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邦題
満足度
感想
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サーチ

(2018年制作)
8
失踪した娘を探す父親の姿を描いたサスペンス作品。この物語のすべてはPC画面の中で展開される。
ストーリーとしては失踪事件を通して親子の絆が描かれるオーソドックスなものだけど、“すべてPC画面上の出来事”という演出によってとても新鮮な映画体験をすることができた。冒頭、モデムの音が鳴ったかと思いきやWindows XPの壁紙が。「おいおい、いつのPCやねん」とツッコもうかと思ったら、それが娘が小さかった時に買ったPCの初起動の時の画面だと分かる。その後、母親が亡くなり父子家庭となったという状況説明をPC上のスケジュールや動画記録といったツールを駆使して見せたテンポのいい流れには感心した。
PC画面で物語を描ききるというのは一見無謀な感じもしたが、この作品はそれを上手くやり切っている。一部ニュース画面をそのまま流すという脇道はあるものの、メインストーリーとなる父親の行動は、PC上のポインタの移動や文字の打ち直しで彼の葛藤や困惑を表現できているのが面白いね。まあSMSの文字の打ち直しで躊躇を表現する見せ方は前からある演出だけど、一貫して描き切ったこだわりは良いよ。カットバックやフラッシュバックといった従来の映画技法を画面上のウィンドウで似た効果を発揮させたりもしているけど、そういった色々な工夫が見られるところも面白い。
しかしこの映画、観客側に一定以上のITリテラシーがあることを前提にしている作品だよねw まず俺の親世代では半分くらいは何をしてるのか分からない気がする(苦笑) それは劇中でそれらのPC上のツールに対する説明が皆無という部分もあるが、逆に言えばSMSやSNS、動画の生配信といったものが日常を取り巻く当たり前の存在になっているという、今どきの時代を的確に表している作品なんだとも思う。
13デイズ

(2000年制作)
8
1962年10月、米国の高高度偵察機U-2がキューバに運び込まれたソ連製中距離弾道発見。世界が最も核戦争に近づいた“キューバ危機”の2週間が始まる。
キューバ危機の最前線であるホワイトハウス内部での米国首脳部の苦悩と決断を描いた政治サスペンスだけども、結果的に危機が回避されたことを知っていたとしても、その決断の数々がギリギリ綱渡り状態だったことに肝が冷える。冷戦中の米ソ関係という、相手の顔色がうかがえない状態で繰り広げられる「こちらの動きを相手はどう解釈するか」という心理戦の難しさ。二言目には「空爆」を主張する軍の参謀たち。内に外に、外交的妥協の許されぬ中で事態を破滅に向かわせない決断を迫られる“大統領”の、責任に対する胆力には敬服してしまう。もちろん多少の映画的な誇張や演出はあるだろうけれど、実際にあった危機だったということは忘れてはダメだね。
主人公は大統領特別補佐官のケネス・オドネルで演じるのはケビン・コスナー。ケネディを描いた映画にコスナーが出ると「JFK」を連想するのは避けられないけど、本作はコスナー自身も製作にかんでいるのだからやはりこのテーマに思い入れがあるんだろうか。コスナーと実際のオドネルは見た目はあまり似ていないが…、そこはあんまり問題はない。一方で似ていないと興覚めになってしまうもう2人の主人公、ジョン・F・ケネディ大統領とロバート・ケネディ司法長官は雰囲気づくりが完璧で、これはとてもよかったなあ。この3人の意見のぶつかり合いがキューバ危機を結末へと向かわせえていく。胃が痛くなるような状況が続く中でも、時折ジョークの入る会話がいい。
ちなみにDVD特典の「未公開シーン」には、対策会議でキューバに対する空爆と侵攻を主張するアドバイザー(元国務長官)の発言を聞いたロバート・ケネディが、大統領に「真珠湾攻撃の前の東條の気持ちがよく分かる」というメモを渡すシーンがある。結果として大統領の内心とアドバイザーの意見の相違に話を集中させるためにメモのシーンは削ったとのことだけど、国として追い詰められた国家指導者の苦悩を感じさせるエピソードだと思った。
最強のふたり

(2011年制作)
8
事故で首から下がマヒの富豪が、ひょんなことから介護人として雇い入れたスラム生まれの黒人青年。住む世界の違う二人が関わりあう内に、彼らの間に友情が生まれる姿を描いたフランス映画。
日本版の予告編はお涙頂戴な感じになっていたけど、内容はヒューマン・コメディと言えるポジティブなドラマ。身障者に対してもズケズケとものを言う黒人青年のドリスのキャラクターが気持ちいい。身体障害のネタもズケズケというキャラクター性にも悪意がないので、観ていても不快ではないし、そういうことが言える間柄になっていく様子は微笑ましいね。
カルチャーギャップの笑いも小気味良く、クラシックネタや叱責の内容も楽しい。性についてのネタもあれど下品ではないし、全体的に悪乗りしすぎない感じが好印象かな。ただ全体的に劇的な事件が起きるわけでもないので、少し地味な印象もあるけれども。でも実話を基にしたドラマであるし、このくらいが良いだろう。ドリスならではの世話焼きで間を取り持つラストが清々しい。
サイコ
9
言わずと知れたヒッチコックの代表作。職場の金に手を着けた女性があるモーテルに宿泊するが、何者かに惨殺される…。
もう誰でも知ってるシャワー室の惨殺シーンとあの音楽。これ以降のサスペンス映画に多大な影響を与えた作品であって、それも納得の完成度。今観ても良くできてる。
惨殺シーンもそうだけど、特に感心するのは巧みなミスディレクションのテクニック。ずっと見え隠れする“母親”の存在が上手い。姿は見せるが肝心なものは見えず、“まさか”とも思わせないように導いていく。それであのラストは驚くよね。
ただ、今ではこのオチはありふれたモノになってしまってもいるから、色んなサスペンスを見てる人にはストーリー的には新味はないかも知れないけど。でもこれは'60年の映画だからねえ。やっぱり凄い!名作ですw
最後の決闘裁判
(2021年制作)
8
14世紀末にフランスで行われた決闘裁判をモチーフに、強姦事件の顛末を描いたドラマ。
構造的には3つの異なる視点から1つの事件を描くという「羅生門」系の作品だけど、「羅生門」と違うのは、それぞれが虚偽の告白なのではなくそれぞれの主観によればそれが真実だというところか。妻マルグリットを強姦された騎士ジャンは従騎士ジャックは領主に取り入って自分のものを掠め取っていく奴だという思い込みがある。従騎士ジャックは、マルグリットは態度には出さずとも彼女は自分に気があるので、拒む素振りも「嫌よ嫌よも好きのうち」だから行為自体が強姦だとすら考えていない。この部分の対立が物語を決闘裁判に向かわせるわけなのだけど、本作が興味深いのは真実としてのマルグリットの視点が存在することだね。
ジャンとジャックの軋轢にはキャラクターの性格や個性に基づきつつも家柄や騎士の名誉や誇りといった中世の価値観が根幹にあるけど、一方でマルグリットの視点では一個人としての生き方というか、その様な男性社会での息苦しさが根底に存在して描かれている様に思う。マルグリットは結婚自体に愛よりも持参金代わりの領地や跡継ぎを生むことの期待の方を大きく感じ取っているし、夫の怒りが“強姦という行為”そのものではなく“自分のものに手を出した”ことに対してだということも分かっていたからね。そのことへの憤りが物語の根幹なわけだ。個人的に興味深かったのはその部分で、その憤りを憤りのまま最後まで残したところなんだよな。
この映画は現代的な感覚で過去の価値観を断罪していないところにリアリティがあって良いと思った。劇中の人々に対して真実を担保したものは“神の意志による決闘の決着”であって、マルグリットの証言そのものの真実性には拠っていない。それが中世的な価値観としての正義だったという描き方で、そこにいろいろな皮肉がこもっている様に思う。だからこそ最後まで彼女の表情は晴れぬままなわけだ。
中世を描いたコスチュームプレイとしては、美術や衣装の雰囲気が地に足ついていてとても良かった。戦闘シーンも泥臭さが全面に出ていて迫力があったし、そのあたりは80歳を超えても衰えぬリドリー・スコット監督のセンスに感心もしました。
最後の追跡

(2016年制作)
8
テキサスの田舎町で銀行強盗を繰り返す兄弟。退職間近なテキサス・レンジャーは相棒とともにその強盗の足取りを追うが…。
地味だけど地に足ついたドラマが展開される佳作。主人公兄弟が強盗を繰り返す理由の背景にある“土地”という財産を軸にして、今のテキサスの空気を表現しているのだろう。回想を使わずに彼らの状況や関係性を感じさせられる描き方がいいが、兄と弟でキャラクターをハッキリ分けたところも上手いかな。「あくどい方法で銀行が土地を搾取しようとしている」という部分で彼らに情状酌量の余地もあるのだろうが、犯罪は犯罪。でも確かに向こう見ずで手を焼く兄だったかもしれないけれど、最後に自分がすべて引き付けて弟を逃がすという兄弟の想いにはグッと来た。見せ方はサッパリしているけど深みはあるよ。
一方で追う側のレンジャーも老白人と相棒の先住民という組み合わせで、ひたすら老白人が相棒を先住民ネタでからかったりイジったりするが色々と考えさせられる。その間にあるのは差別じゃないよなあ。違う民族だという意識はあるのだと思うけど、相棒として先輩後輩としてのやり取りだと思うし、相棒としてのリスペクトもあると思う。でなかったら、相棒が撃たれたあの場面であんな表情はしないし「俺が仕留める」とも言わない。
パッと見はクライムドラマだけれど、軸になる兄弟と相棒の話が地味ながらいい感じだったし、テキサスという空気、「土地は先祖伝来の財産」というテーマが作品を包み込んでいて旨い構成だと思った。「(白人は)先住民から土地を奪った。そんな彼らが今度は(銀行に)奪われている。」というセリフが今という時代も映し出している。
最後の誘惑
8
マーティン・スコセッシが、“人間的”イエスの葛藤や苦悩を描く問題作。
福音書に基づかず、全く別の解釈で描かれたストーリーは斬新。まずイエスよりもユダの方が立派な人物に見えるのが驚き。そして、イエスが“最後の誘惑”に惹かれ、その後の既存のイエス像からは想像も出来ない展開にも驚いた。
磔後の展開は、死に臨むイエスの幻影だったのか、それとも悪魔に導かれた現実だったのか?(個人的には現実なのかな、と)
でも人としての満足した人生を送るイエスの前に“救世主イエス”を語るパウロが現れた時、「ああ、こいつは凄くリアルだ…」と思った。パウロの説くイエスは救世主のそれだけれど、それと対照的な姿のイエスが「それはウソだ!」と叫ぶ。もはや一人歩きしている“イエス像”、そしてパウロはそれが人々の救いになっていると言う。これが宗教の生まれた瞬間なのかも。
確かに敬虔な信者からすれば宗教的に受け入れがたい内容かもしれないけど、ドラマとして俺は良く脚色できていると思ったね。
最終絶叫計画
5
下ネタ下ネタ下ネタ。ある意味すごい。なんか向こうのコメディって、半分以上、下ネタ映画のような気がする。あんまり元ネタの映画を見てなかったんで、はっきり言って楽しさは半減した。むしろ下ネタに滅入った。やっぱりパロディは元ネタを知らないといけませんなぁ。
<ここから追記>元ネタを色々観てみました。元ネタとの組み合わせは絶妙ですなw 出来る限り下ネタに絡めようとする強引さもすごい。パロディ映画としては一級ですが、下ネタに抵抗のある人は辛いね。
最‘新’絶叫計画
5
前作の異常なまでの飛ばし具合と比べると、今作はおとなしくなった印象。悪い意味で“まともな映画”になってしまった…。オープニングの「エクソシスト」なんて良く出来てたしw 今作のメインの流れは「ホーンティング」か?「インビジブル」な場面も目立った。前作のセルフパロディもあったけど、それでも前作ほどのパワーを感じなかった。キワどい下ネタが減ったから?パロディ場面に説明的な音楽や映像を入れたせいで、瞬発力を感じなかったからなあ?
<追記>どうもオリジナルには身障者をネタにしたシーンが有ったんですが、日本公開版ではそのシーンを全編カットしているようです。
最‘狂’絶叫計画
6
前作までの監督、出演をこなしていたウェイアンズ兄弟の手を離れ、今作から監督が「裸の銃を持つ男」シリーズのデヴィッド・ザッカーに変わってます。そういう関係か、確かに前作までの雰囲気を残しつつも、全体的に「裸の銃〜」的な感じで落ち着いてきましたね。下ネタも気にならないレベルになってきたかも。
今作はほぼ全部元ネタ映画を観てたので、結構楽しめたかな?ほんとにバカで、実に下らないw 子供を必要以上にボコる。通夜で遺体をバラバラにする。とんでもないなw
個人的にはチャーリー・シーンとレスリー・ニールセン、そして本シリーズの主人公であるアンナ・ファリスの競演が良いね。「ザ・リング」のパロディは映像が良くできてたと思うんやけど、逆に「サイン」の宇宙人のやる気の無さったらない。アホですが、好きですw
最終絶叫計画4
7
シリーズ4作目。今回は「THE JUON/呪怨」や「宇宙戦争」を軸にして様々なパロディが展開される。
4作目ともなると、安定感がバッチリです。ドタバタ、下ネタの繰り返し。だけどそれをパロディにして様々な映画にくっつけてしまうのは上手い。何よりVFXが異様に力が入っているので、妙なチープさが少ない。この辺はハリウッドの資本力でもあるし、4作目の安定感というところでもあるんだろう。
シャキール・オニールが本人役でオープニングを飾り、「THE JUON/呪怨」絡みでビル・プルマンが出演しているところは大いにウケましたw 前作の主人公だったチャーリー・シーンは…あんな役で良いのかw
しかし、パロディ映画なので如何に元ネタを知っているかが勝負の作品。映画だけじゃなくてゴシップネタもあるし…、本気で楽しめる人は相当な米国通なんでしょうね。いや、アメリカ人か…。
サイレントヒル
8
日本の有名ホラーゲームを原作にした作品。
原作ゲームは残念ながら未プレイなんだけど、ゲームの予備知識も必要なく、一本の映画として完結してるんで非常に楽しめた。突然起こる音や映像で驚かすわけではなく、“サイレントヒル”というその町の雰囲気や、主人公の状況から来る心理的な圧迫感を恐怖として描いてるんだよね。そのあたりの演出が好き。そして、現れる異形の者や、灰の降り続く町の不可思議さを納得させてくれる多次元的な“サイレントヒル”の世界観が上手いと思うわ。
本当の恐怖とは“人間”そのものであり、また人間は善くもあり悪くもあるといったテーマが終盤に見えてくるけど、そのせいもあって悪意の対象物がすり替わったクライマックスでは序盤の恐怖感は薄れてしまったかもしれない。むしろ「やっちまえ!」と思ってしまうw ただ、圧倒的な力を持って現れた復讐心の固まりには、やはりその姿を見るにつけ哀れだと思ってしまうね…。
人間は怖ろしく、そして哀れだなあ。
サイレントヒル
リベレーション3D

(2012年制作)
5
前作から数年後、現実世界へと帰っていたシャロンは、名前を変えて父親との逃亡生活をしていたが…。
前作では、現実とサイレントヒルと闇の世界のパラレル感が世界観の面白い部分だったのに、そこが今作では曖昧に感じられていまいちだったかな。父親がさらわれて、シャロンが助けにサイレントヒルへ向かうという逆の構図は分かりやすい。でも、そこに至る過程も力技だし、現実にいるシャロンが向こうの世界を幻視したり、向こうの住人が現実に出てきていたりと、どうもルールがよく分からなくって。そもそも教団の人間はサイレントヒルに閉じ込められてるんじゃなかったっけ?
展開がゲームの様な段取り的なのは、元がゲームなので仕方ない。でも血と錆の"裏の世界"はあまりにもお化け屋敷だよなあ。ナースのシーンはベタすぎて失笑してしまったが、これは狙いとは違うよね?w マネキンモンスターも…うーん。レッドピラミッドは相変わらずカッコイイクリーチャーではあるけど、演出上頼りすぎてんじゃないのか。
サイン
9
この映画は演出が一級品!恐怖をあおる音楽とカメラワーク。そして闇を効果的に使う巧みさ。姿の見えない者と対峙する恐怖。見事に世界に引きずり込まれました。タイトルの“signs”というのも深い意味があって、初めは“兆候”や“目印”であったものが、最後には“啓示”となる。この辺の持っていき方が上手い!映画の主軸が「信仰を取り戻す牧師」の話とは・・・、予告編からミスリードされました(笑)。しかし文明人の欠片も感じない宇宙人像はどうしたもんだろ。シャマラン監督も、もはやチョイ役ではないな・・・。
ザ・ウォーク

(2015年制作)
8
1974年、NYのWTC(ワールド・トレード・センター)の間にロープを張り、綱渡りをした男・フィリップ・プティ。彼がその綱渡りに挑戦するまでの半生を描いたドラマ。
綱渡りでWTCを渡る…。こんなことをした人間は、世界でフィリップ・プティただ一人。その実話は2008年に「マン・オン・ワイヤー」というドキュメンタリー映画にもなっているけど、この映画はその基になった自伝本を原作にした再現ドラマ。冒頭から自由の女神の上にいるフィリップが観客に語りかけ、物語を進行していく。彼がどのような人間か、いつWTCにほれ込んだのか、そしてどのように実行したのか…。「自分はワイヤー・ウォーカーという芸術家であり、綱渡りは芸術だ」と確固たる信念を持つフィリップは、その表現のためなら不法侵入もいとわない。まさに芸術的確信犯ですな。観客はその“WTCで綱渡り”という彼の夢を共に追体験していくわけだけど、スパイさながらの行動力を見ても、いったい何が彼をそこまでさせるのか…と付いていくのに必死w でもきっと「そこにタワーがあるから」なんだろうが。
彼も一目実物のタワーを見て「不可能だ!」と叫ぶが、それでも運命を信じて実行する。その綱渡りのシーンは…美しい。彼が実際に見た光景はもはや想像するしかないが、この映画ではその景色がスクリーンに再現され広がっていく。二つのタワー、空、一本のワイヤーと眼下の街並み。息をのむ3往復のパフォーマンスを観ているうち、自分の手にじっとりと汗がにじんでいることに気が付いた。ああ俺もそのロープの上にいたのか。
ロバート・ゼメキスの演出は、フィリップの解説付き再現映画という観客に状況を伝えるには割と平易な演出かもしれない。しかし綱渡りの3D演出、効果を存分に生かし切ったその映像はとんでもなくすごかった。すべてを成し遂げたフィリップを迎える拍手。犯罪かもしれないが芸術だったそのパフォーマンスに敬意を。
そしてこの映画のもう一つの主人公であるWTC…ツインタワー。今はもう存在しないその光景に対する望郷と、それがあった街への想いがこの映画から感じられた。
サウスパーク
無修正映画版
8
アメリカで大ヒットした過激アニメの劇場版。
「サウスパーク」シリーズの面白いところは、切り絵調の可愛い絵で、独善的な右や左の人間に真っ向から挑むアンチテーゼ的なストーリー演出にあると思う。人種差別に下ネタのオンパレード。でもそれは、それを無かったこととして覆い隠そうとする偽善よりも正しいことなんじゃないか?このシリーズを観るとそんなことを感じるわ。
今作では、子供に悪影響のある下品な芸風のカナダ芸人を排除するため、米国PTAの活動家(主人公の母親)が芸人を処刑しようとし、ついに米国とカナダが戦争になる、というもの。いかにもサウスパークの世界。そこに作者の疑問や訴えたいことを感じ取れれば実に痛快だけど、まあ大半は作者がおちょくって作ってるだけかなw
無修正なんで内容はTV放送よりも過激だけど、個人的にはストーリーの濃さはTV版の方があったような気もする。ただミュージカルはすごい!実に軽快に見事なミュージカルが展開される。普通のミュージカルではあり得ないような過激な歌詞を歌いながら…w 「カナダのせいにしないと、親のせいになる」という歌詞が印象的だったね。
作者のジョークが分かる人間にはすごく楽しめる映画だと思う。この手のジョークに寛容な人間ね。
サウスポー

(2015年制作)
8
妻を失い、娘のために再起をかけたボクサーの姿を描いたドラマ。
ストーリーはベタ中のベタ。しかも妻を失うくだりは結構が強引だし、敵のボクサーも敵でしかない。ジムの少年の死も本当に必要な流れだったのかはちょっとよく分からない。栄光からどん底に落ち…そして復活へという、あまりに予定調和すぎる展開だとも思う。が、そんな話を役者の演技で支えて熱く感じさせるのだから、それはそれで大したもの。
ジェイク・ギレンホールのヤサグレ方やボクシングの試合演技はさすがという他にないよなあ。そして、そんな彼妻を演じたレイチェル・マクアダムスが、劇中では序盤しか出てこないにも関わらず主人公にとっての存在の大きさに説得力を持たせているよね。娘役の子もなかなか上手いし、映画の後半はその娘の存在が主人公の行動原理として(ベタだけど)共感しやすかった。フォレスト・ウィテカーとの師弟関係も良い感じではあるけど、彼の背負うものに触れている割には踏み込み切れていない気がしてちょっとモヤモヤするところも。
でも全体的には、ジェイク・ギレンホールの熱量に打たれて引き込まれてしまう作品だったと思う。
サウルの息子

(2015年制作)
9
第二次大戦末期、ナチス・ドイツの強制収容所で死体処理係のゾンダーコマンドとして労務についていた主人公が、死んだ“息子”の埋葬にこだわる姿を描く。
人間が“部品”として処理されていく中で、あまつさえそれに従事させられている主人公がそのただ中で見つけた“息子”ためにこだわった埋葬という行為は、彼にとって人としての尊厳の最後の砦だったのだろうか。劇中、仲間からも否定されているように、物語から受け取る印象としてはどうしてもその少年がサウルの息子だったとは思えない。だからこそそれに固執する主人公の姿は、非人間的な世界の中で人間らしい行為に縋りつく哀しい姿にしか見えなかった。
それにしてもその主人公の見る世界の切り取り方が見事。画角もスタンダードサイズで、しかもほぼ主人公のアップで構成されるため周囲の映る範囲が狭く、さらに被写界深度を極端に浅くしているため遠景で何が起こっているのかがまるでハッキリ見えない。でもそれがすさまじい効果を発揮しているよね。見えないからこそ逆に周りで何が起きているかが分かるというか、環境音で想像してしまうことで、直接見えるよりももっと生々しい空間を追体験したような感覚に陥った。(まあそれはアウシュビッツで何が行われていたのかという共通認識があってこそ、だけれど。) 個人的には、その周囲のピンボケこそ主人公の周囲に対する認識そのものの表現というか、その絶滅収容所の出来事に心を閉ざしているか、どこか現実感を伴っていないことの表れなのではないかと感じた次第。ホロコーストを描く作品は多いけれど、半主観とも思えるこのような表現で、観る者をアウシュビッツに放り込むとは…その発想には脱帽しました。
サウンド・オブ・ミュージック

(1965年制作)
9
「トラップ・ファミリー合唱団物語」を基にした同名ブロードウェイ・ミュージカルの映画版。おてんばな修道女見習いのマリアは、院長の勧めでトラップ大佐に赴き、7人の子供の家庭教師となる。
歴史に残るミュージカル映画の代表作だけど、出てくるミュージカルナンバーがことごとくどこかで聴いたことのある曲ばかりというのはさすが。記憶に残るのは「エーデルワイス」や「ドレミの歌」が学校で習う曲になっているというのも大きいのかもしれないけど、美しかったり楽しげだったりといった曲構成の前向きさがポジティブな印象を強めているのだと思う。物語は全体的に二部で構成されていて、その一部の終わりと二部の終わりに「さようなら、ごきげんよう」を登場させてリフレインにしている感じは上手く出来ているなあ。第一部は舞台劇的なミュージカルの見せ方が多い印象だけど、オーストリアからの脱出というシリアスなドラマがメインになる第二部からは、ストーリーにも集中させるために自然と歌曲のシーンは控えめになってくる。でも前半から言及していた音楽祭の場面を使ってちゃんと歌に感情を乗せてくる作りは上手く考えられているよね。
作品としては当時倒産寸前の20世紀FOXを救った大ヒット作としても有名。3時間近い大作のわりには大掛かりなセットも少なく、セットらしいセットと言えばトラップけど修道院くらいかな。多くの場面でオーストリアの街並みだったり自然の雄大な景色がその背景になっているのは、セットよりもロケの方が制作費の面で効率が良かったのかなあ?などとも考えてしまうけど、実際に本物の風景で撮られたからこそ、画としての説得力が出ているのはあるだろう。
マリア役のジュリー・アンドリュースの自由闊達な感じは素晴らしい。大佐役のクリストファー・プラマーは最初の堅物然とした感じからどんどん人物としての魅力が増していくのが良いな。男爵夫人役のエリノア・パーカーはマリアの引き立て役として見事な助演。個人的には大佐の友人・マックスを演じるリチャード・ヘイデンが良い味を出していて好みのキャラクターです。でも映画のオチをかっさらっていったのは修道女だねえ。最後に告白した彼女たちの「罪」にはついつい笑顔になってしまいましたよw
サウンド・オブ・メタル

(2020年制作)
9
恋人と二人でメタルバンド活動をしているドラマーのルーベン。ある日、彼は音が聴こえなくなってきていることに気づく。
これ邦題についてる副題は要るか?w “メタル”はダブルミーニングだね。しかし、耳が聞こえなくなるなんて、ドラマーの彼からすれば自己のアイデンティティを喪失したに等しいわけで、その焦りや絶望感が現れる序盤の様子はとても胸に来るなあ。努めて平静に振る舞おうとしたり、限界がきてモノに当たったりといった様子はとてもリアルに感じた。ルーベンにとって彼女であるルーという存在は、自分が薬物依存から抜けるきっかけともなった大切な人だ。逆に彼女にとっても彼は自殺願望から救ってくれた大切な存在なわけだけど、そのあたりの関係性をちょっとした様子や台詞から感じさせる演出が丁寧ながらもワザとらしくなくていい。終盤のパーティーで歌われる歌詞はさすがに登場人物の心情に重ねすぎていてちょっと説明的な気はしたけども、「愛ゆえに」別れるという結末のためには必要な場面か。切ないなあ…。しかし父親本人のリクエストとはいえ、誕生日に歌うような歌詞か?とは思う(苦笑)
作品全体としては登場人物の感情が手堅く、それでいて大きく波打ちながら押し寄せてくる様で感情に訴えるドラマだったね。主演のリズ・アーメッドの演技もさることながら、ポール・レイシー演じる聴覚障碍者コミュニティ長・ジョーの人柄にとても信頼感があって素晴らしかった。彼の「難聴はハンデではなく治すものではない」という信念は、上っ面で言っているのではなく、真に自分たちの生き方として確立したものだ。なのでインプラントによってふたたび音を取り戻そうとした主人公は、その信念を裏切ったことにもなるわけだな。けど、この「自分自身をどう受け止めるか」の部分で、最後に主人公が乗り越える(受け入れる)べき溝を起承転結の「転」として用意した構成はお見事。主人公は一縷の希望を託してインプラントを決断したことで、逆に以前のようにはもう聴こえないのだと気づき、受け入れた。この段階こそが主人公の感情に説得力を与えている。
ラストに補助器具を外すシーンで訪れる静寂は、かつてジョーが主人公に気づかせようとした静寂だろう。彼はジョーがその機会を与えてくれた時にはそれに気づくことはできなかったが、今は違う。切ない物語ではあったけれど、きっとそこから何かが始まるはずだと思いたい、そんなラストだった。
THE GUILTY/ギルティ

(2018年制作)
8
緊急通報指令室に勤務するアスガーが受けた一本の通報。それは車で連れ去られた女性からの決死のSOSだった。
似たようなシチュエーションの作品では「セルラー」や「ザ・コール」といったところを連想するけれど、全編指令室の場面だけで描き切ってしまうというのはすごいな。アイデアはあっても本当にそれをやり切るには構成面での自信や演出面での胆力が必要だと思うし、ほんと、感心した。
本作はあえて電話の向こうを映さないという演出が特徴だが、その状況が否応なしにも主人公に感情移入させ、一方で電話の向こうはラジオドラマでも聴いているかのような想像力への刺激を受けて面白い。でもこれが“映画”だと思うのは、もはや一人芝居状態となっている主人公の行動や表情にもう一本の筋書きが見え隠れするからだろう。「有罪」というタイトルは何に対してものなのか、そのあたりが物語に深みを与えている。ふたを開けてみれば事件の筋書きは単純なのだけど、ミスリードと段階的な核心への迫り方のテンポが上手く、なおかつ全容自体もコンパクトに収まっているのが良い感じ。
中盤、少女の証言が観ている側の先入観を助長する。それらの証言や状況証拠を聞かされることで観客の想像力を試されている感じもするし、人間は思い込みをしてしまう生き物だという事実を再認識させられもする。その“想像力”をうまく利用した展開が面白いなあ。「母は子供を守る」「DVは男が加害者」「前科者の再犯」といったステレオタイプな先入観からのどんでん返しは、観客側として観ている間に主人公へ感情移入してしまっていた以上、観客側に対しても皮肉めいたものを突き付けられてもいるようで興味深い。
ザ・グリード

(1998年制作)
8
豪華客船を襲う謎の怪物。直後、その客船を襲撃した武装集団は誰もいなくなった船内でその異常事態に気づく。スティーヴン・ソマーズ監督のモンスターホラー映画。
B級映画。悪い意味ではなく、巨大なセットやCGに大金をかけながらも、明らかに意識してB級映画にしてしまっているところが好き。閉鎖空間で逃げ惑うところや、一人ずつ死んでいく仲間たち(有色人種は全滅w)、深刻さよりもジョークが先に来るようなノリがB級っぽくて良いですね。ケヴィン・J・オコナーがいい味出してます。
展開や空間の見せ方も、どこか別の映画で観たような雰囲気が多い。「ポセイドン・アドベンチャー」(「スピード2」?)や「エイリアン」シリーズっぽいところとか。「スター・ウォーズ」のセリフもパクってたね。ワザとらしい主人公の「お次は何だ」というセリフも、ラストの展開も安っぽいのだけれど。それでもそういったセオリー通りのB級っぽさが、この映画の魅力なんだろうなあ。驚くような内容は何もない(怖くもないし)のに、つい観てしまうのだもの。
ザ・クリエイター
創造者

(2023年制作)
7
AIがロサンゼルスで核を爆発させ、世界がAIを禁止にした"西側"とAIとの共存の道を歩んだ"ニューアジア"に別れた未来を描いたSF映画。
ベトナム戦争を想起させる戦闘風景にはなにかメタファーがあるのではないかと想像を掻き立てられるものの、どちらかというとセカイ系的なストーリーなのでハードなSFを期待していた身としてはやや期待に届かない部分もあった。"ニルマータ(創造者)"と呼ばれるキーとなる人物が実は妻だったとか、ノマドと呼ばれる兵器を壊せば戦争が終わるとか、予想の範疇を超えるものでもなかったしね。というかニューアジアには警察しか出てこないけど、軍隊はいないのか?とか、アメリカに侵入され放題で防空体制はどうなってんだとか、SFとしての世界観の細かいところが気になってしまった。ノマドの防衛体制もザルだしなあ…。
ストーリーは章立てになっていて"創造者""子""友""母"といったテーマでそれぞれが描かれる。と言ってもテーマは表面的な感じだけど。生と死の概念をAIに当てはめて"オン"と"オフ"と表現するあたりや、天国とノマドの対比的な表現には惹かれるものもあったかな。そのあたりはもう少し深掘りしてくれると面白くなったかもだけど、個人的にはもう一声のヒネりかパンチが足りなかった感じ。
そういえばアジアが舞台なので日本語もチラホラ出ていたなあ。アンドロイド役の渡辺謙も日本語を喋っていたし。色々と日本のサブカルから影響を受けてそうなものも見受けられた。(ニーア オートマタの敵みたいな)自走型爆弾なんて結構トラウマなキャラだよねw そういえば米軍があの爆弾を使うのってAI禁止の制度には抵触しないのだろうか。
ザ・コア
7
面白くないとは言わないが、仲間の死の連続で、自己犠牲があれば何でも美しいと思ってる作風にちょっと嫌な感じを覚えた。天災の場面は迫力あるし、地中を進むバージルは「999」の様に綺麗。地中のビジュアル化という点でも頑張ってると思う。同じテーマの作品としてストーリーを見比べると、「ディープインパクト」の方が感動できる。しかしハッカーがハッキング能力を見せるところで、今頃「キャプテン・クランチ事件」の方法が使えるわけはないと思うなあ。Atariの「ポン」みたいな妙に古すぎるゲームをするハッカー。ネタが古いのは監督の趣味なのか?
ザ・コーヴ

(2009年制作)
6
現在でも生業としてイルカ漁を行っている和歌山県太地町。イルカ解放を目指す元調教師リック・オバリーが世界に向けて実情を発表しようと、隠しカメラなどで撮影を試みる様を描いたドキュメンタリー作品。
イルカは知能が高い人間の友達なのだから、もしくは生物濃縮によって水銀汚染が進んでいるのだから、イルカを食肉用に殺すなんて野蛮だ。という主張を前面に押し出し、その論拠によって太地町に乗り込む“正義の”活動家。映画の構成としては、スパイ映画さながらに地元関係者の監視の目を掻い潜っていく展開なので、物語性があって見やすいか。オバリーの悔恨からの行動原理や、イルカに感情移入させる手法も主張の表現方法としてはオーソドックスなプロパガンダとしてよくできている。
主義主張に関しては一方的なものに終始(水銀値は出典がないし、DNA鑑定に至っては自前でやったとのたまう始末)しているので、日本人なら信憑性の観点から胡散臭さだけが目に付くところだろうか。そもそも水俣病の水銀中毒を引き合いに出している時点で、印象操作がひどすぎる。しかしこの話を鵜呑みにしてしまったとすれば、オバリー達はイルカや、さらには日本の子供たちにまで気を配る正義の活動家ということになるのか。ドキュメンタリーが主観でできている事の危うさを如実に表している作品とも思える。
ザ・コンサルタント

(2016年制作)
7
天才会計士である主人公が見つけた不正会計を発端にして、関係者が次々に殺されていくサスペンスアクション。
クライムサスペンス風に始まったかと思うと、後半は潜入銃撃戦と渋いアクションがてんこ盛りだし、家族ドラマもぶち込まれているし、なかなか盛沢山の作品だったな。ただ演出は娯楽作というには結構渋め。見るからにゴツいベン・アフレックが会計士というのは妙だけど、それを逆手に取って会計もコンバットも超一流という超人的な主人公に妙な説得力が出ているとも思える。自閉症からくる数学の天才的な能力と、スパルタな父によって鍛え上げられた戦闘スキルを持つという特殊なキャラクターは興味深い。
話の広げ方とまとめ方は上手いとは思うんだけど、作りこんだ分だけ話が出来すぎな感じはあるか。自閉症の設定や、音声ナビの正体といったところは少し捻りがあってニヤリとしたけど、相手の暗殺者が弟なのは…さすがにちょっとw 黒幕はひねりがないのでサスペンスとしてはそれほど…という印象ではある。というか、ジョン・リスゴーが黒幕でないわけがないが、あっさり殺されるのは面白かったな。
主人公を操作する財務省が主人公の背景の語り部役というのはなかなか。局長と主人公の関係性を見ると、作品としてはどこか形を変えた「バットマン」の様な印象も受けました。
ザ・シューター/極大射程
8
かつて軍に捨て駒にされた凄腕スナイパーが、ある政府内の陰謀によって暗殺犯に仕立て上げられるアクションサスペンス。
陰謀で犯人に仕立て上げられた事の復讐と、潔白の証明の話はこの手の作品の王道とも言える展開だけど、この作品はなかなか魅せてくれる。追いつ追われつの攻防戦のテンポ、緊張感の持続も良い感じでした。上院議員の独善的な主張に、黒幕の複合企業の影なんかも見え隠れして、なかなか社会的な内容で良い感じ。ただ展開的には、クライマックス直前でいったん話の流れが止まるので、ちょっと緊張感が途切れた感はあったけどね。
サスペンスな展開もいいけどアクションシーンも見応えがあった。 特に後半に入ったところの屋敷への侵入場面が、「メタルギア・ソリッド」を思わせるような静かで鮮やかな突入で俺はお気に入りです。
ラストは仕事人のような決着だったけど、“因果応報”という監督の意図は伝わってきました。
THE JUON/呪怨
9
ある呪われた家と母子霊を描いたジャパン・ホラーのハリウッドリメイク版。
オリジナルとなる劇場版1作目(以降:呪怨1)と7割方筋は同じ。カメラワークや展開までも呪怨1をなぞってる。それだけオリジナルが考えられた構成になっていることの表れなんでしょう。ただ、呪怨1でちょっと分かりにくかったり、思わず笑ってしまったような個所は無くなっていて、脚本はより分かりやすく、そして怖く練り直されてますな。こういうところに良い意味での商業主義なハリウッドの臭いがする。
なんと言っても呪怨1には無かった“つかみ”のシーンが上手い。あのおかげで目張りの押し入れや、半開きの押し入れの恐怖感が増すんだよなあ…、特に呪怨1を未見の人は、たまらんかも。全体的に、伽椰子や俊雄の存在を感じてから実際に現れるまでの間が呪怨1よりも短くなっているのでテンポは良くなってる。その分、間を外されるという怖さは無くなってるかもしれないね。
後半、伽椰子の背景が分かってくるんだけど、個人的にはこの辺が謎だった方が良かったかなあ。俊雄は気の毒だと思うんだけど、なんだか伽椰子が殺されたのは自業自得だよな。これで関係ない人が呪い殺されたらたまらんわ。まあ、こういう理不尽さがイヤなわけだけどw
とはいえ、舞台を日本のままにしたのは大正解。日本という異質な世界での恐ろしい出来事は、アメリカ人にとっては怖さ倍増でしょうなあ…。
ザ・シンプソンズ MOVIE
8
米国の人気コメディアニメの、初登場から19年目にして実現した劇場版。
まさに満を持して、といったタイミングでの劇場版だけあってファンも納得の出来でしょう。「ザ・シンプソンズ」らしいパロディやテンポの良いギャグに社会風刺、ベタな展開も何のその、ホーマーのダメっぷり全開が実に楽しかった。ホーマーとバートの関係はやっぱり良いなあ。
ちょっと見ただけではほぼ記号キャラクターなんだけど、作画枚数があるのか滑らかに良く動く。さらにCGを使って空間を表現したりと、絵からの印象以上に凝ってるんだよね。でもやっている内容はバカバカしいんだけどもw
声優ではトム・ハンクス本人がゲストで出ていてビックリ。日本語吹き替えはトム・ハンクス役と言えば、の江原さんがあてているのでニヤリ。シュワルツェネッガー大統領役はさすがに本人ではなかったけど、吹き替えが玄田さんなのはうれしいところだねw そういうところが凝っていただけに劇場公開版の主役達のタレント吹き替えは最悪でした。イメージが全然違う。DVDには日本版オリジナル声優の大平さんや一城さんが再吹き替えてしているので、ファンにはそっちのバージョンしか考えられないね。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

(2023年制作)
9
ブルックリンに住む配管工の兄弟、マリオとルイージ。ある日のこと、地下の配管に吸い込まれたマリオとルイージは見知らぬ世界で離れ離れに…。
マンマ・ミーア!こいつは最高のゲーム映画じゃないですか!マリオシリーズはファミコンからスーファミで遊び倒していた世代だけど、そんな世界観の映画化・映像化という意味で期待を裏切らない楽しさの詰まった作品になっていました。やっぱり何と言ってもキャラクターのイメージにズレがないのが素晴らしい。どのキャラもつくり手に愛されて再構築されているのが伝わってくる。多少ピーチ姫が活動的に見えるなんてことも問題ないよね。だってスマブラで大暴れするような姫ですしねw
個人的にはクッパが(悪役として)魅力的に描かれているのが嬉しかった。ちゃんと強いし、極悪だし、炎をバックにした姿も格好いい。それでいてもちろんピーチ姫にもベタ惚れのクッパ。ピアノを弾いて歌い出す姿には驚いたけど、彼の歌う「ピチピチの歌」には笑わせてもらいましたよ!
これまでにゲームで多くのシリーズ作品が世に出ているけれど、それらのエッセンスをひとまとめにしてここまでテンポ良く描くとは、ほんとにお見事。劇伴にもいちいちゲームBGMのアレンジが使われるし、もうニヤニヤしっぱなしですね。ゲーム映画として、アトラクション映画としてこの映画を一言で表すならば、まさに「こういうのでいいんだよ」につきます。
ザ・タウン

(2010年制作)
8
ボストンの銀行強盗多発地区を舞台に描かれる犯罪ドラマ。ベン・アフレックの監督2作目の作品。
犯罪者の集団と、彼らを牛耳る黒幕、そしてそれを追うFBIに、巻き込まれていく恋人。展開としては割とオーソドックスな気もするんだけど、でもそこを演出力で魅せる映画にしてしまっているというのはすごい。大したものです。マイケル・マンが撮ったのかと思うような骨太の犯罪アクションとドラマが繰り広げられ、監督としてのベン・アフレックの才能を改めて感じさせられる作品でした。
ボストンのチャールズタウンという街自体が主人公の一つになっているけど、そこにとらわれている感が良いね。役者もスターという人たちではないにせよ、確かな演技をする人達ばかりで見応えたっぷり。常にキレている感じが絶妙のジェレミー・レナー、そして花屋と黒幕というギャップのピーター・ポスルスウェイトの貫禄が良い感じでした。
サタデー・ナイト・フィーバー
8
いかにも70年代の映画ですなあ…。もっとディスコ映画かと思ってたけど、完全に青春映画として観てしまいました。少なくとも俺はこういった“青春”には縁が無かったのだけれども、普通の若者には共感出来るところが多いのでしょう。「ロッキー」にしても「8Mile」にしてもこの映画にしても、今いる世界からの飛躍を模索する若者の悩みはどこか理解出来ますねえ。俺がこの映画で好きなのは、最後のダンス・コンテストの結果に主人公が憤慨するところ。「アホばかりの世界に自分はいる」ことに気付いた主人公の姿が印象的です。しかし若いトラボルタのダンスは確かにカッコイイものがある。俺にはあんな動きは出来ないねw
殺人魚フライングキラー

(1981年制作)
6
カリブ海に突如現れた殺人魚に翻弄される人々を描いたB級ホラー映画。
「ピラニア」の続編というよりも、今ではジェームズ・キャメロンの監督デビュー作として有名な作品ですね。キャメロン監督の初期作品の常連、ランス・ヘンリクセンが主演を張っております。ダレ間もあれど、B級映画のセオリーに従った展開を見せながらちゃんと段取りを踏んでいくので、その構成にはしっかり作ろうという気概も感じられる。しかし如何せん特撮部分が…、特に人間の首もとにフライングキラーが噛みつくシーンは、ギャグでやってるのかと思うくらい演者の1人ダンスの様相。低予算ホラーとはいえ、その安っぽい見せ方は開き直りすぎじゃないか?
ヘリの爆発や、最後の沈没船の爆破はもちろん模型だけど、それがいかにも模型で。空飛ぶフライングキラーも完全に模型ですわ。キャメロン自身はこの映画の出来に色々と不満に思っているというのは有名な話だけど、特撮部分に満足してないんだろうなあ。それも分かるけれども、でも彼の好きな水中撮影で散々っぱら沈没船も撮影できたんだし、別にそれはそれで良いんじゃない?と勝手に思ってたりしますw(どこからどこまでがキャメロンの演出かは知らないけどね。)
砂漠でサーモン・フィッシング

(2011年制作)
8
イエメンの大富豪の「故国で鮭釣りがしたい」という夢の実現に巻き込まれた水産学者の姿を描いた物語。
最初は主人公の水産学者が無理難題に翻弄されるコメディかと思いきや、釣りを愛しているという共通項を鍵に英国人とアラブ人の相互理解や友情を描いたり、夢と熱意で人生を見出す姿を描いたり、地に足着いたヒューマンな話だった。最終的には主人公とコンサルタントの恋愛モノとなるわけだけど、それも含め、登場人物の心情の描き方が上手いので主人公に感情移入してしまうなあ。
テンポのいい演出と一見冴えない男を演じるユアン・マクレガー、コンサルタント役のエミリー・ブラントのアンサンブルが見事にハマった作品。全てが上手くいくわけではないけれど、前向きで温か味のあるエンディングは観ていて実に心地いい。
一方で随所に政治風刺のブリティッシュ・ジョークが入りクスクスと笑わせてくれる。この辺のメリハリも良くできているのだけれど、気の強そうな広報官と首相とのメッセンジャーでの会話演出が特に秀逸ですなw
砂漠の鬼将軍

(1951年制作)
8
“砂漠の狐”の異名を持つ第二次大戦の伝説的独軍将帥・エルヴィン・ロンメルの後半生を描いた伝記映画。
ロンメル元帥といえば、やはり異名の基になった北アフリカ戦線での活躍が有名だけども、この映画はそのあたりはサラッと触れるに留まり、欧州帰還後から死までの彼の人物像を中心に描いている。邦題の「砂漠の鬼将軍」は内容からすると少々いかめし過ぎる気がするけど、まあ時代の事もあるだろう。とにかく、第二次大戦からたった6年後に米国映画で独軍元帥の伝記映画が作られるのだから、彼の人気がどういうものだったかがうかがい知れるというもの。
劇中のロンメルはイメージそのままに高潔な軍人として描かれるし、彼の最期がヒトラーによる謀殺じみた自殺であったことも、より悲劇の英雄としての印象を深くしている。映画にあっては彼の妻との窓越しの別れのシーンが印象的。都合2回、同じ様な別れの場面が描かれるけども、お互いに永久の別れと確信している二回目のシーンには胸が熱くなった。名シーンだと思う。
劇中では軍人として総統を信頼している様子と、戦術・戦略においてはあきれ果てている様子が描かれ、彼の「総司令部からの明快にして愚劣極まる指令だ」等のバッサリ切った台詞は小気味良くはあるが、現場指揮官の心中を察するには余りある感じ。実際にロンメルがヒトラー暗殺計画に関与していたかはよく分からないが、ドイツのためにはヒトラー政権では駄目だという想いが感じられる様な描き方だったね。西方総軍司令のルントシュテットと、ヒトラーやヒトラーの戦術を「ボヘミアの伍長」「彼の占星術作戦」などと揶揄している姿が可笑しくも妙に悲しい。
砂漠の鼠

(1953年制作)
7
1941年の北アフリカ戦線。劣勢の防衛戦でロンメルの戦車部隊を向こうに回して戦う兵士たちのドラマ。
リビアのトブルクにロンメル率いるドイツ軍が迫る中、士気の上がらないオーストラリア軍の中隊と、その指揮官として着任した英軍のマクロバーツ大尉の話だが、主人公の中間管理職的な苦悩に同情してしまった。指揮官として部隊を守るために私情を捨てて部下に接すると恨みを買い、成果を上げると責任を増やされて上からさらに無茶な任務を下される。戦場を描いてはいるけれど、なんだかサラリーマンの話みたいだな…と。まあそれは極端な例えにしても、最前線での指揮官の苦悩がドラマの主軸なのは確か。「持ち場を離れる」という判断の是非に対する主人公の解釈を、前半と終盤で対比させているのが話のミソですな。主人公にとっての唯一の救いは、偶然部下として配属されたかつての恩師がそばにいることか。90分弱の尺でそれなりに戦闘シーンも入れつつ、主人公がその恩師に諭されながら周囲との関係に変化が出てくるあたりが手際よく描かれているのは良いね。
中盤で主人公とロンメルを対面させるあたりは粋な感じだけど、本作でロンメルを演じるのが「砂漠の鬼将軍」でロンメルを演じたジェームズ・メイソンってところがなかなかニクい配役。
THE BATMAN
−ザ・バットマン−

(2022年制作)
9
ブルース・ウェインがバットマンとなり、ゴッサムシティの闇に紛れて戦い始めてから2年。そんな街の名士が次々に狙われる連続殺人事件が発生する。
バットマンの単独作品としては「ダークナイト ライジング」以来10年ぶりのリブート作品。最近のDCEUとも切り離されているので世界観としては本作で再設定されたものになっているけど、方向性としてはノーランの「ダークナイト」3部作以上にシリアスでリアリスティックで実に見応えがあった。というか「ダークナイト」ですらアクションヒーロー路線のアメコミっぽさは残っていたのに、本作ではそれも薄めてさらにフィルム・ノワールな方向への振り切っていて驚いてしまった。確かにアクションシーンもあるんだけど、観終わったあとにもそこが印象に残らないくらいキャラクターや人物関係の“影”や“闇”といった印象が強烈に残る物語になっていたと思う。そういう意味ではホアキン・フェニックスが出た「ジョーカー」の様に、アメコミを原案にした別ジャンル(本作の場合はノワール)作品と言っても良いくらいのところまできた作品かもしれない。
“ゴッサムシティ”は“腐敗した街”の代名詞でもあるので、その影で渦巻く権謀術数があってこその世界観でもある。そこに権力側の裏の顔を重ね合わせるところまでは分かりやすい感じだったものの、さらにトーマス・ウェインの過去まで絡めてブルースの行動原理に動揺を与える展開には驚かされた。3時間弱の長い映画ではあるけれど、街の状況からそこに至る段階、そしてそこから先に進む段階としての起承転結のバランスはとても良かったと思う。本作のリドラーの謎掛けも、成り上がる直前のペンギンも、キャットウーマンの怪盗っぽさも、キャラクターのイメージを残しながら本作のノワールな世界観の中で限りなくリアリスティックに仕上げていったセンスには脱帽ですね。そうそう、観る前には誰が出演しているか詳しく調べなかったんだけど、エンドクレジットでコリン・ファレルの名前を見て「どこに出てたっけ?」とちょっと考えてしまった。まさかペンギン役だったとは全く気づかず…w 特殊メイクってすごいわ。
映画的には満足度は高かったけど、非英語圏の人にリドラーの謎掛けを上手く伝えるのが難しいというのはちょっと不利か。このあたりは翻訳の人も苦労するところだろうけど、“切り取られたThumb(親指)”と“暗号表に隠された“Drive(ドライブ)”の文字から“車の中のUSBメモリ(thumb drive)”を連想させるというのは「翻訳者泣かせだなあ」と思ってしまった(苦笑) こういう英語の語呂合わせ的なネタのある映画を観ると、英語をネイティブで聞き取って理解出来るようになりたいものだとも思う。
ザ・ビートルズ
EIGHT DAYS A WEEK
The Touring Years

(2016年制作)
8
1963年から1966年にかけての世界的な熱狂を生んだザ・ビートルズの姿をツアー・コンサートを中心に描いたドキュメンタリー。
俺自身としてはザ・ビートルズのブームがあった時代には影も形もなかったわけで。当時のこともドキュメンタリー番組の映像で見るくらいだったし、曲も一部のものしか知らないけれど、それでもその名が歴史に名を刻むほどの熱狂を生んだことは知っている。それはあるアーティストに対する熱狂というにはあまりにも度を超した、真に社会的現象と言って差し支えない情景だが、その記録が映像として端的にまとめられていて興味深い。
この映画はその現象の真っただ中の4年間を中心に構成されているけれど、そのような中で彼らが少しずつ変化していくさまがよく表れている。音楽を演奏している幸せが表に出ているような'63年。シェイ・スタジアムで転機を迎えた'64年、そして'66年のツアーの停止とレコーディングアーティストへの変化。スタジアムコンサートについて「楽しくなかった」「ビートルズという見世物を見に来ているだけで、誰も聴いていない」というメンバの述懐が物語るように、音楽を聴いて欲しいという欲求と裏腹な反応に疲れてしまったのだろう。そこに人間としての彼らの気持ちがよく出ていて良かった。
いろいろなタイミングが合って、当時の若者に受け入れられた彼ら。インタビューで語るウーピー・ゴールドバーグの様に「自分は自分でいいのだ」と影響を受けた人もいるし、“熱狂”という力をバックにコンサート会場の人種隔離を撤廃させたりという社会を変えるような影響があったと描かれる。でも彼らは音楽が好きで、音楽を聴いて欲しいアーティスト。エンディングの小さな屋上コンサートでの表情がそれを物語っているね。
純粋にそれ愛して頂点を極めて熱狂に振り回された結果、自身のやりたいことはもっとシンプルなはずだと悟る。ドキュメンタリーとしてのテーマは「セナ 音速の彼方へ」と近いものも感じるが、時代の寵児となった天才であるが故の苦悩とでもいうのだろうか、パーソナルな追求とすれ違っていく様子がドラマチックだと思う。
ザ・ビッグ・ワン
8
前作に引き続き、企業vs労働者を独特の語り口&アポ無し突撃取材で取り上げるマイケル・ムーア。ドキュメンタリー作品でありながら「ロジャー&ミー」よりも笑える場面が多くあり、飽きさせない構成も上手くなっている。相変わらず無茶な取材を続けるけど、企業論理によって不当な扱いを受けている労働者を取り上げる姿勢は感銘する。労働者からは心強い味方、企業からはとてつもなく邪魔存在だろうw 今回の話の主軸はマイケル・ムーアが出版した本のプロモーション活動だが、その行く先々で同様の雇用問題が起きていることは興味深い。
「ビジネスマンがこう僕に言う、『企業は株主に責任があるから利潤を追求する、株主が米国を支えてる』、そんな訳あるか、ここは民主主義の国だ。合衆国憲法を読んでも“株主”なんて言葉なんて出てこない。あるのは“人民”という言葉だ。」このマイケル・ムーアの講演での話は、まったく持ってその通り。利潤のみを追求する企業の罪は重い…。
ザ・ファーム
法律事務所
7
メンフィスのある法律事務所に就職した若きエリート弁護士が、事務所の不正気づいたことから起こるサスペンス。
出演者がトム・クルーズ、ジーン・ハックマンにエド・ハリス。そして脇役陣も見た顔ばっかりだし凄く豪華。しかし肝心の中身はサスペンス映画の割に特に緊張感も無く後半まで突き進む。2時間ほど経って、トム・クルーズが走り出したあたりでようやくサスペンスらしくなるのだけども…。主題は非常に面白いだけに、なんだか勿体ない。
この話は多少は米国の連邦制や法律に知識があった方が楽しめるかもしれないけど、一応予備知識無しでも話については行けました。ただ、郵便詐欺云々のところは日本人にはピンと来にくいかなあ。俺は後で調べてしまいましたがw
ザ・ファイター

(2010年制作)
7
実在のボクサー、ミッキー・ウォードが家族との対立や協力を経てタイトル戦に挑む姿を描いた伝記ドラマ。
マーク・ウォールバーグ自身の企画で撮られた作品だけど、制作には苦労したようで、その執念からか演技巧者たちの見事な演技が観られる面白いドラマになっている。特にミッキーの兄でヤク中のトレーナー・ディッキーを演じたクリスチャン・ベールは、誰が見たって役作りの鬼。ヤク中らしい挙動にその痩せた体格へのなりきりはスゴイ。
話はサクセスストーリーとして割とオーソドックスなものなんだけど、前述のとおり演者がみんな達者なのでそれだけで見入ってしまうかな。マリサ・トメイのオカンも強そうだが、一歩も引かないエイミー・アダムスも気の強そうなキャラになりきっていて、映画ごとに変幻自在という感じで良いです。
ボクシングのシーンは鍛え上げたウォールバーグが実際にやっているけども、見せ方としては割と普通かなあ。悪くはないけどTV中継的な映像を意識しすぎているような。でもこの映画は兄弟・家族のドラマだからね。
サブウェイ123 激突

(2009年制作)
6
70年代のサスペンス映画「サブウェイ・パニック」のリメイク作品。NYの地下鉄が乗っ取られた。犯人達は乗客を人質に、司令センターの主人公・ガーバーを通じてNY市へ1000万ドルの身代金を要求する。
手持ちの不安定な映像にズームイン・アウトの多用、そして特徴的なコマ送り。冒頭から徹頭徹尾トニー・スコット監督らしい画作りが続くが、スタイリッシュだと思える画もずっと同じテンションで来られると疲れてくる。ストーリーも冒頭こそ引き込まれはしたけど、周到なのか杜撰なのかよく分からない犯人も、人質殺害の緊張感以外には感じ入ることのない会話劇も、終盤になるにつれて緻密さが崩壊してきてる感じ。現金輸送のタイミングにしたって、事故が起こるべくして起きる様に見えない。盛り上げるためだけに起こそうというのなら脚本の怠慢だよなあ…。
犯人役のジョン・トラボルタはこの手の風貌が似合いハマっていると思える。主役のデンゼル・ワシントンは“一般人”という役作りの為に太ったそうだけど、一般人だというのでれば、クライマックスの対峙で発砲はして欲しくなかったなあ。犯人に報いは必要だけど、主人公が手を下す必要性までは感じない。ここはジョン・タートゥーロ演じるカモネッティが狙撃…くらいの方が良かった。主人公とカモネッティの信頼感の描き方は悪くなかっただけにね。
サプライズ

(2011年制作)
7
久々に集まった家族10人の晩餐。しかし何者かに襲撃され、一人、また一人と殺されていく。
ホラー映画のセオリー通り進んでいくと思ったら…あれ?逆襲のヒロインの強いこと。最初の反撃には声をあげて笑ったw 入口の仕掛けを作っている場面など、こりゃ「ホーム・アローン」だなと思ったり。
ただ犯人側の行動が見えると緊張感は薄れてしまう感じ。中盤には家族の一人が襲撃者とグルであることが分かったり、そもそも襲撃者も意味深なマスクこそすれ、反撃されると意外に大したことないので…話の入りがホラーとはいえ「恐怖」を感じるような映画ではないかな。どちらかというと強すぎるヒロインがギャグだとも感じるけど、どうせならもっとやり過ぎてくれも面白かったも?まあ血塗れ具合はすごいので、スプラッター映画なのは間違いないが。
ヒロインが勝つんだろうというのは前提としても、全体的に有名な俳優はいないので誰がいつ死ぬかも読みにくいし、こういう王道から少しズラしてくる展開は面白いので嫌いじゃないです。
ザ・フラッシュ

(2023年制作)
8
ジャスティス・リーグの一員であるフラッシュことバリー・アレン。ある日、彼は自分が時間の壁を突破して過去に干渉できることに気づく。DCEUの13作目。
メタ的なことを言えば、DCEUは製作面でかなり紆余曲折あったために今後どういう方向に行くのかもまだ不明瞭。そんな中で本作はある意味で方向転換の軸になりうる作品だった。つまり前作までのジャスティス・リーグの主要キャスティング(主にバットマンのベン・アフレック)を解消し、新しい方向に向けることに対して説得力(こじつけ?)を持たせるための作品でもある。そういう意味でラストにジョージ・クルーニーのブルース・ウェインが登場したことには驚きもしたけれど、今後のDCEUがどうなるのかという興味がまた湧いてきたところでもある。
それはそれとして、(その交代に説得力を持たせるために)マルチバースを移動できることとなったフラッシュは「アース89」のブルース・ウェインと出会う。そう、30年ぶりのマイケル・キートンが演じるバットマンだ。これはやっぱりファンとしては嬉しい。ダニー・エルフマンのあのテーマ曲が流れ、バットモービルやバットウィングが登場する。もうたまりませんよw これだけでも相当の価値があるよなあ。
黒髪ショートのスーパーガールもなかなかキャッチーでいいキャラクターだった。なぜシベリアで捕まっていたのか、スーツはどこで手に入れたのか等の不明瞭な部分は気になるけど、そのあたりは勢いでごまかされた気もする。
結果的にはバリーが母親を救ったことが時空の結節点としてゾッド将軍の勝利に繋がるという展開になってしまう。そのことを認識したバリーは覚悟を決めるわけだけれど…、母親との別れのシーンはなかなかエモーショナルだったな。ただ、こういうパラレルワールド的な話は、ある時空の行き先が悲劇しかないというのが分かってしまうとややモヤモヤする部分も出てしまう。バリーの主観的には歴史を正したことになるのだろうけど、時空がパスタの数の様にあるからこそ、バットマンやスーパーガールが死ぬあの時空はそのままなのか?という引っかかりになってしまうので…。
ザ・ブリザード

