Movie Review!-タ行 |
とんでもないバカな死に方をした人物を“悪い遺伝子を消した”として表彰する“ダーウィン賞”。そんな事故にあった人を調査する保険会社のコンビを描いたコメディ。 ネタの着眼点は凄く良いのに、なんだかとっても演出と脚本がお粗末なので残念でした。ドキュメンタリーと称してくっついている学生の目線と本当のカメラの目線が中途半端に入れ替わるし、血を見ると失神するという主人公の病気もストーリーに生かせているとは言いがたい…。それに終盤のビート事件への話のもって行き方も上手くはないしね。 ジョセフ・ファインズとウィノナ・ライダーの保険屋コンビは、演出次第では「X-ファイル」のモルダーとスカリーにもなり得たと思うんだけどなあ? 惜しいです。そういうコンビでバカみたいな事故を検証していくというのは面白いと思うんだけど、やっぱりこの作品ではその設定の面白さは生かせてないと思う。 |
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アフリカのビクトリア湖。そこに放たれた巨大魚ナイルパーチが在来魚を駆逐し始めて半世紀、湖畔の街ではその魚を加工し輸出することで儲ける者、生きるために売春する者、ドラッグや煙草をやるストリートチルドレンが毎日を生きる。アフリカの一面をとらえたドキュメンタリー。 アフリカから先進国へナイルパーチを空輸する為に毎日輸送機が往来するが、その輸送機はアフリカへ来る時に何を積んでいるのか?そのテーマを描くことが監督の一番の関心事のよう。そして描かれるビクトリア湖畔の人々の姿。確かに映画に描かれるような事実はあるのかもしれないけど、それがビクトリア湖周辺の全てであるかのような演出が少々鼻につくね。 アフリカの政情不安を食い物にする武器商人が、飛行機で武器をアフリカに密輸し、その飛行機が先進国の食卓を潤す魚を積んで帰る。状況証拠であってもその南北の交流が事実ではないかと思えること自体はショックではある。でも話の持って行き方は答えありきのモノでしかなく、そういう意味で「華氏911」を思い出したりもする。 |
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(2012年制作) |
1966年から1971年米国で放映された同名TVドラマの劇場リメイク版。主演はジョニー・デップ。そして監督はティム・バートン。 家族思いで元人間のヴァンパイア。そして彼を恨んで200年の美しき魔女。奇人変人を嬉々として映し出すバートン監督の好きそうな世界観だし、相変わらず奇人を演じさせたら見事にハマるデップの雰囲気もさすが。 18世紀に生き埋めにされ、1972年に掘り出された主人公のカルチャーギャップなどは、こういう設定ではお約束な感じだけども面白い。だけど全体的な流れとしては、家の復興への経過は駆け足な割に、主人公の家族との絡みや家庭教師への恋などは間延びしていたり淡泊だったり、どうもぎこちない感じ。特に家庭教師のヴィクトリアは、冒頭では主人公なのかと思う様な描き方だったのに、中盤やクライマックスではあまり目立たないし。エンディングで分かりやすいオチに持っていくだけのためにいるように感じられて、個人的にはいまいちかな。あとクロエ・グレース・モレッツの設定はちょっと唐突だった…。 とはいえ、出演者はバートン映画の常連者も含めて実力俳優がそろっていて、見応えはあるかな。女優がみんな魔女っぽいが、人間役のミシェル・ファイファーが最も魔女的貫禄があるかもw |
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(2008年制作) |
新生「バットマン」シリーズ第2弾。最凶の敵ジョーカーがゴッサム・シティを恐怖の底に叩き落とす。 とんでもない作品。もはや原典が勧善懲悪のヒーローモノのアメコミだったとは思えないテーマ性には、アメコミ映画の新しい次元が見えてくるように思える。(もちろん映画に大いに影響を与えている「ダークナイト・リターンズ」等はシリアスな路線であるわけだけど。) 狂気の権化であるジョーカーも、コミック的だったバートン版と異なる新しいイメージを見事に構築していて、もうバットマンそっちのけで目を奪われるねw バットマンと表裏一体の存在である狂人を、ギリギリの線でリアルに作り上げた脚本は実に上手かったと思う。もちろんそれをまるで何かが憑依したかのような演技を見せたヒース・レジャー。この映画は彼の存在無くしてはありえなかっただろう。 尺は2時間半もありながら、目が離せる隙はほとんど無いほど引き込まれる。しかし、特に序盤には大胆なシーン展開でカットとカットの間が端折られている部分も目立ち、これ以上長くならないように苦労した部分も垣間見えた。その繋ぎが若干強引に思える部分もあったけど、全体的に見ればそれを忘れてしまうほどの強烈なインパクトのある映画でした。 ブルース役のクリスチャン・ベールは無難。デントを演じたアーロン・エッカートのトゥーフェイスも良かった。トゥー・フェイスがこういう風に描かれるのかという驚きもあったんだけどね。 エンターテイメントでありながら風刺的なテーマを持ち、そして鬼気迫る演技で魅了する。それをアメコミという題材で描ききってしまうというパワー、そして原作のイメージを守りながらも新しいものに昇華させた想像力と演技は素晴らしいと言うほかないです。 |
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(2012年制作) |
クリストファー・ノーラン版「バットマン」の第3作にして完結編。ジョーカーとの戦いの後、バットマンが姿を隠してから8年後。犯罪が減り平和になったかに見えたゴッサム・シティだが、ベインと名乗るマスクの男が再び街を混沌へと導いていく。 バットマンとは何者なのかというテーマを表裏一体の善悪として描いた前作。今作は"偽りの正義の街"の姿をあぶりだしたベインとの、もっと巨大な"正義(悪)"との戦い。でもここまでデカい話になりながら発散させず、ブルース・ウェインという個人の生き様として「ダークナイト」3部作の完結編として描き切る技量は、実に見事なものだった。 正直中盤までは「このままでは前作には及ばない」という印象が強かったのだけど…。でも終盤の怒涛の話の畳み方にはもう本当に酔いしれてしまった。「ビギンズ」からのアルフレッドやゴートンとの友情と別れ。命をささげてバットマンとして生きたブルースと、彼の遺志を受け継ぐ者。ブルースの話であると同時に、ブレイク刑事の話でもある。まさにドラマの結末と始まりがそこにあった。些末なことを言えば、科学考証や行動力の説得力に疑問が残る部分もあるけれど…。でもこのシリーズの、一つの物語の幕引きとして、今これ以上は思いつかないかな。 相変わらずコミック的なデザインを生かしながらリアルに変えたデザインは良い。肉体派でありながら頭もキレるベインというキャラクターは魅力的だね。スケアクロウが再び調子に乗っていてクスッとしたが、ラーズ・アル・グール絡みのサプライズは上手かった。完全にベインがミスディレクションとして機能してるけど、ネタ明かしされても納得してしまう。個人的にはキャットウーマンのデザインで、ネコ耳と思わせて実はゴーグルという機能性のリアルが好きですw |
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何と言っても、この映画はフィル・コリンズの歌が効いてる。主題歌より挿入歌の方が好きだけど。テンポ良くストーリーも進んでいくし、スピード感があって、見ていて飽きない。いつの間にかちゃんとターザンに感情移入している自分に驚く。ディズニーは、こういう作品を作らせたら強いな。万人に勧められる良質な作品。 | ||
(2016年制作) |
かつてはジャングルの王であり、今ではイギリス貴族となったターザンことジョン・クレイトンはベルギー国王からコンゴ視察の招待を受けるが、そこには裏の目的が隠されていた。 所謂「ターザン」の物語のその後を描いてはいるものの、実質的にはリブート作品。なので邦題は「〜:REBORN」なんだろうけど、生まれ変わったわけではないので原題のまま“THE LEGEND OF〜”の方が内容的に正しいよな。「あれが噂に聞くターザンか」っていう話だし。 ということで後日談ながら、敵の計略と仲間の目的によって再びジャングルへ戻ってきたターザンの物語。途中で美しい妻ジェーンをさらわれ、彼女を救うためにジャングルを横断して追うというシンプルなストーリーだが、過去の因縁の回想が度々差し込まれるので、テンポ的にはちょっと微妙かなあ?もちろんバックボーンを語る必要もあるけど、さして小出しにする必要も感じなかったし、追跡だけで一気に進めてくれても良かったのだけど。ゴリラも造形が実にかっこいいとは思うものの、これだけだと映像的な驚きは少ない感じ。 アフリカでの奴隷狩りに言及した話でもあるのは、アメリカの今日的な流行のテーマを取り入れた感じかな?仲間にサミュエル・L・ジャクソン演じるウィリアムズがいるのもそういう意味があるのだろうが。登場人物はどれも愛嬌が足りない中で、ウィリアムズは良いキャラクターだった。ベーコン味のアリを試食した時の「意外といけるやん」的な表情は好きw |
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(2016年制作) |
祖母の葬儀の翌日、旅行に出るという祖父・ディックの運転手を務めることになった主人公である孫のジェイソン。破天荒な祖父の行動に振り回される主人公の姿を描いたコメディ。 監督が「ボラット」や「ブルーノ」の脚本家と言われたら納得の下ネタ具合。だけど先の映画の様に何かの社会風刺に光るものがあるわけではなく、単純に下ネタ満載のよくあるアメリカンコメディって感じかなあ。まあ女性が強くなってきたという部分や、もっと自分らしく生きろとか、もっともなことは言っているけれど。そんな具合なので、こういう下ネタコメディを「ザック・エフロンとロバート・デ・ニーロがやってる!」というところに面白みを見出すしかない。ただエフロンは直近の「ネイバーズ」の方がハマり役だったし、デ・ニーロも今更どんな役をやっても驚かないというか。デタラメに見えてちゃんと主人公のことを見ているという役柄は最近だと「世界に一つのプレイブック」とも重なるかな。なので今更彼らのイメージを崩すものでもないという意味では、ちょっと踏み込みは浅かったように思う。 笑いのネタはひたすら下ネタで、オナニー、セックス、ペニス、ヴァギナと、めまいがするような低俗さw 個人的にははまらなかったかなあ。留置場から出てくるときの恰好を使った繰り返しギャグや、いい加減な警官のネタは嫌いじゃないけど、それ以外は…うーん。向こうのティーンなら喜ぶのかな? 下ネタ満載でも構わないんだけど、もっとスラプスティックにしてしまうとか、「ハングオーバー!」みたいな勢いは大事だと思うんだけどね。ちょっとテンポが物足りなかったのかも。 |
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ロス市警のいつも汚れ仕事を任される刑事“ダーティ”ハリーと、“さそり座の男”を名乗る殺人鬼との闘いを描く刑事アクション。 何と言ってもハリー・キャラハンを演じるクリント・イーストウッドが渋すぎる。キャラハンの人物像とも相まって、その漢っぷりがホントに格好いい。対して“さそり座の男”を演じるアンディ・ロビンソンの憎らしい演技ったら無い。「こいつなら私刑でもかまわん!」と思ってしまうもんなw その犯人をせっかくキャラハンが一度つかまえても“人権”の名の下に釈放され、そして再犯する。その辺の司法や警察権のもどかしさが、またラストにバッジを捨てるキャラハンに重なるんだけどね。 名ゼリフ「何を考えてるか分かるぜ…」のくだりを序盤と終盤に持ってくるあたりの演出がニクい。その繰り返しが作品を見事に引き締めてるね。個人的にはスタジアムで犯人を追いつめたキャラハンを、カメラがずーっと引いていくシーンが印象に残ってます。 |
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法で裁かれぬ犯罪人が次々に銃殺される事件が発生。ハリー・キャラハンが警察内にいるとおぼしき犯人を追うシリーズ第2弾。 ガンファイトあり、カーチェイスあり、ミスディレクションまであり、1作目とはまた違った見応えがあります。だけどこの2作目はキャラハンが“ダーティハリー症候群”な犯人と対決するという、なんとも皮肉な展開で観ている方は複雑。 前半で意図的に白バイ警官の顔を見せないなどの演出は良いけど、でも1作目の作りの巧さには叶わない感じ。まあエンターテイメントとしては十分面白いけどね。 ただ、個人的にはキャラハンにせまる女の存在がよく分からない。個人的な趣味なのかも知れないがw |
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過激派がキャラハンの元相棒を殺し、そして市長を誘拐。キャラハンは新しい女性の相棒と共に捜査を開始する。 女性刑事の相棒というのはいかにも時代を表した設定なんでしょうな。そんな相棒とコンビを組んだキャラハンが「泣けるね」と愚痴る様子が可笑しい。まあ兎にも角にも最後には相棒として信頼関係が成立するのはおきまりの展開か。犠牲によって怒りに燃えるのもね。 しかし犯人側の過激派がショボイ。思想もへったくれもないような武装チンピラ。法ではどうにも出来ない相手へ超法規的(!)に44マグナムをぶっ放すキャラハンの姿が痛快なのに、最後はマグナムじゃなくてバズーカになっちゃってるしw 中盤、黒人の過激派を追い回す街中の追跡劇はBGMもアングルもなかなか良い感じでした。ちゃんとオチもあるしね。 |
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(1983年制作) |
手荒な捜査を続けた結果、北カリフォルニアの街に出張を命ぜられるキャラハン。そこでサンフランシスコであった殺人と同じ手口の事件が起こる。 事件がキャラハンを呼ぶのか、キャラハンが事件を呼ぶのか。過去に集団レイプに遭った女性の復讐劇と、厄介払いされたキャラハンという2つの筋が次第に収束していく話。なんだか時代劇でもありそうな復讐劇だなあなどと思いながら観ていたけど、そういう意味では普遍的な怒りが主軸にあるので入り込みやすい。敵もちゃんと人間のクズなので、射殺されてせいせいするしね。終わってみれば所長も気の毒な人だったけど、一番かわいそうなのはキャラハンの刑事仲間のホレスか。彼は何にも悪くないのに…。 本作はイーストウッド10作目の監督作なんですね。女性に対する暴力という“悪”と対峙する話だけど、イーストウッドの演出は女性に対して殴る蹴るといった描写も容赦ないですなあ、さすがw 全体的にはちょっと長いと思うところもあったけど、ラストの登場シーンがワザとらしいくらいに格好良かったので、それだけでも面白くはあった。逆光のシルエットに44オートマグてw |
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(1988年制作) |
サンフランシスコを舞台に「死亡予想」と呼ばれる賭けのリストに載った人物が殺されていく事件が発生。そのリストにはハリー・キャラハンの名も載っていた。 前作から5年後に撮られたシリーズ最終作だけど、これを最後に撮られなかったというだけで、シリーズの締めとして何かがあるわけではない。これまで通り、命を狙われながらもキャラハンが悪漢どもをバンバン射殺(w)しながら事件を解決していく。でもここまでくるとキャラクターとしてはずいぶん丸くなった気もするよね。気難しそうなところはそのままだけど、ギラギラ感というか…ダーティな感じは薄くなった。射殺にも躊躇しないという場面がお決まりになりすぎて、相対的に軽く見えるのだろうか。刑務所でギャングのボスを脅すくだりは面白かったし、話にちょっとしたユーモアがあるのは悪くない。新しい相棒をつけられて、「俺の相棒は死ぬか大ケガするかですよ」と言うキャラハンには笑ったw ラジコンとのカーチェイスは変わり種な画で面白いが、それにしても車を運転しながらラジコン操縦するとか…犯人はすげー腕だな。 事件としてはミスディレクションを組み込んで観客を振り回そうという工夫が感じられる。ただ「法で裁けぬ悪」というわけでもないので、ちょっとカタルシスとしては弱いかも。むしろマスコミや低俗な映画が社会悪だという様な主張だったけど、これは時代を反映しているのかな。でもこの映画も大概暴力映画だと思うんだけども。出演者では、若いころのリーアム・ニーソンやジム・キャリーに「こういう脇役で出てたんだ」と興味を引いた。 |
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副題「人生は待つこと。」という通りの現代のファンタジー。母国の軍事クーデターのせいでビザが失効し空港で数ヶ月の足止めを食う主人公ビクター。目的地を目の前にしながらひたすら健気に生活する彼の姿は、彼の仲間でなくても応援してしまう。というか、空港の人はいい人ばっかりですな。国境警備の主任も結局は良い人だったし。まあ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるスッチーは俺はあんまり好きではないが。まあビクターは恋をしたわけだから、それはそれで。 全体的に流れるコメディチックな展開は、スピルバーグ風の笑いとトム・ハンクスならではの演技で俺はかなり好み。グプタを演じるパラーナのパフォーマンスは笑ったw 普通の感動ものを期待すると肩すかしを食うのかも知れないけど、俺は良くできてる映画だと思う。ラストの“約束”の件も俺は結構感動出来たし。愛だ何だという話よりもよっぽど素敵な気がする。主人公が“東欧の人”というのがまたポイントなんだよね。 |
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(1984年制作) |
未来における機械vs人類の戦争。人類の指導者をいなかったことにするべく、その母親を殺すために未来から殺人マシーン・ターミネーターが送り込まれる。 話の概略だけだと実にB級SFチックな題材。未来から殺人ロボット?しかしそこは若き日のジェームズ・キャメロン、低予算にも関わらずそのセンスで「追われる者の恐怖」を実に端的に盛り上げてくる。感情を持たない、しかも物理的な攻撃がほとんど効かない者(物)に追われるとういう恐怖。これだけでも恐ろしいが、ホントにどこまで追いかけてくるってだけの話で、ここまで盛り上げるのだから。最後に「倒せたー」と思わせてからの金属骨格が起き上がるところなど、最高。 話の構造的に、最初は未来から来たと思しき二人の男のどちらも似たような行動をしていること、ターミネーターの探索(留守電や無線での位置特定)が納得しやすいことが良いよね。これだけ街中で銃撃したら警察が…ってところもちゃんとフォローしてターミネーターに壊滅させてるし、それでラストに一騎打ちに持ち込めてる。B級アクションだとしても納得できる話の論理性が、今なお人気作となっている所以でしょう。 まあターミネーター役のシュワルツェネッガーがハマりすぎているというところが最大の魅力だけど。当時のキャメロン一家…この後「エイリアン2」にも出演しているマイケル・ビーンやランス・ヘリクセンが出ているところや、キャメロンの朋友・ビル・パクストンのチョイ役ぶりもお気に入り。 |
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(1991年制作) |
少年ジョン・コナーの抹殺のため、未来から再び殺人サイボーグが送り込まれる。 ジャンルとしてはB級映画だった1作目だが、2作目にしてSF超大作に変貌。何がすごいってエンターテイメント性を保ちながら、テーマに厚みを持たせることで、1作目と同じような逃げるだけの映画にしなかったところだよね。やはりこれは監督の、脚本へのこだわりなんだろう。T-800とジョンとの友情が、父親が不在のジョンにとっての父性に転換され、サラにとって敵でしかなかったサイボーグへの感情に変化をもたらしてる。その積み重ねによってラストの溶鉱炉では思わず泣けてしまうわけだ。 非常に無機質なT-1000の存在感と、無骨でも体温を感じるT-800の成長との対比も良いね。1作目のT-800の恐怖感を逆手に取った序盤の演出がまたニクい。T-800が敵だと思い込んで観てみれば、ゲーセンのバックヤードでジョンがT-1000と挟まれるまで敵味方が逆と受け取れるような撮り方も仕掛けてあって、「伏せろ!」の一言でそのどちらが味方か一気に収束させる手法。その後の観る側のT-800への…圧倒的な敵だった奴が味方になることへの安心感たるや、たまらない。 真剣なSFアクション映画である一方で、盛り込まれた遊び心も楽しい。1作目のセルフパロディとも言えるような場面、例えばショーウィンドウをぶち破るT-800、「死にたくなければ付いてこい」の使いどころ、シルバーマン先生とテレビ録画の映像、"I'll be back."の後は車で突っ込んで戻ってくるとか、完全に狙ってるよなあ。パロディではないけど、T-1000が銀色のマネキンを一度凝視する場面は、鑑賞2周目以降にニヤッとしてしまう要素だね。 T-1000に使われたCG効果は今でいえば拙いVFXかもしれないけど、それでもそのキャラクター性に与えるインパクトは今でも効果が大きい。まあ「寄生獣」のイメージに影響されているという話は、監督がキャメロンならさもありなんという感じだがw でもその効果を理解して映像化してしまうあたりはやはり監督のセンスだろう。ラストバトルなど、殴った頭が手になったり、壁に叩き付けられても振り返ることなく正面が浮き出てきたりと、今までにない格闘シーンが凄く印象に残るもの。 |
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特別編 (1993年制作) |
劇場公開版「ターミネーター2」に17分の追加シーンを加えた完全版。 追加シーンが加わったことによって深みが増した物語が見事。主にサラの感情面での厚みが増している感じかな。病院でのカイルの夢、T-800への手術のシーン、そこで彼女の信念の源泉とT-800への不信がハッキリ描かれる。特に後者は、劇場公開版だとT-800の言葉を信じてすんなりと受け入れている様に見えるので、「前作でT-800にあれほどの目に遭わされていながら柔軟だなあ」などと感じるところが、実はそうではないというところでキャラクターとしてのリアリティが増すよね。だからこそ、後半で「あの機械がジョンの父親代わりになれる」というモノローグの場面で、この世界観での機械=悪という凝り固まった認識を改めるところが生きてくる。サラの意識が変わることで、未来は分からない、変わるかもしれないという方向性がより強く感じられてくる。 もう一つの追加要素として、ジョンがT-800に対して笑顔を教えるシーン。これはちょっとしたことだけど、最初ぎこちなかった笑顔が終盤で自然にニヤッとした表情を作れるようになる過程を観て、T-800が成長しているところが強調される感じか。T-800の成長に関しては、劇場公開版から存在するそれ以外のところ(車のキーの隠し場所や、決め台詞など)で分かる様にはなっているので、この笑顔のくだりはカットされていたのかもしれないけど、これも有ると無いとではT-800への感情移入度が変わるんじゃないかな。 追加シーンはなくても話は成立するし、元から完成度の高い作品(むしろ絶妙な編集)だったけれど、この特別編になってストーリーがより強固になっているのは確か。サラの感情面やジョンとT-800の関係性、そこにドラマの厚みを生んでいる事を考えても、こちらの方が作品としての完成度は高いと思う。 |
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(2017年制作) |
1991年に公開された「ターミネーター2」を2017年の2D-3D変換技術で3D映画化した作品。 ベースは1991年の劇場公開版なので26年前の映画を3D化したことになるわけだけど、まったく不自然さのない3D描写の具合には感心。2D-3D変換自体はだいぶノウハウの溜まった技術とはいえ、こういうひと昔前の2D映画をベースにしても、例えば奥のキャラと手前の網の様な場面でも後付け3Dで違和感なく出来るんだなあ、すごい。 3D映画的には基本的には奥行を強調している方向性なので、何かが飛び出してくるような場面はほとんどない。バイクやヘリのチェイスの場面は奥行き感が良い感じに働いていたなあ。たまに手前に向いたライフルの銃口とかが飛び出し気味な場面もあるにはあったけど、これ見よがしではない。この辺は監修してるジェームズ・キャメロンの3D映画に対する趣味もあるんだろうが、立体映画としてのギミックを楽しませるよりもその場の空間を感じさせる方が主眼なのかもね。でもだからこそ観ていて疲れないという感じではある。 それにしても映像がとてもきれいにリマスターされていた。3D変換するのだから前場面で映像に手が入っているわけだけど、今年撮られたかのようなクリアな感じに驚いてしまった。光学合成時の映像もより自然に画面内で質感に差が出ないように修正されているしね。でもそこまで修正しておいても、今ならもっとすごい映像にできそうな当時のVFX(T-1000のCGや特殊メイク)はそのままにしているところが良い。公開当時に観客を驚かせたそこが、「ターミネーター2」の大事な要素だってことをキャメロンはよく分かっているんだろう。 |
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(2003年制作) |
監督が交代したこともあり、前2作と作品の色が変わってしまった気がする。ギャグなんかは明らかに違うなあ。とはいえアクションシーンは迫力あるし前半の怒濤の展開はかなり良い感じ。でもアクション映画という意味ではクライマックスにもう一盛り上がりほしかったかなあ。ストーリーは上手く作り上げていると思う。ちゃんとタイムパラドックス的にはまとまってるしね。ただ尺が短い(2時間弱)せいもあり、政府施設への侵入シーンやなんかが端折られてたりして不満な部分もある。何より、T-XにはT-1000の様な不気味さや狡猾さが感じられないないのが、この作品の一番の難点かもしれない。 | |
(2009年制作) |
2018年の未来を舞台に、抵抗軍の一員となったジョン・コナーの闘いを描いたシリーズ第4作。 作風は、終盤以外は“ひたすら追いかけられる恐怖”という「1」〜「3」の面影がほとんどなく、「ターミネーター」っぽいロボットの出る近未来SFアクションという印象が強い。その辺は意図してやった差別化なんだろうけど、スカイネットと人類とのパワーバランスが(人類の軍備が案外整っているので)よく分からなかったり、勢力の規模感があまり明確に伝わってこないのが不思議。 色々と説得力の必要なシーンで今ひとつ踏み込みが足りない部分も散見され、個人的には少々不満。マーカスなんて半機械人間という非常に良いキャラクターなんだから、もうちょっと深められたんじゃないかなあ。最後に心臓を差し出すとこなんて、特に積み重ねが重要になるところだと思うんだけどね。 実際に観てみるとカットとカットの間が不自然に繋いである印象もあって、強引に2時間枠に収めた感じもする。人間描写がもっと丁寧なら、あるいはもっと満足出来たのかも。 ただ、終盤のバトルは良かった。合成シュワT-800も見事だし、エンドスケルトンもリアルに画にとけ込んでたね。所々アクションシーンでワンシーン・ワンカットに近い長回しもあって、そういう意欲に「おっ」と思うところもありました。ただ大爆発を毎度引きで撮るのは逆にチャチく見えて勿体ない。 |
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新起動/ジェニシス (2015年制作) |
未来における機械vs人類の戦争。人類の指導者をいなかったことにするべく、その母親を殺すために未来から殺人マシーン・ターミネーターが送り込まれる。 「ターミネーター」1作目と同様に、サラ・コナー抹殺のために未来から送られたT-800を阻止すべくカイル・リースが未来からやってくる。…が序盤の1984年を舞台にした展開は、別のT-800がいたりカイル自身がT-1000に襲われたりという完全に新しい過去が始まっていくわけで、方法論的には「スター・トレック」(2009年)がやったリブート方式に近い。カメラワークやセットの再現など1〜2作目のオマージュだらけでニヤニヤしてしまうが、ただ1〜2作目(特に1作目)が持つ追われる側の圧倒的な恐怖までは再現できなかったようで、味方にT-800がいるとどうしても「何とかなっちゃうんでしょ」的な感じに思えてしまうのがなあ。「古いがポンコツではない」と言いながらも、ガタの来ているT-800は面白いと言えば面白いのだが。 1984年から2017年にタイムスリップするあたりは「サラ・コナー・クロニクルズ」を思い出した。スカイネットを共通OSのジェニシスという設定にさせたのが今日的と思う一方、今撮るなら1984年を再現するよりは2017年にした方がオープンセットや小道具が楽だ、という事情も大きいんだろうが…。しかしカイルを子供のカイルに会わせるとは、敵に追われるよりもそちらの方がタイムパラドックス的に大丈夫かハラハラするぞw 別時間軸の記憶を混濁させるという設定は力技だなあ。 これまで守るべき人類の希望だったジョン・コナーを思い切って敵にしてしまうという部分は良いものの、やはりいたって普通のアクション映画って印象。監督が普通に1〜2作目を好きなんだろうということは伝わるけどね。 |
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ニュー・フェイト (2019年制作) |
未来から送り込まれたターミネーターに狙われるダニーを守るべく、同じく未来から送り込まれた強化人間のグレース。決死の逃亡のさなか、2人の目の前にサラ・コナーが現れる。 権利関係が紆余曲折して「3」以降はシリーズに絡まなかったジェームズ・キャメロンが製作に復帰。ストーリー上“「3」以降が無かった”ことになっているのはその辺の恨み節が込められている…?と邪推してしまうけど、それはそれとして、リンダ・ハミルトンがサラ・コナー役で復帰したのはシリーズの一貫性としては良いんじゃないでしょうかね。「同じ様な話を繰り返している」というシリーズのマンネリズムは確かにあるけども、オールドスクールなアクション映画としての「ターミネーター」らしさとは何かと考えると、「1」と「2」を足して割ったような“追われ続けること”の分かりやすさは悪くないと思うし、正直「3」以降では一番好きかも。 しかし「2」であれだけ頑張ってスカイネットのいない未来に変えたのに、冒頭でいきなりジョンが殺される場面を見せられたのは「おい『エイリアン3』かよ…」と思ってしまった(苦笑)。その出来事でサラは闘い続ける人になってしまったわけだけど、ジョンを殺したT-800が改心したり(最初から学習モードだったのかな?)、サラが協力を仰ぐ軍の少佐がいたりという部分はあまり深い説明がされないので、多少ご都合主義的なものを感じなくもない。まあその辺はテンポ重視の部分もあるんだろうけどね。 今回の敵となるREV-9は「3」のT-Xの様なハイブリッド型だけど、内骨格と液体金属部分が独立して行動できるのが特徴。戦闘スタイルとしては興味深い面もあったけど、VFXとして何でも出来てしまう今となっては「2」の時の様にビジュアル面での新鮮さを観客に与えるには及ばず、そういう点でどうしても「2」のインパクトを超えられないというシリーズの呪いは引きずっている。 |
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(2013年制作) |
1997年に交通事故で急逝したダイアナ元英国皇太子妃。彼女の最期の2年間を外科医師とのロマンスを主軸に描いたドラマ。 当時色々言われた謀殺説には一切触れず、1人の女性としての恋にフォーカスした内容は、潔いくらいにメロドラマ。どこに行ってもプリンセスであるダイアナにとって、医師との出会いで彼に惹かれたのはよく分かる。自分の身分を気にせず、自分の知らないことを知っていたり、そして命を救うという仕事に誇りを持っているのだものね。まあそこは良いのだけど、その後の彼女の行動は意外に大胆というか、個人的にはあまり共感できなくて…。 医師との恋を一本筋にして、その後の富豪とのロマンスもパパラッチのスクープも力技で意味を繋げてしまった構成には感心する。もうこうなると多分に“事実を基にしたフィクション”といった趣になるけど、まあこれは原作がそういう解釈で書かれた話だからか。有名すぎる最後の事故は、そこに向かうエレベータのシーンまでにすることで運命性が強く感じられたかな。 ダイアナ元皇太子妃を演じるのはナオミ・ワッツ。さすが貫禄の演技で雰囲気はバッチリ。でもやっぱりロングカットになるとどうしても身長が足りないのが気になる。こればっかりはどうしようもないかなあ? |
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(1954年制作) |
アマゾンで発見された未知の化石の調査に向かった一向だったが、入江には怪物・半魚人が潜んでいた。 アマゾンの奥地に学術調査に行ったら古代生物の生き残りと遭遇とは、クラシック映画にして探検映画の醍醐味だからかフォーマットは「○○探検隊」…もとい「キングコング」に似ていると指摘されるのも分かる話。個人的には作品の雰囲気的に日本の「ウルトラQ」みたいな印象を受けたけど、もちろんこの作品の方が先です。 この映画は大胆な水中映像によって他のモンスター映画にない個性を放っているよね。水中に潜む怪物の目線で水面を泳ぐ美女を眺めるという構図は、後年のスピルバーグ作品の「ジョーズ」そのものなのが興味深い。水中でのアクションも当時は大きな見所だったんだろうなあ。ただ、必然的に水中では台詞もないし音楽で無理やり盛り上げてる感もあるので、今観るとちょっと物足りない気がしなくもないが。それでも「後ろ!後ろ!」と思わずにはいられない場面がしょっちゅうあります。まあ全然怖くはないけどね。 日本語では「半魚人」だけど原語では“GILLMAN”なので鰓人間となるクリーチャー。陸上では、陸に上がった魚のようにちゃんと口がパクパクしているのが不気味…を通り越してなんかかわいいw |
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(1949年制作) |
戦後間もないウィーンの親友を訪ねた主人公が、親友の事故死を知ったことから事故死の真相を暴くべく事故に立ち会った第三の男を探すサスペンス。 場面場面にハッとするような構図があり、夜のウィーンや下水道では光と影を使った撮影が美しく、カラーでは出来ないモノクロ映画ならではの雰囲気が素晴らしい。 ストーリーは親友の事故死を主軸に主人公やヒロイン、そして警察の思惑が入り乱れるドラマになっていて飽きが来ない。特に“第三の男”の正体が分かり話が急展開するあたりからは目が離せないね。演出も役者の所作に心情を上手く重ねて描いているしいるし、よく考えられているのが分かる。しかしこのストーリーにあってこの映画のテーマ曲(誰でも聴いたことのある名曲です)は軽いなあw ラストカットの有名なシーンは、観れば絶対に忘れられないほど印象的。それぞれの心情が交差するも通じ合わない、何とも言えない悲哀を感じさせます。 |
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(2009年制作) |
南アフリカ、ヨハネスブルグ上空に宇宙人難民が飛来して20年。スラムと化した居留地“第9地区”からの宇宙人強制移住が執行されるが、その時ある事件が発生する。 宇宙人難民がやってきたことで、地域社会の不満が暴動となり、それを解消するために隔離を計画する。その「もし」に根ざしたSF感が良い。この作品世界ではもはや当たり前の存在としてそこにいるエイリアン達だけど、その甲殻類の様な容姿や生態によって、人間から一方的に差別されているのだろう。冒頭の強制移住に至る経緯やその課程の描写などはドキュメンタリーチックで、「不潔な奴らを一掃するんだ」という人間側の視点を非常にSF的リアル感を持って描いてくる。 “人種”の違いによる偏見や疎外感は、相手の立場に立つことによって見え方が変わってくる。強制的に視点を変えざるを得なくなった主人公は、次第に人間側が何をしているのかを知るわけだけど、この辺のプロットは王道的。しかしそれに至る過程はSF以上にホラー風味が加わり、ある種のジャンル映画への愛が垣間見えた。これは制作のピーター・ジャクソンの影響かもしれないけどね。終盤のバディ映画的なアクションも見物だが、やはりクライマックスで決めてくるのは「宇宙の戦士」からお約束であるあの兵器。これでこそSFです!監督・脚本のニール・ブロンカンプは非常にセンスが良い。 醜悪な容姿でも相手に心が見えれば印象が変わるというのは、相互理解の難しさを感じつつ人間の身勝手さが悲しくもある。この舞台がアパルトヘイトの行われた南アフリカであるというところが、作品に単なるSF作品以上の社会派な深みを与えていると思います。 |
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(2013年制作) |
自ら入獄・脱獄することで刑務所の不備を指摘する、セキュリティのプロである主人公。彼は新たな依頼を受けるが、それは主人公を陥れる罠だった。 ハイテク監獄に入れられ、如何に脱出するか…。スタローンとシュワルツェネッガーの2枚看板がそれをやるとなれば、案外ローテクな感じで実行してもまあ笑って観られるか。というかそっち(腕力に訴える方)に期待をしてしまうわけだけど、60代後半になってもこういったアクション映画の主演が出来るのだからある意味凄い。「木曜洋画劇場的な」と言えば確かに(良い意味で)その通りの作品でした。最後の銃撃戦なんて、そこまで打ち殺しまくる必要があるのか?などと思ってはいけないのだろうなw 二人の夢の共演は20年前なら大ヒットしたかもしれないけど、今では「エクスペンダブルズ」の後ということもあって少しインパクトは薄くなってしまったか。それでもこの二人が取っ組み合う場面があるだけで、昔からのファンであれば嬉しくなってしまう部分もあるね。軽いギャグではシュワ氏の「Say cheese!」の見事な笑顔に笑ってしまったw 基本的に何も考えずに楽しむ類の映画だと思うけど、ムスリムの囚人に花を持たせる展開があったりするのは少し時代を感じるところ。 |
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(1963年制作) |
第二次大戦下、ドイツ軍捕虜収容所からの脱出を謀る連合軍捕虜達の姿を描いたアクションドラマ。 いわゆるオールスター・キャストというやつで、出演陣がメッチャ豪華。マックイーンにブロンソンにガーナーにコバーン。それら俳優陣が実にテンポ良く3時間をあっという間に観せてくれます。 収容所からの脱走劇ではあるけど、雰囲気は全然重くない。むしろゲーム感覚とすら思えるくらい。収容所の所長がドイツ軍でありながら出来た人物で、「脱走を図るのは軍人の義務」とまで言うし、特に収容所の待遇も悪いとは言えないのでそういう雰囲気(ホロコーストとはえらい違い)に見えるのかも。とはいえトンネルを貫通し(森まで6m足りないというのが実に映画的w)、いざ脱出出来るか否かという場面は実に手に汗握る。トンネル掘りが閉所恐怖症だったり、看守の鍵をすったりするといったジョークもおかしい。 そしてあの有名なテーマ曲。これが有っての「大脱走」ですねw |
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金かかってる。実物大セットまで作ったんだもんなぁ。当時はどこまで実写で、どこからCGなのか分からなかった特撮部分も必見。ストーリーは嫌いなものに近いけど、フィアンセの“嫌な奴”ぶりに、主人公側に感情移入する。老夫婦がベッドの上で死を覚悟しているシーンはこみ上げてしまった。やっぱりジェームズ・キャメロンは上手い。 | ||
(1981年制作) |
