Movie Review!-ハ行 |
ケネディ暗殺、真実の4日間 (2013年制作) |
1963年11月22日。ケネディ大統領暗殺事件に接した人々の姿を描いた群像劇。 全世界に衝撃を与えたケネディ大統領暗殺事件。あまりの出来事に様々な陰謀説も唱えられている事件だけれど、本作でのストーリーはあくまで事実に基づいていて、その時の人々の姿をドキュメンタリータッチで描いたドラマに仕上がっている。手持ちカメラの映像や当事者目線の見せ方はポール・グリーングラス作品の影響を感じるなあ。「ブラディ・サンデー」とか「ユナイテッド93」みたいな感じ。 ケネディ暗殺の瞬間は有名なザプルーダー・フィルムに記録されているけれど、その映像は直接的には映されない。あくまで事件に関わった周囲の人々が主人公であるので、それはテーマとして正しいわな。その映像を撮ったザプルーダーの苦悩は多くのカットで描かれ、そのフィルムを取ったことが如何に彼の人生に衝撃を与えたかを感じさせる。一方で、射殺犯とされたオズワルドの兄に焦点を当てていた部分が個人的には新鮮だった。オズワルドの母親は変人の様に描かれていたが、兄はまともな人物として、弟が真に重大な事件を起こした者として受け入れている事が分かる。警官に「俺なら名前を変えるね」と半ば脅迫じみたことを言われてもエンドクレジットで「名前を変えなかった」とあるのは、一族から犯罪者を出したものとしての彼なりのけじめだったのだろうか。 そんなことに思いを馳せながら、この群像劇を観た。ケネディ暗殺、ジョンソン大統領の機内宣誓やオズワルドの射殺、ケネディの国葬などの有名な事実は完全に背景として、その瞬間に関わった人々の衝撃を追体験できる良い歴史ドラマだと思う。 |
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世界でひとつの彼女 (2013年制作) |
AIによる自立思考を獲得したOSを、自らの使うデバイスにインストールした主人公・セオドア。彼はそのOS…サマンサと会話を始めるが、いつしか彼女との恋に落ちる。 相手がコンピューターでなければ、オーソドックスな展開の恋愛メロドラマに思える。恋し始めの蜜月の日々、倦怠期、それを乗り越えるも相手は自分の道を見つけて…。やはりそこで特殊なのは相手が体を持たぬ女性(?)であることか。作られた感情・人間性という命題は古今SFで語りつくされた感もあるし、肉体を持たぬ相手との恋と聞けば、個人的には「イノセンス」が真っ先に思い浮かぶ。本作ではその感情が作り物かどうかをさらっと乗り越えてしまうあたり、そういう哲学を描きたいのではなく、触れることのできない恋の距離感を描きたい映画なのだと思った。 ただ情緒的には理解できるものの、やはり相手が"プログラム"という意識が拭えず、観ていてどうしても感情移入できない。俺は古いタイプなのかなあ。中盤で代替者による肉体の交感を試みるシーンもあるものの、その感覚にも違和感があって…。さすがに主人公もそれには拒否を示したわけだが、肉体を得て、恋人と同じ位置に立ちたいというサマンサの感情は、それはそれで相手との同一性を求めようとするリアルな部分だろうか。そしてそれをやめた時、彼女は"精神のみの存在"という次のステージに上がってしまったわけだ。 広大な知覚を得てネットの海に消える…か。 |
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予告を観た時は「クリフハンガー」の焼き直しかと思ったけど、なかなか山岳アクション物として楽しめました。登山家や軍隊はとてもプロ集団とは思えない人間が多々いるが、アクシデントが起こらないと話として成立しないしなぁ。難しいところではある。しかしニトロは反応過剰だったり、全然振動でも爆発しなかったり、管理が杜撰だったり、ちょっとその辺は“?”ですが。 | ||
コッポラの黙示録 (1991年制作) |
監督の妻エレノアが「地獄の黙示録」の撮影現場を記録したフィルムをもとに構成されたメイキング・ドキュメンタリー作品。 「地獄の黙示録」がいかに難産だったのかを物語る記録映画として、貴重で面白いドキュメンタリーになっている。元々はオーソン・ウェルズの企画としての「闇の奥」があり、その後ジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが舞台をベトナム戦争に翻案して企画した作品が「地獄の黙示録」の始まり。その企画を譲り受けたコッポラだが、当初の目論見(少々の焼き直しで出来るはずだ)から、進めるうちにどんどん離れて泥沼にはまっていく過程が生々しい。主演の交代、撮影の遅延、台風の被害、御しがたい役者陣…。しまいにはコッポラまで神経が参っていく様子が収められ、実は撮影現場が「地獄の黙示録」だったという内容は、コッポラには悪いが…ヘタをすると事実である分だけ本編より面白いかもしれないw 撮影初期に監督が「アーウィン・アレン(「ポセイドン・アドベンチャー」や「タワーリング・インフェルノ」の製作)の作品のようにしたい」と語っているところを見ると、結果としては構想と違ったものが生まれたようにも思える。そもそも撮りながら結末の変更を考えている時点で撮影時は話として出来上がってはいないわけだが、元々あったルーカスたちの企画通りのエンタメ路線では納得できなかったというのが、作家としてのコッポラの潔癖さをうかがわせるところだし、それが故に自分の首を絞めたというのが皮肉なところ。そこは自業自得だとしても、終盤、明らかにラリッているデニス・ホッパーや、内容を理解していないマーロン・ブランドの相手までしないといけないコッポラの疲弊ぶりは想像に難くない。 軍用ヘリの撮影中に、本当のゲリラ掃討のためにいきなり撮影現場からヘリが離れていったり、マーティン・シーンが心臓発作で倒れたりと、本当に制御できない現場だったんだろうなあ。撮影200日のパーティーなんて祝ってる場合じゃないはずなのに、もうヤケクソだったんだろうかw マーティン・シーンが倒れたというニュースがハリウッドの記者に漏れるかもしれないという場面で、コッポラが「もうわしゃ終わりじゃー!」と言わんばかりに当たり散らすレコーダーの声が印象的。 |
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(2016年制作) |
記憶のない男の逃亡劇を、完全一人称視点で描いたバイオレンスアクション作品。 POVは基本的にビデオカメラで撮影された体裁をとるのが普通なのだが…、この映画は“完全に”主人公の主観映像。「攻殻機動隊」で言うなら“目を盗んだ”状態とでもいうか、とにかく主人公の見たものがそのまま映される。ゲームでは表現形式としてFPSで確立しているものの、映画でとなると、ここまでこだわって主観を貫いた作品は初めて観たなあ。何よりこれがアクション映画だってことがすごい。格闘・銃撃・サイキックバトル、高所から落ちたり爆発で吹き飛ばされたりと、とにかく主人公が体感していることが(視覚だけだが)生々しく伝わってくるんだよね。人体破壊描写に躊躇がないところも良いよ。POVはホラーと相性がいいので色々作られたけど、アクションもここまでできるとは驚いた。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「クローバーフィールド」の様に主観作品の中でのジャンルの元祖として歴史に残りそうだと思う。 主人公は記憶をなくしているので事態が飲み込めない。それが観客の感覚と同一化させるわけだけど、まあこの辺はよくある手か。出てくるたびに姿の違うジミーを見て「義体?」などと勘繰ったり、散りばめられたSF要素も面白いが、ジミーを演じるシャールト・コプリーが変幻自在でいい味出してますな。胸にプラグを差し込んだり、敵がサイキックだったりするのは「メタルギアソリッド」シリーズを思い浮かべたりもしたけど、映画のほとんどは「まるでFPS」という感じのゲーム感覚。特にアジトからの脱出での銃撃戦は完全にゲームプレイ動画そのものの様だったが、手元しか映らないのにリロードやナイフ投げなどの魅せるアクションがちゃんと入っているのがニクいねw しかしGoProを使ってこんな映画を撮り切ってしまうとは…。ちょっと前なら信じられないような映像表現で実に楽しめました。ただ、とにかく画面が揺れるので、画面酔いしやすい人には全く合わない映画だとも思う。 |
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あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡) |
かつてヒーロー映画のスターだった男。再起を期して制作した舞台の公演が近づく数日間を描いた作品。 まず、こだわり抜いたワンカット演出によるインパクトが凄い。かつてヒッチコックが「ロープ」でやって見せた時は、フィルムの撮影時間という制約を演出でカバーした形で実現したわけだけど、今ではデジタルで際限なく撮影できる時代。撮りつづけること以外の付加価値によってワンカット映画の一つの頂点に達したようにも思う。例えば縦横に動くカメラであったり、シームレスな画なのに数日間という時間経過が緩急自在であったり、その自由な演出とは裏腹に、繰り出される連続性によって継続される緊張感には、実に見事に引き込まれてしまった。 次にもちろん言うまでもなく、主演のマイケル・キートンと主人公・リーガンにダブらせたイメージの妙。キートンがかつてバットマン役でスターとなったという周知の事実こそ、この映画の不思議なリアリティの原動力。「レスラー」でのミッキー・ロークを観た時の様な、かつて「バットマン」を観た人には感慨を与えるものだろうし、それはその25年というリアルな時間経過すらもこの映画の一つの要素としていると思う。そういう意味で、この映画がもしマイケル・キートンでなければ、このメタフィクショナルなコメディ・ドラマは成功しただろうかと考えてしまう。 カメラが追うものは何だったのかと言えば、それは主人公・リーガンの見る世界だったろうか。オープニングで空中に浮いているリーガン。超能力を使って物体を動かし、空中さえ浮遊するリーガン。それは彼の脳内のイメージを見せるものだと説明なく(カットを使わずに)理解させるところが上手いよなあ。そして彼自身が追うものは人々からの愛。それは単純な評価としての事だけなのか?かつて演じたヒーロー像というレッテルと闘う内心が複雑に絡み、さらには批評への言及というテーマにまで広げるあたり、監督の芸術に対する思いも感じさせるところ。 ラストは色々な解釈が出来そうで意味深な感じだけれど、単純に「ああ、生きていたのか」ではない不安な感じが残る。最後の飛翔を思わせる主人公の娘・サムの目線は、単純にヒーローに囚われた(顔が変わったという事実も含め)自分から抜け出したという直喩と、サムとイメージを共有した=お互いを理解しあえたという親子関係の象徴を表しているとは思うけど…。ずっと主人公のイメージとして続いていた作品の中で、終盤にして初めてカットが入った後のシーンであることを思えば、これは彼が望んだ世界のイメージ…死後の世界?なのかなあとも。中盤、「死ぬことによる話題性」を(ジョージ・クルーニーやマイケル・ジャクソンの例えで)語っていたことは、そう感じさせる最大の理由。賞賛を得たことの喜びと、死ぬことでしか賞賛を得られなかった悲しみの二面性がここにあるとしたら、やはり単純に見事なドラマだと思う。 |
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(2008年制作) |
2004年のイラクを舞台に、爆発物処理班の主人公と兵士達が任務をこなしていく日常を描いた硬派な戦争ドラマ。 爆発物処理の現場は文字通り目の前に爆弾との戦いな訳だけど、それ以上にこの映画で描かれる敵は、いや敵かどうか分からない身元不明のイラク人は全て疑わざるを得ない兵士達の心理的圧迫感や恐怖感が見事に出てます。 そんな中でも主人公というのはちょっと特殊な感じで、序盤〜中盤はまさに機械のごとく冷徹に爆弾処理をやってのけ、自分の命に執着すらない様にも見える。あまりのワンマンぶりに味方の不満も買うこともあれど、でも実は人間らしい温かさもあるのだという描き方は好き。個人的には、狙撃戦で観測手となった主人公が、数時間に及ぶ埃まみれの持久戦の中で、自分よりもまず狙撃手にドリンクを差し出したところが良かったね。(ああ、こいつはホントは優しいんだなあ、と。) しかし話が進んで感情が見え隠れすればするほど、自分の判断ミスで部下を負傷させるなど何かが上手くいかなくなっていくのが皮肉。結果、感情は戦場に吸い込まれ、内地へ引き上げても家族との平和な日々を過ごすことに居場所を見いだせない主人公は、転属して再びイラクへ戻っていく。職業軍人の姿としてはヒーローのそれだけど、その背中には「ランボー」にも似た帰還兵の悲劇がまとわりついている様にも見えました。 |
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(2016年制作) |
2010年にメキシコ湾原油流出事故を起こした海上石油掘削施設“ディープウォーター・ホライズン”での出来事を描いた災害映画。 実際に起きた事故の話だけど、実録モノというよりは事実を基にした創作というか、感情移入しやすいドラマ仕立てに色々変えられているんだろうなと感じる部分は多い。この映画だけ観ると、完全に悪いのは「現場主任の意見を無視した会社幹部の強引な進行判断」という感じだよね。コストより納期を優先した会社の判断のせいでとんでもない大事故になったという構図によって、幹部への怒りと作業者への同情という気持ちに観客をうまく誘導してく。ただ、狙いすぎている感が少々鼻にもつくけど。もしポール・グリーングラス監督ならもっとドライにドキュメンタリーチックな描き方をするんだろうか、でもピーター・バーグ監督の演出は“わかりやすい再現ドラマ”といった枠に収まってしまった印象。 その時施設で何があったのか。…を描く前に、その施設がいったい何なのかを観客は説明してもらえます。まあ石油掘削施設なんだけど、どういう具合に掘り出しているかとか、その辺を映画では冒頭に主人公の娘の作文という形で説明される。ただ他にもマゼンタ色は…とか、解説臭いセリフが序盤に集中していて個人的には…あまり好きではないかな。親切といえばそうかもしれないけど、説明臭さがちょっとワザとらしい。そんな具合に序盤は正直言って低空飛行な印象でした。が、ただひとたび事故が始まると、手に汗握るディザスタームービーへと変貌する。後半の迫力がほんとにすさまじい。大火災の描写はまさに映画ならではといった規模感だったし、見応えはあったね。 |
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(2023年制作) |
着せ替え人形バービーの世界を描いた実写映画。バービーたちにとって完璧な世界であるバービーランドに暮らすバービーだったが、ある日、不調に苛まれたため、その原因を探るためにリアルワールド(現実世界)に向かうことになる。 実際の人形を元にしたと思しきネタは面白いと思う部分もあったけど、そもそもが自分に縁のない“きせかえ人形”の世界ということもあって、正直言うとあまり合わなかったかな。そもそもの作品の思考として“自分の世界を守りたい”という部分に“変化も妥協も許さない”という感じが透けて見えていて、それが「バービーの世界は完璧である」というか彼らの価値観こそが“正しい”という主観に基づいているのが逆になんだか「寛容さがないなあ」と感じてしまったのかもしれない。 バービーにぞっこんだけど割とぞんざいに扱われていたケンが男臭さに目覚めるあたりは皮肉。まあ逆振れしすぎだろとは思うけど、結局ケンたちがぶち上げた「憲法改正だー」という行動に対してバービーたちが「投票させない」という妨害戦術に出るあたりも個人的には気に入らない。そこは話し合って中庸に行かないのかよ、とw なのでケンたちの世界をぶち壊してからケンを慰めるあたりも独り善がりに見えてしまったかな。可能性を信じて現実世界へやってくるラストは悪くないとは思ったけどね。 そういえばオープニングがいきなり「2001年宇宙の旅」のパロディだったけど、このネタって観客層とマッチングしてるのだろうか?w 意図としては人形の世界に革新をもたらしたモノリス=バービー人形だということなのだろうけど、子どもたちが赤ちゃん人形を打ち壊している絵面は、人形が主役の映画なのに正直どうかと思った。(まあパロディではあるのだけど…。) |
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実話がベースなんだけど、本当のところ、本筋よりもヨットの船員や隊員の救出場面の方が手に汗握るし、面白かった。なので本筋にはあまり惹かれなかったんだけど、最後に船がひっくり返った場面でウォールバーグだけを外に逃がして、自分は船と共に沈んでいくクルーニー船長。あそこは感動した。嵐の映像は凄い迫力ではあるが、やはり劇場で見てなんぼ。 | ||
(1993年制作) |
脱獄囚のブッチがフィリップ少年を人質に逃亡を謀る姿を描いたドラマ。 逃げるブッチ(ケヴィン・コスナー)と追う警察署長(イーストウッド)という構図はサスペンスアクションになりそうな題材。だけど、イーストウッドはむしろブッチと少年の疑似親子的な関係に主眼を置き、なかなか感動的なドラマに仕上げている。逆に言うとイーストウッドの役はストーリーの主軸からちょっとだけ浮いている? ブッチとフィリップの奇妙な関係は微笑ましくもあり、だからこそラストは切ないわけで、心底悪人には見えないコスナーのキャラがハマっていたんだろう。まあ悪人に見えなさすぎな気もするがw 暴力によって破壊される関係を描いてはいるけど、全体的に漂う優しさを感じる事の出来る良いロードムービーでした。 |
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(2015年制作) |
古代インドを舞台に描かれた英雄伝2部作の前編。 インドで大ヒットした作品だけど、なるほどその力強さたるやなかなかのもの。インド的なロード・オブ・ザ・リングというかグラディエーターというかベン・ハー、スパルカス? とにかく叙事詩的なスケールの大きさは魅力ですな。前半は歌って踊るインド映画的なお約束もあってテンション高め。一方後半は王都への潜入や戦闘シーンが中心になって前半とはまた別のテンションが上がっていく。日本公開版は完全版と比べると20分少ないので、後半にももっと歌と踊りがあったのかもしれないけどね。でもカットされてたとしてもあんまり気にはならなかったw 王都のスケール感や大規模戦闘などはCGを効果的に多用して上手く見せている。一方で雪崩のシーンは即席ソリの合成がちょっとチャチかったかも?まあ些細な事ですが。気づかれずにタトゥーを彫るとか、ずっと幽閉されている割にはふくよかな女性とか、なんかツッコミたくなるような場面もあるんだけど…まあ神話っぽい英雄譚だしそのへんは流してみるのが正解か。主人公サイドの純朴さや高潔さの一方で、対峙する圧政者は権力に固執する姿が明白に対比されていて物語としては白黒がハッキリしていてとても分かりやすい。ともすれば話の安っぽさにも繋がりかねないけど、映画の熱量があまりあるためにそのあたりをカバーしちゃってるよね。 本作は2部作の前編なので話の決着は次作へ。あの忠臣がなぜ!?というクリフハンガーで終わるところなど、ズルいわ。続きが気になってしまうではないかw |
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(2017年制作) |
古代インドを舞台に描かれた英雄伝2部作の後編。 主人公シヴドゥの父・バーフバリは何故、どのように忠臣カッタッパに殺されることになったのかを中心に物語が描かれる。公明正大な国母シヴァガミ像は前作に比べると色々と惑いがみられ、そこに付け入るバーラディーヴァ親子の奸計にバーフバリがハマっていく様子は、観客がバーラディーヴァ達へのヘイトを募らせるには絶妙な塩梅ですな。バーフバリが身分を隠してクンタラ王国で過ごす場面はコメディチックで面白い。カッタッパのクサい演技も良い感じですw しかしそのクンタラの王族クマラ…憎めなくていい人だったのに、いい人だったが為に後にあんな殺され方をするなんて…。やはりバーラディーヴァ親子憎し。 という事でその感情を動輪に、殺された父の仇と幽閉された母の恨みを返すべくシヴドゥことマヘンドラはバラーラデーヴァに戦いを挑む。熱い展開だ。王位の簒奪と復讐などと聞くとシェークスピア的なイメージもしてしまうけど、親の仇を息子が打つとか、日本で言えば「源平合戦」的な逆転劇の趣もあるか。そういえば牛の角にたいまつを付けて突撃とかあったけど、どうしても「倶利伽羅峠の戦い」を連想しちゃうよな。 中盤のクンタラ王国での賊徒ピンダリとの闘いはケレンに満ちた戦闘アクションでニヤニヤしてしまう。ポーズ決めながらの弓の連射とか、何だよこれカッコいいぞ。正体を明かすシーンもやりすぎだわw 終盤のバーラディーヴァとの闘いは攻城戦もそこそこに肉弾戦に移行して、その一騎打ちの迫力とタフネスさはもはや漫画。だがそれがいい。 父・バーフバリのエピソードが濃い目なので、その後のマヘンドラがバーラディーヴァと闘うシーンは復讐以外に内容が薄く少々淡泊な印象はあった。とはいえ勢いと熱量で突き進む感じは大いに楽しめましたよ。 |
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内容にびっくりした。と言ってもその史実の描写がおかしい事にだけど。特に日本軍は変!屋外で会議をやるし、作戦室(屋外だけど)には変な鳥居も・・・。アメリカ人のイメージっていう物がいかに偏見に満ちているかよく分かる。細かいところを突けばキリがないが、史実でもデリケートな部分だけに、時代考証はきちっとして欲しいもんです。ストーリーはふつうに恋愛物。ただ、アクションシーンの凄さは際だつ。零戦とのドッグファイトの迫力は凄い。日本がきちんと描かれてばなぁ。 | ||
華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY (2020年制作) |
DCEUシリーズの8作目。ジョーカーと破局したハーレイ・クインだったが、それがゴッサムの市中に知れ渡ったとたんに悪党や警察から狙われるようになる。 直接的には3作目の「スーサイド・スクワッド」からの続編(スピンオフ)になるけど、終始ハーレイ・クインの身の振り方に関する話だけで終わってしまったので、なにか物足りないかなあ。アクションに関しても、監督が「スーパーパワー頼みではなく現実的で戦術的にしたい」という方針なのは理解するけれど、しかし前年の「ジョーカー」の様に別の世界観ならいざ知らず、DCEUと同じ世界観でやってしまうとどうしても比較が生じてしまって「地味」という印象がぬぐえない。もちろんハーレイを演じるマーゴット・ロビーをはじめ、キャスト陣はアクションを頑張っていると思うけど、格闘主体の見せ方にしたって2000年代になってから流行ったカットを割りまくる演出等と比べるとスピード感も迫力も控えめに映ってしまうかなあ。 ハーレイ・クインのエキセントリックな精神状態を反映してか、物語の筋立ては事象と説明が前後して忙しい。それでも混乱を生まないのだから、上手く整理できているのだと思う。一方でローマン・シオニス(ユアン・マクレガー)の立像や、ペットのハイエナといった伏線めかした部分には特に意味もなく、最後の対決もあっけないし、「なんかもう一つパンチが欲しい」というのが正直なところ。全体的に「デッドプール」の影響を感じる部分もあるけど、これも使いこなせているのかというと…微妙な感じ。 |
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(2010年制作) |
夢を追って田舎からロスに出てきた女性を主人公に、ショークラブでのサクセスストーリーを描いたミュージカル。 主人公を演じるクリスティーナ・アギレラは本職の歌手であるから、その歌唱力は抜群。演技はまあ普通であるけど、やはりこの手のミュージカルにおいてはその歌唱によるパフォーマンス能力は見事。タイトルでもある"バーレスク"の通り、妖艶なダンスときらびやかな舞台で魅せるわけだけど、ノリの良いナンバーと共に素直にミュージカル映画として楽しめました。 ただストーリーラインは悪く言えばありきたり、良く言えば王道のサクセスストーリー。予定調和に至るまでで如何に工夫した演出をするかが映画としての個性にもなるのだろうけど、その辺の描き方も普通なので勿体ない感じ。特にロマンス部分は凡庸だなあ。 全体的にアギレラのための映画という感じもするけど、主演級助演のシェールは存在感抜群(見た目が月影千草のようw)だし、スタンリー・トゥッチやアラン・カミングなどの脇役も光る。特にスタンリー・トゥッチの"ハゲで理解のある気の良いゲイ"という役はハマってます。 |
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CIAの機密文書と勘違いされたCDをめぐって、バカな人々が繰り広げる騒動を描いたブラックコメディ。 コーエン兄弟の作品らしいユーモアが可笑しい。人物達が真剣であればあるほど、実はCDの中身は“ゴミ同然のモノ”というギャップが生きてくるんだけど、そんなモノのために人命までが散っていくという容赦のないブラックさw ブラッド・ピットがどこまでもバカでマヌケな三枚目の雰囲気を出していて良い。そこまでの話の積み重ねのせいか、隠れているだけなのに無性に笑えてしまった。ジョージ・クルーニーも三枚目な役だけど、ラストに陰謀妄想に取り憑かれた時の表情は面白いね。 しかし、この映画で一番気の毒なのはリチャード・ジェンキンス演じるジムの支配人だよなあ。あんな女に惚れたが為に…。しかも結局その話をややこしくした一番の原因であるその女が最後まで生き残り、あまつさえ願いまで叶える始末。女はしたたかだわいw |
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(1997年制作) |
森羅万象を表現する数式の発見に取り憑かれた主人公。ある日、彼を利用しようとする株屋とユダヤの秘密結社が接触してくる。 数学の真理をネタにした意味深で取っつきにくい内容だが、そこに描かれるビジュアルイメージは強烈。ハイコントラストな白黒映像と、内服やドアの鍵などに象徴される独特なテンポのカットの繰り返し、体に固定したカメラ映像などの実験的な映像は、この映画における主人公のただならぬ閉塞感・圧迫感を観る者に伝えてくる。全編白黒映像や独特なBGMの雰囲気については塚本晋也の「鉄男」の影響下にあると言われているが、内容は全然異なるものの、映像から受け取る圧迫感の様なものは確かに同じものを感じるね。低予算映画としての工夫として似た表現を選択したのだろうけど、ただの真似ではなくそれを生かせるのはやはり演出側にセンスがあるからだろう。 216桁の数字はマクガフィン。映画の中で“とても重要なもの”であること以外には意味はないものの、ここではそれでいいと思う。とにかくそれに憑りつかれた男の物語であって、その状況をいかに映像として描き出すかが作り手にとってはテーマだったんじゃないかな。ヘブライ語の父・母・子の数字の話は面白いが、それがホントかどうかは観ている側には分からないし、ここも「そういうものだ」というぐらいで流すのが正解なんだろう。 あれだけ数字に取り憑かれていた男はラストでついに自己破壊に至る。観客が主人公の強烈な圧迫感に共感し、最後に共に解放されて清々しく風に揺れる葉に神の神秘を見たならば、この映画は成功なのではないかと思う。 |
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(2001年制作) |
今までに見たゲームが原作の映画の中では、かなり出来がいい。ゲームの世界観を壊すことなくオリジナルストーリーが成立している。映画としても無難な出来で、エンターテイメントとして十分面白い。どんどん人が死んでいく様は、「キューブ」を思い出すシーンもあったりするけど、主人公以外に誰が生き残るのか分からないというのは緊張感があって良かった。しかしレインが、ララ・クロフトに見えて仕方がなかったなぁ・・・。 | |
アポカリプス (2004年制作) |
前作はどちらかというとゲームの世界観を踏襲したゾンビ映画っていう感じだったけど、今作はもう完全にゲームの「バイオハザード」の映画化ですな。特にゲーム1作目と3作目の主人公、ジル・バレンタイン、カルロス、そして“追跡者”ネメシスを出したのがゲームファンにかなり訴えてます。まさにゲームのファンはニヤリw 今作も映画オリジナルキャラのアリスだけだったら、ゲームとのリンクがちょっと弱いからねえ。ストーリーの方は映画オリジナル。アリスがT-ウイルスを組み込まれた改造人間になってて少々強すぎるのが気になるとはいえ、ゲームの名場面を上手いことストーリーに組み込んでいて感心。制作者はかなりのゲーム版のファンと見たw でもゲームを知らない人には荒唐無稽な設定と感じてしまうこともあるかも?まあ、少なくともゾンビ映画ではなく、完全にSFアクションになってしまいましたw 3があるなら結構楽しみです。 | |
(2007年制作) |
世界がほぼT-ウィルスで汚染された世界でのサバイバルを描く、同名ゲーム映画化作品の第3弾。 ハッキリ言って、全体的に中途半端感が目について仕方がない。世界はほぼ滅んでいるのに、アンブレラが企業として成り立っていることの背景は描かれないし、主人公の特殊能力も詳細不明。別れた仲間をヘリで送り出しただけで、話として追わないのもちょっと乱暴に思えたね。ゲーム版のファンとしては、ラスボスのタイラントをロケットランチャーで倒さなかったのがちょっと不満。前作が“追跡者”まで引っ張り出してゲーム場面の再現をしていただけに、今作の演出はサービスでゲームキャラを出しただけ、としか思えない。 まあ、1作目の再現をして見せた冒頭部分は、その裏切り方を含めて良かったんだけど、それ以外はちょっと…。あと、今回のエンディングでは、この時点でどこまで続編をやる気なのかちょっと疑問ですねえ。 |
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アフターライフ (2010年制作) |
同名ゲームをオリジナル設定で映画化したシリーズ第4弾。 超常的な力を身につけた無数のクローン・アリスを登場させ、「ここまで風呂敷を広げて、いったいどうやって畳む気なのか?」などと思わせた前作のラスト。その続きから始まる今作では、その設定を序盤であっさりとリセットしてしまう。確かに物語を作る以上は、アリスが強くなりすぎたので逆に制約がありすぎるとは思うのだけど、まさかこうも潔く捨ててしまうとは…w おかげでアンデッドに囲まれて籠城する感じがゾンビ映画に先祖返りした感じもあるし、作品のテイスト的にもシリーズの1作目〜2作目の雰囲気に戻って良くなったと思う。 キャラクターではオリジナルのアリス以外に、前作から引き続きクレアが登場。そしてクリスとウェスカーが堂々の登場なのでゲームの最近作「バイオハザード5」を踏襲した雰囲気もある。ただウェスカーの設定については、映画前作でちょっと出ていたとはいえ、t-ウィルスを仕込んだ超人なんてことはゲームファン以外には唐突だろうし、少々不親切な気も? あと、この作品から3D上映を前提にした制作に移ってますが、荒唐無稽なアクション映画は割と3Dと相性が良いようには思う。“バレットタイム”的スロー演出や飛び出し効果を多用するのはこれ見よがしとも思えるけど、過渡期のポップコーンムービーとしてはアリか。 |
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リトビリューション (2012年制作) |
同名ゲームをオリジナル設定で映画化したシリーズ第5弾。 デカくなり過ぎた話から描かれる舞台をいったん限定させて、単純に"基地からの脱出"というテーマに絞ったのは潔い。進むごとに舞台の特徴が変わるゲーム感覚の展開、レオンやエイダ、バリーといったゲームキャラの登場、過去作の登場人物の復活も良いアイデアとは思う。ただ、話としては30分ほどで終わるような内容を、アクションシーンで水増しして90分にしたような薄っぺらさなので…見応えという意味ではどうかなあ?派手と言えば派手だけど単調な部分もあるし、ラストの格闘戦が微妙にしょぼいのも難。 最後の最後でまた大風呂敷を広げた引きにはまた呆れてしまったけれど…。アリスのチート的な能力も復活させてしまうし、まったくご都合主義すぎるw そういえば前作冒頭でゲスト出演だった中島美嘉が、本作ではその続きともいえるアンデッドっぷりでもっと目立った存在に…。想像以上に滅多打ちに遭ってたけれど、こんなんでいいのか?w |
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ザ・ファイナル (2016年制作) |
同名ゲームをオリジナル設定で映画化したシリーズ第6弾。 本気で終わる気があるのかは分からないけれど、一応の最終章(原題も“THE FINAL CHAPTER”)。本作のスタートこそワシントンDCから始まるけれど、4年ぶりの新作は劇中でもそれなりに時間が空いているようで、前作と本作の間に何があったのかがスッポリ抜けている。…がまあこの強引なリセットもこのシリーズらしさか。説明も「ウェスカーが裏切った」というセリフのみで、前作で生き残ったレオンやジルやエイダはどうなったのか…? まあ細かいことは置いといて、何かしら決戦があって主人公のアリスだけが生き残ったということは分かる。 映画としてはそのアリスのアクションをひたすら眺めるに等しい内容で、展開もステージ単位でクリアして進んでいくというような、断片的というかゲーム的ショート・シチュエーションの積み重ねが目立つ。新キャラも一応は登場するけど、キャラ立ちとしては少し弱く、感情移入する間もなく死んでいくのでアリスの引き立て役でしかないというか…。いい意味で潔いとは思うけれど。2作ぶりに登場のクレアは少しだけ目立つものの、一方でこれまでボス的存在だったウェスカーは本作では見せ場なし。というかずいぶんしょぼくれた扱いになった気がする。代わりに3作ぶりに登場のアイザックス博士が本作のラスボス。終盤になって突如どこかで見たような先読み演出が差し挟まって困惑してしまったw B級アクション映画ということを自覚して楽しんでいる感じは強い。そんな中、“アリスがアンブレラ創始者の娘のクローンだった”という(後付け)設定で少しひねってきたね。宿敵だったレッドクイーンすら自分の分身(姉妹のようなもの)だったというのは、シリーズの総括としては悪くないかな。 |
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ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ (2021年制作) |
TVゲーム「バイオハザード」を基にした実写版ホラー・アクション映画。 内容はミラ・ジョボビッチ主演の前シリーズ(2001年〜2016年)とは関係のないリブート作品ですね。登場するキャラクターや舞台はゲーム版の「1」と「2」からかなりの部分を引用しているけど、残念ながらそういった要素を詰め込んでいるだけで物語の再構築という面ではお世辞にも上手くいっていないという印象。そもそもなぜ「1」と「2」を混ぜてしまったのだろう…。「1」の要素だけでは間が持たないと思ったのかもしれないけど、いたずらに登場キャラを増やすのは話が発散するだけで今回の場合は得策ではなかったのでは。 そもそもホラーとしても演出が上手くない。キャラクターの見ている反対側から何かが現れる、または襲いかかってくるというシチュエーションの繰り返しで実にワンパターン。場面転換で使われる時間表示もテンポを止めがちだし、どうも観ている側に怖さを伝えるには歯車が上手く噛み合わなかった感じです。 原作キャラを出すならもっと深掘りしたほうが良かった気もする。リサも冒頭で意味ありげに触れておきながら、あとは中盤でクレアに鍵を渡してフェードアウトしてしまったし。バーキン一家の描写も実に薄っぺらい。というかこの扱いならシェリーを出さなくても良かったんじゃないの。 そんな具合に下手にゲームの要素をてんこ盛りにしたせいで不満しか出てこない作品となってしまいました(苦笑) どうも続編をやりたそうな終わり方だったけど、ここからファンの関心を取り戻すのは難しそうですね。 |
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(2018年制作) |
ジョージ・W・ブッシュ政権下で副大統領を務めたディック・チェイニー。ブラックジョーク的な演出を交えながら、アメリカをイラク戦争へと引き釣り込んだ張本人として彼を描いた半生記。 影の大統領・チェイニー。子ブッシュ政権で権力を握ったこの男がどうやって出来上がったのかを描く前半と、副大統領になってからを描く後半の二部構成って感じかな。大統領選を諦めた映画の中盤で一度エンドクレジットが流れるのは「このまま終わってくれていれば…」という監督のブラックジョークなんだろうけれど、歴史はそうはならなかった。その後、子ブッシュから副大統領職の打診があった時に彼は自分を餌にして権限を釣り上げた"アングラー"になった、というわけだ。 主演のクリスチャン・ベイルの似せ方に目が行ってしまうが、この映画は事実に基づいているというものの、あくまで状況証拠的なものから脚色した内容だわな。まあこの内容で本人や関係者がOK出すとも思えないが、「メディアを使って国民を煽り戦争を支持させた」という彼らのプロパガンダ手法を批判している一方で、この映画はその真逆の位置にいるだけなので、真実かどうかは…話半分くらいな気が。でも劇中で描かれる様な「悪い冗談」とも思えるような積み重ねが、すくなくともチェイニーたちブッシュ政権のイメージから外れているわけではない。物語としては「さもありなん」といった納得感を持てるところが、確かによく出来ている。 人物や役職、法律解釈などの専門知識が必要なところは同監督の「マネー・ショート」と同じだけど、適宜解説が入るので話にはついていける。というか本作はチェイニーの物語の一本筋なので、こちらの方が物語としては観やすかったかな。監督の主張は強めだけど、人格自体を否定しているわけではないしマイケル・ムーア作品よりはマイルドだね。エンドクレジット中のおまけで保守派が「この映画はリベラル臭い」といってリベラル派との取っ組み合いが始まるけど、それを横目に「ワイルド・スピードの新作が楽しみ」と言ってる無関心な若者との対比がまたブラックで笑える(笑えない?) |
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暗闇のかくれんぼ |
郊外に移住した父娘と娘の友達という“チャーリー”を巡るスリラー。 第一印象は、説明過多と説明不足の同居した微妙な作品、といった感じ。サプライズ系のスリラー作品なのに、前半にヒントを出し過ぎていてタネを気付いてしまう可能性が高い。そのくせ肝心なところは結構突き放すので不親切なところもある。俺としては何の驚きも感慨もなく観終わってしまいました。 脅かし方もショッカー一辺倒なのでだんだんポイントが分かってくるし、良く言えば伝統に沿った演出ってところだろうけど、もうちょっと変化球も欲しかったかなあ。 この手の映画を観れば観るほど、「シックス・センス」の出来の良さが際立ってしまいますなw |
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(1957年制作) |
アンジェイ・ワイダ監督の「抵抗三部作」の3作目。ワルシャワ蜂起を生き抜いた若者が、ドイツ降伏が目前に迫る中で、反ソ・レジスタンスとしての運命に翻弄される姿を描いた作品。 ポーランドという国の歴史を知らないと取っつきにくい内容であるけど、それでもドラマとしての重厚さは伝わってくる。ドイツの占領から解放され、次に共産化の足音が近づいているという時代の変わり目を、実際に対独レジスタンスだった監督だからこその目線で描かれているね。 レジスタンスとして国のために生きてきた主人公は、ついに人生の価値を見いだす出会いを果たすも、そのレジスタンスとしての運命がその人並みの幸せを許さない。そこにこの映画で感じる最大の虚無感の原因があるのだけど、それ以前に暗殺対象である労働者党の書記もポーランド人であり、同じ民族で殺し合うという事態がイデオロギーの外にいる側から観ると悲劇以外の何ものでもないと感じたりする。 |