(2016年制作)
7
冬の嵐の海で大破・漂流したタンカー。沿岸警備隊の数名は危険を承知でその荒海の中、救助へと向かう。
実話に基づいた作品なので、基本的に予定調和。まあそれは仕方がないとしても、ドラマ部分でもうひと押し何かが欲しい感じがして…ちょっと物足りない。ストーリーは、確かに危機的状況に協力し合って立ち向かったタンカーの乗組員や、絶望的な天候の中を救助に向かった沿岸警備隊たちのドラマは熱いが、逆に言うとそれ以外にはちょっと変化に乏しいかな。そこを補うために主人公の婚約者視点のパートが入っているのだろうけど、これは逆にテンポを止めがちだったし、何より“自立した強い女性”というキャラクター性よりも、公共機関に私事で乗り込んでいった自己中に見えてしまっていただけない。まあ彼女自身たしなめられていたし、未亡人の姿を見て考えるところもあったようだが…。
主演のクリス・パインはまだ少し迷うところのある若き隊員を上手く演じていると思う。規則第一だった彼が現場で変わっていく様子も良い。逆に命令を出す局長役のエリック・バナは損な役回りですな。でもこの映画では遭難タンカーで船員をまとめあげたケイシー・アフレックのキャラが良かったよね。海の男からイメージする者にしては控えめな感じだけども、判断は的確。まさにプロという感じで、個人的にはそっちのドラマの方をもうちょっと見たかったかも。
荒海の映像はよくできていたので、その点については満足です。
ザ・プレデター

(2018年制作)
7
傭兵のクインはメキシコで宇宙船の不時着に遭遇しプレデターの装備を手に入れる。一方でその宇宙船を追った別のプレデターも地球へと現れるが…。
プレデターの脅威がストーリーの主軸…というよりは、“ルーニーズ”なる頭のいかれた軍人たちがドンパチを繰り広げるといったアクション映画の趣に近いか。勢いとご都合主義で話を転がしている感じが絶妙なB級臭さを醸し出していて、それが逆にこの映画だと不思議と魅力に映る。(個人的には初めて「ハムナプトラ」を観た時の感覚に近い。) 狙ってやったのか偶然そうなったのかはわからないけど、80年代〜90年代のアクションってこういう勢いとバカげた感じがあったよなーみたいな懐かしさを感じる部分もあるね。序盤の説明臭いセリフや描写は少し興を削ぐ部分もあるが、それもまたかつてのB級っぽさと言えば…それは良く言いすぎ?w 自閉症の扱いについては現代的な感覚か。やたらと行動的な女学者は、学者のくせにネタかと思うような攻撃性を垣間見せるけど、強い女性ってのも現代的な感じかね。
劇中で87年と97年に言及しているので間違いなくシリーズの続編。ただ前述の通り作風はB級アクションの趣なのでシリアスな緊迫感はほとんどないかな。とはいえ首は飛ぶし身体は千切れるし、やりすぎない範囲で残酷描写も描いているのは悪くないとは思った。“プレデター”のお約束シーンとしては、非武装の人間は襲わないとか赤外線カメラで観ているとかもちゃんと出てくるものの、ストーリー上ではほとんど意味をなさないのがちょっと寂しい気はする。
ザ・ホエール

(2022年制作)
8
体重272kgの主人公はうっ血性心不全により死期が迫っていた。彼は疎遠だった娘との関係の修復を試みるが…。
原作が同名の戯曲ということを知らずに観たのだけど、場面は終始主人公のアパートでそこに入れ代わり立ち代わり人が出入りするスタイルの話なので「舞台劇っぽいなあ」と思っていたら実際そうだった。
それはさておきやっぱりまず目につくのは主人公の容姿である。人間としては限界に近い太り方をした主人公の姿は演じるブレンダン・フレイザーの容姿を知っている者からすれば驚きを禁じえない。それは特殊メイクの出来栄えもさることながら、「そういう人物がそこに映っている」としか思えない実存感として主人公・チャーリーがそこにいるからだ。
最初は「鯨」というタイトルは主人公の容姿をもじっているだけなのかと思っていたが、一義的にはそうでありつつも、映画の冒頭から何度も読まれる「白鯨」についてのエッセイが大きな関わりを持っていることが分かってくる。作品の仕掛けとしてそのエッセイが誰のものか…誰の言葉であるのかということが大きな意味があるわけだけれど、その言葉に包まれながらラストに光り輝く鯨となったチャーリーの姿には心揺さぶられるものがあった。
サボテン・ブラザース
7
西部劇のヒーローを本物と勘違いした村人が彼らに悪者を倒してくれと電報を打つが、受け取った彼らはショーの出演依頼と勘違いし、颯爽とメキシコの村へ向かう。
スティーヴ・マーティンの作品らしいコメディ映画ですが、ベタベタなギャグは笑えるけども大爆笑と言うほどではなかったかな。明らかに書き割りの前で野宿しているシーンや歌う馬、透明な騎士などに面食らいつつも「ここまでやるか」と感心はしたけど…w
展開自体は今では割と使われるシチュエーションである“間違いヒーロー”モノ。依頼する方もされる方もお互いに勘違いして敵と戦い、途中で気づく。もはや王道とも言えるコメディです。その分安定した面白さはあるけど、やっぱり今観るとちょっとベタすぎる感じはする。
ザ・マスター

(2012年制作)
7
1950年代のアメリカ。太平洋戦線から帰還した主人公は、精神に問題があり、アルコール依存も手伝って社会に適応できなかった。そんなある日、新興宗教を率いる男に出会い、絆を深めていく。
劇中で描かれる新興宗教のモデルがサイエントロジーだということで話題になったけど、この映画自体はそれをことさらに批判するようなものではない(監督自身が宗教を胡散臭いものとしているのは、感じ取れるけれども)ね。内容としては一人のろくでなしと一人のマスターという、立場が違う二人の男の関係性を描いた人間ドラマだった。精神的に不安定な主人公は。観客として観ていても少々不快。なので全然感情移入できなかったんだよなあ。
そんな主人公を演じるホアキン・フェニックスと、カリスマ指導者を演じるフィリップ・シーモア・ホフマンがなぜ引き合うのか、彼らの演技合戦が見ものではあります。ただ、演出はシックで派手さは全くない。まあシックなのは監督の作風だけど、相変わらず画作りに関しての妥協が感じられないのはすごいと思う。女性だけが裸に見える主観?のシーンはなんか不気味さすら感じでしまったよ。
ザ・マミー
呪われた砂漠の王女

(2017年制作)
6
ユニバーサル・スタジオのクラシック・モンスターをリブートさせる企画“ダーク・ユニバース”の第一弾。「ミイラ再生」を設定も新たに描いたアクション・ホラー映画。
現代に蘇ったミイラと戦うこと以外に原点との共通点はなく、怪奇モノというよりはアクション映画の趣を強くしたのは良かったのか悪かったのか。個人的には繰り広げられるジョークとシリアスの塩梅がどうしてもなじめず、正直言って面白いとは思えなかった。飛行機の墜落シーンはそれなりの迫力もあり主人公の良い見せ場にもなっていたし、ラッセル・クロウ演じるジキルとハイドの雰囲気も良い感じではあった。でもそれ以外はねえ…。
一見すると考えなしな感じに見える主人公のキャラクター性は今一つ共感しにくい。呪いにかかった主人公が幻覚を見て気づくと違う場所に…の繰り返しが多いのも、ちょっと観ている側の集中をそいでいる様な気がするが。一方でいろいろとご都合的な展開も多目に付くし、せめてウソならウソなりの合理性が感じられればいいんだけど、話運びのそういうところがちょっと荒い感じ。狂言回しがいまいち機能してないし、コメディリリーフがいないのもしんどい原因かもね? 個人的に納得できないのは、蘇った十字軍の騎士がなぜエジプトの王女にかしずくのかということだが…。ミイラみたいなもんだからってそんなのでいいのか?
同じ原典からのリブート作品として「ハムナプトラ」と比較されるのは宿命だろうけど、あちらと比べると明らかに分の悪いリブート作品だと思う。
ザ・ムーン
9
40年前の月面有人飛行“アポロ計画”を、生存しているアポロ計画の飛行士達のインタビューと共に追ったドキュメンタリー。
作品の作りとしては極めて普通のドキュメンタリーだけど、そこに映し出される映像は、よく見たものから初めて見るものまで、どれをとっても目を奪われるような素晴らしい映像だった。もちろんソースが古いフィルムなのだけど、リマスターされた映像は想像以上にクリアで、発射シーンの迫力などは特にすごい。個人的には打ち上げられたサターンVが、次々に切り離されていくシーンを望遠で捉えた画が印象に残りました。
改めてこの映画を観て、“人類は本当にすごいことをやったんだ”と感動してしまった。世界中を凱旋したという飛行士が、「『アメリカがやった』ではなく『我々はやった』と皆に言われたんだ。」と語るインタビューは、映画の映像を観ただけでも実感が湧きます。同じ人類としての達成感。確かにアメリカという国の栄光の一つだろうけど、これは人類の偉業であることは間違いない。その意味でもこの映画のような記録は意義があると思うね。
SAYURI
7
芸者としての運命に翻弄される一人の女性を描いた作品。
俺とは全く縁のない世界なんで、そこで描かれる世界は日本のことなのに、どれくらいリアルなのかが分からないw でも少なくとも外国人から観た“イメージ”の日本であることは間違いないと思う。そう言う意味で「ラストサムライ」と同じ系統と思えば良いか。だから英語台詞の端々に日本語が混じるのもしょうがないのかも。日本人からすれば違和感ありありなんだけど、日本語の単語(“こんにちは”とか)を拾える外国人からすれば「日本っぽい!」と喜ぶのかなあ?
ストーリーは「芸者ってのは大変なんだね」とは思うけど、やはり俺には感情移入できない世界。結局ラストに想いが叶うし、俺とはちょっと方向が違った…。「千年女優」の様な話ならある程度共感したかもしれないけど。
主人公は中国人ながら、日本人や日系人俳優が多数出てたけど役所広司はどこでやっても役所広司ですな。良い感じw 個人的にはマコが出ていたのにハッとした。プロローグで「どこかで見た爺さんやなあ」と思ってたんだけど、クレジットに小さく出てたね。でもベテランなのに扱いが小さすぎない?
ザ・ライト
-エクソシストの真実-

(2011年制作)
7
信仰に疑念を持ちながらも神学校へと進んだ若者マイケル。彼は神父から悪魔祓いの講座を受けるよう勧められ、そして経験豊富なエクソシスト・ルーカスを紹介される。
ルーカス役のアンソニー・ホプキンスの演技は安心感がある。神父として悪魔祓いを行う様子も、悪魔に憑りつかれ不気味さを発揮するところも、さすが。彼によってこの映画は成立しているようなものか。マイケル役のコリン・オドノヒューも誠実そうな感じが悪くないし、名優を向こうに回してもしっかり立てているのは良かった。
エクソシスト映画というジャンルがあるのかはともかく、神父vs悪魔というストーリーとしては、現実寄りな感じ。怪異にしても首がグルッと回ったり緑のゲロを吐くことはない。蠅とかカエルとかで匂わせはするけど、悪魔自身は姿を見せない。ベタなホラーを期待してるとそこが物足りなく感じるかも。まあ劇中でそれをネタにするくらいの余裕があるのだから笑ってしまうのだけど、主人公が「悪魔憑きは精神病だ」と信じているので演出としては納得できます。
それでも“悪魔が見ている”としか考えられないような事態に追い込まれて、マイケルは信仰心を得る。これを成長とみるのであれば、師匠と弟子と成長を描いたドラマの映画なのかもね。
サラマンダー

(2002年制作)
7
地底から復活した竜によって都市は壊滅し、核による反撃も竜には効かずただ荒廃を生むだけとなった近未来。主人公は他の生き残った人たちと隠れ住む砦のリーダーとなっていたが、ある日、戦車やヘリで武装したアメリカ義勇軍が現れる。
核攻撃で倒せないのに口腔内へのボウガン(爆薬付き)で倒せたり、凄まじい竜の大群の中で一匹しかいないオスを倒せば解決するとか、なかなかご都合主義な感じが目立ちもする。だけどそういうB級モンスター映画感はあっても、なかなか生々しい竜の描写はCGのクオリティも高くていい感じ。ストーリーもプロローグ・前半・後半で舞台が変わってテンポは悪くないし、主人公サイドと義勇軍サイドの反目から協力へという展開は飽きさせない。まあクリスチャン・ベイルとマシュー・マコノヒーという達者な演技があってという部分もあるけど、脇役にジェラルド・バトラーやアレクサンダー・シディグが出ていたりと、意外に役者が豪華だったりもするのが面白いね。
結果的に世界を救う話ではあるのだけど、終盤直前で戦力が激減して3人で竜に挑むというムチャが何とも…。クライマックスではボウガンと斧という原始的な戦いを挑む姿はまるでゲームの「モンスターハンター」の様でもあるけど、ゲームよりはこの映画の方が先ですな。でもそういう部分に巨大生物への原初的な恐怖と、勝利のカタルシスはまあまあ感じられるので、モンスター映画としては割と好きだったりします。
序盤で「帝国の逆襲」を寸劇するシーンが出てくるけど、後半には突然「プレデター」の様に竜の主観が映ったりするシーンもあって、ちょいちょいオマージュがあるのも面白い。
ザ・リング
9
日本版オリジナルを観ずに観たけど、これほど面白い映画だとは思わなかった。タイトルからすでに張られている伏線の妙や、画面から伝わってくる雰囲気の重さには感心する。どこまでオリジナルを再現しているのかが分からないけど、これほど上質のホラーだとは思わなかった。心理的な効果をねらってるのか、光の輪が一瞬だけ映るサブリミナル的な演出や、過去のホラー映画を彷彿とする演出もあり、そのあたりを考えてみるのも面白いと思う。邦画がハリウッドで忠実にリメイクされる、これは誇りに思わないといけない。
ザ・リング2

(2005年制作)
5
前作から半年後の田舎を舞台に、移住した前作の主人公親子が再び呪いの元凶であるサマラと対峙する姿を描いたホラー映画。
呪いのビデオという「リング」の代名詞的な要素は冒頭で触れるだけで、本編はほとんど息子に憑りついたサマラをどうにかしようとする話に終始。これが「ザ・リング」の続編である意味がある?という疑念が頭から離れないが、それを横に置いておいたとしても話の進み方がじれったくて仕方がないし、そもそもホラーとして怖くない。スプラッタやゴアとは違う、いわゆる“ジャパニーズ・ホラー”的な「ジメッとした重さ」を目指しているのだとは思うけど、サマラをハッキリ見せすぎているのが逆効果なんじゃないかと思ったり。この手のホラーは劇中のルールとして禁忌的な行為を用意して、登場人物がそれを破るか否か…にスリルを描き出すのが王道だと思うんだけど、あんまりそういうこともないよね。
監督は日本のオリジナル版を撮った中田秀夫だけど、本作では空回りしているというか…ハリウッド的な要請との板挟みだったのだろうかなどと考えてしまった。ラストなんてモヤモヤした感じで終わらせてもよさそうなものだけど、井戸の蓋をしてわざわざ決着つけさせるとか…、いかにも(悪い意味での)ハリウッドだよなあ。
ナオミ・ワッツは前作から続投。上手い人だけにこんな映画にはもったいない…(苦笑) シシー・スペイセクが出ているのは驚きだが、ホラー映画的には「キャリー」へのオマージュの意味もあるのだろうか。
猿の惑星

(1968年制作)
9
宇宙の調査を目的として、4人の宇宙飛行士が載る宇宙船がある惑星に墜落。そこは文明を持った猿が人間を狩る惑星であった。
言わずと知れたSF映画の傑作。衝撃的なオチは観たら忘れられないけれど、これはそこまでに猿たちの前時代的な文化(宗教裁判があるから中世から近世のイメージ?)からの仕打ちに憤る主人公を描くことで、より強調されるオチだよね。猿よりも人間の方が進んでいて立派だという心理を植え付けた上で、「それ以前に愚かしくも人類は自滅してしまった」という暴力によって行動する人類に対する痛烈な風刺。このテーマが、作品をレベルの高いSF作品として色褪せないものにしているんだと思う。
細かいことを言えば、別の惑星(だと思い込んでいただけだが)の割に猿が英語をしゃべったり文字がアルファベットだったり、都合のいいような部分はあるのだけど。まあそこはご愛嬌ということでw
メイキャップ技術は今観ても素晴らしい出来だと思う。ただのゴムマスクの被り物とは違い、口は動き、表情が出せる。これだけでキャラクターに対して見る側の印象がずいぶん変わるよね。
続・猿の惑星

(1970年制作)
6
シリーズ2作目。旅立ったテイラーは謎の幻覚にとらわれて行方不明に。一方、過去の地球からテイラーと同じ軌道でやってきた宇宙船が"猿の惑星"に不時着する。
禁断の地の奥、地下に潜む人類の生き残り。続編の舞台としては真っ当だが、前作の魅力をほとんど生かせず微妙な特撮映画になってしまった。前作の主人公・テイラーは早々に退場し終盤まで出てこないが、代わりに本作の主人公・ブレントが惑星の秘密に迫っていく。でも明らかにこれはテイラーが負うべき役回りだと思うし、主人公を変えたことで前半が前作と同じような展開になってしまったのも上手くいっているとは思えない。後半の地下にいた人類の描写も、SFの設定として真実味が乏しい上にテンポが悪く、続編としては蛇足な印象ばかりが残ってしまった。
テーマ的には滅びの道に進むことしかできない人間の姿を描き、猿たちも同様であるとまったくもって終末的。ベトナム戦争で陰鬱になっている世相の反映かもしれないが、まさか最後に最終爆弾で惑星滅亡とは。とことん救いがない。
新・猿の惑星

(1971年制作)
7
シリーズ3作目。猿の惑星のチンパンジーであるコーネリアスとジーラが1973年にやってくる。
これまで描いた人間が猿の世界に放りこまれる事態との逆の現象を描いているけど、立場が入れ替わっているだけでやっている事は同じに近い。まあ舞台は変わったので新味は出ているか。ただのクリーチャー映画と違うのは、観る側がすでにコーネリアスたちの人となりを理解しているので、最初から人間ではなく彼らに感情移入するところだけど。この辺は面白いかも。
ただ、ジーラが人間にしてきた実験と、人間が動物にしてきた実験を対比させて、動物愛護的精神を考えさせるところは少しあざとかったかな。
それにしてもコーネリアスたちをタイムスリップさせるという設定は強引だよなあ。強引だけど見事な発想だとは思う。
猿の惑星・征服

(1972年制作)
6
シリーズ4作目。前作で匿われたシーザー(コーネリアスとジーラの息子マイロ)が、猿たちのリーダーとして人間に反抗することを決心する。
どうにも舞台の規模が小さいのが難点。制作予算の都合もあるんだろうけど、一都市での反乱だけで「これで地球は猿の支配下に落ちる」というには少々無理があるんじゃないだろうか?
まあそれはさておき、話的には管理社会からの脱出モノによくある体裁を取り、猿を奴隷として扱う人間に対して、奴隷解放というテーマをかぶせている部分についてもSFとしての意義はあると思う。シーザーに対して味方をしてくれる人間はほとんどいない中、彼の窮地を救った人間が黒人だったというところでも、米国の黒人の歴史を意識しているのは分かるしね。対する猿管理局の方も、制服がナチっぽかったりと割と"人種差別"というテーマにステレオタイプな見せ方だとも思った。
最後の猿の惑星

(1973年制作)
6
シリーズ5作目。前作でのシーザーたちの蜂起後、核戦争によって衰退した人類。人類との共存を模索するシーザーだったが、生き残った人類が攻撃を仕掛けてくる。
猿が人間にとって代わるための前提である"核戦争"という設定が、極めて適当に語られてしまうのは釈然としない。ともかくそれがあったことで猿の惑星になりつつある時代という設定。ただ、前作の主人公だったシーザーはともかく、他の猿まで一様に喋れて知能も上がっているというのはかなり無理があるかなあ。
"禁断の街"に潜む人間の生き残りや、シーザーの石像など、前作までのシリーズとの連続性を出すための部分もあるけど、強引に纏めにかかっている感じだよね。一応、エンディングを見た限りでは、1作目に続いていく未来は変わっていったと解釈してるんだけど…、どうなのかな。
個人的に気に入っている場面を挙げれば、「猿は猿を殺さない」という掟を破りシーザーの子を殺したゴリラのアルド将軍を、他の猿が誹謗の目で取り囲んでいるシーンで、それを見ていた人間が「どうしたんだ?」「人間になったのさ」という皮肉なセリフを言うところかな。同族殺し(戦争)をし続ける人類に対する皮肉の利いたセリフですわ。
PLANET OF THE APES
猿の惑星

(2001年制作)
6
「猿の惑星」を"猿の支配する星"という設定のみ踏襲してリメイクしたティム・バートン監督の作品。
元々オリジナルにあった人間社会に対する風刺的なものは鳴りを潜め、単純に異形の者(この場合は猿)との戦いを描いたアドベンチャー映画のような内容になってしまった。作品の再構築(リ・イマジネーション)を謳っているのだからそれでもダメではないのだろうけど、シリーズの魅力とはなんだったのかを考えると少しさびしい。異形の者を愛するバートン監督としては、オリジナルのSF作品としての魅力よりも、猿が喋って人を支配するということの方が面白かったのかな?
リック・ベイカーが担当したメイキャップはさすがの出来栄え。特に敵の大将であるセード将軍の作り込みは気合入りすぎで、ティム・ロスには全く見えないw 逆にヘレナ・ボナム=カーターが演じるアリは少し猿というにはノッペリしすぎている気がしなくもないが。
あまりスマートには見えない主人公(ウォールバーグ)や、金髪モデルの人間側ヒロインなど、今一設定やビジュアルに魅かれるところがないのはちょっと微妙だったかも。もっともしっくりいかないのが、チンパンジーのペリグリースはきちっと宇宙船の着陸ができてるのに、主人公が2回も墜落させているところ…(苦笑)
猿の惑星:創世記

(2011年制作)
9
アルツハイマーの特効薬を研究していた主人公は、試験投与していたチンパンジーが子供を産んでいたことを知る。彼はその子チンパンジーを引き取るが、その子は親が受けた薬の作用によって驚異的な知能が遺伝していた。「猿の惑星」シリーズのリブート作品。
作品としては再起動として「如何に猿の反逆が始まったか」を描いているのだけど、そこの説得力が絶妙。猿側の主人公であるチンパンジーのシーザーが親からの遺伝によって知能が上がっ原因は、ウイルスによる遺伝子治療薬。そしてその薬の効果を強めた薬は、猿には免疫があるが、人には免疫のない伝染性ウイルスであるという設定も上手い。エボラ出血熱を連想するその設定は、最後にパンデミックを示唆する展開も相まって、「最後の〜」なので語られる「人類の衰退は戦争が原因」よりもよほど説得力がある。SF映画として、見事に再構築したと感心してしまった。
さて、ドラマ部分でもこの映画の完成度は高い。106分でテンポ良く進むのでムダに感じる場面もないし、その中で人間側の主人公の目的やシーザーへの愛情、シーザーの境遇の変化と怒りが余すことなく詰まってる。そして楽しみ、怒り、落胆しといった感情表現を表情でこなすシーザーは、間違いなくデジタルキャラクターの最高峰でしょう。まあ多少目の周りを人間に似せすぎている気もするけど、他の猿のリアルな再現CGを考えると、これは主人公としてのキャラクター付けか。
この映画のストーリーは直接的には過去作とは関わりないけど、それでもそれら作品からの引用は使いどころが良い。シーザーという名前などはまんまだがw 個人的には特に"No!"というセリフの使いどころが気に入っているかな。「"No!"は人が猿を虐げた時代に使われた人の言葉であって、今では人が使ってはならない禁句だ。」というのは「最後の〜」で語られた猿が支配した世界の掟だったのだよね。それを知っていると、効いてくるのですよ。
猿の惑星:新世記

(2014年制作)
8
前作から10年後の世界は人類の大半がウィルスによって滅んでいた。森に平和なコミュニティを作り上げたシーザーたちは、ある日、人間の生き残りたちに遭遇する。
シーザーたちエイプ(類人猿)のVFXはすごい。しかしもうそんな技術的な面だけ見て驚くような映画でもなく、エイプと人間の物語…相互理解の可能性とともに、如何にして争いは起こるのかというドラマとして、素直に見入ってしまった。「エイプはエイプを殺さない」という言い回しは過去作からの引用だけど、ここも上手くドラマに取り入れている。前作でのコバは実験動物扱いされていた脇役だったけれど、本作ではシーザーの右腕になり、そしてその顛末は最終的に悪役になれど…不幸が重なった結果であって少し同情してしまうなあ。
争いの原因は相互不理解であるとして、普遍的なテーマが本作では見せられる。エイプ側にしても、人間側にしても、そこにあるのは生き残るための選択であって、これがまたやるせない。いずれの登場キャラにしても、頭ごなしに否定しようという気にならないドラマだったね。
かくてシーザーたちの望まぬ形で争いは始まってしまった。後戻りはできないということを理解しているシーザーの苦悩を想うと心苦しい。
猿の惑星:聖戦記

(2017年制作)
8
森深くに秘密の拠点を築いたエイプ(類人猿)たちだったが、人間側の襲撃によってシーザーの妻子が殺されてしまう。
人間への復讐心に駆り立てられるシーザー。ここで効いてくるのが、同じく人間への復讐心で行動していた前作のコバ。シーザーがコバの亡霊に取り憑かれたかのように苦悩する描写は、シーザーがようやく彼の気持ちを理解したという事だが、それを否定していたこれまでの気持ちとの間で苦悩するわけだ。それを乗り越えるのか受け入れるのか、エイプが主人公だがとても普遍的な感情の話でもある。一人(一頭)の英雄譚として、シーザー3部作の締めとしてもよく纏まっていたとも思う。良いな。人が言葉を失う病気が現れ始めている状況は、旧作の「猿の惑星」を連想させる設定だよね。磔台のデザインやラストの風景などの旧作へのオマージュも悪くない。
新キャラのバッドエイプは道化役の立ち位置で、どうにもジャー・ジャー・ビンクスを思い出してしまう(苦笑) あそこまでウザくはないけどw でも彼の名前がエイプと人との関係を如実に表しているというところが皮肉。一方で口のきけない少女ノバは人と猿との関係性の希望でもあるわけだが、旧作の「猿の惑星」を知っていると…希望ばかりなのだろうかとちょっと複雑な気持ちにもなった。人間側は目立つキャラが2〜3人と少ないが、悪役を一手に引き受けたウディ・ハレルソンは、存在感もバッチリ。行動原理に少し同情の余地も感じさせるところもあったかなあ。それにしても、全部モーションキャプチャーで3部作の主役であるシーザーを演じ切ったアンディ・サーキスは本当にお見事。
猿の惑星
キングダム

(2024年制作)
8
前作から300年後。主人公の若きチンパンジー・ノアが人の血の付いた毛布を見つけたその日、彼の村はエイプの軍隊の襲撃を受ける。
前シリーズからの続編だけど、前作から作品内の世代を隔てているので作品としては新シリーズという扱いかな。でもシーザーの存在感は伝説として未だ残っているので、前3部作でシーザーがどの様な生き方をしたのかは知っておいたほうが良いかも。でも、主人公のノアは何も知らないところからその世界の成り立ちを知っていく…という流れなので、前作を観てなくても観客はノアとともに色々なことを知る過程を共有できるようにはなっている感じ。そういう意味ではこの構成はよくできていたと思う。
キーとなる人間の女性を最初"ノヴァ"と名付けるのは前作のオマージュかな。それはそれとして実際にはメイという名の知性のある人間なわけだけど、喋れなくなった人類の中で何故喋れるのか、何が目的か?が話のキーになっている。観ている間は「実は第1作みたいに宇宙から帰還した宇宙飛行士だったりして?」なんて思ってみもしたけど、さすがにそこまで過去作のオマージュにはしなかったかw
本作の悪役であるプロキシマスは、かつて存在した人類の力を手に入れようとしている"キングダム"の王。でも彼は絶対悪ではないよね。エイプの王としては、かつて人類が支配者として君臨していたことを知っているからこそ人間を信用しないし、逆説的に人類の力を手に入れてエイプという集団を強靭化しようとも考えているわけで。そういう意味では、メイが(エイプにとって)真に信用できる存在なのかという部分と併せて作品テーマを深くさせている様にも思う。
エンディングで知識を保ったままの人類集団の存在が示唆され、これから先、ノア達エイプとどう関わることになるのかが気になるところでもある。人類集団とエイプは相容れることはできるのだろうか。それとも打ち解けることはないのだろうか。プロキシマスが人間を信用しなかったように。
ザ・ロイヤル・テネンバウムズ

(2001年制作)
8
子供の頃に成功した3人のテネンバウムである、チャス、マーゴ、リッチー。その20年後、別居していた彼らの父・ロイヤルから死期が近いという連絡がくる。母エセルの家で再び一家が集まっての生活が始まるが…。
ウェス・アンダーソン監督の長編3作目。日本では本作で監督の名が知られた感じかな? 画面構成や章立ての展開、会話のテンポなどどこを切ってもアンダーソン印の作品ですね。どこか一風変わったロイヤル・テネンバウム一家の個々に抱える問題とちょっとした救いのお話がいい感じ。ほんと困った親父だけどどこか憎めないロイヤルを名優ジーン・ハックマンが好演してます。脇を固める役者も豪華だしクセのあるキャラも多いと思うんだけど、それぞれがバラバラにならないのは中心にいるハックマンの存在感があってこそだよね。
ストーリーは、家族の問題をなんとなく戯曲チックに進行させていく感じ。それに加えて章立ての構成だったり人物や舞台に対して真横か正面で見せるカットのこだわりによって、より強調された“創作物の世界”と感じさせられている気がするけれど、アンダーソン監督はそれを自覚的に利用しているのだろう。やっぱりそれがこの監督の映画の魅力ですわ。正直言えば取り立てて派手さのない話なんだけど、それでも飽きることはなかったなあ。
ザ・ローリング・ストーンズ
シャイン・ア・ライト
8
2006年にNYのビーコン・シアターで行われたライブを、マーティン・スコセッシが監督・収録したライブドキュメンタリー。
いやはや…、撮影当時に63歳だというミック・ジャガーのパワフルなライブ・パフォーマンスに観ている方は終始圧倒されっぱなし。見終わる頃には彼らの歳の事なんて記憶から飛んでいるw 45年も活動している伝説的なこのロック・バンドを語るには俺の年齢はあまりにガキすぎるけれど、それでもこの映画から伝わる魂のこもった熱唱・演奏はすごかった。こんな俺でもそう思うのだから、往年のストーンズファンならこの映画は観なくてはいけない一本であるのは間違いないと思う。
スコセッシ監督もそんなストーンズのファンらしいけど、それがまた伝わってくるような憎い構成が随所にある。過去のインタビュー映像も印象的に使われているしね。でもこの映画はバンドの歴史を語るのではなく、その日に行われたライブの記録。圧倒的な演奏を繰り広げる彼らの見事な記録映像を観て、特にファンでもない人間もファンになってしまいそうな感じw 編集も上手いよなあ…。
ちなみに、個人的にはオープニングのライブ開始と共にセットリストが届く様は明らかに過剰演出(w)だと思うけど、エンディングでスッとミック・ジャガーの主観になり、舞台袖で待ちかまえる監督の姿に続いて劇場の外にも監督がいて、「上だよ!」と空中に誘導する演出がドキュメンタリーであっても監督の遊び心が出ていて好きです。
ザ・ロストシティ

(2022年制作)
7
ロマンス冒険モノの小説家であるロレッタは新作小説の宣伝ツアーに出るが、そこで古代の秘宝を探す実業家に拉致されてしまう。小説表紙のモデルであるアランは彼女の救出に動くが…。
ユルいB級冒険モノというか、安っぽいコメディなんだけど、どこか憎めない面白さのある作品ではあった。というのも登場キャラを演じるのは名のある役者ばかりで、それが良いスパイスになっているのだと思う。ジャングルの中をスパンコールのつなぎを着たサンドラ・ブロックが走り回るというシチュエーション自体がいいなw あとは三枚目が板についてるチャニング・テイタムもハマり役だし、颯爽と現れてスパッと退場したブラッド・ピットも潔くて笑った。悪役のダニエル・ラドクリフの方はキャラ的にちょっと物足りない部分もあったけど、まあそれはそういう役なので仕方がないか。
そんな具合にあくまでコメディとしてはそこそこ面白いと思ったけど、冒険映画としてはだいぶ凡庸な作りだし、脇役の描き方もちょっとバランスが気になるところもあったりする。まあそれも含めてB級映画だと思えば許せてしまう範囲ではあるけどね。
ザ・ロック

(1996年制作)
8
ハメル准将率いる元海兵隊の十数名がアルカトラズ島を占拠。毒ガス搭載ミサイルによってサンフランシスコ市全体を人質に取った彼らに対し、政府は海軍特殊部隊SEALsの投入を決定する。
よくよく考えるとハメル准将側の作戦にとって“ザ・ロック”ことアルカトラズ島を占拠するのが合理的だったのかは不思議(脅すなら普通は発射地点を隠匿するのがセオリー)なところもあるのだけど、どっちかというとショーン・コネリー演じるメイソンに対して“あの刑務所から唯一脱獄した男”という箔をつけるための、娯楽映画として合理的な舞台だったという方が正しそう。でも、観ている間はそんなことが気にならないくらいグイグイと観客を事態に引き込んでいくパワーがある。それが本作の魅力だよね。まあ、ショーン・コネリーが元英国諜報員を名乗ってたら、もうそりゃ解決したようなもんだろうと思ってしまうところもあるけどw
「盗人にも三分の理」とでもいうか、エド・ハリス演じるハメル准将側の主張にも観客の同情心をくすぐるところがニクいところ。結局彼は最後まで“軍人”で、ミサイルはブラフとしての道具でしかなかったわけだけど、エド・ハリスはテロリストと軍人の狭間の表現がいいバランスだったなあ。ハメル准将もこれがアクション映画でなかったらもっと色んな告発手段もあったろうに。仕方がない、これはマイケル・ベイの映画だからねw
マイケル・ベイ監督としては2本目の長編映画作品。軍用機の格好いい飛行ショットや派手な銃撃戦や爆発などなど、ベイらしいケレン味はたっぷりだけど、まだこのころは製作に手綱を握られていたのかちゃんと「1にストーリー、2にアクション」って感じがするので観やすいし面白い。そういえばこの時代の映画は監督より製作者の方が名前が前面に出ていた時代だったな。アクション映画に“ジェリー・ブラッカイマー製作”という一ジャンルがあった時代だった気がする。
サンキュー・スモーキング
8
タバコ業界のスポークスマンが社会的な嫌煙風潮に対抗する姿を描いた社会派コメディ。
俺自身は嫌煙派ではあるけど、この映画で描くところの活動は面白かった。喫煙擁護を主人公側に置きながら、映画のスタンスは擁護でも反対でもなく、両者ともの極端なやり方を少々皮肉った展開が心地良いです。
公聴会で「タバコにドクロマークを付けるなら、コレステロールの原因であるチーズにも付けるべきだ」なんて良いね。映画のエピローグでは、行くところまで行った嫌煙派上院議員が過去の名作映画からデジタル技術でタバコを別の物に差し替えると言う。やり過ぎや!w
そんな社会派なテーマと並行して、主人公とその息子の親子の話があるところがいかにもアメリカ映画らしいとも思った。ストーリーにも絡むので違和感はなかったけどね。
サンクタム

(2010年制作)
7
ニューギニアで洞窟の調査を行っていた一向。しかしそこを襲ったサイクロンによって大量の水が流入し洞窟内からの脱出が困難に。彼らは脱出路を求め、さらに奥へと潜ることを決意する。
極限状況からの脱出劇としてはオーソドックスな作り。登場キャラクターからして、探検のプロとその相棒、そして半人前の主人公と素人の2人という構成はベタですね。だけど、限られた酸素と食料と電池(明かり)を頼りに、未踏の深部へ進むしかないという極限状態がサスペンスを生んでいるかな。ベタという意味では、半人前の主人公とプロである父親との反目と和解がテーマになっているのも、ありがちな設定と言えばそう。安易に人死にを出しすぎな展開は少し気になるけど、まあジャンル映画としてはこんなものか。
洞窟が舞台なので暗い場面が多いけど、画面は暗くなりすぎず見やすかったかな。リアルに考えれば明るすぎるんだけど、まあそこは考えない方向でw 作品としては3D映画として作られているので、洞窟内の空間の広がりや、ヘッドライトの光の筋、水面の境目、水中に浮かぶ人物などでは効果を発揮していたかと。そういう意味では意外にちゃんとした3D向けの作品だったかなと思いました。
3時10分、決断の時

(2007年制作)
7
西部劇「決断の3時10分」(1957)のリメイク作品。貧乏農場主のダン(クリスチャン・ベイル)は、報酬のために町で捕まった盗賊のボス・ベン(ラッセル・クロウ)の護送を手伝う。
元々アクションよりも心理描写に特筆すべき部分のあったオリジナル。その設定を生かしつつ親子の話を追加し、情の向き先をシフトさせたリメイク版はなかなか上手いことやっていると感じました。主人公の息子の存在が、ダンの親としての想いと、ベンの自分自身の投射として話を動かしているんだよね。全体的に骨太で見応えがあります。
難を言えばダンの焦燥感はオリジナルより伝わらないし、ベンの仁義に厚さや食わせ者な雰囲気も薄い。中盤のアパッチやトンネルのくだりも特に進行上必要だったのかも疑問だし、もう少し展開の早いオリジナルに比べると若干冗長な気はしたかな。
とはいえ終盤で親子の話に持っていった展開にグッときたのも事実。オリジナルと違う結末ではあるけど、これはこれで。先を想像させるフェードアウトも悪くないです。しかし、紛いなりにもベンを助けるために仲間を、ああいう風に皆殺しにしてしまうとは。そりゃあチャーリーは悪党だろうけどさ。
サンシャイン2057

(2007年制作)
7
50年後の未来。低下した太陽活動を復活させるべく核を太陽に打ち込むためのミッションに挑むイカロス2号と8人のクルー。しかし太陽を目前にし、7年前に消息を絶ったイカロス1号の救難信号を受信する。
宇宙船という閉鎖空間を舞台に、クルーたちが様々な困難を乗り越えていくSF映画…、かと思いきや中盤からホラーテイストにがらっと雰囲気が変わってしまう。科学か宗教か、人の命の重さなのか、結局テーマがよく分からないまま終わってしまうんだけど、全体的にはそれなりに楽しめたかな。さすがに“イカロス1号の彼”はやりすぎじゃないかという気はするが。
監督はダニー・ボイル。ビジュアル面の美しさは良い感じ。まあ科学的な考証では色々と疑問もあるけどね。人工重力はどうなってるとか、重度熱傷で何故生きているとか、あの程度の核で太陽が復活するのかとか。まあ気にするとキリがないけど、そういう世界観だと思うことにします、はい。
イカロス1号に乗り込む際の意味深なサブリミナル的挿入は、舞台の不気味さも相まって気持ち悪い。というか認識できている時点でサブリミナルじゃないが、確かにかなり不安感が煽られたので、監督の手の上で踊らされているようで悔しい。
三十九夜

(1935年制作)
8
アルフレッド・ヒッチコック監督のイギリス時代のサスペンス映画。無実の殺人犯となった主人公は、謎の女性が死に際に持っていた地図の場所へと向かうが…。
巻き込まれ型の主人公だけど、一般市民のはずなのに結構アグレッシブに逃亡する。窓をぶち破って逃げるあたりは「そこまでするか」と思ったがw 次から次にピンチに陥るクリフハンガー映画としてよくできている。二枚目の主人公に謎の女、そして(ヒッチコック映画のヒロインなので)ブロンド美女。まあ時代を感じさせるスパイ小説的な設定(原作はジョン・バカンの小説)ではあるけど、伏線もキッチリ回収するので仕掛けとしては観て面白い映画だよね。
切迫した事態の割にはどこかのんびりした印象があるのはなんでだろうか。眠ったり気絶したりしてるシーンが多いからかな?何となく時間に余裕がありそうに見えてしまった気もするが。実際、邦題は「三十九夜」だけど39回夜を迎える話ではない。原題は"The 39 Steps"で作中でキーワードになる「39階段」(マクガフィンですな)のこと。この邦題って何故「夜」なんだろう?
ところで、人妻との密会に理解を示す牛乳配達員や、駆け落ちに協力する宿屋の老婦人など、なんだか妙なところで人情味(?)があるのが興味深い。しかし不幸なのは農夫の妻だよな。逃亡に協力したばっかりに夫に殴られる日々なんだろうか。
三銃士

(1993年制作)
7
国王暗殺を目論む枢機卿の陰謀を食い止めるべく活躍する、三銃士とダルタニアンの活劇。制作がディズニーだけあって、(良い意味で)子供でも楽しめる分かりやすい勧善懲悪の作品になっていると思う。ただ、個人的にはちょっと話に物足りない感もあるか。
今観ると剣劇のシーンは今ひとつ。まあ、最近の映画で目が肥えてしまったせいか、迫力がちょっとねえ。
三銃士の一人、ポルトスは変わった小道具で戦ったり、ハッタリをかます奴で面白いんだけど、一つだけ文句がある。彼の台詞に「これはトーキョーの女帝から貰った物だ」と言う台詞がある。これは直前にある「米国の女帝から貰った」という台詞と同様の“そんなところに女帝はいない”と言うハッタリの一つ。三銃士の舞台は1600年代のこと。アメリカ大陸は発見されているが、“東京”なんて名前は生まれてもない時代。ハッタリにも程があるw 俺はこの時代考証の破綻が気になってしょうがなかった。
三銃士
王妃の首飾りと
ダ・ヴィンチの飛行船

(2011年制作)
7
権力を握ろうと暗躍するリシュリュー枢機卿の暗躍を阻止すべく、三銃士とダルタニアンが活躍する姿を描いたアクション映画。
監督はポール・W・S・アンダーソン。「バイオハザード」をアクション映画にしてしまった監督らしい、派手で荒唐無稽な三銃士の世界が描かれます。良い意味で古典活劇的なニオイがするけど、空飛ぶ飛行船や機関銃チックな飛び道具まで出てきて何でもアリw まあそういうアトラクションだと思えば良いのかな。
ストーリーは敵に取られたキーアイテムを取り戻すのがメインで、そこは割り切って単純に作られているように思う。ツッコミどころもあるけど、まあアトラクションだしね。その敵方を演じるのがクリストフ・ヴァルツにオーランド・ブルーム、そしてミラ・ジョボビッチと実に豪華。逆に主人公側の4人は若手でそろえた感じでどうもつり合い場微妙だがw でもまあみんな楽しんでやっているようには見受けられる。
三十四丁目の奇蹟

(1947年制作)
9
NYの大デパートのイベントで急遽サンタクロース役を頼まれた老人。彼と周囲の人々の交流と騒動を描いたハートウォーミングなドラマ。
鑑賞前は「本物のサンタをめぐる話」というあらすじだけを知っていたのだけど、どんなファンタジー映画かと思ったら…想像とは違ったベクトルでサンタの存在に心癒されるいい映画だった。作劇としてはテンポのいい展開と登場人物のユーモアのある台詞やちょっとしたしぐさが楽しいが、その実、人の誠実さや信じることの大切さを謳った筋書きが素晴らしい。リアリストな母親とその娘とサンタの交流を通じて、信じることで心が豊かになる感じが伝わる。
そしてサンタを名乗る老人の真実をハッキリ描かないところが良いよね。常識で言えばサンタだなんてあるわけない…けど、この映画ではもしかすると?と信じたくなる。そういう気持ちにさせる絶妙なさじ加減が心地いい。
老人がサンタか否か(自称している彼の精神が正常か)が裁判で争われるところが何とも米国的だと思う反面、その決定的な“証拠”の登場と結審に「夢を壊しちゃダメだよね」という優しさが感じられる。まあ出来過ぎな話だが、これは「奇跡」のお話なのでw そうそう、大デパート・メイヤーの社長が裁判の証言台で、「サンタと思うか」の答えについて秤にかけている時の分かりやすいオーバーラップにはニヤニヤした。
サンセット大通り

(1950年制作)
8
サイレント時代の大女優の屋敷に住み込みで脚本を書くことになった売れない脚本家の主人公。過去の栄光を忘れることが出来ないでいたその大女優は、主人公の私生活も束縛するのだが…。
事件で幕を開けるこの話は、その顛末へと至る経過が主人公のモノローグと共に描かれる形で進行していく。実在の会社や大プロデューサー、そして俳優の名前が頻繁に登場し、業界内幕ものとでもいうようなハリウッド映画界を舞台にしたサスペンス映画になっているけど、その上でこの時代にすでに無声映画への郷愁にも似た情感が込められているようで切ない。サイレント時代の大女優ノーマ・デズモンドというキャラクターはまさにそれを体現した存在だけれど、実際にその役を演じるのがグロリア・スワンソンというサイレント時代の大女優で、これがまた鬼気迫る名演。ラストの階段は…ああ、これはもう目が覚めないんだろうなという哀しさ。
ノーマに出演作品の監督をせがまれる監督役にセシル・B・デミル本人が出ているのが凄いね。ノーマに対して複雑な想いを垣間見せる演技が何とも役者ですなw ヘッダ・ホッパーがヘッダ・ホッパー役で出てるのも面白いが、中盤、ノーマとトランプをやっている役者仲間にバスター・キートン!やはり笑わないぞ。
大女優の存在感が圧倒的だけど、物語の主人公は脚本家ジョーの方で、演じるのはウィリアム・ホールデン。なかなかカッコイイが役としては借金取りに追われているわけだし、うだつが上がらないところもあるのだけども。でも脚本を一緒に書くことになるベティとのちょっとしたロマンスと、自ら嫌われるように仕向ける別れ方などはキライじゃない。彼は殺されるほどの事をしたのかというとそれは否定するけど、妄執に囚われた者に関わってしまったのが運の尽きだったのか…。
サンダーバード劇場版

(1966年制作)
7
1965〜1966年にかけてTV放送された人形劇シリーズの劇場版。火星有人探査ロケットのZERO-Xがスパイが潜入したことで墜落してしまう。そこで2回目の発射では万難を排すために国際救助隊が護衛に着くことになった。
スタンダードサイズのTV版から劇場版ではシネスコになり、その画角に合わせた画面構成は迫力十分。特に冒頭のZERO-X格納庫の文字が大写しになる場面でい一気に目を引くのは良いね。ストーリーとしてはZERO-Xの打ち上げから帰還までの話に終始しているんだけど、微妙に展開がマッタリしているというかちょっと間延びしている感じもする。なんというか、各カットが微妙に時間を取っているというか、最初の発射シークエンスにしても、ザ・フッドとペネロープの追想劇にしても、スウィンギング・スターの夢も…どれもちょっとずつ長い気がするんだよね。その辺が'60年代のテンポなのか? というよりは、作り上げたディテールをじっくり見せたい制作者の思い入れの表れと言った方が正しいのかも? でもその辺を詰めてもう一波乱並行した危機があった方が盛り上がったのかなとは思った。
特撮に関しては「サンダーバード」ならではの手作り感とディテールには文句なし。未来的なギミックも満載で子供心もくすぐられるものが多い。火星の描写に関しては全く火星とは思えない描写だけど、1966年当時はマリナー4号の荒い上空写真があるだけだから地表の風景が完全に想像の産物になるのは仕方がないかな。そういう意味では時代を感じる作品でもある。さすがにロック・スネークは突飛すぎるけど、まあご愛敬という事でw
サンダーバード6号

(1968年制作)
6
1965〜1966年にかけてTV放送された人形劇シリーズの劇場版2作目。飛行船スカイシップ1号の処女航海にアランとぺネロープたちが同乗することになるが、そこではある組織の陰謀が待ち構えていたのだった。
ブレインズやパーカーは苦労が絶えませんなあ…(苦笑) 筋書き自体ははスパイアクション風味で、銃撃戦や大爆発もあって映画的エンタメ志向が強い感じ。反重力で浮かび上がるスカイシップ1号のワクワク感は良いと思うし、飛行船内で進行する問題と6号の開発という一見関係ない話が並走していくあたりも手際は悪くないと思った。一方でアクション志向が強いせいか、銃撃戦でやたらと人死にが出るのは救助隊の活動として良いのだろうかと思ったりもしなくはないが…まあいいか。とりあえずカサブランカで組織に待ち伏せされた1号と2号が、自動小銃相手に圧倒的な火力差で建物ごと敵を吹っ飛ばしているシーンに正直ギョッとした部分はあるけど。
結局タイトルロールの“6号”は序盤からやたらと目立って描かれた複葉機のタイガー・モスという事になった。このオチは途中で何となく察しが付いてしまうのだけど、そのへんはご愛敬。むしろそのオチにもっていくためにタイガー・モスを目立たせるような場面が長いってことが逆に気になったかもしれない。ペネロープ邸での着陸シーンはやたら長いし、飛行船からの脱出後の翼上での銃撃戦や不時着までのくだりもやっぱり長い。曲芸飛行シーンでは多くで実物の飛行機の実写を使っているのでもちろん迫力は十分なのだけど、逆に言えばスーパーマリオネーションと模型による特撮が売りなのに、そこを実写でやるというのは本末転倒では?というのが脳裏をよぎった。
サンダーバード
7
満足度は正直言って6から7の間。何故かというと、サンダーバードが期待していたほど活躍しない。主人公はまだ正式隊員ではない五男のアランで、宇宙で危機に陥った父や兄たちの為に友人二人と奮闘するのがメインストーリー。ハッキリ言って「スパイキッズ」を見ているような感じでした。「サンダーバード」という世界観を知っている人にとっては少々ぬるい映画かもしれない。でもシリーズを知らない米国の子供達をターゲットにしたとすれば、まあ納得の構成かなあ。オープニングのテーマ曲&ポップな映像は、ワクワク感が最高でしたw それだけにちょっとがっかりが強いのかも。でも最後にはトレーシーボーイズが揃ったわけだし、次回作があるならば是非楽しみにしたいところではあります。
幸せのちから
7
幼い息子をかかえ、全財産21ドルという状況から立ち上がったある黒人男性の半生を描いた実話。
主役を演じたウィル・スミスと彼の実の息子の競演が話題になってるけど、親子愛よりも主人公の成功するまでの体験を中心に描いている感じがする。なので子供は守るべき対象であって、主人公の頑張るための動機でしかない。そういう描かれ方をしてるよなあと感じたわけです。ストーリーは「クレイマークレイマー」に近いのに、それに近い感動を覚えなかったのは、この作品では劇中の親子関係にある種の成長を見いだせなかったことかなあ。
確かに良い話ではあるし、主人公の努力は分かるんだけど、映画的な面白さでいうとちょっとインパクトは少ない。ただ普通の男を演じたウィル・スミスの演技は良かった。主人公の必死さは伝わってきたからね。
G.I.ジョー

(2009年制作)
6
機械化特殊部隊“G.I.ジョー”と、世界征服を目論む組織“コブラ”との戦いを描いたSFアクション映画。
監督は「ハムナプトラ」のスティーヴン・ソマーズということで、多少の期待感はあったんだけど、残念ながら裏切られた格好となってしまいました。繰り出されるアクションシーンは実に派手で、サービス精神は非常に旺盛なんだけど、ハッキリ言ってやりすぎ。全編ほぼアクションシーンで突き進むので、話の緩急も緊張感もなく、後半には正直言って飽きてくる。これだけドンパチがうるさい映画なのに、眠くなってしまうというのはどうなんだろうか。
この監督の過去作である「ザ・グリード」や、「ハムナプトラ」の1作目や2作目のように、良い意味での“下らない笑い”があればもうちょっと違ったんだけど、どうも真面目にアクション一辺倒になっているところがまずかったかなあ。まあ、車の追跡を本当に足で走って行うシーンなど、「おっ!」と思ったりした所もあるにはあるけど…。
ソマーズ組の俳優達がちょい役で多数出演しているのは個人的には嬉しかったけど、それだけでは映画の面白さとは言えないよね。
G.I.ジョー
バック2リベンジ

(2013年制作)
6
特殊部隊“G.I.ジョー”と、世界征服を目論む組織“コブラ”との戦いを描いたSFアクション映画の第2弾。
監督がスティーヴン・ソマーズからジョン・チュウに交代。ストームシャドーやスネークアイズ、大統領などの一部のキャラクターは引き続き出ているものの、主人公はテコ入れのためにドウェイン・ジョンソンに交代してしまって雰囲気の違いは大きい。コミック的な軽いノリが消え、ミリタリーとして脱バカ映画を目指して背伸びをしている感じが逆に残念かな。
ストーリーの荒唐無稽さは相変わらずだけど、大風呂敷というよりは妙に粗さが目立つのもちょっと微妙。まあストームシャドウとスネークアイズが共闘するという姿は、少年マンガ的なノリで良いと思うんだけど、ザルタンが黒幕だったなんてずいぶんと強引にまとめたよなあw ただ、主人公まで変えて違う映画にしようとした割には、この辺が前作を観てないと分からないくだりなので、中途半端にも思える。
ラストの核ミサイルの発射合戦はしょうもないが、質量兵器の「神の杖」を出すあたりはちょっと新しいな、とは思った。でも唐突過ぎますわ。
シークレット・オブ・モンスター

(2015年制作)
7
1918年冬のフランス郊外。第一次大戦の戦後処理を話し合うパリ講和会議のために渡仏した米国政府高官一家。その家の少年は慣れぬ土地で幾度か癇癪を起すようになる。
3章と最終章で構成された少年の物語だが、「一指導者の幼年期」という原題からも、すぐにこの少年が将来の指導者であると分かる。冒頭はキリスト生誕劇の衣装によって天使の姿を借りて表れ、劇中でも容姿は中性的な美しさをあえて強調しているような見せ方だが、度々起こす癇癪に人格形成上の危うさを感じさせるようになっている。その上で、「こんな子が将来どのような指導者になるか」の顛末としての最終章という仕掛け。ここの転換が映画の構成として面白い…はずなのに、残念ながら予告編で若干オチに触れているため、個人的には(おそらく製作者が意図したであろう)驚きには届かなかった。つまり、米国政府高官である父親とコスモポリタンな母親の間に生まれた子供が、誰もがイメージする“独裁者”に成長してしまったという皮肉。
正しく導けば正しく成長したのか、それとも気質として生まれながらにして独裁者だったのか。その辺は明確にしないけれど、3度の癇癪に象徴されるそれは自分本位という人格の表れなのは間違いない。
映画としてのテーマや構成は面白いと思うけど、出来事の積み重ねで構成されているせいか少し淡々としていた印象が強い。だからこそのオチなのだと思うけど、個人的には少し退屈に感じた部分もある。ヴェルサイユ体制前夜という時代背景は、その後のヒトラー・ムッソリーニ・スターリンといった独裁者の登場を想像させやすい設定だとは思うものの、1918年の時点で10歳くらいというのは若い気もした。
シービスケット
9
“競馬”はギャンブル。一つのレースで大金が動き、利益を得る者もいれば大損をする者もいる。金のことだけを考えていれば“競馬”とはそれだけのことかもしれない。けど、この映画には1頭の馬を通じて“希望”を得た人達が描かれていて、ジョッキー、調教師、オーナーそれぞれが恐慌という苦難の道を歩み、一頭の競走馬によって救われていく様は感動するなあ。主人公のジョッキー、レッドとオーナーであるハワードの関係は疑似親子であり、お互いに失ったものを、口には出さないが埋め合っている。レッドの事故の際のハワードの態度も親子のそれだった。シービスケットとレッドの関係、まさに人馬一体、いやそれ以上の関係かもしれない。だからこそハワードもマスコミに叩かれても彼をシービスケットから降ろさなかったのかも。レッドと、彼のライバルであり友人であるアイスマンとの関係も、まさに男の友情ってやつか。俺はこういう関係に憧れるなあ。最後の復活レース、レッドの気持ちとアイスマンの心遣いに俺は涙してしまいました…。
J・エドガー

(2011年制作)
7
FBIを創設したJ・エドガー・フーバーの伝記映画。
フーバー役のディカプリオは青年期から晩年まで演じきっているけど、最近の老けメイクは大したものですね。それはともかく、強権的な手法で半世紀近くも連邦捜査局のドンというイメージの強いフーバーを、どっちらかというと人間臭い部分で描いてきたのは意外だった。正義をなす決意は母親の影響下で強迫的な志向が強いという印象や、女性関係よりもゲイっぽい副長官との関係など、人間的な弱さが随所に垣間見える。晩年のフーバーが回顧録のための回想として語るけれど、その話は彼が話を膨らませた部分も多いというくだりもそうだよね。
一個の人間としての弱さという面で、興味深いフーバー像を知った部分はあるけど、個人的にはもっと権謀渦巻く闘争部分も見たかった気はする。大統領を相手に盗聴内容で脅迫するとか、プライベートファイルの話は出てはくるけども、そちらは流れ上の話かな。なので少し盛り上がりには欠け、地味な印象になってしまった。まあ抑えたトーンというのはイーストウッド監督らしいところではあるけど、画的には抑えていてもその裏でギラついた何かがあることが多いので、今作はそこが感じにくくて物足りない。
話としては当時の反共思想やギャングが蔓延った時代の知識がないとおいていかれる部分はあると思う。リンドバーグの事件も有名な事件だけども、日本では馴染みが薄いかなあ。
JFK

(1991年制作)
8
第35代米国大統領ケネディの暗殺事件。その背後の陰謀を信じ、捜査に執念を燃やした地方検事の姿を描いたドラマ。
米国の歴史にとって衝撃的な事件として刻まれているケネディ暗殺事件。この映画は米国政府の、それもかなり上の部分が絡む陰謀説を基に構成されているが、その陰謀の核心部分は今も結論は出ていない。基本的に作中では状況証拠としてのオズワルド単独犯行の否定、そしてクレイ・ショーの関与からCIAや軍の陰謀を匂わせる…というかそこに確信をもって描いているが、映画的な創作や意図的な演出もあると思う。ただ、それを割り引いて観ても、クレイ・ショー裁判に挑むギャリソン検事の信念のドラマとしてとても熱い。
自身がベトナム帰還兵であるストーン監督にとって、「ベトナム戦争の意味」というのは外せない大きなテーマなのだろう。そう考えた時、ベトナム戦争が拡大していった理由を逆にたどっていった結果として、これは描かなければいけない事件だったということなのだろう。明らかに中央に陰謀があり、ベトナム撤退を考えていたケネディは排除されたのだ、という主張だ。そこに迷いがないから映画としてはとても力強い。
主張を描く手段としての裁判劇だが、捜査・妨害・内紛・そして真実への肉薄と、構成としてはオーソドックスな捜査モノだと思う。でもやはり題材となった事件の大きさや、次第に明らかになっていく陰謀の匂わせ方が上手いので、3時間を超える上映時間でも緊張感が途切れることはなかった。再現映像で観客を引き込み、そして決定的な場面でのザプルーダー・フィルムのインパクトは絶大だ。ここはホントに良くできているよね。
ギャリソン検事の執念はストーン監督の執念でもあるだろうか。「正義とは何か」という問いかけに、鑑賞後にひとしきり考える時間が欲しくなる。
ジェイソン・ボーン

(2016年制作)
7
ジェイソン・ボーンシリーズ5作目。CIAの極秘ファイルがハッキングされたことで、再びジェイソン・ボーンはCIAの追手に追われることになるが…。
新シリーズの「レガシー」が無かったことになっている気がするけれど、まあそれは仕方がない。ポール・グリーングラス監督とマット・デイモンがシリーズにカムバックし、再び正真正銘のボーンシリーズ再始動…!ということでファンとしては嬉しい限りなのだけど、内容的にはボーンを消したいCIAとの追いつ追われつ、暗殺者とも対決しながら最後は反撃するという「いつもの」展開。そういう意味で安心感はあるものの…目新しさはないかなあ。確かにギリシャ暴動やスノーデンのNSA暴露事件などの時事的なネタを取り込んではいるけれど、追跡劇という根幹の展開が変わらないからね。
とはいえ、秒単位のカッティングとブレまくりのカメラワークは本家グリーングラスの真骨頂。「アルティメイタム」から9年経って帰ってきたジェイソン・ボーンの活躍を楽しめたとは思う。お約束のカーチェイスはSWATの装甲車が強くて笑ってしまった。ムチャするなあw
個人的にはニッキーには死んでほしくなかったかな。「スプレマシー」のマリーを思い出してしまったよ…。一方で新登場のヘザー・リーを演じるアリシア・ヴィキャンデルはなかなか良かった。渋い話の中で華にもなってるし、清廉そうで策士っぽいところとかもね。
シェイプ・オブ・ウォーター