ギリシャ神話における勇者ペルセウスの戦いを、ストップモーションを用いて描いたファンタジー作品。 特撮の神様・レイ・ハリーハウゼンの引退作。さすがに天を駆けるペガサスの動作やペルセウスに迫るメドゥーサ、巨大サソリなどは良くできていると思う。しかし'60年代ならともかく、'80年代の技術としてはダイナメーション(俳優とストップモーションを合成する技術)も表現として限界を感じるものになってしまっているのも事実。実際、この年フィル・ティペットはさらなるリアル感を求めてゴーモーションを開発したし、10年後には「アビス」や「T2」、「ジュラシック・パーク」でCG全盛時代になったわけだし、特撮技術としての役割を終えていく姿を見せつけられている様だった。 ストーリーはギリシャ神話のそれだけど、実写部分は演出が野暮ったいのであんまり面白くない。映画と言うよりは教育テレビのドラマの様な感じ。それに引っ張られて特撮も魅力が削がれている気がして、ローレンス・オリヴィエやマギー・スミスの様な名優が出ている割には勿体ないという印象が先行してしまう。ペルセウスの役者(ハリー・ハムリン)がいまいちパッとしないのも、どうしたものかと思うが。 |
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(2010年制作) |
1981年の同名作品をVFXを駆使してリメイクしたファンタジー作品。 設定がオリジナルの映画からも変更され、ペルセウスの出自にまつわる話とか、ゼウスの立ち位置とかが微妙に違う。その分、明確にハデスを悪役に据えているので、対決図式として分かりやすくなった気はする。しかし場面によっては説明不足のまま強引に状況を展開させる部分もあって、ちょっと不満の残る感じでもあるかな。例えば突然現れるジンとか、一時期仲間になる狩人が何者かとか。カリボスも、彼の手や血がサソリになる理由が「ハデスの力」というだけでは説明になってない気がするし…。(サソリはオリジナルでも出るものの、発生原因はメドゥーサの血だった気がする。) そんな感じで特に話の前半はいまいち入り込めなかった。後半こそメドゥーサとの対決やクラーケンの迫力ある映像で良くなってはくるけど、ハッキリ言ってそれだけ。アンドロメダやカシオペアはずいぶん影が薄くなったし、ポセイドンやティテス、ヘラに至ってはほとんど映りもしない。オリジナルでは大活躍だったブーボーもあんな扱いでは、あんまりリスペクトされてる感じもしないです。 ペルセウスがアンドロメダではなくイオを選んじゃうところも、ギリシャ神話としてはどうなんだろうと思ったりする。 |
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(2012年制作) |
2010年に公開された「タイタンの戦い」の続編。前作から10年後の世界。妻を亡くし、息子を一人両氏として育てていたペルセウスのもとに、ある日ゼウスが現れて助力を求めてきた。 後付設定での続編なので、細かいことを気にしたらダメなアトラクション映画。主眼はモンスター対ペルセウスの迫力あるバトルなわけだが、そういう意味では映像的には十分な出来栄えだと思う。キメラ戦のスピード感やサイクロプス戦の絶妙に巨大な相手との戦い、そしてクロノスの規格外の大きさと溶岩的発光の迫力たるや。あまりに目まぐるしくて途中で付いていけなくなった場面もあるけど悪くないw 監督は「世界侵略:ロサンゼルス決戦」のジョナサン・リーベスマン。派手な演出を買われての抜擢か。そういう点では役割を果たしてるね。遠景の火山の爆発なども良い画だと思う。 ストーリー展開はテンポがよいので悪くないが、どうしてもシリアス一辺倒で単調な感じ。それぞれの親子の物語というテーマもあるっちゃあるけど取って付けたようなものなので、やはり映像先行型ではこんなもんかという印象もある。 |
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「もしジョージ・W・ブッシュ大統領が暗殺されたら」という“if”の世界を描いた疑似ドキュメント。 ブッシュ大統領に対するデモ、暗殺後の犯人捜し、真犯人が分かっても仕立てたシリア人容疑者とアルカイダを結びつけようとする官憲。客観的に考えれば暗殺後に「そうなってもおかしくないなあ」と思える展開は、制作側の考察があながち外れていないからだろう。でも翻って何か訴えるものがあるかと考えても、結論自体が想像できる範囲なので新しい発見はなかった。 サスペンスとすればさすがに犯人がラストまで想像も付かないけれど、それは終盤まで情報がないから仕方ない。犯人の正体にはイラク戦争の物悲しさはあるけれど、結局イラクへの矛先が回り回ってブッシュ自身に返ってきたのだとすれば皮肉な展開だね。きっとシリアに同じ事をしようとしているチェイニーにも同じ展開が起こる…? しかしまあ、存命の一国の首長をこういう風に描いてしまうというのは。 それがどんな人物であれ、あまり良い気分のものではないね。 |
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様々な圧力の中、ウォーターゲート事件の真相を地道な取材によって明らかにしていった、新聞記者二人の実話を描いたサスペンス。 ウォーターゲート事件は当時のアメリカ人にとっては常識。劇中ではこの事件についての説明は特になく、時系列に沿って記者と同じ目線で事件を追っていくことになる。なので、この作品を観るに当たっては事件の予備知識がかなり必要になります。俺もざっと調べてから観たけど、次から次に出てくる膨大な固有名詞には、ついて行くのがやっと。でもそれに振り落とされなければ次第に明らかになっていく様の爽快感はあります。 様々な圧力の中で取材を進める主人公達や、部下を信頼する上司の姿にはハッとするモノがある。真のジャーナリズムとはこういった姿なのだろう…ね。ラストはちょっとあっけない気もしたけど、タイプライターの音に力強さを感じるし、記事が生まれることこそ報道人の真の戦いなのだという締めくくりには良いと思いました。 随所で使われるゆっくりしたズームの画が印象的。原題は“All The President's Men”だけど、これも皮肉が効いていて良いです。 |
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(2013年制作) |
1950年代から80年代にかけてホワイトハウスで8期の大統領に執事として仕えた実在の人物をモデルに、主人公の目を通して公民権運動の経過を描くドラマ。 一人の執事の物語としては淡泊な印象。なにせ描く年月が長いのと、詰め込まれるエピソードが多いので、よく言えば展開が速いのだけど…正直駆け足で落ち着かなかった部分もある。息子との確執と和解も、ちょっと取ってつけた感が。そもそも執事の人生を縦糸にしているとはいえ、描きたいものが黒人の苦難の歴史なんだよね、この映画。 公民権運動の歴史を知っていれば、関連する有名なエピソードの一端が再現ぶりは興味深い作品とは思う。その事件の当事者として主人公の息子がその場にいたりするので、ある意味で黒人版の「フォレスト・ガンプ」の様な感じもするし。ただこちらはファンタジー色もないし、生真面目なドラマなので余計にエピソードの羅列になってしまったという印象は否めない。それでも名優が多数出演してこの映画を支えているので見応えはあるけれど。 アラン・リックマンのレーガンはレーガンだったなあw 他の大統領役も雰囲気が良く出ていたけど、ジョン・キューザックだけ初見で分からず「アイゼンハワーの時の副大統領だから…」と少し考えてしまったw そういえばフォードとカーターはスルーされてたが…。テーマがテーマだけにケネディへ好意的な描写と、オバマの持ち上げ方はまあ分かる。 |
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(2000年制作) |
キツネザルに育てられたイグアノドンの子・アラダー。突如起きた天変地異から逃れ、初めて同族の恐竜たちと出会うアラダーだったが…。 かなりリアルな造形の恐竜たちだけど、リアルなのは見た目だけ。喋ったり表情を変えたりという擬人化された感情表現のそれは、動物たちが歌って踊る他のディズニー映画の論法と変わらない。心優しい育ての親たちと暮らし、危機から逃れ、仲間を助け、古い考えのリーダーと決別し、敵を倒し、みんなの信頼を勝ち取って新天地へ…。ストーリーが恥ずかしいくらいに王道で、大人が観るには少々物足りないかな。肉食恐竜が吠えるばかりで喋らず、あくまで獣と表現されるのは何か不公平な気もするけど…、まあ演出上の都合だろうしこれ以上は言うまい。 映像は2000年当時のVFXと思えばよく出来ているかな。実写の風景にCGキャラを配置している場面もあって、割り切った作りの部分も多い。 しかし現実的なことを考えると、白亜紀末期の隕石衝突後は、地球が寒冷化して恐竜は絶滅する運命なわけで…。劇中で「命の大地だ!」「未来がどうなるかなんてわからない!」と言われても、何か逆にしんみりしてしまうよ。あくまであの時代の恐竜は滅びゆくものであるわけで、ディズニーのテンプレートにハメたが為に個人的にはハッピーエンド的な感じが違和感として残ってしまった。 |
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(1988年制作) |
クリスマスに別居中の妻のいるロスにやってきたNY市警の刑事ジョン・マクレーン。妻の職場のパーティ会場に着いた彼は、そこで武装集団の襲撃に遭遇する。 タイトル通り「なかなか死なない男」のマクレーンが活躍する第1作だけど、死なないなりにも負傷はするし、皮肉や愚痴も言いまくる。それでも圧倒的に劣勢な中で妻を救うために戦う姿が緊張感を呼んで面白い。超人的な力や筋肉を持っているわけでもなく、どちらかというと敵との通信を介した心理戦や駆け引きが話の動輪になっている部分が良いね。敵となる強盗グループの主格・ハンスをなかなかに頭が切れる人物にしているところも魅力。ハンス役であるアラン・リックマンの映画デビュー作にして代表作の一つになるのも納得のキャラクターだわ。敵の一味であるカールは比較的脳筋気味なので、そういう意味では昔ながらのアクション映画の敵っぽいところがあるけど、そいつに引導を渡すのが銃のトラウマを克服したパウエル巡査部長ってところが最高だった。中盤に登場するパウエルはマクレーンの唯一の理解者ともいえる立場で話を聞き、次第に友情へと変化していく様子には見ている側も感化されていく。このあたりの話の持っていき方が好きだなあ。 状況的には深刻だけど、軽いノリのリムジン運転手がちょっとクスリとさせる。その他の脇役は余計なことをするやつばかりなので、マクレーンにとっては邪魔者でしかないわけだけど、それが余計に彼の孤立無援さを強調させる形になるので上手い。まあロス市警の警視はさすがに無能すぎやしないかと思うけど、まあそのへんはご愛敬か。 |
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(1990年制作) |
ツいていない刑事・マクレーン。今度は妻の出迎えに来たダレス空港でテロ事件に遭遇してしまう。 1作目の2年後に公開された続編で、内容的には前作の1年後のワシントンD.C.が舞台。冒頭、マクレーンはNY市警からロス市警に転籍したらしい会話があり、いずれにせよワシントンでは管轄外の様子。マクレーンのキャラクターを生かして孤立した立場の中での戦いがメインとなるんだけど、前作よりも舞台がスケールアップしているし協力者も(前作に比べて)そこそこいるのでそれほど閉塞感はないかな。でも妻の乗った飛行機の燃料切れが迫る中で孤軍奮闘する様は、正当な続編として分かりやすくて良い。 監督がレニー・ハーリンに代わりよりアクションにおけるケレン味が強くなった感はある。銃撃戦や爆発する航空機にスノーモービルでのチェイス…、リアリティよりは派手さが前面に押し出されている感じはするけど、アクション映画としてのバランスは良いと思う。特殊部隊が敵の一味だったというのは期待感とその裏切りでいい山場を作っているし、特にラストはライター1つで敵との決着と問題(消えていた滑走路誘導灯)を解決してしまうどんでん返しもあって痛快だった。まあ現実的にそれができるかは置いておいて…名シーンだと思う。 敵はみんな悪そうな雰囲気の人をそろえてますが、エスペランザ将軍の造形はキューバのカストロ議長みたいだったりして、そのへんは時代を感じるところ。ちなみにロバート・パトリックが敵側のやられ役でちょっとだけ出てたけど、その彼が「T2」のT-1000役で一躍有名になるのはこの映画の一年後。 |
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(1995年制作) |
NYで爆弾テロ事件が発生。マクレーンは犯人からの電話で名指しされ、NYを駆け回りながら公衆電話からの指示に従うよう要求される。 マンネリを避ける意図もあるのかもしれないけど、街全体が舞台となって前二作に比べると作風としては雰囲気が変わった印象。NY市警の一員として管轄内での活動でもあるしね。とはいえ、“なかなか死なない男”マクレーンを組織から切り離して活躍させるために、犯人に名指しで街中を駆けずり回らせる展開は上手く考えられていると思う。あとは口の達者な黒人の相棒・ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)が登場したことも良いスパイスになっている。ゼウスは民間人ながら事件に巻き込まれて最後まで付き合わされる形だけど、マクレーンとは似た者同士のいいコンビだよなあ。終盤で船に落下した時、「お前さんに鍛えられて死ななくなったよ」と言い放ったのは(メタ気味な)良い皮肉w ストーリーとしては「木を隠すには森」というか、銀行からの金塊強奪の目くらましのための市中爆弾テロだったという話だけど、テンポも悪くないしサスペンス感もあると思う。でも終盤…特にアスピリンの瓶底から敵のアジトに気づいて襲撃〜最終決戦のくだりが、それまでの計画や裏をかいたりといった駆け引きの面を帳消しにしてしまうような平凡さでもったいない。そこは残念かな。 |
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(2007年制作) |
ツいてない刑事、マクレーンがまたしても事件に巻き込まれる。今度はサイバーテロ。 究極のアナログ刑事であるジョン・マクレーンが、サイバーテロに対して力で立ち向かっていく様は痛快。まあ、キャラの描写にしてもストーリーにしても至極単純で表面的なのだけど、それでもそのアクションのハデさがすごく楽しい。憎らしい敵どもを、たとえ女でもメタメタにしてしまうのが気持ちいいねw ハッキリ言ってやってることは無茶にもほどがあるし、サイバー部分のディテールが…と言い出すとキリがないんだけど、あくまでマクレーンが暴れるための舞台と考えれば、まあこういう映画だしOKでしょう。何も考えずに楽しめる大作アクション映画です。 しかし、1作目で普通のオッサンだったマクレーンは、もはや超人並のタフさを持ってるよなあw |
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ラスト・デイ (2012年制作) |
喧嘩別れした息子がロシアで逮捕されたと知り、公判が行われるモスクワへ会いに来たマクレーンだったが、突如裁判所が爆破される。 話に深みがないからか、敵役に魅力がないからか、とにかくアクション一辺倒の100分弱だけど、正直言って話が面白いとは感じられない。一応いがみ合っていた親子が認め合うという筋書きはあるものの、在り来たりだし、アクションの合間に寸劇があるくらいのものと言えばあんまりか? アクション自体は迫力のあるものだったと思うけれど、とにかく話が足を引っ張っているし緊張感がないのが微妙。ラストバトルの舞台もチェルノブイリである必要性があんまりないし、「長年の放射能が溜まってる」とか「ガスで中和したからスーツを脱いでも大丈夫」とかトンデモ描写も…、どうなのかなあ?とにかく派手なだけの印象だよね。 それよりなにより、仮にも刑事であるはずのマクレーンが外国で横暴すぎやありませんかね?ロシアでロシア人を殴って「ロシア語をしゃべるな!」ってアンタ。それでは感情移入できないっすよ。 |
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時間旅行は人類の夢。それを証明するかのように数多くのタイムトラベル物の映画、小説が生み出されている。オーソン・H・ウェルズの「タイムマシン」はまさにその先駆けとも言える小説だけど、この映画は原作にこだわりすぎたのかなあ?手の届くほどの未来は観ていても楽しいけど、いきなりの80万年後…。「原因があるから結果がある」というテーマを描く為にここまで不自然な人類の進化を描かなくても良いと思う。地底人の描写なんて、ハッキリ言って金のかかった(?)B級映画そのもの。それ以前にそういう風に3種に進化する必然性も理解できないのだが。時間旅行の描写は、なかなかリアルで好き。ただ、やっぱり話が今ひとつでした。80万年は突飛すぎたねえ…。ところでここでも出た「スター・トレック」ネタw バルカン星人は偉大だ…。 | ||
SFと歴史物の見事な融合。冒頭部分とラストがちゃんと繋がっているし、アクション物としてもちゃんと盛り上がってるし、さすがマイケル・クライトンの脚本ですな。歴史を知っている未来人が歴史に介入するという映画はよくある。大体はその歴史を変えないように四苦八苦するというものだけど、この映画では後半積極的に歴史を変えようと奔走してる。でもそれは実際は歴史通りだったわけで、初めから筋書き通りだったというところがなんか皮肉で面白い。「ああ、そういうことか!」と映画のキャラクターと一緒に共感できるところが一番良かった。戦闘シーンは極力CGではなく本物を使っているから迫力満点。“夜矢”という戦法は始めて見たなあ…。イングランドとフランスとスコットランドの関係が分かっていると、この映画を理解しやすいと思う。 | ||
(1954年制作) |
ヒッチコックの代表作。妻の浮気を知った夫が、男を雇って妻の殺人計画を実行するが、事態は計画と違う方向へ進んでいく。 元々が舞台劇ということもあって、ほとんど主人公の家の中だけで事態は進んでいく。状況の説明にしても、基本的に会話劇として進行するので観る方は割と集中力を求められるかなあ? ストーリーとしてはまず不倫した妻がいて、その事実を知った夫が妻殺しを計画する為に、どうしても陥れられる妻側に同情してしまいがち。元々悪いのは誰よ?と思わなくもないが、夫の謀略はまあダメだわな。まあ、それはそれとしても夫が“策士策におぼれる”様子は見どころであるし、いかにもイギリス紳士といった警部の見事な采配で解決する終盤はお見事だと思う。 作品としては1954年当時にアナグリフ式の3D映画として制作されているのだけど、奥行きを意識した構図が多くて落ち着いて見られる。逆にタイトルなどを除くと飛び出す演出はほとんどなくて、一か所、首を絞められた妻が伸ばす手が画面から手前に飛び出す様に見せているね。その場面にしか飛び出しを使わなかったのは、ヒッチコックは明らかに衝撃を意図してるよな。ただ、そこを除けばあえて3Dでなくても…2D作品として完成された内容でもあるとも思うね。 |
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終戦直前から人間宣言までの昭和天皇の姿を描くロシア映画。 この作品を撮ったソクーロフという監督は、非常に素晴らしい仕事をしたと思う。昭和天皇の人柄や心情は今に残る記録からイメージするしかない、特にプライベートな部分は想像でしかないわけだけれど、「昭和天皇であればこのような行動をされていただろう」と考えてしまうほど日本人の自分にも違和感無く描かれていた。あくまでフィクションではあるけれど、しっかりした考証が貫かれているのには感服する。 ストーリー展開は一見緩慢にも思えるけれど、まるで白鳥の水面下の足のように激しくて、俺はずっと画面に引き込まれっぱなしだった。現人神である昭和天皇の心情、ラストに人間宣言をし「自由だ」と言うが、この映画の最後の最後まで“神”としてしかいられなかった昭和天皇の姿は衝撃だった。 しかし、イッセー尾形はすごい。だんだん違和感なく昭和天皇に見えてくるのだからw 素晴らしい演技をしてると思う。そして、ラストカットにそれまでの全てをかっさらっていった桃井かおりの目! 素晴らしい。 |
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反戦映画ではあるけど、ハッキリ言ってファンタジーです。現実にはあり得ない事が多く描かれているので、その辺は考慮して観ないといけません。基本的に日中戦争が舞台だけど、あくまで子供の目線から見ているので戦況などは全く分からない。しかしまあ、序盤の小生意気なガキぶりに、全く感情移入出来ませんでした。次第に生きる為にしたたかになっていくけど、大人の目からすれば「大人しくしろ!」と注意したくなるような行動が目に付くなあ。日本軍パイロットに敬礼するくせに、P51が日本軍の飛行場を爆撃しているのを見て大はしゃぎする。あくまで子供の目線なんだと思う。「空」へのあこがれか。枯れた大人には少々眩しすぎますなw | ||
ルーヴル美術館の館長が何者かに殺された。彼の残したダイイング・メッセージから世界史を揺るがす陰謀が暴かれる。 ロン・ハワード監督は相変わらず映画の組み立てが上手いと思った。実に分かりやすい演出をしてくれる。特に蘊蓄なんてものは、文字媒体ならともかく、映像で物語の流れへ自然に入れようとすると凄く難しいと思うんだけど、かくも簡単に映像化して話の流れで描いてしまうとは。まあ確かに、多少の宗教に関する予備知識は必要だとしても、この情報量の多さから考えれば凄く良く纏め上げてる。 ストーリーは、“これが事実なら(西欧)世界はひっくり返る”と言えるショッキングな内容。でもその要素を映画として楽しめるかどうかっていうのは、キリスト教に対する信仰心の強さでかなり左右されるのかな。信仰心の強い人は不愉快だろうし、キリスト教をよく知らない人は何が大変なのか分からないだろうw 幸いにして多少宗教に興味があった俺には、エンターテイメントとして面白い話だったね。 “可能性の問題”とすれば、この話が描くような陰謀が有るのかもしれない。そういったワクワク感を楽しめる人には凄く良い映画。でも、「あるのかもしれない」という前提で物語を受け取る以上、ラストのワンカットは結論を限定してしまって、俺にはファンタジーな結末過ぎたかなと。存在をにおわせるくらいで良かったかもね。 |
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〜あるカトリック学校で〜 (2008年制作) |
1960年代半ばのニューヨークにあるカトリック学校。生徒と親しげな神父の不審な行動を目撃したシスターは、厳格な女性校長に相談するが…。 厳格で昔気質な女性校長役のメリル・ストリープはさすがの貫録。エイミー・アダムス演じる純粋なシスター・ジェイムズにしても、生徒に親切に接するフリン神父にしても、説明台詞を極力排しながらも人柄や状況が掴める序盤の見せ方は実に上手い。いつ頃の話なのかについても、神父の説教の中で「前年にケネディ大統領が〜」のくだりだけで一発で分かるし、そういった話の流れの中で観客に感じさせる演出がお見事。フリン神父役はフィリップ・シーモア・ホフマンだが、メリル・ストリープとの名優同士の演技のぶつかり合いは見応えがあるね。 テーマはタイトルからもズバリ“疑念”だが、当時にあって革新的なフリン神父と、対する厳格な女性校長との相いれない部分との対立、そしてその気持ちが膨らんで校長の中で偏執的な確信に変わっていく姿に、人間のイヤな感情的部分を見る。校長にとっては正義なのだが…、「自分が信じる事こそが真実だ」と言わんばかりの態度に“確信犯”とはまさにこれの事だと理解した。 果たしてフリン神父は生徒に手を出したのか。疑わしい、が確証はない。人を疑うことは「汝隣人を愛せよ」というキリストの言葉に沿うものなのだろうか。「試合に勝って勝負に負けた」とはちょっと違うだろうが、シスターである女性校長が慟哭する姿の意味は深い。 |
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ハイテク・タキシードを着ることで完璧な動作の出来る諜報員になってしまった男(ジャッキー・チェン)の話。正直けっこう笑えました。バカ映画の類だし、ストーリーは度外視して気楽に楽しめたね。ただジャッキーは相変わらず動き回るけど、今作は視覚効果を多用してるせいか、いつもの格闘の凄さが伝わってこなかったのは物足りない気はする。しかし、本人登場ジャッキー・ブラウンには大爆笑w ジャッキー、JBになんて事をするんやw | ||
火花を散らしながら爆走するピザ屋の原付!オープニングからスピード感のある映像でノリもいい。が、コメディ映画としては、まだ大人しめな感じかな?この映画の一番のウリはやはりカーチェイスシーン。フレンチ・コネクションを彷彿とさせる爆走に、さすがに手に汗握る。やはりカーチェイスは本物の車でガンガンいってくれないとね! | ||
いい意味でバカ映画。前作よりも楽しい映画になってる。しかしフランス人もこんな日本人感を持っているのか・・・w 組長の後ろに芸者・・・。あのヤクザ達も、本業はヤクザなのか忍者なのか分からないし。あの三菱も日本のナンバープレート付けてたしねえ。まあいいかw ストーリーは大したことないんだけど、妙なギャグに笑ってしまう。ちゃんとセルフパロディもあるし前作を観てると、また面白い。ラリーカーより速いタクシー、楽しみました。ニンジャ〜! | ||
シリーズのバカさ加減と都合の良いストーリーを踏襲してて、今までのファンなら十分楽しめる。出来るなら1と2を復習してから観た方が良いかな、相変わらずセルフパロディが多いし。しかし今回もエミリアンのボケぶりと署長のブッ飛びぶりには笑わせてもらったw オープニングの007ぶりも面白い!でも最後の雪山のシーン、俺的にはいまいち盛り上がらないんだよなあ。追いかけてはいるけどチェイスしてるって感じじゃなかったし。まあ全体的には十分面白かったからOKですが。そうそうハリウッドスターのゲスト出演には一瞬目を疑った。まさかフランス映画に出てペラペラ喋るとはw | ||
シリーズ第4弾。 いい加減、失速気味だなあというのが正直な印象。もはやダニエルの高速タクシーが話のキーではなくて(高速であることに意味が無くなってる)、ほとんどジベール署長の奇行を楽しむだけの映画になっている感じ。そりゃまあそれはそれで面白いんだけど、でもシリーズ初期に感じた爽快感はないんだよね。 「タクシードライバー」のデ・ニーロみたいな格好した奴がいたのはウケたw オープニングのサプライズゲストは、サッカーに詳しくない俺にはよく分からない。この辺はサッカー好きかフランス人じゃないとダメかな。 |
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NYを舞台に、世の中に対する鬱積した怒りを持つベトナム帰還兵のタクシードライバーを描いた現代劇。 俺個人としては、主人公トラビスに共感するところは多い。世の中の不浄さ、偽善さに辟易する気持ち。そして常に感じる孤独感。そうした人間の正義感は「ズレ」であり、一歩間違えれば「狂気」。分かってはいるが…。 「自分の殻に閉じこもっていてはいけない」と彼が行動することにしても結局は自己満足でしかない。「何かできる、やってやる」と銃を買い、暗殺未遂を起こし、少女を救う。結局は彼も穿った社会の一部でしかないのか。 トラビスを演じたデ・ニーロは見事。最初から変ではあったけど、どんどんエスカレートしていく静かな狂気感。あの雰囲気は凄いよなあ。 |
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(1962年制作) |
「007」シリーズの記念すべき第一作。 あのオープニングとテーマ曲がこの作品から半世紀近くも続けられているんだと思うと、改めてこの作品が方向付けたものの凄さが分かる。ただ、観ていると分かるんだけど、この1作目は低予算映画なんだよね。展開もB級映画テイストが強くて、スパイアクション映画というよりは“伊達男の探偵物”っていう感じw 最近のハデなボンド映画を忘れて観れば、B級スパイ映画として楽しめた…かな。 ボンド役のショーン・コネリーは確かにハマってる。登場シーンからしてキマってるし、色男っぷりも、殺す時は躊躇せず射殺するのも力強くて良い。ボンドというキャラクター自体に人気が出るのは分かるなあ。でも1作目のせいなのか、ちょっとおとなしめの印象は受けたけどね。 |
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(1963年制作) |
シリーズ第2作。国際犯罪組織スペクターの陰謀により、英ソ間での暗号機を巡る諜報戦が繰り広げられる。 さすがに古い映画の感じはするが、今観ても十分に楽しめる活劇になっている。アクション映画と言うよりはちゃんとスパイ映画という雰囲気だしね。ただ、いささかボンドは迂闊なところもあるのだけども、まあ、そこは愛嬌かw 冒頭で東西陣営とスペクターの立ち位置を闘魚を使って説明するあたりは上手いと思った。確かに分かりやすい。Qの作ったアタッシュケースも現実味がありつつちゃんと活躍するし、面白いですわ。 ラストバトルはもうちょっと盛り上げて欲しかったかなw |
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(1964年制作) |
シリーズ第3作。金本位の男、ゴールドフィンガーの陰謀により米国の金塊が狙われる。 “狙う”と言っても奪うわけでないところが、このストーリーの捻っている部分ですね。ただ、全体的に見ると緩急の緩の部分が目立つ感じ。ゴルフ対決とか、囚われている部分が多かったからかな? でもギミックたっぷりのボンド・カーであったり、脂ののりまくったボンドの色男っぷりは今後のシリーズの原型でもあるわけで、そういう意味で今作のボンド像というのは大変意義深いと思う。 ボンド・ガールはなんだかあっさり姉妹が殺されたのでビックリ。ゴールドフィンガーの陰謀も、規模がでかい割にはセコい感じがするw 悪漢のキャラ造形ではシルクハット投げの殺し屋が最高に不気味で可笑しい。ラスト、時限装置が007秒で止まるところは粋で良かったです。 |
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(1965年制作) |
シリーズ第4弾。国際犯罪組織スペクターが、原爆が強奪し米英に原爆と引き替えの金を要求してきたが、例の如くジェームズ・ボンドが立ち向かう。 129分の上映時間を長いと見るか短いと見るか。ボリュームたっぷりなんだろうけど、個人的にはもうちょっと纏められるのではないかなあ、なんて考えながら観てしまいました。ただ、実写のフルトン回収や、後年パロディにも使われる鮫の水槽にスペクターの会議シーンなど見逃せないシーンもあるんだよね。 今作の目玉は何と言っても水中銃撃戦のバトルシーンなんだろうけど、あんな大変そうな撮影をよくやったもんだねえ。それなりに迫力もあるしタイトルバックでのシルエットにもなっていたんだから気合いもあるんだろうけど、やはり同じような銛が刺さるシーンを何回も見させられるとちょっと飽きが来なくもない。 しかし、あの鮫は本当に撃たれたのか?だとすれば今は絶対に撮られないでしょうw |
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(1967年制作) |
シリーズ第5弾。米国の宇宙船が謎の宇宙船に捕獲され、続いてソ連の宇宙船までが消えた。米ソ開戦を回避すべく、ジェームズ・ボンドが暗躍するスペクターの陰謀を暴く。 今回の舞台は日本。その日本の描写をどう受け取るかで、この映画を楽しめるかどうかが変わるのだろうけど、いやはやここで描かれる日本は実にファンタスティックだねw まあこの時代の映画の日本描写をどうこう言っても仕方ないので、俺は割と開き直って観たんだけど、それにしてもストーリーは粗末。うーん、ボンドらしい荒唐無稽さなんだと言えばそうかもしれないけど、もはやボンドのやってることもスマートには見えないわけで、そうなると微妙なバカ映画に見えるんだよなあ。 全体的にずっこける様な演出も多いんだけど、個人的に一番受けたのはボンドが「この島はどこに?」と質問した時、丹波哲郎演じる仲間の諜報員が「神戸と上海の間だ」って言ったところ。それは大雑把すぎやしませんか?w |
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(1969年制作) |
「007」シリーズ第6弾。国際犯罪組織スペクターを追うボンド。別の犯罪組織ユニオン・コルスと接触したボンドはスペクターの情報と引き替えにコルスのボスの娘との結婚を要求される。 前作とうってかわって荒唐無稽さが無くなり、地に足ついたスパイ映画にしようとしてるように見える。適地に潜入したボンドが、案内された部屋でまず仕掛けがないかチェックするシーンなどは1作目を彷彿とさせるし、“原点”を意識した真摯な作りは好感。それが故に地味な印象も受けるけど、あのボンドが本気で結婚するという展開は驚いた。結婚式のマニー・ペニーはかわいそうだがw しかしその後ラストに訪れる衝撃の展開は、殺しのライセンスを持つ男の宿命というか…、いやはや切ないです。あの展開で何故ブロフェルドを捕まえなかったのだ…。 主演は2代目ボンドのジョージ・レーゼンビー。ショーン・コネリーよりもオーラが無いが、結婚するボンドという誠実なイメージには合っているか。個人的には悪くなかったかな。 後半はアクションシーンも満載で見応えがあるのだけど、ちょっとサービス過剰で長く感じた部分も。ボブスレーまで行くといいかげんしつこい感じもしたけど…。その前のスキーとカーチェイスのアクションは最高だった。他にはスケートやカーリングまで出てくるので、そういう意味でウィンタースポーツ満載の作品でした。 |
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(1971年制作) |
シリーズ第7弾。宿敵であるスペクターの首領・ブロフェルドを倒した007。次の任務としてダイヤモンド密輸に関する調査を命じられるが、事件の背後には巨大な黒幕が潜んでいた。 ボンド役は前作「女王陛下の007」のジョージ・レーゼンビーから再びショーン・コネリーに変更。やはりボンドのイメージが板に付いてるコネリーボンドは安心感があるけど、この映画に関しては全体的に話が地味な印象。良い意味では地に足ついているとも言えるけど、手際の鮮やかさよりも割と敵に察知されたり襲われたりしている方が目につくのでなんとも…w ただカーチェイスは頑張っていたと思う。頑張りすぎてギャグが入って「ルパン三世」みたいになってたけど、まあそれはご愛敬か。 ショーン・コネリーの正式な007はこれが最後だけど、この作品を観る限りはシリーズとして新しいことも出来ていないので、「これ以上この役を引きずるのは得策でない」という判断も理解できる。 |
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(1973年制作) |
シリーズ第8弾。今作からボンドを演じるのはロジャー・ムーア。カリブの島国の大統領・カナンガは米国でギャングのボスMr.ビッグをに変装し、麻薬の無料配布によって中毒患者を増やそうと画策していた。 ロジャー・ムーアのボンドはそれ自体悪いとは思わないが、この映画は話の構成がどうにも行き当たりばったりで微妙。ワニに食わそうとしたり、サメに食わそうとしたり、何で敵のやり方はいつもあんなに回りくどいんだw カカシに偽装した銃をもっと使えばてっとり早く始末できるはずなのに。007的ケレンなのかもしれないけど、ギミックにこだわりすぎている感じかなあ。 確かにワニのシーンはどうやって切り抜けるのかと面白く見られたのだけど、まさかの「因幡の白うさぎ」。カナンガもサメに食わせるのかと思いきや風船爆破。これには意表を突かれたw ボートチェイスは力が入っていたものの、似たようなシークエンスが繰り返されるので少し長い感じがする。どちらかというと保安官のペッパーがキャラ立ちしすぎていて場面を食われている気が。007をしてエンターテイメントとしてはこんなものだろう…というのでは、少し勿体ない感じ。 |
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(1974年制作) |
シリーズ第9弾。殺し屋スカラマンガから暗殺予告と思しき銃弾がMI6に届く。ボンドは自ら調査に乗り出すが…。 スカラマンガ役の人は眼力があるなあ…と思ったらクリストファー・リーか。自分の銃の腕を信じていて、ボンドへの共感と挑戦といった部分で比類している点など、ストーリーの進行上も対決に持っていく設定に上手く組み込めていて良いと思う。乳頭が3つというのはどうかと思ったけどw 部下なのに遺産を狙うニック・ナックもユニーク。まあ、まだある種の安っぽさはあるけど、それはこの時代のボンド映画ならではの味ということで。 中盤のカーチェイスは見どころの一つだけど、空中一回転はホントにやってるんだよね。取ってつけた感はあるものの、アナログ時代の名アクション。カンフー…空手?のアクションはちょっと当時のブームに目配せしすぎてる気はする。それにしてもボートを直してくれた物売りの少年をボートから突き落とすとは、ボンドはヒドイw 脇役では、前作に続いて登場のペッパー警部が道化役として今作では良い味を出してると思ったけど、一方で全く役に立ってないドジっ娘ボンドガールのグッドナイトが…どうなんだろう?と思ったかな。 |
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(1977年制作) |
シリーズ第10弾。英国とソ連の潜水艦が行方不明となる事件が発生。ボンドにその真相究明の指令が下る。 ソ連の女スパイと協力するなど世界情勢の反映が少なからず見える。共通の敵となるストロンバーグの「世界を滅ぼして海洋国家を作る」とする主張はちょっとよく分からない(笑)が、まあ世界の危機を英ソのスパイが協力して解決するのだから、情勢が変わりつつある時代の映画だよね。 シリーズ10作目の記念作品ということで大作として作られたことがよく分かる作品でもある。冒頭のスキーチェイスの迫力や、エジプトロケの力の入れかた。(砂漠の場面で「アラビアのロレンス」の劇判が流れるのはご愛嬌。)中でも巨大タンカー・リパルス号の内部セットの大きさは目を見張るね。タンカーの外観や潜水艦、秘密(?)基地アトランティスの特撮も良くできている。サメの水槽はシリーズのお約束だけど、ボンドの回避の仕方が誰もが思ったであろう事を本当にやったので笑ったなあ。 そう、基本的にまじめにアクション映画のはずなのだけど、端々が微妙に面白い。敵の刺客である巨漢のジョーズはあまりにも不死身でギャグとしか思えないしw |
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(1979年制作) |
シリーズ第11弾。輸送中に行方不明となったスペースシャトル・ムーンレイカー。その真相を探るためにボンドが動く。 「スター・ウォーズ」によるSFブームに乗っかって、ボンドも宇宙へ…ってなんじゃこれはの超展開映画。007みたいな大作シリーズでこんな脚本が通るのか…というくらい何がしたいのかよく分からない話。いや、宇宙に行きたいんだろうけど。とりあえずオープニングのスカイダイビング戦はすごい映像だった。特撮ではないパラシュートの奪い合いに手に汗握る。そしてリオの展望台からの景色が素晴らしい。最後にムーンレイカーの打ち上げシーンのSFXは一級品!見どころはそれくらい?w 前作から引き続き登場の殺し屋ジョーズは、不死身度に磨きがかかってもはや悪ふざけのレベル。確かにどこか憎めないキャラなんだけど、終いには三つ編み金髪の姉ちゃんとラブラブになるとか、ひどいw 全体的に「ひょっとしてギャグでやっているのか?」というノリが続き、瞬発的なネタを繋いでいるようにしか思えないのが…ダメかなあ。スパイアクションというよりはもはやコメディ映画だよ…。ドラックスの部下なんて、殺しにかかってるくせに武器が竹刀とか…(苦笑 ヴェネチアで暗唱コードの入力時の音が「未知との遭遇」だったのは、個人的にはちょっと面白かった。狩りのシーンでふかれるラッパが「ツァラトゥストラはかく語りき」の出だし3音なのも宇宙を引っかけたネタか。ギャグにしてもこのくらいでやめておけば…。 |
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(1981年制作) |