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呪われた海賊達 (2003年制作) |
ディズニーランドのアトラクション、“カリブの海賊”を題材にしたアドベンチャー映画。まさに活劇というのがピッタリくる内容に、最初から最後まで楽しませてもらった。不死身の海賊団とイギリス兵の戦いを見ていると、「アルゴ探検隊」とか「ハムナプトラ」を思い出すけど、近作の「ハムナプトラ」と比べても格段にVFX技術が向上していて、映像に違和感がないところが凄い。しかしなんと言っても、この映画はジョニー・デップ扮するジャック・スパロウ船長の人間的な魅力によって成り立っている。切れ者であるけれど、完璧でないところが憎めなくていいよなあ。 | |
デッドマンズ・チェスト (2006年制作) |
前作から三年後、ジャック・スパロウと深海の悪霊デイヴィ・ジョーンズとの血の契約を巡る物語。 よくこういう風に話を膨らますもんだと感心するし、またジャック・スパロウとデイヴィー・ジョーンズの際立ったキャラが印象的。特に“深海生物と同化”しているデイヴィ・ジョーンズ一味の造形は面白いね。 船が北欧神話の怪物クラーケンに襲われる様は、もはやファンタジー映画の域に行った感もあるけど、いやはや凄い迫力。生々しいタコ足の動きや水の描写を観ると、さらに進化したVFXに驚かされるよなあ。 スパロウの行動絡みで笑えるシーンも多々あるし、娯楽映画としてはかなり良い。剣劇は「もう場所の突飛さでしか魅せられないのか?」と思いもするけど、それはそれで良いかな。 話としては、ラストでエリザベスがちょっとイヤなヤツに見えてしまうけど、3作目ではどうなるのやら。それに、よもや“彼”が出てくるとはね…w |
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ワールド・エンド (2007年制作) |
デイヴィ・ジョーンズを操るベケット卿によって海賊狩りの嵐が吹き荒れる中、復活したスパロウ、バルボッサたちの思惑が交錯する。 短い制作期間でよくここまで話を膨らませて纏めたなとは感心する。まあ端々に強引な展開もあるけど…。例えば海賊長やカリプソというキーワードは前作までに出てこなかったし、突然そういう話が湧いて出るように見えると、やはり“強引”と受け取りかねないからね。 中盤まではスパロウの救出がメイン、その後スパロウやウィル、バルボッサ達の互いの駆け引きが続くので結構ややこしい。腹の底で誰が敵で味方か。まあこの駆け引きのし合いは1作目にも通じるところであるし、このシリーズらしさではある。でもややこしいw そして最終決戦だけど、海賊連合艦隊と東インド艦隊の壮絶な艦隊戦を期待したら、意外やブラック・パールvsフライング・ダッチマンとの一騎打ちに終始。だけどこれがまたすごい迫力なんだよねえ。前2作を凌駕するVFXの大バトルには、個人的にこの映画はこれだけでも満足w 多少無茶はあったけど、オチも含めて良くできた娯楽アクション3部作だと思います。 |
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生命の泉 (2011年制作) |
永遠の命を得ることができるという"生命の泉"。それを巡りジャック・スパロウ、バルボッサに加え、新キャラのアンジェリカと黒ひげの駆け引きが始まる。PotCシリーズ第4段。 監督がゴア・ヴァービンスキーからロブ・マーシャルに代わったものの、エンターテイメント活劇としての雰囲気は変わらず、安心して観ていられる。(逆に言うと、誰が撮ってもブラッカイマーの映画。)ただ4作目ともなると目新しさはないので、ストーリー部分では少々物足りなさも残った。特に中盤からの宣教師と人魚の話などはむしろ冗長なくらい。スパロウも黒ひげと絡んでいるより、バルボッサやギブスと絡ませている方が面白いので、もう少しこっちの絡みの方が見たかったかも。でも導入部と終盤の話の盛り上がりは悪くなかったけどね。 ストーリーは、ある目的に向かってキーアイテムを集めるという、至極単純なもの。多少捻りがあるとすれば、英国王に従ったバルボッサの本心とスペイン艦隊の真の目的…だが、これは素直に納得できるものだったし、なかなか良い展開。特にスペイン艦隊の扱いは"永遠の命"を求めていると思わせておいて…の見せ方だったから最後まで気づかなかった。 映画としてはおそらく新シリーズの幕開け。アンジェリカやバルボッサは明らかに次につながる終わり方だったし、なにより本作では見せ場の艦対艦戦闘が無かった。…色々と次作への前振りなのかな? |
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最後の海賊 (2017年制作) |
“魔の三角海域”に囚われていた“海の死神”サラザールが、ジャック・スパロウへの復讐のために動き出す。 シリーズ5作目だけども、前作公開から6年というスパンはエンタメ作品にしては長い感じ。実際、前作で新シリーズへの前振りかと思われた要素はあんまり関係なく、本作でまた新たにシリーズが再開したような印象。というか、どちらかというと最初の3作のエピローグみたいな印象。新主人公がウィルとエリザベスの息子のヘンリーだしね。シリーズレギュラーのジャック・スパロウとバルボッサ、そして短時間だけどウィルとエリザベスも登場するのでなんだか同窓会的な感じにもなっているが、また彼らの 姿が観れるのはリアルタイムにシリーズを追っていた者からすると確かに嬉しくはある。 ただストーリー展開は、新キャラの行動原理の説明を序盤にダラダラやっている感じが強くて、個人的にはいまいちノリにくかった。どうも筋書き的に散漫というか。場面場面でアクションシーンを入れて盛り上げようとしてはいるんだけどね。あ、ギロチンの刃が上がったり下がったりするところや、ゾンビ鮫に襲われるところは面白かったです。 本作の敵であるサラザールを演じるのは名優ハビエル・バルデム。不敵な悪役を演じさせたら右に出る者がいないが、本作でも存在感は抜群。立ち位置的には1作目のバルボッサに近い気もしたけど、まあそれはいいや。ジェフリー・ラッシュ演じるバルボッサは相変わらず敵味方を自由自在に渡り歩いて彼らしい。でも狡猾さがキャラの魅力なのに、いきなり父親キャラで人間味が全開になるのはどうなんだろ。そう言いながらもバルボッサの最期が格好良かったと思ってしまったのは…、自分も大概調子のいい人間だなと思います。はい。 エンドロール後のワンカットは今度こそ次作への振りか…? でもこれをやってしまうと、「このシリーズで彼以上の魅力的な敵を出せない」と自白してるようなもんだよな。 |
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太陽のテノール (2019年制作) |
テノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティ。オペラ界にとどまらぬ彼の活動、彼の人生を描き出したドキュメンタリー映画。 オペラのことには疎い俺でもパヴァロッティの名前は知っている。それくらい有名な、天才テノール歌手のパヴァロッティ。じゃあ何がどう凄かったの?という事はよく知らなかったけれど、この映画を通じて彼の人となりの一端を目の当たりにし、そりゃあ魅力的でそして素晴らしい声の持ち主であったことを理解した次第。 監督はロン・ハワード。職人な監督は劇映画でもドキュメンタリーでもそつなくこなしてしまいますが、この映画も多分に漏れず構成の妙によってパヴァロッティの人物像を掘り下げつつドラマチックに描いていきますな。大まかには「声によって得た名声」「活動の幅に対する評判」そして「家族との関係性」といった面からアプローチしていくのだけど、関係者のインタビューはともかくとして、印象的なのはプライベートなものと思われる映像が多々使われていたという事だろうか。これが彼の人物像を感じさせるのにかなりの効果を発揮していたと思う。100年後にどう思われていたいか、心残りは何か、この問いかけと回答で見せる彼の表情は公のそれとは違う面も感じさせる。 一方でもちろんオペラやコンサート映像もふんだんに使われ、映画館の音響設備の効果も相まって迫力の声が耳に届いてくる。これは劇場で観た方が良い映画だね。彼の人生の一端を知った後に聞く歌声には確かに彼の人生の歩みを感じるが、スター性がゆえに歴史に残った一方で、同時にオペラ歌手以外の“パヴァロッティ”という個性になってしまったのだとも思うと、どこか皮肉めいたものも感じる。 |
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(2014年制作) |
“車椅子の物理学者”ことスティーヴン・ホーキング博士の、学生時代の妻との出会いから別れまでの、半生を描いた伝記映画。 ホーキング博士の事は、子供の頃に見た宇宙科学の番組で最初に知ったかな。その時にはすでに人工音声でしゃべっていたし、すごい人がいるもんだと子供心に思ったもんだけど、博士が歩んだ人生としてはほとんど知らなかったし、奥さんの事もほとんど知らなかった。 この映画はもちろんALSを宣告された博士自身の人生が主題だけど、ドラマとしてはその夫と共に歩んだ妻・ジェーンの目線で描いた話だよね。(原作がジェーンの本だし。)なので、出会いで魅かれる場面も、結婚を決意する場面も、ジョナサンとの出会いも、博士との別れも、話を動かすのは全て彼女。それによって一個の人間を描いたドラマとして成り立たせ、博士の物理学的な功績についてはエッセンス的にとどめることで観客の共感に繋げている感じ。逆に言えばジョナサンとの関係は、多少自己弁護の様な印象がないわけでもないけれど。 主演のエディ・レッドメインはすごい。有名な博士だし、この手の伝記映画だと似ているかはどうしても気にしがちになるが、それが問題にならないくらい体現していたと思う。そして実質的には主人公である妻・ジェーンを演じたフェリシティ・ジョーンズが話を支えているよなあ。気丈さも覚悟もその眼の奥の疲れすらも、何かしらを感じさせる。 この話は最終的には別れの話となってしまうものの、全体的に前向きな話で終わっているというところが良いよね。前半はALSの発症や生活の苦労もあるので重めな感じはするけれど、後半につれてユーモアのあるシーンが出てくるのもそう感じさせるところか。「見よ我々が残したものを」と言って映される3人の子供。博士の言葉として語られる通り、これは希望の物語。 |
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または私は如何にして心配するのを止めて 水爆を・愛する・ようになったか |
頭のイカれた米空軍の司令官によって、ソ連への先制核攻撃の指令が下る。米国国防総省でその事態収拾に必死の努力が行われる様を描いたブラックコメディ。 コメディとは言ってもさすがはキューブリック。単なる馬鹿話ではなくブラックな風刺が素晴らしい。この映画は冷戦まっただ中に作られているわけで、その意義も大きいと思う。爆撃機の機長(カウボーイ)がロデオよろしく水爆にまたがって落ちていくシーンは有名だけど、実際に観ると衝撃。水爆にまたがって「ヒャッホー!!」だもんなあ、凄くシュールで恐ろしい。 個人的にはそのシーンと爆発で映画は終わるのかと思ってたけど、その後ちょっとストレンジラブ博士の話が入ったりしてちょっと間延びした感はある。でもラストではポンポン核爆発の映像が挿入さたりして、人類の愚挙について考えさせられるよなあ…。 |
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(1956年制作) |
ハーマン・メルヴィルの同名古典小説の実写化作品。主人公・イシュメルの目を通して、捕鯨船船長のエイハブが自身の片足を奪った白鯨"モビー・ディック"への復讐心に取り憑かれ、追跡に執念を燃やす様を描いたドラマ。 様々な作品で引用される古典なので、ストーリーはあまりにも有名。エイハブ船長は、巨大な目的に立ち向かう執念の男でもあり、自分の復讐心に執着するあまり、部下である船員全員を犠牲にした男でもある。エイハブと白鯨の関係は、表裏一体の復讐心の固まりとも見て取れるし、やはりストーリーは奥深い。この映画はそんな深いストーリーを真摯に映像化していて、見応えがあった。ただ、エイハブ船長の造形としては、演じるグレゴリー・ペックは少々二枚目過ぎないかとも思ったけどね。 再現された19世紀の捕鯨シーンはその捕鯨技術が興味深い。当時の命がけの漁が分かるね。漁のシーンは実写とミニチュアによる特撮で構成されていて、まあ特撮部分は人形に見えるっちゃあ見えるけど、50年代当時の特撮としてはこれで十分かと。ラストの白鯨との戦いも個人的には迫力があったと思う。 |
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(2015年制作) |
「白鯨」に影響を与えた捕鯨船エセックス号の悲劇を描いた海洋ドラマ。 邦題は全体の一部を切り取ったにすぎないので、ちょっとこのセンスは好きではない。原題の“IN THE HEART OF THE SEA”こそが、「大海の中心部で起きた出来事である」という全体を見渡した感じで良いよね。劇中での白鯨の意図的なエセックス号への襲撃は、明らかに憎しみの様なものを感じてしまう。脱出した船員たちを執拗に追う姿からも、明白な意思を感じる。それは海の意思なのかどうなのか。当時の欧米の商業捕鯨では、鯨で価値ある部分は鯨油であり、肉の部分は食べるでもなく殆ど捨てられていたが、現代的な視点で言えばそういった人間の行為に対する怒り…といった感じもするか。ただ主人公たちが自らの苦境に悩みながらも、「神の怒りに触れるようなことをしたのだろうか」と言うところで当時の価値観が守られているので良いと思う。 この映画の見どころの一つには巨大な鯨との闘いがあるかもしれないが、テーマとしては大海原に取り残された極限状態の人間の行為を描いたところの方が大きい。タイプの違う船長と一等航海士のつばぜり合いから始まって、ともに苦境に立ち向かう様子。遂に食料が底をつき、選択を迫られる…という極限。生き残った者たちは、要するには文明人にとって禁忌である人肉食を行ったわけだが、それでなければ生き残れなかったという状況だったのだろう。そして、その知られざる事件が遠く大海の中心部であった…からこその原題なのだが。 ただ、極限を描くには上映時間2時間では少し足りなかったのか、「もうそれしか残ってない」という切迫さを感じるにはもうちょっと何かが欲しかった気もする。確かに物語の流れは上手いし、ロン・ハワードらしい分かりやすい物語の構成なのだけど…、漂流映画であれば「コン・ティキ」の方が好みかな。人肉食という行為に対しての苦悩も、描き方はアッサリしていたように思うし。そこはあくまで“エンターテイメント映画”なのかもしれないが…。 |
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(1998年制作) |
集めた食べ物をバッタに貢いで暮らしていたアリ達だったが、発明家だがおっちょこちょいの働きアリ・フリックのドジで集めた食べ物を失ってしまう。襲来したバッタたちは秋までに2倍の食べ物を要求してくるが…。 「七人の侍」を「アリとキリギリス」に置き換えて、さらに勘違いコメディを掛け合わせたような作品。個々のキャラクターも立っているし面白いとは思うものの、ピクサー作品と聞いて期待するストーリーとしてはいささか平凡な感じ。(「トイ・ストーリー」と比較してしまうと分が悪い。)「石を送る習慣」みたいな前振りのしっかりしたネタもあって、さすがに構成には安心感もあるのだけど、全体的に大団円に向かっていく展開自体は無難な印象が強いかな。とはいえ、子供が(大人もそれなりに)ちゃんと楽しめる作品になっているのはさすが。 登場する虫たちについてはデフォルメされているので記号でしかないものの、背景の質感や、光と影や自然現象の表現は1998年当時の最先端CGでこの世界観を下支えしている。舞台として荒野の中で植物が一部生えている様な場所にしているのは、引きの画にした時の処理を考えての事だろうけど…、このあたりは時代を感じさせる工夫ですな。個人的には雨の描写が気に入っております。虫から見た雨が、まるで迫撃砲を浴びている様な有様になっているのはなかなか新鮮だった。 |
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(2016年制作) |
太平洋戦争の沖縄戦で、銃を手に取ることを拒否しながらも、衛生兵として多くの負傷兵を救った兵士の実話を基にした戦争映画。メル・ギブソンの10年ぶりの監督作品。 前田高地の激戦を舞台にはしているが、映画のテーマは主人公が貫き通した信念の物語なので、史実としての大局的な戦況・戦略はほとんど描かれず、作品としてはミクロ(人物主体)の戦争映画になっている。そこに戦場があり、男は銃を取らずに人を救い続けた、そこがドラマ。極限の状況で彼を突き動かしたのは何だろうかと考えると、きっかけが信仰であったとしても、それを実行したのは彼の信念そのものであった様に思う。そこまで貫けるだろうかと自分に当てはめた時、きっとそうはならないだろうと思えばこそ、この主人公の行動のすごさに畏敬の念を抱かずにはいられない。まあ映画的に盛っているところもあるんだろうとは感じるが、それはそれとして、艦砲射撃の着弾地点に飛び込んでいく後姿の神々しさに感動したのは事実。 構成としては、主人公が戦場に行くまでと行った後の二部構成的な感じになっている。正直いうと前半は背景説明のためのものがメインなので、ちょっと長く感じもしたけど、後半の戦場で「なぜそこまでするのか」という下支えには必要なので、要らないとは思わない。個人的には主人公の父親の葛藤がもっと感じられれば…とも思ったけど、それだとちょっと話がブレるか。でも父親が軍法会議に乗り込むくだりは良かった。彼の父親は第一次大戦の欧州戦線という地獄を目の当たりにしたからこそ、あれほど戦争を忌み嫌っていたんであろう。それが息子のために軍服に袖を通して昔の上官に訴えに行ったんだから、そこにドラマを感じずにはいられないな。 後半の戦場描写は、四肢や体がちぎれ飛び火炎放射で焼かれるといった暴力描写が実に生々しく…凄まじい。白兵戦の密集具合や断崖の大きさなどは映画的演出もあると思うけど、戦場の壮絶さをイメージとして見せるにはとてもよく効果を発揮している。 |
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(2018年制作) |
メキシコの麻薬カルテルの運び屋をやっていたという白人の老人。その実際の事件を基にした人間ドラマ。 白人の老人がメキシコマフィアの運び屋を…という設定は事実を基にしているが、その主人公・アールの私生活についてはフィクションとのこと。でもそこにこの作品の味があるのだよね。家族を顧みなかった男の悔恨と和解がこの作品の幹で、運び屋稼業はその枝葉に過ぎないわけだけど、アールという人物像の膨らませ方は逆にその“運び屋”の様子を中心に描いていくというのが面白い。 運ぶ麻薬を受け取るために行くタイヤ屋のこわもて連中の態度が、回数を重ねるごとにフランクになっていく様子にクスッとしてしまう。これだけでもアールがどんな人物かを感じ取れるけれど、麻薬の運び屋という犯罪を犯しているのにまったくマイペースさが崩れない神経の太さはほんと大したもんだ。さらにその様子を、職質で怯える無実の人と対比させたり、鼻歌を歌わせたりコールガールと遊んだり、組織の言う通り動かないから捜査に引っかからないという様子なども差し挟んで強調するところがニクいw 「俺は家族の時間を大切にしなかった」という悔恨は、アール自身を監督であるイーストウッドが演じているということがとても効いていると思う。犯罪を題材にしてはいるけど、その実は家族の物語で割と地味な作品ではある。それでも映画としての魅力を感じてしまうのは、イーストウッドのテンポの良い描き方と、アールという人物に監督自身をダブらせることでの共感が観客に上手く作用するからだろう。アクションもサスペンスもほとんどない小さなこの話が企画として成立してしまうのも、イーストウッドの存在が大きいか。 |
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(2013年制作) |
突如海底から現れた巨大怪獣。次々と現れるその怪獣に対抗するため、人類は巨大ロボット"イェーガー"を建造した。 ハリウッドが本気で怪獣映画を作ったら…とんでもない迫力!圧倒的ビジュアル!ギレルモ・デル・トロ監督の怪獣映画愛がこれでもかとにじみ出ていて、その熱にすっかりあてられてしまいましたw 「怪獣の人形とロボットの人形を持っていたら空想で戦わせるだろ?」という事を、本当に映像として表現してしまうんだからなあ。童心の夢を実現できる監督はほんとに幸せ者ですな。 日本人としては、やはり「ゴジラ」に代表される怪獣映画へのオマージュを感じ取るので、真剣に作られている分だけただただ嬉しい。「ウルトラマン」もかくやといった具合の、とにかく殴り合う怪獣とイェーガー。巨大な秘密基地にカリスマな司令官。無駄にダメージがフィードバックしてる気もするぞw シンクロ操縦は「エヴァンゲリオン」を思い起こし、必殺技"エルボーロケット"は「ビッグ・オー」か。なんてオタクなんだ、とにかく入れられるものを入れまくってる感じw 一方、ストーリーは少しステレオタイプに過ぎた気もしたかな。まあ怪獣映画らしいと言えばそうだけど、過去との対峙をパイロットの怪獣と戦う理由としている部分はベタ。司令官の自爆も王道ですなあ。でもそれも良い。この映画ではね。 「この映画をレイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ」は、やはり日本人としては誇りにしたい。ハリーハウゼンと並べるのなら円谷英二じゃないんだ、とは一瞬思ったけど、本多監督こそ東宝特撮映画を数多く撮った大監督だからね。 |
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アップライジング (2018年制作) |
前作から10年後の世界を舞台にした続編。復興が進む中、突如現れた謎のイェーガーがシドニーを襲う。 怪獣映画へのリスペクトに満ち溢れた前作は、完全にギレルモ・デル・トロの趣味のような作品だったけども、本作は監督も変わり、さすがにそこまでの熱量には達しないか。それでも正当続編として「ロボットアニメ」的なテイストに溢れていて面白い。無人イェーガーの導入云々の話もロボットモノではよくある設定だけど、そこに前作で怪獣にドリフトしたニュートン博士の裏切りという話の捻りは良かったな。てっきり無人機を推すシャオ産業の社長のマッチポンプなのかと思っていたけど、さすがにそれだとベタ過ぎるもんね。 主人公(ジョン・ボイエガ)が前作の司令官の息子という設定は、血筋がキャラの背景になるこの手の話のお約束?w ポッと出のキャラなので、連続性を与えるために森マコ(菊地凛子)を上手く使っている部分は悪くない。ただマコに関しては欲を言えばベテランパイロットとしてもっと活躍してほしい気もしたし、途中退場になってしまったのはちょっと残念かな。そういえば、シドニー襲撃事件のあの状況でマコが何に気づいたのかはよくわからんかったが…。 前作に比べれば全体的に淡泊な気もするものの、最終決戦の舞台が東京で、しかも富士山がカギになっているというのは熱い展開。あと、人間目線のアングルからイェーガーを煽る映像のインパクトが抜群。被写体の巨大感が素晴らしいですよ。そういえば前作のテーマ曲の影が薄くなっていたが…、そこは物足りない気がする。 |
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(2013年制作) |
落ち目の音楽プロデューサーと心に隙間のできたシンガーソングライターの出会いを描いた音楽ドラマ。 ミュージカルではないが、歌に心情を乗せて感じさせてくれる。監督・脚本は「ONCE ダブリンの街角で」のジョン・カーニーで、なるほど、「平凡な景色でも歌によって真珠の様に輝く」のだとは劇中の言葉だが、歌の力を信じているからこそ撮れる作品だな、と。劇中の歌はどれも良い感じだが、「カサブランカ」の"As Time Goes By"が印象的でニクい。上手くいかなかったり、つまづいたりしている人達にちょっとの勇気と優しさを与えてくれる良いドラマだよね。グレタの友人のスティーヴが良い奴だわ。 冒頭は主人公二人の状況を描くために同じ時間軸が何度か描かれる。キーラ・ナイトレイ演じるグレタがステージで歌う場面の一回目はパッとしないが、それを見ていたマーク・ラファロ演じるプロデューサのダン目線になると途端に印象が変わる。無人の楽器たちが奏でる伴奏によって輝く歌。音楽の魔法か、映画の魔法か。ここが掴みとして上手いな。 グレタとダンの男女にならない距離感は絶妙でムズムズするが…それが良い。終盤、別れ際のダンの表情は色々感じさせられるけれど、彼の心中は観た人に委ねられているところかな。ダンは落ち着くところに落ち着き、グレタは何か吹っ切れたようにも見える。ちょっぴりビターだけど前向きな雰囲気は「ONCE ダブリンの街角で」で感じた鑑賞後感と同じ。良い映画だと思う。 |
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賭けビリヤードプレーヤーである主人公の、人生の挫折と苦渋を描いたドラマ。主人公を演じるポール・ニューマンは色気があるし格好いい。当時36歳というのも信じられないけどw 随所に挿入されるスーパーショットの数々やビリヤード対決は、観ている側がビリヤードをしたくなるような魅力がある。 ドラマの部分はなかなか。酒とギャンブルと女、そう書けばイメージ悪いけど、主人公の生き様はギャンブラーとしては格好いい部分もある。何もかも失いそうになったときにでも、支えてくれる人がいる主人公は幸せなヤツだわ。だけど、その人を失ったときに彼は初めて気付いたのかな。ハスラーとして、人間としての成長のドラマ、俺は良いと思ったね。 |
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(2022年制作) |
「トイ・ストーリー」シリーズのメインキャラクターであるバズのスピンオフ作品。 「トイ・ストーリー」のウッディもバズもおもちゃであるが、そのバズは劇中で流行っているという設定の「バズ・ライトイヤー」というアニメのキャラクターを商品化したものだ。そう思えば、本作はその劇中劇であるアニメの話…?という期待をしてしまうけれど、どうも細かい部分では話が合わないというか、特にザーグの正体が父(それ自体が「スター・ウォーズ」ネタだが)ではなく本人というのを見ると「ああ完全に別物ね」とも思わされる。 ということで、スピンオフというよりはもはや公式の二次創作に近い存在なのかもしれないが、まあそう割り切れば宇宙を舞台にしたSFモノとしての面白そうな要素がてんこ盛りに入っているので素直には楽しめる。ウラシマ効果の話はベタだけど、レトロフューチャーな感じのロボットのデザイン、スピード感のあるアクション、そしてバズの決め台詞やウイングの登場のさせ方…。いずれもテンポよく展開するし、“バズ”という男が失敗を受け入れ乗り越えるという物語の中で上手くまとめられている印象だね。 冒頭に提示されるバズの大きな失敗。描かれるのは、失敗をなかった事にするのか、それとも受け入れて前に進むのかというテーマ。本作のようなSFに限らず色んな出来事に当てはまる命題でもあると思うけれど、そういう普遍的な要素が話の背骨になっているから観やすいのだろう。 |
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お騒がせ警官のドレビン警部が活躍するドタバタコメディ映画。 もう本当にドレビンのやることなすことバカですねw タイトル自体は直球の下ネタだけど、本編の下ネタはそれほど下品でもないかな。むしろそれよりもドタバタぶりの方が目について面白い。毎回何かにぶつかって停車するドレビン車。これでもかと言うほど痛めつけられるO・J・シンプソン。もう勘弁してくれw イギリスの女王ですらこの扱いなんだから、この映画はホントに何でもアリだよなあ…w しかし、世界中の米国の敵(テロリスト)の会議をドレビンが壊滅させるオープニングは、今観ると微妙に笑えないんだけど、これができたってのは時代なんだろうね。 |
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ドレビン警部、再び登場。 相変わらずのバカ映画っぷりには楽しませてもらえるね。口を開けばマジメな顔して下ネタを言うドレビン。ふざけてるよなあ。今作ではベタな映画のパロディも出てきたし、ただのドタバタコメディで収まってないところも面白いね。そもそもタイトルからして「8 1/2」という映画のもじりだし。 個人的には終盤にメキシコ人の楽団に変装して潜入して、舞台で演奏するシーンが好きw あと爆弾解体シーンのバカバカしいオチも「裸の銃」シリーズらしくて良いねw |
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最後の侮辱 |
ドレビン警部、三度登場。 このシリーズは全然変わらないですな。バカなドタバタ劇に、山ほど出てくるパロディ。恒例になったパトランプのオープニングでは、よもや“あんな星”にまで行ってしまうとは! 映像を提供したルーカス・フィルムもシャレが分かってるねw 基本的にその場その場のギャグを楽しめばいい作品なので、もはやストーリーなんて有って無いようなもの。微妙な出演者ばかりのアカデミー賞だって、舞台がアカデミー賞である必然性がないんだけど、面白けりゃいいという勢いで突っ走るところは小気味良いね。 しかし、1作目の時も思ったけど、この映画のようにテロをジョークに出来るなんてのは、今思うと良い時代だったんだなあと思ったりもします。 |
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(2004年制作) |
度々記憶をなくすことがあった主人公の少年・エヴァン。その後、成長したエヴァンはふとしたきっかけで日記を読むとその時点に意識が戻ることを知る。 タイトルのバタフライ効果そのままに、過去のちょっとした行動の変化で大きく未来が変わるわけで、タイムトラベルものと思えばかなりベタな話だとは思う。でも伏線の展開と回収の方法が上手くて、そこがこの作品の魅力になっているとかな。前半、「記憶がない間に何があったのか」というホラーチックな雰囲気から始まって、観客が設定のルールを理解した後半には、ひたすら過去との往復を繰り返すSFへと変わっていく。観客に「そういうことか」と思わせる、この辺のテンポの転換がよく出来ているなあと感心。肉体を伴うタイムトラベルではないので、未来が変わると後追いで記憶が入ってくる設定も、なかなか面白いね。 主人公の動機は好きな女の子を救いたいという分かりやすく、感情移入もしやすい。それでも主人公とヒロインがくっつくグッドエンドにしなかったのは個人的には好感です。何かをする毎に誰かが不幸になるという結果をあれだけ見れば、たとえ自分が彼女との未来を共有できなくても…全員の幸せを選ぶか。最初は自分の記憶の事しか考えていなかった主人公の、それは成長だと思っても良いんじゃないかな。 そうそう、それはそれとして、親が子供の成長に与える影響の大きさを感じさせる話でもありました。 |
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(1985年制作) |
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は実際の出来事だったんだぜ、から始まる地獄の始まりを描いたゾンビ映画。 ジャンルとしてはホラーになるんだろうけど、スラプスティック気味な騒動の様子がもはやコメディ。でも登場人物たちが真剣にゾンビに対して恐怖しているから、そのドタバタにも面白さがあるんだよね。最初に“新鮮な死体”が飛び出してくるシーンこそ「ただの黄色い裸のおっさんやんけ」と思ってしまうけど、タールマンやオバンバなどは割としっかりした特殊メイクや特撮で見せ場にもなっているし、撮っている側のそういう真剣さもゾンビ映画へのオマージュとして好意的に受け取れる部分かな。 墓場でいきなりストリップが始まるわけのわからんシーンもあるけど、まあそのへんはご愛敬。(これは「死霊の盆踊り」へのオマージュ?まさかw) 基本的に登場人物が誰も助かりそうもない感じってのもいいよね。そのなかでもドン・カルファ演じる葬儀屋のアーニーがいい味を出してますな。完全に巻き込まれた側の人だけど、立てこもりの際には積極的に行動しているし、オバンバを捕まえて調べるシーンはオバンバのビジュアルも相まって印象に残る。ちなみに本作のゾンビに対する「バタリアン」も「タールマン」も「オバンバ」も日本の配給が勝手につけたものらしいですが、"You can hear me.""Yes."って台詞のやり取りを「名前は?」「オバンバよ」という字幕に変えてしまうという荒業を披露していますな(苦笑) でもそれによって本来名前もなかったゾンビにキャラクター性が与えられたのだから凄いと言えばそうなのだけど。まあ当時のおおらかさというか、そういう配給側の工夫が色濃く残る作品としても興味深い作品ではありますね。 |
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(1963年制作) |
映画制作に行き詰まった監督の、交錯する現実と虚構。イタリア映画界の巨匠、フェデリコ・フェリーニの代表作。 冒頭、衆人環視の中で煙の充満した車から脱出した主人公は、空を飛び、そして落とされる…という夢。いきなり何かしら意味深な感じで引っ張り込まれるが、どうもこの映画の筋書きが読めない。それは現実と虚構が錯綜しているからということもあるけど、劇中でも言及される様に「エピソードの羅列にすぎない」とか「記号が意味をなさない」とか、確信を持ってこの映画を作っているところにもあると思う。映画を作る事にひたすら苦悩して、ついには現時逃避そのものを映画にしてしまったフェリーニ。しかしそれでも前向きな方に持っていくところもまたフェリーニらしさなんだろうか。 構成の巧妙さは今でも色あせるものではないけど、だと言って面白いかと聞かれれば俺には合わない部分が多かった。そもそもこの主人公の監督は、妄想の中でハーレムを作ってしまうというような女に囲まれた人物だしねw 後半、カメラテストと称して女優に語らせる台詞が主人公の妻のそれで、周りの人物に「これって事実でしょ」と言及されるシーンには、監督という生き物の悲しさも感じました。 |
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(1985年制作) |
知り合いの発明家が作ったタイムマシンで図らずも30年前にタイムスリップした主人公。変わりそうな未来を修正し、再び未来へ帰るために奮闘する姿を描いたSF作品。 青春系ホームコメディのテンプレにSFを見事に融合させた脚本。これに尽きます。自分の存在が消えるかもしれないという時限性が話の推進力だけど、主人公が自分の両親の青春時代を見るというドラマ性、ドクを死なせたくないという男の友情、この構成が観る者の心を掴むんだろうね。タイムマシンというのは1955年に主人公を送り込む仕掛けでしかなく、やはり本筋のドラマが面白いからこそ、歴史に残る作品になったのだと思う。 本作のジェネレーションギャップネタは上げたらキリがないが、登場人物が真剣な中でそういったジョークが入るのが面白い。ドクのオーバーアクションも実に魅力的で、これはもうクリストファー・ロイドの名演に他ならないが、今作のイメージから逃れられなくなったのはなんだか皮肉な気もするところ。 |
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PART2 (1989年制作) |
未来にタイムスリップしたマーティとドクだったが、マーティが出来心で購入したスポーツ年鑑をきっかけに、歴史を左右する事態に発展してしまう。 前作のラスト、ほぼジョークだった空飛ぶデロリアンの登場をそのまま話として繋げてしまう荒業が大成功!30年後の未来世界にワクワクさせ、戻った現代の改変ぶりに混乱し、再び30年前の過去世界でミッションをこなす。縦横無尽に時代を行き来するシナリオが実に楽しい。未来世界はギミックの面白さとセルフパロディで導入の掴みにしてるんだけど、本当に盛り上がるのは改変された現代に帰ってから。IFの世界観に「素晴らしき哉、人生!」の引用を垣間見てニヤリとするが、なぜ変わったのか、どうすれば解決するかの提示によるホームコメディからSFへの転換がホントに見事だよね。 再び戻った30年前の1955年世界では1作目の出来事の裏で暗躍(?)するマーティにハラハラし通し。"年鑑を取り戻す"、"もう一人の自分に見つかってはいけない"というサスペンスを付加して盛り上げ方が上手いよなあ。1作目を別アングルから再現しているのがすごいよね。同じ役者を同画面に合成する技術は、撮り方の工夫が画面から伝わってきて、これもまた面白い。今ならCGだろうけど、光学合成の時代だもんね。 しかしこの映画の白眉は何と言っても次作へのフリですよ。1作目のクライマックス、ドクがマーティを未来に送り出して天を仰ぎ見た後ろから現れるマーティ!そして卒倒するドク!w |
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PART3 (1990年制作) |
1885年に飛ばされたドクを救うべく、マーティは西部開拓時代へとタイムスリップするが…。 同じテーマでも同じことはしない。案外難しいことをサラッとやってのけ、今作では西部劇へ変貌。もちろん"未来に帰る"というテーマにブレはないし、これまでのパロディ・コメディのノリもそのままなのに、純然たる西部劇への愛もある。作り手は映画がホントに好きなんだよなというのが伝わってくるのが良いんですわ。 1〜2で前後30年を描いた次が100年前の世界。マーティとドクの物語であると同時に、ヒルバレーという架空の街を通して人々の生活の変化も垣間見せているわけだけど、もう完全に街が一つの主人公だよね。観客にしても1作目から5年かけて時計台の運命を見てきたわけで、その時計が動き出す瞬間に立ち会えることは、劇中のマーティとドクと気持ちが共有できる瞬間でもある。こういう部分がこのシリーズの完成度を高めていると思う部分。 「未来は自分たちで作っていくものだ」というラストのドクのセリフは、シリーズを通してマーティとドクがやってきたことそのもの。映画的には未来や過去を変えてはいけないという制約をサスペンスとして展開させてきたけど、ドクが到達したその結論が非常に前向きで気持ちい鑑賞後感を与えてくれます。夢と希望が詰まった良いシリーズでした。 |
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(1991年制作) |
殉職した父親と同じく、シカゴで消防士となった兄弟。新任の弟は、すでに隊長となっていた兄のいる17分署に配属となる。 カート・ラッセルとウィリアム・ボールドウィンが演じる消防士兄弟のドラマを縦糸に、放火事件の謎解きが横糸になっているけど、ドラマとサスペンスの配分が上手くて引き込まれます。序盤と終盤にに大火災を見せるところも話の盛り上げに考えられた構成だけれど、なんといっても本物の炎を使った映像がすごい。合成でもなんでもなく俳優の目の前にある炎のリアルさ。たまにある逆回しは演出が過ぎる気もするけど、炎が生きもののように立ち上がり、天井を這い燃え広がる画の生々しさは本物だからこそ出るものだし、画面から熱量すら感じてしまう。 サスペンスの謎解き部分は特に凝っているとは思わないけれど、バックドラフトという火災現象を取り込んでいるので、この作品には合っている。ただ劇中でヒントを出す放火魔のロナルド(ドナルド・サザーランド)は正直ヒントになっているのかどうなのかよく分からないんだよねえ。主人公を自分と向き合わせるためのキャラとしては分かるけれど。まあ中盤の牽引役のロバート・デ・ニーロや隊員役のスコット・グレンなど、要所に名優を配して映画が締まっているというのは事実。 とにかく作品としては命がけで炎に立ち向かう消防士の生きざまに、尊敬の念を抱いてしまう。"You go, We go"のセリフが消防士たちの厚い結束を感じさせて、熱いよ。が、これ字幕だといまいち伝わらないんだよなあ…。エピローグの出動シーンは、主人公の成長を美しく端的に描いていて感動してしまうね。 |
