Movie Review!-ア行 |
英国BBCが5年をかけて撮影した地球の姿を映し出したドキュメンタリー作品。 |
「ディープ・ブルー」のテーマは“海”だけだったけど、今度は“地球”。規模がでかいw ただその風呂敷がデカかったためか、やはり100分程度の上映時間では映像の駆け足感は否めず、全11集もかけて放送したNHK・BBC制作の「プラネット・アース」(映像ソースは同じ)を見た人間からすれば物足りない。 今日的な作品らしく、地球温暖化問題にリンクした演出で、氷のない北極で死にゆくホッキョクグマの姿には危機感も覚えるけど、やはり全体を見渡すとテーマをどこに置きたいのかぼやけてしまった気もするね。 映像はさすがに劇場ならではの大画面の迫力が素晴らしい。撮影も大変だったと思うけど、それだけのことはある映像だと思います。ただ、ここで聞こえてくる音ってどこまで本物なんだろうか?ホッキョクグマなどは超望遠と思しき映像もあるけど、音がハッキリ聞こえるのは指向性マイクの力?それとも音響効果? | |
(2011年制作) サイレントからトーキーへと変わりつつある1920年代後半のハリウッド。サイレント映画スター・ジョージが次第に没落していく姿と、新人女優がトーキーの花形役者になっていく様子を描いたドラマ。 |
モノクロ・サイレント映画という形態を取り、クラシック映画への想いを、パロディではなくオマージュとして正面から描いた作品。登場人物は基本的にステロタイプでわかりやすいが、主人公ジョージは"時代に取り残される男"として少し複雑だ。過去の栄光に固執することで、新技術であるトーキーがもたらす未来が理解できなかった男。それだけだとただの破滅映画だけど、彼を"愛し続ける女"ペピーが重要な救いとして存在する。終盤の2人のミュージカル映画の到来を予感させるようなタップダンスの楽しげな画は、それだけで映画の魅力に満ちてるではないか。 ちなみにこの場面でトーキーに変化するが、そこで聞こえてくる声…、"Cut!"から始まり"Action!"へと続く9つのセリフは、映画撮影を象徴する言葉ばかり。そんなセリフを映画のラストで初めて聞かせるという…実にニクらしい良い演出w その直前のシークエンスにある"BANG!"の使い方も、サイレント映画ならではの表現で面白い。構図にしてもずいぶんとクラシック映画風な画が多いけど、何かのマネというわけでもなく、クラシック映画そのものへの敬意だと伝わってくる。階段でジョージとペピーがすれ違うシーンにも象徴されるように、行動や位置そのものがキャラクター性を補うような見せ方もしていたりと、考えられた演出で魅せられます。 | |
(2021年制作) ゾンビに支配されたラスベガス。核ミサイルによる掃討作戦が迫る中、カジノ地下金庫に残された大金を盗み出す強盗計画の為、傭兵たちがラスベガスに潜入する。 |
ザック・スナイダーにとって「ジャスティス・リーグ」の降板以来4年ぶりとなる作品だけど、長編デビュー作と同じゾンビ映画で“スナイダー作品らしい”血まみれ&損壊しまくりの原点回帰になっていて、「監督が元気になって帰ってきた!」という感じがうれしい。特にオープニングクレジットは振り切れていて笑ってしまうw 上映時間2時間半という長さはちょっと躊躇してしまうけど、この強盗計画をするならこれくらいの人数になることを考えると、その上でそれぞれの死にっぷりを描こうとしたらこれくらいの時間は要るかなとは思った。この手の映画でよくある“計画外の出来事”を起こすために娘が同行する部分も、お約束にしては受け入れやすい動機なのであんまり不満はない。 ゾンビ映画において、ゾンビがなぜ発生するのかは基本的に説明は要らないと思っている。本作も最初の1体は“エリア51”にいたということ以上は分からないけど、「そこならいそうだな」と思わせてしまうあの場所はほんとにフィクションにとって便利なところですわw 一方、計画時点で抜けた男とか、ゾンビの王にかまれることで知性持ちのアルファゾンビになるといった設定は、伏線っぽいわりにはあんまり機能していない感じではあった。ゾンビタイガーも結局倒してはいないしなあ。(ヘイトを集めた男がボロ雑巾にする役目だけ。) 結局のところこの映画は、「(人もゾンビも)どのように殺されるか」を描く趣味的な作品だと思う。そういう意味では、スナイダー監督は楽しんで撮っていそうだなというのが伝わってきて良い。“ゾンビ”という現象はそれを描くための道具だったということかな。 ところで映像面ではやたらと人物アップが多く、被写界深度も狭い映像が多かった印象。特に人物アップに関しては「これって大画面だと圧迫感の方が強くない?」といった感じはあった。NETFLIXオリジナルの配信映画だし、TVでの視聴を意識した画面設計だったのだろうか? | |
〜ダグと仲間のキックオフ!〜 (2018年制作) 石器時代を生きる主人公の少年ダグの姿を描いたアードマンのストップモーションアニメ。彼は鉱山の利権のために青銅器文明の総督に奪われた彼の故郷を取り返すべく、総督が開催するサッカー対決に挑戦することを決める。 |
“原始人”という直球のタイトルだけど、中身はサッカーによる友情・努力・勝利というスポーツ漫画風味な話という不思議な世界観だね。ニック・パーク監督の作品らしいデフォルメされたキャラクターによるちょっと可笑しなやり取りや、クオリティの高いクレイアニメーションはさすがだと思う。総督と伝言鳥のやり取りなどは割と好きw けれど、ストーリーは予定調和なものであまり意外性もないので、その辺は少し物足りないかなあ。世界観が楽しめればありだとは思うけれど。 それにしても森の中や競技場といった空間の広がりがしっかり表現されているのはすごいと思った。満員のスタンドの観客とかはどうやってるんだろう? | |
(2022年制作) 実在の独立運動家ビームとラージュをモデルに、2人の友情と闘いを描いたインドのミュージカルアクション映画。(フィクション) |
これは確かに叙事詩ですね。最初は負う側と追われる側の話かと思いきや、ラージュの過去が分かってくるとともに運命の交錯といったドラマの要素がどんどん盛り上がってくるのが良い感じ。3時間もある映画なのに飽きのこない展開と熱い映像のオンパレードで面白かったですよ。久々にインターミッションのある映画を観たなあ。正直言えばケレンとご都合主義の塊のような話なのだけど、その時間が全く気にならないくらいの熱量を観る者にあててくるパワーがすごいです。スローモーションを多用したビジュアル重視のアクションや「ナートゥ・ナートゥ」の様なキレの良いミュージカルシーンも強く印象に残るし、たしかにこれは話題になる映画だよなというのも納得。肩車アクションはハッタリも良いところなんだけど、それを許せてしまうのがこの映画の魅力だなあw 主演の二人はオーラとエネルギーがあって映画の進行を見事に牽引してます。それに対抗するスコット総督もオーラがあって良いですね。演じるレイ・スティーヴンソンはこの映画の後に亡くなってしまったけど、残念だなあ。ちなみにこの話で一番悪いのは総督婦人だと思います。 | |
(2015年制作) 隕石が衝突せず、恐竜が絶滅しなかった世界。弱虫なアパトサウルスの子供・アーロと、人間の子供の旅を通じて彼の成長を描いたピクサーのCGアニメーション。 |
何かを擬人化して描くのはお手の物のピクサー。今作は恐竜を擬人化した物語だけど、正直言ってなんで恐竜で描く必要があるのかわからない映画だった。「トイ・ストーリー」や「カーズ」にはテーマを語る上でオモチャや車である必然性もあったけど、この映画ではそこが微妙。ピクサーだからこそ期待してしまう部分の裏返しとして、本作は平凡な感じしかしなかったな。実写の様な風景の描写には舌を巻いたけど、ユーモアの無くなった「アイス・エイジ」みたいな感じにしか思えない様では…ねえ。 物語自体を言い換えれば、アメリカの開拓民の一家に生まれた少年が主人公で、父を亡くし、狼の子供と出会い、道に迷ってカウボーイと行動を共にし、牛泥棒と戦って成長する物語。…が恐竜で描かれているだけ。これで進化した恐竜の独自の文化でも観せてくれるならまだしも、完全に西部開拓だし。まあビジュアル的に恐竜というのは子供にはウケそうだし、主人公の成長という話だけで言えばいい話ではあるのだけど。でも照れもなく描かれる教科書通りの良い話っぷりには、何かの翻案ばかりを繰り返していた「ひと昔前のディズニー映画みたい」な印象しか感じなかった…。というのが正直なところです。 | |
この映画はビートルズファンであればあるほど楽しめる映画だと思う。そういう点で、俺はこの映画の魅力という物を100%理解はできてないなぁ。とはいえ、この親子の非常に深い愛の物語に感動する。法廷劇になりそうな展開の一方、そんな重い空気を吹き飛ばすコミカルなシーンもあったり、非常にテンポがよかったです。しかし一番は人ドラマとしてのストーリーの良さ。「フォレスト・ガンプ」を見た時と同じような感覚を覚えました。 |
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壊滅的なウイルス感染によって、NYでただ一人の生き残りとなった男の姿を描いたSF作品の3度目のリメイク版。 |
オリジナルは未見ですが、これは…存外に「28日後…」を思い浮かべてしまうようなゾンビ映画のテイストですなw ただアクション映画としても面白いし、ウィル・スミス演じる主人公の孤独感も描き方は悪くない。相棒犬のサムは…、悲しいね。全体的に緩急があり、見せ場もしっかりしているのでなかなか楽しめました。 冒頭の無人で荒廃したNYの街並みは圧巻。「バニラスカイ」で似たような無人のシーンはあったけど、荒廃している分、ビジュアル的なショックは大きい。あのNYがこんなになっているんだからね。 主人公が大手を振っている日中帯に対して、闇に対する恐怖描写も上手い。特に最初に暗いビル内に入るシーンは、常套的な演出ではあるけどやはりハラハラしてしまった。中盤に「シュレック」の引用が出てくるのは驚いたなあ。会社も違うのにw テーマとしては敵と対峙することにある映画なんだと思うけど、9.11後とダブるNYを舞台に、「その敵を作り出したのも人間」と語る主人公の台詞が全てかね。 <追記>観賞後に原作のエンドを知ったんだけど、それを思うとこの映画版は“主人公の自己犠牲で終了”という行為が娯楽作としてのウケを狙い過ぎ、とも思えてしまっていささか評価が下がります。満足度は1つ下がるかな?詳しくはブログの記事へ。 | |
(1999年制作) 1957年を舞台に、宇宙から突如飛来した巨大ロボットと少年との交流、そして政府と軍による追撃を描いたアニメ。 |
公開時はヒットこそしなかったものの、この作品の出来はかなりイイと思う。まあ、プロットこそ「E.T.」や「キングコング」といったものから、その他諸々の作品を想像しないでもないが、そこはある種の王道ということなんでしょう。 心優しき巨大ロボットが誤解によって軍から追われるわけだけども、その首謀者である役人ケント・マンズリーの小憎いことw 終盤では最低な役回りですな。まあ彼を除けば登場人物は良い人ばかりですが。 ラストのジャイアントの決断には(ベタと言えばそうだが)グッと来るモノがあった。最終的には希望を残したハッピーな終わり方なのでその辺も良い感じです。 | |
シグネチャー・エディション (2015年制作) 劇場公開版に2分の追加シーンを加えた完全版。 |
公開から16年経って完全版を世に出すという事は、ブラッド・バード監督の思い入れをうかがい知れるというもの。鑑賞した際の印象は公開版と変わらず、ラストの展開には心をぐっとわしづかみにされます。ロボットと少年の交流というベタなプロットの背後にある冷戦時代の悲観的な空気もよく出ているし、それによって政府や軍が巨大ロボットに疑心暗鬼になるという筋書きを支えてもいる。だけど、よくもまあこんな溶け合いそうもないプロットを上手く混ぜ込んだものだ、と今になって思うw 人物や背景はアメリカらしいデザインに手描きのフルアニメーションで。そこにCGのジャイアントを違和感なく存在させてもいるけど、そういった新旧技術の融合もお見事。今観ても技術的な過渡期の映画によくある安っぽさを感じないのは、ジャイアントのレトロなデザインが効いているからかな。 90分という尺でジャイアントに感情移入させてしまう展開は見事だが、それは「なりたい自分になれ」という普遍的なテーマがしっかりしてるからだろうと思う。 | |
(2012年制作) 月の裏側に逃亡し、巨大基地を建造していたナチス・ドイツの残党。いよいよ彼らの地球侵略作戦が始まる。 |
基本的にアイデア一発勝負のバカ映画だと思う。「月の裏にいたナチが攻めてくる!」というネタで90分間をどう見せるか。その点では上手く長編映画にしているかな。ナチの連中は現代の地球を理解していないバカではあるが、米国の大統領(どうみてもサラ・ペイリン)も選挙の事しか考えてないバカで、それらが出会ってバカバカしい宇宙戦争になっていく。ユダヤの話題こそ出さないものの、黒人は劣等人種だから白人に改造してしまう…、というブラックな人種ネタは笑える。チャップリンの「独裁者」が「世界を包み込む総統の慈愛を描いた有名な10分の短編映画」と出してきたのもおかしい。このネタはちゃんと後半に回収もするけど、終盤には明らかに「博士の異常な愛情」のオマージュもあるし、風刺映画としての自覚を持ってやっているようにも見えたね。ただ、もう少し踏み込めればという部分と、B級から脱しきれない構成の部分は惜しいとも思ったところ。 しかし何故ナチ的なデザインのものは映画映えするのだろう。そもそもそういうナチのデザインセンス自体がプロパガンダの一環だったからなのかもしれないけど、この映画でもナチ的デザインの宇宙船や宇宙服が…カッコイイ!ツェッペリン型の巨大宇宙船なんて…これだけ観れればもうたまらんねw | |
第三帝国の逆襲 (2019年制作) 月面ナチスとの戦いに勝利したものの、その後の核戦争で人類は滅亡の危機に。生き残った数少ない人類は地球を脱出し、月面の旧ナチス基地で暮らしていたが…。 |
「アイアン・スカイ」の直接の続編ながら、B級映画っぷりに拍車がかかっただけであまり面白いとは思わなかった。同じB級でも前作はもっとギリギリなネタで上手く攻めてきていたと思うし、それがブラックコメディの勢いとしても面白さに繋がっていたと思うんだけど、そういう部分のほとんどが鳴りを潜めてしまっていていまいちな感じかなあ。脳筋とロシアン・ギークの男2人を従えた黒人女性の主人公が、強く賢く活躍するって時点で何かに配慮しまくりな印象で、基本的にバカな世界観の中で一人真っ当に行動しようとしているもんだから逆に話の安っぽさが際立ってしまうというか…。それをわざとやっているのだとしたら大したものだけど。 あえて面白かったところを言えば、アップル教信者を皮肉りまくってるところくらい? T-REXにまたがったヒトラーが月面基地に殴りこんでくるシーンの絵面は最強だけど、話の流れ上では唐突すぎてどうも。まあT-REXの名前が“ブロンディ(2世?)”だって部分は笑ったかなw でも全体的には前作の方がもっと皮肉が効いていて面白かったよなあ、という寂しさだけが残った感じです。 エピローグでは火星に共産主義者の基地が映ってたけど…まだやる?(苦笑) | |
(2008年制作) 天才的発明家にして兵器開発会社の社長トニー・スタークが、ある事件を切っ掛けに自らアイアンマンとなって平和のために戦うマーベルコミックの実写版。 |
アイアンマンのパワード・スーツがかなり男心をくすぐる造形とギミックで面白い。銃弾が効かず、マッハを超える速度で空を飛ぶ姿はロボコップやロケッティアといった過去の映画を思い出したりもするけど、そのパワーや能力の魅力は良いね。でもカッコイイだけでなく、開発中の失敗や脱いだりするのに苦労したりという笑いどころもあって、エンターテイメントとして楽しめるアメコミ映画でした。 ストーリーは初っ端がテロリスト絡みで展開するので、“アメリカの敵はテロ”というように話を持っていくのかと思いきや実は黒幕が…といった捻りが多少ある。でもそのあたりを妙に凝らずに小気味良いテンポで進めたのがこの作品の良いところか。まあ主人公が苦悩しても暗くならないキャラだからなあ、前向きに進むんだよね。そういう点で「ダークナイト」とは違う魅力があります。 しかしこの映画、アフガンをまるで隣の庭のように描いているね。アイアンマンが飛んだと思ったら、すぐにアフガン。地理上の距離感が乏しい大味な描写は「あ〜アメリカ映画だね」と思ってしまった。 ちなみに、いくらパワードスーツを着ていたって、中身の生身は衝撃に耐えられんだろ…というツッコミをするのはダメですw | |
(2010年制作) 鋼鉄のスーパーヒーロを描いたアメコミ実写映画の2作目。 |
今作では武器商人ハマーと、スターク家を恨むウィップラッシュがアイアンマンの敵として登場するが、彼らをライバルとしての魅力を出すには、話の筋がどうしてもまだるっこしく感じてしまって今ひとつ。前者は策を弄する割には小物過ぎてスタークの相手ではないし、後者はパワータイプのライバルになりそうな割にはガチバトルがほとんど無い。何かこうもっと盛り上げ方があったんじゃないの?と思ってしまった。主人公のアークリアクター中毒とウィップラッシュの復讐がほとんど別次元で進行しているのも、散漫な印象を与える原因か? とはいえ、ニヤリとするジョークの類は前作と同じノリで楽しめるし、終盤のアイアンマンvsウォーマシン&ドローンのスピード感と迫力はなかなか見応えがある。携帯アイアンスーツは「そんなのもあるのか」とドキドキした(w)。そういうところに見栄えがあっただけに、妙に父子のドラマ性にこだわらずにスッキリアクションで攻めてくれた方が俺は良かったかなあ。 それにしても監督、出過ぎです。面白いけどw | |
(2013年制作) 鋼鉄のスーパーヒーロを描いたアメコミ実写映画の3作目。 |
2作目と本作の間に「アベンジャーズ」が公開されているので実質4作目か。テロ組織の黒幕が暗躍する中、その黒幕を挑発したトニー・スタークは屋敷ごと吹き飛ばされるという事態に。話は先が読めるし、前振りも少し長く感じたけれど、いざスーツを装着して戦う姿はやはり燃える。本作では割と生身での戦闘もあるものの、一部装着でのギミックやアクションは凝っていて楽しい。まあ本音を言えばもう少しスーツでの活躍が観たかったかな。 クライマックスの"パーティー"はスーツの物量戦が圧倒的!あんなに作っていたとはw そう思えばなるほど"マーク42"という番号も前振りだったのか。そのマーク42はバラバラからの装着や遠隔操作で見せ場を作る。屋敷崩壊の時にポッターを助けた方法は見せ場として良かったなあ。 一方で敵役にはもうちょっと魅力が欲しかったか。どうせならパワードスーツ同士の戦いが良かったのだけど、キリアンはもうミュータントだよね。決着のつけ方もポッターにつけさせてしまって…、その部分では少し不満もあるけど。あ、エンドクレジット後のオチは良かった。マーク・ラファロw | |
(2008年制作) 1936年7月。最後の難所と呼ばれたアイガー北壁に挑んだドイツ人登山家のアンドレアス・ヒンターシュトイサーとトニー・クルツの姿を、実話を元に描いたドイツ映画。 |
山に登るだけというなら単純な話で終わるのだけど、そこにそびえ立つ北壁の険しさ、天候の過酷さなどがひしひしと画面から伝わってくる。気が付けば自分自身も一緒に山に登って危機に陥っているような、そんな息苦しささえ感じてしまう力強さがこの映画にはありました。 思いっきり見下ろしたり見上げたり、近傍の登山とはるか遠景の距離を意識させるアングルは、やはり画面の収め方が良いですね。なにより彼らに迫ってくる危機とは、突然襲ってくるものではなくジワジワと忍び寄ってくる感じ。そして少しの判断ミスによって後に退路が立たれてしまうという伏線の使い方。この辺がドラマとしての緊張感を見事に引き出していて、実に見応えがあります。 ここで描かれる挑戦は、史実通り彼らの全滅で終わる。でも麓で待つ幼馴染の女性(これは創作か?)の決死の行動によって最後までどうなるかと…、いや助かってほしいと思わせる盛り上げ方にはすっかり参ってしまいますね…。この悲劇の強烈さや、美しさと裏腹に"人を食うオーガ"と呼ばれたアイガーの恐ろしさを、まざまざと見せつけられた感じです。 | |
1920年代のベトナム。フランス人少女と華僑の富豪青年との物語。 |
表面的には俺の好みな話ではないけれども、貧乏白人少女と富豪の華僑青年という関係が話の奥深さを出していると思う。中盤に出る「共通の未来はない」という台詞が、終盤になればなるほどこの話の哀しさを如実に表してますな。 最初の渡船のシーンとラストのフェリーのシーンで、少女に同じポーズをつけたのは良いね。物語の統一感があるし、巧く締めているわ。 | |
(2002年制作) |
なかなかセンスのいい作品だとは思ったけど、シュレックとかぶっている所が目について、個人的には・・・。小さくておしゃべりな奴と、でかくて強い奴のコンビなんてそのままだし、出会いが追われてた所を助けられるっていうのも同じ。好意的に受け取れば、王道的展開なので良し、か?。とはいえ話はテンポ良く進むし、ストレスは溜まらない。ただ、キャラが死にすぎ。子供に見せる作品としてはこんなに死んでいいのかなぁ?と少し疑問に思いながら観てしまった。UFOを見た赤ん坊がバルカンの挨拶をしたところは笑った。スター・トレックは偉大なんだなぁ。 | |
(2006年制作) |
氷河期も終わりの頃、氷河が溶け出し大洪水の危機が迫る。前作で仲間になった3頭は洪水を避けるために谷の反対側にあるという船を目指す。 背景やCGキャラなどは前作を踏襲したデザインではあるけれど、グラフィックの細かいところの進化は凄いです。特に毛並みや水の波や透明感は良くできてるねえ。 今作は主人公3頭それぞれに小さいテーマが用意されてるけど、中心はマンモスのマニーの話か。個人的には彼のような性格は共感がもてるので楽しめた。なんとなく自分に重ねてしまってるかもね?w でもそれはそれで、最後まで観て何か得る物があるのかというと、やっぱり“一つのお話を観た”くらいのもののような気がする。同じFOXのCGアニメでも「ロボッツ」ほどのテーマ性は無いかな? まあ、面白いのは事実なんですが。 本編とは別の流れで、ドングリにこだわるリス(?)であるスクラットのショートショートが挿入される。やってることはまるでカートゥーンの基本みたいな事なんだけど、これが面白い。動きだけで実に笑えますw |
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ティラノのおとしもの (2009年制作) |
ティラノサウルスの卵を拾ったナマケモノのシド。そのシドが子供を取り返しに来た母ティラノに連れ去られ、彼を救うべくマンモスのマニー達はティラノの向かった地底へと進む。 地底に広がる恐竜たちの世界という設定は、まさにジュール・ヴェルヌの「地底旅行」な感じ。…というか、もはや舞台が氷河期である必要すらなくなっているというのは、話のネタ探しの苦労を感じさせられるところでもあるねえ。 いつものメンバーが「ジュラシック・パーク」的世界に紛れ込むという設定の他、冒険家・片目イタチのバックが新しい仲間に。バックは「白鯨」のエイハブ船長の様な思いを持って、ティラノより巨大なバリオニクスに挑んでいる。そういった“今作は冒険映画で行く”というテーマがハッキリしているところは悪くない。とはいえストーリー展開はありがちなものであるし、もう少しヒネりがあると面白かったのだけど。 プテラノドンを操っての空中戦では何故かレシプロ的な音が聞こえたり、マンモスと比較して恐竜の設定がデカ過ぎるなど、サービス過剰なところも目立つ気はするけど、まあこの手のアニメではご愛敬か。 |
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確か「シン・レッド・ライン」を観に行ったときに予告編が流れた記憶がある。あのときは、「キューブリックは、ポルノを撮るのか」と思ったものだけど、いざ観てみるとそうではない。虚実と夫婦と性と欲望。人間を哲学した映画だと思う。 あの秘密結社のようなパーティーの参加者がつけている“仮面”は、人間生き方を象徴したものなんだろう。生きていく上で人間は本心を明かしてはいない。それは夫婦の間ですらそうだった。主人公は妻の告白を聞いて混乱し、そしてしばし虚実の間を彷徨う。全てを知ることが本当の幸せなのかどうか。知ろうとすることは本当に正しいことなのか? 劇中には主人公にとって「知っておいた方が良いコト」と「知ろうとしなくても良いコト」が提示される。そこから何を得ようとするのか、それを考えなくちゃいけない。 ラストの一言は、個人的には彼らのごまかし合いとしか受け取れない。でもそれが正しいのか間違っているのか?俺には分からないが…。やっぱりキューブリックはすごい。 |
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史上最大のスキャンダル (2017年制作) |
1994年に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」の疑惑の中心人物、トーニャ・ハーディングの半生を描いた伝記映画。 ハーディングと言えばあの襲撃事件がワンセットで連想されるのは確かだが、邦題の副題はちょっと煽りすぎかなw この映画ではその事件に至る経過を描きつつ、ハーディングの幼少期からの環境も見せることで彼女の人格が成立していく過程を垣間見せる。スパルタな母親とDVの夫という環境が彼女の「自己正当化」と「責任転嫁」指向を作り上げていった様にも見えるが、劇中の人物をして「バカしか登場しない話」と言わしめる物語は、同情というよりは憐憫に近い感情も出てくるかな。人生は人との関わりが複雑に絡むだろうが、ハーディングはそういう意味では恵まれなかったのだろうか。しかしハードトレーニングもこなすようなハングリーさは、あの母親の影響下にあったからこそでもあったのだろうけれど。 架空のインタビュー形式で話が構成されていて、しかも冒頭で「異論はあるだろうが」という但し書きまでついてくる。ということでここで描かれる話は「藪の中」の一面でしかないわけだけれど、事件の真相はともかく、ハーディングという人物の人格形成の物語としては興味深く観られたね。スケートシーンではボディ・ダブルやVFXも使っているようだけど、それでも見せ方は上手かったし、擦れっ枯らしな感じのハーディングを演じたマーゴット・ロビーは良かった。でもそれ以上にこの映画の見どころは母親役のアリソン・ジャネイの存在感だなあ。 |
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(1973年制作) |
1957年のウィーン。ナチス親衛隊の残党の主人公は、過去を隠してホテルの夜番として働いていた。そんなある日、過去に強制収容所で弄んだ少女が泊り客の妻として主人公の前に現れる…。 なんかいろいろと倒錯したストーリーというか…。序盤は主人公・マックス(ダーク・ボガード)の親衛隊時代の証人として、泊り客の妻・ルチア(シャーロット・ランプリング)が身の危険にさらされるという流れかと思ったら、その筋をメインにしつつも、マックスとルチアの両想いの愛が燃え上がるという、にわかには目を疑う展開に。たとえ過去に親衛隊に弄ばれたとしても、いつ命を失うか分からなかった収容所のルチアにとっては、マックスに求められたことで命があった…という事が異常な関係の中での“愛”になったってことなんだろうか? 回想シーンでルチアが軍帽を被って上半身裸にサスペンダー、そして皮のドレスグローブで歌う場面はとても有名だけど、いやはやその後のプレゼントも含めて実にデカダンス。 中盤になるころには倒錯した愛が燃え上がってヨーロッパ映画らしいなあという雰囲気になり、さらに終盤に向かうと彼らの破滅へ向かう感じが次第に何とも言えなくなってくる。ナチス残党の仲間に狙われたルチアを守るための籠城。衰弱していく二人。最期はナチスの制服と収容所時代の様な格好で撃ち殺されるなんてねえ。個人的には彼らに感情移入も同情もできなかったんだけど…物悲しくはあるかな。撃ち殺した人物はマックスにダンスを見せていたダンサーだが、どうもホモセクシャルな匂いのするキャラだったから、そこにも何かマックスやルチアへの愛憎が感じられた。 |
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THE PEANUTS MOVIE (2015年制作) |
日本でも有名な米国の漫画「ピーナッツ」の3DCGによる劇場版アニメーション。 2次元キャラを3次元に起こす時、顔の向きで形が一定にならないいわゆる“スネ夫の髪問題”。スヌーピーやチャーリー・ブラウンといったこの「ピーナッツ」のキャラデザインは特に記号的なキャラデザインなので、3DCG化はデザインに工夫がいるところだと思うが…とても上手くできていて感心した。2.5次元とでも言うのだろうか。リアルに人形化を目指すのではなく輪郭線のイメージをどこまでも守って作られたデザインは、暖か味のあるリアルな質感でありながらも不気味の谷のはるか向こう側にいるという、原作のイメージからそのまま抜け出したようなステキな世界だった。特にキャラクターたちのキビキビとした動作。そこに制作者たちの原作に対するリスペクトがこれでもかと詰め込まれていると思う。それが伝わってくるので、観ている方も安心感があるよね。 ストーリーは何をしても何かしら失敗するチャーリー・ブラウンの"個性"を中心に描いた物語、そして時々スヌーピーの空想世界。チャーリー・ブラウンの心の優しさ、失敗ばかりでもみんなに好かれるそのキャラクター性が90分弱の話によくまとまっていたと思う。心がくすんでしまったおっさんの身からすると、心が洗われるようでいて…グサグサ刺さりもするなあw 一方でスヌーピーの空想…フライング・エース・スヌーピーは3D映画ならではのダイナミックな空中戦!総じてとてもよく出来た「ピーナッツ」の新作だったと思う。 |
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快適な管理社会の裏に隠された真実を知った男女の逃亡と戦いを描くアクションサスペンス。 一言で言えば、良くも悪くもマイケル・ベイ監督作品です。つまりアクション描写の迫力は安心してみることが出来るけれど、ストーリーや設定上の疑問点は多い。あくまで娯楽としてみる映画であれば十分楽しめるし、「パールハーバー」に比べれば十分面白いけどねw “管理社会”や“クローン”と言ったテーマは、今までにも数多く描かれたテーマであるから、どうしても演出上どこかで観たような展開が繰り広げられる。オリジナルとクローンがお互いに「俺が本人だ!」と訴えるシーンとかね。でもそれはお約束に近いから俺は気にならない。むしろ、プロの傭兵の割に詰めが甘かったり、手術される人間が簡単に銃を持ち込めてる場面が気になって仕方なかった。 主演のマクレガーは好演してたね。合成で二人のマクレガーが同時に映るシーンも極めて自然。また性格の演じ分けも説得力があった。見た目が同じでも違う人物に見えるのは演技力なんだろうねえ。個人的に好きな俳優、スティーヴ・ブシェミやジャイモン・フンスーが良い役で出ていたのは嬉しかったわw |
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(2019年制作) |
トラック運転手だったフランク・シーランはある日からマフィアの裏仕事も行うようになっていった。そんな彼が最晩年に人生を振りかえって得たものは何だったのか。 未だミステリーとなっているジミー・ホッファの失踪事件を、犯人説の一つであるフランク・シーラン犯人説で描いた内容だけど、正直言うと自分はホッファの事をこの映画で初めて知りました。その事件をホッファ視点ではなくシーラン視点で描くことでアメリカの裏社会の歴史の一旦を垣間見た気にさせてくれるし、晩年の様子を通じてマフィアの一員として生きた者の悲哀がジワジワと効いてくる構成は上手いなあ。内容的にはホッファとホッファに関係したマフィアを描いた伝記映画みたいなものなのに、主人公・シーランと娘・ペギーとの距離感をフックにすることで、彼の行為が「彼自身に与えたものは結局何だったのか」と考えさせられる終盤のペーソスがドラマとしてとてもよく出来ていたと思う。 ただ、映画の尺としては3時間半。ホッファの話だけなら2時間くらいの映画になったかもしれないけど、やはりこれはシーランの話なので、事件後の彼を(普通の伝記映画ならエピローグの文字説明になりそうな内容まで)しっかり30分かけて描いている。それによってこの映画がドラマとして完成しているとも言えるけれど、…長さを感じなかったと言ったらウソになるかな。 |
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-音速の彼方へ- (2010年制作) |
レース中の事故により34歳の若さでこの世を去ったF1ドライバー、アイルトン・セナの栄光と苦悩のF1人生を記録したドキュメンタリー映画。 事実は小説よりも奇なり、ではないが、ちょっとしたドラマよりもよっぽどドラマチックな構成の作品でした。セナ自身が駆け抜けた短い生涯の中で掴んだ栄光。その一方でプロストとの確執やFIA会長バレストルの政治的圧力への孤独な戦いといった部分での人間ドラマが強調され、作品構成としては孤独なヒーローといった趣ですごく引き込まれる。悪役にされたプロストには気の毒だけど、実に上手い構成だ。ドキュメント作品としての客観性よりも、セナの思い出に捧げられたフィルムとして記録に残る作品だと思う。 使われる映像は世界各地のF1中継映像やサーキット外のインタビューなど。マンセル、プロスト、ピケなどの当時のトップドライバー達の映像も懐かしいが、個人的には若いロン・デニスやチラッと映るバリチェロとのツーショットも印象的。それにしてもチャンピオン争いの天王山がことごとく日本GPなのが日本人としては感慨深い。フジの映像も結構使われていたけど、セナの訃報に際してイモラから実況の三宅アナと解説の今宮氏、ピットリポートの川井氏が、声を詰まらせながら視聴者にその事実を伝えた映像がそのままこの映画に使われたのは驚いた。でも悲しみに暮れるその三人の姿は、その時の世界中のファンの気持ちを代弁しているように思う。 |
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この映画に似たようなコンセプトの話は今までにも色々と観たことがある。でも、素直に面白かった。“どこかで観たような”話を巧みに取り入れているねえ。個人的には「A.I.」と「マイノリティー・リポート」を足して2を掛けたような楽しさかな。なんと言ってもロボットのサニーの造形、これに尽きる。明らかに“ロボット”でありながらあの微妙な表情、そして見え隠れする感情的な表現や言動。特に廃棄されることを覚悟している姿は、ハッキリ言って「A.I.」よりもずっと感動する。「こいつを壊さないでやってくれ」という素直な気持ち。ウィル・スミス演じるスプーナー刑事も彼らしさを生かした良いキャラですな。笑いも取るし、肉体を生かした(合成が多々だけど)アクションもバリバリある。軽い謎解き、ハデなアクション。お腹いっぱいのエンターテイメントでした。 | ||
(2008年制作) |
1958年、年上の女性ハンナとの逢瀬を重ねる少年。しかし彼女はその夏に突然姿を消す。再会したのは8年後、ナチ戦犯を裁く法廷だった。 序盤の逢瀬を重ねるあたりなんかは、色んな意味でヨーロッパ映画みたい。それだけで終わったらただのイヤらしい映画になってしまうけど、ベッドの上で本を朗読させられていたということがキーとなり、後半はかなり魅せられる文芸作品という趣になってます。 ハンナ役のケイト・ウィンスレットは身体を張った演技ではあるが、微妙な表情で感情を映し出し、後半では「人生を狂わされた男」という文字を背中に背負った主人公のレイフ・ファインズが、その哀愁漂う雰囲気を上手く出してるね。多くを語らないが何となく間で分かってしまうという演技や演出は見応えがありました。無知が故の罪は罪であるか、「裁判長、あなたならどうしますか」の台詞が重い。さりげないながらも哀しげな劇判も、なかなか効果的です。 |
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(2018年制作) |
DCEUシリーズの6作目。DCEUに登場するヒーローの一人であるアクアマンの単独映画。海を汚し続ける地上文明に対しての戦争を計画するアトランティスの王・オームを止めるべく、アクアマンことアーサーは渋々ながら行動を開始するが…。 実に正面突破なヒーロー映画にしてアドベンチャー映画。海の中を飛ぶが如くすさまじい勢いで移動するスピード感は楽しい。というか海底文明の描写はファンタジー以外の何物でもないし、戦闘にしても規模感がもうヤバいんだけど、この規模の存在がよく今まで地上文明に見つからなかったな、と(苦笑)。でも話の勢いに飲まれて普通に受け入れてしまっている自分がいるのですw アクションは実にハデでカメラワークも自由自在。少し前に流行ったカットを割りまくるスピード感の演出じゃなくて、長回し方向の、流れの中でスピード感を重視したアクションを展開する感じ。実に目まぐるしく、見ごたえがある。投げ飛ばされる方にカメラを固定して画面を回す手法は、監督が「ワイルド・スピード」シリーズでも使っていたけど、アクション映画としては迫力効果が抜群ですな。 しかしこの映画はもはやDCヒーロー映画と聞いて想像する暗さなんてものは微塵もないよな。確かに爽快で面白いのだけれど、DCEUの方向性を決めたザック・スナイダー的なものからは完全に脱却した上、奇しくもこれがDC作品としては最高の興収を記録したというのには、どことなく皮肉めいたものも感じる。 劇中の大半を海中シーンという設定で描かれているけど、その浮遊感というのはよく出来ているなあと思った。人物自体はグリーンバックで合成して浮かしているんだろうけど、静かな場面でも髪の毛が海中で浮遊している感じが常にあって、地味に手間のかかるVFXが全編に施されているなあと、変な所でも感心した次第。でもそういう小さいリアリティが大きいウソを支えているんだよね。面白かった。 |
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失われた王国 (2023年制作) |
DCEUシリーズの13作目。前作でアクアマンに破れたケインが復讐の機会を探る中でブラック・トライデントを手に入れる。それにより失われた王国の王の力を手に入れるが…。 製作面で紆余曲折あったDCEUも本作で最終作。結局ユニバースとしての風呂敷は閉じきらないままになってしまったのが残念でなりません。とりあえずそのことは脇においておくとするならば、本作は「アクアマン」シリーズの2作目としては普通に楽しめるアクションアドベンチャーになっていたのかなとは思う。アーサーの軽いノリと、かつて戦った弟・オームとの共闘という展開は、王道だけど真っ当な続編感があって悪くなかったし、復讐に燃えるブラックマンタが(個人的に造形が好みなので)たっぷりと暴れてくれるのもいい感じ。まあ予定調和以外の何物でもないと言われたらそうなんだけど。あと敵方に良心のある科学者がいるっていうのはちょっとご都合主義な感じはするかな。 海のものをモチーフにした機械としてシュモクザメのような潜水艦などが出てくるけど、タコのような潜水艇については「マトリックス」の“スクウィッディー”を思い出したりもした。まあこの辺は遊び心も感じる部分か。逆に火山島の巨大生物は適当に昆虫が大きくなっただけなので特にそそられはしなかったけど、まあ「アドベンチャーしてるなあ」ということは伝わった。 結局のところ、単体作品としては普通に楽しめたものの、ヒーロー映画としてはマンネリの域からは出ていないのがちょっと物足りない。そして何よりDCEUの締めくくりとしては全く機能していないのがモヤモヤするところでもある。それはこの作品がどうのというより、ワーナーという映画会社の問題だとは思うけれどね。 |
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(2012年制作) |
1965年のインドネシアで起きた9月30日事件の経過で発生した、民間人による"共産主義者"への大量虐殺。その加害者側へのインタビューと"殺人の再現劇"を撮影したドキュメンタリー作品。 ここに描かれるのもまた価値観の衝突、だがしかし。もちろん観客側は殺人を肯定はしない。ではこの映画の登場人物はどうか。事件当事者がその殺人方法を嬉々として語る場面からも、彼らのその行為に否定的な感情は感じられない。彼らにとって共産主義者の命などに価値はなかったのだろう。そんな彼らに「殺人の再現」映画を撮ってもらおうというのだから、そのアイデアには驚くばかりだが、殺人部隊のリーダーだったアンワル・コンゴが拷問を受ける被害者を演じた時、この映画の熱量が劇的に上昇する。アンワル自身が説明していた針金による絞殺方法を、演技とはいえ自ら受けた時の反応は…。あの瞬間、「自分がしてきたこと」の本当の意味を知った瞬間が記録されていたように思う。 殺人を肯定した者たちは、今でもインドネシアで権力を持ち、政権の一翼を担っている者もいることが描かれている。選挙に至っては賄賂(有権者の方が要求する)が横行し、民兵組織のシノギも堂々と撮影されているところからも、「住む世界が違う」ことをまざまざと感じさせられた。ただ、それが特殊なのかと言えばそうではないことも示唆される。「殺人が悪ならカインとアベルから採り上げろ」「白人とインディアンは?」「戦争犯罪は勝者が決める」といった加害者側の反論は100%詭弁だとは思えない。この映画で描かれた事件の一端は、人間の普遍的な野蛮性の一部でしかないのではないんだろうか。それを暴かれているようで、そこが一番堪えるところ。 終盤、被害者を演じた後のアンワルは明らかに変化した。殺されるものの気持ちが分かったのだとアンワルは言う。監督は「あなたは映画で演じただけだ」と語りかけるが、アンワルは「分かるんだ」と語り、冒頭で嬉々として殺人方法を語っていた同じ屋上で、彼は自分の行為を振り返って繰り返し嗚咽する。この構成はあまりに映画的だとは思ったが、強烈に印象に残った。 エンドクレジットで大量に表示される"ANONYMOUS"(匿名)に闇の深さを知る。 |
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(1979年制作) |
過去に惨殺のあった家に越してきた一家を襲う超常現象を題材にしたベストセラー「アミティヴィルの恐怖」を映画化したオカルト・ホラー。 邦題の通り悪魔…というか悪霊が棲みついている家だけど、明確に姿は現さないし、最後に特段対決があるわけでもないので映画的には地味目?ただこの映画は「実話の映画化」という触れ込みで作った作品なので、そういう意味では地味な方が信憑性は上がるのだろうが。豹変するほどではないが、次第に様子がおかしくなっていく家長のジョージ、悪魔の存在を確信する神父や事件の匂いを感じとる刑事など、オカルト映画の枠としては「エクソシスト」の影響は強そう。デラニー神父役のロッド・スタイガーは良かったなあ。神父の信仰からの責任感と、一方で無力さに対する苦悩がよく分かる。 主演のジェームズ・ブローリンはジョシュ・ブローリンの親父さんですが、この映画の風貌は不思議とクリスチャン・ベールの様な感じに見えた。似てない?w キャシー役のマーゴット・キダーと言えば俺の世代では「スーパーマン」のロイス・レインだけど、同時期の映画だったんだね。 それはさておき、結局のところ家に棲む悪霊とは何だったのか。蠅が強調されているところからベルゼブブが関係しているように思えるが、地下で死んだ大量の先住民の霊が主体なのか、それともベルゼブブが主体なのかはハッキリしない。まあ少なくとも「家自体がヤバい」ということは間違いないし、家そのものにキャラクター性を持たせる見せ方は成功している。 |
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(2005年制作) |
1979年に公開された同名作品のリメイク。 どうせやるならジョシュ・ブローリンが主演だったら面白かったのに。('79年版の主演は父親のジェームズ・ブローリン。)それはともかく、オリジナルのストーリーを表面的にはなぞってリメイクとしてはいるものの、現代的なガチャガチャしたホラーに変わってしまった感じ。刑事はカットされ、神父の出番も大幅に省略。代わりに幽霊その他がチラチラ現れるようになり、その度に音で驚かすビックリ系のホラーになってしまった。それって怖いわけじゃないんだよね。驚いているだけで。 そういうわけで、お化け屋敷系としてはそれなりにドキドキする要素もあるかもしれない。しかし、いただけないのは事あるごとに「主人公の見る夢でした」という展開が繰り返される点。一度や二度ならいざ知らず、クライマックスになってまで多用されるので、奥さんに斧を突き刺しても「どうせ夢でしょ?」と慣れてしまう。これでは安っぽくなりすぎてダメなんじゃないかなあ? 逆に、家の影響でおかしくなっていく主人公(ダイアン・レイノルズ)の目が次第に充血していく様子などは、さり気ない演出で良かったと思っている。目立たないけどね。そういえば末娘役が「キック・アス」でブレイクする前のクロエ・グレース・モレッツ。子役としての才能の片鱗を見せてるかな? |
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(2013年制作) |
15年前に起きた少女誘拐事件。犯人を追い続けた刑事は公訴時効を機に退職するが、その直後、同じ手口の誘拐事件が発生する。 犯罪映画はお手の物という印象の韓国映画だが、15年前の誘拐事件と現在進行形の誘拐事件の大枠を観客に把握させた上で、時系列をちょっとずつ入れ替えながら事件の経過を描いていく構成はなかなか上手い。伏線をばらまき、若干のミスリード誘いつつ、すべてが理解できる瞬間を終盤に集約できているからね。時効日に犯人とニアミスする冒頭はちょっと映画的に過ぎる展開にも思えたけど、犯人が過去の事件現場に花を持ってきたから話が動いたわけで、まあ切っ掛けとしてはありか。 物語の仕掛け自体が横山秀夫の某小説に似ているという話は理解できる。模倣事件の加害者被害者の関係は「まんまじゃないか」とも思う。…まあその仕掛けが偶然似たのかどうかは置いておくとするが、この映画で描かれる15年前の事件が公訴時効を過ぎているということがちょっと引っかかる。話としては、公訴時効を過ぎても「それでも犯人を裁きたい」という被害者の執念が犯人を追いつめるわけだ。結果として当時の犯人は現代の誘拐事件の犯人に仕立て上げられるわけだけど、そういう意味では完全に別件だし、しかもその件に関しては冤罪じゃないか。過去の事件は時効を迎えたのであれば、この話の結末は法を超越した感情論にすぎないのだけど…何故か浪花節的な正義の執行の様に描かれる。個人的にはそこの違和感がどうも拭えない。(救出後の娘が証言したらそれまでなのも気になるが。) |
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分類としてはホラー映画になるのでしょう。しかしこの映画は非常に演出がよかった。暗闇を作る必然も説得力があり、あまり取って付けた感じもなかったので、素直にその世界観に入り込めた。しかしそうすればそうするほど、監督の術中にはまってしまう、上手い!「シックス・センス」を思い出さないでもないストーリーだけど、霊というものの存在を逆手にとり、非常に上手くまとまっている。姿の見えない存在の恐怖。タイトルもズバリそのものでした。 | ||
(2011年制作) |
米上院議員候補の主人公は選挙戦終盤に一人の女性と出会う。一方で、彼は規定された運命に沿うように事態を修正している調整局から追われることになるが…。 世の中を動かしている存在から追われ、自分の道を自分で切り開いていくというSFサスペンス。…のようだけれど、話のキーであるはずの女性との運命的な出会いがいまいちそう見えないせいか、微妙に話に入り込めない。特に終盤、主人公が調整局の目を盗んで移動する場面など、協力者や雨による追跡制限などの取ってつけた感が目に見えてしまい、盛り上げるシーンのはずなのに乗り切れなかった。どこでもドア風な遠隔地への移動描写は面白かったけど、それだけかな…。 全体のテンポも微妙だし、「(主人公を)大統領にして世界を救わせるため」とか大きなことを言う割に、一人の女に会ってはいけないというだけの小さい話にも危機感が感じられず…。運命論的な話やなんかはちょっと鼻についたかも。そもそも調整局員も、主人公に気づかれる発端が居眠りって…。敵役のプロ組織としてどうなのかねえ?w (結局その居眠り君は協力者になったけども…。) |
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(2019年制作) |
子供の頃にある事件でトラウマを負った主人公・アデレード。大人になり家庭を持った彼女はバカンスで昔住んでいた家に一家で訪れるが、その夜、玄関先に“家族”が現れる。 ホラー映画としては嫌いじゃない。随所で違和感が仕事をしているし、畳みかけるホラーな雰囲気と紙一重でやってくる笑いの数々はなかなか楽しかった。(恐怖感は玄関先の4人の影のシーンがピークだが。) 「ドッペルゲンガーは人間の原初的な恐怖」というアイデアも悪くはない、ただ、この辺になるとストーリーが設定に溺れてしまっている感が無くもない。 ちなみにこの作品は経済格差がテーマらしいけど、突然現れたドッペルゲンガーの家族をどう捉えるかで印象が変わる気がするし、俺のとらえ方は多分監督の意図とは違う気もする…。テーマを素直に受け取るなら、描いているのは成功した自分の陰で虐げられている者(この映画の場合は自分だが)がいるという格差社会の欺瞞だろう。でも俺はそうというよりも、持たざる者の妬みの話のように思ってしまった。性格がゆがんでいるだけかもしれないが(苦笑) SF的に考えるならば地下の者は本来それが当たり前の暮らしである(彼らにとって自分の生活環境との比較対象がない)はずなのだけど、地上を知る者が現れた(入れ替わった)ことで(当たり前の生活ではないはずの)地上に嫉妬することになるという感覚は、「地上の価値観」の押し付けに感じてしまったんだよね。「地下の人間は地上を羨むはずだ」というのは…ある意味で高所から見ている感じというか。その辺が鼻に着いてしまった感じ。そもそも地上の人間と表裏一体に存在するクローン達という設定は本作の説明だけではわけわからんのだが、そこは深く考えてはいけないのだろう。マクガフィンかな。 |
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(2023年制作) |
新作劇の創作の様子がTVで紹介される。その劇の内容は1955年のアメリカの荒野の町の出来事だった。 どこをどう切ってもウェス・アンダーソンの画作りで、その作家性を楽しみにこの作品を観に来た人間としては十二分に堪能させてもらったのだけれど、内容はなかなか掴みどころの難しいもののようにも思えた。劇の創作過程というTV番組と、その劇そのものという劇中劇の組み合わせは理解できるものの、「この話が何を言いたいのか?」は難しい。亡くした者に対する残った者の気持ちの整理のようなものの話は薄っすらと理解するものの、だからといって隕石や宇宙人やクレーターが何のメタファーなのかは理解できず、どちらかと言うと置いてけぼりにあったような気もする。まあ劇中でも登場人物である役者が「この芝居はわからない!」というのだから意図的なものもあるのかもしれないが。どうも自分は世界観に惑わされてしまったのか、それとも歳で頭が硬くなってしまったのか、話を掴みきれないままにはなってしまった。劇からカットされたという亡き妻との場面を語るバルコニーのシーンこそ、この作品の根幹に迫る部分だったのかな。 画作りがアンダーソン風味なら、もちろん役者の演技もアンダーソン風味。主演で常連のジェイソン・シュワルツマンは安定してますね。というか出てくる訳者が豪華すぎw トム・ハンクスの役はいつものアンダーソン作品だったらビル・マーレイがやってそうな感じもしたけど、ちょっとそこは目新しさも感じた。 |
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実在したアウトロー、ブッチとサンダンスの物語。西部劇ではあるが、典型的なそれとは違い、2人の関係を主体にして描いている。この2人、ブッチは頭脳派のリーダー、サンダンスは早撃ちガンマンと対照的な役回りのくせに、お互いを認め合う見ていても微笑ましい友情が描かれる。お互いに軽口を叩いている姿がユーモラスで楽しいが、ラストシーンでは逆にそれが痛々しく映る。それがこの映画の見事な所。傷つきながら外に飛び出していく様は、まさに“明日に向かって撃て!”というタイトルそのものだった。邦題の付け方も見事! | ||
(1991年制作) |
「アダムスのお化け一家」の名でTVドラマやアニメ化もされた漫画の実写映画化作品。 およそ一般人とは感覚のズレた、不吉なことがこの上ない幸せであるアダムス一家。ホラーチックなキャラクターとは裏腹にコミック的な動きで楽しませる、良い感じのホラーコメディですな。この映画では弁護士のタリーと金貸しのアビゲイルが、息子のゴードンにアダムス家で25年前に行方不明となったフェスターを名乗らせて潜入させるわけだが、そのゴードンの目線によって“ズレた”アダムス一家の生活を覗き見るという仕掛けになってる。まあゴードンは実は記憶を失ってたフェスターだった、なんてのはご都合主義だけれど…コメディだしね。ゴードン/フェスターを演じるクリストファー・ロイドの表情芸も含めて楽しいのでいいですw 配役はこの上なくバッチリハマってる感じ。アンジェリカ・ヒューストンの妖しげな雰囲気、ラウル・ジュリアのラテンなオーラが良い。ハンドは身振り…いや手振りだけで感情が伝わってくるちょこまか感が楽しいが、キャラ的には何気に一番有能? ただ話としては一家それぞれに見せ場を用意していることもあって、例えばウェンズデーとパグズリーのやり取りはお約束なんだろうけど、流れからするとなんかネタが断片的な印象もなくはないような気はした。でも漫画チックな世界観の実写化としては成功作品だよね。 |