シリーズ第12弾。ミサイル誘導装置ATACを積んだ英国の偽装船がギリシャ沖に沈没した。ソ連は冷戦を有利に進めるためにそのATACの入手をもくろんでいたが、英国はその阻止とATAC回収のため007を派遣する。 前作の荒唐無稽さがウソの様に無くなって、地に足ついたスパイアクションが展開されるのが良いね。見せ場となるアクションをいくつかの筋書きでつないだ様な構成とも言えるけど、スタントも含めてアクション自体に見応えがあってエンターテイメント作品として面白い。特にボブスレー&スキー&バイクのチェイスは「よくこんなことするなあ」とあきれるほどの疾走感だった。 一方、後半で敵につかまったボンドとボンドガールが水中引き回しの刑にされるシーンは、「なんで敵はこんなまどろっこしい事をするのか」とも思ってしまうけど、まあそこはご愛敬。 ホッケーのゴールはくだらねえ(苦笑) それにしてもオープニングシークエンスでのブロフェルドの扱いには笑った。誰もブロフェルドとは言わないしスペクターの名称も出てこないけど、あの猫とハゲはブロフェルドにしか見えないw(大人の事情でブロフェルドとしては出せなかったらしいが。) シリーズ屈指の悪役をアバンタイトルでジョークの様に倒すセンスは嫌いじゃないよ。そういう意味ではラストのサッチャー首相をイメージしたジョーク的なエンディングも好きだな。タイトルのダブルミーニングも洒落てる。 |
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(1983年制作) |
シリーズ第13弾。ソ連の外貨稼ぎの手段と思しき宝石密輸事件の調査を始めたボンドだったが、密輸事件の裏に隠された陰謀に巻き込まれていく。 ソ連軍人がNATOの壊滅を目論んでいるという東西冷戦らしい筋立てと、女だけの宝石密輸集団という露出メインのサービス設定?とのバランスが、真面目なのかふざけてるのか…しばし頭を抱える(苦笑) ワニの偽装とか蜘蛛の巣に引っかかるとか、ゴリラの着ぐるみに入るとか、インドでのチェイスでは明らかに小道具で遊んでるとしか思えないんだけど…。丸鋸ヨーヨーなんてヒドいなあw まあロジャー・ムーアのボンドらしいと思えばそうなんだろうか。常に敵に狙われているアクション映画なのに、どうも牧歌的な感じ。 終盤は敵の目的がハッキリして、西ドイツの米軍基地内で事故を装った核爆弾の爆発を食い止める話になる。それでもサーカスでのドタバタなど、ふざけていることには変わりないんだけど。まあ人間大砲の前振りは話の流れでも入っているし、見せ場にはなっているとは思う。ピエロ姿のボンドというのも、ムーアならそれはそれで。爆発直前で食い止めるのはお約束ですな。 冒頭とラストは飛行機アクションでそろえてきているけど、ここは迫力もあってよかった。特に冒頭のアクロスターはスピード感も抜群だったね。対してラストの機上でのバトルは、相手を倒す決め手がアンテナでバシっとやるとか…。なんかショボいw |
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(1985年制作) |
シリーズ第14弾。死んだ003がソ連で入手したICチップの出どころを探るべく、製造元企業の内偵を開始する。 ロジャー・ムーアが演じる最後のボンド。冒頭の「女王陛下の007」スキーアクションは迫力があって良いツカミ。途中でスノーモービルの板をボード代わりにして滑り出すけど、当時はまだスノーボードがアクロバティックなアクションと捉えられていたということでもあるんだろう。その辺は時代を感じる。カーアクションでは障害物に当たって車がオープンになったり前半分に千切れたりというギャグが組み込まれていて、この辺はムーアのボンドらしいふざけた感じが出ている感じ。でも作品全体としては前作の様な悪ふざけもなく、比較的地に足ついたスパイらしいボンド映画になっていると思う。(妙な日本趣味が出てくるのはご愛敬…。) 印象に残るのは本作の敵として登場するゾーリン役のクリストファー・ウォーケンか。悪役としての雰囲気はバッチリだが、こういうちょっとふざけた映画では役不足かもなあ?部下も見殺しにするあたりは良いんだけど、この人ならもっと冷酷なキャラにもできたと思ったり。あとメイデイ役のグレース・ジョーンズがインパクトあったが…、分け隔てなく手を出せるボンドはプロだと思いましたw あ、レーニン勲章のオチは好きです。 |
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(1987年制作) |
シリーズ第15弾。ソ連のコスコフ将軍亡命作戦に成功したボンドだったが、彼から西側スパイ暗殺計画を聞かされる。 本作からボンド役はティモシー・ダルトンに交代。口角の上がった笑顔がなかなか魅力的だけど、スパイとしての活躍もなかなかスマートで格好いい。ソ連将校の政治亡命を端にした陰謀を暴いていくという構成も意外と地に足ついていて、前作までのムーアが演じるコメディ寄りなボンドとの差別化に成功している感じで好印象です。(チェロケースでのスキーとかパイプラインの女性協力者とか、ムーア版に近いノリの場面はあるけどね。) スパイものとして地に足ついていると思えるのは、今回の敵が荒唐無稽な組織とはちがってソ連の一将校で、話の背景にもデタントへの連邦内での反感やアフガン紛争などの時勢を組み込んで描いているからそう感じるのかなと。アフガン紛争に関してはボンドとムジャヒディンの「敵の敵は味方」的な共闘の場面が特に時代を感じさせる。(ちなみに「ランボー3/怒りのアフガン」は翌'88年の映画。) 一方ではボンドが別のソ連将校を救って話をつけるなど、冷戦が終結に向かっている雰囲気もあるかな。 ダルトンのボンドと、マリアム・ダボが演じた今回のボンドーガールの組み合わせがなかなか良かった。 |
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(1989年制作) |
シリーズ第16弾。麻薬王の手にかかった親友のCIA職員の復讐に燃えるボンド。しかしMから別の任務を言い渡された彼は、その任務を拒否し逃走する。 東西冷戦も終結しつつある中でスパイの活躍の場をどう描くかは、この手のジャンル映画にとっては悩ましい問題だろうとは思う。今回は敵がただの麻薬王なので007の相手としてはちと物足りない気もするけど、任務ではなく個人的な復讐ということでストーリー上は上手く成立させているかな。 ティモシー・ダルトン版ボンドの2作目。ボンド・ガールを演じたキャリー・ローウェルとの組み合わせもいい感じ。現場に出張ったQが割と頑張ってるのが微笑ましいなw そういえば敵の部下でベニチオ・デル・トロが出ているんだけど、当時は21歳(くらい?)という若さでもすでにオーラ抜群。悪役とはいえいい目立ち方だった。終盤で文字通り木っ端みじんにされたのは悲惨ですがねw そういえば序盤ではサメに人の足を食いちぎらせたり、減圧室で人が破裂したりと、割とエグい場面が多かったのはちょっと気になる。 気になるといえば、本作は中南米の麻薬王の話なのに、なぜか香港の麻薬取締官が潜入捜査していたのはよく分からない流れだったな。調べてみると天安門事件の影響でロケ地が東南アジアから変わったからだとか…? そういうこともあるのか。それにしても、香港の諜報員が忍者を使って襲撃してくるのはさすがに珍妙すぎて笑ってしまった。そして香港人の諜報員を演じているのは日系人のケイリー=ヒロユキ・タガワ。…ややこしいなあw |
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(1995年制作) |
シリーズ第17弾。NATOの新鋭戦闘ヘリを奪い、さらにロシアの秘密兵器であるEMP照射衛星“ゴールデンアイ”を奪取した犯罪組織を追い、007が活動を開始する。 前作から少し間をあけて6年後に公開された本作。ボンド役はピアース・ブロスナンに交代し、M役もジュディ・デンチに交代。そういうタイミングに合わせてという事もあるのだろうけど、女好きのボンドに対して嫌味を言うMとボンドのやり取りや、ファムケ・ヤンセン演じる女暗殺者のキャラクター像、時代の変化に合わせてシリーズの方向性を修正してきた感が強いねえ。「敵が元身内だった」というのも冷戦後のスパイ映画って感じ。 アクションシーンは90年代のアクション映画らしい感じが出てきているかな。一番目を引いたのは市街地のチェイスシーンで、あれは面白かった。そこまでの流れと攻守が逆転し、ロシア軍から奪った戦車を使ってボンドが敵を追い回すとか…w ここはスピード感もあったし建物(のセット)を破壊して突進してくる絵面などはなかなか。若干ジョークじみた状況なのがいい。 そんな感じでアクション映画としては割と楽しめた一方、スパイとしてはまだ割と行き当たりばったりというか…。しょっちゅう敵につかまっているのもあって、それ以前のシリーズにあった“いい意味で安っぽい”お約束を踏襲している感じがまだ残っている印象はある。というかコンピューターの設定を都合よく使いすぎているところが個人的には気になるのだけれど。まあそれも90年代前半の“コンピューターに対するイメージ”ってところなんだろうかね。 |
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(1997年制作) |
シリーズ第18弾。南シナ海で英海軍のフリゲート艦が撃沈され英中間で一触即発の事態に。その情報を英軍よりも早く報じたメディアに疑念を持ったMI6は007を調査に向かわせる。 アバンでのアクションはテロリストの武器取引阻止作戦だけど、不測の事態とはいえ敵陣真っただ中の核ミサイルを戦闘機ごとを強奪して脱出とは、相変わらず無茶な007w 全体的にはアクションシーンの時間を長めに取っている印象で、ハンブルクの立駐でのカーチェイスや、サイゴンでのバイクチェイスはもうちょっと詰めても良いのでは?と思わなくもなかったけど、後者の手錠で繋がれたままでのバイク2人乗りというトリッキーなスタイルは面白かった。しかしサイゴン市中をめちゃくちゃにしすぎ(苦笑) 敵のヘリがやってたローターを武器に前進してくるってのは実際無理だと思うけど…、まあ多少の荒唐無稽さはご愛敬という事で。 もはや冷戦は過去のものとなり、本作での緊張は英中間の軍事衝突の危機で舞台は南シナ海。そして事件の黒幕はメディア王という設定がなかなか時代の変化を感じて興味深い。敵となるメディア王・カーヴァーの「情報こそ力」「情報で世界を操る」という思想は21世紀でも通用するなあ。とはいえこのカーヴァーのモデルは20世紀のメディア王、ロバート・マクスウェルらしいですが。でもビジュアル的なイメージはスティーヴ・ジョブズに近い気もするね。傍らにはウォズニアックみたいな技術者もいるしw それはともかく、マッチポンプで起こした危機をフェイクニュースを織り交ぜながら拡散することでメディアとしての地位を確立しようとする敵の目論見は、なかなか現代社会の風刺として効いているわ。 そんな具合で、設定としては冷戦後の変化を感じるところもあって悪くなかったかな。でもそれ以外は荒唐無稽さも相まって「いつものボンド映画」って印象はそのままではありました。 |
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(1999年制作) |
シリーズ第19弾。石油王のキング卿が暗殺される。次にその娘のエレクトラが狙われると考えたMは、007を警護のために彼女のもとへと向かわせる。 今回の敵の狙いが石油パイプラインに関する謀略だという展開になっていくあたりは時代背景を感じさせて悪くない。ボンドガールでありつつもその実は黒幕だったエレクトラを演じるソフィー・マルソーも、その裏表のある感じが良いね。もうひとりのボンドガールであるデニス・リチャーズは核兵器の解体のプロである科学者という役どころだけど、科学者には似つかわしくない服装と取ってつけたようにボンドと行動を共にする後半の展開がちょっと鼻についたというのが正直なところ。 アクションはチェイスあり銃撃戦あり爆発ありと盛りだくさん。冒頭のテムズ川水上チェイスや、終盤の直立する潜水艦というシチュエーションは悪くなかったけど、アクション自体はちょっと大味な印象かなあ。中盤の丸鋸装備のヘリとのバトルはバカバカしさを自覚的にやってれば楽しめたかもしれないけど、どうもあまりジョークでやってる感じがしないのがイマイチに感じてしまった。 本作を最後に長年Qを演じてきたデスモンド・リュウェリンが高齢を理由に引退。作品内でQとして後任を紹介して退場していく姿は「お疲れ様」という気持ちにもなるし、「寂しくなるな」という気持ちにもなる。そのリュウェリンが本作の公開翌月に交通事故死してしまったというのは悲しい。 |
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(2002年制作) |
シリーズ第20弾。北朝鮮に潜入したボンドは取引相手を装って不正武器取引を行う基地へ訪れるが、そこで正体がバレてしまう。 シリーズ40周年&20作品目の記念作品ということで過去作へのオマージュもそこかしこ。これまで観ていたファンはニヤつくことでしょう。敵に捕まったり、ライセンスを取り消されたり、勝手に動いて敵の動向をつかんだり、行った先で会った女をすぐに口説いたりとやっていることも007らしい007で、“スパイ映画”と言うより“ボンド映画”としてのお約束を外さない。そういう意味でも記念作品としての王道で良いんじゃないでしょうか。冷戦終結後なので敵を北朝鮮絡みにしてるところはちょっと時代の流れを感じたりする。 本作のボンドガールはハル・ベリー。公開当時は初めての黒人ボンドガールということで話題になっていた記憶もありますが、今となってはそんなことも気にならないですよね。NSAの人間という役どころだけど、行動力も存在感もしっかり描かれていてなかなか良かった。 アクションシーンは盛りだくさんで、ホバークラフトに氷上ジェットにアストンマーティンvsジャガーの氷上チェイス、ラストは燃えるジェット輸送機からの脱出劇と見どころいっぱい。手を変え品を変えよく詰め込むもんだと感心もするけれど氷上ジェットからの脱出シーンなどはまだCGがCGと分かる感じのところもあったので、VFX的には過渡期の時代の映画だなあという印象も。でも炎上して分解しながら落ちるジェット機はなかなかの迫力だった。CGといえば衛星「イカロス」もCG描写だけど、なんかこれだけ世界観の中でSFの度合いが超越しているような気もするw ガンダムのソーラ・システムかAKIRAのSOLか…そんな感じの超兵器だよねえ。あ、でもアストンマーティンが光学迷彩を搭載してる時点でSFか。 ピアース・ブロスナン演じるボンドは本作が最後。ショーン・コネリーから始まったジェームズ・ボンドのイメージにも一区切りのつく作品として、十分なお祭り感はあったかなと思います。 |
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(2006年制作) |
6代目ボンドにダニエル・クレイグを迎え、新生007の活躍を描いたシリーズ第21弾。 設定がリセットされ、出演者もMのジュディ・デンチ以外は総入れ替え。そして世界観も奇抜なガジェットも控えめに、地に足付いた駆け引きとアクションで魅せるという「新しいボンド映画」の出発点としては完璧に近い出来栄え。公開前にはバッシングすらされた“金髪碧眼のボンド”という今までとは違うイメージを、有無を言わさない形で観客に納得させたダニエル・クレイグのオーラと演技は実に素晴らしい。スーツを着たときのかっこよさ、実に泥臭く傷だらけになるアクション、そしてヴェスパーという女性を愛した一人の男。そういう“人間”ジェームズ・ボンドの魅力を決定づけた作品としての価値は大きい。寡黙な感じのまま目的を果たしていく格好良さみたいなものも良いよね。そうやって新生007の活躍を描ききったところで、ラストに「ボンド、ジェームズ・ボンド」と名乗らせてからのあのテーマ曲である。なんてニクい演出かw 本作の敵はマッツ・ミケルセン演じるル・シッフル。マネーロンダリングを行う頭脳派なのでボンドとの対決はもっぱらポーカー。そのポーカー対決がル・シッフルの命運を分けるのだという状況に持ち込んだ展開は上手くできているね。負けたル・シッフルがすんなり引き下がるわけもなく結局ボンドを捕まえて拷問するわけだけど、いやはやその拷問は思わず縮み上がってしまうほどキツイ描写ですなあw そして本作のボンドガールはエヴァ・グリーン演じるヴェスパー・リンド。本作以降、25作目の「ノー・タイム・トゥ・ダイ」までボンドがその思い出を引きずることになる存在になるとは公開時は思ってもみなかったけれど、改めて観ると本作のボンドにとっては、一緒に任務をこなしたことも、そして目の前で死なせてしまったことも含めて特別な存在になったのだろうという事は伝わる。 |
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(2008年制作) |
007シリーズ第22弾。前作で死んだヴェスパーの為の復讐を胸のうちに秘め、ジェームズ・ボンドが黒幕に迫る。 「カジノロワイヤル」の完全な続編なので、人物関係などは前作を観ていないと理解しにくいかも。それを理解した上で観れば、なるほどボンドの復讐劇として絞った話にはしている。だけど、ただそれだけのテーマをアクションで何とか引き延ばして見せている、とも取れるかな。敵である謎の組織もその一端しか見えず、一応今作のボスとしてドミニク・グリーンはいるけど、今ひとつ大物感が無かったのも少々寂しいところ。敵の利権が、石油ではなく水絡みだというのは現代的だなあと感心したけどね。 アクションの見せ方は最近の流行に倣ったものでカッコイイ。イタリアでの屋根の上での追いかけっこは何か既視感があるものの、オープニングのカーチェイスは特に良くできてた。オープニングと言えば…今作の主題歌は前作ほど格好良くなかったのは残念だったなあ。 全体的にはリアル路線だし、今までのお約束もあまり無いので、昔の007シリーズとはだいぶカラーの違う路線になった感じ。でもそんな中でも、明らかに「ゴールドフィンガー」へのオマージュと思われる場面が出てきたのはなんだか嬉しかったw |
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(2012年制作) |
007シリーズ第23弾。突如起こされたMI6の爆破。そして任務に復帰したボンドは黒幕を追うが、彼らの目的はMへの復讐だった。 007の50周年記念作品ということで、過去作へのオマージュがいっぱい。Q、ワルサーPPK、アストン・マーティンDB5、マネーペニー…と、これまでダニエル・クレイグのボンドでは描かれなかったシリーズのお約束がついに!w 特にアストン・マーティンの使い方はニヤニヤせずにはいられない、往年のファンを楽しませる趣向がたまりませんな。 序盤のアクションシーンは迫力があった。同じバイクのチェイスでも同年の「ボーン・レガシー」より見応えがあったし、ショベルカーの使い方も面白かった。中盤は若干ダレ間があったものの、審問会でのM襲撃に至る追跡劇や、それと新たな敵との戦いを語るMの語りとのオーバーラップは何かグッとくるものがあったね。劇中で散々"Old School"と揶揄されるMI6や00と、現代的な戦法を取る敵との戦いが本作のテーマの一つ(007らしさとは)が表現されていて良いと思う。 全体を振り返れば「現在と過去の戦い」というテーマが強かったせいか、ちょっとボンドガールの影が薄い話になってしまったかな。けど、ボンドガールと思いきや実は…というオチは良かった。いや考えてみれば、後半ボンドとずっと行動を共にしてたのはMじゃないか。ということはM(ジュディ・デンチ:77歳)が本作の本当のボンドガールなのか? |
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(2015年制作) |
007シリーズ第24弾。メキシコで目標を排除したボンド。しかしその騒動について咎めを受け職務停止となってしまうが、そこで得た情報から独自行動を起こすボンドだった。 ダニエル・クレイグ版ボンドの総決算とすべく、これまでの敵とのかかわりを感じさせつつ、往年の宿敵である悪の組織「スペクター」がついに登場。ファンからすれば色々と感慨深いところかもしれないけれど、逆にリアリティと007らしさのバランスが現代的だったクレイグ版にしては良くも悪くも“007らしさ”の方にだいぶ寄ってしまった印象で、個人的には話の安っぽさの方が目に付いてしまった。スペクターの首領ブロフェルドはフランツ・オーベルハウザーという幼少のボンドに関わりある人物だったとかも、因縁としてもちょっとご都合的な感じかなあ。 毎度敵に捕らわれるボンドはお約束。からくも脱出するところもお約束。とはいえブロフェルドはもうちょっと詰めの甘さをなくしてくれた方が良かった気がする。そんな具合に細かいところが気になって仕方がないのだけど、場面場面ではその“007 らしさ”のアクション描写などは悪くないと思うんだよね。ボンドカーのカーチェイス、列車内での格闘、爆発と脱出。思えばオープニングのガンバレル・シークエンスは「これから(往年の)『007』をやりますよ」という宣言だったかもしれない? ところで今作のボンドガールであるマドレーヌ・スワンを演じたレア・セドゥって、「ミッション:インポッシブル」で殺し屋を演じてたせいか最初からその道のプロにしか見えなくて困ってしまった(苦笑)。ラストでボンドとともに車で立ち去るところは…「女王陛下の007」が脳裏に浮かぶが、やはり総じて往年の「007」を意識しすぎた感じ。 |
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(2015年制作) |
007シリーズ第25弾。引退しマドレーヌ・スワンとの暮らしを始めようとしていたボンドにスペクターの手が忍び寄る。スワンの裏切りを疑ったボンドは彼女と決別し、そして5年の月日が経ったのだが…。 ブロフェルドを登場させた前作がクレイグ版007の総決算になるかと思ったら、なんのことはない、本作こそが集大成だった。“ジェームズ・ボンド”という名前に“スパイ・ヒーロー”というキャラクター性以上の人間味を付加しようとし続けたクレイグ版だったけれど、「カジノロワイヤル」から5作をかけて描かれた物語は、自分の命をかけて愛する者のために闘った男の姿として結実した。もはやこれは007…“女王陛下のスパイ”なんだろうか?とすら思う瞬間もあったけれど、ダニエル・クレイグが演じた“一人の男”の生き様として、これ以上にないくらいエモーショナルな瞬間を味わえたとは思う。色んなボンド像があっていいと思う中で、クレイグ版はそれまでの誰とも違った魅力を放つボンドを作り上げたと思う。 一方で、お約束のボンドネタを次々と投げ込んでくるあたりも集大成と感じるところである。冒頭でボンドカーの大活劇があり、タキシードを着ての潜入や銃撃戦に、Qのガジェット(時計)。端々に小洒落たセリフも入ってニヤニヤする場面もあったね。前作から引き続き出演のレア・セドゥはボンドガールとしては一段上の立ち位置に行ってしまったけど、その代わりにオールドスクールな相棒的ボンドガールとして新人CIAのパロマがキューバのシーンで登場。アナ・デ・アルマス演じるパロマはドレスでの立ち回りも決まっていてアクションシーンも面白かった。惜しむらくは「私はここまで」とメタともなんとも言えぬセリフを最後にほんとに退場したことかw 本作でボンドは死ぬことになるが、その展開を考えれば前作で捕まったブロフェルドも死ななければならないし、スペクターも崩壊させなければシリーズとしてのケジメはつかない。その点で本作はサフィンという敵によってうまく話を運ばせたなと感心した。サフィンというキャラクター自体に派手さはないけれど、ラミ・マレックは掴みどころのない不気味さをうまく出していたと思う。しかし特定のDNAを対象にした殺人細菌(ナノマシン)兵器とはねえ。これはもう「メタルギアソリッド」のFOXDIEを連想せずにはいられない。かつては「メタルギアソリッド3」に多くの「007」のオマージュを見たものだけど、まさか「007」を観て「メタルギアソリッド」を連想するような時代が来るとは…。そういう意味でもなにか感慨深かったな。 |
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(2013年制作) |
チンピラカウボーイだった主人公のロン。ある日突然宣告されたHIV陽性の検査結果、そして余命30日。彼は未承認薬を手に入れるために行動を起こす。 80年代のエイズとゲイに対する偏見の空気の中で、自分の運命に抗った男の話だけど、見応えがあるのは何といってもマシュー・マコノヒーの役作りか。20kg以上減量したというその痩せっぷりにまず目が行くけど、それ以上に心の揺れ動きの表現だよね。突如偏見の目を向けられ、嫌悪の対象だったゲイと同列に観られる戸惑い。自己の生への執着から、製薬会社への怒り、そして患者たちのための行動へという変化。ドラマチックだけど抑制の効いた演出で、観る者に訴える力強さがあると思う。 自分の死を宣告されて主人公の様に行動できるかと聞かれたら俺にはムリ、だけど主人公はやりきった。製薬会社と役所といった組織と闘うその姿勢は、最初は単なる金儲けとして“バイヤーズクラブ”の立上げがあったのだろうけれど、どこかに使命感の様なものもあったんだろう。真実として例えそれが利益団体だったとしても、人の救いになっていたのだとしたら考えさせられる。終盤は明らかに利他のために戦おうとしていたように見えたしね。 ゲイ嫌いの主人公がゲイのレイヨンと組むことで、それまでの偏見がマイノリティとしての共感に変化していくところは良い。ジャレッド・レトも見事な助演だけど、邦画ならその死をことさら感傷的に描くんだろうなあ。それをせずとも幕間から十分に感じられる。それこそが演出。 |
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(2013年制作) |
ドイツに密入国したチェチェン人青年を巡る諜報員の活動を描く、ジョン・ル・カレの同名スパイ小説の映画化作品。 主演のフィリップ・シーモア・ホフマンから放たれるオーラ。これに尽きる。序盤からちらつかせる「ベイルートでの失敗」。それがいったいなんだったのかは後半まで語られないが、しかしその経験からくる男の覚悟の様なものが背中で語られている…気がする。諜報活動は騙し騙される世界というのは数多くのスパイ映画でも描かれている話だけれど、ジョン・ル・カレの描く世界は「裏切りのサーカス」でもそうだったように、非常に静かな熱量を持ったシリアスドラマが描かれる。 劇中ではついに一発の弾丸も発砲されなかった。それ以前に銃も出てこない。それでも主人公の覚悟、別チームの思惑、そしてCIAの存在が入り混じる展開にグイグイと引き込まれていったね。演出の手際も良く、一見すると静かさゆえにテンポが緩いのかと思わなくもないが、説得の最終段階をあえてカットするなどしてカット間を観客に読ませるつなぎ方が多く、無駄がない。これは個人的な好みでもあるけど、撮り手にとてもセンスのある映画だなと思った。“狙われる男”を取り巻くイスラム・テロリストの問題は今日的テーマであり、また扱いの難しいところでもあるが、非常に真摯にイスラムを描いていると思う。少なくともイスラム=敵などと短絡的な内容ではないし、そもそも描きたいのは後悔を背負った男の覚悟の物語だろう。 登場人物を演じるのはどれも達者な役者ばかりだが、やはりこの映画はF・S・ホフマンの存在感が際立っている。最後の叫びに込められた様々な怒りと後悔がとてもとても…。再び街の中に消えていく主人公の背中は、一言では尽きない様々なことを語っている。こんな演技ができる役者の最期の主演作として、素晴らしい作品だった。 |
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(2009年制作) |
ある日、街にやってきたフリークショー。そこから盗んだクモに噛まれて命の危機に陥った友人を救うべく、主人公はショーにいたバンパイアと契約してハーフバンパイアとなる。 いわゆる児童文学的なファンタジーで、フリークと呼ばれる普通ではない人々の世界が描かれるので、少しダーク気味な作品かと思いきや…軽い演出と展開で肩すかし気味。“バンパイア”と“バンパニーズ”という吸血鬼同士の主義による確執なるものも描かれるけど、それにしたってさんざん描かれてきた話と似たり寄ったりだし、新鮮味は薄い。 いわゆる“バンパイア映画”の中でも少し埋もれてしまいそうなテーマながら、脇を固める役者は一流の人ばかり豪華。中でもバンパイアのクレプスリーを演じるジョン・C・ライリーは雰囲気が良い。ドラキュラ伯爵とは違う吸血鬼顔というか何というかw しかしおしなべて主人公ダレンや、親友と呼ばれるスティーブのキャラや関係の描き方が薄っぺらいのが勿体ないかな。他のフリークショーの人々との交流も省略気味で、話の深みが出るところまでは行かないし…。序盤で少し描かれた、フリークに対する一般人の欺瞞を見せたところは悪くなかったけどね。 まあ元の作品が児童文学だということだけはよく分かるが…。 |
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(1974年制作) |
地上138階建て高層ビルの落成式当日。このビルの建築家・ロバーツは電気配線の部品が設計と異なる事の危険性をオーナーに指摘していたが、時すでに遅く81階から火の手が上がり始める…。 コストダウンのために建材をケチったことで起こる悲劇を背景に、人命を最優先に炎と戦う消防士達の姿を描いた'70年代パニック映画の名作ですね。建築家を演じるのはポール・ニューマン。建築家の割に多少活躍し過ぎな感もあるけど、これは当事者としての責任感からの行動と解釈しときますw そしてもう一人の主役、消防士のオハラハン隊長を演じるスティーブ・マックィーン。彼がシブい! 猛火の中、陣頭で指揮を執り、宙づりエレベーターを救い、身一つで屋上におり立つ男。プロフェッショナルの消防士としての格好良さがたまりません! この映画はパニック映画というジャンルらしく、猛火の中で取り残された人々の人間模様も描かれる。だけど、いわゆる憎まれ役が死ぬのはお決まりとしても、良心的な人たちまで普通に火に巻かれたり墜落死したりと結構容赦がない感じ。特に理性的に行動していた上院議員が、利己的なオーナーの息子を制止しようとして一緒に墜落死だなんて…。何でもない普通のいい人達が簡単に死んでいくというのは、こういうパニックにあって人災の理不尽さがよく伝わってきますね。 炎上シーンは撮影規模も大きくて力が入っているのがよく分かるんだけど、でもやはり多少のチープさが目に付きもする。ビルの外観は模型での撮影なんだけど、炎の大きさから感覚的にそうと分かってしまうシーンも…。屋内のシーンでも結構セット然としているところもあって、そのあたりがもう少ししっかりしていたらな、と思ったのも事実です。 |
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人生の輝きを失ってしまった中年オヤジ達が、仲間の一人の思いつきから西海岸までハーレーの旅に出る姿を描いたコメディ。 もうちょっとロードムービー的な面白さもあるのかと思ったら、バイクがメインの話は前半までで後半は田舎町でのドタバタ映画でした。ギャグ自体はベタベタなモノが多くて、典型的なアメリカのコメディって感じ。まあ、ティム・アレンの映画だしね。 中年オヤジ達が頑張って(なりゆきで)悪漢バイカー達から町を守るわけだけど、その姿に共感できれば楽しいかもしれない。ただ、個人的にはあんまりテンポが合わなかったのが残念。前半にあんなフリ方をしていたゲイネタが後半に出ないのもなんだか疑問だなあ。まあノリで楽しむ部類の映画なんだけどね…。 しかしこういう映画を観ると、ハーレーで走る姿の似合うアメリカ中西部の光景って良いなあ、と思う。 |
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(2017年制作) |
1940年フランスのダンケルクに追い詰められた英仏軍。海岸の英軍兵士、救出に向かう民間船、そして空から援護する英軍戦闘機の目を通してその撤退戦を描いた戦争映画。 第二次世界大戦であったダイナモ作戦の話だが、戦略的な話は出てこない。とにかくミクロの戦争映画として、「防波堤」「海」「空」の3つの視点からその戦場の只中に観客を送り込む事だけに集中した映画。進行にしても「言葉で説明はしない、観ればわかる」と監督が映像を信じているのがヒシヒシと伝わるし、その潔さには驚いた。登場人物の細かい行動一つ一つがセリフの代わりに状況を説明してる。冒頭で提示される"One Week"・"One Day"・"One Hour"という最低限の説明も、最初は何のことかボヤッと受け取っていたのだけど、救助された英国兵(キリアン・マーフィー)が別の場面で出てきた瞬間に「ああこれはそういうことか」と理解。それぞれ時間の圧縮(進み方)の違う別々の場面が並行して描かれ、最後に集約されていくという群像劇。映画とは時間すらも自由自在に操れるというところが面白い。 内容的にかなりストイックなので、そこにハマれるかハマれないかは観る人を選ぶ部分もあるかもしれない。作品の方向性としては、脱出を試みる兵士たちの泥臭い部分も描かれるものの、戦争の悲惨さよりも救出や援護に向かう民間船や戦闘機の崇高さに心打たれる方が大きいかな。英国出身のノーラン監督が英国の"奇跡の”撤退戦を描いているわけだから、そうなるのだろうが、まさに英国人のための作品という感じですね。英軍へフォーカスするために独軍の兵を描かないというのも非常に効果的だった。 それにしてもIMAXカメラによる空戦映像は鳥肌が立つわ。嗚呼スピットファイアがただひたすらに美しい。個人的にはもうこれだけで満腹w 空戦にしても撃沈される船にしても、全編通してとにかくCGに頼らない姿勢には敬服するが…もはやここまでくるとノーランの偏執的なこだわりが恐ろしく感じてしまう。いや、これぞフィルムメイカーか。 |
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(2000年制作) |
チェコから米国へ移住し息子の手術費用のために工場で働く主人公。ある日その手術費用が自宅から盗まれる。 貧しくとも息子のためと健気に働く主人公。そこに同情できるかだが、失明しつつあるという状況を隠しながら務めるのはある意味で無責任だと思うし、抱え込み過ぎだとも思う。なので絶望的に運命が転がっていく主人公の境遇にはどうも感情移入できず…。むしろ主人公よりも彼女に献身的な親友役のカトリーヌ・ドヌーヴの方が印象に残った。 まるでドキュメントの様なカメラ演出や、ビョークが演じる薄幸そうな主人公の姿は強烈。これをミュージカルというハリウッドの夢を描いたジャンルで、完全にアンチテーゼにしてしまったところには感心した。バッドエンドに向かって行く様は観る人にとっては「観たくもない」展開だろうけど、"最後の一曲前で観るのをやめれば"と思わせるようなラストは監督の冷笑が観える様でもあるw そういう意味ではこの作品を通じて監督の意図した感情を見せつけられているのだろうけれど、それで観客に何を思わせたかったのかは俺には理解できずじまいだった。 |
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ユニコーン号の秘密 (2011年制作) |
ベルギーのコミック作家・エルジェの「タンタンの冒険」を、スピルバーグ監督がフルCGアニメとして映画化した作品。原作はシリーズから「金のはさみのカミ」「なぞのユニコーン号」「レッド・ラッカラムの宝」の3編。 “インディ・ジョーンズのような”と言うとまた少し違うかもしれないけど、少年レポーターのタンタンが世界を巡って事件を解決するという、少年冒険モノとしてはオーソドックスな話。でもそのオーソドックスさがこの映画の魅力で、タンタンの行動力には昔見た少年漫画のワクワク感がそのまま投影されている気がする。しっかりしている主人公に対して、飲んだくれで失敗も多いがどこか憎めないハドック船長など、キャラクターとしてもまた魅力的ですね。 映像はフルCGでキャラクターもリアルになったけれど、それでも根底にある動きやキャラクター性はコミックの雰囲気が色濃く残っているし、これはいい再創造だと思った。雰囲気を残すのであれば2Dアニメが最強なんだろうけど、ここであえて3DCGにしたという挑戦も買いたいところ。特にアクションシーンなどはCGでしか為しえないカメラワークを見せ、これがまたダイナミック且つ流れる様で気持ちいい。クライマックス近くのモロッコ…、崩壊する街の中でのチェスシーンなんてその最たるものだよね。 童心に帰ることのできる冒険活劇映画として、スピルバーグは良い作品を作ったと思う。 |
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一時のデザスター・ブームにのせられて出てきたような作品。個人的にあまり楽しめませんでした。一番早く察知しておきながら、結局は最後の大爆発まで巻き込まれる。しかもすぐに救助されるわけだし、ご都合だよなぁ〜って、引いた目で見てしまいました。 | ||
(1941年制作) |
サーカスの象・ジャンボのもとにコウノトリが届けてきた可愛らしい子象。しかし耳が大きかったがために他の象達から笑われてしまう。 他人と違っていてどこが悪いのか、という部分はある意味で現代的な感覚もあるが、個人的には「みにくいアヒルの子」的な童話的センスかなとも思って観た。もっともダンボには母の愛があり、親友のティモシーがいて、他人(象)からバカにされこそすれ身内からは救いと愛にあふれた話ではあるが。 ダンボの所作は実に可愛らしく、赤ちゃん的な造形によって観る者に感情移入させて実に上手いね。ティモシーは完全に擬人化されているが、象たちはもちろんアニメらしー誇張はあるものの、ちゃんと象らしい動作が再現されていて動物を観察して作っているというのが分かる。基本的に登場キャラクターたちは歌ったり喋ったりする一方で、意外にもダンボにはセリフが無い。動きだけで感情を表現出来るというディズニーの自信なのかなあ、実際に伝わるし。 ミュージカル仕立てのストーリーは見どころが一杯。音楽に合わせてピンクの象が動き回る酩酊シーン(ピンクの象はちょっと悪夢じみているので何となく怖いが)はこのアニメーションの白眉だよね。この辺は前年の「ファンタジア」で培ったノウハウが生かされているのだろう。終盤に出てくるカラス達は黒人のイメージかな。韻を踏んだ彼らの歌や、やかましいが情にほだされやすいという、どこかステレオタイプなところがそう思う。 しかしこれが戦前の映画だというのだから、やはりこの時代のディズニーは凄い。 |
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(2019年制作) |
ディズニーの名作アニメーション「ダンボ」(1941年)をリメイクした実写版。サーカス団の人々の目線からダンボの物語を描く。 「オリジナルをそっくりそのまま“リメイク”することには興味がない」という脚本家のプライドが肉付けした物語は正解だったのか? 個人的には疑問が多い。周囲から笑われ"欠点"だと思っていたことが唯一無二の“個性”だった、というそれこそ今の時代に受け入れられやすいテーマなのに、人間目線のドラマはそこには交差していない気がする。原作に対して50分も話を水増ししなければならないという難しさもあるのだろうが、「母子を引き離すべきではない」というある意味で安直なヒューマニズムが、「自分に自信を持つべきだ」という原典が持っていたまっすぐなテーマをボヤかせてやしないか。 ダンボのビジュアルは可愛らしさを残しつつ上手く実写(もちろんVFX)に落とし込んでいる。さすがに空を飛ぶさまは物理的なリアリティを無視しているけれど、まあそれはそれで気にはならない。「ピンクの像」はそういう風に表現するのかーと感心もしたけど、もはや幻覚じゃなくてただのイリュージョンだな。ただ全体的にティム・バートン作品だと考えた場合、本作では彼らしいちょっと禍々しさの残るようなデザインはなりを潜めていて、なんだかとても大人しい印象も受けた。異形の者に対する愛のある物語を描くのであれば、たしかにティム・バートンを監督に据えるのは最適解だったはずなのに、出来上がったものはなんだかマイルドでちょっと拍子抜けもしたかなあ。 とはいえ、「バットマン・リターンズ」で共演したマイケル・キートンにダニー・デヴィートや、監督の最近作でお気に入りなのであろうエヴァ・グリーンが出演しているあたり、監督のファミリー感が出ているのは嬉しい。これにジョニー・デップがいたらなお良かったのだがw |
