シネつう!
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窓ぎわのトットちゃん
2023年制作

満足度:

黒柳徹子による同名の自伝を原作にしたアニメーション映画。
小学校を退学になったトットちゃんはユニークな教育方針のトモエ学園に通うことになる。

天真爛漫というか「少々手のかかる子」という感じの幼少期の黒柳徹子。
授業中に窓から身を乗り出してチンドン屋を呼び込むなんてことをすれば、そりゃ退学にもなるだろうか(苦笑)
これはそんな主人公の“トットちゃん”が「トモエ学園」という学校に行って、そこでの出会いと別れを通じて成長していく物語だが、主に小林校長先生という人物と小児麻痺を患っていた泰明ちゃんとの思い出を描いたものになっている。

小林先生の教育方針はたしかに素晴らしいものだと思う。
子供の行動を認め、伸ばしていく感じ。
トットちゃんが汲取式トイレの便槽に落とした財布を探そうと汚物をぶちまけていても怒りはしない。
まず見守り、一言「もとに戻しておきなさいよ」と言うだけ。
子供の行う行動に対して事情に理解を示すだけなくて、その行動に対する結果の責任を自主的に本人に取らせていることが素晴らしい。

担任の大石先生が何気なく高橋くんに「尻尾があるんじゃない?」といった件に関して、小林先生が彼女に叱責している場面も印象深い。
真に子供に寄り添った教育者とはこういうものなのだろうか。
こういったエピソードが描かれるということ自体、幼少の黒柳徹子の思い出にとっての“小林先生”という存在の大きさ、そして彼に対する尊敬と感謝が感じ取れる。

泰明ちゃんとの交流は彼女の成長にとって大きな影響を与えたのだろう。
「自分とは違う境遇であるが、自分と同じ"人"という存在である」という直感がそこにあるように感じた。
終盤、唐突に亡くなってしまってびっくりしてしまったが、子供の時のこういう出来事は記憶からは消えないだろう。
光に溢れた雨の商店街でシーンの様に、暗い世相の中でも彼女にとっての美しい思い出として残っているのなら、彼の生きた証として大きな意味はあるだろうか。

そう、この話は戦中の昭和の話でもある。
明るく過ごすトットちゃんの話の背後で近づいてくる戦争の足音。
物語の終盤は戦時体制が色濃く描かれ、昭和初期のまだ幸せな生活があった空気も一変してしまう。
市民の日常が変化していく感じは「この世界の片隅に」とも似たような感覚を覚えたが、それと比べると変化がいくらか断片的な描き方だった気はする。
疎開前のトモエ学園では校庭で作物を栽培している様子や、「教育内容も変わっていったんだろうなあ」と感じさせる掲示物も見て取れたけど、日常の中で学園自体が変わっていく過程などは描かれていなかったからね。
まあ、パーマ(電髪)や服装を咎められたり、駅員のおじさんがある日を境に女性になったりといった描写はあったけれど。

ともかく、本作は黒柳徹子の思い出としての物語。
そういう意味ではとにかく小林先生の存在感が大きく、そして尊敬の出来る人物像だったと思います。
黒柳徹子が長らく本作の映像化を拒んだ理由に「校長先生を演じられる人はいない」というものがあったそうだけれど、なんとなくそれも納得できる気はしました。


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