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大岡昇平の同名小説を原作に、フィリピン戦線で彷徨う主人公・田村の極限の状況を描いた塚本晋也の戦争映画。
戦争を語るには2つの方向性があると思っている。
1つは戦況全体を大局的にとらえたマクロの視点。
もう一つは一兵士や一市民の立場から観たミクロの視点。
この映画はミクロの視点だが、戦場を生々しく描くだけではない、その先にある見てはいけないモノが描かれているように感じた。
死屍累々のジャングルの街道。
生きながら蛆が涌き、うめきながら横たわる兵士。
手足が吹き飛び、はらわたが飛び出し、脳が踏みつけにされる戦場。
そして、人を食う。
凄惨である。
ただそのような状況は「プライベート・ライアン」以降に映画でも度々再現されるようになったし、個人的には「再現だけなら(PG的な)覚悟の問題だ」とも思ってる。
「戦争は悲惨でヒロイズムなんてものはない」というテーマの映画も多い。
この映画の主人公は、隊から捨てられ、野戦病院でも相手にされず、ジャングルの中で狂気と人間のはざまを彷徨った多くの日本兵のひとり。
多く、本当に多くの日本兵がそのように彷徨って死んだのだろうが、先にも書いたようにその再現だけなら出来るだろうと思う。
しかしこの映画は、主人公の主観(一人称視点という意味ではない)として感じとった死のジャングルの空気が、まるで画面から飛び出してくるかのごとく襲ってくる。
それを精神的圧迫感とでも言おうか、かつて塚本監督の「鉄男」を観た時にも感じた「言い知れぬ圧迫感と恐怖」がこの映画にもある。
個人的に最もゾクっとしたのは、中村達也演じる伍長と出会ってジャングルを行軍し始める場面。
主人公は伍長ら3人と合流したので全員で4人。
しかし次のカットで4人が横切った後ろにさらに2人歩いている…
その2人は4人と違って略帽を被っていない。
どうも序盤に出てきた分隊長らに見えるが…。
その次のカットではもう居ない。
個人的には、あれは主人公も認識していないような形でついてきた幽霊だったんじゃないかと思っている。
分からない。
分からないが、それ以降、映る者が人間なのか幽霊なのかも。
伍長の死に際も、主人公の主観である。
仮に蛆がわいた方が現実ならば、死体と喋っていたことになるが、もはやそんな区別も意味をなさないくらい、主人公の精神への圧迫は強烈だった。
フィルムには監督の情念が映り込むことがある。
この映画はまさにそんな類。
塚本監督がこの映画を自主製作で撮りきったことを後で知った。
すごい。
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