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ワールドポリス (2004年制作) |
世界警察“チームアメリカ”の活躍を描くトンデモ人形劇。 アメ〜リカ〜!ファ〇ク イェ〜!!♪ 「サウスパーク」のトレイ・パーカーとマット・ストーンが作っただけあって、まあ右も左もノリノリでぶった切るが、痛快痛快! 冒頭、チームアメリカが活動すればするほど街が破壊されていく様は皮肉でしかないけど、そこに世界情勢を憂いた深いテーマのようなモノが有るのかというと、俺はそこまでは無いと思う。なにせそれらに批判的な人たちの事もこき下ろしてるからね。そこにあるのは中立的な感覚で、「平和を乱すテロリストはクソだし、世界警察を標榜しつつ報復の連鎖を生んでるアメリカ軍もファ〇クだ、だが綺麗ごとばかり言うやつらはカマ野郎だ!」って感じ?w そんなニュートラル(?)な思考で世の中をからかった“男の子の人形遊び”とでもいうか、彼らが面白いと思っているモノを、子供のような心で大人が作った遊びの映画かなと。 それを本気の長編パロディ映画として作ってしまうのだから、やはりすごい。見た目からしてそのものズバリ「サンダーバード」のパロディ(クォリティが高い!)だけど、随所に「007」「スター・ウォーズ」「マトリックス」等や米国映画のお約束を小ネタとして挟んだ上でストーリーも流れるようにスムーズ。下ネタも多いし基本的に下品だが、下らないことを本気でやっているところが良いよ! 所々ミュージカル仕立てなところもトレイ・パーカーとマット・ストーンらしい。(独裁者の孤独を歌った“I'm So Ronery”はなかなか深い。)ほんとに映画が好きなんだろうなあ。だからこそ「パールハーバー」とマイケル・ベイへの集中攻撃も笑えるし、諸々の俳優に似せた人形をこっぴどく惨殺するのも悪趣味なのに面白い。当人達には無許可なんだろうけど…それにしてもマット・デイモンの扱いには爆笑させてもらいましたw |
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(2008年制作) |
韓国で実際に起きた連続殺人事件を元にしたサスペンスの韓国映画。デリヘルの元締めを営む元刑事の主人公。ある日、女が手付け金を持って姿を消したため、姿を消す直前の客の電話番号から追跡を試みるが…。 始めは手付け金を持ち逃げされたことや、売り飛ばされたかもしれないという損得勘定を怒りの原動力にしていた主人公。しかし女の7歳の娘に関わったことで、主人公の怒りの中身が変わってくる。このあたりの変遷の見せ方が上手かったと思う。 犯人は序盤であっさり捕まるものの、あまりに猟奇的な供述をペラペラ話すために、主人公は「異常者を装っている」と初めは信じない。(劇中の)現実があまりに奇怪なために「まさかそんなことは」と誰しもが思い、しかし事実はその最悪のケースだったという何とも憤ってしまうストーリーが貫かれていて、それがこの作品の緊張感を持続させていているんだよなあ。多少無茶な流れはありつつも、それをパワーでねじ伏せていて最後まで全く飽きさせない作りだったね。 終盤に被害者女性が何とか逃げ出す場面があり、ハリウッド映画ならそこでハッピーエンドに向かうんだろうが…と見せかけて、まさか完膚無きまでに叩きのめすとは。その容赦なさに後味の悪さはあれど、見応えはかなりあります。 |
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28歳の革命 (2008年制作) |
20世紀を代表するカリスマの一人、チェ・ゲバラのキューバ革命に身を投じる姿を描いた伝記映画の前編。 よくある伝記映画のようなエモーショナルな感じではなくて、半分ドキュメンタリーのような印象受ける作品であったけど、どうも個人的にはソダーバーグ監督の乾いた画質やテンポが合わない。ゲリラ戦と国連総会での演説という2つの時間の行き来は映画のリズムになってはいるんだけど、ゲバラと観ている側の距離感がずっと一定な印象で…、どうも話に乗れないんだよなあ。ゲバラという人物と時代の客観視という点では成功なんだろうけども。 ゲバラになりきったベニチオ・デル・トロの演技や、革命の道程に焦点を絞って彼の人となりを描いていく様子は良かった。カストロ役のデミアン・ビチルも見た目がバッチリ。 ゲバラの行動や言動から彼の信念や思想を知るという意味では、変に美化して取って付けたようなエピソードが無い分だけ真実味はあったと思う。だけどやっぱりソダーバーグ的な演出が俺には合いにくいようで、もう一つ入り込めませんでした。 |
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39歳 別れの手紙 (2008年制作) |
ソダーバーグ監督、ベニチオ・デル・トロ主演で描くチェ・ゲバラの伝記映画の後編。 後編はキューバ革命後、閣僚の座を捨ててボリビアの革命運動に身を投じるところから物語が始まる。個人的なゲバラのイメージとしてはキューバ革命の時のものが強いので、俺のよく知らないキューバ革命後から最期にいたる部分には興味が湧くけれど、やはりソダーバーグ監督の演出には乗り切れないものがあった。 キューバ革命の時とは違い、現地人の協力を上手く得られず、ボリビア共産党にも突き放され、苦しいゲリラ闘争を強いられるゲバラの姿は何か皮肉に見える。キューバの時と何が違ったのか…。それでも己の信念に殉じて生き、そして死んでいったこんな男がいたというのは、知ることが出来て良かったと思う。 ただ、エンターテイメント性の薄い演出で事実の積み重ねとして映像を見せられても、少々しんどいというのも実感するところだけどね。 |
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(2008年制作) |
息子が行方不明となり、捜索した警察が見つけた息子は別人だった。シングルマザーの主人公は警察に別人だと訴えるが取り合われず…。 クリント・イーストウッド監督は実にそつなくコンスタントに良作を撮っていきますなあ。今作は1930年前後のロサンゼルスを舞台に、警察の腐敗と一人の女性の闘い、そして猟奇殺人事件の実話を描いているわけだけど、ストーリーは纏まっているし演出にも破綻がない。早撮りで知られる監督だけど、もはやもうこれは職人芸の粋か。 この映画は主演のアンジェリーナ・ジョリーが良い演技を見せています。肉体的に“強い女性”を演じさせたらピカイチの彼女だけど、今作は“母親としての強さ”“気丈さ”といった精神的な強さを見事に表現してました。こんなに幅のある演技が出来ると文句も出ませんw 何より30年代のコスチュームに身を包んだ彼女に、昔のハリウッド女優のような雰囲気を感じたね。それがまた時代設定にマッチしていて良いんですわ。 演技という点ではキチガイ殺人犯を演じたジェイソン・ハーナーも良かった。彼の異常者の演技が主人公のやるせなさを的確に引き立てていた気がする。 総じて辛いストーリーではあるけど、どこまでも気丈に立ち向かう主人公の姿は鼻につかず、むしろ応援してしまう。ラストに希望を見いだす主人公も、話の持って行き方次第では固執しすぎて哀れにも見えてしまうかもしれない。でもそうならずに真に“希望”と思えるところが、そこまでのジョリーの演技、そしてイーストウッド演出の積み重ねの効果なのかな。良い映画でした。 |
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(1968年制作) |
20世紀初頭の英国を舞台に、ある発明家一家とチキ・チキ・バン・バン号の夢の冒険を描いたミュージカル作品。 “チキ・チキ・バン・バン”ってエンジンとバックファイアの音のことだったんか。シャーマン兄弟によるキャッチーなテーマ曲がとても有名な作品だけど、内容はあまり知らないまま観始めたら想像以上に童話だった。というか、原作者がまさか(「007」シリーズの)イアン・フレミングだったとは! 確かにガジェットの面白さなどで話を構成していくところなどは「007」に通じるものがあるな。水の上を走ったり空を飛んだり射出装置まである車…こりゃボンドカーだわw 全体的な話は行き当たりばったり感が強い気はする。とはいえ、特に後半は主人公が子供たちに聞かせている空想の世界という体裁なので、まあそこは童話っぽさというか漫画チックな演出も味の一部かなと割り切って観てました。ビックリ箱や人形に扮装するあたりは完全に童話のそれだし、子供捕獲人は…「言うこと聞かないとさらわれちゃうぞ」という万国共通なやつかな。それでもやはりテーマ曲のワクワク感は良い感じで耳に残る、前半にある「ミー・オー・バンブー」はダンスシーンにキレがあって大人目線でも楽しい部分はあるね。 尺として2時間半弱の作品だけど、途中でインターミッションがあるのは時代を感じる。 |
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1951年に制作されたSF映画の名作「地球の静止する日」のリメイク。 大まかなストーリーラインはオリジナルに沿りながら、SF的なギミックでリアル感を出そうとしているように見えるんだけど、どうも行動描写そのものにリアル感が乏しくて今ひとつ。冒頭、“物体”が激突する瞬間を知っていながらヘリで飛んでたり、終末が迫っている世界の割に平然とトラックは走るわ電車が走るわ、何かが引っかかる。そもそもオリジナルの時代とは違って情報社会となってしまった現在に、このストーリーというのに無理があったのかもしれないね。 一番の難はストーリーをサスペンスフルに引っかき回す子役の存在か。オリジナルとは比べるべくもなく反抗的で観ていてイライラ。まあ現代的と言えばそうなのかもしれないけど、イヤな役でありながらお涙頂戴を狙う演出には全く共感できなかった。 キアヌ・リーブス演じる宇宙人クラトゥの目的も、人類の説得と言うよりは完全に審判を下す者になっている感じ。聖書的なイメージも強いけど、“地球を静止させる”という行為が、人類に気づかせるための行為ではなくクラトゥが人類を救った結果という展開が、小さくなった老科学者の扱いも含めてテーマ的に納得しにくいです。 |
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突如地球に飛来した空飛ぶ円盤。中から現れた宇宙人は世界中の元首に対し要求を出したいと話すが、米軍は彼の逮捕または殺害を決定する。 突如現れた人知を越える存在に直面した人類がどのような感情を抱くか。そこに着目し、そして制作当時の社会情勢をふまえながらの展開の上手い。さすがにあまりにレトロなデザインのロボット“ゴート”や円盤のデザインは時代を感じてしまうけど、今ではもはやそれが古典作品としての味になってる。 宇宙人の要求自体は明快。“人類よ争いをやめよ”ということ。このまま武力闘争を宇宙にまで持ち出すときが来れば、宇宙の警察であるロボットに滅ぼされる。だから平和に生きろと語る。ただ、平和の要求を掲げた宣言は良いと思うのだけど、個人的には実は微妙にも思う要求なんだよね。この平和要求はロボットによる破壊という恐怖があってこそ。つまり恐怖によって作られる平和。宇宙人クラトゥは確かに友好的で平和を望んでいる人物だと思う。でも平和にならなければ滅ぼされると言う脅迫は冷戦下の恐怖とダブらせて感じてしまう。そういう意味でもアメリカ的な話なのかもね。 |
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太平洋戦争の激戦地、硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てたことで英雄扱いされた3人の若者達の、島での戦いとその後の姿を描いた作品。 クリント・イーストウッドは戦争映画も実に見事に撮るんだなと、改めて敬服した。島での戦いは「プライベート・ライアン」の上陸戦闘シーンにも似た光景ではあるけど、それにも増して臨場感があるが故に、戦闘の凄惨さがすごく伝わってくる。後に“星条旗を立てた英雄”と祭り上げられることとの対比として、死屍累々の最前線において綺麗事なんてどこにもないのだとつくづく思い知らされる気がした。 ストーリーは時間軸が結構前後するので、頭の中である程度整理する必要がある。でも個人的には分かりにくいこともないし、最後まで観ていくと全体的に巧く展開されていたかなと思う。 戦争の最前線の姿をまざまざと見せることで反戦を訴える作品。そして劇中に映る再現された光景が、ラストに当時の写真の再現であったことに気づいた時、さらに色んな事が脳裏に去来するね。 |
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(1993年制作) |
1974年のロンドンで発生したギルドフォード・パブ爆破事件。その容疑者として無実の罪で父親ともども逮捕・収監された青年の実話を基にした人間ドラマ。 ストーリーの軸は父と息子の親子の絆であって、放蕩息子だった主人公が次第に父に寄り添い変わっていく姿に心打たれる。しかしその突き上げられる感情の波は安易な感動とは違う感じ。根底にあるのは人間の尊厳を踏みにじられた“怒り”か。物語が北アイルランド紛争を背景にしていて、一筋縄ではいかないそれぞれの陣営の感情があることも分かるだけに…非常に複雑な気分になる。 事件のあらましから裁判、収監、そして15年後の再審という長い時間の話だけれど、なかなか思い切りよくポイントを絞ってストーリーを進行していくね。たまにカットの繋ぎが雑に思えるくらい大胆に場面が変わるけど、それでもカット間の出来事は理解できるんだから、やはり的確ってことなんだろうか。ダニエル・デイ=ルイスが演じる主人公のちょっとずつの変化、そして父が亡くなった後のあふれ出る静かな怒りの表現も相まって、魅せてくれます。しかし何よりこの映画でキーとなるのは父親役のピート・ポスルスウェイトが素晴らしい。息子の行動に呆れていても愛していることが分かる感じ。無実の罪で投獄されても、生きる尊厳を捨てず、息子を見守り、人として尊敬できる人物を好演している。それだけに獄死という運命は、主人公でなくてもその理不尽に憤るしかないな。 自分達が無実であることが父の名誉を取り戻すことに繋がる。再審に向かった彼の決意は自分のためではなく、父のためであり、その様な目に合わせた警察への復讐でもある。終盤の法廷のシーンは、震えた。 |
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チック、チック...ブーン! (2021年制作) |
ミュージカル「RENT/レント」の作曲家ジョナサン・ラーソンの自伝的な同名ミュージカルを基にした映画作品。 有名な「RENT/レント」だけども、自分は舞台も映画も未見なのでジョナサン・ラーソンの事もあまり知らない状態で本作を観ました。ラーソンが「RENT/レント」の初演前日に大動脈解離で若くして急逝していたというのを知って驚いたのだけど、冒頭の曲「30/90」にしても「もう若者ではなくなってしまう」という焦りを歌い上げていて、「時間のない中で生き急いでいる話なのかな?」と思いながら観始めた次第。「tick, tick... BOOM!」という表現自体は“時限爆弾”のことだしね。でも、本人が過ぎていく時間の中で30歳になることに焦っているのは間違いないのだけど、時間制限に関しての大部分は曲の締め切りであるし、恋人との引っ越しの決断期限のことでもあるし、あとは親友の死期だったりするわけで、映画的には夢を追いかける若者の話。結果として本人の急逝が「限られた時間の中で夢を追いかける」というテーマを強化することにはなったけれど、本作自体の持つ、悩みや苦悩しながらも前向きに進んでいく若者の物語自体に感銘を受けました。苦悩していても表現される曲は基本的にテンポよくポップな感じのものが多いので、それが観ている側が悲観的になりすぎないのも良いな。 主演はアンドリュー・ガーフィールド。歌って踊って、そして若者の苦悩も表現して流石に達者。ミュージカル演出としては心情を歌に乗せるというやり方自体はオーソドックスだと思うけれど、劇中でも再現されている舞台にピアノとバンドのみを置いて…というだけのシンプルな表現だったところを、本作ではセットやロケの映像表現で自由自在にカットを変えていて映画らしいスケールアップ感は悪くない。プールの底に引かれたラインが五線譜に見えて、それまで悩みに悩んでいた曲のイメージが湧き出てくる感じなんて、映像表現ならではだよね。 時代背景は90年代初頭。HIVに感染した友人たちの話も描かれるけれど、あの頃は確かに治療法も確立していなくて死に至る不治の病という扱いだったことを思い出した。限りある時間を生きるということに色々考えさせられる。 |
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(1992年制作) |
喜劇王チャールズ・チャップリンの生涯を描いた伝記映画。 映画の歴史を語る上であまりにも有名な人物だし、彼のエピソードをあれもこれもと取り入れるだけで苦労したような跡が垣間見える。「街の灯」や「独裁者」といった制作時の話は有名だよね。実際の作品映像も使われているけど、初期のドタバタ作品の再現や、フォークとパンのラインダンスをフーバーとの会食で披露させたり、チャップリンを語る上で外せない要素は上手く組み合わせているのは良い。ただ生真面目な作品なので退屈な部分もあるし、詰め込もうとした結果、断片的に感じる場面もあるのは勿体ない。主人公が有名であるがゆえに、彼の作品を知っていることが前提にもなってしまっているのもハードルを上げている? チャップリンを演じたロバート・ダウニー・Jrは見事。放浪紳士の扮装時の動きなどは言うまでもないけど、当時27歳でメソッドアクターとしての実力を見せつけてくれます。作品としては女性問題やレッドパージの影など暗い要素もあるので、単なる形態模写にとどまっていない点は評価点だよね。 ラストシーンはやはりアカデミー賞でのハリウッド復権で締める。米国を追放されたチャップリンの不安に対して、上映された過去の作品に対しての万雷の拍手。キレイすぎるラストだけれど、俺は嫌いじゃないよ。 |
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ドリュー・バリモアが金をかけて自分が楽しい映画を作ったってのはわかる。でもそれが俺にとって面白いかというと疑問。予告編で流れたヘリ落下のシーンがオープニングで流れ、この後これ以上のシーンが!!と期待したけどそうでもなかった。マトリックスのパクリの域を出ないアクションシーンも、やはり本家と比べると全然驚きの要素はないわけで、その時点でアクション映画としてはアウト。忍法ムササビには驚いたがw あれは絶対に飛べない!!やはり前作同様のコスプレ馬鹿映画でした。これで“フルスロットル”なら、もう次作には期待できないなあ…。ところで特別出演のブルース・ウィリスに髪があったんで、最初彼とは気づかなかったw | ||
15年間閉ざされた秘密のチョコレート工場を工場主ウォンカが5人の子供を招待。そして工場の秘密が次々と明かされていく。 紛れもないティム・バートンの世界になってますな。原作は読んでないけど、監督がこの世界感に惹かれるのはよく分かる。子供の感性で想像する夢のチョコレート工場の内部。まさにファンタジーだねえ。少々子供への仕打ち酷な場面もあるけどね。どう残酷かというのは観てもらった方が早いけど、生意気なガキへの仕打ちがひどいw まあ、ウォンカは軽く警告してるから、ガキの自業自得なんやろうけど。ウォンカの口げんかといいウンパ・ルンパの歌といい、やっぱり子供の世界なんだよな。 ジョニー・デップはやっぱり良い。少々風変わりな人物をほんとに生き生き演じてる。小人のウンパ・ルンパはすっげえ妙。でも彼らの歌は良いねえ。…しかし同じ顔があれだけ並ぶとやっぱり不気味だけれどw この映画のテーマは“家族”で、観賞後は前作「ビッグ・フィッシュ」のような感覚を受けて良い感じだった。 しかし…拾ったお金は届けないものなのだろうか? |
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(2015年制作) |
ロボット警官・スカウトを大量に導入したヨハネスブルクではその効果によって犯罪率が減少していった。そんなある日、人工知能の開発に成功したスカウトの開発者はテストのため会社に無断で廃棄予定のスカウトを持ち帰るが…。 意識とは。精神とは。人間性という心を持つ者にとって、器としての機械と肉体の差は何か。およそSFで語られ続けられきたテーマであって、そこはさして目新しくはない。ロボット警官という存在で「ロボコップ」を想起しないわけがないし、遠隔操縦型のムースの造形も過剰スペックなED209だよね。(個人的にはメタルギアREXって印象もあるが。)とにかく既視感のあるSFのごったまぜって感じ。 しかしそれでいてこの映画に魅力を感じるのは「第9地区」のニール・ブロムカンプ監督が撮る南アフリカだからだろうか。ニンジャとヨーランディが、本人と同名の役で演じている当地のギャングのキャラクターが印象深いというところもあるだろう。(当て書きらしい。)チャッピーの成長とタイムリミットが話のテンポをよくしているとも思うし、終盤のバトルと怒りの復讐、そして自己犠牲のドラマなどは「第9地区」と同様に、やはり感情移入してしまうよね。 ただ一方でどうしても気になる部分がある。本作の話のキモでもあるので、そこに疑問を持ちたくないという気もするのだけど。でも科学的に考えれば、やはり「意識を解析した結果をコピーしたとしても、それは本人ではありえない。」と感じてしまうんだよね。まだチャッピーはロボットだから百歩譲ってもだけど、開発者のディオンはなあ。「アバター」の様に魂が移動しているかのような感覚があれば納得できるのだけど、肉体から機械への(単一意識の継続性という意味で)転送というのは…。スタートレックの肉体の転送くらい超科学なら気にならないのに、なまじリアルな描写のせいで「機械で意識を再現しているだけなんじゃ」と考えてしまう。こういう凝り固まった観かたはダメなんだろうけども。 |
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黄金狂時代 |
ゴールドラッシュで一攫千金を狙った放浪紳士の喜劇。舞台は黄金狂時代そのものだけど、チャップリン演じる放浪紳士自身は金鉱探しに興味がないらしい。劇中で一度も金鉱を探さないw それはそれとして、山小屋でのドタバタ劇は最高に面白い。よく考えれば舞台の小屋は結構大がかりなセットだし、ミニチュアによる合成も随所にあり、実は特撮大作なのかも。 かの有名な靴を食べるシーンは、思わず突っこまずにはいられないなw 人を食べようとまでする人間の極限状態という笑えない状態を、普通に笑いに変えてしまうチャップリン。喜劇王の名は伊達じゃないね。 ストーリーは放浪紳士の恋も描かれている。まるで二部構成のように山小屋のシーンとほとんど関係ない展開だけど、この展開がなければ名シーン、“パンとフォークのラインダンス”も無いわけで、それはそれで重要か。ラストが安直だと言えばそうかもしれないけど、俺はこういう筋は夢があって嫌いじゃないね。放浪紳士の純粋さは共感しますw |
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(2012年制作) |
ダウン症の少年を引き取ったゲイのカップル。わが子の様に愛情深く接していたが、世の偏見によって引き裂かれてしまう。 正義はない、か。マイノリティに対する偏見が強かった時代の残酷物語といった感じだが、偏見という理不尽以外には登場人物の多くは自分の正義によって動いているとも思う。時代の不幸と言ってしまえばそれまでだが、何をもって「こうあるべき」と言えるのかというのは難しいなと、この映画を観て思った。 主人公はダウン症の少年とゲイのカップル。彼らが一時でも幸せであったのであればそれがせめてもの救いではあるが、ラストはほろ苦く、主人公側に肩入れしている観客側にとっては理不尽さに怒りすら覚える。この映画はそういった境遇の追体験としては良くできているが、彼らの立場に対する同情心というものを感じてしまうと、それもまた偏見なのではないかという自問自答に陥ってしまって難しい。少なくとも、多様な考えや立場があるのだということを知ってほしいという、そういう作品としては十二分なくらいの出来であると思う。 主人公のルディを演じたアラン・カミングは素晴らしい。雰囲気もさることながら、クライマックスの歌には魂が乗っかっている感じが。あと終盤に出てくる黒人弁護士のキャラクターが目に留まった。多くは語られないが、彼もまたマイノリティとして法曹の世界で闘い続けた人物なのだろうというキャラクター性がにじみ出ていた様に思う。 |
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-サイレンス- (2017年制作) |
遠藤周作の原作をマーティン・スコセッシ監督が実写化した時代劇。江戸時代初期、かつての師が日本で棄教したという報を受けたロドリゴ神父は、ガルペ神父とともにキリスト教が禁教となった日本へひそかに上陸するが…。 信仰とは何か。江戸時代のキリシタン迫害という背景を用いて直球で問いかけるストーリーは強烈。主人公・ロドリゴ神父の状況や心理的葛藤はほぼ原作通りの展開で進められていくけど、ラストの切支丹屋敷の場面は少々撮り手の考察を含めた内容になってたかな。棄教したと振る舞っていても内心では…という纏め方は締まるが、ハッキリ映さなくてもいいかなとは思った。とはいえほとんどの場面で原作を読んでイメージした通りの映像化であり、監督の原作に対する敬意も感じる。さすがにロドリゴもガルペも劇中では英語を喋っているけど、設定上は一応ポルトガル語で話していることになっているのか。(通辞はポルトガル語言及していたし。) ただそうすると“コンヒサン”や“パライソ”の聞き直しなどのやり取りでちょっと違和感もあるんだけども…、まあそこは仕方がない。 主演はアンドリュー・ガーフィールドで葛藤する若き神父はハマっていたと思う。浅野忠信も塚本晋也も良かった、というか塚本晋也の水磔がマジだw 筑後守を演じるイッセー尾形はずいぶんキャラを作った様な感じだけど、好々爺然としたところが食えなくていい。(ハエが周りを飛んでいるのは、彼を悪魔とでも言いたいのだろうか。) 原作では筑後守自身が元キリスト教徒だと言及しているので、彼が切支丹の扱いを心得ている風なことも理解しやすいけど、映画ではその辺は弱まっているかな。 個人的には後半に行われる宗教観についての問答の場面をもっと見たかったと思う。クライマックスのキリストの声も、あれはもっと主人公の内面の声だというイメージなのだけど、映像で見ると超越的な感じもするね。いびきが実は拷問のうめき声だったというくだりは、終盤の展開が早めなのでちょっとショックが弱くなって気もする。でも2時間40分という上映時間を使って、原作の描くべきところはすべてくみ取った内容だったことは事実。 |
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テロリストに乗っ取られた戦艦ミズーリを、その船のコックである主人公が奪還するために活躍するアクション作品。 スティーブン・セガールの「沈黙」シリーズ第1弾ですね。(「沈黙」シリーズは「暴走特急」以外は関連性がないけど。)とにかくセガールは強い。ちょっと怪我をするとはいえ、基本的に圧倒的な戦闘技術で一人敵に立ち向かう様は、ハラハラ感を通り越して痛快w トミー・リー・ジョーンズの弾け具合も含めてこれはB級アクションとしては非常に上級な作品だと思う。 ただしB級とも言ったとおり話はあまり捻りもなく、おそらく編集でカットされたのか、端折られた感のある展開も目に付く。まあ、そういうところを気にしてはいけない作品なんだけどね。 |
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(1996年制作) |
竜巻の実態解明に執念を燃やすストームチェイサー達の姿を描いた災害映画。 一般的なディザスタームービーは、その災害から逃げたり脱出したりするまでの危機を観るわけだが、この映画は主人公たちが“ストームチェイサー”と呼ばれる研究者なので自ら数々の竜巻を追いかけていく。それによって主人公が何度も災害に遭遇したり何度も危機に陥るという、普通なら不自然なストーリーになりがちなところを必然に変えてしまうという逆転の発想。上手いよね。次から次に現れる竜巻とのチェイスによって、潔いくらいにジェットコースタームービーな展開が飽きさせない。まあさすがに後半に行くにつれてFスケールがデカくなったり、絶妙なタイミング消えたりといったところはご都合主義だけど。 竜巻は当時最先端のVFXを駆使した映像だが、さすがに多少のアラは見えるものの…実写の空模様との組み合わせでリアルな感じは出ている。ラストの竜巻はいかにも規模で勝負というデカさが潔いし、その分迫力もあったね。風で巻き上げられる柵の杭や、端から粉々に吹き飛ばされていく農家の倉庫などは今見ても生々しい描写だったかな。 竜巻がテーマということもあって、「オズの魔法使」のオマージュが目立つ。主人公夫婦の娘の名前がドロシー?と思わせて、実は観測機器の名前だったというネタが序盤で登場したかと思えば、次は空飛ぶ牛が…前半のハイライトですね。牛のくだりは「オズの魔法使」を知らなくても笑うわw |
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(2024年制作) |
仲間たちと研究のために竜巻追跡をしていた主人公・ケイトはその最中に仲間を失ってしまう。その5年後、かつての仲間から再び竜巻追跡の誘いを受けるが…。 前作の「ツイスター」は1996年の作品なので、28年後の続編ですね。続編とはいえ、対象が竜巻であることと登場機器の一部にオマージュがある以外は、ほとんどつながりがないので単独作として楽しめる感じ。まあこの内容なら単独作でも成立しただろうけど、それだと「ツイスター」の亜流と言われるだろうから、開き直って続編の扱いにしたのは正解だったのかもね。 ケイトは過去の竜巻に関する出来事でトラウマを抱えているわけだけど、そのあたりはあまり深くドラマの展開に関わらなかった気はする。「竜巻から被害者を救いたい」というメンタルの説得力には寄与しているのだけど、案外簡単にトラウマを乗り越えちゃった感じもするし…。もう一人の登場人物であるYouTuber兼ストームチェイサーのタイラーは、イヤな感じの奴という登場時のイメージからどんどん変化するキャラクター。ただこれもある意味で型にはまった役どころという感じは否めない。最初からケイトが気になったのかグイグイ近づいていくのはちょっとストーカ気質?w とはいえ頼れる男なのは間違いないのだけど、意外なのは終盤では彼が解決役にはならず、どちらかというと主人公に助けられたり、最後にタイラーを差し置いて大竜巻に飛び込んでいったケイトを見ることしかできなかったり、そういう部分になんだか“今どきの映画だなあ”と感じたりもする。 とまあ、割りと表面的なドラマに感じる部分はあったけれど、最初から最後まで色んな竜巻がどんどん現れるので、夏休みに見るディザスタームービーとしては十分楽しめる内容だったかなと思う。そうそう、劇中で登場するタイラーの決め台詞「感じたら、追え」は竜巻に対する姿勢だったけれど、エンディングでのケイトの使い方にはニヤっとしちゃいましたよw |
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今度は連邦保安官ジェラードが主人公。でも前作ほどの格好良さがなかったのが残念。なんというか、完全に善玉ではダメなのです。老獪というか、少し憎らしい感じが欲しかったな。「結局犯人は無実なんだから、助けるんだろ?」と思ってしまう。やはり話も追う側よりも追われる側の方が面白いわけで、追われる方が素人ならなおさら。なのでやっぱり前作の方が面白い。ところでオープニングの格好は「フレンチ・コネクション」のパロディだったんだろうか? | ||
(2005年制作) |
南アフリカのスラムに住むチンピラの少年。彼はある日盗んだ車の中に残された赤ん坊を見つけるが…。 強盗や殺人もするような日常に暮らす主人公が、次第に人間性を取り戻していく人間の性善説がテーマ。強盗をした相手の赤ん坊を車内で見つけた時、主人公は放置することもできただろうが、彼はそうはしなかった。この時点では善意というよりも、おそらく赤ん坊を自分と重ね合わせてしまったのだろうけど、そこから次第に他者を想うことに気が付き始める過程が良い。 ただ、演出的には丁寧に心情を追うというよりも、状況をザックリと追っているようにも見えるので、多少大味かも。終盤は序盤の荒み方がウソのように人が変わってしまうので、少し急いだかなあとも思うけれど、それでもラストの赤ん坊を返すやり取りのくだりは嫌いじゃない。むしろ残された小さい善をこれから救えるのではないかという希望の映画になっていて良いと思う。 しかしこの映画の意義としては、南アのスラムという世界を切り取ったこととだろうか。外から見れば近寄りがたい犯罪のはびこる場所とも勝手に思ってしまうけれど、そこでそう生活を余儀なくされ育った子供たちが主人公たちであるし、それはアパルトヘイトが終わっても世代交代をして次の子供らが土管に住んでいる。そういう世界があると訴えているよね。だからこそ、そこを悲劇でなく希望を残した結末にしたのは、それを何とか変えていきたいという作り手の想いのようにも思えるのです。 |
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(2009年制作) |
ヘリウム3を採掘するため、ルナ産業という企業の基地に3年もの間孤独と向き合いながら滞在した主人公。彼が遭遇した出来事を描いたSF映画。 序盤、衛星故障で地球との通信も出来ず孤独に蝕まれていく主人公。とうとう幻覚が見え、事故を起こし、次に気がつくと目の前にはもう一人の自分が…。と、閉鎖空間の中で次第に精神がやられていく男の話かと思いきや…違った。そして使い捨てのクローンだったという自分の正体を知った主人公の姿を見て、「ああ『ブレードランナー』だったのか」と納得するんだけど、その先で描かれる二人のクローンの心情の描き方が良いね。二人の同一人物がお互いに共感を得ていく場面の積み重ね。コンピューター・ガーティは「2001年〜」や「エイリアン」の様に裏があるのではないかと勘ぐってしまったけど、本当に最後まで裏切らなかった彼の“気持ち”にジーンとしてしまった。 "宇宙基地"と"クローン"という設定だけで、このように人間の心情を物語として見せたこの話は、本当に見事なSF映画だと思う。確かに登場人物が少ないし、派手さもない。でもこの映画は「地味な映画」とだけで片づけてしまうには勿体ない魅力があると、俺は思う。 |
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(1927年制作) |
第一次世界大戦でパイロットとなった2人の若者の姿を描いた戦争ドラマ。第1回アカデミー作品賞受賞作品。 白黒のサイレント映画ではあるが、90年前の作品として考えるとそのフォーマットとしての完成度は見るべきものがあると思うし、今日の映画にも脈々とその流れが残っているのを実感するに至り、「その元祖ともいえるものがここに」という別種の感動もあった。恋人との別れ、戦場での友情、運命の悲劇…ん?「パール・ハーバー」? まあそれはともかく今では「ベタ」とも言える戦争ドラマとしての作劇の型が詰め込まれているように思う。主人公二人の間の掛け声として使われた「All set」「OK」があり、終盤の「All set…」からのプロペラが止まる流れが良い。一方で中盤のパリでの休暇のシーンは多少酩酊のくだりがくどいとも感じたけど、まあそこはご愛敬か。“泡”の視覚効果を使った映像としての面白さはあったのだろう、たぶん。むしろ個人的には、そのパリの場面の冒頭でいくつものテーブルの上を滑るように進むカメラワークの方に目を奪われた。どうやって撮ったんだろう。 視覚効果という意味では最も目を引くのは空中戦の迫力。特撮ではなく、実機を飛ばしてのドッグファイトの映像は本物の迫力で素晴らしい。被弾し煙を吐く機にアニメで炎を付け足しているので、そういう意味ではSFX的なところもあるが。パイロットをコクピット前方から撮ったアングルは明らかに「スター・ウォーズ」に受け継がれている。基本的には空中戦が話の中心ではあるけれど、第一次大戦の主戦場である地上…塹壕戦の映像の規模もすさまじい。これが記録フィルムでなく映画のセットというなら、本当に大作だ。 ところで前半の1カットだけ、先任パイロットとしてゲイリー・クーパーが出てるね。出演しているのを知らなかったので、「やっぱりかっこいいなあ、この後活躍するのかな?」と思っていたら次のカットで死亡。驚いてしまったw(まだ下積み時代なのでした。) |
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(2009年制作) |
マカオで娘婿と孫を殺されたフランス人のコステロ。彼は一命を取り留めた娘から犯人の特徴を聞きだし、復讐することを誓う。 ジョニー・トーの作品は初めて観たけれど、画面構成にこだわった作家だというのはよく分かる。特にアジトのあるビルからの撤退戦の描き方などは一種の様式的な格好良さがあった感じ。そのあとの廃紙の塊を盾にした原っぱでの銃撃戦は少し無理やりすぎた感じがするけど。冒頭で3人組の殺し屋の連係プレーを提示しておきながら、最期は戦略なく突進させるとは…。まあでも見せたい画が散り様なんだろうかな。 ただの復讐映画に少し捻りがある点としては主人公が抱く復讐心が途中で消えるというところか。それでも乗りかかった船と仁義を貫く3人組の殺し屋との関係性は渋くて良いね。娘と孫のための復讐が、ラストには3人の親友のための復讐に変わる。いずれにせよ敵であるファンに一人迫る主人公は…演じるジョニー・アリディの風貌と相まってこれまた渋い。が、冷静に考えればかなり無謀な襲撃なんじゃないか?w それでもこの作品ではもちろん目的を遂げられるんだよね。それも様式だからね。 |
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(2011年制作) |
父と子の確執から生命のつながりを、神のごとき視点で描いたテレンス・マリック監督5作目の作品。 完璧な芸術映画、というのが端的な感想。話の軸であろう父と子の確執の話は、実は軸ではない。地球という星が出来、生命が発生し、その奇跡のような大局の中で自分という存在が生まれた。成長した彼の中で、成功を求めて生きた父の姿と、利己心を捨て神の恩寵に生きる母の姿とが葛藤する。それはその両者から彼に受け継がれた両親の記憶であり、連綿と続く生命の連鎖の只中の記憶。 難解な作風や大局的視点、生命進化の部分で「2001年宇宙の旅」を思い浮かべもするけれど、全編がキリスト教的な観念に支配されていて、より宗教的な作品になっているかな。それにしても、画面の向こうに神がいるのではないかと思うほど超越した映像で、こんな話をこんな映像表現で映画にしてしまうなどそうそうできるだろうかと。この表現センスとやりきってしまうパワーには脱帽する。今の時代に、こういった商業性0%の芸術作品を制作することのできるテレンス・マリック監督という存在自体が奇跡か。 |
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確かにVFXは頑張ってるし、音をビジュアル化した演出は上手いと思う。でも最近立て続けにMARVELが映画化されてるせいか、話の新鮮味がちょっと感じられない。バットマンとスパイダーマンを足して2で割ったような感じ、という印象が強かったかなあ?どうしてもアメコミは設定が似てくるのかねえ?ブルズアイを演じてたコリン・ファレルは格好良かったかな。百発百中の手裏剣使い。しかし続編作る気満々のエンディングでしたなw | ||
ベトナム戦争によって人生を大きく狂わされた、3人の若者とその仲間達の姿を描くドラマ。 183分の上映時間の中で、前半を割いてすごく丁寧に出征前の姿を追っている。最初は「長いなあ」とも思ったけど、その描写が復員後の姿との対極にあるわけだね。ベトナムでのロシアンルーレットが象徴する紙一重の運命と“銃”、“命”が重くのし掛かってくる後半はまさにアメリカ人にとってのベトナム後の陰鬱な気持ちそのものだろうか。それにしてもロシアン・ルーレットの緊張感はすごい…。主人公達がロシア移民であるというところもテーマとして重要なんだと思うけど、ラストの“ゴッド・ブレス〜”は皮肉としか言いようのない感じがするね。 ベトコンの描写が偏っているとも取れる演出ではあるけど、この映画はそれが言いたいんじゃなくて、もっと普遍的な戦争の虚しさや後遺症を描いているんだと思う。だからこそ主人公達からの視点だけで構成しているんだろう。一人の人間達がある出来事でどうなったのかということを…。鹿猟で鹿が撃てなくなる訳なんだから。 |
