤーアクションに目が行きがちだけど、東洋精神が根底に見えるムーバイとシューリンの関係性は興味深く観た。感情が先に立つようなイェンのキャラクターは、ああいう時代にあって"自分らしく生きる"という現代性の代弁者か。でも話を動かすには良いけどちょっと性格には共感はしにくかったかな。2本立てのロマンスで少し散らかった感じもしたし、中盤の長い回想はもう少し短くても…と思った。まあ、アクションシーンとの対比として、静と動の話の流れ方は悪くないと思うけどね。 ワイヤーアクションはかなりフワフワしていて物理的なジャンプの弧とは違う。軽功を表現した動きとしてはかなり極端な気もするけど、それでもかなり大がかりでないとこの動きは見せられないと思うし、非CGのアクションとしては魅力があるかな。それ以上に地力のアクションとして、出演者の見事な動きもあるのだけどね。竹林の上でのバトルはやっぱり魅かれるものがあるよ。 |
グリーンブック
(2018年制作) |
8 |
1960年代のNY。主人公のトミーは米国深南部への演奏ツアーを行う黒人ピアニストのドン・シャーリーの運転手となるが…。 キャラクター的に正反対の二人が一緒に旅をするうちに、お互いを知ることでリスペクトしあう仲になる…という物語としては、ベタ中のベタとも言えるような期待を裏切らない内容だった。黒人差別の激しかった60年代を舞台にして、ハイソな黒人と下町のイタリア系白人という組み合わせは若干ユニークだと思うけどね。 この物語は実話をベースにしているということだけど、印象としては話もベタならキャラクターもとてもステレオタイプに見える。トニーなんて完全にイタリア系のイメージそのものだし、ドン・シャーリーは黒人のステレオタイプとは真逆のキャラクターであることが逆にアンチテーゼとして存在感を発揮している。差別や偏見を語るためにステレオタイプなキャラクターが必要だというのは少々皮肉な感じもするけども、この映画ではそれがとても効果を発揮していたように思った。序盤のトニーが抱いている黒人に対する差別的な感情は、個人的な憎悪ではなくその時代の普通の感覚とも取れるし、そういう面でもステレオタイプなイメージが作る時代の空気感は分かりやすくて良い。 普通に観れば王道一直線の相棒ロードムービーといった感じ。ベタで意外性もあまりない。でもそれを面白く観られたのは、会話の端々で見せるお互いの認識のズレを、作品のユーモアとして上手く生かした脚本の妙だろう。小さな前振りをちゃんと回収していく構成も手堅い。そしてラストのドロレスのセリフが良いよね。ドンへの感謝の気持ち、夫・トニーを愛している事や理解している事を一言で表すと同時に、「なんだバレてたのか」という笑いに転換させる小気味良さよ。「手紙をありがとう」というその台詞は作品のサゲとして完璧だ。 |
グリーン・ホーネット
(2010年制作) |
7 |
米国のテレビ・ラジオドラマをオリジナルとしたヒーロー作品の映画版。 ドラマ版は60年代の作品なのでもちろん見たことはないのだけど、テーマ曲は耳にしたことがある。映画作品としては主役のブリットがセス・ローゲン、相棒のカトーがジェイ・チョウという組み合わせだけど、やはりローゲンが主体なのでバカっぽいコメディ要素が強い。ブリットというキャラクター自体がバカなんだけど、そこに愛嬌を見いだせるかで映画の印象が変わってしまうかも。うっとおしいと思ってしまうと終わりだが(w)、まあここはローゲンのキャラクターとして観ないといけない。 改造車ブラック・ビューティーの小道具やカーチェイス、カトーのアクションなど見どころはあるものの、いまいち乗り切れないのはブリットとカトーの間の確執などが中途半端に描かれているからだろうか。個人的にはこれなら確執なしのバディ・ムービーでも良かったんじゃなんて思ったり。神経質でどうも大物っぽくはない悪役を上手いこと演じているクリストフ・ヴァルツも、ちょっともったいない印象だけが残ってしまった。 脱出装置のくだりと、肩の傷についての連携あたりはスッキリしたのだけれどね。 |
グリーンマイル |
9 |
感動した!初めて映画館で涙を流してしまいました。こういう話に弱い・・・。向こうの刑務所物にしては看守がいい人ばかり。トム・ハンクスが看守長だから当たり前かな?Mr.ジングルスがまたかわいい。結構笑える場面もあった。でも本筋はものすごく悲しい。ジョン・コーフィの特殊能力故の悲痛な苦しみ。何とも胸を打つ。執行の時、歌を口ずさむ場面で思わず泣いてしまいました。 |
グリーン・ランタン
(2011年制作) |
7 |
宇宙の秩序を守るために存在する宇宙警察機構"グリーン・ランタン・コァ"。そこに地球人として初めて選ばれた男の姿を描いたアメコミ・ヒーロー映画。 全体的には、いたって普通なアメコミ映画といった印象。"グリーン・ランタン・コァ"が様々な姿の宇宙人によって構成された組織なので、ビジュアル的なバラエティは楽しめるけど、主人公がヒーローになる過程がメインなので、ヒーローとしての活躍は後半まであんまりない感じ。むしろ先輩ヒーローのしごきにあったりして「俺向きでないよ、この仕事」と思い悩む姿のそれは、ヒーローというよりはすこぶる会社員っぽいが、まあそこはこの世界観の特徴かな。 主人公たちの扱うパワーの源は"意志の力"。それを指輪の力で具現化するわけだけど、その"何でも出せる指輪"を使ったアクションはなかなか面白い。重火器を出したり車や航空機を出したり、個人の超能力ではなく指輪の力でできるところが、自分たちに近しいヒーローと感じられるところ。 ただ逆に、敵は星を滅ぼさんとするような巨大な相手なのに、舞台が地球でしかも主人公一人で倒してと…どうもデカい話なのかローカルな話なのか微妙な線なのが気になった。他のグリーン・ランタンの仲間たちと共闘して倒したというならともかくね。 |
クリスティーナの好きなコト |
5 |
気楽な恋はするけど本気の恋は怖いという女性の本音と、運命の出会いを描いたコメディ。下品です。 欧米の文化というか、俺にはない感覚を描かれてもやっぱり感情移入は出来ないわけで、こういうノリはさっぱり分からない。“そういう感覚の人もいる”程度の理解は示すけどね。しかしキャメロン・ディアスってこういう映画に出るのが好きだよな…。 種類で言えばティーン映画という部類になるのか、とにかくお下品な映画なんだけど、きっとアメリカの若者とかには大ウケなんだろうね?とは思う。要はその下品さの先に何を描くかだけれども、ストーリー的には結構古典的な恋愛モノのような気が。まあ、キャメロン・ディアスのファンや、この話に共感できる人には良いんではないでしょうか?俺には合わない映画です。 |
クリムゾン・タイド
(1995年制作) |
8 |
ロシア国内で反乱が発生。ミサイル基地を占拠した反乱軍による核戦争の危機が迫る中、緊急出撃した米軍のミサイル原潜は先制核攻撃の準備を整えるが…。 最初にミサイル発射指令を受信、その後に外部からの通信が不調になったことで後続の指令内容の不完全な受信結果をどう扱うかについて、ミサイル原潜の艦長と副長で意見が割れる。後続の指令が確認できないのであれば先の指令が優先されるという艦長。一方で後続の指令内容を確認するまでは先の指令は保留するべきだという副長。この状況が厄介なのは、その結果もたらされるのが核戦争かもしれないという事だね。だからこそ観ている側は世界の運命を決めてしまうかもしれないこの二人の対立にハラハラするわけだけど、そのいわば軍人としての矜持の対立という精神力のぶつかり合いを映像として見せるのは思っているより難しい気がする。でもこの映画はそれをいとも簡単に、そして緊迫感あふれるサスペンスにして描いちゃうんだよなあ。 “潜水艦”という閉鎖空間でのサスペンスなのに、まるでアクション映画かの様な熱量を感じさせるトニー・スコットの演出。二人の意見の対立以降、加速度的に攻守が入れ替わる展開を見せる脚本。そして何より、昔気質の頑固さと軍人としての矜持が透けて見える艦長役のジーン・ハックマンの演技の迫力と、それに対峙して全く気圧されない信念を感じさせる新任副長役のデンゼル・ワシントンの演技! これは見事なアンサンブル作品ですわ。 |
クリムゾン・ピーク
(2015年制作) |
7 |
父を亡くした資産家の娘。嫁いだ準男爵の家に住むが、そこで奇怪な現象に出会う。 ギレルモ・デル・トロが描く幽霊話ときたらホラーかな?などと勝手な想像をしていたが、観てみたらゴシック・ロマンスというジャンルへのオマージュ映画だった。なので怖さを追求した作品ではなく、どちらかというと見せたいのは古い屋敷と幽霊というゴシックな雰囲気への愛だろう。実際に屋敷を丸ごと立てたというデザインへのこだわりは、実にデル・トロ監督らしいさすがの一言だが、主人公が幽霊を見られることがカギとなり残された蓄音機とその録音から真相を知ることになる段取りには、若干の安っぽさも感じる。何というか、表面的というか、意味深な見せ方をしているものでも掘り下げが深くない感じ? でもこの映画のオープニングで本が開き、エンディングで本が閉じられて著者の名が分かる仕掛けになっているとおり、これ自体は主人公が書き上げたゴシック・ロマンス小説だという構造だよね。なので、多少の力技での展開、意味深な幽霊のご都合感も、彼女の描いた小説だと思えば…何となく納得してしまった。まあメアリー・シェリーに憧れている割には「フランケンシュタイン」の悲哀には程遠い話だけど、自分を愛した二人の男と悲劇の主人公・私のお話と、そこへ何となくのホラー風味のエッセンス。幽霊モノを書きたいという希望通りの内容が書けたということなのだから、主人公にとっては良いんじゃないかな。
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クリムゾン・リバー |
6 |
フランスの田舎町で起きた猟奇殺人事件を追う二人の刑事を描いたサスペンス。 正直、勿体ないなあというのが第一印象。中盤までは抜群に引き込まれるのに、終盤の種明かしが何とも釈然としない。というか、面白くない。犯人はすぐに分かった、でもあれだけ色んな伏線があったのに、ほとんど伏線のないところから答えを出された。だからなのか、確かに驚きはしたけどミステリーとしての面白さは今ひとつ。 二人の刑事が別の土地でそれぞれの事件を平行に追っている序盤は「これがどう結びつくのか?」という期待があったし、猟奇殺人の死体に隠された意味を考えるのも面白かった。なのにそれが生かし切れてない気がするなあ…。犬恐怖症という事自体の意味もよく分からないし…。単に俺の理解不足か? 原作を読めば分かるのか? アクションシーンはなかなか力が入っていたけど、格闘ゲームの音と重ねたシーンはケレン味が有りすぎて逆に鼻につくかも。ヴァンサン・カッセルの動きは格好いいけどね。 やっぱりラストが面白くないので、総じて「勿体ない」という感想になってしまうか…。 |
クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち |
6 |
フランスのある修道院で起きた事件を切っ掛けに奇怪な連続殺人を追う二人の刑事を描いたサスペンス。 ビジュアルのハデさや面白さとは裏腹に、中身のない脚本に驚いた。色んなところで筋が破綻しているように思うんだけど…。ツッコミ始めたらきりがない。そもそも一人目の被害者は壁に埋められていたのに、それ以降はだんだんこれ見よがしに殺される。シーン毎の面白さはあるけど、話としてのまとまりに欠いているのでは? モンタノス派を取り上げていること、マジノ線や黙示録がらみの話など、要素要素は面白かったんだけどねえ…。 どうみても“ヤマカシ”な修道僧の動きは個人的には好きじゃない。アクションを見せるためなのが見え見えで、しかもあれだけの尺を追いかけといてそれの意味するところが「超人的な奴だった」ってだけなら、もっと見せ方もあるだろうに。「セブン」の追跡シーンに比べたら全然緊迫感もないし…。そもそもタイトルである“深紅の川”がちっとも出てこないのが悲しいね。 終盤、どう観ても「魔宮の聖戦」のパロディと思えるシーンがあるんだけど、俺的には失笑でしたw |