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(1993年制作) |
アダムス・ファミリーの続編。 資産家の遺産を狙う連続殺人犯がフェスターに迫る…というのが今作のプロット。女性に対してズレた接し方をするフェスターと、それを観て呆れるゴメズというのは前作とは逆転の構図。ウェンズデーとパグズリーの(本気の)悪戯は赤ん坊ピューパートを亡き者にしようというもので、小ネタの集まりという印象もあった前作より一貫性があって良い感じ。まあ途中でサマーキャンプに追いやられるけど。 サマーキャンプではTHE偽善といった感じの監督夫婦が非常にウザい。キャンプの終わりも近づき、偏見に満ちた演劇でウザさがピークに達したところにウェンズデーの反撃が始まるわけだが。これが痛快でw この部分もアダムス一家と一般人の捻れを逆転させている部分だよね。総じてこの続編はアダムス一家の方が感覚的にマトモに描かれているところが興味深い。 それでも不吉を尊ぶ愛しきキャラクターたちは健在。個人的には背景が屋敷でない場面ではキャラが浮くのが気になりつつも、やはりユニーク実写漫画だなとは思った。 |
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(2018年制作) |
謎の集団に目の前で妻を殺された上、脊椎にダメージを追い四肢麻痺となった主人公のグレイ。人生に絶望したグレイだったが、彼の顧客だった先進企業の経営者からある提案をされる。 改造手術による超人化、自分の中のもう一つの人格、自我を持ったAIの目的…と他の作品でも割と使われてきたような設定だが、主人公の犯人探しや独特なアクションの見せ方によって設定の魅力が十二分に引き出されている。AIによる音声認識や自動運転が当たり前の近未来が舞台だけど、そういった技術に若干否定的なアナクロ人間の主人公という対比が「機械に頼りすぎること」に対する警鐘じみたものも感じる。それは主人公の運命だけじゃなくて、機械分析を鵜呑みにせずに刑事の勘で行動した女刑事の判断の方が正しいという部分にも見て取れるし、自分の作ったAIの命令に振り回される経営者の姿についてもそうだ。そういうテーマが一貫しているので、全体的にはどこかで観た設定であっても、単独の作品とすれば話のまとまりとして観やすいものになっているのだろうと思う。 とはいえ本作の一番の見所がアクションシーンなのは間違いない。首のチップに行動をゆだねた時の人間離れしたアクションは見せ方が(主人公のリアクションも)実に面白かった。その洗練された動きは、確かに人間のそれじゃないことを感じさせるには十分だな。“自分の意志から離れたアクション”がある作品では最近の「ヴェノム」が思い出されたが、それとはまた違った見応えがあったね。 監督は「ソウ」の脚本を書いたリー・ワネル。比較的低予算映画の雰囲気の中でも話の構成で見せ切っているし、アンハッピーエンド気味で終わる後味は「ああ『ソウ』のクリエイターだな」と納得するには十分な出来栄えでした。内容的にはSFアクションだけど人体破壊描写がそこそこあるので血が苦手は堪える場面もあるかも? でも製作会社がホラー映画の多いブラムハウスなので、血しぶきの多さに関してはそりゃそうかという感じではある。 |
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(2019年制作) |
近未来。かつて太陽系外の知的生命体探査のために向かい、行方不明となっていた父親の生存を知らされた宇宙軍少佐のロイは、軍の密命によって父親との交信を試みる。 ビジュアル的には「2001年宇宙の旅」を彷彿とさせる場面もあるし、「宇宙の中で我々は孤独な存在なのか」というSF的な入れ物も同様なのだが、それとは裏腹に物語は主人公の内面にある孤独感との決別に帰結するという意外に内省的な内容だった。宇宙を舞台にしたスペクタクルを想像すると肩透かしな感じがするかもだが、だからと言って期待外れかというとそうでもなく、主人公の心理的な変化を描くというテーマに対してはよく纏まっていたと感じる。 ミッションの目的地へ行く過程で体験する出来事・事件によって生ずる主人公の変化を描いているという点では「地獄の黙示録」を連想する部分もあるが、プロダクション・ノートで監督も言及しているので、この構成は意図的だろう。他にも監督は主人公の父親を「白鯨」のエイハブ船長にも例えていたが、そういう意味では人の普遍的な心理に関する物語が主題であることは明白で、宇宙は舞台ただの舞台装置になってしまっている感はあるかな。個人的には月でカーチェイスをする必要があったのかはよくわからなかった。(映画的には盛り上がるが。) 最終的に、主人公の「自分たちよりも任務を優先した父」のような人物になることから決別して「地球に帰る」という選択は、「人にとって他人とのつながりが必要なのだ」という、どちらかというと平凡な着地点の様にも感じてしまったというのは正直なところ。 |
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核に関する米国のプロパガンダ映像を元に作られたドキュメンタリー。 この映画の面白いのはストレートに反核の主張を言うのではなく、あえてプロパガンダ映像という正反対の主張の映像をつなげることで、主題である反核を訴えていること。戦争を終結させた核の素晴らしさを説く前半。放射能被爆の現実を隠蔽し核実験にひた走る中盤以降。ソ連が核武装し、核戦争の恐怖におののく後半。それでもプロパガンダは歪んだ事実を見せ続ける。「光ったら伏せればいい」とか「禿げたらカツラを着けろ」とか「放射能はさして問題ない」とか…、閉口するねえ。 プロパガンダを並べて痛烈に政府の核政策を皮肉っているけど、冷戦真っ直中の82年にこういった作品が作られるのは、やはりアメリカらしいという気もする。 |
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(2009年制作) |
手塚治虫の代表作、「鉄腕アトム」のハリウッド版CGアニメ。 世界観や細かい設定などは色々と変えてきてはいるものの、割とオリジナルに敬意を払った作りになっていたので一安心。アニメ版のシーンの再現や、ヒゲオヤジやヒョウタンツギに手塚先生自身まで登場する手塚マンガのお約束はちょっと嬉しかったw 小悪党がハムエッグというのも良い。 ストーリーはアトム誕生にまつわる原作の引用があり、その延長に大統領がロボット兵器の利用を画策するというエピソードを加えて展開する。ロボット兵器の部分はなんだか「アイアンマン」っぽい感じの展開。空中に浮かぶ都市と、地上のクズ鉄町という構図を見ると「銃夢」を連想したりもするけど、大統領が「地上との戦争だ」等という割には簡単に往来出来る風で、ちょっとその辺りの設定は甘いかな。地上の女の子が空中都市に帰れなかった理由もよく分からないし。ロボット革命団の3体組も、劇中では騒いでいるだけなので話の上での必要性はあんまり…。まあそこは子供向けカートゥーンとしての妥協点なのかも知れないけも。 テンマ博士が原作に比べて物分かりの良い人になっていたのはちょっと拍子抜けだけど、アトムの父子の物語と思えばまあ良いか。でもテンマ博士の改心の理由が今ひとつ伝わらなかったのは残念。 |
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架空の画商の目を通して、第一次大戦直後の画家を志すヒトラーを描いた作品。何物が“ヒトラー”という歴史に残る人物を作り出してしまったのか?歴史を語る上で“もし”というのは禁句ではあるけど、それを考えるとラストはまさに運命の皮肉だ。 この映画で描かれるヒトラーはカリスマ性は感じなかった。むしろ劇中の評のように“気持ち悪い人”であり、“自分を表現できない人間”。そして主人公である画商マックスとの対比でより哀れに見える。彼の後の行為を正当化するものではないけど、ヒトラーが一人の人間として、時代の犠牲者のように思えた。 劇中のヒトラーの演説自体はどこまでが本心だったのか。反ユダヤを唱えながらユダヤ人のマックスとつながりを持ち、それを将来の希望にしている。そんな彼を見ると、彼の言うとおり演説もアートでしかなく、彼の表面的なものでしかないんじゃないか?ラストにマックスが現れなかったことが、ヒトラーのそれを本心へと押し上げたのじゃないか?そう考えると、ラストシーンは皮肉すぎる。 |
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(2013年制作) |
アンデルセンの「雪の女王」をアレンジし、エルサとアナの姉妹の物語として再構築したディズニーの3Dアニメーション作品。 おとぎ話のアニメーション化という、ディズニーの王道なスタイルではあるけど、内容はほぼオリジナル。原作で悪役だった雪の女王も、同情してしまう身の上の一人の人間になっているし、原作からの直接の引用は"心に刺さった氷のトゲ"という部分くらいかな。真実の愛のくだりは、「おとぎ話だから」という部分を上手くミスリードに使っている感じで納得した。お約束ならキスだと思うよなあw 最後まで観ると、原題の"FROZEN"が指すところが劇中の凍りついた世界のことだけじゃないのが分かる。自分らしさ(氷の魔法)を押し殺し続けさせられたエルサの心そのもののことだよね。そういう意味で、自分らしく生きることを歌った"Let It Go"という曲は見事なこの映画の主題歌だし、最後にはエルサもみんなに受け入れられてハッピーエンド。でもそう思うと、良かれと思ってやったに違いない両親である前国王の処置は、エルサにとっては逆効果でしかなかったのか。皮肉なものでもある。 |
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(2019年制作) |
前作から数年後を舞台に、エルサの魔法の秘密に迫る冒険が描かれる。 長編映画としては前作公開から6年経ってからの続編だが、それまでにも3本ほど短編作品が作られているのでそれほど間が空いた感じはしない。とはいえ内容的に大団円だった1作目を考えると本作の後付け感は隠しようがないし、アナとクリストフの関係にしてもエルサの旅立ちにしても全体的にはエピローグ的な雰囲気しか感じないかなあ。まあ予定調和で終わることが分かっている作品という意味では、期待を裏切らないマイルドな内容ではある。 エルサたちの祖父がしたことが自然との調和に対する敵対といったように描かれ、その象徴としてのダムが本作で登場するけれど、たとえ祖父の行為が「過去の過ち」だったとしても決壊させることが解決なのかというとちょっと引っかかったなあ。まあ破壊はやむなしだとしても、どうせなら下部だけ破壊して上部は橋のように残るとかすれば、「架け橋」という作品主題のイメージとしてもキャッチーだったかもな、なんて思ってしまった。 そんな具合にストーリーとしては普通な印象でちょっと引っかかる部分も。でもミュージカル作品としてはとても楽しめましたよ。"Into the Unknown"はなかなか耳に残るし、オラフの相変わらずふざけた感じも楽しい。個人的にはクリストフのMV調の演出がすげえ好み。 |
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(2014年制作) |
「死霊館」に登場したアナベル人形にまつわる出来事を描いた前日譚。 あの不気味なアナベル人形がどのようにして呪われたのか、という話だけど、呪われる前からすでにデザインが不気味なのはご愛敬。この作品自体は「死霊館」のスピンオフみたいなものだけど、テイストはそれなりに引き継いでいて、身の回りで起こる異変がしだいにエスカレートしていく様が描かれる。直接的に悪魔が映るところなどはどちらかというと「インシディアス」っぽいけど。とはいえ監督はその両作の撮影監督だった人なので、見せ方もツボを抑えているとは思う。ただ前振りと発生の段取りがハッキリしすぎていて、ホラー映画として怖いかというと…個人的にはちょっとパンチが足りない気もするかな。そのへんは本家「死霊館」の方が上手いと思う。 60年代後半という時代設定もあるんだろうけど、どことなく「ローズマリーの赤ちゃん」を思い起こさせる雰囲気。だけどいまいち緊迫感に乏しく感じてしまうのは、悪魔が迫っている割には主人公のミアが割と最後まで元気そうに見えるってとこかなあ? 精神的にも参ってるとはずだとは思うんだけども、もう一つそう見えにくいというのが難点か。 とはいえこっちが思わず身構えてしまったシーンもある。ミシンは…卑怯だわ、盛大に刺さると思ってしまうじゃないかw 実際はそうでもなかったけども。あとはエレベーターの繰り返し開くドアのシーンね。あれはリアルに考えるととても嫌なシチュエーションだなあ。 |
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(2017年制作) |
「死霊館」に登場したアナベル人形にまつわる出来事を描いた前日譚、の前日譚。 どんどん時代が遡ってるけど、これが起源という事で良さそうですね。直接前作の「死霊館の人形」につながるような終わり方もしているので、シリーズとして上手く(?)まとめた感はあるかな。監督は前作から交代しているけど、これまでのシリーズ通り雰囲気重視なところはそのままだし、正攻法のお化け屋敷ホラーって感じ。映画の序盤で屋敷の構造やギミックを見せ、中盤で少しずつ異変が起こり、後半に顕現した悪魔が襲い掛かる。前振りがハッキリしているよね。一方で強烈なショック描写は少ない(例外は磔の上半身くらいか)ので、ホラーとしては少しマイルドな印象も。まあこれもこのシリーズらしさではあるか。 今回の、来るぞ来るぞと思わせてバンッと音で脅かすのがちょっと目立ったような気もするけど、基本的にジワジワと期待通りの追い詰められ方をするのは悪くない。ただ、子供たちがメインだと「悲惨な死に方はしないだろうなあ」という予想もついてしまって、そこに対する裏切りが無かったのはちょっと残念だった。屋敷のマリンズ夫妻の最期は気の毒だが、最初に悪魔に縋ってしまったのがダメだったね…。悪魔となったジャニスと屋敷の主人が対峙するシーンで、暗闇に光る眼が高く上がっていくところが「悪魔への変身」という想像を掻き立ててくれてお気に入り。 |
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(2019年制作) |
「死霊館」に登場したアナベル人形が、ウォーレン家に封印されて一年後の出来事を描いた前日譚。 前作から時代が下って、「死霊館」の冒頭以降に「実はこんなことが…」という内容のホラー映画。お化け屋敷系の映画としては「出るぞ出るぞ」と思わせてでなかったり、背景で悪霊チラチラしていたりとジワジワくる感じがシリーズの雰囲気をちゃんと踏襲していて悪くない。ただ本作の弱点は、舞台がウォーレン家であることによって、結末として誰かが死んだり呪われたりするような悲劇にならないのではという予想がついてしまうところかな。だってこの後の話にあたる「死霊館」でもウォーレン夫妻の娘・ジュディは健在だし、家そのものだってどうにかなるわけじゃないことは分かっているからね。 なのでホラー映画としては、「どうにか助かるんだろう」という予想が外れない部分で変な安心感がでてしまったのがちょっともったいない。でも主人公を若者3名に絞ったことで、オカルト系というよりもティーン向けの「お化け屋敷」映画の雰囲気にもっていったり、ボブ青年絡みで息抜き的な場面も入ったりと、それはそれで面白い部分もあった。…ボブは良い奴だよね、自分もヤバいのに鶏を気遣うぐらいだしw 悪霊描写ではフェリーマンのコインが暗闇に浮かんでいてライトを向けると落ちるシーンが良い。あとは未来を映すブラウン管もギミック的には面白いな。 というかこの話、ラストはなんだかいい話で終わったけど、よく考えるとそもそもウォーレン夫妻がカギの管理をちゃんとしていなかったのが悪いのでは…? |
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アニー (2014年制作) |
1977年から長く上演され続けている名作ミュージカルの映画化作品。 オリジナルは1933年の世界恐慌後が舞台だが、本作は舞台設定を2010年代に移し、人物設定なども結構アレンジされている。そこは別に気にならなかったし、根本にある前向きなストーリーも良いと思うものの、今時のミュージカル映画としては“映画であること”の工夫はあまり感じられず、行動の延長で歌って踊って普通な感じ。やたらと食べ物を口から吹き出す場面は子供ウケを狙っているんだろうけれど、何となく粗末にしている感じで個人的にはちょっとね。 役者は皆達者なので安心して見てはいられる。ただたまにカメラワークに違和感があって、「観たい部分がフレームに収まってない」と感じてしまうのが何とも。役者がダンスしてるのにカメラが寄り気味だったり、フレームイン・アウトの仕掛けがいまいちだったり、もったいない感じがするなあ…。まあキャメロン・ディアスの顔芸とオーバーアクトが楽しげに演じているように思えたので、それは良かったか。 製作にウィル・スミスがいて、元々は娘のウィロー・スミス主演のための企画だったわけだけど、結果的にクヮヴェンジャネ・ウォレスに交代したのは良かったか。ウィローが主演だったら、そうでなくても絶対に「親バカ映画」だと色眼鏡で観ちゃいそうだしw |
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アメリカ資本によって制作された日本の"アニメ"。マトリックス・シリーズの外伝的な話を9作のオムニバスによって構成してます。それぞれ色の違う作品で、それぞれに良くできている。「リローデッド」を観る前に第一話「ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス」と第4話「キッズ・ストーリー」は観た方が良いと思う。「リローデッド」と直接リンクしてるしね。マトリックスの歴史を描いた第2・3話「セカンド・ルネッサンス」も実に興味深かった。少し「メトロポリス」を思い起こすw 第5話「プログラム」のアクションシーンも格好いい。第7話「ビヨンド」は日本が舞台となってるし、世界観を上手くいかしてる。個人的には渡辺監督の作品が好きなので、第4・8話がお気に入りです。 | ||
(2021年制作) |
海底で人間が使っていた小物を見つけたシー・モンスターの少年・ルカ。陸の上への興味が膨らんでいった彼は、ある日出会ったシー・モンスターのアルベルトに誘われて陸に上陸する。 とてもわかり易いジュブナイル映画。親に禁じられた外の世界への興味と、そこで出会った友人や人々との交流を通じて「自分は何をしたいか」を知る。その転機を描いた話だよね。あくまでルカ目線として見た時に、そういう意味では予定調和っぷりに全くブレもなく安心してみていられる一方、あまりにも正攻法なジュブナイル過ぎて「もう一つなにかパンチが欲しかったなあ」などという贅沢な不満なども出てきたりはする。 エルコレという本作の憎まれ役があまりにも裏表なく憎まれ役に徹しているので、逆に記号っぽいキャラクターに落ちちゃっているのはちょっともったいなかったかな。人間とシー・モンスターの関係は人魚姫のようでもあるし、「ヒックとドラゴン」を連想するような部分もあるけど、水をかぶると変身する(元の姿に戻る)というハラハラ感によって子供にも分かりやすく緊張感を理解させる仕掛けは上手いね。「予定調和」と書いた様に、内容を考えると結局最後には人間がシー・モンスターの存在を受け入れることになると読めてしまうのだけど、ヒロインの父親である漁師のマッシモとの交流があってこその段階がちゃんと描かれているので悪くない。姿を消したアルベルトを探しに行く彼の姿を見て、「ああほんとに良い人なんだ」と思った。 ルカの両親は子供から見た「過保護」という記号感が強いけど、中盤には完全にコメディ・リリーフになっていて、ちょっと存在感が薄い感じは否めないか。それでも最後にルカを送り出すシーンは良かったけれど。そうそう、ラストでシー・モンスターの年寄組は割りと陸に上がっていたことが分かるシーンは笑ってしまったw そしてエンディング後のことが分かるエンドクレジットのイラストもいい感じです。 |
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〜愛おしい時間について〜 (2013年制作) |
過去に戻ることのできる能力があると、父親から知らされた主人公。彼は意中の人との中を進展させるため悪戦苦闘するが…。 いわゆるタイムリープものの範疇になるのだろうけど、印象としてはSFというよりはファンタジーだなと思った。跳躍できる理由はどうでもいいし、妹の過去の変更をキャンセルした手段も不明。でも話の中にある3つの「過去を変えることが出来る」「でも制約がある」「だからこそ“今”に気づく」流れこそが重要で、それで成立するファンタジーなのだと思う。 過去のちょっとした「あの時こうしていれば…!」という動機は非常に共感しやすい。だからと言って自分の事ばかり改変していたのではただの自己中なのだが、序盤で自分の運命の人との出会いが(結果として)起きないことになったとしても、脚本家の舞台の成功のために奔走する姿に「ああ、基本的にこいつは良い奴なのだ」と感じて、以降応援してしまう。この辺の持って行き方が良いね。ベッドシーンとか、ちょっとした繰り返しの変化が面白おかしくも感じられ、笑える場面も多々あって楽しかった。 この映画のキモは、“繰り返すことが出来るからこそ一日の大事さを考えさせる”という逆説的な思考であって、「日々を生きる中で何を見るべきなのか」を自分に重ねてはたと考えさせるところだろう。主人公にとって父との死別は葬式の時ではなく、生前の父との卓球であり、海岸の散歩だった。しかし(幽霊ではなく)生前の父とお互いに死別したのだと理解しながら抱擁するなんて、そんなシーンは他に知らないなあ。このシーンは胸にこみ上げるものがあったよ。 「僕達は一緒にタイムトラベルしている」という締めのモノローグが良い。 |
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(2009年制作) |
地球とは別の恒星系にある衛星パンドラ。希少な鉱物資源をめぐって先住民と地球人の対立がある中、自分の分身である“アバター”を使い彼らを調査説得するために元海兵隊の主人公がパンドラに降り立つ。 ジェームズ・キャメロンの新作は架空の星を扱ったSF映画ながら、ストーリーは至極シンプルな被侵略映画だった。今までにもさんざん制作されてきた先住民vs侵略者という構図があり、そして初めは侵略者側だった主人公が先住民と暮らす打ちに感化され、最後には先住民を率いて侵略者と戦う。こんな王道一直線な話で、あまりに予想通りの展開を何の迷いもなく描いてしまうとは…。裏を返せばそれは文明と文明が出会った時に起こる普遍的な話として成立するんだろうけど、もっと深読みの出来るひねった話が好きな人には物足りないかもしれない。 そんな話を、キャメロン監督はあえて全てCGで作った架空の星として作り上げた。このパワーには脱帽せざるを得ないです。森も木も、土地も海も空も、観ている内にいつしか作り物であることを忘れてしまうくらいのずば抜けたクォリティ。先住民のナヴィについても、人間とは違うヒューマノイドを創造したことでCGの不自然さを上手くごまかせていると思う。(感情表現などが地球人に近い形状になってしまうのは、ある種の記号的なお約束なので仕方がないところか。) そんな感じで、正直言うと全編予想通りの展開すぎてストーリーは少し物足りなかった本作。しかし終盤までにナヴィ達の文化をじっくり見せられたことで、後半の一方的侵略作戦の強烈さがすごく伝わってきたね。そしてその後の大逆襲…が、例えおきまり展開だったとしても、その観たこともないような圧倒的な物量のVFXのおかげでにもうおなか一杯になってしまいました。 |
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特別編 (2010年制作) |
2009年に公開された「アバター」に8分の未公開映像を加えた特別編。 追加されたカットは狩りのシーンやジェイクとネイティリのラブシーンなど、元々から完成度の高いストーリーラインだったので、追加シーンは基本的にオマケ程度の内容。(映像はオマケとは思えない最高のクォリティ。)そんな中で、会社側の人間であるパーカーと、ラストの戦いの時に族長になったツーテイの追加シーンは少し奥行きを持たせた内容だったので良かったかな。 パーカーの方はナヴィが攻撃し壊滅させた現場映像を見て戦慄するカット。これによって彼がホームツリーへの総攻撃を下す際の一瞬の間に葛藤が見えるようになった。 ツーテイの方は、ラストの決戦時に銃撃され墜落した後の描写が追加されている。昨年の公開版を観たときには、生死不明になってしまった(後の描写からおそらく死んだと想像はするが)彼のことが気になっていたんだけど、これでハッキリとジェイクに後を託していた事が分かり色々と納得。 元々結構気になる脇役のだった二人に追加シーンがついた事で、キャラクターに奥行きが出たのは個人的に初回公開版よりも良いと思うところでした。 |
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ウェイ・オブ・ウォーター (2022年制作) |
再びパンドラへやってきた人類に対して部族を率いて抵抗を続けるジェイクだったが、自分が狙われていると考えた彼は家族を連れてを部族を離れる決意をする。 前作である意味完結した話だとも思えるのだけど、全5部作構想の2作目として何が語られるのかは興味津々。そういう意味では主人公は変えず、そのまま地続きの物語となってました。結局は人類対ナヴィ(そしてエイワに繋がる自然)という対立軸がメインになのは変わらず、そこに家族の物語を入れ込んできたのが今回のミソ。そしてジェイクの次男が抱える「混血であること」についてのアイデンティティの葛藤が、物語の枝葉を豊かなものにしている。そういう意味ではわかりやすい話でもあるのだけれど、それを192分もの尺で飽きさせずに見せ切ってしまうのがすごいところだね。目に映るパンドラの景色はとても作り物とは思えないビジュアルで、特に水の表現などには目を見張るものがあるなあ。あと、やはりこのシリーズは3D表現がとても自然で、長尺なのに疲れないところにも感心します。 前作は森林伐採がテーマ、今回は捕鯨がテーマにもなっていた印象。日本人としては安易な反捕鯨のテーマにを入れることには敏感になってしまうけど、まあこれはパンドラの鯨(トゥルクン)なのでそこは切り離して考えたいところか。その点ではトゥルクンやナヴィ側に感情移入しやすく作られているのも構成としての上手さを感じる部分ではある。 リコンビナントとして復活したクオリッチ大佐は前作同様の好敵手でした。ただ息子であるスパイダーとの関係がジェイク家族との対比になっていて興味深い。もはや大佐は人間ではなくなったのに、より人間味が増しているというのが面白いなあ。ジェイクと大佐の決着は次作以降へ持ち越し。果たしてどうなるのでしょうか。 |
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ハワード・ヒューズの半生を描いた作品。 晩年のハワード・ヒューズは奇行で知られているけど、この映画では彼の“晩年への一歩目”までを描いている。そこに至るまでをキチンと描いているから、強迫神経症であった彼なりの苦悩を実感出来たね。個人的に、俺も多少強迫観念を持つ身なだけに、共感できる部分もあるんだよなあ。ただ、序盤からほとんど彼の人となりに対する説明はない。米国人にとっては常識なんだろうけど、彼のことを知らない人はついていくのはしんどいかも…。 ディカプリオはかなり良かった。人間の表と裏、特にハワード・ヒューズなんて難解な人物を見事に演じきっていると思う。飛行機に関わっている時の自信に満ちあふれたヒューズと、強迫神経症によってどんどん病んでいくヒューズ。凄く説得力があった。それとケイト・ブランシェットは凄いね、ほんとw 強迫観念を持っていたヒューズだけど、その全てが悪かった訳じゃないと思う。飛行機に関する記録、設計、映画。人々に記憶される数々の偉業は、その彼の才能と強迫的な没頭のたまものだったんだろう。何かが狂ったことで、“奇行”という形にはなったけど…。 |
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(2024年製作) |
富豪の娘を拉致した誘拐犯たち。誘拐の依頼者が指定した屋敷でその少女を24時間監禁することになったが、2時間が経ったころ誘拐犯の一人が首をちぎられた姿で発見される。 系譜としては「サプライズ」や「ドント・ブリーズ」に近い、加害者だと思ったら被害者になってた系の立場逆転モノですね。ジャンルとしては、最初はサスペンスかスリラーかと思わせておいてからの吸血鬼ホラーになるという感じ。何も前情報を入れずに観れば驚きもあるかもしれない。残念ながら自分は「吸血鬼」が題材だと知って観てしまったので、そういう驚きはなかったけれど。まあジャンルモノとしてはそつなくまとめられてはいるかな。 序盤の誘拐された少女が戸惑ったり怯えたりといった様子は完全に展開上の引っ掛けだよね。いちおう「ただ殺すのでは面白くない」とする少女の遊び半分だという設定もあるので、不自然とまでは言わないが…。でも誘拐した相手が吸血鬼であることを知った前提で観ると、「いちいち手間のかかることを…」という感想以外は浮かばないかな(苦笑) モンスター映画としては、少女の姿をした吸血鬼がいい感じの強さなので面白いとは思う。あと思った以上に人体(吸血鬼の体)がボンボン破裂するので、監督は趣味が悪いなあ…とは思った(半分誉め言葉)w |
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(2013年制作) |
人類が地球を放棄して1000年後の未来。宇宙遠征に参加した訓練兵の主人公は、宇宙線の事故でかつての地球に不時着する。生き残ったのは主人公と、将軍である父親の2人だけだった。 ウィル・スミスとジェイデン・スミスの親子共演作品だけど、企画からしてウィル・スミス主導だし親バカ映画なのが見え見え。作品自体もタイトルや舞台設定から想像するSF的なディティールの面白さはあんまりなく、どちらかというと精神面や内面を表面的に描いただけの映画。なので、期待しているものが違うと肩透かしになるかも。シャマラン監督作品と思えば、宇宙人モノを期待してたら実は信仰の話だった「サイン」のような"らしさ"を感じる部分もあるけど…。この作品ではそこまで機能しているわけでもないのが残念。 それにしてもいまいち緊迫感がないのは何故か。この二人が主役だと「どうせ助かるのだろう」と思ってしまう部分もあるかもだけどw 話の流れとして台詞に頼った親子の関わり合いとか、流れをいちいち止めてまでやたらと登場人物が眠るor昏倒するシーンが多いのも気になる。時間制限がある話なのに、主人公が昏倒中に運ばれても時間や位置を見失わない事に対する説得力の乏しさも、少し大雑把に感じてしまうんだよなあ。まあ、SF映画ではなくて、ジェイデンが立派になりましたっていうことを言いたい映画だと思えば。 |
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(2012年制作) |
アイアンマン、ソー、ハルク、キャプテン・アメリカといったマーベル・コミックのヒーローたちが一堂に会し、宇宙からの侵略者と戦う姿を描いた実写版アメコミーヒーロー映画。 2008年の「アイアンマン」以降、個々の作品5本によって描かれてきた4人のスーパーヒーローが、ついに同じ映画で共闘する。個別映画と集合映画という流れで最初から企画されていたからか、ストーリー展開もヒーローたちの個性を上手く引き出していて面白い。同じアメコミ・ヒーローという舞台にいるのに、それぞれのキャラクターがこうも違うとはねw 個別映画では脇役だったブラック・ウィドゥとホークアイもキャラを掘り下げてあるし、ヒーローたちが結束していく過程も説明的になりすぎずテンポが良い。そういう意味ではロキの描き方も「マイティ・ソー」からしっかり引き継いでいてキャラクターの扱いとしていい感じ。ロキ以外の敵役が雑魚ばっかりというのはあるけど、この映画はヒーロー大集合を見る映画だから仕方ないか。 序盤は一人ずつ集められていくメンバーが描かれて、中盤はヒーロー同士のバトル、終盤に共闘して敵を倒す…というお約束の流れではあるのだけど、エンターテイメントとしてはこれがやはり王道ということなのだろう。素直に面白いので俺は満足です。特にヒーロー同士の取っ組み合いは、凄まじい異種格闘技戦だけれど、その夢のバトル(競演)には燃えた。ハルクvsソーではムジョルニアを持ち上げられないハルクの表情は良いw どのキャラクターも埋もれずにしっかり活躍しているけど、飛び抜けて盛り上げてくれるのはハルク。ハルクの怪物的怪力描写はこれまでの映画で一番じゃないか?問答無用にロキを叩きのめすシーンは笑ったw 間違いなくお祭り映画の最高峰ですね! |
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エイジ・オブ・ウルトロン (2015年制作) |
マーベル・シネマティック・ユニバースの11作目。6作目の「アベンジャーズ」以来、再びアメコミヒーローが共闘する。 MCUの世界観も浸透してしまったし、「作品を越えた夢の競演」というお祭り映画としてのインパクトは1作目を超えない。こればかりは仕方がないことだろう。まあ本作ではクイックシルバーとスカーレット・ウィッチの登場で、「X-MEN」との関係性も広げてきているのは今後期待する部分でもあるが。とにかく「アベンジャーズ」の2作目として、同じお祭り映画ではあるものの、単に集合して戦うことの繰り返しを避けようとしている感じは見て取れる。スタークの信念の先にある危うさ、ブラック・ウィドウとハルクの関係、ホークアイの家庭などで話を膨らましている感じ。話の影の部分が濃くなってしまったので、逆にお祭り映画としてのスッキリ感は薄くなってしまった気がするところもある。1作目よりユーモアも後退したしなあ。(ロキの不在が大きい?) ウルトロンの"平和"のためには"人類の排除を"という急進的な部分には、スタークに対する反抗心もあるか。SFだと人工知能がそう結論するというのはちょくちょく出てくる設定だよね。それでもビジュアルや声が魅力的なので平凡な感じはしないか。終盤の物量戦にも恐れ入ったが、物量が凄すぎてたまに目が追い付かないw アイアンマンなのか、ウォーマシンなのか、ウルトロン・セントリーなのか…。そんなところもあって、個人的には直球でぶつかり合ったハルクvsハルクバスターのシーンが一番ワクワクしたのですよ。 |
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インフィニティ・ウォー (2018年制作) |
マーベル・シネマティック・ユニバースの19作目。これまで暗躍していたサノスがついにインフィニティ・ストーンを手に入れるべく行動を開始する。6つのストーンがそろった時、サノスは指を鳴らすだけで世界を破滅させる力を手に入れてしまうという…。 これは愛する者を喪失する物語。劇中、クイルとサノスはガモーラを、ワンダはヴィジョンを、自らが愛する相手を手にかけねばならない。(クイルはリアリティ・ストーンのおかげで未遂になったが。) そして何より、観客はこれまでの10年間に活躍を見守ってきたヒーローたちの消失を目撃しなければならない。振り返ってみればこの映画はその「喪失」というテーマで統一されていた気がする。一見アクション一辺倒の内容ではあるが、マーベル・シネマティック・ユニバースが始まって10年間に積み重ねてきた個々のキャラクターのドラマを上手く生かしていると思う。そういう意味では完全に一見さんお断りになってしまってもいるけれど、もうそれはいい。これだけの登場人物を、よくここまで交通整理できたものだとただただ感心するばかり。この映画は10年間このシリーズに付き合ってきたファンへのプレゼントなのだ。 サノスは最強最悪のヴィランではあるが、一方で彼の確信犯的な主張と行動には信念を感じるし、ガモーラへの愛情表現によってより深みのあるキャラクターになっている。一時は“数年かけて椅子から立ち上がっただけ”みたいに揶揄されたこともあったが、本作でのヴィランとして面目躍如の大活躍(?)には大満足です。これはサノス役のジョシュ・ブローリンの演技も大きいよなあ。モーションキャプチャーのCGキャラだけど、感情がそこに乗っかっているものね。 元々2部作として発表されていた映画だし、内容的にクリフハンガーになること自体には驚かなかったけど、思ったよりは鑑賞後の喪失感は大きいか。次々に消えていくメインキャラを目にした時の不安を引きずったままの終劇、こんな気分で劇場を後にするとは…監督の思惑通りなんだろうなw お約束のラストワンカットに映されたキャプテン・マーベルのマークに希望と期待が膨らむ。上手いね。 |
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エンドゲーム (2019年制作) |
マーベル・シネマティック・ユニバースの22作目。「インフィニティ・ウォー」で果たされたサノスの計画によって喪失感に包まれた世界。そんな時、量子世界から戻ったアントマンによってある情報がもたらされる。 内容的には「インフィニティ・ウォー」から続く後編という立ち位置だが、足掛け11年に渡って公開されてきたMCUの集大成としてこれほどふさわしい作品はあるまい。ファンと共有してきたその長い時間の積み重ねを、“インフィニティ・ストーン奪還作戦”というプレイバック機能を通じて振り返らせるという小ニクい演出が素晴らしい。「インフィニティ・ウォー」はサノスの物語であり、そして初期アベンジャーズと新規ヒーローたちの共闘を描くという色合いが強かったけども、本作は完全に初期アベンジャーズたちのために用意された花道だったな。トニー・スタークは(文字通り)彼の手によって未来を救い、キャプテン・アメリカは戦いの果てに自分の人生を取り戻す。確かにこの戦いを通じて失ったものは小さくないのだけれど、この未来を得るための物語としての納得感は大きい。 本作の面白いところはこれまでのシリーズ作品への言及がとても多いところだろう。セリフによる小ネタ、キャラクターの再登場、そして果ては過去作の場面そのものまで再利用してしまうわけで。ここまでシリーズに付き合ってきてくれたファンへのお礼なのだろうけど、しっかりと楽しませてもらいましたよw 22部作と言っても過言ではないこのシリーズを、自分が1作目の「アイアンマン」の公開からリアルタイムに観続けられたことは幸運だったと言うよりほかにないだろう。そして今は、これから先にこんな作品群に再び出会う事が出来るのだろうかと考えずにはいられない。MCUは続いてもトニーもスティーヴもナターシャももう出てこないわけで、そういった意味では喪失感もあるのだが…。でもその喪失感は「インフィニティ・ウォー」を観た後とは真逆のものなのである。よく出来ている。 |
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マヤ文明末期の世界を舞台に、人間狩りの獲物となった主人公が、傭兵達の追っ手から逃れて家族のもとへと帰るアクション映画。 「1492」や「ミッション」ような欧州人によるアメリカ発見以後の映画はあれど、それ以前のメソアメリカ文明を描いた作品というのは珍しい。考古学的な推測からその世界を描いているのだろうけど、演者の衣装や美術が見事でした。きっとこういう世界だったんだろうなあ。 前半のストーリーでは、マヤの人々の暮らしや都市の退廃的な雰囲気、そして儀式をこれでもかと見せられる。滅び行く文明のニオイというかそういったモノを感じさせて…ラストカットに繋げてくるんだよね。現代人はマヤ文明を滅ぼしたトドメが何かを知っている。でもそれ以前の「文明は内部から崩壊する」といった主題をこういう風に見せてくるのはちょっと新しい感じでした。 後半は一転して主人公の逃亡劇。しっかり前半に前振りがあった上で纏めてきてるし、そのあたりメル・ギブソン監督はやっぱり分かってるよねw ただ、中盤に出てくる神懸かった子供の予言…、あまりにもハッキリ予言するので、リアル感がギリギリ無くなって…。まあ、信心深かったマヤ人たちや、神秘性というのではアリかもしれないけど、個人的にはもうちょっと抽象的な予言の方が良かったかな。 |
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(2019年制作) |
アポロ11号の月面着陸50周年を記念して制作されたドキュメンタリー。 アポロ計画に関するドキュメンタリー映像は割と目にすることが多いけど、本作で映し出される打ち上げシーンの前後は今までに見たことの無いような映像が使用されており、とても新鮮な気分で観ることができた。アメリカ公文書記録管理局で最近発見されたというそれらのフッテージは、当時70mmフィルムで撮影された映像で、もうとにかく鮮明。何というか…まるでさっきあった出来事を取ったかのような映像だった。特に打ち上げの見物人たちや管制室の様子から、当時の空気感が伝わってくるのがとてもいい。 ドキュメンタリー作品としてはかなりストイックで、当時の映像と当時の通信音声などでのみ構成されている。場所や時間経過を説明するテロップや簡易図以外、技術的などの説明はほとんどなし。人間ドラマも無し。宇宙飛行士たちの人となりや月面着陸時が結構ギリギリな状況だったことなどは、これまでに他の作品や媒体で語りつくされているので、あえてここで言う必要はないということだろう。そういう意味では予備知識のある「好きな人」向けの作品であることは間違いないが、そういうのが好きな俺としてはとてもハマったな。 アポロ計画自体は冷戦の産物かもしれないけど、人類を月に立たせるというミッションを果たしたことは本当に偉業だと実感する。それから半世紀を経ても未だにそれを成し遂げたのはアポロ計画以外にはない。本作はそのミッションを支えた宇宙飛行士・技術者・全関係者を称えた作品だ。 |
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「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、ホントに実話かよと思うほどの展開。次から次へと問題が発生する様はホントに手に汗握る。個人的に男の友情を見せてくれるものは好きなので、大変好きな映画です。科学的な説明を当時のテレビにさせ、取って付けたような説明(主人公に語らせるとか)になってなかったのが、演出部分でもいいと思う。 | ||
ディレクターズカット |
サリエリの気持ちはよく分かる。「何故彼なのか!神は何故私では無く、あのような下品な者に才能を与えたのか!」凡庸なる者の苦悩、天才への羨望、嫉妬、本当に苦痛だもんねえ。人間は自分の限界を知った時、それ以上のものをもつ者へどのような気持ちを抱くのか、ある意味恐ろしい。天才に生まれたが為の苦悩もあるのだろう、モーツゥアルトにとってもサリエリにとってもこれは悲劇だと思う。サリエリが言う、「神は不公平だ」、それは間違いなく生きていると常に感じる。 | |
のっけから「重そうな話だなぁ」と思っていたら、案の定重い話でした。まぁ、人種差別や奴隷の話だから重いのは当たり前ですが。シンケ役のジャイモン・ハンスウの演技はなかなか惹かれるものがあった。奴隷への扱いの惨さが何ともつらい気分になる。最後に少しは救われるわけだが。しかし挿絵を見ただけで聖書の内容が分かるのだろうか? | ||
(2022年制作) |
第一次世界大戦下で出会った3人の絆と、米国での政治陰謀事件を描いたサスペンス・コメディ。 コメディとはいっても乾いた笑いしか出てこないくらいにはいろんなものがズレている気がするんだけど、少なくともシリアスの中のギャグという“落差”がキモの場面でもそのテンポは微妙だった。「多分ここは笑うところなんだろうなあ」という場面が多い。監督のデヴィッド・O・ラッセルは下手な監督ではないと思っていただけに、何やらガッカリな印象ばかりが残った感じ。主人公たちは陰謀めいた事件に巻き込まれていくのだけど、プロットは面白そうなのにサスペンス的な部分が詰め込み過ぎて逆に行き当たりばったりにしか見えないので緊張感がいまいちかも。どちらかというとストーリーへの驚きよりもアンサンブルキャストの豪華さの方に驚くほうが多く、「次は誰が出てくるのか」という方が気になってしまった(苦笑) タイトルは「アムステルダム」だけど、このサスペンスの内容で“アムステルダム”が主題となるほどの存在なのだろうかというモヤモヤは晴れなかった。事件の中心地でもないので結局は3人の出会った「絆の始まり」くらいの意味しかないように思うけど、この話が「絆」と「陰謀」のどっちを描きたいのか、最後までどっちつかずに見えたのが一番の難点かもしれない。 |
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スパイダーマン (2012年制作) |
監督にマーク・ウェブを迎え、設定も新たにスパイダーマンを描いたリブート作品。 設定もキャストも変え、話も一からやり直しなのだけど、「如何にスパイダーマンになったのか」という段取りをもう一度観せられるには、サム・ライミ版から間が空いていないのではないか。なのでその経緯を描く前半はどうも展開が鈍い感じがしてしまった。アクションシーンはスパイダーマンの振り子アクションがより自然に迫力を増していて良い。格闘シーンでもアクロバティックな動きが上手く見せられていると思う。 でも話はやはり経緯を描いた段取り的な部分や、正体がバレたり協力したり戦ったり…と、所謂ヒーロー映画の型にハマっている感じで、わざわざリブートしてまでの意義が薄い感じ。どちらかというとこのコンテンツを捨てられないソニーの方針まで気になってくる始末。 あくまで孤独に闘い続け、力がもたらす責任を果たそうとしたサム・ライミ版のピーターの方が好みかなあ?早い段階から正体を明かしたり恋人とイチャついたりしているので、キャラのイメージもだいぶ違うのだけれど、決定的なのは恋人の父の遺言を無視すると決めた部分。これは…w |
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スパイダーマン2 (2014年制作) |
リブート版スパイダーマン・シリーズ2作目。スパイダーマンとして活躍するピーターだったが、そこへ電撃を操る強敵・エレクトロが現れる。 前作で経緯を語ったので、今回はヒーローとしての生き方がストーリーのメイン。キャラクターや背景もまた少し掘り下げられたし、ライミ版とは違う新しいシリーズとして深みが出たかな。前作でちょっと納得のいかなかったグウェンの父との約束(を破ること)が葛藤として描かれてたし。そういう悩みを発端にして、今作では原作と同様にグウェンと死別させるあたり、ピーターがヒーローとしてまた一歩踏み出す姿を描いた良いドラマになったと思う。ただ、エレクトロの人間性やグリーン・ゴブリン側の事情にも時間を割いているので、映画全体としては中盤少し発散しかけた印象。尺としてはちょっと長いかなあとも感じてしまったけれど。 エレクトロは思い込みの激しい精神面のある人物になっているけど、少し気の毒な感じもするなあ。憎さ百倍に転換するのも「裏切られた」という思い込みなわけだし。そういう面ではハリーのグリーン・ゴブリンも似たようなものか。でもハリーの場合は今作は成立過程がメイン。悪役としては次作以降にも暗躍してくれそうなので、そちらに期待で。ライノは…完全に脇役だったなw ポール・ジアマッティが演じるくらいなのだから、この幕切れだけで終わるとは思えないのだけど。 ところでマーベル映画お約束のエンドクレジットのおまけカットには驚いた。別の映画会社のシリーズなのに、まさかのクロスオーバー!?かと思ったら、プロモの一環だそうで。 |
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(1952年制作) |
サイレント映画のスター、ドンとリナ。しかし時代がトーキーへの変革を要請する中、ノウハウのないスタジオは右往左往する。1920年代のハリウッドスタジオの舞台裏を、コメディ仕立てで描いたミュージカル作品。 サイレント時代では美人のスターでも、トーキーとなれば悪声がネックというリナは、トーキー変革期のドタバタを上手く象徴化してるよね。リナ役のジーン・ヘイゲンは本当はそんな甲高い声ではないそうだけど、道化役として見事な役回りを演じている。“マイクが声を拾わない…”での監督とのやり取りは笑ったw しかしやはり特筆すべきは、ドン役のジーン・ケリーとコズモ役のドナルド・オコナーの2人だよなあ。息の合った見事なタップダンスなど見せ場たっぷり。冒頭のドンが語る2人の過去は言ってることと映っている内容のギャップがギャグなわけだけど、映っている方のバイオリン2丁の芸は楽しかった。この映画は雨の中のタップダンスが映画史に残る名シーンになっているけど、他にも良いシーンが多いし、ミュージカルの楽しさが詰まった作品だと思う。 |
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空想好きの女の子の恋と、皆を幸せにしていく行動を描くファンタジー。 ファンタジーと言っても舞台は現代のパリなわけですが、主人公アメリの空想世界から繰り広げる展開はファンタジー以外の何者でもない。序盤で“他人を幸せにする”事に喜びを見いだした彼女は、様々な行動で周りの人々を幸せに導いていく…という話だけれど、個人的にはそれがお節介に見えて仕方がない。行動の一部には、そこに悪意はなくとも「犯罪だろ」と思わず突っ込みたくもなるし、そこを肯定的に取るか否定的に取るかで感じ方がガラッと変わる映画ですわ。 個人的には父親の人形が“世界中を旅してる”という写真を送ってくるというイタズラは好き。結果父親は良い方向へ導かれるわけだし。でもその他の人へのお節介は俺はちょっと…。 “他人にお節介でも自分の恋には臆病”というところに共感する人も多いだろう。俺もそういう気持ちは分かるし、アメリが水になって崩れ落ちるところなんて見事な心理描写だと思うw でもやっぱり俺には総じて感情移入しにくい話だったかなあ…。 |
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1970年初頭のハーレムを舞台に、麻薬市場を独占した黒人ギャングのフランク・ルーカスと、彼の逮捕を目指した麻薬捜査官リッチー・ロバーツの姿を追った実話を元にしたドラマ。 ルーカスとロバーツは立場は違えども自分の信じた正義を貫いている人物として描写される。だからこそ追うもの追われるもの両者が非常に魅力的な人物に見えたし、並行するそれぞれのストーリーから同じような力を感じた。これはひとえにデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウのスター性だから出来ることかな。まあ、ルーカスの事業自体は麻薬の廃人の上に成り立ったものであって褒められたものではないんだけどもね。 並行したストーリーの片方はルーカスの事業について、もう片方はロバーツの麻薬捜査について進む。最後まで顔を合わせる事のなかった2人の主人公がこの映画のストーリー進行を物語っているけど、ラストに教会前で顔を合わせるその持っていき方は見事。リドリー・スコット監督はやっぱり見せ方をよく分かってると思います。2時間半の上映時間も長いとは思わなかったね。 |
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(2000年制作) |
ウォール街の投資会社の副社長を務めるパトリック・ベイトマン。27歳の彼はヤッピーとして人生を謳歌しているように見えるが、その心には御しがたい殺人衝動を抱えていた。 若きエリートと快楽殺人鬼という二面性を表現したクリスチャン・ベイルの演技があってこその作品とは思う。話の流れとしてはその快楽殺人鬼の行状が目に付くところではあるけれど、最後まで観ると、スラッシャー映画というよりは虚栄心や無関心に支配された社会をブラックに風刺した映画といった印象が強いかな。 何というか、決してこの主人公だけがサイコなのではなくて、この映画の登場人物のほとんどがおかしいという感じなんだよね。(秘書や探偵はまだまともそうだけど。) 映画のラストで殺したはずのポール・アレンの部屋が消えていたというシーンは、主人公の殺人はすべて妄想だったかもしれないし、そうでもないかもしれないという示唆でもある。劇中でもハッキリとはしないし、意図的なブレを作って実際どっちとも取れる感じだよね。でも主人公の「もう逃げられない、告白する、罰してくれ」とする心情に対して、それをスルーする周囲というのも主人公の主観としては存在するわけだ。 結局、ホームレスや娼婦が殺されたって社会はそれほど関心を持たない。それどころか、同僚が死体袋をタクシーに乗せていても、関心があるのは中身ではなくブランドだ。何かの価値の為なら事件を無かったことにする人間すらもいる。そんな“主人公の主観”というカリカチュアによって、この虚栄に満ちた物質社会を皮肉っているのだと思った。 |
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(2014年制作) |