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バスタブ島の少女 (2012年制作) |
アメリカ南部のとある島に住む少女・ハッシュパピー。その島は貧しいながらもコミュニティーとして世界の中で成立していたが、突如襲ってきた嵐によって島が水没してしまう。 少女の目線で変わりゆく世界や状況が描かれ、繊細で力強い物語が美しい。ただ、ニューオリンズのハリケーン被害が着想と思しき世界の水没や、父親との別れなど、かなり過酷な話だとも思う。それを少女なりの理解によって受け入れていく部分がドラマではあるわけだけれど、ただの悲劇とは思わせない前向きさは感じた。ひとえにハッシュパピーを演じたクヮヴェンジャネ・ウォレスの演技があるか。目力だね。 挿入される怪物・オーロックスの存在が、彼女が立ち向かうべき世界のメタファーになっていて、おとぎ話的な作品の魅力を高めていると思う。それでも透けて見せる環境問題や医療分野のリアルな部分が、単純にファンタジーで終わらせないこの作品の世界観を支えているよね。 |
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(2004年制作) |
ユダヤ人に捕えられたイエス・キリストが、磔刑に処せられるまでの“キリストの受難”を描いたドラマ。 キリスト教徒でない自分が内容について云々言うのはおこがましいことであるが、映画としての、「『キリストの受難』を描き切ってやるんだ!」という監督の想いというか…熱量が画面から物凄い熱量で伝わってきた。聖書・福音書からイメージされる情景、かつて絵画でも描かれたモチーフも取り入れながら、キリスト最期の12時間を見事に具象化していると思う。 目を背けたくなるような鞭打ちも磔刑は、イエスの皮が裂け血が飛び散り…そしてローマの処刑人の執拗さも相まって映像的には本当に容赦がない。それを観て一言「残酷だ」と言うのは簡単だが、リアルな描写の奥にあるのは、イエスが背負う“人間の罪の身代わり”が形を成せばこの様に見える、という解釈だろう。実際、その重みがこちらに殴りかかってくるような感覚に陥った。演出としては絵画的イメージを引きずってはいるものの、当地の言葉のみで会話が描くなどのこだわりからも、一面的には歴史的事実の様に観せていると思う。一方でイエスの奇跡や、サタンが跋扈したり蠅をユダの絶望に重ねたりという宗教的なイメージも流れの中で取り込んでいて、やはりあくまで聖書から着想する物語という描き方もしている。この辺のバランスは悪くない。 映画的にはユダが銀貨を受け取るシーンや、十字架を背負ったイエスにマリアが駆け寄るシーンなどの場面場面でドラマチックに感じられた。あとはイエスの扱いについて板挟みになるピラトの苦悩が一つのドラマ。大祭司カイアファは物語の悪役を一身に背負っているが、そんな相手に対してもイエスは「迫害者を愛し」、神に彼らの許しを請う」のである。“イエス・キリストとは”を直球でぶつけてくる。そんな作品だと思う。 |
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(1995年制作) |
警察署から押収麻薬が奪われた。内部犯行を疑うハワード警部は、部下のマイクとマーカスに早急な捜査を命じる。 マイケル・ベイ監督のデビュー作だけど、デビュー作からすでにベイ節が炸裂していて興味深い。終盤に畳みかける銃撃戦のスピード感はもちろん、カーチェイスのカメラワークも格好いいし、しっかり大爆発も起こしておりますな。あとなんか下世話なネタが多いのと、下着のネエちゃんが出てくるのがいかにもベイ作品って感じ…(苦笑) 内容的には二人の黒人刑事の掛け合いがメインだけど、故あってお互いの立場を入れ替えたことから事態がややこしくなるというシチュエーションコメディ的な展開が笑いを誘う。主役二人の口げんかで人物紹介を済ませてしまったり、笑いとアクションの山谷といったテンポも悪くない。まあこれはマイケル・ベイのセンスというより、製作のブラッカイマーがちゃんと手綱を握ってたから…?などと思わなくもないが。 主役二人を演じるのはウィル・スミスとマーティン・ローレンス。95年時点ではアクション俳優のイメージはなかった二人だけど、コメディ要素を生かしつつアクションが成立するキャラクターに見せ切っているのだから、それは演出の力だろう。証人として保護されるヒロインを演じたティア・レオーニは、個人的には後年の「ディープ・インパクト」のイメージの方が強くて本作はなんか印象に残りにくいんだけど、容姿的にマイケル・ベイが好きそうな感じには撮っているなとは思った。 |
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(2003年制作) |
麻薬の密輸が巧妙化し、対応に追われるマイアミ警察のマイクとマーカス。一方でマーカスの妹シドは連邦麻薬取締局(DEA)の捜査官としてシンジケートの内偵を行っていた。 前作から8年後の続編で、監督も主演もヒットメーカーとなっての本作は、製作費がずいぶんアップしたのが見てわかるくらいド派手なアクション映画になっていた。マイアミでのダイナミックなカーチェイスシーンはすさまじく、キャリアカーから次々に落とされる車が転がって後続車に襲い掛かるシーンなどは実際に後続車にぶつけて撮っているというのだから、監督の迫力に欠ける意気込みも伝わって良い。グリグリ動くカメラワークもダイナミックでいいね。終盤のキューバへの強襲などは、もはや警察モノというよりは戦争モノといった感じのエスカレートっぷりだが、「まあベイ作品だし」と受け入れてしまう自分がいる。 一方で監督の露悪的な趣味性もパワーアップしていて、下ネタ系にとどまらず、死体イジリ系のネタにはさすがに眉をひそめてしまう場面があったな。モルグの捜査場面は大目に見るとしても、前方の車から落ちた死体を次々に後ろで轢いていくのは…さすがに趣味が悪い。“ネズミの正常位”とか、意味の分からない下ネタも入ってくるし、もうちょっと誰か…監督にブレーキをかけたほうがいいですぜ(苦笑)。 それでも展開的には結構テンポよく進むので悪くはなかったのだけど、この内容のアクション映画で2時間半というのはちょっと盛り過ぎかな。個人的にはすっかり大作になった本作よりも、手作り感や上映時間の面でまとまっていた前作の方が好みかなあと思った次第。 |
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フォー・ライフ (2020年制作) |
孫も生まれ引退を考えるマーカスとまだまだ現役でいたいと考えるマイク。そんなある日、脱獄した麻薬王の未亡人の差し金によってマイクが銃撃される。 前作から17年後の続編。時は経ち、変わったものと変わらないものが色々あるが、マイクとマーカスの2人のキャラクターは相変わらず対照的で笑わせてくれる。一方で最大の変化は監督がマイケル・ベイから交代したことだが…。あの良くも悪くも特徴的なベイ演出の色を踏襲しつつも、最近のベイ作品から受けるような“空っぽなストーリー”とは距離を置いたようなエモーショナルな展開もあり、なかなかセンス良くシリーズを再開させたもんだなと感心した。特に前2作から続投したジョー・パントリアーノ演じる警部がマイクに語る“仏教徒の例え話”は「生き方」について考えさせられる場面でもあるし、マイクに対する警部の親心の様な気持ちが伝わってくる場面でもある。こんな風に考えさせられる様な場面なんて「今のベイならやらなさそう」とか思ったりしたけど、そういう意味では監督が代わって良い感じに変化が加わったのかもしれない。 さりとてアクション場面となると、やはり前作の過剰さに比べていささかのパワーダウンは感じるか。それでも十分に魅せてはくれるのだけど、「やはりベイのアクション演出のセンスは凄かったのだ」と再認識するのも事実。逆に下ネタが控えめになったのは、個人的には良かったと思ってるけどねw |
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格好いいテーマ音楽と共にロゴが浮かび上がり、否応なしに盛り上がる。ジョーカー役、名優ジャック・ニコルソンの怪演もスゴい!特に後半なんかはジョーカーを体現してたね。バットモービルやバットウイングも登場してシリーズ1作目とは思えないほど豪華。全体的な雰囲気はティム・バートンテイストがプンプンしてるけど、その不思議な感じが架空の町ゴッサムシティに合ってるように思ったね。 | ||
前作でもそうだったけど、実写というよりもどこかアニメのような雰囲気がいい。荒唐無稽なアイテムの数々もこの世界観では肯定してしまう。そういう意味で、ホントこの監督は上手い。しかしダニー・デビートのペンギンははまり役だよなあ。不気味ながら哀れな怪人を熱演してました。「何で野菜を持ってる!」の突っ込みは笑ったw そりゃ突っ込むわなw ティム・バートンの映画を観てるといつも思うけど、ホントに彼は異形の者を愛しているんだろうねえ。 | ||
監督が替わってティム・バートン色がずいぶん薄くなった印象。その分トゥー・フェイスやリドラーのキャラが深く描かれる事もなく、良くも悪くも普通のヒーロー物になってしまった。テーマ曲が変わってしまったのも悲しいかなあ。しかしバットマンよ、あれだけロビンに「復讐はイカン」みたいな事言っといて、結局トゥー・フェイスを殺すんかい!ラストのカットはアニメ版へのオマージュかな? | ||
Mr.フリーズの逆襲 |
もう完全に1・2作目の雰囲気はなくなってしまってなんか残念。Mr.フリーズの冷凍光線で凍らされる人たちは、なんか“いかにも凍ってます!”凍らされ方で良かった。監獄の私物保管所にトゥー・フェイスやリドラーの服が置いてあったりと前作を見ていた人はニヤリとする。そういう意味ではバットマンがクレジットカードを出したり妙なノリもあったか。しかしシリーズ通して「美女と野獣」が良く引き合いに出されるよなあ。ティム・バートンがディズニー出身だからか? | |
シリーズ5作目、新生バットマン。バットマンがいかにしてバットマンになったかが描かれている。 前作までをきっぱり忘れて、新しく創り上げた“バットマン”が格好いい! ブルース・ウェインが何故バットマンとなったのかという理由は、この物語を描く上で最も重要な要素。そういう意味では1、2作目のバートン版にも通じるものがあるけど、今作ではさらに掘り下げている。主人公の心理をきちんと描くからこそ、こういうヒーローものでも共感しドラマとしての完成度が上がるんだよね。最近では「スパイダーマン」シリーズがまさにその典型的な例か。「ビギンズ」はそれに迫る良い出来だと俺は思う。 ビジュアルが全体的にリアル指向なのが印象的だった。バットマンの使う道具の出自も描かれているから、本来荒唐無稽なヒーローであったバットマンがよりリアルなヒーローになってる。本作の傾向ではあるけど、それは敵を見ても明らか。今までのシリーズのようなコミック色は消え、敵は“怪人”ではなく“人間”そのもの。そのこだわりが説得力を出すんだろう。 配役で嬉しいのはゴードン役のゲイリー・オールドマン。彼の悪役も最高に良いけど、今回のような善人を演じてくれると、なんかもう無性に嬉しいw 次作があれば、またゴードンを演じてくれることを熱望しますw |
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ジャスティスの誕生 (2016年制作) |
ジャスティス・リーグの開始を告げる2大ヒーローの共演作品。 ストーリーとしては「マン・オブ・スティール」直系の続編。そのスーパーマンの世界観にバットマンが参加するような形になっているものの、どちらかというとブルース・ウェイン/バットマンがジャスティス・リーグ結成の決意を固めるまでの物語で、「ダークナイト」シリーズ以降での「バットマン」のリブート作品とも言える感じかな。 冒頭、観客はブルース目線でスーパーマンとゾッド将軍のバトルによって徹底的に破壊される街を再び目撃することになる。「このバトルで何人死んでるんだよ!?」というツッコミは「マン・オブ・スティール」の時からされていたけれど、そういう意味ではこの映画はその問いに対するアンサーか。日本の「ガメラ3」の様にリアルに考えると強大なパワーの足元では人が死ぬでしょ?ってことなんだけど、その導入がブルースに怒りを植え付けさせるくらいにしか使われなかったのはちょっともったいない。後半になると「無人島でした」、「港湾は廃墟で無人」とかでは、ちょっとご都合な上に説明臭くて…うーむ。開き直ってそれでも犠牲者は出るくらいの方がリアルだったけどね。 予告編にあったバトルを予感させるいくつかの場面はブルースの悪夢でしかなかったので、その辺はちょっと拍子抜け。アイゼンバーグの演じるレックス・ルーサーは彼らしいキャラになっていて悪くない。詰めが甘いのはご愛嬌としても、足の着く弾丸を使ったのはワザとなの?その辺はよく分からないな。しかしそれを取り戻すくらい終盤のバトルはザック・スナイダー監督らしい派手さで満足した。特にワンダー・ウーマンは…あんなコスチュームなのになんでそんなにカッコイイんだw 力強いテーマ曲も良いよなあ。話は長いし暗めだけど、それでも終盤のお祭り感覚だけでも十分満足です。 ラストカットはスーパーマンの棺。土が浮き上がった瞬間に暗転するが、この切り方はザック・スナイダーと言うよりはクリストファー・ノーランっぽい感じ。 |
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(1970年制作) |
第二次大戦下、アフリカ〜シチリア〜ヨーロッパ戦線を戦い抜いたジョージ・S・パットン将軍の姿を描いた伝記映画。 タイトルが大仰なので勘違いしそうだけども、内容は戦争アクションではなく、パットンの人生における最後の戦争・第二次世界大戦での境遇を描いたもの。口が悪いために様々なトラブルに見舞われる彼だけど、それ以上に彼の昔気質(大戦中でさえ時代遅れ)の軍人観(ある種のロマンチズム)が彼の栄光と挫折の根本であることが見て取れる。そういう意味で、オープニングでの巨大な星条旗の前で演説するパットンの姿、そのシーンがこの映画を端的に表現しているね。軍人魂・敵を殲滅・軍人に個はない、という思想を聞いた時の違和感。それそのものが公開当時ベトナム戦争化にある米国での、軍事行動に対する壮大な皮肉とも受け取れる。 ただ、そういうテーマ的な意義は感じられるけど、話の見せ方としては今ひとつ入り込めなかった。個々のエピソードも纏まっているし、パットン役のジョージ・C・スコットは鬼将軍らしいオーラを見事に出した演技。だけど、何が悪いのか分からないが俺にはテンポに退屈な印象を受けてしまったんだよね。そこは残念。 |
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オンチだがタップダンスが上手い主人公ペンギンは、歌で愛を語る皇帝ペンギンたちの中で異端児扱いされるが、それでも自分の生き方を通す姿を描いたCGアニメ。 何より映像が素晴らしい。まるで実写と見まごう南極の景色とペンギンたち。でも歌に踊りという動きのそれはペンギン離れしたアニメにしかできない世界なわけで、“ペンギンが歌って踊ったら…”というファンタジーを見事に具現化した技術には舌を巻きます。 話の前半はノリノリのミュージカルだけど、後半は色が変わって人間活動の影響を訴えたテーマ映画になってくる。この辺のギャップは少々戸惑うけれど、ただの“ただの楽しい映画”っていうだけだときっとアカデミー賞は受賞しなかったんだろうなあ。あと、動物園のガラスケースに入っている動かないペンギンの気持ちってああなんだろうかなあ。 人間を“エイリアン”と称して扱うあたりは面白かった、観ている自分は人間だけれども、ペンギンたちに感情移入してる自分。そしてそのペンギンたちが人間に何かを訴えるのに使った手段はタップダンスという音楽。終盤になるとまさに「未知との遭遇」と被ってくるけど、それはオマージュなんでしょうねえ。 |
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(2016年制作) |
2009年1月15日、バードストライクで両エンジン停止の状況の中、乗客乗員全員を生還させたUSエアウェイズ1549便不時着水事故の機長・チェズレイ・サレンバーガーの姿を描いたドラマ。 「ニューヨークで良いニュースは久しぶりだ、特に飛行機絡みは。」 この台詞に集約されているのは9・11の影。冒頭でサレンバーガー機長が見る悪夢も、インタビュー後の窓越しに観る幻も、彼の事故直後の心理描写であると同時に否が応でも9・11を想起させる。一義的にはそのような悲劇になる可能性があったという事の示唆だが、9・11後に引きずる暗澹とした米国の空気を感じさせる場面でもある。(時代背景としてサブプライムローンによる不況も台詞では言及される。) そういった時代に起きたからこそ、この事件は米国人にとって「奇跡」として記憶され、機長は「英雄」として扱われたのだろう。 しかしこの映画ではサレンバーガー機長を「英雄」としては描かず、あくまで一人の職業人として描いていた。イーストウッド監督のそのストイックな演出がとてもいい。ストーリー上の余計な枝は一切なく、バカみたいに感動を煽ることもしない。場面ごとにはとてもサバサバとカットを切っているように見えるのに、それでも心がとても揺さぶられる作品になっているのが凄い。考えうる最悪の状況を最善の判断で乗り切った彼の判断が物語の中心だが、あの状況で副操縦士もCAも管制官もみんなプロフェッショナルとして自分の職務を全うしている事が描かれている。救助に向かった貨客船に迷いが無いこともそうだ。そこに人に対しての希望が透かしのように入っているから、その姿に心打たれるのだろう。 監督は「映画」という表現を信じているのだろうし、観客がそこから読み取ってくれることも信じているのだと思う。86歳にして全く衰えを見せないその映画人としての職人技には脱帽した。この様なシリアスな物語にあって、ラストをジョークで締めるのだから…ほんとに最高のセンスだw |
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アメリカン・スピリッツばかり描くドイツ人監督、ここに極めりって感じですな。メル・ギブソンが主演のせいで、ブレイブハートのようにも見えるけど、ちゃんと舞台はアメリカ。窓から戦場を眺めたシーンでは、まるで絵画のようにも見え、奇妙だった。クライマックス近く、仇が目の前にいるにもかかわらず、勝利のために旗を持って別の方向へ突撃するシーンは感動した。 | ||
(2016年制作) |
2013年に発生したボストンマラソン爆弾テロ事件。その事件の発生から犯人逮捕までの事件の経過を描いたサスペンスドラマ。 実録モノであり、群像劇である。もちろん色々と脚色はされているようだけど、登場人物が多いにもかかわらず事件当時の状況が手際よく描かれていて見応えはあるね。テロは憎むべき犯罪だが、容疑者の妻の話で「シリアでも毎日市民が死んでいる」という主張を出したり、根の深い問題だと示唆してはいるか。でも、この作品自体はテロの問題が主題なのではなく、あくまでそれが起きた街の団結を描いている話だよね。このテロは防げたのかと問えばそれは防げなかったのだろうが、愛によって克服できるんだとする主人公の信条は良いと思う。「愛国者の日」というタイトルにはふさわしい内容の映画ですな。 実録モノとしては十分に佳作だけど、一方でサスペンスとしては犯人側の行動が観客には逐次見えてしまっているのがちょっと緊迫感を薄らげてしまっているという気も。追う側に「次が起きるかもしれない」という緊迫感があっても、犯人がTVを観ているだけで事を起こす様子がなければ、観客としてはちょっと気がゆるんじゃうかなあ。もちろん防犯カメラの映像を追っていく場面や最後の車の追跡劇は、ひとつのヤマ場としてカタルシスがあるのは確か。でも中盤に犯人の写真を公開するまでは、個人的には犯人の行動をもう少し不明確にしても良かったのかもね、と感じた次第。でないと「犯人じゃないかもしれない」というFBI特別捜査官の葛藤も取って付けたようにも感じるし。 とはいえ、ボストンという街が悲劇を乗り越えていったという物語としては良かった。映画の最後に本人たちがインタビューで登場するのは、いささか再現ドラマな感じが強すぎて蛇足な気もしたものの、本当にあった事件だという実感は沸く。 |
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(2017年制作) |
1973年の米国で"The Battle Of The Sexes(性別間の戦い)"と銘打たれて行われたテニスの男女対抗試合を描いた伝記ドラマ。 男女同権を求め女子テニス協会(WTA)を創設したビリー・ジーン・キングと、その時すでにシニア選手となっていたボビー・リッグスを試合に向かわせたものは何か。物語としてはタイトル通り“性別”という意識に対する戦いという分かりやすい主題に落とし込んでいるけど、その実は2人にとって別々の物語だという構造かな。 プロスポーツというものは、競技であると同時に興業の面もある。「客は男のテニスを観に来ているのだから」と平然と言ってのけるビル・プルマン演じるプロモーターのジャック・クレーマーは本作においては完全に悪役で、対してキングは「同じ数の客が入っているのだから賞金に差があるのがおかしい」と言う。キングの言う事ももっともだが、“興業”としての商品価値に対してプロモーターがそう認識しているのであれば、キングの言い分は分が悪いとも思える。だから彼女は協会と決別してWTAを立ち上げたわけで、その行動力が彼女の凄いところなんだよね。そういう手段に打って出ることすらも困難な時代だったろうから。 一方で彼女と対戦するリッグスは、シニア選手として稼げるわけでもなく、好きなギャンブルも妻に咎められてやりにくさを感じていた時に、ある“勝負”を思いつく。“テニス”という表現を使って自分を商品にした一大興業に打って出るという博打。興業であれば分かりやすい対立構造があればウケる、それが"The Battle Of The Sexes"というわけだ。劇中ではリッグスを真の差別主義者とは描いていない。あくまでプロレスとして“差別主義者”というレッテルを自分に貼っているだけで、極端なことを言えばキングもその対立を利用してWTAの価値を高めることに成功したともいえる。 そういう目線で観ると、実は違う目的を持った2人の者が、1つの“興業”を自己実現の手段にした話…というのがその実態で面白い構造だと思ったかな。その上でキングには女子スポーツの代表者としての重圧やレズビアンとしての葛藤があり、リッグスには妻や子に対して夫や父という役割を果たせない男という負い目が描かれてドラマを補強している感じ。ただ個人的にはどちらにも感情移入しにくい部分があって、割とドライな目線で観てしまったかもしれない。キングがロッカールームで重圧から解放されて泣いているシーンは印象に残ったけどね。 |
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(2012年制作) |
環太平洋海軍合同演習のさなか、謎の飛行物体がハワイ沖に着水する。そこから突如放たれたバリアによって艦隊はハワイ近海から締め出されるが、その中に留まっていた駆逐艦が反撃を開始する。 エイリアン侵略映画のジャンルとしては正統派のエンターテイメント作品。イメージとして「インデペンデンス・デイ」と「U-571」を足して割ったような、そしてマイケル・ベイが撮ったような派手さのある映像ですな。(監督はピーター・バーグ。)敵が武装している相手しか攻撃してこないとか、敵はバリアが展開できる技術があるのに敵の艦自体は実体弾で壊れるとか、色々と都合のいい展開はあるけれど、それでも見せ場が多いので"良し"です。まあ、海上戦闘と山上のレーダーの話が交互になるあたりは若干勢いが落ち気味な気はしたけれど、許容範囲。 主演テイラー・キッチュのライバルであり仲間である海上自衛隊員の役で浅野忠信が出ているけど、準主役級の扱いで日本人としても嬉しい。ハワイ沖を舞台にして日米が協力して宇宙人と戦うSFなんて、なんて心躍るシチュエーションか。そしてクライマックスはタイトルロール(実際はボードゲームからきているのだが)である"戦艦"の出動シーン。操艦するに至るあの演出は熱すぎます!w |
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永遠の谷 (2019年制作) |
北マケドニアの丘陵地帯で自然養蜂を営む女性の姿を追ったドキュメンタリー。 寂れた…というか、その養蜂家の女性と年老いた寝たきりの母親しかいない村の跡地という雰囲気。荒涼とした岩肌に作られた蜂の巣や独特な形の巣箱からハチミツを採取する姿は、自然と共生していた時代の人々の営みを見るようでもある。顔に刻まれた皺、火の明かりで夜の暗闇に浮かぶ彼女と老婆の姿には、何か絵画のような美しさすら感じた瞬間があった。そう感じるのは、物質文明に溺れるように生きる自分とは全く違う世界に生きる姿に、なにか畏敬の念のようなものを感じた部分もあるのかもしれない。実際には彼女は街にハチミツを売りに行くし、人々との交流もとても気さくに行っているので、現代文明から隔絶されているわけではないけどね。でもその村で暮らし続けているのは、その理由に年老いた母親の存在があったからだろう。色々小言を言ったとしても、その親子の間には情があることが感じられる。だからこそ「ずっとこのままではないだろう」という予感の漂う画に、観ている自分は胸を締め付けられた。 この映画はドキュメンタリーではあるけれど、とてもテーマ性とドラマ性の強い作品だ。途中で移住してきたトルコ人一家との共存と軋轢の関係が、“自然状態”に対して侵食する“人間社会”の縮図としてとても強いインパクトを残す。トルコ人の親父は家族を養うために牛を飼い、畑を耕し、そしてこの土地で良いハチミツを取れることを知って養蜂に参入するが、それが様々なバランスを壊していくという皮肉。自然養蜂の生活だけを描いていたならば描けなかったであろう“人の業”を、この一家の登場が浮かび上がらせている。 あまりにもテーマ性が鋭いので、正直言ってもはやドラマとして演出されているんじゃないかと思う瞬間もあったけれど、しかし役者では出せない真実味がそこにあり、引き込まれていったのは事実。 |
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オープニング、4階から1階までワンカットで見せると言ったところや、カメラが通気管の中へ滑らかに入っていくところなど、随所に、“ああ、デビッド・フィンチャーだなあ”という演出があって面白い。ストーリーはまとまっているとは思うけど、サスペンスとして1級品かというと、「セブン」にはかなわないかと思う。得体の知れない“敵”ほど怖いものはないからねえ。そういう意味でこの映画は、敵の中に“善人”がいると分かった時点でオチも分かるし緊張感もなくなる。そして最後に疑問が残った。“何故ジュニアはラウールを連れてきたのか?”俺には分かりません。 | ||
上映が始まってからしばらくは、「かったるいなぁ、俺、こんな話嫌い」と思ってたけど、次第に話に引き込まれていった。何が現実で、何が夢なのかという線引きをしようと一生懸命見ていたけど・・・。「やられた!」と思ったね。全然救いのない話だったけど、最後に主人公が何もかも気付いて、「救われる」わけだ。原題の「オープン・ユア・アイズ」の意味がよく分かる。 | ||
(2009年制作) |
ある地方の町で女子学生の殺人事件が発生。容疑者として逮捕された息子の嫌疑を晴らすべく、なりふり構わず真実に近づいていく母親の姿を描いた韓国映画。 歳は20代といった感じながら、純真無垢…というかちょっと足りない人物である主人公の息子。母親である主人公はそんな息子を溺愛している。半ば偏執的な愛情だけれども、その一念さをキム・ヘジャはうまく演じてますね。 オープニングの草原で主人公が一人で踊るシーン。観客にはどんな状況なのかよくわからないんだけど、その曇った表情には合わない踊りと曲が何とも言えず、この作品に対する妙な違和感を伝えてくる。最後まで観れば、実はそのシーンは主人公が真実を知った後の様子だったわけで、ああ、なるほどなあ…と。 ストーリーの仕掛け自体は別段目新しいものでもないかな。サスペンスとしては及第点ではあるけど、話の強引さを感じた部分もある。だけど、愛情とか、正義とか、そんなものの曖昧さが全編を覆い、愛情ゆえの闇が目立つ話に見応えはあった。 母として息子の無実を信じ、してはならないことまでした主人公。真犯人として捕まった人物に「母はいるか」と尋ね、「いない」と聞いて泣き崩れる主人公。我が子のためなら他の犠牲はいとわない、それこそが“母であること”ということか。だから“真犯人”に母がいないと聞いて真実が暴かれることはもうないと安堵したのだろう。だけど、その墓まで持っていこうとした真実は、“純真無垢”なその我が子によって母の目の前に再び突きつけられる。悲しい人たちのなんと残酷な話だろうか。 |
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(1973年制作) |
アンリ・シャリエールの自伝小説を原作に、無実の殺人で収監されたパピヨン(蝶)の入れ墨を持つ主人公の脱獄計画と数奇な運命を描いた脱獄映画。 原作が自伝という事で実話ベースの物語だけど、映画の流れだけでも十分いろいろ起こっているのに元の話だとさらにいろんな監獄に入っているらしく、だいぶ映画用に脚色(要約)されている様子。それだけ濃い内容でもあるのだけど、内容としてはやや前半と後半でアンバランスな感じもしたかなあ。前半は本土からギアナまでの移送を通じての親友ドガとの出会い、そし労役や独房生活がいかに過酷であったかの様子がこれでもかを描かれる。他が過酷すぎるので、泥まみれになってワニを捕獲するシーンがむしろ和むくらい(苦笑) とにかく独房のシーンがこの映画のメインって感じで強烈。このあたりは心象風景の使い方も絶妙で、荒野のただなかで裁判官から「人生を無駄にした罪」を言い渡されたり、並木道の向こう側で死んだ囚人仲間が出迎えていたり…。この辺はなかなかにゾッとする。 一方、後半に差し掛かると脱獄計画の実行がメインになってくるけど、音楽祭の音に紛れての脱獄、ハンセン病患者の居留地での取引、ホンジュラスへの航海、上陸直後に現地警察に追われ、インディオの村での生活、修道女に告発されて再び5年の独房生活…。ちょっと詰め込み過ぎw 映画の前半とテンポが違いすぎてちょっと面食らってしまいますわ。台詞なしで見せ切るインディオの村での生活は情景としても良い感じなんだけど、全体の流れを見た時には正直このパートが要るのか微妙な感じもしたかな。 パピヨン役のスティーブ・マックイーンと、ドガ役のダスティン・ホフマンは違ったキャラクターのコンビでいい感じ。終盤には両者ともどこかまともではない感じもする雰囲気になってしまっているけど、このような監獄生活なら…という説得力はあった。結局のところ、この話が「収監されるようなことをして人生を無駄にするな」と言っているのか、「執念があれば脱獄できる」と言っているのか、「俺はこんな苦労をしたんだぜ」とシャリエールが言っているのか、そこは曖昧なまま終わってしまった印象はある。 |
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N.Y.のセントラルパーク。人々が突然立ちつくし、そして次々と自殺していく“事件”が発生。主人公は妻と友人と共に街からの脱出を試みるが…。 “主題はドラマの切っ掛けを与えるものにしか過ぎない”という、「サイン」と同じ切り口で描いた夫婦の和解の物語かな。目を引く事件がただのエッセンスでしかないとは…シャマラン監督らしい作品です。 恐怖描写は相変わらず「鳥」や「サイコ」といったヒッチコックを思わせる雰囲気が漂っていて興味深い。ただ確かに恐怖感の煽り方は上手いけど、それってショッキングな場面を列べただけでもある。目に捉えられないものに追われるという原初的な恐怖も描かれるけど、そこは個人的には今ひとつ恐くなかった。 結局の所、色々な仮説は提示されるものの何だったのかよく分からないまま発生し収束していった“事件”。“何故?”を描いて欲しいと思う観客の目線と、「それを言いたいんじゃないんだ」とあえてそこを描かない監督の目線に若干のねじれがあるようにも思うけど、そこがシャマランとしての面白さだと思える人には良い小品なんじゃないでしょうかね。 |
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(2009年制作) |
1930年代のシカゴを舞台に、実在の銀行強盗ジョン・デリンジャーを描いた犯罪映画。 銀行は襲うが客の金は奪わないといった義賊的な犯罪者をジョニー・デップが魅力的に演じてます。エキセントリックなキャラだけじゃなくて、こういうカリスマ性のあるキャラクターをさせても見事にこなしてしまうデップはさすが。銃撃戦の迫力も見事で、「男臭い映画」のプロ、マイケル・マン監督らしい作品に仕上がってると思う。 終盤に、警察署を訪れ自分以外の仲間が皆死んだことを再確認し、次に映画館でクラーク・ゲーブルの台詞にニヤリとするデリンジャー。その後に訪れる運命を匂わせるその一連の流れには魅せられてしまいました。ただ全体的にはデリンジャーが恋人のビリーに執着している描写が多々あるんだけど、ここはその出会いの描写が一目惚れだけで強引に行ったので、なぜそこまで固執するのかという部分で若干筋の弱さが目についた。そこが勿体なかったかな。 デリンジャーを追う捜査官パーヴィスを演じるのはクリスチャン・ベイル。FBI設立前の捜査局で、フーヴァー長官の政治的意図の元、色々と不手際な部下達に苦労させられているが、その端正な雰囲気や良し。しかしパーヴィスは準主役級のキャラのはずなのに、捜査官で最も格好良かったのは彼ではなくスティーヴン・ラング演じるウィンステッド捜査官だった。老練で切れ者な雰囲気、そしてデリンジャー最期の言葉をビリーに伝えるその役目。脇役なのに良いところをかっさらっておりますw |
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モロッコ、メキシコ、日本を舞台に繰り広げられる4つのエピソードを、ある銃撃事件を絡めて描くドラマ。 タイトルからも分かるとおり、旧約聖書のバベルの塔から着想を得て作られている。だけど単純に言葉の隔たりだけではなく、国の隔たりであったり、心の隔たりであったりというようにテーマのバラエティはエピソード毎に多彩。一見、銃撃事件を軸にしている話かとも思ったけれど、見てみると各エピソードはそれほど強く結びついていなかった。むしろ完全にオムニバスでもいけるかと思ったくらい。各エピソードを纏めたかったので銃撃事件を描いたとも思えなくもない感じ。まあ最後に時間軸がハッキリして、纏まった感はあるけどね。 ストーリーはテーマがテーマなだけに重い。綺麗なお話でもないので観ていて少々気も重くなる。退廃的に描かれる日本パートも、日本人の俺としては微妙な気分になる。ただ、監督がインタビューで「隔たりを描いた映画を撮り始めたら、人のつながりを描いた映画になった」と言うのは確かにそうだと思ったね。そこに救いのある映画でした。 |
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失われた砂漠の都 (1999年制作) |
3000年前の古代エジプトでファラオの愛人に手を出した大神官イムホテップが極刑に処せられた。時は下って20世紀初頭、主人公・オコーネルたちはそのイムホテップが封じられた伝説の死者の都“ハムナプトラ”に訪れるが…。 1932年の「ミイラ再生」のリメイク作品だけどイムホテップの設定を引用している以外は別作品と言ってもいいくらいにノリの違うアドベンチャー映画。原題こそ“THE MUMMY”で共通だけど、邦題は完全に「インディ・ジョーンズ」を意識してるよねw そういう意味では本作を「ミイラ再生」のリメイクと取るか、「インディ・ジョーンズ」の亜流と取るかで作品の印象は変わるかもしれない。前者なら「こう作り変えますか!w」という楽しさが大きいけど、後者なら「なんかチープだよな」ってなる感じ。そもそも監督のスティーヴン・ソマーズの作風自体がコミック的なノリで楽しませる雰囲気があるので、実際には冒険活劇に対するオマージュの「インディ・ジョーンズ」とは全然意識が違う作品というのが正解なのかもしれない。そういう意味では監督の前作である「ザ・グリード」のB級全開のノリを知ってから観れば、「ああソマーズ作品だね」と本作のカルさやギャグ要素も温かい目で観られる部分は多々ある感じ。主人公たちのステレオタイプなキャラクター像もだけど、特にケヴィン・J・オコナーが演じる裏切り者気質のベニーの扱いとかね。 1990年代後半はVFXを前面に出した作品も増えて、本作もそういう流れの中で作られた場面が多い。動くミイラとか顔の浮かび上がる砂嵐とかはVFXの見せ場としては顕著かな。当時としては先端だったとしても、まだまだ発展途上のビジュアルっていう感じは仕方がない部分かなとは思う。 |
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黄金のピラミッド (2001年制作) |
前作から9年後の1933年。世界征服を企む大英博物館の館長・ハフェズが、イムホテップを復活させアヌビスの軍隊を手中に入れようと画策する。そのカギとなるスコーピオン・キングの腕輪をめぐりオコーネル一家が騒動に巻き込まれるが…。 スコーピオン・キングの軍隊、メジャイの入れ墨、極めつけはネフェルティティの生まれ変わりだったエヴリン…という後付け設定満載で、勢いに任せて展開されている感がとても強いけど「細けえことはいいんだよ」的な感じこそがスティーヴン・ソマーズ作品。やっぱり色んな意味でコミック的なんだよね。ナイフや銃をクルクル回す取り回しだって見栄え重視だし。1作目以上にアクション重視のエンタメ志向に振り切っている潔さはもはや爽快感すらあるので、俺自身はとても好きだなあ。相変わらずジョークも多いし、ロンドンチェイスでのミイラへの目つぶしや、ジャングルで追いかけてくるピグミーが投げられたダイナマイトを奪い合って爆発するシーンは笑うw ジョナサンも相変わらずのコメディリリーフで悪くなかった。 アクションシーンは個々の剣戟や格闘戦もスピード感があっていいし、大群戦闘の場面も増えて規模的に大作感が強化された感じ。とはいえCGの質的にはまだ…特に終盤のスコーピオン・キングの顔は不気味の谷の向こう側にいるので厳しいところはあるかな。アヌビスの大群、ピグミーのスピード感はCGならではの有効性もあったけどね。 スコーピオン・キングといえば本作がザ・ロックことドウェイン・ジョンソン映画初出演作品ですね。まだ“人気プロレスラーのゲスト出演”って感じの扱いではあるけど、ここから俳優としてのドウェイン・ジョンソンが始まったというのもなかなか感慨深い。 |
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(2008年制作) |
アクションアドベンチャーシリーズの第3作目。今度は息子が中国で始皇帝の墓を暴いたことから騒動が起こる。 前作までのスティーヴン・ソマーズが制作にまわり、今作はロブ・コーエンが監督。そのせいか笑いの質がちょっと変わってしまった気もするけど、相変わらずのハチャメチャなアドベンチャーっぷりは面白い。当たり前のようにヒマラヤの雪男が活躍する世界だもんなあ…w 兵馬俑対ミイラ(?)軍団なんていうあり得ない合戦も迫力あったねえ。 そういう具合にアクションシーンは派手で良いんだけど、序盤は展開が若干間延びした感じもあって今ひとつ。テンポの良さで言うと前作の方が良かった。エンディングがすごくあっさりしていたので、それくらい割り切って序盤のテンポもアップしていた方が良かった気がするんだけども。 エヴリン役がレイチェル・ワイズから交代してしまったのも、作品の一貫性で言うと勿体なかった。人が変わってキャラも変わってしまったかのようだし…。あと前作で印象的だったテーマ曲も今回は流れなかったね。 |
