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暁佳奈の小説を原作にした同名TVアニメの劇場版。
自動手記人形(代筆業)の主人公・ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、自分に「あいしてる」の言葉をくれ、戦場で消息不明となったギルベルト少佐のことを想い続けていた。
その出自故に感情を持たなかったがヴァイオレットが、様々な人の感情に触れて次第に「あいしてる」の言葉の意味を知っていく積み重ねを描いたTVシリーズ。
観る側としては、そのTV版で描かれた物語を通じて彼女の想い人であるギルベルトへの気持ちを知っているからこそ、「彼女には幸せになってほしいなあ」と思う反面、「ギルベルトがいないからこそ彼女は人間らしくなれたのだよな」と思う部分もあり、この劇場版での「実はギルベルトは生きていた」という展開には幾分複雑な思いもあった。
なんというか、さすがに安直な展開なんじゃない?というか…。
でも、彼女にとってはギルベルトとの再会以上に幸せなことはないわけだから、彼女の物語の大団円としてはこれしかないのだろうというのも理解する。
じゃあそれはそれとして、「生きてたんならはよ出て来いよ!」という気持ちはどうしてもわいてしまうけれど(苦笑)。
やっぱり誰しもそう思うからだろうか、劇中の登場人物もギルベルトにそれを問い詰めるわけでw
まあ作り手のエクスキューズという面もあるんだろうけど、「自分には彼女に会う資格なはい…」という彼なりの彼女への想いがあればこその拒絶というも分からなくはないが、でも予定調和で終わることが分かっている以上、ギルベルトのそれはどうにもウジウジとした自己憐憫の様にも感じてしまったというのが正直なところ。
ヴァイオレットの想いがまっすぐであればあるほど、余計にそう感じてしまうよね。
だからこそ社長が「この大馬鹿野郎!」と怒鳴ってくれたのは良かった。
社長、ほんといい人だわ。
俺の中で株を落としたギルベルトに対して、本作で株が爆上げになったのはギルベルトの兄のディートフリートかな。
最後の最後に(いつの間に!?)島に着て弟を諭すとか…、なんて行動力w
TVシリーズではどちらかというと憎まれ役だったけれど、この劇場版でこの人なりの感情が掘り下げられてよかったと思う。
ほんと不器用だよねえ、この人。
というか、この兄弟はどっちも不器用だなw
このシリーズの主題として大きな要素である「手紙」もちゃんと描かれているけど、病院からの依頼者のくだりは…ちょっとズルいよ。
あんなん心揺さぶられないわけないじゃねえか!(苦笑)
一方でたびたび挿入される60年後にヴァイオレットの足跡を辿っていくデイジーの姿は、ヴァイオレットのその後を感じさせるための仕掛けとしては悪くないとは思ったものの、デイジーをそこまでの行動に駆り立てさせたものが何かはちょっとわかりにくかった気もする。
祖母への手紙を見て…というのは分かるけれど、ちょっと「語り手」の役割としてとってつけたような感じに思えてしまった。
とはいえ、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという女性の感情の旅路を描いた物語の完結としては良かったと思っている。
そして、作品の内容とは離れるけれど…本作の制作中に起きた京都アニメーション放火殺人事件のことを思えば、それを乗り越えて完成されたこの作品に対する作り手やファンの想いが特別なものになっていることも疑いの余地はない。
現に自分もそうなわけで。
もどる(ア行)
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