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西川美和監督が自ら執筆した同名小説の映画化作品。
妻を突然の事故で亡くした作家が、妻の友人夫婦と関わる中で自己と他者を見つめ直していく。
西川監督の描く“人間の心の澱の様なもの”の表現はさすが。
冒頭の1シークエンスで主人公の屈折した感じを見せつける手際は見事だなあと感心したけど、妻と最後に交わした言葉が「後片付けをお願いね」というのが何ともイジワルというか、何というか。
ここで言う「後片付け」は、もちろん冒頭で行われた散髪の後片付けだけれども、二義的には作中で描かれる妻を亡くした人達の心の整理の事ともとれる。
作中で描かれるのは主人公と対照的な家族との交流で、それを通じて妻であり母といった亡くした者への想いを浮き彫りにしていく構造になっているかな。
ただ、主人公の性格が単純でないのがこの物語のミソ。
観ていて、「たぶんこの主人公は自分の事が好きじゃないんだろうなあ」という事がすごく伝わってきたが、自分を好きじゃないから他人のことも本気では好きじゃないんじゃないかなと思った。
(そのくせエゴサーチをするくらいに体裁を気にしているが。)
そんなだから不倫相手に「先生は誰も抱いてない」なんて言われるのだろうよ。
なのでこの映画は他人を見つめ直すことで、自分を見つめ直す話なのかなと感じた次第。
なぜ妻の親友の子供たちに親身になったのか。
少年の心情に何かのシンパシーを覚えたのかもしれないが、そこは劇中でマネージャーの岸本に「子供とは免罪符ですよ」と看破されたように、無意識の贖罪もあったのかもと思った。
“妻が死んだその時に自分は他の女を抱いていた”という消えない事実に対する言い訳…。
そんな自分だからこそ、妻の遺した携帯の描かれた言葉が余計に刺さったのだろう。
子供たちの前で半ば自棄の様な心情を吐き出すシーンは、怒りと哀しみがない交ぜになって…本木雅弘は上手いなあ。
「人生は他者だ」とは主人公が見つけた結論。
他者を見つめるにはまず自己を認識しないといけないだろう。
この話はそこに至る主人公の道のりを描いているが、監督の見事な情景の切り取り方と本木雅弘の演技が冴えわたる。
そしてこの物語を時に和ませ、時に締め付ける二人の子役の存在がとても大きい。
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