イラク戦争で160人を射殺し「伝説」と呼ばれた実在のスナイパー、クリス・カイルの半生を描いたドラマ。 クリント・イーストウッド監督の演出は枯れていない。オープニングで自爆攻撃を計った母子を射殺するか否か…という主人公・カイルの状況を見せてあっと言う間に画面へ引き込み、次の瞬間には幼少期の父の教えから入隊、そして妻・タヤとの出会いを一気に見せる。カイルの為人を感じさせるポイントを押さえた話運びの、その手際の良さと言ったらない。 戦場と日常の往復を繰り返す中で、次第にPTSDになっていく様子が分かる。それを説明台詞ではなく、米国で後続車を気にしすぎているシーンや、戦争映画でも観ていると思わせてカメラが回り込むとそこには映っていない…など、テンポを殺さずに映像で伝えてくるところは上手いなあ。 ジャンルとしてはもちろん戦争映画なのだけど、個人的には西部劇の様な印象を受けた。それはカイルが自分の信念に従って生きる男であり、仲間を守るために「蛮人」を殺すという行為が米国白人とインディアンのそれに見えたからだけれど。“ワラワラ湧いてくる敵”を掃射するという描写がそう思わせたのかもしれない。ただ、一面的に「蛮人」を倒す英雄の物語にできそうな話であっても、そこはやはり「許されざる者」を撮った監督の作品。人を殺すことで背負う業がしっかりと描かれているんだよね。 生きながら「伝説」と呼ばれた男は、国に身をささげた愛国者の様にも映る。動機が義憤であることは間違いないが、端的に彼が守りたかったのは戦場の仲間であって、「羊を守る牧羊犬であれ」という父の教えを守ったクリスチャン。彼は退役後も牧羊犬としての居場所を見つけたのに、その羊に殺された。彼の最期は皮肉でしかないが、イーストウッドはことさら感傷的には映さない。ただ、彼の葬列を沿道から見守る人々をエンディングで流すのみである。観る人はそこから受け取ればいいという具合に。 |
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(2013年制作) |
1979年に実際にあった詐欺師とFBIが手を組んで仕掛けた政治スキャンダルの囮捜査。その顛末を描いた犯罪コメディ。 一応ジャンルはコメディになるんだろうけど、ギャグに大笑いするようなのではなくて、天才詐欺師の計画が色々上手く運ばない状況にクスクスする感じかな?どちらかというと70年代のオールドな雰囲気が漂わせる渋さに感心してしまった。基本的にはプロの仕事が素人に引っ掻き回されて窮地に…という展開は、話を盛り上げるための無理やり感が目に付くことが多いので好きではない。だけど、この作品はそれ自体がプロットとして上手く生かされていると思うので悪くなかったな。 功績に目をくらませるFBIのディマーソ(ブラッドリー・クーパー)と詐欺師の妻・ロザリン(ジェニファー・ローレンス)にはイラつくこと甚だしいし、それに中盤、「あれ、この市長(ジェレミー・レナー)は本当に市民のために政治家してるんじゃない?」と感じてからは、「これでいいのかなあ…」と思いながら進行を観ていたのだけど。でも、ラストの逆転劇が小気味良かったので、鑑賞後は好感が持てて良かったですよ。 それにしても達者な役者のアンサンブルは見事。腹が出て頭髪の薄くなった詐欺師のクリスチャン・ベイルは、ちょっとビックリだけど流石。でも一番はやっぱりジェニファー・ローレンスの立ち回りだよね。イライラさせたら成功の役だけど、お見事な助演っぷりだったと思う。 |
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ネオナチの兄と、彼を崇拝する弟の悲劇を通してアメリカ社会の暗部を描いた作品。 白人至上主義者の兄を演じるエドワード・ノートンの演技が素晴らしい。刑務所に入る前と出てきた後の演じ分けに説得力があるね。弟役のファーロングも好演している。 個人の思想が変わってしまうというのは、相当の事だと思う。そういう意味で、バリバリの白人至上主義者だった兄が、3年という刑務所での経験によって思想を変える課程はまあ納得。ただ弟が兄の話を聞くだけで考えを改めるというのはちょっと安易だった気もするかなあ。 真っ当な存在であると思われた父親が、そういった思想を持っているのも怖い。父親は経験に基づいて言っているのかも知れないけど、何か空恐ろしかった。 しかしラストには驚かされたなあ。そういうことになるのか…と。憎しみや怒りは哀しみを増させるだけか…。考えさせられる作品です。 |
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これが、アメリカの“今”なのか・・・。ブラックユーモアがあふれる映画だよなぁ。どの人物にも感情移入しにくかったんだけど、映画の後半になればなるほど、不思議と引き込まれていった。主人公が死ぬのは、アンハッピーエンドでありながら、この映画にはふさわしいエンディング。ま、冒頭で主人公が予告してるんだけど。社会問題(?)をジョークで飾った秀作だと思う。 | ||
(2019年制作) |
2008年に閉鎖したオハイオ州デイトンのゼネラルモーターズの工場。2015年に中国資本によって自動車のガラス工場へと生まれ変わった様子を描いたドキュメンタリー作品。 巨大自動車企業が撤退して失職者があふれた街に中国企業が来て雇用を創出したところから始まるわけだけど、米国と中国の労働に対する文化の違いを浮き彫りにしつつ、中国資本の浸透を感じさせる“今”を切り取っていて興味深い。視察に来た中国の会長が「郷に入れば郷に従え」といったそばから「組合ができるならわが社は撤退だ」などと言い放つのだから、その考え方の隔たりは大きいのが分かる。同じ団結を口にしても、米国人の団結は労働者個人個人の尊厳を守るための団結であり、中国企業の言う団結は個人を犠牲にしてでも会社を成長させるための団結だ。 作品の構成としては明確にストーリーが存在しているので見やすいけれど、中国に対してネガティブな内容なのに、よくここまで工場内のことを撮らせてくれているなとも思った。まあ初めは“米国で雇用を創出した中国企業”という宣伝になるとでも思ったのかもしれないが、「団結」や「一つの家族」とは裏腹な状況になっていくのは皮肉でしかない。 中盤、中国本社に米国人従業員を招いて行われたパーティーは今の中国の派手さや勢いを感じもするが、それとともに「違う文化の集団」という奇異さも感じさせられる。かつてバブルの時に米国企業を買収を繰り広げて「エコノミックアニマル」と揶揄された日本人も、米国からはこのような見え方をしていたのだろうか…と、この映画を観て考えさせられた。 |
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(1992年制作) |
「千夜一夜物語」の「アラジンと魔法のランプ」を基にしたディズニーアニメ映画。 91年の「美女と野獣」に続いて興行的にも批評的にも成功した作品で、確かに90分という尺の中での話のまとまりやスピード感、印象的な主題歌の使い方などのディズニーらしい面白さが詰まったアニメ作品になっている。いわゆるディズニープリンセスと彼女を救う若者がいたり、悪だくみする魔法使いがいたりと話の構造自体は王道ではあるものの、“アラビアンナイト”というエキゾチックな世界観が変化を与えた魅力にもなってるよね。 本作は何と言ってもジーニーのキャラクターがずば抜けて面白い。“ランプの魔人”という万能キャラであることを良いことに姿かたちが目まぐるしく変化するし、世界観も超越して現代文化的な表現をどんどん放りこんでくる自由さには恐れ入った。これが成立するのがアニメの面白いところか。ロビン・ウィリアムズのまくしたてるようなセリフ回しもジーニーの面白さに拍車をかけている。一方、魔法の絨毯も本作のキーキャラの一人であるが、これはCGで描画されてる様子。無機物の擬人化はディズニーの十八番だけど、これをCGでやっているのはちょっと寂しい気も。とはいえそのCGによって絨毯の飛行シーンはスピード感のある表現にもなっているわけで、表現技術の使い方としては間違っていないとは思う。 |
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(2019年制作) |
1992年に公開されたディズニーアニメの実写版。 「アラジン」の実写版と聞いて「ランプの魔人・ジーニーはどうするねん」と思った答えが、予告編の“青いウィル・スミス”だった時の衝撃はなかなか忘れられないけど、その時に感じた一抹の不安など全くの杞憂だった。ジーニーが登場してからの騒がしくも面白い映像の乱れ打ちは楽しめたし、アラジンとジーニーのバディ感も良く、アニメ版のイメージを崩さずに上手く実写版に落とし込んだなあ、と感心した次第。 ダンスを含めたミュージカルシーンでは基本的に人物が1.1〜1.2倍くらいの早送りで観ている感じのチャカチャカした動きを見せる。最初は「音楽に合う様に編集した?」と違和感があったものの、全体的にそういう構成になっている気がするのでわざわざスローテンポで撮ってから早送りしてそういう演出にしている気がする。スピード感とか映像のテンポとか動きのキレ的なものを重視したのかな。 スピード感という意味では序盤の展開。ランプを狙うジャファーが洞窟に人を行かせているシーンや、ジャスミンが城を抜け出すくだりはかなり省略していて驚いた。その割に全体的にはアニメ版より30分以上も長いのだから、いったい何が水増しされたのかw でも鑑賞後感としては「アニメ版そのままの話」といった印象だったんだけどね。まあジャスミンの扱いは現代的な“女性の主張”がさらに強調されてる様には感じたけど。 |
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子供の目線から見た父親とは尊敬の対象であってしかるべきだと思うが、主人公であるフィンチという弁護士は素晴らしい人物。父親としても、弁護士としても本当に素晴らしい。俺の中で印象深いのは、射撃の腕を図らずも息子に見せる場面、法廷で黒人への差別意識を問いただす場面、そして唾を吐きかけられても毅然とした態度を取る場面。彼のような人物になりたいねえ。ストーリーは主に息子と娘からの視線で語られる。意外だったのは黒人差別問題が主軸でありながらそれを高らかに謳うこともなく、むしろ子供の世界を描いていること。前半は隣家の住人ブーに関するサスペンスフルな展開。忍び込んだりうわさ話をしたり、子供の頃なら似たような経験があるかもしれない世界。中盤は法廷劇。個人的には1カ所脚本にツッコミどころがあるにしても、それでも真に迫る演出。そして終盤20分で一気に風呂敷を畳む。これが良かった。原題である「ものまね鳥を殺すには」がここに係るとは…。テーマ、ストーリー、そしてなんと言っても主人公役グレゴリー・ペック。素晴らしい映画でした。 | ||
完全版 |
1962年に製作された劇場公開版のフィルムを修復し、さらにカットされていた20分を追加して1988年に公開された完全版。 デヴィッド・リーンの名作として誉れ高い本作。英雄として名を残したロレンスの光と影をしっかり描いていて確かに見応えがある。前半は親アラブの英雄的側面が描かれ、デラアで男色(?)のトルコ軍将校の手にかけられてからは、精神的に崩壊していく一人の男として描かれる。果たしてロレンスは英雄だったのか、取るに足らない人物だったのか、映画の冒頭の葬儀で参列者が色々と語っているけれど、それは本編を観て考えなさいという作りの作品だね。 主人公人生を描いた英雄譚としても見応えはあるけど、この映画は何よりその映像がすごい。砂と空だけの地平線をロングで撮影しているかと思えば、その地平線の陽炎の向こうから一人の影が現れる。その他のシーンにしたって、人が点なんだよね。主人公は砂漠か。もう“砂漠”という広大な空間の表現をこれほど見事に撮影した映画は、そうそう無いんじゃないかなあ? |
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(1960年制作) |
1836年に起きたメキシコ軍とテキサス独立派の13日間の戦闘、“アラモの戦い”を描いた作品。 西部劇俳優のジョン・ウェインが初監督で撮った作品だけど、前半が少々時間を取りすぎている様な気もする。デイビー・クロケットとメキシコ女性の話とか、個人的にはもう少し纏められた部分もある様な気もするけど、そういうのが入るというのは何かしらのお約束なのだろうか。若干話が長めなのも、米国人なら誰もが知る話なだけにジョン・ウェインの気合いが違ったのかもしれない。事実、後半の戦闘、特に終盤の押し寄せるメキシコ軍の攻勢には、エキストラ大量動員の力で今観てもなかなかの迫力があるからね。 ストーリーとしては司令官トラビス、ボウイ大佐、クロケット大佐3人を主軸に進み、特にトラビスとボウイの反目から共闘というお決まりの男のドラマが描かれるなど、その辺は割とベタ。しかしボウイが妻を亡くした夜に、トラビスがかける言葉などは実直な男達の間柄で良いなあと思う部分も。 メキシコ軍の描写にしても、単純な敵ではなく正々堂々とした騎士道精神を持つ相手として描かれてもおり、当時の戦争概念を観る上で興味深い部分もありました。タカ派だったウェインのイメージからすると、意外なほど正々堂々とした作品です。 |
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本物のアリのボクシングは見た事はないけど、この映画で、アリの凄さというものが分かった気がする。人種差別という根深い問題を背景に、自分の信念を貫いたアリ。その時代の申し子だったのかもしれない。ボクシングシーンは一級品。いっさい手抜きの感じない迫力あるファイトシーンに手に汗握りる。ウィル・スミスの役作りはもちろんだけど、個人的にはジョン・ボイト。でてくる映画ごとに毎回別人、すごいw マルコムXも似ていて感心した。 | ||
スター誕生 (2018年制作) |
映画「スタア誕生」(1937年)の3度目のリメイク作品。歌手を夢見るアリーがロックスター・ジャクソンに出会ったことでスターの階段を上っていく姿を描く。 本作が監督デビュー作のブラッドリー・クーパーだが、会話の中で必要な状況を観客に伝えた後は画で観せ切っているなど、手堅い演出でこのラブストーリーを纏めている。クーパーが演じるジャクソンが自殺を決行するくだりでは画面に映るベルトひとつで察してしまうが、そこまでにアル中の彼が抱えている心情の積み重ねが確かに描かれているから出来る演出だろう。 さらに作品としての底上げを果たしているのがレディー・ガガの存在によるものであることは間違いない。彼女の歌唱力の説得力があってこそ、アリーというキャラクターがスターに成るべくして成ったという物語が成立するわけだし。現実にも彼女は2000年代を代表するミュージシャンであるわけだけど、女優としても全く遜色のない演技を見せるのはすごいよね。 ストーリー的には成功の光と影を描いた王道なラブストーリーであるし、似たような話がよく作られている気もする。でも80年前のオリジナル映画が王道だったからこそ、時代は変われど普遍的な物語として支持され、こうして何度もリメイクされるのだろう。ただ、個人的には…ラブストーリー的な側面について理解はすれどあまり入り込めない部分もあったかな。それは「ONCE ダブリンの街角で」や「はじまりのうた」みたいな男女の距離感の話が好きな、俺の嗜好の問題ではあるのだけれど。 |
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バトル・エンジェル (2019年制作) |
木城ゆきとの漫画「銃夢」を原作にした実写版SFアクション映画。クズ鉄町の廃棄物の中から拾われたサイボーグのアリータが、自らの宿命に立ち向かっていく姿を描く。 原作は既読。日本の漫画原作の実写化作品は数あれど、これだけ忠実にエッセンスを拾って再構築した作品は珍しい気がする。製作はジェームズ・キャメロンで、監督はロバート・ロドリゲス。彼らの原作へのリスペクトが随所に感じられる作品になっております。原作から3編分ほどの要素を取り込んでいるので幾分駆け足な感じはするものの、彼女を拾ったイドとの疑似家族の感じやヒューゴとの青春要素を軸に話は纏まってはいる。何より原作から変えてもいいところと変えてはダメな所をよく理解して作られているのが分かるので、観ていて気分は良い。 アリータのビジュアルは特殊。普通の人間に比べて明らかに目が大きいのは“人間ではない”という表現の一つでもあるんだろうけど、違和感ギリギリの線で収めているあたりの塩梅は絶妙。それにしてもVFXではモーターボールの迫力はすごかったなあ。この映画の見せ場の一つで、「このアクションをやりたかった」というのがヒシヒシと伝わってくる。でもその派手なアクションは映画全体の配分で言うと終盤にさしかかる一歩手前のあたりなので、逆にそれ以降の終盤にかけてのアクションが少し地味に感じてしまった気も。結局原作のエッセンスに忠実にしたことで、アリータの過去とノヴァとの因縁については良くも悪くもほとんど放り投げた様な感じになってしまっているしなあ。続編、やりたいんだろうというのは分かるけどねw ノヴァは原作でとてもインパクトのあるマッドサイエンティストとして登場するキャラだけど、この映画でも登場したのは嬉しい。でも個人的にはもう少し言動や表情はマッドな感じが溢れている方が良いんだけどな。エドワード・ノートンがカメオで演じている事には驚いたけど、もし続きがあるならぜひプリンを食べながら「おいちい!」と言って欲しいw |
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(2010年制作) |
「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」を原作に、19歳になったアリスの物語としてティム・バートン監督が再構築したファンタジー映画。 一応アリスが主人公なんだけど、やはり描きたいのはアンダーランド(ワンダーランド)の奇妙な世界なんだろうと思う。かなりの重要人物に設定されたマッドハッターや、奇抜な赤の女王をたっぷり見せるところなんかを見ても、バートンらしい異形の者への愛情を感じます。だけど、その奇抜さに翻弄されるだけだった元々の話から、アリスがアンダーランドの救世主として話に絡んでくると、映画としての一本筋が付いても“先の読めないシュールさ”という「不思議の国」の魅力が減ってしまっている様な気もする。これはジレンマだねえ…。 ストーリーに整合性を持たせたことで先のシュールさは減ってしまったけど、そのバラバラの要素の再構築は上手くできていると思う。ただ、それだけでは普通のファンタジー映画と何も変わらないじゃないか、というこれまたジレンマ。個人的には「不思議の国」のキャラクター達をバートン監督が魅力たっぷりに描いてくれたこと自体が楽しいとは思ったけどね。 バートン作品常連のジョニー・デップとヘレナ・ボナム・カーターは今作でも安定感のある変キャラぶり。個人的には白の女王を演じたアン・ハサウェイの何とも言えない「ちょっと違う感じ」が良かった。CGキャラクターでは、3月ウサギの壊れっぷりの表現と、見た目がずいぶん猫になったチェシャ猫の浮遊感、トウィードルダムとトウィードルディー(双子)の戦い方がお気に入りです。 |
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時間の旅 (2016年制作) |
ある日、再び不思議の国に誘われたアリスは、家族を失った過去に心を囚われたマッドハッターを救うべく、時間の番人・タイムのもとへ向かう。 タイトルは「鏡の国のアリス」だけども、内容は「バック・トウ・ザ・フューチャー」。まあ邦題の「時間の旅」というのは間違いじゃないな。時間の番人ことタイム役のサシャ・バロン・コーエンはクセのあるコメディ俳優だけど、例にもれず確かな演技で本作のキーキャラクターを演じているね。タイムはどちらかというとアリスの目的を妨害する敵側の立場なんだけど、彼自身は何も間違ったことを言っていないどころかアリスの後先考えないに行動に被害を被っている側なので、どっちかというと気の毒を通り越して応援してしまった(苦笑) マッドハッターを救いたいという大目的は結構だけど、もうちょっと思慮深くてもいいのでは…?というアリスのキャラクター性はちょっと苦手。(中盤の精神病院のくだりは、ラストはすっかり言及されなくなっていたけど大丈夫だったんだろうか?) まあ話としてはファンタジー世界を駆け巡るアトラクション映画のようなものなので、少々騒動を起こす方が物語として正しいというのは理解できるけれども。予定調和な大団円になるのは最初から分かっているので、安心して観てはいられる。一方で前作と比較すると異形を愛するバートン色が控えめというか…、その世界観を再利用しているだけなので、正直目新しさはないというのが正直な感想。 |
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(2014年制作) |
若年性アルツハイマーと宣告された言語学者のアリス。家族に支えられながらも、次第に様々な記憶を失っていく姿を描いたドラマ。 自分が若年性アルツハイマーと宣告されたらどう感じるだろうか。主人公のアリスは気丈にふるまっていたけれど、劇中夫に見せた感情の吐露の様に、自分が失われていくことに対しての序盤の絶望感は…。この物語はその避けがたい事実の中で消えゆく自分の記憶と、家族の想いが見せる愛の話。愛で奇跡なんかは起こるわけでもないし、淡々と病状は進行する。それでもラストカットは美しいと思った。末娘のリディアは自身の進路への口出しにはとかく反抗的だけれど、この娘は本当に母親を愛しているのだろうな。 病状が次第に進行していく様子を、ジュリアン・ムーアは熱演している。自分が宣告されたことよりも、遺伝性の“家族性アルツハイマー”だと言われた時の方が表情が曇っていたのはリアルに感じた。そして子供たちに"so sorry..."と謝るわけだが…謝るようなことではなくても、親としてそう口に出してしまうのだろうか。これは親ならざる我が身ではまだ分からないが、そうなのだろう。 |
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(2012年制作) |
1979年末に発生したイランアメリカ大使館人質事件。その時密かに脱出し、カナダ大使の私邸に逃げ込んだ6人の大使館員をイラン国外に逃がすため、CIAは偽のSF映画をでっち上げ、スタッフと称して脱出させる作戦を決行する。 監督・主演はベン・アフレック。事実を元にしたこのストーリーを、緊張感あふれる演出で実に見事なサスペンス映画に仕上げてます。もはや"俳優が撮った映画"とは言われまい。バレるかバレないか、ギリギリで逃げ切れるのか、その話の運び方は実に堅実で時にあざといぐらいに盛り上がる!そういったサスペンス映画としての娯楽性のツボの押さえ方が秀逸ですね。特にキレイどころを出して観客に媚びたりすることもなく、あくまでストーリーで魅せるという姿勢が実に堅実でこの話には合っていると思う。 事件の背景の説明は冒頭で一気にやってしまうのだけど、政治がらみのこの辺は分かりやすく纏まってるね。あくまでこの映画でのイランは敵だけど、描かれ方は憎悪の対象というよりは脱出の障害であって、倒すべき相手ではない感じ。描き方によっては米国万歳になる題材を、極めて現実的に"憎まれる米国"という匂いを感じさせるあたりが良かったと思う。 映画的な盛り上げと言えば、主人公が命令を無視して大使館員に対する責任を背負おうとした場面が一番熱いか。ここで完全に国ではなく人を描いた映画になるんだよね。そして主人公の上司が航空券を取り戻すために尽力する姿がまたカッコイイ。タイミングが狙いすぎだけど、この映画ではそれが良いw |
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(1963年制作) |
ギリシア神話のイアソンの冒険を描いた作品。 物語は神話をずいぶんと映画用に脚色された展開にはなっているけど、イアソンがアルゴナウタイを引き連れてコルキスの金羊毛皮を奪うところまでのお話。しかし冒頭の復讐云々の話が宙に浮いたまま終わってしまい、なんだか1本の映画としては前フリが消化不良になっている気もする。イアソンの目的は、毛皮とメディアを手に入れておしまいという事じゃないだろうよ。 まあこの映画はそこを観るのではなく、青銅の巨人やヒュドラといったレイ・ハリーハウゼンの仕事を観るということに、現代ではその価値があるかもしれない。特に特撮の世界では語りぐさになっている7体の骸骨戦士は、今観ても見事と言うほか無いよね。実写の俳優と違和感なく剣戟を繰り広げるストップモーションの骸骨達。…すごい。 ちなみに字幕版で観ると、字幕では主人公の名がギリシア神話に則ってイアソンと出るけど、聞こえてくる台詞は英語読みで"JASON"と呼ばれているのでなんだか変な感じw |
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仕事もせず、盗みなどで小銭を稼いでいる主人公の青年。彼は思いつきで恋人との間に出来た生まれて間もない子供を売るが…。 2005年にカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したベルギー映画。個人的には単館映画館で見た予告編で気になっていた作品なんだけど、タイトルの「ある子供」って、売られた主人公の子供の事じゃなくて、主人公のことだったのね…。 身勝手で、後先のことを考えず行動する、子供のまま大人になりきれていない主人公の青年。彼女とのじゃれ合いなんかを見ていたら、まだ子供なんだなとよく分かる。そういう青年像がある国にとっては多くの“子供達”の中の“ある子供”の姿なんだとしたら、一方的な感想で言うと気の毒な感じもする。 主人公の行状はその歳の青年のすることと思えばとても共感できないんだよね。でもそうやって生きている若者達の現実を上手く切り出してはいるのだろうし、そこは考えさせられるところではあった。展開としては、主人公が体験した劇中の一連の出来事から、最後に“大人”になる兆しのようなものを感じられて少し希望を持てました。 演出はひたすらカメラが主人公に張り付いたドキュメント調な雰囲気。緊張感の有るシーンは所々ワンカットの長回しもあるけど、基本的にトーンが平板なので淡々とした印象ばかりが残る。そういえば劇伴が一つもなかったなあ。エンドクレジットにすらw |
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ある老女性教師が、好意を抱いた新任女性教師の秘密を知り、彼女を支配しようと画策するサスペンス。 えーと、ストーカー映画ですね。その老教師を演じるジュディ・デンチは、この恐い役を貫禄たっぷりに演じてます。さすがです。 新任教師役のケイト・ブランシェットもさすがに上手い。ただこの役はいずれバレるようなことをしたのだから多分に自業自得だし、老教師にストーカーされなければ同情されるような立場ではない気もする。この映画で一番気の毒なのは旦那さんですわ。 全体的には一定のトーンで老教師の不気味さが漂っているんだけど、終盤に日記の存在がバレるあたりはちょっと精細さが無かった。いくらなんでも見られてまずい内容の書き損じを、普通にゴミ箱に捨てちゃダメでしょ。そこがちょっと展開上の不満。 ラストに次の獲物を狙っている姿なんざ、何かレクター博士のような雰囲気すら漂っていて、その不気味さが逆に面白くもあるんだけど、でもこんな奴を野放しにしてちゃダメだw |
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大ヒットした映画。しかし本筋は「ディープ・インパクト」と同じだから、新鮮味が感じられなかった。こっちを先に見ていたら印象も違ったかもしれないが・・・。「スター・ウォーズ」が引き合いに出てくるのは楽しい。VFXはよかった。主題歌もいい。しかし人工重力には疑問。あの回転じゃ、あんな方向に重力はかからんぞ! | ||
2300年前に世界を世服したアレクサンドロス大王の物語。英雄の話ではあるけど、実に泥臭い。孤独、不信、裏切り。一人の人間としての彼は前半こそ英雄的ではあるものの、後半になるにつれ東方へのこだわりは乱心とも思えてくる。何がそこまで彼を東征に向かわせたか。あの母親から逃れるためだったんだろう…。父王フィリッポスに対しての彼の気持ちを考えれば、復讐のために自分を使った母親の歪んだ愛情は、たまらないものがあるのは分かる。 作品のほとんどが人物描写ながら、二つある戦闘シーンの一つ、“ガウガメラの戦い”は凄い迫力だった。まさにその時代そこにいるかのような映像。これを観れただけでも個人的には十分満足w 全体的には“説明臭い映画”と思った。冒頭のプトレマイオスの語りは口述筆記だから当たり前だけど、どうもキャラクターの言い合いの中にでも説明台詞的なものが目に付く。まあ、こういった台詞での話の肉付けは、オリバー・ストーンらしい気もするけどね。 |
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(2024年製作) |
ロンドンで女性が自殺した。ゴドウィン・バクスター博士はある方法で彼女を蘇らせ、ベラ・バクスターとして"保護"するが…。 奇抜な物語だとは思うけれど、着地点はわかりやすく、共感もできる。これは人間の解放の物語ですよね。メタファーとして"女性"と"性"についての要素が強く出てけれど、社会通念の中にある縛りのようなものからの脱却が描かれている様に思う。主人公の女性ベラは冒頭で白痴の様に登場するけれど、その実は胎児の脳を移植された大人の体の人物という、いわば"フランケンシュタインの怪物"の様な創造物。頭が子供であるがゆえに通念的な因習に対して行動が自由だということに説得力のあるキャラクターであり、その目を通して世界が描かれていくわけですね。この構造はとても上手くできていたように思う。 映画の序盤は白黒映画。たまに広角レンズを通したような画にもなるし、そういう意味でも奇抜さを感じる。中盤で旅に出てからは色彩鮮やかな画面になるのだけど、結局のところその映される映像はベラの世界に対するイメージということなのだろう。広角レンズの画面の窮屈さは"囚われ"であることの表現型だろうし、画面に色がつくのは世界の広がりの表現型というわけだ。世界観を形作る美術も作り物のような造形が独特な雰囲気を出していて面白い。主人公の"新しいものにふれる体験"を観ている側にも伝えてくる感じだろうか。 作品的には"性"が前面に描かれていて、それが故に日本ではR18+指定になっているわけですが、年齢制限を厳しくしてでも映画にボカシを入れなかった配給はエラいと思う。セックスが描かれまくっているけど、別にエロいわけでは無いし、テーマにとっても大事だしね。 主演のエマ・ストーンは中身が子供の大人を見事に演じていたと思う。博士役のウィレム・デフォーもさすが。でもこの映画の一番のお気に入りは放蕩なウェダバーン弁護士役のマーク・ラファロ。女を遊んで捨てる様な嫌なキャラクターかと思いきや、ベラに振り回されて破滅してく様が実にコメディでしたね、笑ってしまったw |
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(2012年制作) |
公民館で行われている老人たちの合唱団の練習。そこに参加する楽しげな妻マリオンと、彼女を見守る気難しい老人・アーサーだったが、ついに妻との別れの時が来る。 死別は人間にとって避けられない瞬間であるが、残された時間とその後で主人公の老夫婦が織りなす物語は、ベタだけれども愛情の伝わってくる作品だった。邦題の「アンコール!!」はあまり上手くなくて、原題の"Song for Marion"こそが的確に作品を表現してると思う。死別という重くなる話が背景にありながらも、時にユーモアのある場面もあり、しんみり加減とのバランスも良いね。 終盤で失権になりながらも舞台への飛び入りを成立させるのは出来過ぎだとも思うけれど…、中盤の妻から夫への歌のアンサーとして、作品の泣かせどころとしては効果的。良い映画ではあるよね。しかめ面のアーサーを演じるテレンス・スタンプが映画の後半で次第に笑顔を見せるのも印象に残る。序盤、謝罪することが出来なかった頑固爺さんの変化。見守る人々がみんな優しい物語。 |
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(2007年制作) |
2006年に亡命先のイギリスで毒殺された元ロシア連邦保安庁(FSB)の職員、アレクサンドル・リトビネンコ。彼の死の真相に迫ったドキュメンタリー映画。 リトビネンコ氏の暗殺から1年後に公開されたドキュメンタリーだが、監督は以前からチェチェン紛争などの取材を通じて氏に接触していた様で、映画はその生前のインタビューで主に構成される。内容はFSBがチェチェン進攻の口実に国内で擬装テロを起こしたり、暗殺を行っていた事実を糾弾するもので、当時のFSB長官がプーチンだったという事実も絡めてロシア社会における強権的な大統領の素性に対する懐疑的なテーマに基づくものである。 個人的にはドキュメンタリーで描かれるものが全て事実かどうかはあまり信じていないのだが、本作は状況証拠の積み重ねでFSBの活動を暴こうとする意思が明確にあり、そういう意味で制作者の信念が感じられる力強い作品だと思う。リトビネンコ氏をはじめ、反プーチンのジャーナリスト(劇中でもポリトコフスカヤ女史の暗殺が言及されている)等に対する事実は確かにあるわけで、こうして第三者的な印象で観ると…やはり「プーチンを怒らせるとヤバい」のではないかと感じてしまうのが恐ろしい。 作品としては反体制派に対するインタビューが多いので一面的な印象もあるが、一方でロシアの国民性が自由主義的なものに慣れておらず、故に未だ(2007年当時)に全体主義的なものが成立してしまうのではないかという指摘は興味深い。 |
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(2010年制作) |
有毒物質を満載した貨物列車が無人のまま暴走。近くに居合わせたベテラン機関士と新人車掌は列車を止めるべく、命がけの行動に出る。 本編99分、本当にほぼ列車暴走のみが描かれるシンプルストーリーのアクションサスペンス。というか、逆にそれだけで最後まで話を保たすテンションの取り方が上手いよね。「列車を止めなくてはいけない!」という大目的に向かってストーリー自体がノンストップで突き進む。この辺のアクション映画を撮らせればトニー・スコット監督には手慣れたものだろうけど、本作は小気味良く纏まっていてさすがという感じ。 ほとんど掘り下げられないものの、主人公二人にも家庭問題があり、そしてベテランと新人という確執があり、という具合にドラマを引き立てる要素もある。話の進行と共にそちらの問題も解決する様子が見えるようになっているけど、あくまで列車暴走のプロットを邪魔しないレベルに押さえているところも好印象。ホントに単純な話の映画だけど、ここまで割り切ってやられると気分は良いですね。新人車掌役のクリス・パインは、機関士役のベテラン俳優デンゼル・ワシントンのオーラにも負けない、良いコラボレーションの演技でしたね。 |
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(2003年制作) |
ヴァンパイアとライカン(狼男)との抗争を描いたアクション映画。ビジュアルはまんま「マトリックス」と「ブレイド」でさほど新鮮味もないが、まあそれはそれで安定した格好良さがある。個人的には、「ブレイド」ほどコミックなアクションでないのが物足りないかなあ?ストーリーは敵味方が二転三転するので面白かった。ただ600年続いた抗争の割に原因が心の狭い話だったのでなんとも。まあ、掟を重んじたということなんだろうけどね。しかしヴァンパイアの長老ビクターの役者さんは雰囲気バッチリだった。マントを羽織った姿はいかにもドラキュラ伯爵。彼の演じるもっとゴシックな吸血鬼映画を観たくなりましたわ。 | |
エヴォリューション (2006年制作) |
ストーリーは前作の直後の話。今作では長老マーカスが復活し、ヴァンパイアとライカンのルーツを巡る戦いが繰り広げられる。 主人公セリーンを演じるケイト・ベッキンセールは、前作では正直動きが重い場面があったけど、今作のアクションシーンはバッチリ決まっていて安心してみられる。ライカンやマーカスの動きもCGを多用してリアルだし、ビジュアル的には良い感じ。 ストーリーは前作を踏襲した上で進むので、予習は必須。まあ予習していても置いていかれかねない気もするけどw それだけ練った世界観ということなのでしょうか? …個人的には後付設定的な感を受けなくもないが。 安心できるのはきちんと前作の俳優が引き続き出ていることです。特に序盤で死ぬヴァンパイアとか、回想シーンにしか出ないビクターとか、ちょっとしか出番のない役でもね。そういう連続性は観ている方にとって大事だもんね。 |
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ビギンズ (2009年制作) |
ヴァンパイアとライカンの数百年にも及ぶ抗争の切っ掛けを描いた作品。 この作品で語られるストーリー自体は1作目である「アンダーワールド」で触れられているので、観客からすれば結末がどうなるのかは分かっている。なので数分で終わる話を如何に膨らませているかが気になる所なんだけど、背骨を「ロミオとジュリエット」風にしたファンタジー・アクションとでもいうか、まあ予想の範囲を超えるモノではなかった。そこは惜しいところ。 とはいえ初監督とは思えないパトリック・タトプロスの無難な演出は悪くはなかった。これまでのシリーズの美術デザインをやっているだけあって、今作でもその雰囲気を壊さず継承してくれているしね。 設定上、ケイト・ベッキンセールに似ていないと話にならないソーニャ役にローナ・ミトラ。これがまた微妙に似ているので面白い。ビクター役のビル・ナイは相変わらずの演技でカッコイイが、如何にビクターが強いとはいえ脳幹を斬られても生きているという設定はどうかw |
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覚醒 (2012年制作) |
シリーズ2作目のその後から話は始まるが、人類に発見されたヴァンパイアとライカンはともに人類によって粛清されていく。そんな中、セリーンも人類に捕獲されるが…。 映画シリーズとしては前作までで区切りがついていたので、今作は仕切り直しての再発進という感じ。冒頭の浄化シーンの戦闘などは背後にいるバイオ企業の存在も相まって、「バイオハザード」シリーズの様な印象になってしまってたね。話自体も「『アンダーワールド』ならこんなもんか」と思う反面、結構強引に続きを作っている感じがあって、個人的にはコンセプトがあまり気に入らない。"3D映画を作るため"という目的が先に来ているのが透けて見えるもんなあ。 それでも見せ方が上手ければ楽しめるのだろうけれど、全編にわたって繰り広げられるアクション満載の展開の割には工夫が足りない感じも。奥から手前に突進するライカン、やたら点滅する照明、とにかく上下ジャンプのセリーン。どうも決まった見せ方の組み合わせが目立って、ともすれば単調にも思えたね。今作ではデカいライカン…ウーバー・ライカンが目玉にはなってますが、ハデにするために取ってつけた感は否めない。 |
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ブラッド・ウォーズ (2017年制作) |
シリーズ5作目。ライカン族に新たなリーダーが現れ、劣勢となったヴァンパイア族はすでに追放の身となっていたセリーンを一族の戦士の養成役として呼び戻すが…。 いつまで続くのかというシリーズですが、さすがに前作から5年も間が空くとストーリーもうろ覚え。そんな状態でも冒頭に主人公自らシリーズの要点を語ってくれるので安心ですw それはさておき、1作目から14年経っても容姿の変わらないケイト・ベッキンセイルはすごいというかさすがというか。まあ一部のアクションシーンは少々重くなったような…? カメラワークでごまかしている気がしなくもないけど。全体的に、アクションシーンがなんかもっさりしていると感じるところは多いかなあ。 本作はライカン族との一大決戦という位置づけになるのだろうが、規模的に考えるとちょっと小ぢんまりとしている気もする。ヴァンパイアが数を減らしているという設定はあるものの、クライマックスも狭い城内で収まってしまっているし…。予算的な都合もあるんだろうけどね。それでも変わらぬ世界観とヴァンパイアvsライカンで割り切った内容にしているところは、シリーズとしての安定感はあるかな。本作のイヴはただのマクガフィンだったけど、キャラの行動原理にするには上手い配置。一方で、血を飲んで記憶を共有する設定が話を進めるのに便利なのは分かるけど、ちょっと使い過ぎ…?という気もする。しかしマイケルの最期はそんな感じなんだな…。 |
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(1987年制作) |
禁酒法時代のシカゴ。アル・カポネが牛耳るこの街で財務省の捜査官エリオット・ネスはカポネを検挙するために捜査を開始する。 60年代にTVドラマにもなったエリオット・ネスの自伝を基にしているものの、内容はエンタメとしての刑事ドラマ・ギャング映画の趣が強い。が、それが良いw 新任地のシカゴに赴任したネスが初回の摘発で失敗し、そこから信頼できる仲間を集めて本丸のカポネに迫る…という分かりやすい筋立てで一気に見せ切っている点でも、エンタメとして上手く出来ていると思う。ケヴィン・コスナーやアンディ・ガルシアの若い頃の活躍という点でも見るべきところはあるけれど、やはり本作はショーン・コネリーの存在感が素晴らしい。 コネリーといえば自分はやはり「007」のボンドをイメージしてしまうけど、本作で演じた老警官マローンにはそれとは違った頼りがいが感じられるし、マローンの警官としての人生や哀愁も表現しているのが見事だなあと。マローン(コネリー)とネス(コスナー)の「シカゴ流のやり方」における疑似師弟ともいえる関係性も本作のドラマを盛り上げていて、コネリーが本作でアカデミー助演男優賞も受賞したのも納得です。 監督のブライアン・デ・パルマはクセのある監督だとは思うけど、本作の軽妙さはハマりにハマっていると思う。銃撃戦で「戦艦ポチョムキン」の引用をやってしまうなんて半分ジョークみたいなもんなのに、これを映画史に残るアクションシーンにしてしまうんだから…。やっぱりハマった時のセンスは凄いと思う。オープニングのタイトルの出し方も格好良くて好きだなあ。これはエンニオ・モリコーネの曲がかなり効いているというのもあるが。 |
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(2009年制作) |
情事のさなか、幼い息子が窓から転落死した夫婦。セラピストの夫は、精神的に参った妻の治療のため、彼女の恐怖と対峙させる目的で森の小屋へと連れて行くが…。ラース・フォン・トリアー監督の問題作。 全身全霊で女性と肉欲を全否定したような映画。妻の恐怖の対象とは何か…というミステリーな部分もあるけど、この映画を覆う漠然とした不安感のすごさと言ったらない。(サブリミナルまで使ってるし…。)化け物は出ないけど、明らかに悪魔的な何かに魅入られたような雰囲気。性欲に憑りつかれていた妻の恐怖とは、自己嫌悪だったのだと気付いたあたりからもうヒドイ。そこまでにも嫌悪感を感じるセックスシーンはあったけど、さらにエスカレートして明らかに痛い。最たるものはその行為を全否定する妻のカットシーンだけれど、何もここまで…。 章立てで展開するストーリーも、どんどん抜け出せなくなっている感が強まってきて精神的にくるんだよなあ。心理ホラー映画なのは間違いないけど、難解な描写と宗教色によって、前衛映画という趣が強いか。観る人の解釈にゆだねられている部分も多いけど、概ね否定的な嫌悪感にさいなまれることでしょうw しかし映画としての見応えはすさまじい。 それにしても女は悪魔とここまで描くとはね。自然に帰った女と男がすることと言ったら、それはもう反キリスト的行為なのだろうけれど…。しかし考えてみれば冒頭からテーマは明確に提示されていた。なにせタイトルロゴは"ANTICHRIS♀"だ。 |
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(2015年制作) |
元泥棒で身長1.5cmという異色のヒーロー誕生を描いたマーベルヒーローの実写映画。 身長1.5cm…ちっさいヒーローがどんな活躍を?という感じで観る前は設定を聞いてもピンとこなかったのだけど、小さくなった視点からの戦闘描写が良く出来ていて面白かった。普段生活している空間でも、自分が小さくなったことで大冒険になってしまう…なんて話は昔から色々あるけど、実写でその空間の広がりをちゃんと表現しているところが良いね。バスタブの巨大さのインパクトよ。 設定上は原子間隔が小さくなるピム粒子を駆使することで、アントマンは人間サイズから1.5cmまで変幻自在に大きさを変えられるらしい。まあそれが出来るとして、現実に考えると質量は変わらないはずなのでアリに乗れるわけはないし、逆に不思議粒子のせいで軽くなったのだとすると人間を吹っ飛ばせるわけがない。…が、観ている間はそんなことが気にならないような勢いで見せてくれるのでOKw ストーリーとしては主人公がヒーローになる1作目の話なので、やはり前半は段取りが多い感じかなあ。でも後半は勢いもギャグもなかなかな効いていてよかった。小さい世界での一大バトルと通常サイズからの視点のギャップには何度も笑わせてもらいました。MCUらしい他作品とのリンクも随所にあるし、そういう点でも次回作が気になるところ。口笛の選曲が" It's A Small World"だったのは…良いセンスだw |
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(2018年制作) |
「アントマン」の続編にしてMCU第20作品目のヒーロー映画。「シビル・ウォー」後に拘束され自宅で軟禁状態となったアントマンことスコット・ラング。そんなる日、かつて量子世界で行方不明となったピム博士の妻・ジャネットの夢を見るが…。 MCU本編は前作が「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」なのでサノスによって宇宙が大変なことになっている状態なのだけど、こちらの方はいたって平常運転というか、アントマンたちの身内の問題で右往左往する話。いい意味で息抜き回ですなw ただコメディチックなノリは「アントマン」から引き継がれていて色々クスッとする場面もあるのだけど、大きさを使ったジョークやアクションの類は前作の方が好みかな。 前作でも気になったものの勢いでごまかされていた感がある“小さくなった時の質量”が、やはり場面によって設定が統一されていないのが個人的には気になって気になって仕方なかった(苦笑) そういう見方をしちゃダメなのはわかってるんだけどね。でも“小さくなったら軽くなる”のか“小さくなっても重さは変わらない”のか統一しないのって、完全にご都合主義じゃないかよー。まあそれも含めてピム粒子のなせるワザという事で無理やり納得するしかないけれど。 とはいえアントマンとワスプのジョイントは良い感じだし、登場人物たちの掛け合いも面白い場面はある。マイケル・ペーニャの“自白”のくだりは笑いましたw ピム博士役がマイケル・ダグラスなので、その妻ジャネットは誰になるかと思ったらミシェル・ファイファーとはね。そりゃあバランスの取れる豪華な配役ですわ。 そしてあのエンディングのワンカット、続きが気になりますよ。 |
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クアントマニア (2023年制作) |
「アントマン」シリーズの3作目にしてMCU第31作品目のヒーロー映画。アントマンことスコット・ラングは平穏な日々を過ごしていたが、成長した娘・キャシーが開発した量子地図を作る機械が発端で量子世界に吸い込まれてしまう。 「アントマン」シリーズとして観ると前2作に比べてコメディ要素は控えめな印象。娘のことが大事なスコットの気持ちをいいことに、やや独り善がりなキャシーに振り回されているようにも感じる。個人的にはそういうキャシーの青臭いところはあまり感情移入できないというのもあったし、そもそもほぼほとんどの場面で量子世界での戦いが描かれるので、主要メンバー以外は舞台もサブキャラたちも馴染みが薄くて今ひとつ入り込めなかった感はある。あー、MODOKになったダレンはそこそこユニークだったかも。(見た目がハンプティ・ダンプティみたいw) 作品的にはMCUのフェーズ5として、征服者カーンのお披露目的な立ち位置の作品ですかね。カーン自体はドラマの「ロキ」にも登場しているけど、本作のカーンはそれとは別の変異体。ただ悪役としての魅力はサノスに比べるとまだ劣っている感じ。ラストにはカーン評議会の様々な変異体が登場していたけど、ここからキャラクターとしてどう盛り上げていくかは気になるところですね。 |
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目覚めるとどこかの工場。そこに閉じ込められていた5人の男たちは、全員記憶を失っていたが、そのうち2人は人質で3人が誘拐犯であるらしい。5人は協力して廃工場からの脱出を試みる…。 お互いや自分すらも疑わざるを得なくなるシチュエーションというのは非常に面白んだけれど、残念ながらその“敵か見方か分からない緊張感”の部分が上手く生かせていなかった気がする。 最後にある2重のどんでん返しもほとんど前フリが無くて、観客をちょっと置いて行ってしまってるだよね。もっと面白く出来たんじゃないかなあと思うと残念です。 |
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(2000年制作) |
多くの乗客が死亡した鉄道事故で奇跡的に生き残った主人公・デヴィッド。そんな彼のもとに奇妙なメッセージカードが届く。 M・ナイト・シャマラン監督が「シックス・センス」の次に撮った作品は“ヒーロー映画”。とは言っても普通のヒーロー映画ではないがw テーマ的にはヒーロー云々よりも自分の使命というか、生きる意味に目覚めるまでの話だよね。それはデヴィッドにとっても、それに気づかせたミスター・ガラスことイライジャにとってもそうだ。イライジャは自分に相対するヒーローを見つけたこそで存在意義を実感したわけだけど、その表裏一体の関係性はジョーカーとバットマンを思い起こさせる。 初期シャマラン作品らしく最後のどんでん返しが仕込んであって、数々の大事故がヒーロー探しをするイライジャの手段だったというのが今回のサゲ。「シックス・センス」ほどではないものの、よく出来た展開だとは思う。個人的にはこの物語が面白いと思った部分は、主人公のちょっとした引っ掛かりや息子の親に対するあこがれが、イライジャの言葉によって妄想と現実の境界をさまよっていく部分だったかな。息子がデヴィッドに銃を向けるシーンがこの映画の最大の緊迫したシーンだけど、観客にとっても「もしかして」と「まさか」がせめぎ合う。そういう見せ方は上手い。 ただ全体的にはグレーな色調や抑制されたテンションのせいで、いささか盛り上がりに欠ける気もするというのは正直なところ。 |
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ある日突然、自宅にいる主人公に謎の女から電話がかかる。「あと30秒でFBIが突入する。逃げろ。」 目が回るような派手なアクションで楽しませてくれるが、プロットはどこかで見たような聞いたような話が多い。古くは「北北西に進路を取れ」、「知りすぎていた男」、ちょっと前の「エネミー・オブ・アメリカ」、「ターミネーター」の“スカイネット”や「アイ・ロボット」、「ダイ・ハード2」、「ダイ・ハード4.0」…。良い意味でいいとこ取り、悪く言えば寄せ集め。アクションシーンだけで楽しめる映画ではあるけど、全体的に見るとごった煮の作品。 あれだけの能力を持つ“黒幕”が何故そう手の込んだ方法を使わないといけなかったのか。主人公が選ばれた理由はともかく、仕掛けを知った後に考えるとやはりリスクの高い手段が多く、もっとスマートに出来るのではと疑問に思う。観終わった後でも「ナルホド」と納得できれば良かったんだけどね。まあ、手が込みすぎていて策士の策とは思えない、というのはこの手のスリラーにはよくあることではあるが。 巻き込まれ型の主人公をシャイア・ラブーフは好演してる。今ひとつヒーロー然としていないのが逆に良かったかな。 |
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マリファナの売買で大金を手にした二人のヒッピーが、南部に向かってバイクで旅をする姿を描いたアメリン・ニューシネマを代表する作品。 典型的なロードムービーだけど、最初から中盤までヒッピー達のラリった姿を見ながら、まるで思いつきで進行するような物語や独特な場面転換にちょっと置いてけぼりを食らった。なんだかいまいち話に乗れないなあ…なんて思ってたらやられたね。主人公達を奇異の目で見る南部の住人達のことをジャック・ニコルソンが「奴らは自由に振る舞うお前が恐いのさ」という台詞で頭を殴られた気がした。 道中の彼らをもてなしたのは、序盤の農民と集団生活をしているヒッピーぐらいのもの。南部に行くほど住人達からいわれのない差別的目線を浴びせられ、あげくには…。自由を説きながら、真に自由な人間、自分たちと違う人間を受け入れないというアメリカ人や社会の欺瞞を暴いているのか。 全編ほぼ道路を走っているだけの低予算ムービーだけど、あなどれないなあ…。 |