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半地下の家族 (2019年制作) |
貧しい4人家族の長男はフリーターの身分を大学生と偽り、友人の紹介で裕福な家の家庭教師となる。そんなある日、彼はある計画を思いつくが…。 冒頭からキム家の状況を一気に見せて観客に把握させるテンポはとてもいい。一家4人が一人また一人と裕福なパク家へ浸透していく様子にも“詐欺犯罪映画”の様な面白さがあってツカミもばっちりだが、詐欺がバレるかバレないかというベタな話ではなく、「その家には隠された地下が…」からの一気に作品テーマが噴出してくるあたりは驚いた。先が読めそうで読めない展開もよくできている。もちろんそれまでも貧困家庭と裕福な家庭の対比はあったわけだけど、“地上”と“地下”の対比とそれを渡りある“半地下の一家”、水没した貧困層とパーティーを開く富裕層の対比。直接的にせよ間接的にせよ上下のメタファーの使い方が絶妙だったな。“地上と地下のルサンチマン”という意味では米国映画の「アス」(2019年)も同様なテーマを内包していたけれど、作品の志向として富裕層側の押し付け気味な感覚が気になったあちらよりも、貧困層の生きるためのしたたかさを感じる本作の方が、ストーリーテリングも含めて風刺映画として俺は好みだなあ。 キム家の父親(ソン・ガンホ)の積み重なったルサンチマンが爆発してパク家の主人に襲い掛かるクライマックスは悲劇でしかない。ただそのキレる最後の一押しが、パク家の主人が(車の鍵を取るために)地下にいた男の死体を足でどかした行為にあるというのが、何とも示唆的でニガい気分にさせる。“地下に住む者の臭い”というレッテルは富裕層の貧困者に対する差別意識のメタファーだろうけど、地下・半地下が見せてきたテーマの帰結としては…上手いが心苦しい。 ブラックコメディから始まった詐欺映画が迎えた悲劇。エピローグの隠棲者となったキム家の父親との再会シーンは、長男が思い描くまだ見ぬ未来なのだろう。そうなるためにはやはり勉強して成り上がらなければならないとする現実的な結論が、前向きさとともにやや重い気分にさせる。 |
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(2007年制作) |
同棲している彼女が、家の中で夜になると得体の知れない音を聞くという。彼氏はビデオカメラを購入し、音の正体を確かめようとするが…。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の系譜である“登場人物による撮影ビデオ”系の主観ホラー作品。 今までのこの手の映画は主人公の主観に乗り移る臨場感がキモだったけど、これはもう少しひねって、定点カメラで「自分(登場人物)達の認知しない現象を撮りたい」というつかみから始まる。このあたりのプロットは説得力があって良い。問題となってくるのは中盤以降の“撮り続ける理由”だけど、そういう意味では定点映像は納得できるし、手持ち部分もあんまり違和感がなかったかな。総じて「身の回りでそんなささやかな異変が起きていたらどうしよう」という恐怖を駆り立てるには効果的な映像です。 悪魔憑きの話としてはさほど新鮮味はないけど、その分だけ観客が理解しやすい世界観になっているのは強みか。これは“背景となる事件”を予備知識で持っていないと怖くも何ともない「ブレア〜」とは違う部分だね。ただし、終盤まで発生する怪奇現象のレベルはホラー映画としてかなり低いので、「これは現実に起きた」という前提で観ないといけないのは「ブレア〜」と変わらない。 それにしてもこの彼氏さんは事態をどんどん悪くしていきますなあ。本人は良かれと思ってやってるんだろうけど、専門家の話も聞かずに呼び出そうとしたり挑発したらダメだよw 生兵法はケガ(もっと悪いことになるが)の元だよ。 |
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(2010年制作) |
前作のヒットを受けて製作された続編。前作の1ヶ月ほど前におきた、ある家での超常現象を撮影した防犯カメラ映像が公開される。 定点カメラという手法で、リアルな隣人が巻き込まれる超常現象を見せるという手法はそのまま。カメラが複数の防犯カメラになったことで、より広範に出来事が捉えられるようになるわけだけど、相変わらず“出来事”自体は小さい事象からジワジワ来るので、「身近に起きたらどうしよう」という気持ちで観ないと地味かも。まあそれでも、後付設定にしては説得力のある“家計の呪い”説を出したり、よりパワーアップした引きずられシーンがあったりと正統な続編としてはしっかりした出来だったかな。まあ正統すぎて驚きが少ないという気もするけど。 出演者は全員無名の人物(前の主人公達も親戚として出てくる)だけど、自然な感じが上手いんだよね。そしてこの話のキーである赤ん坊になるともはや演技ではない演技なわけで…。犬や子供のように「大人には見えない何かを見ている」と説得させる仕掛けとしてはアリでした。 |
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(2011年制作) |
シリーズ3作目。これまでの主人公、ケイティとクリスティの子供時代に撮影されたビデオテープの中身が明かされる。 時代を1988年に移した前日譚なので、時代的にビデオ機材は高価だと思われるものの、主人公の職業設定とかでその辺をカバー。映像で撮ろうとするという大前提への流れも、割と違和感ないかな。 定点カメラ映像がベースとなる構成は同じ。扇風機を利用した首ふりカメラが追加されているが、これはなかなか効果的だった。否応なしに映像がパンするので、現象のあるなしに関わらず身構えてしまうw 相変わらず事象のエスカレート具合はジワジワなんだけど、話の振り方が良いのでなかなか引き込まれるね。突然何かが起こる脅かし系の怖がらせ方もあるけど、基本的に劇判で驚かすタイプではないのでその辺は真摯な作りなのかも。それにしても恐怖と笑いは紙一重と言うが、主人公の妻の台詞、「今すぐこの家を出るわ!」には笑ったw 終盤は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」風の主観映像がメインになって否応なしに盛り上がる。「ブレア〜」の後継作品としてはもちろん成功だと思うし、話のテンポや怖がらせ方も変にエスカレートせず、正統に進化していて良かったです。 |
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(2012年制作) |
シリーズ4作目。「2」の事件から5年後の2011年。向かいの家に越してきたシングルマザーの子供・ロビーを預かった一家。だがそれ以来、家の中で不可思議な音や現象が起こりだす…。 展開はこれまでのシリーズと同じで、安定のマンネリ化。だけど「開始」「目的」「起源」とこれまでシリーズで描いてきて、今回は「生贄」…となんかこれ以上テーマを広げるのも厳しそうな感じが透けて見える。PCのチャットカメラ映像と、KinectのSturctured Lightの映像が今回の新演出だけど、「3」の扇風機カメラの様な心理的な効果は得られていないし、なんか物足りなさに拍車をかけてしまった感じ。「3」が良かっただけに残念…。 一応ストーリー上は次作に向けて謎を残してはいるけど、個人的にはこれ以上見せ方の新しいアイデアが提示できないようなら、このシリーズは収束させないとグダグダになるだけかなとも。エンドクレジット後にも1カットあるのだけど、これはあんまり意味が分からなかった。 |
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ブライス・ホローの謎 (2012年制作) |
使者と会話ができる少年・ノーマン。家や学校で変人扱いされていたが、ある日、死んだ大叔父から魔女復活の阻止を頼まれる。 「コララインとボタンの魔女」の制作スタジオのストップモーションアニメだけど、さらに表情の見せ方が進化し、もはやストップモーションとは信じがたいレベルに達している。(パターン別に顔だけで31000個だとか…。)それをこの長編とは、どれだけの労力を費やされたのかと思うと制作者には敬意を表したい。 作品としては、70年代くらいのホラー映画・TVへのオマージュから入る冒頭にまずニヤリ。ホラーとは言え、基本は少年の冒険ファンタジーなので子供が楽しめる作品にもなっている。それに、ストーリー上の"異物を排除しようとする人間の醜い部分"をちゃんと描いている点でも、人間の本質を考えさせる深みがあるかな。そういったテーマと、ホラー映画(ゾンビもの)のお約束表現の遊びがマッチしているところも含め、作り手の過去作品への敬意が伝わってきて気持ちが良い。 |
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(1955年制作) |
森の中に横たわるハリーの死体。その彼の死を巡って巻き起こる男女4人の遺体隠しのドタバタを描いたヒッチコックのサスペンスコメディ。 人死が出ている割に、序盤でその死体を見ても誰も深刻そうでないのが不自然なんだけども、その理由が全員何らかの関係者っという箱庭感が舞台劇的で、そういう世界観だと理解すれば面白く思える。コメディとしてもユルいテンポで話が進み、何とも言えないマッタリ感が良いのだけども、3度も埋葬し直すという死体弄りのブラックな笑いはヒッチコックらしいところか。 アーニー少年を使った中盤の伏線を活かしてラストではさっさとオチをつけてしまうけど、そのあっさり感は肩すかしと共に“してやられた”感もあり個人的には好き。ただ、やはり人が死んでいるのに当事者が色恋沙汰でみんなウキウキというのは少々不健全ではないか?w |
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と賢者の石 (2001年制作) |
原作は読んでないけど、けっこう楽しめました。2時間半の上映時間ながら、「もう終わり?」という位あっという間に感じる。「魔法界」という世界観もすんなり入り込めたし、ゴブリンや、魔法使いの先生の容姿、キャラクターもかなりいい。何度か笑える所もあったし、ファンタジー映画として、面白かった。しかし、印象に残る音楽だと思ったら、ジョン・ウィリアムズだったんですなぁ。エンド・クレジットが出るまで知らなかった・・・。不覚。 | |
と秘密の部屋 (2002年制作) |
前作のような世界観の説明部分が不要なので、初めからガンガンとばして進行していく、それでも前作より上映時間が長いとは…w。特にダレる事も無く、個人的には前作よりも楽しめた。クィディッチのシーンも迫力倍増、それ以前にVFX技術がさりげなく楽しめる。例えば空撮から部屋の中までワンカットで撮るとか、その逆とか。ドビーも自然だった。ケネス・ブラナーはよかった、道化役が良いアクセントになっていて、映画を締めてる。流石です。エンドクレジットが終わってからも1カットあるので、見逃さないようにw。そうそう、リチャード・ハリスの遺作なんですなあ、そう考えるとこっちの方で涙が出てしまう…。 | |
とアズカバンの囚人 (2004年制作) |
前作までに築いたイメージを維持しつつ、“子供向け”から脱却しつつある印象を受けました。全体的にダークな雰囲気で進み、そして予想外の展開があり、個人的に大満足。ひとえに“原作を読んでいない”ことと、“ゲイリー・オールドマンのイメージ”によるミスディレクションですがw ちょっとばかり「BTTF2」っぽい展開も気に入ってたり。シリーズ物のメリットは、話の安心感。そしてデメリットはマンネリに陥りがちなこと。今作は監督が代わったことで“ハリー・ポッター”シリーズのイメージを上手く転換出来てると思います。しかしスネイプ先生って嫌味なキャラだけど、ちゃんと教師としての責任は果たしてるよね。ハリーに吹っ飛ばされてたけど、「そこまでしなくても…」という感じですw | |
と炎のゴブレット (2005年制作) |
次第に展開がダークになりつつあるけど、相変わらずの安定感。監督が替わっても世界観が壊れることなく安心して観られます。が、前作までの様に“メインの3人が力を合わせて云々”といった展開が無かったり、伏線が親切で敵の見当がつけやすいのがちょっと残念かな?まあ、大した問題ではないけど。 ハリー達も“お年頃”になって青春したりしてるけど、今回のメインはヴォルデモートの復活。メイクが頑張りすぎでレイフ・ファインズとは気づかなかったw 鼻をあの形にしたのは不気味さも出て良いねえ。 そう言えば音楽がジョン・ウィリアムズじゃなくなってたね。あのハリーのテーマ曲はちらっと流れる程度。かといって印象に残る新しいテーマ曲があるかというと…。その点はさみしいなあ。 |
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と不死鳥の騎士団 (2007年制作) |
シリーズ5作目。復活したヴォルデモートに対抗するため、ハリー達は“ダンブルドア軍団”を組織する。 監督が代わっても世界観の安定ぶりは安心できる。 今回はとても理解ある校長の治めるホグワーツに魔法省が介入しとても居心地が悪くなるわけだけど、介入してきた規則規則のアンブリッジ先生がステキ。批判的な意味でねw あれだけ嫌な役を演じたイメルダ・スタウントンは見事です。ムカつく奴だけど、最後にはきっちり憂さ晴らしされるので、良いかなw 展開自体はあらすじは分かりやすいし予定調和な所もしっかりやっているのだけど、尺の長さを気にしてか結構細かいところを端折っている感じはする。脚本や編集で苦労してそう…と感じるね。まあそれでも原作未見の俺がついていけているのだから問題はないでしょう。 ラストの一大バトルは魔法同士の戦いをハデな映像で…盛り上がった。ダンブルドアの実力も垣間見られたし満足です。 しかしチョウはあの後どうなったの?和解したのか? |
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と謎のプリンス (2008年制作) |
シリーズ6作目。ヴォルデモートの秘密を追い、ハリーとダンブルドアは活動するが、ヴォルデモートの差し金は身近に迫っていた。 シリーズの最終話である「死の秘宝」の直前の話とあってか、少し小休止の印象も受ける。ヴォルデモートは暗躍しているものの姿を現さないし、分霊箱は次作への前振りでしかなかったしね。とは言え、ダークな画調が前作から引き続いて不穏な良い雰囲気を出しているし、まるで青春学園モノのような恋愛模様は良い案配で可笑しく、楽しい。終盤が思ったほど派手ではなかったので少々物足りなさは感じたけど、まあ全体的には飽きさせない展開になっていると思う。 今作では久々にクィディッチの場面が復活していたけど、今までになく迫力のある映像になっていたね。密集して編隊飛行する様はカッコイイ! それにしてもロンは思いこみだけでクィディッチで大活躍してしまうとはw 女の子にはモテるわ、ハーマイオニーには嫉妬されるわ、今作のロンは非常においしい役どころですなあ。 |
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と死の秘宝 PART 1 (2010年制作) |
シリーズ7作目の前編。ヴォルデモートの魔の手からハリー達は決死の逃亡を繰り広げる。 最終章は2部構成ということで、本作はその前編にあたるんだけど、話の最初から終わりまで逃亡劇に終始する構成は少し単調かな。冒頭の逃亡や魔法省への潜入などが盛り上がる部分ではあるけど、それでも全体の尺から言えば一部だし。何より本作ではホグワーツが出てこない。それは原作通りなのかもしれないけど、それならそれなりにもう少し「ハリー」らしい魔法の道具や仕掛け的な面白さの代わりになるものをもっと前面に出して欲しかった気がする。ハリーとロンとハーマイオニーの関係や友情なども重要ではあるけど、それだけでこの話をもたすには少し弱い。久々に登場したドビーは良かったけど…。 全体的に雰囲気が暗く、もはや初期の頃のファンタジーの魅力はだいぶ消えてしまったこのシリーズ。果たしてどのように終わるのかだけが気になるのだけれど、それにしたって盛り上げに欠ける後編への繋ぎはどうしたものか。確かにヴォルデモートが死の秘宝の一つを手に入れたのは一大事だろう。でも、もう少し話の盛り上げ方はあったんじゃないかと思う。何にせよ、内容の割に尺が長いと感じてしまった2時間半。中盤の"死の秘宝"に関する劇中劇のキャラクター(影)デザインだけはお気に入り。 |
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と死の秘宝 PART 2 (2011年制作) |
シリーズ7作目の後編。ついにハリーとヴォルデモートの戦いに決着がつく。 前作の間延びした感じに比べると、この後編はシリーズのクライマックスとして対決シーンも多く、盛り上がるとこもあった。でも個人的には前後半でもう少しまとめられたんじゃないかとも思う。 舞台は大半がホグワーツになり、そこでヴォルデモート軍との最終対決。これまでのシリーズに出てきた場所や道具も色々再登場するのは、シリーズを追ってきた人には感慨深いか。でもベアトリクスやヴォルデモートの最期は少しあっさりした感じで、最悪の敵にしてはインパクトは弱め。まあヴォルデモートは分霊箱の下りで力が弱まってはいたのだろうけど。 シリーズを通して、一貫して子役(今やすっかり大人)を変えなかったのは良かった。見ている側もハリー達の成長が役者の成長とシンクロするからね。本作では劣等生ロングボトムのまさかの活躍がいい感じ。子役は子役として、他方周りを固めた英国の名優達がこのシリーズを支えていたと思う。アラン・リックマン、マギー・スミス、マイケル・ガンボン、ヘレナ・ボナム=カーター、ゲイリー・オールドマン。最終章の本作では、やはりヴォルデモートを演じたレイフ・ファインズが良い。 |
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1959年、TVシリーズ「スーパーマン」で人気を博しながらも自殺したジョージ・リーブス。彼の母に雇われた探偵の視点からジョージ・リーブスの死の真相を追ったドラマ。 ハリウッド大物の黒幕説や婚約者による殺害説がありながらも、迷宮入りの実話を描いているだけに結局真実は闇の中。まあ、それは仕方がない。でもこの作品で描かれた“スーパーマン俳優”をしてのイメージを持ってしまったが為のジョージ・リーブスの苦悩はしっかり伝わってくるし、行き来する時間軸の構成も悪くないと思う。 最初に「風と共に去りぬ」に出演したことが、リーブスの役者としてのプライドになってしまったのだろうし、だからこそ“スーパーマン”であることの違和感は強烈だったんだろう。世間の目と自分の理想とのギャップに苦しむ姿は気の毒でもある。そんなリーブスを演じたベン・アフレックは上手かったね。 事件の真相を追う探偵シモ役はエイドリアン・ブロディ。この役は観客の代理となって事件を追う人物だけど、シモの家庭問題も並行して描かれるので、観る側として本筋以外のそっちも気になってしまうのは微妙か。でも終盤のリーブスの悲劇に対して、シモがまた家庭に戻っていく画はバランスとして必要なのかもね。そういえばエンディング近くはほとんど台詞無しで進んでいくなあ。その当たりの雰囲気も俺好みではある。 |
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長距離列車の中で忽然と姿を消した老婦人をめぐるサスペンス。 100分ほどの作品に濃縮された展開は見事。小気味良い笑いとミステリーのバランスも良く、70年近く前の映画ながら、今観ても十分に楽しめた。ミステリー部分に関しては割とすぐに犯人の見当がつくし、場当たり的な捜索がご都合的な感はあるものの、展開の巧さでグイグイ引っ張られる。特に、解決したと思った後にある一波乱が意外。それに何故老婦人が巻き込まれたのかという理由は想像つかなかったなあ。 道化役のクリケット好きの英国紳士二人組には笑わせて貰いました。どんな状況になってもクリケットの試合を気にする二人。ラストの何とも言えない表情にはやられたねw 序盤で、奔放なアメリカ人女性、クリケット狂の英国紳士、アバウトな東欧のホテルマンの対比が、国柄を皮肉っているようで面白かった。国柄という意味では、「お茶の時間だ。イギリス人はみんな食堂車にいる。」という断定台詞は強引で面白いw |
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有名アメコミ作品を原作にした、怒りで緑の巨人に変身する男の姿を描いた実写版。 観ていて爽快感がないのは主人公の苦悩がメインだからなのか、とも思ったけどどうも違う気がする。親父同士の確執、恋人の立ち回り、買収を狙う男、そして主人公と父親の関係、それらがボリュームたっぷりに展開しても上手く熔けきっていない感じ。中途半端とは言わないけど、それぞれに描き方が物足りないんだよね。これで138分も上映時間を取るなら、もうちょっと要素を絞って2時間以内に収めてくれた方がアメコミアクションとしては面白くなったんじゃないか?なんて思う。要は話が長いんですわ。 VFXは変身シーンを含めてなかなか良くできている。ただあれだけ軽やかにジャンプしまくられると、ハルク自身の重量感が小さくなってしまう気もする。スピード感や場面転換のためもあるんだろうけどね。 |
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(1994年制作) |
チンピラ、殺し屋、ボクサー達の物語が微妙に交錯しながら描かれるバイオレンス・ムービー。 いかにもクエンティン・タランティーノ作品らしい会話で始まるオープニング。本編中もほぼその調子で常に誰かが喋っているので、2時間半ある作品が終わる頃にはグッタリ…。それでも常にまくし立てられているからスピーディーに感じるんだよね。 内容的にはまさに与太話の寄せ集め。それを如何にニヤつきながら楽しむかという訳だけど、その数本の与太話がお互いに関わり合っているという構成が面白い。ただ、そういう描き方のセンスの良さは感じるんだけど、この映画に登場する女達がどいつもこいつも脳みその足らない奴ばっかりでムカムカするんだよねw まあこの作品で言えば女なんてのは添え物でしかないから、そういう描き方になるんだろうけども。 ネタ的にはクリストファー・ウォーケンの時計の隠し場所の話が可笑しかった。マジメな顔でそんなモノを渡されてもw |
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(2021年制作) |
20世紀初頭のモンタナ。牧場主のフィル・バーバンクは恩人から譲り受けた大牧場を経営していた。ある日、共に牧場を営む弟のジョージが未亡人・ローズと結婚し、彼女を自分たちの牧場に招き入れることになるが…。 構成の妙が効いていて、いわゆるどんでん返しの様な趣で幕が閉じるのだけど、そうとは知らずに観始めた自分にとっては完全にして手玉に取られたと言うか、いや…やられましたw 物語は章立てで構成されていて、いくつかの出来事で時間が区切られている。1章はバーバンク兄弟とローズ親子の出会い。2章はジョージとローズの結婚。3章はローズのストレス。4章はローズの息子・ピーターの夏休みとフィルのプライベート。5章はフィルとピーターの交流。といった具合だね。ここがやっぱり作劇のキモで、章毎に話の中心人物をスライドすることで見事に話の核心から目をそらされてしまいました。観ている間も「これってソリの合わない兄弟の確執の話なんだろうか」とか、「慣れない世界に来て精神を病む女性の話なんだろうか」とか、「弟を盗られた兄が、義妹の息子・ピーターを盗る意趣返しの話だったのか」とか。もう完全に目くらましにあってるw でもそれぞれの章を追っているとそんなふうに見えるというか、その登場人物たちの感情と関係性をとても上手く描いているから侮れない。「あの丘が何に見える?」というやり取りにしてもそれを即看破したピーターに対してフィルの感情変化が見て取れるし、“ブロンコ・ヘンリー”というマクガフィン、馬の去勢のシーン、ロープのプレゼント、やはりそういう細かい事の積み重ねが核心以外の部分での人物像の厚みを出すミスディレクションの妙として機能しているわけで、そこがこの作劇のすごいところだと思う。そもそもベネディクト・カンバーバッチが醸し出す存在感ですら観客の目をそらす仕掛けだわ。 終盤でフィルは突然病死する。何故?炭疽症? 「…あ!!」この時、中盤の何気ない場面が自分の頭の中でフラッシュバックしました。“路端で死んでいた牛” 「あれはピーターの探検ではなかった?」「ウサギを解剖するような医学生としての興味でもなかった?」「…やられた、そういうことだったのか!!」 |
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(2012年制作) |
未来の独裁国家パネム。そこでは年に1度、12の地区から選ばれた若者たちに殺し合いをさせる"ハンガー・ゲーム"が開催されていた。 世界観が、なんかライトノベルでありそうな感じ…と思ったら、元々が米国のティーン向け小説なんですな。主人公のカットニスは健気で好感のもてるキャラではあるし、生活環境から弓の名人である…という設定と説明描写も的確。ただ世界観などの説明描写に前半の大半を使うので少々まだるっこしいし、肝心のゲーム部分では命のやり取りをしている割には緊張感があまり無い。まあ、そもそもアクション志向の映画ではないのだろうけど…。良くも悪くもヒロイン補正が入っていて、下手をすれば死んでしまうような極限状態には見えないのが残念。 出演者は若手はジェニファー・ローレンスくらいしか知らないが、脇役のベテラン勢は意外に豪華。ドナルド・サザーランドやウディ・ハレルソンはままイメージ通りの役なのだけど、スタンリー・トゥッチはああいう大仰な司会者風のイメージがなかったので、少し驚いた。 |
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(2013年制作) |
カットニスの勝利が、圧政に対抗する象徴として人々の心に希望が芽生え始めていた。危機感を覚えたスノー大統領は、カットニスを狩り出すべく75回の記念大会で歴代チャンピオンによるゲームを計画する。 前作はハンガー・ゲームという理不尽なゲームに翻弄され、いかに生き残るかが主眼の話だったけど、今作は圧政の中での意識の変化や希望といったものをテーマとして一歩踏み込んだ感じ。そういうこともあってか、ストーリー上ではゲームの描写が脇の要素となって、後半まで出てこない。ひたすら主人公を取り巻く状況や変革の兆しを見せる前半が、長いけど…今作のメインテーマかな。 3部作の2作目なので映画の最後も話の途中なわけで、そういう意味では宙ぶらりん。でも個人的には続きが気になるし悪くはないと思う。 しかし大統領の目を欺くためとはいえ、本気のゲームを仕掛けてくるプルタークは非情だなあ。ゲーム参加者もカットニスを守るために自分の犠牲もいとわないし、命が簡単に消えていく。カットニスはそこまでして護るべきキーマンにされたわけだが、1人が世界の運命を左右するとはもはやセカイ系のそれのような…。でも素直にティーン受けはしそうだなと思った。 |
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:レジスタンス (2014年制作) |
滅んだはずの第13地区に匿われたカットニスは、そこで反乱の希望の象徴として協力するようコイン首相に要請される。 いよいよ劇中で"ハンガー・ゲーム"すら行われなくなったw というかシリーズ3作目は前後編の2部作なので、またも話の途中で終わりなわけですが主人公のストレスはなかなかハードですなあ。故郷は破壊しつくされ、目の前で無抵抗な人は爆撃され、スノー大統領に利用されているピーターの様子に苦悩し、この先の展開へのエネルギーを蓄積している感じ。スノーが悪辣だとは思うものの反乱軍のやり方もあまりきれいとも思えず、プロパガンダ合戦にしてもどうも胡散臭い感じもする。元々サバイバルアクションな作品だった気がするのだけど、いつの間にやら戦争映画の側面が強くなってきて、ずいぶんと重い感じにもなってきた。とは言え「自分の存在が世界を左右する」といった主人公の立ち位置は、話の原動力としてブレないか。 カットニスは相変わらずゲイルとピーターの間でハッキリしないけど、まあティーン映画なのでこういう微妙な三角関係がある意味王道なんだろう。ピーターの報われない感じは少し同情するけど、ラストまでとことん主人公を追い詰める道具としてスノーに使われてしまっている姿は哀れ。さて次作でどう話を着地するつもりか、気になる引きではある。 |
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:レボリューション (2015年制作) |
救出したピーターに襲われたカットニス。復讐を誓ったカットニスはスノー大統領のいるキャピトルへと向かう。 いよいよ最終回ということで、カットニスとスノー大統領の因縁にも決着がつくわけですが、個人的にはこの映画の大団円にはならない幕引きは悪くないと思った。妹・プリムを守るためにゲームに参加したのに、結局最後は守れないという報われない話だったとはね。結果的には第13地区のコイン首相にも利用されていただけだったけれど、最後に一矢報いたので…そこだけはスカッとしたかな。 ただキャピトルの爆撃にプリムが現れたくだりは唐突な感じ。キャピトル潜入にしても結構行き当たりばったりで(ホロで行先を確認できるとはいえ)、なんだか戦術も戦略も感じ取れない大味な感じがこの映画に乗りきれないところでもある。まあコイン首相はカットニスを陽動に使った上に爆撃をプロパガンダに利用するとか策士な部分も描かれてはいるけど、それ以前にカットニス部隊の行動がね。 スノー大統領は最後までカットニスとゲームをやっているような感じだったのだろうか。彼が「無駄な殺しはしない」と語るように、自分の中でのルールがある人物の様に描かれてはいる。まあ表面的な“悪役”ではあったけど、名優ドナルド・サザーランドが演じたおかげで貫録のあるキャラになったのは間違いない。撮影中に亡くなったフィリップ・シーモア・ホフマンは、さすがに後半の登場場面が少ないけど元々ほとんど撮影済みだったそうだがらストーリーとしては成立するくらいは映っていたね。でもラストに出てこず手紙にしたのは元々そうだったのか、それとも変更したのか…?などと考えながら観てました。 |
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消えた花ムコと史上最悪の二日酔い (2009年制作) |
独身最後の夜にバカ騒ぎをして過ごすバチェラーパーティ。目覚めると二日酔いで昨晩の記憶が全くない3人が、行方不明になった花婿を探し回る姿を描いたコメディ映画。 米国では大ヒットした作品だけど、バチェラーパーティという文化自体に馴染みがないので、俺としては共感出来るところは少なかったかな。でも、目が覚めると「いったい何がどうなったらこんな事に!?」というシチュエーションは面白かった。最後まで観れば謎解きと言うにはしょうもない内容の気もするけど、警察署でのスタンガンや、スチュの歌、別の映画のようなブラック・ジャックのくだりは単純に笑ったしね。黒いダグのネタもベタだよなあw 中国マフィアのステロタイプな東洋人像は微妙だが。 そうしたバカ映画としても面白いんだけど、主人公4人の内、空気の読めないヤツだった義弟が、仲間として入っていく話が何だか良い。相変わらず変なヤツだとは思うけど。 エンドクレジットでは記憶を無くしている最中のバカ騒ぎの写真が…。劇中よりもさらに下ネタに加速が。ひどいハッチャケ振りだw |
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史上最悪の二日酔い、国境を越える (2011年制作) |
前作の大ヒットを受けて制作された第2段。目覚めると二日酔いで昨晩の記憶が全くない3人が、行方不明になった花嫁の弟を探し回る姿を描いたコメディ映画。 話の構造は前作とほとんど同じ。進歩がないというよりは狙って同じようにしているのだろうけど、目覚めた時の「どうしてこうなった」という状況のインパクトさは少し薄れたかも。ただ、今作の舞台はタイ。勝手の違う国という状況で、薄まった部分を埋めようという感じか。 騒動の発端は前作と同じくアラン。奴の精神年齢が図らずも暴かれるけれど、やっぱりガキだったか。行く先々での空気を読まない感じがたまらないなあw 前作でも出た中国マフィアのチャウが意外に重要なキャラになったのは驚いたけど、相変わらずの道化。ほとんどこの二人が話を振り回すけど、キャラクターは…良い。 ネタ的には他にも下品なものが色々とあるが、セリフで笑わせるものが多いので比較的間接的。ニューハーフのくだりは特に下ネタ的にヒドいが、スチュの落胆ぶりは…見ていてすごく面白い。 ラストのサプライズゲストは確かに驚いたけど、歌…ヘタだねえw |
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最後の反省会 (2013年制作) |
とばっちりでダグがマフィアに誘拐され、いつもの3人がチャウを探して奔走するシリーズ第3弾。 話の入り方はこれまでとは少し違って、二日酔いにならない…?「ハングオーバーじゃないやん!」と普通のドタバタ喜劇になってしまった感じ。「どうしてこうなった」の経緯を追ってこそのシリーズだったのに、それが無いのはなあ。まあ最後の最後に入っていて、シリーズの締めとしては納得したし笑ったけれど、答え合わせはしないんだよね…。 相も変わらずアランがいろいろ騒動の種になっていて話を振り回すものの、どちらかというと1作目を思い出しつつ進んでいく展開なので、そちらに気を取られて毒気が少し弱まった…?チャウが小憎らしい感じは同じだけど。それにしても、ジョン・グッドマンがあっけねえw |
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(2008年制作) |
銀行襲撃計画を持ちかけられた主人公。仲間を集めトンネルから地下金庫に進入するが、そこに保管されていた中身は訳ありのブツだった。 主演のジェイソン・ステイサムはいつものアクションを抑えた演技ながら良い雰囲気。実話を元にした犯罪ドラマということだけど、ホントに実話なのかと思うエンターテイメントな展開の作品でした。(英国では有名な事件らしいけど、劇中で描かれるように「D通告」が発動して真相は闇なのだとか。) 銀行へトンネルを掘って侵入するというネタ自体はこの手の映画ではよく使われる手段だけど、この作品では盗み出した後がミソ。序盤で前振りのあった不正警官や王室スキャンダルのエピソードが絡み、王室やMI-5、ロンドン警視庁にポルノ王まで絡んで話がどんどんデカくなる。前振りの繋ぎに関しては「ちょっと展開が荒いかなあ?」なんて思ったりもしたけど、後半の捌き具合は上手く、なかなか面白かった。素人銀行強盗集団が義賊化(本人らはそういう意識ではないけど)していく流れってのはいかにもロビン・フッドの国らしい映画だね、とは言い過ぎか?w |
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ウィル・スミス演じる市民に嫌われている酔いどれスーパーヒーローが、ある日助けたPRマンの力を借りて自身のアイデンティティーを取り戻す物語。 最近この手の“ヒーローとは”的なプロットを目にすることが多いけど、こうも堕落した(悪事を働くという意味ではない)ヒーロー像というのは極端で面白い。離陸や着地で道路を破壊し、酔っぱらいながら空を飛べば鳥にぶつかり、車一台を助けるのに脱線事故を引き起こす。とんでもないなw そんな迷惑な彼も、PRマンのアイデアで刑務所に入ると、彼が居たことで犯罪は押さえられていたんだと市民も理解しカムバックを求める…。ううむ、なんだか「スパイダーマン2」で似たようなことがあった気も。つまり、話的には極端なだけでありがちなもの。そしてそのプロットだけでは1本の映画にも出来ない。 事実、中盤から展開が変わり、スーパーマン(ウーマン)同士の夫婦喧嘩が始まる。それがちょっと唐突すぎて微妙。確かに前半からPRマンの妻を演じたシャーリーズ・セロンの意味ありげな表情がたびたび映され、伏線のようには見えるけど…。でもそんな夫婦喧嘩よりももっとヒーローらしい活躍を見せて欲しい気もするんだけど。 演出面ではカメラがやたらと揺れて気になった。グリーングラスを気取っているんですか?とも聞きたくなるけど、緊張する場面でないところまで手ぶれ画像では、メリハリがないのでは? なんでもドキュメント風に見せればいいってもんじゃないですよ。 軽い気持ちで観る分には悪くない映画なんだけどね。 |
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スペイン内戦の時代、厳しい現実と空想の世界の試練を受ける少女の姿を描いたダーク・ファンタジー。 夢も現実も厳しい。おとぎ話とは突き詰めれば残酷な話であることもあるけれど、まさに厳しさを心に突き刺してくるファンタジーでした。グロテスクなおとぎの住人や生々しい描写の多い現実世界に、全編通しての痛みのようなものを感じるね。 現実と空想世界の付かず離れずの並行感は見事。 最後まで観れば、少女が終わりに一瞬で見た夢だったのではないか、とすら感じてしまう切ない終わり方。特にオープニングとラストがリンクしているだけにそう思ってしまう。だとすれば救いようのない話だけど、でももしかしたら夢は本当だったのかもと一縷の希望も持たせる演出は、ファンタジーとして観る側に解釈の振れ幅を持たせてあって良い感じでした。 |
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スター・ウォーズ・ストーリー (2018年制作) |
「スター・ウォーズ」シリーズのスピンオフ第2弾。オリジナル三部作の人気キャラクター、ハン・ソロの若き日の冒険を描く。 「ケッセル・ランを12パーセクで」というミレニアム・ファルコンの伝説、そしてハンとチューバッカのコンビ結成とランドとの腐れ縁がついに映像化! 監督の交代で7割近くを再撮影したという話もある本作だけど、そんなネガティブな部分は感じさせないくらいには面白かった。脚本はEP5・EP6・EP7のローレンス・カスダンなので世界観にも安心感はあるが、元来ルーカスが「黒澤作品」や「フラッシュ・ゴードン」といった自分の好きな映画のエッセンスをスペース・オペラという枠の中で再構築した「スター・ウォーズ」という作品スタイルを、ここでも雰囲気として上手く踏襲していると思う。簡単に言ってしまえば今回は“宇宙西部劇”であって、若きアウトローの誕生を西部劇的なオーソドックスな要素を使って上手くSF冒険活劇に仕立てたと言えるだろう。それはロマンス、ギャンブル、列車強盗、そして決闘だ。 ハン・ソロ役を演じたオールデン・エアエンライクはハリソン・フォードにはあまり似ていない気もするけれど、場面によってはとても近い雰囲気を感じる瞬間もある。ハンを演じるとなるとどうしてもハリソン・フォードと比較されてしまうことは避けられないが、エアエンライクは上手く若き日のハンを表現していたね。“ソロ”というファミリーネームが孤児であることに由来しているという場面もあったが、まさか帝国の兵士採用官に適当につけられていたというのは意外w でも以降も使い続けたという事はハンは気に入ったってことなのかな。 さて、物語としてはひとつの決着は見せているものの、一つ気がかりが。終盤にホログラムで登場したシスが…ダース・モール! モールはEP1でオビ=ワンに真っ二つにされたけど、その後を描いたアニメの「反乱者たち」では半身機械となって復活していたので、このモールはその頃のだよな。登場を予想してなかったから驚いたが、今後のアンソロジー・シリーズの展開への布石だとしても、この映画だけだと消化不良なのでちょっと気になるところです。 |
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潜航せよ (2018年制作) |