グリンチ
(2018年制作) |
7 |
ドクター・スースの「いじわるグリンチのクリスマス」を原作にしたイルミネーションのCGアニメ。 原作は未読、2000年の実写映画も観ていないけど、この緑のキャラクターの事は何となく知っている。そんな状態で本作を観たのだけど、思ったよりもマイルドだね、グリンチはもっと意地悪な方向に振り切れているのかと思ってました。トナカイのフレッドを帰すくだりなんかも「なんだ良いヤツじゃん」と思ってしまったりで、心根の部分に優しさがあるのが分かってしまうと、村の少女の心にほだされるという展開もちょっとパンチが弱く感じてしまうかなあ。まあ逐次ナレーションでグリンチの心情も解説してくれるのでとても分かりやすいし、根本的に優しい物語だから児童絵本の映像化としては良質だとは思うけれど。 映像面ではイルミネーションの質の高いアニメーションはさすがの域。まさに絵本から飛び出したかのような村の造形や、グリンチがクリスマスを盗むシーンの多彩なガジェット、なかなか観ていてワクワクするような場面もあるよね。しかし意地悪な泥棒が少女と交流して優しくなるって話だけを聞くと、なんかこの「グリンチ」もイルミネーション1作目の「怪盗グルーの月泥棒」も似たようなフォーマットな感じだなあ。そういやイルミネーションは「ロラックスおじさんの秘密の種」(2012)も撮ってたし、ドクター・スースの作品に対して思い入れがあるのかね? |
グレイテスト・ショーマン
(2017年制作) |
7 |
実在の興行師、P・T・バーナムの半生を基にしたミュージカル映画。成功を夢見る主人公バーナムは世間から白い目で見られていた人々を集めてサーカスを始める。 ストーリー的には典型的な山師の話でテンプレの域を出ないというか、最近だと「SING」で観た様な流れ。それを軸にフリークショーという舞台を使って「差別はダメだ、個性が大事なんだ」という今風な主張を言いたい様なんだけども、そのテーマについては踏み込みが浅い印象で、結局バーナムが劇中で言われるとおりの見世物にしかなっていない感じだった。描き方によってはこのバーナムを「シンドラーのリスト」にも出来ただろうが、さすがにそこまで美化もできないという事なんだろうか? バーナムは上流階級から差別され、サーカスのメンバーはその風貌から社会に差別されている。それをはねのける話としては分かるんだけど、そのテーマについての着地点がボヤッとしている印象なのは、明確な差別主義者というか憎まれ役がいないからな気がした。批判的な批評家や義父といった人物はいるけど、ヘイトを集めるようなキャラにまではなっていないので対立軸にならないし、ちょっと見返す程度ではカタルシスには物足りない感じ。 まあそこまで深く考えずにサーカスの始まりを描いたミュージカルだと思えば、話のテンポも良いし豪華な歌と踊りは実に素晴らしい。ちょっとVFXに頼った派手さもあるものの、ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンというミュージカルに長けた配役が実にハマっていた。レベッカ・ファーガソンも歌がすげえなあ…と思ったら、あれは吹替らしい。 |
クレイマー、クレイマー |
10 |
離婚と親権問題。アメリカが昔から抱える社会問題のテーマですね。この映画の素晴らしいところは、本当に丁寧に心の移り変わりを描いているところ。突然妻が家を出、途方に暮れるダスティン・ホフマン演じる夫。序盤からの子供への接し方の変化は本当に自然に映る。そこへ来て“フレンチトースト”のシーン。その対比がものすごい印象に残る。上手いわ…。顔を切った息子を抱えて病院へ駆ける主人公を見たときは、個人的な経験もあってひどく感動した。嗚呼、“親父”なんや。子供にとって必要なのは父親なのか母親なのか。それは俺には分からないけど、子供に対する愛情に差なんてものは無い。この映画を観ると本当にそう思う。 |
クレオパトラ
(1963年制作) |
7 |
クレオパトラとシーザー(カエサル)の出会いからアントニー(マルクス・アントニウス)との愛、そして死を描いたスペクタクル史劇。 240分を超える長尺に、20万人を超えるエキストラ、とんでもない規模のオープンセットなど、超大作の名にふさわしい規模の映像が楽しめる。が、シーザーとの駆け引きがあった前半はともかく、アントニーとの愛を描いた後半はメロドラマチックになっていくので、個人的にはいまいち。というか戯曲でも有名な話なのでそれを真面目に映像化したという印象が強いかな。(シーザーの「ブルータスお前もか」が音無しだったのは意外。)オープニングの荒野の規模は目を見張ったし、ローマでのクレオパトラのパレードはちょっとやりすぎなくらいのデカさ。アクティウムの海戦では本当にガレー船で戦っている場面も良く作ったと感心するけど、全体的にはちょっと退屈というのが正直なところ。もう少しクレオパトラやローマ議会での権謀術数でハラハラするとかがあれば違ったのだろうけども。 主演のエリザベス・テイラーは当時31歳にして大スターで貫録十分。レックス・ハリソンのシーザーも良いね。この映画の時にはアントニー役のリチャード・バートンとテイラーが不倫関係だったとかで、映画の中身よりそちらのゴシップで騒がれたり、元々2部作6時間の予定を何とか1本に纏めたりと、いろいろ不運な作品の様だけど…。やっぱり長いという印象が勝ってしまうかなあ。 |
グレムリン |
7 |
片田舎のクリスマス。得体の知れない怪物が大量発生する騒動を描いた作品。 ジャンルで言えばパニック・ホラー?コメディ?怪物は出るけど、少なくとも恐怖映画じゃないよなあ。醜悪な風体ではあるけど、グレムリンの行動自体は愛嬌があるわけだし。監督の遊び心が伝わってくる作品かな。パロディやオマージュも結構ちりばめられてるし。「禁断の惑星」のロビー、「E.T.」のパロディ(ぬいぐるみが並んでる所)、ラジオでリスナーが「怪物が…」と言ったらDJが「オーソン・ウェルズのつもりか?」、それと「白雪姫」の七人のこびととか。実に面白いw 最初にグレムリンが現れた時に主人公の母親が闘うけど、ミキサーやオーブンでグチャグチャにするのは一歩間違えば悪趣味な…。しかしオカン強かったよな。包丁でメッタ刺しにしてたし。やっぱ過剰演出だわw しかしギズモの造形は上手い。あんなかわいらしいキャラ、ねえ。ずるいわw |
グレムリン2 新・種・誕・生
(1990年制作) |
8 |
前作から6年。今度はニューヨークで大暴れするグレムリン。 SFXは驚異的に進化し、ギズモもグレムリンも、その表情の豊かさに甚だ驚かされる。アニマトロにクスだと思うけど、ギズモのアップはもうキュートすぎるでしょ! ブレイン・グレムリンの口の動きも見事。それでいて操り人形然とした動作は割り切っている感じがするが、この映画、リアルさを志向しているんじゃなくて、グレムリンをダシに実写でルーニー・テューンズのノリをやりたかっただけだよね?w 今作は前作以上にパロディ映画になってる。というか、もう筋は置いておいてパロディ&メタネタのオンパレードで勢い勝負のネタ映画。(個人的には映画評論家のレナード・マーティンがグレムリンに襲撃されるネタが好きだが、こんなのもう楽屋落ちのレベルじゃないか。) ネタは拾えばキリがないが、強引に筋を作っているものの、基本的にはグレムリンの“新種”を良いことに小ネタを繋いで遊んでいるだけで、もうこの映画そのものが“グレムリン”だわい。脈略もなく始まるミュージカル、オペラ座の怪人、マリリン・モンローのパロディ。バットグレムリンが壁を破ると…!?でもそれが良いw ハルク・ホーガンは…ちょっとどうなんだろ。 余談ですが、ロバート・ピカードが頭フサフサで、「スター・トレック/ヴォイジャー」を観ていた身としてはなんか嬉しい。そういえば序盤でチラッとヘンリー・ギブソンが出てたね。ディック・ミラーもいてもいなくても良い役なのに、ちゃんと出番があるのがジョー・ダンテ一家という感じで良い。 |
黒い牡牛
(1956年制作) |
7 |
メキシコの農村に住む少年レオナルド。彼が仔牛の頃から育てたヒタノという闘牛との絆を描いたドラマ作品。 ダルトン・トランボがロバート・リッチ名義でアカデミー原案賞を受賞したことで有名な作品。お互いに母を亡くした境遇の少年と仔牛の絆が、彼らに降りかかる様々な逆境を乗り越えさせていくことになる。小エピソードの積み重ねの様な構成でもあるけど全体的には纏まっているし、少年のひたむきさと仔牛から立派に成長していく牡牛の逞しさが良い感じですな。それに作品内に悪人がいないのが気持ちいいね。牡牛を闘牛として少年から取り上げて出荷する牧童頭にしても、焼印を所有権の根拠に考えれば正当な仕事の範囲なので致し方ない。あの場面だけで言えば少年は大事な手紙をなくすべきではなかったというだけなのだが、諦めない少年はメキシコシティを駆け回り、なんと大統領に面会して涙ながらに訴える。ここまでくるとその行動力が突飛すぎる気もしなくはないけれど、それだけ真剣だという表現型ですな。 スペイン式の闘牛では最後には牛が殺されることになるので、この映画でもその運命がクライマックスとして描かれることになるが…。少年のひたむきな思いが天に通じたのか牡牛の勇猛さが聴衆の心を打ったのか、大団円のラストは良いですよ。闘牛のシーンでは実際の闘技場での闘牛を撮影していて、その本物の迫力も効果的だったと思う。 |
黒いジャガー
(1971年制作) |
7 |
舞台は1970年代のニューヨーク。探偵である主人公・シャフトはハーレムのボスから誘拐された娘を取り戻すように依頼される。 黒人による黒人のための映画という点で、ある意味金字塔的な作品。あくまで娯楽映画だけど、まだまだ差別意識が強く残る時代であって、そういった黒人達の白人に対する鬱積したモノが画面に現れているのが分かるね。だからこそスタイリッシュなシャフトが、白人警官達に軽口を叩き、マフィアを撃ち殺すという“ブラックパワー、ここにあり!”の様な痛快さがウケたのだろう。実際にこの映画は大ヒットしているわけだしね。 今観るとストーリーラインは平凡なモノだとは思う。でも当時の空気感が良く出ているし、個人的には興味深く観られました。 |
クロース
(2019年制作) |
9 |
スペインのアニメーション作品。2つの氏族がいがみ合いを続けている北の僻地にある小さな町に左遷された郵便配達員のジェスパー。中央に戻るには郵便配達数のノルマを達成しなければならないが…。 父親のコネで入局した利己主義で怠け者な主人公が次第に変化していく様子がストーリーの背骨だが、それを誰もが知るサンタクロースの“プロデューサー”として話に結び付けるあたりが独創的で面白い。そしてその舞台背景には敵対する氏族を配置し、もはや“伝統”以外に敵対する意味がないということに、どこか皮肉めいた風刺が込められていることもおとぎ話として質が高い様に思う。「中央に戻るため」から「この町に残りたい」への動機が変化する主人公、プレゼントを動機としていい子にする子供たち、教える喜びに気づいて貯金の使い道を変える教師、そして叶えられなかった過去を乗り越えるおもちゃ職人…。「人はなぜ他人のために行動するのか」ということを考えさせられると同時に、それがなんとなく理解でき、あたたかい気持ちにもなる。そんなとても良い話だった。 アニメーションの表現としては基本的にキャラは2D手描きによる作品ではあるのだけど、見た目は3Dと2Dの間にあるような…、一見するとどっちかわからないような雰囲気があるよね。立体物の様なグラデーションの印影によって、3DCGの様に見せた2Dアニメの豊かな表情描写はとても質が高い。今のディズニーがやめてしまった手描き時代のアニメーションにも通じるような、そんな動画のあたたかみをこのスペインのCGアニメで思い出した。CGでこのように演出できるのかという驚きもある。これは良い作品だったなあ。 |
クローバーフィールド HAKAISHA |
8 |
