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村上春樹の短編小説を原作にした長編映画。
多言語舞台劇の役者である主人公・家福悠介は、ある日、妻・音の不貞行為を知る。
しかしそのことを胸の奥に仕舞って日々を過ごす悠介だったが、その妻が病により急死してしまう。
二年後、舞台演出家となった悠介は音への想いと向き合うことになるが…。
原作は未読。
物語的には「二年後」の広島国際演劇祭の準備期間に入ってからが本編ですな。
話の主題が“亡くした女に対する男の想いの再認識”なので、そもそも悠介と音の関係が話を理解する上で重要になってくる。
映画的にはその夫婦関係の描写を時系列を入れ替えるなどして、例えば主人公の回想という形で描くなどの形でも見せることはできただろうけど、あえてそれをせずに順序立てて描いている部分にこだわりを感じた。
終盤へ向かっての主人公の感情の積み重ねが一方向なので、観客側にも同様に感情が積み重なっていけるからね。
そういうのもあってか序盤が長いわけだけど、ほんとに長いw
「ここからが本編ですよ」となるオープニングクレジットが入るまでに40分近くの尺を使っているんだから、作ってる側も結構な覚悟だよねえ。
しかし、その序盤で強調される男と女の関係性っていうのが“THE 村上春樹”って感じなんだろうか。
自分自身は村上春樹を読まないので一方的なイメージでしかないけれど、正直序盤の雰囲気はあんまり好みではないかな。
セックスによるトランス状態の妻の口から生まれる物語という要素に、それが彼女の深層心理の表現系なんだという分かりやすいエクスキューズを見出しはするけれど、だとしてもなんか下世話な印象のほうを強く感じてしまう。
それが本編の背景として必要だと理解はするのだけれど。
さてその前提があっての本編はとても良かった。
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の舞台練習を描くことで主人公の心理描写を肉付けしようという仕掛けだけど、車内でのセリフ練習用のテープが死んだ妻の声で流れるというのが、なんとも主人公にとってずっと引きずっている感が強く出ていて痛々しいですな。
最たるものは、かつて妻の不貞行為の相手だった高槻が主人公の前に舞台役者として現れるという展開。
バーでの会話や車中での会話など、そこまで主人公の心をエグりますかという感じで、もうね。
それでも主人公は大人だなあという感じで見てもいたんだけど、終盤の心情の吐露はもうそこまでの積み重ねもあって「もういい耐えなくていい、よく頑張った」と思ってしまいますわ。
主人公の家福悠介を演じるのは西島秀俊。
感情面で複雑な役だけど、抑制的でありながらとても上手くこちらにもその感情を感じさせてくれるのでとても良かった。
脇の役者では劇中劇が多言語舞台劇という設定なので、日本語の他にも英語・韓国語・中国語などが飛び交ってますが、ただこの舞台劇の設定ってもしかして後付なのかなとも思ったり。
もともと2020年に新型コロナウイルスが世界中に広がるまでは釜山でロケをするという予定だったらしいので、(勝手な推測ですが)「釜山で行われる演劇」という設定に合わせる必要が先にできて、それに合わせて多言語舞台劇という要素が生まれ、結果インターナショナルな配役になったんじゃないかという気がするんだよね。
でもそれが逆に2020年代の“多様性”という映画の潮流に合致しているのは間違いなくって、しかもそれが多言語舞台劇という要素のおかげで不自然に見えないというのが上手かったと思う。
ロケ地が広島に変わったことでも、結果として「絶望〜忍耐〜希望へ」という主題に重なる部分が強くなったので、内容以上に色々なパズルが上手くハマった作品だと思いました。
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