ロシアの領海で米潜水艦が消息不明に。司令部の命を受けて潜水艦USSアーカンソーは現地に向かうが、時を同じくしてロシアの海軍基地ではクーデターが発生していた。 タフな軍人役の似合うジェラルド・バトラーですが、今作では潜水艦の艦長を演じてます。そういう意味ではハマり役。厳しい状況で的確な判断をして困難を乗り越えていくのだけれど、あんまり葛藤が感じられないというか、見事に正解を踏み抜いていくので逆に緊張感が薄まっている感じもする。予定調和から一切外れないにしても、もう少しうまく緊迫感を出すことはできたんじゃないのかな? 一見すると潜水艦映画だけど、作品の半分は特殊部隊の救出ミッションもので、軍事オプションの選択を迫る話でもある。その点では潜水艦映画というよりは軍事スリラーとでも言ったほうが近いかもしれない。それにしても特殊部隊の救出対象がロシア大統領というのが荒唐無稽さを強くしている面もあるけど、そもそもこのストーリーが"ロシア国防相の暴走"で"ロシア大統領は理性的"だという前提に立っているのが時代だなあと思った。公開は2018年なので2022年ロシアによるウクライナ侵攻の前。そう思うと色々と皮肉に感じるところですよね。 よく「潜水艦映画にハズレなし」とも言うし、同様のジャンルで言えば「レッドオクトーバーを追え」とか「クリムゾン・タイド」が思い起こされる要素もあったけど、残念ながら緊迫感でその2作に及ばなかったのは残念です。 |
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「強烈な一目惚れ」というタイトルのこの映画。個人的に一目惚れなんて理解できない俺ですが、この映画は違った!ストーリーテリングの巧みさ、センスの良さが抜群!突然キレるけど、主人公の人柄にはとても共感できるし、こんな恋愛映画(?)なら大歓迎です。個人的には、そう、“素敵な映画”っていうやつねw 不思議な展開で始まるオープニングから、ずっとハーモニウム(オルガン?)が話のカギになってるんだと思うけど、結局最後まで何を意味するのかは分からなかった。何かの隠喩だと思うんだけど…。 | ||
大統領狙撃事件の現場に居合わせた8人の視点から別々に事件の推移を描くサスペンス・アクション。 展開が非常にテンポ良く、特に終盤の怒濤の展開は見事。序盤こそ、8人それぞれの視点を劇中時間で行ったり来たりしながら何回も見せるので、若干「もういいよw」と思いそうにもなり…。だけどその繰り返しも立場の違いで色々と変化があるので見逃せないのだけどもね。劇中時間は非常に短いのに、これだけ魅せてくれるというのは構成が良くできてるんだと思う。(ただ、細かいことを言えばご都合主義な展開もあるので疑問に思う部分もあるけど。) そういえばシガニー・ウィーバーって前半しか出なかったなあ。 |
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(1953年制作) |
MGMミュージカルの代表作の一つ。かつて名を馳せた落ち目のダンサーが、旧知の脚本家からの頼みで新作舞台に主演することにするが…。 “ザッツ・エンタテインメント”。どこかで聞いたことのあるこのメロディは、この映画のための曲。主題歌と言っても良いくらいにこの映画のテーマを歌い踊った曲だけど、この映画では数ある楽曲のうちの一つ。もちろんこの曲はとてもいいけれど、個人的には三つ子の歌“Tripls”も楽しかったな。歌ではないけど夜の公園で踊る“Dancing in the dark”はフレッド・アステアとシド・チャリシーの優雅で美しいダンスが見事。これだけでも観た価値はあったと思う。 ストーリーは落ち目のダンサーが友人の脚本家に乞われて新作舞台に出るも、演出家が大作悲劇(「ファウスト」)に固執して舞台は失敗…。という流れが前半で、スポンサーに内容を熱弁する演出家を半ばあきれ気味に眺める仲間たちや、煙だらけのステージでまともに演じられないとか、初演が終わった後の客のお通夜感とか、ノリとしてはジョークの類も多くて「悲劇もエンターテイメント」と地で行く構造になっている。そして後半は主人公たちが気を取り直して作り上げた劇中劇のエンターテイメント・ショーを中心に展開。先述の三つ子の歌や、終盤の“Girl hunt ballet”の演出などは劇中劇ならではの構成で上手く見せてあると思うけど、全体の流れとしては割と型にハマった内容だという印象かな。アステアの演じるダンサーのキャラクターや、ヒロインといろいろありながらも最後は結ばれて大団円…というところとかね。まあそれも含めて当時の“舞台裏ミュージカル”という型だったのかもしれないけれど。 |
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「羊たちの沈黙」の続編。クラリスがジョディー・フォスターじゃなくなったのは残念だけど、ジュリアン・ムーアも雰囲気があったのでよかった。しかしレクター博士は格好いいな。犯罪者とはいえ、独自の美学がある。人はある種、ああいう人物に憧れてしまうのでしょうなぁ。応援してしまうんだもの。メイスン役は俺の好きなゲイリー・オールドマン。顔も分からなかったし、ノンクレジット。あ、回想シーンで一度顔が分かったか。何か情けない死に方だったけど、ああいう奴は部下に見放され、自分の豚に喰われるのがお似合いなのかも。「最後の晩餐」シーンはかなりショックでした。 | ||
レクター博士の若き日の姿を描いたサスペンス。 後々の“あのレクター博士”がどのようにして成ったのかというのは至極興味の湧く題材だけど、この作品は面白くありませんでした。レクターというキャラでなければ良かったのかも知れないけど…。そもそも観ていても恐くないし、ハラハラもビックリもしない。 レクターの行動も洗練されていると言うよりは運に左右されているところが多々ある。もちろん若いんだから荒削りでも良いんだけど、どうにも迂闊さが目に付く…。どうも観る側が求めているものとギャップがあるような気がしました。 あとレディ・ムラサキ関連の微妙な日本描写はどうなんだろう。ギリギリ許容範囲…か? |
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(2018年制作) |
「トランスフォーマ」のバンブルビーを主役にしたスピンオフ作品。惑星サイバトロンから脱出して地球へ降り立ったバンブルビーと、18歳の少女チャーリーとの出会いを描く。 今までに5作が製作された実写映画シリーズのスピンオフという立場だけど、実質的にはリブート的な内容かな。風呂敷を広げながら爆発とVFXアクションを突き詰めていった結果、「ハデだけど話が空っぽ」といった印象だけが残ったマイケル・ベイ監督の方向性とは違い、トラヴィス・ナイト監督の本作はバンブルビーとチャーリーの交流にフォーカスしたミニマムさと、全体に漂う古き良き青春映画とSF映画の雰囲気が好印象。正直実写版としては1作目以来の満足感でした。 ヘイリー・スタインフェルド演じるチャーリーのキャラクターも、ティーン向け映画らしい年ごろのモヤモヤ感が嫌味なく詰め込まれていて良い感じ。彼女に好意を寄せるメモは完全に引き立て役なので、微妙にピエロっぽいのが…ご愛敬かな。 舞台が1987年ということあってどことなくノスタルジーな感じも漂う。しかしこの映画ってティーン映画を装った当時子供だったおっさん向けの映画だよなあ。いわゆる「G1」を意識したデザインで登場するトランスフォーマーたちなんて、俺ら世代へのサービス以外のなにものでもないだろうし、実際それらを観て興奮してしまった。あのデザインのオプティマス・プライムを見たら思わず「コンボイ」って呼んでしまいますよw |
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(2010年制作) |
インドネシアで津波に巻き込まれ、臨死体験をしたジャーナリスト。死者と会話することが出来る“元”霊能者。双子の兄を亡くした少年。その3人の出来事を描いたドラマ。 3つのバラバラの話が終盤に交差して収束していく構造は上手くできているか。死生観という一つのテーマで纏まっているし、死へと向かう話、死を引きずった話というよりは生きる事への希望を描いた終わり方だったのは悪くない。ただ、見せ方としては卒のなさが目立つ印象で、終盤に行けば行くほど予定調和感が透けて見える。この映画ではむしろ中盤までの暗い雰囲気や、どうなるか分からない人間関係の溝がイーストウッド監督らしさを感じるところでもあったのだけど、ちょっと話のまとめ方として綺麗すぎた気がするなあ。 個人的にはマット・デイモンが演じる主人公が、料理教室で出会った女性(ブライス・ダラス・ハワード)と近しくなりそうになりながらもダメになる一連のくだりが良いと思う。あの立ち入れない距離感や過去が作る心の壁、女性の過去にあった出来事などがイーストウッドらしい。 そう思うと、双子の話はいい話ではあるけど、あまりにも想像の範疇を超えない展開だったので、平板に見えたのかもしれない。 |
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(1995年制作) |
ニール率いる犯罪者集団に白昼堂々襲撃された現金輸送車。周到に計画されたその襲撃事件の担当となったLA市警のヴィンセントは、わずかな手がかりからニール達に迫っていく。 プロの犯罪者とプロの刑事という骨太なクライムドラマが魅力。だけど170分という尺はちょっと冗長だった気がしなくもない。ニールやヴィンセントのプライベートの問題は、二人の対決という主軸にはあまりうまく絡んでいるようには思えなかったからね。女絡みの話では、ニールの仲間のクリスをその妻のシャーリーンが警察から逃がすシーンが良かったくらいかなあ。 でもニール(デ・ニーロ)とヴィンセント(アル・パチーノ)の対決という点では見応えはあった。どこを切り取っても二人の演技が格好良すぎて眼福ですw 追うヴィンセントの手管はなかなかのものだけど、ニールが張り込みに気づいたり面を割るためにニールを誘い出したりといった駆け引きも静かに熱くて素晴らしい。そして何と言ってもこの映画は市街地の銃撃シーンが白眉。ストーリーで言えば半分過ぎたあたりでのシーンだけど、ここはすごいよね。逆に言えばこの映画はそこをピークにして静かに着陸していく感じだが。最後の直接対決は正直ちょっと淡泊すぎやしないかと思う。その直前の、ニールが裏切り者のウェイングローを始末するくだりは犯罪者なりの仁義を感じて良かったけど、それがために計画外の行動からなし崩し的に決着がついてしまったように感じてしまったのは…ちょっと残念。 |
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(2016年制作) |
1977年に公開された「ピートとドラゴン」のリメイク作品。森の中でドラゴンと暮らしていた少年・ピート。そんなある日、ピートは町の住人に見つかり保護されるのだが…。 人間とドラゴンの交流を描いたファンタジーとしては、優しい世界観もストーリーラインも、いかにもディズニー映画らしい。ピートは「ジャングル・ブック」のモーグリのような野生児だが、5歳まで普通に人間として育てられていたのに、そこからワイルドになるのはちょっと適応力がすごすぎる気もするけど…まあそれは言うまいw 文明社会に戸惑う様子はちょっとしたお約束である。 ドラゴンのエリオットのデザインはオリジナルの爬虫類の様な感じから変更され、イメージとしては犬の様な感じになっているね。それが人懐っこいという直感的な印象には貢献しているとは思うけど、個人的にはドラゴンと聞いて一般的に連想する感じの方が好みかな。「ドラゴンハート」みたいな。エリオットの表情が豊かなのはオリジナル(アニメキャラだった)からの延長というところか。言葉こそしゃべらないものの、表情はずいぶん擬人化されていると思う。大人の目で見るとちょっとクドいけど、子供目線であればちょうどいいのかな。 ピートやドラゴンを見守る大人にブライス・ダラス・ハワードとロバート・レッドフォード。理解のある大人が周りにいるのはいい。カール・アーバンは「大人」の代表としてピートの世界に踏み込んでくる役だが、悪人ではないので安心して観られる。ラストも予定調和だよね。それが悪いとは言わないが、いかにもファンタジー。それにしてもこの映画の舞台はいつ頃の話なんだろう。70年代〜80年代? |
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田舎町に住む仲の良い夫婦がいきなりの事故死。その後その夫婦の家を買った家族が引っ越してくるが、家をいじられたくない幽霊夫婦は、家族を追い出すためにトラブルメイカーのビートルジュースを呼び出してしまう。 “ビートルジュース”というキャラクターの強いことw 今観るとジム・キャリーの「マスク」っぽいイメージかな。演じるマイケル・キートンのキレっぷりには笑わせてもらいましたw ティム・バートン初期の作品ながら、彼の世界がすでに前面に出てきてます。でもバートンのブラックな遊びを受け入れられる人はハマると思うけど、そうでない人には辛いかも?w 個人的には好きだけど、やっぱり人に勧める時にはためらってしまうよね。このノリは人を選ぶと思う。 |
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ビートルジュース (2024年制作) |
1988年に公開された「ビートルジュース」の続編。 前作から時が経ち、少女だったリディアは大人になりTVの心霊番組でホストを務める様になっていた。 ティム・バートンが自身の初期作品の続編を、これまた当初の"バートン組"とも言えるマイケル・キートンとウィノナ・ライダー主演で撮るというのだから、どのように原点回帰するのかを期待していしまう。そういう意味では前作をなぞったオープニングクレジットでの空撮はダニー・エルフマンの音楽も相まってワクワクさせてくれましたね。…しかしそこからの前半部分は正直言ってまだるっこしいというか、やや退屈な状況説明が多かったようにも思う。というかリディアの結婚問題、その娘アストリッドの恋路?の問題、ビートルジュースの元妻の問題、サメに食べられたチャールズ…といった要素をばら撒く割にはまとめ方はやや雑だった感。 それでも前作へのセルフオマージュというか目くばせに懐かしさも感じるし、後半にビートルジュースの行動が目立ち始めればそれなりに盛り上がる場面はあったと思います。ウィレム・デフォー演じるジャクソン刑事は役に立ってるんだかいないんだかw モニカ・ベルッチ演じるドロレスは…これは監督が"継ぎ接ぎの美女"を出したかっただけなのかも? あ、清掃員役のダニー・デヴィートはバートン作品のファンへのサービスでしたね。 ラストはリディアの夢エンド。これはハッピーエンド調だった前作とは打って変わってモヤっとする終わり方でした。これって3作目の示唆も含んでいるんだろうか。 |
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ただのワイヤーアクション映画かと思いきや、これほど芸術的な映画とは思わなかった。フレームワーク、コスチューム、色彩、かなり洗練された物を感じます。なによりストーリーが良かった。後半へ進むにつれ次第に明らかになっていく真実。大義とは、剣の道とは。無名の最後の選択はまさに大義の為の選択であり、そして秦王の選択も大義の為の選択。登場人物達の義侠精神には感服する。 | ||
英国の同名コメディ番組の劇場版。 個人的にはダメ。「ビーン」はTV版からのファンだけども、やはり長いストーリーに乗せて動かすキャラクターじゃないと思う。それにビーンには感情移入してしまう第三者を絡ませちゃキツイ。ビーンの被害を被る人を哀れみの対象にしちゃダメなんだよね。あくまで観る方は傍観者のままでいたいし、同情したくないもの。そういう意味で、この映画ではビーンの被害者が良い人物だけにキツイのです…。 劇中のギャグはTV版から持ってきたものも多く、定番である安心とともに「新しいモノを見せてくれ」というジレンマも。難しいものです。美術館への侵入シーンはテンポも良い感じだったけど…。 結局あの絵画はすり替えっぱなしで終わるわけですが、それって解決になってないんじゃあ?それでいいのか?w |
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(2014年制作) |
警察に出頭し、自供を始めた青年ハッカー。彼とその仲間が起こした事件の顛末が語られていく様子を描いたドイツの犯罪サスペンス映画。 端的に言えば「ユージュアル・サスペクツ」っぽい作品。最後の一ひねりに備えたミスディレクションのための積み重ねは悪くないし、特に主人公の部屋に飾られていた「ファイト・クラブ」のポスターが完全にひっかけというのにはやられた…。俺もあのポスターのせいで裏の裏をかかれましたよ、はいw 主人公たちの起こすのが大犯罪ではなくて、小物じみた自己顕示っていうのは分かりやすいとは思う。あと、大物のMRXの正体について「登場人物の内の誰かか?」などと勝手に想像させられてしまったけど、本当に第三者だったってのも…ある意味で視点ズラしなのかもしれない。 サイバー犯罪映画としてはそこそこに専門用語を散りばめてそれらしさを醸し出しているけど、セキュリティ突破の描写はまるっきりウソというわけでもなくて、フィッシングで情報を抜いたりしているのは割とマトモ。最終的に侵入はサーバへの直結してるのも悪くないけど、でもそれが故に物理的に侵入が必要だという強引さの説得力ははぐらかされている気がしなくもないけど。まあその辺はご愛敬。サイバー空間の描写として、暗い地下鉄の車内という表現は、文字通りアングラ感が出ていて悪くないと思いました。あと、タイトルについては原題の“WHO AM I”より邦題の方がセンスがいいかも。 |
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(2015年制作) |
突如地球への攻撃を始めた外宇宙の知的生命体。…しかしその姿は1982年に地球で流行ったゲームのキャラクターたちだった。 原作である短編映画は単純にゲームキャラが街を襲う場面だけで描かれ、そのゲームの特性を活かした攻撃になかなか映像のセンスも感じたのだけど…。長編になったことで付加されたストーリがあまり良いとは思えなかった。ターゲットとしては当時ゲームを楽しんだ子供だと思うんだけど、大人になった今見て楽しむには少々子ども向け(大統領のリアリティのなさw)な感じはするし、それでいて往年のゲームネタが中心である上に妙に下ネタも入ってくるのがどうにもアンバランス。どの層を狙った話なのか、観ていくうちに分からなくなってくる。 もちろんゲームを再現した実写の中での戦いはそれなりに楽しいとは思う。でも「センチピード」「パックマン」「ドンキーコング」といった各ゲームのルールや攻略法を知っていることが前提なので、やはりそれらを知らない世代にとっては不親切なのではないかなあ。あと…この映画オリジナルのゲームである「ドージョークエスト」のレディ・リサ。これ要る? 場面場面では面白いところもあったけどね。「どこが攻めてきたんだ!」「これは…ギャラガ」とかは嫌いじゃない。 |
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(1991年制作) |
フランスの民話を元にしたディズニーアニメーション。傲慢さゆえに魔法で野獣に変えられた王子が隠れ住む森の奥深くの城。変わり者だが親思いの村の娘・ベルが父親を捜しにその城を訪れるが…。 「大事なのは外見じゃなく内面なんだ」というテーマを直球で描いた作品だけど、90分弱という時間でテンポよくまとまっているし、キャラクターの成長や気持ちの変化もよく伝わってくる良い映画だと思う。中盤、父親を心配するベルを帰した野獣が「愛しているから行かせた」とつぶやくシーンは…ベタだけどグッとくるなあ。でもおとぎ話なんだから、それくらいベタでいい。本作の悪役ガストンはうぬぼれ屋の筋肉バカで愛嬌のかけらもないので、奴の最期にこっちは清々するけど、直接的な死を見せないのはいかにもディズニー。 野獣は人あらざるものとしては確かに恐ろしい風貌だけど、観ているうちに格好良いというか、表情も豊かなので愛嬌すら感じてしまうね。「素敵な王子様には見えないけど、魅力がある」というベルの心の声には同感ですよw なので人間の姿に戻ると…一瞬「野獣の姿の方が格好良かったのに…」などと脳裏をよぎってしまったが、いかん大事なのは内面なのだ、外見は関係ないのだと自分に言い聞かす。 家具に変えられた召使たちというキャラクターは、いかにもディズニーアニメという感じで擬人化した感じが面白い。「ファンタジア」の箒を思い起こしもするけど、動かし方がさすが。基本的に手書きアニメの時代の作品だけど、背景にCGを使用したりして手書きとCGの過渡期でもあるか。CG背景の中を野獣とベルが躍るシーンは手書きだけの時代ではなかなか難しい滑らかなカメラワークで、CGによってアニメ表現の幅が増えたことを感じさせるカットでもあるね。 |
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(2017年制作) |
1991年に製作された同名ディズニーアニメの実写版。 映画としてはアニメ版で完成されている作品なのに、今さら実写化?と少し懐疑的な気持ちもあったのだけど、実際に観てみると…実に素晴らしいミュージカル映画でした。おとぎ話であり、微妙に舞台風でもあり、CGを駆使しながらクラシックさと新しさを兼ね備えたミュージカル。そりゃ元のアニメ版が良いからっていう事はあるだろうけど、その魅力を殺さずに実写に落とし込む事には成功していると思う。特にルミエールの"Be Our Guest"は、きらびやかさがスケールアップしまくっていて俺はとても楽しかったね。実はあまり下調べをしていなかったので、燭台のルミエールや時計のコグスワース、ポット夫人の声がだれかというのは知らずに観ていました。なのでラストに魔法が解けた姿を見て驚愕。すげえ豪華な配役じゃないかw 確かに声をよく聞いていれば分かったはずだけど、それが誰の声かなんてまったく気にしていなかったので、逆に新鮮に驚きな繋がったのはちょっとうれしい。 ストーリーはアニメ版とほとんど同じ。一部変更している部分や追加されたシークエンスもあるけど、ほぼアニメ版に忠実と言ってもいいとは思う。追加されたベルの母親の話は多少蛇足な気もするけど、父親への気持ちを強化するという点ではありか。あとガストンの手下のル・フウがゲイっぽくなっているけど(ゲイであるビル・コンドン監督の主張?)、近世が舞台なのに舞踏会で普通に黒人がいたりもするし、こういうところは現代的感覚が優先されている感じだね。一方、ガストンはオリジナルから何も変わらず内面までクズ野郎を貫いてくれて実によかったw 同情の余地なく、この映画でも墜落死。演じるルーク・エヴァンスは本当に素晴らしいヴィランぶりでしたよ。 |
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(2014年制作) |
1960年代にブームを起こした絵画「ビッグ・アイズ」シリーズのスキャンダルを描いた伝記映画。 異形の者を愛でる監督、ティム・バートン。本作では登場人物が異形なのではなく、主人公の描く“目が大きい子供の絵”が異形なのであるが、監督は表現者として主人公の画家に何らかのシンパシーを感じたのだろうか。ただ映画としては、バートン作品と聞いて想像するようなファンタジーな感じはなく、地に足着いた伝記ドラマ…。いや、クリストフ・ヴァルツの演技が終盤はもはやコメディになっていくのだけれど、もう少し何かパンチがあった方がなあ、と個人的には。期待していたものがちょっと違ったのかもしれないね。 妻の描いた絵を自分の作と偽って儲けていくウォルターと、その妻で本当の作者であるマーガレット。明らかにウォルターは虚言癖の人って感じだけど、実際あれで大儲けしたのだから、そういう宣伝や営業の才能はあったんだろう。使いどころさえ間違えなければ良かったのに、嘘ばっかりついたために破滅するという教訓的な作品だなとも感じた次第。 |
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ぼくたちの大いなる目ざめ (2017年制作) |
駆け出しのスタンダップコメディアンである主人公・クメイル。白人女性のエミリーと恋に落ちるが、パキスタン系移民のクメイルは文化や家族と彼女の狭間で煮え切らない。 クメイルを演じるのはクメイル・ナンジアニ本人という事で、この話はクメイルとエミリーの馴れ初めの実話をベースにしたドラマ。正直言うと、人間関係や状況を見せるのがメインの冒頭は少し鈍重な印象でやや退屈。文化衝突のコメディとしてもありがちな感じだったし。しかし“ビッグ・シック”であるエミリーの昏睡によってドラマが転がりだすとどんどん入り込めた。 鑑賞後感が良いのは悪い人が出てこないからという事もあるだろうが、2人が出会った時のセリフをエンディングで再現するという小粋な展開が俺の中で「良い映画を観た」という印象を決定づけてしまったw エミリーの昏睡というシリアスな状況でも暗くなりすぎず、ホームコメディのような雰囲気があるのはセリフ回しの妙か。主人公を通してふと人生や人とのつながりについて考えてしまうような普遍的なドラマを感じられるのも良いね。難病モノだけど殊更に泣かせにかからないのも好印象です。 主人公が慣習よりも自分の夢や正直さを選ぶところや、移民の非白人と白人の恋愛といった部分が実に今日的なテーマだよね。パキスタン系のクメイルの両親の方が人種(というよりも宗教)に保守的で、白人のエミリーの両親の方が人種に抵抗がない(当初主人公に対して拒否的だったのは別の理由だし)というのが良いバランスだと思う。 |
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(2010年制作) |
食料を奪っていくドラゴン達と日々闘いを繰り広げているバイキングの集落。その村の少年ヒックと傷ついたドラゴンとの出会いと友情を描いたドリームワークスのCGアニメ作品。 動物との友情、主人公の精神的成長、父親との和解、そして村の救世主。絵に描いたような冒険エンターテイメントモノのツボを押さえつつ、主人公ヒックとドラゴン・トゥースの交流を丁寧にスピーディーに展開させていく脚本が見事。対象年齢は10代前半から中盤向けの内容だけど、それでも一級の娯楽作品であることは間違いないね。 強そうであり可愛らしくもあるトゥースのデザインや仕草がまた秀逸。個人的に動物との友情モノには弱いんだけど、分かっていても参ったなあw あとこの作品の最大の魅力は何と言っても空を飛ぶ時の疾走感。カメラワークが浮遊感とスピード感を最大に引き出していて、これは3Dで観るだけの価値があると言えるでしょう。 最後に主人公はあるものを失うわけだけど、これがまたハッピーエンドの中にもほろ苦さが、そしてヒックとトゥースの絆の証のように思えてホロッと来る。 |
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(2014年制作) |
バイキングの少年ヒックのドラゴンとの友情と成長を描いたファンタジーCGアニメの続編。 前作から5年経ち、ドラゴンとの共存も上手くいっているバーク島。前作の様な"秘密の友達がドラゴン"といった少年心をくすぐる部分は描けない(しかもリア充になっちゃってるわけだしw)ので、基本的にヒックの母親との再会と自分の社会的責任という部分での成長がメイン。特に後者は「世の中には話しても分からない奴がいる」という大人の言葉よりも、自分の「話せば分かるはず」という信念を貫いた結果…まさかの父親との死別。この展開は驚いた。アメリカらしい思想の反映だなあと思う反面、一方でリアルな寓話だなとも。この部分が無かったら甘い話で終わっていただけという印象になったかもしれないけど、このシリーズはつくづくビターな展開を見せてくる。よくできているよ。 映像は画面設計がよく考えられていて素晴らしい。空の広さ、海の広さ、疾走感。そして巨大なボスドラゴンとの対比。飛び出す方向には見せない3Dの使い方は効果が抜群なので、ぜひ3Dで鑑賞したい作品でもあります。 |
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聖地への冒険 (2019年制作) |
バイキングの少年ヒックのドラゴンとの友情と成長を描いたファンタジーCGアニメの3作目。 劇場版の他には2012年から続くTVシリーズもあるのだけど、そのシリーズも本作で完結。1作目が公開されてからもう9年が経ったとは。劇中でも6年の時間が経過し、ヒックたちも成長してついに別れの時が…。感慨深いものがありますな。 今回はドラゴンハンターからドラゴンを救ってきたバーク島もそろそろ手狭になってエクソダスをするという展開だけど、トゥースを付け狙う強敵ハンターが現れての対決が話の原動力。まあ正直なところ敵との対決軸については、分かりやすくベタな展開だし結末も予定調和。正直言えば1作目の完成度を超えてはいないと思うものの、でも安心して楽しめる冒険活劇にはなっていると思う。 このシリーズは毎回何かを失い新たなものを手に入れるというテーマが含まれていて、今回はヒックとトゥースとの別れという少年時代にあった友情関係の終わりと、アスティとの結婚という新たな人生の出発がそれかな。別れ自体に感じるちょっぴりビターな部分はいいね。そしてそこで話が終わっていても成立したのに、あえてエピローグでヒックが家族と一緒にトゥースに会いに行ったくだりがあり…。これは入れてくれて本当に良かった。今や親となったヒットとトゥースが再び大空を駆け回る。シリーズを通じて実に爽快な飛翔シーンを描き続けてきた作品の締めくくりとしては、これ以上のものはないね。 |
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(2009年制作) |
主人公のさえない青年。ある日に突然の耳鳴りに気を失うが、目が覚めるとそこは巨大な虫が人間を襲う世界になっていた。 いわゆるB級モンスターパニック映画だけど、B級がB級であることを自覚したお約束の展開や演出が小気味良い。観客を怖がらそうというよりは、ジャンル映画として楽しませようという姿勢が良いね。低予算感は漂いつつも良くできたVFXには気合いを感じるところです。まじめにオマージュとしてのコメディにしているという点で、ゾンビ映画で言うところの「ショーン・オブ・ザ・デッド」のような印象を受けました。 どうにもパットしなかった主人公が次第に活躍して、ラストにはヒロインのハートをゲットなんてのもお約束だけど、それ以外の登場人物がことごとく死んでいく展開もまたお約束。金髪ねーちゃんの役どころなんてベタだなあw 主人公の親父(元軍人で犬好き)が良いキャラで個人的には好みです。 それにしても、この映画では事件の原因も結果も全く描かれないんだよな。その辺の潔さがまた良いのですがね。 |
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人は、話を面白く言おうとすると多少なりとも尾ひれを付けてしまうもの。ただ明らかに荒唐無稽な体験談ばかり言う父親を、その息子は信用出来ず、そして本当の父親の姿を知りたいと願う。父子の和解をテーマに置き、丹念に父親の回想を映像化していく。回想シーンでの魔女がいて、大男がいるというファンタジックさは、疑いもなくティム・バートン映画。ただ、今までの彼の映画とは明らかに一線を画する物があると思う。それは現実世界にいる息子の視点で語られ、「そんなことがあるわけ無い」という主人公気持ちが伝わってくるからだ。しかしそれもニクい演出の一つであって、次第に父の過去が垣間見え、そして父親の「私の死に方は?」という場面に収束していく。父親の本当の人生、結局の所は最後まで明確には語られない。彼の語る回想にはホントのこともウソもあるだろう。でも本当の彼の人生を知ることは重要なのではなく、そういう風に語る事の出来る人生が素晴らしいのだと思う。 | ||
ビッグ・フレンドリー・ジャイアント (2016年制作) |
ロアルド・ダールの児童文学「オ・ヤサシ巨人BFG」を原作にした、スピルバーグ監督による実写映画。 純然たる童話。ロンドンの児童養護施設から巨人の国に連れて行かれるなど「ピーター・パン」を思い起こすようなところもあるが、優しい巨人と交流し、悪い巨人を退治するというお話。夢の調合っていう行為はなんだかおもしろいな。 優しい巨人のBFGはCGで描かれたキャラクターだけど、マーク・ライランスの声の演技が彼の人となりに厚みを持たせているよね。表情の豊かさも含め、VFXによる見事な存在感は素晴らしい。まあまだCGだと感じるところは若干あるものの、逆にそれが童話感というか不思議の国の感じと取れなくもない。実写の登場人物と背景を含めたVFXの組み合わせが多いけど、クライマックスなど、長回しでグルグルカメラを振って見せているところは素直に驚いた。一方でマルノミ達の巨大感って、もっと強調しても良かったんじゃないかと思ったり。まあ細事ですが。 童話めいた展開で言えば、バッキンガム宮殿に巨人と共に訪問するシーンは可笑しかったな。特に宮殿の対応はスピルバーグ監督らしいセンスのギャグがオンパレードで描かれて、なんだか懐かしい気分になりつつニヤついてしまった。 |
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レクターという名を知らしめた作品。演出、ストーリー、キャスティングと、どれを取ってもよく出来ている。しかしレクターも不気味だが、本当に不気味なのは皮剥の犯人。半裸で踊る場面は気持ち悪かった。ああいう悪人には感情移入できません。レクター逃亡のくだりは俄然盛り上がるけど、人の顔を被っているとは・・・。監禁中あれだけ厳重な警備だったのだから、自由になったレクターの恐ろしさがよく分かる。頭が切れるからなぁ。 | ||
バック・トゥ・ザ・ホーム (2015年制作) |
TVシリーズとなっているアードマンのクレイアニメーションの劇場版。 面白い、というよりは楽しい!が先に来る作品。元々ショートのクレイアニメーションを長編映画にしてしまうのも冒険だけれど、なによりこの作品世界では登場キャラクターに台詞がないわけで、その世界観を守って長編を作りきってしまったのが凄い。台詞がないというのは、正確にはひつじ目線なので人間は何を言っているかわからない(言葉に聞こえない言葉を出している)し、ショーンたちもセリフをしゃべるわけではないということ。サイレント映画的な要素という感じもするけど、状況描写で物語を理解させる演出力が無いとこれはできないよな。登場キャラクターや世界観の説明も言葉に頼らないし、表情に制約のあるクレイアニメの造形でも感情が手に取るようにわかる。これにはかなり感心した。 毎日の繰り返しに退屈しているショーンは、牧場主を眠らせて休息日を楽しもうとするけれど、手違いから牧場主が都会で記憶喪失になってしまう。それを助けに行こうとするショーンたちのドタバタぶりは実に楽しい。そしてちゃんと愛情を感じる物語がいい。日常に乾杯!とにかく話のテンポが良いのだけど、物語に無駄がないのはクレイアニメだから…無駄なものを撮っている暇はないことの裏返しか。でもカットごとの情報量に手抜きはない(ロングショットのモブもちゃんと動いている)のが凄いよね。 |
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UFOフィーバー! (2019年制作) |
アードマンのクレイアニメーション「ひつじのショーン」の劇場版第2弾。 TVシリーズから続いた安心の世界観。というかこの世界での宇宙人って、"ひとつ目"で細長いいかにもな奴が何度か登場していたと思うんだけど、本作では見た目が犬っぽい可愛らしいキャラクターになってますな。宇宙も広いから種族も違うんだろうけど。ともかく愛らしいキャラクターたちのいたずらや騒動は相変わらず楽しい。前作の劇場版では牧場主との関係性がメインの話だったけど、本作のプロットは昔懐かしいSF映画テイストで、メインストーリーの流れは完全に「E.T.」ですな。 その他いろいろなSF映画へのパロディというか、オマージュがちょくちょく入ってきて、そのあたりもアードマンの作品らしくて良いね。「2001年宇宙の旅」や「未知との遭遇」や「ロボコップ」とかね。エンドクレジットを見ると「Xファイル」のテーマ曲が使われていたようだけど、どこで流れてたんだろう、多分エージェント絡みのシーンだと思うんだけど…気づかなかった。 意味のある台詞を使わずに描かれるのはこの世界観のお約束。人形の表情やしぐさによる感情表現はもはやノウハウとして完成されてる感もあるけど、やっぱりそれで90分の長編をやってしまうという演出力はすごいなあ…とただ素直に感心しますね。 |
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(2016年制作) |
1990年代後半に英国で起こされた名誉棄損訴訟、アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件を描いた法廷劇。 ホロコースト否定派のアーヴィングを「否認論者、歴史の歪曲者」と書いたことが名誉棄損か否かという裁判の話だが、ひいては「ホロコーストはあったのか?」という事の証明をしなければならないという、歴史の事実を問うた話でもある。まあホロコーストの事実性については争うまでもないことのはずであるが、被告側が証明しなければならないという英国訴訟の法に則ってこのような裁判になるというのが興味深い。 裁判の要点は「アーヴィングの主張は虚偽であり、意図的にねつ造した彼を否認論者と表現することは不当とは言えない」かというもの。なるほど、その証明をするために「ホロコーストは事実」であり、「アーヴィングは否認論者」という事を暴かなければならない。実際には訴えから結審まで実に4年半も調査と裁判に時間をかけた訴訟だけれど、それを2時間弱という時間で簡潔にまとめた内容は分かりやすく上手かった。歴史を見直すだけの内容であれば盛り上がりに欠けるものだったろうが、自己主張の強かった主人公が次第に弁護士に敬意を持っていく精神的成長を組み込んで、ドラマとしても波を立てているのが良いね。ただそれがドラマとして少し綺麗に作られすぎている印象を受けた部分もあるのが痛しかゆしではあるが。終盤での「確信犯を嘘つきと呼べるのか?」という判事の疑問も、盛り上げるために少し取って付けたようではある。 レイチェル・ワイズ、トム・ウィルキンソン、ティモシー・スポールという英国の名優によるアンサンブルはさすがに見応えがあり、特に憎まれ役を一人で背負ったティモシー・スポールは良い。 |
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〜最期の12日間〜 |
ドイツ第三帝国の崩壊を、ヒトラーの秘書やベルリンの軍医の目を通して描いた史劇。 邦題こそ「ヒトラー」ではあるけど、これはまさに第三帝国崩壊の中心地を描いた物語。そこには必然的にヒトラーが描かれることになり、そしてその人物像が極めて冷静に“人間”として描かれている。“悪魔”でも“狂人”でもない“人間”として。 彼を悪魔的な冷酷な男として描くのは簡単だと思う。でもあえてこうしたリアルな人間として描くことで、ドイツ第三帝国の真実が見えてくるような気がする。 ベルリン陥落間近、ヒトラーが言う。「市民など放っておけ。自業自得なのだ。」と。ヒトラーの無責任さとも冷酷さを描いたとも取れる描写だけど、これはある意味で真実だと思った。「ドイツがこうなってしまったのはヒトラーのせいかもしれない。でもその彼を選んだのはドイツ国民自体なんだ。」ってね。全てをヒトラーに押しつけるのは簡単だけど、何故そうなったのかという事実は客観的に観ないとまた再び同じ事が起きないとも限らない。そう考えさせられた映画だった。 エンディングに流れるヒトラーの秘書だったユンゲの言葉が重く感じられる。 |
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ユダヤ人強制収容所に収容された贋札造りのプロだった主人公。ある日、他のユダヤ人印刷技師達と共にナチスの贋札製造「ベルンハルト作戦」への従事を命令される。 ホロコーストを描いた作品でも、ナチスの作戦に従事することで別待遇を得た囚人達の事はあまり観たことがなかったので興味深い。しかしそれでも結果が出なければ待っているのは死、結果を出せばナチの戦争継続を幇助していることになるというジレンマ。「今日の射殺より、明日のガス室。」という台詞が毎日何とかして生きながらえようとしている彼らの心理を如実に表しているんだろう。それに疑問があったとしてもね。 サボタージュでナチに抵抗する仲間の印刷技師ブルガーは、正義のために自身や仲間の命も危険にさらしているわけで、非常に腹立たしい部分もある。仲間達はそんな彼を攻めるが、終戦後に掌を返したかのように讃える仲間達を見て、人間の身勝手さにまた感じ入るところでもある。 |
