5
諫山創原作の漫画「進撃の巨人」の実写化作品。
100年ぶりに人類が直面した巨人の脅威を描いた2部作の後編。
広げた風呂敷を畳まないといけない2部作の後編だけど…。
自分としては満足いく形ではまとまらなかったというのが率直な感想。
樋口監督がその場その場の画面の格好良さを追求しているのは伝わってくるのだけど、それが「進撃の巨人」という一つの話として観た時にどうかというと微妙だよね。
前半とは違い、巨人に襲われる絶望感はもはや描かれず、鎧の巨人と巨人エレンのバトルと終盤の超大型巨人との立体機動戦を見せ場の中心に、あとは取ってつけたような世界観の説明に終始。
クバルとシキシマの背景がこうも薄っぺらいんだったら、いっそのこと世界観の説明は放棄してくれた方が潔かった気がするが。
そもそもエレンの壁の向こうに対する思い(海を見ること)を達した後が想像できず、シキシマは自らの体制転覆の謀略を捨てて超大型巨人に自爆攻撃、クバルも壁を壊した張本人としては行動がブレているようにも思うし…。
キャラクター的には一本筋を通してずっと変人だったハンジの石原さとみくらいしか納得いかないぞ。
白い部屋の存在…からのエンディングは認識されている人類の他に管理者的な存在を示唆しているけれど、こういった安直なSFエンドがまた薄っぺらさを増幅させる。
作り手が「進撃の巨人」の本質をそう捉えたのなら仕方がないが、個人的には納得がいかない。
でも本質ってなんだろう、圧倒的な存在に対する恐怖?怒り?
少なくとも「CUBE」の様な“何かの実験”を示唆することではないと思うんだけど、ラストの様な無機質な台詞に頼る演出は安易すぎたね。
(「続編狙い」とも考えられるが、俺は無責任だと思った。)
とりあえずこの映画を観て思ったのは、作り手は「進撃の巨人」という作品を好きとか嫌いとかというベクトルでは考えていないんだろう、ということ。
「単純に話の材料くらいにしか考えてないんだろうな。」というのが仮にそうだとしても、それが透けて見える様ではダメなんじゃないだろうか。
もどる(サ行)
当サイトは
円柱野郎なる人物が
運営しています
since 2003.02.01