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1969年5月13日。
東京大学駒場キャンパスで行われた三島由紀夫と東大全共闘の討論会
その様子を記録した映像や関係者や研究者の視点から、そこで何が繰り広げられていったのかを描き出すドキュメンタリー映画。
ノーベル文学賞候補にもなった文豪であり、民兵組織・楯の会を結成するなど右翼的な政治思想を持っていた三島由紀夫。
国家権力と教育工場としての大学を否定し、これまでにも東大紛争を起こしていた東大闘争全学共闘会議。
このふたつの相容れぬはずの思想家と思想集団の討論というキャッチーな企画は、50年を経た21世紀の今に観ても実に興味深い。
日本に安保闘争や学生運動が吹き荒れた60年代、俺自身はそれよりもずっと後に生まれた身なのでその時の空気感は映像や文献でしか知る由はないけれど、その60年代最後の年に生きていた人間たちの熱量がここには記録されていると思う。
この映画の主役は間違いなく三島由紀夫だ。
そして観客は歴史の中で三島由紀夫がどのような最期を迎えたのかを知っている。
この討論会の1年半後に、三島は自衛隊基地にて東部方面総監を人質にとって自衛隊隊員1000人を前に演説して決起を促すも、自衛隊が立ち上がることはないと悟り切腹により自決。
俺の中では“三島由紀夫”という人物のイメージは大半がこの「三島事件」だ。
この三島由紀夫の最期の行動は、原義の通りの“確信犯”として己の信念を貫くための覚悟の結実だったのだろう。
それを知っているがゆえに、本作で映し出される三島の言葉に空虚さを感じない。
「こうあるべき」と持論を並べるだけの口先だけの理想家とは違う、事あらば「死ぬ覚悟」で行動を起こす、その男の真剣な言葉が生み出される瞬間が映っている。
ドキュメンタリー映画として構成的に平凡な印象もなくはないが、時代背景の説明もあるし、当事者のインタビューから当時を振り返るという視点もあるし、丁寧に作られていると思う。
映画の作り手としては努めてニュートラルにこの主題に踏み込もうとしていることもわかるのは好印象。
インタビューで「あの討論」を振り返るのは、元東大全共闘3名・元楯の会3名・討論の場にいたジャーナリスト2名・三島と親交のあった2名・三島を論じる文化人3名で、この辺もバランスが良いかな。
この映画で描き出される討論会は罵倒の場ではなかった。
これはとてもすごいことだと思う。
お互いが相手の主張を聞いて言葉をぶつけ合うまさに討論会であって、三島は、劇中でも指摘されるように「論破」を目的としておらず、信念のぶつけ合いとして真剣に挑み、そして楽しんでいるようにも見えた。
お互いの認識にある相容れぬものと共通点の理解、そして行動に結び付ける熱量へのお互いのリスペクトがそこにはあったのだ。
結果的には歴史の流れの中で、三島の熱も、全共闘の熱も、“現実”の波にのまれて消えていった。
ラストに監督は元全共闘の3名に「(全共闘の闘争としての)敗北をどう総括する?」という突っ込んだ質問をするが、三者三葉の解釈が語られるとともに、いまだ総括はされていないという印象を受ける。
彼らの中ではまだ終わっていないのだろうか、それとも青春を賭したあの熱量が無駄だったと思いたくないという裏返しなのだろうか。
そう感じた時に翻って考えてみると、終戦を二十歳で迎え、「同年代が死んでいく中で生き残ってしまった」という現実に人生を賭して意味を見出そうとした三島も、同様に青春時代の意義にとらわれていた男なのではないかとも感じる。
事の良し悪しはともかくとして、思想の左右は別にして、人の生きる熱の根源は同じところにあるのではないかという瞬間を垣間見た気分だ。
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