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此元和津也の同名漫画の実写版。
2人の高校生が放課後に川岸でウダウダな会話する様子を描いた青春コメディ。
正直、面白いw
「関西人の会話は漫才の様だ」というイメージを形にするとこんな感じ…というくらいにはカリカチュアされていると思うけど、それでも関西人の自分が観て違和感がないくらいには妙なリアリティがあるよな。
というか学生時代の自分を振り返ってみると、実際こんな風に生産性のない漫才みたいな会話をウダウダしていたよなあ、と思う。
完全に内海タイプだったけどw
妙に懐かしい感じだー。
タイプの違う瀬戸と内海という2人の主人公の会話をただ流しただけで、しかも大きな流れがあるわけでもない。
それでも映画として面白く観れてしまうのは不思議だが、会話の間とかテンポが良いことと、完全に割り切ってショートショートの構成した分だけ「次はどんな話」かという期待感が生まれたところにあるんじゃないかと思った。
第〇話というのが連続するのでコント集みたいな感じではあるが。
この見せ方だと、妙に話の背骨を作ると逆にダラダラするかもしれないもんな。
もちろん樫村さんや猫の話などの話を跨いでいるネタもあるんだけど、それでもそれがこの作品の背骨というわけでもない。
この作品に枠があるとすれば、それは瀬戸と内海の隣同士で世界が出来上がっているかのような関係性、空気。
それが貫かれているから大オチが無くても成立している。
第1話はその世界観を観ている側に理解させるためのツカミだが、俺はこの時点で完全にやられてしまった。
笑ったなあw
そして何話か話が進んでから第0話が挟まり、内海と瀬戸の出会いが描かれる。
このタイミングもなかなか。
大きな背骨がないこの作品にあって、内海の態度が瀬戸とその他の人とで違う事をここで見せることで、この映画は内海という人間の変化が話の入れものになっているんだと気づかされる。
でも話の入れものであって、話の背骨じゃないんだよね。
あくまで瀬戸と内海という2人の閉じた世界がこの映画の主題。
この映画のエピローグではそれをハッキリと言っている。
だからこそヒロインの樫村さんだって外から眺めることはあっても、2人の中には入ってこないわけだけど。
完成された世界観として、それがいい。
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