謎の怪物の襲撃によって壊滅したNY。かつてセントラルパークと呼ばれた場所から発見されたビデオテープに、そこで何が起きていたのかが記録されていた…。 という設定の怪獣(?)映画。その宣伝方法も含め、やっていることは「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」とあまり変わらないけども、構成も考えられているし、モンスターパニックとしてのリアリティは良くできていると思った。何に襲われているか分からないという市井の人々のパニック。その非現実的な情景がまた“911”を思い起こさせるというのも、またショッキングでもあるね。 主人公は彼女を助けるために危険地帯に突入するわけだけど、まあその辺の筋書きは少々ヒロイック過ぎる気はするw でもそうでもしないと核心部分は撮せないわけだけど…。撮影者がまた空気の読めない奴で、そういった人物設定もありがちなもの。うーん、どうもストーリー自体は大したこと無いんだよね。悪く言えば中身がないw でもそれを補うくらいの(わざとらしい構図も散見するとはいえ)リアルな“ビデオ映像”は、その事件のただ中に観客を連れていくパワーがあるとは思った。 そうそう、このビデオの全編が、実は主人公の幸せな瞬間が記録されたテープにその日の悲劇が上書きされていた…というプロットに思わずニヤリとしてしまう。日常生活が悲劇で上塗りされていくのとダブらせてるわけですか。 |
クローバーフィールド パラドックス
(2018年制作) |
7 |
地球のエネルギー不足を解決するために宇宙ステーションでの実験を試みる科学者たち。しかしその実験は思いもよらぬ事象の引き金となる。 1・2作目の前日譚…と捉える向きもある様だけど、俺はそうは思わなかったかな。それぞれが作品としては独立していて、地球が未知の存在に襲われるという現象が話のどこかでつながっているだけでパラレルワールドのようなものなんだと思う。そういう意味では、本作は「別次元」と称してそのパラレルワールドの存在を示唆してはいるのだが。 でも正直言うと、作品としては宇宙船を舞台にした密室SFサスペンスの亜流でしかないよね。序盤の不可思議な事象に見舞われるあたりはなかなかスリリングで面白かったけれど。壁に埋もれた人間などは「フィラデルフィア計画」の都市伝説からの引用かな、空間跳躍をイメージしやすいネタなので悪くない。千切れた腕が「アダムス・ファミリー」のハンドのように自律行動しているのは…嫌いじゃないけどさすがにギャグにしか見えないなあw しかし終盤の展開は自己犠牲や裏切り流れが少々平凡だったのがちょっと残念ではある。2017年に公開された同ジャンルの佳作だった「ライフ」と比べても、映画としては少し見劣りする感じ。 結局のところ、本作も「10 クローバーフィールド・レーン」と同じく元々別の映画用の脚本だったんじゃないかと感じるような内容。マーケティングとしては「クローバーフィールド」というタイトルを付けるだけで、観客が勝手に繋がりを感じてしまう心理をうまく使っていて感心はしたけどね。地上が巨大生物に襲撃されていると匂わせる描写自体は、まるで取って付けたかのようだった。 ラストのアレは…ファンサービスみたいなものかな? |
グローリー 明日への行進
(2014年制作) |
8 |
1965年にキング牧師が行った公民権運動の一つであるセルマ行進を描いた作品。 キング牧師と言えば非暴力公民権運動と"I have a dream"の演説というイメージ。その公民権運動の中で行われたモンゴメリーへの行進が本作で描かれるエピソード。キング牧師という人物や時代背景、マルコムXとの違いなどは知っていたものの、この行進や「血の日曜日」のことなどは知らなかったので、興味深くそして勉強にもなったし、観てよかったと思える作品だった。まあ伝記ドラマの演出としてはだいぶ手堅いオーソドックスな印象もあるが。 デヴィッド・オイェロウォ演じるキング牧師は、本当は抱いていた不安を隠しつつ、力強く指導者としてあろうとした人物として描かれる。彼の演説は確かに聴衆を扇動するカリスマ性があるな。後に暗殺されたことで神格化された部分もあるかもしれないけど、非暴力という武器を使って黒人の権利を勝ち取るという信念を貫いた偉大な人物だと思うし、そこはこの作品でも良く描けている。主題はセルマで起きた事件の事ではあるけど、キング牧師の伝記映画としても良い。 意外に脇役も豪華。ジョンソン大統領役のトム・ウィルキンソン、憎まれ役となったウォレス知事を演じたティム・ロスが良いね。実際のジョンソン大統領はこの作品で描かれるより公民権の発展に積極的だったらしいけれど、ドラマを盛り上げるためかキング牧師とジョンソン大統領は政治的な駆け引きをする相手として描かれている。まあ映画である以上、ある程度の脚色は仕方がないのかな。 |
クロニクル
(2013年制作) |
8 |
ある日、突然超能力を手に入れた高校生三人の姿を描いた低予算SF作品。 POV(主観映像)で作成された作品だけど、超能力でカメラを宙に浮かべ客観視させるとは…。その発想に感心した。何かの物体のせいで超能力を手に入れる経緯は、何の説明もなくて開き直ってるよなw でも当事者として手に入れた超能力を楽しんでいる流れにあっては、そんな"何故"なんてものが無いのは逆に自然。確かにこんなテレキネシスを手に入れれば、劇中の他愛のない悪戯をしてしまうノリというのは理解できる。使えるんだから仕方がない。その等身大っぽさがこの映画の最大の魅力なんだよね。 それだけに後半の展開はいささか驚いた。まあ主人公の顛末はなるべくしてなったという感じはするけども、力を入れたことによる暴走はどことなく「AKIRA」を想起させる部分もあり、超能力バトル描写はアニメのイメージが濃いようにも感じたところ。 それにしても、街中のいたるところにカメラがあるんだなと、改めて気づかされる作品でもあります。 |
クワイエット・プレイス
(2018年制作) |
7 |
音を立てると殺される。極限の状況を生き延びる一家の姿を描いたホラー映画。 似たようなアイデアだと2年前の「ドント・ブリーズ」が思い出されるけど、同じホラーでもスリラー仕立てだった向こうとは違い、こちらは隕石によって飛来した宇宙生物によって人類社会が破滅の危機にあるというSF仕立ての世界観。とは言っても物語は「ある家族」にフォーカスして描かれるので、“宇宙生物”という存在以外はSFではないけれど。家の外に広がる畑の様子やその家に立てこもる感じなどは「サイン」も思い出したなあ。 音を立ててはいけないという状況を説明する冒頭は手際が良い。手話ができる一家という設定も長女が聾者だということで自然に納得できるようになっているね。ただ全体的にはよく纏まりすぎた感があったかも。補聴器の干渉で宇宙生物が動揺するシーンが割と早めに描かれると、そこからはある程度予定調和的な展開として感じられてしまったのも事実。伏線と回収も含めて丁寧に作られているんだけど、個人的にはもう少し先の読めない緊張感も欲しかったかも。 階段の釘は痛いなあ。それでなくても「これから出産するのに声をどうするねん」という状況なのに。というか逆に“声を出さざるを得ない状況”を作るために臨月が近いという設定にしているのは…ちょっとずるくて好きではない。釘の話に戻ると、結局妻が踏み抜いた後もずっとあのままだったけど、宇宙生物も踏み抜いてくれたら面白かったのに、とこっそり思った俺でした。 |
クワイエット・プレイス 破られた沈黙
(2020年制作) |
8 |
音を立てると殺される。極限の状況を生き延びる一家の姿を描いたホラー映画の続編。 1作目で襲い来る存在の正体は明かされているし、なんとなれば対処法も分かっている。そんなタネのバレた話でどうやって緊張感を持続させるのか興味があったけど、本作は1作目から地続きのまま上手く話しを進めていって感心した。人間が一気に攻勢に出るとか、宇宙生物が大群で押し寄せるとか、そういう極端なインフレを起こしてないのがまた良いな。アバンのDAY 1の様子や島での殺戮シーンは“パワーアップした描写”の一環だけど、それでも設定として無理やりな感じになっていないし。あくまで一家を中心にした話としての安定感がある。そんな中で一家の長女であるリーガンが主体的に行動を起こし、一方で孤独に生き延びていた男・エメットが彼女の決意に引っ張られていくわけですな。そこが1作目からの地続きである“宇宙生物から隠れ住む”に対してのプラスアルファの要素になっているし、その部分の行動原理に説得力があるから“二番煎じ”以上の面白さにも繋がっているのだなと思った。ラストシーンも良かったなあ。子供たちにとどめをささせることで、彼らを未来を切り開く象徴として描いているよね。 音が立ってしまわざるを得ない状況の作り方も、ワザとらしさが1作目より減っていて良かったと思う。終盤、安全に暮らしている島のすぐ対岸に略奪者の集団がいるってのはさすがに不自然さも感じたけど、まあそこはそれ以上言うまい。むしろその後に島に宇宙生物の乗ったボートが流れ着いた描写をみて、「ああこの展開の為か!」と思うとなんか許したw |
クワイエット・プレイス DAY 1
(2024年制作) |
7 |
音を立てると殺される。SFホラー映画の前日譚。 前2作の主人公だった一家の話からは離れ、NYに住む女性・サミラが主人公。緩和ケアのホスピスにいる彼女は末期癌で余命幾ばくもないのだけれど、そんな時に宇宙生物の飛来したDAY1が始まる。前作でも少し描かれてたDAY1の様子は郊外が舞台だったので、本作で描かれるNYという人口密集地での襲撃の様子は目新しさもあるかな。でも肝心の宇宙生物自体は観客にとってその姿かたちも行動力も対処法までバレてしまっている存在なので、そういう意味での新鮮さはない。じゃあそれをどう話として盛り上げるかということで、主人公の“状態”がキモになってくるのだろう。要するに、「末期癌でたとえ襲撃から逃れてももはや長くは生きられない」「なら最期に何をするか」が主人公のメンタリティなのだ。 最初の方は主人公がなんでそんなにピザを食べることに固執するのかが見えにくかったのだけど、その理由が次第にクリアになっていくところにドラマはある。物語として極限状態の中で危険に飛び込んでいく行動原理を作ることはなかなか難しいけれど、「どうせ死ぬのなら最期に想いを遂げたい」という感情を話の動輪にしたのは悪くなかったかな。本懐を遂げた彼女は、その最期の夢を叶えてくれたエリックを逃がすために行動するわけだ。演じたルピタ・ニョンゴが上手い。エリック役のジョセフ・クインも毒気のない感じが良かった。ちなみにちょっとだけ出演しているジャイモン・フンスーは前作で登場した島の長。そういう意味ではシリーズの地続き感はあるけど、まあそこはあくまでファンサービスの域を抜けないかな。 出演者によるドラマで工夫を感じる一方で、それ以外のモンスター映画としての面白さはやや物足りなさを感じたのも事実。化け物としてのタネがバレているのが最大の要因だけど、もう少し「どうしようもない状況からの一発逆転の打開」みたいな緊張感は欲しかったかもね。 |
クン・パオ!燃えよ鉄拳 |
5 |
1976年の香港映画「ドラゴン修行房」を「親指」シリーズの制作者が好き放題に合成して作ったパロディ映画。しかしここまで見事にふざけられると呆れるねw 俺はオリジナルを観てないけど、基本的にストーリーはオリジナルを吹き替えし直してるだけ。パロディというよりはRemix映画?しかし随所に挿入されるギャグは下らない。下らなくて笑える部分ばかりw “反復ギャグ”もお決まりだけど、まあそれはそれで笑える。「ライオン・キング」や「マトリックス」のパロディもあったかな。ただ、下らないw これだけ下らないのに合成のCG技術は結構凝っていたり。極めて真面目に制作されてます。 |
K-19 |
9 |
一言で表現すれば「良かった!」この一語に尽きる。H・フォード演じる艦長が、作戦重視からだんだん変わっていく様や、L・ニーソン演じる副長の乗組員との信頼関係の描写もいい。俺はあんな副長のような上司の下に就きたいねw。この米国製映画で何より珍しいのは、放射能被爆の恐怖まできちんと描けているところ。ほんとはもっと重度になるんだろうけど、その辺は映画という事で軽めには描いていたかも、けど決死の覚悟で修理にいくシーンは本当に感動しました。 |
激突!