(2017年制作)
9
米ソ冷戦下、米国のとある研究所で清掃員として働くイライザ。ある日その研究所にアマゾンの奥地で捕らえられた“モンスター”が送られてくる。
ギレルモ・デル・トロ監督が描く現代の「美女と野獣」。「美女と野獣」の“美女が処女で、野獣がキスで王子に戻る”という展開へのアンチテーゼとして構成されているけれど、それ以上に現代の米国らしいテーマ、マイノリティの事や寛容さについて問うた物語でもある。それを「大アマゾンの半魚人」に出てくるようなモンスターを使って、愛のおとぎ話にしてしまうという監督のセンスには…脱帽です。
人間からモンスターへの想いを、愛として説得力を持たせるのは案外難しい気はする。動物やペットに対する愛との違いは? この映画で主人公とモンスターに性行為すらさせてしまうのには驚いたけれど、もうこれは「人を外見や出自で差別しない」という事の究極の比喩なんだと思う。だから観る側として、そこに「半魚人と性行為?」みたいな現実的な感覚で考えることはもはやナンセンスなことなんだろうと思った次第。
モンスターのデザインはいかにもデル・トロが好きそうなスタイルw 今までも監督はジャンル映画への愛を隠さない作品を撮ってきてはいるけど、この映画も例にもれずクラシック映画へのオマージュが盛り込まれていて、そういう面でも面白いね。怪奇映画、ミュージカル映画、フィルム・ノワール、スパイ映画…。愛を描いた作品だけど、監督自身の映画への愛もヒシヒシと伝わってくる作品でしたよ。
ジェヴォーダンの獣
7
伝説を上手く脚色してると思う。話もまとまってたし良いとは思うけど、途中で大体展開が読めてくるのは残念かも。まあ、黒幕は意外に大勢いたけどねw 格闘などのアクションシーンも結構迫力あったし、“獣”との戦いもCGを使って頑張ってた。ネイティブ・アメリカンのマニが自然との調和の象徴ならば、獣を操る奴らはその対極にあるわけだけど、そこを考えるとマニは殺して欲しくなかったかも。その後のフロンサックがマニが憑依したかのように様に強いのには驚いたがw
ジェームズ・キャメロンの タイタニックの秘密
7
深海3650メートルに沈むタイタニックの今の姿を撮影したドキュメンタリー。45分と短い上映時間ながら、3Dで上映される内容は迫力もあっていい。画面に映し出されるタイタニックの船体は何とも幻想的だし、実際の沈んだ姿に当時の再現映像がうっすらと投影されると、生々しさも伝わってくる。ただ、これは学術的な“記録映画”というよりは、ビル・パクストンの視線からみた“感想映画”という雰囲気が強い。ビル・パクストンを観客の代表として潜水艇に乗り込ませているから理解しやすいのはしやすいけど、ドキュメンタリーとしては平凡な物かもしれない。ジェームズ・キャメロンが趣味で撮っただけあって、調査費用とか、かなり金はかかってますがねえ。
シェーン

(1953年制作)
8
ある農場にやってきたさすらいのガンマンであるシェーンと、その家族との関わりを描いた西部劇の名作。
一見するとスマートな正義漢風のシェーンと、彼に憧れる少年の話で、その部分でも特に有名なラストシーンはグッと来るものがある。ただ、シェーンや、立ち退きを要求してくる牛追いのライカー一味というキャラクターに背負わせた、西部劇や西部開拓時代というという時代とその終演の物語として観ても、なかなか奥深いものを感じる作品でした。
内容も結構直接的に暴力に訴えることを「時代遅れのもの」として表現しているけど、正義漢に見えるシェーン自身が結局その生き方しか出来なかった男なんだよね。そして最後にはそれら全てを背負って去っていく。その時点ですでに傷つき、死に行く定めとも思える演出。全体的には少年やその家族との交流を描いているし、荒野での人々の生活を描いたドラマ的な印象が先行するけど、平行させた終焉を迎えた開拓時代としてのテーマが良くできてますわ。
特に悪漢のライカー一味が特別に悪どい訳ではなく(最初から銃に訴えようとはしていない)、彼らも時代に取り残される事にあがいている人間であるというのが、この話を地に足付けていて色々考えさせられます。
ジェーン・ドゥの解剖

(2016年制作)
7
検死官親子のもとに運び込まれた謎の遺体。その遺体は外傷がある様に見えない女性の遺体だったが、解剖を進めるうちに不可解な現象が起こり始める…。
あまり情報を入れずに観始めたのだけど、ミステリーかと思ったらホラーだったw でも限定された空間を舞台に少ない登場人物で緊張感を持続させるホラー演出はなかなか見事。ネタを明かせばオカルトなんだけど、「銃創もないのに弾が出たようなもの」という上手い例えで普通の遺体ではないという印象を与えたり、鼻からハエを出させた場面で「あ、これは悪魔の仕業や」と観客に勘づかせるやり方はなかなか好み。そこからの不穏な感じを煽っていく段階の踏み方がしっかりしているのが良いね。ラジオの曲やベルの音などの前振りも観客に上手く恐怖感を与えていたし、土中から見つかった遺体のに傷んでない理由の回収とかもしっかりしていて、ストイックなホラー描写とも相まって大いに楽しめましたよ。
主人公は父親の検死官(ブライアン・コックス)とその助手である息子(エミール・ハーシュ)の男二人という構成で話のほとんどをけん引する。息子の彼女(オフィリア・ラヴィボンド)も出てくるけど、ホラーにありがちな悲鳴要員でないところも設定的には好感。"ジェーン・ドゥ"の解剖シーンはかなり作りこまれていて目を見張った。スプラッターやゴア描写に代わる要素としての作り込みだろうけど、ここがリアルだからオカルト的な要素も生きてくるんだよな。ただ終盤のまとめ方は割とありがちなバッドエンド系だったので、そこは少し凡庸に感じた部分もあるのだけれど…。まあ悪魔が顕現して大暴れするよりはこっちの方がいい塩梅だったかなとは思っております。
ジェシー・ジェームズの暗殺
7
米国で今なお義賊として有名なジェシー・ジェームズの最期を、彼を殺害したボブ・フォードとの関係と共に描いた西部劇ドラマ。
ジェシー役のブラッド・ピットが良い。表情や目だけで、その場の空気を支配しているジェシーの存在感が凄く伝わってくる。ボブ役のケイシー・アフレックもちょっと足りない役を上手くこなしているね。
ストーリーは160分が少々長くも感じたけど、終盤の暗殺当日からその後までの部分は緊張感と共に一気に観られた。やはりそこに至るボブの心情やジェシーとの関係をきちんと描かなければそこまで持ってこられないと思うので、この作品の長さも仕方ないところか。全編に挿入されるロケーションの見事さも、彩度を抑えているせいなのか何かもの悲しく、また暗い場面も多くて全般的に重い。ただ、それは悪くなかったけど、中盤まで強盗仲間の間で展開が少し飛ぶのは、散漫な感じもしたので感情移入をしにくくしてたかな。
シェフ 三ツ星フードトラック始めました
9
一流レストランのシェフである主人公・カールは、自分を酷評した料理評論家を罵る姿がネットに拡散してしまい、店をクビになり他の働き口もなくなってしまう。
「アイアンマン」シリーズの監督を続投せずに、このインディペンデント映画を作り上げたファブロー監督。観て納得。大作系ではなかなか出せない情熱と想いのこもった良い映画でした。ある料理人の転落と再生を、テンポのいい演出と気持ちのいいストーリーで楽しませてくれるけれど、その実「創作物を世に送り出す」という映画監督という職業人の姿ともダブる部分が多い。新作料理を認めずに定番料理を出す様に口を出すオーナーは、映画で言えばプロデューサーか。一流レストランが大作映画なら、フードトラックはインディペンデント映画。料理評論家はそのまま映画評論家と思えば、明らかに主人公=監督という私的な感情が見え隠れする。料理評論家の酷評の内容が「昔は良かったのに今や大衆に迎合して陳腐」などとは、何を指しているのか詮索もしてしまうが…w 「カウボーイ&エイリアン」?
さてそんなメタファーにニヤニヤしつつも、ドラマ面でも手堅い構成で楽しませてくれる。人生の再生の話であり、親子の話であり、そしてロードムービーでもある。色々な要素が盛りだくさんなのに、キチンと話が纏まっているのは上手いなあ。SNSにしても、身を滅ぼす道具である一面を描きつつも、結果的にそれによって救われる面も描かれているし、ちゃんと理解しているって感じのスタンスが良い。
ジョン・ファブローの貫録はシェフと言われても納得の感じで、鮮やかな手さばきから作り出される料理は実に美味そう。マーティン役のジョン・レグイザモも、仁義に厚い感じのキャラクターでいい助演だったね。しかし一番のキモは子役のエムジェイ・アンソニーか。この親子に幸せになってもらいたいと思わせるものがあってこそ、この映画は成功なのだから。
ジェミニマン

(2019年制作)
6
政府機関の依頼で暗殺を行ってきた凄腕スナイパーの主人公・ヘンリー。その稼業からの引退を決意した時、何者かの急襲を受ける。
襲撃者の正体が自分自身だった!というのが本作の見所であり、その点について、ヘンリーを演じたウィル・スミスの若いバージョンであるジュニアが同じ画面に登場して闘うという描写はかなりリアルで見応えがある。エンディングの明るい場面ではどことなくCGっぽい違和感も感じたけど、それ以外の本編の大半ではそんな感じもなく、ジュニアの顔のアップ場面で完全に生きた人間のように見えるのは大したものだと思う。
そういった映像面での興味をそそる要素については満足感はあるが、じゃあ物語はどうかというと…正直物足りない印象の方が強い。クローンとして結局お互いに感情移入していく要素がある以上、緊張感が弱まってしまう部分はあって、それが結局のところ展開の予想をつけやすくしてしまっている感じ。“クローン兵の量産”という手間のかかる計画に現実感が乏しいという部分でも、「若い自分と戦わせる」という話のための設定にしか見えない部分が難点かな。主人公が凄腕スナイパーという設定なのに、長距離射撃が話にあまり生かされていないのも勿体ない。バイクチェイスは見どころとしてはありだけど、話が後半に向かうにつれて近接戦闘も増え、ラストバトルも狭い屋内での格闘で終わっちゃうし、もうちょっと盛り上げ方はあったんじゃないの?とも。
ちなみにHFR(ハイ・フレーム・レート)版を観たのだけど、やっぱり質感的に(高解像ではあるが)ビデオ映像みたいな印象になってしまうね。エンドクレジットの文字がブレていないというのがHFR版のいちばんの恩恵か(苦笑)
シカゴ
9
ミュージカルをここまで上手く映画にアレンジするとは思わなかった。まさに舞台を切り取ったかのような演出。そして見事な楽曲と歌声。まさにエンターテイメントだ!と感動しました。惜しむらくは、舞台の“生の空気”が伝わらないことかな。これさえあれば最高だったんだけど、映画ではこれ以上は望みませんw しかしキャサリン・ゼタ=ジョーンズはあんなに綺麗だったかねえ?w 歌も踊りもパワーがあるし感心しました。お気に入りのシーンは“腹話術式記者会見”、面白かったw
シカゴ7裁判

(2020年制作)
8
1968年にシカゴで行われた民主党全国大会。その会場周辺で行われた反戦運動の若者たちのデモが暴動に発展。5カ月後、その暴動を扇動したとする8名の裁判が開かれる。
史実を基にしている裁判劇で、暴動事件の状況そのものを後半まで描かないことで、展開としては半分はミステリー劇に似たような展開となって見る側を引き込んでいるね。そういった構成はうまく出来ていると思うし、この裁判そのものの“政治的”な意図に対する批判的な描写や、警察といった権力に対する反感の表現は、「反差別デモ」があちこちで発生した2020年の空気にマッチした題材だね。
逆説的に言えば、映画の主張もまさにそのデモの延長にある“反権力”こそ正統であるということが前提になっているので、そういう意味では一面的というか主観的だとは思う。とはいえドキュメンタリー映画ではないので、政治的な思惑で不当に裁判にかけられた者たちの闘いの話として、分かりやすく熱いドラマなのは間違いない。被告側は全員何らかの感情移入ができる人物として描かれているけど、メインはヘイデン(エディ・レッドメイン)、ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、そして弁護士のクンスラー(マーク・ライランス)か。途中で審理から外されるボビー・シール(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)は判事(フランク・ランジェラ)の不適格さを際立たせる存在としては効果を発揮していたけど、途中退場した後は最後に字幕でフォローされるだけだったので、見せ方としてはやや中途半端な印象も。一方でサシャ・バロン・コーエンは、軽口を叩いて空気の硬軟をコントロールしたり狂言回し的に状況を表現したりと、狂言回し的な位置も兼ねながら彼に合ったキャラクターを実に上手く演じていて、全編に渡って良い存在感だったねえ。マイケル・キートンもちらっと出てくるし、ほんと思った以上に豪華な俳優陣で描かれていて見ごたえがあった。
ジグソウ
ソウ・レガシー

(2017年制作)
7
「ソウ」シリーズの7年ぶりの新作。街の公園で発見された男の顔なし死体。死んだはずのジグソウの手口と思われる事件の真相とは。
ジグソウは死んだのにどうやって続きを作るのかというのは、前シリーズの後半でも結構無理くり展開させていた気がするけど、本作でもその問題をクリアするには後付け設定が色々。とはいえ「ソウ」の様式美は守られていて、無理やりシリーズを復活させた割には観られるなあというのが素直な感想。「ソウの様式」とは、例えば状況が分からないまま巻き込まれる死のゲーム、真相を追う警察、観客が時系列を誤認する仕掛けなど、ってところね。
正直ゲーム自体も説教殺人の中身もショボいとは思う。でも死んだはずのジグソウの復活を絡めた最後のどんでん返しの流れだけは上手い。劇中でも有名な殺人鬼のはずのジグソウについて、ゲーム参加者が誰も言及しなかったのも納得。そりゃ誰も知らんわな。まあ、真犯人は誰かについては、ちょっと安直な流れとは思ったけど。でも久々の作品にして「ソウ」らしさやオマージュが散りばめられていたところは悪くなかった。懐かしいガジェットもあちこちに出てきたしねw ゲーム参加者のライアンのリアクションが妙に笑えるところがちょっと面白い。
死のゲーム自体は前述の通りショボい感じ。ただ話の仕掛け上、一番最初の出来事とするならばこれくらい手作り感が溢れている方が正しいとは思う。しかしサイロの生き埋めなんて、刃物をボンボン落としなんかしてうっかり死んじゃうこともあるだろうに、そういう不確定要素に対する考慮が感じられないのはちょっと気になるなあ。あと、やたらと切断系の仕掛けが多い気がする。人間の断面が出まくりだけど、監督はそういうのが好きなんだろうか?
死刑台のエレベーター

(1957年制作)
7
社長夫人(ジャンヌ・モロー)との駆け落ちを計画した主人公(モーリス・ロネ)は、自殺に見せかけて社長を殺害するが、逃亡の直前に一つのミスから社内のエレベーターに閉じこめられてしまう。フランス、ヌーヴェルヴァーグの代表作。
犯人である主人公を身動き取れない状況にすることで、彼の車や銃を盗んだバカカップルの殺人事件が主人公の犯行と思われてしまう…という構成はなかなか面白い。閉じこめられた主人公と彼を捜す社長夫人、そして勢いでドイツ人観光客を殺したバカカップルの三者三様の焦燥感が平行に描かれてサスペンスを盛り上げる。…が演出自体はドラマチックというよりもかなりドライな感じ。なのでハラハラするというよりはただ傍観している様な感覚でもあるのだけど、特に呆然としながら夜の街を彷徨う社長夫人のシーンに流れるジャズのトランペットと相まって独特な雰囲気を醸し出していて好きですね。
終盤に、ある追跡劇が始まって、「おお、ここからヒッチコックばりの展開に?」などと思ったりもしたけど、結局そこもあっさりとエンディングへ。この辺のドライさがこの作品の魅力といえばそうなのかも?
ちなみに、個人的には登場人物のどれにも感情移入できないですw
地獄の黙示録

(1979年制作)
8
19世紀末のアフリカを描いた原作小説『闇の奥』の舞台をベトナム戦争に移し、ベトナム奥地に独立王国を築いたというカーツ大佐の暗殺指令を受けた主人公が奥地へと向かう姿を描いた作品。
ベトナム戦争を描いてはいるけれど、戦争映画か?といわれるとなんだか違和感はある。川を遡るという道程の中で、主人公は軍を抜けて独立国を作った大佐の内面に何かしらのシンパシーを感じていくという変化が主題かな。戦争はその背景にしかすぎないし、同行する海軍のメンバーが次第に正気を失っていく様子に、漠然とした不安というか…人間が闇に足を取られて沈んでいく様な…じわじわとした感覚が怖い。
ただ、背景に過ぎないとは書いたものの、ベトナム戦争の欺瞞…例えば戦闘よりサーフィンの方が大事なキルゴア中佐や、指揮官不在で何かと戦っている橋を巡る部隊など、まともではない世界の記号として“ベトナム戦争”はとてもよく機能しているとも思う。さらにキルゴア中佐がヘリ編隊でベトコンの村を襲撃するシーンは、戦闘と楽劇の曲という組み合わせが見事な効果を発揮しているし、カメラワークも相まって映画史に残る名シーンになっているのは間違いない。このあたりのコッポラ監督のセンスはやはり脱帽です。正直、「ワルキューレの騎行」を聴くと楽劇よりも軍用ヘリUH-1の方を思い浮かべちゃうもんなあ。
映画の終盤、カーツ大佐の王国の場面はもはや「行きつく先にきた」という感じの世界。この映画、撮影当時のマーロン・ブランドとは色々あったという話も有名だけど、それはそれとしてもカーツ大佐という人物のオーラはブランドだからこそなんだろうな。極度に陰影をつけているという画作りもそういうオーラに一役買っているんだろうけれどね。
物語の終盤、主人公は任務を果たす。それはもともと軍の任務だったかもしれないが、カーツが暗に望んでいた事でもある。主人公はその後者を果たしたのだろう。それによって主人公は彼の王国を継ぐこともできたかもしれない。そのことを察しているかのような群衆を前にした彼の姿は、その選択の狭間の微妙な揺れを感じさせもするが、彼は戻ることを選択した。かくてカーツの王国は王がいなくなったのだ。このあたりの流れの、まるで神話の舞台劇のような雰囲気に飲まれてしまった。
シザーハンズ
7
“現代のおとぎ話”という形容は、よく当てはまっていると思う。必要最小限語り口で進んでいく展開に、疑問に思う場面も多少あったけれど、まあ、そこは気にするような事じゃない。何よりもこの映画を観て思うのは、純粋無垢で愛すべき人造人間と、自己中心的な町の人々のような生身の人間の対比だと思う。しかし本当にティム・バートンの、異形の者に対する愛情は深いんだなあ。いかにもファンタジーなエンディングに個人的には満足。
史上最大の作戦
8
第二次世界大戦における“最も長い日”、ノルマンディー上陸作戦の一日をオールスターキャストで描いた大作。
連合軍のノルマンディー上陸当日の様子を、連合軍と独軍双方の視点で描いていて、単純な戦意高揚作品でないところが良い。ラストに連合軍の兵が「あいつ(独兵)は死に、俺は負傷し、お前(米兵)は(仲間から)はぐれた。戦争なんてそんなもんなんだな。」という台詞があるが、戦争アクション的な面も有りつつ、反戦を訴えている点も注目したい。鐘楼にぶら下がった落下傘兵が戦闘を眺めているシーンなんかもそういう意図なんだろうね。
戦闘シーンは相当数のエキストラを導入しているので迫力が凄い。さすがに上陸場面は今でこそ「プライベート・ライアン」と比較してしまうので分が悪いが、市街戦を俯瞰で移動しながらの画は見事だった。
昔のスター俳優が多数出演しているけど、個人的には若き日のショーン・コネリーが微笑ましかったw そういえば62年は「007」第1作の公開年ですな。
7月4日に生まれて

(1989年制作)
8
独立記念日を誕生日にもつ主人公は、愛国心にあふれベトナム戦争に海兵隊として志願する。しかしそこでの経験が彼の人生を大きく変えてしまう。
オリバー・ストーン監督のベトナム戦争に対する思いが滲みでた作品の様に思える。反共だ愛国だと若者を焚き付けて戦地に送るだけ送った大義無き戦争。自分は多くのモノを失って、それに値する価値があったのか?という想い。街の英雄として凱旋パレードに出て感じる違和感。そういう怨念の映画。この部分は中盤の母親に怒鳴り散らす主人公の姿に結実してるかな。当時はまだアイドル然とした若手だったトム・クルーズの、イメージを変える演技は圧巻ですね。あと、自分が撃ち殺した仲間の親に告白するシーン。良いです。
序盤から中盤にかけては「西部戦線異状なし」を思い起こさせる話の流れだけど、この辺は反戦映画の王道か。後半、どのようにして主人公は自分を取り戻していくかというあたりがドラマになるけど、あからさまな反戦、反共和党のスタンスをどう取るかで話の感じ方も変わるかなあ?でも俺はオリバー・ストーンらしくて納得してます。構成上は多少唐突な場面転換はあるものの、個人的にはあまり気にならなかった。
7月22日

(2018年制作)
7
2011年に発生したノルウェー連続テロ事件。事件とその後の裁判を、加害者と被害者の視点から描いたドラマ。
同年にウトヤ島での乱射事件を主観的に描いた「ウトヤ島、7月22日」という作品も公開されたけれど、こちらは事件後の経過がメインという感じの内容。それでも2時間半の内、冒頭30分ほどで描かれる事件そのものの状況は恐ろしい。内容的にポール・グリーングラス監督の作風と親和性は高く、カメラの揺れやカット割りなどもいつものグリーングラス節で安定していると思う。逆に言えば意外性もないが。
オスロで車載爆弾爆発させ、島では何の躊躇もなく無差別に銃撃していく犯人。躊躇がないのは犯人が確信犯だからだが、社会はそういった人物に相対した時にどうあるべきなのかということを考えさせられた。これを防ぐことはできたのか…?観ている側としてはそんなことを漠然と考えるだけしかできないのだけれど。それでもそれは起き、起きたことに向き合わなくてはならなかった当事者、被害者の心情の一端をこの映画は伝えてくれる作品ではあった。
オスロで8名、ウトヤ島で69名が殺されたこの事件には多くの被害者がいるのでもちろん映画でそのすべてを追うことは難しい。ということで、映画としては銃撃で瀕死の負傷を追ったヴィリャルとその家族にその被害者像を集約している感じかな。ただ、心身の傷に向き合うことを決意するに至る過程をじっくりと描く必要があるのは分かる反面、映画としては話が少々長く感じたことは否めない。犯人側の様子も同様に時間をかけて描かれるものの、内面に踏み込め切れないのはやはり誰も(作っている側も)確信犯に共感できないからだろうか。どちらかというとそんな犯人の弁護をしなければならなかった弁護士に対する同情のようなものの方が強い印象。結果的に物語としては同様の右翼思想の人物から切って捨てられ、最後には被害者から正面向かって対峙されて主導権を失い、(字幕では)無期懲役の判決を受けたことで犯人の“負け”とされたけれど、正直モヤモヤとしたものは残るかな。この辺は事実を基にした映画の難しいところではあるか。
十戒

(1956年制作)
8
旧約聖書の出エジプト記を基に、1923年の映画をセシル・B・デミル自身がリメイクした超大作。
有名な海が割れるシーン。映画史に残るその名シーンは、スペクタクルとはこういうものだと言わんばかりの迫力を、当時の観客に劇場の大画面で見せつけたことだろう。今見れば合成しているのが見え見えではあるけども、そこに描かれたイメージの力強さは色褪せない。
作品としては3時間40分という長尺さで、セシル・B・デミル製作・監督が語るプロローグを含めれば3時間50分を超える。自身がリメイクしたということからも、彼がこの作品にこめる意気込みが伝わってくるというものか。モーゼの生涯とその使命に絞って描かれているわけだけれど、ラメス(ラムセス2世)との対立やネフレテリの愛憎がドラマの引き立てになって話を引っ張っていく流れは、その尺の長さの割には冗長さはない感じ。むしろ“十の災い”あたりは多少省略されているくらいだし。
モーゼ役のチャールトン・ヘストンは神の啓示を聞いた後の雰囲気が特にバッチリ。ラメス役のユル・ブリンナーの目力は素晴らしい。一方で画面構成や舞台装置が演劇のセットの様な感じを受ける部分もあって、そういう部分は昔の映画だなと思う部分も。第三者的に考えればエジプトにも多種多様な神がいるはずだが、ヘブライの神だけが唯一の神として顕現し、そう描かれるのは旧約聖書の話であるから当然なんだろうな。
6アンダーグラウンド

(2019年制作)
6
6人の“死んだ”その道のプロ達がチームを結成し、世界の悪を排除するアクション映画。
ド派手な横転が繰り返されるカーチェイスから始まって、銃撃戦にグラマラスな美女に爆発爆発。微妙なギャグをはさみながら(THXの音は久々に聞いたw)、とにかくあっちこっちで銃撃戦。若干コントラスト強めな画調も相まって、いかにも“マイケル・ベイの映画”って感じの映画でした。一応、「大富豪が一念発起して必殺仕事人チームを作りました」という設定が軸ではあるけれど、正直言って話自体はアクション場面のつなぎ程度の内容なので薄いわなあ。
主演はライアン・レイノルズ。他に5人のメンバーでミッションをこなすけれど、冒頭のナンバーで呼び合う様子から「『レザボア・ドッグス』のオマージュ?」かと思ったら、チームでの誘拐や暗殺任務の力押し具合なんかを観てる内に「雑な『ミッション:インポッシブル』」といった印象になってしまいました。まあ話は度外視して、子供が車や兵士のおもちゃで「ブーン!ドカーン!」って遊んでいる様なマイケル・ベイ節をひたすら愛でる映画だと思えば、それはそれで面白くはあるかw
そんな感じにアクションに関してはほんとに監督が好き放題やってる感じはある。あと基本的に実写の迫力を追求する方向でのアクションにこだわっている感じはとてもいいのだけど、車が大破して吹っ飛んだかと思えば乗員が投げ出されて何かに激突したり、射殺シーンでは弾の貫通が露骨に描写されたり、流血シーンも結構露骨。個人的には娯楽映画としては少々趣味が悪い気はしたなあ。あと、ターゲットの独裁者を蜂起した難民の真っただ中に落としてリンチさせるっていう結末も、あんまり頭のいい話とは思えないので微妙。
シックス・センス
9
よくできた映画。最後のどんでん返しにつながる伏線が、よく張られてる。絶対に予備知識無しで見た方がいい。あとで見返すと、ブルースはほんとに人と触れていないんだよなぁ。最低2回は見ないといけないわけだけど、リピーターを増やす作戦としても、かなり上手い手だと思う。やるなぁ、シャマラン。
16ブロック
8
ブルース・ウィリス演じる刑事が16区画先の裁判所まで証人の護送中、突如刑事仲間が証人を消そうと襲いかかる。
なかなか小気味良い小品だと思う。なんだか火曜サスペンスを見ているような、上手く話の転がる展開(特に終盤)も、そう言う種類の作品だと納得すれば面白い。
雰囲気で言えば、主役が彼で舞台がNY、相方が黒人なんで一見「ダイ・ハード3」の様にも思えるけど、B・ウィリスのくたびれ方はマクレーンとは雰囲気が違う。そういう差別化はあれどやっぱり銃を撃つ格好は様になってるし、やっぱり彼はアクションヒーローなんだなw
シッコ
8
米国の医療保険制度への疑問を鋭く突っ込んだマイケル・ムーアのドキュメンタリー作品。
貧しい人は医療保険に入ることが出来ず、満足な医療が受けられない問題を…ではなくて、医療保険に入っているにも関わらず保険会社の横暴な支払い拒否などによって起きた理不尽を描いているところに、“保険会社”という巨大な組織に立ち向かうムーア監督らしさが出ているかな。ただし今まで「ザ・ビッグ・ワン」や「ボウリング〜」のような、状況を変えるパフォーマンスというところにまで行けなかったのところはパワーダウンしている印象は受ける。キューバまでは行ったけどねえ…。
米国の状況と比較したカナダ・英国・フランスの社会医療保障の現状を見せつけるけど、「これで疑問に思わない方がおかしいだろ」と言うくらい天国のような医療制度にだよなあw おそらく光の面しか見せない印象操作は多分にある。でもこうあるべきなのではないかという姿勢は極めて真っ当なモノだし、病人を食い物にして私腹を肥やす米国の保険会社や政治家を糾弾するという主張は見ていて納得します。
こう思うと、今の日本は米国に近づいている気がするけど、そんなところを見習うべきではないよね。
シティ・オブ・ゴッド
7
ブラジルのリオにあるスラム街で育った少年ギャング、リトル・ダイス。彼は成長し街を牛耳るボスとなり…。
事実を元にした作品で、リオを舞台に日本で言うところの“ヤクザ映画”的な世界を見せてくれる。主人公はカメラマン志望の少年で、彼の目線で街の姿が語られるわけだけど、いやはやその内容が凄まじい。
10歳にもならない子供が銃を片手に殺戮を行い、成長したら権力欲に取り憑かれたギャング団のボスに。次から次へと死んでいく人々、この映画の中での人の命の軽いことといったらない。でもこれは全てがフィクションでなくて、この街もギャング団も抗争も実際にあったことなんだよね。
テーマは実は怖いものなんだけど、でも演出のノリが良いので比較的すんなり観られる。そこは上手いなあ。
シティーハンター
THE MOVIE
史上最香のミッション

(2018年制作)
8
TVアニメ「シティハンター」のファンだと公言する監督・主演のフィリップ・ラショーが、アニメのテイストそのままに実写化したフランスのアクションコメディ映画。
なんだただのファンムービーか。(誉め言葉)
全編が原作への愛に溢れているのが伝わってきて実に楽しい。話のテンポも良いし。漫画やアニメならではのギャグ(100tハンマーとか)も、ちゃんと実写作品の中に違和感なく落とし込んでいるあたりはこだわりも感じるね。カラスも実写で飛ばしてたし。その他にもアニメネタがチラホラでニヤニヤw(キャプテン翼とか亀仙人とか…。)一方で「シティハンター」とはいえ下着の露出シーンがなんか過剰に感じなくもないが、まあそこはフランス映画だから(?)そんなもんだと思っておきますw
しかし見た目だけならコスプレ次第で何とかなる部分もあるだろうが、それ以上にリョウとカオリの関係性を正しく理解して話に組み込んでいるあたりがとても良かったと思う。エンディングの入りも…分かってるよなあ、監督。日本公開版では「Get Wild」がそのまま最後まで流れたけど、フランス版ではイントロのみですぐにフランスアニメ版のテーマ曲に切り替わるらしい。でも、いずれにせよ昔アニメを観ていたファンへのサービス精神という点ではどちらも正解だろうね。
ちなみに日本公開版は吹替のみだけど、本作に限っては吹替こそ至高。オリジナルから交代したリョウ役の山寺宏一とカオリ役の沢城みゆきがキャラクターとして全く違和感ないのはさすがの一言。主役以外はオリジナルキャストがそのまま声を当ててるのも嬉しいところだが、脇役に声を当ててる神谷明と伊倉一恵も楽しそうでなによりです。「ひでぶ!」が出てくるとは思わなかったw
自転車泥棒
8
大戦後の不況の中、“自転車を持っていること”という条件の下でようやく仕事を見つけた主人公だったが、仕事中に自転車を盗まれてしまう…。
ネオレアリズモを代表する本作は、観ればなるほど名作と呼ばれるだけある深みのある話でした。最初は苦労しながらも結局は報われる話かと思いきや、そうではない。かといって信心のない主人公が罰を受ける話でもない(中盤までそう見えなくもなかったけど)。自転車を質に入れていたほど困窮していた主人公が自転車を盗まれ、そして家族を養うには自転車を取り返さねばという必至の行動を起こし、ついには自らが誰かの自転車を盗んでしまおうという欲望に苛まれるお話。
この一人の男の顛末が非常に哀れだし、人間の弱さみたいなモノを考えさせられますわ。でもそんな痛さを主人公にくっついて行動する息子の存在が和らげてくれるんだよね。まさにラストシーンなんて子供の涙があっての展開だったし。
あと、犯罪を犯しているであろうチンピラ(バックにマフィア?)の町ぐるみの集団的な家族性が、イタリア的な社会を垣間見せてくれた気がして興味深かったね。
死ぬまでにしたい10のこと
7
余命2ヶ月と宣告された23歳の女性。死と直面した彼女が“死ぬまでにしたいこと”リストを実行していく様子を描いた作品。重いテーマのはずなのに、それほど悲観的な雰囲気にならない映画だった。観終わって思うのは“おとぎ話”の様だということ。女性の思うキレイな話という感じか。俺は、母親として、妻として、娘としての彼女の姿には共感出来たものの、女としての彼女の気持ちには共感出来ず、そういう点が難だった。監督が女性だと、そりゃあ女性視点にもなろうけど、男からしたら主人公はなんだか独り善がりな感じもする。でもまあ、それもまた一つの彼女のしたいことであったわけだし、“思い残したくない”という事なんだろうけども。ところで、父親に娘の靴のサイズを教えてあげたのかが気がかりです。
縞模様のパジャマの少年

(2008年制作)
7
ナチス将校の父の転勤で森の一軒家に引っ越した少年一家。少年はある日、森の向こうの“農場”で“縞模様のパジャマ”を着た少年と出会う。
主人公は冒険モノの本が好きな純真無垢な8才の少年。少年は純真が故に“農場”のフェンスの意味も、縞模様のパジャマの意味すらも分からないわけだけども、最期の最期まで本当の現実を理解することがなかったというのは、少々強引な気もする。まあ、知らない方が幸せだったかもしれないけどね。逆に言えば、その純真さ故にラストの展開が際立っているのだけども…。
何も知らない少年によって、その現実に目を開かされたのは家族であるナチス将校一家(であり観客)だったわけだ。ここで「間一髪助かりました、チャンチャン」では話にならないし、個人的には納得した。
とはいえ、やはり設定上は甘い部分が多く、ご都合主義な展開とも感じてしまった。そこが今一歩リアルと寓話の間で上手く寓話にシフトできていない気がして勿体ない。悪い話ではないんだけど、やはりホロコーストを描いた寓話という点では、ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」には及ばないね。
市民ケーン

(1941年制作)
8
新聞王ケーンが死んだ。ニュース映画の編集は、彼が残した最期の言葉「バラのつぼみ」の真意を探るべく、彼に近い人物を訪ね歩く。
冒頭の劇中ニュース映画でケーンの半生をざっと流し、述懐という形で彼の当時の姿が描かれていく。観ている方としてはキーワードが冒頭に提示されているので、「ああ、その話か」と分かる仕掛け。モデルがいるとはいえ架空の人物の半生は興味がなければ退屈なわけだけど、その辺の引き込み方として上手く考えられているよね。結局のところ「バラのつぼみ」に対する解釈は見る側にゆだねられる。個人的には、おそらくケーンがついに他者からの愛を手に入れることのできなかった無念、あるいは幼少時に手放したソリが最初に失った愛だったとして発した言葉なのかなと感じました。まあいずれにせよ哀しい男だと思う。
この映画が今日でも評価されているのは、その撮影技法に関するところも大きい。特にパンフォーカスの使い方は有名だけど、確かにその奥行の見せ方…人物の配置にハッとするカットも多々ある。他にはカメラが建物の外から中へワンカットで入っていく(様に見せる)カメラワークなど、今でも当たり前に使われる見せ方が良い感じ。製作・監督・脚本・主演のオーソン・ウェルズは当時25歳と思うと、その才能というか発想力はやっぱりすごいんだろうなと。
ジャージー・ボーイズ

(2014年制作)
7
フォー・シーズンズの結成から解散までを描いたブロードウェイ・ミュージカルをクリント・イーストウッドが映画化した伝記映画。
伝記映画の様ではあるけど、原作はブロードウェイ・ミュージカルなので、劇中の出来事は脚色が色々ありそうだとは思う。とは思うものの、60年代に一世を風靡したグループの結成・成功・解散のドラマは興味深い。ただ4人のメンバーが舞台展開(四季(フォー・シーズンズ))ごとにナレーションを引き継ぐらしい舞台版での効果は、この映画では何か中途半端なようにも感じられた。確かに4幕目では雪が降っていたけど、幕ごとで季節が区切られている感が薄いというか…。登場人物がカメラ越しに語りかけてくるのは確かに舞台版を意識しているのが分かるけど、交代した意図が観ている最中はあまり気づかなくて。まあラストの殿堂入りのシーンで、4人がそれぞれにもう一度語りかける場面で演出意図を理解したわけだけれどね。
後半は借金問題などのもめごとで影の部分が強くなってしまうので、観ていて楽しい映画というよりはどうもモヤモヤしたものが残る。でも「君の瞳に恋してる」の入りと、エンディングは良かったな。老いた4人のメンバーが振り返ると往年の姿に戻るなんて映画的効果、良いじゃないか。そしてカーテンコールの楽しいことよ。
シャーロック・ホームズ

(2009年制作)
8
コナン・ドイル原作の世界一有名な名探偵“シャーロック・ホームズ”を、ロバート・ダウニー・Jr主演で新しいホームズ像として作り上げたアクション映画。
原作を読んでいない俺にとっては、ホームズはTVドラマか宮崎アニメくらいのイメージが強いのだけど、拳闘までこなして大男を倒してしまう彼の強さは、もうアクションヒーローのそれじゃないか。
じゃあイメージぶち壊しだからダメかというとそうでもなく、ロバート・ダウニー・Jrが良いキャラを作っている。頭がキレそうに見えるし、格闘もちゃんとこなすし、なによりクールと言うより少し茶目っ気を感じさせるその雰囲気が良い。対するワトソンを演じるのがジュード・ロウで、これがまたクールで格好いイメージというのも上手い作りだね。このコンビは、これはこれで大いにアリだ。
元々が推理小説なのだから謎解き要素はどうかと言えば、そのあたりはテンポ重視の展開のために簡素化されている感じ。いわゆる推理ドラマの様な感じではなく、どちらかという勢いで進むアクション・サスペンス的な印象が強かった。ただ前振りと解決が強引というわけではなく、見ていれば分かる部分もあるけど…、基本的に映像以外の情報が少ないので観客が謎を解く前提では作られてないね。
本作の敵は“黒魔術”により国家掌握を狙うブラックウッド卿。しかしその陰で暗躍するモリアーティ教授!続編を作る気満々ですなw
シャーロック・ホームズ
シャドウ ゲーム

(2011年制作)
8
ロバート・ダウニー・Jr主演のシリーズ第2作。仏独戦争をけしかけるような爆破事件が多発。ホームズは黒幕のモリアーティ教授との対決に挑む。
前作からのアクションテイストをそのままにホームズが駆け回る。冒頭から変装を多用したり、腐れ縁でもいいコンビなワトソンとの掛け合いが楽しい。じっくり考える推理物というよりは、ホームズが瞬発的な頭の回転で窮地を切り抜けるので、話のテンポも速い。アクション解説付きの頭脳内バトルなどはこのシリーズならではの演出だけど、ここではモリアーティも参戦したりと、天才同士の頭脳戦の見せ方にも一工夫あってなかなか良いね。
インテリ然とはせず食えない男というホームズ像は、完全にダウニー・Jrの代表キャラになったなあ。中盤での小道具ネタがよもやああいうオチに使われるとは思わなかったが、驚き半分で楽しめた。透明人間w 同じ小道具では、結婚祝いの気付注射は使いどころが読めたのだけど、そっちが早めに消化されてたのですっかり油断してたわ。
ストーリー的には19世紀末の国家間緊張の裏でモリアーティ教授が戦争経済を牛耳り戦争を仕掛けようと画策している…という話。米国映画的には戦争が儲かるという話にしたのは分かりやすいテーマだからかな。しかしこの規模の陰謀を止めるようになると、いささかホームズも私立探偵というよりは007級のスパイって感じですねw
シャイニング

(1980年制作)
9
冬季に5ヶ月間閉鎖される山中のホテル。その期間の管理人となった作家志望のジャック一家だったが、次第にジャックの様子に異変が生じていく。
原作者のスティーヴン・キングが「こんなの俺の書いた話じゃない!」と怒りまくったことで有名なキューブリックの名作ホラーですが、俺が原作を知らないこともあって、純粋にキューブリックのホラー演出を楽しめました。何がホラーかって、やはり心理的圧迫感の見せ方の上手さでしょう。冒頭で血の吹き出るエレベーターと双子(?)の少女のイメージを見せることで、ホテルという空間に異変が起きるということと、双子が現れると何かあるという不安感を植え付ける。サブリミナルとまでいかないまでも、一瞬のモンタージュ的に入ってくるイメージは強烈。そして物語は動いていく。
一見すると閉鎖的な空間で執筆活動も上手くいかず、次第に追い詰められて発狂したように見えなくもない主人公ジャックだが、冒頭でも提示されるようにホテル自体がネイティブ・アメリカンの墓地の上に建てられたり、ホテルの意匠にネイティブ・アメリカンのものを取り込んだりと、暗示的にそれらの呪いやたたりの様なものが感じられる。ネイティブ・アメリカンそのものが登場するわけではないけどね。どちらかというと直接的に主人公を狂気に誘うのは、過去に当地のホテルで家族を惨殺したというグレイディなる人物。自殺したはずのグレイディはジャックにしか見えないボール・ルームの喧騒の中にバトラーとして現れるが、夢か幻か超常現象かは判然としない。
この映画はそういった曖昧さを持たせているところが想像力を掻き立てさせて面白い。終盤はジャック演じるジャック・ニコルソンの表情と、妻ウェンディを演じるシェリー・デュヴァルの演技ならざる演技でテンションがピークに達するが、やはり見せ方が上手いよね。エンディングの写真も観客に解釈をゆだねたような形だが、素直に受け取れば“ホテルの悪意に取り込まれた”(ジャックが見た盛況なボール・ルームの世界の一部になった)というところだろうか。
主人公の息子ダニーの超能力は思わせぶりな割には後半活躍しないが、これはキューブリックがジャックの変化に重きを置いたので、話としては扱いが軽くなったからだろうか。それでも不思議なモノを見るという性質が序盤の緊張感を高めてくれる。三輪車で廊下を走り回る有名なシーンは、得も言われぬ怖さがあるよね。効果的なステディカムの映像が人とは違う冷たさを感じさせ、見通しの効かない廊下を曲がった先に双子の姉妹…。怖い。名シーンw
シャイン

(1995年制作)
7
オーストラリアの実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いたドラマ。
厳格な父親の愛情は子供の可能性をつぶしかねない、といった印象が先行する。主人公は父に認められたいという心理もあってラフマニノフの演奏にこだわったのだろうけど、それで精神疾患になってしまうとは、なんとも。ラフマニノフを話のキーにしたのは映画の脚色と思われるけど、そこは主人公の心情が伝わる道具としては良い。
ピアノという才能によって認められ、様々な人に支えられている姿も暖かくて良いが、精神を病んでしまったデイヴィッドの突飛な行動にはいささか引くところもあるかな。どうしてそこまで慕われるのだろうと感じなくもないがw いずれにせよ、そのデイヴィッドを演じたジェフリー・ラッシュの演技はさすがだとは思う。
ジャガーノート

(1974年制作)
8
大西洋を横断する客船“ブリタニック号”に時限爆弾が仕掛けられた。期限の迫る中、英国海軍の爆弾解体のプロ達が決死の解体作業に挑む。
爆弾テロ映画の元祖とも言える作品で、後々の映画にも多大な影響を与えた演出が垣間見える。特に最たるものは“起爆装置につながれたリード線。切るべきは赤か?青か?”という今や王道のクライマックスシーン。直系から孫引きまで、このシチュエーションは今でも数限りなく引用されているよね。
登場人物達は比較的地味なキャラながら、それが妙なリアル感を出していて良い。それに演者達がリチャード・ハリスにアンソニー・ホプキンス、イアン・ホルムといった名優達(しかも若い!)だからそれだけでも見応えがある。色々と前振りっぽくあった割に、刑事の家族や海軍の欠員に入った乗組員の展開が今ひとつ描ききれていない感じもするけど、それでもそんなことを忘れさせるような解体のクライマックスは見事に手に汗握らせてくれました。
シャザム!

(2019年制作)
7
DCEUシリーズの7作目。実の親を探して家出を繰り返す里子の少年ビリー。ある日、魔術師からスーパーパワーを引き継ぐことになってしまった彼は戸惑いつつもヒーローライフを楽しむが、そんな彼の能力を狙うDr.シヴァナの魔の手がすぐそばまで迫っていた。
「アクアマン」に続いてこの「シャザム!」、「もうDCは暗いとは言わせない」と言わんばかりに軽いノリで笑わせにかかってくる。現実にいたらダサいだけのコスチュームを逆手に取って、そのままのデザインで登場させているのがミソだよね。見た目がオッサンなヒーローになってもやってることがガキそのものという部分がコメディ映画として面白いところだけど、時々映画ネタのオマージュを放り込んでくるので油断できないw スーパーマンやバットマンの要素が登場するのはDCEUとして同じ世界の話だからだが、「ロッキー」や「ビッグ」も引用されていて遊んでるなあと思った。
ヒーローモノのファーストエピソードとしては、出自やヒーローとしての自覚についての展開は割とオーソドックスな気はする。壁を作っていた里親や他の里子の兄弟に対しての人間関係がいい方向に行くのは予定調和的でもあるので、そういう点ではあまり意外性はなかったかも。コメディ部分のノリと同じくもっとハッチャケてくれても良かったけど。敵対するDr.シヴァナや“七つの大罪”も、シャザムの派手さに比べると少し地味な印象。まあでも総じて楽しめましたよ。
ところで魔術師役をジャイモン・フンスーが演じてますが、彼ってMCUの「キャプテン・マーベル」にも出演してるよねえ。どっちの“キャプテン・マーベル”(「シャザム」のコミック名は当初「キャプテン・マーベル」)にも出演するとは、これもネタなんじゃないかと思ってしまったw
シャザム!
〜神々の怒り〜

(2023年制作)
7
DCEUシリーズの12作目。フィラデルフィアでヒーローとして活躍(?)していたシャザムことビリー兄弟だが、力を取り戻したアトラスの娘たちと対峙することになる…。
DCEUの中では明るいノリの「シャザム!」だったけど、本作もその延長線上のノリですね。ただ子供とヒーローの二重生活コメディといった要素よりは、襲来した敵にどう立ち向かうかという普通のヒーロー物になったような感じもする。映像自体は派手な部分はしっかり派手に作ってあって安心感はあったかな。対峙する相手となる3姉妹にはあんまり敵としての魅力を感じなかったかなあというのが正直なところか。3姉妹役にはヘレン・ミレンにルーシー・リュー、そしてレイチェル・ゼグラーと豪華な配役だとは思うんだけど、キャラクターに合っていたのかはちょっと。姉妹なのに行動原理がバラバラなところとか、それぞれの性格の背景が深掘りされないのもイマイチに感じた要因かも。あと今作で復活した魔術師は役に立ってるんだか立ってないんだか微妙だったけど、ジャイモン・フンスーの再演自体は嬉しいので多少のご都合主義には目をつむりますw
結局のところは、この映画の中でビリーの話なのかフレディの話なのかがちょっとブレてしまったのがまとまりの欠ける印象を与えてしまった原因かもしれない。ラストでワンダーウーマン(演:ガル・ガドット)がちょっとだけ登場したけど、キャラクターの格が違いすぎて全部持って行かれた感もある?(苦笑) 彼女の登場は前作のスーパーマンとの対比みたいなところもあるんだろうけど、スーパーマンは顔が映ってなかったからなあ。
ジャスティス・リーグ

(2017年制作)
8
DCエクステンデッド・ユニバースの5作目。スーパーマン亡き地球を狙う宇宙からの侵略者ステッペンウルフ。バットマンはその脅威に対抗すべくメタヒューマンの勧誘を始める。
DCEUのここまでの作品で広げてきたネタの集大成だが、多数のキャラが活躍するお祭り映画としてもなかなか面白いものになっている。作品傾向としてシリアス系な印象がある最近のDCヒーロー作品では珍しく、わりとジョークが多めなので、そのあたりでも楽しさを感じるところ。これはフラッシュのキャラクター性がかなり効いているが、コメディリリーフとしての塩梅がよかったね。色々笑わせてはくれたが、特にスーパーマンの後ろの回り込もうとして目で追われた時の「マジかよ!」という表情が最高だったw
DCヒーロー大集合映画だけれど、このメタヒューマンばかりメンツでは実際問題としバットマンにはキツいよなあ(苦笑) 劇中でも、それを承知したうえで自分が出来る範囲で戦っているバットマンの苦労がしのばれる。まあそりゃ、ステッペンウルフと直接戦うのは超人じゃないと無理だわな。
バットマンはスーパーマンを死なせてしまった責任を背負っているわけでもあるが、だからと言って無理やりスーパーマンを墓から起こすというのは少々乱暴な気はした。そりゃあスーパーマンも目ざめに怒りますわ。とはいえ戦力的に彼が戦いの鍵になることもまた事実。事実チート級の強さだったし、それでこそスーパーマンではある。
DCEUではこれまで過去に映画化されたヒーロー作品への直接的なオマージュはあまりなかった気がするけど、本作では「バットマン」('89)や「スーパーマン」('78)のテーマ曲がアレンジして使われてたね。珍しいなあとも思ったけど、本作の音楽はダニー・エルフマンだから「バットマン」については少々手前味噌な感じもするw
ジャスティス・リーグ
ザック・スナイダーカット

(2021年制作)
9
2017年の「ジャスティス・リーグ」(劇場公開版)を、当初の構想に基づいて再構成したディレクターズ・カット版。
劇場公開版はポスプロの段階で監督のザック・スナイダーが辞任し、ジョス・ウェドンが後を引き継いだ作品であるのは有名な話。その結果、作風がそれまでの「マン・オブ・スティール」や「バットマン vs スーパーマン」とは異なるジョークが多めのお祭り映画になったわけだけど、“ザック・スナイダー作品”という冠だったがために違和感を持ったファンがいたというのもまた事実。「本当のスナイダー監督バージョンがあるんじゃないの?」ってね。
自分は公開版は公開版として楽しんだのだけど、今こうしてスナイダー版を観ると複雑な気分にはなったな。スナイダー監督のビジョンの通りに作られた結果、本作は上映時間4時間という大事長編に。たしかにどこを観てもスナイダー作品らしいシリアスなトーンが全開で満足のいくものだし、入れ替えられた劇判の効果によって、より前作までとの連続性と荘厳な印象も増した。終盤1時間の盛り上がりに向けてじっくり描かれる3時間も、物語としてそれ自体が必要な過程だったのは間違いない。ラストバトルのカタルシスは明らかに劇場公開版より本作の方が上だったし満足度もこちらの方が上。それでもこれを商業映画として劇場にかけられるかというと、そのままは難しいだろうとも思う。結局ワーナーは長すぎるこの構成を2時間に縮めろと要求したわけだ。その結果作られた劇場公開版は、むしろこの完成度の構成を切り張りして(サイボーグの物語を犠牲にしながらも)よく2時間にまとめられたものだと思う。
ディレクターズカットが作られる作品を観るといつもモヤモヤするのは“作品は誰のものなのか”ということ。インディーズ映画でもない限り、実際には会社のものであり製作者のものだ。ファイナルカット権がどこにある契約なのかにもよる。映画会社にとっては作品とは“商品”なのだから、4時間も使って劇場上映の回転数を下げることが許容できるのかどうかも難しいところだろう。一方で監督が描きたいビジョンももちろんあるわけで、通常そのせめぎ合いは観客に見えないところで起きているものだと思っている。本作はDCEUの当初の方向性をつけたスナイダー監督のビジョンに基づいた本来の形だったのだから、ファンの中ではこれがDCEUの“正史”と扱われるだろうけど、それが故に会社の志向したものとファンの求めるものという隔たりが“2本の作品”という形になるしかなかったというのは残念に思う。ただ、当時「2時間に縮めろ」と言った重役はもうワーナーにはいない。
ジャッカルの日

(1973年制作)
8
ド=ゴール大統領の暗殺を狙う暗殺者コードネーム“ジャッカル”と、それを阻止するフランス警察の息詰まる攻防戦。ド=ゴール大統領が暗殺されないことは周知の事実であって、そこからある程度のオチは予想はつく。それでも、警察がジャッカルの存在に気づいてからのやりとりは緊迫感十分。ジャッカルも冷静で用意周到なんだけど、結構人間らしい焦りのようなものが見えるのが良いね。分かれ道で実行しに行くかどうか悩んだり、駅で警官を見てハッとしたり、「一発でしとめる」と言いながら外したりw でもあの仕込み銃の試射のシーンは渋かったなあ。淡々と、まさにプロの下準備という感じ。対する警察も、“銭形警部”的ではなくプロとしてジャッカルに挑んでる。そういったプロvsプロの雰囲気が緊張感を出してるんですね。
ジャッキー
ファーストレディ 最後の使命

(2016年制作)
7
1963年に発生したケネディ大統領暗殺事件。事件後の混乱の中、大統領夫人として夫の国葬にこだわったジャクリーン・ケネディの姿を描いた伝記映画。
インタビュー形式の回想を用いて歴史の一ページを掘り起こす。伝記映画や歴史ものとしてはベタな手法で物語は進行するけど、映画としては若干淡泊な感じ。ジャクリーンという人物像を掘り下げるにあたっては、彼女がこだわった国葬の行進を通して「夫の名前を歴史に刻むこと」、ひいては自分自身が“ケネディ”という神話を作り上げる事に執着した人物であるように見せている。それは裏返せば、“元”大統領夫人となり、そして自分が蘇らせたホワイトハウスからの退去をいう“喪失”に対する彼女の最後の反撃でもあったのかもしれない。
一意的には夫を目の前で殺された女性としての気丈な振る舞いに覚悟を感じるところでもある。でも前述のホワイトハウスの件や葬儀への執着からは、どこかしたたかな部分を感じるし、そう描いてもいるよね。インタビューの内容を“作り上げる”ことにしてもそうだし、(映画では描かれないが)その後に海運王のオナシスと再婚していることからも、歴史上の人物として興味深くは観られたけど、自分の中で殊更に評価が上がる人物でもなかったかな。
この映画を観るとケネディが歴史に名を残したのは、荘厳な争議があったからかの様にも感じられるけど、まあそうではあるまい。それはそれとして、ジャクリーンから見た歴史の一場面という話としては納得はする。ジャクリーンになり切ったナタリー・ポートマンの演技はさすがだし、脇を固めるピーター・サースガードも良かったのだけど、作品の展開としてのレベルが彼らの演技に追いついていたのかは…ちょっとどうなのかな。
ジャックと天空の巨人

(2013年制作)
7
童話「ジャックと豆の木」と題材に、人間と巨人たちの戦いを描いたファンタジー・アクション映画。
主人公が姫と恋に落ちたり巨人の軍勢が登場したりと、話は原作とだいぶ違うけど、豆の木はちゃんと出てくる。勢いよく伸びたり、切り倒されただけでスペクタクルになってしまう巨大さは、現代のVFX表現にはハマっていたかな。後半の「進撃の巨人」と見紛う巨人たちの総攻撃も迫力満点で良い感じ。ただストーリーはそつなく纏めているものの、どこかしらショボさが感じられて仕方がない。絵に描いた悪役の割にすぐ死んでしまうスタンリー・トゥッチとか、巨人の攻城戦がほぼ正面からのみで門の綱引きに終始…とか。せめて最後にもう一山あれば違っただろうけど、王冠パワーで事態を収めるのも規定事項すぎてなんだか物足りないよね。
想定観客層が子供だからというのもあるんだろうけど、キャラクターもステレオタイプばかり。とはいえ騎士のユアン・マクレガーや、王道を心得ていそうなイアン・マクシェーンのキャラは良いんだけど、逆に主人公やヒロインにはあんまり花がなくって、そこが勿体ない。
シャッター アイランド

(2009年制作)
6
精神病犯罪者を収容する孤島の病院。そこで一人の患者が消えたという通報を受け、連邦捜査官の主人公(レオナルド・ディカプリオ)が捜査に訪れるが…。
この手の映画は先入観を持たずに観るのが正しい。しかし残念なことに、日本においてこの映画の宣伝は「どんでん返しがありますよ」と身構えさせるものであり、そう思って観ると、なんと開始5分で真相に気付いてしまう。実際、序盤から伏線描写は多々あるので、勘のいい人であればそんな宣伝が無くてもすぐに気付くかもしれないけど、さすがに最初から予想通りの真相に突き進むと面白さは感じない。ラストの台詞こそ意味深で色々と考えさせられる部分もあるが、それだけでは…。
監督はマーティン・スコセッシ。暗く湿った雰囲気は良いのだけど、監督らしいバイオレンス風味はあまり無く、スコセッシでなくても…と思わなくもない。が、4度目となるスコセッシとディカプリオのタッグは安定感を感じるし、ベン・キングズレーのようなその他の実力派俳優達にしても、その真相に裏付けられたキャラ達の微妙な“演技”はさすがに上手いと思う部分もあった。
自然現象が状況に関わってくる描写などは展開として強引さを感じる部分もあるけど、不可解な描写には不可解さなりの意味があるという点で総じて上手く纏まっているとは思う。だけどそれは振り返って「そうだったか」と納得する類の作品であって、身構えてみるべきものではない、と思う。
Shall we Dance?
シャル・ウィ・ダンス?

