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太宰治の短編小説、「ヴィヨンの妻」の映画化作品。
小説家で放蕩人の夫と、その妻の物語。
原作小説はタイトル通り妻側の視点で語られるんだけど、この映画では夫の話もずいぶん膨らまされていて、「人間失格」とか太宰自身のキャラクターも被せてしまっている感じ。
原作通りにやってしまうと1時間で終わってしまう話なので、“太宰的な空気”を持って話を膨らまそうとした結果と思えば無難な線ではあると思う。
ただ、それによって人間(女)の強かさ的な部分よりも、放蕩人の夫を堪え忍んで支える妻という部分が強めに出ているのかなあ。
“人(夫)に言えないこと”の内容が、昔好いていた弁護士(堤真一)とのコトでは、映画オリジナルの展開である“心中未遂で警察に捕まった夫を救うため”の様にも見えて、なんだか献身性の方に寄ってしまった様で残念。
“犯罪者ばかりの世の中”で、お互いにもっとデカダンスな秘密を抱いているから、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」というセリフの強かさが強調されると思うんだけど。
なんだかダメ夫を全肯定して支えることにした“出来た嫁さん”に見えてしまって印象が違う。
まあそれは監督がこの話をどう捉えたかの結果に過ぎないのだけども。
演者方面では、家庭内でまでずーっと敬語で話す夫を浅野忠信が演じているけど、文字ならともかく実際に演技で見せられると敬語の余所余所しさが妙な感じ。
夫と妻の関係性を表すにはそのままで良いとは思うけど、でもこれは演じる方も難しかったんじゃなかろうかなあ。
妻を演じた松たか子は、貧しくても悲観的でなく、それでいて芯には強かさを持っている感じがして、確かに役には合ってた気がします。
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