シネつう!
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東京裁判
1983年制作

満足度:

1946年5月から1948年11月にかけて日本の戦争犯罪者を裁くために行われた、極東国際軍事裁判の内容を描いたドキュメンタリー映画。

“東京裁判”という題材は日本における20世紀前半の歴史を語る上で外せないイベントの一つでもあるわけだけど、一般的には戦後処理の一部という扱いで、その細かい内容が語られることは少ないと感じる。
しかしこの映画は上映時間が4時間半にも及び、途中でインターミッションもはさむ大作。
その裁判の経過を通じて「GHQの意図」や「世界情勢の影響」、そして何より日本の戦争の歩みを俯瞰的に描き出していて、そのドキュメンタリーとしての質の高さに感服した。

もちろん、歴史に興味がある人からすれば、見たことのある映像や聞いたことのあるエピソードの列挙でもあるだろう。
しかし2年半をかけて行われた裁判の映像を整理し要約した結果、必要な内容を語るにはこれだけの時間が要るという形の結実がこの4時間半という時間なのだと思う。
ノーカットで映される罪状認否のシーンで作品の姿勢を認識し、証言台での尋問や裁判長と弁護人の対立でその裁判の空気を知る。
今まで歴史系のドキュメンタリーで目にしていた、たかだか数分の切り取られた「東京裁判」のイメージからは決して伝わらないものがそこにはあった。
そしてそれら戦争指導者になった者もまた、歴史の大きな流れの一部であるという事実。
歴史とは様々な出来事が影響し合って次の出来事が起こる、その一部をもって全体を語るのではなく、俯瞰した全体の中から一部をとらえていくべきなのだという考え方だ。

監督は小林正樹。
29歳で終戦を迎え、かつて「人間の條件」を撮ったこの監督がどのように戦争指導者の裁判を描くのかという点も興味深かったが、ニュートラルな姿勢で描き出している点に真摯さを感じる。
裁判で起きた事実の積み重ねと、その背景についての取り上げ方のバランスも良く、被告に関するエピソードの紹介も個人的には恣意的なものは感じなかった。
強いて言うならば「“東京裁判”はマッカーサー元帥の政治パフォーマンスである」という見解が強めに表れている気はするが、それはこの裁判の性質として否定されるものではないだろう。
むしろウェッブ裁判長にせよ、キーナン首席検事にしろ、そして東條英機たち被告にしろ、皆それが意図する枠内にハメられた人々なのだという見方もできる。

裁判の公正さを謳いながら、その内容は勝者の論理や冷戦の影響に晒されているという矛盾。
国際連合によって世界平和の理念を掲げながらも、それから離れていった戦後の連合国の姿。
ラストカットの写真には、その「現実」が集約されている。

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