(2004年制作)
7
邦画「Shall we ダンス?」のハリウッドリメイク版。
邦画オリジナル版をあっさり味にすればこんな映画になるかな。文化の違いによってキャラ設定が変わるというのは理解出来るけど、話の根幹に関わる部分で微妙な変更がされているために、人物像の背景が薄っぺらくなってしまっていた。ジェニファー・ロペス演じるダンス講師は特にそう。そもそも彼女がダンス教室にいる理由が全く違うからね。彼女の役回りはオリジナル版で俺が感心していた部分だっただけに、その背景が変えられていたのは残念。
オリジナルと比較さえしなければそつなく仕上がっているとは思う。話の流れもスムーズすぎるくらいまとまっているし、単純なリメイクとしては成功か。でも、やっぱりオリジナル版が好きな俺にとっては、オリジナルに迫る深みがなかったわ。何で増やしたのか分からないキャラもいるし。
そんな中、終盤に妻の職場に現れる主人公のくだりは良かった。キザだけど、ちゃんと妻の所に行った主人公は良いです。ここが最もオリジナル版と異なるところだけど、アメリカ的な考えが出ているところでもあるのかな。
ジャングル・クルーズ

(2021年制作)
7
ディズニーランドのアトラクション“ジャングルクルーズ”の実写版映画。
自分がアトラクションに乗ったのはもう四半世紀以上前か。その時の記憶をたぐるとアフリカにいるカバや象の印象が強かったのだけど、映画の舞台は南米アマゾン…?と思ったら、冒頭で作り物のカバがあったり滝の裏側が云々など、アトラクション関連のネタにニヤリ。ただ映画としては乗り切れない部分もあったかなあ。まさに“今どきのディズニー”らしい各方面への配慮が多くて逆に窮屈に感じてしまった。個人的には脳筋な痛快冒険活劇を期待していた部分があったところに、現代の感覚を前時代の世界観に持ち込んでいたから余計にそう感じたんだろうけどね。まあ強い女性像はともかく弟のゲイ設定は必要だったの?とは思ってしまった。敵が征服者(人外)やドイツ人(w)ってところだけは妙にステレオタイプだけど。
主演はドウェイン・ジョンソンにエミリー・ブラントなのでアクションもいけそうだけど、どうも演出的にいまいちハマらなかったかなあ。格闘戦主体ってのもあるのかもしれないけどカメラの寄りが多かった印象で、そのせいで少しゴチャゴチャして見える時間が長く感じてしまった。敵の個性を生かした見せ場が少ないのもちょっともったいない感じ。そう思うと、やっぱり「パイレーツ・オブ・カリビアン」は別格によくできた映画だったんだなと再確認。
まあ話の仕掛けとして、船長の正体が明かされる中盤はちょっと「おっ」と思う部分はあったかな。河に囚われているという設定や、400歳という歳、征服者たちとの因縁は悪くなかった。
ジャングル・ブック

(1967年制作)
7
ジャングルのオオカミに育てられた少年・モーグリ。人間を目の敵にするトラ、シア・カーンが戻ってくると耳にした動物たちは、モーグリを人間の村へ帰そうとするが…。
動物たちが歌って踊るというディズニー映画の真骨頂を見せつける作品だけど、ウォルト・ディズニーにとっては本作が遺作。擬人化されつつも動物たちのシルエットや動きは本物のそれを見事に取り入れていて、そういった動画のセンスには唸る。手描きの線も味だが、黒豹のバギーラやゾウの軍隊とか、虎のシア・カーンの登場シーンとか、骨格が生々しくてイイよね。モーグリの動きははロトスコープなのかな?熊のバルーはかなり擬人化された動きをするけど、特にサルの王であるキング・ルイとのドタバタ劇はカートゥーン的なスラプスティックさが楽しかった。一方でヘビのカーなどの場面では同じ演出が2度使われたりして、ディズニーでもバンクを使うのか…となんだか意外な面も。
耳に残る"The Bare Necessities"という曲は、楽天家なバルーのキャラクター性を出しつつディズニー・ミュージカルの楽しさが感じられていい。短い映画ながらも、バルーがモーグリに抱く感情の流れはグッとくるな。しかしそう思うと、ラストでモーグリがバルーと暮らすよりも少女に釣られて村に帰って行くというのがなんだかモヤモヤもするが(苦笑)
ジャングル・ブック

(2016年制作)
9
1894年の同名短編小説と1967年のディズニーアニメを基に、実写で少年モーグリの冒険を描いたファンタジー作品。
実写、とは言っても主人公のモーグリ以外は全てCGなのだから、もはや3DCGアニメと言ってもいいかもしれないが…、映し出されるジャングルの風景や動物たちの姿は実写そのもの。技術的には「アバター」や「ライフ・オブ・パイ」の延長線上になると思うけど、いやはや映像技術の進歩は凄まじい。
リアルな動物が人語を話すというのはアニメ以上にウソに見えるはずなのに、それを受け入れられるくらいファンタジーとして世界観がしっかりしているのが良い。しかしその良さの根本は、監督が過去作を換骨奪胎してリアルな描写に落とし込んだそのセンスの良さにあるだろう。"赤い花"(火)の扱いが前振り含めてより明確になっているし、より凶悪になったシア・カーンに憎しみを集中させる作りも分かりやすい。そしてミュージカル作品だった1967年のディズニーアニメからのストーリーラインを外さずに、また「ジャングル・ブック」にとって外してはいけない歌の要素を残しつつも、モーグリの選択に物語としての説得力を付加した再構成はお見事。個人的には、アニメ版で人間の村に行ってしまう結末にモヤモヤしたものを感じていたので、本作の様に(いつか人間のところに行くにしても)ジャングルの仲間たちと生きる姿でエンディングになったのはスッキリして良かったな。
ミュージカルアニメの名残としてバルーの"The Bare Necessities"とキング・ルーイの"I Wanna Be Like You"が劇中でも歌われるけど、この辺はアニメを観ているものからしたらやはり嬉しい。そしてエンディングで「THE JUNGLE BOOK」の本が閉じられるオマージュに満ちた演出が実にニクい!(そしてそれが再び開いた後も最高なのですw)
ジャンゴ
繋がれざる者

(2012年制作)
8
元歯科医の賞金稼ぎ・シュルツに助けられた主人公のジャンゴ。奴隷から自由人になった主人公はシュルツとコンビを組み、ある目的へと向かう。
マカロニウエスタンに対するタランティーノ監督のオマージュ映画だけど、ウエスタンになっても彼の台詞回し中心な作風は健在。シュルツを演じたクリストフ・ヴァルツの見事な進行役は感心した。黒人のガンマンが南部で白人を打ち殺すという状況だけでも奇抜なのに、その状況に説得力を持たせるキング・シュルツというキャラクター配置が上手いよなあ。冷静沈着だったシュルツが我慢しきれなかったあの場面には、ちゃんとしたメッセージ性も感じさせる。
大農園主・キャンディを演じるディカプリオは、その悪役を嬉々として演じている感じ。キャンディもシュルツもキャラが立ってたので、いささか退場場面には面食らったけど、またそこからがタランティーノ。血しぶきが飛び散りまくりのクライマックスへ…と思わせて、さらにもう一歩。ほんとにてんこ盛りでした。まさかあそこでタランティーノがブッ飛ぶとも思ってなかったしw シリアスな場面にもしっかり笑いも入っていて、それがまたセンスが絶妙で。KKKへの茶化しとかなあw そして相変わらず選曲も良い。
シャン・チー
テン・リングスの伝説

(2021年制作)
8
マーベル・シネマティック・ユニバースの25作目。歴史の裏で暗躍してきたテン・リングス。その首魁であるシュー・ウェンウーの息子シャン・チーは、サンフランシスコのホテルマンとして生活していたが…。
正直マーベル・コミックにおけるシャン・チーというキャラクターは知らなかったのだけど、そのオリジンに関する単独作としてはとても面白く観ることができた。序盤で見せるバスの車内でのバトルや、中盤の高層ビルに設置された竹(!)の足場でのバトルなどは、カンフー映画的な見せ場としても迫力があって引き込まれたね。終盤にはどんどんファンタジー要素が強くなっていくものの、そういうインフレに関するシフトチェンジでも見る側を振り落とさないレベルでコントロールされていて上手い。というか、MCUの世界観なら「何でも起こりうる」というのを観る側も作る側も信頼しているってのがあるのだろうけども。
メインストーリーとしてはシャン・チーとシュー・ウェンウーの親子関係と、シュー・ウェンウーの亡き妻への思いが軸になって進んでいく。シュー・ウェンウーを演じたトニー・レオンの憂いや怒りを帯びた眼が良いフックになっているなあ。そのあたりの感情に関する話は割とシリアスなのに、作品としては深刻になりすぎないのもいい感じ。ケイティを演じたオークワフィナのキャラクター性がそのあたりをコントロールしている感じもするけど、後半になると元偽マンダリンだったトレヴァー・スラッタリーが登場してさらに笑える展開に。短編の「王だ俺だ」以来の登場だから7年ぶりか。まさかその直接の続きとはw 名優ベン・キングズレーの見事なコメディリリーフぶり、楽しませてもらいました。
ジャンヌ・ダルク

(1999年制作)
8
舞台もよくできているし、キャスティングもいい。ただ話が暗い。重い。ジャンヌの冒険譚ではなく、ジャンヌの戦い通して“神の存在”を問うた哲学映画ですわ。“神”とはたんなる“思いこみ”に過ぎなかったのか?後半のジャンヌの精神描写は、まさにその葛藤。ダスティン・ホフマンがジャンヌの心を演じて分かりやすく作られてるね。一見すると神にも悪魔にも見える彼の容姿は上手い。戦闘シーンは「これが神の望んだことなのか」という葛藤に繋がる描写わけで、血は流れまくり首は飛ぶ凄惨さ。神に啓示を受けた聖女から、宗教裁判に掛けられる魔女に至るジャンヌの人生を通してこういう風に“神の存在”を描くとはなあ…。考えさせられます。
ジャンパー

(2008年制作)
6
空間跳躍を身につけた青年が、彼らを狩る謎の組織から追われる姿を描いたアクション作品。
ジャンプできるという能力は子供の頃に憧れる超能力でもあるし、実際にその力を発揮している姿は面白い。ただ、この映画はかなりストーリーが浅薄なので、俺は入り込めなかった。主人公が独り善がりで短絡的で人に迷惑かけてばかりなので全然共感できない。まあ、そういう能力を持てば少しは悪事も働いてしまうかというのがガキではあるが、そのまま大きくなった様な人間を観てもスッキリしないのである。
先にも書いたとおり、アクションシーンは観られたものになってる。主人公とは違う奴だが、敵に向かってロンドンのバスを跳躍してぶつけようとした描写なんかは、オオッと思ったもんだ。でも、全体的に言えば物足りない部分があって、やはりストーリーに乗り切れていないところが大きいかな。
15時17分、パリ行き

(2018年制作)
7
2015年のフランス、走行中の列車で発生したテロ事件。偶然にも同列車に居合わせていた米国人青年3人の行動を追った実録ドラマ。
"3:10 to Yuma"(邦題「決断の3時10分」)を思い出すようなタイトルだけど、西部劇とは関係ない。実際の事件の再現ドラマと劇映画の狭間にある様な感じで、殊更にドラマチックにもサスペンスフルにも描かないし、群像劇にもできるネタなのに、そういうこともしない。テロ事件を描いてはいるけども、それも単に主人公が遭遇した事件でしかなく、テロリストはテロリストという記号で背景には全く触れることはなかった。
では何が描かれるのかというと、彼ら“普通の若者”がその時に行動をしたという事実だけ。なので映画のほとんどは彼らが特別でもなんでもなく、自分たちと同じ地平で彼らなりの境遇の中で考えて過ごす若者だという事を、日常を淡々と見せることで感じさせる作品になっている。でもそこに意味があって、普通の人だからこそ、とっさにテロリストを取り押さえるという行動の崇高さが際立つし、考えさせられもする。主人公3人は役者ではなく本人が演じていることも、この話の主人公が普通の人々であるという主題を表しているよね。
そこに居合わせることは運命かというニュアンスも描かれはするけど、それは隠し味くらいのものかな。重要なのはその時その場所で正しい行動をとった人がいた、という事実。いつどこでテロが起こるか分からない世の中で、そういう希望を描いた作品なのだと思う。
13人の命

(2022年制作)
8
2018年、タイで起きたタムルアン洞窟の遭難事故の救出活動を描いたドラマ。
いわゆる再現VTRに近い感じではあるけれど、そこはそれ、実話のドラマ化をそつなくこなせるロン・ハワード監督の手際はさすがですね。“救出活動”に的を絞った話の構成で、登場人物の立場やその背景などの枝葉はサラッと触れる程度。人物像を描くにしても必要最小限に削ぎ落とされていて本筋に集中しやすい。説明ゼリフが少ないところにも好感が持てるけど、殊更に感動を煽るようなドラマチックな演出を使わないのがとても好ましいと思った次第。多くの人たちが「救出すること」に対して行った行動が主題であって、そこに対する真剣さが伝われば、わざとらしい感動の煽りなんて不要なんですよね。
ある意味で群像劇のような面はあるけど、作品としての主役はイギリス人の洞窟救助潜水士であるリチャード・スタントン(ヴィゴ・モーテンセン)とジョン・ヴォランセン(コリン・ファレル)。リチャードは現実主義者というかドライに状況を判断するタイプで、ジョンは家族持ちな分だけ人情家の要素を感じるキャラクター。キャラクターの差はあれどプロフェッショナルとしての存在感をモーテンセンもファレルも好演してますね。特に二枚目オーラを消したファレルの演技は良かったと思う。
物語としては、この事件自体が有名なものなので結末が分かった上で観ることになるのだけど、それでも最後まで引き込まれるのはその救助がいかに困難であったかということをまざまざと見せつけられるからだろう。だからこそ演出もストイックになったのだろうけど、それは成功している。まさにミッション・インポッシブルなプロジェクトX。プロがプロとして仕事をやり遂げたことに対して敬意を表したくなる話でした。
終戦のエンペラー

(2012年制作)
7
1945年8月。日本に到着したGHQのボナー・フェラーズ准将はマッカーサー元帥から「極秘に昭和天皇の戦時中の役割を調査しろ」と命令を受ける。
日本人にとっての天皇制、特に当時の昭和天皇という存在については、現代的…欧米的な感覚では理解しにくい部分もあるだろう。その部分をミステリーとして構築した筋書は悪くない。証言者たちが日本の情勢や昭和天皇を語る内容は違和感もなかったし、俺は真摯に作られていると感じたなあ。まあ、少なからず当時の情勢や日本の政治体制を予備知識としてもっていないと難しい部分もあるとは思うけれど。
ただ作劇としてはミステリー仕立ての部分で攻めれば良かったのに、フェラーズが昔の日本人の恋人を回想したり探したりというメロドラマな部分が、話の流れを止めていて残念。知日派である設定の根拠にしたかった部分もあるんだろうけど、逆に安っぽくなり過ぎたのでは。なので全体的にはいまいちかな。
でも終盤の昭和天皇とマッカーサーが会見するシーンでは、やはりぐっと来るものがあるのだけれどね。
17歳

(2013年制作)
7
17歳の少女・イザベルは高校生活の傍らで売春を行っていたが、ある日、行為の最中に客の老人が死亡してしまう。
偏見を承知で言うと、「フランス映画っぽい」イメージそのままの映画、という感想が出てくるけども。バカンス先での初体験から、休暇から戻っての売春婦生活。この間に何があった?というところはハッキリとは描かれない。後半で警察への証言という形で語りはするけれども真偽のほどは…? 映画としてはエロティシズムの方が先に目につくけれども、思春期の不安定な感情を表現している部分はよく分かる。売春にしたって他者承認欲求の発露だろうし、義父はともかく母親への反抗心も見て取れるし。原題の「若く、美しく」はまさにそういった事を持て余す年頃の直接的命題。エンディングの老夫人(亡くなった客の妻)との出会いと会話は、それが今しかない瞬間であると同時に、鏡の裏表の様に感じられる描き方に「フランス映画だなあ」と訳もなく思ってしまった次第。
売春を繰り返す主人公にとって、中盤に客の老人が亡くなったことが転機になる。「男が下にいたのに腹上死とはこれ如何に」…と思ったことはともかく、それによって警察にバレ、家族にバレてしまう。もちろん家族は戸惑うけれど、それでも見放さないところもまた家族なんだなあ、と。
十二人の怒れる男

(1957年制作)
9
裁判後の陪審員控え室を舞台に、有罪・無罪を巡り白熱した討論が繰り広げられる様を描いた密室劇。
序盤、11対1で有罪だった意見が、一人の陪審員の疑問から意見が変わっていく様がスリリングで実に面白い。「疑わしきは罰せず」を理念として考えれば、このケースの場合は証拠に疑問が多く、そもそも用意された話としては無罪なんだと思われる。でもこの映画で描いているのは事件そのものではなく、密室で行われる陪審員の討論そのもの。12人各が様々な考え方を持ち、意見をぶつけていく。その迫力たるや、見事。
展開としては、観客側から見ると“無罪の論拠”となる情報が小出しにされるので、否応なくどんでん返し的な展開になってしまい、少々強引な気がするかも。「最初から分かってれば無罪やと思うやん」と思わなくもないが、それでもグイグイ引き込まれるくらい面白いことには変わりない。
それと同時に市民が裁判に参加するという意味についても考えさせられる作品だった。「人の人生を5分で決めるのか?話し合おう」今後日本でも無縁ではなくなる話だからね。
シューマッハ

(2021年制作)
8
通算7度のチャンピオンに輝いたF1ドライバー、ミハエル・シューマッハの伝記映画。
俺がF1を観始めたのは1994年から。セナがこの世を去った後のF1で“シューマッハ”という存在がいかなるものだったのかをリアルタイムにTV観戦していた身としては、このドキュメンタリーの内容はまさにどストライクなものだった。当時を振り返って、シューマッハをしても不振だったフェラーリにドライバーズタイトルをもたらすには5年の月日が必要だったという事実を改めて認識させられる。「サイボーグ」や「ターミネーター」と呼ばれた彼だったけれど、本作は「人間」シューマッハの面が大きく取り上げられ、“フェラーリにドライバーズタイトルをもたらす”という目標を2000年に達成し、偉大なチャンピオンとなるまでの物語がとてもドラマチックに構成されていました。それ以降の2000年代の話はまるでエピローグのような感じ…。
ドキュメンタリーとしてはインタービューや当時の映像で構成されたオーソドックスなものだけど、シューマッハに対しての主観的な取り上げ方によって彼に感情移入しやすくなっている。個人的にはセナの死に直面した彼の感情に関するエピソードと、2000年の日本GPでチャンピオンを決めた場面にはこみ上げるものがあった。有名な2000年イタリアGPの会見での号泣でもこちらの感情が揺さぶられるが、どちらかというとその場面は、泣いて話せなくなったシューマッハの代わりに「質問はこっちに振れ」と記者にジェスチャーしたハッキネンの格好良さが印象に残る。やっぱりシューマッハの多くのライバル関係の中で、ハッキネンとの間柄が一番素晴らしいものだと感じさせるね。
彼のドライビングの魅力は勝つために妥協をしないところであったのは事実。でも時に極端な幅寄せや予選での停車といった行為も行ってしまうドライバーであったという部分はオブラートに包まれている印象かな。(ヒルやビルヌーブとの衝突は経歴において外せない事実なので描かれていたけれど。) シューマッハが主人公なので、彼の人間としての素晴らしさやその偉業がメインに描かれるのは当然と言えば当然だけどね。
100,000年後の安全

(2009年制作)
7
フィンランドの放射性廃棄物最終処分場を舞台に、原子力を使う限り発生する廃棄物の問題と、処分場の封印が守られるためのメッセージを如何に伝えるかという、困難な命題を描いたドキュメンタリー。
ドキュメンタリーとしては、描き手の「何故」、「どうして」という疑問を関係者にぶつけていく形で、内容も真摯なインタビューものであると思う。まあネガティブな印象で構成されている気もするが。少なくとも、オンカロ(フィンランド語で「穴、洞窟」)と呼ばれる放射性廃棄物処理施設の存在する意味を考えるには悪くない作品。
放射性廃棄物の最終処分に関する説明はさして目新しい部分はなく、知っている内容がほとんどだったかな。でも、主題である"永遠"にその存在をどう知らせるのかという議論は興味深かった。個人的には10万年後には人類はいないと思っている。人類の直接の子孫がいたとしても、文明も生物学的にも今の形質とはかけ離れているだろうことは疑わない。じゃあ如何に伝えるのか。本作での議論はイラストだ、メッセージだという事であるけど、やはりそれも伝わるのか疑問で。「永久に忘れ去るのが良い」という意見にどちらかというと同意。
人類の業というものは、例えその身を焼き尽くすことになろうとも、一度手に入れたプロメテウスの火を手放すことは出来ないだろう。ならその上でどうするかという中で、最善の策が大深度地下の最終処分だと思う。おそらく10万年後の世界では、このオンカロの様な最終処分場が現文明の形跡を残した最後の建造物になっているんだろう。現代を生きる人間の業をとてもよく表現した遺物じゃないか。
呪怨 パンデミック
8
ハリウッド版「呪怨」の2作目。伽椰子の呪いは伝染し、日本だけでなく米国にも飛び火する。
とうとう家に入らなかった者にまで呪いの影響を出し始めてますね。それでも、今までのルールを極端に破っているというほどでもないので、この辺は米国映画らしく米国を舞台にしたかったからかなと思ってます。
全体的には「呪怨」世界の雰囲気をちゃんと継承しているし、邦画・ビデオ版を解体し、再構築した米国版のオリジナルストーリーは良くできていると思いました。時間軸が入れ子になっているのも「呪怨」らしい。ま、このシリーズはずっと清水監督が撮ってるからねえ。でも邦画版のそれと違い、非常に分かりやすい筋立てになっているのがハリウッドらしい所かな。邦画版はもうちょっとわけ分からなかったけど。伽椰子の力について原因を言及する場面があるのも、何事も合理的な理由を欲する米国的な感じも受けます。
個人的に一番不気味だったのは、暗室にぶら下げた現像中の写真が、部屋にはいる時は違ったのに、出る時は全て伽椰子の目に寄った写真になっていたところ。逆に一番興ざめなのは、伽椰子の母親がペラペラと英語を話す場面。ここは監督もハリウッド映画だからと開き直って撮ったらしいですが…。
シュガー・ラッシュ

(2012年制作)
8
レトロゲームの悪役・ラルフは、悪役としての立場に疑問を抱き、別のゲームでヒーローの証である"メダル"の獲得を画策するが…。様々なゲームのキャラがゲスト出演したディズニーのCGアニメ。
人間の知らないところでゲームキャラが生きているという発想は「トイ・ストーリー」に似ているけど、ストーリーとしては主人公のアイデンティティ再発見を描いたドラマってところか。基本的に子ども向けだけど、明らかに昔にゲームをやっていた世代が反応するようなガジェットも多い。そこに日本製ゲームのキャラが多いというのは実に光栄なことだよなあ。予定調和とは言え、ストーリーも伏線をうまく処理して纏まっているので、大人も子供も楽しめる良い作品に仕上がってるね。
レトロゲームの世界から最新のFPSに潜り込んだ主人公が「いつからゲームはこんな暴力的になった?」と叫ぶシーンには笑った。そりゃあ、毎日戦争だもんなw 主人公と同じゲームにいるフェリックスたちも、動きが8bitキャラっぽくて良く出来ている。それ自体がネタになっている部分もあるし、そういったゲームに対するリスペクトにあふれているところも、観ていて気持ちのいいところだね。
シュガー・ラッシュ
オンライン

(2018年制作)
6
ディズニーCGアニメの続編。ある日、シュガーラッシュの筐体のハンドルが壊れてしまう。筐体が撤去されてしまう前にハンドルを手に入れるべく、ラルフとヴァネロペはインターネットの世界へ繰り出すが…。
一方的な気持ちの押し付けでなく、お互いの考え方を尊重する事がテーマになっているけど、子離れ・親離れといった物語のような感じで観ました。が、作品自体には正直あまり入り込めなかったかなあ。インターネットに行くこと自体も彼の世界でのルール破りだし、シャンクの車を盗もうとしたり、ポップアップの誘導とか…少々独善的な行動が目に付いて、個人的には共感しにくかった感じ。ラルフの保護者的な思考が強調されるのも気になった、まあそういう部分が結末との対比として必要なのはわかるんだけどね。
インターネットの世界を冒険するという展開自体は、彼らが初めて観る世界を冒険するという王道的なプロット。可視化されたネット上のサービスの表現は面白いものもあるけど、動画をバズらせて金を稼ぐという話が何だか生臭い。まあ端的にネットの一面をとらえているとも言えるけど、彼らの物語のテーマに対してそういった面が直結しているとも思いにくく、なんだか取って付けたような感じ。別にネットの世界でもいいんだけど、せっかくゲームキャラという設定を使っているのだから動画配信とかじゃなくてゲームを掘り下げてほしかったな。
ディズニー・プリンセス総登場は…、豪華だとは思うけどここまでくると二次創作の作品みたいだな。メリダの不思議な言動に対して「彼女はスタジオが違うから」と言っているシーンは笑ったw
主人公は僕だった
7
ある日突然、主人公ハロルドの頭の中に響く小説家の声。自分が小説の主人公だと知った彼は、予告された死から逃れるため、小説家に結末を変えてもらうべく行動する。
自分が“ある作家の作品の主人公で、人生が創作されている”と気づくプロットは面白い。ただ、このあり得ないシチュエーションを生かしたドタバタコメディを想像して観たらちょっと違っていた。主人公を演じるウィル・フィレルも良い意味で抑え気味の演技だし、ストーリーは不器用な男が“人生”を知るといった趣の、大人のファンタジーとも言えるような展開。個人的にハロルドに共感出来るところは多いかもなあw 
そういう具合に結構真面目(?)な話だったので意外な感じもしたんだけど、そういう意味で観ると、作家の声が聞こえるハロルドが、作家に創造された人生を歩むと同時に作家の知らない行動をして、結末を変えようとするという部分に若干の矛盾を感じたりもする。本来引っかかる部分ではないのかもしれないけど、世界観のルール上、結構大事な部分かとも思ったんだけど…そこが結構曖昧に感じたんだよね。
シチュエーション以外はベタな展開とは思う。でも、最後の主人公と作家の選択を含めて爽やかに終わるので、後味は良い作品です。
呪詛
7
過去の行動が原因で身の回りに不可解なことが起こる主人公の女性。彼女が記録した映像からその出来事の真相が明らかになっていく台湾ホラー。
一言で言えば「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の亜流だけど、他にも「パラノーマル・アクティビティ」に「ヘレディタリー 継承」、日本の「ノロイ」や「リング」の感じも混ざっている感じ。半モキュメンタリー・半POVのホラー映画としての雰囲気づくりには成功していて、ジメッとした怖さはある。ただこの手のPOV的な“記録映像”という体裁は、「撮影している理由」がしっかりしてないと観ている方が冷めてしまうのでなかなか難しい。そういう意味では冒頭で「新生活の記録」と説明があり、過去映像はYouTuber的な動画撮影にすることで説得力を出そうとして入るのだけど、超常現象という登場人物にとってはほぼハプニングであるはずの映像なのに“考えられたカメラアングル”によって核心部分が撮られているという状況を見せられると、途端に「記録映像である」という体裁が嘘っぽく感じられてしまうんだよね。そのジレンマに関してはこの映画も克服はしていないかな。それでも前半は「新生活の記録」の範疇だったの良い雰囲気での怖さもあったのだけど、後半になると「撮っている場合じゃねえだろ」という場面や「ここでカットバックするの?w」といった場面も出てくるし、そこに関してはリアルさよりも“映画”であることを選択しているというか…何か割り切っている感じが強くて気になってしまう。というかエモーショナルな場面で劇伴までつけてしまっていると、その時点でなんかPOVモノとしては中途半端な印象になってしまう。
物語としては紆余曲折しながらも「呪いを拡散させることによって個々人にかかる呪いを薄めさせるのだ」という邪教が話の根幹に関わってくる。娘の呪いを軽減させるためにビデオに撮って拡散するという主人公の選択は「リング」のオチを連想させるねえ。最終的には、この映画はどんでん返しとして「主人公が観客へ呪いを被せるために仕掛けた映像だった」という事にしているわけだけど、ちょっとこのあたりは仕込みすぎた感もあるかな。冒頭に「物事は見方によって反対の動きに見える」という説明をしているの時点で「祈りや呪文の説明は逆の意味でしょ?」と感づいてしまうわけで、これをやるなら「反対の動きに見える」の部分は伏せておいても良かったかもしれない。
ジュマンジ
8
プレイするとそこに表示された事象が具現化してしまうボードゲーム“ジュマンジ”が騒動を起こす絵本原作のファンタジー作品。
まず“具現化してしまうボードゲーム”というのが子供心をくすぐる作りなわけだけど、そこから飛び出すモノがジャングルの住人達というのがさらに良いね。何らかの呪いのかかったボードゲームがしでかすことだから、多少のムチャクチャは笑って楽しめる娯楽作品ですね。
筋も主人公とその親父との関係を描いたちょっといい話だし、ラストにみんな幸せになってるのは出来すぎだけど子供映画らしくて良い。
しかしロビン・ウィリアムズは、童心のままのオッサンを演じさせたら右に出る者はいませんなw 当時13歳のキルスティン・ダンストも出てます。さすがに若い!と言うか子供!
ジュマンジ
ウェルカム・トゥ・ジャングル

(2017年制作)
8
1995年のアドベンチャー映画「ジュマンジ」の続編。居残りの罰を受けた高校生4人が学校の倉庫で発見したTVゲームに吸い込まれてしまう。
22年ぶりの続編だが、前作のエッセンスを上手く使って現代風のアレンジが加えられ、痛快なアクションコメディになっているね。TVゲームの中に入り込んでしまうという設定は前作のボードゲームの文言が具現化するのとは対照的な状況だけれど、劇中でアラン・パリッシュの存在が示されていたり、時間を超えた繋がりの話があるところなどはシリーズらしさを感じる部分。
全体的には、ひたすらゲーム的な事象と現実的な描写の相反するシュールさを逆手に取ったネタで突き進んでいく感じ。現実の自分とアバターとのギャップ、残機設定、特殊スキル…ベタなんだけど面白いなw 演者のキャラ設定がまたそれを際立たせてもいるけど、特にジャック・ブラックはさすがだなあ。
その上でこの話に背骨を持たせているのは、冒険を通じて主人公たちがちゃんと成長している事だろう。自分に自信を持ったり、他人に心を向けたりという、彼らにそれぞれ欠けていた部分が旅の終わりには身についている。まるで「オズの魔法使」でも観ている様な感覚もあったけれど、そういう意味では王道な話。そしてその分かりやすさが、このアクションコメディにはバッチリ合っていた。
ジュマンジ
ネクスト・レベル

(2019年制作)
7
TVゲームの中に入ってしまうというアクションコメディの続編。
コミカルなアドベンチャー映画としては安定した面白さはあるものの、前作に比べると物足りない部分もある。主人公たちの絆が完成されてしまっているので、その部分での成長物語はほとんどないからねえ。その代わりとして用意されたであろう主人公の祖父とその昔の仲間との友情も、描写的には取って付けた様な感もあって「いかにもな続編」という印象でした。
本作ではドウェイン・ジョンソンの中身がダニー・デヴィートで、ケヴィン・ハートの中身がダニー・グローヴァーになっていて、見た目とのギャップネタとしては前作から少し変化があって面白い。微妙にジジ臭いドウェイン・ジョンソンと、話がスローモーなケヴィン・ハートとは…笑いましたw ただ終盤になると前作通りの中身に入れ替わるので、そこはずっと同じ中身で通してほしかったなあとも思ったり。というか中身が入れ替わる光る水の設定は、さすがにご都合主義すぎるだろ…。
個人的には、もう少しゲーム世界ならではのネタにも変化を付けてほしかった気はするなあ。残機設定を消化するためだけに無駄死にしてるような出来事もあるし、その辺ももう少し丁寧だったら良かったのだけど。
ジュラシック・パーク

(1993年制作)
9
恐竜を現代によみがえられたテーマパーク。開園前の視察をすることになった一行は、システムダウンによって解き放たれた恐竜たちの脅威にさらされる。
色褪せることのないアドベンチャー映画であり、映画におけるVFXの方向性を決定づけた作品としても歴史に残る本作。意外にCG恐竜のカット数は多くないけれど、それでも全身が映る部分で効果的に使うことによって「生きた恐竜」がそこにいる空気を感じさせてくれる。(寄りの部分はほとんどアニマトロニクスで、これも良くできている。)中学生の時に劇場で観た俺としては、その衝撃は一生忘れることのできない思い出としても残っているね。
ストーリーとしては…細かいところを観ればツッコミどころは多い。大多数の職員が本土に帰る日で、しかも嵐が来るのでみんな急いで帰った(という設定の)中で、重要な視察をさせるなよ…とか。 樹上の車が落ちてくるにしても、下じゃなくて横に逃げろ…とか。でもそんなことは娯楽映画のケレンの前にはどうでもいいことなのだ、というスピルバーグの勢いを感じるところ。屋内でラプトルの出現だって、最後のT-REXだって、「自由に移動しすぎていやしませんか」などと思う暇もなく展開するサスペンスの前には、意味のないことでしょうよw
そんな風に後半は特に勢い重視のエンターテイメント演出の一方で、全体としてはラプトルの狩り手法の伏線や、子供嫌いのグラントがレックスとティム(両親は離婚している設定)との疑似親子としての成長がある。そして「自然はコントロールできない」というテーマが背骨としてしっかりあるので、一見して物語としての破たんを感じないのだろう。常に軽口…あるいは皮肉を言うマルコム博士のキャラクターも良いよね。
ちなみに、終盤に主人公たちが天井裏に入るシーンでラプトルに落ちる影をよく見ると…、"AGCT"の文字がランダムに投影された影になっている。"AGCT"はDNAを構成する塩基(アデニン、グアニン、シトシン、チミン)の頭文字だけど、これは恐竜の出自が遺伝子操作(もしくは琥珀からのDNA採取)を暗示させる遊び心って感じなんだろうな。
ジュラシック・パークV

(2001年制作)
7
シリーズ3作目。事件後、発掘調査の資金繰りに苦労するグラント博士のもとに、“あの島”を観光したいという夫婦がやってくる。調査費用のためと承諾するグラントだったが、夫婦の目的は別にあった。
2作目と比べると、グラント博士の再登場がシリーズの継続性を担いつつ、サバイバル映画としての「ジュラシック・パーク」に求める部分が1作目に近く描けているので、良いのではないかと思う。ただ、デカいというだけでT-REXの代わりに看板を背負わされたスピノサウルスは、個人的にはちょっと魅力を感じなくて。序盤でスピノサウルスがあっという間にT-REXを倒すのは…手っ取り早いスピノの強さの説明方法なのは理解するものの、やっぱりもうちょっとT-REXには強くあってもらいたい(苦笑 襲ってくる様な恐竜ばかりが描かれるのは…まあ尺の問題でしょう。監督が「ジュマンジ」の人だからか、割とジョークにもサービス精神も感じる。特にスピノサウルスの腹の中から携帯の着信音は笑っちゃうね。
ある程度必要な装備を持ったのに、序盤でほとんど喪失してジャングルを彷徨うことになるあたりはテンポが良いと思う。また、ビリーが自責の念に駆られて決死の行動に出るくだり、グラントの言う「天文学者と宇宙飛行士の違い」のくだりも良い感じだった。恐竜のクローニングは「神の真似事だ」と批判的なグラントのスタンスは変わらないが、人間の探求心もまた止められるものでもないか。一方、ヒステリック気味なアマンダのキャラクターは好きになれないが、まあ母親として必死なんだということで。
自分としては映画のテンションとしてのクライマックスはスピノサウルス撃退に来ていると思うので、その後のラプトルへ卵を返す場面がどうも盛り上がりに欠ける気がするのは残念。復元したラプトルの共鳴器が伏線になっていたりと構成的には見せ場なはずなんだけど、映画館で観た時は「このあともう一盛り上がりあるんでしょ?」と思ったところで終劇になって拍子抜けした記憶も。
ジュラシック・ワールド

(2015年制作)
8
かつてジュラシック・パークの建設が進められていたイスラ・ヌブラル島。今では一大恐竜テーマパーク「ジュラシック・ワールド」として多くの観光客を集めていた。
「ジュラシック・パーク」のフォーマットを利用したパニック映画であるけども、1作目「ジュラシック・パーク」へのほとばしるリスペクトの熱量にあてられる。1作目は個人的にも思い入れの強い作品であるので、「この監督も好きだったんだろうなあ」というのが伝わってくる細かなリンクの数々に始終ニヤニヤし通しw 序盤の島への到着やパーク全景のシーンでは「ジュラシック・パーク」のテーマ曲がそのまま使われ、「ジュラシック・パークが開園したらどんなのだったのだろうか」と、かつて夢想した景色が映画の思い出と共に蘇った。
ただインドミナス・レックスの脱走やその後の危機が広がっていく展開は…。まあ物事は悪い方向へ転がっていくことが往々にあるとはいえ、そもそも火力不足(捕獲重視という理由もあるが)や行動派過ぎたCEO(ヘリが墜ちた直接原因は翼竜に襲われたからだけどね)など、少々お粗末な印象も。少年兄弟が襲われるシーンも何故か緊迫感が足りないのは不思議。メインの人物が序盤で食われなかったからかも?
でもそんなちょっとした不満も終盤には吹き飛んだ。インドミナス・レックス狩りで疾走するラプトルと並走するバイク。かつての強力な敵が味方に!…ともいえる熱い展開にワクワク! その後やっぱり人を襲い始めちゃうわけだけど、やっぱり追う側になったラプトルの怖さは良いね。そして何と言ってもラストのT-REXの登場。「待ってました、千両役者!」とばかりにゲート奥の闇から現れるT-REXの雄姿!迎えるクレアが手にするは発煙筒!!いいよ、分かってるね監督!!w
ジュラシック・ワールド
炎の王国

(2018年制作)
8
前作の事件から3年。かつて「ジュラシック・ワールド」のあったイスラ・ヌブラル島は火山が活動が始まり、そこに生息する恐竜たちは島の崩壊による絶滅の危機に瀕していた。
動機や状況は違えど、恐竜の住む島へ捕獲のために上陸したり、目的の違う者たちとの反目や恐竜が人間世界で暴れる様子などが描かれるあたりはシリーズ2作目の「ロスト・ワールド」を彷彿とさせる。そういう意味ではその2作目の焼き直しといった印象も受ける作品だけれど、今の時代の技術でエンタメに振りつつ上手く再構成するとこうなるのかという答えを観せられているようで興味深い。実際、舞台を変えながらテンポよく話が進んでいくし、恐竜たちも惜しみなく登場してくれる面白いアトラクションムービーだったと思う。旧作へのオマージュもてんこ盛りだったしねw
「ワールド」になってからというもの、かつて人間に対して脅威として描かれたT-REXやラプトルといった存在は、監督や脚本家による「パーク」の恐竜たちへの愛着のためにもはやヒーローの様になってしまった。そのために脅威となるポジションにはオリジナルのハイブリッド恐竜が据えられるわけだが、こうなると恐竜映画なのかモンスター映画なのかは微妙な所ではある。とはいえ本作のインドラプトルは狡猾さやサイズ感が絶妙で、終盤のインドラプトルとの追いかけっこが前作のインドミナスとT-REXの巨大バトルとはまた違った盛り上がりを見せたのも事実。
序盤はメイジーという少女の描写がちょっと浮いていたような気はしたものの、「クローンでも命に違いない」という話に持っていくとは驚いた。それによって世界に解き放たれた恐竜たちがどうなるのか、人間たちはどうするのか、ここから続編への展開をどうするのかは気になるところ。「ようこそジュラシック・ワールドへ」をマルコム博士に言われるはニクいねえ。
ジュラシック・ワールド
新たなる支配者

(2022年制作)
6
前作の事件から4年。世界に放たれた恐竜たちと人類の共存が進む中、巨大イナゴによる蝗害が発生する。その調査にあたったエリー・サトラーはかつての同僚アラン・グラントに声をかけ、ある巨大企業の調査に乗り出すが…。
前作のラストで「これからどうやって共存していくのだろう」ということについて興味が湧いたのに、映画が始まってみるとすでに共存が進んでいる話になっていたのでやや肩透かし。というか、なんだか話をすり替えられている様な印象もあったんだよね。恐竜の話を観に来たはずなのに劇中で解決しないといけない問題は蝗害になってるし。まあ「ワールド」の主人公と「パーク」の主人公を合流させるために、メイジーの誘拐と蝗害の根っこの部分を「企業の陰謀」に纏めたのだろうけど、話的にはなんだか強引さのほうが目についてしまう。せっかくグラント博士やサトラー博士も再登場させたのに「俺が観たかったのは彼らのスパイごっこだったのだろうか?」と思わされる様な展開はちょっと微妙。どうも脚本的に居心地の悪い印象が拭えなかったかな。そういう意味だと「ワールド」の1作目は話の展開やオマージュのバランスが上手く出来ていたなとも再認識させられる。
今までのシリーズでは観られなかった雪景色の中を闊歩する恐竜の映像はいい感じ。恐竜は恒温動物だったという説もあるので雪の中にいても不思議はないしね。ご都合主義の塊の様なストーリーを度外視すれば、そういう映像面での満足度が高かったのは間違いないか。とくにマルタ島でのラプトルとバイクのチェイスは最高に盛り上がった。逆に言えば、“迫力ある映像”や“格好いい映像”を無理やり繋いでいる映画と言えなくもないわけで…。そのせいか迫力あるはずのラストの三つ巴もイマイチ感情がついていかず、「ワールド」1作目で感じた様なカタルシスには及ぶことがなかったのかなとも思う。エンタメ映画として正しいジェットコースター的展開なのかもしれないけど、「パーク」の主人公まで引っ張り出しておいて、これが「ジュラシック」シリーズの締めくくりなのかと思うと話の粗さが残念に感じてしまったというのが正直なところ。
ジュリー&ジュリア

(2009年制作)
7
50年前に活躍した伝説の女性料理研究家の半生と、彼女のレシピに挑戦する日々をブログにしようと決意した現代の女性の姿を描いた実話を元にしたドラマ。
料理研究家のジュリア・チャイルドと、彼女にに憧れるOLのジュリー・パウエル。ジュリアはとことん溌剌としていて、変わった人だとは思うけど見ていて微笑ましいんだよね。これを大女優メリル・ストリープが喜々としてこなしているからまた楽しい。一方のジュリーはジュリアに憧れる一般人なわけだけど、これまたエイミー・アダムスが上手く演じていて好感がもてます。
二人は当然生きる時代が違うんだけど、そのせいで話が二人の間で行ったり来たりするんですわ。でも引っ越し〜挑戦〜危機〜出版と、2人の主人公の状況をリンクさせつつ進行していくので全然混乱しない。前述の状況のリンクが上手く機能しているからなんだけど、これはよい感じです。そして二人とも料理というモノで自己を再認識していき、そして愛する夫に支えられて前に進んでいく。そんな風にポジティブで良い話だとは思うんだけど、一点、「晩年のジュリアがジュリーのブログの話を聞いて不快感を示した…」というくだりが、前向きで愛情に満ちた話のこの映画を曇らせている気がする。結局、ジュリアの真意は不明だけど、観ているこっちはそこまでにジュリアの人柄を見てきただけに、少々居心地が悪かったかな。
シュレック

(2001年制作)
9
ものすごく面白かった!おとぎ話をこういうパロディにするとはね、久しぶりに笑いを必死にこらえながら映画を見ました。感心するのがシュレックの表情。ものすごく表情豊かで、キャラへの感情移入度も飛躍的にアップ!でも技術面だけじゃなく、ストーリーもとてもよくまとまっていました。「大事なのは見かけではない」という題目はよくあるけど、丁寧にキャラの心情を描いけているのがいい。そして、シュレックとロバのドンキーとのテンポのいい会話。まるで漫才を見ているかのようで、全然飽きなかった。白雪姫を運んだ7人の小人に対して「死んだねーちゃん食卓に乗せんな!」は良かったなぁ。
シュレック2

(2004年制作)
9
前作でキャラが確立しているとはいえ、あえて同じような笑いに走らないで新キャラを出したのが上手い。長靴を履いた猫、容姿は怪傑ゾロ似でしかも声はバンデラス。それだけでも遊んでますなw しかも映画の後半はメインキャラの容姿まで変わってしまうんだから冒険してるよなあ。ストーリーはシュレックとフィオナを引き裂こうとする妖精のゴッドマザー親子との戦いがメインな訳だけど、この親子がウザイ。その分、結末での悪役への容赦無さが面白いねえ。なんでフィオナの父王はこんなに結婚に反対なのか疑問だったけど、自分の人生の投影だったとは。この映画、伏線もちゃんとしてて大したものです。不満があるとすれば、猫が仲間に入る理由がちょっと弱いところかな。パロディは前作以上にストレート。「ミッション:インポッシブル」は音楽まで使ってるしw しかしピノキオの扱い方はブラックですなあw
シュレック3

(2007年制作)
7
シリーズ第3弾。遠い遠い国の王様が亡くなり、王位を継承したくないシュレックはフィオナの従兄弟を捜す旅に出る。
CGのリアルさには目を見張るモノがあるけど、話はちょっとノリきれなかった。いくつかあるセルフパロディやギャグは面白いモノもあるんだけど、どこか弾け切れてない。今回のキーとなるアーサーのキャラが普通すぎるし、前作までのストーリーにあった毒気が無くなってしまったのも物足りなさの原因かな?
ラストはアーサーのただの説得で多くのおとぎの国の悪役を改心させてしまうのだけど、もうひと盛り上がりを期待していた俺には物足りなかったかなあ。チャーミング王子は哀れで若干同情すらしてしまうw
シュレック フォーエバー

(2010年制作)
8
シリーズ第4弾。平凡な日常に不満を抱いたシュレックは、魔法使いにそそのかされて、かつて怪物と恐れられた頃の世界に行く契約を交わす。
仲間が増え、子供が出来、と回を重ねる毎に設定に縛られるようになってきたこのシリーズ。だけど最終章ということもあってか、「初期の頃の面白さをもう一度」と設定をリセットして、これまでの仲間達に再び相まみえるというストーリーが良かった。身も蓋もなく言ってしまうと"もし自分の居ない世界だったら"という「素晴らしき哉、人生!」のパロディ的な流れだけど、それによってシュレックが自分を見つめ直すことを観客と共有出来るようになっているね。
話のネタやなんかは過去作を見ていることが前提な部分も多いけど、分かっていればお約束のネタや、逆にお約束破りのネタなんかもあって楽しめます。ピノキオの扱いは毎度酷いw
エンドクレジットではこれまでのシリーズを振り返った名場面が映され、10年かかって観てきたファンとしては感慨深いモノもある。「3」が無かったことのようになっている節はあるけど、それでもシリーズのエピローグとしては良い物語だったと思います。
女王陛下のお気に入り

(2018年制作)
7
18世紀初頭のグレートブリテン。アン女王と彼女の寵愛を巡って対立するサラとアビゲイルの姿を描いた宮廷ドラマ。
いわゆる本当の意味でのコスチューム・プレイ。史実としてのアン女王とサラやアビゲイルとの関係を、ドロドロの三角関係に落とし込んだ昼ドラみたいな話だった。そういう意味では政治的な駆け引きや寵愛を巡っての丁々発止は面白いし、強い女性や同性愛的な趣向も取り込んだ現代のトレンドに即した脚色はよく出来てると思う。まあ個人的にはあんまり合わない部分もあったのだけど。
サラにしてもアビゲイルにしてもそれぞれに思惑があるのがよく表現できているとは思ったが、人を利用したり蹴落としたりといった部分でアビゲイルのしたたかさは怖いなあ(苦笑) まあ生い立ちが故の上昇志向的な部分の発露としては理解もできるのだけど、正直言うとあんまり共感はできないかな。そういう人の面を描く作風ということもあるのか、上流を描いた作品ではあるが作品としては上品ではない感じw アン女王の痛風の足をさする場面が何度も出てくるけど、ラストの場面などを観てると…あれって男性器の暗喩なんじゃないの?と感じたけどね。
作品は大半が宮廷内の描写。豪華絢爛な屋内には目を見張るものもあるが、それ以上に夜などの屋内では「バリー・リンドン」よろしく蝋燭だけの明かりで撮っているのが良い。あと長い廊下を広角で撮る画なども面白いなあ、と思った。
ショーシャンクの空に
10
結末を知ってただけに、この映画のどんでん返しが体験できなかった、残念。でも、面白い、知らなかったら驚くのは必至。したたかな主人公がいいね。回想をモーガン・フリーマンにさせたのも重みがあって良かった。しかし、所長は嫌な奴だ。看守長はまだビールをおごってくれたからいいけど(笑)。
ジョーカー

(2019年制作)
10
DCコミックスの「バットマン」に登場するヴィラン、ジョーカーの出自にまつわるドラマ。
HAHAHAという笑い方は“ジョーカー”というキャラのシンボルでもあるけど、それを主人公の「脳神経の病気による発作的な笑い」という設定にしたことにまず脱帽した。主人公にとってままならぬもの…「上手くいかない仕事」「打ち切られた行政サービス」「生まれについての真実」、上手くいかない彼の「人生」という喜劇(悲劇)そのものを「発作的な笑い」という自分で制御できない“記号”に落とし込んでいる。本来であればこれは負の記号なはずだが、それこそがジョーカーとしてのアイデンティティとして昇華される。このテーマにしてこの設定への飛躍はすごい。
最初、主人公は何者でもない。何者でもないが、むしろ序盤は観客から観ても「気味が悪い」と思わせるには十分な雰囲気がある。ただ、アーサー自身が悪いわけではない。その彼の状況に観客は引き込まれ、図らずも感情移入してしまうわけだが、その欝々とした怒りの蓄積や、最後の爆発に至る過程の説得力にまんまと乗せられてしまうというこの気持ちはヤバい。ジョーカーと化したアーサーは、もはや“世の中への怒り”そのものなってしまっている様にすら感じるが、そうなるともうそれは暴力革命のカリスマ。気が付けば観ているこちらも扇動され感化されてしまいそうな気持ちになるというか…。これは実にヤバいw 何者でもなかった男が“ジョーカー”という何者かになった瞬間のカタルシスは、“劇薬”という例えにふさわしい瞬間だったと思う。ただただ、このアーサーを演じたホアキン・フェニックスのすごさに酔いしれた。
ところでラストの病院でのやりとり…。カウンセラーに対するアーサーの「ジョークを思いついた」という台詞が気にかかっています。完全に場面が転換していることからも、もしかしてそこまでの物語はアーサーの考えていたジョークだった…?なんてw もしそうならタチの悪い冗談だが、ジョーカーというキャラクターを思えばそれもありかもしれないと考えてしまう。まあそれと断言できないレベルでのやり取りだし、そういう風に観る側の解釈に幅を持たせているのもこの作品の魅力だよね。
ジョーズ

(1975年制作)
9
ピーター・ベンチリーの小説を原作にしたパニック映画。夏の観光シーズンを迎えたアミティの町だったが、そのビーチに巨大な人食いザメが現れる。
巨大ザメのロボットが撮影時にうまく動かなかったために、なるべく使わない方向で演出したというのは有名な話。実際、尺の半分を過ぎるあたりまでサメの全体像は画面に映らない。そこまではサメが現れた町の混乱ぶりをロイ・シャイダー演じるブロディ警察署長の目線で描いて引っ張ったわけですな。特に子供が襲われる浜辺のシーンでのブロディに対する逆ズームは、直前の海に向けた不安な視線と相まって、彼の「不安が的中してしまったー!」という心の叫びが聞こえてくる様でとても印象に残る名シーン。しかし一番すごいのは見えないサメの存在感を表現しているところだよね。有名すぎるテーマ曲のあの音が聞こえてくるだけでその存在が伝わってくる感じ。「映画の半分は音楽で出来ている」という事をここまで感じさせてくれる作品はそうないよなあ。
後半はガラリと変わって漁師のクイントを中心にブロディと海洋学者のフーパーの3人による巨大ザメとの対決。クイントの経験に基づいてサメに挑むものの、相手は想定外に強大だった…という展開だけど、個人的にはサメの強さをタルの数で表現したところがアイデアだなあと感じるところ。クイント経験ではタル一つを引っ張らせれば大抵のサメは弱ったのだろう。ところが二つ引っ張らせても三つ引っ張らせてもヤツは潜る。「奴の戦闘力は3タル分だったのだ、これはヤバい!」ってのが伝わってくるし分かりやすい。ボンベを使った決着にしても早めに伏線を張っていたし、ただのパニック映画とは侮れぬ構成力が今も名作として残る要因じゃないかな。
さて、その一方でちょくちょく差し挟まるスピルバーグ監督らしいジョークも良い感じですよ。中盤のサメひれのイタズラも彼らしいジョークだけど、後半にクイントとフーパーが消えない傷自慢で盛り上がっていた時に、ブロディがそっと自分の右の腹を見て黙ったのが面白い。そりゃ盲腸の傷じゃ自慢できないよねw
ジョーズ2

(1978年制作)
7
前作から数年後のアミティの町に再び現れた巨大ザメ。かつてサメとの死闘から生還したブロディ署長は警告を発するが…。
そりゃあ前作と比べれば霞んでしまうけど、それでも正統派の続編としては十分良くできていると思う。あのサメと戦ったからこそ、神経症気味に浜から海を見つめるブロディ署長の気持ちも分かるというもの。筋立ては「町のため」と称してサメの脅威を無視する為政者たちの姿勢などが前作に近いものがあるけれど、大きな違いは少年少女たちの存在が大きくなっているところかな。この辺はサスペンス寄りだった前作よりも、ティーン向けに感情移入させやすくしたいという意向が透けて見える感じ。ブロディと息子たちとの家族関係の話もあるが、前作であんな目にあった彼が、終盤で再び身を張ってまでサメに立ち向かう動機としては十分な説得力。
サメ自体はあまり出し惜しみせずに姿を見せている感じだけど、船をぶち破るわヘリをひっくり返すわ、魚とは思えないほどやたらと凶暴だよねw ヨット遊びを襲撃されるシーンなど一方的に襲われる感じは悪くないものの、サメの襲撃の見せ方としてはややワンパターンな感じがするのはちょっともったいない。でも海面を進む背ビレのイメージは上手く生かしていると思う。
オチの海底ケーブルでのサメ退治はケーブルの事に関して序盤に前振りがあるものの、そのシーン自体にはブロディが立ち会ってないので多少ご都合的な感じには思えた。
ジョーズ3

(1983年制作)
6
前作で青年だったブロディの息子は成長し、今や海洋テーマパークで働いていた。オープンを間近に控えたある日、一人の職員が行方不明となるが…。
前作までの趣はだいぶ薄れているね。テーマ曲の一部くらいに名残を感じるものの、薄いドラマに緊迫感に乏しいパニック描写。モンスター・パニック映画のハズなのに「生きものを大切にしよう」という主張が見え隠れするところも微妙に居心地も悪い。(最後は爆殺するのになあ。) 主人公がブロディ署長の息子というところはシリーズとしての連続性を出そうとしているんだろうけど、ストーリー展開にはほとんど貢献していないよね。海がトラウマの弟の扱いなんてぞんざいなものだし…。サメの襲撃にしても10メートル級が問題になる展開までに話としての緊張感が途切れてしまっている感じで、やはりドラマとしてはいまいちダメだと思う。実物大のサメロボットが画としてのリアリティには繋がっているんだろうけど、水中場面では逆に鈍重に見えてしまうのが何とも。
映画作品としては3D上映用に製作されたものなので、そういう意味では3Dアトラクションとして捉えて観る方が良いのかな?それであれば手前や奥に魚が浮かぶ海中シーンなどに非日常感をより感じられるだろうし、画としては良いのかも。千切れた腕が目の前に浮かんだり、サンゴやイルカが手前に出てきたり、注射器からこちらめがけて液体が飛び出したりするのは、いかにも昔の3D映画だなって感じ。
ジョーズ4
復讐篇

(1987年制作)
5
前作から数年後、未亡人となったブロディ署長の妻・エレンと次男の住むアミティの町。再びそこに巨大ザメの影が忍び寄る。
邦題では「復讐篇」だけど、サブタイトルの“THE REVENGE”って誰の誰に対する復讐なんだろうか。確かに「サメがブロディ一家に復讐をするためにバハマまで追っかけてきた」と見えなくもないけど、明確に同一のサメという説明はないから…似たような別のサメという可能性はないかなあ? 個人的にはサメの恐怖に囚われたエレンのパラノイア的な行動を描いた、別の意味で怖い話なのかとも感じたんだけどね。そりゃあ身内がサメ絡みで次々と死んだり危険な目に遭えば病みもするだろうけど、最後にはキレて武器も持たずに単身船で沖へ向かうとか…完全にヤバい事になってると思ってしまった(苦笑)
そういうわけで、「エレンが妄想気味になりつつ浮き沈みし、やっぱりキレた」という話なのかなと。「復讐」ってのはサメの行動じゃなくてエレンの妄執のことだと思うと、何となく合点がいった。が、まあ映画として面白いかというとそういうわけでもないけど。人間ドラマ部分がサスペンスにしてもロマンスにしても中途半端だし、90分の作品なのに間延びしている感もある。サメの主観+テーマ曲+その後の襲撃のワンパターンでは、やはり緊張感は続かないよね。
ちなみにエンディングは2種類ある様で、自分の観たのはパッケージ版なので当時日本で公開された「ジョーズ'87 復讐篇」とはエンディングが違うらしい。パッケージ版はサメに食べられたはずの仲間(黒人)が実は生きていたり、明らかにプールな海面で再会を喜んだりと追加撮影臭がプンプン匂う。黒人が死んで白人だけが生き残るラストを敬遠して、黒人を生きかえらせたんじゃないかと邪推したけれど。どうかな。
ショーン・オブ・ザ・デッド
9
主人公が彼女にフられて落ち込んでいたある日、町中の人々がゾンビになって大騒ぎが起き…。「ゾンビ」をパロディにしたイギリスコメディ映画。
ゾンビ映画としての質感とコメディ要素が抜群にハマっていて最高!何度もゲラゲラ笑わせてもらいましたw
個人的には、明らかに異変が起きている町中を、失意のせいか全く気づかずに家→店→家と出入りする主人公の場面がお気に入り。さりげなくワンカットなんか使ってるし、序盤との対比も良いと思う。あと、クィーンの“Don't Stop Me Now”に乗せてゾンビをポカポカ殴るシーンはかなりツボにはまりましたw
母親と彼女救出の脳内計画シーンも良いね。何度も殴られるビル・ナイが面白い。ビル・ナイはゾンビ化してもあの音楽が嫌というのも可笑しい。どのシーンもちゃんと前振りがあるというのが、計算して作ってあって好印象です。
面白いだけではなく、ちゃんと内蔵を引きずり出されたり、頭を銃で吹っ飛ばしたりもあって、しっかりゾンビ映画して成立させているのも制作側の思い入れを感じます。
キャラ設定も上手いんだよなあ。空気読まずにいらんことばかりするエドがムカツク笑いを提供するけど、ちゃんと主人公が叱責する場面もあってスッキリもさせてくれる。しかも彼のゲームがほぼ本能によるものだったというオチも面白かった。全体的にセンスの良い作品でした。
処刑人
7
神の啓示を受けた兄弟が、悪人どもに死の制裁を加えていくアクション作品。
法で裁けぬ者を、神の代弁者として抹殺していく主人公。やっていることは“仕事人”という感じだけども、あまり手際がよいとは言えないので、プロのアサシンを期待しているとガッカリするかも。
しかし法治国家でこれがまかり通る話をされるとねえ…。ラストでは堂々法廷に乗り込んで宣言するわけで、今で言えば「Death Note」を思ってしまうけど、恐怖による世直しが正しいかと言えば違うと思うし。彼らを追う刑事を演じるウィレム・デフォーは最高だったけど、その刑事が感化されて協力者になっちゃあ…。
アンチヒーローの話としては、ちょっと入り込めない感じでした。
ジョジョ・ラビット

(2019年制作)
9
第二次大戦末期のドイツ。10歳の少年・ジョジョはイマジナリーフレンドのヒトラーに励まされながらヒトラーユーゲントの合宿に参加するが…。
「ナチにあこがれる少年が主人公」という挑戦的な入口にギョッとするが、出口から出たころには寛容と愛に触れた温かい気持ちになっているのが面白い。戦争という現実は主人公の大切なものも奪っていくが…、人として大事なものに気づいていく過程がうまく描かれていて、ブラックユーモアとシリアスのバランスも絶妙。愛嬌のある(想像上の)ヒトラー、ゲイのナチス将校、「ハイル・ヒトラー」の連呼、とナチスへの皮肉は徹底的だな。ヒトラーユーゲントがユダヤ人と恋に落ちるという筋立てもナチズムに対する皮肉に違いないが、世の中の不寛容に対するカウンターとしてはとても興味深い寓話的な物語だと思う。
ジョジョの母親を演じたスカーレット・ヨハンソンは、強く優しく、そして信念に殉じた人物を好演していたと思う。前半でやけに足元を強調するなと思ったら、後半でまさかの足だけが映るシーンにショックを受けたが、この描き方は見事だった。そしてジョジョを何度も救うことになる大尉を演じたサム・ロックウェルもまたいい味を出していて、個人的には高評価。実際にはジョジョを見守ってくれる人が多く、彼への優しさで出来ているような話にも思えるけれど、それ以上に厳しい現実も描かれているあたりがとてもビター。それでもその経験によってジョジョが精神的に成長したラストを見た時に前向きな気分になれる、それが良かった。
タイカ・ワイティティ監督がどこまで意識したのかはわからないけれど、映像面では正面や平行移動の画面構成が目立ったり、割と色彩豊かな感じがなんとなくウェス・アンダーソンの作品っぽい印象も受ける。でも単純にマネという感じではなくて、何というか…通常の視界とのちょっとズレが、子供の観た世界という記号になっているのかもしれない。それによって寓話性を許容できる世界観になっているのかなと思った。
ジョニー・イングリッシュ

(2003年制作)
7
俺にとってのローワン・アトキンソンのイメージは、TV時代の無口なMr.ビーンだったけど、今回のベラベラ喋る彼もなかなか良い。「ブラッディー・マリーをウォッカ抜きで」とクールに注文するが、「それはただのトマトジュースだろがっ!」と思わず心の中で突っ込んでしまったw 乾杯の時に喋る意味不明な日本語「キミノ ムスメサン タチニ、チイサイ チンチンガ ツイテマスヨウニ」も微妙に上手いしw 相変わらずベタベタな分かりやすいコントを展開してくれるのも楽しい。どう見ても007に憧れるアホなスパイって感じだけど、愛国心だけは間違いなくある。しかし、助手のボフの方が遙かに優秀なスパイだと思うなあw ジョン・マルコビッチが怪演してるフランス人もワルなのかアホなのか微妙な所が面白いw
ジョニー・イングリッシュ
気休めの報酬

(2011年制作)
8
少し抜けた英国スパイ、ジョニー・イングリッシュの活躍を描いたコメディ映画の第2弾。
前作と同じく主演はローワン・アトキンソン。真面目に抜けてるジョニー・というキャラがハマってますね。今作ではジョニー自身のスパイスキルも上がっているように見えるので、なかなか頼もしい場面も。と思ったらお約束の失敗もあり、なかなか笑わせてくれます。部下のタッカーの方が勘が鋭いのもお約束か。
「007」のイメージは多分にあるものの、単純なパロディではなく、正統派なスパイ映画のお約束をコメディに昇華しているのが良いですな。前作からは8年も間が空いてしまったけど、逆にそれで観る側も良い意味で気持ちがリセットできたのかも。
真面目に抜けているという点では、演出でもわざと格好をつけた「あーこのアングルってサスペンスとかであるよね」と思う様な画角で、あえてジョニーが何か抜けている…みたいなテンションのギャップが面白い。殺し屋老婆のオチは見え透いてはいたけども、ここは女王陛下いじりで終わって良いサゲだったと思います。これもお約束かなw
ジョニー・イングリッシュ
アナログの逆襲

