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東京2020オリンピック競技大会の公式映画。
「SIDE:B」では"スタッフとその関係者"の視点から大会を見つめる。
新型コロナのパンデミックによる影響の直撃を受けた東京大会。
中止か、延期か。
開閉会式演出陣の解散。
会長の舌禍。
オリンピック前に毎日報道されていたそれらのニュースには辟易するばかりだったことを思い出す。
それはメディアのスタンスが失点探しばかりだったからというのもあるけど、でもその裏で「開催するためにどうするべきか?」という議論も関係者の間にはあったはずで、この映画にはその部分が記録されているのだろうということを期待しました。
そして観た感想は…「事象を斜めに撫でた感じ。」というのが率直なところですね。
カメラの視点は騒いでいたメディアの立ち位置よりも一歩中心部に近いところにはいる感じはするものの、出来事の核心に触れているわけではない。
公式映画チームと言えど意思決定の会議に参加できるわけはないのだから見えるものも限定されるということか、もしくは撮っていても世に出せないかのどちらかだろうけど…。
まあ前者だろうか。
そういうスタンスにはやや物足りなさも感じはしたけれど、まあ公式映画としてのポジションは“記録映画”なのであって、検証映画や告発映画ではないわけだから…というのは理解するところではあるか。
しかしそれが故にドキュメンタリーとしては抽象的な印象が拭えないものになってしまった気もする。
ここで描かれた様々な出来事にはそれぞれに問題に対する提起と過程と結果がセットとなって存在するはずなんだけど、基本的にはその問題となる背景の説明が省略されているか簡略化されているのが悩ましい。
例えば新型コロナがいつパンデミックになったのか、世界的なジェンダー平等の機運の背景は、気温の問題と真夏の開催の理由は、観客に対してそんな部分を前提知識として承知していることを期待したような作りになっているようにも思えたなあ。
出てくる人物がどういう人なのかという説明に関しての薄さもそうだよね。
3×3会場の再設営の話やハラール食についての工夫の話はもっと説明がないと、大変さが観ているこちらに伝わりきらないんじゃないかって気すらするし、あえて説明的にしないというのは監督の矜恃なのだろうとは思うけれど、題材に対して編集がマッチしていたかはちょっと疑問。
(パンフレットを読むと背景などの補足説明がざっと書いてあるので理解が進むしいとも分かるのだけど、50年後や100年後に映画とパンフをワンセットで見ることが出来る人はそうはいまい。)
そういう意味では、映画とその補足のパンフレットとしてのワンセットの構造は先に公開されたSIDE:AもこのSIDE:Bも同じなので、ある意味での統一感はある。
「大会」というテーマに対してのアプローチを2つに分けるという試み自体も悪くはなかったとは思うね。
とにかく、色々ありすぎて端的にまとめるには難があったのだということだけは十分伝わってくる二部作だったかな。
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