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昭和38年に完成した黒部ダムの難工事を、三船敏郎と石原裕次郎のW主演で描いた人間ドラマ。
「敗戦からの復興に必要な電力需要を賄うためにも、この黒部のダムは作らねばならぬ。」
この題目に翻弄された人々の話だが、しかしやると決めた以上、本当にそれをやりっきった人たちの話。
上映時間3時間16分の大作だが、そのほとんどがトンネル工事の描写で、特に“破砕帯”での出水や事故がクローズアップされているね。
映画としては工事のエピソードをその難渋に絞ったことで、観ているこちらにもそのままならぬ状況が続くことの苦労に一体感を与える形となり、貫通した時にはその喜びの共感が増幅されるのでよく考えられていると思う。
トンネル内の様子はもちろんセットなのだけど、その大きさもさることながら、大量の水が常時壁面から染みだしてトンネル内に振っている空気のリアルさは大したもので、観ているこっちにもその湿気が伝わってくるかの様。
出水シーンの迫力は実に見事だわ。
ミニチュアで済ますなんてことをせず、420トンの水を役者に向かって本当に流している様子には作り手の本気度を感じた。
冒頭、主人公たちはこの建設工事へ関わることに難色を示すが、その理由を観客に伝えるためにオープニングで山深さを描き、入札も成立しないだろうから特命だということも強調し、地質的な問題点も会話の中に登場させる。
このあたりを手際よく説明させるテンポはなかなかいい感じ。
多少説明台詞的な部分もあるけど、それをそれと感じさせないギリギリの線で成立させているのは脚本の腕かなあ。
ドラマとして成立させるために家庭の事情も織り込んでいるのは、工事だけの話では変化をつけにくいからという面もあるのだろうか。
個人的にはプロの仕事の話に私情がさしはさまる展開は好きではないのだけど、本作の場合は三船敏郎演じる北川の娘の難病を並行させたことで、トンネルの貫通式での感情を際立たせる効果は発揮している。
貫通式での挨拶直前に死去を知るというのはタイミングを狙いすぎた演出だとは思うけど、北川の私人としての心中と公に向けた言葉とのギャップのそれが胸に迫ってきたことは否定しない。
石原裕次郎演じる岩岡にも家庭の事情があり、現場の昔気質の監督官である父親との反目がクロ−ズアップされている。
岩岡の父親を演じる辰巳柳太郎は豪快に怒鳴って暴れまわるのでインパクトあるなあ。
「あんな父親と同じ血が流れているだけで嫌だ」とする岩岡の気持ちも分かるけど、物語を通じて少し距離が近くなる流れは悪くないか。
でも劇中で決定的な和解があるわけではなく、父の最期にその本心を垣間見るという部分は少しビターな着地だ。
とにもかくにも、三船敏郎と石原裕次郎という2大スターの共演で、戦後の復興を支えた難事業を称えた物語というだけでも熱い。
土木工事だけの映画なのに3時間以上観てられるというのは、やはり作り手の熱意がそこに焼き付いているからだろうと思う。
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