(1972年制作) |
9 |
トラックを車で追い越した男が、そのトラックに執拗に追いかけられるサスペンス。 ただトラックに追いまわされるというだけのシチュエーションなのに、これだけ面白いのは演出の妙としか言いようがないよね。冒頭からラストまでトラック運転手の顔を見せないことで、正体の分からない不気味さと共にトラック自体をキャラクターとして成立させている。相手の行動の理由が全く分からないことによって理不尽さと恐怖感がさらに増幅してくるから上手いよなあ。特に印象に残っているシーンとしては、主人公が喫茶店で疑心暗鬼に陥るところと、トラックがトンネルの向こう側でライトを点灯する場面かな。 何の気なしに追い越す序盤、追い回され神経が衰弱していく中盤、対決を決意する終盤、逃げ切れないかもしれないという焦り。その感情変化の見せ方が実に良い。ある種のホラー映画だよねw ほとんど主人公と車しか映らないのに飽きさせないカットのテンポにセンスを感じる。バックミラー越しに追いかけてくるトラックが見える演出は白眉。ラスト、トラックの末路には観ている方もある程度のカタルシスはあるものの、結果的にこの出来事がいったい何だったのかはハッキリしないままモヤモヤした気持ちは残ったまま。夕陽を浴びる主人公に達成感はあったのだろうか…無いだろうなあ、その心中はいかばかりか。それも語られはしないが、まあその余白が良いのだけれどね。 |
月世界旅行
(1902年制作) |
10 |
ジョルジュ・メリエスの伝説的作品。 14分という短い上映時間ながらちゃんとカットがあり、起承転結があり、そして何より世界初の本格的特撮・SF映画だということを考えれば、もうこの作品にけなす部分なんてありませんねw 制作年は1902年。原作があるとはいえ、“月に行く”なんていうのがまさに夢物語の時代に映像化した発想力は大したものだと思う。背景はまだまだ舞台劇の延長のような書き割りが主だけど、煙と共に原住民が消えるとか、映画の仕組みを理解して作られた特撮はその後の映画の基礎でもあるわけで、この映画の存在は限りなく重要です。 しかし、月の崖から落っこちて地球の海に戻ってくるなんて発想は、今の俺には絶対に出来んな…。想像力の豊かさってやつなんでしょうね。 |
決断の3時10分
(1957年制作) |
7 |
生活の苦しい牧場主である主人公と、逮捕されて移送を待つ身となった強盗団の首領との心理的な駆け引きを描いた西部劇。 ただのドンパチでなく、話の中心が正義と生活の間で揺れる主人公と、脱走と主人公への共感(?)の間で揺れる心理戦であるところが面白い。特に前者は、次第に孤立無援になる中、移送の協力報酬200ドルと、脱走の謝礼10000ドルという誘惑の狭間でなんとも言えない苦悩の表情を見せるわけで、勧善懲悪な話とは違う人間の深みが描けていて良い。 主人公の心が揺れるにしても相手が極悪非道な人間では話的にダメだが、その点では仁義というもの持ち合わせていそうな強盗団の首領が良い味を出していたね。上手く共感できる様に出来てるよなあ…。 ユマ行き列車の発車時刻である3時10分に向かって話は緊張感を増していくが、なんとも粋なラストには妙な爽快感を感じました。やはりこの映画の最大の魅力は、最後まで食えない男だった強盗団の首領のキャラクター性にあるね。 |
ゲット・アウト
(2017年制作) |
8 |
写真家のクリスはある週末に交際しているローズの実家を訪問することになった。黒人である彼は、白人一家である彼女の実家の雰囲気に妙な違和感を覚えるが…。 アバンタイトルで黒人男性の誘拐シーンが描かれ、何やら不穏な感じで始まるけれど、その後しばらくは「招かれざる客」の現代版みたいな感じ(?)で展開される。とはいえ一見進歩的な白人一家に見えつつ、黒人の使用人がいたり、その使用人の様子もおかしかったりと、主人公は居心地の悪さを感じるわけだ。が、そんなものはジャブに過ぎなかったw 終盤の怒涛の展開はよく出来ていたなあ。「黒人になりたい白人」という“黒人差別”の価値観を逆転させた差別映画という捻りは、人種に対するある種の偏見を皮肉ったテーマ性を内包していて、化け物が出るだけの恐怖映画より恐ろしいものがあった。 タイトルの「出ていけ」というセリフの意味が分かった時、それを言った男がいかに必死に訴えていたのかを考えると…怖いなあ。使用人の正体も最低限のセリフで納得のネタ晴らしだったね。ホラー映画として居心地の悪さや違和感といった雰囲気づくりに成功しているわけだけれど、そういう緊張感の一方で、主人公の友人が登場すると時折ギャグテイストになるのがちょっと面白いな。そういう緩急も、脚本の上手いところだよね。 |
ゲット スマート |
8 |
分析能力とやる気は一流だが、どこかトボけた新人中年スパイの活躍を描くコメディ映画。 40年前に放送されていたドラマのリメイクだけど、オリジナルを知らなくても十分面白い。主人公を演じたスティーヴ・カレルがまたハマり役で、マジメな顔してトボけたことをしてくれるのが笑えますw でもキメるところはちゃんとキメるキャラクターんだよなあ。そういうところは「ジョニー・イングリッシュ」とは違うね。 ストーリーはそんなに捻りもなく、敵の黒幕が実は…という展開もベタなので驚くところはない。でも必殺技(?)の伏線がちゃんと出来ているし、笑いありアクションありでエンターテイメントコメディとしては十分楽しいかな。一部汚いシーンもあったけどむやみに下ネタに行かないのも良かった。そういえば“ツリーマン”のビル・マーレイには驚いた。手動って言ってもありゃ無いだろw 終盤は「知りすぎていた男」を思い起こさせるが、日本人からしたら「交渉人 真下正義」を思い出す方が多いかな? でも流れる第九と相まって盛り上がって良いです。 |
ゲティ家の身代金
(2017年制作) |
8 |
1973年に石油王ジャン・ポール・ゲティの孫が誘拐された実際の事件を基にしたサスペンス。犯人を名乗る人物から1700万ドルの身代金要求があったが、ジャン・ポール・ゲティは身代金の支払いを拒否する。 主人公は誘拐されたゲティ3世の母親アビゲイル。何としても息子を救いたいが、義理の父だったゲティとは過去に確執があり…という状況を冒頭でテンポよく提示する。この辺が上手いね。1970年代という時代とイタリアという舞台がオーソドックスなサスペンスの雰囲気にもマッチしているし、重厚で面白い。 しかしこの映画で最も興味深いのは“人間の代金”がもう一つのテーマになっている事だろう。冒頭、離婚協議の場で子供の親権を得るために財産分与を拒否した主人公。逆に事件が起きると身代金の援助をゲティに頼もうとするも、「払う気はない」という態度を取られる。「身内の価値は?」という難しい問題が目の前に提示されたようで面白かった。犯人と義理の父の両方と戦うことになる主人公の立場が、単純な誘拐サスペンスにもうひとひねりを与えて面白くしているのは間違いない。 まあ実際にはゲティの支払い拒否は交渉術の一つであったろうし、彼も単純な守銭奴というわけでもないのだが。それでも一筋縄ではいかない人物を貫禄たっぷりに演じたクリストファー・プラマーは、さすがのオーラだったね。もともとゲティ役にキャスティングされていたケビン・スペイシー版(セクハラ問題で降板)がどのようなものだったかは今では観ることもできないが、この映画はこれで良かったのかもしれない。 |
原子怪獣現わる
(1953年制作) |
7 |
北極の核実験によって目覚めた太古の怪獣がNYを襲う。その怪獣に対抗する人々の姿あを描いたモンスター・パニック映画。 「ゴジラ」('54)に大きく影響を与えたという本作は、確かに話の骨格がそれによく似ている。ただ、「ゴジラ」と違って“核”というテーマの重苦しさはなく、アメリカらしいモンスター映画の雰囲気と言えばそうかな。 後半までは、怪獣の目撃証言を信じてもらえない主人公が、その正しさを証明するために活動する話が続くので若干物足りない。けど、NYに上陸してからは逃げまどう人々や軍隊の対抗などモンスター・パニックらしい展開に。ストップモーションで撮影された怪獣の動きは米国特撮の神様レイ・ハリーハウゼンの演出で、彼の最初期の作品ながらさすがの完成度ですね。コニーアイランドのシーンなんて実に気合いが入ってる。 展開上、怪獣がコニーアイランドのコースターに囲まれた理由が分からないことが若干気になったけど…。まあそこはご都合主義てことで目をつぶるべきか。 |
現金に体を張れ
(1956年制作) |
8 |
刑務所から出たばかりのジョニーは、仲間を集めて競馬場の強盗を画策するクライム・サスペンス。スタンリー・キューブリック監督の初期作品です。 85分と短めの作品だけど、テンポの良い展開で"計画"〜"実行"〜"結末"が描かれるので目が離せない。序盤から強盗仲間のジョージの小者っぷりと、ジョージの妻のクソっぷり(w)が波乱の予感をかき立てます。結果的にはジョニーの妻が全部を台無しにした形だろうが、因果応報という形で収めたのはスッキリ。 スタイルとしては時間軸の繰り返しで、同時刻に何があったのかを見せる手法が取られているけど、話のテンポが良いのでクドくない。内容的にはヒッチコックがやりそうなネタだとも思ったけど、キューブリックが撮るとこういう風になるのね、というところでも興味深かった。後期の哲学性を帯びた感じはなく、単純に娯楽映画として楽しめます。 最後に現金が宙を舞うシーンはほんとに綺麗に舞っていたが、何テイク撮ったのだろう?w その場面や、序盤の暗い部屋での密談のシーン、そしてラストの2人の刑事が向かってくる姿は、その後のキューブリック作品のセンスが垣間見えますね。 |
高校野球 HIGH SCHOOL BASEBALL |
9 |
甲子園を目指す高校球児達の姿を追ったドキュメンタリー作品。 正に青春の一ページ、眩しいです。日本特有の高校野球文化というのは、米国人の目からすれば奇異に見えるかもしれないけど、この映画の描き方はちゃんと高校野球を分かって撮っているよね。下手なナレーションやBGMなど一切無く、日常の風景とインタビューで構成していくが潔くて良いです。 まず密着取材した高校が大阪の天王寺高校と、和歌山の智弁和歌山ってところがニクい。立場もスタイルも全く違う高校をクロスカットで見せるスタイルがなかなか面白い。ただ、外国人が混同せずにちゃんと分けて判断してくれるかちょっと心配になったりもしたけど、これは余計なお世話ですかな?w 結局の所、智弁も天王寺も予選で敗退してしまう。でも“甲子園を目指す”ことが彼らにとってどれだけのモノか、見事に伝わってくるし、それに挑む姿勢や想いに非常に感銘を受けました。 展開的には天高の先生がメンバー決定の時に話した“18番の話”が、(テーマ的にも)この映画のクライマックスだった気がする。時系列的に仕方ないとしても、そこが真ん中だったのは勿体ない。 |
交渉人 |
9 |
敏腕交渉人のS.L.ジャクソン演じる主人公が濡れ衣を着せられ、身の潔白を示すために人質を取りビルに立てこもる。警察の汚職を暴こうとする主人公と、それを阻止するかのように命を狙う警察。そして第三者であるK.スペイシー演じる交渉人との駆け引きが、実に手に汗を握る展開で面白い。ダレ間のないストーリーは映画としてよく練られてる。黒幕が誰かというとそんなに驚く人物ではなかったけど、ラストは「ざまあみやがれ!」という感じで俺的にはスカッとしたね。交渉人同士のやりとりの緊迫感は、やっぱりS.L.ジャクソンとK.スペイシーが見事にはまってたからやろう。交渉人としての任務を全うしようとするK.スペイシーの姿は格好よかった。こういう熱い話は大好きですw
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皇帝ペンギン |
8 |
皇帝ペンギンの繁殖の様子を通じて、過酷なペンギンたちの生態を描いたドキュメンタリー。 丸1年を通してのペンギンたちの生態を追っているだけに、その撮影は大変だっただろうと思う。よく知られたペンギンたちのユーモラスな仕草、そして想像を絶する過酷な環境を生き抜く彼らの姿は観ていて感動するね。 ドキュメンタリーなので基本的に“演出”はあり得ないのだけども、一部の挿入カット、そして擬人化したペンギンたちの言葉は少し作為的か。でもこの映画のタイトルにもある“皇帝の行進”を描く上で、単純に映像を流すだけよりは作品世界に入りやすいのかもしれないけどね。 |
高慢と偏見とゾンビ
(2016年制作) |
7 |
原作はジェーン・オースティンの小説「高慢と偏見」にゾンビ要素を加えたセス・グレアム=スミスのパロディ小説。ゾンビが蔓延る18世紀の英国を舞台に繰り広げられる「高慢と偏見」の物語を描く。 タイトルに偽りなし。間違いなく「『高慢と偏見』とゾンビ」だなw 恋愛文芸小説とゾンビという組合せのギャップからして出オチみたいなアイデアなのだけど、9割は「高慢と偏見」のストーリーを守りながらも隙間にそつなくゾンビをすべり込ませていて、「よくやるなあ…」と妙に感心してしまった。まあゾンビ映画として面白いかというと、ゴア描写や追い詰められた感じの見せ方がちょっと中途半端だと思うけどね。でも「高慢と偏見」のパロディ作品としての“存在感”は面白い。個人的にはもう少しシュールに振り切ってもいいのではと思うものの、たぶんこの映画が目指しているのはそういうコメディじゃなかったのだろう。(ハエを掴むシーンみたいなのがもっとあればなあ。) あくまで「高慢と偏見」という世界にゾンビが割り込めばこのくらい…という全体的な枠があるように見える。そこが面白みではあるのだけどねw そんなわけで話の9割が「高慢と偏見」のままなので、この映画を観るともう「高慢と偏見」を観たも同然です(暴論)。さすがに終盤はゾンビ映画寄りに寄せてはくるけど、結末はエリザベスとダーシーが結ばれてハッピーエンド。「そこも同じだったなあ」と鑑賞中に振り返りつつ「そういえば黙示録の四騎士はどこいった…?」とか思ってたら…やられた。エンドクレジット開始直後の追加カットは笑わせてもらいました。悪役に振り切らせたウィカムの設定変更は正しいな。 |
荒野の七人 |
7 |