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ロンドンを舞台に、ロシアン・マフィアと、その組織から逃げて死んだ少女の日記をめぐるサスペンス。 少女の日記を手に入れた助産師のナオミ・ワッツが組織に目をつけられる、というのがこの映画の中心だけど、多くの展開が想像していた枠を超えないので驚きの少ないドラマではある。なのでサスペンスとしてもあまりハラハラするところはない。組織側“運転手”のヴィゴ・モーテンセンが序盤から悪者に見えないんだよねえ。(そういう演出なのではあるが。) それはそれとして、シンプルにまとまったストーリーや画の見せ方は悪くないし、小品の映画作品としては良い。全体的に淡々としてはいるけど、上映時間100分はテンポ良く進んでいると思った。 ヴィゴ・モーテンセンは全身刺青、本当に全裸で格闘するなど気合いが入っていますが、作品全体としてはなんだかヴァン・サン・カッセルとのホモ的なニオイのする映画でもありました。 |
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知らない人はいないであろう、大ヒット作。俺がもし子供の時にあんな宇宙人に会ったら怖くて逃げ出してるだろうな。しかしまぁ、どう見てもかわいくはなかったその宇宙人も、時間が経つにつれどんどん愛らしく感じてしまうから不思議。別れの場面なんかは、涙無しには語れませんなぁ。本当にいい人なんだよ、あの人は。 | ||
VFX部分を大幅にクオリティアップした特別編。昔のイメージそのままに、かなり自然な感じで良くなってると思う。表情が豊かになったE.T.はなおのこと愛らしい。改めて観て、別れのシーンが最小限の単語で済まされていることに気づき、この二人は本当に心が通っているんだなあと思うと、また涙が…(笑) | ||
クリント・イーストウッドが描く硫黄島守備隊最後の戦い。 アメリカの視点で描いた「父親たちの星条旗」に対して、日本の視点に立って描かれた“硫黄島の戦い”。ハリウッドが撮ったとは思えないほど、しっかりと日本側を描いた作品になっている。イーストウッド監督には、ただただ感謝するのみです。 ストーリーは二宮和也演じる一兵卒の西郷が中心。西郷はこの時代にあってヒネた青年で、その視線や物言いが観客の代理人になっている感じかな。そこから渡辺謙演じる栗林中将や伊原剛志が演じる西中佐、加瀬亮演じる元憲兵の清水などの話が掘り下げられていって、見事なアンサンブルドラマになっていく。 個人的には、清水の結末が“綺麗事”にならなかったことに好感を持ったね。そして中村獅童演じる伊藤中尉が決意を果たせなかったところ。このあたりの運命の皮肉が戦争なんだな、と。 逆にちょっと演出で気になるところは、栗林中将が少々気さくすぎるところか。でもまあ、許容範囲ですがw 個人的にはこの映画は良くできていると思う。でも実際の硫黄島はもっと凄まじく凄惨だったとも思う。一番の難点は、時間経過を拾える描写が乏しく、ひと月以上も米軍の攻撃に耐えた彼らの時間を感じにくかったところか。 |
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(1940年) |
ジョン・スタインベックの同名小説を原作にした、ジョン・フォード監督の人間ドラマ。干ばつと農業機械化によってオクラホマから去ることを余儀なくされた農民一家が、新天地を求めてカリフォルニアへ向かう姿を描く。 大資本によって農民が苦境に晒されるというテーマは日本で言えば「蟹工船」的なものを感じる。それはそれで人としての尊厳を考えさせられる部分でもあるけど、そのテーマと共に主人公トムとその母親の親子の絆がヒューマンドラマとしての背骨になっていて美しい。が事実苦境に次ぐ苦境が描かれるので、何とも心苦しい。 道中のドライブインでパンを求めた時の店員や、店員と客のやり取りは名シーンだと思う。「やさしいじゃない」というセリフは何気ないが、その立場をわかる者たちの共感を上手く感じさせるね。 砂漠越えや検問をいくつも乗り越えて到着したカリフォルニア。しかしそこからがまた苦難の本番だった。大農場の横暴は確かにヒドい、一方で政府経営のキャンプはキレイすぎて「政府の宣伝?」とも思ってしまったがw 委員を立てて自治をするというのは社会主義的な感じだけど、これは原作からの思想なのかな。 とかく故郷を去って新天地へ向かおうとする主人公たちの、その根底にある生きるための心の強さには感じ入る。 |
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(2017年) |
アマチュアの自転車選手でもある本作の監督。ランス・アームストロングのドーピング・スキャンダルに着想を得た彼は、現在のドーピング検査は無意味であることを証明するために、自らドーピングを行ったうえで自転車大会への参加を計画する。しかし事態は思わぬ方向へ…。 入り口からは想像もつかないような出口への紆余曲折のドラマに目が離せない。ドキュメンタリー作品ではあるが、まるでスパイ・サスペンス映画を観ているかのようなハラハラ感は、事実は小説よりも奇なりを体現した作品でもある様に思う。 冒頭こそ監督自身が体を張ってアンチテーゼを提示する形式で、それこそマイケル・ムーアやモーガン・スパーロックの亜流のような感じ。これだけで終わっていたら凡庸な作品だったかもしれないが、図らずもドーピング計画のロシア人協力者が亡命し、さらにロシアによる国家ぐるみのドーピング計画を告発をするという震源地を記録することになるという展開には、驚きを通り越して感動すらする。2017年の公開なので劇中では「IOCがリオ五輪にロシアの出場を認め、平昌でもフル参加の予定」とテロップが入る。しかし、現実として2018年の平昌五輪ではロシアはドーピング問題で出場を禁じられたわけで、この映画の告発が影響したのだとすれば殊更に本作のジャーナリズムとしての価値を感じるところ。 撮り始めから結論ありきのドキュメンタリーではなく、生き物のように事態が変化し、監督や当事者たちですら翻弄されている姿が生々しい。ドキュメント映画「暗殺 リトビネンコ事件」でも描かれた様に、「ロシアなら暗殺もやりかねない」という前提がこの映画の緊迫感を決定的なものにしている。 |
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(2018年) |
親戚一同を集めた古希の祝いのパーティーも終わるころ、街で毒ガステロが発生し、主人公たちはパーティー会場のビルに閉じ込められてしまう。 就職浪人の冴えない青年がかつての想い人と偶然出会ったそのビルで、さらに偶然にテロが発生したので一緒に脱出しないといけなくなり、最後には気持ちが接近するというとても分かりやすい展開w ジャンル的にはパニック映画だけど、冒頭から子供の主人公についての解説を入れ込んだりと「これはコメディですよ」と分かる作りになっているので、軽いノリと勢いで突き進んでいく展開もすんなり受け入れてしまう。主人公が活躍しても嫌味を感じないようなキャラ配置(親戚一同が騒がしかったり、会場の店長がクソでヘイトを集める役)だったりするのも上手いよね。つい応援してしまう様な状況になっているもの。 104分の映画なのに冒頭の20分くらいは事件も起きず、主人公の状況説明が続くのは少し長さも感じる。とはいえコメディ調なのでそれでもあまり飽きは来ないかな。いったん事件が始まってしまうと事態が一気に進むけど、舞台をパーティー会場のビルに限定せず、ビルや街を移動していくあたりは変化があって悪くなかった。終盤のクレーンを目指して走る場面でのドローン映像の謎の疾走感はいい感じだったなあ。主人公とヒロインの結末なんてベタ中のベタな話なのに、それでもいいやと思えてしまうのは「コメディだから」という前置きがあるからだろうか。コメディでなければ、クライマックスで落ちたのに何故助かったのかの種明かしをあんな風にはできないな…w |
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(1935年制作) |
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の第6回党大会の様子を記録したプロパガンダ映画。 レニ・リーフェンシュタール監督の冴え渡る撮影・編集によって、映像による印象操作の絶大な力を実感させられます。普通のドキュメンタリーではないなということは冒頭から如実に現れていて、オープンカーでパレードするヒトラーの背後から撮影していたかと思えば、次のカットでは沿道からロングで撮っていたり(この時、車にはカメラが乗ってない)、映画的な構図を得るためにかなり手間をかけた撮影をしているのが見て取れる。各式典の熱狂、党の威容、指導者ヒトラーのカリスマ性を、カットバック、オーバーラップ、モンタージュ等々の技法を駆使して表現していて、もはやドキュメンタリーの枠からはずれた記録映画と言っても過言ではないね。 ナチスのこの党大会はそういった映画的スペクタクルに応えるだけの規模を誇っていたし、事実「ルイトポルトアレーナ広場昼間集会」で整然と整列・行進する隊員、列を埋め尽くす鍵十字の旗の数たるや、今観ても圧倒的。というか現在では逆にこの規模のマス・シーンを実写で撮るのは無理じゃないかと思う。 全体的に観ればパレードなどで多少冗長に感じる部分もあったけど、それでもその圧倒的な物量に目眩がするし、当時の全体主義的な空気の演出としては効果抜群です。ナチスがイメージ戦略の重要性を理解していたからこそこの映画が名作として生まれたのだろうけど、しかしそれによる国民支持の盤石化とナチの暴走の結果を思えば、つくづく歴史の皮肉だと思えて仕方がない。 |
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(2019年制作) |
第二次世界大戦下の東欧。おばの家に疎開していた少年だったが、ある日おばが急死し、家も焼失してしまう。そしてあてどなく彷徨う少年は、その行く先々で苦難に遭遇するのであった。 「主人公の少年が酷い目にあう」以外の情報をを入れずに本作を観たのだけど、確かにその通りの内容だった。が、本質的に描いているのは異物に対する感情か本能か。タイトルでもある"THE PAINTED BIRD(塗られた鳥)"が他の鳥の群れにリンチされる光景そのままに、人が行う“違った者”に対する様々な扱いをその扱われる側の目線で描いている。内容的には複数の章立てで構成されていて、章のタイトルが主人公に関わる人物の名前になっているのだけれど、章が変わる毎に「今度の相手はそういう名前の奴か」という具合にだんだん観ている側も構えてしまうかな。でもその仕掛けをうまく使って、ラストで主人公の名前を知った瞬間にそれまでとは違う印象を章のタイトルに宿らせたのは上手かった。 観ていて思ったのは、これは暴力の被害者の話のようでいて、人間の“業”の話なのだなということ。少年も終盤には復讐のために自発的に人を殺している。それは相容れぬものを排除するためにとった暴力という手段を、直接的にせよ間接的にせよ人は捨てることができないという哀しみだ。「自分ばかりこんな目に」という怒りの爆発でもある。だからこそ、父親の腕に掘られた管理番号に気づいた主人公が「父親の苦難にも共感し、ともに前に進んでいけるんじゃないか」と感じられるラストに希望を抱きたい。キツい内容もあったけれど、ラストにはある種の救いを感じたのです。 主人公は確かに多くの場面で迫害や虐待を受けるのだけど、逆に手を差し伸べられるような場面もある。「捨てる神あれば拾う神あり」といった言葉が脳裏に浮かぶ展開でもあるものの、なかなか歯車がかみ合わず結局そこから抜け出して彷徨うことになり続ける状況が歯がゆい。そもそも聖書からくるモチーフが多く、その宗教的な象徴性に神を見るか悪魔を見るか…まあどちらもか。そのあたりの観念的な表現に加えて状況や感情の示唆的な表現の積み重ね方が上手く、セリフが少ない作品のわりに意外と分かりやすい内容だったなという印象もあった。 チェコ・スロバキア・ウクライナの合作映画ということで、出演する多くの俳優は初めて見る人が多かったけど、ちょっとした役でステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテル、バリー・ペッパーといった有名どころも出ていたのは目を引いた。バリー・ペッパーはやっぱり狙撃兵が似合うなあ…。 |
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(2011年制作) |
1911年の辛亥革命を中心に、孫文と黄興の姿を描いた伝記映画。 孫文は中国の国父でもあるためか、無私無欲で革命に身を投じた徳のある人物としてことさらに描かれている感じ。"もはや国家として末期の清王朝を打倒すべし"という彼の信念や、外国での交渉力などの描き方などは劇中でかなり共感できるけれど、演出による美化もあるだろうねえ。あとは孫文自身の日本との関わり合いなどはほとんど描かれないのが残念な気はするが、まあそこは中国映画だから仕方がないのかな。個人的には世渡り上手な袁世凱の方がリアルに見える。 ストーリーは辛亥革命直前の武昌蜂起から宣統帝の退位による袁世凱の総統就任までが描かれる。混乱した時世でもあるので描かれるべき場面も多いように思うのだけど、122分という尺に収めるためか、場面場面でテロップによる経過の解説が。そのためか割と駆け足な印象が強い。あと、1カット内でコマを飛ばすような編集がたまにあって微妙にせわしない感じもする。 助演のジャッキー・チェンは本作では革命軍の元帥・黄興を演じてます。役柄、さすがにカンフーは出ないだろうと思ったら、終盤にちらっとだけ披露。この元帥、生身でも強いw |
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命をかけた伝令 (2019年制作) |
第一次大戦下の西部戦線。後退した独軍に誘引された前線部隊に対し、それが敵の作戦であることを伝えるために前線へと向かった連合国軍の伝令兵の姿を描く。 全編に渡って主人公に密着した長回しで描かれていて、冒頭からすぐに観客を戦場へと引き込んでしまう演出は圧倒的。ちょっと「サウルの息子」を観た時にも似たような感覚かもしれない。観終わった時には「長い…道のりだった…」と達成感以上に疲労感と喪失感が押し寄せてくるが、“その空間を体験した”と感じさせるにはこの長回しはこれ以上のないフォーマットだった。ただ「全編ワンカット」という配給会社の宣伝文句はオーバー。実際には5〜8分程度のカットを疑似的につないで一つのシークエンスに仕立てた演出だし、正確にはワンカットでもなくシークエンス自体が2つに分かれている。ただ疑似的な長回しだとしても、屋外でこれほど大規模な形で行ったということに関してはただただ凄いとしか言いようがない。 話の進行に合わせて変化していく舞台背景。計算されつくしたカメラワーク。リアルタイムで進行しながら昼夜が移り変わっていく時間的な演出。…準備にどれだけ手間をかけたのだろうか。恐ろしいw 個人的に感心したのは主人公の設定で、危険極まりない戦場を縦断してまで前線へ行かねばならないという動機に説得力を持たせたことかな。この手の疑似一人称的な話では、POVなんかもそうなんだけど、主人公が常に事件の中心にいないと画面映えしないわけで、その状況に説得力を持たせることが意外に難儀。特に舞台が広範囲になればなるほどそうなるものなのに、この映画は"伝令兵"という設定1つでそれをクリアしてしまった。そしてその上に兄弟愛や戦友との友情 を積み重ねることで、戦場を駆け抜けるだけの話にドラマとしての奥深さが加わっている。これは名作。 |
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(1979年制作) |
1941年、真珠湾攻撃によって「次はここだ」と米国西海岸が戦々恐々としていた中、艦長のミタムラが率いる日本海軍潜水艦・イ19が米国本土攻撃を狙うが…。 スピルバーグ監督にとって4本目の劇場作品だが、完全にコメディとして撮られた本作は、面白いかと聞かれると贔屓目に観てもちょっと厳しい。確かにスラプスティック・コメディとしては実にハデに騒ぎ立ててはいるのだけど、登場人物の多さが豪華さとは裏腹に話のとっ散らかりぶりを加速させていて、どうもイマイチ。一応最後には一堂に会してはいるのだけど、全員それぞれに突っ走りすぎていて明確に止める役(ツッコミ)がいないのも微妙なところなのかなあ? 勘違いの積み重ねたとしても上手くやればシュールギャグにもなるのだけど、個人的にはそうは感じなかった。ただ騒ぎ立ててるだけでは…。 脚本は後に「バック・トウ・ザ・フューチャー」を書いたロバート・ゼメキスとボブ・ゲイル。…勢いに若さを感じるけど、それだけって感じるところもある。スピルバーグに「ジョーズ」のセルフパロディを撮らせているのだから、そりゃあ嬉々として作った話なのだろうけどねw それでもその勢いそのままに大量動員のエキストラ(ダンスシーンはなかなか)や、良くできたSFXでの空戦(?)など見どころはあるか。三船敏郎とクリストファー・リー(独語でしゃべってる)の競演も観られる。終盤で転がり出す観覧車は某“戦車映画”でパロディにもなってるので、そういう意味では押さえておいて損はないのかもしれないが…。 |
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“それ”が見えたら、終わり。 (2017年制作) |
1988年、次々と子供が失踪するという事件が起きる米国の田舎町デリー。主人公の少年少女たちはその真相を探り始めるが…。 スティーヴン・キングのホラー小説を原作にした作品だが、1990年に一度TV映画化されているので、本作は劇場用リメイクということになるか。原作は子供時代と大人時代の2パートで構成されているとのことで、本作は前半の子供時代パートで完結。それを知らずに観たのでラストに「IT CHAPTER 1」とタイトルが出た時はジョークかと思ったけど、そうではないそうで。 そのくらい内容を知らずに観たおかげか、本作はとても面白く観られました。道化師の姿をした悪魔ペニーワイズのキャラクターはとても良いね。人の恐怖を具現化して見せる能力もイヤだが、「これはヤバいやつだ」と思わせる登場シーンの雰囲気が絶妙。赤い風船、暗闇で光る眼、頭のぶれない激しいダンス。子供の時に観たらピエロがトラウマになってたかも?w ホラー映画としては「怖い」というよりは「懐かしい」という印象の方が強かったかもしれない。「スタンド・バイ・ミー」か「グーニーズ」かといった少年少女たちの冒険が中心となった物語がその印象を強くさせているのかもしれないなあ。でもベバリーの虐待をほのめかしたり、リアルに親殺しも描いてくるのでなかなかシビアな内容でもある。R15は納得。一方でホラー演出としてはオーソドックスな感じのものが多いので、個人的には飛び上がるほど怖いというものではなかったかな。あ、でも首のない少年の焼死体が歩いているシーンはちょっと背筋に来たかも。 演出的には3D映えしそうなシーンも多かったけど、米国でも2D上映だけだったのかな? もし作られるのであれば是非3D版も観てみたい、というのは個人的な希望です。 |
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THE END “それ”が見えたら、終わり。 (2019年制作) |
ペニーワイズを撃退してから27年後、大人になったかつてのルーザーズの前に再び“それ”が現れる。 街から出て行ったルーザーズ達は軒並み成功者になった様で、こうなるともはやルーザーズではないな。それはともかく、子供時代の“あの出来事”の記憶を追いながら進行するストーリーは、昔の事を思い出すにしてもメインキャラクターたち一人ずつに対してペニーワイズが絡んでいく様な構成なので、中盤まではそれぞれの話ごとに緊張感が一旦途切れ気味なってしまった気もする。フラッシュバック的に大人の主人公の目の前で自身の子供時分に起きたペニーワイズの襲撃を描いても、それを切り抜けたことは明らかなのでその分怖さが薄らぐ面もあるかな? そう思うと“ホラー映画”に求める恐怖的な要素より、子供時代の思い出や友人関係の様な“何故か大人になって忘れてしまったもの”という、正負両面で誰しもが共感しうるノスタルジー的な要素の方が話の本分なのだろう。ホラー的な面はそれを補強する要素と見るのが正解だろうか。まあ前作(チャプター1)自体が「長い前振り」ということだな。 ということで、個人的にはホラー映画としての背筋が凍るような怖さは感じなかった。前作同様オーソドックスな脅かし系のものも多く、巨大化や多足化した異形の化け物になってしまえばもうホラーというよりモンスター映画だしね。その一方でところどころに仕掛けられたネタが笑いを誘うので、そういうクスリとする方面の方が好みだったりもします。個人的には終盤に出てきた3つのドアを選ぶ遊びも好きだが、特に「シャインニング」の引用だったり、原作のスティーヴン・キング本人が出演していたりというネタではニヤニヤしてしまいましたw |
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(2014年制作) |
“それ”がやってくる。何かに追われ続けることになった少女の姿を描いたホラー。 何が怖いって、その距離感。“それ”が近いづいてくることが見えること。確実に一歩ずつ、自分に近づいてくる。“それ”とは何なのかは分からない。SEXによって人に移るということからすると、何かの感染症の暗喩かもしれないけど、そんなことを考えるのはナンセンスか。とにかく、移されたら他人に移すまで姿が不特定の“それ”に追われ続けるという、その単純なルールが不条理感をあおる。ただ人が歩いて近づいてくるだけの画をこれだけ怖く感じさせるのだから、このアイデアは上手いとただただ感心。 カメラワークも良いんだよね。ロングで遠くに何かいる。それが歩いてくるのが分かるが登場人物は気づいていない。さらに接近されて襲われる場合もあれば、主人公たちが気づかずに次の場面に移る場合もある。果たしてあの見えていたものは“それ”だったのか?と、観客のこちらへ、その存在の曖昧さという潜在的な不安を植え付けてくるやり口が実にいやらしいw でも確かに“それ”はいるのだ。 SEXをするとそいつは死ぬというのは今やホラーの定石というか、もはやネタ。この映画ではSEXが死を招くということをビジュアル化したともいえるが、逆に後半はあえてその移すSEXを見せない場面が出てくる。主人公がボートに泳いで行って移した?と思われる場面。幼馴染が娼婦に移した?と思われる場面。直接的には描かれないが流れからはそう感じる。であれば最後に見えた人影はなんなのか。移した相手は皆死んで、自分に戻ってきたのか。いや、普通に人間なのか。その曖昧さがゾッとする。 |
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(2008年制作) |
1930年代の広東省佛山。そこで武術の達人として名声を得ていたイップ・マン(ドニー・イェン)だったが、1938年に日本軍の占領が開始される。 仁を知る主人公イップ・マンの礼節を持った態度と、それにもまして無敵の強さを見せる詠春拳のアクションが魅力。主人公が非のない人間なので観ている側はもちろん肩入れしてしまうのだが、この作品ではその敵役が日本軍。まあこの時代の中国を描いた作品であれば、そういう話になるのは仕方がない。 序盤は挑戦者や道場破りなどとの対決も描かれ、軽妙な部分もあったりして面白いね。シリアスになるのは日本軍が来てからだけど、日本軍の描き方はまあまだマイルドな方か。三浦将軍が空手の使い手なのはともかく、占領地で中国人と試合させたり、やたらとイップ・マンに固執する設定はちょっとリアリティには欠ける気がしなくもないがw それにしても全編通じてかなりの部分がアクションシーンで占められているのに、ちっとも観ている方に飽きが来ないのはスゴイ。アクションの見せ方が上手いんだろうけど、時に得物を変え、時に対戦人数が変わり、それでもひたすら強いイップ・マン。最後の三浦将軍と一騎打ちの試合など、他の作品でよく見た展開の様な気がするけどそれでもついつい魅せられてしまうもんな。 |
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(2010年制作) |
1950年、香港に移住したイップ・マンはそこで武館を開こうとするが、武館会の元締めであるホンに目をつけられる。 序盤は武館会の中で認められる存在になるまで、主にホンの洪拳との戦いがメインだけど、どっちかというと弟子のいざこざに巻き込まれている感じ。イップ・マンは相変わらず面倒見の良い人物だし、自ら力を誇示するわけでもないけど、とにかく強いところがカッコイイ。演じるドニー・イェンのアクションもキレがあるし良いです。 ホンを演じるのはサモ・ハン・キンポー。前作ではアクション監督だけだったけど今作では出演もして、序盤の敵役→中盤には武術家として理解しあう間柄と、おいしい立ち回りをするキャラクターですなw マフィアのような嫌な奴かと思いきや、中国武術をバカにした英国のボクシングチャンピオンと名誉をかけた死闘もするし、牛耳っているなりの責任を背負っている姿は共感する。 それにしても後半の展開は「ロッキー4」過ぎるだろう。確かに盛り上がる展開ではあるけど…まんま過ぎて。対戦する英国人が悪辣で「ぶちのめせ!」という気にはなるけど、ボクシングと詠春拳の異種格闘を成立させるのは強引だなあー、と少し思ったw |
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(2015年制作) |
1959年の香港。香港の武術会でも認められ平穏に暮らすイップ・マンだったが、ある日息子の学校に地上げのチンピラがやってくる。 ドニー・イェンが演じる葉問シリーズの第三弾。冒頭でブルース・リーが登場するものの、本作の主要プロットは葉問の奥さんとの関係。癌を患って弱っていく奥さんを気遣い、詠春拳の正統性をかけた試合よりも奥さんとの時間を優先する姿に愛を感じるし、奥さんが葉問に感謝と心残りを伝えて試合に向かわせる姿が心を打つ。アクションシーンの多い作品ではあるけど、一番格好良かったのはエレベーターでの襲撃者に対して奥さんを守りながら圧倒するシーンだよなあ。あれはシビれた。 プロット的には家族の話、正統性の挑戦者の話、そして地上げの話の3つの軸があって、それぞれのつなぎ方に多少力技な印象も受けなくはないもののエンタメ映画としてはテンポは良かったと思う。特にゲスト出演者のマイク・タイソンとドニー・イェンの格闘シーンは両者を立てた見せ場を作っていて熱い。ラスボスかと思いきや終盤の手前で出番が終わったのはちょっと驚いたけれど、まあ西洋人がラスボスだと前作と似ちゃうからこれでいいかな。代わりにラストバトルとなるのは詠春拳同士の試合で、まあ勝つのがどっちかは最初からわかってはいるけど…ドニー・イェンとマックス・チャンのアクションはスピード感があって最高だった。 |
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(2019年制作) |
1964年、息子の留学先を探すために渡米したイップ・マンだったが、弟子であるブルース・リーの活動を快く思わない中華街の中華総会に軽くあしらわれてしまう。 前作で奥さんを亡くし、本人も咽頭がんを患ったイップ・マンにとって、残すことになる息子への心残りを感じさせる部分がドラマ。それ以外の要素だと、米国の白人による中国人やカンフーへの偏見といった部分が本作の“倒すべき敵”と設定されていて、それがアクション映画としても分かりやすい対立軸になっているね。そのあたりの構成はベタと言うかお約束と言うか、予定調和を超えるものでもないんだけど、アクションのかっこよさやテンポの良い展開で飽きさせないところは今までのシリーズ同様に良く出来ている。 ドニー・イェン演じるイップ・マンは最後まで格好良かった。決して偉ぶらないところが魅力のキャラクターだったけど、貫き通していたなあ。チャン・クォックワン演じるブルース・リーも強烈な強さで描かれていたけど、それとはまた違うベクトルのイップ・マンの強さ。このあたりの描き方の違いがアクション映画としても面白いところ。 最終的には空手を信奉するゲッデズ軍曹の一方的なヘイトを、イップ・マンが滅多打ちにすることで対立の決着がついたわけですな。そのあたりがスッキリするのは、敵が悪辣であればあるほどカタルシスが増大するという法則を上手く使っている部分だね。でもそれはいいとしても、別の問題であった移民局の中華街に対する手入れの話が宙に浮いたままだったり、遡るとチアのリーダーをめぐる一方的な嫉妬の話は解決してないような気もしていて、そのあたりはちょっとモヤモヤもする。まあイップ・マンの物語からすれば脇の話ってことなのかもしれないけど…、顛末は少し言及してほしかったかな。 |
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(2010年制作) |
1905年〜1920年代の青年・イップ・マンの姿を描いたシリーズ1作目。(ドニー・イェン版とは別シリーズ) サモ・ハン・キンポーやルイス・ファンなど、ドニー・イェン主演作の方に出ていた役者が今作でも違う役で普通に出演しているので、どうにも違和感が残るが…まあこれはご愛嬌か。イップ・マン役はデニス・トー。アクションのキレは良いので、そういう目線で見れば存分に楽しめるけど…あちらのシリーズと比べるとちょっとワイヤーアクションが増えた? テンプレートなストーリーラインはそれとしても、本作はアクション部と恋愛部と日本の陰謀部がイマイチ纏まっていない感じもして微妙だった。見せ場のアクションは多いのだけど、コンスタントに繰り返されるとちょっと食傷気味に…。前半の乱闘が一番面白かったかも。 悪役は相変わらず日本人。ステレオタイプなイメージが苦笑を誘ってしまう。ニンジャはやりすぎだなあw 悪の日帝として描かれるにしても、日本人としてはドニー・イェン版の1作目くらいの按排の方が良かったと思うのだけれど。 |
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(2013年制作) |
1949年以降の香港に移り住んだイップ・マンの後半生を描いた「イップ・マン 誕生」の続編。 デニス・トー主演版の続編で、本作はアンソニー・ウォンが主演。前半、弟子が白鶴拳とのイザコザを起こすけど、その白鶴拳の宗師を演じているのがエリック・ツァンで、「インファナル・アフェア」の敵対者が拳を交えている姿に違う意味で興奮w まあそれはそれとして、アンソニー・ウォンも武術のプロではないのに見応えのアクションを見せているのはさすがだな。ただストーリーラインはエピソードの羅列の様だし、演出も金のかかったTVドラマという様な感じなので、個人的にはちょっと物足りない。やっぱり個々の弟子の感情とかの描き方が表面的に感じるところがもったいないね。 何回か挿入される集団での格闘シーンは確実に見せ場にはなっているものの、何度か見ているうちに繰り返しのように思えてくる。でも九龍城での対決では、風雨の中でドラゴンを演じるホン・ヤンヤンとの一騎打ちに持ち込んでいく感じは悪くなかったかな。最後のブルース・リーとの話は…、イップ・マンの武人としての思想が感じられる場面ではあるが、取って付けたみたいに見えるのも事実。でも全体的にはイップ・マンの人となりが分かりやすく伝わってくるドラマになっているとは思った。 |
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女性を外見でしか判断しない男、ハリー。その彼が、心の美しさをが見える催眠術をかけられ、3000ポンドの女性に恋をしてしまうコメディ。ローズマリーは本当に心の美しい女性だから、主人公にはものすごく綺麗に見えてしまうわけだ。この映画で言っているのは「人間は外見じゃなく、大事なのは中身だ」という素晴らしいテーマに基づいている。でも結局“心が美しい=外見が綺麗に見える”というのは、よく考えればテーマに対して論理的に破綻してるんやけどね。まあ、そこは映画の記号ということで置いといて、映画として良くできている。映画のテーマはもちろん、主人公の成長ぶりに共感するし、伏線の張り方も上手い。同監督の「メリーに首ったけ」ほど下品でもないのも個人的には○w 「我々はメディアや雑誌から、一方的に美意識を植え付けられている。」という台詞が出てきますが、俺は普段からそういう美意識に囚われる事ほど哀れなことはないと思ってるだけに、この映画はかなりヒットです。 | ||
(2022年制作) |
1923年のアイルランドにある小さな孤島・イニシェリン島。ある日、主人公・パードリックはいつものように親友のコルムをパブに誘うが「これ以上俺につきまとうな」と絶縁を言い渡される。見に覚えのないパードリックは戸惑うが…。 大人の喧嘩というか子どもじみた"絶交"という感じもするけれど、主人公の主観として一方的に言われた側の感覚と、言った側のコルムの感覚とでは何かしらのギャップはあるよね。愛すべきバカと見守る年上という関係性だったのかもしれないそれは、別の場面ではパードリックとドミニクの関係性を見せることで何か察すべき人間関係があるようにも感じさせる。この映画で描かれた時系列の直前に何があったのかは想像するしかないが、とにかくコルムはパードリックのために時間を使うことをやめようと決心したし、そこに至る積み重ねがあったろうということは伝わってくる。その当たりの描写の積み重ねが上手いな。 「これ以上関わるなら指を切る」はさすがエスカレーションし過ぎだと思うけど、そこまでするのは決意の表れなのか引っ込みがつかないからなのか…。その指によって死んでしまったパードリックのロバはただの被害者で可愛そうだなあ。ちなみにロバはドンキー=バカの比喩なので、それをパードリックが大事に飼っているというのも比喩的だよね。それにしても千切れた指や切断面をこれでもかを見せるカットは悪趣味というかなんというか…(苦笑) そんな具合にみっともない喧嘩をずっと見せられる作品だけど、どこかしら愛を感じるし、やり取りや台詞回しには哀愁を感じつつもクスッとしてしまうものもあって、楽しんで良いのか複雑な気持ちになりながらこの2人の関係性の行き着く先を見守っていました。この映画、ジャンルとしてはブラック・コメディになってることを知って、納得。 |
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(2018年制作) |
日本の大都市・メガ崎市。小林市長がすべての犬をゴミ島へ追放する法令を制定してから数か月後、市長の養子・小林アタリが島に不時着する。彼は追放された彼の護衛犬スポッツを探しに来たのだが…。 ウェス・アンダーソン監督の作家性が全面に出た演出は本作でも健在。正面映像、左右対称、横スライド、そして独特なテンポはこれぞウェス・アンダーソン・ワールドって感じ。 その上で、本作は日本を舞台にした犬と少年のおとぎ話である。日本人としてはこの上なく気になる題材だけど、外国人が想像する日本を意図的に作っている感じもする絶妙な世界観だよね。舞台は20年後ということだけど、どことなくレトロフューチャーな感じもあり、その不思議な雰囲気が監督の演出にマッチしていて面白い。そこに過去の名作映画へのオマージュも多々練りこんできていて、特に日本を舞台にしているからということもあるんだろうか、黒澤明作品へのリスペクトがあちこちに散りばめられている様に感じる。パンフォーカスを使ったキャラ配置や、稜線に現れる何者かの影、市長の見た目は権藤金吾か、そして「七人の侍」をそのまま引用した劇判w こりゃ監督は楽しんでやってるよなあ。ただ日本人の目で観ると、おそらく本来は記号的な存在でしかない日本語の文字列(または台詞)が全て情報として入ってしまうので、少し画面がうるさいと感じることもある。まあこればっかりは仕方のない事ではあるが。 ゴミ島に追放された犬たちの姿は移民排斥のメタファーなのだろうかとも思ったし、政治的な主張も感じなくはないけど…考えすぎかな? それはともかく監督の唯一無二の独特な作品世界(しかも舞台が日本)を味わえること自体が幸せなのだ。 |
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(2005年制作) |
牛、豚、魚、野菜、穀物、果物、岩塩。人の口に運ばれる物の作られている様をありのままに撮影したドキュメンタリー作品。 大量生産・大量消費の時代にあって、食べ物も人の必要数以上に生産される。その生産現場はとにかくオートメーション化し、何もかもベルトコンベアーで運ばれる工場の様。いや実際に工場なのだろうけど、生き物を食べるために扱っているというよりは一連の行程でしか無いという風景に、人間の業の深さを感じつつ、食われていく肉には感謝しないといけないなと痛感しました。あと実際の屠蓄シーンは、なかなか映像でも目にしたことがなかったので大変興味深かった。 別に肉食が悪いと訴えている作品とは思わなかったけど、動物の扱われるシーンはやはり植物のそれとは感じるものが違う。ひたすら合理化されているので、飼料をやるにも機械で浴びせる様に吹きかけ、子豚への授乳は柵にはめ込んだ母豚にさせ、鶏は生まれた時から死ぬ時までコンベアの上。あたりまえなんだけど、やっぱり物としてしか扱われてない。そりゃあ感情込めてたらこんな事を出来はしないだろうが、だからこそ食べる側は少なからず食べられるために生まれたもののことを知っとかないとイカンとも思うんだよね。 この映画ではナレーションやテロップの類はいっさいなく、スクリーンはまさにその光景を切り取った窓と化してます。そのあたりは退屈と思う人もいるだろうけど、俺は潔い作風だと思うし、実際に自分で見て考えるという余白が多く、何かを学ぶには良い作品じゃないかと思いました。ちなみに木を揺らして実を落として収穫するシーンがあるんだけど、その画が衝撃的で思わず笑ってしまったw 巨大なマジックハンドで木をわしづかみにして…って、人間はとかく自然に対して強引な生き物だねえ。 |
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エニグマと天才数学者の秘密 (2014年制作) |
第二次大戦中にドイツ軍の暗号機エニグマの暗号を解読したアラン・チューニングの半生を描いた作品。 個人的には伝記映画だと思うんだけど、監督と脚本家は「伝記映画は作りたくない!」という方針だったとか。なるほど、全体を覆う雰囲気はスパイ・スリラー映画の様。構成的にも、エニグマ暗号というドイツ軍通信の秘密を暴く一方で、アラン・チューニングの同性愛指向、そしてブレッチリー・パークでの任務という、いくつかの「秘密」というテーマを中心にしてるかな。さらに3つの時代の話を同時に描いた上で混乱なく纏めている部分が上手い。 暗号解読の困難さを数字で単純化したのは悪くない。技術系でない人には「全探索する必要がない」というひらめきが、どこまで重要なのか伝わるものなんだろうかと思ったりもしたけど。でも雰囲気だけもアルゴリズムの改善が劇的に作用したのは見えるから大丈夫か。そして、暗号は解読してお終いということではない部分が、地に足着いていて良い。英国の船団がUボートに狙われている事実を知った時、「解読を悟られてはならない」と見捨てる判断は論理と感情のはざまで引き裂かれる部分だろう。しかしまさに「小の虫を殺して大の虫を生かす」という戦争の一面がそこにはある。その面ではまさに彼らの戦争映画でもある。結果として、彼らの成果が1400万人を救ったという計算も、また事実である。 チューリングはコミュニケーションが微妙な感じで、主演のベネディクト・カンバーバッチの演技は、その「天才かもしれないが変人」という雰囲気を上手く出していた。この映画を観て思うのは、それでも自分を理解してくれる人がどれだけ大事かというところかな。ジョーン・クラークとの関係はとても良いものだと思ったし、仲間たちとのやり取りも所々笑えるシーンもあった。だからこそ悲劇の晩年は哀しいものがある。彼が抱き続けたクリストファーへの愛もまた、真相を知ったことで哀愁を感じさせるのです。 |
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(1996年制作) |
証人保護プログラムを執行する連邦保安官のジョン・クルーガー。彼は重要証人の女性を保護するが、彼女は背後に政府のいる陰謀に巻き込まれていた。 テーマからしてどうやって証人を悪人の手から守るかという駆け引きが話のキモなはずだけど、シュワルツェネッガーが主演だと(やっぱり?)頭を使うよりもパワーでどうにかするタイプのアクションに見えてしまいますねw ある種のジャンル映画としては良くも悪くも安心感があるものの、いかにも90年代…いや80年代から続いたシュワちゃん映画の一つで、意外性もないというのが正直なところ。展開のためのご都合主義とはいえ、敵側も色々と回りくどいことをやっている気がするはご愛嬌かなあ。まあそのおかげでテンポよく色んなアクション場面を展開している気はするけど。 後半には主人公が孤立無援になっていく中で独自の仲間を集めて反撃。敵の拠点に潜入してデータを云々したり、取引現場に踏み込んだり…。あれなんだか「ミッション:インポッシブル」みたいだぞ? というかこの映画、「ミッション:インポッシブル」公開のすぐ後に公開されたのか。あの映画と比べたらそりゃ分が悪いな(苦笑) |
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人気アメコミの緑色の超人、ハルクの苦悩と闘いを描いた実写版の2作目。 2003年のアン・リー版の続編なのか、それとも設定を新に再スタートしたのかを微妙にぼやかしながら(言及されないで)展開する。まあ設定上は後者なんだろう。そういった意味で、今ひとつハッチャけなかった2003年版に比べると、アメコミ・ヒーローモノとして面白い出来になっていると思う。複雑な市街でのチェイス、ハルクvs軍、ハルクvsアボミネーションと、それぞれ異なる見せ場もたっぷりあるので素直に楽しめました。 しかし演技派のエドワード・ノートンやティム・ロスがアメコミのキャラを演じるというのも不思議な感じだけど、しっかりこなしてしまうところがまた大したもの。さすがに変身してしまうとほぼVFXだけの肉体だけどね。変身後の姿はまさに筋肉のかたまりといった風情で、驚異的なジャンプ力のせいで重量感に疑問符のついた前作よりもドッシリとした感じがして良い。「ハルク・スマッシュ」まで決めてくれたファン・サービスっぷりには思わず笑顔になってしまったw ラストのスタークの登場と意味深な台詞には、今後の展開に思わず期待してしまうね。 |
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(2018年制作) |
「Mr.インクレディブル」の続編。ヒーロー活動が非合法とされる中、ある資産家がヒーロー合法化へ向けた積極的な活躍とプロモーションをMr.インクレディブルとイラスティガール夫妻に持ち掛けてくる。 前作から14年を経ての続編だけど、まるで昨日の事の様に…って、作中では全然時間が経ってないですなw 前作のラストに現れたヴィランのアンダーマイナーに立ち向かうところから物語が始まるわけだけど、一連の活躍シーンは迫力があって話のツカミとしてもいい感じだし、登場人物の能力紹介も兼ねていて構成がうまい。作品全体的にはイラスティーガールが大活躍。彼女の伸縮自在のアクションは実に面白かったなあ。(そういえばアンダーマイナーは取り逃がしたままだけど。) 14年前はMCUの始まる前だったけど、2018年の今はヒーロー映画も溢れかえる時代。そんな中にあって本作は社会的に不遇な扱いを受ける者たちの解放であったり、女性の活躍と頑張る主夫といったテーマをメインにしたのは時代を感じるところ。基本的にはホームドラマ的な構造が観る者に親近感を持たせるようになっていて、ヒーロー的な部分はその延長線上で盛り上げるためにあるエッセンスみたいなものかな。その辺のバランス感覚はいいよね。 登場人物たちや世界観を構成するデザインはどこかしらレトロフューチャーな感じで、ブラッド・バード監督の趣味が相変わらずよく出てますな。前作は「007」へのオマージュを感じる部分が多かったけど、本作は何故か「サンダーバード」的な雰囲気を感じる。別にストーリーが似てるとかじゃないんだけど、なんでだろう。ドリル地中艇とか高速列車や水中翼船がらみの危機から人々を救うというミッション系の要素がそう思わせるのかな。 |
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(2009年制作) |
第二次世界大戦下のフランス。ナチス狩りを遂行する特殊部隊バスターズ、家族をナチスに殺されたユダヤ人女性、ユダヤ・ハンターのナチス将校。彼らの様々な計画が錯綜する様を描いたクエンティン・タランティーノ監督作品。 タランティーノは“アジア映画”、“B級映画”ときて、次に“ヨーロッパ映画”を作ってきましたな。拾いきれないくらいのオマージュが随所に挿入され、さすがの映画小僧っぷりは未だ健在の様子です。2時間半を5章仕立てで描かれているけど、第1章などは主人公であるはずのバスターズが出ても来ない。むしろこの章の主役はユダヤ将校のランダ大佐であり、この映画全体の軸にもなっているその魅力的な悪役っぷりには敬服。演じているクリストフ・ヴァルツの食えない演技が見事なんだよね。彼を使った会話劇による緊張感の出し方などはいかにもタランティーノの映画らしい。 逆に主人公であるはずのバスターズ、ブラッド・ピット達は作戦が上手く進まず、あまつさえ捕まってしまうし。並行して進むユダヤ女性の復讐劇も肝心なところで邪魔は入るわ死んじゃうわ(!)、このあたりのブラックな感じや意地悪な展開が面白い。そしてヒトラーをホントに殺してしまうなんて展開はもうビックリ。ああ、これは映画という虚構が虚構であることの証であり、それこそが映画の面白さなんだと気づかされたりもする。史実に忠実であることに意味なんて無いというのかw さすがはタランティーノ。 |
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インサイダー(内部告発者)。信念に燃えるジャーナリストと、企業に脅迫される内部告発者の男気溢れる物語。“社会的正義”とか、そういう建前以前に、アル・パチーノ演じる主人公の信念に基づく行動にいやが上にも力が入る。企業の論理の為に、平気で脅迫し、そして社会的抹殺を計るタバコ会社。腐ってるよなあ…。告発することで様々な物を失っていくラッセル・クロウ演じるもう一人の主人公。このラッセル・クロウの苦悩に満ちた演技はなかなか。肉体派演技だけでなく、性格的な演技も出来る彼は凄いねえ。体重も増やしまくって、中年太りを体現してるし、この後「グラディエーター」を撮ったとは思えんw アル・パチーノもまさにはまり役。“真実を伝える”ことに執念を燃やし、局の為に放送を差し替えようとする上司に噛みつく。「あんたは経営者か!報道者か!!」この言葉には震えたなあ。身を削って情報提供したラッセル・クロウを想い、全てにケリをつけて立ち去るアル・パチーノ。格好いい男の生き様です。脚色があるとはいえ、これは実話。ドラマそのものと共に、企業のあるべき姿も考えさせられますな。 | ||
(2015年制作) |
11歳の少女・ライリーの頭の中。彼女の感情たちが幸せな一日のために日々奮闘していたが、ある日生まれ育ったミネソタからサンフランシスコへ引っ越しすることに。 感情の擬人化というのはネタとしての目新しさはないが、そこはピクサー。頭の中の世界観の提示から、ヨロコビとカナシミの冒険を含めて丁寧に組み上げられた脚本がお見事。話自体は「引っ越して慣れない環境のせいで情緒不安定。」というだけのことなのに、感情のせめぎ合いだけでこうも盛り上げるとは。 ヨロコビ・カナシミ・イカリ・ムカムカ・ビビリはそれぞれの感情をつかさどるキャラクターだけど、意見を対立させているわけではなくてそれぞれ協力し合っている感じ。カナシミだけはヨロコビから「悲しい思い出はNG」と言わんばかりの態度をとられる部分もあるが。「皆悲しいから来てくれたんだ」とヨロコビに気づかせる流れは良い感じ。 その部分も含めて台詞や小道具の伏線がちゃんとできているんだよね。そこが上手いと思う。空想の友達であるビンボンのロケットなんて分かりやすい伏線ではあったけど、そのビンボンが自分から降りた場面は泣けたなあ。一方、“空想の彼氏”の再登場は笑ったw あの使い方は想像出来なかったなー。トランポリンも序盤に家族の思い出として出ているし、やっぱり伏線の提示と回収の小気味良さですよ。 あと母親と父親の頭の中のやり取りも面白い。そしてブラジル人パイロットの存在感w |
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(2024年制作) |
13歳になったライリーの頭の中。彼女の感情達は日々の幸せのために奮闘していたが、そこに新しい感情たちが現れる…。 前作から9年後に公開された続編。劇中は2年後の話ですね。前作のラストでもちらっと登場した「思春期」ランプが本作で点灯するわけだけど、それに伴ってシンパイ・ダリィ・イイナー・ハズカシという新たな感情のキャラクターが登場して、ライリーの感情がかき乱されるという話。世界観はもちろん前作からの延長線上にあるんだけど、新キャラだとシンパイ以外は"そこにいるだけ"でその感情特有の効果を伴った展開があまり展開しなかったのがもったいない。世界観の設定についても追加はあるけれど、瞬発的な効果ばかりで伏線にしてはいまいちなのも多かったのが気になってしまった。敏感になってしまった操作パネルの設定はその場限りだったし、"保管庫"にしても"皮肉の裂け目"にしてもその瞬間にしかプロットが機能していないんだよね。保管庫で出会うキャラクターなんて観ている側にとっては「誰?」なんだけど、オリジナルキャラなのに唐突な登場で強引に話を進めてしまうあたりにはあまり丁寧さを感じなかった。前作のビンボンにはもっと愛を感じたぞ。そういえば前作は脚本が3人体制だったけど、本作は1人体制。そのあたりがクオリティにも影響しているのかな…? 感情世界の中の事件としてはそれなりに解決している。「すべての感情は大事だし、要はそのバランスだ」というのは前作と同じような結論かな。まあそこに異論はないので安心できる結末を迎えているとは思う。とはいえキャラクターや世界観について広げた風呂敷の中身の半分くらいした触ってないような感じはするわけで。そう思うと、もっとシンプルに感情世界を描ききっていた前作はよく出来ていたなと思うところではある。 |
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完璧な計画とともに、50人の人質を取り立てこもった4人の銀行強盗。強盗、刑事、弁護士、銀行の会長の思惑が交錯する犯罪映画。 スパイク・リー監督らしさといえる人種問題をさりげに匂わせながら、小気味良い小品に仕上がってます。細かいことを言えば、多少無茶なトリック、スッキリしない謎や結末はあるのかもしれないけど、それまでの状況を楽しむ映画としては良いのではないでしょうか。本筋で詳細が明かされない、いわゆるマクガフィン的な事件がいくつも話題になるのが、この映画のスタイルを端的に表しているよね。 それでいて肝心な事はちゃんと中盤までに説明もしているし、良くできていると思う。 出演はデンゼル・ワシントン、クライヴ・オーウェン、ジョディ・フォスター、ウィレム・デフォーと、この規模の作品としてはすごく豪華な俳優陣だなあw |
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(2010年制作) |
郊外の新居に引っ越してきた一家。ある日息子の一人が昏睡状態になるが、その日以来、目に見えて不可解な現象がその一家を襲う。 脅し方としては音と音楽でビックリさせる古典的なものが多いけど、前半はちゃんと雰囲気を作っているので割とジワジワくる。後半は完全にお化け屋敷になってしまったけど、どこかで観たようなホラー映画のごった煮感が、監督たち(監督・脚本のジェームズ・ワンとリー・ワネル(「ソウ」シリーズ)のコンビ)のお化け屋敷系のホラーというジャンルへの愛を感じさせてくれてますな。このリスペクト感はサム・ライミの「スペル」を見た時にも感じたけど、この映画にあそこまで吹っ切れた"笑い"はなかったかw 個人的には「家が呪われてるなら引っ越してしまえばいいのに」、と常々この手の映画を観るときに思うことを設定で解決したのは良かった。まあおかげで終盤は前半とずいぶんノリが変わった気もするけども…。少し気になるのは、序盤に登場していた二男と長女(赤ん坊)の姿が後半にはすっかりいなくなっていたこと。前半で観客を不安にさせるためだけに台詞を言わせたり泣かせたりしたのでは少し都合がよすぎる。後半で使わないのなら出さない方が…とも思ってしまった。 それにしても「シャイニング」的なカメラ回しはやっぱり不安をあおりますね。分かって使ってるあたりが良いです。 |
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第2章 (2013年制作) |
暗黒の世界から息子を取り戻した一家だったが、移った祖母の家で再び不可解な事象が起こり始める。 名前だけの続編ではなくて、前作とかなりリンクしているし、描き切れていなかった部分の補完を兼ねているので、前作の復習は必須かな。そうすれば、より「そういうことですか」と感じられて面白い。ホラー映画としてはマイルドな部類だけれど、相変わらずジェームズ・ワン監督とリー・ワネルの脚本は段取りや雰囲気づくりが上手いよね。近作の「死霊館」と同様に、序盤で何がどこにあるかを把握させながらの進行は実に的確だと思う。 今作も後半になってから暗黒の世界が描かれるなど、大きな話の構造は似ているけど、前作ほど後半にノリが変わったとは思わなかった。この辺は観ている側の世界観の理解が出来ているからだろうか?まあ、あの赤い悪魔ほど突飛なものが出なかったというのも大きいのかな。(あれはあれで嫌いじゃないんだけどw) スペックスとタッカーのゴーストバスターコンビは、よりコメディ・リリーフに磨きがかかって面白い。シリアスなギャグというか、やり過ぎ描写で笑えるサム・ライミの笑いとはまた少し違った感じで好きだなあ。 今作でこの一家の話は完結したことになるんだと思うけど、2作で一つの話としては悪くないシリーズだった。エピローグの「オーマイガッ!」はこの手の映画のお約束w |
