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eスポーツレースで日本一となった青年が、存続の危機にあったドリフトチームにドライバーとしてスカウトされる。
しかし当初は「ゲーム野郎が!本物のレースを舐めるな」という批判的な意見も受けてしまうが…。
ストーリーとしては「流れ者がある一家の問題を救う」的な西部劇や時代劇にも近い構造のように思えるけれど、それくらいベタというかオーソドックスな方がこの映画には良かったのだろう。
何と言っても本作の主題はドリフトレースであって、「そのダイナミックさを見せたい」という意志が明確にあらわれているね。
ドローンによる空撮や車内外の車載カメラによる映像の迫力は素晴らしいし、CGなし・早回しなしで実際に走らせている映像だという部分は観ているこちらにもそのこだわりをヒシヒシと伝えてくる。
なのでその「ドリフトの迫力」が本作の根幹であって、ドラマ部分は(誤解を恐れずに言うのであれば)枝葉のようなものという感じかな。
だから別にややこしい話にする必要もないわけだし、定型的なキャラクターによるオーソドックスな話かもしれないけど全然問題ないのだ。
そのオーソドックスな話の主人公はeスポーツの大会ではレースゲームの「グランツーリスモ」で日本チャンピオンになる腕前の人物という設定だけど、そういうゲーマーが本物のレーサーになること自体は夢物語ではない。
劇中でも「海外ではeスポーツのレーサーがリアルで…」と言及しているけれど、GTアカデミー出身のリアルレーサーがいることも知っているし、日本でも冨林勇佑がeレース出身の選手として有名ですね。
だからリアルなレース場面という意味においても「あながち嘘にはならない」話という形でeスポーツ出身者という話は有効であったし、本作の監修をしているドリキンこと土屋圭市が言いたかったという「リアルレーサーへの入り口としてeスポーツレーサーからという道があることを提示することで、子どもたちに夢を与えたい」という気持ちにも上手くマッチしていたように思えるのです。
まあもちろん、もともと腕前があったとしても短期間の練習で百戦錬磨のプロがいるレースにトントン拍子で勝てるほど甘いわけはないのだけど、そこはあくまでエンタメ映画というベタさの部分ではあるかな。
でもそこの割り切り方とバランスが良かったと思う次第。
個人的には主人公がラストでeスポーツの世界に帰っていったところが気に入ってます。
別れの場面でもチームオーナーは「世界チャンピオンになれよ」と言って送り出すけれど、eスポーツレースもリアルレースも、そこにあるのは同じく“競技”という世界だという描き方だと受け取りました。
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