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劇場版「名探偵コナン」の第6作。
革新的な体感シミュレーションゲームの発表会の舞台裏で殺人事件が発生。
コナンは被害者のダイイングメッセージからゲームの内容がカギと気づく。
本作の舞台をゲームの中という仮想空間にする設定によって、コナンたちが100年前のロンドンでモリアーティ教授と対峙したり切り裂きジャックと対決したりするという状況を成立させているのは面白い。
もちろんそうなると作品内はホームズネタが盛りだくさんだし、シャーロキアンなコナン=工藤新一の知識がこれでもかと生かされる舞台ともあればウンチク的な説明も頻繁に出てきますな。
というか蘭もたいがいホームズに結構詳しい部類だぞ、こりゃw
仮想空間での生死をストーリー上の緊張感につなげるには物理的な肉体を人質にとるのがセオリーだけれど、本作でも例にもれずゲームで全員が失敗すれば生身の脳が破壊されてしまうという設定。
まあ全員が失敗するまでは、それまでにゲームオーバーになったプレイヤーは無事な様なので「結局最後は解決するんだろうし」と思ってしまうと…、うーんちょっと状況的には甘いような気がしなくもないか。
とはいえゲーム内のコナン的には仮想空間内で一人また一人と仲間が減っていくわけで、状況的に厳しくなるのは間違いないし、本作の様にメンバーが順に(仮想的な死として)途中離脱していく描写自体が珍しいわなあ。
蘭ですら最後は自己犠牲という形をとるし(「ライヘンバッハの滝」に引っ掛けてあるあたりはなかなか粋だな。)、これが出来るのは仮想空間という設定ならではだよね。
また逆に「仮想空間なら何でもあり」ではなく、「仮想空間だと博士の道具が使えない」というコナンにとってはリアル寄りに制限がかかるという状況も面白いとは思った。
ただそういった舞台設定の面白さとは裏腹に、個人的には冒頭から本題に入るまでの尺の長さとか、現実の事件での犯人の動機(伝説的な殺人鬼の子孫だからどうだってんだよ)とか、もう少し上手く取り回して欲しかったと思うようなところがあったのも事実。
「日本をリセットする」とかなんとか言って、世襲批判のようなテーマを入れているのも妙に説教臭くてイマイチ。
演出的にはプログラム画面のいい加減さ(なんで積分記号みたいな数式がベタベタ貼ってあるんだろう)が目に付いてしまって仕方が無かったし…、いやまあそれは話の本質には関係ないんだけどさ。
本作は映画版初登場の工藤優作(進一の父)が現実世界側で引き金となった殺人事件を解決。
そいうこともあって毛利小五郎の活躍もなく、警察メンバーもその場にいるだけのような感じになってしまったのはちょっと勿体ないような気も。
鈴木園子に至っては序盤でフェードアウトして以降は登場すらしなくなってしまったが…、あの状況なら騒ぎが始まった段階ではまだ会場にいたと思うんだけどな。
蘭たちを置いて帰ったのかねえ?
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