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ローランド・エメリッヒ監督はこの手の映画を撮らせたら抜群ですなw 人類が自然災害で危機的状況に落ち、その時どうするか。使い古されたテーマとはいえ、最新のVFXを使った説得力のある災害シーンは見事。そして、展開されるエメリッヒ監督流の人間ドラマもバッチリはまってます。ドラマ性が薄っぺらいと言う人もいるけど、あくまでエメリッヒの“ドラマ”。生真面目で重厚なドラマではなく、あくまでエンターテイメントとしてのドラマとして良くできてると思う。「ID4」では格好良かった大統領は、今作では影が薄い。そしてラムズフェルドのような序盤の副大統領。当てつけか?w でもラストに出てきた“元”副大統領は印象的でした。様々な人間模様はあるものの、主軸がハッキリしているので大味になっていないのが上手いと思うなあ。科学的には、この映画のように数日間でこれほど劇的な気候の変化は無いだろう。でも、このような危機は隕石が落ちるよりももっとあるかもしれない。そういう意味で恐ろしい映画です。 | ||
(1971年制作) |
ジョージ・ルーカスが南カリフォルニア大学在学時に制作した短編を元に、90分の長編にリメイクしたSF作品。ルーカス監督のデビュー作。 管理統制された社会から脱出する男の物語だけど、オリジナルの短編からはかなり設定が膨らまされている。ただ、妙なスピード感があったオリジナルと比べると、その管理社会の日常描写のせいで全体的に漂う閉塞感が勢いを殺しているような感じ。確かに抑圧された不気味さはあるのだけど、観る側にとっては禅問答のような息苦しさが漂う。そもそも"逃げる男"と"追う管理社会"という単純なコンセプトだけで魅せられる話だったから、全体的に間延び感が拭えないのかもしれないなあ。 ただ、そのビジュアルセンスにして70年代当時のことを考えれば見事。白い屋内、果てのない白い部屋、暗いトンネル、そしてラストの夕日。使い方は上手いね。SFXに関してはカーチェイスなどの迫力が素晴らしいが、現在の版はCG修正などが入った2004年のバージョンしか観られないので、当時の映像でどうだったかは判然としない。 |
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いかにも世紀末的な映画だけど、似たような話の「アルマゲドン」とは違い、こっちはヒューマン・ドラマ中心。終末の近づいた人々の心情という物を描いてる。なので、こっちの方がドラマとして上か。3つの大きな軸のあるストーリーだけど、俺は宇宙飛行士達の筋が好き。目の見えなくなったクルーに、白鯨を読んで聞かせるシーンは特に好きかな。 | ||
(1999年版) |
巨大ザメからの画期的な新薬の抽出を目的とした海洋実験施設で事故が発生!浸水する実験施設に意思を持った巨大ザメが襲い掛かる。 B級作品の多い「サメ映画」の中でも予算は多めだし、当時のレニー・ハーリン監督らしいアクション描写満載の展開もなかなかの魅力。何より後半は登場人物の誰が死ぬかわからないハラハラ感が良いよね。容赦なく食いちぎられるしw サメのCGが多少浮いてはいるものの、スピード感はあるので当時を思えば十分な出来栄えかなと。アニマトロニクスとの組み合わせも効果的。 遺伝子操作されて脳が大きくなったサメが人間に襲いかかるという展開は、人間のエゴに対する自然の反撃という感じのお決まりの設定。その上、施設が嵐に襲われて孤立し…と王道な感じで中盤まで進むので、「ああベタな映画だなあ」と思うのだけれど、そう思わせたところで…例のサミュエル・L・ジャクソンの退場である。あれは誰だって意表を突かれるよなあw あのベタからのズラしは上手い。あと、主役兼ヒロインが報いを受けるべき存在であるという点でも、観客に「お前は助かったらダメだろ」と思わせたりするのが面白いところ。だからと言って彼女の最期は完全に犬死になので、さすがにちょっと同情するが(苦笑) そんな中、おもしろ黒人枠のLL・クール・Jが意外にしぶといが、やはり神に守られているものは強い…ということだろうか。 |
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(2003年版) |
“海は地球上に存在するもう一つの宇宙”という表現をよく聞くが、このドキュメンタリー映画を観るとまさにそれを実感する。7年を掛けて撮影した様々な海の表情は圧巻の一言。冒頭の巨大なパイプラインを観ただけで、引き込まれてしまいましたw しかしこの映画の主役は海の生物たち。海中の竜巻のようなイワシの群れや、それに突撃するイルカ、サメ、海鳥、そしてクジラ。深海に住む電飾クラゲにチョウチンアンコウの光。北極のシロクマに南極のペンギン。間近で撮影された彼らの生態は普段決してみることの出来ないもの。それだけである種の感動すら憶える。しかし生き物の世界は弱肉強食の残酷な世界な訳で、まさに食うか食われるかの世界。シャチに舌と下顎だけ食べられる子クジラや、浅瀬でシャチに襲われる子アシカ。まさか高々と空(上空7〜8メートル?)に飛ばされるアシカの子供を見ることになろうとは…。自然界の厳しさを改めて感じました。この映画でのシャチのヒール(悪役)っぷりには参るなあ。 | |
身元不明でニューヨーク (2012年制作) |
中東のワディヤ共和国(架空)のアラジーン将軍は強権的な暴君として君臨する独裁者。国連に出席するため、ニューヨークに来た将軍は誘拐されてしまうが…。 「ボラット」「ブルーノ」のサシャ・バロン・コーエンが演じるアラジーン将軍は、彼がこれまでに演じた役そのままに政治的・人種差別的ネタの塊。ただこれまでの様なモキュメンタリーではないのでインパクトはちょっと小さいかな。それでも独裁者をカリカチュアして笑いものにし、博愛主義者をコケにして、利権主義者や戦争を仕掛けるアメリカもこき下ろす。そういうネタのブラックさはいかにもコーエンらしくて楽しかった。9.11も笑いのネタにしてしまう時代になったのだなあ。 でも一見バカ映画だけども、バカにしている対象は的確でその裏側には知的感覚が感じられる。逆説的に、極端に描くことで笑いにし、そしてそれ自体が変じゃないかと指摘する。風刺とはこういうことなんだろうなとも思った。これは米国過激アニメの「サウスパーク」を観ていても思うところですな。そういう部分では類似点も多いように思う。 他には相変わらず下ネタも多いこのコーエン作品ですが、「ブルーノ」の様に飛び抜けて下品でもないので個人的にはこれくらいの方が良い。出産立ち合いのシーンは悪ノリしまくってたけど…、あれには爆笑してしまったw |
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(1990年制作) |
NASCARチームオーナーに才能を見出された主人公のコールは、一度は現場から退いていたクルーチーフのハリーと共にデイトナ500の優勝を目指す。 トニー・スコット監督とトム・クルーズ主演の組み合わせは本作で2度目だけど、前回の「トップガン」が大ヒット作であるために、よけいに本作がストックカー・レース版の「トップガン」だと言われてしまうのも仕方がないところかな。ただ、それから数十年経ても第一線でヒーローを演じているトム・クルーズを思えば、“トム・クルーズ(のための)映画”という様式が固まっていく時代の始まりを感じるところではある。 二番煎じかはともかく、単作で観ればフォーマットとしてはドラマチックに作られているので普通には楽しめた。才能を見出され、ライバルと友情を結び、挫折を乗り越えて、悪辣なだけの敵を倒す。疑似親子にも似た師弟関係もあり、そして一目ぼれした美女をゲットもする。うむ、王道すぎる王道だなw レースシーンは実写の迫力があっていい感じ。ただ本作ではレースそのものの魅力を描いているというよりは、クラッシュや接触の派手さをメインにしている感じもしたので、その点についてはちょっとモヤモヤはするかなあ。レースを知らなくても楽しめる娯楽映画にするならそれが簡単なのはわかるけど。まあ結局トム・クルーズの活躍を描くことが主題であって、1レースの中で起きる駆け引きやドラマは主題ではないというところが、そういう描き方の面に表れているよね。 |
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教師を殴ったことで自宅謹慎となった青年が自宅の窓から隣人観察を始めるが、隣人の不審な行動に気づくサスペンス。 現代版「裏窓」、と言うよりもティーン版「裏窓」と言った趣の強い作品かな。序盤のいかにも青春映画っぽい流れから→サスペンス→ホラー?とティーン向け作品のごた混ぜとも思える展開は、感覚的にはスピード感があって面白い。普通には楽しめました。 でもあんまり中身はないけどね。怪しい人間はずっと怪しいし、そのくせ主人公以外のキャラクターを生かせていない部分もある。序盤の事故や、教師にその“いとこ”とか、意味深な見せ方をする割には放りっぱなしだしね。まあ、勢いで観る分にはあまり気にはならないけど。 「裏窓」と同じように主人公が仲間の隣家潜入を窓から眺めるというシチュエーションも有るけど、今作ではビデオ映像を生で見たり携帯で通信したりと、数十年の時代の変化も感じさせてくれました。 |
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クリスマス・キャロル (2009年制作) |
チャールズ・ディケンズの名作を3DCGの立体映画にしたアニメーション作品。 言わずとしれた有名な物語だけど、そもそも偏屈爺が自身の過去・現在・未来を見せつけられることで改心するという教訓じみた話なので、ラスト以外は全体的に暗い。またリアル(生々しいという意味ではない)なキャラクター造形も相まって、精霊の描写などはホラー的な怖さがある気もするなあ。 立体映画としての画面設計はかなり当を得ているもので、正直立体映画が苦手な俺も立体感がずいぶん楽しめたし、観ていてもそんなにしんどく感じなかった。ロバート・ゼメキス監督はかなり立体演出のノウハウを蓄積している様子です。 それにしてもスクルージという人物には少なからず共感してしまうところがある。俺も自分の行いを省みて、“未来のスクルージ”のようにならないように反省。未来は自分次第で変えられるというテーマは同監督の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にも共通するところだね。そういえば馬車の後ろに捕まって滑るシーンもあったけど、あれはセルフパロディなんだろうな。 |
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香港ノワールの傑作「インファナル・アフェア」のハリウッドリメイク作。 マーティン・スコセッシ監督作ということもあってか、出演陣がひたすら豪華。主役を張れる人が次々に出てくるw それだけでも十分見応えのある作品ですな。 展開はオリジナルに沿って進む。だけどオリジナルを観た時に感じた持続する緊迫感や、“クサ”として無間道を生きる者たちの心情がオリジナルほど伝わって来なかった気がする。そもそも、空気感が違うというか…。 舞台を巧く香港からボストンに変更したところは感心した。そこに生きるアイリッシュとして巧く話に取り入れたよねえ。元々のストーリーが良いので、このリメイク版も十分楽しめる作品にはなってるとは思う。でもオリジナルの仏教的なニオイや独特な悲哀はもっと良いのだけど、そう思うのはアジア人だからなのかなあ? しかし射殺シーンは分かってても良い気分しないわ。特に終盤はヘッドショットばっかりだし。おかげでR-15作品ですw |
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(2015年制作) |
ホロコーストで家族を殺された老人。友人の手紙を頼りに復讐の旅に出る主人公の姿を描いたサスペンス・ドラマ。 スタイルで言えば叙述トリックとでもいう形になるのかな?語り手自身が犯人でしたというスタイルは映像作品でやると難しい部分の多い設定でもあるのだけど、本作では主人公の認知症という設定を使ってその辺は上手く描いていたと思う。ただ見せ方や流れが丁寧すぎるがために、設定や導入の時点である程度察しがついてしまうので、個人的には結末にも驚きはしなかったかな。むしろ黒幕が主人公にニセの記憶を吹き込むにしても、ターゲットの名前を偽る必然性には乏しく、逆に主人公の本名を聞かせて記憶がよみがえったりするリスクが無いのか?という疑問さえ浮かんでくるが。まあこの辺は結末のアイデアから逆順に話を膨らませていったのかなあ、などと感じさせられるところです。 なのでストーリーの仕掛けとしては、正直言うといまいち枝葉が気になる。一方で主演のクリストファー・プラマーやマーティン・ランドー、チョイ役だけどブルーノ・ガンツなど老名優が主体で進む物語としては渋くて悪くない。主人公が旅先で目にするシャワー・ヘッド、貨車、陳列される衣類などは、あからさまにホロコーストの収容所を連想させる様に見せているけれど、ある意味で観客にミスリードを誘っていたのかなと。後から考えると主人公がそれらを見て何を思うのかという部分はよく分からないが、まあユダヤ人だと思い込んでいたのであれば…。 好意的に解釈すれば主人公の4人の“ルディ・コランダー”を辿る旅は、主人公にホロコーストの苦しみを追体験させようとした黒幕の策でもあったのかとも取れる。しかしネタが分かると、この手の話は回りくどい計画だなと思ってしまうだけなのだけれど。 |
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デスノート (2017年制作) |
大場つぐみ/小畑健原作の同名漫画を実写化した映画版。 どうしても原作と比較してしまうのは仕方ないとして、その視点で言うと少し原作とは趣の違う作品という印象。「ファイナル・デスティネーション」シリーズの様なティーン向けホラーチックな作風になってるかな。まあこっちは死を操る側だが。人体がグチャっとなるシーンが多いけど、ちょっとハジけ過ぎて逆にウソっぽい?w 原作の基本的なプロットは踏襲している感じではあるけど、100分という尺に収めるためにキラとLの駆け引きは要約しているので、原作の魅力だった頭脳戦という部分はかなり控えめ。ライトの動機も、社会に対する諦念より母を殺した理不尽な犯罪に対する怒りの方が強そうだし、Lもワタリを殺されて感情むき出しになったり、観て分かりやすいというのを優先した感じですな。ライトの恋人・ミアは原作で言うミサのポジションに近い気がするけど…だいぶ違うか。ライトの判断にいちいち口出しするわ独断行動で翻弄するわで、どっちかというとヒロインというよりまるで疫病神…死神だよなあ? そりゃあリュークも気に入りますわ。 そんな具合に結構翻案しているので、あくまで別物として、デスノートを拾ったアメリカ青年をめぐるホラーくらいだと思えば…。あ、でもリュークは言動含めてリュークっぽいというか、さらに死神っぽくて好きかも。愛嬌はなくなったけども。 |
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ギターケースに武器を隠した流れ者の“元”歌手の復讐を描いた、「エル・マリアッチ」の続編的作品。 主人公役がアントニオ・バンデラスになり、ストーリーも「エル・マリアッチ」とは何となくしか繋がっていないけども、その作風はロドリゲス印の作品そのもの。ただ、妙なギャグに壮絶な撃ち合いにとボリュームはあるとはいえ、前作のチープさの中にもあったテンポの良さは少し弱くなった気はする。 細かい設定を気にしてはいけない作品だけど、序盤のタンティーノやブシェミの存在はストーリー上に必要なのか微妙w まあ、タランティーノ節も含めて彼らの“遊び”なんだとは思うけどね。遊びと言えば終盤の仲間二人の武器には笑った。ギターケースマシンガンにギターケースミサイルとは…w 特にミサイルは発射ポーズから死に様までふざけていて可笑しい。まあ気楽に楽しめるB級アクションってとこです。(監督もそれを目指してるんだろうし。) |
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(2012年制作) |
少年のピュアな祈りが届き、命を得たクマのぬいぐるみ“テディ”。時は過ぎて27年後、35歳となった元少年と、中身がすっかりおっさんになったテディの姿を描いたコメディ映画。 アメリカのコメディ映画らしく、実に下ネタが多い。が、まあおっさん向けのコメディなので下品さの表現は許容範囲かなw 分かりやすいネタは下ネタの方に多いのだけど、それよりも80年代の米国映画やドラマのネタが実に豊富、かつマニアックで良い味を出している。特に「フラッシュ・ゴードン」への言及は愛に満ち溢れてますなw さすがに細かいネタ全ては拾いきれないのだけれど、そこをクマのおっさんの下ネタでつなぐのでダレずに楽しめる構成は良い感じ。ユダヤネタと帝国のマーチ、エイリアン2には笑わせてもらった。ブランドン・ラウスは不憫すぎる…w 見かけと言動のギャップがすごいテッドのキャラクターは実に魅力的。マーク・ウォールバーグ演じる主人公はテディのせいで内面が成長しきってないという設定だけど、非人間を相手に良いコンビを演じてますね。鑑賞中、ラストは別れがあって成長させるのかと思ったのだけど、結末としてはそうでもなく、悪友との友情を継続させたのには違った意味での優しさを感じるところ。 |
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(2015年制作) |
前作から3年、恋人のタミ=リンと結婚したテッドだったが、人間ではないという理由で婚姻の無効が政府から言い渡される。 マジかよマテル社最低だなw それはさておき、外見と中身のギャップという出オチネタではマンネリにしかならない。ということで、もう下品なおっさんグマ(のヌイグルミ)というキャラは周知の事実という前提にして、テッドを取り巻く現実的(?)な話を主軸に進行していく。「テッドに人権はあるのか」、このテーマが色んな人権問題を想起させて妙にシリアスなものを感じ取ってしまうのだけど、表面上はあくまで「テッド」らしくふざけていて、個人的には妙な居心地の悪さを感じたというのが正直なところ。随所にあふれる過去の名作映画のパロディからも監督の映画愛やエンターテイメント志向はひしひしと感じるのだけれど、中盤の「裁判モノ」というパロディへ持っていくための段取りがどうもマジメというか。 しかし後半のコミコンでの騒動は面白かった。画面の端々でやりたい放題!色んな映画ネタを一気に扱うのにコミコンを舞台にするとは、「こんな手があったか!」という思いですよ。この手のコメディは元ネタをどれだけ知っているかがカギになる部分もある。自分としては映画ネタはほとんどキャッチできたと思ってるんだけど、さすがに向こうのゴシップネタは拾うのが厳しいなあ。ジェイ・レノやカーダシアン、ビル・コスビーはギャグを言っているとは分かっても、全く意図を汲めなかった。逆に分かるネタは思わず吹き出してしまうのだから、やはり「知っていれば面白い」ってことなんだろうが。 個人的には「ジュラシック・パーク」ネタや、なぐり合うカーク船長(?)とピカード艦長(?)もいいが…、「新スーパー・マンは…ジョナ・ヒル!」が一番ツボw |
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(2007年制作) |
若い夫婦の元に腹話術の人形が届く。その夜、何者かに妻を惨殺された主人公はその人形に絡んだ真相を探るが…。 監督:ジェームズ・ワン、脚本:リー・ワネルの「ソウ」コンビが送り出したホラー作品。あまり奇をてらったものでもなく、ティーン向けのホラーというでもなく、呪いとか人形とかといった構成がオーソドックスなホラーの雰囲気が出ていて良い感じです。 ヤバい人形をいつまでも外に出してたり、次から次へとみんな憑き殺されていくのに主人公だけ最後まで頑張るとか、ご都合なB級臭もあって突っ込みどころも多い。けど、まあこの手のホラー映画ならそうじゃないと話が進まないかw 音で脅かす場面もあるものの、作品的には音が消えることで怪異が発生するという静かな恐怖演出が悪くない。叫んだら死ぬ、というルールも分かりやすくて良いんじゃないかな。 大オチは最後まで気づかなかったので楽しめたけど、このあたりの持っていき方は「ソウ」を作った2人の作品らしいところですね。 |
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(2016年制作) |
全身真っ赤なスーツに身を包み、軽口をたたき続けるその男・デッドプール。自身がヒーローであることを否定する彼は、悪党どもをなぎ倒す最中に自分の出自を語り始める。 メタフィクションなジョークが好きな自分としては、このデッドプールはとても楽しいキャラクターだった。映画全編に巻き散らかされた映画ネタやメタネタには大いに楽しませてもらったものの、しかし実はあまりゲラゲラするでもなく、クスクスと笑う程度だったのもまた事実。どちらかというとそういう笑いよりは、後半にタクシーの運ちゃんが誘拐した男の悲鳴のネタの方に声をあげて笑ってしまったw 好物のハズのメタネタがなぜクスクス止まりだったのかは、やはり期待が大きすぎた裏返しだったのかもしれない。 いわゆる「第四の壁」を突破する能力…というかそのキャラクター性が彼のウリであって、それは映画の中でもいかんなく発揮されているし、実際にノリもテンポも良いので面白い。ただ個人的には、壁を超えるにしてももうひと越え欲しかったかなあ。…せっかく映画になったのだから、映像ならではのハッチャケ方が何かが欲しいとも思った。例えば高いところにぶら下がって墜ちそうなシーンでいきなり空中のカメラ(?)の方に飛び移って助かるとか。キレキレのアクションシーンで勢い余ってレンズを壊すとか…、例えばね。(冒頭でレンズに着いたガムを取ってはいたが。) まあでもちゃんと笑わせるところも笑わせてくれるし、製作費の少なさまでネタに出したりして面白かったですよ!他のヒーローにはない下品さも良いね。 |
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(2018年制作) |
異色のヒーロー・デッドプールの活躍を描いた第2弾。ヴァネッサと"家族"を作ろうとした矢先に起きた出来事によって、失意のどん底に落ちてしまうデッドプールことウェイド・ウィルソンだったが…。 正直言うと序盤はちょっと退屈な場面もあったかな。オープニングが「007」のパロディだったり、いろんな映画ネタのセリフを仕込んでいるのは良いのだけど、期待していた割にはいまいちテンションが上がらなかったというか。ヴァネッサとの死別というシリアスな状況や、ウェイドが悲観的になっている場面が多いというのもその原因かもしれない。ただそのあたりの序盤の展開が中盤以降のデッドプールの行動原理としての説得力に繋がっているので、ふざけた映画なのにちゃんと考えられた構成だなあと感心した。ということで、その中盤以降は登場人物たちの目的がハッキリしたことでストーリーが動き出し、特に「Xフォース」を結成してからは本領が発揮された感じ。悪ノリとアクションのキレがかなり面白くて、後半だけで何回笑ったか分からんなあw (エピローグのネタも必見!) 新キャラではケーブルが彼を演じたジョシュ・ブローリンのオーラも相まって敵でも味方でもシブくて良い。幸運が能力のドミノも能力を生かした戦い方が面白いな。あとは「X-MEN: ファイナル ディシジョン」以来の登場となった隠し玉のジャガーノートが、ちょっとデザインが変わってさらにゴツくなっているのが良い感じだった。 最後にカメオ出演ネタ。バニッシャーの正体には驚いた…。“いるかいないか分からない透明人間”というネタキャラだったけど、一瞬だけ映った顔が…ブラッド・ピット! しかも感電死の瞬間という間抜けな場面とは…。思わず目を疑ってしまったわいw |
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&ウルヴァリン (2024年制作) |
異色のヒーロー・デッドプールの活躍を描いた第3弾。時間変異取締局(TVA)に連れ去られたデッドプールことウェイド・ウィルソン。そこでエージェント・パラドックスにある計画を聞かされる。 2019年に20世紀FOXがディズニーに買収され、R指定映画の「デッドプール」シリーズの続編なんてもう無理なんじゃないの?と思われた時期もあったけれど、満を持しての3作目ですね。結論から言えば、デップーはディズニーに移ってもちゃんとデップーでしたw ディズニーに骨抜きにされなくて本当に良かった。逆に言えばディズニーに買収されたからこそ本作でMCUにも合流できたわけで、これが今後のMCUにとっても良い方向に言ってくれると嬉しいですね。デップーに「マルチバースは間違いだった」と自虐を言わせるぐらいだから、今後の展開にもちょっとだけ期待したい。 それはそれとして、本題の作品内容ですが。今までほぼデップーの片思い状態だったウルヴァリンとついにチームアップするということで、シリーズを観てきたものとしては胸が熱くなることは間違いありません。しかしウルヴァリンは「LOGAN/ローガン」(2017)でキャラクターとしては最高の形で退場してる…。さてどうするのか?と思ったら冒頭から全力でいじってくるからもうたまらんw でも「LOGAN/ローガン」のウルヴァリンはあれでちゃんと死んでたんですよね。だからこそ「LOGAN/ローガン」という作品には敬意を払っていると思う。(遺体はえげつない扱いになってるけど(苦笑)) 本作で活躍するウルヴァリンはその変異体で、そのへんの世界観や設定はドラマの「ロキ」を観ておかないと分かりにくい面はあるかな? そういえば本作のMCUとの接点はTVAくらいしかなかった気がする。途中で登場するキャラクターの殆どは非MCU出身だったよね。つまり20世紀FOXの「X-MEN」や「デアデビル」、ニュー・ライン・シネマの「ブレイド」といったマーベル作品からのもので、それらの作品を観ていたものからするとかなり感慨深い同窓会作品にもなっていたと思う。企画が中止になったガンビットまで引っ張り出してきたのはびっくりしたw それにあれだ、ヒューマン・トーチ。クリス・エヴァンスが顔を出して「キャップ…」と思わせてからの「フレイム・オン!」は笑う。確かに彼は昔ファンタスティック・フォーの一員だったw 本作はそういう「かつてあったマーベル作品」をいじって救う映画だったのかもしれない。それを今はなき20世紀FOXのマーベル作品を代表するデッドプールとウルヴァリンが先頭に立って引っ張ったのだ。それだけで感動じゃないか。 |
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2005年〜2007年前後の米国で大ヒット映画をネタにしたパロディ映画。 「最終絶叫計画」のスタッフが制作した作品ですが、なんだかこの人達の“笑い”には俺は肌が合わないようですわ。題材にしている作品は観たことのある映画ばっかりだし、ゴシップネタも分かるものばかり、微妙に雰囲気が似ているキャラや美術は良くできているとも思う。でも、それらの全体的な話の纏まりとしてはいまいちだったのが残念かな。 ネタが下ネタ・ゲロネタばっかりだったのも…、特にゲロネタはなまじ生々しいのでもう結構ですw アメリカ人はこういう笑いが好きかも知れないけど、やっぱりこういう映画を観ると感性の違いを痛感するね。 |
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(2017年制作) |
1967年に発生したデトロイト暴動。その時、あるモーテルで起きた事件を描いたドラマ。 近作は社会派な作品が続くキャスリーン・ビグロー監督。本作も多分に漏れず黒人差別の歴史の一端を描いた硬派なドラマとなっている。舞台となったモーテルの一夜に居合わせた人物たちの群像劇のような構成になっているけど、演出的には実録モノというかドキュメンタリータッチの再現映像といった感じも。それはそれでとても見応えはある。でもこの手の演出ではポール・グリーングラス監督ががずば抜けて上手いものを撮るし、それと比べると彼の作品(「ブラディ・サンデー」とか)ほどの熱量は感じなかった。もちろん本作で描かれる状況はひどいものだと思うのだけれど。 暴動が起きた背景は、それまでの黒人差別を端に発して不満が噴出し、たがが外れたことによるものだが、そのあたりは冒頭で触る程度。一方で取り締まる警官の一部が、過剰に対応した結果がこの事件を招いたように描かれる。暴行警官は今の感覚ではおかしいし、劇中でも糾弾されるべき人物としては描かれる。(彼の自白が“取り調べで強要されたもの”として証拠と扱われず無罪になったのは、彼が黒人にしたことと対にした皮肉だよね。) 結局クラウスというこの警官は、「黒人は白人の脅威だ」という事を信じ込んでいる確信犯なわけで、そこが一番根深い部分。 クラウス達の様な一部の警官の描き方は当時の社会の縮図を象徴する意図だろうけれど、それを咎める上司を出したことで、クラウス個人の問題に矮小化されて感じられかねない。平たく言えば公権を振りかざしたサディストの様に見えるわけで、黒人の暴動にしろ警官の暴力にしろ、もっと大きなうねりの中の一部の出来事とするにはもう少し背景の掘り下げが欲しかった気が。ただ、これは実際の事件を基にした話なので、その夜の出来事をストイックに描けばこのようになるのも分かるのではあるが。 |
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(2020年制作) |
因果が逆転した存在をいかに映像化するかといった実験のようにも思えるけれど、それをスパイアクション映画としてやり切ってしまうところがクリストファー・ノーラン監督の凄いところ。時間のベクトルが逆転している“反粒子”という量子力学のリアルを我々が目にできるマクロの世界に落としこむこと自体はウソっぱちなのだが、「それを現実として表現できるのが映画の力なのだ」と言わんばかりの監督の自信が画面から伝わってくる様で実に楽しかった。映像の逆回しだけなら誰にでもできるだろうが、折り返した存在が同時に進行(逆行?)するという概念を表現し、ちゃんと物語に関与させるのだから大したもの。しかもそれを終盤の集団戦闘(しかも実写)といった規模でやってのけてしまうとは…。今、ノーラン監督以外にこれをやろうと思ってできる(そして許される)人はいないだろうなあ。そういう意味で、これ作る側もこれを観られる側も幸せだと思う。 “逆行時間”という概念の(実感的に理解しにくい)突飛さに一瞬頭を悩ませそうになる場面もあるけれど、実はそれ自体はマクガフィンなのかなと思っている。結果を目にした後に原因を知るという筋立ても映像表現としては珍しいものではないし、卵が先か鶏が先かという概念もSFとしては珍しいものではない。“逆行”という存在が併存していること、その折り返しを映像として見せたことがこの作品に個性を与えているけれど、因果の逆転を描きつつも「起こったことは仕方がない」…逆に言えば「これから起こることも仕方がない」という“因果律”の話に収束しているのだと思えば、実は話としてはあまり難しくも珍しくもないのかなと。それを彩る映像表現が、ノーラン監督の映像作家としての才能の素晴らしい表現型になっているのだと感じた次第。 確かに序盤のストーリーは何に巻き込まれているのかの理解が追いつくのは難しい。それは場面転換が早いうえに、人間関係や説明台詞が説明として頭に入りにくいくらいのテンポで進むところにも要因がある気はしたけれど、最後まで観ると監督はわざと分かりにくくやっていたんじゃないかと思った。何せ序盤は(未来の)主人公にとっての「結果」が始まる場面なのであって、映画のラストで主人公が黒幕となって過去の自分をこの物語に巻き込んでいくところが「原因」の始まりなのだから。そりゃ結果だけ見てもなぜそうなのかはわかるはずがない。観客は最後まで観てようやく人物関係を把握したところで「実は全部仕組まれていたらしい」とそれに気づけるのであれば、極論、序盤は訳が分からなくてもいいのだと思ったり。 |
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-ある影武者の物語- (2011年制作) |
イラクのサダム・フセイン大統領の息子・ウダイ・フセインの影武者に選ばれた男の運命を描いたドラマ。 実話を基にした話であるが、ウダイという人物は"権力者の息子"を悪い意味で体現した悪魔として描かれる。映画用に脚色もされているのだろうけど、拷問・殺人・強姦もなんのその、それにしたってヤバい奴だな。主人公はそんな人物を一歩引いたところから軽蔑して見るわけだけど、彼の影武者を演じるということはその軽蔑の対象を演じなければならないというわけで…皮肉。むろん葛藤もある。 最後に暗殺計画という形で復讐を果たそうとする姿には溜飲が下がる思いだけど、イヤなものを見たという気分にはなるかな。まあそれでもウダイの側近・ムネムが手引きしたり、犯人の正体を知った警護官・アリが逃走を促したり…と良心の感じられるところは救い。 ドミニク・クーパーの1人2役はお見事でした。 |
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砂の惑星 (1984年制作) |
フランク・ハーバートの小説を実写化したSF映画。 一部のデザインはビジュアル的な居心地の悪さ(褒め言葉)にデイヴィッド・リンチ監督のセンスが感じられて面白いとは思うものの、話の進行が飛び飛びというか散漫というか、観ている側が流れを飲み込む前に話が進むので置いてけぼりを食らったような感覚になる。「めちゃくちゃ設定を考えてあるSFなんだろうなあ…」ということだけは伝わるが(苦笑) そもそも原作を2時間強に纏める事自体に無理があったのだという話なんだろうけど、少なくとも要約に失敗しているのは脚本のせいなのか編集のせいなのか…。まあ監督にファイナル・カット権が無かったという話だし、2時間近くに収めたかった製作のハサミが強かったということなのだろう。 個人的には好きではない演出である“心情説明のためのモノローグ”が多用されているのも微妙なんだけど、モノローグが特定の人物ではなくて様々な人物で多用されるのも、感覚的に「誰目線の話なんだ」というところで作品の主観を曖昧にしてしまって集中しにくかったかな。ここまで来ると作品世界の説明のための作品というか、あらすじを知るだけの感じと言っても過言ではないかもしれない。 SFXの面ではやっぱりサンドワームが強い印象を残す。巨大感を出すための苦労が端々から感じられるなあ。とはいえ宇宙船の外観にせよ人物のブルーバックにせよ、合成に関しては「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」より後の作品だと思うと見劣りするのは事実だけど。 ところで出演者は意外に豪華というか、ユルゲン・プロホノフやマックス・フォン・シドーにちょっとワクワクしたり、パトリック・スチュワートもさすがのオーラだったね。スティングも存在感はあったけど、ラストバトルが…まあ(苦笑) |
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デューン 砂の惑星 (2021年制作) |
フランク・ハーバートの小説を実写化したSF映画。 劇場映画としては1984年のデイヴィッド・リンチ版に対して2度目の映画化(他にドラマ版もあるが)ということでどうしても比較してしまいがちだけど、本作は2時間半を使って話の半分までをじっくり描いているので、駆け足感もなく独自の世界観にたっぷりと浸れる。作風としてはSF叙事詩のストイックな映像化であってエンタメ性は無いに等しいけど、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による美的センスの映像とテンポの統一感がすばらしい。自分は大阪エキスポのフルサイズIMAX(アスペクト比1.43:1)で観たけれど、「これってビスタやシネスコ画角で上下切ることを考えてないよな」と思えるくらい、完全にフルサイズ前提で撮られた構図にヴィルヌーヴ監督のこだわりを感じたなあ。 大きな流れとしての、皇帝の陰謀によって起こされる2つの大領家の対立という構造自体はそう複雑ではない。ただそれに加えて、ベネ・ゲセリットやフレメンといった他の勢力によって補強される世界観の全体像までを俯瞰的に把握するとなると、そのあたりがそこそこ難儀になってくる。固有名詞もバンバン飛び交うしね。世界観が完成されているからこそのハードSFとしての魅力もあるのだろうけど、映像化としてはそのあたりを整理して表現する部分での苦労も垣間見えるかな。ただデイヴィッド・リンチ版に比べると皇帝やギルドがまだ前面には出てこないので、大領家の対立に集中して話を追うことができるようにはなっていると思う。 邦題では表現されていないけど、本作は"DUNE :PART ONE"なので話としてはまだまだ中盤。2部作とも、原作小説の2作目「デューン/砂漠の救世主」も含めた3部作になるとも言われているけど、全貌は現時点では未確定。少なくともしっかりと完結させてくれることを期待しつつ、続編を待ちたいと思います。 |
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PART2 (2024年制作) |
フランク・ハーバートの小説を実写化したSF映画の2作目。 前作の制作時点では決まっていなかった続編ですが、しっかり地続きで作られましたね。本作でもヴィルヌーヴ監督の美的センスが前面に現れていて、統一された世界観の中で描かれるSF叙事詩の重厚さに圧倒されます。一方で「もちろん原作を読んで知っているでしょ?」とも言わんばかりに説明を排除して話を進めていくので、いくらかは不親切な面を感じたりもする。本作からは皇帝も登場するし、ベネ・ゲセリットの暗躍とかもあるし、複数勢力の思惑が交錯しているので余計にね。物語の区切りとしては1984年のリンチ版で描かれたところまで追いついたのだけど、まだまだ話は続く様子。今度は諸大領家との戦争かあ。PART3へと続く…はず。 前作で退場したキャラもいれば本作から登場したキャラもいるけど、どのキャラクターにも有名どころの俳優がキャスティングされているのはすごいなあ。オースティン・バトラー、フローレンス・ピュー、レア・セドゥ、アニャ・テイラー=ジョイと若手も揃っているし、そういう意味でも豪華だなあと思った次第。主人公ポール役のティモシー・シャラメも、前作の線の細い若者感から、本作で"導く者"になったあたりの覚悟を決まりぐあいの変化が良かったように思いますね。 映像的には今回も一部の場面でIMAXフルサイズ(1.44:1)になっているので、可能であればフルサイズで観られる劇場に行ったほうがい良いと思われます。戦闘シーンや砂漠の広さなんかにも大画面は映えるのだけど、今回は特に初めてサンドワームに乗るあたりの場面でフルサイズの迫力が効果を発揮していたかな。 |
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ドン・キホーテ (2018年制作) |