黒澤明の「七人の侍」を元に翻案した西部劇。 ユル・ブリンナーにスティーヴ・マックィーン、ジェームズ・コバーンにチャールズ・ブロンソン…とキャストは凄く豪華。キャラクターも7人共に特徴があるし娯楽西部劇として楽しめました。子供達に好かれてしまうチャールズ・ブロンソンのシーンが個人的には良いw(結果悲劇にもなるのだけども) 特にオリジナルとは違う点では、敵方のボスの描写が多いことや、菊千代と勝四郎のキャラを混ぜてたあたりは上手く翻案していると思う。そもそも上映時間が207分という原作を128分に纏めてしまったのだから凄い。(消えたフィルムで1本取れるw) とはいえ、時間をかけて観ても「観て良かった」と思えた原作に比べると、やはり話の重厚さや演出の違いから観賞後の感覚はずいぶん違うものになるのだけども。 |
ゴースト&ダークネス
(1996年制作) |
7 |
19世紀末、縦断政策のために東アフリカで鉄道建設を進める英国。架橋の技師として現地に派遣されたパターソン大佐だったが、その現場で2頭の人食いライオンと対峙することとなる。 動物パニック映画というジャンルとしてはオーソドックスな構成で、言ってみれば“陸の「ジョーズ」”みたいな印象。内容的には「ツァボの人食いライオン」という実際にあった獣害事件を基にした話だけど映画用に色々と脚色はされていて、特にマイケル・ダグラス演じるハンターのレミントンは架空の人物となってますね。“ゴースト(幽霊)”と“ダークネス(暗黒)”というライオンの悪魔じみた行動も流石に脚色だとは思うけど、人の味を覚えた二頭のライオンが9ヶ月で数十人を食い殺したという事件は事実ということで、日本で言えば「三毛別羆事件」の様に半ば伝説化されている話ということなのかな。主役のパターソン大佐とそのレミントンとの関係性が話のベタさをより強めている部分はあるんだけど、まああくまで事実をモチーフにしたドラマだし、仲間との友情や獣との対決、そして復讐と決着にしてもベタはベタなりに楽しめる話にはなっていると思う。 作品自体は1996年のものなのでCGライオンが登場した「ジュマンジ」よりも後の作品だけど、ライオンの描写自体はCGではなく基本的に実写を使ったオーソドックスな光学合成(や人形)っぽいですね。それでもカットのテンポや接写で誤魔化すなどを使って迫力を出せているのは、そういう特撮ノウハウのたまものなのでしょう。 |
ゴースト・イン・ザ・シェル
(2017年制作) |
6 |
士郎正宗の漫画「攻殻機動隊」を原作にした押井守監督のアニメ映画「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」のハリウッド実写版。 この実写版はほぼ押井守監督の「GHOST IN THE SHELL」へのオマージュで出来ている。一部「イノセンス」や、神山健治監督の「S.A.C. 2nd GIG」の要素も取り入れているかな。そのオマージュばかり…という部分が、良くも悪くも作家性が前面に出ている他の「攻殻機動隊」とは違って個性が消えちゃっていると感じる部分。もちろん「実写版」というだけでそれが個性だという言い方もできるんだけど、再現部分が目立ちすぎて「GHOST IN THE SHELL」の再構成…悪く言えばつぎはぎな印象すらもある。 でも見た目を再現しようとはする割には、押井版でテーマの根幹だった“ゴースト”の話よりも疑似記憶と本当の記憶の方をキーにしたりしてズレもある感じ。まあ、哲学要素が強かった押井版と比べると、主人公である少佐の出自の部分を軸に据えてドラマを作ろうとしているのは、大衆向けにハリウッドナイズドされているとも言えるのかもしれないが。個人的にそこはあまり気に入らなかったかな。どちらかと言うとストーリーとしては少佐の「個」の話よりも、「SAC」の様に9課の「公」としての活躍を見たかった気はした。 それでも終盤の多脚戦車の存在感はなかなか良い。取って付けた様な登場の感じするけれど(苦笑) あとサプライズは…桃井かおりの出演ですなw ちなみに配役に関して少佐が「東洋人じゃない」という批判もあったけれど、個人的には見た目が白人(スカーレット・ヨハンソン)だろうが、そんなことはどうでもいいです。どうせ義体なんだし。まあ作中でも脳は“草薙素子”という事になっていたんだけどね。 |
ゴーストバスターズ |
8 |
もう20年も前の映画なのに、今観ても面白い。超常現象研究家の3人が、大学から追われ仕方なくお化け退治屋を始める。つーかニューヨークのど真ん中でお化け退治屋だからねえw まあ、話の流れ上、破壊神復活の前触れのためかお化けがたくさん出てきて大繁盛。その辺の話の作り方が上手い。合成見え見えのお化け達も、今のCGには無い味わいがあるわ。子供の頃に観たときは、あのお化けを捕まえる機械が欲しかったっけw ビル・マーレイの役って、超常現象研究家の割にお化けに興味が無さそうなところが良いね。ああいうシニカルな雰囲気は彼にピッタリ。しかしなんと言ってもこの映画はマシュマロマンですねえ。あれにはホント度肝抜かれますw |
ゴーストバスターズ2
(1989年制作) |
6 |
前作から5年、再び彼らのユーレイ退治を巡る騒動を描く。 前作ほどの終末感もなく、ドタバタぶりが特に面白いというわけでもない。コメディの続編なのに5年というブランクも影響があるのかな。とくに序盤の説明台詞を多用した状況説明がわざとらしく、中盤も愛嬌のあるゴーストがあまり出ない代わりに、ピーターとディナのロマンスがクローズアップ。ラスボスのビーゴも前作の破壊神に比べるとなんだかキャラが弱い。正直言って微妙かな。 スライムまみれはアメリカのお子さんが見れば楽しいのかもしれないが、個人的には今一つ乗れなかった。地下道を流れるスライムにウィンストンが落ちた時にレイとイゴンがとっさに後追いで飛び込むシーンは「こいつらの友情スゲー!」と思ったけど、後先考えてないだけか?w それはさておき、終盤のニューヨークを闊歩する自由の女神までくるとハチャメチャぶりにようやく面白く感じられてきたものの…うーん、そこくらいかなあ?まあ、前作の出演者が5年ぶりに再集結したっていう点では豪華な映画なのかも。 |
ゴーストバスターズ
(2016年制作) |
7 |
1984年に公開された「ゴーストバスターズ」のリブート作品。 幽霊退治のコメディとして、昔のノリのまま現代的にアレンジされた感じ。キャストの性別は男から女に変わっているけど、女になったからこそのネタというのはあんまり活かせてない気がするので、その辺は意味があったのかよく分からなかった。言葉や掛け合いのジョークが多いものの、正直言うとコメディとしてはテンションが空回りしてるんじゃないかと感じる様なところが多少あったり…、まあそこは趣味の問題かな。全体的には悪くはなかった。 クリス・ヘムズワースが演じるオツムの弱い受付は、脇役ながらなかなか良いキャラだと思う。終盤、敵に乗り移られてから警察や軍人を操る場面があったけど、ダンスの場面は本編からカットされてエンドクレジットに回ったのかね。確かにあの流れで入れたらちょっとテンポが狂ったかもしれないので、そうだとしたら良い判断かも。 映像は今時のVFXなので綺麗だけど、今更驚くようなものではない。その代わりに、シネスコの上下を破って飛び出してくる3D演出(FRAME BRAKER)はなかなか面白かった。特にプロトンビームの飛び出しは効果的だったし、こういうアトラクション映画には良いかもね。 リメイクだけど、オリジナルキャストがチラホラ出演しているのは楽しい。ハロルド・ライミスの胸像にもニヤリとしたが、最後にシガニー・ウィーバーまで出てくるとは思わなかったw |
ゴーストバスターズ アフターライフ
(2021年制作) |
7 |
「ゴーストバスターズ」シリーズの4作目。本作とは直接繋がらないリブート作品を挟んでいるので、物語的には3作目。ある田舎町に越してきたシングルマザーの一家。娘のフィービーは無くなった祖父が住んでいた家でゴーストトラップを発見するが…。 正直言うと話の出足は鈍いように思う。それは「ゴーストバスターズ」という名前から想像するコメディ的なノリと、序盤のやや落ち着いた感じの人間描写に対して、観ている側がギャップを感じてしまっているからかもしれない。それには状況説明のために多くの時間を使っている部分もあるのだと思うけれど、まあ“少女がゴースト退治をする動機”に説得力をもたせるために必要な時間だというのは分からなくはない。そういう意味では、ストーリー全体の背骨となる"変わり者扱いされていた祖父と少女の間にある目に見えない繋がり"を感じさせる描き方は良かった。 一方で気になるのは登場人物たちの行動の部分で、「このレベルのボロ屋はさすがに子供らはもっと抵抗感を示すだろ」とか、「先がどうなっているかも分からない納屋の地下室に、躊躇せずポールで降りるか?」とか妙な部分のリアリティに引っかかってしまった。(まあポールで降りること自体はオリジナルへのオマージュでもあるんだけど。) 最たるものはゴースト退治に挑むに至る動機がフィービー以外には明確に見いだせなかったところかな。トレヴァーとポッドキャストは百歩譲ってありだとして、トレヴァーが恋してるラッキーが普通にメンバーに加わっているのは「?」だった。 とまあ気になるところもちょっとあったのだけど、ノスタルジーを感じるガジェットの数々にはワクワクしたし、中盤のECTO-1に乗ってのゴーストとのチェイスも盛り上がった。ラストでオリジナルメンバーが集結するシーンにはほんとに胸が熱くなったしね。2014年に亡くなったハロルド・レイミスに対してシリーズとしてお別れの挨拶を捧げた作品なのだと思うと、素直に感動したのは間違いない。 |
ゴーストバスターズ フローズン・サマー
(2024年制作) |
6 |
「ゴーストバスターズ」シリーズの5作目。本作とは直接繋がらないリブート作品を挟んでいるので、物語的には4作目。ニューヨークに越してきたスペングラー一家はゴーストバスターズとしての活動を続けていた。そんな中、強力な凍結系のゴーストが封じ込められた真鍮の球がゴースト研究所に持ち込まれる。 リブートからの2作目でもある本作は、舞台をニューヨークに移して、より80年代のオリジナルの"らしさ"に近づけようという感じもする。ただ、内容的には新世代をフィーチャーしたいのか、80年代のノスタルジーを全面に出したいのか、ちょっとどっちつかずになった印象もあるかな。コメディ風であることを大事にしようという気概は感じるものの、悪く言えば子供だましのカルさで終止した感があるのも微妙なところ。 一番の難点はいくつかの場面で描かれる要素が流れの中で上手く繋がっていないところかな。中盤の物を動かすゴーストとの追いかけっこは丸々カットしても話が繋がりそうなくらいで、賑やかしの意味しかないのが気になったし、唐突に夜中に公園へチェス盤を持って出かける主人公の行動も気になるところ。今作のラスボスであるガラッカのシルエットはなかなかいい感じだけど、ラストバトルは消防署内で完結してしまう"こぢんまり"さがなんだか大物感をそいでしまう。というかガラッカが角を取り戻すくだりや消防署に来る理由の描き方が雑すぎて「なぜ?」と思ってしまった。 そんな具合に、脚本としてはなんとなくやっつけ感を感じてしまったのがもったいない感じでした。 |
ゴーストライター
(2010年制作) |
7 |
元英国首相の自叙伝のゴーストライターとして雇われた主人公。不可解な死を遂げた前任者のメモから、元首相に関する重大な秘密に気づくが…。 ロマン・ポランスキー監督はさすがに上手い。ヒッチコック映画風な巻き込まれ型のサスペンス作品としての手堅さは抜群です。ただ個人的には手堅すぎた感も少しする。話の背景や事情に納得はしても、緊張感の山場はそんなになかったんだよなあ…。ずっと続く曇り空とか、作品全体での不安的な画のトーンを貫いているところとか、良い雰囲気だとは思うのだけれど。ネタ的には良かった。英国が米国の飼い犬と化していたことに対するフィクションとしての回答だよね。政治的なサスペンスとして考えれば、これを知った奴は消されても仕方がないと思わせられる。 主人公役はユアン・マクレガー。自ら「ゴーストです」と名乗る以外に名前は分からない男だが、彼の会話の端々にある英国的(?)なユーモアには思わずクスッとする。サスペンス映画であっても、そういったユーモアセンスがあるのもヒッチコック風なところだろうか。逆に元英国首相役はピアーズ・ブロスナン。未だに007のイメージが強すぎるけれど、神経質さを上手いこと演じていてハマっていたかと。 |
コーダ あいのうた
(2021年制作) |
9 |
コーダ(聴覚障害者の両親をもつ子供)である主人公の少女・ルビーは、漁業を営む家族の中で唯一の健聴者として家業を手伝いながらハイスクールに通っていた。ある日、所属する合唱クラブの顧問から歌の才能を認められ、音楽大学への進学を勧められるが…。 一人の少女とその家族の物語として、とても心があたたまる話だった。“家の都合で自分の夢を諦めなくてはならない”という状況と、“親が子の才能を認めて応援する側に回る”という展開は、ある種ベタというか王道的な展開とも言えるけれど、そこまでの話の積み重ねがしっかりしているので後半にはすっかり感情移入してしまい、ラストはかなりジーンときてしまった。 主人公の“負い目”(家族のことで周囲から心無いからかいを受けること)と、家族を助けなければ家業の継続もハードルが上がることと、子供の夢である“歌”というものへの実感が健聴者のそれとは違うという親の感覚と、それらが「コーダ」というテーマに集約されているのはとても見事だったな。話の背骨にゆらぎがないことは、この話のまとまりを確固としたものにしていると思う。終盤、娘は紆余曲折を経て最後には夢よりも家族を選んだ。しかし兄は「家族の犠牲になるな」と怒り、父は娘の歌が人々の心を動かしているということを知り、そして母は娘の旅立ちのために自分の気持ちに区切りをつけた。俺は家族愛の話に弱いので、ほんとにこういうのにはやられてしまいますわ。あとV先生は本当に良い人だったなあ。 この作品はフランス映画の「エール」のリメイクだけど、未見だったので本作をニュートラルな気持ちで観ることが出来たと思う。オリジナルの方も観たくなりましたね。 |
コードネーム U.N.C.L.E.
