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佐木隆三の同名小説を、緒形拳の主演で映画化した今村昌平監督の犯罪ドラマ。
昭和38年、5人を殺害し逃亡していた男が逮捕された。
警察の捜査網をかいくぐって殺人や詐欺を繰り返したその男・榎津巌(緒形拳)の逃避行を描く。
緒形拳のギラギラしたオーラから学者然としたスッとした感じまで演技の幅がすごいね。
もうそれを堪能できただけでも満足だけど、この映画は主人公の犯罪を実録チックに描いている一方で、人間の業をこれでもかと映し出しているように感じた。
主人公の榎津巌だけでなく、父親の鎮雄(三國連太郎)も加津子(倍賞美津子)も、浜松の旅館の親子(小川真由美・清川虹子)も、何らかの業を背負っているよね。
特に三國連太郎が演じる鎮雄は、息子の嫁からの誘惑や、妻や息子の死を願うという内心とカトリックの信心との狭間で揺れ、最後には息子の父であるという事実から自らを破門したりと、最も業が深いような人間のように思えた。
5人を殺した主人公・巌を生み出したものの始まりも、鎮雄が戦中に軍人に従ったという行為からであるように描かれるし、作品全体を観ると鎮雄をもう一人の主人公として彼の業が何を生み出したのかという話にも見える。
もちろんそれは脇からの目線であって、映画の主人公は巌であるし彼がどのように5人を殺していったのかという物語ではあるのだけど。
でもそのような登場人物たちの業の深さを感じられるところが、単純な犯罪ドラマ以上に映画としての重みを感じさせるところ。
映画の冒頭はもっと推理ドラマのような展開になるのかと勝手に思っていたのだけど、そうではなかったところも自分としては引き込まれたところかもしれない。
原作者の佐木隆三はカポーティの「冷血」を意識していたという話を聞くと、なるほど、犯罪者の生い立ちを絡めてその犯罪を描くという実録モノ的な雰囲気も理解できる。
その上で前述のように人間のドロドロとした部分が感じられるから見応えがあるのだけど、やたらと濡れ場が多いのはちょっと気になる。
それも人間の性の表現と言えばそうなのかもしれないが、もしかしてロマンポルノ全盛期という時代背景も関係あるのかな?
作品内はロケも多く、今観ると当時の生の風景が垣間見えて興味深い。
まあ1979年の作品なので舞台となった1963年とは16年の差があるし、昭和30年代には見えない街並みもチラホラある気がするけど…まあそれはそれ。
特に浜松駅で列車から降りて駅の外のタクシーに乗るまでのワンカットは印象的です。
思えばその浜松が主人公にとってのターニングポイントだったわけだから、そこは意図的に長回しをしているよね。
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