ドン・キホーテを題材にした撮影を行っていたCM監督・トビーは、その現場の近くでかつて卒業制作の映画を撮ったことを思い出す。その村に立ち寄ったトビーだったが、そこで出会ったのは気が狂って自身をキホーテと思い込むかつて自分の映画で主役を演じた老人だった。 一度目の制作中止から18年後、ついに完成し公開された本作。この物語だけを観ても現実と幻の境目を跨ぐ手際の良さや、舞台を現代に翻案した「ドン・キホーテ」の物語としてそこそこ楽しめるのだけれど、やはりこの作品自体は「ロスト・イン・ラ・マンチャ」を前編として、本作を後編として楽しむのが正解なんじゃないかと思った。テリー・ギリアム監督の執念の結実を眺める作品とでもいうか、本作が難産中の難産であったことを踏まえて観ると「監督…、ついに完成させたんだな」という感慨がこみあげてくる。「不可抗力の事態だ」とか「この月は雨が降らないはずだが残りの撮影が台無しだ」とか、「ロスト・イン・ラ・マンチャ」に対するメタな台詞も入っていて、自虐的だなあ…と笑ってしまうw 当初の企画は主人公が過去の時代にさかのぼる話だったようだけど、本作では一貫して現代が舞台で幻のように“ドン・キホーテの認識”が侵食してくる感じ。でもちゃんと「ドン・キホーテ」の物語に沿っているところは上手いなあと思った。“思い込み”というテーマとしては「ムスリムだからテロリストだ」という一方的な思い込みにのついてずいぶん直接的な皮肉も入っているけれど、その一方で夢や幻を追い続ける者に対する愛も描いているように感じる。終盤、“ドン・キホーテ”を笑いものにした奴らに対する怒りはもはや主人公だけのものではないだろう。観客にそういう気持ちに共感させた時点で、この映画は成功か。それもこれも主演の上手さによるところだよね。アダム・ドライバーもジョナサン・プライスも見事だった。 しかしやはり最後に思うのは監督の執念のことである。喜々として入れたのであろうラストの巨人のシーンは「ロスト・イン・ラ・マンチャ」を観た者ならニヤニヤせざるを得ない。さすがに当時のフィルムではなくキャストも違う再撮影のものだったけれど、この巨人のシーンがあるかないかで作品の立ち位置の意味合いは変わってしまうだろうからね。 |
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クローバーフィールド レーン (2016年制作) |
運転中に事故に遭った主人公が次に目覚めた時、事情も分からぬままに見知らぬ男とシェルターでの生活を送ることになるが…。 形式的にはワンシチュエーション・スリラー。主人公の女性・ミシェルが何者とも知れない男からシェルターでの軟禁状態の生活を強いられる訳だが、映画自体は低予算で成立させようという目的が先行しているきらいがあるか。実際には“その男・ハワードが安全か否か”という話でしかないんだけど、タイトルに「クローバーフィールド」を入れることで「外の世界は滅びた」というハワードの言に虚実性というミスリードを付加するあたりがこの映画のヒネリ。ハワードを演じるジョン・グッドマンのキャラクター性に依るところも大きいかな。 でもモヤモヤするのは、ハワードは本当に危ないヤツっぽいんだけども…外の世界が大変になっているというのも本当なので、結局観たままの世界だったというヒネリのないことがヒネリだったという…。まあタイトルひとつで低予算映画に内容以上の付加価値をつける製作の手腕には感心するがw |
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終りの楽園。 |
セックスとドラッグに溺れ刹那的に過ごす二人の少年と、夫に浮気された女の、“天国の口”と呼ばれる海岸へ向かうロードムービー。とにかく俺は主人公達にに感情移入出来ないので、客観的な鑑賞になってしまったけど、この映画のテーマには共感出来る。「自分はいつまで人々の心に残るのか考えた」。結末を考えれば、このテーマに対する伏線の張り方は上手い。この映画は性描写が多いが、観終わったときにその描写に何の意味があったのかと考えれば、それは「生」ということの表現なのかもしれない。自分たちを中心にしている主人公の背景に、メキシコの社会問題が映される。それもまた一つのテーマになっているように思えた。 | |
(1998年制作) |
私学のラッシュモア校に通うマックスは演劇脚本の才があり、演劇その他多くの課外活動に熱心だったが、その逆に授業は落第寸前だった。そんなある日、彼は新たに赴任してきたクロス先生に恋をする。 ウェス・アンダーソン監督の長編2作目。ウェス・アンダーソン作品といえばシンメトリーなショットにカメラの平行移動などがトレードマークだけど、初期の本作は一部で垣間見える以外は普通の撮り方と言うか、彼らしいショットは控えめな感じ。とは言えカットのテンポや微妙にシュールなコメディセンスはすでに出来上がっている印象。 主人公のマックスは“行動力のあるバカ”だよなあ(苦笑) いや地頭は良いのかもしれないけど、妙に背伸びをしている感やそのストーカー気質と相まって絶妙なダメっぽさが漂うよね。それでも憎みきれないところもあるんだけど、まあその“行動力”自体がこの世界観でのギャグだわな。助演のビル・マーレイは存在感たっぷりで、いい大人なんだけどマックスと同じ地平で行動している感もあるのが面白い。そう思うと、子供じみた感覚がこの作品の背景にずっとある気がする。 個人的には、どのキャラに共感するかといえばマックスの父親に一番共感したかもしれない。観客としても、マックスの若気の至りというか…彼の少し突飛な行動を見守る感覚だったのかな、と。紆余曲折あっての大団円も、マックス自身が嫌われることがない収まり方だったので良かった。 |
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ダン・ブラウンの同名小説を原作にしたミステリーサスペンス。原作は「ダ・ヴィンチ・コード」の前作になるが、映画版では続編という位置づけ。 謎解き話なのに、謎解き映画になっていないという一直線なテンポの速さは「ダ・ヴィンチ〜」のそれと同じ。疾走感は抜群だけど少々スリルに欠けてしまっているかな。でもやはりこの上映時間に収めようという制作側の努力は見えるので、そこは評価してあげたい。無理のない程度に分かりやすい構成で見せ切っているとは思うからね。 今回は"宗教 vs 科学"がテーマでそこに時間制限付きの事件が起こるというサスペンス。アルケーに引っかけた処刑や、科学の賜である反物質を用いた脅迫など、科学が宗教に対して復讐するという展開は面白い。学者であるラングドンに神を何と思うかと問いかける会話等もいいね。でも、爆弾の設定に無理があったのは惜しい。原作がそうだから仕方ないとはいえ、反物質がああいう風に扱えないことを知っていると、あまりにウソな設定でシラけてしまうが…。まあ、あくまで娯楽作品ということで。そういう意味だと「ナショナル・トレジャー」を見た時のような感覚に似てる。 役者では教皇の侍従役・ユアン・マクレガーが良い感じでした。あまりにも正しそうなだけに逆に怪しいというのはちょっとアレだけど、でも漂わすその清廉な雰囲気が良い。ヤク中からジェダイや聖職者までこなすいい役者ですね。ただ、ヘリの操縦は台詞で前振りはあったとはいえ、それでもちょっと唐突に思えたかな。プランBへの変更もかなり綱渡りな感じもしました。 |
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ギャップコメディと言いますか、何とも楽しい作品です。なんと言ってもウーピー・ゴールドバーグの魅力が炸裂。まさにハマリ役ですな。下手くそな聖歌隊を見事に立ち直らせ、しかもその上にノリノリのゴスペルにしてしまうとは…。楽曲の魅力は観れば誰でもノれる軽快で楽しい曲ばかり。ラストで法王まで体を揺すってノってたなあw 名バイブレーター、ハーヴェイ・カイテルが軽妙に小悪党を演じているのも面白い。原題は「SISTER ACT」、直訳すれば「尼僧を装う」ってなところか。上手い邦題を付けたもんですなあ。 | ||
(1945年制作) |
19世紀、かつてパリにあった劇場や見世物小屋の集まる大通りを舞台に、一人の美女と三人の男を軸に描く恋愛悲劇。上映時間190分を、第一部「犯罪大通り」、その6年後を第二部「白い男」として構成した大作。 一人の美女ガランスに翻弄される男三人の物語だけど、群像劇的な展開は巧みだし、それぞれの恋や嫉妬の感情が渦巻くさまが見せ方として上手い。男側の主人公はパントマイム・ピエロのバチストか。純粋に深く愛してしまったがために実らないわけだけど、そういう部分に共感はするものの、第二部で妻子持ちとなってもかように熱病のような恋煩いを見せるとちょっとついていけないw ただ、そういう人物たちのドラマとしては、それぞれの人間性の表現に魅せられた。 大掛かりなセットや舞台の幕が開くような演出、劇中劇での舞台など、映画であると同時にシェークスピア的な大作舞台劇を見せられているような感覚もするね。もちろんカメラワークやカットなど映画的な技巧があってこそだけど。オープニングとエンディングで大通りを映すのも上手いよなあ。エンディングで"白い男"に扮装した人々にもまれるバチストの姿は、得たものと失うものが如実に感じられて、その悲劇感が良い。 |
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-命をかけた戦い- (2013年制作) |
命懸けのスポーツだったカーレースの最高峰・F1。その世界に生きた名ドライバーたちの姿を描いたドキュメンタリー。 冒頭、1996年オーストラリアGPで大クラッシュを演じるジョーダンのマーティン・ブランドル。奇跡的に無傷だった彼だが、F1がそこまでの安全性を得るに至った半世紀にわたる歴史は、まさに毎年誰かが死ぬと言っても過言ではない世界。語れば長くなるその改革の歴史を要約して、有名ドライバーの多くの逸話、死亡事故が紹介される。けど、これはドライバーが誰だかを知っている前提のドキュメンタリーだと感じたね。その上で、安全改革が描きたいのか、そんな危険な世界に生きたチャンピオンたちを描きたいのか、両方に色気を出してどっちつかずという印象も。まあどちらかというと前者がテーマなんだろうけど、そうなると原題の"1"(チャンピオンのカーナンバー)とはどうもチグハグか。 全体的な内容はほぼ70年代までの話で占められる。セナの事故死は語りつくされた感もあるから、本作の様に「それ以降事故死はなくなった」という節目として描かれるくらいでもOK。F1の安全改革を語るのであればジャッキー・スチュワートの活動は外せない。ヨッヘン・リントやフランソワ・セベールといったショッキングな事故も取り上げている一方で、グラハム・ヒルやジム・クラーク、ジェームズ・ハントなどの英国ドライバーに結構時間を割いているのはちょっと気になったが。なので英国が製作しているのかと思ったのだけど…、実際にはアメリカ映画だったのでよく分からんなあ。 |
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「旧約聖書」創世記の1.1から22.17までを描くスペクタクル大作。 有名なエピソードが多いとはいえ、数十ページほどの創世記の前半部分から3時間の映画を作ってしまうのだから、欧米人の宗教に対する思い入れというものを思い知るね。 ハッキリ言ってしまえば宗教映画以外の何者でもないので、旧約聖書に関心のない人には退屈な映画かも知れない。でもアダムとイヴ、ノアの箱舟、バベルの塔など、日本人でも知っている話が分かりやすいので、勉強には良いのではないでしょうか。俺はクリスチャンではないが創世記は読んでいるので、それをビジュアルで観られるというのは非常に良い経験だった。 実寸で作ったというノアの箱舟は迫力があってやはり画の説得力が違う。まあ、集めた動物に当時の中近東の認識ではあり得ない種類が多数いたけど、そこは目をつぶるところですかね?w ユダヤ、キリスト、イスラム教(一部)の原典でもあるし、欧米の映画を観るに当たっては知らないわけにはいかない話でもあるので、観ておいて損のない作品です。 |
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(1995年制作) |
ピクサー初の長編フルCGアニメーション作品。アンディ少年のオモチャたちの冒険を描く。 この当時においてフルCGアニメによる初の長編作品というだけでもチャレンジングなのに、テンポ良く練り上げられたストーリーが面白くて作品全体の質が高い。この映画のベースになったピクサーの短編「ティン・トイ」はオモチャに自我がある世界を描いていたけど、この作品ではウッディをはじめとする登場するオモチャ達が、もっと自覚的にオモチャであることを認識している。そこに「自分は本物のスペースレンジャーだ」と思い込んでいるキャラ…バズ・ライトイヤーが来たことによる、認識ギャップを描いたコメディとなるなわけだ。“オモチャであるかスペースレンジャーであるか”という現実を、ストーリーの中で「飛べる」「飛べない」「かっこよく墜ちているだけ」という彼の自己認識のセリフによって端的に成長として描いていしまうのだから、分かりやすいし感動もするし…脚本にはとても感心した。その上に、他人を妬んではいけない、オモチャは大事にしないといけないという教訓まで入れ込んでくるのだから大したもの。 この時代のCGについては、無機物は描けても生きものの表現はまだまだ難しい。だからこそそれを逆手にとって無機物のオモチャたちを主人公にしてしまうという発想が良いよね。人間の生々しさはまだまだだけど、逆にオモチャたちが生き生きと動く世界。バズ・ライトイヤーのどこかとぼけた気真面目なキャラクターが実に面白いw Mr.ポテトヘッドの皮肉屋なところも好きだな。大人が観ても耐えられるストーリーのクオリティによって、いつの間にか童心に帰ってしまう、そんな良い作品だと思います。 |
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(1999年制作) |
オモチャの転売目的の男に持ち去られたウッディ。彼を救うべくバズ・ライトイヤーと仲間たちが立ち上がる。 冒頭からバズの一大アクションで一気に引き込み、実はテレビゲームでしたのオチでオモチャの世界へ引き戻す。つかみが上手いね。今作ではさらわれたウッディを救う話がメインの流れだが、コレクターズアイテムとして後生大事に飾られるのか、それとも子供たちとボロボロになるまで一緒に遊ぶのか、オモチャにとっての幸せとは何かという部分は考えさせられます。ウッディにとっての幸せはもちろん後者だろうが、プロスペクターの様に脇役だったがためにほとんど顧みられなかったのであろうオモチャの感情も理解できなくはない。「箱に入った新品」という状況は、この場合は(オモチャにとっての)不幸の象徴でもあろう。でもコレクション自体が悪いことかというとそうでもないとは思うんだけども。この作品の場合は、おもちゃ屋のアルはウッディを盗んだヤツなわけで、その点で彼は報いを受けるべき悪役なのではあるが。 ウッディやジェシーたちコレクターの話はちょっとシリアスなので、テーマとしては分かるんだけど正直楽しくはないかな。一方でバズたちの冒険は前作同様にワクワクして楽しい。特に今作は色んな映画のパロディがてんこ盛り! 流石に子ども向けなので「ジュラシック・パーク」や「スター・ウォーズ」の直球なパロディが多いが…いやあニヤニヤするw そしてバズ、やっぱり自分をスペースレンジャーだと思いこんでるバズは面白い!人気の量産品ということを逆手に取ったバズ同士の掛け合いが良いよ。Mr.ポテトヘッドもお約束のパーツネタが実に笑える。 |
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(2010年制作) |
フルCGアニメーションのシリーズ3作目。 シリーズも重ねると、やれ新キャラだパロディだと安易な形で変化に頼りがちだけになることが多い。でも今作は前作から11年という時間が、そのままおもちゃ達の持ち主であるアンディに重ねられ、子供の成長というテーマを上手くいかした作品になってます。子供とおもちゃの別れ自体は「2」でも描かれた部分ではあるけど、今回の"思い入れ"と"卒業"と"おもちゃの幸せ"という三様の落としどころとして用意された本作の結末は非常に感動的。良い脚本の映画だね。そういう部分はむしろ子供の観客より大人の方が感動するだろうと思う。 さてメインテーマであるウェットな部分も良いのだけど、やはり家を離れたおもちゃ達の冒険と言うところがこのシリーズの見せ所。思い違いで託児所に行くことになった一行の冒険はなかなかスリリングで良いし、お決まりであるバズのスペースレンジャーネタも冴えている。まさかのスペイン語モードは爆笑ですw おもちゃ達の絆や覚悟にもウルっと来るけど、そういう笑いと涙の構成の妙が久々にバチっとハマったピクサー作品でした。 |
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(2019年制作) |
フルCGアニメーションのシリーズ4作目。ボニーが作った新しい“友だち”フォーキーの行動に手を焼くウッディだったが…。 これまでと同じ様な構造を見せながらも新しい展開を描いていて、とても良かった。笑わせるところは笑わせ、感動させるところはさせる。ちょっとホラーっぽいところも面白い。そしてウッディが見せた結末での決断に共感するに十分な説得力がこの物語にはあったと思う。本作の脚本家は彼について「自分の役割が全く変わったことに苦闘している」と語っているが、その彼が新しい生き方を発見する姿を描いた物語だ。もちろんそこには仲間との別れというビターな感情も生まれるが、「無限の彼方へ さあ行くぞ」というバズのセリフでフェードアウトする終わり方は、未来への希望と友情を感じさせる最高の締め方だったことは疑わない。 作品全体としても“おもちゃ”というテーマからブレていないことはとても好感が持てる。特にフォーキーは、本人はゴミだと思っているけど持ち主にとっては最高の友達という、持ち物に対して持っていた子供時代特有の思い入れを思い出させてくれる。多かれ少なかれ大人から見ればゴミの様な何かを大切にしていた気がするのだ。一方でこの役回りには「本人が思うほどゴミではなく、だれか大切に思ってくれる人がいるのだ」という明確な比喩もあるだろう。活動的でたくましくなったボー・ピープのキャラクターとしての成長もそうだけど、そういった主張は現代的な側面として強く感じるところではある。 最後に、新キャラはどれも良かったけど、特にデューク・カブーンは気に入りましたよ! ラストのピクサーロゴの登場サービスはGood。ハイタッチもGoodw Caboom! |
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(2010年制作) |
グリム童話の髪長姫をベースに3DCGで制作したディズニーアニメ。 ディズニー長編アニメ50作品目の記念作品ということだけど、その名にふさわしい"ディズニーらしさ"を見事に描き切った楽しい作品でした。童話のアニメ化というところもそうだけど、歌ったり踊ったり、人間味あふれる動物キャラに魔女のような悪役、そしてお姫様を救う若者…と、まさに王道直球勝負。それだけ使い古された設定でも、ちゃんと構成された展開や美しい映像には思わずワクワクしてしまった。CG制作だけど、往年の動画の楽しさも表現できているので"ディズニーアニメ50作品記念"の看板には偽りなしです。 それにしてもキャラクターたちの表現は実にすばらしい。キャラ造形では快活なラプンツェルが魅力的に描かれていて良い感じだが、何よりその髪の表現がとんでもない。サラサラの質感には重さも感じられるし、かなりのこだわりを感じるところ。何気に流してしまうそうだけど、ラプンツェルを誘拐したゴーテルの髪のボリューム感もスゴくリアル。CGもここまで進化したかと感慨深いですね。 |
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(1993年制作) |
妻殺しという無実の罪により死刑を宣告された主人公は、逃亡者となりながらも事件の真相に迫っていく。 ハリソン・フォードvsトミー・リー・ジョーンズ!逃亡者のキンブルはタフすぎる気もするが…ハリソン・フォード補正が効いて、不思議と気にならないw やはりこの映画はトミー・リー・ジョーンズが演じるジェラード連邦保安官がとても良いよね。逃亡者が無実を主張しても「知ったことか」と言ってのけるそのスタンスは、「自分は裁定する者ではない、捕まえる者だ」と職務に対する確固たる信念の表れでもあるが、それを銃を向けられても平然と言ってのけるのだからねえ。部下に猛スピードで指示を出しながら、自身も最前線で追う姿は主人公にとって強敵そのもの。目的がブレない主人公とは違い、キンブルを追う内に真相に気づき変化していくジェラードの姿が見どころでもある。(執拗さは変わらないが。) 冒頭から事件のあらましをテンポよく見せていく構成が上手く、いざ逃亡が始まっても警察とのニアミスによる緊張感と緩和の繰り返しで飽きさせない展開だよね。シリアスの中に微妙にユーモアが混じっているあたりも面白い。しかし毎度毎度ニアミスというのは、上手く出来過ぎと思う一方で、ジェラード側が優秀だからこそ起こる状況なんだろうな。そこに説得力を持たせたトミー・リー・ジョーンズの映画ですわ、この映画は。 |
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(1933年制作) |
研究によって透明になれる薬を開発した科学者。彼はその薬で透明人間になるが、元の姿に戻れないばかりか薬の副作用で凶暴化してしまう…。 H・G・ウェルズが原作というところにも興味を惹かれるが、ストーリーは今でこそ単純ながら、逆にシンプルで分かりやすいかな。薬の副作用という設定とはいえ、“透明になる”=“人にない力を持つ”ことで人間のイヤな部分が増長する、というのがテーマ。ただ、増長して「世界征服をするぞ」と宣言する割には、村人を脅かしたり、大きくてもせいぜい列車転覆ぐらいの悪事なのでやっていることが小さいw まあこのあたりはご愛敬か。 それにしても包帯を取って透明になるくだりは、今見てもその特撮の見事さにビックリ。ホラー作品(実際は喜劇的要素が多いが)の古典ではあるけど、特殊効果の使い方はまさに一級品だね。特撮映画としても歴史に残る作品だと思います。 |
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(2020年制作) |
ある豪邸から主人公の女性が逃げ出す。彼女は豪邸の主人からの束縛を恐れており、その死の報を聞いても信じられずにいたが、そんなある日、身の回りで何かの存在を感じ始める。 モンスター映画としては古典的なキャラクターである“透明人間”を用いてリブートした作品だけど、これはなかなかうまい再構築作品だった。透明人間が加える直接的な危害に対する恐怖よりも社会的に主人公を追い詰めていく“人間的な悪意”をベースにしている部分に、古典的ホラーを下敷きにしてその先の恐怖を建て増ししている上手さを感じて感心した次第。監督のリー・ワネルと言えば「ソウ」「インシディアス」シリーズの脚本家だし、何もない壁や部屋の隅を映す意味深なカメラのパンを使ったホラー的な演出も、観る側を翻弄するストーリーの組み立てもお手のものかな。 特に中盤の精神病院のシーンで、主人公が感じ取る見えない存在と、他者から見た“妄想に取りつかれた女”感との相反する説得力が同時に存在している様子は素晴らしい。これは主演のエリザベス・モスの演技が良かったなあ。まあ話の細かいところでは、なぜ堂々と飾ってあるスーツの方が放置されていたのかとか、エイドリアンはそれが無くなったことに気づいてなかったのかとか、トムが着ていたのはいつからなのかとか…疑問な部分もあるけど。観ている間はそれを感じさせないほどには緊張感を持続させてみせるのだから、やはり上手いってことなんだろうな。 |
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元がゲームなだけに荒唐無稽なのは良いとしても、もうちょっとストーリーは練って欲しかったかなあ。不思議なことに今ひとつ緊迫感を感じない。オープニングの「攻殻機動隊」(かなり似てたw)のようなロボットとの戦い方や、「スプリガン」のように攻撃してくる石像の様に、なんか日本のマンガに影響されてるような演出も見受けられた。そういう意味では面白かったかも?w 全体的にはアンジェリーナ・ジョリーのPVに仕上がってますw | ||
全体的に緊迫感を感じない。それ以前に相変わらず墓に進入するシーンが無い“トゥームレイダー”。ゲームのタイトルとはいえ、せめて墓に入らないと嘘になっちまうぞw まあ、ゲームの内容を知らないからいいですけど。やはりこの手の作品で「インディー・ジョーンズ」シリーズを超えるのは難しいのかも。この映画はテンポを重視しすぎたせいで、説明不足も響いてる。やはりノリを楽しむ映画か…。今回もアンジェリーナ・ジョリーのPVでした。久々のヤン・デ・ボン監督作品だけに残念。「スピード」が出来過ぎか…。 | ||
ファースト・ミッション (2017年制作) |
TVゲームシリーズ「トゥームレイダー」を基にしたアクションアドベンチャー映画。行方不明となった資産家で冒険家の父の足跡をたどる主人公・ララ。ある島へ向かったという手がかりを掴んで船に乗るが…。 15年ほど前のアンジェリーナ・ジョリー版とは趣の異なる、超人的ではない地に足ついた感じの女性ヒーロー像という感じか。基となったゲーム自体もシリーズの中でリブート的な立ち位置の2013年版のものなので、それはそれで本作が過去作と切り離されたものとして全く問題はないわけだけど、映画として観た時は正直凡庸な感じで終わってしまった。ゲームと違って自分で操作する緊張感がない以上、どこかで観たり聞いたりした様な設定で話が進むだけだといまいち盛り上がらない。ピンチが連続はするものの、取って付けた様な印象がぬぐえないのは微妙。 総じて、ドラマのスタンスを真面目に振りすぎたんじゃないか。遺跡を舞台にした冒険モノとして観ると、どうしても比較しがちな「インディ・ジョーンズ」や「ナショナル・トレジャー」「ハムナプトラ」と比べてユーモア成分が足りない気がする。そもそも荒唐無稽な設定なもんで、話を真面目にやればやるほど個人的にはウソっぽく感じてしまうというか。そういうところをジョークで補って欲しかったな。 ニック・フロストがカメオ出演している場面では、多少主人公との掛け合いにニヤリとするけど…それだけじゃね。 |
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(2012年制作) |
高校に潜入捜査することになった新人警官2人が巻き起こす騒動を描いたコメディ映画。 80年代の同名TVドラマの映画化だが、そんなことを知らずに楽しめるバカ映画。高校時代にスクールカーストの上の方にいたジェンコ(チャニング・テイタム)と下の方にいたシュミット(ジョナ・ヒル)の凸凹コンビが、潜入捜査では立場が入れ替わるというネタが笑いを誘う。が、シチュエーションコメディというよりは、やっぱり米国のコメディらしくドタバタ&下ネタが多め。個人的には大笑いするというよりはクスクス笑えるくらいだったかなあ?それでもアイスキューブの怒鳴りや、「爆発するー!…あれ?」という反復ネタはちょっとツボだったかも。いやそれ以上に大物カメオ出演に驚いた。これを観るだけだけでも価値あったかもねw ドラマは有って無いようなもの…かもしれないが、高校時代はナードとバカにされていたシュミットが、図らずもリア充になるところが一応メインの展開。ジェンコの愛憎渦巻く感じをチャニング・テイタムが良い感じに出していて、話を脇で支える良い助演だね。いいコンビだと思う。でもジェンコはもうこりごりなのだろう、ラストの一言に滲んだ拒否っぷりが可笑しい。 |
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(2014年制作) |
今度は大学に潜入することになったシュミットとジェンコの凸凹コンビの騒動を描いたコメディ映画。 潜入先が大学になっても麻薬捜査ということは変わらないので続編としてどう差別化していくかは難しいところだけど、「学生生活」ネタは少し控えめになって、どちらかというとメタネタとシチュエーションで笑わせに来ている感じ。"21 JUMP ST"署(元教会)が韓国人に買い戻されたので正面の"22 JUMP ST"へとか(斜向かいが"23 JUMP ST")、ディクソン(アイス・キューブ)のオフィスが「アイス・キューブみたいだ」だとか。シュミットの彼女の父親がディクソンで…のアイス・キューブの表情は可笑しいなあ。下ネタは相変わらずだが、エリックは特に扱い(状況)が不憫な気がするw 大きな流れは前作とは逆にジェンコがリア充グループに入ってシュミットがハブられている構図だが、この辺はあまり生かし切れていないというか、少し展開もネタもパワーダウンする気がする。でもメキシコへ行って大暴れするくだりは画面分割も使ってテンポ良く、割と楽しめたかな。まあそうなると大学生活も潜入もあんまり関係ないよね。 この映画で一番笑ったのはエンドロールのネタ続編映像。一発ネタを並べてこれは卑怯だわいw(“日曜学校編”のカメオは爆笑したw) しかしこういうネタをやるってことは続編をやるつもりがないのか?…と思ったら3作目「23ジャンプストリート」が決まった様子。まあコメディだしネタ予告はネタとしてリセットしてもいけるけどね。 |
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(2015年制作) |
1964年、発明コンテストに自作の飛行バックパックを持ってきた少年・フランク。彼の発明を見た少女・アテナからピンバッジをもらった少年は、見たこともない近未来的な街に誘われる。 子供の頃に空想したような未来観。そんな世界が映像として目の前に広がるのは楽しい。それは少年フランクが初めてその街で目にした驚きとの一体感かな。そういった希望の未来観の一方で、人類は滅亡する運命だという悲観的な未来観のせめぎ合いが、テーマの裏表となっていて興味深い。とはいえ、かなり力技な展開だと感じる部分も多いので、あくまで空想を楽しむ映画として、子供の時の気持ちを思い出して観ないといけないのかも。そう思うと、エッフェル塔がロケットの発射台だったり、アトラクションが未来世界への入り口だったりといった現実と地続きの部分こそこの映画の魅力なのかもしれない。AAに襲撃されたフランクの家で、いろんな仕掛けで迎撃するって部分もそういう空想力をくすぐるところだよね。 中盤のアクションが目立ってくるあたりは展開が速くて面白いと思ったものの、反面、ブラッド・バード作品にしては…全体的にはなんかユルい印象は受けたかな。個人的に一番ウケたのは、「懐かし屋」の陳列商品でやたらと「スター・ウォーズ」を推してくるところ。そりゃディズニー傘下になったけど…露骨w 悲観的な予測を自己実現しようとするという未来を、希望の想いが打ち砕くという部分はいかにもディズニーが好きそうな話。まあそれは良いのだけど、ラストに「リクルーターによって再びそういった夢を持つ人々をトゥモローランドへ…」というのは、「夢を持っていればあんな世界へ行ける、実現できる」という前向きなテーマを感じる一方で、夢も持たずに惰性で生きてる人間なんて不要とも受け取れて少し違和感が。まあ「そういった人々にも希望を」とか言い出すと…さらに綺麗事過ぎることになる気がするので、難しいところですな。 |
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全人類が子供を産むことが出来なくなった未来、人類の存亡の鍵を握る女性を巡る攻防に巻き込まれた、一人の男の姿を描いたSF作品。 ストーリーはハッキリ言ってどこかで聞いたようなお話だけど、撮り方が非常に巧い。何が巧いって、ひたすらに長回しにこだわったその演出! まずオープニングでの爆発シーン。中盤のドライブ〜カーチェイスのシーン。そして何と言っても終盤の市街戦のシーン。「どこまでカットを割らないつもりだ!」と別の意味でハラハラしてしまったw 特に市街戦は10分近くも銃撃〜逃亡〜爆発〜銃撃〜が続くわけで、とても考えられないくらい緻密な計算で撮っているに違いない。それを考えただけでもホントに脱帽ですよ。その長回しへのこだわりが、全編で一定の緊張感を保つために良い効果を発揮してるね。 ラストに子供を抱きながら建物から出るシーン、それまでの激しい戦闘が嘘のように止まり、そこに映る人達はまるで神か奇跡を見るかのような目で赤ん坊を見ている。あえて子供の生まれない極限の世界を語ることで、人間にとっての“子供”は“希望”だと、ホントに痛切に感じますわ。 |
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(2010年制作) |
'69年の「勇気ある追跡」をコーエン兄弟がリメイクした西部劇。殺された父の仇を討つため、少女はタフだが飲んだくれの連邦保安官を雇い、犯人を捜すために潜伏先の荒野へと向かう…。 基本的なプロットはオリジナルに忠実だけど、多少流れが修正されていて無理のない話運び…そしてテンポがよくなっている気がする。かなり正統派な西部劇になっているよね。コーエン兄弟らしいブラックな笑いはなく、笑いの部分と言えば口げんかの様な会話劇の部分に収まっている感じ。エンディングも変更されているけど、こちらの方がしんみりしていてるかな。でも、愛が透けて見えたオリジナルよりも、友情と尊敬の方が強く感じられるこの映画の方が個人的には好みです。 ジョン・ウェインがやった役をジェフ・ブリッジスが演じているけど、貫録のある老保安官を好演してる。脇役のマット・デイモンとジョシュ・ブローリンの使い方は贅沢だよなあw 悪党のボスを演じたバリー・ペッパーも良い化け方をしていたね。敵だけど悪人ではない悪党。オリジナルのロバート・デュバルの雰囲気にもなんとなく似てるか? しかしこの映画は何と言っても少女を演じたヘイリー・スタインフェルドが良い。多くの名優を向こうに回しても全然負けてないし、見事に気の強いしっかりした少女を演じきっているわ。この演技でアカデミー助演女優賞ノミネートも納得。 |
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(1998年制作) |
自分の人生を毎日24時間リアリティ番組として放送されていた男が、その真実に気づく物語。 冒頭で、「偽物ではない本物を描いた番組なのだ」とうそぶく男(エド・ハリス)。彼こそが番組のプロデューサーなのだけど、そこからしばらく続く主人公トゥルーマンの様子そのものが番組の映像という体で話が進んでいく。不自然なカメラワーク、フレームが見切れている映像、一部分にだけ降る雨、はたから観ているとトゥルーマンの周囲の様子には違和感がありまくるのだけど、それに対して「知らぬは“本人”ばかりなり」というのが本作のコメディ要素。そういったワザとらしい世界の様子すらも、その上を行く大仰さで受け切ってしまうトゥルーマン役のジム・キャリーはさすがだよね。 世界は偽物で自分は監視されているのだ!なんて思い込みは完全に陰謀論者のそれなんだけど、この映画はそれが本当だっていうのがタチの悪いところw しかも監視(視聴)をしているのは世界中の人であるわけで、彼らは悪意なく彼の様子を見守っているわけだ。でもそれって本当に彼のことを考えているのだろうか?ってところに皮肉があって、ラストにトゥルーマンが彼の世界から出て行って番組が終わった後、視聴者がすぐに違う番組を探す姿なんてのはほんとに痛烈だった。 トゥルーマンに関しては、運命を神(プロデューサー)に委ねるのではなく自分で切り開くのだと決意し、神と対決した物語として共感できる。一方でその姿を番組として消化している製作者や視聴者の姿には何か倫理的な恐ろしさも感じる。コメディとして仕立ててはあるものの、リアリティ番組に対する皮肉と案外深いテーマに感心してしまった。 |
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ジェームズ・キャメロン&シュワルツネッガーと言えばやはり「T2」、しかしこの作品も負けず劣らず面白い。「T2」はテーマのせいで全体に漂う週末的な雰囲気が重いが、対照的なくらい笑いに走っているのが印象的。アクションを撮らせたら一流のキャメロンは、なかなかコメディセンスもあるようですw 一番良い味を出しているのがギブ役のトム・アーノルド。ボケではなくむしろツッコミ役だけど、無茶な主人公の相棒として良い掛け合いをしてくれます。何気に、ギブが街灯の支柱の陰に隠れて銃弾から身を守るシーンは笑ったw そりゃあれで無傷なら支柱にキスもすると思うw | ||
トーク・トゥ・ミー (2022年制作) |
友人たちとのホームパーティーに参加したミア。彼女はそこで遊び半分で行われた降霊と憑依の儀式に参加する。 ウィジャボード的な降霊の道具として本作で使われるのが"腕"の置物。降霊には90秒までというルールがあり、それを超えると霊が居座り続けるという…。ユニークでわかりやすい"呪物"とルールの設定が世界観を支えていて、観客が話に入り込みやすくなってるね。その上で主人公・ミアの死んだ母親設定が話のフックになり事態を変化させていく。このあたりの作りは上手かった。 結局のところは90秒を少し超えてしまった最初の憑依が事件の発端かなという感じもするけど、如実に事態が悪化するのは友人弟ライリーが憑依される中盤から。それでも世界観から逸脱しないというか、変に過剰にならずにジワジワ主人公が疲弊していく感じなのが良いね。主人公は母親への愛を霊に利用されてる感じだったなあ。単純な脅かし系のホラーでないところが気に入りましたよ。 ラストは主人公があちら側の者になってしまうというバッドエンド。でもその描き方がセンス良いですね。 |
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シミュレーション・ウォーとしては良くできていると思う。全てが悪い方へと転がれば、この映画にあるような事も実際に起こりうるかもしれない。でも、脚本として起こりうる危機が先にあるので、そこに持っていくための流れが少しあざとく感じてしまった。しかし原爆の影響などに、疑問がないわけでもないが、政治的な駆け引きのあるストーリーは面白いと思う。ベン・アフレックとモーガン・フリーマンのコンビも非常にいい感じ。 | ||
(1990年制作) |
フィリップ・K・ディックの短編小説を原作にした、シュワルツェネッガー主演のSFアクション。 大作のはずなのに、全編に渡ってそこはかとなく漂くチープな感じがいかにもなB級感を出してますなw バーホーベン監督らしいエロ(それほどでもないが)とグロ(気圧で目玉が飛び出すとか、ミュータントとか)は良い具合に効果を発揮していると思うので、それがまたこの映画の魅力の一つになっているのかもだけど。ただ銃撃やら爆発やらの使い方は逆にチープ感に拍車をかけているような。まあ"アクション俳優"であるシュワ氏に期待するものを考えれば仕方がないか。 ストーリー的には自分のアイデンティティを追いかけるSFサスペンス。ただ、内容的にはリコール社での記憶の植え付け以降は全て主人公の夢とも取れる内容になっている。その仕掛けはSF的に面白いし、ちゃんと解釈に幅を持たせているのは良いね。 |
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(2012年制作) |
1990年にバーホーベンが映画化した同名作のリメイク版。舞台は化学戦争によって富裕地区と貧困地区に分かれた地球。 搾取する側・される側という構造は大まかなストーリーラインはそのままだけど、色々と設定がアレンジされているので何だか真っ当なSFアクションに落ち着いちゃっている。B級クサさによって別の魅力に昇華したバーホーベン版とは別物という印象。本作は主人公の夢…というオチではなさそうだ。通関時のおばちゃんとか乳房が3つの娼婦とか、オリジナルへの目配せもあるけど…これはオマケ程度かなあ。 SF的ビジュアルイメージが「マイノリティ・リポート」や「ブレードランナー」を超えていないので、そういう意味では見た目のワクワク感は少ない。やたらとレンズフレアも多用しているけど、これはJ・J・エイブラムスのマネじゃないの?w アクション部分は「ボーン」シリーズの様な迫力を出そうとしているのは分かる。エレベーターでの格闘シーンは構造的にもまあまあ面白かったかな。でも全体的にレン・ワイズマン監督の見せ方はどこかで観たようなのが多い。 ワイズマン監督と言えば、「アンダーワールド」の主役で嫁のケイト・ベッキンセール。本作でも活躍してましたねー。オリジナルのシャロン・ストーンの役どころに比べて、出番がかなり増えてたw |
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旅のはじまり (2019年制作) |