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(2010年制作) |
夢に進入し、頭の中のアイデアを盗み去る犯罪集団のリーダー・コブ(ディカプリオ)。コブは実業家のサイトー(渡辺謙)から、ライバル会社の2代目に対して“あるアイデア”の植え付けを依頼される。 盗むのではなく「植え付ける」。これが映画のタイトルにもなっていて、何の実業家なのかハッキリしないサイトーの目的でもあるのだけど、ストーリー上はそちらではなく、もう一つのインセプションが主人公の物語としてメインだった。この二重プロットは話の深みも生んでいるし、サスペンスの要素にもなっていて良くできている。まあ、夢に進入する事の様々な制限や夢の階層というような、この世界の設定を理解するのはややこしくて大変だったけどねw しかしそのややこしい世界観の説明すら、監督はビジュアル的に、サスペンスフルに見せ切ってしまうのだからさすがと言えるか。 “夢のビジュアル化”“現実でない世界”というものは今までも様々な映画で描かれたし、今更なものでもある。ただ進化したVFXで見せられると、それはそれで「おおっ」と思う場面も。今作でのめくれ上がる街のリアルさはデジタルの迫力の賜ですね。しかし俺が一番目を見張ったのは重力方向が回転する廊下での格闘シーン。これは「マトリックス レボリューションズ」での(必然性が怪しかった)天井張り付き銃撃戦の完成版ではないか!ストーリー上の必然性もさることながら、その自然な重力方向の変化。これは…きっと「2001年宇宙の旅」で使われたあの特撮技術だろうか。スキーチェイスは「女王陛下の007」へのオマージュとも取れるし、昔の映画への監督の想いが垣間見える作品でもありました。 |
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(2014年制作) |
地球の荒廃が進んだ近未来。人類が移住可能な星を探すために、彼方の星の探査に出た宇宙飛行士と、地球に残された娘の繋がりを描いたクリストファー・ノーラン監督のSF作品。 続編や大衆の顔色を窺うような作品の多い今の時代に、このようなストイックなハードSFの大作を作りきってしまうのか…。ノーラン監督の手腕にはほんとに敬服するばかり。作品のイメージとしては「2001年宇宙の旅」の影響下にあるのは明白だけれど、SFとして難解な哲学の方向に振れていくのではなく、親子の繋がりという軸で支えることで物語に引き込んでくる構成は、劇映画としても完成されているよなあ。 作品の冒頭で、荒廃した土地の現在の状況と、おそらく未来のインタビューであろう老人たちの証言映像が映り、「地球は危機的ではあるが、人類は滅びない」ことが提示される。なのでこの時点で「人類を救えるのか」ではなく、「如何に救ったのか」をテーマとして観客に興味を向けさせる構成。そして序盤から頻繁に時空や重力に対する前振りを入れて、最後の5次元描写である。 相対性理論や量子論などの難しい話を入れてはいても、構成によって語り過ぎず理解させる。これぞ映像作家の腕だ、というものを観た気がする。なにせ最大の懸案である地球が荒廃している理由を語らないからね。「細事は全体を見て感じればいい、大事なのはドラマだ。」と言わんばかりw ただ、それでも科学考証をおろそかにしていないのも見て取れる。ちなみにワームホールの説明が、「ドラえもん」のワープの説明と同じやり方w そうそう、TARSという相棒のコンピュータが良かった。ビジュアルイメージの元はモノリスだろうと思うけど、コンピュータであるという点ではHAL9000か。ただHALとは違ってそのキャラクターがなかなか面白くて感心した。ジョークも理解し嘘もつく人間らしい会話をする(R2-D2が人語を話せばあんな感じなんだろうか)一方で、命令であれば自己犠牲も全く厭わないあの態度には驚きつつも、ああコンピュータなんだなと思った次第。正直「いつか反乱するんじゃ」などと心配したのだけど、今どきのSFではコンピュータの反乱なんて古いのかな?w そういえば「月に囚われた男」のガーティも最後まで協力的だったか。 |
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魔宮の伝説 (1984年制作) |
「インディ・ジョーンズ」シリーズの第2作。1935年、上海でのマフィアとの取引が上手くいかず辛くも脱出したインディ達だったが、飛行機が墜落しインドの奥地にたどり着く。そこで耳にしたのは邪教が根城にする宮殿の話だった…。 時系列的には1作目の1年前の話ということで前日譚になるわけですが、1作目につながるところもなく新登場のヒロインと少年の相棒が登場し、その3人によって繰り広げられるアクションアドベンチャーとして振り切った内容になっている感じ。なんというか…物語的な中身はほとんど無いんだよね。ほんとに成り行きで魔宮に行ってさらわれた子どもたちを開放して石を持って帰ってくるだけの話なので。でも面白く観られるのは“インディ”という確立したキャラクターと「活劇ってこんな感じでしょ?」と割り切っているテンポの良さによるものなのだと思う。“藁人形”や“悪魔の血”をピンチの盛り上げに加える時も、その効果の提示と使い方を流れの中でさらっと見せて観客に理解させてしまうのも上手い。そういう部分にはスピルバーグ監督のセンスの良さを感じるね。 一方で調子に乗りすぎて悪趣味なイタズラ心が出すぎている面もなくはないけど、それもまた味ではあるか。猿の脳みそシャーベットはやっぱりインパクトあるし。というかヒロイン役のケイト・キャプショーは後にスピルバーグと結婚するのだけど、そう思うとスピルバーグが未来の嫁さんをとにかくひどい目に遭わせて遊んでいる的な、なんか「好きな子にイタズラしている子供みたいな感覚?」と思えるような気もしてくる。まあちょっと叫ばせすぎなのは正直クドいかなとは思うけど(苦笑) 物語の中身は薄くても面白いアクション活劇として歴史に残るのは確か。特に白眉とも言えるクライマックスのトロッコチェイスのアクションシーンは、これ以降に他の誰がどんな形でやっても“本作のパロディ”にならざるをえなくなるくらいのインパクトと完成度。正直、このトロッコのシーンを知るためだけにでも、本作を観る価値はあると思います。 |
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最後の聖戦 (1989年制作) |
「インディ・ジョーンズ」シリーズの第3作。富豪の男から“聖杯”に関する調査を依頼されたインディ。協力には乗り気になれないインディだったが、父・ヘンリーがその調査に関わり行方不明となっていた事を知る。 前日譚だった前作とは違って、本作は1作目「レイダース」の2年後の話。冒頭で若き日の冒険を描いてインディのアゴの傷や帽子のルーツを教えてくれるけど、でもまあこれは話としてはオマケ程度のもの。それでも印象に残るオマケになったのは若き日のインディを演じるのがリヴァー・フェニックスだからだろう。 話としては行方不明になった父を探すところからが本編だけど、この父親・ヘンリーが面白い。インディを演じるハリソン・フォードの向こうを張るこの人物をショーン・コネリーが演じているってのがいいんだよね。貫禄も見せつつもインディの調子を狂わせる凸凹なコンビ感の面白さよw でも足を引っ張るだけじゃなくて傘一本で飛行機を落とす機転には驚かされるし、その後の「カール大帝いわく〜」という決め台詞がホント最高ですわ。 というか、本作はスピルバーグの遊び心と言うかジョークシーンのバランスが結構良いと思う。メモを取り返すために乗り込んだベルリンでヒトラーにサインを貰うくだりなんて話の上ではなんの意味もないんだけど、観ているとニヤニヤしてしまうもんなw アクションシーンとしては、ボートやオートバイのチェイスがあり(このへんは007っぽい)、さらには複葉機と戦闘機の航空戦(これはほぼギャグ)、そして乗馬vs戦車という見せ場が随所に仕込まれているので盛り上がって楽しい。遺跡の謎解きも、突飛だけど「なるほど」と思うくらいには収まっているので悪くないかな。終盤の聖杯の効力についてはほぼロマンの範疇だけど、1作目で聖櫃の力を見せられている身としては納得出来る力ではある。まあ今まで守ってきた老騎士側の気持ちになると、聖杯が最後に失われるという結末はどうだったのだろうとは思わなくはないけど、インディ親子の物語としてはキレイに決着しているので映画としては満足ですね。 |
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クリスタル・スカルの王国 (2008年制作) |
前作から19年後に公開されたシリーズ4作目。謎のクリスタル・スカルを巡る冒険が描かれる。 前作から時間が経ちすぎたのか、どうも今までのシリーズで感じたような興奮はなかった。ストーリーがトンデモ話の極致のような状態になっていても、「まあ『インディ』だからOK」と思えるけど、正直“超古代文明は宇宙人がもたらした”ってのは使い古されたネタなんだよね。そこが勿体ない。敢えてベタでも行ってしまうというのが元祖の余裕というのものなのか…? スピルバーグの演出は歳のせい?か序盤のスピード感がいまいち。核実験の映像は凄いけど伏線になってないし、面白く感じたのはマリオンが合流してから。登場人物の掛け合いは前作を彷彿とさせるモノもあったかな。ハリソン・フォードは歳ながら相応のアクションが似合う。変な髪型のケイト・ブランシェットも良いね。ほとんど冷酷な感じなのに、場面場面で残念そうな表情になるのが面白い。 冒頭の「アメリカン・グラフィティ」や、「魔宮の伝説」のトロッコを思い出させるようなカーチェイスも良い感じ。チラッと見える聖櫃にもニヤッとしてしまうんだけど、やっぱり19年間蓄積された期待に応えてくれる脚本ではない気がする。 |
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と運命のダイヤル (2023年制作) |
シリーズ5作目。かつてナチスの収集品から奪ったアンティキティラの「運命のダイヤル」を巡る冒険が描かれる。 物語は大戦中のナチスとの因縁と、1969年のダイヤル争奪戦の2パート。大戦中のパートはVFXで若返ったハリソン・フォードがチェイスに列車アクションにと大暴れ。正直言うとダイヤルの説明くらいの意味しかないパートなので、内容の割にアクションで引き伸ばしてる感もあったかな? 本編となる2パート目もアクション多めだけど、「インディ・ジョーンズらしさ」が出てくるのはモロッコに行ったあとからだろうか。監督はスピルバーグではなくジェームズ・マンゴールドになったけど、話のテンポはスピルバーグ作品の頃に比べると遅めな気はする。 前作の相棒だったインディの息子・マット・ウィリアムズは戦争で戦死したことにされてしまってました。(まあ演じたシャイア・ラブーフに色々問題もあるし…。) その代わりに登場したインディの名付け子・ヘレナ・ショウは、活動的でちょうどいい塩梅だったね。彼女のダイヤルに対する思い入れが、親の形見なのか、闇オークションで売りさばきたい物品なのか、ちょっと中途半端だった気はするけど、なんだかんだでインディの良い相棒になっていた気はする。中盤に登場したアントニオ・バンデラスは、あっけない退場で少々驚いた。 「運命のダイヤル」が時間を操る機械だと分かったあたりで「歴史を変える話になるのかな?」とも思ったのだけど、実際にはインディが考古学者として思い描いていた紀元前の世界を目の当たりにするという展開になって、それにはちょっと感動したね。(図らずも)シラクサ包囲戦に爆撃機で乗り込むという展開は面白かった。ただアルキメデスとの会合は、ご都合主義な割にインディ自身が感動する以上の話としての意味合いが薄かったので、クライマックスとしてはちょっと弱かったかなという印象もあります。 |
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(1996年制作) |
突如現れた巨大UFOが都市の上空を覆う。滅亡の危機に人類が立ち向かう姿を描いたSF大作。 オープニングからいきなり「スター・ウォーズ」「コンタクト」のパロディ(オマージュ?)で始まり、全体的に過去のSF映画を意識したような構成が目立つ…だがそれが良い。「米国人はこんな話が好きなんだろ?」と見透かしたかのような、ドイツ人のエメリッヒ監督と脚本のディーン・デヴリンが作ったこの話はとにかく色んなSF映画の要素がてんこ盛り。そのエッセンスの抽出が上手いよね。それでいて流れが破たんしたパロディ映画ではなく、大まかな流れとして「宇宙戦争」を感じさせつつも、現代的解釈の(元ネタを知らなくても楽しめる)オリジナルストーリーとして3日間の出来事“遭遇”“敗北”“反攻”をテンポよくまとめているのだから大したものだと思う。もちろんご都合主義なところ(特にコンピューターウイルスのくだり)もあるものの、観ている間は勢いに押し切られてしまうし、そもそもそこは「宇宙戦争」のパロディなのだから野暮なツッコミは控えておきます。 描かれる映像の規模は凄まじく、大都市を覆う規模のUFOのビジュアルインパクトは強烈。都市を焼き尽す爆炎のシーンやF/A-18と小型UFOとの空中戦は特撮映画としてのクオリティも高く、見応えバッチリ。とかく規模的にやり過ぎなくらいだがw 主要登場人物は政治の長・技術者・軍人・市井の人と多めだが、場面転換が適切なので混乱しない。それぞれに見どころも用意してあるし、何と言ってもビル・プルマン演じる大統領の演説シーンはこの映画の白眉だよねえ。強大な敵が現れ、人類が一つに結束して反撃に出る。とにかく熱い!俺はアメリカ人じゃないが、こういう話は大好きなのです。 |
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:リサージェンス (2016年制作) |
エイリアンを撃退してから20年後、ふたたび奴らが地球を襲撃する…。 前作から20年という時間をうまく取り入れて、前作出演者たちの同窓会的雰囲気が嬉しい。特に2015年末に85歳で亡くなったロバート・ロッジアは、彼を讃える場面での車椅子姿に例えセリフなしの出演でもグッときた。 前作ののちにエイリアンのテクノロジーを手に入れた設定なので、人類側の兵器がかなりオーバーテクノロジー化。それは仕方ないにしても、やはり前作でエイリアンと現存兵器の戦いに魅力を感じた身としては、「ちょっと何か違う」という気はする。とはいえ襲来時の圧倒的な規模に対して「嗚呼…これはもうどうにもならんね…」と感じる瞬間は、間違いなく「インデペンデンス・デイ」のそれですわ。 エメリッヒ監督の娯楽作なので、軽いジョークを交えながら深刻な事態が進行していく雰囲気は安定感がある。でも120分という尺に収めたせいか、どこか話が駆け足気味でとっ散らかった感もあって、前作ほどのカタルシスは感じられなかったかな。ご都合主義なところは「エメリッヒ作品だから」と分かってはいるものの、(セルフオマージュとはいえ)自爆の安売り加減や、終盤の”女王”自らご出陣となる強引さはちょっと気になる(苦笑) それにしても終盤の唐突なジュラシックパークのパロディは笑ったな。追いかけてくる女王をサイドミラー越しに見るカット、それを運転するのがジェフ・ゴールドブラムw よく考えたらエイリアンのデカい女王って、まんま「エイリアン2」のパロディだわ。 |
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(2014年制作) |
同名ブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品。 「赤ずきん」「髪長姫」「ジャックと豆の木」などの童話を混ぜ込んだり、“森”という結節点のコンセプト自体は面白い。ただ、この映画が面白いかというと、どこか乗り切れない。話は願いがかなったその後…までを描いているわけだけど、どうもドタバタしているだけでスマートな感じがしないのが難点。「自分の願いを叶えようとしたことで、知らず誰かを不幸にするから、どこかで折り合いをつけないとね」の様な、おとぎ話にありがちな教訓も取ってつけたようで。 そういう部分が目に付くので、個人的には映画向けの話ではないように思った。やたらとドタバタした展開は舞台で観れば入り込みやすいかもしれないし、並行して色んな場所で進行する事態も、舞台では何かしらの演出的工夫があるんじゃないのかな。映画ならカットを割るだけで表現できちゃうだろうけど。自分は舞台版を見たことはないが、「そちらではどんな演出だったのだろう」と逆に興味がわいたね。巨人のくだりこそ映画的に見せることも出来ただろうに、それこそ人間と同じフレームに入らないし、人間側が寄りの画ばっかりで悪く言えばせせこましい。良く言えば舞台を切り取っているような感じもするけど、それじゃあなぜ映画なのか本末転倒? ミュージカルなので、みんな歌って語って話が進む。それは良いし、実際出演者は皆上手い。でもこれでメリル・ストリープがアカデミー助演女優賞ノミネートというのは、なんかピンと来ないですよ。ジョニー・デップは完全にゲスト出演だった。 |
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(2014年制作) |
米国中西部の街、シルバートン。高校の卒業式を控えたその日、想像を絶する竜巻が襲来する。 見事なディザスター・ムービー。竜巻の暴風とともにその強烈な破壊力が襲いかかる様は、思わず手に汗握ってしまうね。カメラも客観的なものではなくて、よりPOV的な演出が臨場感に良い効果を発揮していると思う。POV映画では「カメラで撮りつづける理由」が最もリアリティに対して重要なんだけど、そこも何とか気にならない程度になっているかな。登場人物がその渦中に居続けるという理由づけに“家族”というテーマを持ってきたのが分かりやすく、スペクタクルを邪魔しない程度にも感動的。ベタと言えばベタだけど、短い時間で説得力を出そうとすれば、このくらいベタな方が逆に良い。 竜巻によって破壊しつくされるという非日常空間はVFXの発展もあって実に迫力満点。人間の目線と空撮の交互の挿入も効果抜群だけど、暴風に吸い上げられる人や建物といった映像は実にリアルだった。竜巻映画と言えばやはり「ツイスター」を連想するけど、この映画も間違いなく竜巻映画の代表作として記録されますな。 |
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負けざる者たち (2009年制作) |
'95年、南アフリカ初の黒人大統領となったネルソン・マンデラと、ラグビーの南アフリカ代表チームがW杯に挑んだ実話を描いた人間ドラマ。 1年に1作品以上のペースで撮り続けるクリント・イーストウッド監督。その上、映画の質が全く落ちないのだから素晴らしいとしか言いようがないが、この作品も多分に漏れず良質な人間ドラマの作品でした。 アパルトヘイト(人種隔離政策)を敷く南アの反政府活動家として、27年間も投獄されていたネルソン・マンデラ。前半はそんな彼の人となりが描かれるが、「国のためにすべき事は、白人社会への復讐ではなく、赦しだ。」と説き、そして実行する彼の姿には、人として畏敬の念を覚えずにはいられません。そんなマンデラ大統領をモーガン・フリーマンが熱演していて、もう途中からは彼がマンデラその人に見えてくるほどです。 後半はもう一人の主人公、南アのラグビー代表チーム主将・フランソワ・ピナールが話の中心になってくるけど、こちらもマット・デイモンが好演してます。ほとんど白人で構成されたチームにあって、彼は大統領の人間性に触れ、大統領の想いを受け止めて南アで開催されたW杯に挑む。その間にある信頼関係が良いね。 クライマックスはスタジアムでの決勝戦で、もうこの辺にくると完全に監督の術中に落ちてました。国中が一体となって南アチームを応援するその光景、マンデラが夢に見た「一つの国」。これには感動せざるを得ません。ベタと言えばいい意味でベタ。しかしやはり信念を貫いて、それを成し遂げた人たちの姿には感動させられました。 |
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見えない者に追われる恐怖というのは分かるんだけど、いかんせん相手は人間な訳で、プレデターでも恐竜でもないせいか今ひとつ緊張感を持って観られなかった。登場人物も今ひとつ魅力がない。透明になってやる事は、性的欲求の解消だけかい!情けない・・・。他の科学者もとても天才の集団とは思えないし、感情移入は出来ません。「サーマルゴーグルを着けとけよ!」と突っ込めるところも多々あるし・・・。電磁石のアイデアははご都合とはいえ良かったかな。特殊効果の素晴らしさだけは、特筆すべきものがあるかな。 | ||
香港マフィアに潜入捜査した警察官、警察にスパイとして送り込まれた香港マフィア。10年後、1つの事件からお互いがお互いの組織に存在を感づかれ、事態が急展開を迎える。 序盤の駆け引きで見事に世界に引き込んでくれる。スパイからの情報を得て、お互いに相手の裏をかこうとする組織の長。自分の存在に感づかれたことで激しくなる潜入者同士の駆け引き。お互いに顔の知らないクサ同士の緊迫した展開は、多少アラはあるにしても良くできてると思う。 ハリウッド映画と比べれば画面の派手さはないけど、主人公二入を演じるアンディ・ラウとトニー・レオンは存在感があって凄く良いね。 ラストはちょっと意外だった。ただタイトルを描こうとするならばこのエンディングになるんだよなあ…。善として生きようとした悪は、これから無間地獄を生きなければならない訳か…。 |
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無間序曲 |
時代設定がおよそ10年遡り、前作の主人公二人が如何にお互いの組織に送り込まれ、周囲の人間の間で何があったのかを描くシリーズ2作目。 まず、昔そんなことがあったのかと驚いた。前作では存在感はあったものの主人公ではないし、ただのマフィアのボスと警部くらいにしか思っていなかった二人にあった過去のドラマ。それを描くことで前作に深みが増したねえ。いや、そもそもその二人が今作では主人公なのかw 明らかに「ゴッドファーザー」を意識した作りも見え、単体のマフィア映画としても十分に楽しめる。でも俺としてはやはり前作あっての本作であり、前作でどういう殺され方をしたか知っている二人の友情と生き様に感じるものがあるんだよね。 |
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終極無間 |
二つの時間を交互に描き、警官として生きるラウの姿を描いた香港ノワール3部作の完結編。 3作目まで観ると、見事に3作で一つの作品なんだな、と感じるところが多い。ただ、1作目で出てくることのなかったキャラがキーになっていて、そういう意味では“取って付けた感”は拭えない。上手く1作目も再構成し直せば一代叙事詩にもなったろうが…。 1作目の後、ラウはどうしたのかというのは気になるところではある。キモはラウの“善人でありたい”という気持ちの強さであって、それがラストで見事にすり替わって面白い。だけど、公安部のヨンはあのテープを持っていたって事か?“何故ヨンはラウを泳がしていたのか?”という疑問が頭をよぎるけれど…。 1・2作目と比較すると緊張感がやや薄れたのは残念。 |
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(2016年制作) |
病院で目覚めたラングドン教授。記憶がハッキリしない中、何者かに追われながらも手掛かりを辿って真相に向かうが…。 記憶喪失となり状況がつかめない主人公。映画の導入としてはありきたり…もとい王道的な感じ。いきなり事態に引きずり込まれていくスピード感は良いし、地獄(インフェルノ)の幻視も意味深で引き込まれる。ただそのような状況が映画の3分の2を占めるとなると、いささか単調な感じがしなくもないが。もう少し攻守逆転の波があると楽しめたのかなあ、とも。 謎解きはそこそこに、基本的には逃亡劇。いや謎解きもあるし、名所旧跡を駆使した行動は「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続くラングドン・シリーズとして十分満たしていると思うのだけど、流れがスムーズ過ぎな気がしなくもない。エンリコ・ダンドロの墓の場所に気づくのが遅れたことすら段取りに見える(苦笑)。 毎度ロン・ハワードの映画は実に良く話が流れるとは思うのだけど、纏まりが良すぎるのも考えものw さて終盤になって、それまでラングドンと行動を共にしていたシエナの目的がはっきりする。ここも起承転結の「転」としてあるべき場所にある感じ。確かに序盤「巻き込まれヒロインなのに付き合いが良いなあ」と思いながら観ていた自分にとっては、すべてに合点のいく展開で良くできてると思ったのだけど、やはり良く出来過ぎている気もして。 全体にそつなく纏まっているとは思うんだけど、どこか物足りない気もする。そんな感じでした。主題の人口増加は今そこにある危機としては確かに悩ましいし、確信犯として計画したゾブリストらの行動に考えさせられる部分もある。だけど…答えはなかったしなあ。 |
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(2012年制作) |
2004年に発生したスマトラ島沖地震による津波に巻き込まれ、バラバラになった家族が再び奇跡の再会を果たすドラマ。 クリスマス旅行での幸せな日が、突如襲来した津波によって一変する。ナオミ・ワッツ演じるマリア目線での絶望的な状況…津波に流される様は息が詰まった。全身傷だらけの痛々しい姿、それでも助けを呼ぶ声が聞こえた時には避難を優先しようという息子のルーカスを諭し、子供を一人救い出す姿に、このマリアという女性の精神性を見る。病院でも困った人を助けてあげてと息子に言うわけだけれど、話の主軸をマリアに置きつつも、ストーリー内で成長するルーカスによって話が引っ張られているかな。 中盤からは生き別れたユアン・マクレガー演じる夫のヘンリーが中心になるが、彼が電話をかけたシーンでそれまで抑えていた感情が噴き出した慟哭のシーンは、観ているこちらも心が締め付けられるようだったね。果たして主人公一家は全員奇跡の再会を果たすわけだけれど、その裏で多くの人が犠牲になっている。画面の端々で映る遺体や遺体袋にそれを印象付けさせつつも、この映画では「犠牲者が何人…」という数ではなく、出てくるのは名前であって、ルーカスが人探しに奔走する名前であり、ヘンリーがもらったメモに書かれた名前。それが人の人生がそこにあったのだと感じさせる演出でもあったように思う。個人的には「プライベート・ライアン」のドッグ・タグを調べるシーンを思い出した。 タイトルの意味は中盤で老婆が語る台詞からか。「生死を区別するなんて不可能だ」というニュアンスが、絶望と希望を描いたこの映画を見事に表現していると思う。 |
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千の惑星の救世主 (2017年制作) |
グラフィック・ノベル「ヴァレリアンとローレリーヌ」を基にリュック・ベッソンが監督したSF冒険映画。28世紀の巨大宇宙ステーションを舞台に、宇宙連邦捜査官のヴァレリアンと相棒ローレリーヌの活躍を描く。 山ほど色んな種族の宇宙人が出てくるけど、どうやって巨大宇宙ステーション“アルファ”が出来たかの経緯を「握手」をキーにアバンで見せ切る流れは上手い。冷戦下の米ソが握手をしたドッキングから出発したという部分からステーションの理念が分かるし、それを言葉を省いて納得させてしまう勢いが良いですよ。 本編自体は「アバター」と「スター・トレック」を足して2で割った様な雰囲気だけれど、舞台となるいろんな星の他にもステーション内の様々な環境のブロックを縦横無尽に移動するので、映像的にはバラエティに富んでいて面白い。まあ展開的にご都合主義なところはあるし、陰謀の真相だって大したものではないけど、気楽に観られるスペースオペラだと思えば個人的には楽しめたかな。 主人公のヴァレリアンを演じるのはデイン・デハーン。陰のある感じを出させたら抜群だけど、本作は相棒を口説くのに余念のないチャラい感じで、これもまた合っている。相棒のローレリーヌはいかにもベッソンが好みそうな(w)眼力のあるカーラ・デルヴィーニュ。黒幕の割にあまりさえないクライヴ・オーウェンと、あっという間に退場したイーサン・ホークはご愛敬だけど、ジョン・グッドマンが声の出演をしていたりと案外豪華ですな。 美男美女が分かりやすいストーリーで銀河を舞台に大活躍するのだから、アトラクションムービーとしては十分な出来栄えだと思う次第。 |
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いや、まさにスティーブン・ソマーズの作品以外の何物でもないですなw 「ザ・グリード」ばりのグチョグチョ感、「ハムナプトラ」シリーズのスピード感は今作でも健在。彼の映画が好きなら、かなり面白い! ただ、前半でばらまいた主人公の伏線を最後まで解決していないので、話の隅まで気になる人は消化不良になるかも。もしかしたら続編をやるのかもしれないけど。しかしまあ、ドラキュラと狼男とフランケンシュタインの話をよく混ぜたもんだ。凄い豪華な映画だよなあ。ゲスト出演の“ジキル博士とハイド氏”が「リーグ・オブ・レジェンド」っぽいうえに全くの咬ませ犬なのはちょっと悲しいが…。役者では「LOTR」のファラミアの面影もないデヴィッド・ウェンハムの演技が良かった。ケビン・J・オコナーも「ハムナプトラ」以来のソマーズ映画カムバック。相変わらずの役どころにいる彼を見ると、俺的にはうれしいw しかしオープニングの「フランケンシュタイン」の風車はニヤリとさせられる。オマージュ捧げまくりですねw | ||
(2015年制作) |
主人公の姉弟が初めて訪問した祖父母の家で遭遇する不穏な出来事を描いたホラー映画。 低予算な感じがすごく伝わってくるが、雰囲気は良い。限られたリソースの中での最大の効果を、POV(主観ショット)というフォーマットから生み出しているのは間違いないね。ただ、“シャマラン監督だから”と期待するホラーチックな演出はまあ期待値に届いてはいるものの、設定上の真相は若干パンチが弱いので、雰囲気から想像するオカルト的なものとはズレのあるオチに「なんだ…」と思う部分もある。でもそのズレは監督が狙っているものだろうけど。実際この映画で最もゾッとする場面は祖父母が別人と判明する場面であるし、それは“シャマラン的どんでん返し”とオカルトよりも現実味のある問題としての怖さを上手くつなげた部分とも思う。 一方、怖がらせるだけでなくて、ラップな弟の言動にジョークが入っていたり、場面と音楽のギャップなどは劇中での分かりやすい伏線からのエンディングなどでこちらの肩の力を抜かせる。ホラーギャグとしてはサム・ライミほどの面白さはないけど、頑張ってる感じはするかなあ?おむつを顔面に…から弟のキレ具合も、あれはギャグだと思っているんだけどどうなんでしょうかw しかし個人的にはPOVとしてはワザとらしいアングルや見せ方が多くて、ちょっとリアルさが無いなあとも。特にばあさんがナイフを持つシーンで、わざわざばあさん自身がカメラを持って移動しているのは白けた。そりゃあ映画的には見せないといけないんだろうけども、こういうところに説得力を持たせるのがPOVの難しいところだね。 |
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(1973年制作) |
失踪した少女の捜索のため、ヘブリディーズ諸島の孤島にやってきたハウイー警部。警部は非協力的な島民や土着の信仰の異様さに困惑しつつ、捜査を開始する。 敬虔なクリスチャンである主人公の警部が、ラストで異教徒である島民全員に見守られながら五月祭の生贄として焼き殺されるというお話。ホラー映画と言うよりはミステリー映画に近いドラマだけど、観客としては主人公の警部の方の立場で話を観ているので、やはり島民のカルトさは恐ろしい。そしてその総意として焼き殺される気分は、やっぱりイヤな感じですわ。でも信仰心や宗教観の対立というテーマ自体は面白いと思うね。 全体的にロケーションメインの低予算風な感じで、基本的に島の異質な雰囲気だけで話を引っ張っていくんだけど、ラストでネタ晴らしをしつつ巨大なウィッカーマン(枝編み細工人形)を登場させて異質さのピークも持ってくるあたりは、見せ方の工夫も感じられるところ。まあ、「すべて領主の計画通り」というのは出来すぎな感じもするけど、主人公の敬虔さが生贄の質を高めていたという皮肉さは、絶望感を強化していて悪くないかな。「自由意思で来島し、王の代理人で、童貞」というのが生贄として「選ばれた成人」の資格だということだから、最初の夜にもし宿屋の娘の誘惑に負けていたら主人公は助かっていたのだろうか。まあそれはそれで信仰の敗北だから主人公的にはやはり受け入れがたいのだろうが。 |
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(2015年制作) |
17世紀のニューイングランドで、信仰の違いから村を離れた一家が次第に崩壊していく姿を描いたホラー作品。 魔女や化け物が大暴れする話というよりは、登場人物たちが精神的に追い詰められていく様子が主体なので観ていて息苦しいけど、それこそがこの作品の魅力だね。敬虔なキリスト教徒であるからこそ、神を信じ、原罪を信じ、そして悪魔の存在を信じている一家。その根底にある精神性こそが、“魔女”という不可知な存在を具現化する“人間のサガ”だというわけだ。人は弱いから神にすがるし、不合理な苦難に見舞われるのはウィッチクラフトの仕業だと思うことで納得したい…。それを見事に観るものに感じさせるような構成は良かったな。 演出的には確実に悪魔や魔女の介在を匂わせる描写が挟まっているのが上手い。特に序盤で赤ん坊のサムがいなくなった後の描写は強烈な印象を残し、この後何が起こるのかと身構えてしまうね。その後は人物が写っているだけの場面でも背後に急に何か現れやしないか不安になったものw 正直言えば、一連の魔女や悪魔の描写は現実というよりは登場人物たちの空想の域というか、実際には別の要因だけどその人達にとっての合理的な解釈を映像化したもの?といった印象も受ける。でもそれが、例えば「悪魔憑きは、実は脳炎の症状をそう解釈しただけでした」の様な合理性とは真逆の方向へ観る者の感情を引き込んでいくのだから面白い。いつしか観客側の自分も、象徴的な木や黒ウサギ、そして黒ヤギが映っただけで不安になるように刷り込まれてしまった。そしてラストは、この物語として納得行く形で“悪魔はいた”のだ。人間は見たいものを見て、信じたいものを信じる…か。 少なくとも、当時代の人々が信じていた存在を背筋に感じさせる様な、そんな精神性を追体験をさせてくれる作品としてとても良くできていると思いました。 |
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サスペンス・ミステリーとしても十分楽しめるが、アクションシーンもなかなか見応えがあるし、期待以上の作品でした。絵画調の色遣いや構図も不思議な雰囲気を醸し出していて、この世界観に合っていた。鏡の仮面を付けた錬金術師というだけでも眉唾物だが、実際不思議なパワーを持っているのは世界観として受け入れないといけない。それさえ出来れば楽しめるでしょう。 | ||
シャマランにまたしてもやられました。相変わらずミスディレクションが上手いわ…。観客は始めから騙されてますなw この映画の“掟”云々の二段階、三段階に分けたネタ晴らしが、演出的に緊張感を持たせてくれます。まあ、肝心なトリックはハッキリ言ってチープなんですが、それでも演出の巧さを感じます。設定自体には疑問を感じるところもあるんだけど(村の補給とか…)、それもこの物語を語る為の“要素”に過ぎないと考えれば目はつぶれる。「サイン」のミステリーサークルと一緒ですな。ある若者たちの“愛”の話。そして愛するものを守る為の、無垢であり続けるための代償。俺にはここに描かれる“村”は悲しみが永遠に続く村に見えたけどね。ところで監督はまた懲りずに出演してました。「サイン」ほど目立ってなかったけど、それでも一発で分かりますw | ||
ヒトラーから世界を救った男 (2017年制作) |
1940年。ナチス・ドイツの電撃戦により、それまで宥和政策を唱えていた英国のチェンバレン首相が辞任。挙国一致の戦時内閣首相として後任を任されたチャーチルの葛藤と決意を描いた伝記映画。 このドラマの見応えは、戦争の一面を為政者の苦悩に絞って描いているからだろう。もちろん戦場でで死んでいく人たちがその裏にはいる訳で、その事にも触れはしている。しかし30万人の兵士の1割でも救えるのならば、4千人の部隊には敵を引きつけて死んでくれと命令を出す事も厭わない姿勢は、為政者とはどういう覚悟でやっているのかという事を端的に見せつける。「私は責任を取るためにこの椅子(首相の座)に座っているのだ!」 ナチス・ドイツに対して英国が融和策を取るか、徹底抗戦をするか、その選択の是非はその時代では分からなかったろう。歴史は後世の歴史家がどう見るかでしか評価できないが、“ナチスは悪”とする今の感覚で観ればチャーチルの決断がヨーロッパのその後を救ったことは間違いない。その点において、フランスで追い詰められ絶体絶命の英軍や、隙あらばチャーチルを降ろそうとする宥和派というまさに内憂外患・四面楚歌の中で信念を貫き決断したことが、殊更にドラマチックに感じられる。(最後に背中を押してくれたジョージ6世との関係もちょっと感動。) シリアスな人間ドラマではあるけれど、セリフの端々にはユーモアが含まれていて緊張と緩和のバランスがなかなか良いね。ゲイリー・オールドマンの演じるチャーチルはメイキャップの力も相まって圧倒的な存在感だけれど、劇中でほぼ出ずっぱりのワンマンショーなのはすごい。これを支え切る演技力はさすがの一言です。見た目で言えばロナルド・ピックアップ演じるネヴィル・チェンバレンも、見ただけでチェンバレンとわかる雰囲気になっていてビックリ。 |
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正統的な戦争アクション物の様な印象。とにかく戦闘シーンは爆発!爆発!そして爆発!迫力はある。しかし戦場の駆け引きといった物の緊張感は少し薄い気がした。人間関係のドラマは人種を越えたいい話だと思うけど、「ライアン」を観たときのような感動まではいかなかった。サイパン戦を扱っているのに、戦争の悲惨さという物が伝わってこないのも、今ひとつ真実みが欠けたのかもしれない。エンターテイメントと割り切れば楽しめるだろうけど。そういえば、ジョン・ウーが監督だけど、二丁拳銃も鳩も出ませんでしたなぁ。 | ||
(1961年制作) |
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を下敷きに、現代のNYを舞台に翻案したブロードウェイ・ミュージカルの映画版。非行グループのジェット団(ポーランド系アメリカ人)とシャーク団(プエルトリコ系アメリカ人)は一触即発の状態にあったが、そんな中、ジェット団の元リーダー・トニーとシャーク団リーダー・ベルナルドの妹・マリアが恋仲となる。 正直言うと…、ロミオとジュリエットのポジションにいるトニーとマリアに自分は感情移入できません。確かにチンピラの抗争は不毛なものではあるけど、彼らは彼らなりのルールの下に決闘をしようとしていたのに、マリアの“愛”による介入のせいで最悪の結果に陥っているのだもの。そりゃお互いに矛を収めて平和になれば一番だけど、段階を無視して制止しただけで収まったら苦労はしない。トニーだってジェット団の元リーダーだったのなら、それくらいのことくらいわかっていただろうに。恋は盲目ってやつなんかなあ…。 さらに、そんなことがあっても“二人の愛は裂けないのだ”とばかりに逢瀬も続けているけど、俺はベルナルドとアニタが不憫でなりませんよ。よっぽどこちらの二人の方に感情移入するわ。あと気の毒なのは老人のドクだね…、若者たちがああいう風に傷つくのは見たくなかろうに。 とまあ、主人公に気持ちが肩入れできないのでストーリー的にはモヤモヤするのだけど、ミュージカル映画としては間違いなく一級品ですわ。空撮からNYの路地で展開されるジェット団とシャーク団の対立を見せ切るオープニング。躍動感あふれるダンスシーン。「マリア」「マンボ」「アメリカ」といった名曲の数々。それぞれの想いをオーバーラップさせる「トゥナイト」の演出。とても素晴らしい。でもそんなワクワクするようなたくさんの名場面の先に待つのはしんみりとした終幕で、その落差にはちょっと戸惑いもしたけど…、まあ「ロミオとジュリエット」だし悲劇は避けられないのは仕方がないか。とはいえエンドクレジットの見せ方はおしゃれだし、センスの良さはさすが。名匠ロバート・ワイズ監督は、この4年後に「サウンド・オブ・ミュージック」という傑作ミュージカル映画も撮るのであった。 |
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・ストーリー (2021年制作) |
1961年にも映画化されたブロードウェイ・ミュージカルの映画版。非行グループのジェット団(ポーランド系アメリカ人)とシャーク団(プエルトリコ系アメリカ人)は一触即発の状態にあったが、そんな中、ジェット団の元リーダー・トニーとシャーク団リーダー・ベルナルドの妹・マリアが恋仲となる。 1961年の映画版は名匠ロバート・ワイズ監督による映画史に残る傑作。言ってみれば「風と共に去りぬ」や1959年の「ベン・ハー」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの様に、“作り直せば絶対に陳腐化するに違いない”作品だと思っていました。このリメイク版を観るまでは。「スピルバーグ監督もそんな企画に手を出すなんてヤキが回ったな」と少しでも思った過去の自分をぶん殴りたい。 正直言うと自分の中での満足度はオリジナルより上。ただ、それは1961年の「ウエスト・サイド物語」と比較して上とか下とかいう意味ではなく、本作が往年のミュージカル映画に対する愛を感ずにはいられない様な圧倒的な熱量を持っていたこと、そこに心を打たれたからです。言葉にはしにくいんだけど、この映画で描かれていたのは1961年版に対する対抗意識みたいなものではなくて、完璧な敬意とでもいうか、「今できる技法で最高の1960年代のミュージカルを撮ってやる!」という気概とでもいうか、そんなスピルバーグの熱量を感じるんだよね。"America"を歌って踊るミュージカルシーンなんて、もう観ていて何故か涙がこぼれてしまったもの。これが21世紀の映画だなんてその瞬間は完全に忘れてたよなあ。60年代の傑作映画を観ているような感覚にあてられてしまってたねw 1961年版の感想でも書いたけど、自分はトニーとマリアには共感しにくくて、どちらかと言うとベルナルドとアニータに感情移入してしまう方です。なのでやっぱりストーリーはそこまで引き込まれないのだけどね。でもミュージカル映画としての素晴らしさのためにブラッシュアップできるところは行い、替えてはいけない部分はそのままに描く、そうやってこのリメイクは“傑作としての1961年版”と双璧を成せるまでに練り上げられいるなと感じました。 |
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(2018年制作) |
マーベル・コミックスのヴィラン“ヴェノム”を主人公にしたダーク・ヒーロー実写映画。ジャーナリストのエディは人体実験をしているという財団のトップに事の真相を問いただすが、そのことによって職も恋人も失ってしまう。 MCUとは独立した作品なのでスパイダーマンは出てこず、ヴェノムの出自にもスパイダーマンは関与しない。ということでこの映画単独でのダーク・ヒーロー誕生譚という形になるのだけれど、そういう意味では割とベタというか…オーソドックスな展開の“1作目”という印象の作品でした。でも案外楽しめたのは、残虐な怪物が暴れまわる場面と案外軽妙な相棒感を醸し出している“エディ&ヴェノム”のバランスが良かったからだろうか。逆に言えばヴェノムが暴れまわるまでは少し長さを感じる部分もあるのだけれど。 生々しいヴェノムのビジュアルはヤバそう怪物って感じが出ているし、細身の「スパイダーマン3」とは違ってゴツイのも良い。頭をかじる描写が割と控えめなのはちょっと“怪物”的には物足りないけど…まあヒーロー映画の範疇にするとこんなもんか。エピローグで登場したウディ・ハレルソンはカーネイジの様なので次作の敵役だね。スパイダーマン不在のままどうシリーズが展開していくか、少し興味は出てきております。 |
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レット・ゼア・ビー ・カーネイジ (2021年制作) |
マーベル・コミックスのヴィラン“ヴェノム”を主人公にしたダーク・ヒーロー実写映画。死刑囚の連続殺人鬼・クレタス・キャサディに指名されて記事を書いた主人公のエディは、彼と接触した際に一部のシンビオートを取り込まれてしまう。そして死刑執行のその日、クレタスはカーネイジへと変身する。 “エディ&ヴェノム”のコンビ感がとても楽しい映画になっておりました。2作目ともなればこのコンビになった経緯をすっ飛ばして日常的な掛け合いを最初から描けるので、そういう意味でも話のテンポが良い。ストーリーはシンプルというか…クレタスの人物像についても“殺人鬼”ということ以上に深い感じはあんまりしないんだけど、あくまでこの映画の基本はエディ&ヴェノムのセリフの応酬を楽しむコメディみたいなところになってるから、ある程度の理由付けがされていればいいやという割り切りも感じられるかなあ。まあナチュラル・ボーン・キラーなクレタスをウディ・ハレルソンが演じてるってこと自体がオマージュというかパロディみたいなものだし、人を食い殺す化け物を描いている割にノリが軽い映画としてのアドバンテージを理解して作られている部分には好感が持てました。 ということでヒーローアクション映画としてはすんなり楽しめた感じ。今のところ“ヴェノム”単独作の2作目ということで話も1本筋だしMCUの様にややこしい他作とのつながりもなくて気楽…。と思っていたらエンディングにブチ込んできましたねーw MCU全体とガッツリとクロスオーバーすることは無いだろうけど、少なくともMCUのスパイダーマンとは絡めるということで、今後の展開に期待! |
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ザ・ラストダンス (2024年制作) |
マーベル・コミックスのヴィラン“ヴェノム”を主人公にしたダーク・ヒーロー実写映画。お尋ね者となったエディはメキシコからNYを目指して旅をするが…。 MCUのバースに行ったのは何だったんだよと思わざるを得ないなあ。まあ「マルチバース」に関するMCUとの方針も色々あったんだろうから、結局「SSU(ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース)はSSUで」という感じになっちゃったんだろうね。それはともかく、ヴェノム単独作としてはこれが3部作の完結編という触れ込みだけれど、個人的には正直物足りませんでした。エディとヴェノムの友情と別れと描くために、ロードムービー仕立ての思い出作りをさせているかのような展開で、なんだか大味な印象。自由の女神云々も「ヴェノムにとってそこまで思い入れあるの?」という部分でとってつけた感が強くて、ラストの風景も感慨的にはいまいち。それならエディが公園で一人チョコレートを食べながら涙しているくらいの方が、相棒との別れを感じてしんみりしたような気がするなあ。でもそうは描かれなかったけれど。 本作の敵としてはヌルが初登場。といってもこれが顔見世で、今後ラスボスになるのだろうといったくらいの登場場面しかない。なので直接ヴェノムや他のシンビオートが戦うのは、その先兵であるクモトカゲのような姿のゼノファージ。これが確かに強いんだが、でもなんか緊張感が物足りないんだよなあ。なんでだろう。 エディとヴェノムはお別れになったものの、シンビオートはまだ残っているという描写なので、これでヴェノムというキャラクターが終わるような感じはしないね。今後SSUがどうなっていくかはソニーしだいだけど。期待していいのだろうか。 |
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(2016年制作) |
リアルタイムストラテジーの人気ゲームを映画化した作品。人間・ドワーフ・ハイエルフなどが住むアゼロスへオークの大群が侵略を開始する。人間の王であるレインはアゼロスの守護者・メディヴへ助力を乞うが…。 原作のゲームは未プレイ。物語は映画オリジナルの様だけど、ハイファンタジー的な世界観は類型的な感じが強い。とはいえオークを単なる悪役にせず、両勢力の中にも善悪の戦いがあるという構成にしたのは面白い。ただ幾分人間側の方のストーリーが安っぽく見えてしまうのは、ファンタジーとして類型的な感じが過ぎていることと、守護者であるメディヴの葛藤が今一つ分かりにくいというところにあるのだろうか。どうしてもLOTRと比較してしまいそうになる世界観の中で、メディヴは「ああ白のサルマン的な立ち位置ね」とか、ローサーはエオメルっぽいアラゴルンかな、とか思ってしまう時点で二番煎じ的な感じがするのはちょっと分が悪いかも。ゴーレム戦も何だか安っぽく見えるんだよね。なんだか色々カットしている様な場面転換も気になったし。 一方でオーク側の主人公・デュロタンの方が話も分かりやすく感情移入もしやすかった。オークたちもクリンゴン的な戦闘的高潔さはなかなか魅力的だし、闇の魔法フェルを使うグルダンも禍々しいビジュアルがなかなか良いですぞ。緑の魔力は悪い力だというのも分かりやすいしね。 全体的には類型的な感じがする中で、ラストの展開はちょっと驚くところも。場を鎮めるため、オークの名誉を重んじる思考を逆手に取って自己犠牲という選択をする王はすごいな。でも若干犬死めいて見えてしまうのは、バックにいるグルダンを倒せるわけでもなく戦争も続くという結果になったからか。王を殺したガローナが勢いでグルダンも倒してしまえば完結したろうが、そうもいかないのは主題のためか続編を意識したためか。 |
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(1983年制作) |
発売前のゲームを楽しもうと、開発会社のコンピューターにクラッキングを仕掛けた主人公・デビッド。しかし、そのコンピューターは実は北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のもので、ゲームだと思込んだまま「世界全面核戦争」を始めてしまう…。 AIの暴走による全面核戦争の危機…というサスペンスを、クラッカーの高校生を主人公にした青春映画チックな要素も盛り込んでテンポよく描いている。ラストは、戦争の危機を止めたとはいえ…デビッドがクラッキングしたことについてのお咎めはなしなの?とは思ってしまった。まあ悪意がなかったとはいえ、国家機関に不正侵入してしまったのはどうかなあ。そもそもそれ以外に電話のタダがけとか成績改ざんとか、微罪が多そうだがw コンピューターオタクという設定だが、演じたマシュー・ブロデリック(若い!)のキャラクターのせいかステレオタイプなナードっぽさは控えめで、ヒロインともいい感じ。個人的には微罪の方が気になるのであんまり感情移入できなかったが、ゲームのつもりが実は世界の危機の引き金だったという風呂敷の広げ方は良いね。 AIによって引き起こされる核戦争の危機というのはSFではありがちな内容ではあるものの、その結末がAIが核戦争を「勝者がいないゲーム」と判断するところが興味深い。とどのつまり相互確証破壊に基づいた核抑止論そのものだが、そこに至るまでに、人間側が架空の核ミサイルに対して判断を迫られるシーンを通じて色々と考えさせられるところもある。指令室の画面上の光点だけで架空の攻撃を表現する演出は「機動警察パトレイバー2」での“幻の東京爆撃”を想起させるが、こちらの作品の方が先。 |
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(2013年制作) |
青年のゾンビのRが人間の人間の女の子・ジュリーに恋をした。 ゾンビ映画なのにジャンルで言えば青春ラブストーリー?こういうゾンビの気持ちを描いた映画ってできるんだねえw 人間性のないはずのゾンビ(原語では主にcorpse)が、愛を感じることで次第に人間性を取り戻していくという話は、どこかニートに対するメタファーの様にも感じたけど、いやユニークな視点の作品だと思います。 立場が恋の障害とは「ロミオとジュリエット」の様な感じもするところか。違うのはこの映画はハッピーエンドというところだが、ゾンビが人間を受け入れる方はともかく、元ゾンビを人間が受け入れる心理はファンタジーだわなあw 導入部分でも、ジュリーが心を開くまでの運びは結構強引さも感じるものね。でもそこは、それありきの話なので仕方がないか。"ガイコツ"と呼ばれる強力な死体に対して、人間とゾンビが共闘する場面は胸が熱くなるが、戦闘シーンは控えめ。グロさもないですよ。まあ主題は"恋"なのでいいんだけど。 ジョークというか、クスりとする描写もあるし、ゾンビ映画とは思えない妙な暖か味もある。音楽が心情を語るとか、愛を感じて鼓動が始まるという描写がなんかいいよね。 |