(2018年制作)
7
少し抜けた英国スパイ、ジョニー・イングリッシュの活躍を描いたコメディ映画の第3弾。
引退して地理教師となっていたイングリッシュに再びスパイとして声がかかるところから話が始まるが、7年ぶりの新作でも相変わらず有能ぶりを気取りながらおマヌケ全開の彼の様子には思わずクスクスと笑ってしまう。とはいえ、前振りのすぐ後にオチが来る展開を繰り返す傾向が目立つし、そのせいでたまに大筋の進行を止めがちに感じたり、ちょっと構成が雑な気がしなくもない部分もあるが…。まあローワン・アトキンソンのファンであれば安心して楽しめるコメディではある。 基本的に失敗ばかりのキャラなのに、ドライビングテクニックだけはしっかりしてるというところには自動車愛好家・アトキンソンのこだわりを感じるw
作品規模的には低予算な感じがするものの、出演者は案外豪華。首相役のエマ・トンプソン、女スパイのオルガ・キュリレンコ、チョイ役にマイケル・ガンボンやチャールズ・ダンスもいたね。でもいまいち名優たちを使いきれていない感じもするかも…そこはご愛敬か。
ジョン・カーター

(2012年制作)
6
100年前の古典SF小説「火星のプリンセス」の実写化作品。19世紀末、主人公ジョン・カーターは意図せず火星に飛ばされてしまう。そこは人間型の人類同士が争い、また長身な4本の腕を持つ種族の暮らす世界だった。
100年前ならいざ知らず、現代で火星を舞台にこういう設定を見せられてもファンタジー色が強すぎるんだが…。まあ原作をこのようにビジュアル化したという点においては評価できるんだと思う。ただ、異種間との交流にしても同じようなジャンルのSF作品「アバター」の完成度には及ばないし、ファンタジー映画としてもいろんな場面が逆に"どこかで見たような"感になってしまって、どうもイマイチ入り込めなかったかな。
テイラー・キッチュ演じるジョン・カーターもいまいちカッコイイとは思わなかった。ロンゲのビジュアルが悪い?と思ったりもしたけどw ヒロイックな話ではあるけど、あんまり頭が良さそうに見えないところがね。序盤で猪突猛進で相貌な感じを植え付けすぎたのでは。だからと言って天然が魅力なキャラでもないしなあ。
ジョン・ウィック

(2014年制作)
7
復讐の鬼と化したかつての殺し屋の戦いを描く、キアヌ・リーヴス主演のアクション映画。
グラフィックノベルの映画化作品みたい。というのが第一印象。台詞の少ない導入部分やケレン味あふれる人物配置と構図がすごくクサい。…クサいけどカッコイイw というのはひたすらストイックに復讐映画を貫いているからなのかな?この手の映画は、プロ同士の戦いを描くにあたっても主人公の足かせ(例えば守らないといけない素人とか堅気とか)がつくことが多くてイライラする事が多いのだけど、本作ではただひたすらに裏稼業の人間同士の戦いなのが好印象。逆に言うとやられるかもしれない緊迫感が薄まってもいるのだけど…、たまにはこういうプロだけの戦いを観たいものです。
引退した伝説の殺し屋として、色々な裏社会の住人から一目置かれている描写が良いね。同業者、掃除屋、街のホテル、そして警官まで、かつての主人公の伝説を匂わせる感じが語り過ぎない範囲で見えてくる。それを知らないボスのドラ息子がバカなだけという話だけど、そのせい組織が壊滅したわけだから、裏社会のパワーバランスが崩れてこの街はこの後大変なことになるのだろうなあ、とも思った。まあそれはまた別の話…?
アクションは銃撃から近接戦闘とジョン・ウィック演じるキアヌ・リーヴス本人が体を張って大立ち回り。編集でキレよく見せている見事なアクションだけど、たまにモッサリしているのではないかと感じるところも…? 中盤以降は意外にピンチに陥る場面もあるので伝説の割には危ういな…という気もするが、それくらい泥臭い方がリアルと思っておこう。そのおかげでウィレム・デフォーの出番もあるわけだしw ハッキリしたことは描かないまでも、個人的には過去のジョン・ウィック伝説はマーカスという友人がいたからこそ「二人で“ジョン・ウィック”だったのかもな」とも思わせる描写だったように思う。
ジョン・ウィック
チャプター2

(2017年制作)
7
過去に交わした誓印によってふたたび裏の世界に引き戻されたかつての伝説的殺し屋、ジョン・ウィックの戦いを描いたシリーズ第2弾。
前作で描かれた復讐を果たした後の話なので、裏家業に戻る気のない主人公をいかにその世界に引きずり戻すかがストーリー上必要になってくる。本作ではそこを彼が過去に交わした誓印…血の誓いによって依頼を果たさなければならないという事にしたわけだが、まあ正直言って後付け感があるのは仕方がないか。でもこの作品ってキレキレなキアヌ・リーヴスのガンアクションをいかに愛でるかというアクション映画だと思っているので、そこに関しては前作に負けず劣らず十二分に魅せてくれたので楽しめました。
細かい世界観の説明は抜きにして、殺し屋たちの裏社会の構造やルールなどをセリフと雰囲気から何となく匂わせるだけにしているのは前作と同じ。ガンソムリエってなんだwって思っちゃうけど…でもそういうハッタリがいい。アクションにしたって、確実に腹と頭に一発ずつぶち込んでいくジョン・ウィックの銃捌き、リロードの手際の良さや、構え方やチャンバーを確認するしぐさも「こいつはプロだ…」と思わせるには十分なオーラを放っていると思う。そんな雰囲気の積み重ねがジョン・ウィックという存在の説得力に直結しているわけだよね。それをこなすキアヌ・リーヴス…すごいですわ。
そういえば終盤にちょっとだけ登場したローレンス・フィッシュバーンは、キアヌと「マトリックス レボリューションズ」以来の共演だそうで。ファンからするとこの辺の配役も嬉しいね。
ジョン・ウィック
パラベラム

(2019年制作)
7
裏社会のルールを破ったためにニューヨーク中の殺し屋から狙われることになったジョン・ウィックの戦いを描いたシリーズ3作目。
前作のエンディングから直結して物語は始まる。なので前作の復習は必須か。いかにして街中の殺し屋の手から逃れるかや、保身のために「追放」をどう解除させるのかが話のカギになってくるけれど、世界をまたにかける裏社会を相手にしたデカそうな話の割にはニューヨークとモロッコを往復しただけの狭い話の様で、案外こぢんまりとしたような印象も。とりあえず主席連合の存在はともかくとして、首長は「どこにおるねん」と思ってしまう世界観には、もう何だか勢いでごまかされている様な気しかしない。
まあストーリーについては雰囲気だと思っているので、それはそれで。とにもかくにもジョン・ウィック演じるキアヌ・リーヴスの流れるようなアクションを楽しむのが本作の見所。そういう意味では相も変わらず手を変え品を変え、徒手や本や刃物や銃器に加え、馬(!)まで駆使した近接戦闘のオンパレードは実に爽快です。どれだけアクションの引き出しがあるんだw ジョンと一時共闘したハル・ベリー演じるソフィアが見せる、犬を使った戦闘もアクセントになってますなあ。そして刺客となってジョンに襲い来る主席連合側の寿司職人(!?)のゼロね、なんかスマートな伊武雅刀って雰囲気だったけどアクションにキレがあっていい感じです。ゼロを含めた寿司職人の3人は、ジョンを伝説として憧れながら襲ってくるあたりがどことなく憎めないですね。
物語は明確に主席連合vsキング&ジョンといった様相になった場面でクリフハンガー。(キャラ的に)この二人を怒らせた組織が無事で済むわけがない?w さて、チャプター4ではどうなりますやら。
ジョン・ウィック
コンセクエンス

(2023年制作)
7
シリーズ4作目。主席連合の首長を射殺したジョン。一方で主席連合から全権を委任された侯爵はコンチネンタル・ホテルを爆破し、さらにジョンに対して彼の旧友を刺客として送り込む。
前作で明確になった主席連合vsキング&ジョンの続きからで、個人でどう組織と対決するのかと思ったら、本作の敵を“全権を委任された侯爵”という形に集約したのはなかなか上手い仕掛けだなと思った。劇中でも言及されている通り、反逆者のまま組織に挑んでもきりがないからね。ルールを逆手に取って“決闘”に持ち込むという展開は観ている側にとってもゴールが明確で良いと思います。最後の決闘の展開は静かな戦いだけど見ごたえあったけど「彼を殺れ」からの侯爵との決着は良かったなあ。シリーズとしてはこれで幕引きでも全く問題ないのだけど、クレジット後のワンカットは続きをやるということ…なのか?
4作目となる本作は上映時間約170分。回を重ねるごとに上映時間が伸びてるなあ。正直言うと3時間近い話にしてもややアクション場面が過多な気もしてるんだけど、まあ作風としてアクションが主役なのでそこは仕方ないところでしょうか。もうお腹いっぱいですw
本作で戦う相手となるのはドニー・イェン演じる盲目の殺し屋・ケイン。私怨はなく友人だが追い詰められて戦うことになるというキャラクターは悪くない。アクションも流石の説得力だしね。暗殺者としてもう一人絡むのは賞金稼ぎのトラッカー。トラッカーの相棒は犬だったけど、ジョンがその犬を助ける展開はある意味でシリーズのお約束か。やっぱり犬は大事にしないといけませんねw
知らなすぎた男
7
ライブ劇場に参加した主人公が偶然にもスパイの指令電話を受けたことから、勘違いしたまま事態はあらぬ方向へ話が進展していくコメディ。
主人公のビル・マーレイの勘違いっぷりは安心感があるし、今の状況が“ゲームの一部なんだ”という勘違いの設定が面白い。ただ、どこまで行っても爆笑というような感じにはならなかったかなあ。面白いのは確かだけど、ある一定のテンションを保っている気がする。それが味だと思うんで、悪いとは思わないけどね。
こういう映画はふざけた主人公とマジメな周囲との落差が面白いわけだけど、そういう意味でのセオリーを守っていたのは好感が持てたね。なにげに「シャイニング」のパロディが入っていたり、コサックダンス(?)でノリノリのマーレーは観ていて楽しかったw ただ、ラストの後日談までその展開で行っちゃうとやり過ぎな感じする。そこはちょっと勿体なかったかも。
白雪姫

(1937年制作)
8
グリム童話を原作にした世界初のカラー長編アニメーション。
実写の人間の動きをトレースした絵がヌルヌルと動く…。今でいうモーションキャプチャー的なリアル感かな。フルアニメの動きは、確かに今観ても生々しくてすごい。長編カラー作品というだけでも歴史に残る作品だけど、このクオリティで当時長編を作りきった力はすごいと思う。なんせミュージカルだしなあ。
話は有名な童話そのままなので、筋は単純。どちらかというと音と画を合わせた動きの楽しさを追求しているような感じ。アニメーションの本質だとは思うけど、内容にしては83分という上映時間でも少し長い気もする。いや、でも生きているような動きをするキャラクターはすごいんだけど。逆にトレースしていない7人の小人や動物たちは、想像通りのアニメ的なデフォルメ感を守っている。…が、つまりこの時点ですでにディズニーアニメとしては完成形を迎えているってことなんじゃないか?
小人たちが歌う「ハイホー」は単純な曲なのにすごく印象に残る名曲。そういえば「グレムリン」でもグレムリンが歌っていたねw
シリアナ
7
石油利権を巡る米国石油メジャー、そしてアラブの王族とCIAの関係を描いた群像劇。
監督は「トラフィック」の脚本家なんだけど、その色は全体から感じられます。一言で言うと…わかりにくいw それぞれ4つのエピソードが描かれるけど、それが交互にポンポンと差し込まれるから観てる方は話を追って理解するのに必死。結局最後まで話について行くのは大変だったんだけど、でも観終わった後に改めて話を振り返ってみれば「そういうことね」と納得も出来る。政治的な話なだけに予備知識は色々必要だから、それもまた話しについて行く大変さに繋がっているかも。
印象としてはマイケル・ムーアが「華氏911」で言っていた内容も思い出したね。石油権益を巡る癒着、腐敗、米国の建て前と本音。恐ろしい…。
ジョージ・クルーニーはCIAエージェントを演じてたけど、色男のオーラも消して哀愁さえ漂う小太りのスパイに徹してたのはなかなか良かった。CIAには裏切られ、拷問され、ラストには…と散々。そう言えば拷問シーンは…、爪剥ぎは痛かったなあ。
知りすぎていた男
8
アルフレッド・ヒッチコックの代表作の一作。
全体的には軽い感じのサスペンスといったところだけど、クライマックスの劇場での襲撃シーンの盛り上がりはさすが。交響曲のシンバルの音が暗殺の合図だと観客に教えた上で、台詞を入れずに曲を前面に出して緊迫感を煽る。刻一刻と迫るシンバルの出番!この演出はほんとに見事だわ。
この映画の救いは、暗殺犯の一味のオバさんがまだ良心のある人だったこと。子供を殺すことが出来ない人だったこと。ストーリーとして甘いのかもしれないけど、善良な一般市民の話なのに、これで救われなきゃ話にならないもんなあ。
ラストは正直あっけなかったけど、理由も分からず最後の最後まで家で待っていた妻の友人達には驚いたw
ところで結局のところ本当の黒幕はどうなったのか…?
死霊館

(2013年制作)
8
実在した超常現象研究家の夫妻が体験した「最も邪悪で恐ろしい事例」を描いたオカルトホラー。
まさに"悪魔の棲む家"の話であって、エクソシズムの話であって、オカルトホラーとしては実に直球勝負の出来栄え。1970年代っていう雰囲気もいいのだけど、研究者としてのエド&ロレイン・ウォーレン夫妻の様子と、憑りつかれた家族を並行して描く序盤からして手際の良い演出ですぐに話に引き込まれたね。オカルト映画としてはかなりベタな話なのに、そう感じさせるのは演出の腕か。
色々な前振り(クローゼットやピアノの配置、かくれんぼの拍手など)が自然に刷り込まれるので、いざ事が始まっても混乱しないし、ジワジワと盛り上げるところと一気に迫られる部分との緩急が実に巧み。一部手持ちカメラでPOVっぽく見せたり、各部屋にカメラならぬマイクを配置したりと、最近のホラー演出にも目配せしてるところは少しニヤついて観てしまったw まあ終盤の対決はどうしても型にハマったものになってしまっているけど、それはこの手のジャンルのお約束だしね。それでも「エクソシスト」系ジャンル映画としての敬意も感じる良質の作品だと思います。
それにしてもこの監督は"不気味な人形"が好きだよなあw
死霊館
エンフィールド事件

(2016年制作)
8
英国・エンフィールドのある母子家庭で発生したポルターガイスト現象。超常現象研究家のウォーレン夫妻は教会からその事件について相談を受けるが…。
冒頭、ウォーレン夫妻がある家で行っている心霊調査。その家の窓の形は…アミティヴィルの「悪魔の棲む家」! 過去作へのオマージュを忘れない姿勢、掴みとしてもバッチリですなw
ジェームズ・ワン監督のホラー映画は段取りがしっかりしている。本題のエンフィールドに舞台が移ってからは、ホジソン一家を襲う怪現象が次第に悪化していく様を丁寧に描いてくるが、観客を煽ってくるのが相変わらず上手い。序盤でテントやゾエトロープ、そして椅子といったキーアイテムをチラ見せしながら後半の恐怖描写に繋げてくるあたりは、もうワン印の様式美みたいな感じだね。どちらかというとジワジワと恐怖に追い込んでくる作風だと思ってたけど、今作は割と音で驚かす傾向も強かった気がする。まあそこはポルターガイストだから、ってことで。
この映画はあくまでフィクションだけど、エンフィールドのポルターガイストは実際に記録された事件でもある。そういう目撃者の証言や、子供のいたずらか否かという議論のストーリーへの取り込み方や構成はなかなかいい塩梅だった。オカルト映画として悪魔との対決をきちんと描きつつも、きちんと家族愛や夫婦愛のドラマを描いている姿勢も好きだな。
死霊館
悪魔のせいなら、無罪。

(2021年制作)
7
グラツェル家の子供に憑依した悪魔の悪魔祓いを行ったウォーレン夫妻だったが、それはその時に立ち会っていた青年アーニー・ジョンソンにまつわる事件の始まりに過ぎなかった。
前2作を監督したジェームズ・ワンから、本作はマイケル・チャベスに監督が交代。それだけが理由というわけでもないだろうけど、作品の毛色も若干変わってオカルトホラーからオカルトミステリー色が強くなった印象かな。あと本作の場合は倒すべきものが“悪意のある魔女”という人としての存在が見えてしまうので、その分だけ怖さは少し弱まったかも? やっぱり敵は得体のしれないものに追い詰められる方が怖いものだしね。それでもヴェラ・ファーミガとパトリック・ウィルソンが演じるウォーレン夫妻の絆とヒーロー感といったシリーズに期待する要素を、ちゃんと観客に見せてくれてはいるのでその点は面白かったとは思う。
内容的には「殺人の理由が悪魔憑きのせいであった」とするアーニーを裁判で弁護するための立証が話を進める動機。悪魔憑きと裁判の映画といえば「エミリー・ローズ」が思い浮かぶけど、ただ本作は裁判映画ではなくて明確にオカルト映画。裁判要素はあくまでストーリーを進めるきっかけでしかなく、あとは「誰が悪魔を呼び出したのか」というミステリー部分に論点をずらしていく。このシリーズが“史実に基づく”という建前がある以上、実刑になるという結末は変えられないのは理解するけど、結局呪いをかけた魔女を葬ったところで裁判で悪魔の存在が証明されたわけではない…というか「悪魔が彼に殺人をさせたのだ」という証明にならなかったので、その点が話の入り口に対する出口としてやや中途半端に感じてしまったのは否めない。
死霊館のシスター

(2018年制作)
6
「死霊館 エンフィールド事件」に登場した悪魔・ヴァラクの出現を描いた前日譚。
1952年が舞台なので、「死霊館」シリーズのスピンオフとしては一番最初の話になるわけだけど、「死霊館 エンフィールド事件」での姿は割とインパクトがあったので、そのルーツの話となると自然に興味は沸く。しかし単独作品としてみると…修道院という舞台は良くも悪くもB級オカルト映画といった趣で悪くはないものの、ストーリーがB級っぽさから抜け出せなかったのはちょっと残念。終盤の悪魔との対決でモンスター映画っぽい感じの雰囲気になってしまうあたりはご愛敬かな。
主役の見習い修道女アイリーンを演じるタイッサ・ファーミガは、「死霊館」シリーズで主演のヴェラ・ファーミガの妹とのことで確かに似てるなあ。21歳差の姉妹だとか。デミアン・ビチルが演じるバーク神父はなかなか渋くて良いが、活躍しそうであんまり活躍しないw 序盤なんてあっという間に墓に埋められて「もう退場?」と思ってしまった。すぐ助かったけど。
結局のところ観客にはこの時系列の後にヴァラクが登場することが知られている以上、結末でヴァラク封じ込めに失敗するのが自明なのはストーリーとしては不利なところではあるな。それもあって一応封印出来た様に見せつつも、実はフレンチに憑りついていた…というオチには意外性も驚きもないわけだけど、ここはもう少しひねってほしかった気もする。
死霊のはらわた

(1983年制作)
8
山中のボロ屋に宿泊することになった若者5人だったが、蘇った悪霊に一人ずつ憑りつかれていく。
サム・ライミ監督の長編デビュー作。セットやメイクなどは手作り感が漂うが、雰囲気づくりや容赦ないスプラッタ表現の妙で、低予算にして良く出来たホラー作品になっている。1人1人仲間が取りつかれていく展開や、脱出できない閉そく感、取り付く島も無い悪霊の勢い、どれをとっても良いね。演出が安っぽさに勝っていると思う。グロ描写はやりすぎて笑えるギリギリの線が楽しい。いや、笑える部分もw
キャラ設定はベタな感じだけど、女性陣から先に憑りつかれていくのはちょっと意外。しかも滅多打ちになっていくしw 悪霊が蘇る前に悪霊主観の映像があったりと、ちょっと解釈に困る部分もあるけど、一級のB級ホラーとして評価されているのも納得の内容でした。
死霊のはらわたU

(1987年制作)
8
山中のボロ屋に宿泊することになったカップルだったが、蘇った悪霊に憑りつかれてしまう。
タイトルこそ「U」(原題も"EVIL DEAD 2")だけども、実質的には続編ではなくリメイクという感じ。主人公は前作同様ブルース・キャンベルが演じているけど、設定もリセットされているしね。しかしそのB級感をそのままに、見せ方や構成のまとまりは洗練されていて面白い。ホラー映画なのに恐怖を突き抜けて滑稽な描写が増えていて不快で愉快w こういう映画における“勢い”ってのは大事なんだなあとつくづく感じるところです。
死霊の主観映像は実に効果的。何か得体のしれないモノに追いかけられている感じが良いね。かと思えばストップモーションの死霊のダンスのチープなこと。あれは怖がらそうとしてない、絶対に笑わせにかかってるよなあ。飛び出した目玉が口に飛び込んだり、自分の手と格闘するブルース・キャンベルや、異常に吹き出す血しぶきとかもこれはこれで面白いが、終盤にはなんと主人公がなんと片腕チェーンソー男に変身である。悪ふざけもここまで来るかw 格闘時に意外とチェーンソーを使いこなせてない気もしたけど、そこはご愛嬌。そして何と言っても本作はそのオチである。ホラーを観ていたはずなのに、完全にコメディのオチですわ。どうすんだこれ、っていう。
死霊のはらわたV
キャプテン・スーパーマーケット

(1993年制作)
8
前作から6年後に公開された「死霊のはらわたU」の続編。中世にタイムスリップした主人公・アッシュの大活躍を描く。
バカ映画である。これぞ愛すべきB級映画w 前作の風呂敷広げたラストでも投げっぱなしでシリーズを終わることも出来たのに、わざわざ拾いに行ってさらにドタバタコメディにするんだから…何考えてるんだって感じですが。それもここまで振りきれると素晴らしい。実際、前作でも笑いの要素はあったし、サム・ライミ監督は自覚的にホラーの中の笑いを実践していたけど、本作はカートゥーンの論法を実写で再現する方に傾いているように思う。小さいアッシュたち、顔が変形するアッシュ、コミカルに砕け散る骸骨軍団なんかはまさにそう。「そういう演出をやってみたい」というのが先で、「U」の続きにしたのはその言い訳?などと勘繰ってしまうくらいにカートゥーン調。
骸骨軍団はストップモーションと人形(一部は着ぐるみ)で作られている。ストップモーションなんかは「アルゴ探検隊」のオマージュ?という感じ。大規模(に見える)攻城戦は意外に迫力があるが、ところどころ絶妙にチープなのが良いよ。
ところでエンディングは二種類あるのだけど、サム・ライミが意図したラストはバッド・エンド。劇場公開版はグッド・エンド。ライミ版の方が監督の意地悪なところが現れていて悪くないが、映画的爽快さというと劇場公開版の方が良いかもしれない。邦題の「キャプテン・スーパーマーケット」は劇場公開版のラストを強く反映しているので、ライミ版だと邦題の意味が分かりにくいかもね。
死霊のはらわた

(2013年制作)
6
1983年に公開された同名作品のリメイク。
山中の小屋に男女5人が宿泊するという部分はオリジナルと同じだが、目的として麻薬中毒の克服のための山籠もりという設定を入れたので、人里離れた場所に籠る理由は説得力が出たかな。今どきの映画らしく特殊効果を生かしたスプラッター描写が容赦なく、手足が千切れ、釘が刺さったり舌が切れたり、観ていてイタタとなるような場面が多い。ただその分B級ホラーに多い紙一重の笑いを呼ぶような軽さがなくて、ただひたすらにスプラッターだった。個人的には生真面目すぎて微妙…かな。「スペル」くらいのノリが欲しい。
悪霊の復活が具体的になり、終盤では土中から蘇るわけだけど、そこまで具体的に姿が見えると逆に想像の余地が無くなってしまうんじゃないか。まあ「呪怨」の伽椰子的な這いずり方で迫られるのも恐ろしいわけだけど、得体の知れない悪霊のままでも良かったような? オリジナルを彷彿とさせる描写もあるけど、どちらかというとJホラーの影響が大きいようにも思えた。
全体的に遊びが物足りなかった作品だけど、エンドクレジット後のファンサービスは評価するw
死霊の盆踊り

(1965年制作)
0
あの"エド・ウッド"ことエドワード・D・ウッド・Jrが製作・脚本を務めた伝説のカルト映画。あるカップルが興味本位で夜の墓に行くと、そこでは死霊(裸の女に限る)が踊りくねっていた。
エド・ウッドが関わっていると知らなければ、到底最後まで耐えられない映画。いや、知っていても襲ってくる眠気には耐えられないのだけれど。とにかくリアルに「なんやねんこれ!」という言葉を吐き出させるパワーを持った作品です。まあ正直言うと笑いました、最初だけ。あまりに斜め上を行く映像が目に飛び込んできたもんでw でも映画としてひでーよw これを商業映画で出すセンスには脱帽するが、…観る方も観る方ですか?w それにしても裸のねーちゃんを撮ってここまでエロくない演出もすごい。というか演出なんてない?あまりと言えばあまりの内容に敬意を表して0点ですが、本当はこの邦題を付けた人のセンスに1点くらいは献上したいところではあります。
白い嵐
7
実話の映画化。この映画は嵐が重要なんじゃなくて、若者たちの成長と、彼らの先生との信頼の構築というのが、物語の主なところ。いわば嵐は付加価値な訳だけど、それが起こったことで物語は劇的な方向に進む。クライマックスはほんとに感動する。
白バラの祈り
ゾフィー・ショル、最期の日々

(2005年制作)
8
第二次大戦下のドイツ。白バラ抵抗運動に参加していた21歳の学生ゾフィーが、国家反逆罪で逮捕され処刑される数日間を描いた実話を基にしたドラマ。
ビラ撒きと言ってもナチ政権下での体制批判はすなわち死刑に値する行為。それを行うだけの信念を持って活動していたであろう若者たちの覚悟はいかなるものだったか。俺には想像もつかないけれど、その様子が垣間見える。白バラの運動自体はほとんど描かれないけれど、ゲシュタポに逮捕されてからの尋問でも揺るがない姿勢はすごい。しかしゲシュタポの取り調べが司法手続きに忠実な感じだったのは意外だ。もっと無法な拷問とかかと思っていたのだけれど。まあこれは主人公がドイツ人であり、取り調べの刑事がナチ党員とはいえ理性があるからだろうとは思うが。
ゾフィーたちの論理は当を得ているとは思うけれど、感覚的には現代的なナチ批判に聞こえる。刑事側がナチを信じるのは、やはりヴェルサイユ体制によって強いドイツを信じようとした時代性そのもののようにも思う。でもそれは難しい対峙なんだよなあ…。そんな彼らの信念と職務の対決は見応えがあった。ゲシュタポの調査能力はさすがに恐ろしい…。
しかしそれ以上にインパクトがあるのが"無法裁判官"のローラント・フライスラー。高圧的で最初から判決も決まっている風な、もはや裁判の体をなしているとは思えない国家統制下での裁判の恐ろしい部分が見られる。
刑務所にゾフィーを見に来た刑事の立ち姿と表情、そして処刑前に女性看守から渡される煙草に、この時代でも人間性は残っているのだという希望を感じたりもしたが、連行された先で映ったギロチンには絶句してしまった。
新感染
ファイナル・エクスプレス

(2016年制作)
8
釜山行きの高速列車内でゾンビ化した乗客が襲い来る。その列車に乗り合わせた人たちの決死の脱出を描いた韓国映画。
ゾンビ映画という手垢のついたジャンルの作品。まあゾンビと言っても正確には死体ではなく感染者なのだが、原因についてはバイオハザード的な何かが起きたと匂わせる程度で済ませるのもお約束。つまり「なぜ事件が」が主題ではなくて、その「現象が起きた時に人はどうする」が描きたい事であって、そこがしっかりできているとこの手の映画は面白い。その点で、この映画は列車内という密室と終点までの段階を踏んだ展開の見せ方が上手く、最後まで飽きさせない。観ていて何となく「ミスト」を思い出したが…、あれほど絶望的ではないw
登場人物は多いがそれぞれに用意された役回りを背負ったキャラクターについて、人となりの説明(会話の内容で分からせるやり方)が端的でなかなかいい。野球チームのユニフォームも、彼ら自身の仲間意識と、バットという武器を持っていることの説明ツールとして機能しているね。利己主義だった主人公の変化が話の軸だけど、合わせ鏡としてのバス会社の常務の存在が人間のエゴまる出しでドラマを盛り上げる。犠牲になった運転手さんは良い人そうだったのにかわいそうだなあ…。
ラストで主人公の娘に歌を歌わせたのはとても良かった。そういう伏線だったのね。父のために練習した歌、人だからこそ歌える歌。使いどころがバッチリ。
SING
シング

(2016年制作)
8
今や寂れてしまった劇場の支配人ムーン。楽天家の彼は歌のオーディションで劇場の起死回生を狙うが…。イルミネーションのCGアニメーション作品。
擬人化した動物たちの話というだけだと同年の「ズートピア」とどうしても比較してしまうが、社会派なテーマを内包したあちらとは違い、歌って踊ってまっすぐにエンターテイメントとして実に楽しい作品だったな。楽天家なコアラの劇場支配人・ムーンを中心にした群像劇という感じもするが、キャラ立ちしたそれぞれの動物たちの事情がテンポよく描かれていて飽きさせない。予告を見た限りでは歌のオーディションが話の中心かと思っていたけど、実際に本編を観るとオーディションに勝ち抜くとかそういう話ではなくて、“劇場への想い”や、ひいては観客に観せる・観てもらうという事の興奮がよく描かれていると思う。
しかし支配人のムーンって…やってることはいい加減なはずなのに、ニクめないくらい楽天家なのがいいなあ。そんな彼が(物理的に)劇場を失うという展開はちょっと予想してなかったので驚いた。でもそこからの手作りの復活が良い展開だわ。声を演じるのがマシュー・マコノヒーとは、最近シリアスな作品の多い彼から考えるとちょっと意外な感じもするけど面白い。ほかのキャラもいいよね、欲深く強気なネズミのジャズ・ミュージシャンのマイクはセス・マクファーレンの声がいい味を出してる。それにしても豚のロジータのムダにすごい工作技術は笑ったわ、あの仕掛けを一晩で…?そっちの道に行った方が…と思ったら終盤の仮舞台作成の伏線だったのかw そういや他にジョニーもアッシュもミーナも、彼らのプライベートがドラマの一部になっているのに、グンターだけ普段の生活が見えないな。グンター…、普段からああいう感じってことなんだろうかw
シング/SING
ネクストステージ

(2021年制作)
7
前作から5年後に制作された続編。劇場の支配人バスター・ムーンはエンタメの街レッド・ショア・シティでのショーを夢見て団員たちとオーディションに飛び込み出場するが…。
正直なところを言うと、前作で気に入った部分の半分がなくなっているような気がして少し残念な気持ちになった。具体的には“支配人のムーン劇場への想い”と“登場キャラクターたちのプライベートな事情のドラマ”の要素。その両方が鳴りを潜めて「レッド・ショア・シティでのショーを何とかする」というだけの話になっている感じ。大物ゲストであるクレイ・キャロウェイというライオンだけが過去を背負っているキャラになっているけど、そこもさして深掘りされるわけではないので、なんだか薄味に感じてしまったかなあ。まあ主題は「劇場」ではなく「歌うこと」なので、そういう意味ではブレてはいないのかもしれないけど、個人的にはちょっとした期待とのズレがあったかもしれない。
とはいえ縦横無尽に動き回るキャラクターたちの動きや歌は良いと思うし、映像的にも派手なのでエンタメ映画としては楽しめる要素は多いと思う。脇役ではカメレオンのミス・クローリーが妙にいい味を出しているところは結構好きかなw クレイを演じるのはU2のボノで、伝説のロックスターというキャラクターの格を考えれば妥当なところか。ただ劇中で本人が歌う場面は意外に少なかった印象。"Where the Streets Have No Name"は本人じゃなくてキャストのカバーだったし。
シン・シティ
9
フランク・ミラー原作の同名コミックを忠実に映像化。“罪の街”を舞台に3つのストーリーが展開する。
俺は原作は読んでいないけど、この演出がまんまコミックなんだというのはよく分かる。色遣い、カット割り、そしてキャラクター。原作の画が魅力的だからこそだろうけど、映画でこの画を見せられるとすごく格好良く新鮮に映るね。極端な陰影というのはほかの映画にもあるとしても、影の中で浮き上がる絆創膏やメガネの白色、白黒世界の中の全身黄色男なんてコミックの画そのものだわ。いや〜面白い。
ストーリーはきわめて暴力的。“シン・シティ”は人食い、抗争、幼女暴行魔の巣くう街。そんな中で戦いを繰り広げるアウトローや元刑事。こいつらの生き様が格好いい。愛する者のために死ねるというのは、ある種の男の美学というモノすら感じるねw
しかし、赤くはないものの血しぶきの多さとモノローグの多さに観賞後はヘトヘトになった。まあ面白かったから時間は感じなかったけど。
紳士は金髪がお好き

(1953年制作)
7
マリリン・モンロー主演のミュージカル・コメディ。
主人公は親友同士の2人の美女ダンサー。一人は頭が弱そうな金目当てで男に近づく金髪(マリリン・モンロー)、もう一人は気が強そうで金よりも男の魅力が好みな黒髪(ジェーン・ラッセル)という好対照。この辺はブロードウェイ用の戯曲が原作だと聞くと、何となく納得してしまう設定ですな。主役二人のオープニングが華やかでこの時代のミュージカルが始まるって感じは良いけど、劇中はモンローが演じるローレライのキャラクターにイライラしてしまった…というのが正直なところ。金や宝石に目がなく、何が何でも手に入れようとする姿勢や、ティアラの件でも悪びれない態度はどうもねえ。映画としてはモンローが演じるこのキャラにメロメロになることを狙った見せ方でもあるんだろうけど、個人的な女性の好みには合わなかったので(苦笑)
ただローレライの“頭の弱い女”というキャラクター自体が、実は「それでも好いてくれる男を…」という彼女の計算であったというオチは少しばかり感心もしたところもあるけどね。“ローレライではない”と思い込んだ金持ちの父親が容姿だけを見て結婚に賛成する姿を通して、「結局男だって美女が良いでしょう?」ということを、「金持ちが狙い」というフィルターを通して逆説的に男に投げかけているという話の構造も良いと思う。コメディ部分はいかにも当時の舞台って感じのするところもあるけど、戯曲としては面白く出来ているかな。
新宿インシデント
7
中国の農村出身の主人公が、日本に不法入国し、家族を守るため新宿の裏世界で力をつけていく姿を描いたドラマ。
主演のジャッキー・チェンは得意のアクションを封印したシリアスな演技。彼も色々と方向転換を模索している様に思えるが、新宿の不法滞在の中国人や、中国マフィアを絡めた抗争という話の目の付け所は面白い。外国映画ながら同じアジア人の作品ということもあってか、あまり無理のない日本の描写も悪くなく、素直に見られたかな。ただ、同じような犯罪映画としてある「インファナル・アフェア」の様な香港ノワールの凄みにまでは達していない。そのあたりは惜しかった。
昔の恋人・シュシュの設定はちょっと安易だし、気の毒なトラブルメイカー・阿傑の扱いはマンガの様。根っからの犯罪者でない主人公と竹中直人演じる刑事の友情というのも、もうちょっと深く描いてくれれば違ったかも。
中国映画ながら中国マフィアが勝ってお終いとはならず、悪事を働いた者はそれ相応の報いを受けるという点は良い。やはりまだ悪者にはなりきれないジャッキーらしい作品かなとも思いますわ。
新少林寺
SHAOLIN

(2011年制作)
7
1912年の中国。部下の裏切りに遭った軍閥の将軍が、少林寺で改心する姿を描いたアクションドラマ。
タイトルだけ聞いたらカンフー映画のようだけど、主演にアンディ・ラウを配してドラマ部分も力が入っている。最初は冷酷な軍人だった主人公が改心していく様子などは丁寧で良いのだけど、中盤は若干間延びしている感もあったかなあ?個人的にはもう少しテンポが速くても良いと思ったけど。色々と演出に都合のいい展開を見せる話運びは、まあご愛嬌ということでw それにしてもラストの爆破に次ぐ爆破は、派手だけどそこまでやるかとも思った。
少林寺のセットは本気で建てられていて金がかかってる感じ。アクションシーンもジャンル映画特有のワイヤーアクションのキレと、VFXによる効果が上手いこと組み合わされていて迫力がある。作り込みの規模から言うと何気に大作映画だよね、これは。
ジャッキー・チェンも特別出演という形で出ているけど、少林寺の厨房係という役どころなので格闘は無しかと思いきや…。そこはそれ、しっかり見せ場がありました。料理の動作がそのままカンフーとは、ジャッキーらしいコミカルな戦い方ですねw
人生の特等席

(2012年制作)
8
視力が衰え周囲を心配させる昔気質の老スカウトマンと、すでに社会人となり疎遠だった娘と共にスカウトの視察に行く中で、次第にわだかまりが取れていく姿を描いた人間ドラマ。
予告編から思い浮かぶストーリーがそのまま展開されるような、親子関係を描いた王道一直線の展開。でも観ている側としては「この親子には上手くいって欲しい」という願うわけで、そういう意味ではその予定調和的な流れが逆にさわやかに感じられて心地いい。分かりやすい伏線とその回収、ちょっとした逆転劇もベタだけど、こういう話はそれで正解だろうね。
主演のイーストウッドは「グラントリノ」以来の映画出演だけど、そのオーラは全く衰えない。娘役のエイミー・アダムスも、イーストウッドの向こうを張れる実力派なので観ていて安心ですね。主人公の理解者であり友人役のジョン・グッドマンは名脇役ぶりはここでも光る。この映画でもその体格と笑顔は効果的。イーストウッドの渋い表情と対局だからまたいいのかな?w
原題は"Trouble with the Curve"で、だいぶ内容に踏み込んだタイトル。"カーブ"自体は球種と人生の曲がり角的な意味のダブルミーニングですな。個人的にはやっぱり原題の方がセンスがいいと思うのだけれど。
シンデレラ

(1950年制作)
7
もはや古典となっているウォルト・ディズニーの代表作。
継母はともかくその連れ子の姉2人が身も心も醜くいんだけど、容姿まで醜いんじゃ、舞踏会でシンデレラ以外を相手にしなかった王子はただの面食いだなあ…なんて思ったり。まあそれはともかくメインストーリーはおとぎ話の古典でもあるし素直に楽しめる。フルアニメーションの動画はさすがに滑らかだし、有名な「ビビデ・バビデ・ブー」を歌って魔法をかけていく妖精のおばあさんのシーンは確かに名シーンだね。
ただメイン以外では、猫のルシファーとネズミの追いかけっこを延々見せる序盤など、少々本題からのズレが気になった部分もある。何故に「シンデレラ」でアメリカン・カートゥーンのようなドタバタを挿入したのか?うーん、よく分からない。
気になったところで言うと、12時の鐘の後もシンデレラの足に残っていたガラスの靴が消えていない事を確認する描写があるけど、これは脱げた方の靴が消えないことの理由付けとして「なるほど」と感心した。でも、クライマックスに継母の謀略で王子側(王子本人は来ずに侯爵が代理)が持ってきた靴が割れた時、「もう片方がここに」とシンデレラ自らがガラスの靴を出して履いたのにはビックリ。自分で出した靴が本人であることの証明になっているのか?? まあ王子が実際に会えば証明にはなるんだろうけど、話の展開としてはどうかなあ。
シンデレラ

(2015年制作)
8
童話「シンデレラ」の実写化作品。
ケネス・ブラナー監督はいい仕事をしている。「シンデレラ」と聞いて観客が想像するストーリーラインを外すことなく、枝葉のディテールを肉付けして主人公・エラや継母の性格に信憑性を与えていると思う。憎まれ役の継母を演じたケイト・ブランシェットはさすが。単純な悪役として以上に、その表情から感情面での背景を感じさせる説得力があるよよね。エラ役のリリー・ジェームズも精神的な強さと優しさを感じられるキャラクターに見えたし、ブランシェットの向こうを張って十分な主役っぷりだった。
童話だから、アニメだからと許される部分も、実写版でとなるとウソっぽさが目立つ場合もあってバランス感覚が難しいと思う。そういう点では、エラの父の仕事や王国の後継事情などの背景も地に足着いていると思うし、なかなかいい盛り付け具合。誰もが知っている話なだけに、単純にストーリーを追うだけでは退屈してしまうかとも思ったけど、そうならないのはそういったディテールやキャラクターの深みをしっかり出しているからだろう。意外性がないわけでもなく、最後に変装していた王子(後を継いだのでその時点では王)が大公の従者の中から現れたシーンは良いサプライズ。というか「全部見ていたぞ!」という具合の展開じゃまるで「水戸黄門」だけれど、まあ面白かったからいいや。兎にも角にもよくできた実写版だった。
ディズニー映画であるので、もちろん1950年版への目配せもチラホラあるのだけれど、魔法の呪文がちゃんと「ビビデバビデブー」。しかし流石に歌わないか…と思ったら、エンドクレジットでフェアリーゴッドマザー役のヘレナ・ボナム=カーターが歌い上げてくれる。これは良いサービスw
シンデレラマン
9
世界恐慌の時代、家族を貧しさから守るために闘ったボクサーを描いた実話。
いや〜、良かった。俺はどうにもこういった家族愛を描かれると弱い。妻や子供を守るために闘う父。息子との約束を果たすためにプライドを捨て、自分をお払い箱にしたボクシング協会にまで寄付を求めに行く父。復帰戦で意識が一瞬遠のく中、脳裏に浮かぶ家族の姿、もうベタすぎるくらいなのに泣ける。
守るものがある男は強い。いくら貧しい生活をしていても、今の俺には主人公はまぶしすぎるなあ。
最終的には家族だけでなく、アイルランド移民の誇りや希望にもなっていく主人公。当時の時代背景を考えても、ただの“日雇い労働者から成り上がったチャンピオン”という訳じゃない。移民たちの誇りとなり、そしてシンデレラマンと呼ばれた由縁は、やはり彼の品性なんだろう。彼の人間性が、また感動させてくれるね。
監督はロン・ハワード、主人公はラッセル・クロウの「ビューティフル・マインド」コンビ。今作のロン・ハワードは実に丁寧だった。いや、元々丁寧な映画を撮るけど、今作はより“親切”で“丁寧”だった。それがストーリー自体の波乱やどんでん返しにならないから、そういうのを求めると肩すかしがあるかもしれないけど、ある種の“王道”として良い映画を観せてくれたと思う。
シンドラーのリスト
9
命の重みを考えさせられる作品。ナチスの非道さをこれでもかと描いている。白黒で写しているのが、効果的に当時の雰囲気という物を伝えてくる。第二次大戦中このような事が行われていたかと思うと、身の毛もよだつ思いだが、少しでもユダヤ人を救おうとするシンドラーに感銘する。エンディングでモデルになった本人達が出てきた時、事実なんだという事を痛感した。
シンバッド七回目の航海

(1958年制作)
7
婚約者の姫を魔術によって小さくされてしまったバグダッドの王子・シンバッド。その姫を元の姿に戻すべく、シンバッドたちは薬の素材を得るために出港する。
「シンバッド」は誤記ではなく、本作の主人公名"Sinbad"をそのままカタカナにした名前だけど、もちろん「千夜一夜物語」のシンドバッドが題材。ということでアラビアンナイト的な世界観の中での魔術あり怪物あり宴ありというファンタジー活劇映画になっているわけですが、内容的にはおとぎ話なので…子供向けだよね。話の動輪こそ魔術師の「魔法のランプが欲しい!」という企みで構成されているんだけど、ベタなマッチポンプを仕掛けたり、魔術能力も有能なんだか凡庸なんだかという微妙な塩梅(苦笑) まあ子供が観ても怖くないくらいに小物なのは悪くはないのかもしれないけれど。
内容はそういう子供向けファンタジーとして受け入れるとして、それ以上に観るべきなのはやはりレイ・ハリーハウゼンの特撮ですな。本作はハリーハウゼン初のカラー作品としての意味もあるし、巨人・サイクロプスの存在感や骸骨剣士の剣戟は特撮として今観ても見ごたえがあるよね。ストップモーションと実写俳優の同時演技を成立させる特撮技術は本当に見事ですわ。
そういえば魔術師が橋を落とした場所をシンバットと姫がロープを使ってスイングして渡る場面があったけど、これって「スター・ウォーズ」EP4のデス・スターで、ルークとレイアがワイヤーを使ってで反対の通路に渡ったシーンの引用元?? 構図までそっくりだったし、今更ながらルーカスらしいオマージュだなと思った。これが元ネタだったとはw
シンバッド黄金の航海

(1973年制作)
6
航海中に黄金の刻印を手に入れたシンドバッド。3つ揃えばマラビア国を狙う魔術師の野望を阻止できるとするその刻印を巡り、シンドバッドの冒険の航海が始まる。
前作「七回目の航海」から15年後に公開されたシリーズ2作目だけど、内容的には特につながっている様子はないかな。アラビアンナイトの話かと思っていたら舞台になるのは東南アジアの遺跡(アンコールとか)っぽい感じなのもちょっとズレてるような気はするけど…。まあ航海した先の話だから不可ではないが。とりあえず“魔術師の野望をくじくシンドバッドの冒険譚”というベタな内容で子供向けのおとぎ話に違いないし、大人が観るには今一つ盛り上がりに欠けるのは否めない。
それでも歴史に残るのは特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼンの作品だからってところだよね。本作ではミニガーゴイル、セイレーン像、一つ目ケンタウロス、グリフォンなど色々登場してくる。ただどのシーンも話のテンポを若干間延びさせている感じがするかなあ。特撮がメインの映画なのは間違いないし、じっくり動きを見せたいという意思も伝わってくるものの、個人的に映画としてはもう少しカットを詰めてもいいのではと思った。まあそのテンポが当時のおおらかさなのだと言われれば、そうなのか、とは思わなくもないが。
そうそう、今作の目玉である腕が6本のカーリー像との剣戟シーンは、ちょっとスター・ウォーズのグリーヴァス将軍を連想したりもしたな。グリーヴァス将軍の出身の星は惑星カリーって名前だっけ? ジョージ・ルーカス…絶対意識してるよなw
シンバッド虎の目大冒険

(1977年制作)
6
航海から都に戻ったシンドバッドは、旧友の王子が魔女によってヒヒに変えられたことを知る。シンドバッドは王子を元の姿に戻すため伝説の賢人を頼るが…。
レイ・ハリーハウゼン製作のシンドバッド3部作の最終作。王子の戴冠式で何かが起こった場面から話は始まるけど、例によって魔術師の陰謀とそれに対峙するシンドバッドという話の構造は変わらない。王子の姿を戻すために賢者を訪ねたり極地の神殿に向かったりといった流れは、ちょっと行き当たりばったりな感じはするなあ。というか追いかける側の魔女ゼノビアの行動がどうにも精彩を欠いている気がして、なんかあんまり緊張感はない(苦笑)
登場するクリーチャーはヒヒや角の巨人などが表情豊かに感じられてよく出来ていると思う。魔女が生み出した青銅のミノタウロスことミナトンは存在感たっぷりで「これはラスボスか?」と思ったのに、話のほとんど船を漕いでいるだけで、後はピラミッドの巨石につぶされておしまい。けなげに頑張ってたのにかわいそうだなあ。
ハリーハウゼンの特撮映画としては最後から2番目の作品で、コマ撮りと実写を合成した特撮シーンの完成度の高さはさすがのもの。さすがにカメラワークの不自由さは感じ取れるけど、それでもカットを割ることである程度のスピード感やダイナミックさを出そうという工夫もうかがえる。とはいえ映画の歴史で言えば、この作品の公開年に「スター・ウォーズ」が公開されたわけで…。そう思うと、完成されたコマ撮りとはいえ特撮の世代交代の波を如実に感じるところではある。
シン・レッド・ライン
9
この映画を見ていると、戦争という物が如何に空しい物なのかと、考えさせられる。美しい自然の風景と、戦闘という愚行との見事な対比で、どんどん悲しい気持ちになっていく。カメラワークも、流れるように動くので、まるで神の視線のよう。日本兵をちゃんと人間らしく描いている所がうれしい。
スイス・アーミー・マン

(2016年制作)
8
遭難し無人島で絶望していた主人公の目の前に、ある死体が流れ着く。しかもその死体は常識を疑うような能力を持っていたのだった。
全編にわたって死体イジりをしているフリークな状況だけど、その表現と内容のユニークさによって唯一無二の存在感を発している作品でもある。タイトル通りの“十徳マン”というか、“多機能死体”というか、「そんなバカな」という機能が次々と登場して笑ってしまう。でもそれらは“屁”であり“嘔吐”であり“勃起”でありといった様な「うんこちんちん」的なノリがほとんどで、死体イジりという設定からして悪趣味以外の何ものでもない(苦笑) ただ、その不真面目さを真面目に描き切っているからこその気持ちよさがあった。
設定はバカ映画なのに鑑賞後感がバカ映画を観た感じにならないのは、主人公と死体との友情物語に見せかけたプロットが上手く機能しているからだと思う。いや、でも友情なのかなあ? 仮に主人公の幻覚ならば自己投影の産物だろうし、逃避の対象としてなら「キャスト・アウェイ」のウィルソン君に近い気もしたけど。それでも“死体がしゃべること”自体を幻覚か(作中での)事実なのかボカしたことで、妙な温かみのあるファンタジーにしているところが上手いんだよな。いい意味での「映画のウソ」だよね。
本編ではほとんどポール・ダノとダニエル・ラドクリフの二人芝居で、存在感もいいバランスだった。でもやっぱりラドクリフが“死体役”ってところが突拍子もなくて目をひいちゃうよねw あとはちょいちょい「ジュラシック・パーク」ネタを差し挟むのが個人的には好感。テーマ曲だけならわかるが、女性の名前を考えるときに「ローラ…、ダーン…?」って、どんだけ頭の中ジュラシック・パークやねんw
スイミング・プール

(2003年制作)
7
英国の女流ミステリー作家が訪れた南仏にある出版社社長の別荘。静かなで快適な別荘で一人創作を進める彼女だったが、ある日、社長の娘がその別荘に現れる。
冒頭の地下鉄のやり取りだけで主人公が難物だという事が感じ取れ、人物描写が上手いなあと感じた後は、観る者によってどうとでも取れるような話になっていく。どこまでが観たままの現実なのかよく分からないが、叙述トリックを映画でやったらこんな感じになるんだろうか。まあトリックなんてないけどw そんな具合にある種の映像表現としての面白みは感じるものの、ミステリーとして観てしまったら何もかもがミステリーのまま終わってしまうので、映画に“答え”を求めると拍子抜けするかもしれない。
色々と解釈への手がかりは描かれているものの、基本的には観る側の想像にゆだねられたままで終幕する。個人的な印象で言うと、社長の娘のジュリーは主人公のサラが頭の中で作り出した人物かもしれないし、もしかしたらこの映画の話が“SWIMMING POOL”という本の中身なのかもしれない。そんな風に思った。それにしてはジュリーの実在感が強すぎる気もするけど、少なくともサラが抑えている欲求を開放している様な対局的な存在であることからすると、そう受け取るのは簡単だと思う。ジュリーとジュリアが別の存在だとすれば、ね。
ラストでサラが着ている服が示唆的で、ジュリーの母親の小説を世に出すという行為からもさらに虚実が混濁していくけれど、監督によって煙に巻かれるその過程を体感する分には面白く観れた気はする。
スウィーニー・トッド
フリート街の悪魔の理髪師
8
客の喉をカミソリで切り裂き、その肉でパイを作るという殺人理髪師を描いた舞台劇の映画版。
原作である舞台は観たことがないけど、筋自体が多少強引に進むのは、舞台劇っぽいと言えばそうだったかも。しかし、キャラクター造形にしても画の色彩にしてもこの映画はティム・バートンらしい雰囲気がたっぷり。この雰囲気だけで結構楽しめました。ただスパスパ喉を切り裂くし、血が噴き出しまくるのでの血なまぐさい映像がダメな人にはキツイかもね。まあ、彩度を抑えてあるし、個人的には悪趣味ギリギリの演出でこちら側にとどまっているとは思ったけど(主人公らの行いは悪趣味だが)。
主演のジョニー・デップは自身初のミュージカルってことらしいけど、飛び抜けて彼の歌声には惹かれなかった(ヘタという意味ではないです)。でもバートン作品ならではの、この雰囲気を出せる俳優と考えればデップ以外には思いつかないなあ。女性陣は全体的に声が高め。もうちょっと落ち着いた高さの方が俺の好みではある。
スーサイド・スクワッド

(2016年制作)
7
DCコミックスの作品群に登場するヴィラン(悪役)で結成された特殊部隊の結成から最初のミッションを描いたアメコミ実写映画。
時系列的には「バットマンvsスーパーマン」の後。スーパーマン亡き今、新たな敵の出現に対抗するために特殊能力を持った犯罪者の特殊部隊を…という「毒を以て毒を制す」な発想なわけだ。原作コミックシリーズはさすがに未読なので映画だけを観た印象になるけど、設定は素直に面白いと思った。序盤のキャラ紹介から部隊結成までの流れも手際が良いと感じたのだけど、一方で悪役の集まりの割にはなんか悪に振り切れた感が無くて物足りないというか。確かに首にナノ爆弾が仕掛けられているので命令に逆らっても得策ではないという事にはなっているけど、もっと制御し難い悪人たちの活躍を観たかったかなあ。
そういう意味で、設定を聞いて期待するものに対しては随分と上品な悪役たちだったと思ってしまった。背景に同情の余地が増えてしまうと…どうもね。なんとなれば、展開のフォーマットは普通のヒーロー映画の様な強大な敵を倒すという展開からも乖離していないので、「いたって普通」という印象になってしまった感じか。予告編ではずいぶんとジョーカーが目立っていたものの、実際の劇中では“ハーレイ・クインの行動原理”としての存在でしかないので、いささか拍子抜け。もっと暗躍しているのかと思ったし、そう期待させるような予告だったのが裏目に出たかもしれない。
ところで、エンチャントレスは中盤のデザインがスッキリしてしまうけど、薄汚れた感じの方が好きですw
ザ・スーサイド・スクワッド
“極”悪党、集結

(2021年制作)
8
「スターフィッシュ計画」を行っている南米の島国コルト・マルテーゼの研究所を壊滅させるため、ヴィラン(悪役)で結成された特殊部隊のタスクフォースXが送り込まれる。
「スーサイド・スクワッド」としては2作目。ハーレイ・クインの登場作品としては3作目。そしてDCEUとしては10作目…ですが、他作品と密接に繋がっているかというとそうでもない。一応「タスクフォースXとはなんぞや」という説明はカットして本題に入っているし、続投しているキャストもいるので「スーサイド・スクワッド」の続きなのは間違いないけど、どちらかと言うとその世界観を借りた“ジェームズ・ガン監督のアクション映画”っていう性格が強い印象。でもそれが良い。
開幕一番に登場するのはサバント役のマイケル・ルーカー。ガン作品常連役者の登場に「GOTG(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)のヨンドゥでは死んじゃったけど、今度はこっちで活躍すんのか!?」と思わせてワクワクしたのも束の間、サバントはアバンタイトルで頭を吹き飛ばされて死亡…! というか、陽動部隊が様々な死に様を見せつけた挙げ句にほぼ全滅。「あーこれはそういうのをやりたいってことなのね」と冒頭になんとなく感じたとおり、全編に渡ってとにかく味方も敵もモブも死にまくり、人体損壊のオンパレード。いやはや悪趣味なことこの上ないんだけど、でもこれぞガン監督の作家性の発露とも言える遠慮のなさに、むしろ爽快さすら感じましたw そもそも過去の発言が問題視されてディズニーからMCUの監督を解雇されたガン監督ですが、その彼を拾ったのがこのワーナーのDCEU。そうなればガン監督もディズニーでは出来ないことをやって、思う存分鬱憤を晴らしたかったんじゃないだろうかと思ってしまいますなあ。
結果、そのガン監督の作家性と「スーサイド・スクワッド」という世界観が素晴らしい相乗効果を発揮したわけですね。ただただ悪趣味なだけじゃなくて、新キャラに魅力をもたせた描き方や、時系列を入れ替えても混乱しない作劇の手際の良さも良いし、観ていて楽しい作品でした。あとスターロ大王の気ぐるみ的な動きも完璧だった。あえて“カイジュウ”という単語も使っているし、ほんと趣味的w
ズートピア

(2016年制作)
9
進化した動物たちの街、ズートピア。ウサギ初の警察官になった主人公ジュディは、偏見に晒されながらも詐欺師ギツネのニックと共に街で起きた失踪事件を調査を開始する。
動物たちを擬人化して描くという演出は一義的には子供ウケが良いという部分が大きいだろうが、一方でこの作品は“偏見”というテーマに対して動物が持つイメージを見事に組み込んで描いていると思う。ピクサーの近作「アーロと少年」が恐竜を擬人化したことに対して全く意義を見出せなかったのとは対照的に、このディズニー作品が擬人化という演出自体をテーマの肝として活かし切ったのは実に素晴らしい。いたく感心した。
絶妙なのは、偏見やレッテルの背後には動物の種別という“事実”が存在するということ。「草食も肉食も関係なくみんな仲良く」という理想は結構だけれど、出自や動物学的な差は絶対に存在するし、意識的な平等感と無意識の区別という相反したものを内在した世界のリアルが生々しい。人間に当てはめるといろいろ考えさせられる。
そういった考えさせられるテーマを内包しつつ、主人公2匹のバディ・ムービーとしても、動物アニメとしても楽しめる按排が絶妙。キャラクターの動機や行動にも説得力があるし、そこかしこに伏線を張りつつ、終盤にそれぞれが生きてくるあたりも気持ちが良いね。これをテンポ良くまとめた脚本は見事だと思う。
スーパー!