(2015年制作) |
6 |
60年代にTVドラマ「0011 ナポレオン・ソロ」のリメイク作品。 映像的に小洒落た感じはガイ・リッチー作品だなーという匂いが良く出ているけれど、「シャーロック・ホームズ」の特殊能力の様に場面のプレイバックを使った演出はこの映画だとちょっとクドいというか…。あまりにも直後に「実はこうだった」の体でプレイバックされるもんだから、そんな短時間なら素直に見せてくれよ、とも。監督の「スタイリッシュだろ?」と言わんばかりの演出が逆に鼻につく。逃走中の主人公がトラックでゆっくりサンドイッチを食べてる向こうで相棒がボートで必死に逃げていたり、主演2人の会話の背景で電気椅子に座った敵が焼けたり、ギャップによる笑いを狙っているのも分かるけど、分かるだけで個人的にはあんまり笑えなかった。 スタイリッシュコメディを目指したのかもしれないけど、それにしたって少しは緊張感が欲しいが、この映画にはほとんどそれが無いというか。冒頭の追いかけっこで、ロープの脱出で追いつかれそうなところをトラックのバックで回避するところなど、まだ良かったんだけどなあ。アメリカとソ連のスパイという、本来水と油である主人公二人の丁々発止の掛け合いが狙いなのかもしれないが、個人的にはもう少し緊張感の中にあるニヒリズムみたいなものを求めてしまっていたのかもしれない。そういう意味で少し期待とズレがあったかもね。 |
ゴーン・ガール
(2014年制作) |
9 |
突然失踪した主人公の妻と、その真相を描いたデヴィッド・フィンチャー監督のサスペンス作品。 こうも観ている間に印象の変わる映画も珍しい。こういった話はフィンチャー監督お手の物…といった感じで進行する序盤は、ベン・アフレック演じる夫が主人公のよくあるサスペンス(「逃亡者」的な?)かと思って観ていたのだけれど。その後どうもロザムンド・パイク演じる妻の日記がミスリードに感じてられからは、ミステリーになのかと思わせて…中盤でいきなりのネタバレへ。これでどう引っ張って風呂敷をたたむのかと思ったら、すると今度は妻の謀略を描いたスリラーへ変貌。それが色んな意味で怖い!w なんてこったw
こうした印象の相転移を使った話は映画を観た時の満足度に直結するよね。同じ夫の主観映像を使いながらも、映画の冒頭と結末で全く異なる印象を与えるあのラストカットはまさに完璧(アメイジング)! これが演出の上手さってやつでしょうな。 言ってみれば、女性は想像以上にしたたかであり、夫は妻の考えていることなんて分からないという事の怖さを映画にした話。でもそのパーソナルな問題とは裏腹に、話のベースとして誘拐やDVといった社会問題を上手く組み込んだことで、見事に引き込まれる作品に仕上がっているよね。劇中で流れるTVニュースのいい加減な報道は、大衆迎合や「女性=弱者」という印象報道に対する毒気や当てつけとも取れて、思わずニヤリとするところです。 |
ゴーン・ベイビー・ゴーン
(2007年制作) |
8 |
デニス・レヘインの「愛しき者はすべて去りゆく」を原作にしたサスペンスドラマ。監督は今作が第一回作品となるベン・アフレック。 少女誘拐事件を追ったサスペンスとして幕が上がるストーリーは、思わず考えさせられる巧みな後半の展開で、非常に見応えのあるドラマに仕上がってました。ラストのやるせなさと言ったら、まるでイーストウッドの「ミスティック・リバー」。ちなみに原作者は同じ人です。 それにしても監督がベン・アフレックというのは…、どうもアイドル的二枚目スターの印象が強かったせいか、どうも色眼鏡をかけて観てしまいがち。だけど、この作品は確かに良くできている。決して派手な作品ではないけど終盤にはすっかり話に引き込まれているのだから。 配役としては、演技派のエド・ハリスとモーガン・フリーマンが重要なポジションにいるために、ある程度ストーリーの読みが利いてしまう結果に。それでも終盤の展開の説得力は、彼らをそこに配した事による効果ではあるね。あの状況での正しい行いとは何なのか、難しい命題を突きつけてくる秀作でした。 |
哭声/コクソン
(2016年制作) |
8 |
ある村で次々と殺人や不審死が発生し始める。村の中では「ある日本人が来てから起こり始めた…」といううわさが流れるが…。 國村隼が謎の日本人役で出演したことで話題になった韓国映画だが、褌一丁でシカの肉を食ったり滝に打たれたり血まみれになったりと、その怪演ぶりに目が行きがちw 何を信じるのか。噂?呪い?祈祷? 「謎の日本人とは何者?」…というのがまさに観客にとって悪魔の垂らした釣り餌だろうか。何もかもを意図的に疑わしくボカして描いているので、まんまと監督の術中にハマってしまうが、観ていれば観ているなりの解釈はできるようにはなっている。ただ、それが正解かというのは明確にはならない。人間は自分が信じたいものしか信じないわけで、疑念と願望をビジュアル化した作品だね。(話の背景で起きている毒キノコ健康食品の被害(幻覚?)が、真実をより曖昧にさせているね。) キリスト教的な要素や、土着信仰的な要素もあるけど、狐憑きや悪霊的な存在のイメージは万国共通な感じ? まあ韓国風エクソシストと言えばそうかもしれないけど、安直な悪魔払いの映画より一段深いのは、やはり韓国の村に現れた謎の日本人という異物の存在。先にも書いた通り「あいつが悪魔だ」という願望に食らいつかせるための餌であり、もしかすると本当に祈祷師なのかもしれない(謎の女が悪魔かもしれない)という疑念への引き金にもなっている。ラストで日本人はまさに悪魔的な見た目に変貌するけども、彼自身は「私は悪魔だ」とは言わない。洞窟に訪れた助祭の心の内を看破しているが、日本人の見た目が悪魔に見えるのは助祭の主観という事なのだと思った。助祭は疑っている、というか彼を悪魔だとそう信じている。面白いのはそれがキリスト教の助祭という事だよね。日本人は本当に村を救いに来たのかもしれない。それはハッキリしないけれど、ユダヤ教にとってのイエスと同じく、彼はその世界に現れた疑わしき異物なのだろう。助祭は噂を受け入れ信じている。他方、司祭が噂を信じず主人公の訴えに一顧だにしなかったのとは対照的だ。 悪魔は餌を垂らすだけ、人間が勝手に食らいつく。人間の心の弱さを描くのにこういう表現もあるんだな、と面白く観た。 |
告発のとき |
8 |
イラク戦争から帰還した息子が失踪、殺害された。その事件の真相を求め、地道な調査を始めた元MPの主人公の姿を描いた社会派ドラマ。 現代において戦争が非人道的であることは明白であるけど、その異常な状況で如何に若者が蝕まれていったかを鋭くえぐったストーリーは、非常に深く考えさせられたね。折り目正しい軍人だった主人公の信じる規範は、今の時代には通じない。その悲哀は同年に公開された「ノーカントリー」にも通じるものがあると思う。 同じく主人公を演じたトミー・リー・ジョーンズがまた素晴らしい。真相が明らかになるにつれて、信じているものが失われているという事実は辛いですが…。妻を演じるスーザン・サランドン、女刑事のシャーリーズ・セロンも確かな演技が良い。 上下反転させた国旗はSOSの印なのだという。(旗のくだりは前半での振りがワザとらしくてちょっと好きではないが)それを使ったエピローグは、主人公の絶望感と共に今のアメリカを象徴するものとしてすごく印象に残った。けっして楽しい作品ではないけど、現実の一端を知るという意味で良い作品だと思います。 |
國民の創生
(1915年制作) |
8 |
“映画の父”D・W・グリフィスが、南北戦争とその後に結成されたKKKを描いた2時間半の超大作。 突撃する兵隊や馬と共に移動するカメラ、効果的なクロスカット、ダイナミックな“劇映画”としての体裁がすでに完成されていることにまず驚かされた。リンカーン暗殺や当時の議会などの再現のこだわりや、ロングで捉えた南北戦争の戦闘シーンなどは当時の資料映像のようでもあるし、その当時的なリアリティを画面から感じることが出来る。一部で二重露光によるちゃちな合成はあるけれど、むしろ微笑ましいw ストーリー的は二部構成になっていて、南北の恋人一家がそれぞれの勢力として戦うことになる第一部、そして解放奴隷に対抗するためにKKKが結成される経緯を描いた第二部となっている。ハッキリ言って物語的には序盤が退屈。設定の説明が終わるまではいかにも古くさい映画なのだけど、第二部になり物語が転がり出すと盛り上がってくる。これは前述の演出によるところも大きいけども、「黒人政治家と解放奴隷たちの横暴に虐げられる南部白人」という図式がステロタイプな善悪論の物語として上手く機能しているからだろう。 しかし、単純に「権力を得た黒人は敵だ」とする物語は、今日的には問題が多いと思う。確かに南部白人側からの一方的な目線で語られていて、KKKは“無知で暴力的な黒人”から“白人”を守る“正義の味方”として描かれる。クライマックスの白人の窮地に駆けつけるKKKなんてのはまさにヒーローそのものだよね。ただ、南北戦争から50年という時代にあって、当時の南部白人の空気感というものがどうであったのか。良きにつれ悪しきにつれ、それがこの“シャシン”には焼き付いている、と俺は思うのです。 |
GODZILLA ゴジラ
(1998年制作) |
8 |
巨大生物がニューヨークに上陸し暴れまわる姿を描いたハリウッド版“ゴジラ”。 日本のフィルムを流用した作品を除けば、初のハリウッド映画としての「ゴジラ」だが、その容姿や生物としての生態、そして人間の兵器で駆除されるという結末から「こんなのゴジラじゃない!」という批判も多いのは事実。確かにこの映画の“ゴジラ”は、「怪獣」という概念から想像する人知を超えた存在とは違って、どちらかというとただの巨大生物でしかない感じなのは間違いない。でも個人的には結構好きな作品なんだよね。モンスター・パニック映画としては十分に面白い内容だし、何より人間目線からの煽りのアングルで映し出したゴジラの巨大感は、当時のゴジラ映画と比較にならないほどの迫力があって興奮したもんですよ。 作品的には確かに東宝から権利を取って作られた“ゴジラ映画”なんだけど、内容的には「原子怪獣現る」に近い。というかタイトルが「GODZILLA」じゃなければ普通に「原子怪獣現る」のリメイクだと思ってしまいそう(苦笑) 後半のマジソン・スクエア・ガーデンの場面なんて「ジュラシック・パーク」の亜流みたいになっちゃってる部分もあるし、確かにこれで「ゴジラ」だと言われると違和感のある人がいるのは理解する。核実験に対する言及も、そもそも米国の実験じゃなくてフランスの実験にしてしまっているところが米国作品としては言い訳臭い感じはするかな。 でも当時の米国にあって核兵器を否定的に描くのには限界があるだろうし、それならいっそエンタメに振り切った内容としてこういうのもありだと俺は思っとります。学者や軍人、マスコミなどの割と型にはまった登場人物が右往左往する様子を軽いノリで描いているのは分かりやすいし、好意的に見れば「昭和ゴジラもこんな感じじゃん」と思う部分はあるしね。 |
GODZILLA ゴジラ
(2014年制作) |
8 |
怪獣王"ゴジラ"のハリウッドで2回目のリメイク作品。永い眠りから目覚めた怪獣ムートーとゴジラの闘いを、一兵士の目線から描く。 '98年版の「GODZILLA」も嫌いではないけれど、あれは「ゴジラ」の基になった「原子怪獸現る」に近いものであって、怪獣というよりはモンスター・パニック映画だった。本作はその点で観客が"怪獣"に求めるもの…、大自然の脅威のような、人類には対抗しえないと思わせる圧倒的な存在感を身にまとわせていて、実にすばらしい。 ストーリーとしては怪獣バトルに翻弄される人類という流れがメインで、福島の原発事故や震災の津波を想起させる描写はあるものの、オリジナル1作目の持つ反核・反戦といったメッセージ性は弱め。とはいえそれでも核の存在を話の軸にしているところは、エンターテイメント性を保ちながらもオリジナルの重いテーマをリスペクトしてくれたのだと感じる部分かな。ただ、ムートーが"人類の脅威"である一方、ゴジラがその天敵として"調和を保つ者"になり、その結果ゴジラが人類を救うという構図は、どちらかと言えば「ゴジラ」シリーズよりも平成「ガメラ」シリーズを連想してしまう。ムートーのデザインがどことなくギャオスに近いのは偶然…? そういう意味で「平成ガメラの様なゴジラ」かもしれないが、そこは怪獣映画の持つエッセンスの詰まった作品だということだろう。そこに映る存在感は確かにゴジラそのものであり、圧倒的な咆哮の迫力には感涙しそうになった。渡辺謙演じる芹沢博士が言う、"We call him ゴジラ"。そう、これはゴジラだ。 |
ゴジラ キング・オブ・モンスターズ
(2019年制作) |
9 |