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ウォーリー |
人類がいなくなった地球で一人、700年間もゴミ処理をしていたロボットのウォーリー。ある日彼は天からやってきた真っ白いロボットに恋をする。 ほとんど台詞らしい台詞もなく進行する序盤は、荒廃した地球の見せ方、ウォーリーの日常生活や彼の人(?)となりの説明が秀逸。雰囲気や行動だけであれほど無機質なキャラクターを愛らしく見せてくれるんだから、ピクサーのキャラクター造形の達者さには脱帽です。 ウォーリーというキャラクターと、イヴへの純情な恋心は良い感じなんだけども、ストーリー展開的には宇宙に出てからが今ひとつ深みを感じない。機械に頼り切った人間の描写は画一的だし、探査船を出しているくせに極秘の司令は"地球へ帰らせない"というのも若干矛盾を感じる。ウォーリーの冒険物語としては面白いけど、やや舞台背景が説得力に欠ける感じだったのが勿体ないね。あと個人的にはメモリーは復活しない方が話的には良かったかなー。この映画のエンディングはちょっと安易にハッピーすぎる気がする。誰も悪い奴はいない(オートも命令を守っているだけ)という点でも、やっぱり子供向け映画だからなんだろうか。 細かい疑問を置いておけば十分に楽しい映画ではあるけど、個人的には宇宙に飛び出したウォーリーの顔にスプートニク1号が引っかかっていたのが小ネタで面白かった。あとオートのようなロボットは、やっぱり赤いレンズを持ってるんだね。「2001年宇宙の旅」の影響力はすごい。 |
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(1987年制作) |
主人公である若き証券マン・バドは大富豪のゴードン・ゲッコーに接近し業界の成功者となっていくが…。米国の証券業界を舞台にしたオリバー・ストーン監督の業界ドラマ。 証券業界を描いているものの、ドラマの筋書きは王道なので証券に詳しくなくても分かりやすい。つまりは、出世を望んだ若者が大物に悪の道をそそのかされるも、最後には正義に目覚めて反撃する、というもの。なので正直展開は読めてしまうのだけど、マイケル・ダグラス演じる強欲のゴードン・ゲッコーというキャラクターがこの映画を魅力的にしている。まあ金儲けの事しか考えていない冷酷な悪人なのだけどね。儲けのためならインサイダー取引なぞ屁のようなもの。スパイを送り込み、策謀をめぐらせ会社を乗っ取り、売り飛ばす。投資家の権化のような男ですな。 対極として主人公の父親がいて、彼が地道を形にしたような人物。それをマーティン・シーンが演じているのだけど主人公チャーリー・シーンとの親子共演が感慨深い。人情としてはこのような男の生き方こそ正しいと感じる。しかしゲッコーの様に“欲望”という人間の本質があるのも事実なわけで、だからこそこの映画で描かれているのは人間の内面の争いそのもののような気もした。 父親が主人公に話す「おまえは財布の重さで人を判断するのか」という台詞が良いですね。 |
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(2010年制作) |
前作から23年後に制作された続編。ゴードン・ゲッコーの娘と交際している若き金融マンのムーアは、恩師を自殺へと追いやった金融業界の大物への復讐のため、数年前に刑務所から出所したゲッコーに近づアドバイスを得ていく。 金融業界を背景に親子関係などのドラマを描いていくという手法は前作とあまり変わらない。今作ではゲッコーの娘が登場し、それがゲッコーの人間的な部分も引き出していくけど、個人的にはそっちへのハッピーエンドは意外だった。持ち逃げしたなら、本気で居直ると思ったから…。でもゲッコー自身が言うとおり、刑務所での体験が人を変えさせたのかもしれない。それが23年という年月なんだろう。 そういう意味では金融界を取り巻く状況もずいぶんと変わったのか。取引で飛び交う金額自体が桁違いになっているし、ITの発達によって情報の速度が全然違う。現実の金融危機と絡めたストーリーもあって、その辺が興味深い部分もあったかな。ただ、もっと登場人物達がギラギラしていたと思う前作に比べると、作品として少しパワーが落ちているような気も。マイケル・ダグラスのゲッコーはさすがの貫禄だけど。(劇中では過去の人扱いですがw) ちなみに前作の主人公バドを演じたチャーリー・シーンがカメオ出演してますが、バドはすっかり金融街の男になっているようです。 |
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(2009年制作) |
かつてスーパーヒーローが活躍し、ベトナム戦争に勝ってニクソンが3期目の大統領を務める架空のアメリカを舞台に、あるヒーロー殺しと、その真相を追うヒーローの姿を描いた同名グラフィックノベルの実写化作品。 「300」のザック・シュナイダーの作品だけあって、その映像に対するこだわりは素晴らしい。まさに原作をそのまま実写化したと言わんばかりの雰囲気は、彼らのリスペクト精神がひしひしと感じられて気持ちいいね。また原作に対してだけでなく、「地獄の黙示録」や「博士の異常な愛情」という映画に向いている所もニヤリとするw ストーリーは原作がヒューゴー賞の受賞作と言うだけあって、かなり見応えのある深いモノだった。表面的なヒーロー映画ではなく、架空の世界での「核戦争一歩手前の冷戦構造」という歴史を描くことで、人間・国家の愚かしさ、正義の概念から平和の概念まで問うて来るというのには参った。アメリカをカリカチュアしたと思われるキャラクター“コメディアン”。神の視点では、もはや人間など関心の対象でもなくなってしまう“Dr.マンハッタン”。犠牲によって作られる平和でもそれが正義と信じる“オジマンディアス”。このあたりの比喩的な存在が良い。ダークヒーローではあったが“正義”であることにこだわり続けた“ロールシャッハ”の最期が哀しい。“ナイトオウル”と“シルク・スペクター”は“希望”の表現型だろうけども、作品全体としてみれば人間に対しての絶望が通奏低音の様に流れている気がする。そこがこの作品の見応えでもあり、重く感じてしまうところでもあるかな。 2008年の「ダークナイト」がヒーロー映画の皮を被った犯罪映画なら、「ウォッチメン」はヒーロー映画の皮を被った見事なSF映画だった。それにしても世界観が深い。深すぎて、何も知らずに見てしまうとついてくるだけでやっとの映画だろうね。そういう意味では観る人を選ぶ作品だとは思う。 |
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(2013年制作) |
ディズニー映画「メリー・ポピンズ」の制作の裏側で、映画化に乗り気でない原作者のP.L.トラヴァースと、映画化を実現させたいウォルト・ディズニーとのやり取りを描いたドラマ。 P.L.トラヴァースが実に気難しいw エマ・トンプソンの演技はお見事。嫌な人に見えそうな部分でも最後にはそうは思わせない人の背景が表情に感じられる。トム・ハンクスは正直ルックスがディズニーとはだいぶ違うのだけど、漂わせるオーラはさすがですな。この映画自体は「メリー・ポピンズ」の内容を知らないと、細かい部分でネタを理解するのが難しいかも。 トラヴァース夫人の幼少期の場面が頻繁に挿入されるので観ている方は多少忙しいけれど、制作の進行に伴って次第に掘り起こされていく過去から「メリー・ポピンズ」が如何なる話なのか分かってくる仕掛け。まあ原題の"SAVING MR.BANKS"から「メリー・ポピンズ」の登場人物であるバンクス氏に誰が投影されているのかはすぐに分かるのだけれど。実話が元のフィクションとはいえ、原作に込めた想いを頑なに守ろうとする理由がドラマの土台になって、良い話になっているよね。 終盤、映画を観て泣くトラヴァース夫人に「バンクス氏は大丈夫だ、安心して」と語りかけるディズニーに、夫人が「アニメが見るに堪えなくて」と可愛らしい悪態をつくところが良かったw 二人の関係が凝縮されているなあ。 |
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野菜畑で大ピンチ! (2005年制作) |
有名クレイアニメシリーズの「ウォレスとグルミット」の初長編作品。野菜コンテストを直前にした町で野菜を荒らす兎たち。その兎を駆除すべく活躍するウォレスとグルミットだったが…。 個人的には初めて観たアードマン社制作のアニメだったけど、これは素晴らしい。全編に遊び心満載で、過去作へのパロディ・オマージュも面白く、娯楽映画ってこうなんだと思い出させてくれる作品でした。 原題のサブタイトルは“IN THE CURSE OF THE WERE-RABBIT”でハマーフィルム「吸血狼男」のパロディ。出撃シーンは「サンダーバード」だし、やっぱりその辺のチョイスもイギリス映画なんだよねw それにしてもクレイアニメとは思えないほどによく動く。人形の感情表現も良くできてるし、アクションシーンも、というか被写体とカメラが同時にバリバリ動くって…。一部VFXも使っているんだろうけど、それでもクレイアニメ表現の中では一つの頂点でしょう。しかもそれを90分作品でやってのけるというのだから脱帽と言うしかない。 その技術の上に分かりやすいキャラと的確なネタで作り上げた話があるからこそ、きっとこの作品を魅力的に感じるんだろうね。 |
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ベーカリー街の悪夢 (2008年制作) |
有名クレイアニメシリーズの短編作品。パン屋となったいつものコンビ。ある日、ウォレスはテレビのCM女優だったパイエラと出会い恋に落ちるが、世間ではパン屋を狙った連続殺人事件が発生していた。 30分の短編なので、登場人物も出来事も必要最小限。犯人へのミスリードとかそんな要素は無いわけだが、この作品にはそんなモノは求めちゃいない。テンポの良いドタバタ劇や映画パロディを散りばめた英国コメディ的雰囲気と、それを表現する精巧なクレイアニメのすばらしさ。やはりそのセンスの良さは見ていても安心感があるし、楽しい。短編なのが勿体ない感じもするけど、英国ではテレビ放送用だったのだからそれは仕方がないか。 それにしても一見すると子供向けのクレイアニメながら、犯人がワニに食われておしまいとか、案外ブラックな部分もあって…これはこれで良いw パロディにしても「サイコ」や「エイリアン2」などの面白さが分かるのは大人だろう。サブタイトル(原題)の"A MATTER OF LOAF AND DEATH"が1946年の英国映画「天国の階段(A MATTER OF LIFE AND DEATH )」のもじりだってとこからも、映画好きな大人の遊び心が垣間見えます。 |
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1000年続く暗殺者集団“フラタニティ”に突如スカウトされた青年の運命を描いた、同名アメコミを原作にした実写映画化作品。 オープニングと序盤のカーチェイスこそ「おぉ!」と思う場面もあるけど、それを超えるアクションシーンが後半にあったかというと微妙。その上、中盤は修行シーンの繰り返しで少々ダレるので、もうちょっと展開のペース配分が良ければなあ…なんて考えながら観てしまった。逆に、うだつの上がらない若者だった主人公が、一度のスカウトで暗殺者になろうと決心するという心理展開はスピーディー過ぎて置いていかれる。もうちょっと葛藤はないのかw 弾を曲げることがこの暗殺者達の特殊能力のように描かれるけど、どうもそれだけではない様子。かといってその能力を思う存分生かしたシーンが、ラストの一周ヘッドショットくらいでは勿体ないかなあ。 ストーリー展開は多少ひねってはいるけど、よくある話なので個人的にはそんなに驚く内容ではなかった。というか、簡単に組織を壊滅されすぎじゃないか?w |
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(1945年制作) |
売れない小説家でアルコール依存症の主人公・ドン。どうしても酒の誘惑から逃れられない彼は、ある週末、ついに依存症患者としての階段を転げ落ちる。 アル中のどうしようも無さが描かれているので、暗い映画になりそうなものだけど、画面から受ける印象は案外カラッとした感じがする。そのあたりは名匠ビリー・ワイルダーの見せ方が上手いということなのだろうか。酒を得るために次第にたがが緩んで盗みや脅しを行い、果ては絶望して自殺を思い立つなんて、全くもって重い話なんだけどなあ。 ただ、それでも献身的に彼を想い続けるヒロイン・ヘレンの存在がこの映画の救いだよね。ラストには立ち直りの希望が提示され、同時に主人公の口からその週末の出来事を小説とした冒頭文が朗読される。それが映画の冒頭に繋がっていて、作品としての循環、ひいては作中で示される“コップの置き跡の円”とリンクしていてハッとしてしまう。このあたりは脚本の妙か。 ただあれだけダメダメな依存症状が出ていた主人公が立ち直るには、ラストはちょっと単純化させ過ぎた気がしなくもない。作品としては良いと思うけどね。 |
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(1978年制作) |
長きにわたって機械生命体「サイロン」との戦争を繰り広げていた植民惑星の人類たちは、和解交渉を口実にした敵の罠に落ち、壊滅的な状況になってしまう。生き残った宇宙空母ギャラクティカは生き残った人類を率いて「地球」へと向かうが…。 端的に言えば1977年の「スター・ウォーズ」の大ヒットにあやかって作られた亜流作品。どちらかというと「宇宙大作戦」と「スター・ウォーズ」の間の様な雰囲気だが、TVドラマ用に作られたとはいえ、物語の完成度はお世辞にも高いわけではないので今観ると色々とキツい。セットのチープさは仕方がないにしても、人類存亡の危機の周りで主人公2人の恋路やあまりパッとしない作戦によって話が発散気味な気もする。特に話の上での子供の使い方は安っぽい。 SFXについてはILMから引き抜いたスタッフの影響が大きいのか、場面場面ではよく出来ていると思う。(デザインやウェザリングがX-ウイングのそれっぽいところはご愛敬だけどねw) その一方でサイロン兵士のデザインがピカピカのチープなダース・ベイダーっぽかったりして、亜流であることを隠そうともしない感じが逆にすごい。「宇宙大作戦」の様なビジョンもなく、「スター・ウォーズ」の様な他の映画へのオマージュもなく、ただ柳の下の泥鰌を狙うとこんな風になるということか…。そういう意味では分かりやすいし、「スター・ウォーズ」後にどういう亜流作品が生まれていったのかを知るには良い作品かな。 |
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(2010年制作) |
憧れのUFOスポットを巡っていたオタクな英国人の二人組。彼らはそこで本物の宇宙人・ポールと遭遇する。 「ショーン・オブ・ザ・デッド」と「ホット・ファズ」主演のペッグ&フロストの最新作と言えばノリも伝わるだろうか。今回は宇宙人系SF映画のオマージュコメディ映画、「SW」「ST」「E.T.」「未知との遭遇」がてんこ盛り。シガニー・ウィーバーはほぼ出オチだけど、使いどころは秀逸。そりゃあエイリアン退治に執念燃やすでしょうよw コメディとはいえ、きちんと「E.T.」として成立させている部分はさすがだが、"エイリアン"という意味に"外国人"という意味も絡め、米国の田舎を英国人(外国人)がRVで旅をするというロードムービーにもなっている。そこで出会うのが誰よりもアメリカ人っぽいエイリアンというのが逆説的で面白いね。タチの悪いオッサンに絡まれたり、果ては連邦捜査官やキリスト教原理主義者に追われたり、嗚呼それもまたアメリカ!(原理主義者の扱いなどは、マイルドなサウスパークといった印象も?) ペッグ&フロストは良いコンビ。今回のフロストはあまりうっとうしい役でなかったのは良い(?w) 宇宙人のポールを演じるのはセス・ローゲンだが、100%CGキャラのこの宇宙人を、良い意味で下品だが愛嬌のある米国人のオッサンとして仕立て上げたと思う。良い奴だもの、ポール。それにしても途中で出てきたスピルバーグの声は、まさか本物がカメオ出演していたとは。さすがスピルバーグ、シャレが分かる男ですなあ。(ポールがスピルバーグと会話している倉庫はまんま「失われた聖櫃」。) |
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(1953年制作) |
地球侵略の為に襲来した火星人と、人類の戦いを描くSF。 言わずと知れた名作。原作の力ではあると思うけど、50年前の作品としては実によく出来ていると思う。圧倒的な火星人の科学力の前に為す術のない地球の軍隊。ただ、ただ逃げて祈ることしかできない人類。そして科学者の希望が暴徒と化した群衆によって打ち砕かれる様は、一つの終末観としても非常に興味深い。 SF映画としての雛形がこの作品にあるのは後のSF映画を観ればよく分かるけど、個人的には何か物足りない気もする。なんだろう、問答無用の円盤は怖いし、人類の無力感も伝わってくる。でもどこか物足りない。主人公がヒロインにこだわっているからか?w ヒロインがややヒステリックにわめき過ぎだからか?何だろうなあ。 でも確かに、SF映画を語る上でこの映画は観ておいて損はないと思う。 |
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(2005年制作) |
H.G.ウェルズ作、同名小説2度目の映画化作品。 あの有名な原作があって、そしてSF映画史に残る'53年版の劇場作品がある。そしてスピルバーグ作品であることを踏まえた上で俺はこの'05年版を観たので、そのアレンジ具合やVFXの迫力にとても興奮して観られた。主人公が科学者ではなく一般市民なのもスピルバーグ監督らしいといえばそうだ。かの監督は個人の目線でものを撮るのが好きだからね。だからこんな地球規模の対異星人戦争になっても、その大局の中で個人がどう行動するかの目線でしかない。普通の人は逃げるよなw 序盤、主人公は家庭に問題があるように描かれる。確かに子供達のことが分かってないし、ひどく自分勝手に見えるところもある。でも本当に子供達のことを想っていることは分かる。子供達には拳銃をけして見せないようにするし、安易に力で解決することを好んではいない。軍に参加しようとする息子と他の夫婦に連れ去られそうになる娘の間で葛藤する彼の姿は痛々しかった。ただ、スペクタクルを期待していると、この家族ドラマ具合はきついのかも知れないが。 トライポッドは圧巻。当たり前だが'53年版とは比べ物にならないくらい生々しく恐ろしい。スケール感は抜群だし、人を消し去るあのビームの恐ろしいこと…。主人公は運が良すぎる気もするが、まあそれはお話なのでw リメイク作品だということを考えれば、俺は良くできてる映画だと思うね。 しかしスピルバーグは昔自分が使った演出を使い回すよなあ。サイドミラー越しに破壊シーンを撮るのなんて「激突!」や「ジュラシック・パーク」でもやっていたし。でも同じ車の演出でも、疾走する車に併走して、横から前から上空からワンカットで流れるように会話を撮っているシーンは、さり気ないけどすごい事やってるなと感心した。地味でもそういうVFXの使い方はダイナミックで面白い。 |
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(2018年制作) |
2011年7月22日、ノルウェーのウトヤ島で発生した銃乱射テロ事件を72分間ワンカットで描く。 事件を登場人物の目線で追体験させる。そういう目論見の映画として、ワンカットで回し切っている点については見応えはあった。状況を把握しきれないまま逃げ回るわけだが、カメラに映る範囲も断片的で、その状況に陥った人物が得た情報以上のものが入ってこない。そういう意味では突然理不尽なテロに巻き込まれる恐怖というものは十二分に伝わってくる。特にライフルの発射音の圧力は、恐怖を感じさせるには十分。 演出的には「サウルの息子」に近い主人公密着型の第三者視点なのだけど、そういう演出だと事件の震源を映すための理由付けを主人公にしなければならなくなる。(POVでもそうだよね。) 本作の場合は“妹を探す”というのが一つのキーワードとなっているが、まあ理由付けとしてはそれなりに効果はあるものの、やはりその行動自体には多少設定クサさを感じてしまう部分もあるかな。逃げるのか逃げないのか、隠れている最中の会話にもリアリティがあるのかないのか。やはり映画っぽい段取りを感じるところはあるし、多少の展開の粗さを感じる部分もあった。 監督自身が「ドキュメンタリーではない」と言っているが、この映画は実際にあった事件を基に極限状況の空気を感じさせることでテロリズムを批判している作品なのだろうと思う。確かに観ている間は登場人物とともにテロリズムの恐怖に怯えてしまう。そういう意味では良く出来ている。だけど、実はその心理的恐怖こそがそもそもテロリズムの目的のひとつじゃないかという事を考えた時に、この映画のようなテロ行為が“とても効果的である”という逆説的な宣伝になってしまっていないかという疑問が生まれた。もしこれがハリウッド映画ならラストでテロリストは報いを受けるだろうが、ノルウェーではそうもいかないのか。事実、実際の犯人はこれだけの事をしても禁錮21年なのだ。(ノルウェーには死刑・無期刑がない。) |
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四肢麻痺となった主人公が尊厳死を求めて闘う実話を元にしたヒューマンドラマ。 この手の映画は鑑賞後に何とも複雑な余韻が残ります。 主人公ラモンは四肢麻痺であっても家族や友人からの愛に満ちた生活を送っている。でも彼にとって25歳で四肢麻痺となってからの30年近くの人生は、尊厳のない苦痛に満ちた人生だったんだろう。五体満足で生きている俺にとっては、彼の苦悩をどれだけ理解出来ているのかも分からない。 個人的には自殺というのは最終的な現実逃避の手段、“逃げ”だと思っている。でも彼は死に逃げているというよりは、尊厳を求めて闘っていた。尊厳のある“生”や“死”とは何なのか、すごい問を投げかけられた気分…。 こんな重いテーマであっても、主人公の人柄によってけして暗い話になっていない。人が死んでいく話なのに、むしろ救われる気さえするし、彼がフリアやロセといった女性に愛された理由も分かる気がする。 |
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反抗期の息子の心情、虚無感がよく分かるし、そして余命数ヶ月と宣告された父親の気持ちもよく分かる。息子に形ある物を残したいというものが、主人公の場合“家”だったわけだ。そしてふれあいの象徴で“ハグ”が繰り返し出てくる。いかにも欧米的だけど、愛情の表現として分かりやすい。主題はとても感動的で共感できるし、挿入されるユーモアもいい感じだけど、“黒塗りの車”の持ち主があれじゃあ・・・。余りにも出来すぎだと、いや、些細な事ですが。音楽も良いしラストにもさわやかさのある良い映画でした。 | ||
(2011年制作) |
ジョン・ル・カレのスパイ小説「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」をゲイリー・オールドマン主演で描いたスパイ・サスペンス。英国諜報部内に"もぐら"(二重スパイ)がいる。その"もぐら"を暴くため、引退したスマイリーは政府の次官から極秘指令を受ける。 スパイ映画だが、アクションシーンは皆無の骨太で硬派なサスペンス。かと言ってエンターテイメント性がないかというと、英国の名優たちの競演や次第に明らかになっていく事態そのものが、魅せる映画としての質の高さを保っていて引き込まれるね。基本的に静かで、画面から状況を読むという部分で観る側に多くのパワーがいるような気がするけれど、そういった観劇の醍醐味を味わわせてくれる作品でもある。 ストーリー進行と回想シーンが割と入り乱れるけど、見せ方が整理されているのでわかりやすい。ただ謎解きを含んだ構造であるから、あれがこれで…と関連性を考えながら見ていると落ち着かないかなw しかし最後まで地味で静かなのに、そこに流れる緊張感がずーっと感じられるのは…演出力の確かさか。 70年代を舞台にした諜報戦という…スパイ映画と言えばやはり冷戦時代だよね。007のような荒唐無稽さもなく、極めてリアルな諜報員たちの生きる権謀術数の世界観は、この話にしてやはり恐ろしいが魅力的。渋い。 |
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足を骨折し動けなくなったカメラマンが、退屈しのぎに裏窓から隣人達の家を眺めているうち、ある事件を目撃する。 ヒッチコックの代表作。結構サスペンスな展開の話なんだけど、どこか深刻になりすぎないという点で結構気楽に観られる。看護婦のオバさんも良い味出してるしw 全編通してカメラは部屋から出られない主人公の目線を追っているわけで、部屋の中以外はほぼ定点カメラという“のぞき見”感も面白い。閉塞した舞台でこれだけ盛り上がれる演出もさすがヒッチコックという感じ。終盤、主人公が相手に見つかった上、うっかり相手からの電話に出て要らんことを口走ったところからの緊迫感は凄い。「こういう風に持って行くのかあ…」と感心したわ。それでいてラストにまたニヤリとするオチがある監督のユーモアも好きw ところで、俺は大抵どんな女優さんを観ても何とも思わないんやけど、この映画のグレイス・ケリーは素直に綺麗やと思ったね。 |
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:X-MEN ZERO (2009年制作) |
実写版「X-MEN」シリーズからウルヴァリンを主人公にしたスピンオフ作品。 彼の出生からアダマンチウムを埋め込み手術、そして記憶を無くすところまでが描かれ、過去シリーズで謎のまま放置された部分がようやく描かれた。…が設定の連続性で言うと、セイバートゥース(もしかして「1」とは別人?)の扱いや記憶喪失のくだりが少々強引な印象もあったのが勿体ないかな。マイノリティーの苦悩といった「X-MEN」的なテーマはなりを潜めているので、ありがちなアメコミアクションになってしまった気もする。 とはいえ、全体的に観ればちょっと間延び感もあったけど、割と丁寧にウルヴァリンの過去を追っていたので、素直に楽しめたのは事実ですわ。全裸の疾走など笑えるシーン(?)もありw 今作はウルヴァリンという人間に絞った話になっているので、他の有名キャラの出番はほぼ顔見せに近い。ついに登場したガンビットは、個人的にはもうちょっと棒術でのアクションとかを観たかったかなあ。まあサイクロップスやプロフェサーXを矛盾無く登場させてくれたのはサービスとして良し。そしてオープニングは凄くカッコイイです! |
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:SAMURAI (2013年制作) |
ウルヴァリンを主人公にしたスピンオフ作品の第2弾。過去に救った日本人に会うため日本にやってきたウリヴァリンだったが、ある陰謀に巻き込まれ、治癒能力を失ってしまう。 時系列的には「ファイナル ディシジョン」の続編で、山の中に隠れ住み、手に掛けたジーンのことを引きずっていたりと弱みが随分と出ている。全編ほぼ日本が舞台だけど、まあいわゆるハリウッドの変な日本観が垣間見えるのは愛嬌だと思って受け流してますw アメコミ映画だしね。とはいえヒーロー映画としては、肉体面で治癒能力を奪われてヤクザ相手に互角の勝負をしたりと、なんだか爽快さが減っているよなあというのが正直な感想。新幹線の上での戦いは、ヤクザがタフすぎる気もするが…あれは架線はどうなってる?w 個人的には、黒幕が誰かという展開はあんまり効果的ではなかったと思うんだよね。結果的には明確な敵キャラが終盤まで見えなかったことで敵の魅力が減じてしまったし、切迫感も安っぽくなってしまったと思う。やっぱりアメコミヒーロー対決は魅力あるキャラのバトルが観たいわけで。 そういう意味で、エンディング場面に登場したまさかのマグニートーとプロフェッサーXにはえらく興奮してしまったw 本編よりこのワンシーンの方がよっぽど魅力あるし、この続きを早く観たいよ! |
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(2013年制作) |
実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの回想録を基に、彼が成り上がり転落していく様を描いた伝記映画。 伝記と書くと高尚な感じがするけど、巧みな売り込みで荒稼ぎをし、金とセックスとドラッグに溺れ、どんちゃん騒ぎを起こす様子は人としてはダメですわな…、人生がコメディ。でもそののし上がっていくバイタリティと、あくまでも快楽に真っ直ぐな生き方というのは、観ている分には憧れる部分がないわけではない。まあ劇中の大半がラリってるのでそこはどうしようもないが、それでも巧みな話術…マイクスピーチの上手さは魅力的だな。 ストーリーは絵に描いたようなピカレスクものって感じ。スコセッシ監督はそれをカメラへの語り代えやモノローグ、内心の会話、当時のVTRの再現といった手法で的確に演出していく。70歳を超えてなおこういう生き生きした演出を見せられるパワーは素直に凄いわ。主演のディカプリオも演技がキレまくっていて良かったなあ。3時間近くもある作品なので最初は長さにたじろぎもしたけど、ベルフォートの半生の一部を描くには必要な長さだったと鑑賞後は思ったね。それくらい中身は充実していた。「ペンの売り方」の使い方はやっぱりうまいと思う。 |
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(2010年制作) |
1941年に公開された「狼男」をオリジナルとして、舞台を1941年から1891年に変更したリメイク作品。 ゴシックホラーな雰囲気としては、舞台をヴィクトリア朝時代のイギリスにしたことが良い効果を出していると思う。ただ、個人的にはあまりにも急なフレームインとこけおどしの“バンッ”という音に頼ってしまった演出がいまいち気に入らない。まあ、向こうのホラー映画らしいと言えばそうかもしれないけど、ちょっと見え透いているので慣れてしまう部分もある。 主人公のベニチオ・デル・トロは元々濃い顔が変身してさらに濃い顔にw 変身後のメイキャップはリック・ベイカー御大の作品ですが、さすがオリジナルの造形を上手くくみ取ってますね。しかし本作では骨格がバキバキ変形する過程がしっかり描写されているのが良い。これはCGという現代技術の賜ですなあ。 さて、ゴシック的な雰囲気で頑張った本作も、クライマックスでは因縁のあるもう1体の狼男との対決シーンが。こういう展開は…アメコミっぽいですが、どうなんだろう。どっちかというとアンソニー・ホプキンスそのままで十分強そうだったのが気になるけど、やはりそれが"Sir"の風格というものなんだろうか。 |
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(2003年制作) |
1985年、アンデス山脈にあるシウラ・グランデ峰の西壁ルートからの登頂を目指したジョー・シンプソンとサイモン・イェーツ。彼らが下山途中に遭遇した実際の事故を描いた再現ドラマ。 本人たちがインタビューで当時のことを語り、そしてその再現映像が映し出されるという構成を取っている。遭難事故の話であるので、本人たちが冒頭から出ている時点で「ああ、これは助かる話か」と少し緊張感がそがれてしまうのだけれど、彼らがその絶望的な状況で何を考えたのかについては興味深い。自分だったら雪山に挑んであのような状況に陥った時に、切るにしても助けるにしても決断できるだろうか。そして最後まで下りようとするだろうか。でもそこが生きるか死ぬかの分かれ道なのか。 ロケーションは見事で、実際の山で撮影した再現映像は臨場感たっぷりですね。というかこの撮影だけでもずいぶん大変だったろうと思う。それも含めてドキュメンタリーとしては雪山の過酷さや、ギリギリの状態に陥った人間の精神を描いた秀作だと思うのだけれど、やはり構成としては結末が分かった上で展開するだけに、ドラマチックかというと少し弱い気がする。 |
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(2007年制作) |
アイガー北壁に挑むジョー・シンプソン。彼はかつてこの北壁で遭難したトニー・クルツと、自身が経験したシウラ・グランデ峰での事故とと重ね、回想する。 トニー・クルツに憧れを抱いていたというジョーの想いは、結局「そこに山があるからだ」ということに聞こえるけど、登山家という人種であれば共感する部分も多いんだろうか。今作では1936年に遭難したトニー・クルツの北壁登攀を再現ドラマで描き、実際にその場所をジョーが訪れて解説するスタイルも取っている。宙吊りになったトニーの最期は、ジョーにとってはアルプスでの体験と重なって余計に感じる部分もあるだろう。ただ、それは分かるのだけど、ことさらにその「今の俺には心境は分かるんだ」と言われても、その個人的な想いの吐露はトニーの話にかこつけて自分の話をもう一度言ってるようにしか見えず、どうも二番煎じ臭がして仕方がない。 実際の登攀や再現ドラマのクォリティは低くはないけれど、相変わらず淡々とした演出に見えるが…。ドキュメンタリーだから仕方がないか。まあトニーの最後については、どう描いてもいたたまれない気持ちにはなってしまうのだけれどね。 |
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(2010年制作) |
米国のアニメ「アバター 伝説の少年アン」をM・ナイト・シャマランが実写化したファンタジー作品。 東洋趣味の世界観のくせに、なんで五行じゃなくて四元素なんだよ!というツッコミはともかく、伝説のベンダーの少年が各地を旅して火の国の侵略から民衆を救い、旅先で新しい力を手に入れ…と、子供向け冒険ファンタジーとしてはベタなプロットの作品ですね。そういう話をシャマランが監督するということに意外性があって、この作品を観たのだけど、これがまた何とも平凡な感じ。これならシャマランじゃなくても誰が監督したって同じじゃない?というくらい作家性が感じられない。彼のキャリアにとってこれは良いの? 戦闘スタイル自体は東洋武術の動きが取り入れられているけど、そのアクション性を魅せる様なシーンは少なめで今ひとつ。序盤に派手なアクションを入れて引き込めば良かったのに、世界観説明を台詞に頼って行ってしまうという何とも眠い展開で…子供向け作品なのに何だかなあ。VFXを多用した“要素”によるアクションは、日本人なら「鋼の錬金術師」を思い浮かべる様な演出も多々。終盤にあるスローを多用した横移動アクションのシーンは「300」ぽい。場面によってはアクションシーンの長回しに挑戦したりしていたのは印象に残ったけど、どうもこの手の作品にはシャマラン監督は向いていない気がして仕方がない。 |
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個人的にはあの映画を締めてるのは熊のテディ君だと思う。あの容姿からは想像できない渋い声!それでいて的確な言動、行動、「壊れるぞ」にはシビれました。あれでファンシーボイスだったら、面白くなかっただろうな。話はまとまってたし、いい話だけど、少し暗い話なのが残念。最後に出てきたロボットは、あのシルエットを見た時「あっ!ミッション・トゥ・マーズ!」と思ったけど、よかったよかった宇宙人じゃなくて。 | ||
(2011年制作) |
事故で両親を亡くし、自らも臨死体験をした少年。彼は死に憑りつかれたように他人の告別式めぐりをする。ある日少年はその告別式で余命3か月という少女と出会う。 難病の彼女との交流を通じて少年の心が少しずつ変わっていく、とだけ示すとベタな難病モノそのものだけど、この作品ではアクセントとして少年だけに見える幽霊の存在がある。日本の特攻隊員の幽霊であるヒロシとのやり取りは、ほんとの幽霊のようにも見えるし、少年が空想した少年自身の心の声であるようにも見えるんだけど、心の表現としてこういうアプローチもあるのかと感心した次第。 告別式めぐりとか、安置室に潜り込むとか、主人公の行いは行為としては認めにくいものだけど、心に抱えたものの歪みのようなものは的確に伝わってくるね。そういう説明的な空気感を静かにサラッとやってしまう演出の軽さは気持ちよかった。90分という上映時間の中でムダなカットのない編集も上手いし。良い小品だと思います。 少年役はデニス・ホッパーの息子ヘンリー・ホッパー。少女役はミア・ワシコウスカ。そして幽霊役は加瀬亮。若手俳優たちの演技もいいですね。 |
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(1971年制作) |
1970年のル・マン24時間レースを舞台に、過酷なレーサーの生きざまを描いた作品。 レースシーンは圧巻。実際のレースと映画用の走行シーンを巧みに編集して繋いでいる形だけど、当時のレース開催日の空気がひしひしと伝わってくる冒頭から、スタート時の緊張、雨中、夜間のレース、そして劇的な終盤まで、24時間のドラマが凝縮されてると思う。レースシーンは今見ても迫力があってカッコイイし、やはり作り物ではないリアルさというか、描かれている本物な感じが良いね。 マニアックなことを言えば、シケイン導入(1990年)前のユノディエールのストレートだったり、1973年撤退のフェラーリがライバル車だったりと資料的に興味深い。(フェラーリからの協力は得られなかったため個人所有のを借りたようだけれど。) が、映画として観ると人物たちのドラマの描き方があまりに淡泊で、良く言えば渋いのだけど、悪く言えば盛り上げ方がレースに偏ってる。レース好きならドライバーたちの心情に感じる部分はあるし、人物たちの背景に何があるか感じ取れる余白はあると思うけど、普通に見る分には…ちょっと思い切ってるよなあw なので、ドラマというよりは、レースの行われたある一日の出来事といった趣かな。当時のカーレースの雰囲気や、ドライバーたちの生き様を記録した作品としての重要性は十分にあると思う。主演のスティーブ・マックイーンはさすがに渋いね。 |
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(2010年制作) |
20世紀前半。英国王ジョージ5世の次男であるヨーク公(後のジョージ6世)は、国民の前で演説する機会も増えた折、自身の吃音症のために辿々しい演説しか出来ないことを悩んでいた。妻のエリザベスは人伝に聞いたオーストラリア人の言語聴覚士の事務所を訪ねるが…。 コンセプトから「わが教え子、ヒトラー」('07)が思い浮かぶけれど、こちらは史実を基にしたドラマ。ジョージ6世の半生の話であると同時に、治療にあたったライオネル・ローグとの友情や、英国のその時代をドラマとしての描くことに成功している。威厳がありつつも繊細な様子が伝わるジョージ6世役のコリン・ファースの演技、そしてそれを劇中の役としても演技の面でも引き立てるローグ役のジェフリー・ラッシュの見事な助演が良いですね。ウィットに富んだジョークの数々も楽しい。 ロイヤルファミリーのことを描いているので、基本的には市井の人々が目にしない世界。でもここで描かれるのはジョージ6世という個人が自身の苦難に立ち向かうという話で、見ている側としてはまずここで個人に対して共感する。そして終盤には国王として公に対する責任を全うするために努力する姿を見て次第に共感が敬意に変わっていく。この辺の展開が実に見事だった。ローグとの友情にしてもそう。最初こそ衝突もあった間柄が、出来事がじっくりと積み重ねて描かれ、終盤では言葉が多くなくても見て取れる彼らの信頼感のそれが、もう感動的と言ったらない。 |
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白人ラッパー、エミネムの半生を元にしたドラマ。本人が主演してますが映画用の創作は多いんだろうね。個人的にはラッパー版の「ロッキー」といった印象を抱きました。しかしラップというのは“韻”を踏む巧さが分からないと話にならないと思うんだけど、そういう意味では俺は3分の1も分かっちゃいませんわ。ラップバトルで字幕を追っても、その時は英語の韻まで気が回らないからねえ…。嗚呼、俺の英語力が恨めしい…。俺にとってデトロイト・ダウンタウンの若者達の生き様は全く縁遠い世界だけど、不思議とどこかしら共感出来るところがある。なんかそう、パワーをもらえた気がする。 | ||
軍人の誇りと、戦友同士の友情。好きな話です。裁判物も嫌いじゃないんです・・・が、何か入り込めませんでした。現在とベトナム時代のトミー・リー・ジョーンズの、顔が変わらない時点で壁ができちゃって・・・。ダメだなぁ、そういうところを突っ込んじゃいけないのに。ガイ・ピアーズは格好いいな。 | ||
(1979年制作) |
宇宙貨物船ノストロモ号は、航海の途中で謎の信号をキャッチし調査に向かうが、そこで卵から孵った異生物に襲われる。後にシリーズ化されたSFホラー映画の第1作。 工場の様な暗い船内、全身が見えないことで不気味さの増す宇宙生物、白い血にまみれたアンドロイド、どれもが強烈に印象に残るシーンばかり。エイリアン自体はH.R.ギーガーの見事なデザインによるものだけど、やはりそれを生かしたリドリー・スコットの映像センスがこの映画を後世に残るものにしているよね。静けさの中で積み重なっていく緊張感。光と影による見せ方などはまさに真骨頂ですな。 密室で異形の者に殺戮されていく状況から、ホラーとして分類される映画だけど、そもそもSF作品としてよく出来ているからどんどん話に引き込まれていく。エイリアンの襲撃以前に、アンドロイドの含んだ表情や本社の思惑などの部分でSFスリラーとしてもちゃんと成立しているよなあ。そして使い込まれた工場のような宇宙船の舞台デザインがその世界観を地に足ついた印象にしているのが大きい。だからこの映画はいつまでも普遍的な感覚を刺激して、観客の心を掴むのだと思います。 |
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ディレクターズ・カット (2003年制作) |
1作目の公開から25周年を控えた年に公開されたディレクターズ・カット版。 いくつかの場面が追加されつつも上映時間が1分短くなっているのだけど、やはり一番目につくのは、自爆シークエンスに入ったあたりでリプリーが目撃する船長が繭にされているシーン。確かに絶望感というインパクトがある。まあオリジナル版に比べると自爆直前のテンポという面では、正直寄り道に見えなくもないのだけど、個人的にはこれはこれであり。ただやはりこの場面でこういう事があったというのは、知識だけにしておいても良いかもしれないかな。 それにしても追加シーンと同じくらい削除シーンもあるはずなんだけど、通して観ると全然気にならないよなあ。そういう意味ではやはりリドリー・スコットの編集へのこだわりが感じられる作品ではあります。 |
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(1986年制作) |
ジェームズ・キャメロンがメガホンを取り、前作とうって変わってのSFアクション映画となったシリーズ第2作。 今作では序盤に重武装の海兵隊がエイリアンの居る惑星に乗り込んで行くのだけど、この時点で前作では乏しい対抗手段しかなかった人間側が兵器を得たことでの攻勢を期待する。が、無尽蔵に湧いて出るエイリアン達に次第に追いつめられ…というところに相手に対する恐怖が生まれてくるわけだ。やっぱり話の持っていき方が上手いと思う。その上でリプリーとニュートの疑似親子の関係が終盤のクィーンとの対決へのきっかけを作ったりと、ニクいぐらいに仕掛けが生きている。つまり最後は母対母の戦いなのだ。ただしこの辺は劇場公開版よりもビデオ発売された完全版の方がプロットが上手いので、比べると公開版に関しては少し描写不足な点もあるけどね。 それにしても前作の正統派なSFホラーから、思い切ってアクションに変更した決断は見事だった。これで二番煎じという印象も与えずに、まるで別物の映画のように盛り上がったもの。まあエイリアンのデザインに関しては前作の方が好きだけど、それでもクィーンの禍々しいシルエットは秀逸。序盤にチラ見せして伏線のあったパワーローダーも、クライマックスでのまさかの登場で素晴らしい見せ場を作ってくれます。リプリーの"Get away from her, you bitch!"の台詞と共にSF映画史に残るシーンですよね! |
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(1992年制作) |
リプリーを乗せた脱出艇が囚人惑星に墜落。その閉鎖された惑星で三度エイリアンと人類の死闘が始まる。監督は本作がデビュー作となるデヴィッド・フィンチャー。 オープニングから結構ショック。2で生き残った仲間がリプリー以外全員死亡し、特に身を挺して救いに行ったニュートが死んでいるというのは、リプリーが気の毒で仕方ない。全体的にも人がバタバタ食い殺されていくので、モンスター映画としても結構陰惨な感じ。ただ、そういった雰囲気や暗めの色調など、デビュー作にして随所にフィンチャーらしい画作りがあり、彼のセンスの良さがよく出ていると思います。 撮影開始時に脚本の完成稿ができていなかったというエピソードもある本作だけど、それとは思えないテンポと纏まったストーリーだよね。ただ内容的には宗教色がすごく強い。信仰心厚く、最後は身を犠牲にしてエイリアンを足止めするディロンは格好いいのだけど、まあ少しテーマ的に狙いすぎかな、と?リプリーの最期も感動的ではあるけど、人類のために全てを背負って死にいく姿はキリストのそれだしね。 |
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無骨な宇宙船内や、暗いライティングが、かなりエイリアンっぽい雰囲気を出していていい感じ。泳ぐエイリアンも新鮮だった。ただせっかく死んだリプリーを生き返らせちゃって…。しかもエイリアンとの混血。無理があるよなぁ。とはいえマンネリになりがちなシリーズ物を、新たな次元に持っていくという点では成功です。でも船外に排出はワンパターン。もう一ひねり欲しかった気はする。あと、やたらエイリアンへの寄った構図が多かったのが気になった。1のコンピュータが「マザー」なのに対して4では「ファザー」に、変な所でつながってたりw 個人的に3で終わっていて欲しかったけど、これはこれで面白いとは思う。 | ||
コヴェナント (2017年制作) |
「プロメテウス」の続編。入植星を目指す宇宙船コヴェナントだったが、その途上で受信した謎の電波の発信源へと進路を変更する。 前作が“スペースジョッキーとは何者”についての提示だとすれば、本作は“エイリアンはどう生まれた”の答え合わせ。なにせ前作に登場した敵性生物のトリロバイトもディーコンも形状がエイリアンのそれとはだいぶ違ったからね。そういう意味では1作目の「エイリアン」に繋がりそうではあるけど、エンジニアの宇宙船とは明確には繋がらないので、あくまで“エイリアン”という種についてのケジメをつけたのだと思う。 ただそれはそれとしても、「エイリアン」と聞いて想像するSFホラーとはちょっと違う。「プロメテウス」から続く“創造主”についてのテーマが中心で、コヴェナントの乗組員を食い物にしようとするデヴィッドを中心としたスリラーに近いか。「エイリアン」シリーズとして“エイリアン”が出てくるのを観客は期待するが、もはやその生態は観る側にも周知の事実なので、それを使って怖がらせることは難しいということもあるのだろう。 まあ1作目の様な閉塞的な怖さはないが、美術的な雰囲気が近い部分もあったりセルフオマージュ的な部分もあるので楽しめたとは思う。登場人物の行動に相変わらずツッコミどころが多いし、デヴィッドの行動も少々回りくどいのはご愛敬だけど…w デヴィッドとウォルターの入れ替わりも、話の流れ上で見え見えなのはちょっと残念。ダニエルズが刺したデヴィッドの顎の傷が、伏線でもなんでもなかったのはちょっと肩透かし。 |
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ロムルス (2024年制作) |
シリーズ第1作のノストロモ号事件から20年後。主人公レインは"アンドロイド"のアンディと鉱山惑星で暮らしていた。ある日、仲間から誘われ廃棄された宇宙船にコールドスリープ装置を盗みに行くが…。 時系列的には「1」と「2」の間の出来事ですね。鑑賞前のイメージでは、本作は「1」に原点回帰したSFホラーなのかなと思っていたのだけど、実際に観てみると予想以上にシリーズの集大成的な作品になってました。「1」どころか「2」の雰囲気も取り込んでいるし、「プロメテウス」からもしっかりと繋がっていたのが驚き。観る側「エイリアン」に求めるイメージやお約束"をしっかり提供してくれているのは素晴らしい。ちょっとサービス精神過剰じゃない?とも思わなくはないけど、ほんとによくここまで詰め込んだなと感心しましたw 逆に言えば目新しさは感じにくかったかもしれないけど、監督たち作り手が作品の世界観をとても大事にしていることが伝わってくるのが良いです。 「エイリアン」シリーズと言えば主人公が女性というのはお約束。そういう意味では本作のレインも例にもれず極限状態で生き延びる力強さがしっかり出ていて良かった。あと、シリーズのお約束と言えばやっぱりアンドロイドの存在だよね。本作のアンディは最初は能力が劣っていそうだったけど、途中で様子が変わって、その二面性の表現は上手かった。"企業側の指令"が上書きされた時の敵か味方かわからない感じはグッドですよ。そしてもう一人のアンドロイド・ルークは、見た目が「1」でイアン・ホルムが演じたアッシュなので、ファンとしては思わずニヤリとしてしまいます。 エイリアンはその姿や生態が観る側にネタばれしているので、今や映像だけで恐怖感を出すのは簡単じゃないかもだけど、それでもフェイスハガーやゼノモーフそのものの存在感や脅威は上手く描かれていたよね。ラストは対ゼノモーフではなく、人間から生まれたエンジニアとエイリアンと人間の合成獣の様な化け物との対決。決着のつけ方もお約束。だがそれがいい。 |
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二大モンスター夢の共演。俺は両シリーズとも好きなので、楽しめました。そう、あくまでファンのための作品であるわけで、シリーズを知らない人にはいきなり現れるクイーンは“?”かもしれないw それぞれの宇宙人がどんな生態や思考を持っているのかを知って観るのが前提ですね。映画の作りがまさにそんな感じだから、主人公達がプレデターに初めて遭遇しても「なんだアレは!」とも言わないのが面白い。エイリアンを「宇宙トカゲ」と言ったり、「あいつが宇宙から来たと何で知っている?」と軽くツッコミたくもなるw まあ、あくまでお祭り。エイリアンとプレデターが直接格闘する様は確かに格好良くて楽しかった。舞台の雰囲気も、遺跡の中ということもあって今までのどのシリーズとも違う感じが出てたし良い感じだった。難を言えば、映画のテンポのためか、多少フェイスハガーからチェストバスターになるまでの間隔が短くしてあったような。エイリアンの設定が微妙に都合良く変えられてる気はしたね。プレデターに関しては誇り高い戦士という感じがして、これは今までのシリーズ通りのイメージでした。 |
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エイリアンズVS.プレデター |
夢の共演、お祭り映画の第2弾。 前作ラストからの続きなので、プレデターから生まれたエイリアン、“プレデリアン”がどのように話に絡むのか楽しみにしていたけど…、あまりプレデターとのハイブリッドであることがストーリー上で生きてこないので残念。それに、根本的な部分で人間のストーリーとプレデター、プレデリアンの筋が平行線のままなのも勿体ない感じ。場面場面ではこれまでの本シリーズで見られたようなシーンのオマージュがあったので、シリーズのファンとしてはニヤリとするところはあったけどね。オープニングの縦の光からタイトルが出てくるシーンは、特に雰囲気が良いです。エイリアンとプレデターの取っ組み合い自体も面白い。 しかし、やはりエイリアンは閉鎖的な空間でないとあまり怖さが出ないなあ。かといってプレデターの設定は町とか森の方が生きてくる事を考えると、それぞれ設定を生かせる空間が微妙に違うのはやりにくい部分ではあるか。 ラストにどういうオチを付けるのかと思ったら、「バイオハザード2」の様な終わり方だった。しかもクリーチャー対決すらも(ほぼケリは付いていたとはいえ)それで吹き飛ばしちゃったんだから…カタルシス的にはもうちょっと。プレデターが迂闊すぎるのとエイリアンが絶対生物ぽくないのもちょっと残念。死ぬためだけのキャラクターがいるのは予想の範囲かな。 |
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'39年製作の映画史に燦然と輝く西部劇の金字塔。60年以上経った今でも間違いなく楽しめる活劇。インディアン(あえてそう呼びます)との馬上の銃撃戦は出色の出来ですな。あのダイナミックな馬の動きやアングルは、下手な今の映画よりもよっぽど凄い。特に、今ではよく使われる馬の前方固定から煽って撮る方法を、最初にやったのはこの映画と聞いてます。あの迫力はたまらないねw その後いろんな映画に影響を与えたのもうなずけます。しかしこの映画は、そういったアクションだけではなくて群像劇としても良くできている。9人の登場人物それぞれが個性的で、その関係も面白い。アル中の医者は本当に良いキャラですなあ。酔い覚ましにコーヒーをがぶ飲みするところは「ID4」や「BTTF3」を思い出す。きっと「駅馬車」へのオマージュだったんでしょう。貴婦人と商売女の対比も面白いけど、最後にはキャラの成長も見られて良い感じ。御者の道化ぶりも話の緩急上、上手いと思う。笑えるしw インディアンの描き方は“差別的だ”と言う人もいるけれど、その時の時代背景を考えればこの様な描き方も仕方がないかも。それを分かった上で西部劇は観ないといけませんね。 | ||