(2010年制作)
7
妻を街の悪党に奪われた冴えない中年の主人公フランク。彼は神の啓示を受けヒーローとなった彼は、真っ赤なコスチューム姿とレンチを片手に街のチンピラどもを殴り倒し始める。
どうしても同時期の映画「キック・アス」と比べてしまうけれど、あちらがアメコミに対するオマージュだったのに対して、こちらはよりアンチテーゼ色が強い。どこからどう見ても私刑だし、しかも過剰w 特にトリガー・ハッピー的な押しかけ助手役のエレン・ペイジは、そのネジの飛び方が強烈に印象に残る。悪い意味でw ペイジの退場はその罪をすべて被っての報いとも受け取れるけれど、あのあっけなさはちょっと意外だった。
ヒーローと相棒の性的な関係にしても、皮肉を込めたジョークなんだろうが直接描写されると居心地が悪い。そういう居心地の悪さや過激な暴力描写の不快感も、テーマに沿うものだと思えばそれはそれでよく出来ている証なのだけれど。ただヒーロー性をテーマにしたオマージュ映画のセンスとしては、エンターテイメントとして昇華した「キック・アス」の方がやはり上だと思う。
SUPER 8
スーパーエイト

(2011年制作)
7
自主映画を撮影中に列車事故に遭遇した少年たち。その事故以来、町では犬が逃げ出し人々が次々に姿を消した。
この映画は色々な形容ができるだろうけど、ひっくるめて“スピルバーグ的な映画”と言える。主人公たちの設定や、大人たちとの関係、そして未知の存在の描き方とか…上映時間の長さとかw J・J・エイブラムス監督は、それらを確信的にスピルバーグへのオマージュとして使っているけど、個人的にはそのあたりがつめこみ過ぎと感じたところも。確かに要素の多さの割に上手くまとめているのはスゴイと思うものの、それでも少しエピソードの併走感というか…。特に父親との和解の話と、メインである謎の生物の話とは、筋として絡めてはあるけどやはり取ってつけた感が残っているかな。
事故のシーンで生き残るとか車が無事とか、軍が色々ザルだとか、ご都合主義的な展開も多い。あ、でもそこはオマージュの内か。冒頭、情景だけである程度の説明をやってのけるところや、エンディングへの入り方は良いね。エンドクレジットで流れる自主映画は、劇中で主人公たちが一生懸命撮っていたものだけど、実に微笑ましい自主ゾンビ映画です。ロメロ化学w
スーパーサイズ・ミー
7
30日間、1日3食マクドナルドで食事をしたら、人間の体はどうなるのか? 監督自らが体を張った実験を試みるドキュメンタリー。
俺だってマクドのメニューが体に良いとは思ってもないし、ましてそんなものを30日間も毎日食べてたら体調を崩すのは目に見えてる。案の定、監督も3週間程でドクターストップを言い渡されたわけだが…。だけどそれを自ら実践したことには敬意を表しますよw
肥満になるのはファストフード企業が高脂肪食を提供するからなのか、それとも個人が食欲のままにファストフードを食べるからなのか。映画では30日マクド生活の実験をする一方でアメリカの肥満社会の現実も紹介していたけど、子供への企業のすり込みが現実だとしても、それを与える親や学校もイカンのでしょう。やっぱり俺は自己責任だと思う。冒頭で紹介された、食って太ったからマクドを提訴した少女二人ってのはおかしいわな。
スーパーマン
8
言わずと知れたスーパーヒーロー。スーパーマン誕生からその後の活躍を描くSF大作。
王道なストーリーではあるけど今観ても十分面白い。前半のクリプトン星〜青年時代も丁寧に描かれているし、後半のヒーローとしての活躍やルーサーとの対峙もテンポが良くて2時間半近い映画だけど一気に観れるね。まあ、ラストの展開はやり過ぎとは思いますが。
スーパーマンを演じたC・リーヴはこれ以上ないはまり役だけど、敵役のルーサーを演じたハックマンも良い。自ら「世界最高の犯罪者」と名乗る割に部下はマヌケだし、ルーサー自身もどこか小悪党な雰囲気が拭えない。憎めないキャラクターだなあw
しかし何と言ってもこの映画はジョン・ウィリアムズのテーマ曲の力が大きいよね。オープニングのワクワク感は最高!
スーパーマンU/冒険篇
7
前作の冒頭でクリプトン星を追放された三悪人が地球へ襲来し、スーパーマンと対決するシリーズ2作目。
超人的な力を持った三悪人が暴れる話だってのに、全体的に小粒感が漂っているのが不思議。さすがに摩天楼を飛び交ってのバトルは良いとしても、そこに挿入されるギャグシーン(ソフトクリームが飛んだり、カツラが飛んだり…)は受け取り様によっては安っぽくも映る。
三悪人との対決にしても、スーパーマンとロイスの話にしても、こういうヒーローモノでは話の細かい辻褄云々は目をつむるけど、でも合点のいかない展開は多いかなあw
しかしジーン・ハックマン演じるルーサーは小悪党ぶりに磨きがかかって良い味が出てるね。三悪人に用無しになって殺されそうな場面で、スーパーマンが現れてホッとするなんて面白いw
スーパーマン リターンズ
8
「スーパーマン4」以来になる19年ぶりの新作。作品世界では、2作目の直後にスーパーマンがクリプトンの生き残りを捜しに地球を出て以来、5年ぶりの帰還という設定。
もう全編にこれでもかというくらい78年版へのオマージュが捧げられてますね。シリーズを踏襲したオープニングからブライアン・シンガー監督の思い入れがひしひしと伝わってくる。あのテーマ曲と映像に思わずグッと来て泣きそうになってしまったw 序盤のジャンボ機救出で、球場に降り立ったスーパーマンに万雷の拍手を贈るなんざ、もう監督さん!粋じゃないですか!
ストーリーは思い入れたっぷりなだけに旧作を観ている人にはたまらないけど、これがシリーズ初見の人には設定などの説明が全くと言っていいほど無いのでついてくるのは大変かな。特にケビン・スペイシー演じるルーサーがスーパーマンの隠れ家や弱点を何故知っているのかとか、子供についてとか…。
ルーサーが相変わらず土地成金を目指しているのには笑うけど、ハックマンが演じてたどこか憎めない小悪党ぽさがなくなったのは残念。ホントの悪党に見えるんだよなあ。
ラストにスーパーマンがクリプトン人の生き残りという孤独から解放されるのは、監督の彼に対する優しさなのでしょうかね。
ズーランダー
7
ベン・スティラーが男性モデル界を茶化しまくったコメディ。
いやはやベン・スティラーらしいバカ映画。監督・主演だから好き放題やってるねえ。仲良しオーウェン・ウィルソンやウィル・フェレル、それにデヴィッド・ボウイを筆頭にとても豪華なカメオ出演の人々。まるで仲間内で楽しむかのように撮ってるね。
展開はハチャメチャ。まあでもそんなことはどうでも良い感じでネタが次々に出てくるんだけど、波長の合う人は楽しい映画でしょう。俺はまあ楽しめたかな。ガソリンの引っかけ合いとか、「2001年宇宙の旅」のパロディとか、ラストの洗脳の切り替え方とか。ベタだけど俺は好き。
まあそんなに下ネタないし、気楽に楽しめる米国のコメディって事で良いんじゃないでしょうかね。
スカーフェイス

(1983年制作)
8
1932年のギャング映画「暗黒街の顔役」のブライアン・デ・パルマ監督によるリメイク。キューバ移民の主人公が裏社会で成り上がり、そして没落していく姿を描く。
何と言ってもアル・パチーノの演技に目を奪われてしまう。やたらとFワードを吐き、ギラギラした眼力を放つその姿。終盤の無力感にさいなまれる表情と、その対極に振れたキレ演技はスゴい。オリジナルから変更されたキューバ移民という設定は現代性を考慮した部分だけども、新興勢力という立場を時代背景から考えると上手いやり方だと思う。脚本がオリバー・ストーンだと思えば、この辺の題材を好んでいるのも納得。
3時間近い長尺の作品ながら内容は飽きさせない。むしろこの尺があるから新興ギャングの一代記として状況や経緯が過不足なく描かれていると思うし、妹関係の愛憎が生む悲劇の段取りも分かりやすくまとまっているよね。ただ、主人公にとどめを刺したあの暗殺者にはもう存在を仄めかす様な前振りが少しあっても…とも思った。風貌はかなりターミネーターなのでやたらと印象に残るがw
スカイキャプテン
ワールド・オブ・トゥモロー
9
レトロ感溢れる映像で描かれたSF冒険活劇。この監督は本当にクラシックなSF冒険モノが好きなんだとヒシヒシと伝わってくる。あらゆる所にちりばめられたオマージュが、楽しくて仕方がないわ。劇中の映画館で「オズの魔法使」が上映されているけど、他にも「キングコング」や「フラッシュ・ゴードン」的な雰囲気はいいねw ストーリーも、キャラクターも、映像も台詞回しも、30年代から40年代の雰囲気がプンプンするのに新しく感じてしまうのは、最近の映画が無くしてしまった感覚があるからなのかも。“お約束”や“ご都合主義”な表現は当たり前。ユルい内容もこういう作風だからOKw
スカイライン
-征服-

(2010年制作)
6
青白い光と共に、突如現れた多数の未確認飛行物体。それらは街からほとんどの住人を吸い上げてしまう。その最初の襲撃から逃れた数人の男女の行動を追ったSF映画。
製作費1億円ほどで制作された低予算SF映画なのだけど、VFXに関してはこの規模としてかなり頑張っていると思う。制作会社自体が他のSF映画などのCGカットを担当している会社なので、その辺の映像は自前のノウハウで何とかしてしまったのだろう。
ただ映像はそれとしても、内容は深いところが何もなく、単純にパニックになって逃げようとしたがダメで、立てこもったということだけ。「宇宙戦争」や「ID4」、「クローバーフィールド」に「第9地区」といった似たようなイメージが山ほど使われている割には、それらにに対するオマージュというわけでもなく、単に映像のデモンストレーションのためにストーリーが出来上がったように思えなくもない。
映画のオチ自体が、いろいろ投げっぱなしに見えてしまうのも微妙かなあ。「カッコイイだろ」と作り手が思っていることだけは透けて見えるけども。どう考えてもあの状況では事態は好転すまい。
スカイライン
-奪還-

(2017年制作)
7
前作から7年後に公開された続編。ロス市警の刑事マークは息子や途中で出会った市民と宇宙船に吸い込まれてしまうが…。
内容はB級だけどVFXもアクションも十分なクオリティで面白い。舞台についてもLAの街中や宇宙船や果てはラオスまで移動して、前作よりは変化が楽しめるのがいいかな。とはいえ決戦の地がラオスである必然性は感じられないのだけれど、まあそのへんは色んな資本の関係もあるんだろうからってことで、ご愛敬と思っております。無理矢理に考えればベトナム戦争を背景にエイリアンと米国を暗喩として結び付けるという高尚なテーマが…いや、考えすぎだなw
冒頭に登場する担架で運ばれた女性がいつの時点の話なのかってところがこの映画のちょっとした仕掛けになっているけど、それ以外は割と行き当たりばったりな印象。多分、それなりのサブキャラかと思ってた人がポンポン死んでいくところや、後半のラオス編への入りが唐突なのがその印象を強めているんだと思うんだけど。でもそういう勢いが許されてしまう部分もまた「B級だから」というハードルの低さによるものだとは思う。おそらく制作陣もその辺のラインを自覚していて、その範囲でのベストなクオリティまで話を持ち上げているんじゃないかなって感じた次第。そう思うのは、映画のストーリーが多少のご都合主義はあれども茶化すことなくシリアス路線を貫いているし、そして続編としての繋がりをちゃんと描いているからだね。誠実に作っているというのが伝わるので好感は持ちました。それでいてやはりB級だなと思うのは、余韻もへったくれもなくエンドクレジットでいきなりNG集を流してしまうセンス…w その辺を“自覚的”にやってるのが面白い。
スキャンダル

(2019年制作)
7
2016年、FOXニュースのCEOがセクハラで告発された実際の事件を基にした3人の女性の物語。
メーガン・ケリー、グレッチェン・カールソン、ケイラ・ポスピシルは3人ともCEOのロジャー・エイルズからセクハラを受けた人物だが、彼女たちはそれぞれ違った行動を選ぶ人物として描かれる。過去にセクハラされてきたか、今からされるのかという違いはあるのかもしれないけれど、それぞれキャリアを天秤にかけた上での告発・沈黙・受容という話の上での役割を負っているかな。ケイラ・ポスピシルだけは創作された人物で、現在進行形でセクハラに遭わせることでキャリアを人質にとるロジャー・エイルズの卑劣さを見せつける役目を負っているわけだ。他の2人は実在の人物だけれど、告発したカールソンは和解時の秘密保持条項で真相が語れないので、結局のところ深い部分については推測からの創作というところだろう。
キャリアを人質にとった男の卑劣な行為を断罪するというテーマはハッキリしているし、実際にあった告発だという重みもある。でもその一方で、一番の当事者が映画の内容について口出しできない以上、その心理に深く踏み込んでいくことも避けているように感じられ、事象から推測できることに落ち着いたことで悪く言えば話が表面的に見えてしまっている気もする。途中、セクハラを受けている女性の思考をダダ洩れで聴かせる演出があったけど、いっそのこと全編それでやってくれれば受ける印象も違った面白いものになったかもしれないけど、あれだとコメディ寄りになりすぎるのでこのテーマに合わないか…。そういえば冒頭で登場人物が観客に語り掛けるスタイルだったので「『マネー・ショート』みたいなことをするなあ」と思っていたら、脚本家が同じ人だった。
本作は第92回アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しているけど、個人的にはメーガン・ケリーを演じたシャーリーズ・セロンのメイキャップより、ロジャー・エイルズを演じたジョン・リスゴーの方に驚いてしまったな。まさかジョン・リスゴーだとはエンドロールまで気づかなかったので…w
スクービー・ドゥー
6
アニメの実写映画版というのは、少なからずオリジナル作品の知識も知っておいた方が良いと思うんだけど、俺は未見のままこの映画を観ました。まあ、どっからどう見てもノリはアメリカのカートゥーンです。実写のコメディとは思わず、あくまでカートゥーンなんだと思えば、ベタベタな展開やギャグなんかも素直に楽しめるかな。オリジナルはアメリカで20年以上も放送されてる人気アニメ。そういう下地があるせいか、設定についての説明的なことはあまり描かれない。その点は日本人にとっては敷居が高いかも…。でも、深いことは考えないで気楽に観られる映画ですわ。
スクール・オブ・ロック
8
まさにロック好きの為の映画。残念ながら俺はロックに造詣が深い訳ではないので、この作品の魅力を100%理解出来なかった。くやしい…。それでもラスト20分間は圧巻。震えながら観てたねw ストーリーはいたって単純。主人公は一見独り善がりで印象が悪いが、「それがバンドってもんだ」と生徒の作った曲を皆で練習する姿は観ていて気持ちよかった。いささかご都合主義的な面も見受けられるけど、そこは問題じゃない。「ロックが好きだぁ!」と言う人なら、さらに満足度+1点間違いなし!フル演奏は2曲だけだったけど、個人的にはもう少し曲を演奏して欲しかったかなあ。もう一言、ベースの子を紹介したってくれw
スクリーム

(1996年制作)
7
アメリカの田舎町で、高校生達を襲う謎の死神マスクの殺人鬼の襲撃を描いたホラー映画。
冒頭でドリュー・バリモアが殺される! 映画としてはここが一番衝撃的かもしれないw 後の展開はホラー映画としては怖いと感じるものではないのだけど、何がこの映画を面白くしているのかというと、過去のホラー映画やサスペンス映画からの引用がやたら多いとこですね。パロディではなく、引用。「13日〜」や「エルム街〜」からクイズを出したり、「セックスすると殺される」や「『すぐ戻る』と言った奴は死ぬ」などの(ハリウッド)ホラー映画のお約束を暴露(?)してからそう展開させたり。ある種のホラーというジャンルをメタ的に再構築した映画。何か出そうな音楽や、突然大きな音を出して脅かしたりというコケオドシが、しつこいくらいに使われるのも米国ホラーのお約束だよねえ。
殺人鬼が姿を見せるといまいち動きに精彩がなくなるのは半分コメディみたいな印象もしたんだけど、これは怖がるための映画ではなくて、ホラー好きがネタにニヤニヤしながら観る映画なのだと思う。制作陣はホラー映画が好きなんだなあということは、よくわかりますw
スクリーム2

(1997年制作)
7
前作の惨劇から生き残り大学へと進んだ主人公。そこへ再びハロウィン・マスクの殺人鬼が復活する。
続編は往々にして駄作?いや名作もあるぞ、「エイリアン2」「T2」…「ゴッドファーザー PART II」。なんてメタな会話が飛び出すのもこのシリーズのいいところ。でも1作目ほどホラーのお約束に対する言及は無かったのがちょっとさびしいかも?まあイチャイチャすると襲われるってのはしっかり入っていたけどねw
基本的にマスクの犯人は誰かという疑心暗鬼を、主人公と共に共有して正体を予想するのもこの映画の趣向の一つ。そういう部分では序盤から登場させつつも、上手く観客の視線をズラすように作られているので、俺としては主犯には気づけなかった。というか気づけるか?まあそれはそれ、ショッカー映画としてはちょっとインパクトは薄くなったけど、続編としてはそつなく纏めたかな。死んでほしくないキャラまで死んでしまったのは残念だけど、クライマックスの舞台装置を使った対決はそこそこ楽しめたので良し。メタネタとしては、「最後に甦りそう」〜「念のため」のくだりは笑わせてもらいました。お約束封じw
スクリーム3

(2000年制作)
6
三度現れたハロウィン・マスクの殺人鬼。主人公シドニーの周囲でまたも惨劇が繰り広げられる。
映画の中で映画を語るという、メタ的なネタが魅力のシリーズだが、舞台が映画撮影所であるという事と、プロデューサーと女優という若干の業界あるあるくらいで、何かネタ切れなんだろうなあと思ってしまった。前作で死んだランディが、まさかのビデオ出演を果たして語る「完結編」の注意点は悪くないが、まあ正直言って取ってつけた様な感じはするよね。1作目の頃の様な映画愛はもう感じられなかったな。P役のランス・ヘンリクセンはもう少しイジり様があったと思うのだけれど。
一応ホラー映画だが、個人的にはもう怖くもなかった。脅かし方も通り一遍だし、殺され方も特にグロいわけでもなかった気がする。終盤の防弾チョッキも警察署で一瞬映った時点でその後のオチの予想がついてしまったし…。一方で、コメディとしては2人のゲイルの扱いは割と面白かったかも、さらにキャリー・フィッシャーの登場には笑わせてもらいましたよw
さてハロウィン・マスクの正体は…。マスクを取った瞬間に俺は「どちらさん?」と思ってしまったのだけど、このインパクトの弱さもギャグの一環だったんだろうか?(苦笑) 撃たれまくっても刺されまくっても死なないこの犯人ですが、最後に「頭を打てよ」と観客みんな思うであろうことを実行した部分はスカッとした。が、やはり全体的には印象の薄い3部作の完結編となってしまいました。うーん、なんか勿体ないな。
頭上の敵機

(1949年制作)
8
第二次大戦下の欧州戦線、士気が低下し白昼爆撃で成果を上げられない米国第918航空群を立て直すべく、規律を重んじるサヴェージ准将が新たな航空指令として着任する。
戦争の大局的側面にはほんと触れず、一部隊の内情を描いただけの作品だけど、戦争を部隊運用というマクロな面と兵士の感情というミクロの側面から見事なバランスで描いていると思う。終盤までほとんど戦闘場面がないものの、描くべきテーマがしっかりしているのでドラマとして引き込まれた。一方で離着陸(いきなり胴体着陸は驚いた)や搭乗シーンは本物のB-17を使っているので説得力があるが、戦闘場面自体は記録映像なのでカットの繋ぎは映画用とはちょっと差があるかな。
主人公のサヴェージ准将(グレゴリー・ペック)の規律重視で士気を高めようとする方法は、部隊運用の面で一面的には正しいのかもしれないが、部下に対して優しくないのだから信頼を得るには時間がかかるのは仕方がない。そういう積み重ねがちゃんと描けているのが良いと思う。映画を観ていくうちに分かるのは、サヴェージ准将は理想が高すぎるがゆえに自分を律しすぎているということだ。だから負傷を隠し続けた部下や戦死した部下の報に触れ、人間として激しく動揺していたであろう気持ちもあるが、司令官として一方では抑え続けていたのだろう。それがあっての終盤のパニック発症だが、その「心は出撃している」の重みは戦闘描写のないクライマックスとしてズシンときた。主演のグレゴリー・ペックのそういった表面と内面の演技が素晴らしいね。
部下と親密で危険な作戦には上に異を唱えすらした前司令のダヴェンポート大佐と、軍人として規律を重んじた現司令のサヴェージ准将との対比。人としてどうすべきなのか、組織をまとめ上げるためには一体何が必要なのか、そういった事を考えさせられる組織論の映画として見応えがあったな。
スター・ウォーズ
エピソード4
新たなる希望
10
言わずと知れたSF映画の伝説的名作。
四半世紀以上も前の作品だけど、普遍的な面白さがあって、今観てもそれは色褪せていない。ある青年が巻き込まれ、姫を救い、悪を倒すといったストーリーはある意味ベタだとも言える。でも“フォース”という要素がこのSFの王道を“神話”にしているんだろう。終盤にルークがオビ=ワンの声を聞くところなんかは、観ていて震えが来るw
C-3POとR2-D2のコンビと、ハン・ソロとチューバッカのコンビは楽しい。この二組に共通するのは相棒が人語を喋らないところ。そして切っても切れない友情で結ばれてる。なんか、そこに“意思疎通とは言葉ではない”という意志がこめられているようにも思う。“フォース”にもそういった感覚があるし。
表面的には娯楽としての面白さが十分にありながら、底辺にしっかりとしたテーマや物語が埋め込まれているからこそ、ここまで神格化された映画になったんだろうね。
スター・ウォーズ
エピソード5
帝国の逆襲
10
「スター・ウォーズ」の続編、劇場第2弾。
前作が昔ながらのSF冒険譚として完成された作品だとすれば、今作はシリーズ中で最もスピリチュアルな作品と言える。そして“フォース”や“父親”といった要素がこのシリーズをより奥深い作品にし、それが“現代の神話”と呼ばれる所以になっていると思う。
しかしヨーダの存在感は凄い。どう観てもパペットではなく彼はそこで生きている。俺はXウイングを浮かべるくだりにはいつも感動してしまいますw
ダース・ベイダーは今作ではさらに“悪の権化”として動く。ミスした責任者を次々と殺し、恐怖による統括を行う司令官。この“絶対悪”ぶりが彼の魅力なわけだけど、その彼の行状を観ているだけに、終盤に明かされるルークとの関係はまさに衝撃そのものだった。悪の権化が英雄の父親。ルークにとっては“父の仇と思っていた男”が父であり、そのショックは俺には計り知れない。
序盤の戦い、中盤のヨーダ、終盤のダース・ベイダーの真実という流れによって、本作は一つシリーズ中で最も魅力ある作品になっていると思う。
スター・ウォーズ
エピソード6
ジェダイの復讐
9
「スター・ウォーズ」のシリーズ、劇場第3弾。
前作で明かされた衝撃の真実が、いったいどのように決着するのだろうと、否応なしに盛り上がる。ただ今作では、ぬいぐるみのようなイウォーク族が出たり、多少SFと言うよりもファンタジー色が濃くなったような気が。いや、SFの真っ直中にファンタジーが現れたような感じ。終盤に石斧や槍で帝国軍と互角に戦う彼らを観ると、なおさらw
しかし本線のルークとベイダーの物語はしっかりしていると思う。父性との対決と和解は普遍的なテーマであるし、ベイダーの最後の闘いに俺は正直感動してしまうしね。
個人的な不満は、エンディングが少々牧歌的過ぎやしないかなというところ。1作目のようなエンディングであれば、また違ったカタルシスもあったかもしれない。まあ今となっては、このエンディングこそが「スター・ウォーズ」のエンディングとして誰もが(自分も含めて)認めるものだけれど。
スター・ウォーズ
エピソード1
ファントム・メナス
7
エピソード6以来16年ぶりの新作。
今作から始まる新三部作は、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーへとなる過程を描いている。しかし本作は序章ということもあるせいか、全体的に何か間延びしていて内容はちょっと薄い気がした。今までの哲学的な物があまり感じられなかったのも残念かも。(ヨーダの言っていることを微妙に旧作と変化をつけてあるけども、それは今後に関係あるかもしれない)
VFXは凄いので、ポッド・レースは迫力があるけど、個人的には2周もいらなかったな…。ジャー・ジャー・ビンクスもそこにいるかのような合成は凄いけど、一人で騒ぎすぎなのが少しうっとうしいw 「これはキャラとして損をしてるよなあ…」と思ってしまったもの。案の定ファンの間でも嫌われているらしいが。
対してダース・モールは魅力のある悪役だった。結局はやられてしまうものの、シス(暗黒卿)という暗黒面のフォースと使うベイダーに匹敵する魅力があった。ダース・モールは、まず中盤でのクワイ=ガン戦ではライトセイバーを普通に使い、終盤で初めて柄の両端からセイバーの刃の部分を出す。これがニクイよねw 両端から出す際も片方ずつ出している。これっていうのは、“ライトセイバーは剣状の形態である”というイメージを持つ者にとって、最高に興奮する。「こんなライトセイバーがあるのか!」という驚き。惜しいことに、そのシーンは予告編などで散々先に出ていたせいで、観客としての驚きは半減してしまったんだけど、本来であれば凄くサプライズなシーンというわけだ。
スター・ウォーズ
エピソード2
クローンの攻撃
8
新3部作第2弾。
エピソード1は本当に序章だったw 今までの4作に繋がる要素が随所に見受けられ、それだけでも否応なしに盛り上がってくる。例えばクローン・トルーパーの出自と容姿。エピソード4を彷彿とさせるラーズ家。そして分離主義者が持つ最終兵器の設計図。
観客からすれば新三部作の結末は分かっているわけで、そこに至る経緯を観に行っていることになる。何故アナキンはベイダーになったのか? 何故共和国は皇帝の支配する帝国へと変貌したのか。ジェダイ騎士団はどのように滅んだのか…。その全ての入り口が今作で描かれていて、やはり旧作からの観ている人間にとってはたまらないw ストーリーの流れとしてはアナキンとパドメのラブストーリーということになるんだろうけど、個人的には今作は他シリーズへのリンクが非常に面白いと思う。
しかしラストのジオノーシスの戦いは圧巻だった。ジェダイ達の集団戦闘。クローン・トルーパーとジェダイの共闘。二刀流ライトセイバー。そしてヨーダの戦闘。ヨーダは度肝を抜かれたw あんなに素早く動けるなんて夢にも思わないもんねえ。そして名コンビ復活のC−3POには笑わせてもらいました。「死ねぇ!ジェダイ!」はないだろうw
スター・ウォーズ
エピソード3
シスの復讐
10
「スター・ウォーズ」全6作の完結編。28年前に公開された「エピソード4」へ繋がる話のため、観客にとっては大方の結末は分かっている。でも、これが「スター・ウォーズ」の最後のピース。アナキンが何故暗黒面に囚われ、どうして共和国は帝国へと変貌したのかが描かれる、ある意味最も重要なピース。
俺はアナキンの気持ちが良く分かった。以前母を失う予知夢が現実になり、その上パドメを同様に失いたくない。喪失への恐れから、ある意味純粋すぎたアナキンは暗黒面へと堕ちてしまった。ヨーダが「ファントム・メナス」で言っていた「恐怖は怒り、怒りは憎しみ、憎しみは苦痛へ繋がる。」そのものの展開へ…。場面場面で流れるアナキンの涙は、アナキンに残された善の表れなんだろうけども、今作のアナキンは悲劇的で本当に悲しかった。パルパティーン逮捕時のジェダイ騎士としての立場とパドメを救いたいという想いの葛藤、ムスタファーでのもう何も信じられなくなったアナキンの姿、オビ=ワンの「弟のように愛していたのに!」という台詞と火だるまアナキンの恨みの言葉、もう物悲しいったらありゃしない…。
ドラマ以外で言うと、導入部は実に興奮した。グリーバスの船へ突入するまでのスピード感は今までで最高の導入かも。中盤のオビ=ワンvsグリーバスは、オビ=ワンがブラスターでグリーバスを倒すという何とも皮肉な結末だけど、あんな無茶な4刀流に正面から立ち向かうオビ=ワンはやっぱり強いわw 他のジェダイの方々が、実力を発揮する前にほぼ不意打ち状態で次々と殺されたのは…何ともはや。チューバッカはファンサービスに近い扱いだったけど、ヨーダと知り合いだったっていうのは面白いねw
ラストカットの沈む夕陽を見て、一つの歴史が終わったことの喪失感と「新たなる希望」へ続いていく何とも言い難い感動を味わった。俺にとってこのシリーズはやはり別格。ファンとしての色眼鏡が多分にあったとしても、満足度は間違いなく10。こんな6部作はもう二度と無い。
スター・ウォーズ
フォースの覚醒

(2015年制作)
9
ディズニー傘下となったルーカスフィルムによる新3部作第1弾にして、エピソード7。
「スター・ウォーズ」は誰のものか。ジョージ・ルーカスの映画だろう。が、J.J.エイブラムス監督は、ルーカスが直接関わらない中で、最大限のリスペクトをもってファンが観たかった新作を撮ってしまった。旧3部作のキャストやスタッフを集め、新3部作の主人公との橋渡しをしつつ、新旧ファンが納得する娯楽大作を作る。こんなことが本当にできるんだ…と、鑑賞後にそれを目撃できたことにただただ感謝。J.J.エイブラムス、楽しい時間をありがとう!
重要な情報を持つドロイド、逃げた先が砂漠の星、敵基地への潜入、星を破壊する兵器…と、ストーリーラインはエピソード4をかなり意識した作りになっていて、ある意味で二番煎じかもしれない。しかし旧3部作から32年という月日が、同窓会的な感覚…そのノスタルジックさがとてもいいエッセンスになっていると思う。30年後のハン・ソロが懐かしさをかみしめながらファルコン号に居る。その姿、その感慨をキャラと観客が共有する瞬間。その体験の一体性がこの映画の最大の感動点だと思う。
では旧3部作に思い入れが無ければ楽しめないのかというと…そうでもない。もちろん知っていればベストだろうが、新しい主人公レイとフィンの目線から過去の伝説を追っていけばいい仕掛けだ。フィンは少し頼りないが勇気が良いし応援したくなる。レイは良いヒロイン像だが…その“フォースの覚醒”と断片的に提示される出自の話から色々と想像が膨らむね。そして明らかにダース・ベイダーとルークの裏返しのようなハン・ソロとカイロ・レンの関係性。カイロ・レンは簡単に激昂したり、ダースベイダーに憧れていたり、特徴的なライトセーバーを持っていたりと中二病的で気になるキャラですなあ。部屋の中で暴れるカイロ・レンに気づいて引き返すトルーパーには笑ったw メインはその3人だけど、準主役だが最高のパイロットとしてストイックに描かれるポー・ダメロンはとてもカッコイイ。
ハン・ソロは本作で死ぬ。新旧交代という意味もあろうが、エピソード6で死ぬという案が流れたところを、あえてここで使ったともいえるか。ハリソン・フォードにとっては本懐かもね?ハンとレイアの別れのシーンはとても良かったと思う。ただ、レイアがあそこで「息子を連れて帰って…」と言わなければハン・ソロはどうしたのだろうかとも…少し考えた。
スター・ウォーズ
最後のジェダイ

(2017年制作)
9
エピソード8。ついにルーク・スカイウォーカーと出会ったレイ。一方レジスタンスはファースト・オーダーの猛攻により基地からの撤退を余儀なくされるが…。
一見して、かなり詰め込んだなあ…という印象。3部作の真ん中の作品という事で、基本的には次回作へ引っ張るための話でもあるが、主人公がフォースの知識を深めていくという「帝国の逆襲」っぽさを残しつつ、同じ展開でただ作り直すのではなく、その先を描こうとしているところに好感を覚えた。(一気にスノークまで倒す展開になるとは思わなかったが。)レイの素質は血統ではないし、ジェダイの神格化を否定しつつフォースの持つ本来の意味を描いてもいる。ルークのもとに現れたヨーダとの会話は胸が熱くなったなあ。「失敗は最高の師じゃ」と、ルークを諭すヨーダ。結果的には事態を悪化させただけのポーとフィンの行動も、この映画が「失敗を乗り越える」というテーマとしては必要な状況だったのだろう。独断専行が過ぎて降格となったポーが、終盤にはリーダーとしての判断力を付けていく話でもあるわけだし。
そういう意味ではまとまっている作品だとは思うが、でも正直言うと、前半のフィンとローズのカジノ潜入作戦はちょっと取って付けたような展開で気にはなった。戦争で儲けるやつがいるという風刺はありだけど、レイのレッスンシーンだけでは暗くなっちゃうから盛り上げるために入れたんじゃないの?とは勘繰ってしまう…。でもまあ全体的にはシリアスとユーモアのバランスも良かったかな。それにしてもハックス将軍のいじられ具合がなんとも…彼はすっかり威厳がなくなってしまいましたなあw
さて、それはそれとしてやはり本作はルークですよ。先にも書いたけど、ヨーダとの会話は本当に震えた。そしてカイロ・レンとの対決…。まさか思念体でくるとはホントにやられた。AT-ATやAT-M6の攻撃が効いていないというのが派手な前振りだったとはなあ。ルークはカイロ・レンを倒そうとは思っていない、倒されようという事でもない。憎しみでは倒せないという事をかつての弟子に教えたかったのだろう。最期にそれをやり遂げ、夕日を眺めながら消えたルークの姿に再び胸が熱くなったのでした。
スター・ウォーズ
スカイウォーカーの夜明け

(2019年制作)
8
エピソード9。エピソード7から始まったレイとカイロ・レンの運命がついに決着する。
おそらく40年前にジョージ・ルーカスが思い描いた9部作の結末ではないと思う。でも(経緯はどうあれ)志を継いだクリエイターたちが、今や神格化されたに等しい「スター・ウォーズ」というコンテンツの難しい幕引きを成し遂げ、物語を完結させたことには敬意を表する。ただ、物心ついた時からのファンの自分としては、観終わった時に「見たいものを観た」という気持ちと「見たいものだったのだろうか」という気持ちが6:4くらいでせめぎ合ったのも事実。
前者でいえば、(異常に)テンポの速い展開や、物量とスピード感にモノを言わせた迫力のある宇宙戦闘は大いに楽しんだ。それに本作の最後にベンが失いたくない者を生き返らせるという展開についても、「大事な人を死なせたくない」というアナキンの想いから始まった物語がここに結実したようにも感じられ、9部作の纏まりとしてはとても心にグッとくるものがあった。パルパティーンの復活には少々強引さも感じたものの、“敵”としての大物感では右に出るものはいないし、これはこれでアリだろう。
一方で、本作は(文句を言われないために)「ファンの観たいもの」を見せようという意思が透けて見え、前作でライアン・ジョンソン監督が作家としての意思を貫き通したことで否定的な意見が大勢を占めてしまった事からの“反動の産物”と言っても良いように感じる。結果、誰もが想像する大団円に向かって風呂敷を畳んでいく様な、悪く言えば当たり障りのないファンムービーになってしまったのではないか。チューバッカが死んだだのC-3PO記憶をなくしただのと思わせるような展開もあるが、もちろん瞬間的には感情的にさせはするものの、作中ですぐになかったことになるのであればむしろその展開(設定)自体は無くてもよかった。
確かにファンとして観たいものは詰まっていたし、鑑賞後に9部作の完結を見届けたという満足感もあった。だけど結果として、シリーズのベクトルを変えようという野心のあった前作の流れをその続編で自ら否定してしまったことは、シリーズとしてレイ3部作の「迷走」を裏付けてしまうものになってしまい…少し寂しい。
スター・ウォーズ
クローン・ウォーズ
7
エピソード2とエピソード3の間に繰り広げられた“クローン戦争”を描いた3DCGアニメ作品。
取って付けた話であることは分かっているものの、「2と3の間に何があったかを描いて欲しい」というファンの想いからすると嬉しい作品。ただし基本的にこの映画は続編をTVシリーズとして放送することが前提で創られた第1話なので、映画1本の出来で考えると登場人物の成長が薄く物足りない。内容も薄い。序盤から戦闘に次ぐ戦闘で非常にテンポ良く話は展開するんだけど、7割はアクションシーンだった気もするw 実写と違った作り物っぽい動きながら迫力はあるんだけど、その派手さだけが見物…?
登場人物は2003年に制作された2Dアニメ版の登場人物も説明無しで出てくるので、そっちを観ているのも前提かな。そう思うと、やはりファンのためのイベントムービーという枠からは出ない。
ただ、元々今作の監督であるデイブ・フィロニー自身が「スター・ウォーズ」のファンだったということもあって、“ファンが観たいと思うような格好いいシーン”というのはよく分かっているように感じた。きっと監督自身が観たいと思うものを作ったんだろうね。
スターシップ・トゥルーパーズ
7
音楽も格好いいし、昆虫型エイリアンとの戦いも派手で格好いい。でも終盤までは面白かったのに、エンディングでガッカリ…。敵の頭脳を捕まえて終わり。・・・終わり?その後、攻勢に出るんちゃうんかい!w
バーホーベン監督の映画はクセがあるから、これもそういうことなんでしょうが…。過剰な期待はいけないのかな?
プロパガンダ・ニュースが所々に挿入されていて面白いんだけど、一部描写の自主規制ぷりがまた面白いねえ。
ところで、主人公達の青春ドラマは安っぽすぎやしませんか?「おまえら、それで良いのかよ!」とも突っ込みたくなる場面あり。
スターシップ・トゥルーパーズ2
6
前作から7年。VFXの第一人者、フィル・ティペットがメガホンを取ったSFアクションの続編。
SFアクションと紹介してしまいましたが、アクションじゃないですね。むしろホラー映画? 関係者によると制作費が前作の5%だとかで、画の端々から予算の無さを補おうという必死っぷりがにじみ出していましたw
ストーリーは先が読めるという点ではそんなに緊張感はなかったけど、意外にまとまっていて良かったと思う。いわゆるB級映画と思ってみれば良いレベルでしょう。しかし後半はどんどんホラーチックになっていくねえw でも全然怖くないしw
スターシップ・トゥルーパーズ3
6
「2」から5年後に製作された続編。
相変わらず制作費が少ないようで、安っぽいセットに安っぽいVFXがまるでテレビ映画のようで哀しい。原題ではタイトルにもなっているのに強化服“マローダー”がやけにチープなんだよなw
ストーリーは1作目のノリを取り戻そうと頑張っているのは分かるけど、頑張れば頑張るほど捻りのない出来の悪さを露呈していくようで、なんとも。「宗教」というテーマを無理から組み込んだ感じもあるし、変に深みを出そうとして空回りしているだけって感じか。ただそういう安っぽい部分を隠そうともしない展開の開き直りっぷりは、潔いとは思える。“歌う司令官”という設定も面白いとは思った。
個人的にはそういうB級なノリの展開をツッコミながら観れたので、これはこれで失笑しながらも楽しめたんだけど、最初からB級映画を観るつもりで観始めないと呆然としてしまうだけの作品かもしれないねw
スターシップ・トゥルーパーズ
インベイジョン

(2012年制作)
7
実写版「3」の4年後に製作されたCGアニメーション作品。バグの襲撃によって壊滅した基地へ救出に向かった起動歩兵部隊だったが…。
続編が作られるごとに低予算化が目に付いた実写版に比べると、よっぽど本作の方が起動歩兵のアクションやバグとの死闘に迫力があるので、このCGアニメ化は正解だったのかもしれない。なんだか「エイリアン2」っぽい雰囲気で、どこかで観たようなシチュエーションが多いのも事実だけど、まあ荒牧伸志監督はそういうイメージの本歌取みたいなことをするのが常なので、むしろこういうジャンル物の実写映画をCGアニメ化するというのは向いているかも。
正直なところ、兵隊同士の関係性やフラグ通りに死んでいく展開の浅薄さはあると思う。でも逃げ場のない宇宙船内での戦闘というシチュエーションはベタなりに楽しめるのも事実。キャラ同士の軽口も悪くないし、90分弱でテンポよくまとめているのも良いね。リコやカルメン、カールといった実写版1作目のキャラクターたちもメインキャラとして登場しているのでシリーズの地続き感もあるが、あまり実写版の役者に似せようという気はない様子ですな。無駄に女の裸が出てくるあたりはヴァーホーヴェンへのオマージュなのかなあ…などと思ったりしたw
スターシップ・トゥルーパーズ
レッドプラネット

(2017年制作)
6
前作「インベイジョン」から5年後に製作されたシリーズ5作目のCGアニメーション。火星で落ちこぼれの新兵を訓練しているリコだったが、火星にバグが出現し…。
地球連邦のプロパガンダ・ニュースのノリは完全に実写版1作目のオマージュだろうけど、本作ではリコ、カルメン、カールの他にディジーも登場し、いよいよ1作目への目配せが強くなる。(相変わらず実写版の俳優に似せようという気はないらしい。) それ自体は悪くないんだけど、全体的には前作のテンポよさに比べるとちょっと物足りない感じ。新兵のキャラもちょっとうざい部分も気になって(主にババ)…、ババは多分コメディリリーフ的な役回りのキャラのつもりなんだけど、俺にはあまりピンとこなかったかな。軽口などのセリフのセンスも前作の方が良いと思う。
少人数の局地戦ではあるけど今度の舞台は火星の荒野なので、ワラワラと群がってくるバグの大群が前作にはない規模感で上手く差別化されてますな。この手の描写にしてもCGアニメの得手を上手く生かしていると思うし、ちょっと話の大味さが気になる感じではあったけど、映像重視で下手に低予算で実写化するよりいいのは確かなんだろうね。
スター・トレック

(1979年制作)
8
米国TVドラマ「宇宙大作戦」の終了10年後に制作された劇場版にしてシリーズ第1作。
地球に接近する未知の存在“ヴィジャー”にたいして接触を試みるという展開が、いかにも「スター・トレック」らしい話。監督が巨匠ロバート・ワイズというのには驚かされるけど、少々展開がモッサリしている感じはする。特にエンタープライズやヴィジャーの外観の描き方がしつこく、壮大さと間延びは紙一重だなあなんてことも感じた。まあ前者については10年待たせたファンへのサービスだとは思うけどね。
“ヴィジャー”の目的は何か?というのがこの映画のキモだけど、ラストに明かされる真相にはビックリした。と同時に感動してしまった…。科学的にはかなりトンデモだけど、70〜80年代のNASAの宇宙探査史を知っていると感慨深いモノがあります。実際には2号までしか打ち上げられてないんだけど、架空の6号だからこそ、まあアリかな。序盤からはまさかそんな話になるとは想像も出来ないが、「自分とは何なのかを知るために創造主を求める」という哲学じみた壮大な話になるってのも、また実に「スター・トレック」らしいね。
スター・トレック2
カーンの逆襲

(1982年制作)
8
「宇宙大作戦」の劇場版第2作。かつてTVシリーズ中にカーク達が対峙した敵役カーンが、カークへの復讐を胸に乗っ取った宇宙船リライアントでエンタープライズに迫る。
予算が下げられたのか、前作よりも全体的にこぢんまりとした印象で、その肩の力の抜けた感じは良い意味でTVシリーズの時の雰囲気が感じられる。本作の敵役にカーンを配したところも、TVシリーズからの連続性が感じられる。
俺はTVでカーンの登場した回は観ていたものの、ずいぶん前の話だったのでどんな話だったかすっかり忘れていた。でも劇中で簡単な説明があり、その辺は観ながら思いだせたけどね。とはいえ全くそのあたりの話を知らない人にはちょっと不親切な構成ではある。それに、アクションシーンはあるものの、やはり本作もストーリーの中心はカークとスポックなどの関係のように人間ドラマにあり、シリーズのファンのためのストーリーであるのは間違いない。だからこそファンにとってはスポックの自己犠牲とカークとの別れのシーンに感動を禁じ得ないわけで…。
しかしスポックを殺してしまう脚本を書く勇気は凄いが…。最初っから続編で生き返らせるつもりだったのかなあ?
スター・トレック3
ミスター・スポックを探せ!

(1984年制作)
7
「宇宙大作戦」の劇場版第3作。前作で死んだスポックが生きていた! しかし復活した肉体にはマッコイが預かっていた彼の魂を戻さなくてはいけない。
スポックの復活には無理矢理感がするものの、バルカン人ならではの精神世界や神秘主義がその方法に強引な説得力を与えている。まあ、個人的にはすんなり受け入れてしまった。
スポックのために軍規を犯すわ、息子を殺されるはと、今作では散々なカーク。それだけスポックとの友情の厚さがあるのだけども、軍の命令を提督が無視して独断専行するなんて、そんなのが許される軍隊というのはどうなんだろうなあ?w
今作でついにクリンゴンとのバトルが繰り広げられることになるわけだけど、クリンゴン側のボスがクリストファー・ロイド!あれだけメイクしているのに彼の眼力ですぐに彼と分かってしまうのはご愛敬。
シリーズ的にいえば今作は“ジェネシス計画”を引きずっているので、あくまで前作とセットでの物語となる。単独で考えればクリンゴンとの争いはあるものの、全体的には地味だしそんなに深みもないしTV版の様な小粒な印象が強いかな。まあ、肩肘張らない感じは悪くないんだけども。
スター・トレック4
故郷への長い道

(1986年制作)
8
「宇宙大作戦」の劇場版第4作。ザトウクジラの安否を確認に来た謎の探査船が地球のエネルギーを無効化してしまった。クジラは21世紀に絶滅してしまっているため、カーク達はクジラを連れてくるために20世紀末の地球に飛ぶ。
20世紀にタイムスリップした21世紀人たちの文化的ギャップが面白く、哲学や緊迫した話だけではない「宇宙大作戦」のコミカルな一面が小気味良い。もちろん“ある種を絶滅に追いやる”という人間の愚かしさを訴えている面もあるわけだけど、その点で言うと日本人である俺には“捕鯨は悪”といった論調は若干引っかかりもする。まあ乱獲はダメだと思うけどね。
監督としては2作目のレナード・ニモイ。スポック役でシリーズを最も理解している内の一人だけあって、登場人物達を面白く活躍させる見せ方は上手かった。チェコフなんて警官に原子力空母の停泊地を聞くが無視され、さらに空母内で発見されスパイ扱いされるという気の毒な展開w まあ冷戦下の時代にロシア人のチェコフを米空母に潜入させるなんてカークの人事がヒドいw
最後は前作での軍規違反で降格させられ、提督から再び大佐(艦長)に戻ったカーク。でもこれはただの降格じゃなくて“粋な計らい”ってヤツなんだよなあ。イイね! エンタープライズはほとんど出てこなかったけど、面白かったですわ。
スター・トレック5
新たなる未知へ

(1989年制作)
5
「宇宙大作戦」の劇場版第5作。中立惑星で領事三人が人質になると言うテロ事件が発生。カーク率いるエンタープライズが急行するが、その首謀者に艦を乗っ取られてしまう。
監督は前二作のレナード・ニモイから交代し、カーク役のウィリアム・シャトナーに。ところがこれが良くなかったのか、映画作品としてはどうもテンポが悪く、内容も散漫な印象を残すものとなってしまった。ストーリーとしては敵役であるバルカン人・サイボックの「“神”のいる星“シャカリー”へ行く」というのがメインだけど、目的自体が漠然とした印象。そのサイボックが使う深層心理の苦悩を利用した洗脳は興味深いけどやっぱりよく分からなかった(マッコイのシーンだけは分かりやすかったけど)。度々挿入されるエンタープライズを追うクリンゴン艦の場面も説明的で、ラストへの伏線としたってヒネりが足りない気がするなあ。
ジョークというかギャグシーンも空回り気味で、前作で見られた様なエスプリの効いた笑いもなく、どうも安っぽくなってしまったのも残念。ウフーラのダンスには失笑ですよ…w
ファンとして贔屓目に見てもちょっとキビシイ感じで残念。いつでも3人一緒のカーク、スポック、マッコイの友情だけは良いと思いますが。
スター・トレック6
未知の世界

(1991年制作)
9
「宇宙大作戦」の劇場版第6作。ついにクリンゴンとの和平の機会を得た連邦。しかし和平交渉に現れたクリンゴン艦を出迎えたエンタープライズから、誰も意図していない魚雷がクリンゴン艦へ発射されてしまう…。
誰が魚雷を撃ったのか。クリンゴンの宰相を暗殺したのは誰か。そういった少々の謎解きが加味され、サスペンス仕立てで展開されていくのが面白い。序盤の宿敵クリンゴンとカークのギクシャクした緊張感もなかなか良く、過去作への言及も多々あるのでシリーズのファンなら結構楽しめます。
話の目的自体が“戦争の回避”、そしてシェークスピアを引用した“未知の世界(未来)”への希望といったテーマが「スター・トレック」らしくて好印象。流刑惑星からの脱出についてはご都合的な展開(「宇宙大作戦」らしさとは言える)があるものの、前作のような漠然としたショボさもなく、ギャグシーンもさじ加減をわきまえているので、オリジナル・クルーの締めくくり作品としては本当に有終の美を飾れていると思うね。
それにしても出演者はみんな歳を取った。それを無理なくみんなでエンタープライズに乗せて宇宙航海をさせる話となると、やはり本作の様な展開以外にはもう無いだろうかな。ミスター・カトーは別の宇宙船の船長にまで出世してるしねえ。それにしても最大戦速で駆けつけるカトーは格好良かったw
スター・トレック
ジェネレーションズ

(1994年制作)
7
「新スター・トレック」の劇場版第1作。ロミュランに襲われた基地の生き残り、Dr.ソランを救出したエンタープライズ号。ピカード艦長は襲撃目的の調査をクルーに命じるが、ソランはクリンゴンと共謀してある計画を進めていた。
ドラマでは新シリーズに出演することの無かったカーク船長が冒頭と終盤に登場。ピカード艦長とカーク船長のツーショットは、シリーズの橋渡し的で感じでなかなか感慨深いものがあるけど、ストーリーは何か物足りなさが残る。時間のつながりを除けば妙にこぢんまりとした舞台の出来事で、敵の目的と行動とギミックの釣り合いも微妙なんだよね。
“ネクサス”という本作の根幹に関わる設定が曖昧なのも欠点の一つだけど、ピカードの人生・家族観や、データの感情にまつわるネタを入れたために色々とどっちつかずになったのかもしれない。
D型エンタープライズとクリンゴン戦艦とのバトルなどに見所もあったし、スター・トレックらしい展開もあったんだけど、全体的にテレビドラマのままの雰囲気から脱しきれなかった演出がもったいないかな。
スター・トレック
ファースト・コンタクト

(1996年制作)
8
「新スター・トレック」の劇場版第2作。最強の敵ボーグが地球に侵攻する。連邦はピカードの指揮でボーグ・キューブの破壊に成功するが、脱出したボーグが過去の地球にタイムスリップしたことを感知したエンタープライズはその後を追う。
色々な設定についてほぼ説明無く話が進むので、映画の構造としては完全にファン向けの内容。ボーグの設定であるとか、ピカードの過去とかは「知っていて当たり前」のように展開する。そういう意味では敷居の高い作品だけど、ファンであれば十二分に楽しめる作品になってるね。あと、予備知識で「白鯨」は必須。
ボーグに侵略されつつあるエンタープライズと、人類初のワープ航行の話との宇宙と地上2カ所の話が上手く併走できていると思うし、全体的にTVシリーズ時の「スター・トレックらしさ」を上手く生かして映画化できていると思う。監督がライカー役のジョナサン・フレイクスということで、彼がシリーズを熟知しているのが功を奏しているのかも。
ストーリー上のデータの扱い方も上手かったし、終盤はサスペンスのキーにもなっていて楽しめました。ちらっと登場するホログラム・ドクターも可笑しくて好きw
スター・トレック
叛乱

(1998年制作)
6
「新スター・トレック」の劇場版第3作。ある惑星の調査団に同行していたデータ少佐が突如暴走。その報を受けたピカードはエンタープライズで急行する。
話のスケールが妙に小さいが、正直、それが劇場版としての期待値に達しておらず、どうにも物足りなさが残る。ある惑星の危機を救うため、「艦隊の誓い」という倫理に従って納得できない命令を出す提督に叛乱する。…という筋だけど、「新スター・トレック」らしい話だというのが救いとはいえ、TVシリーズのそれとあまり代わり映えしない雰囲気というのはちょっと…。「これならTVスペシャルで良いじゃないか」とすら思ってしまったなあ。というか映画でそう思わせちゃダメだと思うんだけどね。
各キャラのエピソードでは、ラ=フォージの朝日のエピソードはちょっと良いと思った。でもピカードのロマンスは個人的にはあんまり要らないかな。それに、ジョナサン・フレイクスは監督なのを良いことに、自身が演じるライカーとトロイの寄りを戻してイチャつかせたり、どうも濫用が過ぎるのではないか、とw
あと、あんまり関係ないけど、敵対するソーナ人のシワ伸ばしって「未来世紀ブラジル」の美容整形と被りすぎてないかい?オマージュ…なのか?
スター・トレック
ネメシス

(2002年制作)
7
「新スター・トレック」の劇場版第4作。ロミュランに政変が起こり、シンゾンと名乗る長官からエンタープライズへ面会要請がくるが、そのシンゾンの正体はピカード艦長のクローンだった。
"The Next Generation"シリーズ、いわゆる「新スタートレック」は本作で最終話です。前作の「叛乱」よりも面白いとは思うけど…やっぱり映画と言うよりもTVのスペシャル版といった感覚が離れない。それでもTV版であればテンポ良く進む話も、どうも映画になると間延びしている感じ。緊張感もやや薄いかなあ。
今作の敵であるシンゾンは、ピカードのクローンという設定もあって“自己との対決”という「新スター・トレック」の最後を飾るには良いテーマだと思う。でもその肝心のシンゾンのキャラが弱い。ピカードを演じるシェ−クスピア役者のパトリック・スチュワートを向こうにまわすには、シンゾン役のトム・ハーディでは荷が重かったのではないか…?
話の展開で言うとデータ少佐の最期はかなりの衝撃でした。まさか死なせてしまうとはねえ。人間に近づくことを願ってやまなかったデータは、最期に“自己犠牲”という人間性を発揮したということなのか。でもロボット三原則的に言えば人間を守るのは当たり前だったりもするのだが。
今作はジェイウェイやガイナンといったシリーズならではのキャラもチラッと登場して嬉しいし、ロミュランとの和平ムードもにじませつつ、ファンとしてはそれなりに観れました。ところで敵であるシンゾンの副長官の姿が黄金バットに見えて仕方なかった…。あの杖とマントという格好はイカンよなあw
スター・トレック

(2009年制作)
9
劇場版「スター・トレック」の11作目。今作ではカーク達“TOS”クルーの若き日の姿を描いた作品。
エンターテイメントを理解しているJ・J・エイブラムスらしい迫力とスピード感溢れるSF映画になっていて、とても面白かった。まあいささかアクション要素に偏っている様は気がしなくもないが、コアなファンだけをターゲットにせず、この作品から見ても楽しめる様にするためかな。
若干引っかかる展開はあるものの、全体にテンポが良く旧作ファンへのサービスも良い。マッコイが姿を現すより先に「私は医者だ」と台詞が聞こえてくるシーンにはニヤリとしますw それにしても個人的にはオープニングシークエンスだけですぐに感動させられてしまった…。タイトルが出ることにはすっかり話に入り込んでたね。それに何と言ってもオリジナル・スポックの登場。これで旧作からの連続性を持ちつつ、今作からの新たな展開を可能にしたわけだけど、上手いよ。
ファンとしてはマッコイ、スールー(カトー)、ウフーラ(ウラ)、スコット(チャーリー)、チェコフといったメンバーそれぞれのちょっとした見せ場が嬉しい。スコットに関しては登場が唐突で、しかもオリジナル・スポックが顔見知りの様(実際、未来ではそうだが)に話すので、ここはファン以外には分かりにくいところかも?
しかしカークとスポックを中心としてクルーが揃っていく姿を見るのは、やはり「スター・トレック」なんだと再確認できて嬉しくなる。続編に期待の持てるリブートになった。
スター・トレック
イントゥ・ダークネス

(2013年制作)
9
劇場版「スター・トレック」の12作目。元艦隊士官ジョン・ハリソンによる連邦施設の爆破テロが発生。カークはハリソン抹殺の命を帯び、クリンゴン宙域の惑星クロノスへ向かう。
アバンタイトルのミッションで一気に話に引き込んでくるところは前作と同じだけど、メンバーが全員そろっているので、最初から「スター・トレック」節が全開。未開文明への干渉に、艦隊規則を守るべきか否かという、カークとスポックの感情と論理の対峙。そしてギリギリのタイミングで救出というお約束は…最高の導入ですw
一転して本編はテロリストとの対決というテーマ的にはシリアスなものになる。敵の目的がハッキリしないまま、一触即発のクリンゴン宙域へ…。と、ここで今作はクリンゴンとの戦いが始まる?と思わせておいて、まさかハリソンの正体がね。スタートレックのファンであればその名を知らないはずのない悪役・カーン!この手で来たかと膝を打ってしまいました。 脚本家め!w
随所に過去作へのオマージュが配置されて、もうニヤニヤし通しだったけれど、単純にSFアクションとして観ても十分に楽しめるさじ加減には感心。コアの放射能でカークが死ぬシーンは「2」からの引用だけど、立場が逆なのがニクい。終盤は見せ場を畳み掛け過ぎなくらいだけど、意外に肉体派のスポックには驚いたね。カークはカーンの血液で生き返るのが目に見えていたのがちょっと感動を減じさせてしまったかな?考えてみれば血液の効力は序盤の少女ですでに伏線を張っていたので、改めてトリブル(これが出てきただけでニヤつくのだけれどもw)で提示したのは親切過ぎた?まあそれがないとマッコイは気づかないか、うーむ。
本作でカーンは死なず、冷凍冬眠へ。魅力のあるキャラクターなのでぜひ“逆襲”してもらいたいものですw
スター・トレック
BEYOND

(2016年制作)
8
劇場版「スター・トレック」の13作目。5年間の深宇宙探査も半ばに差し掛かり、補給のために立ち寄った宇宙連邦の基地。その時救助を求める異星人の女性が現れ、カーク率いるエンタープライズは未知の星雲の中へ突入する。
前2作でシリーズを見事にリブートさせたJ・J・エイブラムスからジャスティン・リンに監督が交代ということで、観る前はちょっと不安だったけど…前作までの雰囲気がその引き継がれていたので安心。そして展開としての「スター・トレック」シリーズらしさも損なわずに、見事にエンターテイメント作品として出来上がっていたので楽しめました。
サイモン・ペッグが脚本を担当していて、それもあってかセリフやキャラの絡みの端々にあるちょっとしたジョークも面白い。エンタープライズが中盤にはバラバラに破壊されたけど、クルーが散り散りになることでキャラの組み合わせの妙が発揮されたよね。本作では特にスポックとボーンズ。対照的なキャラのいいコンビだけど、キャラとしては「宇宙大作戦」の時の掛け合いを彷彿とさせるものもあって、なんだかうれしかったな。全体的にアクションも多く派手な印象だけど、その底では「仲間」というテーマが筋を通していて「『スター・トレック』ってこうだよな」と思いながら観た次第。バイクアクションは監督らしさを出した部分なのかな?w
終盤、レナード・ニモイに対するオマージュが映されて胸が熱くなった。そして遺作となったアントン・イェルチン、ありがとう、お疲れ様。
スターリングラード
8
戦争が舞台だけど、二人の息詰まる攻防戦が、まるで密室劇のようだった。ジュード・ロウって格好いいな、エド・ハリスも渋い。でもよく考えてみると、イギリス人と、アメリカ人。まぁいいか。フルシチョフは似てた・・かな?しかし、スナイパー同士の戦いは、本当に息が詰まる。ひと味違った戦争映画として、ありかと。
スターリンの葬送狂騒曲

(2017年制作)
7
スターリンの死によって巻き起こる後継者争いのドタバタを描いたブラックコメディ。
原作はフランスのグラフィック・ノベルということだけど、どちらかというと舞台でやりそうな群像劇の様にも思えた。冒頭のコンサートシーンでスターリンという存在がどう恐れられていたかというバタバタを見せ、秘密警察による大量検挙のシーンで一気に恐怖政治下の世界観を理解させる流れは悪くない。その上で秘密警察の最高責任者であるベリヤと第一書記のフルシチョフの権力争いが描かれるが、史実を基にしてはいるものの、描かれる人物像もかなりカリカチュアした上での展開になっているので…。そういう意味では歴史ドラマというよりはフィクションとして楽しんだかな。権力の座を目の前にした椅子取りゲームの滑稽な人間の姿を浮き彫りにしているというか、そんな話。
フルシチョフを演じるのはスティーヴ・ブシェミ。うーんあんまり似ていないはずなんだけど、この映画ではそんなに気にならないか。結局キャラを強調した上での群像の中の一人だからね。最終的にフルシチョフが後継の座を手に入れることも分かっているので、そういう意味では裏切りのない作品ではある。しかしそのフルシチョフも、後にブレジネフに追いやられるわけで…。そのラストカット(コンサートの観客席に座っているフルシチョフの後ろにブレジネフがいる)は、繰り返される権力争いの皮肉が効いていて作品全体の締めとしていい感じです。あとエンドクレジットの背景で写真が修正されまくっていく様子も、ソ連時代を皮肉っていて面白い。(スターリン時代に写真が改竄されまくってたのは有名な話だもんね。)
スタンド・バイ・ミー
8
死体を見に行くという、不純?な動機で旅が始まったわけだけど。結局少年たちはその旅で、自分を見つめ直し、成長したわけだ。リーダー格の少年の告白シーン。あれを見ていると、ああいう心の内を語り合えるような親友は大事だよなぁ、とつくづく思う。少年たちのメンバー構成も実によくできてたけど、なんか「ズッコケ3人組」を思い出してしまった。
スチュアート・リトル
7
吹き替え版を見たせいか、どうもお子さま向けの映画のような気が・・・。まぁ、そういう風に作ってるんだろうけど。可も無く不可も無くっていうか、安心して見られます。話も、それなりに面白いし。でも、普段動物がしゃべる映画に慣れてない所為か、どこかに抵抗が出来てしまう俺・・・もっと純真な心で見なければ。
スティーブ・ジョブズ