2014年に公開されたハリウッド版ゴジラの続編。怪獣とのコンタクトを可能にする装置"オルカ"が環境テロリストに奪われた。テロリストは南極で氷漬けとなっていた三つ首の怪獣“ギドラ”を復活させるが…。 ハリウッドが本気を出して昭和ゴジラや平成ゴジラをリメイクするとこんな風になる、といった夢想を実現してくれた作品か。無印「ゴジラ」のシリアスなテーマとは違う、いわゆる“怪獣プロレス”の大バトルを圧倒的物量のVFXで見せつけてきやがる。戦闘機を引き連れてキングギドラと戦うために表れたゴジラのカットの格好良さったらない。最高だよ、これは。 前作のギャレス版ゴジラは内容的には「平成ガメラ」に近い印象だったけど、環境問題を取り上げこそすれ、本作は過去の東宝ゴジラに対するオマージュに溢れた小ネタの数々が楽しい。対怪獣組織であるモナークの空想科学的な要素、そして何より怪獣のキャラクター付けが実に上手いなあ。ゴジラもモスラもラドンも彼らそのもののキャラクター性だったし、そして何よりキングギドラがちゃんと"宇宙怪獣"だった。監督は実に分かっている人だw エンドクレジットに並ぶ4怪獣の名前と"himself"の文字に作り手の敬意をとても感じる。 ストーリーは怪獣バトルを見せるための繋ぎでしかないと言えなくもないけど、ある意味で薄っぺらい悪役側の論理がそういった“昭和ゴジラ”っぽい雰囲気を補強しているような気はする。それにしても前作から出ていたグレアム博士と芹沢博士は死んじゃったなあ。芹沢博士は見せ場たっぷりだったけど、グレアム博士の退場は唐突で驚いたわ。ちなみに芹沢博士は54年版の様にゴジラを倒しに行くのではなく、ゴジラを起こしに決死行に向かうというのが何とも感慨深い。しかも核爆弾を起動させるためとは皮肉なもんだが…。まあそこは米国映画だしってことで。そういやモスラがいるなら小美人は?と思って観ていたら、小美人ではないけど双子要素は出てきてたね。 それにしてもついにハリウッド版ゴジラで伊福部昭のあのテーマ曲が流れたじゃないですか。本当、これには身震いしましたぜ!(「レディ・プレイヤー1」でもメカゴジラのシーンでアレンジ版は使われたけど、あれは別枠。) |
ゴジラvsコング
(2021年制作) |
8 |
モナークの前進基地によって隔離されていたコングだったが、人間側の思惑によって南極に移送されることになる。そこへゴジラが襲撃してくるが…。 “モンスターバース”シリーズとしてはかなり早い時期からハリウッド版ゴジラとリメイクのキングコングが再び対決する流れになることは明言されていたけど、大きさや時代設定の違いをどう組み合わせて収拾するんだろうか…?という疑問が強かったんだよね。でもふたを開けてみるとそんな心配など吹き飛んでしまいました。「細けえことはいいんだよ!」と言わんばかりの圧倒的迫力で魅せる大怪獣バトルにもう総毛立ちですよw 怪獣同士の対決は今までも多く描かれているわけだし、見せ方のバリエーションも出尽くしているかと思い込んでいたんだけど…ここにきてこれまでとも一線を画すカメラワークを観ることになるとは。ほんと、ぐるっぐるにカメラが回るやんw 体に対してカメラ位置を固定することで背景世界の方を回す見せ方は人間のアクションでこそ見ることはあったけど、これを怪獣映画でやることで重厚感とスピード感を両立してここまでの迫力にしてしまうとは想像もしてなかったなあ。あと怪獣の周囲を“航空機目線”でなめるように移動させる主観映像がもはやアトラクションのそれだよね。もう映画を観てるのか遊園地に来てるのか分からん位の体験でしたわw そんな具合にあまりに怪獣バトルの迫力が素晴らしいので、人間ドラマの方の身もふたもない薄い内容なんてもう記憶に残っておりません(苦笑) もはや人間には怪獣を戦わせるための舞台を用意するためだけの役割しかないと言っても過言ではない気がする。そういう意味では前作と比較するとかなり陳腐化したマディソンのキャラクター性や、存在意義が不明な芹沢の息子の登場など首をかしげたくなる部分もあるんだけどね。 2大キャラクターの勝負…、いわゆる「vs」ものとしては“さらなる敵が現れて、最後は共闘する”というお約束に落ち着いている部分はあった。でもその“さらなる敵”がメカゴジラってところは良いと思う。本作のメカゴジラはほんとにめっちゃ強いし! というかこいつって外装はゴジラの形だけど素性(中身)としてはギドラみたいなもんなんだよな。前作のラストで千切れたギドラの首が水揚げされたときは「今後メカキングギドラが出てくる線もあるのか?」と期待したけど、まさかメカゴジラになって出てくるとはw 流れ上、個々には勝敗がつきつつも、最終的にはゴジラもコングも立てる形で終劇という両者のファンとしも納得の出来栄えでした。楽しかった。 |
ゴジラ×コング 新たなる帝国
(2024年制作) |
7 |
地底世界で暮らしていたコングだったが、未知の地底空間で彼の同族に遭遇する。一方地上ではゴジラが何かを察知し行動を開始したのであった。 “モンスターバース”シリーズ5作目となる「ゴジラvsコング」の直接の続編。怪獣の擬人化が進み、かつての昭和ゴジラにあった「吹き出しで会話するゴジラとアンギラス」を連想するようなレベルにまで至っている。完全にヒーロ怪獣バトルものなので、シリアスでリアルなモンスター映画を期待するとその真逆のベクトルに好みも分かれそうだけど、個人的には昭和版のテイストを汲んだ「これもまたゴジラ映画」として楽しめた部分はあるかな。 しかしストーリーは中盤がやや遠回りというか尺稼ぎをしているしている感じもして、そのあたりはいまいち。怪獣バトルがてんこ盛りという意味でのサービス精神はいいのだけど、コングの旅やゴジラの移動などはもう少しカットできたような気もする。特にゴジラがエネルギーを蓄えるためにティアマットを倒すあたりなんて、「ティアマットは何も悪いことしてないやん」と"やられるためだけに出てきた"怪獣がなんだか可哀想な気さえしてしまった(苦笑) あと本作はモスラが出てくるんだけど、登場シーンくらいはモスラのテーマ曲を使ってほしかったというのが正直なところ。 VFXはさすがのハリウッドクオリティ。ただコングの暴れる場面はほぼ地底世界なので、巨大感を得るための対比物の大きさがいまいちわかりにくいのがもったいない。そういう意味ではラストのリオデジャネイロのバトルは街中だったし、しかも日中のバトルだったのでその巨大さも含めて大いに迫力がありました。 本作の敵はスカーキングというコングの同族。こいつも擬人化が進んでいて“ベタな悪役”といった行動が目立つんだけど、ゴジラとコングの相手というにはちょっと物足りない感じもするかな?そういう意味ではスカーキングが操る氷結怪獣シーモとの組み合わせでゴジラ・コング組とバランスを取ってはいるんだけど、ここは前作のメカゴジラの様にもう一つパンチのある敵が出てきても良かった気はしますね。 半年前に公開された邦画の「ゴジラ -1.0」のシリアスさとは真逆のベクトルを持つ作品ではあったけど、これもまたひとつの「ゴジラ」として受け取れるキャラクターの懐の広さを実感させられました。 |
ゴッドファーザー
(1972年制作) |
9 |
1945年のNY。イタリア系マフィアのドン、ヴィトー・コルレオーネは威厳と尊厳を持って組織を束ねていた。ある時、持ちかけられた麻薬密売の話を断ったことからヴィトーが何者かに襲撃されてしまう。 2人のドンについての重厚なドラマ。一人は一代で組織を築いたヴィトー・コルレオーネ。そしてもう一人はその末息子で父の跡を継ぐマイケルだ。威厳と貫禄のあるヴィトーが引退して老いていく姿と裏腹に、跡を継いだマイケルがその以前と以降で冷徹さに磨きがかかっていく様子がすごい。ヴィトーを演じるマーロン・ブランドも、マイケルを演じるアル・パチーノの演技も両者ともに一級品だが、その顔つきの変化は劇中での月日の経過を感じさせるものになっている。 冒頭の披露宴の場面でイタリア系「ファミリー」の雰囲気とヴィトーの“力”や“義理人情”のある人となりを一気に見せつけるけれど、それがあるからこそヴィトーというキャラクターの魅力が増しているのは確か。3時間という長い映画ではあるけれど、マフィアの長としてはヴィトーの貫禄に及ばない短絡的な長兄・ソニーの顛末や、跡取りとしての運命を自覚して行動に移していくマイケルの変化がドラマとして実に見事で引き込まれる。マイケルがレストランで二人を射殺するシーンは運命の転換点としてもこの映画の白眉だけれど、個人的にはエンディングの方もかなり印象に残る。 映画のラストで義兄のカルロを殺したのかと妻に問われ否定するマイケル。彼の妻・ケイはそもそも堅気の人である。その妻にマイケルは嘘を言った。これは完全に堅気の世界との決別であり、その妻との間の扉が閉まることはすなわちマイケルがあちらの世界の人間として完成した証でもある。 |
ゴッドファーザー PARTU
(1974年制作) |
9 |
ヴィトー・コルレオーネの跡を継いだ前作から数年後のマイケル・コルレオーネと、若き日のヴィトーの姿を描いたシリーズ第2作。 シチリアで全てを失い9歳で渡米したヴィトーと、組織を纏めることに腐心するマイケルの姿を対比的に描いた構成が見事。家族を得て、仲間を得て、街のドンとして名をあげていくヴィトーとは裏腹に、マイケルは“ファミリーのドン”としての行動によって敵どころか身内をも失っていく。親子の運命のすれ違いとでもいうか、ラストの“誕生会”のシーンに集約されたヴィトーが得たものとマイケルが失うものの象徴的なシーンは、直前で描かれるフレドの粛清とも相まって鮮烈な印象を残すなあ。 作品的には多少の歴史的背景も知っておいたほうがいい場面があるだろうか。移民として米国に渡るヴィトーが最初に訪れるエリス島は1950年代まで米国の移民局があった島で、20世紀初頭の移民にとっては象徴的な場所。マイケルが“実業家”として会合に出席しているハバナは革命直前のキューバで、劇中でまさに革命が起きて脱出するシーンが描かれる。特に解説じみた描写がないのはそれらが米国人にとっては常識だからかな。そういう意味では流産したと思われていたケイが、実は「マイケルの子を生むことに耐えられず堕胎した」と告白するシーンも、カトリックにとって堕胎がどれほどの罪であるかを理解しているか否かで印象が変わるだろう。あれはマイケルにとって強烈な自己の否定を浴びせられたシーンだ。 ファミリーのドンとして振る舞えば振る舞うほど、組織を維持しようと行動すればするほど周りから人を失っていくマイケル。妹のコニーから看破された「あなたはパパのようにつよくしていただけ」というのはその通りなのだと思う。ヴィトーの人生を目にしたからこそ、マイケルの姿に言いしれぬ虚しさがこみ上げる。 |
ゴッドファーザー PARTV
(1990年制作) |
7 |
前作から時が経ち、事業家としてバチカンから叙勲されるまでになったマイケルは、それを期に非合法なビジネスからの決別を決意する。しかしバチカン銀行との関係に端を発して思わぬ方向に事態が動き出していく。 全2作の重厚さに比べるとアク抜きされた“普通の映画”という印象。「ゴッドファーザー」なのか「バチカンの金融疑獄に対する批判映画」なのかフラフラしている感じもするが、全体的には前作で頂点に達したマイケルの孤独に対する人生の後悔と懺悔を描いた話になっている。マイケルの溺愛する娘・メアリーが目立つ役どころで出てくるけれど、どう見ても死亡フラグが立ちまくっているので正直言ってラストの銃撃の結果は予想の範疇に収まってしまったかもしれない。自らのビジネスの結果として家族を失ってしまうというマイケルの“業”から逃れられなかったマイケルという男の悲劇の物語だよね。でも個人的にはこのシリーズで一番不幸なのはケイだと思うのです。 新キャラのヴィンセント・マンシーニはマイケルの死んだ兄・ソニーの息子。アンディ・ガルシアはオーラがあって良いね。冒頭は明らかにチンピラ風だったけど、終盤では組織の3代目のドンに上り詰める。ただ、このあたりの経緯はやや描写が薄かったというか、ドンになるまでにもう一つパンチの効いたエピソードが欲しかったかもしれない。そういう意味でも1作目のマイケルがドンを継いでいく様子に比べたら物足りない。 逆にNYでの会合がヘリから銃撃されるシーンはちょっとやりすぎた感じもしてそのあたりのバランスが気になるところ。このシリーズにそういう派手な場面は求めていなかったというのもあるしね。どちらかと言えば終盤のオペラのシーンの様に、何かの裏で事が動くという展開の方が合っているとは思う。ただオペラのシーン自体も暗殺者の行動がやや冗長で、一応「凄腕」という設定らしいけどどうもスマートさに欠けるのでちょっと緊張感が乏しい。劇場での襲撃ならヒッチコックの「知り過ぎていた男」くらいの緊張感は欲しかったかも。 |
ゴッドファーザー<最終章> マイケル・コルレオーネの最期
(2020年制作) |
8 |
1990年公開された「PARTV」を、公開30周年となる2020年に再構成した最終バージョン。 「PARTV」からはオープニングとエンディングの流れが変更されている他、一部ではカットがよりテンポ良くなっているシーンもある。特にオープニングはいきなりバチカン銀行総裁であるギルディ大司教の“相談”のシーンになっていたけど、作品として背景にあった金融スキャンダルという背骨がより強く通った感じがしたので、これは上手い再構成だなと思った。そしてエンディングではマイケルの直接的な絶命を描写しなくなったことで、身内の死を背負い続けて生きる姿が強調されている印象。マイケルという人の死というよりは、組織のドンとして死んだ瞬間、「メアリーの死」という顛末に向かっていったマイケルの業として分かりやすくなった感じがする。 それ以外の部分で話の内容が変わることではないので、ヴィンセントに抱く印象や「凄腕」かどうか微妙な暗殺者の様子なども「PARTV」とはあまり変わらないものの、それでも再編集でいくつかのシーンのカットを詰めていたりして、以前はややクドく感じていた部分などが気にならない感じのテンポになっていたのは悪くない。他にも後のシーンを見ればその前のやり取りが察せられるシーンは多少カットされていた気がする。 ラストにマイケルが事切れるか否かで、「PARTTのヴィトー」との対比とするか「PARTUから続く業」とするかの印象が大きく変わってくるのだけれど、そういう意味では映画の持つ「編集」の存在感を認識させられる作品でもある。 |
