シネつう!
JAPAN STYLE !!

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
2021年制作

満足度:

「新劇場版:Q」に続く、ヱヴァンゲリヲンの新しいストーリー。
4部構成の4作目。

前作「Q」の公開から8年半。
まさかこんなに待たされるとは思わなかった。
作っている側もまさかここまで待たせると思っていなかったとは思いたいけれどw
それでも待つ身としては待っていたかいはあった。
これが完結編。

「やっぱり、エヴァは、エヴァだった...(笑)」 とはシンジ役の緒方さんが公開前にTwitterへ投稿した意味深ツイートだけど、これは端的すぎるほど端的に本作を表現しているとも言える。
エヴァらしさとは何か?と言って外せないのはやはり「人と人との間にある壁」やシンジの内面の葛藤であるし、受け手の数だけ受け取れる余地を残したストーリー展開にもあるだろう。
もちろんいわゆるロボットモノの迫力も作品の魅力ではあるけれど、それだけでは「エヴァ」にはなれない。
内容が、監督である庵野秀明のメンタリティにとても左右されているというのも重要な要素だと思う。

本作の英字タイトルが「EVANGELION:3.0+1.0」だという事を考えた時、やはりそこにもいろんな意味が感じ取れた。
「単純に4作目」、「(元々“序破急”の“急”だった)Qの補足」、「(TV版から数えて)補完計画を描いた3度目の物語と、その後」。
どれも間違ってはいないのだろうけれど、観終わった今となると一番最後の印象が心に残る。
(副題は「THRICE UPON A TIME」だし。)

物語の序盤は「Q」からの直接の続き。
特にアスカに連れられた茫然自失のシンジが生き残っていたトウジやケンスケと再開したことには驚いた。
「あの世界で生き残っていたんだ…」という驚きもあるけど、彼らの姿を通して「生きること、生活することの実感」を持ってくる展開への驚き。
(まして「Q」の世界観でこれほど生き生きとした生活感を見せられるとはね。)
特に後者への驚きが強いけれど、“綾波タイプの初期ロット”が「生」を見出す過程、そしてシンジが自分のなすべきことに目覚める過程として、十分描きこまれていたなあ。
「生活感」や「他人との関わり」といった日常の描写があるからこそ、後半の“アナザーインパクト”が描く部分の意味が強くなるのだろうし、上手いと思う。

本作は「新劇場版」の完結編でありながら、「旧劇場版」に対する映し鏡とでもいうか、補完的な意味合いも強く感じる作品でもある。
“人間同士の戦闘”から始まり、“人と関わり合う事の痛みや気持ち悪さ”そして“虚構にしがみつくオタクへの軽蔑感”をこれでもかと描いたのが「旧劇場版」だった。
ところが“人と助け合っていく生活”から始まり、“人に認められ、人を救い”そして“虚構(イマジナリー)の先にある現実(リアリティ)”へ進む、生きる力を提示したのが本作だ。
それを「旧劇場版」でも描いた補完計画と相対させながら紡いでいくとは…。
「予想していたか?」と聞かれれば、正直「予想はしていなかった」な。

ゲンドウ、アスカ、カヲルやレイを救い上げていく終盤の展開には庵野監督のメンタルの良さも感じられたし(笑)、同時に歳を取ったのだなとも思う部分も。
でもそれは人間的な成熟という意味での「歳」だよね。
トゲトゲしかった「旧劇場版」との合わせ鏡にすることで、庵野監督自身が過去の自分と対峙しているようにも感じられたもの。
まあ…作劇として、「旧劇場版」を匂わせることによって“観客の期待する”「エヴァらしさ」を自覚的に利用している面もあるのだろうけど、結果的に上手い手ではあったよね。
この展開に自分も「おいおい全部拾って救っていく気かよ…!」とゾクゾクしてしまったのだから、いやはやまんまと作り手の掌の上で踊らされているものだと思うw

「破」と「Q」のはざまに起きたことはサラッと語られるだけだったけれど、多少なりとはいえ追加で語られたのは良かった部分。
「Q」のミサトの行動や感情への補足の意味もあったし。
いまだに「その“はざま”がもっと観たかった」と思う面もないわけではないけれど、やはりこれはシンジの物語ではあるし、そういう意味でこの4部作は十分に期待にこたえてくれたとも思う。

「新劇場版」が始まってからでも14年。
リアルタイムで追い続けながらも、「もしかして完結しないかも」と薄々覚悟した時期すらあった「新劇場版」シリーズ。
TV版から数えればもう四半世紀か。
その完結に立ち会えたのだから、本当に感慨深い。
庵野監督、ありがとう。

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