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「もののけ姫」の次に作られた宮崎駿の作品はとても個人的な題材、知り合いの女の子に向けた不思議の国の作品。
普通の少女が不思議な体験を通して精神的に成長し、働くことや色んな他者との関わりで主体性を持っていく、そんな物語。
主人公・千尋の序盤の様子は不貞腐れ気味でどこかしらリアリティのある“子供”という感じだけれど、後半には積極的にハクを救うために行動していく。
観ている間は気にならないけど、よく考えるとだいぶ大きい変化だよな。
湯婆婆に逆らえば命の危険もあるはずなのに、確信を持って行動する千尋の姿にはもはや序盤の不安げな面影はない。
その振れ幅こそがこの成長譚の魅力でもあるわけだけど、それを導いたこの油屋のある世界は何だったのか、それを明かさないことがより一層千尋の内面の成長物語として観る者に訴えかけてくるような感じがする。
正直言うと「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」までの完成された世界観の中で描かれたそれまでの宮崎作品と比べると、この作品はちょっと異質な感じがしている。
世界観が抽象的というか、なんとなく感じ取れるけど全く説明がされないものが多いというか、だからこそ最初に観た時はちょっとした違和感もあったのも事実。
でもそれは、これがその世界を描きたいのではなくて千尋の体験を描きたいのだから、そういうことで良いのだろうと今では思うのです。
夢か幻か神のいたずらか。
「不思議の国のアリス」の様に別世界に迷い込んで不思議な体験をするという話は、ファンタジーとしては定番であるがゆえに難しい。
それでもそんなところをひょいと乗り越えてくる宮崎駿の演出が目を見張るし、八百万の神々が当時に訪れる風呂屋のゴチャゴチャしたにぎやかさは実に面白い。
どんな想像力があればこういう世界が思いつけるのだろうかねえ…。
カオナシが異様な存在感を放つけれど、このコミュニケーション不全の塊のようなキャラクターにはどうにも心が痛む。
ここまでカリカチュアされると極端ではあるけど、自分も人づきあいが苦手であるのでどこかしら共感するところがあるのだろう(嫌なことだが)。
終盤に醜く肥大化して油屋で大暴れする姿などもう見ていられない(苦笑)
それでもラストには銭婆のところで居場所を与えられてよかった…。
湯婆婆も突出してインパクトのあるキャラクターだけれど、これは2頭身という特異なデザインもさることながら、声をあてた夏木マリの演技が素晴らしいのは間違いない。
恐ろしさと愛敬を内包した湯婆婆を見事に演じているよなあ。
そんな中で俺のお気に入りは「お客様とて許せぬ!」といってエネルギー弾を撃つシーンですけどねw
そんな感じで世界観や物語は好きなんだけど、一つだけ不満があるとすればハクに本当の名前を告げるシーンで川に落ちた過去のことが唐突に出てきたように感じるのがちょっと引っかかる。
確かに序盤からハクが「昔から千尋を知っている」と言っていて、それが伏線ではあるのだけど、それ以上の情報がなかったので唐突に感じるかなあ。
俺だけ?
よく考えたら中盤でクサレ神の正体が実は河の神で龍の体になって飛び去って行ったっけ。
ハクが龍の姿になることを考えたら、あれもハクが河の神であることの伏線だったんだ…と後で気づく始末。
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