この茫漠たる荒野で
(2020年制作) |
8 |
1870年、町を渡り歩いて新聞を読み聞かせる仕事をしていた退役軍人のキッドは、ある日襲撃された荷馬車のそばで先住民の衣装を身に着けた少女と出会う。 ジャンルとしては西部劇。でもアクションではなく人間ドラマ。少女と初老の男が旅を通じて疑似親子的な絆を結んでいくという話は割とありふれたものなんだけど、演出と演技によってとても味わい深いドラマとして伝わってくる。ちょっとした気づきや心情の変化があちこちに描かれるものの、殊更に台詞や音楽で説明するのではなくて、まさに演出と演技でそういった心の内を伝えてくる見せ方が素晴らしい。“姿が見えた瞬間に良い人だとわかる”トム・ハンクスのキャラクター性も効いているよなあ。彼ってだけで、この主人公がどんな人間性かの説明の半分を省略出来るのだからw 監督はポール・グリーングラス。グリーングラス作品と聞くと、ドキュメンタリータッチの緊張感あふれる演出やスピード感のあるアクションを思い浮かべるけど、本作はそのあたりを抑えた手堅いドラマ演出だった印象。西部劇的な銃撃戦も中盤で少しあるものの、スピード感のあるアクションというよりは地に足ついたトーンで、本作の作風としてハッキリとした統一感を優先している感じかな。そういう意味ではグリーングラス作品っぽくないとも思ったけど、ドラマとしてはとても丁寧で手堅く、予定調和な展開すらも心地いい。 個人的には砂嵐の場面で、カイオワ族から馬を譲られるシーンがとてもグッと来た。立ち去るかもしれない少女を眺める主人公の心情と、戻ってきた少女の心情と、カイオワ族の…あれはきっと感謝なのだろう、それを台詞なしで一気に見せ切っている。 |
(500)日のサマー
(2009年制作) |
9 |
運命の出会いを感じ、職場の入社してきたサマーという女性に恋をする主人公・トムの姿を描いたドラマ。 あまったるい恋愛ドラマではなく、基本的に失恋ドラマだが、恋に落ちている男の気分を事象として上手く表現していて面白い。トムの浮かれ気分がミュージカルの様になったり、窓に映る自分の姿がハリドン・フォード(!)だったりw 一方沈んだときはで灰色の世界になったりもする。理想と現実の対比の場面は特に秀逸。そういう気分は…共感する部分も色々あるなあ。 一方のサマーは、やはり感情移入の対象ではないよね。ドライな恋愛観という主人公との対立軸であって、最後まで同じ地平に立つことのない男女の象徴的な存在。それぞれの最終的な結論としてサマーが運命論者になり、そしてトムが意思論に達し、序盤と入れ替わってしまうあたりがまた皮肉。 ストーリーは時系列に並んでいないけれど、出来事を対比するという部分で整理されているので混乱はしない。それがいつ頃だったのかを示す日数のカウントが表示されているからということもあるけど、どちらかというと過去への未練をイメージする数字だったそのカウントが、エンディングではリセットひとつでイメージが逆転してニヤッとした。 |
コマンダンテ |
7 |
オリヴァー・ストーン監督が2002年にキューバのカストロ議長に3日間の密着インタビューを敢行した記録映画。 米国メディアが唱える“カストロ=敵”というイメージとはまた違う、カストロ議長の一側面が見られる興味深い作品だと思う。オリヴァー・ストーンの少々意地悪な質問にも得意の話術で逸らしたり上手い返しをしたり、撮影当時76歳のカストロ議長の衰えぬ頭の回転の速さに“革命の英雄”“カリスマ性”の何かを見た気もした。 フルシチョフやゴルバチョフの話や、ゲバラの話、キューバ危機の話など、キューバに関わる歴史に興味がある人は面白く見られるんじゃないかな? まあカストロ議長が語る以上、内容にもその“立場”というものが反映しているだろうけど、西側からの偏った解釈だけでない見方を当人から聞けるのは資料的価値もあるだろう。 政治的な話だけでなく、「『タイタニック』はスペクタクルとしては良い。大画面で見るべきだ。」とか「健康法は…」とかそういう一面も面白いね。しかしラスト、空港までスタッフを見送りに出るとは…。 独裁者のイメージ操作のためだけとも思えない、カストロ議長という人の大きさを感じるところでもあります。 |
今宵、フィッツジェラルド劇場で |
8 |
取り壊しの決まった劇場で、30数年続いたラジオのライブショー最後の舞台を描いた群像劇。 名匠ロバート・アルトマン監督の遺作ですが、恥ずかしながらアルトマンの作品はこの映画が初めてです。全編に流れるカントリーやウェスタンの楽曲が小気味良く楽しいけれど、“死”という作品のテーマを画面の背後に感じてしまう、何とも不思議な感覚の作品でした。 通常、死とは悲劇であるのだけど、この映画では「老人の死は悲劇ではない」と語りかける。この作品が遺作だと思えば思うほど、まるで監督自身が観客に語りかけるようじゃないか! 舞台仲間の死を知った演者達は、舞台裏で哀しみこそすれ最後の時間まで番組を続ける。やたらとウェットになることのない陽の雰囲気を保った劇進行に監督の死生観を感じつつ、非常に好感を持ちました。 登場人物は様々ながら、実際のラジオ番組にも登場するキャラクターが生かされていて面白い。私生活でお騒がせのリンジー・ローハンも良い役ですね。 |
コラテラル |
8 |
正直、最近のセルフ・プロモーション的なトム・クルーズの映画はちょっと鼻についてたんだけど、この映画は良かった。確かに良い役には違わないけど、彼をこんな風にカッコイイ悪役にするとは、さすが男のドラマを撮らせたら一級品のマイケル・マン監督ですな。冷徹な殺し屋と、巻き添えを食って運転する羽目になったタクシーの運転手。互いに少しずつ変化する心情を見事に描いているね。特に被害者であるはずの運転手が、殺し屋からある種の勇気をもらっている。この構図は面白い。殺し屋も冷徹ではあるけど、台詞の端々にかなりのインテリぶりを感じられる。彼が世の中に対して冷めてしまったのはその知識のせいなのかもな…。しかし、キーになりそうな人物があっさり殺されたのは驚いた。「逃亡者」でいうジェラードのような扱いになるとばかり…意外だw |
コララインとボタンの魔女 3D
(2009年制作) |
8 |
おてんば少女・コララインが、もう一つの世界での楽しい体験と魔女との対決を描いたファンタジー作品。 「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」を取った監督の作品だけあって、本作でもストップモーション映画とファンタジーとの親和性を上手く生かした見事な作品に仕上がってます。そして驚かされるのが、キャラクター達の表情の豊かさ。CGじゃないかと思わんばかりの多彩な顔の動きは、思わず人形であることを忘れてしまいそうになるくらい。 ストーリーは、現実の世界で親に不満を持っていた少女が、冒険をすることで親に会いたいと思う…、と絵本的な流れとしては結構ベタ。しかし、どことなく「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」に通じるデザインや、ダークでホラーな雰囲気はこの映画の魅力を増幅させてる。小さい子供が観るにはちょっと怖い映画かもしれないけど、生き生きと描かれるコララインの勝ち気さや前向きさには感情移入できるし、魔女との対決でも思わず応援してしまうね。 |
殺しのドレス
(1980年制作) |
8 |
夫との性生活に不満のあるケイトはある日美術館で出会った男との情事を楽しむが…。 一言で言うならエロい「サイコ」。状況的にはサスペンスだけど、エロスな主題はなんか下世話な感じが付きまとっていてどうにも俗っぽい。けどヒッチコックマニアであるブライアン・デ・パルマ監督が、まさにこの公開年に亡くなったヒッチコックへのオマージュとして撮った作品としては一級だとは思う。主役と思われた人妻が前半で殺されて後半から別の人物が主役になったり、印象に残るシャワーシーン、狭い部屋(本作ではエレベーター内)での惨殺、二重人格の犯人など、「サイコ」っぽさがそこかしこ。監督のヒッチコック愛が溢れすぎですわ。その上で長めのカットや分割画面を用いた場面はいかにもデ・パルマ印だし、美術館のチェイスや情事後の時間などを台詞なしで見せ切る印象的なシーンもあったりして見せ方は面白いと思う。 ほとんどシリアスなのに、たまに放り込んでくる笑いどころの塩梅は割と好みです。情事に満足した人妻が、メモを探して相手の家の机の引き出しを開けたら性病の診断書が入っており絶望してしまうという場面には笑ってしまった。監督は人が悪いなあw エレベータの惨殺場面で「悲鳴を上げるのはあんたかよw」みたいな見せ方や、終盤に性転換の話をしている主役2人の背後で聞き耳を立てている老婦人のいぶかしそうな表情もいいですな。 |
コンスタンティン |
8 |
自殺の罪を贖うために悪魔祓いを行う利己主義な主人公を描いたアクション。 この作品の面白いところは、主人公コンスタンティンが非常に利己主義者であって、人のためではなく、自分が地獄に堕ちないためにエクソシストとして働いているところ。このアンチヒーロー的なところが面白い。世界観もかなり凝っているし非常に俺好みの一本ですw キリスト教的な世界観としてはかなり斬新。蝿と蛇でできた悪魔の姿や、現実世界の延長にあるような地獄世界。天使と悪魔の関係なんかも面白いと思う。ただ悪魔に対抗する武器やなんかは、「ブレイド」や「ヴァン・ヘルシング」にも似たような物が出てくるから目新しさはないけどね。戦い方も似てるし。
原作のアメコミでは徹頭徹尾の利己主義者の様だけど、この映画では次第に他者のために戦うというコンスタンティンの“成長”が見える。ハッキリ言えばそれである程度オチは読めてしまうんだけど、でもコンスタンティンがまさかそっちを召喚するとは思わなかった。この展開は結構痛快だったね。 ところでこの映画は禁煙映画でもあります。俺は元々吸わないけど、観ているとますます吸いたくなくなるねえw |
コンタクト |
6 |
現代版、未知との遭遇な訳ですな。ある日突然謎の電波が宇宙からやってきて・・・。SF少年にはたまらない話。しかも電波の正体は設計図で、それを元にかの星への移動装置を作る・・・。そしていざ宇宙人と対面・・・あれ?人間やん!しかも親父!あれはガッカリした・・・。でも考えようによっちゃ、下手に宇宙人を映すよりもいいかも。ミッション・トゥ・マーズの例もあるし・・・。でも、何かすっきりしない映画です。 |
コンチネンタル
(1934年制作) |
7 |
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース主演のミュージカル映画。旅の途中で出会った女性(ロジャース)に一目ぼれしたガイ(アステア)。一方彼女は夫と殆ど顔を合わすことのない結婚生活から、離婚を弁護士に相談するが…。 タイトルの「コンチネンタル」ってどういう意味なのか後半まで分からなかったけど、ミュージカル映画としての見せ場の曲が"The Continental"ってだけでした。原題は"The Gay Divorcee"なので「陽気な離婚女性」という感じかな。離婚が話の主題だけど、そこに至るドタバタと主人公の2人が運命的に結ばれる展開は、確かに明るく陽気な離婚劇。イタリア人のトネッティ(エリック・ローズ)が道化として立ち回るけど、ラブコメ的な展開的としては…まあ可もなく不可もなくって感じかなあ。 アステアとロジャースの息の合ったダンスや、後半にある大勢での群舞などはいかにも「ミュージカル映画」で見応えはあるね。あまりカットを割らずに堪能させるアステアのダンスの場面に対して、群舞のシーンはダイナミックにカットを割って勢いを感じさせるので、ジャンルの黎明期からすでにダンスの見せ方にもいろいろと工夫を感じるところ。単純に舞台から切りぬいただけではないよね。 |
コン・ティキ
(2012年制作) |
8 |
自分の学説を証明するため、1947年にペルーからポリネシアへ筏のコン・ティキ号で航海したトール・ヘイエルダールの物語。 科学とは実証の世界であるが、まさに命がけでそれを証明しようとしたヘイエルダールの姿勢には感服するものの、少し信じすぎるというか狂信的な感じがしなくもない。でもそれこそがこの無謀な冒険を成功させた原動力でもあったのだろうけれど。スポンサー集めから仲間集め、そして航海への過程はテンポよく進めて分かりやすくて良いね。大統領との面会場面は多少のジョークもw 航海に出てからは、どこまでも続く海と青い空の映像に対して、どうしても拭えない不安な空気感が付きまとう。冒険の結末を知っていても、それでもドキドキするなあ。クルーの一人、冷蔵庫販売員のヘルマンが冒険の素人らしい焦燥感で観客の代行者として機能してるのかな。物語としては軌道に乗るまで(南赤道海流に乗るまで)がドラマチックなので、構成上、冒険の序盤に偏って描かれているのは納得している。 神(帆に描かれたティキ)の視線が意識的に描かれ、そうとは言わないけれど、人の力だけでない何かを感じさせるところに感じ入る。また、子供時代のシーンでカメラに向かって歩いてくる画と、島に上陸する際にヘイエルダールが向かってくるシーンの対比が上手いと思った。この主人公の変わらぬ姿勢というか、一貫したなにかを感じさせるところです。
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