(2010年制作) |
ジェイソン・ステイサムやジェット・リーの他、往年のアクション俳優達が一同に会して使い捨て傭兵軍団の戦いを描いた、シルヴェスター・スタローン監督・主演のアクション映画。 ストーリーはすごく単純。麻薬絡みの組織とCIAの暗躍があって、その土地に下見に行った時に知り合った女が捕まったので助けに行く。それだけ。良い意味で開き直った一直線の映画だけど、敵をぶっつぶしに行く派手さを描いた往年の作品群を彷彿とさせる展開は、痛快さと共に懐かしさも感じさせるね。 拳銃の達人のスタローンと、ナイフの達人ステイサムがほぼダブル主演という形で活躍するけど、半分はステイサムに花を持たせたような話でもあった。その辺にアクション映画の代替わりを中で感じたりもしつつ…(頭髪ネタの後輩イジりも楽しいがw)。でもスタローンがこの映画に入れたのは、やはり“アクション映画”というジャンルへの愛だろう。特に80年代〜90年代にアクション俳優としてのライバル関係にあったシュワルツェネッガーとスタローンが、一瞬でも同じ画面にいるという事が最大のサービス精神だよね。まあほんとにオマケ程度だったけどw ともかく、話は型にハマった単純なものでしかないけど、ジャンルに対するスタローンの愛情だけはヒシヒシと伝わってくる作品でした。 |
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(2012年制作) |
往年のアクションヒーローが大集合したお祭り映画の第2段。ある作戦の途中で無残に殺された仲間の復讐を果たすべく、スタローン率いる傭兵部隊が敵組織を迎撃する。 ストーリーは至極単純。戦闘→ピンチ→援軍→勝利の繰り返しだけど、その単純さが昔のアクション映画の勢いだったようにも思えるし、このお祭り映画はそれでいいとも思う。前作でカメオ出演だったシュワルツェネッガーとブルース・ウィリスが、今作では3人並んで銃撃戦に参加する流れも燃えるしね。 ジェット・リーは序盤でキレのあるフライパンアクションを見せるものの、早々に退場。これはちょっと残念だった。今作で悪役として参戦したヴァン・ダムはオーラがあるものの、やっぱりちょっと落ち目俳優の色眼鏡で見てしまう…(苦笑 それよりも個人的にはチャック・ノリスの神出鬼没さには…あれはギャグでしょw 台詞の端々に出演者の過去作をひっかけたギャグもあって面白いが、シュワルツェネッガーいじりが目立つ。「I'm back !」「I'll be back !!」はもちろんネタだが、それを聞いたウィリスに「戻りすぎだ!」とツッコまれる場面には笑ったw |
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ワールドミッション (2014年制作) |
往年のアクションヒーローが大集合したお祭り映画の第3段。消耗品軍団結成時の仲間、ドクター・デスを救出したバーニーは次のミッションで思いがけぬ敵と遭遇する。 色々あって一線から遠ざかってしまったかつてのアクション俳優を起用するのが、スライの仲間意識か優しさか。今作ではウェズリー・スナイプスを仲間に、そしてメル・ギブソンが敵となって登場するが、メジャー映画で彼らの姿が見られることはやはり素直にうれしい。ハリソン・フォードは今でも一線級だね。 スライ的には「2」がコメディに寄り過ぎていたので今作はシリアスに…ということらしいけれど、個人的にはもっと遊んでもいいと思う部分もあった。スナイプスもナイフじゃなくて日本刀で暴れまわるとか、それくらいやっても良かったのに。とはいえ、脱税ネタやチャーチに「出番はない」といったメタなネタには笑わせてもらいましたw バンデラスは喋りすぎw しかし登場人物が増えすぎて大変だなあ。今作では若手チームも出来ちゃったし…。クライマックスの戦いではあっちこっちで戦闘が行われて観る方も大変だけど、それぞれに見せ場を用意しつつ纏まってはいたね。エレベーターの立坑を登っているだけの彼は…どうなのかな? |
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ニューブラッド (2023年制作) |
シリーズ第4段。ミッション遂行中にバーニー・ロスが死んだ。チームから離れたクリスマスは一人行動を起こすが…。 お祭り映画としては「2」がピーク。4作目ともなると普通のオールドスクールなアクション映画になってしまった印象。というのも以前のように“往年のスター”が大挙して出ることもなくなり、本作に限ってはほぼジェイソン・ステイサムの映画。引き続きドルフ・ラングレンは出ているし、新たにアンディ・ガルシアやトニー・ジャーも出演してはいるけれど、申し訳ないけどかつてのようなお祭り感は無くなってしまったかな。 ストーリーとしては序盤でスタローンが離脱するのだけど、そんな脚本になったのはもはや彼がアクションをするには歳を取りすぎたからだろうかと勘ぐってしまう。そりゃあ彼ももう70代後半だしね。なので映画の中での離脱や、世代交代としてステイサムにバトンタッチするのも良いかなとは思った。…がラストで「実は生きてました」と出てこられると、もうなんだかなあという感じ。まあ観ている最中も「本当は生きてるんじゃね?」とは薄々思っていたけれど、だからといって展開として上手い脚本になっているかというとそうでもないのが辛いところ。 ちなみに“実は黒幕だった”という役どころのアンディ・ガルシアだけど、そこそこ雑な死に方だったので「よくこの役で出てくれたな」と思ったり。 |
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(2015年制作) |
IT企業に勤める主人公・ケイレブは、社内抽選によって自然豊かな土地にある社長・ネイサンの別荘へ招待される。そこでケイレブは秘密を守ることを条件に、人工知能のテストを依頼される。 閉鎖的な空間で展開する物語は、内容は違うのに「CUBE」や「月に囚われた男」といった低予算SFスリラーと同じ匂いがして不思議な感じだった。人と機械の境界線はいったいどこかという問いはSFの歴史で言えば古くからテーマにされていることで、それについては目新しいところもない。ただこの作品の良さは、ほとんどがその画面から伝わる雰囲気にあるだろう。自然があふれる外界と無機的な屋内の対比。人と機械を隔てる透明な壁。嘘と真実。ビジュアルと展開の相乗効果が良くまとまっている。1500万ドルほどの低予算だそうだが、そこは全く不利には働いてない。 画面的には最後まで静かだが、ストーリーは攻守が割と逆転したりして引き込まれる。テストしているのかされているのかが分かるのは終盤だが、完成された人工知能が人間のそれと区別がつかないという怖さの、そのギリギリの線上で行ったり来たりしている感覚は面白いね。最終的にエヴァの目的を理解したとき、究極のAIをその眼に観たことになるのか。嘘をつける、ふりをするというのは意識の上でかなり高度なことだろう。そこには“ゴースト”が宿ったのだろうか。 ケイレブ役はドーナル・グリーソン、ネイサン役はオスカー・アイザックで、良く考えたら「SW フォースの覚醒」組じゃないかw エヴァ役はアリシア・ヴィキャンデルも、感情の裏の裏まで感じさせる抑制的な感じが良い。ちなみに、ラストで閉じ込められたケイレブ。その前の場面でドアロックにハッキングできる腕を見せているのだから出られるんじゃないの?と思ったが、その後ちゃんと停電の描写が。OKw |
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(1973年制作) |
12歳の少女に取り憑いた悪魔と、悪魔祓いを行う神父との戦いを描いたホラー。 オカルトホラーの代表作だけど、ただのショッカー映画とは違う。映画の大半を母親クリスと娘リーガンの関係、そしてカラス神父の苦悩といった描写に費やしていて、それが実にドラマへ深みを与えてるね。今日では悪魔憑きは脳炎の症状によるものという見解もあるが、本作でも異変が表面化したリーガンに対して、まずは病理学的見地での治療が試みられる。それでも説明のつかない事象が次々と起きるわけだが、ついに母親が悪魔祓いにすがるしかなくなった時点で映画の4分の3が経過。そう、映画のほとんどを悪魔祓いに至る経緯に費やしている作品なのだ。でもその積み重ねこそが、オカルト話なのにリアリズムを感じさせるこの映画の最大の魅力。 憑りつかれたリーガンの変貌の一方で、カラス神父の苦悩との戦いを描いてもいる。母親の死に対しての後悔。そこに付け入る悪魔の言葉…恐ろしい相手だ。まあ悪魔だからなあ。終盤にベッドの上でたたずむ彼の母親の姿にも寒気がしたが、序盤のカラス神父の夢においてサブリミナル的に映る悪魔の顔には背筋が凍るかと思った。このショッカー映画とは違う恐ろしさは、やはり描写の積み重ねによるリアルさの賜物なんだろうな。 しかし意外な結末だった…。メリン神父の死に激高したカラス神父が、悪魔を自らに憑依させて自殺するとは。彼はリーガンを救ったかもしれないが、自殺による道連れなんて調伏でもなんでもないだろう…とくにキリスト教にとって自殺は罪だ。とすれば儀式としての悪魔祓いはかなわなかったわけで、キリスト教vs悪魔という構図からしてこれは勝ちではあるまい。そういう点でも悪魔に対しての恐怖が完全にぬぐえない、怖さを感じる作品だと思う。 |
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ディレクターズ・カット版 (2000年制作) |
2000年に公開された「エクソシスト」のディレクターズ・カット版。 いくつかの追加シーンや演出の変化によって上映時間が15分長くなっているが、もちろんストーリーに変更はないのでクリスとリーガンの親子関係や、カラス神父の苦悩のドラマはそのままに良く描かれている。ただ全体的に見ると監督の追加したシーンは映画全体を分かりやすくする意図があったのかもだが、個人的にはそれによって少し安っぽくなってしまったと感じる部分もある。例えば悪魔の顔がサブリミナル的に挿入される演出は、オリジナルよりもさらに増えているが、これはむしろ少なくして「あれはいったい何だったんだろう」と感じさせる方が効果的だと思うのだけれど、何度も観せられると慣れてしまったw それよりも問題は、例えば家の電気が明滅しているシーンなどで顔が現れると、直接的に悪魔の影響であると表現されてしまうので、やはり安直さが勝って逆に不気味さが失われてしまう感じ。増やさない方が好きだったな。 一方で追加シーンにある最初の病院検査では、リーガンの口汚い言葉の原因が「母親が電話越しに口論している言葉づかいである」と示唆される。悪魔に憑かれて突然口汚くなるのではなく、深層心理にそれが埋め込まれているという示唆は、悪魔憑き=脳炎症状を匂わせつつ、次第に過激になる予兆としても悪くない。 しかしディレクターズ・カットの目玉であるスパイダー・ウォークは…。確かにショッキングではあるものの、あまり部屋の外では超常的な現象や動きは見えない方が神秘性があって良いと思うんだけどね。ラストのキンダーマン警部とダイアー神父の会話も、カラス神父に思いをはせるには良いと思う一方で、映画としては蛇足にも感じる。そういう意味で、やはりオリジナルのカットの方が個人的には好みかな。 |
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神と王 (2014年制作) |
旧約聖書の「出エジプト記」を実写化したスペクタクル。 どうしても1956年の「十戒」と比べてしまうけれど、VFXの発達によって十の災いはより生々しくダイナミックに(水を血に変える…はちと強引だがw)、そしてクライマックスも大迫力の津波に手に汗握った。映像技術の進歩をまざまざと感じさせられる一方で、聖書映画としてはかなりリアリスティックな解釈を入れている部分もあるので、宗教色というか神秘性は後退した感じ。神からモーゼへの啓示や対話は、ともすれば彼の妄想ともとれるような描き方なので、結構攻めてるなあ…とも思った。十戒も自分で彫ってるしw というか神が少年(偶像)の形で現れるなんて…良いのかねえ?(ある場面ではモーゼが少年に「メッセンジャー」と言っていたので、神そのものではないかもしれない?) 作劇としてはリアリスティックだが、ストーリーラインは思った以上に「出エジプト記」そのまま。ただ十の災いの前にモーゼがエジプトでヘブライ人を指導したり街を焼いたりしているシーンを見ると…テロリストにしか見えんw まあリアルに活動家を描けばそういう解釈になっちゃうのだろうが、その辺は色んな意味でちょっと興味深かった。 |
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(2021年制作) |
マーベル・シネマティック・ユニバースの26作目。ディビアンツから人類を守るために7000年前に地球へ遣わされたエターナルズ。彼らの活躍により500年前に消えたはずのディビアンツだったが、現代に至り再び姿を現し始める。 エターナルズたちのリーダーだった“エイジャック死んだ”という経緯で再結集していく流れなので、「シリアス過ぎる DCユニバース出身かよ」とデップーが言いそうなくらいにはドラマ部分のトーンは(画面も)重い。でもチームであり家族であるエターナルズの愛憎というか、彼らの使命と感情を軸に上手く組み立てられていて見ごたえはあったな。156分という上映時間も若干長い気はするものの、背景を理解した上で再結集して決戦に挑むという流れを考えれば必要十分な尺だったかもしれない。緩急も結構ハッキリしているし、「そろそろ話が落ち着いてきたな」と思ったあたりでちゃんとバトルが始まるので飽きは来なかった。 地球どころか宇宙規模の話なのに、基本的には内輪の出来事で描ききっているあたりのコントロールはなかなか。「ディビアンツ絡み以外は介入しない」というルールで、今までの地球の危機にも現れなかったあたりにさらっと言及している。逆に終盤であの規模の天変地異が起こったらアベンジャーズの誰かが来そうなもんだとは思ったけど…、まあそのあたりはご愛嬌かw SF的には個々の要素(実は神話の元ネタは彼らだった、とか)がどこかで観たような設定に感じるところもあるし、それぞれの能力もどこかのヒーローと被っている感じだけど、個々のキャラクターは立っていたかと思う。個人的にはクメイル・ナンジアニ演じるキンゴがいい感じだったね。あとキンゴについてきた地球人代表のインド人のおっちゃんがいい味出してたなあ。 |
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ザ・ムービー |
有名テレビドラマシリーズの映画化。第5シーズンと第6シーズンの間の話らしいけど、実は第3シーズンまでしか見ていなかったので、ちょっと分かり辛いところもあった。仕方ないけど。個人的には、政府絡みの続き物の話にはして欲しくなかった。1エピソードで終わるような話の方がよかったんだけど・・・。結局謎を残してテレビシリーズに続くわけだし、わざわざ映画にする必要がったんだろうか?と思う次第です。 | |
(2000年制作) |
人類との共存を目指すミュータント達と、人類との戦争を決意したミュータント達との戦いを描くアメコミの実写化作品。 アクションとして期待していたわりには…それほどでもなかったかな。「スポーン」もそうだったけど、全体的な話の導入ということもあってか、いまいち盛り上がる前に終わったような印象もある。ただ、どちらかというとこの作品の魅力は“違った者との共存とは”といった深いテーマにあると思うんで、その辺に感じるところがあれば良いと思う。 ビジュアル面では原作のあのハデなコスチュームはもうちょっと現実的に変えたものの、上手く映画版として構築していると思うね。ウルヴァリンのヒュー・ジャックマンは粗暴な感じが出てて格好良かったなあ。VFXもそれなりに迫力あったし、続編に期待します。 |
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(2003年制作) |
ミュータント抹殺を謀る人間の科学者とミュータント達の戦いを描く2作目。 VFXは前作よりもハデな印象だし、それなりに楽しめた。でも後半今ひとつカタルシスを感じないのは何でなんだろうか?全人類の危機でもセレブロ内からの映像が主なので、そういった点で危機感が伝わりにくかったのかも知れない。あとはミュータント同士の格闘が思ったよりも少なかったからかな?でもアクションシーンは前作より全然良くなってるけどね。 テーマ自体は前作から引き続いたもの。X-MENがマグニートーと共闘するのはなんか複雑ではあるけれど、面白い。マグニートーは格好良いなあ。ナイトクロウラーも良い味出してました。彼が暴れ回るオープニングは驚いたね。 |
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ファイナル ディシジョン (2006年制作) |
シリーズ第三弾。ミュータント能力を消してしまう薬“キュア”をめぐり、X-MENとブラザーフッドの最後の戦いが始まる。 前作までの監督から変わったせいか、それまで底辺に流れていたテーマがほとんど見えくなってしまった。ウルヴァリンの過去やローグの想いなんて何のその。ミュータント能力を駆使した戦いを中心にしたストーリーは、テンポも良いし見応えはあるけど少々話としての物足りなさが残るね。 それにしてもサイクロップスの扱いは酷いなあ…w 出ていきなりヤサグレてるうえに、あっさり消えてしまうし…。予算の都合もあるのかも知れないけど、前作までのメインキャラが次々消されていくのには驚いた…。 思わせぶりなエンドクレジット後が色々考えさせられる。 |
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ファースト・ジェネレーション (2011年制作) |
実写版「X-MEN」シリーズから、プロフェッサーX(チャールズ)とマグニートー(エリック)らの若き日の姿を描いたスピンオフ作品。 "違う者"に対する差別という「X-MEN」シリーズのテーマに立ち戻り、さらに深く掘り下げたチャールズ達の人物像はまさにシリーズの根幹。スピンオフながら、もっとも重要な作品かもしれない。人類の善意を信じるチャールズと悪意を信じるエリックという、合わせ鏡のような関係の上で描かれる友情も良いね。 監督は「キック・アス」のマシュー・ヴォーン。ヒーロー性と共に地に足着いた人間観を今作でも見事に描いてます。その上でただのヒーローアクションではなく、前述の差別というテーマや史実(キューバ危機)を話に上手くからめた構成もサスペンスとして上手い。キューバ危機がらみの展開については、往年のスパイ映画(特に「007」)を彷彿とさせる雰囲気で良い感じです。ただ、ソ連の指導者クラスが戦争回避に向けて理性的に動いている様に描いているところなどは、単純に冷戦下での敵だった当時の映画とは違い、現代的な客観性を感じるところでもあります。時代だねw 若き日のチャールズを演じるのはジェームズ・マカヴォイで、これまでの落ち着いたプロフェッサーXとは違うアプローチだけど、キャラクターとしての連続性は出ているし、やはり演技はうまい。エリックはマイケル・ファスベンダーが演じてますが、監督が言う“ジェームズ・ボンドのイメージで”というキャラクター性はこの世界観にもバッチリ。とにかくこのマグニートーはカッコイイ。黒幕ショウを演じるのはケヴィン・ベーコン。なんだか久々に大作で姿を見た気がするけど、やはり悪役はハマってますねw ちなみにチラッとだけローガン(ヒュー・ジャックマン)が出てました。これはファンサービスですな。 |
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フューチャー&パスト (2014年制作) |
センチネルによる人類とミュータントの滅亡を阻止すべく、ウルヴァリンはその意識を50年前である1973年の自分の肉体へと転送する。 「X-MEN」シリーズと、スピンオフだった「ファースト・ジェネレーション」のキャストが集結し、まさにオールスターというのも過言ではない豪華さ。原作ではキティが自分の意識を送る話だったそうだけど、この映画ではウルヴァリンの意識が転送されている。それによってローガン(ウルヴァリン)というシリーズの主人公設定に一貫性が出ているし、ローガンを導いたプロフェッサーXの1作目との対比にもなって、ドラマとしても上手く出来ているなと思う。ただ、未来世界では完成系センチネルとの死闘以外はほとんど話が動かず、話のほとんどは1973年の過去編が中心だった。そういうのもあって、基本的には「ファースト・ジェネレーション」の続編であって、未来の部分は添え物というか、ファンサービスみたいな印象も。 「X-MEN」らしさという点では、パリでの襲撃時に衆目に晒されたミスティークとビーストのシーンが印象に残る。自分とは違う者を奇異の目で見る大衆という図式は、ミュータントの悲哀を端的に表しているよね。悪役であるトラスクもそういう者を受け入れられない人間の代表であるけれど、ピーター・ディンクレイジが演じたことで、偏見の無意味さというテーマに深みが出たんじゃないだろうか。 それにしてもシリーズのネタを詰め込み過ぎw 本作だけしか観てない人は絶対ついてこられないだろうなあ。ジーンの復活やスコットとのやり取りは懐かしい。老ビーストもよくこれだけのために出演してくれた、と感慨深い。ちなみに、ローグが一瞬だけ映ってたものの、エンドクレジットでの扱いが大きかったので最初は「?」だったけど、登場シーンのほとんどがポスプロでカットされたんだとか。それは残念。 |
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アポカリプス (2016年制作) |
数千年の眠りから目覚めた人類初のミュータント・アポカリプス。堕落した人類文明を破壊し、自らの手による支配のため行動を開始する。 シリーズのテーマ曲と共に、いつもの感じでオープニング・クレジットがかかるとやはり気分が盛り上がる。本作は古代エジプトに君臨したアポカリプスが復活し人類文明を脅かすわけだけど、話のスケールがインフレして、もはや本来のテーマだったミュータント差別が云々なんて言ってる状況じゃない感じ…。でもサイクロップスやジーンなど、シリーズ1作目に繋がるキャラクターが若返って活躍しているのは良いね。「ファースト・ジェネレーション」以降、舞台の年代を変えることで役者を入れ替えてきたけれど、ここへきてようやく世代交代が完成した感がある。ウルヴァリンのヒュー・ジャックマンだけはまだ卒業できないが…、とはいえ本作でもチラッと出てきてくれたのは嬉しいw スケールも大きく、アポカリプス側の仲間集めとX-MEN側のドラマも並行していて、話としてはちょっと詰め込み気味な気はする。正直言って中盤はちょっと長さも感じたけど…、でもクイックシルバーの救出劇は面白かったかな。やはり良いキャラだね。ラストバトルは各キャラクターの能力を生かした見せ場もあって盛り上がったとは思うのだけど、やはり舞台装置はインフレを起こし過ぎているんじゃないかなあ。 しかしシリーズものの宿命とはいえ、色々と設定をリセットしたりしている割には観る側が過去作のいろんな描写を汲まないといけない部分が多くて、ファン以外にはどんどん敷居が高くなっているなあ。 |
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ダーク・フェニックス (2019年制作) |
スペースシャトルの救出ミッション中にジーンが謎のフレアを吸収してしまう。力の自制の効かなくなったジーンは学園から出ていくが…。 前作の感想で「舞台装置がインフレを起こしている」と書いたけど、今回はジーンの能力がインフレを起こしている。というか、作品としては「ファイナルディシジョン」のプロットになったコミックと同じ原作の再映画化なので、ジーンが暴走する物語としてはリメイクみたいなものかもしれないけど。とはいえ前回とは世界線が異なるので物語も時代設定もキャラクターも違うわけですがね。 ストーリーとしてはややこぢんまりとした印象。ジーンのトラウマも分かるし、家族や仲間を傷つけたことの葛藤も分かるのだけど、描き方としてはそこ以外のドラマが物足りないなあ。何より敵側の描写が薄っぺらくてなんとも…、ジェシカ・チャステインを使ってこんな感じではなんだかもったいないね。「ファースト・ジェネレーション」以降のメインキャラだったミスティークの退場も「こんなのでいいの?」って思ってしまったけど、「ギャラの上がった彼女は早々に退場を」ってことなのかと邪推してしまう(苦笑)。終盤の共闘シーンでマグニートーとクイックシルバーを会わせないために、クイックシルバーを負傷離脱させるところも作劇としては逃げだよな。 でもミュータントバトルではそれなりに見ごたえはあったし、やっぱりマグニートーが格好良かったなあ。さすがにジーンやヴークとのバトルは分が悪いけど、それ以外では安定の強さw そういう若干の見せ場は良かったんだけどね。 |
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〜愛の讃歌〜 |
伝説の歌手、エディット・ピアフの生涯を描いた伝記映画。 エディット・ピアフ役のマリオン・コティヤールの熱演には舌を巻く物があるけども、全般的に時系列が前後しまくる構成になっているので展開が分かりにくい。フランス人には彼女の人生は常識なのかも知れないけど、“歌は聴いたことがある”程度の俺にはちょっとしんどかったかな。まあ、ついていけないわけではないし、ラストまで観ればそれぞれの場面での関連性は悪くないとも思えたけど、やはり感情移入するには予備知識の差が出てくると思う。 しかし壮絶な人生ですな。伝説の歌手としての名声は手に入れても、この人生は一概に幸せだったのか分からない。最晩年は実年齢とは思えない老け込みだし、そのボロボロさは気の毒な感じもする。(そんなに映画的な誇張はしていないと思うんだけども、どうなんだろうか。) マルセル・セルダンの死の報に触れた際の長回しが印象的でした。多分あのシーンは、カットが始まる直前には事故死を知っていて、動転して見えた幻影からカットが始まってるんだろうね。周りの反応も含めて、彼女の取り乱し具合がよく伝わってくるシーンだと思います。 |
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(1994年制作) |
「史上最低の映画監督」と評されたエド・ウッドの映画製作に対する情熱と、ベラ・ルゴシとの友情を描いた伝記映画。 エド・ウッドの作品は「プラン9・フロム・アウタースペース」と「死霊の盆踊り」しか観てないけれど、それでも「史上最低」という評価はまあ分かるw そんな監督の伝記映画なんて普通なら企画も通りそうにない話だけど、ティム・バートン監督が描くとなれば注目度も違うわな。この映画で描かれるウッドの空回り気味の情熱は時に面白く、そして何か心を打つものがあった。なりふり構わず自分のビジョンを形にして描こうとする様子は独りよがりなところもあるものの、ジョニー・デップがどこかコメディチックにニクめない感じに演じている部分が良いと思う。 一方で映画にはエド・ウッドと友情で結ばれる晩年のベラ・ルゴシも登場するけれど、バートン監督の、ウッドに対する以上にルゴシへの愛情と敬意が感じられるところも本作の魅力。かつて「魔人ドラキュラ」でドラキュラを演じた怪奇映画のスター、ベラ・ルゴシ。落ち目となった晩年の彼に映画出演の居場所を与えたウッドを通して晩年のルゴシの姿に脚光を当てたわけで、映画のラストでウッドに語らせた「この映画をベラ・ルゴシに捧げる」はバートン監督の言葉のようにも思えた。監督としての評価はウッドとバートン監督では比べるべくもないけれど、自らのビジョンを表現する者として、そしてベラ・ルゴシを敬愛する者として、バートン監督はどこか本作のウッドに自分を重ねているものもあったんじゃないかな。 |
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アクション映画として非常に楽しめました。舞台はボスニア。紛争地帯として様々な問題のあった地域だけに、映画を見る時には予備知識があった方が、話が分かりやすいと思う。でも背景は複雑ながら、話は「敵から逃げろ!」なので、非常に面白い。ホーネット撃墜シーンも迫力満点!しかしオープニングに「キャスト・アウェイ」のパロディを持ってくるとは・・・。あの時点で俺の心は鷲掴みに(笑) | ||
(2022年制作) |
コインランドリーを経営するエヴリンだったが、監査が入ったために国税庁へ向かうことになる。しかしそこではマルチバースの危機と使命を知る運命が待っていたのだった。 タイトルからは内容が推察できないが、一言で言えば「多次元カンフー映画」。主人公の女性が多元宇宙の自分の能力を獲得して宇宙の驚異となった娘を倒す…、いや、抱きとめるお話だ。…要約するとよくわからんな。とにかく突飛だけどユニークに構成された映画だとは思う。でも結末に向けての感情変化など、なんだか置いてけぼりを食らいそうになった場面もある(苦笑) 監督は「スイス・アーミー・マン」を撮った2人組のダニエルズで、突飛な映画なのにも納得。今流行の多元宇宙(マルチバース)が題材なので、観客も理解できるだろうと思ってかそのあたりの説明は勢い任せな感じはするものの、ビジュアル的な勢いがこちらを飲み込んでいく当たりにセンスは感じる。序盤の巻き込まれ型っぽい雰囲気や、能力のダウンロードなどは「マトリックス」を彷彿とさせる部分もあるね。他の映画やメタ的な引用も目につくけど、「レミーのおいしいレストラン」を観ていないと理解できないようなネタを打ち込んでくるところは「冒険してるなあ」とも思った。いや、一番の冒険はミシェル・ヨーがケツに物を挿したフルチンの男とカンフーやってる描写か。もう勢いだけで笑かしに来てるやんw |
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(2015年制作) |
1996年に起きたエベレスト大量遭難事故を描いたドラマ。 IMAXで観た甲斐もあってか、場面は限られているものの3D効果とVFXでの再現によって大画面に広がるヒマラヤの景色は見応えがあった。まあもちろん全部がロケということはないわけで、特にクロースアップはセット撮影なので視界も狭いのだが、観ている間は話に入り込んでしまったので気にならなかったかな。 とはいえ話の方は実際の遭難事故を描いているもので、脚色するにしてもなかなかセンシティブな題材だと思う。「映画」にするなら真面目な主人公のロブ(ジェイソン・クラーク)とライバルのスコット(ジョシュ・ブローリン)あたりを対立軸に、足を引っ張る登山客によってピンチを起こすとかでドラマチックにもできるだろうが、この映画は誰に対しても同情できるような感じで公平に扱われていた様に思う。高所登山に対する準備や心がけもサラっとではあるが描いているし、そういう部分でのリアリスティックなところに死んだ者や登山家に対する敬意も感じるところ。外野からすればあれだけ「14時が期限」と言っておきながら守らなかったのか!というところだろうが、“郵便局員”ダグに対する私情がそうさせたという部分は同情する。ロブはあれだけ自分でフラグを立てておいて破るのだから、その判断が正しかったのかと言えば明らかに間違いだったとは思うわけだが。 日本人としては遭難死した難波さんの登頂シーンはグッとくる部分も。まあ山の上での出来事は、実際にどうだったかというところは分からない。リアリスティックとは書いたけれど、描かれる出来事が真実かどうかはわからないわけで。実際、台湾隊の事などは2時間のドラマに纏めるには話が散漫になるからかほぼカットされているし、そういう部分での脚色はある。 登場人物は多いが演者は主役級の人が多数出ていて、オールスター映画というか、アンサンブル映画というか、そういう面でも見応えがあったね。ロブとベック(ジョシュ・ブローリン)だけ妻の様子が描かれるが、生死が分かれた二人という部分では興味深い。 しかしこの映画、プロが一番プロらしく描かれていたのって最後に登場したヘリのパイロットだよね。高度限界でのヘリ救助、すげーカッコイイw |
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(1974年制作) |
フランスの小説「エマニュエル夫人」を映画化したエロス作品。 正直、ただ暇を持て余した婦人方が「それくらいしか楽しみないし」という事への自己弁護をしてる様にしか見えなかった。まあ70年代という時代で、女性解放云々の世相の中、こうも享楽主義的な女性映画が出たらそりゃあ当時の人は興味も持ったんだろうけど…、冷静に観ると「何じゃこりゃ」だよなあ。 個人的には思想が全然理解できないし、後半に出てくるマリオなる伝道師的立ち位置の老人はペテン師にしか見えず。内容の割に描写自体はソフトなものだけど、作者のエスカレートしていく妄想に置いてけぼり食らったようでした。 |
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悪霊祓いの儀式によって少女を殺したという罪で逮捕された神父を巡る裁判劇を通して、悪霊憑きと悪魔の存在を問うたホラー。 …ホラーと書きましたが、個人的には宗教vs医学を描いた法廷劇と言った印象で観てました。事実を元にした作品ということもあって、首が回ったり宙に浮くといった突拍子もない描写もなく、エミリーの異常も極めてリアルに描かれているからね。その演出の一線を越えてしまわなかったことが非常に好印象です。 確かに人物の主観的な場面になると“悪魔”の存在が見え隠れするけど、それはその人物の主観であって、客観視点では特に超常的な現象はほとんど映らない。そのルールがハッキリしているんで、ストーリーの説得力が増すんだよね。実際に最後まで、“悪魔”は存在するのか、それとも精神病の結果であるのかという答えは出ないけど、それはそれで良いと思う。 しかし一番の山場、悪魔祓いでの神父と“悪魔”の対決は釘付けになった。すげー迫力!ネズミが走り、蛇が落ち、そして“悪魔”が名を名乗る。おいおい、こいつ単体じゃないのかよw |
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暴君によって支配された世界で、狩人の青年がある日ドラゴンの卵を拾い、そのドラゴンと共に圧政に立ち向かう姿を描くファンタジー。 個人的には微妙。確かにVFXの見応えはあるけども、あまりに王道な展開のストーリーには驚きが少ない。「ナルニア〜」もそうだったけど、やはり巻き込まれ型の主人公が戦いですんなり英雄になってしまうというのが、リアリティという面で個人的に合わないのかも。そういう意味で「LOTR」には説得力があった。 キャストではジェレミー・アイアンズが良かった。「キングダム・オブ・ヘブン」でもそうだけど、中世風な騎士のイメージが凄く合っていて格好いいね。 |
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16世紀のイングランドを舞台に、エリザベスI世がヴァージン・クィーンと宣言するまでを描く歴史劇。 宗教問題やスペイン・フランスなどの干渉等、混迷のイングランドにあって政治的が策謀が入り乱れているけども、この映画で描かれるのは専らエリザベスの愛憎劇。ただ、割と冷めた視点で淡々と描いているという印象を受けた。ケイト・ブランシェットは熱演だと思うし、周りを固める達者な俳優陣も良いんだけど、ちょっとそのへんは入り込みにくかったかも。 しかし色々な思惑がうごめいていてややこしい。鑑賞は歴史背景を知っているのが前提だと思うけど、もし分かっていないと色々な対立についていけない部分もあるかもね? それにしてもこの映画は…当時の雰囲気を出そうとしているのかも知れないけど画面が暗い。場面によっては黒がベタッとしすぎて何が映っているか分からない場面も。今回はビデオで観たんだけど、フィルムだと違うのかなあ? |
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(2013年制作) |
ろくな医療体制もない貧しい地球と、あらゆる病気を治療してしまう高度で裕福なスペースコロニー"エリジウム"。事故で照射線障害となり5日の命と宣告された主人公は、エリジウム行の切符のために、ある要人の襲撃計画に参加する。 ニール・ブロムカンプ監督のSF観は分かりやすくて良い。貧困や不法移民を風刺しつつ、ディストピアからユートピアへの脱出劇を軸にSF的ガジェットを次々に放り込んでエンターテイメントにしてしまう手際の良さ。スペースコロニー、強化外骨格、ポータブルバリア!ニンジャソードに手裏剣あたりは、日本アニメの影響も見える部分でこそばゆいなあw 最終的には主人公の犠牲によって世界が変わってしまうわけで、そんなところはセカイ系な印象も受ける予定調和なもの。だけど、敵との追いかけっこがメインの話でもあるし、十分に引き込まれました。敵の刺客・クルーガーは、強大な敵というよりは見た目にただのオッサンなのだけど、シャールト・コプリーは同情できない敵を上手く演じてるよね。強化外骨格でパワーの増した殴り合いは、「マン・オブ・スティール」とはまた違う超人同士のバトルで迫力あったと思います。 |
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(2000年制作) |
1993年に大企業PG&Eから3億ドルを超える和解金を勝ち取った公害訴訟の中心人物エリン・ブロコビッチの姿を描いたドラマ。 どちらかというとスティーヴン・ソダーバーグ監督の作品は苦手なのだけど、本作は面白かった。冒頭からクセのありそうな人物の臭いがプンプンする主人公をジュリア・ロバーツが好演している。胸を強調した衣装はセクシーというよりはともすれば下品…の様な印象も受けるが、彼女なりのポリシーがあってやっているファッションということだろう。観客側としては、物語を通して彼女の働きぶりを目撃するうちに人物を見た目で評価してしまっていた自分の偏見にも気づかされるわけで、そういう意味ではしてやられた感もある(苦笑) エリン・ブロコビッチという人物は法律の素人だったし、言葉遣いは悪いし、ほぼ押しかけでマスリー弁護士の事務所で働き始めるし、いやはや強烈以外の何ものでもないが、前述のとおり彼女の働きぶりには感心することが多い。資料を調べ上げ、足で調査し、住民と対話し、バイタリティが凄いわ。彼女が大企業やエリート系の弁護士に啖呵を切って鼻を明かすシーンが何度も出てくるけど、そういったところも痛快だったなあ。その真剣さは彼女にとってこの仕事がなくなれば後がないということの裏返しでもあるのだけど、被害者の家族と関わるうちに“子を持つ母”ということが動機となっていることも透けて見え、そういった人間味もキャラの強さとともに人物の魅力として映る。 彼女と訴訟に関わることになったマスリー弁護士を演じるのはアルバート・フィニー。名優らしい包容力でエリンの強烈なキャラから作品のトゲを中和しているが、劇中を通じて彼女からさんざんケチな狸親父となじられてきた彼が、エンディングでエリンにしたささやかな仕返しは微笑ましかったw |
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(2022年制作) |
エルヴィス・プレスリーの生涯を彼のマネージャーだったトム・パーカー大佐の目線から描いた伝記映画。 プレスリーが生きていた時代には俺は生まれていなかった世代ですが、それでも「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれたプレスリーの存在は知っているし、彼が与えた様々な影響の方も目にしてきたかな。そんなキングの伝記映画ということで結構興味もあって観たわけですが、42年という人の人生をかなりの手際で上手く2時間半にまとめていて感心しました。 本作の主人公はもちろんプレスリーではあるけど、物語を進行させるのは彼のマネージャーだったトム・パーカー大佐。いわゆる狂言回しの役回りとして、晩年の彼が様々なエピソードを回顧するという構成かな。これが上手かった。彼の回顧にすることで時系列は自由自在だし、“解説”もモノローグの形で自然に組み込まれている。何より「プレスリーは俺が作った」というブチ上げが観客の興味をそそるよね。ラストの感じからすると「この話は大佐の走馬灯だったのかもしれない」とすら思ってしまったけれど、「実は“トム”でも“パーカー”でも“大佐”ですらもない人物」という胡散臭い語り部としての存在感は実に見事だった。これはトム・ハンクスの上手さもあるな。 プレスリーを演じるのはオースティン・バトラー。映画の前半は彼の歌声、後半はプレスリー本人の歌声だそうだけど、いずれにせよ説得力のあるパフォーマンスでとても素晴らしい。特に本作でも山場となるTV番組「カムバック・スペシャル」とインターナショナル・ホテルでの最初のステージのパフォーマンスは、なんか演者を通してプレスリー本人のカリスマ性に当てられてしまったような感覚になってしまってビックリしたなあ…。 伝記映画だけど大佐の回顧でもあり、“プレスリー”というアイコンにオマージュを捧げた作品でもある。なのでもちろんそのまますべてが史実というわけでもないだろう。でもロックンロールに生き、最期にはファンへの愛に死んだという解釈がまた泣かせるよね。この話が大佐の詐欺の口車みたいなものだとしても。 |
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(2012年制作) |
1949年のL.A.を舞台にギャングのボス・ミッキー・コーエンの組織壊滅に挑む警察のギャング部隊の姿を描いたクライムアクション映画。 舞台と雰囲気からフィルム・ノワールな映画を想像しがちだけど、全然違った。そういった重さは全然なく、どちらかというとグラフィック・ノベルにでもなってそうなスタイル重視の作品で、なんか軽い。ダーティ・ヒーローの活躍という意味では、「必殺仕事人」のようなイメージか。ノワールを期待してみると肩透かしだろうけど、単純なドンパチ映画と思えばそれなりに楽しめる。 出演者は主役級から名脇役まで実力派がそろっていて実に豪華。出演者に関しては隙がないね!でもそれを生かし切るだけの展開が用意できていない。名ガンマンとメキシコ人のプロットも中途半端。黒人枠だって、ほんとに出しただけみたいな存在だし。主人公の嫁さんの立ち位置が少し面白そうだったのに、そこも膨らみ切れなかった。これだけの出演陣でこの程度の話かと思うと少し残念な気はするなあ…。 |
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(1997年制作) |
ジェイムズ・エルロイの小説を原作に、1950年代のロス市警の刑事が直面する組織の腐敗を描いたサスペンス・ドラマ。 内容的にはギャング映画ではなく刑事ドラマなんだけど、50年代という舞台を最大限に活かし、全体に漂うフィルム・ノワールな雰囲気が素晴らしい。これがワーナー映画だというところもニヤリとするところかw ガイ・ピアーズ、ラッセル・クロウ、ケビン・スペイシーの3人が演じる3タイプのクセのある刑事は、完全に白い正義ではないんだよね。出世の権化、暴力、裏取引…と少なからず負の面がある。でもその彼らが彼らなりの正義に目覚めて動くところがドラマとして実に熱い。特にケビン・スペイシーの演技は、モーテルで死体を見た時の表情が絶妙。内に湧き上がる感情が見事に伝わってくる。それがその後の共闘の動機としても説得力があるし、実に良いなあ。 「ロロ・トマシ」というキーワードの使い方が好き。犯人は気づけないが、主人公はそれを聞くことで確実に事実に気付くという…、その仕掛けとしての説得力ですわ。 |
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無名時代のロバート・ロドリゲス監督が7000ドルで撮った自主映画。流れ者の歌手が、ある町でギャングの抗争相手に間違われ、否応なしに巻き込まれていくアクション作品。 さすがに全編に自主映画特有のチープさが漂っているけど、ある種の勢いと情熱によって一気に観せるパワーを感じる作品でした。話も単純だし、細かいことを言えば粗は多いんだけど、そんなことが問題には思えない面白さがあるんだよなあ。不思議。 典型的な巻き込まれ型の主人公だけど、優男のくせにいざという時の機動力が場慣れを感じる。それに対してギャングの手下は腹も出ているしなんだかモタモタしてるw その辺の設定の妙なルーズさも可笑しい。ホテルのフロントにいるオッサンが電話をかける時だけ素早いとか、バーテンが入れかけたビールを自分で飲むとか、微妙なギャグがあるのも良いね。 センスさえあれば低予算でも人を楽しませられるのだという、良い見本の映画だと思います。 |
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19世紀末のロンドンを舞台に、見せ物小屋で奇異の目で見られていた“エレファント・マン”ジョン・メリックの後半生を描いた作品。 “普通”とは異なる姿をした者に対して抱く人間の感情、それを痛切に皮肉った作品だと思う。見せ物小屋のオヤジにしても、学会での発表を目的に声をかけた医者にしても、「同じ穴のムジナ」というわけだ。彼は知性がある心優しい人間であって、人間として生きることを望んでいるのに。じゃあ、彼に興味を抱かない人間はいないかというと…俺自身だってこの作品を観ている時点で同じ穴のムジナか。この作品は、その事を気づかせてくれました。 メリックはそういった扱いを受けてもひたすら耐えて生きていたのだと思う。だからこそ中盤に医者の妻に普通に接してもらった時に涙し、終盤に人々に追いかけられた時に心から叫んだ。彼の人生を通して自分の醜さを観ているようで少々キツいね…。 終幕、ついに他の人と同じ姿勢で眠ったメリックは天に召されたわけだけど、最期に人としての充足感は得られたのだろう。多くのことを考えさせてくれる作品です。 |
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(2011年制作) |
主人公は囚われの少女。彼女は娼館から脱出すべく計画を練り、そして想像の世界での戦いを始める。 娼館で魅惑のダンスをして周囲の目を引き付け、その隙に仲間が地図やライターや鍵を入手する。このプロットを“踊っている最中の空想”という設定だけで、かくも何でもありのアクション・ファンタジーにしてしまうとは。“色んなファンタジー世界を撮りたい”→“なら空想の世界にすればいいんじゃない?”と後付けで膨らませたのが見え見えなのだけど、それでもさすがはザック・スナイダー監督でした。作られた世界のビュジュアル感はセンスがあるよなあ。まあ、どの空想世界も恥ずかしいほどに趣味丸出しですがw 映画の印象としては、ビジュアルの派手さばかりで中身の方は今一つ。冒頭の精神病院が空想世界ぽく、そして娼館が現実ぽく描かれるところは少々のひっかけで、一瞬「あれ?精神病院のほうが空想だったのか?」と思う部分もあったけど、奇を衒ってたのはそこぐらいかなあ? 力の入った空想世界とは裏腹に魅惑のダンスの方は一切映さないところを見ると、監督の描きたいのは、やっぱりオネエチャンじゃなくて特撮の方なんだろうなあ、と思った次第。 |
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(2013年制作) |
1985年に出版され、ネビュラ賞・ヒューゴー賞を受賞したSF小説の実写映画化作品。異星生命体フォーミックの侵略を辛うじて食い止めた人類は、世界中から選抜した少年少女を訓練し、来るべき決戦に備えていた。 SF作品として考えられるいろんな要素が入っていて大作感はあるのだけど、個人的にはいまいちノリきれない。主人公が苦悩し、組織の中で居場所を見つけ、カリスマ性を発揮する過程を見る、ジュブナイル系の話なのはわかる。戦術家としてのセンスの描き方も良いと思う。でも進行が割と単調というか、型にハマっている感じがした。肝心のフォーミックの描き方も感情移入させるほどの場面があまりないので、最後にどんでん返し的な事があってもひっくり返るほどの衝撃とはあまり思わなかったし、本当にエンダーの判断が正解かどうか…。どちらかというと、大人はズルいという気持ちが先行する話? 軍隊という組織に少年少女を関わらせるということの設定も、話の中で軽く触れられるだけでそれが前提で進んでいく。でもそこも、戦術・戦略を評価する大人がいるにも関わらず、その少年少女に最終決戦を任せるというのが…いまいちピンと来ないんだよね。まあ大人の思いつかない戦術を期待してということなんだろうけども。 |
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ダメだった・・・。期待して見に行っただけに、かなり肩すかしを食らった感じ。「信じられない結末が」って宣伝していたものだから、サタンに地上を征服されるとか、そういうのを期待してたのに・・・身を犠牲にして倒すなんて在り来たり。「うしおととら」に似たような話が・・・、地下鉄の天井を突き破って攻撃してくるのもゲームの「バイオハザード2」。何か全然だった。 | ||
(2013年制作) |
朝鮮人テロリストにホワイトハウスが占拠された…!過去にシークレット・サービスだった主人公・バニングは単身ハウスに乗り込み、拘束された大統領を救うべく立ち向かう。 「ダイ・ハード」の1作目を思わせるような占拠された屋内での攻防戦が魅力。あれだけ警備の厳重なホワイトハウスが敵に占拠される事態なんて、正直言って荒唐無稽な設定に思えるけど、そこを航空戦による陽動、人海戦術による銃撃戦、潜入工作による大統領の拘束で成立させ、その手際の良さにも思わず納得してしまう演出で感心した。一方で、ジェラルド・バトラー演じる主人公だけが生き残って潜入できたくだりも、彼の身体能力の説明と併せて上手く組み込んでいて上手いなあ。最後まで彼の無双に近いんだけど、敵の悪辣さを際立たせることで主人公に肩入れしてしまう振り方もアクション映画の鉄則とは言え見事にハマってます。 テロリストに対峙するのは主人公だけではなく、拘束された大統領や、大統領代理となった下院議長達も同じ。そういった危機管理に立ち向かう姿がまた渋いけど、国防長官役のメリッサ・レオがテロリストに屈しない姿に、国に忠誠を誓うという矜持を見た。まあプロパガンダチックだというとそうかもだけど、娯楽映画だし、米国の政治指導者にそういうカリスマ性が似合うというのもまた事実。 |
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銀行強盗を思い立った亭主が、銀行の2件隣の地下からトンネルを掘るが、カモフラージュに1階で開店した妻のクッキー屋が大繁盛してしまう…。というウディ・アレン監督・主演のコメディ作品。 俺の中ではウディ・アレンと言えばこの作品のようなノリなギャグの作品を想像するんだけど、これに関してはあまり毒気が無くてサッパリした感じの作品になってますね。序盤こそ銀行強盗の話で展開していくのかと思いきや、いきなり頓挫してあらぬ方向に展開してしまうのがおかしい。結局は夫婦のいい話で終わってしまうのだけど、やはり人間は身の丈にあった生き方をするのが一番幸せなのかもしれませんねえ。 神経質そうなウディ・アレンの動きは、らしくて面白い。ちょっと悪い役のヒュー・グラントも、彼にしては珍しい役どころで良い感じです。 |
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実話をベースに、銀行強盗に押し入った男達が、大した金も得られないまま銀行を警官に包囲されてしまう姿を描いた物語。 主演の若いアル・パチーノが良い感じです。そして相棒がジョン・カザールだったりするので「ゴッド・ファーザー」を思い浮かべてしまったw この二人は強盗に押し入るものの上手く事が運ばないわけだけど、最初こそ滑稽であるけど、次第に主人公の境遇がハッキリしてくると思わず同情してしまう。また、人質達との連帯感描写からも、本当に悪人だとは感じさせない演出がより彼らに感情移入させてくれるね。 話の筋としては犯罪映画の如く、立て籠もりから解決までを一気に見せているだけなんだけど、貧困層の話や同性愛者の話などが盛り込まれていて意外に社会派なテーマだった。アッティカ刑務所暴動の話も出たりもするし、当時の社会を知っておくとより深く観れるかと思います。 |
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(1974年制作) |
留守中に暴漢に妻と娘を襲われた主人公。妻は死に、娘は精神を病んでしまうが、主人公は自警のため銃を手に夜の町を歩き出す。 銃を持つことで身を守ることが出来、強盗は銃による反撃を恐れるので犯罪は減る。…という、いかにも銃社会アメリカの論理を体現させたストーリー。ただ最初の射殺では主人公は自分の行為に拒絶反応も示しているので、一概に「銃バンザイ」という話でもない。それは主人公の出自に言及するシーンでもそうだよね。 では何故こんなに拳銃による自警を全面に出す話になったのか。個人的には、自警行為を通じて主人公が次第に取り憑かれていく様を描くことで、その行為自体をアンチテーゼとしているんじゃないかと思った。だから彼はヒーローではないし、映画でやってることと作品が言いたいことは逆なんじゃないかな、と。 自警行為そのものが話の主人公なので、冒頭の暴漢の処置も、主人公の家族も、終盤になるにつれ消えていく。逆にチンピラに指拳銃を構えるラストカットは、印象に残る出来映えです。 |