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(1938年制作) |
1936年に開催された第11回オリンピック・ベルリン大会の記録映画(後編)。前編は「民族の祭典」。 陸上競技のみを扱った「民族の祭典」とは異なり、この作品ではそれ以外の体操・十種競技・ヨット・水泳・馬術などが描かれてます。冒頭は選手村の朝の風景から始まり、体操選手の躍動までナレーション無しで映し出すのだけれど、やはりここでもリーフェンシュタール監督はただ風景を切り取ったりはしない。体操では明らかに競技中では撮影出来ないアングルから撮影してたりと、(おそらく後撮影なのであろう)映像表現へのこだわりが随所に見られる。そういう意味では競泳でも同じ。泳いでいる人物を前方からの水中撮影で追うなんて、絶対に後撮りですわ。でもそれによって“映画作品”としてのダイナミズムを生んでいるのは間違いない。 「民族の祭典」では、走り高跳びの選手がほぼはさみ跳びで跳躍していたのが時代を感じさせたけど、この作品では体操競技が屋外だったり、馬術では全選手が士官だったり、射撃の的が人の絵だったりと、現代とは違う様子が垣間見えたのも興味深かった。 それにしても日本人は昔から水泳が強いんだねえ。有名な前畑の優勝した女子200m平泳ぎは紹介されていなかったけど、男子200m平泳ぎの葉室(金)、男子100m自由形の遊佐(銀)と新井(銅)は紹介されてました。馬術では「硫黄島からの手紙」でも描かれたバロン西こと、西竹一もロス五輪金メダリストとしてチラッと映っていました。 |
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(2011年制作) |
独り、峡谷で岩に腕を挟まれ、脱出ができなくなった青年登山家。誰もまわりにおらず助けも来ない状況で、次第に限界が近づいてくる姿を描いたドラマ。 腕を挟まれてどう脱出するかについては前半である程度察しが付く。重要なのはそこではなくて、ワンマンで何でもできるという自負を持っていた主人公が、極限状況に陥ったことで自分のそれまでの行いを顧みるということかな。彼がそこでどう感じ、何を見たかということだけど、「それを気付かせるためにこうなったのだ」という運命論的な彼の考え方は、そのテーマ自体に宗教観が透けて見える。けれど、ほぼ一人芝居の中で回想を入れたり幻覚を入れたりして、主人公の精神的な変化がきっちり見えるので個人的には入り込めたし、良い映画だったと思う。ラスト、彼が遠くの人に向かって"I need you help !!"と叫ぶところは変化の決定的描写だった。 その主人公を演じきったジェームズ・フランコは良い演技ですね。軽いけれどあまり嫌みがないし、アクシデント後の様子も真に迫っている。(「マジかよ!」っていう表情もいいw)腕切断シーンは生々しく見ていてかなり痛い。神経切断は演出も相まってヤバいですな…。その辺を妙にしつこく見せたり、汚物の話が入ってきたりするのはダニー・ボイル監督の趣味?w でも全体を見れば、映像の切り取り方も音楽のセンスも相変わらず良いのですよね。 |
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(2011年制作) |
1930年代のパリ駅。そこの時計台に住む少年とおもちゃ屋の老人との出会いを通じて、ある歴史がよみがえっていくファンタジー映画。 マーティン・スコセッシの映画なのに暴力が出てこない!というのは褒め言葉w(正確には劇中で2人死んでるけどね。) スコセッシの創作性の幅には感心した。3D演出も使いこなしているし、これはさすがとしか言いようがない。テーマ的にも彼自身が抱く映画そのものへの敬意に満ちていて暖かいよなあ。つまり、ストーリー映画という形態を生み出したジョルジュ・メリエスへの最大の敬意ですね。 歴史に残る「月世界旅行」を撮ったが、時代から消え去っていたメリエス。その彼を表舞台へと再び迎えた劇中の物語があり…、そしてこの作品そのものがメリエスを再び表舞台に紹介したわけです。もちろん映画の歴史を知っていればメリエスの名は有名なのだけど、劇中でメリエスが自身のやってきた過去の映画製作に悲観している姿があり、そんな彼に再び希望を与えるというストーリーが映画ファンとしては琴線に触れたなあ。その話の流れを担うのが本作の主人公であるヒューゴであって、そこがファンタジーとして包みになっているという構造。なので、見る人が見ればヒューゴのファンタジー映画とも見えるだろうけど、少し空想で創作されたメリエスの伝記映画といった様にも見えるのです。個人的には、まぎれもなく後者だけどね。 |
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久々に映画を見て泣いてしまいました。分裂症という精神状態を見事に視覚化していて、完全に主人公に感情移入してしまいました。現実だと思っていたものが、幻覚だったと気付いた時の喪失感は想像を超えるものだけど、それの悲しみは痛いほど伝わった。そして主人公を支える妻の“愛”の大きさ。本当の美しい“愛”というものを見た様な気がします。授賞式のスピーチは、大変感動しました。 | ||
(2010年制作) |
ヴィクトリア湖に突如現れた殺人ピラニアの大群。ちょうどその頃、湖畔では若者たちが集まる"ウェット・Tシャツ・コンテスト"が始まろうとしていた。 エログロ満載のモンスターパニック映画。B級とは何かをよくわかって作ってあるので小気味良い。裸のネーチャンはことごとく喰われるし、頭の悪いニーチャンもことごとく喰われるw クライマックスの群衆が水中で襲われるシーンは、喰われっぷりのグロさがなかなか度を越していて見事でした。ピラニアの造形もいかにも凶悪そうだし、スピード感もあっていいね。 冒頭に「ジョーズ」のリチャード・ドレイファスを出演させ(見事に喰われるけどw)、中盤には「BTTF」のクリストファー・ロイドがドクを彷彿とさせるキャラで登場。エログロとバカ一辺倒ではなく、微妙にキャストの遊びが映画ファンのツボを心得ていて好印象です。 |
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消された革命 (2008年制作) |
2007年に起きたビルマ(ミャンマー)での民主化要求デモの現場を、軍当局の目を掻い潜って隠しカメラで撮影し続けたビデオジャーナリスト(VJ)たち。その映像を再構成したドキュメンタリー映画。 再構成にあたってジョシュアというジャーナリストを中心に話が進んでいくのだけど、おそらくその部分は物語性を出すための創作と思われる。名前を出せないVJの誰かをモデルにしているのかもしれない。でもその演出部分を差し引いても、現場の生の映像という力強さは本物で、次第に高まるデモの熱気、そして当局の実力行使による弾圧の様は実に生々しい。 この映画が訴えかけるのは、軍事政権の続くビルマ(ミャンマー)の現状と共に、身の危険に晒されながら現場の姿を撮り続けるVJ達の闘う意味でもある。その点ではよく構成されているのではないだろうか。ただし、きわめて主観的(映像の性質上、当事者目線にしかならないのだが)なので、その点では一方的に弾圧される側の目線でしか見られない。もちろん、実情としてかの国は現在も軍政であり、民主化勢力に対しての弾圧があるのは事実だろうけどね。 劇中ではジャーナリスト・長井健司氏が銃撃され亡くなるシーンもあり日本人としても複雑な心境になります。 |
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日系人監督スティーヴン・オカザキが、14人の被爆者の体験談を通して広島と長崎に落とされた原爆の姿を描いたドキュメンタリー。 この作品は、おそらく原爆の惨状を知る機会があまり無いであろう米国人に向けたものかとは思う。しかし、ことさらに被害者から加害者(米国)に訴えているというより、感情を込めながらも淡々と体験談を語る被爆者の方々の姿からは、身をもって体験した“原爆の本当の恐ろしさ”を知ってくれという痛切な願いの様なものを感じます。非常に真摯な作品でした。 目を覆いたくなるような映像も出てくる。でもそれが現実にあったことなんだと向き合わなくっちゃいけない。冒頭で“1945年8月6日”に何があったのか知らないという若者達の姿が描かれたけども、そういう子達にはこの作品を一度観てもらいたいと思ったね。 筆舌にも尽くしがたい体験をした彼らの話の中でも、「死ぬ勇気と生きる勇気。私は生きる勇気を選んだんです。」という言葉がすごく印象に残る。今を生きる自分たちが、いかに恵まれた人生にいるのかということにも気づかされました。 |
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(1963年制作) |
中東の王女が持つ巨大なダイヤ“ピンクパンサー”。それを狙う怪盗ファントムと、ファントム逮捕に執念を燃やすクルーゾー警部の姿を描いたコメディ映画。 とにかくコメディリリーフのクルーゾー警部(ピーター・セラーズ)が面白い。シリーズ1作目のこの映画に限っては、主役はデヴィッド・ニーヴンが演じるファントムなのだが、完全に脇のクルーゾーが主役を食ってますよw ニーヴンの他の主要キャラ3人も美男美女をそろえているし、どちらかというとイタリアのスキー・リゾートで繰り広げられるオシャレな往年のロマンティック・コメディ…という雰囲気でもあるが、そこにクルーゾーという異物を一人入れるだけでこんな愛すべきコントになるとは。セラーズが演じる絶妙なおっちょこちょい感が実に素晴らしいね。 正直言うと、中盤は若干間延びしたような感じもあるんだけど、終盤はそんなことも忘れさせてくれるドタバタ劇っぷり。ゴリラ(の着ぐるみ)の鏡ネタはベタなのにニヤついてしまう。クライマックスにある坂と広場でのカーチェイスは、「Mr.ビーン」か「ルパン三世」かはたまた吉本新喜劇か。これぞ王道のドタバタ喜劇ってやつですな!そしてシマウマ!あれは卑怯w 有名なテーマ曲は“ピンクパンサー”ではなく“ファントム”のテーマなんだけど、もはやそんなことはどうでもいいか、とにかくベタで楽しい映画ですね。 |
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(1975年制作) |
中東の博物館から巨大なダイヤ“ピンク・パンサー”が盗まれた。かつて怪盗からピンク・パンサーを取り戻したクルーゾーに指名がかかる。 タイトルは「2」だが、シリーズとしては3作目。しかし前作の「暗闇でドッキリ」から11年が経ち、製作国も変わって何となく雰囲気は違う。ブレイク・エドワーズ監督とピーター・セラーズのコンビは同じなんだけど、でもなんかロマンスやミステリーとのバランスがあった前二作とは異なり、もっとドタバタコメディ寄りな感じ。後半のリットン夫人の部屋への侵入はクルーゾーの一人ドタバタネタは次から次に出てくるけど、やはり一人ドタバタよりはクルーゾーとドレフュスと絡ませたやり取りが好きだけどね。ケイトーとの格闘ではスローモーションまで使ってダイナミック!…まあやっぱり暴れてるだけだが、この場合はその脈略のなさがいいのか。お約束ってやつか。トラックでプールに飛び込む反復ギャグは面白い、笑ったw クルーゾーのとんちんかん捜査の一方で、ファントムことリットン卿も盗難事件の真相を暴くために中東へ。リットン卿役がクリストファー・プラマーに変わっているので、何かキャラも全然違うんだけど…若返っているし。そこは目をつむるしかないか。どちらかというとプラマー演じるリットン卿の立ち回りは007の様な雰囲気もあるが、クルーゾーとはほとんど絡まないのでどうなんだろう。だが物語のラストでようやく対面したと思ったら、場面をかっさらったのはドレフュス!こういうオチは好きですw |
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(1976年制作) |
ドレフュス元主任警部はついに悪の組織を結成!そして世界に対してクルーゾーを殺すよう脅迫を仕掛けてきた。 何と言うか、良くも悪くも出来そこないの「007」みたい。超兵器と悪の組織、敵の拠点に潜入したり美女と(誤解から)イチャイチャしたりと、かなり意識して作ってるよね。でも個人的にはそういったパロディ然とした部分はあまり面白いとは思わなかった。何というか、まともな人々の中の奇人・クルーゾーのとぼけっぷりが好きだったのに、物語自体が荒唐無稽すぎてキャラが埋もれつつある感じ?やったもん勝ちみたいな脚本が気になるなあ。 まあ面白い部分もあるけどね、冒頭の精神病院でのドレフュスとの絡みとか。OPアニメは有名作品の曲までそのまま使ってパロディ全開だけど、“ピンクパンサー”がそれをやる分には楽しいかも。「サウンド・オブ・ミュージック」は楽屋ネタ(監督の奥さんがジュリー・アンドリュース)ですなw ドタバタクルーゾーの内では平行棒からの落下はマジで吹いたし、「お宅の犬は噛むか…」のくだりも好き。あと、オマー・シャリフ!でもそれ以外は…どうかな。 後半の城への潜入のくだりはくどいし、歯医者と笑気ガスもなんかもう完全にコント。もう1〜2作目の頃の“ミステリー映画の中に迷い込んだ異物”という感じは無くなってしまったよね。完全にドタバタコメディになってしまって、観客が“クルーゾー”というキャラに求めた応えがこれなんだとはいえ…個人的にはちょっと残念。 |
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(1978年制作) |
勢力が衰えたフレンチ・コネクションのボスは、組織の力を見せつけるために不死身の警官・クルーゾー主任警部の命を狙う。 比較的まとも(?)な動機に基づく敵側の動きを引っ掻き回すクルーゾーという図式は、原点回帰のコメディに落ち着いた感じ。「2」ほどではないにせよ、荒唐無稽だった「3」に比べると好みかな。いわくありげな殺し屋や、女装強盗のネタは相変わらずコントだけど、キャラとしては使い捨てなので何とも割り切っていてある意味清々しい。そしてお約束になったクルーゾーとドレフュスとの絡みだが…って、あんた「3」で消滅してたがな!何事もなく復活するだなんてギャグマンガかよw でもやっぱりドレフュスのキャラは好きなので復活は嬉しいが。 フレンチ・コネクションの取引に接近するため変装を駆使するクルーゾーは今作の目玉。ゴッド・ファーザーの変装は良いなあ。やっぱり頬に綿を詰めるんやねw 「マンマ・ミーア!スパゲティ!アル・パチーノ!」って思わず「何やねん!」とツッコみたくなる似非イタリアン・マフィアっぷりが楽しい。ケイトーもこれまでになく活躍していて、総じてレギュラーメンバー全体で登場のバランスがいい感じかもしれない。 ちなみにシリーズはまだ続くものの、本作は結果的にピーター・セラーズが生前クルーゾーを演じた最後の作品になってしまった。この映画のエンディングはこれまでのドタバタ調ではなく静かにフェードアウトしていくのだけれど、そういう意味で今観るとセラーズに対して「お疲れ様でした」という感情のわく良い幕引きのようにも思える。 |
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(1982年制作) |
またしても中東の博物館からピンク・パンサーが盗まれた。指名のかかったクルーゾーは早速捜査に乗り出すが…。 クルーゾーを演じてきたピーター・セラーズは1980年に亡くなった後に制作されたシリーズ6作目。セラーズ不在の穴を未公開映像と脇役による新撮、そして過去の名場面で構成するという荒業で、総集編に近い作品になっている。とはいえ、そもそも過去にオミットされたギャグシーンを繋いで強引に筋立てているので無理やり感が強いのは否めない。ドレフュスはスラプスティックに頑張っているけれど。 前半は未公開映像を繋いでかろうじてクルーゾーがドタバタを繰り広げるけど、どこかで観たようなネタが多いかな。後半は行方不明になったクルーゾーを、記者が関係者にインタビューするという形式になって回想として懐かしの映像が流れる仕掛け。そうなるとさすがは名場面だけあって楽しめる部分もあるんだけど、個人的にはやっぱり「ピンクの豹」と「暗闇でドッキリ」までが良かったなあということも再認識する。デヴィッド・ニーヴンとキャプシーヌは「ピンクの豹」以来の嬉しい再登場ではあるが、「2」との矛盾も発生してしまうので微妙なところ。 冒頭で「唯一のクルーゾー警部、ピーターに捧げる」というクレジットが出ることからも、新作というよりはクルーゾーを演じたセラーズの思い出に浸るための作品と言った方が正解かもしれないね。(一応「5」への繋ぎという立ち位置の作品でもあるが。) |
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クルーゾーは二度死ぬ |
原点回帰というか、作風は良い感じになってる。でも雰囲気としては、亡くなったクルーゾー役のピーター・セラーズの為に昔のキャストが集合したって印象が強いかも。クルーゾーというあの強烈なキャラがいないのはやはり寂しい。代わりの主人公は頑張ってるけどね。まあ、相変わらず署長はバカで笑えるw しかしロジャー・ムーアの役はどうなんでしょうな? 本人の偽物(しかもクルーゾー)役w このシリーズが少なからず007を意識してただけに、なんか面白いねえ。 | |
スティーヴ・マティン主演で制作された2006年版「ピンクパンサー」。 “ピンクパンサー”はピーター・セラーズのクルーゾー警部があっての作品で、スティーヴ・マティンは頑張っているとは思うけど、やはりあのキャラは超えられないかな。それ以前に完全なおとぼけキャラではなくて、自力で事件を解決してしまったのがなんだか思ったのと違うんだよね。本人の訳の分からないうちに解決してしまうのがクルーゾーのような気はするんだけど。 随所に前シリーズへのオマージュがあるのは面白い。ドレフュスがこてんぱんな目に遭うのもね。ただ、ドレフュスが若干悪巧みしているので“哀れ”と思えないのは笑いとして弱いかなあ。 しかし髭を剃ってさっぱりしたジャン・レノは良かった。マジメな顔してのおとぼけ演技はいいね。とくにマーティンとのくねくねダンスはよくやったもんだw |
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米国の田舎町で起きるある誘拐殺人事件を描くサスペンス・コメディ。 一人のオッサンのちょっとした計略が、どんどん悪い方へ転がり次々と人死にが出て…、「なぜ普通に生活することの幸せが分からないの?」というエピローグが深いです。監督はコーエン兄弟。いやはやブラック・ジョークの具合が良いですね。 「全体的に顔がヘン」と言われ続けるスティーヴ・ブシェミは散々で(自業自得だが)気の毒w 小心っぽい割に計略を巡らして、しかも上手くいかない男をウィリアム・H・メイシーが演じてますが、さすがにハマってる。こういう役をさせると上手いよなあ。 タイトルで“実話”と謳っておきながら実はこの話は実話じゃないらしい。が、実話と思って観るとこの作品出てくるような小悪党はいそうだし、それがリアルに感じるためのギミックなんでしょう。良い意味で“映画のウソ”を堪能できた作品です。 |
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(2021年制作) |
ヘルパーと衝突し娘に心配をかける80歳のアンソニー。新たなヘルパーに来てもらう話も進む中、次第に彼にとって妙な出来事が起こり始める。 観終わってみれば「認知症を追体験させられていたのか」と納得のいく話だが、観始めてからしばらくは「どうも話が噛み合わない」「時系列がいじられてる?」「これは叙述トリックの一種か」と混乱をきたすような展開に振り回されてしまった。でもそれこそが、この話の結論である“認知症の人が認知している世界”なのだと気づいた時、とても心にくるものだあったというか…苦しくなってしまった。なるほど記憶の混濁を主観的に見ればこの様になるのか、と。そりゃあ話も噛み合わないわ。主人公のセリフをして「すべての葉を失っていくようだ」と表現されたそれは、とても物悲しく、印象に残る表現だ。 認知症である主人公を演じるのは名優アンソニー・ホプキンス。本作の演技で2度目のアカデミー主演男優賞を受賞したけれど、それも納得の演技。映画は主人公の主観で大半の物語が進むので、映るもののほとんどが認知症のフィルターにかかっているわけだけど、映画的なギミックも上手く使いながらも彼の迫真の演技で“現実と思い込みの境目”を曖昧にしているところが良くできていたね。 |
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(2018年制作) |
人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ11号の船長、ニール・アームストロング。彼が宇宙飛行士として偉業を成し遂げるまでの9年間を描いた伝記映画。 デイミアン・チャゼルは映像で心情を描ける監督だと思う。この映画の主人公を観てそう思った。決して口数の多くないニール・アームストロングという人物を描くにあたり、家族や友人との関わり合いの描写を多く撮っているけれども、そこには説明台詞なんてものはなく、その空間、空気によって関係性や人物像が見て取れる。ニールの表情から感じられる感情。そこには失った家族や友人の存在を抱えながらも、公には感情を表に出さない男の姿があった。 アームストロング船長という人物像は、ともすれば神格化すらされそうな冷静沈着な偉人というイメージ。この映画は全体を通してニールの周囲で起きてきたことを描いているので、ジェミニ計画やアポロ計画については概要程度がセリフに表れるのみで仔細などには触れず、状況の解説描写もない。ニールの見てきたもの、感じてきたものをストイックに観客へ追体験させる、そんな作品だった。だからこそ、自分について多くを語らなかったニール・アームストロングという人物のそこに秘めた感情というものが感じられるのである。こういうアプローチも面白いね。 ラストの月面のシーンはIMAX(1.43:1)で観た。IMAXでもフルスクリーンになるのはラストの月面のシーンだけである。そこで観た静謐な空間はとても神秘的だったし、それまでと画角が変わったからこそ、人類未踏の地に来たという圧倒的な映像の効果もあったと思う。彼はその地に娘の形見を残したが、これは創作だろう。でもこの映画のニール・アームストロングという人物像がとてもよく表れていたと感じる。この映画に余計な言葉はいらない。 |
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火山に人生を捧げた夫婦 (2022年制作) |
火山学者であるカティアとモーリス・クラフト夫妻の足跡を追ったドキュメンタリー映画。 1991年の雲仙普賢岳で起きた大火砕流で亡くなった火山学者なのでその名前を聞いたことはあったけど、彼らの撮った映像を観る機会はあまりなかったので興味深く観ることができた。"火山"という同じ自然の力に魅入られた二人が結ばれたのも、結果的に火山で亡くなってしまうのも運命のようなものだったのかもしれない。それにしても…身の危険を顧みずに、むしろ楽しんでいるような雰囲気で火口や溶岩に近づいていくスタイルには、たとえ学者のすることだとしても「常軌を逸しているなあ」と思うような場面も多かった。多くの映像は、学術的な記録以外にもスポンサーを得るための手段という意味もあったのだろう。人が映り込んでいる数々の映像は(劇中でも言及されている通り)そのスケール感を伝える比較物としてもとてもわかり易い。噴出する溶岩をバックに歩く姿などはロングの圧縮効果を使っているだろうから見た目ほど近くはないのだろうけど、その映像的な迫力は実際の映像ということも相まって十二分に観ている側へその驚異を伝えてくるね。 内容的にはクラフト夫妻の伝記モノだけど、火山の映像だけでも十分に見る価値のあるドキュメンタリーだなと思いました。 |
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不眠症に悩まされていた主人公が、ある日偶然に知り合った男と拳闘の地下組織を作る。 物語の導入部のテンポの良さや、全体に渡っての暗さ、ジメっとした感じはデヴィット・フィンチャーの作品らしくて良いね。ただ、拳闘による肉体の酷使によって達成感や開放感を得る、という考え方が俺にはついていけないし、さらにその集団がカルト化して経済を破壊するテロを画策してしまうとなると「おいおいw」といった印象の方が強くなる。まあ一種の寓話なんだろうけど、やはり話に共感できないとついて行きにくい。“金持ちのダイエットで吸引した脂肪を使って作った石けんを、また金持ちに売る”とか、そういうブラックジョークは好きだけど…w この映画には大きな仕掛けがあるけど、その辺はわりと大雑把に描かれていた印象。なので個人的には驚きませんでした。というか分かりやすい持って行き方をしているので、多分そこで驚かそうとは思ってないんだろうなあ。 エドワード・ノートンとブラッド・ピットは良い演技をしているとは思います。確かにブラッド・ピットは“男の憧れる男”というキャラクターのカリスマ性を出していたと思うしね。 |
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(2000年制作) |
飛行機事故を予知し、直前で難を逃れたために"死"の運命に追いかけられることになった若者達の姿を描いたホラー映画。 殺人鬼が出るわけでも、怪物が出るわけでもなく、些細な事故を装った残酷な死に方が運命として待ちかまえている。観ている側としてはどのような死に様を迎えるのかを楽しむ(?)趣向な訳だけれど、個人的にはあまりショッキングな風には受け止められなかった。怖いと思うような映画ではなかったなあ。まあ、身近にあるもので悲惨な目に遭うという工夫に感心もしたけどね、特に序盤は。どちらかというと、死が巡るというルール等の設定が、映画的な間の外しや筋の通しに効果があったので良い感じではあります。 全体的に漂う安っぽさや、ティーン向けっぽい類型的ホラー映画の登場人物達には、もう少し捻りが欲しかった部分。でも"死"という目に見えないモノから逃げて、そして立ち向かっていくというアイデアは良いと思います。 |
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(2001年制作) |
スクウェア(現スクウェア・エニックス)が単体の映像作品として制作したSF映画。隕石と共に現れたファントムによって侵略された未来の地球。バリアシティの中でわずかに生き延びた人類は対抗手段を模索するが…。 大赤字を生んでスクウェアの屋台骨を揺るがしたという悪名ばかりが残る作品だけど、単体のSF映画として観た場合はそこまで否定的になるような作品でもないと思う。2000年代初めにこのクオリティで人間も含めて全編CGで描いたという事実も、個人的にはむしろ肯定的にとらえている。もし3Dで観たならば、なかなか見映えのするんだろうなと思えるようなアングルも多く、迫力はあるのでいいと思う。(2D映画だけどw) ただ、「ファイナルファンタジー」と聞いて期待する内容とは違う。それが「期待外れ」という印象に拍車をかけてしまったのだろうが、勿体ない。 敵として描かれるファントムは、外宇宙にある母星の残骸に乗って飛んできた“亡霊”だというのが彼らの正体。精神的なモチーフの上にガイア理論的なものを重要なテーマとして描いているが、そういったガイア理論的な部分は当時のゲームシリーズである「VII」や「IX」と共通しているかな。そもそも「FF」シリーズは作品毎に独立した世界観・ストーリーなので、映画としてストーリーが独立していても問題はないはずなのだけれど、やはり前述の通りこの映画はファンの期待する“表面上が中世的なファンタジーもの”とは違ったし、「ガイア理論」といった通底にあるものが「FF的なもの」としては捉えられなかった(伝えられなかった)のは間違いない気がする。 さて単品の映画としては可もなく不可もなく観たのだけれど、精神性が先行して少々話が暗い。そしてどこかで観たようなプロット、お約束なフラグが多い(良く言えば王道だが…)。終盤のカタルシスが弱く、将軍の自滅が一番の見どころ?など、SF大作としてのワクワク感はちょっと乏しい。どちらかというと深夜にやるようなB級映画のノリで観る方が、ベタな展開を素直に見られるのだが。やはり初進出となる映画のストーリーに、迫力はあっても爽快さが無い話を選んだのが…監督の一番の失敗じゃないだろうかと思う次第。 |
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(2023年制作) |
同名ゲームの映画化作品。主人公のマイクは今では廃墟となったピザ・レストランの夜間警備をすることになるが…。 原作ゲームは未プレイだけど内容は知っています。ということで、あの迫りくる“ピザ屋のマスコットから逃れるために警備室に立てこもる”のがメインのゲームが一体どんな映画になるのか…。そんな興味が尽きない話ではありました。そういう意味では上手く膨らませているという感じはするけれど、夜の店内だけで繰り返される原作の圧迫感に比べると、緊張感はマイルドになっている感じはする。ジャンルとしてもホラー映画ではあるんだけど、正直「怖い?」と聞かれたら「それほど…」とは答えてしまうかな。 しかしこの映画をちゃんと「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」たらしめているのは、そのマスコットの造形がゲームのイメージそのままだからだろう。警備員室の監視モニターなんかのイメージもそのままだしね。これはポイントは高い。でもその監視モニターが映画の後半ではすっかり使われなくなったのは残念な気もする。まあその辺は仕方がないかな。 主人公の家庭の状況が複雑というかちょっと問題を抱え過ぎな気もするけれど、“誘拐”というキーワードはゲームにも関わってくる部分なので、入れ込んだほうが作りやすいのは分からなくはない。いやに事情通で親切な警官は逆に怪しいくらいだったけれど、無関係ではない人物だったので納得はできる? でもなんだかやってることが回りくどい印象もあるなあ。そのあたりは話を組み立てるのに苦労したんだろうなと感じさせる部分でもありました。 |
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ピクサーのCGアニメ技術は間違いなく映画界でトップクラスだと思う。珊瑚礁の美しさ、熱帯魚の鮮やかさ。リアルなだけではなく、擬人化の巧さがすごい。もちろんこれはディズニー映画の誇るべき遺産であると思う。人間にさらわれた息子ニモを捜す父親マーリン。その途中の様々な冒険。ここでの演出の巧さは、相棒ドリーがシャレにならないほどの健忘症だということ。はっきり言ってうっとうしいけど、憎めないのも確か。彼女のおかげで話の進行に無理が無く、いろいろなアクシデントが起きていく。海のいろんな面をここまで上手く話に入れられるんだから、これは脚本の勝利でしょう。俺が一番好きなキャラはギル。単にウィレム・デフォーがいい人(?)の役で嬉しいんですw 歯科医の姪のキャラはちょっと「トイストーリー」とダブる所があったかも。しかしあの登場シーンの音楽は何?「サイコ」?w | ||
(2016年制作) |
ドリーは思い出した。はぐれた両親を探していたことを。 「ファインディング・ニモ」の続編であるが、13年も経ってから作られた話とは思えないような、ちゃんと前作から地続きの話になっていて感心。ピクサーには前作のコメディリリーフを主役にした「カーズ2」の様な続編もある。だけど別ジャンルの映画になってしまったあの作品に比べると、本作は別のドラマを組み立てつつも、期待する世界観そのままに「誰かを“探す”」というシリーズのテーマをちゃんと引き継いでいるのが良かった。 設定上のマーリンやドリーがいるサンゴ礁はグレートバリアリーフのはずなので、本作でドリーが両親を探しにカリフォルニアまで向かうのは相当無理やりな移動だよなw まあそこは言うまい。目的地になった舞台を海洋生物研究所にしたのは、前作での反省を踏まえて「飼育」よりも「海へ帰す」という事を強調するためだろうけど、そのおかげで悪役のいない良い人ばかりの映画になった感じ。でもそれでも話に満足できるのは、「両親を探す」という大目的がしっかりしていることと、脇役(特にハンク)がしっかり立っているからだろう。(ジンベエザメを若干勘違いしてるんじゃないの?とかシロイルカが便利過ぎ、と思う様な描写が気になったりもするけど。)総じて「個性を受け入れる」という話でもあるように思うけれども、心の温まる話で楽しめたかな。 静かに迎えたエンディングは曲も含めてちょっとしんみり。一方でエンドロール後のおまけには笑わせてもらいました。君らまだやってたんかいw |
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ハンバーガー帝国のヒミツ (2016年制作) |
マクドナルドの"創業者"レイ・クロックの伝記映画。米国の片田舎にあったマクドナルド兄弟のハンバーガーショップの、その合理的なシステムに目を付けたミルクシェイクミキサーのセールスマンだった主人公は、店の全国展開を持ち掛ける。 田舎のハンバーガー店を世界企業にまでしてしまった男の行動力は、伝記映画として興味深く、面白かった。主人公がその店と初めて出会った時、システムと“マクドナルド”という名前、そしてゴールデンアーチからなるブランド力に何かを本能的に感じ取ったのだろう。アメリカン・ドリームを実現した男の「根気」が彼の口から語られるが、それ以上に直感と信念と行動力があればこそ、か。そして結果的には本当の創業者であるマクドナルド兄弟の店を乗っ取った形になるが、成功者には正邪両面があるのだということを包み隠さずに描いているのが良い。“創業者”という映画のタイトルは皮肉そのものだね。 作品としては2時間弱で手際よく語られて観やすい。マクドナルド兄弟とは方向性の違いから電話で口論する場面が多いのだが、電話を一方的に切るやり取りや相手を評する場面などで、セリフにウィットがあったりしてニヤッとする。映画の中盤、マクドナルド兄が主人公の事を「悪い奴じゃない」と評したときに、マクドナルド弟が「チェンバレンの言葉だ」(字幕では「前の首相の言葉だ」)と言っているのもその一つ。ヒトラーに対して融和政策をとったチェンバレンの名前を出して、主人公の事をヒトラーと比較しているという皮肉だが、その後の展開を考えると兄弟の運命をも皮肉ったセリフとも取れる。 |
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(2005年制作) |
米国で卑猥語として扱われながらも、数多くの場面で使われている“FUCK”という単語について、歴史・社会・政治・文化などの側面から取り上げたドキュメンタリー映画。 米国の映画を観ていれば耳にしないことはない単語だけど、そのルーツ(結局不明だが)や言葉の意味、“あらゆる品詞になる”という使われ方など、保守からはタブー視されているものに切り込んだテーマは面白い。結局その単語にこめる思いは人それぞれなんだけど、卑猥な意味だからと言って規制するべきか否か、米国憲法にあるように言論の自由に守られているか否か、といったモラルと権利のせめぎ合いを描いてもいるね。まあ作品としての主張は「何でもかんでも規制するな」だろうが、個人的にも“言葉狩り”には疑問があるので、この作品の様な皮肉を込めた表現での闘いはキライじゃない。 ドキュメンタリーとしてはアニメの使い方や多岐にわたる引用にマイケル・ムーアの作品ような印象を受けるものの、あそこまで主張を前面に出していないので今ひとつ力強さはないかな。 |
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(2011年制作) |
事故で昏睡状態となった妻は、実は浮気をしていた…。その事実を知った夫の姿を描いたジョージ・クルーニー主演のコメディ・ドラマ。 コメディとは言っても、妻の浮気の事や子供たちとの関わり、一族の土地の話と、主人公の思い悩む姿がメインなので、大笑いするような場面はない。全体的にしんみりしているし、感情がぶつかったりすよるような状況にあって、あくまでホッと息の漏れる様な笑いというか、そういうさじ加減のドラマかな。 そういう意味で、主演のクルーニーは予期せぬ出来事に振り回される少し情けない父親像を好演していると思う。ちょっとした悩む表情が上手くて、主人公の心情が伝わってくるし、上手く憎めない男になりきってもいるよね。この話は、それまで仕事中心で家族を放ってきた男が変わっていく話であるけど、その男に共感できなくては仕方がないのだから。 |
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映画にオチは色々あれど、このオチはまさに伝家の宝刀。滅多に使っていけない禁忌の技。しかしブライアン・デ・パルマ印と考えるとこのオチでもOKかw 一応サスペンス映画なんだけど、別に主人公の“悪女”っぷりが筋として重要でもなく、終盤には話を投げ捨てた感もある。でも確かにA級作品ではないけど、話が繋がった時は単純に驚いたわけで、素直に観ていれば楽しめたしね。同じカットに見える場面、実は片方は水がこぼれまくってるんですが、これって伏線だったんですなあ。気付いてたけど、そう来るとは想像してなかった。というか、あんまり気張って筋を詮索する映画ではないんですがw 個人的には“悪女”の話と言うよりは、人生の転換点を描いた映画だと思ってます。ある意味映画らしい映画ですかな。ラストの写真からの引きが好き。 | ||
言わずと知れたディズニーの古典名作。クラシック・オーケストラに乗せてディズニーアニメが展開されるわけだけど、その音との調和には一見の価値がある。特に2曲目の「くるみ割り人形」、これに尽きるね。他の曲は旋律からまだ直接的にイメージ出来る描写だけど、「くるみ割り人形」の発想の飛躍は凄い。キノコや花のダンスには参ったわ。なんと言っても1940年のアニメ作品で、これだけの演出には脱帽する。全編を通して奥行きのある動き、「魔法使いの弟子」の水の描写、CGなんてモノのない手描きアニメの時代にこんなアニメが作られるなんて。ウォルト・ディズニーという人の情熱を見た気がします。 | ||
と魔法使いの旅 (2016年制作) |
「ハリー・ポッター」シリーズの劇中教科書「幻の動物とその生息地」の著者、ニュート・スキャマンダーを主人公にしたファンタジー映画。滞在先のニューヨークで、ひょんなことから魔法動物が逃がしてしまったスキャマンダーだったが…。 「ハリー・ポッター」シリーズの世界観があってこその外伝ではあるものの、スキャマンダーや他の登場人物たちも含めて好感のもてるキャラ設定に成功していて、素直に楽しい魔法ファンタジー映画になっている。逃げた魔法動物を捕まえるために奔走するというメインプロットも目的が分かりやすく観やすいが、メインの4人が基本的に「優しい人」というのが観て伝わってくるのが良いよね。ノー・マジ(人間)のコワルスキーは観客目線の代替者として魔法の世界を驚きの目で見るわけだが、この辺はベタな設定であっても彼のキャラが良いんだよなあ。ロマンスも含めて応援したくなりますよ。(見た目は小太りのオッサンなんだけどw) 一方、魔法新聞の紙面がザッと流れるプロローグで1920年代の問題を抱えた米国魔法界という世界設定をあらかた説明しているが、そこで触れているグリンデルバルドが「ハリー・ポッター」らしいダークサイドの担当者。劇中ではほとんど姿を現さないが、この辺が上手いよね。スキャマンダーの魔法動物追跡と、魔法界と人間界の対立構造の2本線で構成されたプロットがより上手く両立されているし、グリンデルバルドの思想が危険であるという匂わせ方が丁度いい感じ。コリン・ファレルが演じるグレイブスの二面性こそが映画としての面白みでもあるが、伏線やミスリードを入れながら上手く見せ切っていて感心。振り替えればベタな話だとは思うけれど、明るさとダークさのバランスや、話の起伏といった構成は良くできていると思う。 正直なところ、1920年代のニューヨークという舞台も含めて、個人的には「ハリー・ポッター」本編よりも本作の方が好みかもしれない。 それにしても…前情報を入れていなかったおかげもあって、グリンデルバルドの役者は実に良いサプライズでしたぜ。 |