「ホビットの冒険」「指輪物語」の作者であるJ・R・R・トールキンの半生を描いたドラマ。 伝記映画かというとそんな感じはしなかった。随所に「ホビット」や「LOTR」を想起させるような要素…特に4人の親友の関係はホビットのそれと重なる部分はあるものの、作劇のそれ自体は夢を持った若者の姿を描いた青春ドラマのフォーマットそのもので、内容的な驚きは少ない。なんというか…正攻法過ぎるというか、フォーマットが先でそれに“トールキン”という要素をはめ込んだ様な気さえする。それがために「ドラマ作品」という創作物としての印象の方が強くて、トールキン本人の伝記的な印象は薄くなってしまったかなあ。 少年〜青年期の友情や恋、従軍経験は確かにトールキンの創作の世界に影響は与えただろうとは思うけれど、そういった要素を要約した結果としてありがちな展開に落ち着いてしまったのであれば勿体ない。確かにベタというのは安定感はあるし作品としてハズレもしないのかもしれないが、個人的にはこの物語を描くのにトールキンでならなければならない理由はよく分からなくなってしまった。もっとトールキンを描くことでしか語れない何かを期待してしまっていたのかもしれない。 |
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1978年に制作された「ゾンビ」のリメイク作。 リメイクとは言いながら、ショッピングモールに立て籠もる以外はほぼ別物の作品。“リ・イマジネーション”とでも言うべきですかね。なのでオリジナルとは比較するべくもないくらい変わってしまってるんだけど、単純に1本のアクション・ホラーと考えればスピード感があって結構楽しめました。まあ、ゾンビが走っちゃうんですわなw ゾンビが走ること自体に否定的な人もいるけど、俺は別にかまわないと思う。そもそもゲームの「バイオハザード」のニオイが凄く強い映画。そう思うと02年GC版で走るゾンビは出てたしね。なのでこの映画を「バイオハザード」の亜種と思えば、それはそれで結構いけるのです。 ストーリーは薄っぺらいし、主人公達の行動でよく分からない部分もある。でも勢いはあるので特に後半は楽しめたね。嫌な奴だったCJが頼れる様になっていくのは良い感じ。後味の悪い結末も嫌いではないです。 |
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(1977年制作) |
第二次世界大戦で連合国が行い、そして失敗に終わったマーケット・ガーデン作戦の顛末を描いた戦争映画。 大規模な空挺作戦、砲撃戦、市街戦など、映画の規模としてはかなり大きいものになっている。CGのない時代の映画だからもちろんすべて実写なわけだけれど、これだけの再現をして見せた気合はスゴイ。そもそも英国人モンゴメリー元帥の肝煎りで行った上に失敗したこの作戦を、英国人のリチャード・アッテンボローが描くのだから、やはり相当の思い入れはあったろうか。作品内容的にもモンゴメリー元帥やブラウニング中将への批判的な描写は多いしね。敵軍を過小評価し、有効な情報も無視し、実効性よりも"行うこと"しか頭になかったブラウニングは、陣頭を執る者としては酷い。 作品全体は作戦立案から始まり、9日間のそれぞれの場所でおこった戦闘状況を、各々の指揮官たちの目線から描いている。ただ同時進行する戦場が多いので、この作戦の推移がどういうものだったかを大まかに知っておかないと分かりにくいかも?まあ大まかには最前線のフロスト中佐(アンソニー・ホプキンス)、第二線のアーカート少将(ショーン・コネリー)、中域のバンドール中佐(マイケル・ケイン)やクック少佐(ロバート・レッドフォード)、そして後方のブラウニング中将(ダーク・ボガード)を押さえていれば流れはわかると思うけど。 それにしても再現戦闘の規模もすごいけど、キャストもオールスターで実に見応えがある。個人的には孤立無援で最前線を維持し、そして敗れたフロスト中佐を演じたホプキンスの演技がよかった。ドイツ将校との対峙のシーンとか。ただ、やはり「史上最大の作戦」と比してこの作品が劣るのは、この作戦の何もかもを描こうとして、結果的に散漫な印象になってしまったところか。 |
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(2016年制作) |
自動車事故で両腕の自由を失った天才外科医の主人公。かつての“腕”を取り戻すべく、藁にもすがる思いで向かったネパールのカトマンズで、魔術師エンシェント・ワンに出会う。 マーベル・シネマティック・ユニバースの14作目は新キャラクター・ドクター・ストレンジの誕生譚。といってもコミックでは半世紀前に登場したキャラなんだけど、不勉強なため俺はあまり知りませんでした。ヒーローの誕生物語としても挫折や動機、そして決意に至る流れなどは割と型にはまった展開だなという印象。そういう点ではさほど目新しいものはないんだけど、主演のカンバーバッチの何とも言えない雰囲気と相まってストレンジというキャラが実にいい感じ。その高慢な感じや、やさぐれたり焦ったりと頑張って修行したりと色んな目に合う姿が面白いね。個人的にはエンシェント・ワンの動機というか、彼女にとっての暗黒次元の力が云々というあたりはいまいちよく分からないところもあったんだけど、まあいいか。 魔術師としては成長過程なので、ストレンジがバトルは押され気味の場面も多いけど…それはそれとして、この映画が描くVFX満載の異次元バトルには目を見張った。「マトリックス」シリーズや「インセプション」で映像化されたイメージがさらに進化したような、空間の概念をこれだけ崩してその中で戦わせるという画面設計にゾクゾクしっぱなしw 特に冒頭と中盤のバトルが特にすごいね。なので終盤のラスボスとの対決の方が地味に感じてしまったかなあ…というのが正直なところ。(リピートでラスボスが辟易するというくだり自体は面白かったけど。) ところで意志を持つかのような動きをする浮遊マントが面白いね。なつき方は犬みたいなとこもあるしw |
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マルチバース・オブ・マッドネス (2022年制作) |
スパイダーマンのマルチバース事件から5ヶ月後、ドクター・ストレンジは悪夢の中で行動をともにしていた少女と現実世界で出会う。 MCUの28作目、「ドクター・ストレンジ」の1作目の時はMCU14作目だったのに思えば遠くへ来たものだとしみじみ。まあ「ドクター・ストレンジ」としては2作目だけど、ストレンジ自体が出てくるのはこれで6作目なのでなんかずっと目にしている気もする。それはさておき、本作はマルチバースの可能性を背景にしながら他の宇宙と接続したことで訪れる危機が描かれるのだけど、敵となるワンダの動機は配信ドラマの「ワンダビジョン」を観ておかないと話がつながらない。個人的には映画シリーズは映画だけでつなげてほしい気もするものの、「ワンダビジョン」からの流れがあるからこそワンダのこだわりに説得力があるのも事実。というか、ストレンジが主役ではあるけど内容的にはワンダの結末の物語でもあって、そういう意味ではどちらも主役だと思う。ある意味で合わせ鏡の構造として、"別の宇宙では幸せである可能性"を彼と彼女がどういう意識で捉えるのか、どう追い求めるのか、そういう部分での対決としてテーマをまとめているからね。 ワンダ(スカーレット・ウィッチ)はどうにもならないくらいに強すぎるけど、マルチバースであることを良いことにストレンジ以外も様々なヒーローが彼女と戦うことになる展開が面白い。しかもなかなか驚かせてくれるキャラクターが出してくるではないですか。キャプテン・カーターは「ホワット・イフ...?」にも出ていたので分からなくはないけど、プロフェッサーXにはもうビックリですよ。ディズニーが20世紀FOXを買収したことで「ファンタスティック・フォー」と「X-メン」もMCUに合流できる可能は理解していたけど、ここで出してくるとは思ってなかった。しかもちゃんとパトリック・スチュワートに演じさせるってところがニクいなあ。まあそれですらスカーレット・ウィッチに対しては噛ませ犬にしかならんというのが恐ろしいところですが。 本作の監督はサム・ライミ。ホラー出身の監督ということだけあってダークなトーンもお手の物。“死霊なストレンジ”にはニヤニヤしてしまうけど、それ以上にライミ作品らしくて笑ったのは盟友ブルース・キャンベルの使い方だなあ。最後の最後に全部持っていきやがったw |
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(2019年制作) |
スティーヴン・キングの同名小説を原作に、「シャイニング」の40年後の物語を描く。 原作とは違った内容になったことで作者のキングから嫌われたスタンリー・キューブリックの映画版「シャイニング」だけど、本作はその続編でありながら、一方で映画版とは関係なく書かれた続編小説が原作になっている。映像化にあたってはキューブリック版を無視するわけにはいかないのは道理だけれど、積極的にオマージュとして多くの要素を取り込んでいるあたりは素直に楽しかった。というか監督はキューブリック版への敬意を隠していないよなw もちろんキング小説への敬意もあるわけで、そこのバランスがとても良いと思った点です。 「シャイニング」の続編としては、映画の「シャイニング」よりもよっぽど主題として“シャイニング(超能力)”が存在感を発揮しているのはちょっぴり皮肉も感じる。ジャンルとしてはホラーだった前作に比べると、本作はホラーテイストがありつつも内容的には超能力バトルものに近い印象で、怖さ云々よりは敵対する能力者たちとの攻守の入れ替わる展開を楽しんだ要素の方が大きいかな。 「シャイニング」という39年前の名作への敬意が、ある意味でノスタルジーさえも呼び起こす面白さのある作品だったと思います。 |
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(2020年制作) |
ヒュー・ロフティングの児童文学を原作にしたファンタジー映画。動物と会話ができる医師の冒険を描く。 原作の児童文学作品は名前こそ知っているものの読んだことはないし、20年前にエディ・マーフィが主演した翻案作品も未見。まあ子供向けで分かりやすいだろうし、それらと比較する必要もないだろうと思って観てみると…想定以上にお子様向けだった。「動物とおしゃべりできる」という子供心にワクワクできる要素はあれど、それ以上のものはなかった。土台となるべきストーリーの局面局面が断片的に感じられて、筋立てが荒い気がしてしまうのが一番の難点かなあ。テンポ重視なんだろうけど、移動とか侵入とかのカットの間が飛んでる様に見えちゃうのも気になるし。動物がしゃべる“リアルなVFX”が氾濫している今では、どんなにビジュアル的にうまく出来ていても話をちゃんと組み立てないとやっぱり「安っぽい」という印象の方が勝ってしまうなあ。動物たちのユーモアやジョークが幼児向けなのは仕方がないにしても、自分には彼らの騒々しさのほうが目についてしまった。 主演で製作総指揮にも名前のあるロバート・ダウニーJrは子供心に楽しめる作品を志向していた様で、それはすっかり毒気の抜けた演技からも見て取れる。軽妙か息抜きかは感じ方次第か。動物の声をあてているメンツが非常に豪華なのはさすがだけど、それならもうちょっとこう…深みのある話も期待したいところだったかも。海賊役のアントニオ・バンデラスは見た目の濃い印象が活かせていて何よりだった。 |
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(2009年制作) |
鏡の中では入った当人の願望が具現化するというパルナサス博士の幻想館。その博士と悪魔の取引にまつわる物語。 全編テリー・ギリアム監督らしいビジュアルが目を引く。“鏡の中”という何でもありの世界の設定を持ったことで、ギリアムの想像力に羽が生えた様。ファンタジックだけどもどこか異様な世界は、クセのあるギリアム作品の雰囲気が分かってる人には楽しいんじゃないかな。 パルナサス博士と悪魔の関係は敵味方と言うには微妙な間柄で、結局お互いの“獲得”ってのがどういう違いなのかよく分からなかったりするけど、鏡の中での選択に関しては博士と悪魔が対象に誘惑を仕掛けている様にも見える。であればやっぱり2人の掌で踊らされている人々を描いているだけか?“娘を救いたい”という博士の想い以外は、2人がいったい何をしたいのかよく分からなかったりもする。 話のキーマンであるトニーを演じるのは撮影途中で急逝したヒース・レジャー。ヒースで現実部分の撮影は終わっていたので、鏡の中は代役のジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人がトニーを演じている。最初そういう構成にしたと聞いた時はツギハギ感が出るんじゃないかと心配したけど、これがこのストーリーでは全く違和感がない。むしろそうなったことで、より不思議な世界観が出たかも。転んでもタダでは起きないギリアム監督の執念と、ヒース・レジャーの友人3人の想いが形となった作品、とも言えるか。ラストに出る"A Film from Heath Ledger & Friends"という一文が泣かせます。 |
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暴力とセックスに明け暮れていた不良のアレックス。ある日投獄され、彼は暴力に嫌悪感を感じる心理操作の実験台に立候補する。 善悪の曖昧な世界。犯罪を無くす為に行う手段が必ずしも正しくないこと。加害者が法治の象徴に就き、被害者が加害者に復讐する。施政者は犯罪者を利用する。善悪の彼岸はかくも…。 劇中、暴力や性衝動に走れないよう洗脳された主人公の姿を見た牧師が、「誠意の欠片もない、道徳的選択の能力を奪われた生き物に過ぎない」と説く。人間が仮に性悪説に基づく生き物だったとしても、その悪意は思考停止的に管理・抑止されるモノじゃないはず。もっと倫理観や道徳観を持って判断することが大切なはずだと思う。凄く皮肉なストーリーだよなあ。 しかしこの映画、今観ても画面設計が凄い。どこか現実離れした雰囲気が全編に渡って伝わってくる。セットの作りとかも関係してるんだろうけど、この独特な空間は、またこの映画の雰囲気に合うよね。 |
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(2003年制作) |
人口23人というアメリカの田舎町ドッグヴィル。この町にグレースと名乗る美しい女性が現れる。 小さいコミュニティの中にワケありの美人がやってきたことによって事態が変化していくわけだけど、ことさら人間の醜い部分ばかりが描かれていく後半は「この監督、絶対に人間を信じてねーよ!」と思わせるほどだった。田舎の閉鎖性という部分を話に利用してはいるけど、もっと根本的に人が…醜い。 演出はかなり特殊。なんといっても舞台セットが"家と道路の境目を白線で引いただけ"で、俳優たちは見えないドアを開け閉めしたりと、記号化された背景の究極系になってる。舞台ならばこういう演出はあるが、劇映画ではまず目にしない。それでもロングショットで手前と壁の向こうの様子を同じ画に入れたり、意図的に見せる同時性がドッグヴィルという町の空気感を如実に伝えてくるし、ここまで効果があるかとは感心した。こんなセットでやってしまうのは演出に自信があるからなのだろうけど、確かに3時間という長尺の作品を飽きさせずに観せてはくれる。でも話がどうも息苦しいので、この映画を2回観たいかと聞かれれば考えてしまうなあw 同じくトリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」よりは評価するんだけどね。 |
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米国在住の日系二世の監督が、叔父が元特攻隊員であったことを知り、“特攻”とは何だったのかという疑問を生存者のインタビューなどを通じて取材したドキュメンタリー。 極めて真っ当な構成の作品で、(分かりやすいドキュメンタリーという点で)まるでNHKスペシャルを見ているかような印象も受ける。開戦から特攻隊設立に至るエピソードに時間をかなり割いている点を見ると、このことにあまり詳しくない米国人向けに作っているのだろう。なので日本人的にはちょっと物足りない感じもするし、途中で流れる錦絵的なアニメにも違和感があったかな。 インタビュー内容も当事者達の本音を聞かせてくれるので興味深い。“外道の戦法”と言われた特攻を取らざるを得なかった日本。そしてそれを常態化させてしまった愚。自分だけは生き残りたいなどと、とても言えない空気感に追いつめられた世界というのは、今の日本にあってはもう想像も難しい…。でもそんな時代があったんだよね。 日本は追いつめられてそのような愚を犯したけど、その攻撃に晒されていた米国の退役兵が、逆に「米兵にも(カミカゼのようなやつは)いただろう。日本やドイツに追いつめられれば米兵だってやるさ。」と語るのが印象に残った。そう思うと、原題の“敗者の翼”とは内容を良く表しているタイトルだと思う。 |
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THE MOVIE (2010年制作) |
1980年代に制作された米国アクションドラマの劇場版。米ドル紙幣の原版をめぐる陰謀に巻き込まれた超個性的な4人の精鋭部隊“Aチーム”の反撃を描く。 元のドラマは日本では俺が幼稚園から小学校低学年の時に放送していたので、見ていた気はするけどさすがにほとんど憶えていない。というわけでオリジナルと比較することはあまり出来なかったけど、思ったより楽しめはしました。罠にハマって脱出して反撃するという展開自体はさほど目新しくないとはいえ、それぞれのキャラクターの面白さが生きていたのは良かったかな。 アクションはCGを多用して結構派手な見せ方をしてます。爆発シーンもかなりあるしそれだけでお祭りっぽい映画だけど、この映画ではやはり空飛ぶ戦車のシーンが最も盛り上がった気がする。戦車がリーパー(無人攻撃機)と空中戦をするなんてメチャクチャw あとはビルの上からラベリングして人さらいと原版奪取をするシーン。あの落下の見せ方はなかなか良かった。だけどその盛り上がった中盤と比較すると終盤が少し物足りないのが勿体ない。 |
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(1982年制作) |
演技にこだわりがあるが故に売れない役者のマイケル・ドーシー(ダスティン・ホフマン)。彼は友人が無碍もなく落とされた昼メロのオーディションに、女装して“女優”として出演することにする。 金がないので仕方なく女優に変装し、親友以外にバレてはならないという、日本なら三谷幸喜がやりそうなシチュエーションコメディ。性差を描いている面もあるけど、ウーマンリヴも落ち着いた頃の作品ということもあるのか、殊更に男女差別問題を描くでもなく普通にエンタメ作品として面白い。どちらかというとホームコメディのような趣も感じるけど、どのジョークもニヤリとするのが良いですわ。終盤の「ジェフは承知か」というちょっとセリフとかセンスあるよなあw 「石けんが目に入った!」は下らない言い訳で笑ったw 女装演技を見せるダスティン・ホフマンはお見事。自分の作り上げたドロシー・マイケルズという"女性を演じる役者"を演じるという、まあユニークな役。これがバレないのはコメディ世界の部分もあるだろうけど、楽しかった。監督のシドニー・ポラック自身はエージェント役で出演してるんですな、これもまた達者な演技…というかこの人は元々役者か。 |
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(1986年制作) |
天才肌だが無鉄砲な戦闘機パイロットの“マーヴェリック”ことピート・ミッチェル。インド洋で国籍不明のミグを撃退した彼は、同僚とともにエースのみが入れるエリート航空戦訓練学校“トップガン”に入校する。 冒頭からF-14がかっこいい!本作で登場する空戦シーンでは撃墜と背面接近を除いて本物を使っていることもあるけど、ロングやコクピット目線での撮影カットをテンポよく繋いだ編集の効果で、CGがない時代の限定的な表現でも観客に高機動空中戦の迫力を体感させるに十分な映像を楽しませてもらいました。 ストーリー的には一人の若者の成長と恋と戦いを描いたアクション映画だけど、若かりしトム・クルーズはその“天才肌の主人公”というキャラクターにハマっているのは間違いない。まあ、一度挫折を味わってから復活して最終的にはライバルにも認められる間柄になるという展開は、捻りもないしベタすぎるとは思うけど。でもこの手のアクション映画でそこまで奇をてらう必要もないし、1980年代の“分かりやすい映画”としてある意味で素直に作られている作品だとは思う。結局何を見せたいかと言ったら、トム・クルーズとF-14のかっこよさ、それだもんね。 本作はトム・クルーズの他にヴァル・キルマーやメグ・ライアンなど後の映画でよく見る人たちも出ているのが目を引く。でも個人的には主人公の相棒・グース役のアンソニー・エドワーズが特に…。自分の中ではアンソニー・エドワーズと言えば「ER」のグリーン先生役のイメージなので、グリーン先生も若いときは頭フサフサだったんだなあって。 |
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マーヴェリック (2022年制作) |
36年ぶりの続編。昇進を拒み、テストパイロットを努めていた“マーヴェリック”ことピート・ミッチェル大佐だったが、かつての戦友“アイスマン”ことカザンスキー海軍大将の意向により、ある危険な任務に参加するパイロットたちの訓練教官の任につく。 2018年頃に本作が作られるという報道を聞いた時は「また古い映画を引っ張り出してきて…。いまさら『トップガン』かよ、ハリウッドもネタ切れだなあ」と思ったものですが、俺の認識が全面的に間違っておりました。申し訳ございません。これぞ完璧な続編。そして「ターミーネーター2」にも比肩する様な歴史に名を刻む"続編"の傑作だと確信しました。 1作目の「グースの死」をテーマとして真正面から取り入れることで主人公・マーヴェリックの人間性を直接えぐっていく様な本作の構成は、36年という時間の重みすらも感じさせる見事なドラマに仕上がってました。単に空戦のカッコ良さを描いているだけだったら、鑑賞後にこれほどシビれることはなかったのは間違いない。トム・クルーズが演じるマーヴェリックがいて、彼がそのトラウマとジレンマを乗り越えるからこそ胸が熱くなる。そしてロートルとも言える人物が活躍する物語に説得力を与えた脚本に拍手。かつて「トップガン」がヒットして数多くの空戦モノが作られたけれど、それを蹴散らしたのが36年後の続編だったという事実にもう…胸がいっぱいです。終盤、「おい『エネミー・ライン』をやる気かよ」と思った瞬間もあったけど、そんなことすら忘れさせるその後のファンサービス満点の展開には涙しました。 しかしトム・クルーズの存在感と説得力はなんなんだろうか。現代において“自らスタントをこなす”ということにこれだけ価値を生み出している俳優を俺は知らない。本作で言えば、中盤に「ミッションのタイムリミットは2分15秒だ」とした困難な訓練設定が“クリア可能”であることをマーヴェリック自らが示した場面で、トム・クルーズ自身がコックピットでGに耐えながら飛んでいる映像の真実性に衝撃を受けてしまった。このナマの感じはVFXや演技じゃ伝わらないだろうし、実際にGに耐えているからこその説得力だ。今までも「M:I」シリーズで散々体を張っているし彼自身が好んでそれをやっていることも知っているけれど、改めて「ここまで自分で行い、そこに映像としての価値を生み出すスターが今後出てくるのだろうか」と考えさせられた。つくづくトム・クルーズは不世出のスターだと思い知らされた感じです。 |
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(1935年制作) |
滞在先のロンドンで宿泊客のトレモント嬢(ジンジャー・ロジャース)に一目ぼれしたブロードウェイダンサーのトラバース(フレッド・アステア)。一時は良い仲になりかけるが、トレモント嬢がトラバースの事を「実は友人の夫だった」と勘違いしてしまう。 フレッド・アステアの見事なダンスが堪能できるミュージカル映画。彼のタップダンスはまさに芸術だね。役者も共通しているし前年の「コンチネンタル」と似た雰囲気もあるけど、小粋なラブコメディなストーリーはこちらの方が好み。すれ違いっぷりがなかなか面白いよ。特に勘違いに巻き込まれるハードウィック氏と、サバサバしたハードウィック夫人の振る舞いがシチュエーションコメディとして今でも通用する可笑しさを提供してくれます。恋敵のベディーニ役のエリック・ローズは今作でも絵に描いたような三枚目w アステアとロジャースの息の合ったダンスはどれも素晴らしいが、個人的には特に"Cheek to Cheek"のダンスと歌が良かったなあ。主人公が心情を歌い上げながら魅せるダンスには、恥ずかしながらちょっとキュンとしてしまった。 基本的にホテルの中でのホールやロビー、部屋との行き来によって進む話だけど、後半は舞台全体がロンドンからベニスに移る。そのベニスの風景が、運河に見立てた水路にゴンドラが行き来しているだけの見るからに屋内セットなのは…すごく割り切ってる感じ。でもそういう作られた空間を見ることでステージの匂いを感じるからなのか、逆に「ミュージカル映画だなあ」と安心してしまうのが不思議だね。 |
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“生きているのか?死んでいるのか?”というキャッチコピーが付いているが、まさにその通り。しかしそこは核心ではない気がする。「気がする」というのも、ひとえに如何様な取り方も出来そうな演出のせい。典型的なループムービーでありながら、その実表現しているのはある若者の心の闇。その若者は一見まともではないが言っていることは当を得ている。行動自体に問題があるとしてもだ。その行動原理として現れる“フランク”と呼ばれる銀色のウサギ。彼が現れることの意味は?そこにはSFであり、スリラーであり、青春である不可思議な世界が広がっている。まさに「してやられた」という感じ。 | ||
(2005年版) |
実在した女賞金稼ぎ、ドミノ・ハーヴェイの人生を大胆に脚色して描いた作品。 ドミノ自身や登場キャラクターは実在はしているものの、劇中で描かれている事件は創作された物のようですな。だからというか、ただの伝記物よりは映画として面白く観られる物になってる。軸になる事件と、序盤にまき散らした人物達との相関が、ストーリーが進むにつれて次第に見えてくる様は良くできてる。この手の群像物の醍醐味かな。 ただそういった面白さを味わうには、出てきた人物相関を頭の中で組み立てる必要がある。「メメント」ほどではないけど結構体力を使ったかも?でも観終わった感じでは、「分かりやすい話」だった気はするけどね。 個人的に残念なのは、俺が「ビバリーヒルズ高校白書」を見ていなかったこと。このドラマを見てさえいれば、もっとこの映画は面白く観られたろうなあ…。まだまだ勉強不足ですわ。 |
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(2023年版) |
娘を誘拐された刑事のダニー。銀行襲撃事件の中心人物に肉薄するも、その男・デルレーンは強力な"ヒプノティック"の能力者だった。 正直言うと、予告で使われた「冒頭5秒で騙される」というキャッチコピーが余計だったね。身構えてしまうと面白くない部類だと思う。 原題は"Hypnotic"で一義的には「催眠」といったところだろうか。内容もその通りで、強力な催眠術を使う男を追ったり追われたりするし、そもそも話の大半が催眠状態の主人公が見た幻影という構造になっている。観客が映画の前半に観せられていた様子が「全て仕組まれたものだった」という正攻法のどんでん返しになっていて悪くないのだけど、「そんなことをする理由」の根拠が今ひとつ真に迫らないのが惜しいところかな。「娘の居場所を知りたい機関が仕組んだ催眠」だとしても、何故こんな回りくどい催眠の内容にするのかというところにもう少し説得力がほしい。記憶を消しての催眠なのだから、もっと「直接娘の場所に向かわせる」様な方法もあったんじゃないの? …と観ている側に思わせてしまったらダメだな。劇中で「これが12回目だ」とも言っていたけど、直接的な催眠内容では結果が得られなかったのだという描写があっても良かった気はする。 主演はベン・アフレックで、敵役がウィリアム・フィクナー。監督がロバート・ロドリゲスということもあってちょっと期待してしまった部分もあるのだけど、結局はその期待を上回ることはなかった。話の仕掛け自体もにどこかで観たような要素(特に「インセプション」や「攻殻機動隊」を連想する)も多いし、全編に渡るそこはかとないB級感を漂わせたまま話も終わってしまった、そんな感じ。 |
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(2011年制作) |
寡黙な自動車修理工と同じアパートに住む人妻との恋。そして状況から組織に追い詰められていく姿を描いたバイオレンス・ドラマ。 主演はライン・ゴズリング。無表情で口数も少ないが、時折見せる笑顔から何となく人が見える。彼の出自も何もよく分からないものの、運転技術が優れていることだけは確か。この辺の表現を明確な"説明"ではなく、丁寧に映像で見せる演出が上手い。ゴズリングとキャリー・マリガンのプラトニックな感じの表現も良いね。終盤までは極めて静かなんだけど、力のこもった映像は小規模作品特有のめっけもの的な感じで、観ていてすごく引き込まれます。 前半の静けさとは裏腹に、後半の銃撃シーンや刺殺・踏殺シーンは結構残虐で、この辺の振り切り方はちょっと驚いた。カーチェイスシーンは短めだけど印象に残るダイナミックさもあるし、やはり見せ方に魅力のある作品だなあ。低予算でもそういう気概のある演出なので、パールマンの様な渋いオッサンたちも映えるよねw |
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ユダヤ人の老婦人と、彼女の運転手となった黒人の老人との交流を描いたドラマ。 絵に描いたように頭の固い老婦人が、いかにも南部の黒人といった感じの運転手と、次第に打ち解けあっていく様子が微笑ましい。墓地での「字が読めない〜」のくだりや終盤の二人の関係には、何とも言えない人の温かさがあって感動するね。 そもそも舞台となった人種偏見の残る50年代〜60年代の米国南部で、主従を超えてこのような関係を見せてくれるところが良いと思う。でも主人である老婦人も、一方ではユダヤ人であるという事の偏見(警官のシーン)が描写されているわけで、そんな現実の中でこういった友情が生まれることの希望が、一種のファンタジーのようにも思えてしまった。でも、そうであってもこのような人のつながりの希望は持っていたいと思いますわ。 |
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それまでの古典ホラーからの派生とは違う、ブラム・ストーカーの原作に基づいたドラキュラ映画。 ゲイリー・オールドマン演じるドラキュラ伯爵は見事。アンソニー・ホプキンスのヘルシング教授も雰囲気バッチリ。だけどストーリーがちょっと受け付けない。ミナ・ハーカーの態度がどうにも俺には合わないのだ。確かにドラキュラとミナの間には時間を超えた運命のようなものがあるから、どうしても惹かれてしまうというのはあるのかもしれないけど…。どうも観ている限りはハッキリしない移り気な女に見えてしまう。それがこの映画が微妙に薄っぺらく感じてしまう原因か? 演出も、話の流れが一瞬飛ばされたように感じてしまう場面もあって、少々あれ?と思うこともあった。まあ、これはコッポラ監督の演出の一つだとは思うんだけどね。若き日のキアヌ・リーブスは色んな意味で若い。でもあんまり変わってない気もするw ちょい役でモニカ・ベルッチも出てるんですな。今思えば凄い豪華なキャスティングの映画。 |
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(2011年制作) |
小説原作のスウェーデン映画「ミレニアム」シリーズ第1作の、ハリウッド・リメイク版。 "連続殺人の謎"とデヴィッド・フィンチャー監督の組み合わせはやはりハマってました。舞台を原作のスウェーデンのままにしたことで、きちんとオリジナルの雰囲気が残っているし、それでいてちゃんと「セブン」や「ゾディアック」を思い起こさせる"フィンチャーの映画"になっている。映像センスというか編集センスというか、そういうテンポの良さか。エログロとまでは行かないけど、ショッキングなシーンの見せ方も上手いですね。OPでは「移民の歌」のカバーに乗せてリスベットの悪夢のイメージ映像が…。これがまた強烈でカッコイイ。 ストーリーはほぼそのまま。元々から導入部・本編ミステリー・エピローグの3段構えの話だが、個人的には導入部+エピローグと本編が微妙に分断されているような印象があって、それがこのリメイク版でもそのままなんだよね。まあ導入部はミカエルが本編に携わる切っ掛けとしては必要だけど、エピローグの口座の移し替えについてはやっぱり少しだけ蛇足な気もする。まあオリジナルを尊重しているのだろうけど。とは言えミステリー物のバディ・ムービーとしては見応えはある。こちらの方が少し恋愛感が強い? 役者は達者な人たちで見応え十分。ミカエルがダニエル・クレイグというのは二枚目過ぎる気もするがw リスベット役のルーニー・マーラはスウェーデン版のノオミ・ラパスに比べて線は細いものの、繊細さが見え隠れするキャラ作りで良い感じ。解体場での犯人との対峙は、結末を知っていてもなんかハラハラしたw |
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EVOLUTION (2009年制作) |
鳥山明原作の「ドラゴンボール」のハリウッド実写化作品。復活したピッコロを倒すべく、高校生の悟空が仲間と共にドラゴンボールを集める旅に出る。 一言で言うならば、金のかかった学芸会です。それ以上ではない。 原作のイメージをそのまま実写に当てはめることは大変だというのは俺も理解できる。だから悟空を高校生にして、ピッコロを単純な侵略者にして、亀仙人を導き手にしたのだろう。そういう意味では、ステレオタイプとはいえマトモなアクション映画になる要素を持っている。 だけどこの映画の問題は、原作とかけ離れている事よりも根本的に説明描写が足りないところにあると思うんだよね。あまりに表面的に、そして唐突に話が進むので感情移入できず、誰が死のうが、正体が何だろうが、エンディングでピッコロ生き残っていようが「フーン、それで?」という具合にしか思えない。それって観客に見せる物語としては致命的では? じゃあアクションが凄いかと言えば、一昔前のワイヤーアクション然としたフワフワな動きに、力を感じない気功波の描写が難点。美術の全体的なチープさも相まって良いところを見いだすのが難しいのですw 原作と違うということを許容したとしても、難点の多すぎる映画ですね。 |
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真珠湾攻撃を日米双方の視点で描いた戦争大作。 これほど理性的にまとめた戦争映画はまれじゃないかなあ?普通はどちらかの視点に寄ったドラマ的な描き方をするけど、まるでドキュメンタリーのように“米国ではこんな動きが”、“その時、日本側ではこんな動きが”と描いていく。米軍がハワイでの情報伝達の不備から奇襲を察知出来なかったこと、日本が最後通牒の翻訳に手間取り奇襲後に宣戦布告してしまったこと等、お互いの不備も描き、史実に沿った脚本が実に素晴らしい。もちろん脚色もあるけど、資料的価値も高いと思う。真珠湾攻撃のシーンも圧巻。零戦やその他の艦爆の形が違うところは残念だけど、本物の戦闘機群による空襲シーンや格闘戦はCGには無い迫力がある。 個人的にはコーデル・ハルの落胆と、それを見る野村大使の複雑な表情が印象に残ってます。あの宣戦布告の55分の差が、この映画で山本長官が言うように「眠れる巨人を起こした」のだと思うと、後の歴史を考えたときに実に複雑な気持ちになります。 |
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こういう群像劇を見るのは「マグノリア」以来。淡々とストーリーは進んでいくけど、個人個人の話はしっかりしていてよかった。演出部分では、舞台によって映像の感じを変えている所が、雰囲気を出していて感心した。メキシコは火星にいるみたいだったけど。最後の野球観戦をしているベネチオ・デル・トロの顔が印象的。 | ||
(2014年制作) |
NFLのドラフト会議の一日を舞台に、主人公であるGMの運命をかけた駆け引きを描いたドラマ。 NFLには全く詳しくないけど、他チームとの指名権やトレードを賭けたクライマックスのやり取りは見応えはあった。基本知識としてNFLドラフト会議のルールを知っておく必要はあるけれど、劇場では上映前に簡単な説明があったので、ドラフト会議のキモの部分が分かればクライマックスもついていけるかな。ただ、指名権という目に見えないモノのやり取りがドラマの主軸だし、1位指名選手の価値についてもミステリーではないのでなんかアッサリした印象。正直、ドラフトで誰を選ぶか、または選ばれるべきかという部分については、ストーリー上選択肢が出てこないので先が読めるというか…予定調和でしかない。そういう面では手に汗握ることもないのが少し残念かな。 こちらとしてはプロの仕事を観たいという気持ちがあるものの、交渉だけで終始するとドラマにならないのか、GMの家庭事情が度々差し込まれるのが…どうなんだろう。確かに意味ありげだったメモの使い方は良いと思ったし、散骨のくだりは笑ったが。ドラフトに集中させてやれよ!と思わなくもないw エンドクレジットには本人役での出演者が多数出てきていたので、きっとNFLに詳しい人が観れば細かいところにネタがあって面白く観れたのかもしれない。 |
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(1978年制作) |
道場師範の不良息子が、様々なトラブルの果てに酔拳使いの老師に弟子入りするカンフー映画。 ジャッキー・チェンが日本で最初に注目されたという作品ですが、なるほど数々繰り広げられる“踊るかの様なカンフー”の立ち回りは目を見張るものがあるね。でもそれは力と力がぶつかっている様に見えているわけではなく、あくまでカンフーという手続きの面白さを見せる格闘シーンであって、京劇にも通じるところなのかなあとも思った。だから打撃のシーンも痛そうに見えないし、リアリティはあんまり感じない。あくまで組み手の速度や動きの多彩さの面白さだね。 そういったアクションシーンは楽しめたけど、ストーリーはあって無い様な感じ。序盤に登場する叔母さんや従姉妹も別に伏線というわけでも無し、師匠も別れの手紙を書いて姿を消したかと思いきや、最後の戦いでは向こうから見に来るし、いい加減だよなあw そういうおおらかさはある種の魅力かもしれないけど、100分以上も修行か対戦の映像ばかりでは少々観る側に辛いものがあるのも事実です。 |
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(2013年制作) |
オークションの会場から絵画の強奪するも、主人公の記憶喪失によって分からなくなった隠し場所を探すため、ギャングたちは催眠療法士によって記憶の呼び起こしを計画するが…。 絵画を守る主人公が実はギャングの一味だったり、洞察力のある催眠療法師と思わせて…と序盤の展開でミスディレクションを駆使していて、テンポ良く進む話にしても、ダニー・ボイル監督の手際はさすがという感じ。一気に収束していく終盤や、ちょっとした恋(?)にシフトしていくエンディングも小気味良いけど。しかし記憶の迷路を描く話としては、つまらなくはないけど飛び抜けてすごいと思う様などんでん返しでもなく、ちょっと驚きは少なかったかな。 まあ記憶と現実の境を描いた作品は他にも色々あるわけだし、あえてそのテーマで似たことをしても仕方がないか。そう考えれば、"誰が主導権を持っているのか"ということについてのサスペンスなのかなと。二転三転する進行は映画向きの話だし、全体にまとまったいるのだから良い小品だとは思う。「インセプション」の様な大仰な頭の中を描くわけではなく、画の見せ方だけでやってしまうのはボイル監督のセンスなので、そういう部分は嫌いではないです。 |
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(2007年制作) |