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OK牧場におけるワイアット・アープ兄弟とクラントン一味の対決を描いた西部劇。 今観ると、決闘に至るまでのエピソードが少々散らかっている様な気もしたけど、正統派な西部劇として最後の決闘に向かう4人の姿は盛り上がって良い。ワイアット・アープ役は名優バート・ランカスターだが、個人的にはもう一人の主役であるカーク・ダグラス演じるドク・ホリデーの男臭い格好良さが好きだね。でもやっぱりストーリーはもうちょっと詰めてテンポが上げられたんじゃないかって気がするなあ…。 ラストの決闘は1対1の早撃ちではないが、集団戦の迫力はある。そういえばワイアット・アープの例のバントライン・スペシャルは、序盤でちらつかせたりもしてたけど、決闘ではあんまり目立たなかったなあ。 ちなみに、アープ兄弟の役で「宇宙大作戦」のドクター・マッコイことデフォレスト・ケリーが出演していて、俺はそっちに「おっ」と反応してしまったw |
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(2009年制作) |
ロシア・ボリショイ交響楽団の清掃員アンドレイ。彼は30年前に解雇された元指揮者だったが、ある日、楽団に届いたパリからの公演依頼のFAXを目にし、かつての仲間をかき集めてボリショイ交響楽団になりすます計画を思い立つ。 フランス映画だけど、ロシアの人たちが主人公。いわばフランスから見たロシア人観を描いているのだけど、細かいリアリティは無くてもその辺がコメディとして描いているので受け入れられます。というかネタが好みで結構クスッとしてしまうw ロシアマフィアのドタバタに、未だに共産主義に夢を見る元KGBがいたり、ユダヤ人は金儲けのことばかり、スラブの人たちは遅刻が礼儀(という言い訳)とかね。 そして終盤はドラマとして纏めてくる上に、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を上手く生かして一気に盛り上げてくる音楽の展開が見事。指揮者の主人公とヴァイオリン・ソリストとの視線のやり取り。これが過去に繋がって…の回想シーンは、極めてベタなのによく出来てました。というか、中盤までは主人公の生き別れの子供っぽく見せて、実はソ連時代のユダヤ迫害のことを描いていたというのは予想外だったし、ドラマとして深みが出ていて良かったです。 |
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(2009年制作) |
様々な海の生き物と、海の表情を描いたフランスのドキュメンタリー。 同じようなドキュメンタリーでは「ディープ・ブルー」や「アース」があり、やはり後発となった分だけの工夫が欲しかった、というのが正直なところ。オープニングの生き物の様にうねる海や、カツオドリのダイブ、シャコvsカニ、シロナガスクジラの食事などは引き込まれて観たけど、逆にそれ以外はどこかで観た映像や、それに良く似たものが続く。「WATARIDORI」の監督らしく、生き物目線で併走する映像などもあったけど、インパクトは薄い。 中盤には人間の活動によって多くの生き物が死んでいることを印象づける映像が出てくる。だけど、網にかかった生き物達、フカヒレだけ切られて捨てられる鮫などの映像が「私たちは撮影のために海の生物を一匹も殺していない」という名の下に、それらのアニマトロニクスで撮ったというのだからとても恣意的で違和感を感じざるを得ない。問題提起としてはアリだと思うけれど、それを劇中で明確に「ここまでが本物」、「これはイメージ」と区別がつきにくいものにしていることは、ドキュメンタリー作家のやることとしては少々卑怯だと思うのです。 |
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オリジナルを知らないんで何とも言えないですが、「普通の映画だなぁ」っていう感想。この程度のどんでん返しじゃ驚かなくなってる。キャストは豪華。ブラピは何をしても格好いいなぁ。あのカツラはどうかと思うけど(笑)。娯楽作という事もあって「トラフィック」より観やすかったです。ラストで見張りの2人組に尾行されるけど、あの後どうなったのだろうか?逃げ切って欲しいなあ。 | ||
前作から3年、「盗んだ金を返さなければ殺す」と脅され再結集した11人が再び大きな獲物を盗みに掛かる。しかし、これは泥棒映画なのかどうか…。ラストまで見れば分かるが、どんでん返しがとてもチープ。電車内でのもみ合いはとてもスマートには見えない。そう、見方を変えなきゃいけない。これは泥棒映画ではなくてオシャレな映画なんだ、と。豪華なキャスト、小粋な会話、“スタイル”を楽しむ映画だと思えば結構面白い。実際、笑える個所も色々あるしね。いかにもソダーバーグ映画という感じの、絵の質感やカメラワークは健在。ハデさはなく、淡々と、でも小粋でどこかオシャレ。 でも、ここまで「泥棒映画ではなくファッション映画」と言っておいて何ですが、レーザー警報装置の対処方法があれなのは納得できません。 |
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(1997年制作) |
60年代に自ら冷凍睡眠に入った悪の組織の首領ドクター・イーブルが30年ぶりに復活した。当局はそれに対すべく、同じく冷凍睡眠を施した60年代のスパイであるオースティン・パワーズを解凍する。 「サタデー・ナイト・ライブ」出身のコメディアンであるマイク・マイヤーズが脚本と一人二役で主演したコメディ映画で、実にくだらない。基本的には主役2人が60年代から90年代まで眠っていたことでのジェネレーションギャップネタが主なものだけど、ここまで突き抜けてくだらないと…逆に俺は好きだな。フリーセックスの時代の感覚を現代に持ち込んで顰蹙を買うパワーズと、世界征服という古臭い(映画的な)支配感を持ち込んで周囲から呆れられるドクター・イーブルというキャラクターが強烈な印象を残す。下ネタの多いパワーズはキャラ的に好みが分かれそうではあるけど、イーブルは観ているうちに(キャラ的に)可愛く見えてくるから不思議。正直、出オチに近いキャラで一本の映画に仕上げるなんて、よくやったもんだとは思う。 作品全体に漂うチープさは、逆に60年代のスパイ映画に重なる様な雰囲気があって内容にはマッチしている。というかそれこそが本作が行っているコント的な“パロディ”でもあるのだけど、その上でそういったスパイ映画のお約束(主に「007」に代表されるピンチシーンからの脱出)に対するツッコミを登場人物に言わせたり(黙らせたり)と、思わずニヤニヤしてしまうネタもあってにくめない。個人的には「手下の家族でいるのは辛いものよ」のネタが、一瞬「なにごと!?」と惑わされて笑うw スズキに頭を食われて死んだジョン・スミスの仲間の似たようなくだりは米国公開版ではカットされたとのことだけど…、これはネタとしてかぶってたから切ったのかな? まあテンポを考えればわからんではない。 カメオ出演も何気に色んな人が出ているけど、ウィル・フェレルはあんな役でもちゃんと笑わせてくれるのはさすが。 |
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(1999年制作) |
前作のラストに宇宙へ逃げたドクター・イーブルが再び帰還。ドクター・イーブルはオースティン・パワーズの力の源である“モジョ”を奪うべく、タイムマシンを使って1969年に戻るが…。 前作でオースティン・パワーズと結婚したヴァネッサが爆発してビックリw ヴァネッサ役のエリザベス・ハーレイに対して「前作のヒロインがこんなちょい役になってるのにちゃんと出てくれてエライ」などと普通に思ってしまうのだけど、元ネタ「007」のボンド・ガールになぞらえてのことだから、理解があるという感じかな。そのままの流れで入るオープニングは、色んなもので股間を隠す1作目のセルフパロディも含めたミュージカル風の感じでニヤついていまうが、イチモツを連想させる見せ方が実にくだらないw(この場合の「くだらない」は若干の誉め言葉ですよ) 基本的には前作のノリそのままの続編だけど、本編の舞台が1969年に戻るので、90年代との世情ギャップのネタはセルフパロディで少し残るくらいかな。代わって他の映画・TVのパロディやセルフパロディで話を引っ張っていくスタイルになり、前作が好きならば十分に面白いと思う。新キャラのミニ・ミー(なんて安直な名前だ)は初見がすげえインパクト。そのうえ狂暴な性格というのも笑えるが、こういうのもイメージを逆手に取ったギャップネタというのだろうか。こういうセンスは素直に凄いと思う。一方でもう一人の新キャラ、ファット・バスタードはマイク・マイヤーズ演じる3役目。他の2役と全く性格の異なる人物を特殊メイクで楽しげに演じているけど、どこか不快な感じがするのも他のキャラと共通するところではある。結局そういう俗っぽい面をカリカチュアしてイジることが本シリーズの「芸風」なので、キャラの造形として理解はできるのだが。 本作もちょいちょい出てくるカメオ出演が豪華。大統領役のティム・ロビンスのあんな演技は他であんまり見ないなw 「ID4」や「アポロ13」の映像をそのまま使っているのもある意味でカメオみたいなもんだ。イチモツの色んな呼び名でリレーするシーンでのウディ・ハレルソンもビックリ。ちなみに前作も出ていた防空レーダー員のジョンソン役はロン・ハワードの弟。 |
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ゴールドメンバー (2002年制作) |
宇宙から帰還し、“痔の軟膏名”を冠した秘密兵器によって三たびの世界征服を企むドクター・イーブル。そこにオースティン・パワーズが立ち向かうが…。 妙な日本観がたっぷり入っているのは「007は二度死ぬ」が元ネタだろうが、タイトルは「007 ゴールドフィンガー」のもじりだし、オースティンの父親・ナイジェル役は“ハリー・パーマー(マイケルケイン)”だし、とにかくやりたい放題にパロディが入っていてニヤニヤしてしまうな。最たるものは本作のオープニング。戦闘ヘリとの派手なアクションが繰り広げられ、「『オースティン・パワーズ』っぽくない派手さだなあ、制作費余ってんのかね」と思わせておいてからの、主人公が振り返ったらトム・クルーズ!である。これは当時劇場で爆笑してしまったわ。スパイ映画のパロディがたんまり入った本作に、「ミッション:インポッシブル」(当時は2作目まで公開されていた)の主演を使って劇中劇でパロディをさせるなんて…自由すぎるw (ケビン・スペイシーとダニー・デヴィートも最高w) 展開的にはオースティン・パワーズとドクター・イーブルのまさかの兄弟設定を放り込んできて度肝を抜く…というか、変化球すぎるだろ!と思わなくもないんだけど。でもなんか許せてしまうのが本作のユルさの魅力かなあ? とりあえず兄弟となった二人の関係によって丸く収まったようで何よりだけど、ドクター・イーブルの息子・スコットはどこまでいっても報われないのが気の毒で、これも笑ってしまうね。 新キャラのゴールドメンバーは主演しているマイク・マイヤーズの4役目。“金の男根”なんて名前の妙ななオランダ人の設定だけど、演じ分けはさすがというかなんというか。それにしても、この映画はなんかオランダ人に恨みでもあるんですかね?w パロディ以外のギャグで一番笑ったのは影絵ネタでのミニ・ミー出産シーンかな? 「地球をおろせ!」で頭にぶつかるところもシンプルに面白かった。そしてラストのトラボルタも…おいしいと思う。 |
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(2008年制作) |
1930年代末のオーストラリア北部を舞台に繰り広げられるドラマ。 予告を見る限りでは「風と共に去りぬ」的なイメージの映画かと思ってたんだけど、実際に観てみるとそこまでの壮大さはなかった。というか風景も舞台装置も壮大なんだけど、ストーリー展開の詰め込み感が強すぎてどうも表面的にしか受け取れない。オーストラリア植民地の生活、白人のアボリジニ達への扱い、第二次世界大戦とホントに盛りだくさんなんだけどねえ。それぞれ独立したテーマでも映画に出来そうだなw 勝ち気な奥様を演じる主人公のニコール・キッドマンはハマり役。だけど話の勢いに乗って“お嬢様系”から“母親”へ変貌していくので、映画の冒頭とラストでは見た目以外は別人の様w まあ、そういう変化自体も“幕の内弁当”的な映画らしいと言えばそうか。牛追いを演じるヒュー・ジャックマンもワイルドな風貌が似合ってたね。彼らの間に立つことになるアボリジニの少年は、演技は「まあしょうがないか」という感じだけど神秘的な風貌は良い。そういう意味では風貌も行動も神秘的だったアボリジニの爺さん、キング・ジョージの雰囲気も良かった。 だけどやっぱり色んな要素が盛りだくさんすぎて、完全に溶け合うにはあと一歩のような印象もあるんだよなあ。宣伝で大作感を煽っている割には普通の映画でした。 |
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全編に渡って流れるカントリーが何ともいい感じのロードムービー。いやにリアリスティックな主人公(ジョージ・クルーニー)と、結構純真な2人の仲間との掛け合いも面白い。個人的に自分を主人公とダブらせて観ていたw 主人公が言う「女は悪魔だ」(共感したりするんだよなあ、これがw)。どれだけ裏切られても、理不尽なこと言われてもヨリを戻そうとする主人公。よっぽど惚れ込んでいるんでしょうw でもどこかさわやかで良いムードの映画です。夢とは、神とはといったテーマも色々こちらに考えさせてくれる。裏筋で選挙の対立候補がKKKの首領だったり、ものすごいタイミングで奇跡が起こったりと話がうますぎるけど、この映画では有りでしょうw “ずぶ濡れボーイズ”のサントラが欲しくなったねw | ||
(2004年制作) |
仕事に追われる生活の中でやっと休暇を取ることのできた夫婦。休暇先でダイビングを楽しむが、海面に上がるとボートはすでにその場にはいなかった。 大海原に取り残されるというワンシチュエーション・スリラーだが、派手な場面はないし画面の端々から低予算な感じがひしひしと伝わってくる。だけど、後味の悪さも手伝ってスリラーとしてはなかなか見応えがあったかな。実際にあった事件を基にしたストーリーとはいえ、漂流中の様子は創作だろう。けれど、もし自分がそういう目にあって「生きながらサメの餌になる」という運命を悟るというのは…考えたくないぞ。 映像自体は正直チャチだと思う。ビデオで撮ったような映像だし、客観なのにそこにカメラマンがいるような画だし。でも一緒に海に漂っているような気にはさせてくれるところや、ジワジワと希望が無くなっていく様子がイヤだなあ。終盤、夫がサメの餌になる様子を見る妻が静かなところは、もはやこの期に及んで…といった感じなんだろうか。そして静かに海面から姿を消す妻。こういうバッドエンドは想像してなかったので、驚かされたとともに、その後味の悪さに感心もした。 それにしてもボートでの人数の数え間違いは、落語のネタみたいな話だよなあ。 |
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6月6日6時、息子の死産を知った主人公は妻を案じ、同時刻に生まれた別の子を自らの子として受け入れるが、その子ダミアンは悪魔の子だった。 ホラー映画ではあるけど、いわゆるショッカー的というよりもスリラー的な演出が冴える。この映画で起きる殺人場面も特に(悪魔の力が働いているようには見えるけど)超常的というわけでなく、家政婦が手を下した以外はある種偶然の事故とも取れる。だからこそ妙なリアル感があって、ラストに主人公がダミアンを刺そうとするシーンの深みが出るんだよね。“状況証拠で子供を殺そうとする親父”という逆の怖さが…。 作中の雰囲気が恐い良質のオカルト映画ですわ。 |
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同名の傑作オカルト映画を、時代設定を'06年に移して撮影したリメイク作品。 時代背景以外の設定、ストーリーラインはほぼオリジナルに忠実で、そういう意味での新味はない。リメイクの追加要素としては、主人公の妻が見る不吉な悪夢がそれはそれでイヤな感じだけど、突然でかい音が鳴って脅かすという演出はちょっと芸がないかなあ…? オリジナルと比較すると、ダミアンに邪気がある気がする。だからオリジナルでのラストのような“悪魔の子と信じた親の、子殺し”といった印象よりも、“目の前にいる悪魔の子を倒さんとする親父”という具合に見え方が変わってしまって…。俺としてはそこがマイナスなんだよね。微妙な差ではあるんだけど…。 ストーリーは全く同じなのに、演出が違うと受け取り方が変わってしまう良い例かもね。 |
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('49年版) |
腐敗政治に怒りを燃やして知事選に立候補した市民の一人が、当選後、権力欲に取り憑かれていく姿を描いた政治ドラマ。 知事側近の元記者(主人公)の視点でドラマが進んでいくんだけど、個人的にはその主人公が今ひとつ煮え切らないせいか、少々話に乗れなかった。プロット自体は現代でも通じる話で面白かったんだけどね。まあ、民衆共々その知事のカリスマ性に目が眩んでしまった訳か。 二度目に立候補した知事選で、“実弾”を使って票を操作し当選するあたりから、腐敗にまみれていく男が憎らしく、また哀れ。結局、最初に訴えていた倒されるべき者に、自分自身がなってしまっているんだよね。でもどんなに腐敗していても(人気取りで)学校は建て、病院は作り、道路は出来上がったわけで、民衆にとって利益がなかったかというとそうではないのかも知れない。かといってそれが正義というわけではないんだけども。そのへんが皮肉だなあ。 政治ドラマという体裁なので一種娯楽とジャンル分け出来るかもしれないけど、そこに描かれる腐敗政治と権力欲はいつの世でも通じる普遍的なものですな。 |
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(2021年制作) |
南国リゾートへ旅行に訪れた4人家族。一家は他の家族と共にホテルのマネージャーから勧められたプライベートビーチへ向かうが、そこである異変に気づく。 M・ナイト・シャマラン監督は未だに「シックス・センス」の呪縛に囚われている部分はあると思う。それは観客からの一方的な期待によるものが大部分だと思うけれど、本作でも終盤に用意された「長期治験だった」というどんでん返しにそういった「シャマラン印」を残そうという監督の苦労が垣間見える。 一方で物語としてはその「治験」という背景はあまり重要なようには感じない。「老い」というテーマで一点突破してる感じかなあ。観ている間に最も感情移入させられたのも「老いること」に対する登場人物の焦りや不安であって、「残り時間」を自覚した時に“人は人生をどう受け止めるのか”、そして紆余曲折あった夫婦が最期には穏やかに亡くなるというドラマにこの映画の深みを感じさせられる瞬間があった。ただ、「1日で一生を終えるビーチ」という設定自体はその「人生」を考えさせるための仕掛けでしかないわけで、そういう意味ではかなり割り切っている作りだなとも思う。なので「老いる事」以外の出来事は物語の上で枝葉でしかない印象。でも、枝葉なりに小出しにトラブルを出して話を引っ張る組み立てにしたり、「治験だった」というどんでん返しに関する伏線もそれなりにはあるので、観ている側を飽きさせない様にはなっていたけれどね。 まあ細かいところで気になる部分があるとすれば、“大きくなった”6歳の少年・少女が「プロムにもいけない」とか「レントゲンの防護服の仕組み」とかの話をしていたり、統合失調症の医者が気にしている映画のタイトルがほんとに何の意味もなかったりすることか。子供に比べて大人の見た目があまり変化しないところも気になるといえば気になる。展開の面では終盤に“サンゴ”が鍵になるという展開は特に荒っぽい話の持って行き方だと思ったので、そのあたりはちょっともったいない感じもした。 |
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15年間理由も分からず監禁され、ある日突然解放された男の復讐劇。 俺は原作を読んではいないけど、良くできた映画だと思う。話の展開や、何とも言えない不毛な感じはたまらない。でも、俺はこんな話嫌い。俺からしたら、主人公オ・デスはあんな目に遭うようなことはしてないだろ。イ・ウジンは自業自得な目に遭っただけで、オ・デスに逆恨みする権利なんてあるもんか。奴の台詞、「俺たちは全てを知って愛し合った、お前達はどうだ」、勝ち誇って言うような台詞か!クズが!あ〜、イ・ウジンむかつく!まあ、そういう風に怒れるのは映画に引き込まれた証拠ですが。 場面場面の痛いシーンはホントに痛いわ。背中にナイフが刺さってるのは逆におかしいのに、釘抜きが歯に当てられただけで「うわあ」と思うもんなw 「攻殻機動隊」の“歯医者”って拷問を思い出した。あれは唇を切るのか? しかし一見ハッピーエンドのようにも見えるエンディングだけど、やっぱり何の救いもない話だよなあ…。 |
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“アメリカン・ドリーム”という言葉を思い出すが、ジム・モリスは実に幸せな男だと重う。妻や、息子、教え子や町の人々に支えられ、昔叶わなかった夢をつかむ。悪意を微塵も感じない、とてもきれいなストーリーに感動した。ジム・モリスの父親はきっとその父に言われた「夢を追う前に、男としての責任を果たせ」という言葉に忠実だったのだろう。それが為に確執もあったけれど、ラストに心を通わせることが出来て本当に良かったと思う。嘘のような本当の話。“ベースボール”というファンタジーは、まだアメリカに存在しているんですなあ。 | ||
(2014年制作) |
桜坂洋のライトノベルをハリウッドが実写映画化したSF戦争アクション。広報担当士官だった主人公は、司令官によって前線に飛ばされてしまうが、初めて戦死した瞬間、気が付くと出撃前日に戻っていた。 いわゆるタイムループもの。SFでは使い古されたネタだけど、前回の失敗を踏まえて行動をやり直すという姿は、戦闘と戦死を扱うせいかよりゲーム的な感じ。劇中でも「ステージ」と主人公が言っているくらいだから意図的だろうね。冒頭の戦場に飛ばされる場面から最初の戦死まで、主人公の腰が引けている部分を見せ、徐々に状況を理解し行動に移る展開は、ループも含めてテンポ良く進んでいい感じ。ループも単純な繰り返しではなく、パターンの中にギャグを織り交ぜたりとなかなか楽しませてくれますw しかし原作はひたすら戦死する事でループしていたのに、この映画では仲間の女性兵士…リタによって強制的にリセット(射殺)される場面もしばしば。個人的にはそこが引っかかるんだよね。過去にループを経験したリタならば状況を理解していることは分かるのだけど、あの場面でループできるのは主人公の意識のみであって、リセット後のリタの意識はパラレルワールドで続いているはず。であれば彼女にとってはこれ以上枝分かれしようのない人生であるのに、そのラインで仲間を打ち殺す行為は…?あくまで主人公の主観でしか世界をとらえられていないように感じてしまう。強引に解釈すれば、「輸血によって主人公がループできなくなるリスク」を少しでも下げるためにしているとも取れるけれど。 まあ映画のラストを考えても、"未来が過去に与える影響"という筋立てに関しては、SF的考証よりもエンターテイメント性を取ったのだろう。 |
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(2017年制作) |
多国籍企業ミランドがチリで“発見”したというスーパーピッグ。世界の26の地域で育てられることになったその豚の1匹と10年間をともに過ごした少女・ミジャの絆を通して、企業や団体の論理に翻弄される姿を描いた寓話。 命を食べることというテーマを描いているが、スーパーピッグのオクジャは明らかに賢い動物として描かれていて、冒頭でミジャのピンチを救うなど、あっという間に観客に感情移入させてしまう。テーマ的に説教臭さが出そうな話ではあるものの、企業論理も動物愛護団体のエゴも割と両者ともにニュートラルにカリカチュアされていて、個人的にはバランス感覚が良い作品だなと思った。ミジャにとっては両者の主張は関係なく、ただオクジャと暮らしたい、その一念のみの物語なのだ。「確実に肉になるんだから名前つけて特別視すると、あとでしんどいよ」というセリフが漫画の「銀の匙」にあるが、観客にとってはそれを仮想体験できるような感じかな。「鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり。」そういう話。 人間は牛や豚を食べる。世界には鯨や海豚、犬を食べる地域もある。そういう動物に抱く感情も人それぞれだろう。だからこの映画では実際の動物ではなく、オクジャを架空の動物として寓話的に描いたのは上手かったと思う部分。牛や豚だと生々しくなるので。ただ、スーパーピッグに知性が見えるから食べるべきではないと感じさせるところは…、うーんちょっとズルいw 一方で食肉加工の場面まで踏み込んで描いたところは評価。「いのちの食べ方」というドキュメンタリー(は本物だったが)を思い出す。この映画でオクジャは救われたが、人間が家畜の命を食べて生きているという世界は変わらない。こういう映画を観るにつけ、感謝をもって肉を食べていきたいと思う。 |
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海の賢者は語る (2020年制作) |
映画製作者のクレイグ・フォスターが故郷の海で出会ったマダコと心を通わせた1年間を追ったドキュメンタリー映画。 いわゆる海洋ドキュメンタリーというジャンルだけど、マダコの生態を取り上げるときにこのような方法で擬人化する方法もあるのだなあ。タコは軟体動物の中で知能の高い生き物と知られているけれど、野生のタコがこのように人に慣れて交流する様子には、本当に感情を感じさせるような描き方としてよく出来ていると思う。ただかなりストーリーとして作られている感は否めないので、逆にそこが気になる面でもあるけれど。 手法としてはクレイグ・フォスターが海に心を癒されていくという本筋があって、その中でのタコとの出会いと別れが話のキーになっていくという構成。序盤でタコの寿命は1年ほどという事にも触れ、この交流のドラマが時限性であるという事もサラッと伝えるところは上手い。時間が過ぎていく毎に別れが迫っていることを感じるからね。タコがフォスターに慣れたというのも紛れもない真実だろうけど、フォスター自身を撮った再現VTRと本来ドキュメンタリー部分であるタコの映像とのモンタージュによる構成はかなり手が込んでいるので、作りの手の誘導がかなり強いようには感じる。とはいえそういう物語的な構成であるからこそ、観ている側はタコに対して感情移入しタコの生涯に一喜一憂してしまうわけだ。そういう感情を普通にドキュメント映像だけで観客に体感させられるかというと大変だろう。だからこそ本作の“工夫”はユニークだし、よく出来ていると思う。 |
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(2016年制作) |
サラ・ウォーターズの「荊の城」を原作にした犯罪映画。日韓併合時代の朝鮮で、ある貴族の資産を狙った詐欺師がその貴族の“お嬢さん”秀子へ接近するために仲間の女を侍女として屋敷に入り込ませるが…。 元々ヴィクトリア朝時代のイギリスを舞台にした話を戦前の朝鮮半島に翻案しているのだけど、日本の華族という設定を上手く使って舞台をこしらえているのは上手い考えだなとは思った。和洋折衷の独特な屋敷も、ウソっぽいながらに違和感のない感じで存在感を発揮していて面白い。 とはいえこの映画のキモは、二転三転する詐欺師と秀子の人間関係だよね。第一部は侍女の主観でお嬢さんに惹かれていく様子が描かれ…最後の突き落とし方は「なかなかやるなあ」と感心したw 第二部は秀子お嬢さんの主観で実はどうだったという種明かしがされ、彼女の本性が垣間見える。そして第三部が全体の顛末を描く話というわけだが、全体的によく纏まっているとは思うものの、個人的には第一部で「起承転結」の「転」まで行っちゃった感じがして、種明かしで引っ張る第二部以降も悪くはないんだけど、もう一つインパクトが欲しかった…かも? 作品の雰囲気として特筆すべきなのは、やっぱり主人公のレズ描写や変態的な“朗読会”といったこの映画を“成人映画”にしちゃっている部分になってしまうか。ただ第二部の絡みなどはかなり露骨だとは思うものの、見せ方としてそこまで下品になっていないのは良いと思う。まあ個人的にはあんまり露骨なのより、第一部の風呂のシーンの方がエロく感じてしまうけどね。あとこの映画は韓国映画だけど、舞台設定の関係でかなり日本語が出てきますが…。多少怪しい(聞き取りにくい)場面はあったものの、概ねイントネーションも自然で好感が持てました。ただ…一部で飛び交う単語がなかなか際どいw |
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(1939年制作) |
映画の本当の魅力というのはこの作品を観れば分かるのかも知れない。映画史に残る名曲、強烈な魔女のイメージ、映画が夢を夢として語れる時代のミュージカルファンタジーの傑作ですな。冒頭の白黒部分からテクニカラーによる原色の世界への転換は、“夢の魔法の世界”の表現として見事な効果を出してるね。…ん?夢は確か白黒に見えるんじゃ…?まあいいかw “脳のない案山子”、“心のないブリキの木こり”、“勇気のないライオン”とドロシーの旅。人間が演じている温かみもあるし、それぞれが凄く良い味を出している。特に“勇気のないライオン”は面白かった。オズの登場人物と、オズに行く前の現実世界の登場人物とをリンクさせることで、分かりやすい夢オチの前振りにしている部分もある。でもオズが夢か現実かは重要ではないし、ドロシーたちの成長や気づきがテーマだから、そこは観る側の解釈で良いか。 |
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はじまりの戦い (2013年制作) |
カンザスの奇術師オスカーが、気球での逃亡の際にオズの世界へと迷い込む。そこで"予言された偉大な魔法使い"と皆にもてはやされるオスカーだったが…。 かの名作「オズの魔法使」の前日譚。いかにオズの魔法使いが誕生したかを描いているのだけど、元が夢オチとして綺麗にまとまっている作品なので、個人的には無理やり話を広げているようであんまり…な気分。ただ、冒頭がスタンダード白黒で、オズに舞台が移ってからワイドのカラーになるなど、オリジナルを踏襲した演出は心憎い。黄色いレンガやグリンダのシャボン玉、投影されるオズの巨大な顔なども、「オズ」らしいガジェットでニヤリとする。 ストーリーは、身勝手な男だったオスカーが冒険を通じてオズを救い、最後に「あなたは最初から正義の心を持っていたのです」…と、それらしい話で終わる。だけど、この辺はオリジナルと被っているようで、それでいてそれほど教訓じみたわけでもなく、なんとなく中途半端。現実に帰るわけでもないしなあ。奇術師一世一代の戦いは盛り上がったけど、それ以外はオズファンの大人向けなのか、総じて子供向けなのかよくわからないノリで、脅かし系の演出もくどい。まあ脅かし系はサム・ライミ監督っぽいと言えばそうだけれど。 一つ確かなのは、陶器人形の少女がとても愛くるしいということですねw |
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(2023年制作) |
マンハッタン計画を推進し、「原爆の父」と呼ばれたロバート・オッペンハイマーの伝記映画。 カラーで描かれたオッペンハイマー視点の「分裂」と、モノクロで描かれたルイス・ストローズ視点の「融合」、その2つの時系列を軸にさらに回想でオッペンハイマーの半生が語られていく。2本の軸と回想によって場面が入り乱れるので、観ている側の理解を追いつかせるのにパワーが要る。それでも思ったよりは判りやすくなっているのは、カラーとモノクロの対比と場面転換での繋がり(キーワード)がハッキリしているからだろう。登場人物も非常に多く一見すると混乱の種にもなりそうなのに、印象に残るキャラの見せ方やフラッシュバックの使い方が上手いので「ああ、あの人か」とすぐに理解できるのも良い。これまでも時系列を弄った映画を撮ってきたノーラン監督だが、本作でもその手腕はいかんなく発揮されていると思う。というか、こんな「物理学者の内面」の様なテーマをこの構成で描ききって、しかもサスペンスドラマに仕立て上げているのだから、もう流石という他にはない。 物語的には"原爆を作った男"がどんな人物だったのかに興味が行くが、作品のテーマとしては「理論とその実現に対する高揚」そして「その結果がもたらす絶望の幻視」という科学者の苦悩が描かれていたようにも思う。そしてその物語を補強するのが原爆(核"分裂"爆弾)推進と水爆(核"融合"爆弾)推進に関係する対立、というわけだ。オッペンハイマー視点を「分裂」、ストローズ視点を「融合」としているのはそういう意味も込めてのことだろう。オッペンハイマーが赤狩りの時代に疑いを受けて聴聞され、その黒幕であるストローズ後に公聴会で…と違う時間を並べて間接的に対決させている構図は実に興味深い。そしてストローズの私怨の一因ともなった"オッペンハイマーとアインシュタインとの会話"が、そんなストローズの想像とは関係のない、科学者としての破壊のビジョンについての絶望であったというところにとても皮肉を感じる。 |
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(2015年制作) |
有人火星探査のミッション中止により、予期せず火星に取り残された主人公のサバイバルを描いたSF映画。 火星にひとりだけ取り残されるなんて…絶海の孤島どころではない絶望の漂流記のはずだが、主人公マーク・ワトニーはへこたれない。超ポジティブな男と捉えることもできるが、個人的には学者らしいリアリスティックな人間なのだろうと感じた。置かれた状況や問題をを理解・分析し、一つ一つ解決していく。いかに深刻でも絶望しないという姿勢こそが観客に共感を生むのだろう。観てる側も、陰鬱に「死ぬ死ぬ、もうだめだ」と言ってる男を応援したくはないからねw 船長の置いていったディスコミュージックをディスるといった軽口も面白く、BGMと二重の効果で雰囲気を軽くして面白い。 冒頭からその状況に陥るまでもテンポよく、すぐに引き込まれる。一方で地球側の状況もテキパキと見せられるのでわかりやすい。あまりにもテンポが良いので、劇中の期間の長さが逆に弱まってしまっているような印象もあるが。あとそうだなあ、難を言えば深刻さが前向きさに打ち消されているので、予定調和に終わるのも予想できてしまってどうしても「アポロ13」等の様な救出劇の話を比べるとハラハラしない。唐突な中国の登場も、流れ的にちょっと力技だなあと感じた部分。 「科学の力を使って生き残る」というテーマもあるので、なかなかそれっぽい科学的なリアルさは好印象。演出において火星の重力は無視したということみたいだけど、散々出てくる与圧の話なんて、吹っ飛んだエアロックの代わりをシートとテープで何とかなるもんなんだろうか?とは思ったw(気圧差は100分の1だよね?) まあそこは「何とかしました」という話だと理解。個人的には地球との通信を回復させるためにマーズ・パスファインダーを起動したシーンはニヤリとしてしまった。火星探査では97年当時話題になった探査機なので名前はよく覚えていたからね。16進数とASCIIコードでのやり取りもなるほどと感心。こういう“技術的に出来そう”というイメージの積み重ねが、本作では重要ですな。 |
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(2011年制作) |
戯曲『大人は、かく戦えり』を基にした、ロマン・ポランスキー監督のコメディ作品。子供同士で喧嘩があった二組の夫婦。和解のために集まり友好的に事が進んでいたはずが、次第に険悪になっていく…。 たった4人で話が進んでいく、ある種の密室劇。ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリーと達者な役者の演技が全てを支えているね。登場人物のイラつく感じが伝わってくる前半と、感情をさらけ出し始める後半とで話のテンションが変わっていく様が面白い。4人それぞれに共感と対立が入り混じり、人間社会の縮図の様でもあり、個人と他人の越えられない壁そのものであるように思う。まあそんな哲学的なことは度外視しても、いい大人が言い合いをしているさまが滑稽に見えるわけだけど。序盤こそ「こじれる前に早く帰れよ」などと思ったけど、全体に展開が良くできてるなあと感心もしたね。オチにもニヤリw ゲロの噴出にはちょっと引いたけど、小気味良い作品だったと思う。 |
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(1937年制作) |
ミュージカル・スターのリンダ・キーン嬢(ジンジャー・ロジャース)に恋をしたバレエ・ダンサーのペトロフ(フレッド・アステア)。米国への船旅で一緒になった二人だったが、図らずも二人が結婚しているという噂が広まってしまい…。 フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの主演コンビの作品としては10作中7作目の作品という事だけど、息の合ったダンスはさすが。本作ではいつもの見事なタップに加えてローラースケートを使ったダンスや、バレエも取り込んで見せ場を演出しているけど、何を踊らせてもサマになるフレッド・アステアはカッコイイ…! 序盤で嬉しさを表現するタップダンスを披露する場面では、針が飛んだり回転が遅くなったりといったレコードのジョークが「キマり切らない…!」といったちょっとしたズラしで良い感じ。 ペトロフのマネージャーを演じるエドワード・E・ホートンとホテルのフロアマネージャーを演じるエリック・ブロアは、本作もコメディ・リリーフとして良い味を出してますな。ホートンが新聞を見て卒倒する場面ではカメラのパンを使って直接倒れるシーンを映さないなど、なかなかアクセントとしても面白い。思えば序盤では、パラパラ漫画のようなダンスの写真を使ったシーンからオーバーラップしてジンジャー・ロジャースの登場に繋げたりと、結構凝った見せ方をしていたりもします。 一方で中盤のリンダ・キーン人形の登場はちょっと唐突で、どうかなあとも思ったのだけど。それがラストの大勢のリンダの仮面を着けたダンサーの中から本物を探すという演出のためかと分かると、うーんまあ前振りとしてはありなのかもと思った。まあこの辺はおおらかに観たいw |
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(1949年制作) |
ブロードウェイ・ミュージカル「オン・ザ・タウン」の映画化作品。ジーン・ケリーが監督と主演を務め、24時間の上陸許可を与えられた水兵3人の恋愛模様を描く。 明るく楽しいミュージカルだけど、ストーリーラインが俺の好みではないのかどうも今一つ入ってこなかったというのが正直なところ。24時間という限られた陸での自由時間で女の子と遊ぶという、若者思想な目的から始まっているところがどうもなあ。いやまあ、陸に上がった水兵の楽しみとしてはそうなんだろうが。 基本的にロケやセットで舞台が進行するけど、たまにステージのような演出を挟んでいるところがアクセントにはなっているかな。確かにダンスシーンは切れがあるし、3人ないし6人が入り乱れて展開するので目にも楽しい。でも個人的には、序盤の教室でジーン・ケリーとヴェラ=エレンが2人で踊ってみせたシーンが一番よかったね。冒頭で流れる「ニューヨーク・ニューヨーク」も、ケリーとシナトラとマンシン3人が名所を巡りながら高らかに歌い上げ、この作品の雰囲気を宣言しているようで楽しかった。 全体的には話に乗り切れなかった本作だけど、ラストに再び「ニューヨーク・ニューヨーク」がかかり、主人公3人と入れ替わって再び3人の水兵が街に繰り出していくという循環構造は、ちょっと小粋で良いじゃないかと思いました。 |
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(2013年制作) |
近未来の地球。エイリアンの襲撃後、無人となった地球でプラントの監視任務に就く主人公(トム・クルーズ)。5年より前の記憶を持たない主人公だったが、ある日地球に不時着した冬眠カプセルの中に、頻繁に夢の中に現れる女性の姿を見つける。 自分が思っていた世界の仕組みが実は本当の姿ではなかったとは、実に王道なSFの感じ。自分が何者であるのかという部分も含めて、SFサスペンスらしい状況のひっくり返し方は面白いと思う。ただ、話を作るために世界観が作られているのが透けて見えるというか、「なぜエイリアンがそうした運用をするしかなかったのか」という合理性の説得力はちょっと弱い。人間の生き残りにしても、どのようにして生活を維持しているのか描写はないわけだし。あくまで深く考えず、主人公の主観だけのサスペンスとして観た時の、抽象的なSFとしての面白さ…ということで。 荒廃した地球と、無機的なメカデザインのイメージは良い感じ。赤いアイカメラは「2001年宇宙の旅」以来、非人間的な知性をイメージさせる鉄板の演出ですな。砂漠化した地球の姿も印象的ではあるけど、いったいどういう事が起きるとビルが埋もれて、崖の中にビルの壁面や橋が見えたりといった地形になるのかは、皆目わからなかったw やっぱり説得力じゃなくてビジュアルイメージ先行なんだろうけれど。 |
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言わずと知れた名作ミュージカル版「オペラ座の怪人」の映画化作品。でもこれが映画かと聞かれれば、媒体が舞台でなくスクリーンになったミュージカルだと思う。普通の会話からして歌っているわけだから。 ストーリー自体は俺の好みではない。怪人と恋人ラウルの間で揺れ動く主人公。怪人にもラウルにも気の毒だ。でもオープニングでオペラ座の時間が巻き戻っていくシーンから、不思議と話に引き込まれてた気はするけどね。途中まではどうかなあと思っていた怪人にも、ラストには共感していたし…。まあ、人殺しはどうかと思うけど。 基本的にはラウルの回想という構成で、現実部分が白黒で描かれる。監督は白黒のシーンは“イノセンスの終焉”の象徴と言っているけど、ラストのバラの赤が怪人の心情を伝えてくれるね。 |
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(1974年制作) |
オリエント急行に乗り込んだ名探偵ポワロ。彼はそこで殺人事件に遭遇し事件の解決を依頼され、12人の容疑者が浮かび上がるが…。 個人的にはポワロ役といえばデヴィット・スーシェのイメージが強いんだけど、今作のアルバート・フィニーもなかなか良いね。イングリッド・バーグマンやショーン・コネリーも出演しているし、結構豪華です。 事件は移動する列車の中という密室殺人。ポワロは容疑者全員への尋問から見事に事件を解決するわけだけど、オチまで観てそういう展開になるとは、原作を知らなかっただけに驚いた。警察ではない、探偵という職業ならではの決着方法ともいえるかなあ。 事件の背景や複雑な人物関係の描き方は手際が良いし、2時間で上手く纏まってると思う。面白かったです。 |
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(2017年制作) |
アガサ・クリスティの名作小説をケネス・ブラナーが監督したミステリー映画。 この物語はシドニー・ルメットが監督した1974年版を観た事があるので内容は知っているのだけど、容疑者全員が犯人だったという驚きのトリックが最大のキモ。映画やドラマで何度も映像化された有名な作品だから、その結末も周知の事実とした上での映画化…ということだろう。そういう意味で、監督がどのように過去作と差別化するのかという部分にも興味があったけど、本作は監督自身が演じるポアロがちょっとだけアグレッシブな感じになっていて、これはこれで面白いポアロ映画になっていた。この髭の形も良い! もちろんストーリーの根幹、つまり全員犯人というトリックは変わらない。というか「オリエント急行殺人事件」と名乗るからには変えちゃいけない部分だと思うけど、そこが守られていたのは良かった。奇をてらって改変してきたらどうしようかという不安は杞憂でしたね。それでもちょっとしたエッセンスの違いもあって、その辺に多少良し悪しがある様にも感じる。個人的にはポアロにアクションは不要だとも思うのだけど…監督はそうは思わなかったようですな。まあアクションと言ってもド派手なものではないし許容範囲か。一方、良かったのは話のテンポと、終盤の機関車をバックに外で行った推理披露の演出。容疑者を横に並べて、まるで「最後の晩餐」かの様なケレンたっぷりの画づらは、実に狙ってますなあw 彼らを試すかのように銃を差し出すあたりのオリジナル展開も、いい塩梅だった。 エンディングの「ナイル川で事件が〜」のくだりは半分ジョークなんだろうけど、ぜひとも「ナイル殺人事件」のブラナー版も観てみたいと思えるクオリティでした。 |
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(2008年制作) |
70年代の米国、バスケットボールリーグABAがNBAに吸収されることになった。ワンマン・オーナーの弱小チーム・トロピックスはNBAに吸収してもらえるリーグ4位を目指して奮闘する。 弱小チームが奮闘する様はベタなスポ根のフォーマットそのままで、ある意味王道。これでコメディとなれば「メジャー・リーグ」のバスケ版?っていう感じもするが、そこはウィル・フィレル主演なのでバカバカしい笑いが多い…はずだが思ったよりは大人しい感じだったかな。試合シーンはギャグでごまかさずに真面目な試合をしているように描いているので、そういうところで「まともなスポ根」に見えるのかも。ドラマ部分のメインになるウディ・ハレルソンがバカをしないってのも、バカ映画の印象を弱めているのかもしれないけどね。まあドラマといっても表面的な感じだし、バカ映画を期待すると流れの中でちょっと浮いている感はある。 とはいえウィル・フィレルが演じる役は、彼のキャラらしい子供っぽい行動でちょいちょい面白い。ゲロネタはハレルソンのリアクションも併せて可笑しいが、後半の熊のネタはバスケに全く関係ないのに使い倒して最後のオチがそうなるとはw その辺のバカさ加減は好きですよ。 “ものすごく小汚いヒッピー”役のジャッキー・アール・ヘイリーがほんとに小汚くて何とも言えない(苦笑)。途中でもしかしてチームに加入するのか?と思ったらそうでもなく、最終戦の観客席で賞金の支払いを訴える姿には笑わせてもらいましたw |
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実在した銀行強盗、ボニーとクライドとその仲間の顛末を描いた作品。 犯罪映画と言うよりは青春映画と言った趣が強い。ボニーとクライドの出会いから銀行強盗に至る経緯や、車で逃避行を続けるくだりなんかは特にね。彼らは確かに強盗をし、彼らにとっては不可抗力で人を殺しもした。でもただ自分たちの生き方を求めてアウトロー的に生きる様にどこか共感を覚えるんだよね。退屈な生活から抜け出したかったボニーが、クライドの話に惹かれたように。 唐突で衝撃的なラストの銃殺シーン。有名なシーンだけに何が起こるかは分かっていたけど、それでも結構ショックだったね。犯罪の代償とはいえ、彼らはここまでされるような…。そう思ってしまうのは、やはりこのアンチヒーローに共感してしまっているからなんでしょうね。 |
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(2004年制作) |
1970年代のサンディエゴ。ローカル局ニュース番組の人気アンカーマンと彼のニュースチームのバタバタを描いたコメディ。 テレビ局のニュース番組という男社会にアンカーを目指す女性が入ってくるという構図は、後の女性進出を暗示する社会的なテーマが…あるのかないのか分からないくらいにドタバタのバカ映画。主演のウィル・フェレルの“尊大で大げさで下品な男”という芸風がさく裂した作品でもあるけど、それがハマれば楽しいかも?まあ個人的には下ネタは「くだらないなあ」と流し気味だったけど、たまに「そこでそう来るか!」的な小ネタにちょいちょい笑う。フルート吹きながらトイレの個室に滑り込むとか、意味不明なのが結構好きかもしれない。 まだ日本ではあまり知られていなかった頃のスティーヴ・カレルが頭の足りないすっとぼけた役を好演。手りゅう弾どっから持ってきたんだよ!しかしカレルもそうだけど、脇役やチョイ役のメンツがちょいちょい豪華で可笑しいな。カメオ出演ではジャック・ブラックが良い意味でヒドいが、最高なのは各ローカル局のアンカーたちが路地裏で決闘するシーン。「ギャング・オブ・ニューヨーク」のパロディだよね?ティム・ロビンスにベン・スティラー…なにやってんすかw クライマックスが絶妙にチープなのはご愛嬌。NG集のエンドクレジットは楽しそうで何よりです。 |
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(2007年制作) |
問題行動でフィギュアスケートの男子シングルから追放された犬猿の中のチャズとジミー。3年半後、再びフィギュア界に舞い戻るべく、二人は前代未聞の男子ペアを結成してペア競技に参加する。 肩の力を抜いて楽しめるくだらないコメディ映画、と言ってしまえばそれまでだが、チャズを演じるウィル・フィレルの下品な役どころはいつもの通りとしても、スポ根・友情コメディとして思った以上に楽しめた。愛すべきバカ映画。 元々犬猿の仲だった二人がペアを組むうちに友情が芽生え、恋路に協力したり、誤解とその解消。そして絵に描いたような分かりやすいライバルとの対決と…ベタベタな展開のオンパレードだけど、それが良い。ウィル・フィレルの下品さが、逆に「案外憎めない奴じゃないか」と良いように作用しているようにも思う。恋路に不器用なジミー(ジョン・ヘダー)のキャラクターとの対称性が良いのかもね。 スケート要素はどこまで本気かわからない話だが、実在の有名スケーターが本人役で多数出演しているのが可笑しい。シャレが分かる人たちだなあ。ギャグの面では、かの国で行われたアイアン・ロータスのVTRには爆笑した。あれはアカンw 個人的には画面の奥で燃えたり矢が刺さったりする悲惨なマスコットがツボですw |
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(2017年制作) |
1950年代のニューヨーク、コニーアイランド。若者と不倫をしている人生に疲れた人妻が、ギャングから逃げてきた夫の娘の登場で歯車を狂わされていく姿を描いた、ウディ・アレン監督のドラマ作品。 全編台詞だらけ、というか常に誰かがしゃべっているのはウディ・アレン作品らしいが、本作ではジニーを演じるケイト・ウィンスレットが嫉妬深く神経質な感じでアレンの分身として見事に主演を張っている。喚き散らしているシーンなんてワンカットの場面も多く、演技の熱量が伝わってくるようで改めてすごい女優だなと思った。 とはいえ劇中に共感できる登場人物がいない…というか、特に主人公の身勝手な思考がどちらかと言うと不快な感じなので、観ていて楽しい作品ではないかな。結局のところ、彼女の人生という物語の“主演女優”に返り咲こうとして見事にこの“悲劇”の中心人物になりました、という話なわけだ。ラストでドレスを着て夕日にライトアップされる姿なぞ、まさにこの女優のクライマックスにふさわしいスポットライトな感じだけれど、そういう意味では舞台劇っぽい印象も受けたかな。 基本的にこの映画の登場人物は、ジニーを苦しめる存在という役目以上のものはない。ギャングから逃げてきたキャロライナの人物像はまだ掘ってある方だけど、ジニーの息子なんてなんで放火癖があるのか、火付けに意味を持たせているのか…?はよく分からなかった。 |
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(2017年制作) |
森林火災に立ち向かうアリゾナ州プレスコット市の森林消防隊の姿を描いた人間ドラマ。 2013年に起きた大規模火災の実話を基にした作品だけど、その事件の詳細をあまり知らないまま観たので、終盤に彼らの運命を察した時には「マジか…」と何とも言えない気分になった。あれだけ伏線として見せていた防火テントでもなすすべなく訪れた彼らの運命は悲劇としか言いようがないが、この映画は日夜命がけで火災に立ち向かう職業人たちへの敬意とともに、その中で命を失った彼らの存在を観る者にしっかりと焼き付けてくれる。 作品の内容としては主人公が二人。自らが率いる市の森林消防隊を精鋭部隊“ホットショット”へと昇格させるべく隊を導いてくマーシュ(ジョシュ・ブローリン)と、ヤク中で窃盗犯という過去から更生し娘のために生きようとする新隊員のマクドナウ(マイルズ・テラー)。消防隊という絆を軸に彼らの人生を上手くドラマとして組み込んでいて観やすい。マクドナウが初めに新隊員いびりを受けたり、次第に周囲が仲間として認めてくれたりというあたりの話は若干ベタかなあ? 冒頭部分の展開が少し鈍重に感じたのも勿体ない気はしたのだけど、ベタなりに感情移入させられる物語のおかげで終盤の慟哭にはとても胸に来るものがあった。 |
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