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と黒い魔法使いの誕生 (2018年制作) |
収監されていたグリンデルバルドが移送時に脱走。彼は目的を果たすべくパリを拠点に活動を開始する。 全体的には"グリンデルバルドの野望"・"ニュートのティナへの弁解"・"クリーデンスのルーツ探し"の3つの軸で話が進んでいく。ただそのせいで少々とっ散らかった感もあり、色々と詰め込んだ割には2時間強の中で寄り道したり端折ったりといった部分が気になったというのが正直なところ。魔法動物の活躍(?)もこのシリーズの主題だから入れないわけにはいけないけど、やっぱり要素の多さとしてはストーリー進行にわざとらしさを感じてしまう部分もある。(ズーウーなんて特に。)個人的にはもう少し話を絞っても良かったかなあ。でもVFXを駆使した魔法の世界や魔法動物の世界は、3D演出の効果も相まって非常に見応えのあるものになっていたと思う。IMAX 3Dであれば前作にも増してフレームブレイクが効果的に使われていたし、エンターテイメントとしての視覚的な部分はとてもいいね。 ノー・マジのジェイコブ・コワルスキーは前作で良いキャラをしていたので、本作でも登場させたかったのは分かる。ただ忘却術をかけて綺麗に終わった前作の事を考えると、この様に安易に復帰するのはちょっと複雑な感じ。彼の人間目線での驚きもニュートとのバディ感も乏しくなってしまったしなあ。一方グリンデルバルドの目的…第二次大戦を起こす人間の打倒というプロパガンダは、クイニーをあちら側に着かせる展開にもつながったし驚きもあって悪くない。しかし彼の真意はまだ読み切れないな、まあその辺は今後の展開か。 この作品自体が続編への繋ぎとしての役目に終始しているので、そういう意味では色んな布石をバラ撒いただけで消化不良気味に終わった感じではある。その辺は割り切って観ないといけないのだろうけど、まだ5部作の2作目…。先は長いね。 |
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とダンブルドアの秘密 (2022年制作) |
信奉者を増やすグリンデンバルド一派は、近々行われる国際魔法使い連盟での首班指名での選出を狙っている。一方、"血の誓い"のために直接グリンデンバルドとの対決が出来ないダンブルドアだったが…。 大きなストーリーラインはタイトルの通り、アルバス・ダンブルドアの秘密がテーマになっている。彼が過去にグリンデンバルドを愛していたのだ、というのが彼の秘密。この辺は前作から匂わせていたのですんなりと理解。一方で、同時にダンブルドア家の秘密として、アバーフォースの息子の事実が明かされる。ここも前作でクリーデンスがダンブルドア一族であることをグリンデンバルドが言ったことを受けての流れとしては理解できる。ただ、クリーデンスの扱いは前2作の「物語全体の中で超重要なポジションっぽい」感じから、なんか格を下げられたんじゃないかという印象の扱いになってたのがちょっと気になったかな。 キャストはグリンデンバルド以外は続投。ダンブルドア役のジュード・ロウは年齢も貫禄も説得力があって良いね。ジョニー・デップから交代したグリンデンバルド役のマッツ・ミケルセンは、そのカリスマ性が本作の内容(指導者としての指名選挙に出る)にはとてもいい感じにハマっていたなあ。 全5部作予定の真ん中の話としては、クリーデンスの話に一区切りをつけ、グリンデンバルドの計画を一旦くじき、ジェイコブとクイニーも結婚に至ったという意味では間違いなく話の転換点になっているのだとは思うけど、前2作で仕掛けてきた要素をここまで畳んでしまうのはちょっと意外な感じではあった。こうなると残る要素は逃亡したグリンデンバルドとの決着と、ニュートとティナの関係の先行きってところか。ただ、ここから話を畳んでいくとしても時代は第二次世界大戦に入っていくわけで、戦争という時代の影でどの様に話が進んでいくのかは気になる。 |
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[超能力ユニット] |
同名アメコミの実写化作品。宇宙船を浴びた科学者4人の活躍を描く。 まあ、1作目なので彼らが如何にして超能力を得てスーパーヒーローとして確立したかに重きを置いて描かれてます。正直なところあまり期待せずに観たんだけど、そういう気持ちで観ればそれなりに楽しめました。少なくとも超能力を得たことで戸惑っている描写もあるし(ザ・シングはかわいそうw)、それぞれ活躍場面もあるし悪くないのでは。ザ・シングとヒューマン・トーチのホームコメディのような描写もアメリカ的で俺は嫌いじゃないです。 実写ゴム人間のビジュアルは、あえて実写で見るとやはり異常な世界ですなw 打撃系が効かないのはゴム人間としてのお約束か。ヒューマン・トーチの飛行シーンはなかなかの迫力でした。 |
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:銀河の危機 |
同名アメコミ実写化作品の第二弾。宇宙より飛来したシルバーサーファーが世界各地で異常現象を起こすが…。 人物の描写が前作よりも希薄になった感じがするせいか、少々物足りない印象。コミックファンからすればシルバーサーファーの登場には大いに盛り上がるところかも知れないけど、オリジナルはおろか「宇宙忍者ゴームズ」すら知らない世代の俺には、思い入れが薄い分乗り切れない感じ。まあ前作から観ていればキャラの特徴やそれにちなんだギャグも分かるのでそれなりには楽しめるけど、それ以上ではないかなあ。 予告編ではちっとも出てこなかったDr.ドゥームの再登場は意外だった。彼が絶対悪で、シルバーサーファーが味方に…というのも原作を知らなかっただけに意表をつかれた感はある。 個人的にはスーの結婚式に訪れたスタン・リーが、受付で疑われた上に追い出されるという(原作にもあるらしいけど)場面が面白かった。もはや本編と何の関係もないけどねw |
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(2015年制作) |
同名アメコミ実写映画のリブート作品。物質転送装置の実験中に意図せず超能力を手に入れた4人の若者の姿を描く。 助走が長い割に山が低い。どうも編集に難がるような気がするが、例えば本格的な実験が始まる場面では「失敗したらブラックホールが〜」の様な台詞があり、どうも一度実験して何とか上手くいったような受け答えをしている。だけど、明らかに唐突な感じがするので、実験1回目はカットされた?などと思ったり。ラストバトルでも場面が飛んでるような気がする箇所があるんだよなあ。そんな具合に「切られた感」のある編集が気になるのだけど、それでも100分の作品なのでそうまでして切ったということは元が余程テンポが悪かったのか…?などと勘繰ったり。 ザ・シングの登場シーンなど、リードが初めてザ・シングの姿を見るシーンで直前に一度画面に表れているにもかかわらず、その後の場面では部屋の隅の影から勿体つけて登場したりとどうもチグハグ。何かそういうところが引っかかって、ビジュアルはまあまあイケているのに“安い編集”に見えてしまうのが勿体なかった。でもDr.ドゥームは何故かわからないけど見た目も安っぽかったなあ。 そもそもドゥームは人間の時からクセのある人物として描かれてはいたけど、それだけど惑星ゼロでぶっ倒れて地球に運ばれた後、目覚めて暴れて星に帰って地球を消しにかかるという行動原理が説明不足な感じ。敵としての信念や美学も感じられにくいのでどうも乗り切れなかったかな。せめて個々の能力を生かした戦いなどで、もうちょっと頑張ってラストバトルが盛り上がってくれれば良かったのだけど…。 でもきっと最大の敗因は、スタン・リーがカメオ出演していないことだと思う。 |
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(2009年制作) |
ロアルド・ダールの児童文学を原作にしたストップ・モーションアニメ。 ストップモーションの人形アニメだけど、どこからどう見てもウェス・アンダーソンの作品。それは色彩のセンスなのか、話のテンポなのか、音楽なのか…。もちろん一番特徴的なのは舞台の様な被写体に対して平行なカメラ位置にあるのだろうが。原作が児童文学だから子ども向けかと言えば、ストーリーは擬人化された動物vs人間というファンタジックなものではあるものの、やはりその演出センスの小気味良さは大人が観ても楽しい。(犬だけ擬人化されないのはご都合だろうけど)それに、常に実写でチャンレジしていたその演出がアニメになったことで、より自由にイメージを表現できているのではないかとも思ったね。 Mr.FOXの声はジョージ・クルーニー。どう聞いてもクルーニーの声にしか聞こえないがど、軽快に演じている感じが良い。あとは正直クレジットを聴いて「この人だったのか!」と気づく配役が多かったけれど、アンダーソン作品常連のビル・マーレイやオーウェン・ウィルソンにウィレム・デフォーがいるあたりはニヤリとする。 全体的に分かりやすいギャグやノリが楽しかった中でも、個人的には目の演出がお気に入り。ブルーベリーを食べた犬の目や、話についてこれていない時の目。割かしリアル寄りな造形の人形劇なのに、ここだけすごく記号的でかわいいw |
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(1974年制作) |
「オペラの怪人」などの古典作品をベースに現代劇のロック・ミュージカルに仕立て上げたブライアン・デ・パルマの作品。 「ロッキー・ホラー・ショー」と並んで有名な1970年代のカルト映画だが、なるほど、セットなどのB級っぽい安っぽさを跳ね除ける力強さを感じる。(観る人を選ぶとは思うが。) 特に終盤、人でなしなレコード会社社長のスワンが、マジで悪魔と取引していたという秘密が明かされるあたりからの展開にはグイグイ引き込まれた。「オペラ座の怪人」の翻案かと思いきや「ファウスト」や「ドリアン・グレイの肖像」まで混ぜ込んでの奇々怪々な展開は予想してなかったなあ。 先にも書いた通り全体的にはB級っぽい雰囲気が漂うんだけど、ファントムを演じるウィリアム・フィンレイの眼力とスワンを演じるポール・ウィリアムズのイヤな人物っぷりが素晴らしい。オカマなロックシンガーのビーフがああいう風に殺されるのはちょっとかわいそうだったけど、途中で脈略無く最古のシャワーシーンのパロディが入ってきたのには笑ってしまった。これはさすがデ・パルマ、ヒッチコック好きだなあw “デ・パルマといえば”の画面分割も目立ってたよね。そしてハンディカメラ的な自由なカメラワーク、ドリーを使った役者の周りをまわるカメラワーク、そして固定カメラからのサイレントコメディ映画風な被写体の早送りなどなど、変幻自在な演出も面白いです。 |
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(2008年制作) |
「SW EP1」の公開迫る1998年。SWファンの若者5人組が、公開前のEP1を誰よりも早く観るためにスカイウォーカー・ランチへの潜入を計画し、カリフォルニアへと向かう姿を描いたコメディ。 まさに「『スター・ウォーズ』が好きだ!」っていう映画。この映画で描かれるパロディやオマージュを挙げればキリがないし、あえてそんなことはしないけど、間違いなく「SW」と「スター・トレック」の事を知らなければネタの9割は面白さを理解できない。ただバカが騒いでいるだけの映画に見えるだろう。でもそれが分かっていると思わずニヤニヤしてしまう様なネタばかりで非常に楽しいんですわ。 トレッキーとの確執はことある毎に描かれ、どっちもどっちじゃんという思いが強くなるが(w)、両シリーズのことを知らないと分からないネタがある以上、やはりどちらのシリーズもSF映画ファンにとっては“常識”だって事の証左なのだろうかね?俺はどっちも好きだけど、お互いに罵っている姿はまあ、醜いw ゲスト出演陣が(ファンにとっては)すごく豪華だが。門外漢のシャトナーはこんな映画に出るなんてシャレの分かる人だなあ。 さて映画のラストではついに「EP1」の公開日を迎え、ファン達は劇場で大歓声。そしてFOXファンファーレが鳴り、メンバーが一言。「もし駄作だったら?」…暗転。良いサゲですw |
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冒頭、唐突に聞こえるお告げ。“それを作れば彼が来る”、そして“苦痛をいやせ”、“やり遂げろ”。全ては父親への想いが聞かせた声だったのかもしれない。その声が野球というものを人生とした人たちを救う。まさに“夢の球場”。実在の選手のストーリーを絡めたことで、非常に感動できた。夢を追うことの大切さを考えさせる、現代のおとぎ話だと思う。 | ||
第三次大戦後、独裁国家となったイギリスを舞台に、一人ファシズムと闘う“V”と呼ばれるテロリストと、彼に会ったことで事態に巻き込まれていく女性の姿を描く。 そもそも“V”は国家転覆を狙うテロリストなわけだけれど、その国家自体は反政府主義者を弾圧し、偽りの報道で国民を欺く圧政国家なわけだ。だからこそ“V”は一見正義のヒーローのようにも見える。ただ、テロリズムを賞賛しているわけではないというのは大事。 元々コミック作品ながら、ウォシャウスキー兄弟の脚色もあって、現実の“あの国”を連想させるテーマがチラホラ見えて面白い。“V”という象徴がもたらす結末は個人的には面白いと思ったけれど、もうちょっとアンチヒーローのアクション映画を想像してたんで、そういう意味では意外だったかな。 |
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フィフティ・フィフティ (2011年制作) |
5年後の生存確率50%というガンを宣告された27歳の主人公アダム。闘病生活に入った主人公とその周囲の人々を描いたコメディドラマ。 難病モノなのにコメディとは不謹慎か…というと違う。この映画の笑いは主人公の人柄ゆえのものあったり、少し下品な親友の励ましであったり、人間関係という温かみからくる笑いだと思う。だから暗くならないし、無意味なお涙ちょうだいものにもなっていない。映画やドラマをネタにしたジョークもいろいろあって、俺の好みに合ったところもあるかな。「ドギー・ハウザー」を世代ネタにしたのにはウケたよw それでも真摯で前向きな人生を描いた作品で、非常に気持ちのいい映画だった。確かにガン闘病という過酷な状況によって主人公の感情は起伏するけども、その部分も主人公の環境変化が丁寧に描かれているので素直に感情移入できるんだよね。丁寧なんだけどテンポよく、サラっと描き切ってしまう演出が良かったと思う。 演じる役者はみんなハマっている。誠実そうな雰囲気の主人公役のジョセフ・ゴードン=レヴィットは表情が何とも言えない。悪友のカイル役はセス・ローゲン。彼のキャラにピッタリな悪ノリ系の男で、不思議とニクめない下品さには笑わせてもらったw けど、ヤツは本物の親友ってやつだね。新米セラピスト役のアナ・ケンドリックもイヤミのない新米セラピスト役で好印象。若手の良い役者たちの、良い映画でした。 |
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同性愛とエイズへの偏見という難しい題材だけに、観ていると色々なことを考えさせられる映画だった。その重いテーマの映画で、人の尊厳のために闘う主人公を、トム・ハンクスは見事に演じきってる。差別の中にあっても、支えてくれる家族や仲間、そして主人公の弁護士ミラーとの信頼関係。人の絆の強さと素晴らしさを感じる。主人公は悲劇だが、エンディングに流れる歌を聴いて救われた。 | ||
(2018年制作) |
今や大人となったクリストファー・ロビンは妻子とともにロンドンに暮らしていたが、日々の仕事に追われ家族との生活もすれ違い気味。そんなある日、かつて“100エーカーの森”で共に楽しい日々を過ごしたプーがクリストファーの前に現れる。 童話の後日談として大人になった主人公を描く話なら「フック」という映画もあったっけ。個人的にはどうしても「劇画・オバQ」を思い出してしまうような設定なのだけど、この映画の序盤も大人の価値観とプーが象徴する子供の価値観とのギャップに何とも言えない哀愁を感じてしまうのは自分がおっさんだからだろう。「『何もしない』をする」というテーマを話の背骨に据えて、分かりやすく構成されていると思う。 職場での難題に思い悩むクリストファー・ロビンの心情と共に灰色の世界として描かれる前半がちょっと重苦しいものの、“100エーカーの森”でズオウと対決するシーンあたりから吹っ切れた感じになって(劇中の色も明るくなって)面白くなっていく。エンディングもディズニーらしいハッピーエンド。できれば後半の感じのトーンでずっと楽しみたいという想いもあったが、この話が成立するのは前半の重さがあってこそなので…これはこれでいいか。完全に「かつて子供だった大人」向けの映画だと思うんだけど、子供が観たらどうなのかな。まあ“100エーカーの森”が動く姿だけで楽しめるかな。 その“100エーカーの森”の仲間たちは、ディズニーアニメ版のイメージを残しながら上手く実写のぬいぐるみに落とし込んでいたね。なかなか抱き心地がよさそうだけど、プーさんの毛の長さはハチミツが絡みつきすぎやしないかと別の心配をしてしまったw ちなみにエンドクレジットでピアノを弾き語りしている老人…いったい誰かと思ったらシャーマン兄弟の弟リチャード・シャーマンか! |
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(2022年制作) |
初めて観た映画に心を奪われた少年サミー・フェイブルマンは、親から送られた8mmカメラで"映画"を撮り始める。スピールバーグ監督の少年〜青年期の出来事を基に描いた自伝的作品。 こういう企画をやろうと思った事自体「スピルバーグも歳をとったなあ」と思う部分もあるけれど、彼がいかに映画に目覚めたのかという部分においての興味はそそられる。ただ、この映画はそういう"映画に目覚めた少年"を描いている面もあるけれど、やはり話の中心になっているのはタイトルにもなっている「フェイブルマン一家」としての彼にとっての両親の話だろう。("Fabel"は「寓話」という意味なので、タイトル的には「記憶を基にした寓話ですよ」というポーズもあるのかな。) 技術屋の父と芸術家の母。父の仕事で引っ越しを繰り返しながらも良い一家だったはずが、いつしか両親は離婚を決意する。そういう出来事が主人公の心にどういう思いを抱かせたか、というお話。「映画を撮ること」への憧憬も多く含まれてはいるけれど、根幹にある家族や両親への思いがしっかりしているからこそドラマとして上手く成立しているのだと感じる。特に母親への複雑な思いは思春期の少年には多くの影響を与えたに違いない。しかしこの映画はそれらを否定するわけではなく抱きとめているのだ。スピルバーグにとって両親の離婚がのちの作品に影響を与えたのは有名な話だけど、「そういった出来事があっての自分」として向き合っている感じがする。両親を演じるのはポール・ダノとミシェル・ウィリアムズは好演している。好演といえば、短いシーンでの登場ながらボリスおじさん役のジャド・ハーシュが良い。彼の「芸術家として生きるための覚悟」を示すような語りは印象に残った。 そんな具合に全体的には「家族の話」。そこに映画少年・映画青年だったスピルバーグのエピソードが散りばめられている感じだね。ラストでサミーが対面するのは"映画の神様"ことジョン・フォード。一介の映画青年が映画の神様に教えてもらえるなんて、例えそれが絵に書かれた地平線のことだったとしても、それだけでサミーが感動して天にも昇る様な気持ちになったのはものすごくよく分かる。ラストカットでスタジオの向こうへ行くサミーを捉えた画で、「あんなこと言われたのに地平線が画面の真ん中やん」と思ったら慌ててパンアップした場面には笑ってしまったw とても良いオチだw |
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ソシアル・クラブ |
忘れ去られていたキューバ音楽界の古老達が再び集い、演奏する姿を撮影したドキュメンタリー。主に2つのコンサートをメインに、彼らがこれまでの人生と音楽を語り、そして演奏するという流れの繰り返しだが、80歳を超えた人たちの言葉には重みがあり、またキューバという国が垣間見える。彼らの音楽は素晴らしい。まさに“円熟”というやつだ。そんな彼らがNYに行ったとき、サッチモやレイ・チャールズの人形を見て「彼らは素晴らしい音楽家だ」と讃えるのに対して、ケネディ人形には「指導者だろうけど、誰だろう?」と言う。音楽とはどんな言葉よりも世界中の人を結びつける力があるのかもしれない。この映画を観てそう思う。 | |
(2023年制作) |
1957年、エンツォ・フェラーリがフェラーリ社を設立してから10年が経った頃、会社は倒産の危機を迎えていた。 時代的には「フォードvsフェラーリ」(2019)で描かれた頃よりちょっと前かな。フェラーリの創設者、エンツォ・フェラーリの伝記映画ですね。フェラーリは劇中でもセリフとして出てくる通り「レースをする(資金を稼ぐ)ために車を売る会社」なわけだけど、鑑賞前はエンツォのレースへの情熱を描いた映画なのかな?くらいの予想でした。でも観てみると、レースのことより(もちろんレースへの執着も描かれるけど)「倒産しそうな会社をどうしよう」とか、「冷え切った(共同経営者の)妻との関係が大変だ」とか、「愛人とその子を愛しているけど子供の認知は出来ないよ」とか、そういう"人間"エンツォの悩みを描いた映画だったように思います。なのでなんとなく作風も重いというか暗いというか、あんまりすっきりさっぱりした話ではなかったかな。妻と愛人との関係や扱いとか、安全装置のない車のレースとか、そういう描写は(いいか悪いかは別にして)「時代だなー」と感じるところも多かったね。公道レース"ミッレミリア"の事も知らなかったけど、作中でも描かれた大事故で以降は開催されなかったということも今回初めて知った次第。 エンツォを演じる役者の見た目は「フォードvsフェラーリ」のレモ・ジローネの方がイメージに合ってたけれど、本作で演じたアダム・ドライバーも上手い役者なので、顔などの見た目の違いを演技力でカバーしていたとは思うね。劇中ではもちろん実在のドライバーがたくさん出てくるけど、さすがに昔のドライバー過ぎてちらっと名前の出てきたファンジオとかモス以外は全然知らない人ばかり。なのでポルターゴの事故死にはちょっとびっくりしたかも。 |
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子供を飛行機事故で失った母親が、その子供の存在自体を否定する周囲に対して、謎解きに奔走する話。 ハッキリ言って予告編の時点で“忘れられる”ことのタネは予想出来たので、期待せずに観ました。黒幕は案の定だったし、そういうコトにしてしまえば何でもありになるので、この映画はサスペンスでもスリラーでも何でもないと思う。じゃあ何なのかと言うと、これは母性愛の話か。ラストの対峙で勝てたのは主人公が女性であるが故のことでもあるし、そういう意味ではそのテーマを訴えんが為のストーリーなら納得出来る。 納得出来ると言っても、黒幕の行動はとても“実験”とは思えないような稚拙な感じがするなあ。どっちかというと、あいつらは“賭をしてた”っていう感じかも。賭に負けて飛んでいったわけかw 個人的には、非常に「サイン」に近い匂いを感じる映画でした。 |
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フォース・カインド (2009年制作) |
行方不明者数がアラスカ州最多の町、ノーム。不眠症を訴える住民が多く、地元の心理学者は彼らに催眠療法を試み、ビデオに記録するがそこには信じがたい映像が記録されていた。 …という体のフェイク・ドキュメンタリー。画面の半分に記録されたという“実際の”映像、そしてもう半分にミラ・ジョボビッチが心理学者に扮して撮影したという再現映像がかけられる。いわゆる証言ドキュメンタリー系でよく使われる“再現”を行うことで、真偽不明のビデオ映像をリアルと感じさせるという心理的な誘導を試みた実験映画。と俺は見ました。そういう意味では面白い構成だし、その計算は上手く機能しているとは思う。 しかしタイトルの「第四種接近遭遇」なんてことからも分かるとおり、一連の不可解な事象が“宇宙人の仕業”と訴えているわけだ。それで済ましてしまっては、ただのオカルト映画じゃないか。事実、「エクソシスト」の様な描写もあるわけだけど、この映画ではそこから少し逃げ道が用意してあって、「事件は妄想に取り憑かれた主人公が、妄想と自覚しないまま催眠術を使って引き起こしたモノ」とも取れる描写があったりする。「どちらを信じるかは、あなた次第」という劇中の台詞にもあるとおり、映画の内容もどっちとも取れるわけで、悪く言えばズルいw |
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〜世界を変えた男〜 (2013年制作) |
黒人初の大リーガーとなったジャッキー・ロビンソンが、差別に遭いながらも不屈の精神で闘い、認められていく姿を描いた伝記映画。 "やり返さない勇気"これがこの作品のカギであり、共感を生む部分だね。まだ差別の激しい'40年代の米国南部で遭遇する仕打ちは理不尽であり、そりゃあ感情的にはやり返したいと思うところだけれど…。だけど「同じレベルに落ちるな」と説くリッキー会長のの言葉通り耐えるロビンソンの姿に、観る者はシンパシーを感じるわけです。劇中でもその"シンパシー"に言及するシーンはあるけど、ベンチ裏で怒りに叫び耐えるロビンソンの姿を見ているからこそ、野球の実力で周囲に認めさせていく姿に感動しました。 そもそもこの時代に黒人選手を入れようとした会長の先進的な感覚がすごい気もする。彼がロビンソンを精神的にも導いたからこそ、この偉業がなったわけでもあるけど、疑似的な師弟の様な関係がまたグッとくるなあ。そのリッキー会長を演じるのはハリソン・フォード。ルックスもアクションスターから遠い感じになって、いい助演だったと思う。度々言及されるキリスト教精神の話も、この映画にあっては人間の尊厳を守り支えるための、宗教本来の姿を見た気がするね。良い人間ドラマでした。 |
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(2013年制作) |
「忠臣蔵」を題材に、架空の近世日本で主君を忙殺された四十七士が仇討ちを果たす物語。 冒頭で侍たちが狩ってる巨獣…麒麟を見せることで「これはファンタジーですよ」と高らかに宣誓。見た目こそファンタジー色の強い日本じゃない日本だけれど、でも「忠臣蔵」の根底にある忠義の物語がしっかりと描かれているので、物語としては違和感は感じなかった。むしろその武士たちの生き方に対するリスペクトがひしひしと伝わってくるので、日本人としてはこそばゆいw 架空の日本とはいえ、作り手は無知からメチャクチャやっているのではないことも伝わってくるしね。 ハリウッド映画としては、この作品は大河ドラマではなくあくまでエンターテイメント。そういう意味では中世の伝説や小説を基にしながらもアレンジすることの多い「ロビン・フッド」や「三銃士」と同じような感じか。日本の講談のネタだった「忠臣蔵」がそれらと同じステージに立てた事実は嬉しい気持ちもあるかな。 出演者は全員英語での演技だったけども、日本人役をきちんと日本人で配役してくれたことも有難いよね。主演のキアヌ・リーブスは日本人ではないけど、ちゃんと鬼子(原語では混血児)と蔑まれた設定で上手く話に組み込まれていると思う。多少ありきたりな反目と和解とかという展開もあるけど、アレンジ自体は悪くないよ。 |
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(2019年制作) |
1960年代、ル・マン24時間レースで4連覇中(のちに6連覇)のフェラーリ買収を試みたフォードは、契約直前に破棄してきたフェラーリへの意趣返しのために、かつてル・マンで優勝した米国人のシェルビーにフォードの勝利を請け負わせる。 モータースポーツの世界に存在する企業(フォード)、レース屋(シェルビー)、そしてレーサー(マイルズ)の論理。それらの思惑や感情がドラマチックな物語として描き出されている。細かいことを言えばレースの駆け引きや耐久戦に勝利することの難しさ、同企業の別チームの事などがかなり簡略化されている気はするけれど、そんなことはいい。映画として、ドラマとして、性格の違うシェルビーとマイルズという2人の主人公が、同じ目標のために協力して企業論理の横やりと闘いつつ困難なミッションをやり遂げるという…とても熱い人間ドラマを見た。こんなものを見せられては男泣きを禁じ得ないではないか! 個人的には、中盤でフォード側が嫌うケン・マイルズをドライバーとして採用させるために、シェルビーが出した提案に胸が熱くなったなあ。彼がマイルズを、2人で作り上げたマシンを信じてなくてはこれはできない。そしてそれを成し遂げてシェルビーに応えるマイルズ。マジで熱い。 もちろんレースシーンもド迫力。レーススピードの車に近距離で並走するカメラワーク、ドライバーの表情、ギアチェンジのダイナミズム。そして夜の闇、雨の水しぶき、端の見えないロングストレートへの加速。ああもうたまりませんw 本作の邦題はフォードとフェラーリの企業間の対決のようなイメージを与えるが、原題は"FORD V FERRARI"で真ん中の"V"は"VS"と言うよりは"VICTORY"の意味の方が強いかなという印象。ル・マンでの「フェラーリに対するフォードの初勝利」をもたらした2人の男の物語。そういうタイトルだと感じる。ただ、マイルズはレースに勝ったがル・マンの勝者にはなれなかった。ただの優勝を描くのであればもっと企業側の目線にすればよかったかもしれないけれど、この映画はあえてそのレースで優勝を逃したケン・マイルズとキャロル・シェルビーとの間に熱いドラマを見出したわけだ。本当に良いドラマだった。 |
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(1995年制作) |
ある大晦日、ロサンゼルスのホテルで右往左往するベルボーイの姿を描いた4話オムニバスのシチュエーション・コメディ映画。 ティム・ロスが演じるベルボーイが軸になって一夜の話が描かれるけど、「グランドホテル」の様な群像劇ではなくて基本的に4つの部屋の別々の話。オープニングクレジットは「ピンクパンサー」っぽくて、コメディをやるっていうポーズかも? 内容的にはそれぞれを別々の監督が撮っているのでテイストの違いもあって飽きは来にくいものの、クオリティにも差があるので全体的に見ると微妙な印象も残る。とはいえ“B級オムニバスというジャンル”といった趣味品としてはいかにもタランティーノが好きでやっているというのは凄く伝わるね。 1話目はスイートに泊まって怪しげな儀式を行う6人の女の話。トップレスの女がくねくね踊ってる姿は「死霊の盆踊り」を連想してしまう(苦笑) 内容も“男の精液を採取する”といった下世話な話(苦笑) 正直あんまりおもしろいとは思わなかった。 2話目は間違った部屋へルームサービスに行ったために、痴話げんかに巻き込まれる話。妻の浮気相手と間違われて銃を突きつけられるドタバタだけど、やっぱり下世話なネタでちょっと乗り切れない。 3話目はある夫婦から部屋に残す子供(姉弟)の面倒を見るように言われる話。この話はロバート・ロドリゲスが監督で、さっそくギラギラしたアントニオ・バンデラスが登場するところに観ているこっちはニヤニヤw 子供たちの「何か匂う」→「足が臭い?」からのオチは悪趣味で笑うが、帰ってきた親が目撃した部屋の有様はほんとにヒドすぎて最高w 4話目はペントハウスの上客からある依頼をされる話。導入部からまくしたてるような会話シーンの連続で、だれがどう見てもタランティーノの映画。というかタランティーノ自身が“有名監督”役で喋りまくってるけど、はまり役というか絶対自分を当て書きしてるよな、これw タランティーノ節を楽しみたいと思った時には十分な内容で、確かに面白かった。指を切り落とすオチの勢いも良いけど、描きたいのはそこじゃなくて絶対そこまでの会話だよなあ。映画のウンチク、腰の引けた男を口車に乗せる言い回し、それがやりたいってのがすごく分かる。主観にしたり長回しにしたりとカメラワークも遊んでいる感じで、個人的には一番面白かった。 |
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電話ボックスに掛かってきた一本の電話によって翻弄される男を描いたサスペンス。電話ボックスに釘付けにされるというシチュエーションは面白いけど、もう少しその状況を生かした何かが有れば良かったなあという気もする。結局天板にあった拳銃もそれほど重要な小道具にはならなかったし、警部と交渉人の確執とかももっと色々できそうなのに、ちょっと勿体ない。でも作品テーマが“傲慢男の贖罪と改心”だし、90分弱という上映時間を考えれば、そこに至るまでの緊迫感もあるし十分楽しんだけどね。 「電話を切ったら殺す」と言われたら錯乱するよなあ。主人公はある程度自業自得だけど、こんな目に遭うのはひどい。犯人は傲慢な人間に罰を与えている感覚かもしれないけど、十分犯人の方が傲慢だわ。まあ、個人的に一番ムカついたのは、訳の分からん娼婦どもですがw コリン・ファレルは相変わらず演技が良かった。低予算の賞品ではあるけど、きっちり仕事をしている。警部役のフォレスト・ウィッテカーも印象に残ります。 |
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マクナマラ元米国防長官の告白 |
キューバ危機、ベトナム戦争を米国防長官として体験したロバート・マクナマラ。彼のインタビューを通じて米国60年代の戦争を振り返るドキュメンタリー。 極めて正攻法なドキュメンタリーだけど、やはりその時代の事件の中枢にいた人の話を聞くというのは非常に重要なことと思う。彼は11個の教訓を示すけれど、それはその体験に裏打ちされたものだからね。全面核戦争を回避したキューバ危機。泥沼の戦争を止められなかったベトナム戦争。戦争とは何であるのか、非常に深く考えさせられる。 ただそのあたりの歴史を知っていることを前提に作られているので、キューバ危機って何?とか言っている人は、これを観る前に予備知識を入れておいた方が良いと思います。 |
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大富豪であるジョン・デュポンから、彼が新設したレスリングチームへの参加をオファーされた'84年のロス五輪レスリング金メダリスト・マーク・シュルツとデイヴ・シュルツの兄弟の運命を描いたドラマ。 実際の事件の映画化ということで、3人の登場人物…五輪金メダリストのシュルツ兄弟と大富豪ジョン・シュルツの伝記的な側面もあるけれど、全編を覆う不穏な空気がサスペンスドラマとしてもなかなかに魅せる。何といってもジョン・デュポンを演じたスティーヴ・カレルの演技。精神的な孤独をこじらせた男の翳のある感じがすごい。一方で、指導者としても優れ、人望もありそうなデイヴ・シュルツを演じたマーク・ラファロも良い雰囲気を出しているが、その対称性があるからこそ、なぜこの事件は起きたのかということが見えてくる感じですな。マーク・シュルツ役のチャニング・テイタムももちろんシリアス演技が良い。 実際には事件の動機が不明だったという事件だけど、作品としては「富豪の考えることは分からないな」ということ。ではなく、「母親を見返したい」「認めてもらいたい」といったある種のコンプレックスがデュポンを追い詰め、“キツネ(ソウル五輪の金メダル)を狩れなかった「猟犬」(デイヴ)を処分した貴族”といった暗喩をこめた話かとも思う。まあオープニングで猟なり乗馬なりの写真が写るわけで、それは貴族の趣味であるとともに「フォックスキャッチャー」という農場名と事件を引っかけてますよー、という意思表示かなと思った次第。 他方、夜中にデュポンとマークがレスリングの練習をする場面は、明確に同性愛の比喩かとも思うけれど、そこで事件におけるデイヴを含めた三角関係も示唆されているか。少なくともマークとデイヴのメンター(師匠)になりたかったデュポンとしては、どうしても人望でデイヴに敵わないという現実が苦痛でしかなかったのだろうし。結末として殺される謂れのない常識人のデイヴが射殺されるとは、つくづく痛々しい事件だね…。 |
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(1994年制作) |
主人公フォレスト・ガンプの半生を通して1950年代〜1980年代のアメリカを駆け抜けていくドラマ。 知能指数の足りないフォレストというキャラクターに対して観客がどの様な第一印象を抱き、そして物語の結末を見届けるのか、その入口から出口までがとても良く構成されていると思う。物語を通じていつしか彼の純真さに共感させられてしまうのだから、見事ですよ。羽が舞い降り、バスを待つフォレストの足元に落ちる。ラストは息子をバスで見送り、足元の羽が舞い上がる。羽は彼の象徴でもあるだろうし、バスもまた物語の象徴でもある。人生は色んな人を見送り、そして見送られて続くのだね。 彼の想い人であるジェニーというキャラクターはフォレストと対象的な人生とでも言う感じで描かれるけれど、本作の持つ米国の近現代史を追っていく面においては表裏の裏面というキャラクターを一身に背負わされている感があるかな。それは作劇の都合でもあるだろうけれど、そんな彼女の姿も“フォレストの主観”からすれば否定的ではないということが、極端なことを言えば米国が歩んだ道のりをすべてひっくるめての歴史=人生という印象も受ける。フォレストはいわばその狂言回しのような役割なわけだけど、それを史実と個人の半生とを使って絶妙なバランスで戯画化しているところがこの作品のユニークで面白いところだよね。逆に言えば、本作で描かれるネタを理解するには米国の近現代史のトピックを知っていないといけないわけだけど。 フォレストにとって大きな影響を与えたのはジェニーの他には母親、親友のババ、そしてダン中尉がいる。個人的にはベトナムで爆撃の迫る中、ババを探しにジャングルに駆け戻るフォレストの姿にこみ上げるものがあったなあ。「親友はどこにでもいるわけじゃない」か…。 そして、神を呪い、神と対決し、神と和解したダン中尉の人生もまた、米国の一面を背負うキャラクターとしてドラマの厚みを感じさせるものだったね。ダン中尉が救われたのは本当に嬉しい。 |
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第二次大戦中の豊後水道。そこで駆逐艦アキカゼに艦を撃沈されながらも生き残った米潜水艦の艦長が、一年後に恨みを晴らすべく新たな艦に乗り出航する。 「白鯨」っぽい話だけど、相手が旧帝国海軍となると日本人のこちらとしては複雑ではあるw 実写の潜水艦を使っている場面もあるけど'58年の映画だけあって模型を用いた特撮はそれなり。艦内シーンも息苦しさをそんなに感じない明るい雰囲気。でも史実云々は抜きにした潜水艦映画としては良いんじゃないでしょうか。艦長と副長やクルーの確執、爆雷時の撃沈偽装、息を殺した無音潜航、潜水艦映画のエッセンスがふんだんに入ってるしね。 主演のクラーク・ゲイブルはさすがに貫禄たっぷり。副長のバート・ランカスターは、この映画では今のジョージ・クルーニーとダブって見えた。雰囲気がね。 |
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1970年代から80年代を舞台に、ポルノ映画業界に“身一つ”で飛び込んだ主人公と彼らを取り巻く人間模様を描いたドラマ。 ポルノ業界を描いている…と聞くだけでムムッと思ってしまうけど、俺が観る前にそう思うように、劇中でも“ポルノの人”というだけで調停時に子供との面会を拒絶されたり、銀行から融資を断られたりしている。そういう偏見からは切り離されない業種なんだろうとは思う。 でも観てみればポール・トーマス・アンダーソン監督の作品らしい人間ドラマの映画だった。そういう偏見に晒された仕事かもしれないが、バート・レイノルズが演じる監督はある種の信念を持って生きているし、その彼の周りにいるファミリーはみんな(クセはあっても)快い人物ばかり。主人公はちと調子に乗りすぎて少々落ちてしまうわけだけど、人生紆余曲折はあっても最後には居場所にたどり着くんだという暖かみのあるドラマに思えたね。そういう意味だとウィリアム・H・メイシーの演じるビルは気の毒としか言いようがないが。 |
