シネつう!
JAPAN STYLE !!

シン・ウルトラマン
2022年制作

満足度:

監督・樋口真嗣、脚本・庵野秀明によって作られた「ウルトラマン」のリブート作品。
幾度となく日本に現れる禍威獣の脅威に対処すべく設立された組織・禍特対。
新たに出現した禍威獣の対処に苦慮している彼らの前に、空より飛来した銀色の巨人が現れる。

「シン・ゴジラ」を成功させた庵野秀明が今度は「ウルトラマン」をどう料理するのか。
やはりこの映画への興味はそこに尽きるわけだけれど、そういう目線で見た時の本作は「エピソードの拾い方とつなげ方はさすがだなあ」というマニアックな面での作品愛に感心する一方、単体の作品で見た時には神永と浅見という二人の主人公の間でこちらの気持ちの置き場がいまいち定まらない感じがして、正直言うと感情面の動きは置いてけぼりをくらいました。
ウルトラマンである神永にとっては、人間と関わることで人間の気持ちを得て最後の決断に至る積み重ねにドラマの要素があるし、浅見にとっては神永とのバディとしてのお互いの信頼を深める部分にドラマの要素はある。
でもそこがちょっと表面的に感じてしまったんだよね。
「ウルトラマン」のストーリーの根幹として「ラストにウルトラマンは自分の命よりも人間の命を選ぶだろう」という結末に向かうことになるのは理解するけれど、そこにいたるまでの感情の動きを追うには2時間という尺は短かったのかもしれない。
この部分は9ヶ月かけて積み重ねるTVシリーズに比べると圧倒的に不利なのは仕方ないのだけどね。

じゃあこの映画に不満なのかというとそうでもない。
「ウルトラマン」へのオマージュ映画とすればニヤニヤと笑ってしまうような場面が多々あり、特に前半は実に楽しかった。
開幕早々に「ウルトラQ」の様な文字の出し方で「シン・ゴジラ」ときてから「シン・ウルトラマン」のタイトルが大映し。
もうこれだけでこの映画のスタンスは説明されたようなもんだけど、そのまま「ウルトラQ」の怪獣をちょい見せしながら禍特対設立までの流れを一気に見せる冒頭なんてもう「こうきたか!」とニヤニヤしっぱなしだったねw
このあたりのテンポの速さは最高だったなあ。

「ウルトラQ」と「ウルトラマン」の様に、本作も「シン・ゴジラ」と「シン・ウルトラマン」としてゆるい地続き感がありますよという意思表明なのだが、ただこのあたりはわりと諸刃の剣にもなっているようにも思えた。
というか樋口監督は庵野秀明の影を意識しすぎて「シン・ゴジラ」っぽい部分を前面に出しすぎたんじゃないかなあ?
「シン・ゴジラ」は岡本喜八作品へのオマージュだったことで“再構築”という面での面白さが出たけど、「シン・ウルトラマン」が「シン・ゴジラ」のオマージュをやったのではただのセルフパロディに見えなくもない。
それが“諸刃の剣”だなと感じた部分。
というか一部(政府関係者)の配役などは明らかに意識的にやっていると思うのだけど、そのせいでセルフパロディ感に拍車をかけてしまったなあ。
個人的には演出は似せても「シン・ゴジラ」と似たような配役は避けたほうが良かったんじゃないかと思ってます。

まあそれはそれとして、「アタッチメントみたい」という元ネタの着ぐるみに対するメタなセリフ(w)には吹き出しそうになったし、初出現以降で現れるたびにちょっとずつ造形を変えるウルトラマンの細かさにもニヤついたし、人類に対する外星人の思惑という線で話に筋を通している構成にも感心した。
レッドキングやバルタン星人にはあえて触れず、メフィラス星人を出すことで巨大フジ隊員…もとい巨大長澤まさみを登場させるあたりのチョイスも嫌いじゃないなあw
そんな具合に楽しんだ部分は色々あります。

ただラストのゼットン戦はやや絶望感が薄い感じでちょっともったいないかな。
「ウルトラマンでも勝てない」という部分に絶望感があったはずなのに、予定調和が見えているとやっぱりその分が薄くなるのはしょうがないか。
というか地上から見たデカすぎるゼットンの手を広げて浮かんでるイメージがまるで「巨神兵東京に現わる」の様で、「またセルフパロディかよ…」と思ってしまったのは秘密でもなんでもありませんw

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