シネつう!
JAPAN STYLE !!

ミセス・ノイズィ
2020年制作

満足度:

郊外のマンションに引っ越してきた小説家の吉岡真紀だったが、隣人である若田美和子とのトラブルや嫌がらせに頭を悩ませる。
ある日そんな出来事を小説のネタにしてみたところ話題となるが…。

「騒音おばさん」として話題になった実際の騒音事件をモチーフにしたフィクションだけど、そういう意味ではその事件に対する観客側の先入観も利用した作品になっているのかも。
つまり“騒音被害に遭う主人公と、嫌がらせをしてくる隣人”という構図の先入観ですな。
作品の序盤でも、その先入観を強化させるような主人公・真紀の主観で「変な人かも」と思わせる様子の隣人を描いてますね。
でもこの時点から主人公のイライラしている様子にほんと自分の方がイライラしてしまって(苦笑)、そのフラストレーションのせいで全然感情移入できなかったかな。
それが故に、途中で隣人側の主観になったところから別の安心感があったというか、もう完全に隣人側に感情移入してしまうわけだけど。
…これって完全に狙ってやってるんだとしたら大したもの。
自分はもうまんまと作り手の掌の上ですよw

個人的には価値観の相転移を起こす様な物語が好きなのです。
例えば「正義だと思っていた行いが実は悪行だった」とか、「化け物を退治していたと思っていたら相手から見れば自分が化け物だった」、とかね。
この映画でも主人公が書いた小説について、編集から「表面的ですね」とか「もっと立体的な話を」とか注文をつけられているけど、まんま主人公の視野狭窄な部分の指摘としての意味と、「騒音おばさん」というレッテルに対するアンチテーゼとして観客に突きつけた意味を含んでいて、そういった構造が自分としては「好きな映画だ」と思えた部分かな。

隣人・若田美和子が「世の中がおかしい」とこぼす姿と、ネットに上がった動画で盛り上がる市井の無責任な反応との対比は痛烈。
これは「物珍しさを期待して“騒音おばさん”を観に来た観客を、作っている側はぶん殴りに来てるなあ」という、何かそういった無責任さに対する怒りにも似たようなものを背後に感じた気がしました。

作品規模からすれば小さい方の映画だとは思うけど、総じて作品に対する興味の引き方が上手かったね。
まあこの話の流れで最後に話を丸く収めたのは、作り手の根底にある優しさがやや強目に出たのかなという気もしなくはないけれど、起承転結から背後のテーマを引き出していく流れに満足感があったので良いです。
どちらかというと、調子こいて動画をアップしていたあの親戚のにーちゃんが明確な報いを受けなかったのは物足りないかも?
でもそれこそが「無責任」という意味でのリアルか…。
いや、“スケボーで下り坂を下っていく”という描写が彼の先に対する暗喩なのかもしれない。


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