(2013年制作)
7
アップル創業者・スティーブ・ジョブズの半生を描いた伝記映画。
スティーブ・ジョブズ死後すぐに製作された作品でもあり、ジョブズの功績が神格化された時期でもあるので、その辺はある程度割り引いて観たのだけど。それでもやはりビジュアリストとしての彼の一面は評価されるべきところだろう。(個人的にはあんな上司はゴメンだがw) 出来るか出来ないかではなくてユーザーが何を求めているか、それをユーザーが気づく前に作り上げて提供する。そんな場面がしばしば描かれる。ただ伝記映画としてはそれらの要所や彼にとっての転機を追っていくのに必死で、いささか表面的というかあっさりした印象も。そういう意味で「ジョブズが何をしたか」もしくは「Apple製品とはどんなものか」を知らない人には不親切な映画とも思える。まあそもそもジョブズの死後にバカ売れした伝記本に乗っかったところのある映画でもあるので、そこは観客側も常識として押さえておくべきところなんだろうが。
ジョブズを演じたアシュトン・カッチャーはとてもよく風貌を似せていて感心。ラストに本人の写真と演者の写真が並べられるが、ジョブズの他もウォズニアック以外は良く似た配役の様子。でもストーリーがイベントの再現に近い流れで進むので、どうしてもそっくりさんの再現映画の枠にとどまっている感じもするかな。
スティーブ・ジョブズ

(2015年制作)
8
新製品発表会直前の舞台裏、スティーブ・ジョブズと周囲との軋轢を通して彼の人物像を描いたダニー・ボイル監督のドラマ。
この映画は3幕で構成される。第1幕:1984年のMacintosh発表会、第2幕:1988年のNext Cube発表会、そして第3幕:1998年のiMac発表会。それぞれにジョブズの人生にとってキーワードになりうる製品たち。その舞台裏でアンディ・ハーツフェルドに難題を吹っかけ、ウォズやクリスアンと言い争い、ジョアンナを困らせる。そんなエゴイストむき出しの男の姿が描かれるが、登場人物や関係について事前の説明描写はほとんど省略した割り切った描き方をしているので、正直予備知識がないと着いていくのは難しいだろう。最低でもジョブズの経歴、そしてAppleの社史の概略は前提知識で必要だと思う。逆にそこを割りきったおかげで、人間関係に集中したドラマの構成としてはとても勢いがあって、個人的にはかなり引き込まれたし、2時間の上映時間もあっという間に感じた。
常に口論し、相手を言い負かそうとする様に見えるジョブズ。「なぜ敵ばかり作ろうとするのか。」というセリフに端的に表れているが、一方で先見の明についてもしっかり表現されている。ボードのスロットについてのジョブズとウォズの口論は、明らかに彼らの間で見えている未来が違うのが分かる部分。完成品としてのシンプルさに拘るジョブズと、ユーザー自身による拡張性を主張するウォズ。これは独自の美意識を持ったジョブズと、人の多様性を受け入れるウォズといった人間性の裏返しでもあるよね。
ジョブズはビジョンを持つ天才だったかもしれないが、やはり人としては何かが欠けている人物だったのかもしれない。第1〜2幕の彼はそれによって周囲を振り回してきた人間だ。しかし第3幕はちょっと違う。TIME誌の表紙の件が自分の思い込みであったことに気が付き、そして娘のリサを受け入れ、人として何かが変わった。描かれるコンピューターの世界の革新は表面的なことでしかなく、その人間の変化の瞬間こそが、この映画のドラマなのだと思う。彼は最後にポケットに1000曲を入れられるものを作ると語る。iPodに対しての示唆なのは明白だが、ここではそれが自分のビジョンのためではなく、“リサのため”だという事が物語として重要なのだ。
スティング
10
知らずにギャングの金を奪ってしまった詐欺師が、殺された仲間の復讐に新たな仲間と一世一代の大ばくちを仕掛ける軽妙なサスペンスコメディ。
ギャングや刑事と詐欺師の追いつ追われつ、裏のかき合いで展開されるストーリーが楽しい。そして完璧なチームワークで大仕事をやってのける姿が実に気分良いです。
ラストのどんでん返しもちゃんと伏線が張ってあるし、ストーリーの軽妙さとハラハラ感と展開の巧さがこれほど上手く出来ているコメディはそう無いと思う。コメディと言っても下世話なネタでゲラゲラ笑わすのではなく、あくまで小粋に格好良く仕事をやってのける詐欺師達のテンポ、そして笑って終われるラストシーンが喜劇的なんだよね。いやはや、素晴らしいです。
1936年という時代設定も味があって良い。その時代ならではの詐欺の手法も面白かった。テレビがあったら成立しないもんねw 有名な主題曲の「ジ・エンターテイナー」もこの映画の雰囲気にバチッとハマってます。やはり歴史に残る映画は違うわ。
素敵なサプライズ
ブリュッセルの奇妙な代理店

(2015年制作)
8
老いた母が亡くなり、その後、自らも自殺を試みる富豪のヤーコブ。なかなか機会が得られなかったが、そんな時にある旅路の代理店“エリュシオン”の存在を知る。
富豪だけども、どこか応援したくなる主人公のキャラ設定が良い。ここで金持ちが鼻につくと台無しなんだけど、それ以上にこの話を通して彼が感情という人間性を取り戻していく姿が前面に出るあたり、その匙加減が上手いよね。彼の過去も旧知の“元”執事長からアンネに語る場面でサラッと描くだけで、回想を使わないところも好感。確かに全体的に予定調和で終わる話ではあるんだけど、それでも前振りも起承転結もしっかりしているし、小気味良い作品でした。守衛を突破したと思ったらすぐに捕まるとか、観客がアンネの秘密を知った直後にヤーコブにもバレるとか、ちょっとずつ観ている側の予想をズラしたテンポもなんか好きw
“エリュシオン”の裏稼業は言ってみれば自殺幇助のそれなので、感情的には少々複雑な場面もある。特にラストのムラーの死は、物語を通して変化した主人公の選択とは対照的な結果なので…なんだか残念な気もする。「彼が選んだのはサプライズではなかったのよ」という部分に救いはあるのだが…やはり複雑。でもそういうセンシティブなテーマを優しいコメディに包んで嫌悪感なく描くのだから、やはり演出がイイってことなんだろう。
ステルス
7
無人ステルス戦闘機が暴走、3人のエースパイロットがそれを制止すべく闘う空戦アクション。
いやはや無茶な映画。あれだけ他国の領空内で無茶したら、本来間違いなく戦争よw 特にロシアと北朝鮮なんて軍隊に対して攻撃してるわけやしね。まあそんなところを気にする映画ではないけど。
ドッグファイトの迫力は一級品。めまぐるしいスピードと爆発、爆発。そしてミサイルの応酬。もうお腹いっぱいw
ただ、正直ストーリー自体は大したことはないと思う。タイで休暇を楽しんでるシーンも少々とってつけた感があるし、個人的には人工知能の話と、上官の策謀絡みの話でもっと盛り上げてほしかったかなあ。観ていると「戦闘妖精 雪風」と「エネミーライン」と「攻殻機動隊S.A.C.」を思い出してしょうがなかったけど、それもまあこの手の映画ならご愛敬か。
ストリートファイター
ザ・レジェンド・オブ
・チュンリー

(2009年制作)
6
ゲーム「ストリートファイター」シリーズから、人気キャラの春麗を主人公にオリジナルストーリーを描いたアクション映画。
全体的に漂うB級映画のニオイが、陳腐きわまりないストーリーや多くのツッコミどころを笑って許せるところまで落とせしていて、この手の映画として期待しなければ、ある意味楽しめるB級アクション映画になっていると思う。まあ、ベガが良心を子供に移した理由がよく分からんかったけど…w(しかもそれが弱点って??)
主演のクリスティン・クルックはアクションシーンを頑張っていたかな。スピニングバードキックもどきは無理矢理だがw
何故か元が師匠的な役割だったり、不細工アジア人がバルログだったりと、原作無視の設定変更の数々は開き直り方が大したもんだ。でもボスに関しては、せっかくベガと名乗るんであればサイコクラッシャーくらいは撃って欲しかったなあと思うのは俺だけか?そこまでやってくれたらもっと「ストリートファイター」映画に見えたかもね。
ストレイト・アウタ・コンプトン

(2015年制作)
8
伝説的ヒップホップ・グループ、N.W.A.の結成とメンバー離脱の顛末を描いた伝記映画。
N.W.A.の事はあまり知らないので、予備知識なしにこの映画を観て大丈夫だろうかなどと不安もあったのだけど、観てみるとそんな心配は無用だった。カリフォルニア州コンプトンのストリート・ギャングが闊歩する街で生まれたヒップホップ・グループ。彼らの生みだすラップはその生活から生まれた生の声、怒り、生き様であることがとてもよく分かった。だからこそそのラップに込められたエネルギーが伝搬し、観客も熱狂するのだろう。映画の前半で描かれる「ファック・ザ・ポリス」絡みの話には、通奏低音の様な警官の横暴への怒りの力強さでグイグイと引き込まれるね。
一方で後半になるとグループ内の不協和音が話の中心になってきて、前半と比べるとどうしても少し失速気味に感じるかな。アイス・キューブの離脱、ドクター・ドレーの離脱。体よくグループを食い物にしていたジェリー・ヘラーやシュグ・ナイトとの離反など、金絡みのドロドロした話で前半の熱量はどこかに行ってしまった。それでもそれがN.W.A.メンバーの歴史としては描くべき事実なのだろう。
麻薬の売人からスターとなり、最期はエイズで31歳で亡くなったイージー・E。果たせなかった再結成の夢は、彼に捧げられたこの映画で形を変えて叶えられたであろうか。
スナッチ
7
86カラットのダイヤを巡るポップな群像劇。
登場人物の数と展開の早さからついて行くのは大変だけど、話をちゃんと把握していると非常に楽しめる作品。斬新なカット割りも良い感じ。ウサギ狩りと黒人を追いかけるシーンが交互に出てくるところとか、一気に展開を端折るシーン(飛行機の移動とか)なんかも凄くセンス良いね。
一見サスペンスでありながら、“弾丸をくぐる男”がリアルに撃たれてもなかなか死なないところとか、端々にあるギャグが笑える。個人的には似たジャンルの「オーシャンズ11」よりも楽しめたね。正直こっちのセンスの方が俺に合うというか。
ブラッド・ピットはともかく、デル・トロの扱いのは驚いたw あんなあっさり前半で殺されますか…。しかもポットカバーを被ってw ある意味すごく贅沢だw
スネーク・フライト

(2006年制作)
8
殺人を目撃した証人を飛行機で護送するが、その飛行機には機内に毒ヘビの大群を放つというギャングの罠が…。
飛行機を落とすために大量の毒ヘビを放つ仕掛けを作るなんて…なんて回りくどいことを。だがそれが良い!w B級映画には違いないが、見事なまでのパニック描写とお約束の展開、そして強引な解決まで入り乱れて気持ちのいいフライトサスペンスモンスターパニック映画になってますな。まあ本題に入るまでがちょっと退屈だけど、パニック以降はニヤニヤしっぱなし。とにかくバタバタ死んでいく人の描写と、そんな状況の中でのユーモアが楽しい。終盤はヘビの脅威が尻すぼみになったり、話のきっかけだったエディ・キムの顛末が省略されたりしてるけど、それもご愛嬌。ノリと勢いがあればCGのヘビだと分かろうが構わないね。実に下らないけど、こういうB級映画は好きですよ!
主演はサミュエル・L・ジャクソン。ラストのブチ切れ台詞はさすがキレがあるなあ。その他の飛行機の乗員乗客では多くの人物が登場するけど、ジュリアナ・マルグリーズ以外は知らない役者ばかりということもあって、誰が死ぬかわからない楽しみもあったかな。まあS・L・ジャクソンだと、たとえ主演でも「ディープ・ブルー」の前例があるので安心できないがw
スノーデン

(2016年制作)
7
2013年6月、NSA(アメリカ国家安全保障局)による米国内や全世界での盗聴・情報収集の手口を告発した元NSA・CIA局員のエドワード・スノーデン。彼が告発に至る決意を固める過程を描いた伝記映画。
この映画で描かれるスノーデンは、米国を信じていたがゆえにNSAの活動の実態に失望した義賊…というイメージかな。個人的にはネット上のデータなんてものに本当に秘密があるのかなんて疑わしいと思っているクチで、むしろ情報収集されていて当たり前くらいに思っているのだけど、彼は違うわけだ。個人の権利としての情報の秘密があるし、そもそもテロ対策を口実に全国民・全世界を対象にして情報収集をしているという行為の不当性が許せず、あまつさえG8の中で米国が有利な立場になるために使われるなどというのは筋が違う。それはその手段が不当なのだから、という論拠。
もちろん理想的にはその様なことはあるべきでないとは思うけど、テロリストを封殺するには完全管理社会が究極の形になるのだというジレンマはあるだろうし、世界の情報戦だってそうも甘くもないだろうという気がする。でも彼が告発したのは、たとえ自分が追われる身になったとしても米国を正しくしたいという思いがあったからなのかな。少なくとも、彼が少しは期待したオバマ政権でもNSAの活動が是正されなかった失望、そしてこの先リーダーが変わった時にどのように悪用されるか分からないという恐怖があったとして劇中では語られる。後者はタイミング的にトランプ政権のことを想起せずにはいられない。
映画ではその行動の動機に恋人のリンゼイが大きな存在感を発揮しているけど、人間的側面からのドラマとして見せるには効果はあったかも。でもポリティカル・サスペンスとしてはちょっとブレたような気がしなくもないが…。まあオリバー・ストーンが好きそうな題材だという事は間違いない。
スパイキッズ
7
こういう映画にツッコミは不要。素直にノリで観ればいいのです。“お子様映画”とは言わないけど、ファミリー向けなのは確か。誘拐された元スパイの両親を救うために活躍する姉弟。絵に描いたような凸凹コンビぶりや、超007的なスパイグッズの数々を素直に楽しめれば、実に面白い映画だと思う。アントニオ・バンデラスや、「T2」T-1000役で有名なロバート・パトリックの軽い演技が観られるのもいい。しかしフループの歌が「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のメロディに似てると思ったら、音楽にダニー・エルフマン(同作の作曲家)が参加してるんですな。似てて当たり前かw
スパイキッズ2
失われた夢の島
7
前作のノリはそのままに、スパイキッズが大活躍。まあ、深い話は無いので気楽に楽しむ映画ですな。前作の指人間(気持ち悪い一歩手前だったw)に代わり、今作は頭が磁石人間が敵の戦闘員として出てくる。彼らのUFOの乗り方は必見。「あれは疲れるぞ…」と思ってたら、UFOから降りたときにしっかり首をさすってるしw
数々のクリーチャーはCGなのにまるでストップモーションの様な動きを見せる。「アルゴ探険隊の大冒険」を彷彿とさせる対ガイコツ戦からも分かるように、間違いなくこれはハリウッドの特撮の神様、レイ・ハリーハウゼンへのオマージュですね。すっごい動きに味があるし、サルグモとヘビトカゲの戦いなんて「キング・コング」…これは違うかw
三枚目な演技のアントニオ・バンデラスには笑わせてもらった。特に最後の格闘はたよりないw ラテン系の二枚目なだけに、ギャップのある演技が面白いわ。あと、H・J・オスメントの妹が出てるんだけど、顔がそっくりで驚いた。気持ち悪いくらいそのまんま。うーむ。
スパイキッズ3−D
:ゲームオーバー
7
スパキッズ・シリーズ最終章。奇をてらって3D映画になってます。俺はWOWOWの放送分を観たので3Dは体験してないけど、かなり目が疲れる映画とか聞いた。「この辺が飛び出してるんだろうなあ」とか思うシーンはあるけど、あえて3Dで観る必要があるかというと…、そんなに無いと思う。
シリーズを重ねる毎にどんどん“お子様向け”映画になっていって、とうとう今作ではストーリーも有って無いものになってしまいましたw まあ、遊園地のアトラクションとでも思えばいいのかな。子供なら楽しめそうだけど…。しかし脇役が豪華で驚いた。90分中2〜3分ずつしか出てこないのにシリーズ出演者総出演の上、バンデラス、クルーニー、ウッド、パクストン、ハエック、スタローンと、主役を張れる役者がぞろぞろ。ある意味凄く笑える。エンドロールに流れるクルーニーの姿は実に楽しそうだったなあw
しかしグランパ、前作からは考えられないくらいの活躍。すげーカッコイイよw
スパイ・ゲーム
9
実にスリリングな映画でした。スパイのイメージである「007」や「M:I」的な物はなく、もっとリアルなスパイ(諜報員)という物を見せてくれる。一日の出来事を回想と、会議室での攻防を見事に混ぜ、一時も飽きさせないストーリーが秀逸。そして主人公の二人が格好いい。ブラッド・ピットは言わずもがな、ロバート・レッドフォードの渋さには参りました。あんな中年になりたいなぁ(笑)。ただ、ふと思ったのが、始めに捕まったビショップの仲間は救出されたのだろうか?気が付かなかったけど・・・。
スパイダー・パニック!
7
有毒廃棄物の影響で巨大化した雲の大群に襲われる田舎町。パニックになった住民たちはショッピング・モールへと避難するが…。
いわゆるモンスター・パニック映画だけど、そのフォーマットを踏まえた上でのコメディ映画になっていてそのバカバカしい感じが楽しい。クモはちょっとCG然とした動きをしているところもあるけど、どことなくマンガみたいなリアクションを取ることもあって、動きのリアルさを求めるよりカートーゥーンみたいなノリで観るのが正解かもね。まあジェイソンだのコクーンだの、映画ネタもちょくちょく入れてくるぐらいだし完全に遊んで作ってるよなあ。「オズワルドのライフル…なんでここに?」は笑ったw
展開は、序盤からして「坑道」とか「メタンガスが…」とか先の読める伏線を張っているので、正直言って一本道の騒動を眺めているだけなんだけど、それでも勢いがあって変に言い訳がましくないのが良いかな。夜中に菓子を食べながら「そんなバカな」と笑いながら観たい一本です。
出演者は「スクリーム」のデヴィッド・アークエットが主人公で、脇役には若き日のスカーレット・ヨハンソンがいるけど他は知らない人ばかり。というかヨハンソンは「真珠の耳飾りの少女」でのブレイク前だけど、ポジションが若干のお色気担当でしかないというのがw よく考えるとこの映画の登場人物ってテンプレートなキャラばっかりだよな。強いヒロイン、良い人だけどなんか頼りない白人保安官、悪徳町長、お笑い担当の黒人、なんだかんだで生き残る老婆。いいと思うw
スパイダーマン

(2002年制作)
9
マーベル・コミックを代表するヒーロー、スパイダーマンの出自と活躍を描いたシリーズ1作目。
アメコミ実写映画は子供の頃に「スーパーマン」シリーズや「バットマン」シリーズをTV放送で観て育った身なので、自分としては90年代末頃にはそれらのシリーズの終焉を見て「アメコミ映画もイマイチになったなあ」といった印象を強めていた時期でもありました。本作はそんな時に観た1本だったのだけど、一見して「これはすげー!!」と見事にハマった作品だったね。公開当時学生で若かった自分は、この映画で描かれるピーター・パーカーの青春模様に一層シンパシーを抱いてしまったというのもあるかもしれないけど、もちろんオッサンになった今観ても面白い。スーパーパワーを手に入れて調子に乗ったり、親友の恋路に微妙な感情を抱いたりといったピーターの見せる人間的な面が良いじゃないw
スパイダーマンとしてのピーターの行動原理は“自分が原因で(間接的に)伯父のベンを死なせてしまったこと”への後悔であるけど、伯父さん役のクリフ・ロバートソンのなんとも言えない“いい伯父さん”の感じがあればこその説得力だよね。ほんの少しの出番でそう思わせる演技はすごいなと思ったわ。役者ではJ・K・シモンズの編集長がハマりにハマって可笑しくてしょうがないけど、やっぱり一番の快演(怪演)はウィレム・デフォー。鏡に向かって話ながらノーマンとグリーン・ゴブリンを切り替えるところシーンはお気に入り。
映像的に特撮とCGの区別がつく部分もあるのはご愛嬌だけど、当時最先端のCGによってウェブ・スイングなどのアクションで効果的にスピード感を上手く出していたのが気持ちが良かったなあ。少なくとも、映像面でもドラマの面でも2000年代以降のヒーロー映画の基準を作った一本であることは間違いないですね。
スパイダーマン2

(2004年制作)
9
前作から2年後に公開された続編。
劇中の時間経過も2年ということで、劇中でもスパイダーマンが認知されてなかで日々活動を続けるピーターだったけど、そのヒーロー活動と自分の人生の間の葛藤が大きくなる…という話。この構造がとても上手くできているよなあ。前作の伯父さんとノーマン・オズボーンの死が、いずれも自分がスパイダーマンになったことに関連しているという苦悩。さらにスパイダーマンであるがゆえにMJに本心を打ち明けられないことによる失恋。それらのメンタルへの影響によって力を失うというピーターの姿にとても共感してしまう。やはりヒーローであること以上に、地に足ついた個人の感情がしっかり描かれているから引き込まれるんだろうね。
そんなピーターのメンタルとは関係なく現れるのが本作の敵、Dr.オクトパス。でもここでもスパイダーマンと戦う理由が私怨ではないというところが良い。Dr.オクトパスの行動原理は自分の研究の完成であって、スパイダーマンをターゲットにした理由そのものはハリー・オズボーンにあるという関係性に、ピーターがスパイダーマンであるがゆえの業が現れているのが本当に上手く考えられているなと思う部分。本来は良心的な科学者であるDr.オクトパスにもちょっと同情してしまうよね。一方でMJは自己中的に見えてちょっと好きになれない部分もあるんだけど、まあピーターに対する感情を考えると分からなくはない部分もあるか。(一番気の毒なのはなんの落ち度もないジョンだな。)
アクションシーンは前作からさらに進化して、よりスピーディーな立体バトルが展開される。前半のビル、後半の列車は迫力満点でDr.オクトパスのアームアクションは最高。何かを投げるときは1つのアームを地面に固定して支えているというのが細かいリアルさで良いですねw 他に、前作よりもギャグシーンもちょくちょく増えてなかなか好印象。編集長のJ・K・シモンズはやっぱりハマり役ですわ。
スパイダーマン3

(2007年制作)
9
前作から3年。今作ではニュー・ゴブリン、サンドマン、ヴェノムとの四つ巴の戦いが繰り広げられる。
テーマは赦し。
今作でも見事なストーリーを作り上げたサム・ライミ。伯父の死の真相、ハリーとの対決、ピーターとMJの恋模様。1作目から引っ張ってきたネタを、三部作の完結編として見事に纏め上げたよなあ。上映時間は2時間20分もあるけど、エピソードが詰め込まれまくってるのでテンポも速く、全く時間の長さを感じなかったし、すごく面白かったです。
個人的に好きな場面は、黒ピーターがまるで違う映画のキャラクターかというくらいリズムに乗って街を歩き、踊るところ。監督、遊んでるよなあw あと面白かったのは、相変わらずの編集長と、フランス人にお願いした指輪のくだりかな。
サンドマンのヴィジュアルは凄かった。特に登場シーンあたりは砂の一粒一粒からカメラが引いていって…と、それこそ数え切れないほどの粒子をCGで処理してるんだから、あの映像には舌を巻いてしまったわ。あとアクションシーンは凄い迫力。序盤のニュー・ゴブリン戦から本気の演出だし、あれだけCGと実写を組み合わせたアクションでも違和感がないのだから、それもまた凄い。
どうも実写版アメコミというとVFXに頼ってドラマがおざなりなイメージがあるけど、この「スパイダーマン」シリーズはドラマもVFXも本当に良く出来ている作品ですね。
スパイダーマン
ホームカミング

(2017年制作)
9
シリーズを再リブートし、MCUの中の1作となった第一弾。アイアンマンことトニー・スタークに見込まれた主人公は、アベンジャーズの一員として認められるように日夜NYのご近所でヒーロー活動を行うが…。
映画としては15年の間に2度目のリブートということで、また最初からか…というのが企画を聞いた時の印象だけど、MCUの一員になるという面については大いに期待を膨らませてくれたし、実際見てみるとその期待を裏切らない出来栄えで満足。「アメイジング〜」の続編を中止にしてまでスパイダーマンをMCUに加えたソニーの決断は間違ってはいなかったか。
トム・ホランド演じるスパイダーマン自体は「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」が初出なので、実際には2本目の登場ではある。作品の時系列もその続きになっているけど、本作では高校生の主人公がメンターに認められたいという欲求をメインとした若者のドラマとして筋が通っているので、単独作品としても十分に面白い。それにスパイダーマンになる最初の経緯を描くのを省略したおかげで本題に入るのが早いのもいい感じですな。さすがに3回も蜘蛛に噛まれる話から描くのは制作者も避けたかw スパイダースーツが中盤まで高性能で、クライマックスが手作りのコスチュームにグレードダウンするという、普通と逆の流れなのも、他と差別化されていて興味深かった。それによってスーツの機能自体に頼らずに立ち向かう主人公の決意が際立つよね。
本作の敵はハゲワシ男のバルチャー。スーツ姿がすごくかっこいい! マイケル・キートン演じるこのキャラは、彼は彼なりに身内を養う責任で動いているというのが良いです。武器密売人ではあるが破壊や支配を目的とはしていないというところに何か矜持を感じる。そのバルチャーがヒロインの父親だったという展開はご近所ヒーローならではの展開(グリーン・ゴブリンを連想しちゃう)だけど、ヒロインを黒人にしたことで観客にまさかと思わせる持って行き方にはやられた。
スパイダーマン
ファー・フロム・ホーム

(2019年制作)
9
トム・ホランド主演のスパイダーマンとしては2作目、マーベル・シネマティック・ユニバースとしては23作目のアメコミ・ヒーロ映画。夏休み、学校主催のヨーロッパ旅行に参加してMJとの距離を縮めようと思い悩むピーターだったが…。
舞台がニューヨークから離れてヨーロッパになったけども、ピーター・パーカーの関心ごとはMJとの距離が中心…という“周囲の事件”が基軸になっているところがいい感じ。話のフリこそ「マルチバースから現れたエレメンタルズという地球の脅威」というデカい話だけども、ふたを開けてみれば幻影を駆使する“ただの人間”が敵なので、そういう適度な規模感も「スパイダーマン」らしくて好感。
当初は別次元のヒーローとして登場するミステリオだけど、「スパイダーマン」としてはコミック初期からいるヴィランということなのでファンならば“敵”というのは自明のことなのかな。自分はそのへんは知らずに観たので正体にビックリ…とまではいかないまでも、トニー・スタークの元スタッフの意趣返しという設定には、なるほどMCUの連続性の中での話として面白いなあと思った次第。善人顔も悪人顔も説得力をもって演じられるジェイク・ギレンホールは、この役にはバッチリだったね。(ちなみにこの映画で一番ビックリしたのはJ・K・シモンズの登場ですよ。「マジかよ!」って心の中で叫んでしまいました。)
ミステリオの幻影攻撃の描写はとても面白かった。3Dで観たけどMCUでは「ドクター・ストレンジ」に次いで見応えのある立体アクションだったと思う。幻影ならではのちょっと非現実な空間のゆがみや奥行きが3Dでの効果を増幅していたし、ドローン相手の空中戦も3D向きだよね。スイングでの空間移動やドローンの主観映像などの迫力を満喫しました。満足です!
それにしても青春真っ盛りのピーターはともかく、ハッピーまで青春しているとはなんだかなあ。まあメイおばさん美人だしねw
スパイダーマン
ノー・ウェイ・ホーム

(2019年制作)
9
トム・ホランド主演のスパイダーマンとしては3作目、マーベル・シネマティック・ユニバースとしては27作目のアメコミ・ヒーロ映画。スパイダーマンの正体として世間にバレてしまったピーターは、皆の記憶からそのことを消せないかと相談に赴くが…。
“ホーム”シリーズの完結編として、話を畳むための苦労が垣間見えるのは「今後のソニーとMCUとの関係をどうするのか」というところだけど、結論から言うと一旦リセットという道を選んだように見える。今後のMCUはスパイダーマンを忘れた世界で話が続き、スパイダーマンはソニーの作るスパイダーマンの世界で話が続く…そんな予感の岐路に立った作品のように思える。が、その“MCUのスパイダーマン”としての一区切りにマーベルとソニーはとんでもないファンサービスをしてくれた。
今までに都合3シリーズが製作された実写映画版「スパイダーマン」。トビー・マグワイア主演のいわゆるライミ版(2002〜2007)、アンドリュー・ガーフィールド主演のいわゆるウェブ版(2012〜2014)、そしてトム・ホランドが主演するこのMCU版。その都度物語がリセットされたのは大人の事情が原因というところだったのだろうけど、特にウェブ版は「2」を最後に打ち切りになってしまったし、ファンとしては複雑な思いがしないわけではない。端的に言えば、新しいシリーズが始まる度に脳裏によぎる「今までのピーターの物語は無かったことに?」という疑問だね。本作はその疑問に直球で救済を与えてくれた。「今までのシリーズを観ていて良かった」とこんなに素直に喜べる事があるだろうか。こんな事ができるのもマーベルの“マルチバース”という便利設定があってこそだけど、バースの壁以上に厚い“作品の壁”を破ってこの話を実現させたマーベルとソニーには感謝。そしてエンドクレジットでも感謝が捧げられていたアヴィ・アラド(ライミ版・ウェブ版の製作)にファンとしても感謝したい。
予告編の段階から過去シリーズのヴィランが登場することは明らかになっていたけど、本作が上記の疑問を救済し、そしてヴィランになってしまったキャラ達を救済していく展開に感慨を覚えないわけがない。特に個人的にはドック・オクに救いが与えられたことが嬉しい。ウィレム・デフォーやアルフレッド・モリーナが当時のイメージのまま再登場してくれたことがこの作品に説得力を与えてくれているよなあ。ジェイミー・フォックスのエレクトロはちょっとキャラ変わってたけど、これはこれでw
そしてなんと言ってもかつてピーターを演じた2人が出てくれたことがこの作品を完成させた。落下するMJを、かつてグウェンを救えなかったピーター(アンドリュー)がキャッチするシーンは胸熱すぎて泣きそうになったわ。あと復讐のためにグリーン・ゴブリンにトドメを刺そうとするピーター(トム)をピーター(トビー)が止める場面もねえ…、ライミ版やウェブ版を観て彼らの人生を知っている身としては心を揺さぶられる。
しかしこれはピーター(トビー)やピーター(アンドリュー)の映画ではない。ピーター(トム)の物語なのだ。彼の青臭い正義感によってストレンジの魔法が暴走し世界が危機に陥る展開は、正直言うと感情移入しにくかった。しかし、それが招いた事実と結果を受け入れて成長していくというスパイダーマンの物語としてはよくできていたし、少年期の終わりの物語として、ラストに見せたMJに真実を言わないというピーターの決意には感動した。
スパイダーマン
スパイダーバース

(2018年制作)
9
スパイダーマンことピーター・パーカーが死んだ。NYに住む少年のマイルスはピーターから街を守ることを託されるが、そんな時、もう一人のピーターが現れる。
マイルス・モラレスという新スパイダーマンの誕生の話を描いたCGアニメーションだけど、「スパイダーバース」の多次元宇宙の世界観を取り込んで、様々なスパイダーマンが登場するにぎやかな作品になっている。ただ単純にお祭り映画というわけではなく"身近な人の死"と“ヒーローとしての責任”という「スパイダーマン」に共通の主題にブレがないことが、少年の成長の物語と共にこの作品の完成度を上げていると思う。
マイルスの次元で死んでしまった完全無欠のピーターに代わり、彼のメンターになるのは少し腹が出てややヤサグレた中年ピーター。この組み合わせが面白いよねw 最初は何だか頼りない感じもするものの、中年になってもちゃんと"スパイダーマン"だったし、しっかりマイルスを理解しているところが良い。多次元宇宙の設定自体はアメコミの「スパイダーバース」からの引用だけど、かなり多くのスパイダーマンが登場する原作からこの映画で採用されたのはグウェン、ノワール、SP//dr、そしてスパイダーハム。どれも個性が際立っているしキャラ被りもなく良いチョイスだなあ。このチームアップは観ていて実に楽しかった。叶うなら彼らの個々の特徴を生かした活躍をもっと観ていたかったけど、あまり偏るとマイルスの物語から外れてしまうのでこのくらいがちょうど良かったのかなとも思う。
ビジュアルについては、CGアニメとして観たことがある様で全く新しいアメコミ感がとても面白かった。陰影をスクリーントーン風で表現したり、遠景が色ずれしたり、2コマ打ちで動かし、オノマトペが飛び交い、スパイダーセンスのシーンでは吹き出しまで出てくる。手間をかけてこの作品独自の表現世界を構築しているけど、そういった情報の密度がうるさくないギリギリのところで整理されているところにセンスを感じる。
ラストはまた続きがありそうな感じだったけど、ぜひこのマイルスのスパイダーマンの世界も広げていってほしい。ところでマーベルお約束のエンドクレジット後の小ネタ…。スパイダーマン2099とアース67のスパイダーマンとのやり取りが実にくだらなくて爆笑しましたw
スパイダーマン
アクロス・ザ・スパイダーバース

(2023年制作)
8
アース65に帰ったスパイダーグウェンだったが、ある日別次元から来たと思われるバルチャーと対峙する。その時、ポータルからスパイダーマン2099ことミゲル・オハラが現れるが…。
前作のラストでポータルが開いてグウェンがマイルスを誘う場面が描かれるが、本作はアース65に帰ったグウェンがそこに現れた理由と、その先の物語が描かれる。ただ、全体としては2部作の前半なので、話のほぼ大半が次回作への前フリになっていて、話は広がっていくばかりでほとんど収束しない。ひとつの軸として、グウェンの父親との関係性についての物語はカタがつくけど、それくらいかな? ヴィランであるスポッターは力を溜めている最中だし、ミゲル・オハラの使命とマイルスの想いとのぶつかり合いは次回作へ持ち越し、そういう意味ではカタルシスに至るにはいま一歩だった気もする。ラストで「グウェンが集めた仲間たちの活躍が観たい!」とはなるけど、それが観られるのは次回作だからね。基本的に前フリに終止した作品、とも言える。
ただ、だから物足りなかったというわけではなくて、面白かったのは事実。アースごとに毛色の違う美術センスに圧倒され、空間を縦横無尽に動き回るアクションに目を奪われた。グウェンの親子関係、マイルスの親子関係という2つの軸のドラマも良くできている。「スパイダーマンのカノン(正史)」として、叔父や署長の死が避けられないものであるという部分に「スパイダーマン」という業の説得力もあるし、だからこそマイルスの抵抗にも理解ができるかな。予告では「敵は全てのスパイダーマン」と一言で済まされていたけれど、そこからの予想をいい意味で裏切られるボリュームだったのは間違いない。
兎にも角にも次回作が気になる。1年後の続編が楽しみです。
すばらしき映画音楽たち

(2016年制作)
8
映画音楽をテーマに、その歴史と作曲家、そして収録の過程などを描いたドキュメンタリー作品。
色々な映画関係者の証言やアーカイブ映像も登場するけど、このドキュメンタリーを観て「あんな人が!」「こんな人が!」「そうそうこの音楽!」という興奮を得るためには、観る側にある程度の予備知識が必要だと思う。ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーなどの作曲者の事も知っていて当たり前の様に語られるし。「E.T.」や「インセプション」なんかはクライマックスのシーンを引用しながら彼らの音楽のすごさを解説する場面もあり、この辺は明らかに観ていることが前提の作りだよね。その上で認識を再確認するための作品って感じかな。
でもそういった前提知識があるととても面白く、共感してしまう場面は多い。映画における音楽の効果の説明も「サイコ」などの例が分かりやすくて良い。「映画音楽でなければ耳障りなだけ」というのはその通りだな、耳障りだから最高に効果を発揮する場面だし。ジョン・ウィリアムズはアーカイブ映像ばかりだったけれど、「ジョーズ」が出来たころのスピルバーグとの映像などは面白かった。70年代〜80年代は間違いなくジョン・ウィリアムズの時代だというのがすごく分かる。それ以降の代表的な作曲者も取り上げられはするけど、まあ多少語りつくせていない感はあるか。でも映画音楽に対する敬意の詰まったドキュメンタリーだと思う。
構成的には現在の作曲・収録風景を見せながら、映画音楽の歴史や、有名作曲家が作り出した作品の紹介を差し挟みつつその世界を描いていく、という感じ。作曲者たちは監督の意図を組んで曲を作っていくわけだが、ハンス・ジマーが事あるごとに不安にさいなまれると言っているのが印象深い。あれだけの作曲家でも悩みに悩んで曲を生み出しているのだね。「ジョン・ウィリアムズに頼んでくれ!」という冗談には笑ったw あとはそうだな、ブライアン・タイラーが作曲した映画が上映されている劇場のトイレにこもって、そこで「自分の曲が鼻歌や口笛で聞こえてくるか耳を澄ますんだ」と言っていたのがちょっと微笑ましい。
素晴らしき哉、人生!
10
親の事業を継ぎ、人々のために自分の夢を抑え込んで生きてきた主人公。彼が絶望した時に起きたクリスマスの奇跡の話。
本題である奇跡が起きるのは最終盤。それまではひたすら主人公の境遇が描かれるんだけど、その積み重ねが有ってこそのエンディングには思わず感動してしまった。ホントに主人公に感情移入してしまうね。奇跡自体はファンタジックでも、境遇が妙にリアリスティックなのが良いわ。まあ、主人公の主観で見るからこそ逆境と感じる部分は多いのだろうけど。
“奇跡”で訪れる町は、後年の「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」でも引用されてるっぽい演出。そこでは伏線がきちんと生かされていて(冒頭の話まで絡むとは思わなかった)、説教されるだけでは伝わらない衝撃があったね。
人生とは思い通りにならないもので、でもどんな不幸があろうとも“自分が生きていることは無意味ではない”と思わせてくれるエンディングは素晴らしいです。世の中が嫌になった時、この作品を観て元気になりたいと思える一本ですね。
スパルタカス

(1960年制作)
9
紀元前70年代にあったスパルタカスの反乱をテーマにした小説の映画化作品。剣闘士と要請されていた奴隷のスパルタカスは奴隷仲間を率いて蜂起。勢力を伸ばしながらローマからの脱出を画策するが…。
最初から支配階級に対して反抗的ではあったスパルタカスだが、ドラバとの剣闘が彼に決定的な影響を与えているのだろうというのは分かる。人としての誇りを感じるシーンだが、その前の、控えの小屋でスパルタカスとドラバが無言で視線を交わすシーンからすでに素晴らしい。不安か迷いか決意か、そんな感情が交錯する無言の演出はいいな。思えば特に前半はスパルタカスの口数が少ない。それも内に秘めた感情を感じさせるが、演じるカーク・ダグラスはさすがのオーラですわ。
スパルタカスの妻となるバリニアとの出会いのシーンもいいと思う。状況的にはロマンチックではないけど、手を出さないスパルタカスはロマンチックw その後、彼女はローマに売られてしまうけど、蜂起後の道中でバッタリ再会するのはさすがにご都合主義にもほどが!と笑ってしまった。でもその彼と彼女の愛が話の縦糸になっているのも事実。歴史上で負けることが分かっているスパルタカスの運命にどう映画的なオチをつけるのかと考えた時、ラストで磔になったスパルタカスと、「自由」になったバリニアと子供を出会わせるという構図には「やられた」と思ったね。奴隷6000人の磔(史実)を描くのはてっきりクラッサスの残虐性を見せるためのものかと思ったら、このオチのためだったかー!とも思った。
赤狩りに遭ったダルトン・トランボの脚本だと考えると本作の「自由」というテーマにはさらなる深みを感じる。(実際にはキューブリック他の手もいろいろ入ってるらしいけど。) それでも戦闘後につかまった奴隷たちが「俺がスパルタカスだ!」と名乗り出るシーンは、かつて「仲間のアカの名前を言え」と強要されたトランボの意趣返し的な想いがあるのだろうとは想像してしまうね。
クラサスは本作における敵の立場だけど、ローマの三頭政治で歴史にも名を残す人物。ポンペイウスが出てこないのはストーリーの整理のためかな。ともかく野望と謀略をめぐらして独裁官になるために動くクラサスだが、その謀略を阻止するためにこれまた権謀術数を張り巡らせる元老議員のグラッカス。グラッカス自身は映画開始1時間後まで登場しないけど、それまでに胸像や会話でたびたび聞こえて観客に印象づけてあるのは上手い構造。そして「政治は現実的、必要とあらば犯罪者とも取引する」と言ってのけるグラッカスの信条はなかなか興味深い。結果的にグラッカスの計画は失敗するも、もし上手くいっていたならスパルタカスの反乱軍は全滅しなかっただろう。ではそのような取引をする政治家は必ずしも悪なのか。そういう皮肉な命題も透けて見える。
スピード

(1994年制作)
8
高層ビルでエレベーターの乗客を人質にした事件が発生。SWAT隊員の主人公の活躍でその事件は解決されるが、後日犯人から「バスに爆弾を仕掛けた」と主人公に連絡が来る。
時速50マイル(時速80キロ)を超えると爆弾が起動し、次に時速50マイルより速度が落ちると爆発する…。時間制限よりも「スピードを落としてはいけない」とか「客を逃がしてはいけない」といった行動制約を前面に出した設定に緊張感があって実に面白い。製作者側は「暴走機関車」をモチーフにしたとのことだけど、日本人からすると「新幹線大爆破」を連想するシチュエーションでもあるかな。
構成的には第一幕の高層ビル人質事件、メインとなる第二幕のバス爆弾人質事件、そして第三幕の地下鉄ヒロイン人質事件という三幕構成で作られているけど、メインの事件を“最初の事件を食い止められた犯人の逆恨み”という設定にすることで、主人公を事態に介入するストーリーラインへ誘導しているところが上手い部分だね。一方で第三幕がやや蛇足に感じられるのは、第二幕に比べるとどうしても犯人の行動が場当たり的だし、そのために緊張感も弱く見えてしまうからかなという気はする。犯人との決着のつけ方も比較的地味だし、少しもったいない。とはいえ、主人公・ヒロイン・犯人のどれもが普通の人間であるというところが本作のミソ。超人もいなければ、悪の秘密結社もいない。あくまで普通のSWAT隊員と気の強い姉ちゃんと、ただ行動力のあるってだけの爺さんを使って、シチュエーション一発でこんな勢いのあるアクション映画にしてしまっているというのが良いところだと思う。当時30歳のキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが魅力的だし、犯人役のデニス・ホッパーも不敵な爺さんがハマっていた、そんな作品です。
スピード2

(1997年制作)
6
前作から3年後、サンドラ・ブロック演じるアニーは新たな恋人アレックスとカリブ海豪華クルージングに参加するが、そこでシージャックに巻き込まれてしまう。
前作とは毛色のことなるアクション映画になってしまった印象が強い。元々別のアクション映画シリーズ用の原案を流用した脚本だっていう事もあるんだろうけど、隠しきれない「ダイ・ハード」な状況設定は、1作目を観て期待する「スピード」感とはズレちゃってるよね…(苦笑)。犯人側の仕込みも描いてるあたりが特に「ダイ・ハード」っぽい印象かな。
キアヌ・リーブスが降板したために「何故ジャックと別れたのか」という説明から入らざるを得なくなっているのはいまいちで、観ているこちらとしては前作のヒロインがいきなり出てきたアレックスとの恋路が進展するのかどうかという導入部もあんまり興味に結びつかないんだよね。あくまでバカンスに行く設定のための設定だから仕方ないか(?) その上で豪華客船ではいろんなことが起こるわけですが、前半で耳の聞こえない少女が意味ありげに登場するわりには後半では完全にモブになっているし、ドアを破ったチェーンソーもほぼ一発ギャグのための小道具だったし、浸水作戦にしてもスクリュー作戦にしても場当たり的な展開が続くのがよろしくない。
まあアクションシーンとしてのスクリュー作戦はそれなりに緊迫感はあったとは思う。タンカーとの接触シーンや、客船が街に突入するシーンも迫力自体はよく出ていたよね。でもそれ以前に脚本が雑と言えば雑な印象なのがどうももったいない。
スピード・レーサー
8
アニメ「マッハGoGoGo」のハリウッド実写化作品。
オタク監督、ウォシャウスキー兄弟の作品だけあって、実にアニメーションという世界にこだわった実写作品になってます。極彩色の背景、キャラクターが強調された人物造形、ケレン味溢れた演出、そしてあのテーマ曲、どれをとっても監督の「スピード・レーサー」、いやアニメという世界に対する愛情を感じます。
映像は画面構成以上にレースシーンの荒唐無稽さが面白い。とんでもないスピード感も良い。ストーリーも纏まっていたし、個人的にはかなり楽しめました。ただ、クセのある“アニメ的演出”にギャグシーンなどは、そういうウソの世界を受け入れられる感性がないと置いてけぼりを食らうかもしれない。「そんなバカな」と思っちゃいけない世界なんだよね。そういう意味で、この映画は実写作品ではあるけど、もう限りなくアニメの世界なんだと思う。それを実写で成立する世界としてやってのけた事に感心するね。
SPIRIT
8
1900年代初頭の上海に実在した武術家・霍元甲を、ジェット・リーが演じたアクションドラマ。
ジェット・リーの集大成的な作品だけあって、マーシャル・アーツを存分に堪能できます。でも単純なアクション映画ではなくて、報復の連鎖の虚しさ等を訴えているところなんかは結構今日的。でも主人公がその結論に至るまでもきちんと描いているのでなかなか良かったと思います。まあ、ストーリー展開は王道というか、多少直球過ぎる気もしなくはないですが。
クライマックスは中村獅童が演じる日本の武道家・田中安野との戦い。日本人が悪役となるべき展開ながら、霍元甲に対して正々堂々と戦う事を望む田中の姿は、日本人的には嬉しい気はする。でも田中の武術自体は胡散臭いし武士道精神もステレオタイプだとは思うけどねw 原田眞人一人が汚れ役でした。
スプリット

(2017年制作)
8
突然誘拐された3人の女子高校生。誘拐した23人の人格を持つ男は彼女らをある目的のために監禁する。
限定された空間に監禁された主人公…という設定だけならオーソドックスなスリラーだけど、犯人を多重人格者とする事で主人公との駆け引きや目的に謎解き要素を付加している。監禁現場とは別に精神科医が観客に状況理解のヒントを出し続け、話のゴールへ導いていくという仕掛けは悪くない。ただシャマラン監督作品と身構えてしまうと、「まさか被害者まで含めて犯人の人格だったなんてことは…?」などと深読みしてしまったけど、さすがにそんなことはなかった。(まあ序盤の状況からも、それはムチャな予想かw)
映画の3分の2くらいはスリラーテイスト。ほとんど主演のジェームズ・マカヴォイの演じ分けに支えられている演出だけど、それがいい。そして終盤にビーストが現れると途端にホラーテイストへ。そこまでは演出的にも暴力描写は控えめだったので、この転換は効果的だよなあ。
見始めはスリラー、途中でホラーになって、結果的には「超人誕生」の話だったというオチにはニヤついてしまった。
スペース・カウボーイ
7
老人4人が頑張ってます。イーストウッドとジョーンズの意地の張り合いは見ていて面白い。遠心力でGを掛ける装置のシーンは特に好き。二人のゆがんだ顔は必見。ただこの映画は宇宙物のわりに地上のシーンの方が面白い。イーストウッド監督が控えめなのか何なのか、スペース・シャトルの発射が嫌にあっさりしていたり、なんか肩すかしを食らったよう。「アポロ13」みたいに盛り上がると思ったのに。
スペースボール
7
メル・ブルックスが描く「スター・ウォーズ」のパロディ映画。
驚くべきはSFXを本家ILMが担当しているということだけど、いやはやバカバカしいw ダース・ベイダーならぬダーク・ヘルメットの道化っぷりには実に笑わせてもらうけど、リック・モラニスのキャラに因るところが大きいよね。
笑い自体はハッキリ言ってベタで下らない。でもこれがメル・ブルックス作品らしいところか。作品全体としては「スター・ウォーズ」のパロディではあるけど、その他の小ネタのパロディは少なめなので、その辺はちょっと物足りないかも。作中にあった「猿の惑星」や「エイリアン」のパロディの様な感じでもうちょっと頻繁にあれば俺的にはもっと楽しめたかなあ?
スペル

(2009年制作)
8
サム・ライミ監督のホラー映画。女性銀行員の主人公が老婆の家屋差押え延長の依頼を却下するが、老婆はその夜、主人公を襲撃し呪いをかける。
エグいシーンで怖がらせるスプラッター映画ではなく、一昔前のホラー映画を思わせる描写が目立つ。というか、サム・ライミは明らかに狙ってそういう作品に仕上げていて、ホラー出身の監督としての美学のようなものも感じるところ。突然デカい音が鳴れば誰だってビビるけど、基本的にこの映画はそれの繰り返し。悪魔が近づいている予兆があれば、直後には「バーン!」という音と共に何かが起こる。分かり切っていても驚くが、この古典的な見せ方はここまでやると痛快。
そしてそのホラー描写の中にも独特な笑いが含まれていてこれがまた面白い。襲ってくる老婆の入れ歯は飛ぶわ、目玉は飛び出すわ。ゲロやヨダレを顔面にひっかぶり続ける主人公の弄られ方はもはやギャグだw 思わず声を上げて笑ってしまったw
主人公を演じるアリソン・ローマンはなかなかの体当たり演技で頑張ってるね。そして老婆役のレーナ・レイヴァーも車内格闘までこなして感心します。
映画のオチも、狙って作ったB級ホラーっぽくて好き。伏線を分かりやすく組みつつ、上手く纏めた脚本は良い感じでした。
スポットライト
世紀のスクープ

(2015年制作)
9
2002年にボストンの地元新聞“ボストン・グローブ”が掲載した、カトリック教会による組織ぐるみの児童虐待隠蔽のスキャンダル。その掲載に至る記者たちの執念の取材を描いた社会派ドラマ。
カトリック教徒における教会の存在感というのは信者ではない自分には想像するしかないが、信仰の根幹にある存在が揺らぐという事実は…彼らにとってどれほどの衝撃だっただろうか。映画の冒頭、新任の編集局長が着任したことで、過去の事件を掘り下げることになるが、これは彼がユダヤ人なので教会に対しての聖域感が無いからこそできた指示だろう。しかし物語はそこから動く。事態の一端を知り、そして深刻さを理解した彼らの執念の取材姿勢には敬服するしかない。そこににじみ出る静かな怒りに炙られる様な感覚にすっかり飲み込まれてしまった。マイク(マーク・ラファロ)が怒りを爆発させたシーンは熱い。
彼らのスクープは大いに意義があったことだが、それを知るきっかけは昔から新聞社内にあったのだという事実。終盤で、それを無意識にだとしても放置していたことの自責を語る主人公の一人、ロビー(マイケル・キートン)の言葉には考えさせられる。その少し前、20人の被害者の過去の記事が…と仲間のサーシャ(レイチェル・マクアダムス)が話すシーンでロビーの反応がイマイチだった理由。その場ではわからなかったが、それはロビーにとって報道人としての大きなショックを受けたシーンだったのだ。この構造は上手いね。しかしその過去に見過ごした事実を聞いた時の編集局長(リーヴ・シュレイバー)の言葉は、それを救う様な良い言葉だった。
全体を観て胸のすくような話ではない。それでも記者の執念、正義の報道の在り様を描いた静かで熱いドラマだと思う。チームを描いた映画としても、そのアンサンブルの描き方は秀逸。記者の映画としては名作「大統領の陰謀」を想起せずにはいられないが、タイプライターの音が印象的だったあの映画とは違い、この映画は記者がひたすらメモを取っているシーンが目に付いた。“ペンは剣よりも強し”を印象付けるいい演出だね。
この映画は記事が世に出たところで幕を閉じる。記者の部屋にかかる反響の電話。この根の深い事件は、記事が出たことで終わりではなく、これが始まりなのだと感じさせるところが良いエンディングだと思う。
スミス都へ行く

(1939年制作)
8
田舎のボーイスカウトのリーダーだったスミス青年が連邦議会の上院議員として担ぎ出され、そこである汚職と戦う姿を描いたフランク・キャプラ監督の代表作。
米国の政治や民主主義の理念が声高に描かれた作品であるけど、欧州では第二次世界大戦が勃発した年なんだよね。そう思うと興味深い。さて、ここで主人公が戦う相手は、郷里の政治を裏で操り、ダム建設(ニューディール政策か)に伴う土地転がしで利益を得ようと画策する実業家テイラー。純朴な田舎の青年だった主人公は最初は相手に利用されるが、事実に気づいて不正と対決する…という話で、さすがに最後に正義は勝つというのは単純かもしれないが、それでも普遍的なテーマは現代でも十分に通じるものがある。ラストは今見るとあっけなく終わってしまった感もあるけど、大団円で良かったかな。個人的にはテイラーの悔しがる顔も見たかったが、そこをやらないのは品の良さか。
若き日のジェームズ・スチュアートが純朴で熱意のある青年を良い感じに演じてます。この辺は普通っぽさが良い。好きな女性の前でドギマギする姿は可笑しかったw ペイン上院議員役のクロード・レインズも、自分の立場とスミスの間に板挟み感がよく出てます。ラストはよく言った、もう我慢できないという感じが伝わる。個人的には主人公を見守る上院議長役のハリー・ケリーが良い味を出していて好きです。
スラムドッグ$ミリオネア

(2008年制作)
7
インドの都市ムンバイ。スラム出身の主人公は「クイズ$ミリオネア」で最終問題まで残るが、収録が翌日に持ち越しになった後、インチキと疑われ警察に拘束されてしまう。
警察での取り調べで身の上を告白することが、ストーリーの進行とリンクして彼の運命的な結末へと観客を引っ張り込んでいく。この構成は上手かった。ただ出来過ぎな話の感じは強くて色んなところで強引さも感じるが…、良い意味ではスラムドッグの“生きることへのたくましさ”といった勢いの表現系になっていたのかな。まあ、実際に逞しいのは(善し悪しは別にして)兄貴の方だと思うけど。
前半はともかく中盤以降は主人公ジャマールの一直線なラティカ(初恋の相手)への想いで突っ走っていく。この辺が爽快さを感じる反面、あまりに盲目的なので「ちょっと冷静になれよ」と思わなくもないが、まあ、そこまで想い続ける主人公は嫌いじゃない。ラストには思い人も大金も手に入れた主人公だが、「D.運命だった」という答えはどこまでもファンタジーな爽快さだね。
しかし難を言うと、主人公の熱情にフォーカスしすぎていて兄貴の心情は今ひとつ見えない。最後にラティカを逃がすあたりなんて、自分の命をかけて弟とラティカの為に行動するんだから、もうちょっと心情を見えていればなあ。「三銃士」が引き合いになっているから「一人はみんなのために」ということ?と、してもね。
300

(2007年制作)
8
紀元前480年のテルモピュライの戦いを描いたフランク・ミラーのグラフィックノベルを基にした実写作品。
映像は全編に渡ってこれでもかというほどのデジタル処理が加えられてるけど、フランク・ミラーの世界を描くにはこのCG効果は絶大だったわ。実に幻想的。ただ描かれる世界は血みどろだけれどもねw 原作よりさらにケレンに溢れた絵は実に魅力があります。
原作と比べると王妃の行動について映画版だけのエピソードが加えられていたけど、俺はこれはちょっと微妙な気はした。そもそもこのストーリーはディリオスが見た光景を後々に語っている体なので、そういう意味での一貫性に疑問が…。まあ、あっても問題はないけど、個人的には原作通りにレオニダス王の生き様一本で描いてくれた方が話の流れをストレートに受け止められたかな。
スパルタという国に生まれた男達の壮絶な生き様にはすっかり魅了されてしまいましたw
300
〜帝国の進撃〜

(2014年制作)
6
前作「300」の前後の出来事を、アテナイのテミストクレス将軍の戦いを中心に描く。
前作はテルモピュライの戦いを素晴らしいビジュアルセンスで描いたけど、今作は「一方その頃アテナイでは」といった趣で同時間軸の別の戦いを描いている。差別化するためなのか海戦がメインだけど、終盤の戦いはサラミスの海戦だよね?いずれにせよ史実を基にしたファンタジー・アクションで、前作のイメージを色濃く残した演出はさらにパワーアップしている感じ。ただ“300アクション”を冒頭から出しすぎて、個人的には早々におなか一杯になってしまったのも事実。
敵を斬った瞬間にどす黒い血の様な液体が宙を舞うけど、3D効果を狙ったものだろうがいちいち過剰w 確かに「300」のアクションはケレンが効いていてカッコイイのだけど、映画として面白かったのは、それ以上にレオニダスという滅びの美学を貫いた男の物語に魅力があったからなんだよね。そういう意味では本作の主人公であるテミストクレスはちょっとキャラとして弱い感じ。アルテミシアを演じたエヴァ・グリーンは頑張っていたけれど。
スリーピー・ホロウ

(1999年制作)
8
「スリーピー・ホロウの伝説」を基にしたティム・バートンのホラー映画。18世紀末のNY郊外の村で3人の首なし死体が見つかった。捜査官イカボッド・クレーンは調査のためその村に派遣されるが…。
ゴシック・ホラーな色調、変わり者捜査官を演じるジョニー・デップのハマり具合、魔術を使いそうな地主の娘・クリスティーナ・リッチの雰囲気、そしてティム・バートンの美術センス。それらが見事に融合して面白い作品に仕上がっているなあ。あとストーリー展開のテンポもいい。アバンが終わると主人公が村に行く理由をあっという間に描き、事件が解決すればエピローグを一瞬で終わらせる潔さ。主人公の気質の背景も夢の断片でサッと観客に悟らせてしまうし、エンタメとしてまどろっこしい見せ方を省いているセンスはいいな。多くの首切り事件をミステリー仕立てで繋いでいくところも、観客を話に引っ張り込むのには効果的だわ。あと、最大の魅力は首なし騎士(首なしver.)が格好よく見えてしまうところだね。ほんと監督は人外や異形の物を魅力的に描くのが好きだよなw
そんな具合に自分はこの映画がとても好きです。難を言えば…ネタ晴らしのシーンで用意されたかのような場所に行って黒幕がベラベラと真相を喋りだすのが、ミステリーお決まりのネタ晴らしとはいえあまりに安易なのが気になるくらいかなあ? でも、監督はきっとあの場所の“風車”を燃やしたかったんだよねw あれは明らかに「フランケンシュタイン」(1931)のオマージュだけど、あの場面は黒幕を使って登場人物を風車に移動させること自体が演出上の目的で、ついでなのでそこでネタ晴らしをさせたんじゃないのかなって感じるんだけど…。考えすぎ?w
スリー・ビルボード

(2017年制作)
8
ミズーリ州の田舎町。娘をレイプ後に焼殺された母親がいつまでも犯人を捕まえられない警察への怒りから、3つの広告看板を道路脇に掲げる。
母親の怒りはどこに向いたものか、という点では娘と喧嘩別れしたも同然の自分にも向いたものでもあるのだろうが、警察への当てつけはその転嫁なんだろうと思う。主人公の行動は理解はできても同意しにくい部分もあるけれど、“強い意志”を滲み出すフランシス・マクドーマンドの演技はさすが。序盤はその母親vs警察という構図になるのかと思いきや、人間の善性への問いかけのような展開を見せる後半の流れは「そうきたか」と思わせる部分もあってなかなか。ただ、見せ方としてはどうも安いTVドラマのようなカットだったり手紙の演出だったりという部分もあるかなあ。特に前半が何となく野暮ったい感じというか。でも時折挟まるブラックジョークのような笑いも良いエッセンスとして効いているし、憎めない作品ではある。
署長役のウディ・ハレルソンは中盤で退場だが、役どころとしては重要だし尊敬を集める人物という説得力があっていい。しかし本作は、何と言ってもその対比となるキャラを演じるサム・ロックウェルの存在感だよな。ちょっと頭の弱い差別主義者の警官に見事にハマったその演技、素晴らしいですよ。マクドーマンド、ハレルソン、ロックウェルの名演技が、若干安いドラマのような演出を見事に補ってドラマを支えていると思う。
S.W.A.T.
8
特殊部隊の荒唐無稽なアクション映画ではなく、組織やチームみたいなものが描けているのが好印象。アクションシーンのほとんどが銃撃戦だけど、最後はちゃんと拳闘になるのはお約束w ただ中途半端に主人公達のプライベートを撮した意味はあったのかなあ、と。まあ、彼らの人となりを表現したかったのかもしれないけども。せっかく描くなら描ききって欲しかったなあ。それにオープニングで指揮を無視したことを問題提起してるのに、クライマックス近く「正しいことの為」という言葉一つで指揮系統を外れるS.W.A.T.達…。結局この場合は正しいのかもしれないけど、アメリカ人ってやつは…。全体的にリアルな構成で面白いけど、テレビで犯罪者が「俺を逃がした奴に1億ドルやる」と言っただけで簡単に信じる民衆はどうか?w 持ってる武器もヤバイしw しかしコリン・ファレルは今回も良かった。
西部戦線異状なし