20年前に一世を風靡した日米合作ロボットアニメの実写映画化作品。 さすがはマイケル・ベイ。どこまでも痛快でド派手なアクションで魅せてくれます。基本的にカメラ目線は低く、煽りで撮っているのでトランスフォーマー達の巨大さは迫力十分。特にバトルシーンは、正直なところ訳が分からないくらい人間達の目線が続く。その俯瞰でない視線が、このロボットアニメを実写化した時の真実味への一助になっているんだろう。でも一番効果的なのはトランスフォーマーの質感であるわけだけどね。 VFXはILMとデジタルドメインという特撮の二大巨頭が担当していて、まあ、「さすが!」といった映像を見せてくれます。実写背景とCGIの融合度は凄すぎる。もうここまでされると、質感の上ではまるでウソっぽさが無いんだよなあ…。 ストーリーはハッキリ言ってチープなので、映像を観るだけの作品になりがちか。でもオリジナルに対するオマージュや多作品のパロディ、アメリカンジョークも多く、それはそれで面白い。何も考えずに観られる夏場の娯楽大作としては、最高の部類であるのは間違いない…か?w ラスト、スタースクリームだけ宇宙に行っちゃいましたが、これは間違いなく続編への布石だねえ。続編が楽しみです。 |
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リベンジ (2009年制作) |
変形ロボットアニメの実写化シリーズ第2弾。メガトロンの師、ザ・フォーレンがプライムへのリベンジを仕掛けてくる。 前作の感想をそのまま流用しようかと思うほど同じ興奮を堪能させてくれました。まあハッキリ言うと、ストーリーはチープ。地理観も変な感じだし、米軍は他国で大暴れだし、頭の悪い感じが全開ですが、そいうところも良い意味でマイケル・ベイの映画らしいところかw それにしても相変わらずとんでもない迫力のアクションシーンを堪能させてくれる監督だね。 序盤は妙に下ネタが多く、完全に米国のティーンを意識したが故の演出なんだろうが、少々しつこい印象。流れを止めている感じのする場面もあり、そういうウケ狙いのシーンはカットした方が良かったのではないかとも思う。元々150分もある映画なんだし。でも、それでも全体的には無理のある場面転換が多く、尺を短くするために整合性よりテンポ重視で切った苦労の後が見受けられた。だからその上でも残っている下ネタやギャグシーンは、監督自身のお気に入りってことなんだろう…。うーむw そういう難はあるものの、この映画は映像面のクオリティがそれを差し引いても余るほど圧倒的。森の中での巨大ロボ同士の戦いなんて、かなり凄い出来映えですわ。そして前作にも増して物量で攻めてくるメカ密度には…もうお腹いっぱいです。これだけでも観る価値はあるかもね。ただ様々なトランスフォーマーが登場した分、数が多すぎて影の薄いキャラが増えてしまったのは残念か。 |
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ダークサイド・ムーン (2011年制作) |
変形ロボットアニメの実写化シリーズ第3弾。50年前、月の裏側に不時着したサイバトロンの宇宙船。その積荷を巡り、オートボットとディセプティコンの最後の戦いが始まる。 アポロ計画に絡めて展開される冒頭部は確かに引き込まれた。史実をフィクションに織り込んで話を膨らませるとは、これぞSF! バズ・オルドリン本人まで出演させるとはビックリですよw でもその後が続かない。きわめて重要なアイテムが発見され、それを巡って争うというだけの代わり映えのしないストーリーは、さすがにシリーズ3回目ともなると捻りがなさ過ぎて少し厳しい。 しかし映像の迫力だけは素晴らしいんだよね。3Dを駆使したVFXはちゃんと考えられた構図で作られているし、トランスフォーマー達の実写上の質感はもはや完成されたクォリティに達していた。これだけでも観る価値はあるのだけど…、如何せん話が空っぽなのと、その割に長尺(2時間半)なのが辛い。 少なくとも序盤のサムの就職云々の話と、後半の一大決戦のシーンはもっと詰められると思う。「娯楽映画は2時間」と昔こだわっていたスピルバーグ(製作総指揮)とは違い、監督のマイケル・ベイは「とにかく見せたい」というサービス精神が強すぎるのだろう。展開にはメリハリは重要だと思うし、どんなにスゴイVFXやアクションでも、終盤に途切れなくそれが続いたのでは観る方も麻痺してしまうと思うのです。 あと、決着がついても問答無用で相手を叩き壊していくオプティマスの振る舞いは、いささか粗暴に思えたかな…。こういう腕力にモノを言わせるのはマイケル・ベイの趣味なんだろうけど、できればオプティマスには自重してもらいたい。 |
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ロストエイジ (2014年制作) |
変形ロボットアニメの実写化シリーズ第4弾。オートボット達が人類を救ったシカゴの戦いから3年。しかし今や彼らオートボット達は人類から追われる身となっていた。 派手、とにかく派手に爆発する。その爆発の中をオートボットが走っているかカーチェイスしているかの違いはあれど、全編ほぼその戦いを眺めて終わるというアトラクションムービー。展開は見せ場を繋ぐためのストーリーの様なものが用意されてはいるものの、それが主軸ではないからあんまり頭に入ってこない。マイケル・ベイの映画だと分かっているから耐えもするけど、本作は中国資本のせいで特に脈略のない場面も多くて…うーん。エレベーターのボクサーとか、屋上の牛乳とか、普通はカットでしょ。 前作も長い映画だったけど、本作はさらに延びて165分。…さすがにちょっと長すぎやしませんかねえ?確かにVFXは素晴らしい。ダイナボットもカッコイイ!観ていて圧倒される場面も多いけど、ただ個人的にはもう少し話をまとめて欲しいというのが正直なところ。それでもリブート作品としては、人間側の登場人物も総入れ替えしているので、一から人間とオートボットの友情を作っていく過程を観られて話には入りやすいかな。前作までの知識が必要なシリーズものとしては、そういう枷は小さい気がする。まあ中身がないことの裏返しかもしれないけれどw オプティマス・プライムが登場時にアニメ版のトラックの形だったのはニヤリとするところ。ただその後に新トラック形状になるので、そこは少しさびしいかな。ガルバトロンの変形シーンも、ガチャガチャ形が変わるのではなくて、粒子状に分解して作構成される感じだったのがギミックとしてチャチく感じられてしまって残念。そういえば侍の鎧兜のような風貌のドリフトというオートボットが、やけに「先生」という発音が良いので不思議に思ったら、声優が渡辺謙だった。これは納得。 |
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最後の騎士王 (2017年制作) |
変形ロボットアニメの実写化シリーズ第5弾。トランスフォーマーの母星・サイバトロンが敵となったオプティマス・プライムとともに地球へと襲来。人類滅亡のタイムリミットが迫る。 アーサー王伝説の裏にはトランスフォーマーの存在が…ということで、またも大風呂敷な追加設定を広げたもんだ。前作からの展開を強引に整理しつつ後半への布石をバラ撒くだけの前半は少しかったるい。もちろんマイケル・ベイ作品らしい爆発はてんこ盛りだけど…。主人公ケイドの状況の説明描写とか、新キャラの紹介的なものが交互に差し挟まるのでちょっと散漫だし、ストーリー展開は今一つ退屈かな。 でもネタをバラ撒き終わってから、具体的にはバートン卿の城に行ってから後の展開が良い感じ。ジョークもバトルアクションも緩急自在でテンポが良くなっているし、前作「ロストエイジ」や本作の前半がウソの様に観ていて面白くなるんだよね。バートンに仕えるオートボットのコグマンがいいタイミングでジョークを投げ込んでくれる部分が大きいなあ。劇判かと思いきや演奏だったとかベタなネタも面白いし、慇懃無礼で強気というキャラクター性が良いよ。まあこの中身で2時間半という上映時間は相変わらず長いとは思うけど、後半が面白かったので…まあいいか。 マーク・ウォールバーグは前作から続投しているものの、その他の人間の登場キャラはほぼ入れ替わり。…なんというか前作を無かったことにしようとしている感じ?代わりにジョシュ・デュアメルやジョン・タトゥーロといった懐かしいキャラが再登場したのはちょっと嬉しい。新キャラではヴィヴィアン役のローラ・ハドックが相変わらず監督が好きそうなプロポーションで苦笑いしそうになるが、本作のキーキャラを演じたバートン役のアンソニー・ホプキンスはさすがの貫禄。 メガトロンの声が変わっていたのは残念だなあ。スティーブ・ブシェミはオートボットになっても声で一発で分かるw |
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ビースト覚醒 (2023年制作) |
変形ロボットアニメの実写化シリーズ第7弾。トランスワープ・キーを巡るユニクロンの手先とオートボットとの争奪戦、そしてマクシマルも加わった決戦が繰り広げられる。 冒頭で星を食うほど巨大なユニクロンの脅威と、その移動手段としてのトランスワープ・キーという分かりやすい設定が提示される。その後はトランスワープ・キーの争奪戦になるわけだけど、シリーズ最新作でもやっぱり大味な展開でした。まあそれがこのシリーズらしさではあるけれど、ご都合主義な展開が強いので緊張感はあまりないかも。設定的には「バンブルビー」の続きなので、オプティマス・プライムが「G1」チックなデザインなのは嬉しいところ。 正直言うと人間のキャラクターってストーリー上はあまり絡めなくても成立しちゃうんじゃないかという感じ。観客の自分としてはトランスフォーマーたちのガッチャンガッチャンしたバトルが見られれば満足なので、人間側のピンチには特にテンションが上がることはありませんでした(苦笑) それでも巻き込まれ型なのに積極的に最後までバトルに参加する主人公たちのメンタルはすごいとは思うかな。終盤なんてパワードスーツまで身にまとって敵と戦いだすわけで、そこは「さすがにやりすぎだあ(苦笑)」などと思ってしまったけど…、ラストでやられた。ハズブロ…やってくれますね、まさかこれが"G.I.ジョー"になるとは予想できなかったなあw そこの仕掛けにだけは感心した。 |
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ONE (2024年制作) |
サイバトロン星で鉱山労働に従事する若き日のオプティマスプライムとメガトロン。友情に結ばれた彼らだったが、彼らを取り巻く状況に隠された真実を知り…。 1985年のアニメで描かれた物語の前日譚。いわゆるエピソード0ですね。オプティマスプライムとメガトロンはそれぞれオートボットとディセプティコンという敵対組織のリーダーなので、最初彼らがオライオンパックスとD-16という親友同士だという設定になっていても、その後どこかで反目しあう間柄になるのは周知の事実。そういう意味では結末の見えた予定調和の話ではあるのだけど、テンポの良い掛け合いと展開、そして派手なバトルも相まって最後まで飽きさせない作りにはなっていたと思います。というか、割と普通の友情冒険モノとしての側面が強かった中盤までよりも、オライオンパックスとD-16の2人がだんだんオプティマスプライムとメガトロンの雰囲気に変わっていった終盤にかけての「ああトランスフォーマーを観ているぞ」というワクワク感がたまらなかったなあ。 CGアニメーションとしてのクオリティも一級。「G1」を彷彿とさせるキャラクターデザインをブラッシュアップした造形もいい感じ。「トランスフォーマー」のフランチャイズで最近展開されていた実写版は正直「派手だけど話が空っぽ」という印象が先行してしまっていたけど、本作は真っ当に「子供の楽しめる物語」そして「G1に続く物語」が志向されているようで好印象でした。このクオリティで楽しめるなら、この話の続きもぜひ観てみたいと思えるものでしたね。 |
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(2002年制作) |
ベッソン印のアウトロー活躍譚。かなり彼の趣味に走ってるねえ。前半のカーチェイスは「TAXi」。巻き込まれ系の話は「レオン」を思いおこす。銃撃戦あり、格闘あり、もう腹一杯です。ただ、脚本として一カ所だけ、フランス警察は“私刑”を容認するのか?いくら悪人の集団だからと言って、法の裁きも関係無しに殺しまくって良いわけが…。せめて生かしたまま引き渡してくれと。でも主人公と刑事の微妙な友情関係も良いし、アクションシーンは見応えたっぷり。主演のジェイソン・ステイサムのアクションも十分説得力がある。アクション映画ならではの誇張も多いけどね。そういえば銃撃戦の時、弾道が曳光弾並みに光ってたなあw | |
(2005年制作) |
前作から3年。プロの運び屋フランク、今度の依頼は6歳の少年の送り迎えだったが…。 前作のテイストそのままに、今作も主役を演じるジェイソン・ステイサムが暴れ回ってくれる。警察とのカーチェイス、水上バイクの追跡劇、1対多数の棒術と消火ホースでの格闘戦。全編アクションだらけでお腹いっぱいですわ。 まあ、ストーリーは大味と言えばそうだけど、そういう細かいところを観る映画ではないので、それを思えれば十分楽しめるかな。 しかしステイサムは、このフランク役が見事にハマってる。凄く渋いし、本気で強いのも格好いい。そして自分のルールが絶対であるという信念に生きている姿が良いね! |
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アンリミテッド (2008年制作) |
シリーズ第3弾。謎の組織に捕まり、車から一定距離を離れると爆発する爆弾を腕に着けられた主人公フランク。そして赤毛の女と共に荷物の移送を強要されるが…。 結果的に運ばされた荷物はダミーで、女を運ぶことが敵組織の目的の一つだったわけだけど、別に運び屋に運ばせる必要なんて無い話じゃないかなあ…。なんて考えたら話にならないわけですが、まあこのシリーズはB級アクション映画の手合いなので敵組織が大がかりな割にバカなのは仕方ないか。 空っぽのストーリーは置いておけばアクションシーンはそれなりに迫力がある。自転車でのチェイスも良かった。でも展開自体が似たり寄ったりなのでマンネリ感が漂い始めてるかなあ? 前作までと違う点を上げれば、フランクが自分のルールに柔軟になってしまったところか。でもこのキャラのストイックさを評価していた身としては、そういう変化はちょっと残念な感じでもあります。 |
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ハリウッドに最も嫌われた男 (2015年制作) |
赤狩りが吹き荒れた1940年代後半から1950年代中ごろの米国。下院非米活動委員会での証言を拒否したためブラックリストに載った脚本家ダルトン・トランボの伝記映画。 ハリウッドの歴史を語る上で重要な赤狩りの時代の話だけれど、ハリウッド・テンやダルトン・トランボのことは概要くらいしか知らなかった。そういう意味で彼の闘いの半生を描いたこの作品は、当時の状況や空気感を知る上でも大変勉強にもなったな。そもそもドラマとして非常に上質なんだけど、状況の深刻さの中にあってもウィットに富んだ登場人物たちの台詞回しがとても面白い。ゲラゲラはしないけれど、ニヤニヤしてしまうw トランボその人は共産主義者として下院非米活動委員会に証言を求められ、信条からこれを拒否、そして業界のブラックリストに載ってしまう。つまり政治的圧力によって干されたわけだ。トランボのドラマは、「それでも書くことをやめなかった」という物書きとしての筋を貫き通した意思の強さにこそあると思う。彼を支えた家族の存在の大きさも心を打つ。信条など関係なく、金儲けができればいい映画製作者のフランク・キング、良い脚本を求めるカーク・ダグラス、オットー・プレミンジャーも一本筋の通った男達だろう。そういう意思の力強さの物語。特にカーク・ダグラスはカッコイイなあ。 対するアカを干した「アメリカの理想を守るための映画同盟」も、そういう意味では意志は固い。しかし“自由の国アメリカ”が特定の思想信条を迫害するという矛盾を強行したという皮肉がそこにある。ジョン・ウェインが強烈な愛国主義者なのは有名な話だが、劇中でのコラムニストのヘッダ・ホッパーは半ば私怨の様な形で圧力をかけていたのが恐ろしいところだと思う。 「ローマの休日」「スパルタカス」「黒い牡牛」などの作品や、当時のハリウッド関係者が実名で多く登場するので、ある程度その時代の予備知識があった方が楽しめる作品かな。しかし信念を貫いた男の物語としてだけ見ても十分な見応え。圧力に屈することなく脚本を書き続けることで、ブラックリストを事実上有名無実化させたという闘いは、まさに「ペンは剣よりも強し」か。しかし、映画はトランボのスピーチで締めくくられる。それはその苦難を乗り越えた者にしか言えない言葉。「英雄も敗者もいなかった。いたのは被害者だけだ。」 |
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サスペンスの神様、アルフレッド・ヒッチコックの代表作。 理由も分からないまま突如として人を襲いだした鳥の描写が恐ろしい。序盤のロマンスモノっぽい展開から考えられないくらい終盤は終末感が漂っているわ。特に最後に立てこもった一軒家の描写なんか、ほぼ音だけで襲撃される不気味さを出してるけど、マジで不気味。カラスやカモメがドアを突き破ろうとするなんて…。 個人的に気に入っているのは、主人公が振り向くとジャングルジムいっぱいにカラスがいるシーン。あれは自分で目の当たりにしたら…不気味だわ。 今見ると合成は一目で分かるけど、それでも襲撃シーンの迫力は一級品だと思う。襲撃の理由が分からない上に、さらにエンディングでも主人公達がその先どうなるのか分からないところが何とも言えない絶望感を感じさせるね。 |
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(2016年制作) |
1960年代、米国初の有人宇宙飛行であるNASAのマーキュリー計画に携わった3人の黒人女性を描いた伝記映画。 実話を基にしている作品ではあるが、どうも筋立てが創作くさいというか、いかにもな差別的逆境をはねのけて実力を認めさせていくというテンプレートに落ちている感じ。黒人側として観れば胸のすく話だろうし、トランプ政権下の米国でこの作品が評価されたことも大いに理解できるけど、個人的には予定調和が強すぎて「何かベタだなあ」という感じで終わってしまった。 白人用トイレと有色人種用トイレを往復するくだりは、創作だとしても状況を分かりやすく伝えてくれるので、まあいいか。でもIBMを勝手に触ったりするエピソードとか、作り話にしてもちょっと…「手続きを踏めよ」と思ってしまってどうも腑に落ちない。まあ話のテンポや無能な白人技術者に対するあてつけという意味では機能しているけれど。 実際彼女らが黒人差別の残る時代に苦労してNASAの職員として認められる立場になっていったのは事実だろう。でも観る側に、この映画が多分に脚色されたように感じさせてしまうというのはどうかなあ。打ち上げ直前の検算の鍵を握るのが主人公のキャサリンだなんて、話が出来すぎだろう。差別的な白人との対比とか「彼女がすごい」という事が強調されるドラマは観る方には分かりやすいけれど、ちょっと物足りなかった。 |
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米国の黒人音楽、60〜70年代の歴史を背景にした黒人達の姿を描いた、ブロードウェイの大ヒットミュージカルを映画した作品。 ミュージカルのキモはもちろん歌、音楽だけど、この映画は見事。歌唱力について主役のビヨンセは既知だけど、助演のジェニファー・ハドソンのパワーあふれる歌声には参った、凄い。あとエディー・マーフィーもかなり良かった。「ジミーはソウルだ!」と生き生き歌う彼。そして白人向けに歌わされている姿に、彼の最後の悲哀。魅せられました。 上映時間は130分ながらほとんどノンストップでラストまで突っ走っていく。この辺の力強さも魅力かな。ミュージカル作品なんだけど、基本的に歌っているシーンは舞台の上がほとんど。なので普通の劇映画の様な感覚にならなくもなく、会話で突然歌い出すシーンで「ああそういえばミュージカルだったっけ」と改めて思い出すこともあったw まあ、そのくらい入り込めたということか。 |
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アメリカで大ヒットするはず。こんなにハデで爽快な映画は久しぶりに見た気がする。山場への持っていき方が上手く、実にテンポ良く進んでいくのがいい。ヴィン・ディーゼルも実にはまり役だと思うし、この手のアクションをさせてもなんの違和感も感じない。アウトローでありながら、悪人では無い主人公に好感が持てる。“第2のテスト”の時の爆発にも度肝を抜かれたけど、それ以上に雪崩上のボーディングは迫力満点!!単純に面白すぎ!! | ||
思っていたよりもレースの世界を端的に表現していたので、映画として面白かったと思う。街中の暴走シーンの様な「そんなバカな」的演出が、まるでゲーム画面の様だったし、あくまでエンターテイメントとしてだけど。舞台はカート(?)なので、馴染みの薄い俺としてはF1でやってくれてたらなぁ、と思ったりもしたけど、個人的には好印象な映画でした。しかし事故り過ぎじゃないか?と思ったりもする。 | ||
(1996年制作) |
ドラッグ中毒の若者達の勢い任せの生活を描いたユアン・マクレガー主演の作品。 ラリっている状態の視界描写が、アナログな撮り方ながらなかなか斬新で面白い。とんでもなく汚いトイレ(に入っていく)とか、シーツに漏らした汚物をぶちまけるとか、少々オエッという描写もあるけどセンスの良さは感じる。ただ、個人的にはその彼らの生き方自体に共感も出来ないし、魅力も感じないので、話にはあんまり入り込めなかったけど…。ドラッグに溺れてグダグダ生きる人間を見て笑う映画?とも思った。 マクレガー演じる主人公はそんな状態から抜け出そうとするわけだけど、始終キレっぱなしのロバート・カーライルにつきまとわれてかわいそうw そこもまた展開的に面白いところなのかもしれないけど、やはり俺には不快感の方が先行してしまう節もあった。 |
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(2017年制作) |
前作から20年後に製作された、主人公4人の20年後の物語。 20年経っても変わらない彼らの様子を見て、観客は状況から脱しきれなかった彼らにどこか哀愁を感じる。でも「変わらない」といっても同じ話を繰り返しているわけじゃない。ちゃんと20年という厚みがキャラクターから感じられる物語になっていて、とても良い。作風という点でダニー・ボイル監督のエッジに衰えはなく、本作がちゃんと前作の延長にあると感じられる空気に包まれているのが上手いところ。音楽然り、カッティング然り。前作の様なクスリによる幻覚表現は控えめだけど、CGで何でもできる今、あえてそういう表現でとんがる必要は無いか。幻覚表現を抑え気味にしたことで、ラストカットのレントンの部屋の奥行表現が逆に際立つ。 20年ぶりという事を生かして、あの時のあのシーンを想起させる場所、表情、セリフをちょくちょく出している。それは観客への懐古趣味的な感情を呼び起こさせる仕掛けではあるが、主要キャラの自己を再認識するきっかけとして流れに組み込まれていて、その辺の脚本が上手いと思った。当時の映像を混ぜ込む監督のセンスはさすがだが、懐かしいだけの話にはせず、しかし同じ奴らの生き方の物語になっているのが良いね。 前作はレントンを中心にした物語でもあったが、本作はレントンとシック・ボーイの繋がり、スパッドの再起、そしてベグビーの家族という話にして、よりバランスよく配したドラマになっていると感じる。特にベグビーは…。瞬間湯沸かし器なのは全然変わらないけど、まさか奴の親子の話で胸を熱くさせられるとは。ロバート・カーライルのベグビーは物語に緊張感を加えていて実にいい。トイレのシーンは笑わせてもらいましたw |
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麻薬捜査官になるための“トレーニング デイ”、正義感溢れる新米刑事は指導者であるベテラン刑事の行状を見て現実を知ることになる。 新米刑事をイーサン・ホーク、ベテラン刑事をデンゼル・ワシントンが演じてるけど、この映画でアカデミー主演男優賞を受賞したワシントンはともかく、イーサン・ホークも良い演技を見せてくれます。とんでもない指導官についてしまったという当惑と、危機感がにじみ出ているよね。 ワシントン演じる悪徳警官は、序盤こそ“蛇の道は蛇”を地でいくだけでまだ正義の奴なのかと思いきや、本当に悪徳刑事なんだよなあ。それでも「まだ試してるだけなんじゃないか?」なんて観ている側が思ってしまうところは彼のキャラクターの成せる技か。しかし彼の悪徳ぶりも、それまでに見てきた現実が彼をこう形成させてしまったんじゃないだろうか。だとすれば正義の無力さがまた哀しくもあるストーリーだと思う。 この出来事が1日という時間の中で起きた事という設定が、またスリリングで面白かった。 |
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アメリカのネバダを舞台に、突如地中から現れた怪物と対峙することになった住民達の戦いを描くモンスター映画。 地面は誰の足下にもあるわけで、そこから突然現れる怪物というのは恐い存在だよね。その辺、アメリカの砂漠の田舎町で、建物も頑丈でないという設定を上手く生かしてる。音を立てると気づかれる、岩の上は安全、といったルールも分かりやすいし、個人的にB級映画の中でもかなり上質なモンスター映画だと思う。 ノリは全体的にカルく、特に主人公二人の掛け合いとガンマニアのオッサンが良い味を出してる。何事もジャンケンで決める主人公達の仲の良さは良いなあ。気軽に楽しめる面白い映画ですね。 |
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かの有名なトロイ戦争の見事な映画化! 原作(ホメロスの叙事詩)等にある神話的要素を排し、リアリティ溢れる史劇スペクタクルに仕上げています。「グラディエーター」や「LOTR」にも通じる大部隊での肉弾戦は大迫力で、手に汗握らずにはいられない。ただ、やはりこの映画のキモはストーリーとキャラクターの魅力。アキレス、ヘクトル、パリスを中心とした群像劇としての完成度も高い。ブラッド・ピット演じるアキレスは、実際無敵の強さを誇る男。しかし人間的に陰の部分が強く描写されていて、(そこも魅力の一つではあるが)完璧なヒーローとは思えなかった。ヘクトルは完璧なまでの人物像に参ったw 彼こそ「高潔な人物」の一言、男の中の男だと思う。しかし逆にヘクトルの弟、パリスは(俺からすれば)最低な人物で、その存在に怒りすら憶えるほど。この中心三人の描写、感情の変化が上手い為、2時間40分という上映時間も一瞬で過ぎてしまう。この映画を観ていると、アキレスは無能な自分の王アガメムノンには忠誠を誓っていない。しかし終盤、息子の遺体を引き取る為、一人で敵陣のアキレスに会いに来たトロイの王プリアモスには、その勇気に敬意を表している。アガメムノンの描写は、ドイツ人監督の米国大統領への当てつけでは?と邪推してみたw | ||
(2010年制作) |
ノルウェーの森や山に住むという伝説の生き物"トロール"。映像会社に匿名で届けられたテープ。そこにはそのトロールを追うハンターの姿が収められていた。 政府が民間人から秘匿してきたトロールの存在。その一端が暴かれるというショッキングな映像…という体裁のモキュメンタリー。被写体が動物的…怪獣的な存在なので、流行のホラーものというよりは「クローバーフィールド」の様な怪獣映画。ただ、「撮影者が行方不明でテープだけが発見された」というお決まりのオープニングで始まるものの、ハンターとの同行取材という追いかける側の映像なので、映像を撮りつづけていることの不自然さは小さくなっている。ハンターと同行してからはテンポ良く話も進むし、その分話に入り込みやすくなってるね。 「トロールはいた!」というどこか冗談めいた話なので、気楽にその虚実を楽しめるし、「何でこんなものが見つかってないんだよ」という不自然さもある意味で良いバカさ加減か。これはテーマ選択の時点での勝利かなあ?w 夜の暗い場面も多いけど映像自体はかなりクリア。この辺はデジタル撮影の強みですね。 |
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(2014年制作) |
アフガニスタン上空を飛び、監視や攻撃を行う無人戦闘機。それを操縦する主人公は地球の裏側にある米軍基地にいた。 「TVゲームのような現代の戦争」と揶揄するときによく取り上げられる無人戦闘機。MQ-1 プレデターが有名だが本作ではその偵察や攻撃作戦の一端が描かれる。そういった特性の兵器の運用に関する話なので、戦争映画としては画面に向かって操作をしているだけの地味な感じだけど、“殺るか殺られるか”といった緊張感とは別種の緊張によって主人公が追い込まれていく様がよく伝わってくる。 昼間は殺し、夜は家族サービス。この落差が異常というのであれば、常に戦場である空間が正常なのかというとそうではないだろうとは思うが、そのギャップは確かに精神的なバランスに影響ありそう。兵士が休息する間に見張りにつく追加任務で残業となり、それで子供を迎えに行けなくなった場面では、妻に「約束が違う、ジムに行けないじゃない」と機嫌を損ねられたりして見ているこっちも「そりゃないだろう」と思ったものね。 しかしこの形態の戦闘がおかしいのかといえば俺はそうは思わない。これはこれで自軍の人的損耗を減らすという目的が行きついた合理的な結果なのだから。問題は、それがどう運用されるかという部分。劇中でも描かれるように、タイムラグによる巻き添えもあるだろう。誤爆も無いとは言えないだろう。ただこの映画がちょっとズルいのは、さらなる運用面での“悪用”をCIAのせいにさせたところかな。大の虫(米国)を生かすために小の虫(アフガンの民間人)を殺すという命令は全部CIAの判断。命令に従うのが軍人だということが主人公側の免罪符になっているけど、ちょっとしたゆがみを感じなくもない。 ラスト、アフガンの監視中の屋敷でこれまで度々女をレイプしていた男をミサイルで殺す主人公がいる。一見すると男から女を救ったことで留飲を下げる場面かもしれない。しかしそれで留飲を下げるという事が、画面越しに行為を観察・裁定・攻撃させたCIAの判断と変わらないというところに気づくと…少し怖い。 |
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史上最低の作戦 (2008年制作) |
落ち目のアクションスターが起死回生を賭けた戦争映画の撮影中、監督の陰謀で当人らのきづかぬまま本当の戦場に放り込まれてしまうコメディ。 ベン・スティラーの8年ぶりの監督作。ニセ予告編から色々な戦争映画のパロディまで、オープニングでいきなり力の入った飛ばし方をするので彼の意気込みも分かるというもの。そしてそのままのテンションで本編も悪ノリの連続。劇中映画「シンプル・ジャック」ネタや、生首いじりのシーンなんてもうギリギリアウトじゃないか?w とにかく映画業界を茶化した笑いは面白い。立場の弱い雇われ監督に、メソッドにこだわるやりすぎ俳優。まさかのトム・クルーズが演じる大物プロデューサーも誰かのパロディか?(ジョエル・シルバー??) しかしこのトム・クルーズの役は「マグノリア」の教祖並みに台詞が強烈ですなw 彼はたまにこういういう役をやるから侮れないが…。 とにかくバカで下品な台詞は飛び交うし、妙にグロいシーンはあるし、かなり際どい笑いなので受け付けない人もいるかもだけど、俺は非常に楽しめました。しかし「ズーランダー」の時にも思ったけど、ベン・スティラーの監督作はちょい役まで出演者がすごく豪華だよね。(それだけにオーウェン・ウィルソンがいないのが寂しいが。) 彼の人脈はすごさにも感心してしまいます。 |
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(1982年制作) |
自分の開発したゲームをプログラムごと盗まれた主人公はその不正を暴くべく日夜ハッキングを試みるが、プログラムを守るマスタープログラムによって電子の世界に放り込まれてしまう。 仮想空間での話やアクションを、CGを多用して表現した初めての作品として歴史に残ってはいるものの、ストーリーは正直なところ面白いとは言えない。ただし、プログラムの擬人化やワイヤーフレームによる空間の見せ方など、表現については当時一般にコンピューターの知識が乏しい時代に、それらを使ってエンターテイメントへと仕立てた工夫は見るべきところがある気はする。次から次へと色んな電子の乗り物が出てくるけど、どれも異空間の乗り物としての動きも含めたデザインが良いね。 ストーリー自体は行き当たりばったり感が強いのが難点だけど、異世界を旅する主人公という設定自体はディズニーらしいといえばそうか。見た目からしての悪役、なにやら面白そうなフリスビー対決、意外にスピード感のあるワイヤーフレームと、子供向けなんだと思えば納得できる部分もある。しかし話の根幹である不正使用の暴露が、「優先権は主人公ですよ」の紙切れ一枚というのはどうにも説得力に欠けるなあ。まあ、ハッキングしてそれを手に入れたからって信憑性が…と感じてしまうのは、多分俺自身がこの時代の感覚になれていないからだろうけども。 それにしても主人公のジェフ・ブリッジスは、プログラマーという感じじゃないなw |
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(2010年制作) |
1作目から28年後に制作された続編。前作の主人公フリンが失踪して20年後、息子サムは父の隠し作業部屋を発見するが、突如コンピュータ世界に送り込まれてしまう。 CGの黎明期にあってコンピュータの世界を独特なビジュアルで作り上げた前作は、それ自体が表現として評価できた。今作ではそのデザイン群が現代のVFXでリファインされ、もうとんでもなく格好良くなっている。オリジナルを知っていればそれだけで感動モノでしょう。前作に出た機械やゲームを再登場させた中盤までのアクションのくだりは、良いテンポで進んでいると思う。 だけど後半はフリンとサムの親子の話が中心になり、そして叛乱を起こしたプログラムの話になり…。そのプログラムであるクルーの行動が危機感としてイマイチだったのが個人的には微妙だったかな。前作は良くも悪くも個人的な事情で纏まっていたのでスッキリしてたけど、今作はいつの間にかセカイ系に…。フリンも見方によってはRPGの賢者のような感じだし、まさにファンタジー。その辺が少し期待していたものとズレていたかもしれない。"レガシー"というタイトルに偽りはなかったけどね。 しかし、俺がこの映画で一番すごいと思ったのは、若きフリンを模したクルーというキャラ…、若きジェフ・ブリッジスが普通にそこに映っていること。顔は全てCGで作られたというけど、言われなければ分からない。架空のキャラならともかく、実在の人物がそこに映っている。すごい。 |
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(2016年制作) |
留守宅への押し込み強盗を繰り返す若者三人。ある日、盲目の老人が住む家に押し込むが、予期せぬ反撃にあう。 盲目の老人版ホーム・アローン。違うなw 主人公は強盗側だけど、この映画って主人公サイドも反撃に出る老人サイドも両方とも共感できないんだよなあ。主人公のロッキーは妹を連れて自堕落な親の住む家を出たいという事情が示されるけど、だからと言って強盗をしていいという話にはならないし。老人だって娘を奪われたという事情があるにしても、さすがに誘拐監禁して孕ませようとするってのは常軌を逸している。主人公は結果的に金を持ち逃げできているし、なんかモヤモヤするなあ。 それはそれとしても、強盗に反撃してくる盲目の老人というアイデアは面白いし、老人役のスティーヴン・ラングもゴツくて説得力があったね。暗闇の中で右往左往する主人公に対して、音を聞いた老人が地の利を生かして襲い掛かってくるというシチュエーションはなかなか。映像的には「羊たちの沈黙」を思い出すところもあったが、その点は見応えあったと思う。でもその先にもう一歩何か捻り欲しかった気がする…というのが正直なところかな。結局最後まで追いかけっこで終わってしまった部分と、主人公の妹の存在を彼女の免罪符にしているところが釈然としない。 |
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(2021年制作) |
盲目の老人が押し込み強盗を撃退するスリラー映画の続編。 舞台設定は前作から8年後ということだけど、前作の事件は直接関係しない。なので本作だけ観ても話はわかるものの、老人自身の異常性というか、“失った娘の代わりに対する執着心”という部分については前作を見ている方がいいかな。老人にも押し込んでくる側のどちらにも共感しにくいというのは前作から変わらない感じだけど、今回の話の鍵となる娘は単純に被害者なので一応気持ちはそこにおいておけばいいのだろうか。とはいえラストには直接の親殺しにまで手を染めさせてしまうとは、(親側に否があるとはいえ)ただただ子供がかわいそうな話だなあ…という印象。 続編としては今度の押し込む側が軍隊上がりの連中になっているので、そういう意味でも前作よりはパワーアップしている感じ。最初の押し込み時の緊張感は悪くなかったね。でも全体的に観ると、老人が環境を利用して“目が見えないこと”をアドバンテージに変えていくという面白さは少し減退していたかもしれない。あと、ラストに老人は娘の囚われた場所に乗り込んで(クズ)親を倒すわけだけど、老人の目的が「娘を奪還すること」だったのか「娘に懺悔すること」だったのか、それとも「襲撃者に対する復讐」だったのかがいまいちブレてしまったのが残念。老人は親が娘の心臓を狙っていたことを知らなかったはずなので、最後に娘の親を倒しておいて「もう私に近づくんじゃない」というセリフが出てくるのはちょっと不思議だった。正直「こいつは皆殺しにしておいて、ただ懺悔しに来ただけなのか?」と思ってしまった(苦笑) まあそもそもが異常なキャラクターであるということは前作から引き継いでいるはずなので、その行動に合理性を求めてはいけないのかもしれないが。 |
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(2021年制作) |
新発見の彗星が半年後に地球へ衝突する。その事実を知った天文学者と米国政府やメディアのやり取りを描いたブラックコメディ。 “地球温暖化問題を隕石落下に置き換えた環境問題の提起映画”という指摘を目にしたけど、それは割と的を射ている気がする。「マネー・ショート 華麗なる大逆転」「バイス」と続いてからの本作で、アダム・マッケイの世相や政治を皮肉ったスタイルは定着してきたところでの本作ですね。あいかわらず小気味の良いテンポと落差でカットをつなぐセンスが冴えてますが、内容的には今回かなり皮肉が強くでてしまったせいか逆に驚きの少ない話になっている印象。つまり「アホで間抜けで私利私欲に目がくらんでいる政治家や資産家のために地球が破滅する」という皮肉を描くのが目的だから、もはや計画が失敗してバッドエンドを迎えないと話としてはオチがつかなくなってしまっているわけで…。そのせいで早々に結末が予想できてしまうとあっては、主張が話の意外性を殺してしまっているんじゃない?という逆説的な皮肉にも感じるところ。もちろんストーリーには起承転結がしっかり構成されているし、場面場面のブラックな皮肉にもニヤニヤする場面が多々あるんだけど、結局のところ目に浮かぶオチのために期待される予定調和(バッドエンド)がそのまま描かれるだけだったので、個人的にはもう一捻りくらいは欲しかった。 出演陣はかなり豪華。主演のレオナルド・ディカプリオはギラギラ感が消えて科学者っぽく見えてしまうのだからさすがだな。大統領役のメリル・ストリープは誰を揶揄しているのか分かりやすいが、最期には異性の鳥に食われるという間抜けな死に様まで用意させるとは、こんな役に大女優を配役するとはという部分で笑ってしまったw 他にも主演を張れる役者が大勢登場していることに驚かされるけど、これは監督のネームバリューと内容の皮肉さがハリウッド業界的に好まれたということなんだろうと思う。 |
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