シネつう!
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機動戦士ガンダムV
めぐりあい宇宙編
1982年制作

満足度:

1979年から1980年にかけて放送されたTVアニメ「機動戦士ガンダム」の、第31話後半から第43話を再構成した総集編の第3作。

前作の「U」である程度アムロの精神的成長が描かれたので、本作は群像劇的な雰囲気が増していく感じ。
ホワイトベースではブライトとミライ、ミライとスレッガーの様子などはなにやら昼ドラ感もあるけれど、それもまた人間っぽい感じで良いと思う。
アムロの世話焼き女房の様だったフラウ・ボゥはいつの間にかハヤトとくっついているし、アムロにとって幼馴染以上にはならなかった態度の結果として人間関係が変化していくのもなんかリアルだよね。

自分がこの「機動戦士ガンダム」という話の全体を見た時に、戦争ドラマとしてギリギリのリアルさがあるよなと思うのは、アムロという一兵士やホワイトベースという一艦船が“一年戦争”という大きな流れに対して多少の影響を与えることはあっても、それそのものによって戦争の決着がついたわけではないという部分にそれを感じるんだよね。
確かに終盤ではソーラ・レイによって大半の戦力を失った連邦軍にとってホワイトベースがカギになるような展開もあるけど、敵の首魁であるギレンを殺したのはキシリアであるし、そもそも戦争自体はデギンやジオンの首相が講和を画策していたわけで、戦争の着地点として「主人公のアムロが敵を倒して終わり」という単純に話にはならないし出来ない、実際にやってしまえば安っぽく感じただろう。
アムロは戦局における一兵士だということが貫かれているから、この戦争ドラマが単純なヒーローアニメとは違う魅力を残せたのだと思う。

じゃあどのようにアムロの物語としてのカタルシスを出すか。
そのために使われたのが“ニュータイプ”という概念と、アムロとシャアの因縁というわけだ。
「U」までにおいてアムロとシャアにはモビルスーツ戦をした以上の因縁はなかったはずなのだけど、ララァの登場によってその関係性が劇的に変化する。
実際問題としてララァは物語においては唐突に登場するし、ヘタに扱えばいかにも取ってつけたキャラクターになりかねなかったはずなのだけれど、そう感じさせないのはキャラクターの魅力なのか演出の妙なのか。
とにかくそれによってアムロとシャアの因縁は強化され、ア・バオア・クーでの白兵戦にドラマが生まれたんだよね。
この作劇における“マクロの戦争”という大局の描き方と、一兵士同士の因縁や人間関係といった“ミクロの戦争”の絵描き方のバランスが上手かったからこそ、この“ファーストガンダム”が何十年にもわたって引き継がれるシリーズの礎として、いつまでも色あせない魅力を放っているのだと思う。

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