(1930年制作)
10
エーリヒ・マリア・レマルクの小説を原作にした戦争映画。
第一次世界大戦から12年、ここまで戦争の無情さを描いた映画があろうとは…。敵国であるドイツ帝国の兵士達を主人公にしたいるだけでも驚いた。彼らを“敵”ではなく同じ“人間”として扱っている。教師の煽動によって愛国心と情熱を持って出征していく若者達。しかし戦場で目にする現実は、飢えと死の恐怖だけの毎日の中、発狂し、傷つき、死んでいく戦友達の姿。数年後に主人公が帰郷したときには、前線から遠い人達は現実を知らずに戦争を賛美する。「細部はともかく地図を観れば全体は分かる。パリへ進め!」  まさに地獄を目にしてきた主人公の気持ちを考えると、こんな無責任な奴らはいないな。でもそれが戦争の現実であり、兵士にとっての悲劇。記録映画を観るかのような生々しい戦闘シーンが凄い。70年前にこんな反戦映画を撮ることが出来たのに、それでも2度目の世界大戦を止めることは出来なかった。見終わった後、色々と考えてしまいます。
西部戦線異状なし

(2022年制作)
7
エーリヒ・マリア・レマルクの同名小説を原作にした戦争映画。
1930年にも米国映画として映像化されているけど、本作は本国ドイツで映像化された作品。ただ第一次世界大戦終結から12年後の映画と、この104年後の映画とでは同じ反戦映画でもどこか芯の違うものになってしまったようにも思う。個人的には1930年版の脚色のほうが良かったかな。やはり(国は違えど)その当時のことを知っている世代が描いた空気というのは、真実味の重みを感じるところである。
もちろんこの映画も戦争描写は生々しい。映像表現の発展によって戦場のリアルさはより真に迫るものが描かれているだろうし、爆撃で死ぬ者、焼かれて死ぬ者、負傷に絶望して自決する者、盗みを働いて死ぬ者、そして終戦を目前にして戦死する者…。とにかく戦場の不条理が凝縮されているのは間違いない。ただ、自分が1930年版で最も強く感じた不条理はそこではなかった。"無責任に学生を鼓舞し戦場に送り出す教師"と、"知らない戦場に栄光を夢見た学生の主人公が真実を知ったことで変化した姿"こそが、この作品の芯にある不条理だと思っていた。この作品の作り手は戦場の悲惨さこそが戦場の不条理だと思ったのだろうか。だとすればそれはどこか表面的なようにも感じる。
「戦争は悲惨だか止めなくてはいけない。」とするエルツベルガーの腐心は重要なことではあるけれど、サイドストーリー以上のものにならなかったのは、主人公の目線からすれば預かり知らぬところの出来事だったからだろう。それはそれとして駆け引きの物語はあっただろうけど、あくまで兵士目線での不条理の物語としてはやや浮いた感じもしたかな。
先立つ名作があった時、新しくどこまで脚色を変えられるのかという難しさを感じる作品でもあった。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
9
20世紀初頭のカリフォルニアを舞台に、石油採掘に人生をかけた主人公の姿を追ったドラマ。
監督は主人公ダニエル・プレインビューをドラキュラに見立てたホラー映画という位置づけで撮ったらしい。そう言われればなるほど、自分以外の他人を利用してでも石油(生き血)を手に入れようとするその執念は、怪物のそれとダブる。その一方で、教会の金策のために主人公を利用しようとするイーライ牧師も怪物であるのだと思うけど、この映画はさしずめその怪物同士の戦いを描いたとも言える骨太な作品です。
死んだ仲間の遺児を息子と偽り(その当たりの説明描写を序盤に台詞無しで一気に見せるのが良い!)、ビジネス拡大に利用してきたダニエル。第三の啓示教会の牧師として、神の名を語り派手なパフォーマンスで信者を取り込むイーライ。どちらも欺瞞に満ちた人物であるが、それぞれに(義理の)息子、神に対しての思いはウソではないんじゃないかと思う。というのもダニエルがイーライに「息子を見捨てた」と言えと強要された時の屈辱的な表情や、十数年後にその恨みを晴らすべく、ダニエルがイーライに強要した「私は偽預言者だ!」と言う時の苦悶の表情がねえ。金のために心の中で否定している思考や相手を認める事自体の、欺瞞の感情をこれでもかと見せられる場面はもう圧巻でした。
終盤で、独立したいという息子を「商売敵め!」と罵るダニエルの姿は、ここに至ってもう何も信じなくなった墜ちた怪物。幸せだったころの幼い息子との日々を一瞬回想するあたりは、血は繋がらなくとも息子として育てた子への愛は残っているようには思ったけど…。でももはや怪物になりそして孤独になってしまったダニエルは後戻りも出来ず、イーライとの決着をつけた時点で人生が「終わった」んだろうね。
世界侵略:ロサンゼルス決戦

(2011年制作)
7
突如として襲来し、全世界の都市への同時侵略を開始したエイリアン。各都市との通信が途絶する中、ロサンゼルス市内に取り残された市民を救出するために海兵隊が投入される。
視点としては海兵隊の一小隊とその2等軍曹のみで追っていくので、かなり限定的な戦闘や状況だけが描かれる。戦闘シーンはとにかく硝煙弾雨と爆発に次ぐ爆発で臨場感は抜群、その分だけ彼らと行動を共にしているかのような没入感はあるのだけど、逆に侵略全体の状況は分かりにくい。まあ作品としては描きたい部分が局地戦に特化していると思うので、状況が分からないところが逆にリアル志向に見えるけれど。ただ話が後半になるにつれて大味(わずかな人数で敵司令部を破壊とか)になっている感じがしないでもない。海兵隊万歳映画と思えばこういう感じでも納得ですが。
主演のアーロン・エッカートは海兵隊員役の雰囲気がハマってました。ミシェル・ロドリゲスは相変わらず逞しいが、技官役というのはなんだか意外。エイリアンの描写はデザインも含めて割とステレオタイプだったかなあ。 そうそう"飛行体"と呼ばれるエイリアンの航空兵器の動きはなかなか良いね。姿勢制御にスラスターをふかしまくっている姿が気に入りましたw
世界にひとつのプレイブック

(2012年制作)
8
妻の浮気で精神的に不安定な主人公・パット。接近禁止令が出ても未練タラタラ。そんな折、少々尖がった未亡人である友人の義妹・ティファニーから、ダンスのパートナーになれば妻に手紙を渡すと提案される。
序盤にパットの状況が描かれる…が、明らかに躁鬱な感じでなかなか難しい状態の様子。一方ティファニーもなかなかにエキセントリックな生活だねえ。そういった心の問題部分を丁寧に描いているし、構成がしっかりしているから後半でしっかり感情移入できるわけで。気づけば登場人物たちと一喜一憂してました!セカンドチャンスの物語としてもハッピーエンドで鑑賞後感が良いのだけど、展開としては割と型にハマっているかな。まあこういう話は王道だからこそ良いんだけどね。
主演はブラッドリー・クーパーとジェニファー・ローレンス。二人の距離感の演技が良い。親父役のロバート・デ・ニーロも困った感じの役だったけど、そこまで魅かれる部分はなかった。…が、ラストでやられたなあ。あの説教はズルいよ、なんか感動しちゃった。ああいう親子関係に弱いわー。
セッション

(2014年制作)
9
偉大なドラマーを目指し音楽校に入学した主人公は、そこでスタジオ・バンドを率いる教授に指名され、バンドに参加するが…。
魂の殴り合いとでもいうか、ラスト10分に凝縮されたエゴのぶつかり合いは観てるこちらが息をするのも忘れそうなほど、画面に飲まれてしまった。演奏シーンのダイナミックな連続カットも、そのスピード感が非常にいい。
主人公・ニーマンは偉大なドラマーになりたいし、そのためには努力はするが、人間関係についてはエゴ丸出しの部分もあって正直好きなタイプではない。まあ若さってこんなもんかという気もするけど。一方で彼を指導するフレッチャー教授は、偉大な演奏家を生み出そうと強烈な指導を生徒に行う。「『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹の様だ」という例えは当を得ていると思うけれど、ひたすら生徒を追い詰めるそのスパルタ指導スタイルは、もし自分ならついていけないw
フレッチャーはニーマンに才能を感じていたのだろうから、椅子を投げ怒鳴り散らし血が飛び散るまでドラムを叩かせたんだろうし、そのエゴを引き延ばしてこそ大成すると信じているんだろう。「どうしてバードが生まれたのか」という逸話を話すところからも、彼なりの信念によってスパルタを行っているのも分かる。ただ、それも生徒の人生のためというよりは、演奏家を生み出したいというエゴの発露であって、演じるJ・K・シモンズが言うように彼はサイコパスなんだろうな。
ラストのフェスに参加しないかと声をかけたフレッチャーは、最初から主人公をハメるつもりだったんだろう。観てるこちら側に、和解していい話になるのかと思わせておいて、演奏直前に「私をナメるなよ」である。“指導”による追込みではなく、完全に潰すつもりでやりやがった、おそろしいw でもそれがあるからこそ、ラストの殴り合いの様な演奏が爆発する。愛情と憎しみと緊張感が入り混じってた交錯する二人の視線。すばらしい熱量のラストだった。
セデック・バレ
第一部 太陽旗

(2011年制作)
9
1930年の日本統治下にあった台湾で起きた原住民の蜂起事件を描いた歴史大作の前編。
副題の太陽旗とはもちろん日章旗、もしくはそれを崇める日本人のことを指している。一方でタイトルにもある台湾原住民のセデック族は、台湾の山地で狩猟採集によって生活し、虹を崇め、敵部族の首を狩ることで成人と認められる"出草"という風習のある部族。19世紀末から日本統治下となった台湾では、日本人警官たちの監督の下に文明化の名目で首狩りは制限されていく。抗日映画と聞くと敵は「横暴な日本人」という図式がステレオタイプであるが、もちろん統治下での横暴な警官も出てくるし、搾取されているということも描かれるものの、日本人全体が悪としては描かれていないと思った。
むしろ、出草に象徴されるように全体的には文化の違いによる衝突を描いた作品かなと。冒頭で台湾奥地の探検に出かけた部隊がセデックに襲撃されるが、それは彼らの守るべき猟場に入ったが為であり、彼らの戦いは自己のアイデンティティを守るための抵抗である。なので、現代的な感覚で言えば野蛮で凄惨な行為が、セデック達にとっては名誉のための行為であるという捻じれの上手い表現として、事件の場面…霧社公学校襲撃ではこれでもかと出草の場面が繰り広げられるのだろう。とにかく、ひたすらに首が狩られる。
第一部はその霧社事件が起こるまでの経緯を描いた前編。観客の視点はセデック側にあるので、日本人に平等に扱われていないという不満が蓄積していく部分には感情移入できる。彼らの文化を知る事も出来るし、日本と台湾の歴史の一部として、観ておくべき作品かもしれない。
セデック・バレ
第二部 虹の橋

(2011年制作)
8
1930年の日本統治下にあった台湾で起きた原住民の蜂起事件を描いた歴史大作の後編。
襲撃後の事件の顛末を描く後編は、戦闘シーンが大半を占めるせいか、前編である第一部に比べると少々淡泊な印象を受けた。もちろん最後まで戦った彼らの信念は、全編を通じてしっかり描かれてはいるのだけれど…。橋での対峙から落下とその後の繋ぎ方は唐突な感じがしたし、虹の橋を渡るイメージなどももう少し印象だけにした方が個人的には好みかな。
個人的には第二部のクライマックスは花岡一郎(セデック族だが師範学校を出た警官)がセデックと日本の間で精神的に引き裂かれる場面だと思っている。セデックの女たちが集団自決したり、主人公側の仲間が次々と戦死または自決するシーンも多いが、花岡一郎のそのシーンはこの作品のテーマそのものであって、色々と考えさせられる場面だ。ただそれが第二部の序盤になっているので、どうしても後は終幕へ向かうだけ…といった感じである。頭目のモーナが理解している通り、日本には勝てないという結果は分かっているしなあ。
セデックに理解のあった警官・小島の妻子を、セデック達は暴動の際に殺害してしまった。その恨みか、事件後に小島が敵対部族を扇動してセデックの生き残りを襲撃して殺害した(第二霧社事件)とエンディングのテロップで表示される。一方で、当初「ただの野蛮人ども」とセデックを見下した態度だった日本軍司令官が、最後まで戦ったセデックの姿を見て「100年前に失った武士道を見た」と感服する姿も描き、この事件が残したものは単純ではないと語りかけるか。この作品で「日本が台湾統治を行わなければこの悲劇はなかった」と言いたいわけではないだろう。確かに「生番」と見下した気持ちは日本人に有ったろうが、それに対してセデックは自身の誇りのために戦った。そういう出来事があったという記憶を描いた作品だと思う。
セブン
(1995年制作)
9
デヴィッド・フィンチャー2作目の監督作品。七つの大罪をモチーフにした猟奇事件の犯人を追う、二人の刑事の姿を描いたサイコサスペンス。
灰色がかった街のイメージ、雑然とした屋内、警察に挑戦するかのような異常犯罪。暗い雰囲気が全編を覆い息苦しいが、それが七つの大罪という人を貶める罪源のテーマととてもマッチしていると思う。登場人物は、おそらく犯罪が多いのであろうその舞台の街自体にある種の諦めを持っていて、それがまた作品を背後から重いものにしている。そういう雰囲気作りからして上手い。犯人のジョン・ドゥは異常犯罪者ではあるけど、ハッキリとした説明はないものの、犯罪が起こることを諦めている一般人に対しての説教だと確信している行動には…。一見ただのサイコパスの話と見せて、なかなか深いものがあるよなあ。散りばめられた引用がそう感じさせる良い仕掛けになっている。
定年間近の老刑事サマセットと若い刑事ミルズのコンビは、思慮深さと熱さの差こそあれ、刑事としては対等なキャラにしている点で良いバディ・ムービーになってるよね。プライベートでの接点についても端的に描いていて、話運びもテンポが良い。それだけに衝撃的なラストには何度観ても心が揺れる。ミルズのあの場面を演じたブラッド・ピットは迫真ですなあ…。
ジョン・ドゥの勝ち。人はその罪に気づけるのか。この世は戦うに値するのか。
ゼロ・グラビティ
(2013年制作)
9
ハッブル宇宙望遠鏡の修理ミッション中に突如襲来したスペース・デブリ群。スペースシャトルは破壊され、ライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)は宇宙空間に1人投げ出されてしまう。
宇宙でロケをしてきたんじゃないかと思うほどの圧倒的な映像。もちろんそんなわけはないのだけど、宇宙飛行士達の慣性表現や、デブリによって崩壊するシャトルやISSのシーンなどの質量を感じる挙動は、この話のリアルさを底支えしていると言える。ここが嘘っぽいと話にならなかったろうけど、ホントに凄い。キュアロン監督らしい長回しもかなり効果を発揮してるよなあ。対象の回転に同期したり離れたり、クローズアップしていったと思ったらヘルメットの中にそのまま入ったり、狭い船内も関係ないような自由自在のカメラワークには感心。
ストーリーはいたってシンプル。宇宙空間にから如何に帰還するかという話に集約されるわけで、目の前に広がる広大な空間とは裏腹に、孤独感というか閉塞感が強烈に伝わってくる。次のデブリが来るまで…といった時限性も話の緊張感に貢献しているわけだけど、展開も上手いよね。冒頭でなすすべなく破壊されるシャトルを提示し、対処しようがないことを理解させ、ISS脱出での緊張感につなげてる。ソユーズの操作や構造と神舟の再突入シークエンスを対比させたり、推進剤替わりになる消火器噴射も、説明すぎない前振りとして上手い。観ているだけの側のはずなのに、完全にその状況に飲まれてしまっていた。
話の3分の2を1人で話を支えるサンドラ・ブロックの演技は素晴らしいの一言だけど、ジョージ・クルーニー演じるベテラン飛行士コワルスキーも印象深く良いキャラクターだった。あの状況にあって全く悲観的でない冷静さというのは…まさにプロフェッショナルということなんだろうけれど。劇中での再登場は目を疑ったものの、展開を考えればストーン博士の幻覚でよかった。あれで生きてたらご都合過ぎるw でも感情的には助かってほしかったけどね。
ちなみに邦題は気に入りません。これは無重力が云々のことなんじゃなくて、生還した博士が地上の重さを全身で噛みしめた時の感情を表現したものなのだから。原題通り「グラビティ」で良かったのに。
ゼロ・ダーク・サーティ

(2012年制作)
9
米国が探し続けていたビンラディンの潜伏先を突き止めたCIAの女性局員。彼女の目を通して、ビンラディンの捜索・襲撃・殺害の作戦を描いたサスペンス・ドラマ
「ハート・ロッカー」のビグロー監督作品と言われれば納得の硬派作品。主人公は実在する複数の局員をモデルにした創作だけど、その捜査過程がまるでドキュメントの様で非常にリアリスティックだね。9.11以降の世界に一区切りをつけるこの大事件を、本作は本気で真正面から描き切った。
単にリアルにするというだけでなく、そこに関わった主人公の変化がドラマの背骨として機能してる。最初は正視できなかった拷問に慣れていく様子や、仲間を殺されたことで仕事から執念に変化していく姿がよく伝わってくるね。ただ、中盤までそういった状況がかなりじっくり描かれるので、若干のダレは感じる部分も。でもそれがあるからこそ、エンディングの主人公の表情と涙に何とも言えぬ虚脱感に共感できるんだよなあ。彼女の人生のこの10年間は、それしかなかったのだからね。
後半はCIA局内の説得や段取りやが政治映画のように俄然話を盛り上げてくる。襲撃シーンに至っては、結果を知っているのにリアルさも相まって手に汗握る緊張感がたまらない…。エンターテイメントの様な盛り上げ方はしない、その地に足着いた作成遂行の状況描写が、やはりこの作品の本気度を表していると言えるだろう。
戦火の馬

(2011年制作)
8
第一次大戦に徴用された一頭の馬の目を通して、様々な人々の姿を描いた同名児童小説の実写化作品。
英国生まれの馬が、売られたり徴用されたり敵の手に渡ったり…と数奇な運命をたどるのだけど、その場面場面で飼い主や世話をする人たちがショートストーリーで描かれていきます。なのでなんとなくオムニバス的な雰囲気もする映画だった。そういう変遷を経て、最初の飼い主に帰っていくという奇跡…、まさに第一次大戦の真っただ中を駆け抜けてなお無事だった、という奇跡のストーリーにはじんわりと感動する。出来過ぎと思わば思えと言わんばかりのファンタジーではあるけど良いんじゃないかな。
奇跡の馬の話とは別に、演出面ではずいぶんとスピルバーグの趣味が出ていると思う。ずいぶんとクラシック映画…「風と共に去りぬ」や「西部戦線異状なし」を思い起こさせる雰囲気もあった。まあ、後者は舞台からしてもろに「西部戦線〜」なんだが、ただ戦場を描いてはいるけど悲惨な感じはそこまで感じない。死屍累々な場面もあるけど「プライベート・ライアン」の様なエグさがないのは、本質的に描きたいものが違うからだろうか。
第一次大戦は戦争の形態が大きく変わった戦争だけど、序盤の騎馬突撃をする英軍から、機関銃で応戦する独軍→塹壕戦→毒ガス→戦車登場…と戦闘の変化を意識的に登場させている。そんな中、塹壕でにらみ合う中間線で英軍と独軍の兵士が二人で行った共同作業…、この馬が生み出した戦場の奇跡という場面が俺の一番のお気に入りです。やはり敵を描いているんじゃなくて戦場を駆けた馬の映画だから、そういった一見ありえなさそうな場面でも素直に受け入れてしまう。惜しむらくは、ドイツ軍もフランス人も、ほとんど英語を使っているところが気になるけど…、まあここでは言うまい。
戦艦ポチョムキン
9
1925年制作の、モンタージュ技法を確立した映画史に残る傑作。
カットとカットをつなぎ合わせ、シーンとしてのダイナミズムを増す、いわゆるモンタージュ技法。劇映画の表現がこの作品以降で劇的に変わると言っても過言ではなく、その後80年以上過ぎた今でも映画演出の常識として成立しているわけだから、この技法を考案したエイゼンシュテイン監督はまさに天才ですね。
ストーリ−自体はロシア革命20周年記念作品と言うこともあって、完全な共産革命の宣伝作品。圧政的な権力者達と、蜂起する水兵。官軍による虐殺と反乱軍による反撃、そして同志艦隊との合流。うーん、実に分かりやすいプロパガンダですな。でもその演出は今観ても良くできていると実際に思う。
オデッサの階段シーンは有名すぎるけど、それ以外にも戦闘シーンでの緊張感や人々のリアクションなどは、定点の俯瞰映像では出来ない迫力です。意識して観てみると、そのモンタージュの効果の絶大さに改めて感動してしまいます。
戦場でワルツを

(2008年制作)
8
アリ・フォルマン監督自身が経験したレバノン戦争の忘れられた記憶を探るドキュメンタリー・アニメ。
ドキュメンタリー作品でありながら、なぜアニメという表現を取ったのか。1つには当時の戦場の再現において自由度が高いからだろう。かなり手間のかかったアニメーション技法だとは思うけれど、それでも実写のセットを組むよりは再現映像を作りやすいと思われる。もう一つは虚実の境を曖昧にできるということ。作品はドキュメンタリーではあるが、監督自身が自分の失った記憶を探すというドラマでもある。“インタビュー”“監督の観た夢”“戦友たちの証言の再現”の3つをアニメーションというフィルタを通した同じレベルで描くことで、リアル感の水準を虚実で統一させることが出来る。最後に、これがこの作品の最大のキモだと思うが、アニメーションというフィルタを通して観客が体験する映像はハッキリ言って作り物である。これは意図的で、だからこそ最後の実写映像の衝撃が最大限に効果を発揮する。
劇中でPTSDや“解離”の説明で語られた戦場のアマチュア・カメラマンの話…。「カメラを通して旅行者気分でフィクションだと思って見る感覚」からの「やがてカメラが壊れ、何の罪もない動物がなぶり殺されたという現実に素手で触れた…」を観客に追体験させる仕掛けなのは明白。そして俺はまんまとやられてしまった。その時、「これは現実に起きた虐殺事件だったのだ」と理解した。
“サブラ・シャティーラの虐殺事件”と聞いても日本人の俺にはピンとこない。中東戦争やイスラエルのレバノン侵攻は少しは知っているつもりでも、やはり遠い国の事なのだろう。この映画はアニメという媒体を使うことで観客へ純粋なドキュメンタリーとは違うアプローチを仕掛けてきたと思うし、それは成功しているとも思う。イスラエルの映画だが、事件を起こしたのはレバノンのファランヘ党だとしても、加担者としてのイスラエルという監督の苦悩が感じられる。何より劇中で、それを第二次大戦のホロコーストに重ねたところが凄いと思った。
戦場にかける橋
8
クワイ川への架橋工事を巡る日本軍と英国人捕虜、そして米国人捕虜の話。
誇りある英国軍人、横暴な日本軍大佐、ヤンキーな米国軍人の対比が面白い。序盤の「ジュネーブ協定だぁ!?」といった具合の斉藤大佐と、「士官は、工事監督はするが労働はさせない!協定を守れ!」と言うニコルスン大佐の対立は緊張感があって引き込まれる。結局懲罰に耐えたニコルスンの信念が勝つわけだけど、当時の状況でこういった主張が日本軍に通るとは思えない。あくまでドラマと捉えるべきかな。日本軍もかなりイメージで描かれている部分があるけど、個人的にはかなり好意的に描かれている印象があった。
終盤、捕虜でありながら英国軍人としての誇りと尊厳をかけ、見事な橋を完成させ仕事を全うしたニコルスン大佐。なんて格好いい軍人なんだろう。でもラストには戦争という名の皮肉が襲ってくる。完成した橋の上でニコルスン大佐は自分の心情を言っていたけど、その上でこの結末か。戦争とはつくづく虚しい。傍観者だった軍医が「狂ってる!」と叫ぶけど、本当にそうだ。
戦場のピアニスト
9
カンヌ映画祭グランプリを受賞した映画。俺はカンヌ受賞作品は苦手(語弊があるなw)なんだけど、この映画は良い!時代に翻弄された一人のピアニスト、ホロコーストの恐怖、ドイツ占領下のポーランドを実によく映し出していた。ホロコーストでの生と死はまさに日常。理不尽な暴力、人を人と扱わないドイツ兵、あの時代に大して深い悲しみと怒りがこみ上げてくる。終盤一人のドイツ人将校と出会うわけだが、そこで演奏するショパンはまさに音楽が言葉にも勝るものなんだと感じた。戦争末期だと言うこともあったのかもしれないけど、音楽によって通じあったドイツ人将校とユダヤ人のピアニスト、そこに何かの希望を感じる映画。
潜水服は蝶の夢を見る
8
フランスの雑誌編集長である主人公が、ある日突然襲われた脳卒中で左目以外の自由を奪われる。その彼が瞬きだけで意思疎通し書き上げた自伝を元にした人間ドラマ。
何と言っても主人公の境遇を疑似体験させる演出が見事。冒頭からしばらく続く主人公の一人称視点。その内面の言葉。この話として、こんな見せ方があるのかと感心しました。
主人公は自身の境遇に戸惑うけど、中盤に「自身を憐れむのはやめた」と決心する。その前後から彼を俯瞰で眺めるカメラが現れ視界が広がる。まさにそれって主人公の壁の距離そのものなんだろうね。
彼の状態を聞くと「海を飛ぶ夢」の尊厳死を思い浮かべてしまうけど、この主人公のそのような絶望を乗り越えようとする姿勢に感服…。それだけに主人公が言う「これからという時に…」というエンディングがまた哀しい。でも人の創造力と可能性に心を打たれますわ。
戦争のはらわた

(1977年制作)
7
1943年のドイツ東部戦線。部下や現場指揮官から信頼されている小隊長シュタイナー伍長の部隊に、西部戦線から新任の大尉が上官として転属してきた。そりの合わぬ二人だったが、そんな時、ソ連軍の攻勢が始まる。
サム・ペキンパーの戦争映画。ということでひとたび戦闘が始まれば爆発・砂煙・硝煙弾雨のすさまじいことと言ったらない。そんな死線をかいくぐってきた小隊メンバーと主人公の交流や、新任上官との反目が積みあがっていった先での終盤の展開はなんだかやるせないなあ。救った敵・ソ連の少年兵を逃がしたその場でソ連兵に殺されたり、敵陣から自陣に帰還する小隊が上官の策謀で銃撃されたり、そりゃあ精神的にもくるでしょう。戦場での狂気と言うよりは、戦場という理不尽さが印象に残る話でした。傷痍療養所で見る幻覚やフラッシュバックの使い方は上手いと思う。
主人公たちは第二次大戦のドイツ兵だけど、ナチではなくて国防軍なのでいわゆる悪党としては描かれない。人として、軍人としての精神を持っている人物として描かれているのが良い。そりゃまあジェームズ・コバーンが演じているので渋いしオーラもありますわw 対する新任上官役はアカデミー賞俳優のマクシミリアン・シェルで、鉄十字勲章に執着する信頼しがたい上官を好演してます。プロイセン貴族としての名誉のために勲章が欲しいという彼の欲は、主人公が戦場で目の当たりにしてきた理不尽の前でどれほどの意味を持つのかという虚しさが作品の通奏低音。
センター・オブ・ジ・アース
7
ジュール・ヴェルヌの古典SF小説「地底旅行」を元にした3D(立体映像)アクション映画。
「地底旅行」を元にした、と言っても「『地底旅行』で書かれた世界は本当だったんだ」という体で進む話なので、厳密にはヴェルヌの「地底旅行」ではないんだけどね。それにそもそも3Dで見せることを前提に作られた作品なので、モノが前後に派手に飛ぶような画作りが優先で、ストーリーはあって無いようなモノw でもクスッと笑える場面もあるし、画面の動きも派手なのでそれなりに楽しめる。まあ正に遊園地のアトラクション・ムービーかな。
話の伏線としてはマグネシウム云々はあるんだけど、それよりもヨーヨーをもうちょっと何かに使えなかったのか。序盤に意味深に見せた割には何も無し。つまり飛び出す映像を見せるだけの小道具でしかなかった。そういう作り方は勿体ないよなあ。
主演のブレンダン・フレイザーは三枚目の筋肉学者を演じさせたらやっぱりハマるねえ。
ソウ

(2004年制作)
9
多少の無理はあるにしても、脚本のよくできた映画。「セブン」的な猟奇事件を描きながらも、捜査をしている刑事ではなく、監禁された事件の被害者を描いたことで特有の閉塞感を体験させてくれたわ。そう言う意味では世間で「CUBE」に例えられているのは的に当たってる。でもエンディングで感じる感覚は「CUBE」のそれとは正反対だったけどもね。しかし猟奇殺人犯が“命の大切さ”について説教たれるわけだから、皮肉なもんだ。でもそれこそがこの映画の主張。確かに命を粗末に考えている者ほど、そう言った状況にならないと気付かないかもしれない。だからこそ麻薬中毒の女性は犯人に感謝こそしたわけだし。100分程度の話の中で2転3転する展開は見事。確かに鑑賞中に予想したいくつかのオチの中に結末はあった。でも結局最後まで絞り込めずじまいだったし、結局みごとに監督と脚本家の術中にはまってましたw
ソウ2

(2005年制作)
8
前作から1年。男女8人を館に閉じこめ、ジグソウが新たなゲームを始める。
前作のあの急転直下のオチから比べれば、今作のインパクトは小さくなったのは否めない。“ルール”、“最前列”、“生に対する感謝”というのはジグソウにとって普遍であるわけで、ジグソウのゲームメーカーとしての行動は、広い意味で前作に比べてさらに大胆になってるけど、基本的には前作の展開を踏襲している。それを分かっていればある程度展開の予想も付くからね。
ただ、それでもやっぱり全ての展開を読むのは、“答え”が見え始める終盤までは無理だろう。そういう意味で、やはりこの脚本は上手く作ってあると思う。映画の制作期間が1年だと考えればなおのことそう。
個人的には前作のような閉塞感や絶望感が小さくなっていたのは残念。館で“敵”に追いかけられるとか、やたらと血が飛ぶところは“B級っぽさ”が増してしまって、“見せないことの巧さ”は無くなってたかも。まあ、この映画は展開を楽しむ作品だからね。終盤にそれまでの善悪がひっくり返るあたりで「そうくるかあ」と思ったわけだし、十分楽しませてくれる映画です。
ソウ3

(2006年制作)
7
被害者を極限状態追い込む残虐なジグソウの“ゲーム”を描いた、シリーズ3作目。
3作目とも成るとマンネリを避けるために奇をてらった展開になるのがシリーズ物の常だけど、今作は2のその後と1の裏話を絡めて、上手くまとめてきたと思ったね。でもこのシリーズは展開を勘ぐって観てしまうせいか、ある程度予想がついてしまうラストには驚きはしないかな。そういう意味でジグソウの正体がラストまで分からなかった1の衝撃は超えられない。
演出は前作よりもさらにスプラッタ度が増してます。ゲーム自体もエグい。前半はその残虐さに、「ジグソウは無茶なゲームをするようになったなあ」と感じたんだけど、それにもストーリー上の意味があったんだよね。これは結構上手いと思った。でも最期まで観てから振り返ると、その他の演出も多少あざとい気がしなくもないがw
相変わらずジグソウは答えを最初から言っているので、2回目も違う視点で楽しめるかなあ。
ソウ4

(2007年制作)
7
被害者を極限状態追い込む残虐なジグソウの“ゲーム”を描いた、シリーズ4作目。
ジグソウは死んだ、では誰がこのゲームを?という展開が、実は半分ミスリードだったという時間軸の使い方が「ソウ」シリーズらしい。ちゃんとオチも“SAW”であるしね。まあ、展開はゲーム設定を含めジグソウの想定通りに進みすぎるけど、こういう映画なのでそこに疑念を感じてはいけません。
ゲームのグロさは3よりマシになった。その代わりオープニングの解剖シーンはやりすぎかw でも全体的には慣れて来つつあるのか、ショッキング度は低い。顔でナイフを押して…の機械は見ていて痛かったけどね。
シリーズが進む毎にジグソウの過去が判明していくけど、あまりやりすぎると蛇足になるとは思う。ある程度の神秘性も欲しいところではあるけど、「一人でこのゲームの準備を?」というところから展開していく限りは仕方がないか。まだ今回のオチ関連で謎を残したままなので、前作の残りの展開含め次作以降での説明に期待してしまうのは人間のサガですね。
しかし質を保ったまま4年連続で連作するパワーには感心しますわ…。
ソウ5

(2008年制作)
6
ジグソウの後継者となったホフマン刑事の“仕事”を描いたシリーズ5作目。
1〜4作目のカットが図所に組み込まれ、“実はここはこうだったのだ”とここまでシリーズの“仕事”にホフマン刑事が絡んでいたことが明らかになっていく。でも、やればやるほど蛇足感が出てくるのが否めないし、ストーリー展開も鮮やかではない。特にニセゲームの話などは設定上に無理がある気もする。一番気に入らないのは「3」から引っ張っていたネタ振りである少女の存在を、ほぼ無かったかのような使い方をした点。まさか「少女を救い出してホフマンはヒーローになりました」の1カットで済ますとは…。
逆に良いと思った点は、ストーリーと並行して進む5人のゲームが、誰かを出し抜くことで生きてきた奴らに「協力すること」を気づかせるという所。そこは悪くないと思った。だけど2番目のゲームのクリア後に時限性が無いので、「そこでじっとしとけば良いんじゃ?」などといらぬツッコミも覚えるw でもこのゲーム自体もストーリーの添え物に過ぎず、脚本の無理ばっかりが目立つ感じ…。そもそも「ソウ」シリーズのキモであるサプライズ感が無いのが問題だ。
あと最後の仕掛けは大がかりすぎると思うw
ソウ6

(2009年制作)
6
ジグソウの遺志を引き継いだ妻ジルと、ゲームを続けるホフマン刑事の姿を描いた6作目。
6年連続公開という驚異的な制作ペースは、もはやマンネリと言うよりも風物詩と言っても過言ではないか。連作していることを考えれば一定のクォリティを保った仕事には敬服するものの、やはりパワーの衰えは否めない。
話のつじつま等は、やりたい放題の「5」に比べればずいぶんマシになり、過去作との関連性も疑問に感じない程度にうまく組み込めていると思う。ただ、本作を通じて行われるゲームには話を引っ張っていくパワーが少なく、ホラー映画の割にはあまり緊迫感を感じなかった。そりゃあ劇中の人物は必死だろうけど、あんまりそれが真に迫ってこない。それはマンネリによって、ある程度先が分かってしまうことの弊害なのかも。
仕掛けが大仰なのは毎度のことだけど、全員知り合いである10人以上の被害者達を、一度に拉致している設定はかなり無茶かなあ…、まあそこは目をつぶるか。
これ以上グダグダにならない内に、そろそろシリーズ全体の着地点を考えてほしいと切に願います。
ソウ ザ・ファイナル 3D

(2010年制作)
6
ジグソウの妻ジルと、ホフマン刑事の決着を描いたシリーズ7作目にして完結編。
冒頭でいきなり「1」の終幕後が描かれて、懐かしい人物にオッと思うもののその分だけ話の仕掛けが目に見えてしまう。そういう意味でこの作品はシリーズで最もサプライズ感が乏しかったかもしれない。というよりも、もう何が出てきても「ふーん、それで?」と思ってしまうところに、このシリーズの限界があるのかもしれないが。
「ソウ」シリーズならではのワナや仕掛けは相変わらず痛いものばかり。グロ描写も結構あるが、毎度冒頭に描かれる掴みのゲーム&スプラッタは、今作が最も無理のある状況だった。いったいどうやってあんなモノを気付かれずに準備したw
さて、一応これでシリーズ完結と謳っているのだけど本当にこれで終わるのだろうか。最後のオチにしたって色々と説明不足なので「そうだったのか!」感は無いし…。ただ、シリーズの原点の場所に帰って話を終わるというところだけは悪くないと思う。
ソウルフル・ワールド

(2020年制作)
9
ジャズピアニストを夢見る主人公・ジョーは、ついにその夢を叶えるチャンスつかんだその日にふたの開いたマンホールに落下。気がつくとジョーは魂だけの姿となっていた。
“気づき”の物語だが世界観や物語の運び方が秀逸。最初はミュージシャンが夢をかなえる話になるのかと思って観たいたけれど、そんなものを飛び越えた先にある普遍的な“実感の喜び”に気づかされるような、生きることの物語だったと思う。劇中で語られる「海を探す魚」の例え話でもそうなんだけど、「海」は夢や音楽の話ではなく、気づいていないだけの身の回りにある喜びのことなんだよな。
結論だけ書けばなにやら自己啓発セミナーの様な感じでもあるけど、そこに至る物語の構築がやっぱりうまかった。最初に夢を提示して、それをつかむために生き返るという目的をはっきりさせる序盤。ゴールかと思われたその目的は話の通過点でしかなかったというのが、ミソだよね。起承転結としてはお手本みたいな構成でもある。この作品におけるあの世とこの世、生まれる前の世界といった世界観の説明を手際よくこなしているのにも感心したし、「ゾーン」という設定よユニークに利用していたのも面白い。ジェリーという概念の表現もよく考えるもんだw
内容的にとても大人向けというか、ある程度の夢や挫折といった人生経験の蓄積を前提に作られているので、小さい子供に向けではないとは思った。でもそこをアニメーション表現として全力で作ってしまうところがピクサーの素晴らしい部分だというのは実感する次第。
ソー
ラブ&サンダー

(2022年制作)
7
ネクロソードを手にした"神殺し"のゴアが現れる。前の戦い以来、ガーディアンズに同行して自分の探しの旅を続けていたソーだったが、ゴアとの戦いのためニュー・アスガルドに戻るとそこには別のマイティ・ソーがいたのであった。
「マイティ・ソー」としては4作目、MCUとしては29作目。今回はジェーンを演じるナタリー・ポートマンが久々にメインキャラとして活躍しているけど、前に出演していた「ダーク・ワールド」がMCUでは21作も前の話だと思うと…なんだかとんでもなく前のような気もする。(「アベンジャーズ/エンドゲーム」にも登場していたものの完全に脇役。) そして久々に登場したと思ったら“マイティ・ソー”になって大暴れだというのだから、自由というか何でもありだなあとも思ったり。一応ジェーン・ソーになる話自体はコミックにもあるそうだけど、女性をヒーローにするという展開は今の時代にもマッチしているネタというところだろうか。正直言うと、ジェーンって科学者なのにソーになったらと戦い方が知的というよりは脳筋になるんだ…と驚きはしたなあ。まあそれがソーっぽさではあるが。
前作の「マイティ・ソー バトルロイヤル」で軽妙な演出を見せたタイカ・ワイティティ監督の味は本作でも健在。でも全体的には「バトルロイヤル」の方が面白かったかなあとも思ったり。前作はアスガルド自体がなくなってしまうという深刻さとジョークの落差が良かったのだと思うが、本作はそれに比べると絶望感との振り幅がやや小さいと感じてしまったからかもね?
本作のヴィランであるゴアを演じるのはクリスチャン・ベール。やはり何をさせても上手いですね、この人は。マッチョな感じの悪役ではないけど、とてつもなく闇のオーラを感じる。ゴアの登場シーンだけは基本的にシリアスだったので、そういう意味でキャラをブレさせなかったのは見せ方の上手い部分か。
そういえば無駄に役者が豪華な劇中の寸劇も継続されていて笑ったけど、ケイト・ブランシェット役にメリッサ・マッカーシーをあてるというのが…なんともブラックだなw
ソーシャル・ネットワーク

(2010年制作)
8
全世界に5億人のユーザーを持つ巨大SNS"facebook"。2003年、その創始者マーク・ザッカーバーグが"facebook"を立ち上げて行く姿を描いたドラマ。
ザッカーバーグは世界最年少の億万長者であり、基本的にはその成功を掴んでいくアメリカンドリームな話と言える。でもこの映画で描かれるのは、成功を掴んでいく一方で次第にこじれていく人間関係を描いたドラマで、普遍的な信頼と裏切りの話のようにも見える。ただ面白いのは、序盤こそ時系列で始まるものの、突然何の説明も無しに(時系列的には最後の方の)訴訟場面が始まり、しかも2つの訴訟が入り交じりながら過去に何があったかと前後しながら展開していくところ。そこの交通整理がただただ上手い。
ストーリーでは、おそらく創作だろうけどザッカーバーグの行動原理をエリカという女性の存在としたところが、話の縦筋として上手く機能しているね。まあラストのは切ないのだけど、あれで本当に映画が纏まった。そこへの固執的な部分が、ザッカーバーグの人間性の表れになっているかな。少なくともこの映画の中におけるザッカーバーグは、変わっているしイヤな部分もあるのかもしれないが、純粋な人間だったと思う。
ザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグは名演です。
ソーセージ・パーティー

(2016年制作)
8
買い物客に買われる事を至上の喜びとするスーパーの食材たち。しかし買われた後の残酷な現実を知った彼らは、人に対して反撃を試みる。
愛すべきバカCGアニメ。一見「トイ・ストーリー」の食品版といった感はあるものの、そこはセス・ローゲン(製作・脚本・主役の声)の作品らしく、下ネタにクスリにドンチャン騒ぎと、そりゃあR15も当たり前という内容で比較にならんw けれど、ここまで突き抜けてくれると清々しいですよ。食品を擬人化したCGアニメとしてのクオリティも普通に高いし、その上でこんなくだらないネタを本気の映画にしてしまうのだから…。良いねそういう遊び心!
CGアニメになっても相変わらずラリってるジェームズ・フランコはある意味お約束。「プライベート・ライアン」や「ターミネーター2」といった分かりやすいパロディもあるし、なんでもござれの内容で実に楽しい。正直言うと中盤まではクスクス笑いながらも、ちょっとパワー不足な感じもしたのだけど、それをブッ飛ばすかのような終盤の怒涛の様な展開には大いに笑わせてもらいました。というか乱痴気騒ぎっぷりがひどい! CG技術の無駄遣いや!w
ちなみに声優がやたらと豪華です。基本的にコメディ俳優が多数なので「セス・ローゲンとゆかいな仲間たち」という顔ぶれではあるけど、“有名俳優”エドワード・ノートンは最後まで気づかなかった。言われてみればベーグルの顔がノートンに見えてくるのが不思議。メタなオチももうこれでイイですw
ソードフィッシュ
7
オープニングからスリリングな展開で引き込ませてくれる。ただ、あれだけミスディレクションを売りに宣伝してたから、「どんなどんでん返しがあるのだろう?」と期待した割には、「そんなもんか」といった感想。でもアクションシーンはやっぱり迫力あるし、悪役のトラボルタは格好いい。ちゃんとした美学がある所がいいね。
続・激突
カージャック

(1974年制作)
8
スピルバーグ監督の劇場デビュー作。里子に取られた息子を取り返すため、前科者の男女がパトカーを奪って目的地へ向かう姿を描いたドラマ。
TV映画の「激突」とは関係のない内容なので、今となっては邦題で損をしている感はあるけれど、当時としてはどうだったのだろうか。スピルバーグという名にまだネームバリューが無い時代なので、「あの『激突』の監督作!」と売り込むには良かったのかな?
それはそれとして、作品の展開は主人公の男女2人の状況説明や脱走〜カージャックまでをテンポよく描き、あとはひたすらに車で移動という流れ。車を奪って逃げるにしても、追跡するパトカーの車列との距離感や穏健な警部とのやり取りはどこか牧歌的で、悪く言えば緊張感はないが、逆に人質の警官よろしく観ているこちらもストックホルム症候群チックな感覚にさせるには良いユルさかな。こんな事件にこのパトカーの数はやり過ぎだろうとは思うが、まあそこは映画的ケレンということでw スピルバーグらしいジョーク演出(序盤の老夫婦とか)もちょくちょく入っているし、バックミラーと前車の同一フレーム、走行する車に寄っていくカメラ(逆もある)や、狙撃時の逆ズームの使い方も効果的。
主人公の女は向う見ずな行動派な上にたまにヒステリーチックな感じなので、正直イライラするところもある。けど、「単純に若くてバカなだけなんだな…」と感じさせるかわいげもあったりして、演じるゴーロディ・ホーンの不思議な魅力が良い感じ。その旦那(演:ウィリアム・アザートン)の方はそんなのに振り回されたあげくに射殺とか…、同情する。牧歌的だった前半の逃走劇も、後半にはちょっとずつ彼らの破滅を感じさせるように空気が変わっていくけど、その辺が良い。
卒業

(1967年制作)
8
大学卒業を機に帰郷した主人公ベンジャミンは、父親の知り合いであるロビンソン夫人から誘惑を受ける。アメリカン・ニューシネマの代表作の一つ。
人妻との逢瀬がなんか昼メロっぽいなあという前半。一方で女を知らぬ青年のドギマギ感や、その娘エレーンとホテルに行った時に名前を呼ばれまくるという笑いどころがなかなか上手く面白いw とはいえ、青春映画として将来に対する漠然とした不安がにじみ出る感じがこの作品の最大の魅力だろう。
ロビンソン夫人との出来事は若さゆえのことだったかもだが、その娘エレーンを追って彼女の住む街へ行くベンジャミンの(ストーカーじみた)行動力もまた、その若さがなせる業か。有名な花嫁強奪のラストシーンも、ベンジャミンの立場で観れば「よくやった」かもだが、よく言われるように関係者からしたらたまったもんじゃないよなw
而してその結果、ベンジャミンとエレーンはバスに飛び乗ってまだ見ぬ未来へと進む。親の影響下から抜け出して前途に希望が開けたはずの彼らの表情に、次第に不安が見え隠れしていく見せ方が素晴らしい。
ゾディアック

(2006年制作)
8
1960年代から70年代にかけて起きた連続殺人“ゾディアック”事件。その事件を追った3人の男達の人生を描いた物語。
デヴィッド・フィンチャー監督で連続殺人モノと言えば「セブン」を思い出さないわけにはいかないけど、この作品は最後まで警察や記者という追う側の姿を描いた作品。しかも未解決でもあるこの事件を追うことで人生を狂わしていった男達の物語なので、「セブン」とはちょっと作風が違う。この作品のアプローチは面白かったね。
主人公が“ゾディアック”に執着し過ぎていく過程が丁寧に描かれているし、それでいてサスペンス性もドラマ性もバランスが取れてる。かなり考えさせながら、最後まで引っ張って魅せてくれました。最後でに真相へ肉薄した主人公にはハラハラw 結局史実通り真相は闇ではあるけども、状況証拠の犯人が、科学的な証拠でシロになる不可解さは何か…。一瞬劇中で言及される複数犯説というのはあながち…?
でも真相は分からないんだよね。だからこそ今でも題材になる事件なのだろうけども。
ソニック・ザ・ムービー

(2020年制作)
8
セガを代表するゲームキャラクター“ソニック・ザ・ヘッジホッグ”を主人公にしたハリウッド映画。
TVゲームのソニック・シリーズは1〜3とナックルズ、そしてアドベンチャー1〜2を遊んでたなあ。この映画は「実写版」ということでCGキャラクターになったソニックが現実世界を駆け抜けるわけだけど、初出の予告編ではそのキャラデザインがゲームのそれからかけ離れていたせいで大炎上。確かに実写になじませようと思ったら“生物学的に”リアルなデザインに寄せる方針も分からなくはないけど、この場合は失敗だったよね。ということでもう少しゲームのデザインに近づけてのCGソニックとなった公開版ですが、ゲームとはちょっと印象が違うとはいえこれはこれで悪くない。むしろ最初にひどいのを見せたことで受け入れやすくなっていることを考えると、あの予告って意図的な炎上マーケティングだったんじゃないのと疑いたくなるw
キャラの性格的には少し子供っぽい方向に振っている気はするけど、“ソニック”からイメージする“らしさ”は十分に表現されていて、普通に楽しめました。少なくとも「これじゃない」とはならない。孤独な生活から人間との友情を得るまでのストーリーは王道的ではあるものの、ターゲットの年齢層を考えると分かりやすさと安心感は良い感じじゃないかな。あと、敵役のジム・キャリーの存在感が圧倒的。とっても濃い〜演技のジム・キャリーが生き生きとしていてなんだか嬉しいですわ。もはや半分はジム・キャリーの映画といっても過言ではあるまい。そのジム・キャリーが演じるロボトニックが終盤に向かうにつれどんどんDr.エッグマンの見た目に近づいていくっていうのは、作り手もよく分かってらっしゃる。エピローグではテイルズも出てきたし、これは続編も楽しみですよ。
ソニック・ザ・ムービー
ソニック VS ナックルズ

(2022年制作)
7
“ソニック・ザ・ヘッジホッグ”を主人公にしたハリウッド映画の2作目。キノコの星に飛ばされたロボトニックがナックルズとともに地球に帰ってきた。
ヒーローのあり方をソニックに説くのがジェームズ・マースデンだと何やら説得力も感じますが、「サイクロップスは残念な死に方をしたなあ」という想いが脳裏をよぎるのでした(苦笑) それはともかく、前作から地続きの続編としてはまあまあな感じ。というか本作の成分の6割くらいはロボトニックを演じたジム・キャリーのテンションでできてますねw 嬉々としてオーバーアクトを行っている感じが楽しそうで何よりです。終盤の遺跡突破と巨大エッグマンロボとのバトルはゲーム的で面白かった。スーパーソニックはさすがに圧倒的だねえ。
新登場のナックルズは見た目も性格もちゃんとナックルズで文句なし。前作ではラストにちょっとだけ出ていたテイルズも本作ではたっぷり活躍するし、ゲームと同じくちゃんと赤い飛行機を操縦する場面があるのがゲームからの引用で良いと思う。内容的には使用者に強力な力を与えるマスターエメラルドを巡る攻防がメインなのでわかりやすくていいけど、序盤に羽根を伸ばすソニックのハッチャケがややくどいのと、中盤に挟まるハワイでの人間側のドタバタがちょっと微妙だったかも。結婚指輪とソニックのリングの取り違えだけは笑ったけど、その他の偽装結婚式に怒るレイチェル(ナターシャ・ロスウェル)のいかにもアメリカのコメディっぽいノリはあまりノレなかったかな。
そういえば劇中のセリフでやたらと映画ネタが出てきたけど、ゲームの映画化なのだからせっかくならゲームネタをやればいいのに…と思ってしまいました。
宇宙へ。

(2009年制作)
8
NASAの50年におよぶ活動の軌跡を記録した英BBC制作のドキュメンタリー映画。
宇宙開発史を描いた記録映画と言うよりは、本当にNASAの記録に特化している。なのでソ連の「地球は青かった」も「私はカモメ」も無く、人類初の宇宙遊泳も米国が初の様な印象を受けてしまう(ソ連が人類初)。とはいえ、米国が人類未到の月面へ最初に降り立った事は間違いなく、そのアポロ計画のために全段であるジェミニ計画から周到な準備を進めていった過程は、米国のとんでもない開拓精神と国力を感じさせますわ。
アポロ計画については先年に公開された「ザ・ムーン」の方が映像も含めて興味深く作られていて、本作は興味を持つとっかかりには良いと思うけど、知っている人間からすればあまり目新しさがないかな。でもその後に取り上げられるスペースシャトルの“チャレンジャー事故”と“コロンビア事故”の件では、事故直前のクルーの姿を見るとその先の出来事を知っている身としては涙が出てくる…。昔より宇宙が近くなった時代とはいえ、やはり今でも宇宙飛行が命をかけたミッションであることは間違いないし、それでも宇宙を目指す宇宙飛行士達、NASAの職員達にはほんとに敬服してしまいます。
ソルト

(2010年制作)
7
CIA職員の主人公が、亡命ロシア人にロシアのスパイだと名指しされたことから、決死の逃亡劇を計るスパイアクション。
主人公役のアンジェリーナ・ジョリーはこの手のアクションはお手のもの。トラックの上を飛び回り、銃撃戦を繰り広げ、接近格闘で相手を始末するという、イメージに合った見事なアクションを繰り広げてくれます。が、ある意味イメージ通り過ぎる感じもする。
元々はトム・クルーズが演じるはずだった主人公を女に設定を変えた経緯のある作品なんだけど、男ではありきたりなスパイ映画になったところを女に変えたところは新鮮味が出て良かったと思う。ただ、前述の通りアンジーではアクションのイメージに安定感がありすぎて何でも解決できそうに見えてしまうので、個人的にはアン・ハサウェイのような線でも良かった気も。
ストーリーは結構ムチャクチャしている。国家間の戦争を煽るなんて、一昔前のスパイ映画を観るような荒唐無稽さ。それに主人公の出自をめぐるミスディレクションも、観客の目を欺くことを前提にした設定や見せ方のせいで、今ひとつ話のリアリティが欠けてしまって勿体ない気が。追いつ追われつの駆け引きは名作スパイアクション・「ボーン」シリーズの影響がありありと見て取れるけど、事態を広げすぎたストーリーとそのご都合っぽい展開のせいで、正直“ボーンの亜流”という印象以上にはならなかったかな。
それでも夜は明ける

(2013年制作)
8
19世紀半ばの米国で、誘拐され12年間奴隷として生きることになった自由黒人のソロモン・ノーサップを描いた伝記映画。
米国黒人の歴史を語る上では黒人奴隷の話は避けて通れない部分。その記憶を知る上で、ソロモン・ノーサップが実際に体験した事を、こういった形で残すことは重要だと思うし、それだけでも意義のある作品だと思う。内容的には想像の域を出る筋書きでもないけれど、人間の尊厳を描いた力強さに心打たれた。自分がソロモンだとしたら、このように生き抜けるかな。
現代的な感覚からすれば奴隷制度などナンセンスの極み。でも当時の米国南部では黒人奴隷によって白人の社会が成り立っていたことも事実だし、奴隷は所有物であるという感覚も当然あったろう。マイケル・ファスベンダー演じるエップスはまさに残酷な白人の象徴だけれど、一方でフォードの様に奴隷に対しても比較的人間として接する人物もいるわけで、作品として妙な偏見に固まっていないのも良いと思う。ソロモンの人生を描いた作品でもあるけど、個人的には当時の米国南部の空気を描いた作品だなと思った。白人に陥れられ、白人に奴隷にされ、白人に救われる。黒人には何も主導権がなかった、そんな時代。
それにしてもファスベンダーの悪役っぷりと言ったら。憎まれ役を見事に演じているよなあ。エップスという人物の行いは残酷であるのは間違いないが、それも南部という社会が黒人に対する所有物という"常識"に基づいた行動なのだと思うと、個人的には憐みこそすれ、憎悪の対象にはならなかった。この映画で最も忌むべきは、自由黒人を誘拐していた奴隷商人たちだろう。
ゾンビ
[ダリオ・アルジェント監修版]

(1978年制作)
8
ジョージ・A・ロメロのゾンビ3部作の第二弾。欧州等での配給権を得たダリオ・アルジェントによる編集版。
日本での初公開はこのバージョンが基(ゴア描写は編集された)で、その後、最初のパッケージ販売の際は[米国公開版]を基にしたものだったため、当時のファンの間では「映画で観たのと違う!」と話題になったらしい。俺は昔観た[米国公開版]の詳細をだいぶ忘れた状態でこのアルジェント版を観たものの、まあ大筋の話は同じなわけで「ああ、こんな話だった」と観ながら思い出した次第。(ショッピングモールに立て籠もるのと、商品をかき集めてハシャグこと、最後にヘリで脱出するのは覚えてたけど。)バージョンでの明確な違いとしては、一般的にゴブリンによる劇判の使いどころの差によって印象が違う…らしいが、個人的にはそこに気づけるほど観こんでいないので…。ただ、エンドクレジットは明らかに違っていたね、こちらの方が黒バックでスタンダードな印象を受ける。
いずれにせよこの映画は、冒頭のTVの様子から断片的に伝わる終末的様相の感じさせ方、ショッピングモールでのサバイバルとある種のユートピアの実現、そしてそれの崩壊(原因はゾンビではなく外部の人間である)の構成がとても上手い。確かに低予算な感じは全体から伝わるし、メイキャップだって今からすればお粗末なものだけれど。それでも世界観の端的な描写力が、有象無象の作品が作られた「ゾンビ映画」というジャンルの中で今でも色褪せない魅力を放っていると思う。
ゾンビ
[米国公開版]

(1978年制作)
8
ジョージ・A・ロメロのゾンビ3部作の第二弾。SWAT隊員とその仲間の4人がゾンビ達に囲まれたショッピングセンターに立て籠もる…。
洋の東西を問わず、“死者が蘇り人を襲い出す”というのは根元的な恐怖なのだと思う。そういう意味で世の中がそんな状態になってしまっているこの映画の世界観は、状況だけで十分に恐ろしい。そういった状況の中で生きている人間の行動を描いているのだけども、どこかしら絶望感がない。特にSWATの2人は状況を楽しんでいるかの様でもある。まあ、ホラー映画とは思えない軽快なBGMの効果でもあるなのだろうけど、実際に鑑賞すると、そこが妙な感覚ではあった。
ただ、それでも知り合いが次第にゾンビになっていく…という今でこそお約束のシチュエーションは時限的な恐怖としては最強かも知れないね。もちろん、登場人物に感情移入していることが前提ですが。
とにかく、日常空間(ここではショッピングセンター)に非日常の産物であるゾンビが闊歩するというシチュエーション。これが一番のホラーな作品です。
ゾンビランド

(2009年制作)
8
ニートの主人公以外、誰もがゾンビになってしまった世界。そんな主人公が故郷へと向かう途中、ゾンビ狩りをしているマッチョな男、そして女詐欺師の姉妹と出会い、ゾンビがいないという西方のパシフィックランドを目指すホラー・コメディ。
ゾンビ・コメディというとどうしても「ショーン・オブ・ザ・デッド」を想像してしまうけど、ロメロへの愛にあふれた「ショーン〜」に比べるとちょっと印象が違う。主人公の成長青春映画にゾンビ映画の皮をかぶせた本作は、そこはかとなく爽やかな印象を残す佳作でした。青春映画的な展開としてはベタではあるけど、ニートだった主人公が「彼らと一緒にいたい」と他人を疑似家族として受け入れるという話が良いんだよね。それをゾンビ・スプラッターで色づけしているところがこの映画の捻りで面白いところか。
ウディ・ハレルソン演じるマッチョマンが良いキャラなんだけど、彼がゾンビを狩っていく姿は、もはやゾンビ映画としての襲われる恐怖を一切取り払うパワーで、それ自体がギャグ。米国人ならゾンビを叩きのめすたびに“WOW!”と喜びそうな感じw でもそういう意味で言うと、個人的にはそのノリについていけてない部分もあったかなあ。まあ昔の映画へのオマージュとか、クスクスする場面は多いが。ちなみにこの映画で一番面白かったのは、なんと言ってもビル・マーレイ。敬意を払いつつもまさかの扱い方に、まあ何と贅沢な作品かと感心w
ゾンビランド
ダブルタップ

(2019年制作)
7
あれから10年。ゾンビが闊歩するアメリカで変わらず4人暮らしの主人公たちだったが、ある日ウィチタとリトルロックがメモを残して去ってしまう。
10年経った今、なぜこの続編なのか? その理由は全く分からないが、当時と同じキャストが再結集して同じノリでゾンビを滅多打ちにしている姿はなんだか嬉しい。ジェシー・アイゼンバーグもエマ・ストーンもこの10年間で俳優としても出世して、これで主役の4人全員がアカデミー賞に絡んだことがある役者ということになるわけだが、ある意味バカ映画と言ってもいいような作品にちゃんと帰って来てくれたのだから実にありがたい。そういえば監督のルーベン・フライシャーもこの前に「ヴェノム」をヒットさせてヒットメイカーになっちゃったな。そしてエピローグには前作で“不慮の死”を遂げたビル・マーレイまで大暴れ。こりゃもう完全に同窓会よw
そういう意味で全員古巣に帰ってきたような安心感がある作品だったのだけど、内容的には半ば反抗期チックなリトルロックの家出を追いかけて、紆余曲折はあるものの再び家族に戻る内容なので、あんまり捻りは感じない。まあこの話に捻りが必要なわけでもないが。一時行動を共にする頭がカラッポのマンディが少々フックにはなっているけど、意外性と言えばあのウザさでゾンビにならずに最後まで生き延びるという部分にちょっと裏をかかれたくらいかな。
このコーナーは暇ができないと更新できないので、不定期に更新しています。


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