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(2013年制作) |
歴史の教師であるアダムは、ある日見た映画のDVDに自分と瓜二つの男の姿を見つけ、その男に会おうとするが…。 「難解である」という以外の情報を入れずに鑑賞した本作であるが、なるほどなかなか見応えのある作品だった。邦題から想像するクローン的なものではなく、そして一見してドッペルゲンガーかと感じる部分もハッキリしない。というか演出上ぼやかしてドッペルゲンガーかの様に見せているけれども、最後まで観れば「これは『ファイト・クラブ』」だなあと思った次第。ただ二重人格(または内面の葛藤、原題からすれば「敵」か。)であるということを劇中でハッキリ言っているわけでもなく、あくまで示唆として観客の受け取り次第という幅を利かせているのが、この作品の見応えに繋がっているか。ここに2人か1人かの論理性を持ち込むと面白くなくなるだろう。あくまで瓜二つの他人というマクガフィンとしての機能が良い。 意味深なキーワードや小物が散りばめられているところや、不穏な音楽と映像によって最後まで緊張感が持続する。その実、男の隠し事と欲望を描いたかなりパーソナルな世界の話であって、比喩的な表現だけでこうも引きずり込まれるかと感心した次第。最も意味深な“蜘蛛”は何の比喩だろうかと考えたが、「束縛の象徴である」という他の人の意見に自分としても同意。ルイーズ・ブルジョアのママン(蜘蛛の彫刻)を彷彿とする巨大な蜘蛛の映像が、蜘蛛(ママン)=母親(冒頭の電話の内容を含め)=社会的束縛を示唆するか。(蜘蛛が殺されそうな)秘密クラブは束縛から離れた欲求の解放。ラストに妻がクモに変身したのは、間違ってもカフカではなく、妻が母親になった瞬間だったということなんだろう。(産気づいた?) |
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(1951年制作) |
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」を元にしたディズニーアニメ作品。 あわてん坊の白ウサギを追いかけて“ふしぎの国”に迷い込んだアリスの物語が描かれるわけだけど、ひたすらに騒々しく不条理な展開が続き、おとぎ話とはいえ、話を追いかける分にはちょっとしんどい感じ。ただ、そこはディズニーアニメらしい音楽に合わせた見事な動画も堪能でき、一概に面白くないとは言えない。 夢の世界を描いている割には、意外と「首を落とす」などの残酷な言葉が平気で飛び出し、時代性を感じるところもあった。ハートの女王はパラノイアじゃないかw 今ならもっとオブラートに包んだ表現になるかなあ? 夢オチの作品でもあるし、アリスも状況に振り回されているだけで終わるので、結局何が言いたいのかもよく分からないのだけども、そのふしぎの国のイメージの表現力は60年後の今観ても十分スゴイと思う。特にトランプ兵の行進は、その動画の出来に総毛立ってしまいました。 |
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(2019年制作) |
2012年、ローマ教皇ベネディクト16世と後に教皇フランシスコとなるベルゴリオ枢機卿との対話を描いたドラマ。 カトリック教会にあって保守派と進歩派という2人の関係性がドラマにおける対立軸となっている。いくつかの回想シーンを除けば、ほぼ全編にわたって2人の教義への信条に基づいた問答だけで進むという…概要だけ聞くと退屈そうな話。しかしこれにどんどん引き込まれるのだから、構成の妙というか脚本の勝利というか。よくできている。 映画の前半は噛み合わない2人の姿勢が浮き彫りになり、観客側は2人の性格や信条を知る。ここだけ見ると頭の固いベネディクト16世に対して、民衆に近い進歩派のベルゴリオ枢機卿に親しみを感じるようになるわけだけど、後半で一転、枢機卿がなぜ民衆に近い生き方を信念に持つようになったかという過去の出来事を垣間見る。ここの転換がドラマとして上手かった。過去の、力が及ばなかった自分の行為に対する悔恨と贖罪がひしひしと伝わる。一方でベネディクト16世は作劇的には主人公の敵として現れるわけだが、話が進むにつれ観客も彼の心の孤独を知り、作品が終わるころには印象の違う人物像に変わっているのが良いね。 もちろんこの映画は事実をもとにしたフィクションで、実際に会話の内容がそうだった証拠もない。存命のローマ教皇を悪く描くわけもないので、バチカンのプロパガンダ(?)なんじゃないのと思ってしまわなくもない。しかしキャラクターの違う二人の関係性やそれぞれの信念の対立と相互理解に至る過程がドラマチックで見ごたえがあったのは事実だし、俺はとても面白く観れた。 シリアスな話の後にちょっとしたユーモアもいい感じ。枢機卿がピザに手を付けようとするが教皇の祈りが終わらない場面なんかはコントそのものw エピローグのサッカー観戦の場面もほっこりするなあ。 |
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地球温暖化問題を取り上げた講演を続けるアル・ゴア元米国副大統領の姿を追ったドキュメンタリー。 ゴア氏の講演内容をそのままビデオ化したような内容ではあるけど、講演内容がビジュアル的で分かりやすくプレゼン手法も見事なので、90分間しっかり見入ってしまう。多少悲劇的に煽りすぎてやしないかと考えもするけど、客観的に地球温暖化が危機的な状態のは間違いないわけで、多少強烈な方が知らない人にはショックがあって良いかもw 少なくとも啓蒙作品とすればこれほど力強い作品はないね。 エンディングに自分たちで出来る身近な取り組みを色々と示してくるけど、その中で「温暖化問題に取り組む政治家に投票しよう。駄目なら自分が立候補しよう。」というのが“アメリカだなあ”と感じた。 あの大統領選挙に落選してからも、自身の信念に基づき講演を続けてきたのかと思うと頭の下がる思いです。 |
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(1980年制作) |
長男が事故死し、二男が自殺未遂をした家庭。ギクシャクしていく家族を描いたドラマ。 ロバート・レッドフォードの演出は確かに初監督とは思えないレベル。主人公である次男が心を閉ざしたことが目に見える微妙な空気の原因かと思いきや、根本は母親の考え方や行動にあるのは明白。母親の態度は、世間…ソサイエティーに対する対面にしか目が行っていない様に見え、哀しくなってくる。一方の父親にしても表に出さないまでも思い悩み、それぞれ家族3人のすれ違い方が息苦しい感じ。この辺の描き方、切り取り方が上手い。 しかしそれを提示した前半が終わり、後半に話が動いてくる時にこそ、そのドラマには心動かされる。登場人物とシンクロしてしまうかのような感情の抑圧と解放。それを引き出す役割であるバーガー医師のカウンセリングも、序盤の事務的な態度とは裏腹な終盤の親身さに感動。プロだとは思うけれど、でもこの映画で最もいい人だ。 結末はすべてが丸く収まったわけではないと思う。けれど自分たちを見つめ直した父と子、そしてついに自分しか見ることのできなかった母親との別れは、納得できる結末だと思う。 |
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オリバー・ストーン監督が第43代米大統領ジョージ・W・ブッシュの半生を描いた伝記映画。 ブッシュ大統領の政策を強烈に批判した内容になっているかと思いきや、意外にマイルドな作品だった。ジョージ・W・ブッシュは、生涯を通じて“父親(第43代大統領J・H・W・ブッシュ)にコンプレックスを抱き続けた男”という解釈の元に、あくまで一人の人間としてとらえ、時に気の毒な境遇とも思える。でもこれは、ストーン監督の逆説的なと皮肉いうか…そういう風にとらえました。とどのつまり、器でない人間が大統領になってしまったことの皮肉を描いたブラックなコメディかな、と。 少なくともブッシュは歴代でも評価の低い大統領だろうけど、彼だけがダメなんでなくて、特に黒幕っぽいチェイニーと、何も考えてなさそうなラムズフェルドがブッシュを操っていた…という感じだよね。あと内容が誰かに同情的という点では、それはブッシュにではなくてパウエル国務長官に向けてだった気がする。 出演者は実際の人物のイメージにかなり近い役作りに成功してる。ブッシュのジョシュ・ブローリンはかなり巧いです。他にチェイニーもライスもパウエルも言われなくても誰かわかる。ただ、ジョン・グレンが演じたラムズフェルドだけはちょっと見た目の印象が違ってた。ジョン・グレンが悪い訳じゃないけど、他の人たちに比べるとあんまり似てなかった気が…。まあモノマネ大会ではないんだけどね。 |
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(2018年制作) |
タロン・エガートンを主演に「ロビン・フッド」のオリジンを描いたアクション映画。 何度も映画化され使い古されたキャラクターではあるけど、強権的な体制に立ち向かう義賊の話というのは物語としては描きやすいのだろう。そういう意味では本作はより「ヒーロー」的な描き方が強調されているように思う。表の顔は領主で、裏の顔は義賊という部分の強調は「バットマン」チックな要素もある感じだったな。アクション面では武器こそ弓矢を使うものの、冒頭からしてまるで銃撃戦の様な戦闘の見せ方や、コスチュームも非常に現代的なデザインを取り入れていて、“時代物”とは一線を画すようなテイストになっている。あくまでヒーローアクション映画として観れば、(どこかで観た様な感じのする要素はあるものの)そのあたりのアレンジがスピード感の増したアクション性もあって面白いとは思った。中盤の馬車での逃亡シーンは、「ベン・ハー」の戦車戦のようで結構好み。 ただ、勧善懲悪のストーリーとしては良くも悪くも定番的な展開ではあったしご都合主義な部分もあって、そのあたりにアレンジの限界を感じる気もする。個人的には暴力革命を推奨している様な感じがちょっと引っかかったかなあ。あと、囚われのジョンが都合よく脱走して最後にロビンを助けるラストの展開などは、あまりに上手く展開しすぎて拍子抜けもしたし、このあたりはもう一ひねり欲しかった感じ。 |
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(1984年制作) |
非行の元であるとしてダンスが禁止された田舎町に越してきた高校生のレン。町の息苦しさを感じた彼は卒業ダンスパーティーを計画するが…。 ケヴィン・ベーコンが若い!w(なにげにサラ・ジェシカ・パーカーも出てる。) まあ当たり前のことを書いても仕方がないけど、歳を取ってからは悪役の多い彼の若かりし青春スターっぷりは逆に新鮮だったりします。 ダンス映画…というよりPV的な感じでが強いのはTV文化の影響も感じるところ。でも名曲「フットルース」で始まり「フットルース」で終わるなど、映画としてノリの考えられた構造もしている。保守的な大人の抑圧からの解放という若者の気持ちを表現した話でもあり、青春映画としてはテンプレートともいえる王道的なものながら、単純な大人との対立に終始するのではなく対話で解決するあたりも良いね。まあ、他の不良であるチャックとの決着はちと短絡的だったような気はしたけれど。 町が保守的になった経緯にはちゃんと事情があり、禁止令を出した張本人であるところの牧師・ショーにも想いがある。序盤こそ彼こそが敵かとも思うのだけれど、事情が分かってくるにつれて同情したくなる面も見えてくる。また焚書しようとした市民を制止するなど、良心とは何かを理解している描写があるので、主人公の対話相手として観客側も納得できるんだね。 |
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(2014年制作) |
第二次世界大戦末期。ベルリンを目指して侵攻する連合軍の、ある戦車乗りたちの戦いを描いた戦争映画。 迫力の戦車戦。シャーマン戦車4輌による対戦車砲攻略戦に震え、そして凄まじいラスボス感を漂わせるティーガーIとの遭遇戦…。本物の戦車を使った臨場感はホントに見事。この辺は映像もさることながら、地響きといった重低音の効果も良かった。 ただストーリーはというと、残酷な戦場の描写や兵士たちの間に発生する連帯感といった部分はよく出来ているものの、親しくなった現地の女性がタイミングよく家ごと爆撃されるのは、ちと展開の都合がよすぎだとは思ったり。あと大まかな流れが「プライベート・ライアン」のそれとダブる部分もあった感じ。(「プライベート・ライアン」は「七人の侍」だけど。) 新兵のノーマンに、平時とは違う倫理観に支配された戦場を体験させる構造は「プライベート〜」におけるアパムだしね、ってまあこれは観客をその世界に引き込む窓役だから、ある種テンプレートみたいなものか。正直、話には引き込まれましたよ。 とにかくそこでは綺麗ごとが通じない。ブラッド・ピット演じるドンは敵兵に(特にSSに対して)容赦ないが、怒りの裏で垣間見せる苦悶の姿には、「やらなければやられる」という戦場の現実、そして多くの仲間を敵に殺されてきた過去が透けて見える。ノーマンに捕虜を処刑させるという残虐な方法も、彼がそういった現実に殺されない様にするため…という想いがあるのだろうが…。ドンのセリフである「理想は平和だが、歴史は残酷だ」(ブラピのアドリブらしいが)は、この映画のテーマそのものだね。 |
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(2012年制作) |
飛行中の旅客機に発生した危機的な自己。ベテラン操縦士の主人公は見事なテクニックで不時着してみせるが…。 冒頭の不時着シーンは見事なスペクタクル。しかし話の本編はそのあと、アルコール中毒・薬物中毒であることを隠し通すことが出来るのか…という話になってくる。ただ、映画を観て思うのは、この作品は事故がどうしたとかどうなったとか、そういうことを言いたいわけじゃないな、ということ。運命や選択によって、一人の男が自分の生き方が変わっていく様子を描きたいんだろう。劇中、ことあるごとに出てくる"神"のイメージは、主人公を試す大きな力を感じさせる部分でもある。末期がん患者は完全に預言者だしなあ。 公聴会の最後に運命の選択をするのは主人公自身。保身への葛藤の末に発した言葉は、他人を貶めてまで生き延びようとすることを良しとしなかった、これによって神は彼に刑務所に行くかどうかではなく、人としての救いを与えたのだろう。そんな感じで、個人的にはこれは宗教の映画だな、と思うわけです。 デンゼル・ワシントンはそういう主人公の人間臭いダメな部分を良く出してる…と思うけど、なんか抑え過ぎている印象も。対して、チョイ役のジョン・グッドマンはシリアスな作品の中で一人軽くて良い。 |
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(2014年制作) |
ニューヨーク発ロンドン行の国際線に搭乗した航空保安官の主人公・ビル。離陸後、彼の手元にある端末に匿名の強迫メールが届く。 飛行機という密室で起きる殺人事件が主題だけれど、届くメールの内容から同じ機内に犯人がいると推測される。(SMSというのが現代的。)その上で立て続けに時間制限の状況を提示して話をグイグイ引っ張っていくので、多少力技な展開でも観ている間は気にならない。犯人を推理するミステリーというよりは、如何に状況に対処するかというスピード感を重視したサスペンス映画としての面白さが良くできているね。 リーアム・ニーソン演じる主人公は少しヤサグレた感じなので、ヒーローというよりは乗客からも怪しまれる様子もあり、それはそれで盛り上げる部品の一つ。しかしそれ以上に、出てくる乗客がどれもこれも微妙に怪しいw 「明らかにこいつだ」という感じでもないところがイヤらしいが、メジャーな俳優がリーアム・ニーソンとジュリアン・ムーアだけなので、少しひねた見方をしたらムーアが怪しくて怪しくて…引っかかってしまいましたw(ルピタ・ニョンゴも今やメジャーだけど、制作のタイミングではアカデミー受賞前かな?) 犯人の動機を聞くと、今もまだ米国は9.11の影を引きずっているのだなと、少し考えさせられる。まあエンタメ映画のネタになるくらいには回復しているのだろうけれど。 |
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(2005年制作) |
19世紀初頭に出版されたジェーン・オースティンの「高慢と偏見」を原作にした恋愛映画。 女の幸せは「良い結婚相手を見つける事」というのが主人公の母親の“奮闘”ぶりからも見て取れるが、現代的な感覚で見るとやや滑稽。ただそこはコスチュームプレイ(時代劇)として、時に可笑しく、時に切実に当時と現代の感覚のバランスを取りながら映し出していると思う。そういうところが良かったかな。 恋愛というかロマンスというか、気持ちのすれ違いや自分の心に気が付くあたりの展開などはベタだけど、まあそこは200年前の小説だし。王道ってやつか。それよりも、気が強く頭も良いし男性にも物おじしない女性という主人公の設定や、運命の様に出会ったり遭遇したりそして求婚されたりと、女性の書いた本だよなあ…となんかストーリーラインからすごく伝わってきたがw 登場人物では主人公を演じたキーラ・ナイトレイの凛とした感じが良いね。個人的には理解のある父親役のドナルド・サザーランドも良いのだけど、ピンポイントで貫録たっぷりに憎まれ役を演じたジュディ・デンチが流石って感じ。 |
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恐怖の拡散者 (2019年制作) |
ある夫婦が授かった天からの贈り物。その子・ブランドンが12歳となった年に、彼の本当の“力”が目覚める。 「超常的な力を持った子供」というフォーマットもホラー映画によくある設定だけど、どこからどう見ても「スーパーマン」な導入部によってヒーロー映画を逆説的に描いたパロディに仕立てているのはユニーク。ただ内容的には「反抗期の全能感が実現してしまった子供」とそれに対峙する親いうストレートなものでしかなく、ドラマ的にはちょっと表面的。まあ冒頭の「スズメバチの説明」からは彼が“地球に送り込まれた意図”(サイヤ人かよとも思ったが)を感じさせる要素はあるものの、スーパーマンが闇落ちする理由にしてはちょっと力技が目立つ感じ。もしあの育ての親が最後まで庇い続けたら改心していたのだろうか…? どうかなあ。結局、その人の本性を決定づけるのは“環境ではなく生まれ持った血”だという内容を考えると、なかなかに意地の悪い話の様にも思った次第。 監督ではないが製作にジェームズ・ガンがいるので、ところどころ彼の趣味が垣間見える。ヒーローがテーマの一つになっている部分もそうだけど、無用にグロいところとかなんかは顕著だな。でもホラー映画としてはちょっと中途半端な怖さ。もっと振り切れてくれても良かったし、もっとパロディでニヤニヤさせてくれても良かったのだけど、なんか全体にオーソドックスな印象。 |
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飛行中の機内から忽然と姿を消した娘。母親は乗員や乗客に不審の目で見られながらも必死に捜索するが、彼女はある陰謀に巻き込まれていた。 あらすじを書けば凄くサスペンスぽい。ヒッチコックの「バルカン超特急」を彷彿とさせるシーンもある。が、オチがイカンすよ。どんでん返しでも何でもなく。そして犯人が主人公を選んだ動機も説得力に乏しい。実際にかける手間に比べて不確定要素が大きすぎるわけだから、そんな手段を使うメリットは少ないと思うんだけど…。 ある種、素直すぎたか。もうちょっと変化球があると面白かったんだけど、伏線が死んでしまってるよね。勿体ない気がする。個人的には鏡の使い方は上手いと思った。どこかで見たような手法ではあるけど、「そこに重要な何かが映るのか?」と思わず引き込まれる。まあ、結局特に伏線でも何でもなかったんだけどw |
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(1998年制作) |
第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦。オマハビーチの激戦をくぐり抜けたミラー大尉は、3人の兄が戦死したライアン4兄弟の末弟・ジェームズ・ライアン二等兵を、敵地から救出する命を受ける。 冒頭の上陸戦が衝撃的。手足が飛び臓物が溢れ出す画もショッキングだけれど、その場にいるかのような主観の映像で一気に引き込まれる。終盤の市街戦も圧倒的なリアルさ。スピルバーグの演出もあるが、カミンスキー撮影監督の色調の抑えたイメージが、戦場のくすんだイメージとモノクロ戦争映画の雰囲気を感じさせるのも良い。 ストーリーは「七人の侍」を思い起こす部分もあるけど、映画的なテンプレートとして効果的に使われているかな。皆キャラが立っているし、それぞれに役割がある。アパムは兵士として嫌われがちなキャラクターだとは思うけど、元々非戦闘任務の兵士の彼は、観客の代わりにその場に放り込まれた人物だからなあ。動けなくもなるさ。彼が最初で最後に撃った弾でドイツ兵を射殺するが、一度救った敵兵が戦線復帰して、逆に仲間を殺すという…戦場の理不尽な道理を見た後ではあるけれど、感情的な部分と投降兵に対する扱いとの部分で複雑な心境にもなってしまうね。 この映画には無名戦士というものはいない。(ドイツ兵の扱いは軽いが。)もちろん背景でバタバタ倒れていく兵士はいるけれど、テーマとしてはみんな名前があり、人生がある。ドッグタグで名前探しをする際の表現に最も出ている“死んだ兵士にはみんな名前がある”という事実をここで突きつけているのが大きい。生き残ったジェームズ・ライアンはそれを背負って人生を全うしようとしている。それは彼の責任でもあったろうけど、彼の話だけではなく、戦後に生きる全ての人は皆そういった兵士の上に立っているのだと感じさせるね。フーバーな任務でも、それを全うして戦った兵士に対するリスペクト。それがこの映画の魅力でもあるし、その上で戦争自体の虚しさを突きつける反戦映画でもある。 |
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突如発生した謎の感染性失明症。主人公は何故か発症しないが、そのことを隠して夫と共に隔離施設に入所する…。 他人との意思疎通に使っていたものを突然失った時、人間がいかに醜くなる(動物的になるか)と、それを乗り越えられるかを描いた寓話か。隔離施設のシーンなんて、分かりやすいくらいに人間の負が描かれているね。能力の喪失に対する恐怖から隔離された人々と、光を失ったことである種の区別がなくなった世界ではあるが、逆に発生する暴力による支配と差別。何とも考えさせられる内容ではある。 結局脱出後に“連帯”のすばらしさを説くといった感じの話になるけど、主人公は自分たちのコミュニティを守ることには頑張っているが、その他の路上の人は顧みていない。そのあたりは少々気にくわないが、そこも人間のエゴイスティックな一面ではあるかな。(むしろ扱いがゾンビ映画みたいだったよなw) 目の見えない世界を映画で描くということ自体は実験映画的なニオイがするけど、思ったほど捻った演出はなかった。そもそも“目が見えなくなる”ということ自体が“状況”を作り出すためのマクガフィンでしかないわけで、終盤に描かれる宗教がかったニュアンスは逆に設定上の逃げのような気もする。 |
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グリム兄弟の童話を元に、大胆にエンターテイメント作品として描いた作品。 話の作り方は「恋に落ちたシェークスピア」を思い出したね。原作者を主人公にして、彼の作品の一部をストーリーにちりばめて一本の映画にする感じは似てる。エンターテイメントにするために、史実は度外視した設定なんかもこういった作品ではありでしょう。 ただ、何か今ひとつ入り込めなかった。盛り上がりに欠けるというか…。もうちょっと展開をひねって欲しかった気はする。同ジャンルとしては、「スリーピー・ホロウ」の方がファンタジックで面白い映画だったよなあ。 |
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(2006年制作) |
有名ファッション誌の面接に来たジャーナリスト志望の主人公だったが、そこに待ち構えていたのは"悪魔"の様な女編集長だった。 タイトルロールである"悪魔"が登場するまでのくだりから、業界に無知な主人公を据えることで観客への説明も済ますあたり、冒頭からテンポ良し。「ガッバーナのスペルは?」というセリフ一つで、主人公の立ち位置を説明してしまう脚本のセンスは好きだな。さえないファッションだった主人公が見違える様になっていく様子も見どころの一つだけれど、個人的な趣味で言えばさえない頃の服装の方が良いのだが。まあそこはこの映画の本旨ではないのでw キャリアウーマンの話でありつつ、プライベートとの両立の難しさを軸にしてドラマは動く。主人公と"悪魔"の似ている部分と結果的に相容れない部分をして、キャラクター同士の共感が何となく爽やかな鑑賞後感を与えてくれていい作品だと思ったね。 アン・ハサウェイの軽快な演技もいいが、やはり見どころはメリル・ストリープのオーラ。ナイジェル役のスタンリー・トゥッチの助演もハマっている。ナイジェルは序盤の叱咤激励の仕方が良いなあ。 |
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(2022年制作) |
5000年前、古代都市カーンダックで独裁者の王を倒したテス・アダム。 その後封印されていたテス・アダムは、その王が作った悪魔の力を持つ王冠を巡る争いの中で復活するが…。 DCEUとしては11作目。アダムに関する単独作なので他の作品を知らなくても基本的には問題ない感じ。アダムを倒すために送り込まれるヒーローたち(JSA)はMCUのどっかで見たような能力な気もするけど、まあそこはそれ、アンチヒーロー的な性格のアダムとヒーロー然としたJSAのバトルや掛け合いはなかなか面白かった。ちょっと街を壊しすぎじゃない?と思う場面もあるけれど、それもご愛嬌か。 そんな具合にブラックアダムというキャラクター自体は面白いなとは思ったものの、逆に物語のきっかけを作るトマズ母子(アドリアナとアモン)はどうも行動が独善的に見えてしまっていまいちな印象。軍事支配された現代のカーンダックでギャングたちがもっと横暴にヒャッハーしているなら、それらを倒すためにトマズ母子が民衆を扇動する行為にも盛り上がりがありそうだけど、肝心のギャングが街ではただ検問してるくらいしか描かれないのでどうもトマズ母子の方が素行が悪く見えてしまう(苦笑) その辺のバランスはちょっと気になったかな。 結局トマズ母子には感情移入できぬまま最後まで観たけれど、アダム自体は演じるドウェイン・ジョンソンの迫力もマッチしていて良かったと思う。エンドクレジット中のワンカットではスーパーマンも登場して今後の展開に気を引かせる感じ。ただ実際にはヘンリー・カヴィルのスーパーマン役の続投が微妙な状況なので、今後DCEUがどうなっていくのかは気になるところ。 |
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(2021年制作) |
マーベル・シネマティック・ユニバースの24作目。米政府からの追跡を逃れ隠遁生活に入ったナターシャだったが、本人の知らぬうちに送り付けられていた"荷物"を狙われ、タスクマスターの襲撃を受ける。 時系列的には「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」の直後が舞台。なのでソコヴィア協定違反の咎められて政府に追われる身となっているわけだけど、内容的には逃亡劇が主体ではなくて、彼女の過去も含めた人物像の深掘りの回。彼女にとっての“家族”という存在の大きさを描くことで、「エンドゲーム」でもう一つの家族であるアヴェンジャーズのために彼女が選んだ行動の背景に厚みを持たせている感じかな。そういう意味で、かつてスパイのために演じた疑似家族の関係だった4人が再会し、それぞれの事情から共闘して再び“家族”として関係性を深めていく様子は上手く構成されているなと思う。 一方で、強い女性像・虐げられた女性の解放・強権的な男性に対する天誅といったテーマを直截に表現している部分などは、実に今日的な(ディズニーらしい)ヒーロー映画であるともいえる。ただドレイコフを“時代遅れな男”として本作の敵とするにはわかりやすいものの、逆にあまりヒネりが感じられなかったまま決着がついてしまった感もあったかなあ。まあ完結したフェーズ3の最中の話なので余分な広げ方ができないのも分かるけれど、もう一段裏に黒幕がいるとかあっても良かったかなとは思う。一応どんでん返し的な要素として、別の人物に化けるとか、フェロモンをかがないために(即効性があるものか?とは思ったけど)鼻を折って神経を切るとか、そんな終盤の展開で攻守の逆転を盛り上げようとはしているけど、設定的に後出し感のある要素が多かったのはちょっと気になるところ。 キャラクター的にはレッド・ガーディアンこと親父のキャラクターが、脳筋でニクめない感じなのが好きだな。もっと活躍してくれても良かったけど、まあ本作の主役は女性なのでそのへんはそこそこって感じか。妹役のフローレンス・ピューもなかなか良かったけど、彼女がヒーロー着地のポーズに関していちいち皮肉を言うのには笑ったw |
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(2018年制作) |
白人至上主義者の秘密結社"KKK"への潜入捜査を試みた黒人捜査官の実話を基にしたドラマ。 黒人がKKKに入会?という突飛な設定が興味深い話だが、実話を基にしているのが何とも「事実は小説よりも奇なり」。本作は多分に脚色されているとは思うのだけど、そこはそれ、スパイク・リー監督の味付けはとてもスパイスの効いたものになってたね。ある意味でシチュエーション・コメディに近いのかもしれないけど、人種差別主義者との対決というシリアスな題材をシニカルな笑いと緊張感でもってテンポよく描いたバランス感覚は良かったな。主人公を演じるのはデンゼル・ワシントンの息子ジョン・デヴィッド・ワシントン。「相手の侮辱に合わせてこちらも侮辱する必要はない」といった信念が透けて見える主人公の姿勢には好感が持てる。親子でスパイク・リー作品の主役を演じるっていうのは縁だね。 一方で、この映画を観るとこのお互いの憎悪がなくなる時は来るのか?と悲観的な気分になる。KKKの思想の根源は、マイケル・ムーアが「ボウリング・フォー・コロンバイン」で看破したように「相手に対する恐怖」があるのだろう。それによって起こされる行動が黒人にとって“白人至上主義者”に対する恐怖と憎悪の源泉となっているわけだが、逆に巡って巡って黒人(あるいは有色人種)が彼ら以外に対しての「あいつらは差別する」といった一方的な思想にもなっていないか。この溝は埋まるのだろうか。エンディングで映される現代に起きた事件映像は、それがいまだに解決していないこと実感させる。監督は「いまだにKKKがいる」ことに対しての怒りを込めているのだろう。"逆さ星条旗"が意味する「国家の非常事態」を声高に映し出すエンディングは重い。 劇中で何度も取り上げられる「国民の創生」(1915年)は劇映画としての様々なテクニックを完成させた映画史に残る作品だ。しかし内容は言及される通りKKKをヒーローとして扱っている作品でもある。個人的には「国民の創生」はその当時の空気や意識を描いた名作だとは思うけれど、もちろん現代の感覚には全くそぐわない。それを1970年代になってもそのまま教義の様に受け入れている様子自体が滑稽なわけだが…。1970年代と2010年代は何か変わったのか?監督からの問いかけに、しばし考える。 |
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(1977年制作) |
マイアミで行われるスーパーボウルでのテロ組織「黒い九月」の爆破テロ計画が発覚。モサドのカバコフ少佐は計画を阻止するため米国に渡る。 「黒い九月」の女テロリストの計画と準備の様子がしっかり描かれ、それにより追う側であるカバコフ少佐達との駆け引きにリアル感と緊張感が生まれ、実に見事なサスペンス映画に仕上がってます。'77年当時に米国を狙ったテロ攻撃を描いたのもすごいが、何より「お前達(イスラエル)の行いが『黒い九月』(女テロリスト)を生んだのだ!」と劇中で明言するところが良いね。テロリストや協力者である復員兵の怨念のような感情も描かれているので、観ている側としてはテロリストの方に肩入れしてしまいました。 役者はカバコフ役のロバート・ショウ以外はあまり知らなかったけど、その分、先入観無しにキャラクターを見られたので良かったかも。終盤はテロ計画により一大アクション映画のようになっていくけど、一部マット合成などにちゃちな部分もあって時代を感じさせる。しかし下準備から見せられているのでしっかり話に入り込めたかな。 冒頭の計画を話し合っている場面で、おそらく日本赤軍と思われる日本人が登場し、爆薬の密輸に手を貸す船も日本の船舶というのが、日本人として少し心苦しいけど仕方がない。 |
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(2015年制作) |
80年代前半にボストンの裏社会に君臨したジェームズ・バルジャーと、バルジャーと幼馴染でFBI捜査官のジョン・コノリーの関係を描いた実録映画。 予告編から想像するクライム・アクションやサスペンスの類ではなく、完全に実録裏社会モノといった感じの渋い作品。原題を直訳すれば「黒ミサ」か、なるほど。ジョニー・デップ演じるバルジャーがFBIの情報屋となって裏社会を牛耳っていく過程が描かれるが、渋すぎて作品としてはちょっと地味かもしれない。特殊メイクの効果もあるが、後半のバルジャーのオーラはすごく良かったけどね。特に食卓での「秘密のレシピ」のくだり。こいつはヤベえ奴だ…と、そこまでの積み重ねもあってすごく伝わる。 バルジャーと“協定”を結んだFBI捜査官のコノリーも、最初は「毒をもって毒を制す」くらいの正義のベクトルがあったんだろうけど…。次第にギャングの世界に飲まれて、“自分への見返りを守る”転じて“バルジャーを守る”へと目的が変わっていく感じを、演じたジョエル・エガートンが上手く表現してるね。ただこういった関係性の物語は、ボストンでのアイルランド系やイタリア系ギャングの関係や、“サウシーの絆”といった社会性をくみ取らないと分かりにくい部分もあるかも。 劇中ではIRAへの武器提供なども描かれるけど、時代背景も重要かな。そこにバルジャーのアイルランド系としての誇りの様なものも感じられる。非常に強暴で冷酷な人物だが、一面では家族やコミュニティに対する想いもあるようだし、単純に悪漢というには複雑な人物の様な気もする。実際には部下のフレミが行ったこともバルジャーの主犯として描いている部分もあるようなので、そういう部分には映画的な誇張はあるかもしれない。 |
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セックス依存症の白人女性と、彼女を更生させようとする黒人ブルースマンとの交流を描いた作品。 白人女性を黒人男性が鎖で繋いで軟禁するという、とんでもないシチュエーションw しかしそこで描かれるのは実にヒューマンなドラマでした。(トラウマから来る)女性の行為を治療しようとする敬虔なクリスチャンの黒人ラザラス(サミュエル・L・ジャクソン)の行為は、ちょっと突飛なところもあるけど凄く同感できる。ブルースで魂に語りかけるかのような音楽の使い方がまた良いです。 女性を演じたクリスティーナ・リッチは見事な体当たり演技。もはや性格俳優として確固たる地位にいる気がするなあ。まだ若いんだけど、やはりキャリアの長さが違うか。このまま彼女らしい演技を発展させていって欲しいと思いますね。 個人的には少年のリンカーンが訪ねて来るシーンで、彼が家に入ってからラザラスが帰ってくるまでを、ロングになりながらワンカットで描いたのが印象に残ってます。 |
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(2010年制作) |
「白鳥の湖」のプリマに抜擢された主人公のニナ。彼女は演じきれない役へのプレッシャーと、代役であるリリーの評価の高さに焦りを募らせていく。 強迫神経症によって妄想にとらわれていく様がよく出ている。画面はほぼ主人公の主観としての立ち位置で、現実と妄想が入り乱れての圧迫感は見事。鏡を使った気味の悪い動作のズレの演出も良い感じです。というか、カメラが映りこんでいないことを考えると、鏡の向こうの映像はかなり視覚効果の手が入っている様に見える。 話は単純で、自分を抑えつけている存在、その自分という存在を解放しろ、という話。バレエが題材であるけど、バレエは状況を作る道具でしかなく、主人公の精神的分裂の描き方にこそこの映画の面白さがあるかな。役への重圧も、母親の存在も、ライバルの突き上げも、すべてがストレスでしかない主人公の主観は、全体的に非常に圧迫されて息苦しく気味が悪い。だからこそ、最後の最後で解放され、憑きものがとれたような"白鳥"のラストが生きてくる。良いです。ナタリー・ポートマンの演技は、ダンス云々よりも、その体型を作ったことと光と闇の演じ方について感心しました。 鏡を使った演出や、腹に刺さるガラスなどは今敏監督の「PERFECT BLUE」を髣髴とさせる展開ですね。 |
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五輪テロの真実 (1999年制作) |
1972年ミュンヘンオリンピックの選手村で起きた、パレスチナゲリラによるイスラエル選手の人質事件。ドイツ政府関係者、選手の遺族、そしてゲリラ本人のインタビューと共に、そこで何が起きていたのかを描いたドキュメンタリー。 一方の視点だけではなく、関係したそれぞれの組織や人物の立場の目線で構成していて、ドキュメンタリーとしての真摯な姿勢が素晴らしい。「あれ以前、世界は我々の苦悩を知らなかった。あれで“パレスチナ”という言葉が世界に広まった」と実行犯は語る。彼らにとってそれをすることは正当な行為であったし、事実それによって世界はパレスチナを知ったんだろう。だけどその一方で、殺されるいわれもない人間的に素晴らしい人物が人質になり殺されていた。そして被害者の選手達にとっては悲劇でしかない。 テロが正当化される事はあってはならないけど、この事件が起きた事実は受け止めるべきだし、何故こんな悲劇になったのか、と深く考えさせられるね…。 この事件に対しての対処を行った西ドイツは話にならない。テロに対応する能力がなかったのかも知れないけれど、計画も行動もずさんすぎる。対処を間違えなければ、空港での人質全員射殺という悲劇は防げたのかもしれないのに…。 |
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1947年のロサンゼルス。後に「世界で一番有名な死体」と呼ばれた女性の変死体が発見される。その事件を捜査する刑事の姿を描いた作品。 色々と「ああ、デ・パルマの作品だなあ」と思える演出はあるものの、話の進行が唐突なところが多くてとまどいがち。この映画、噂では“原作に忠実な展開”ということなんだけど、作中の話の飛び方から察するに、結構原作の要素を切ってしまっている?最後まで見れば前フリがちゃんとあるのは理解出来るけど、総じて繋げ方が不親切な気がするんだよなあ。 きっと原作は面白いんだろうなと思ったり、2時間という尺に納めるために苦労したんだろうなあ、なんて事ばかり思ってしまった。 |
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(2018年制作) |
MCUとしては18作目の単独ヒーロー映画。父王の死によって国を継ぐことになったティ・チャラことブラックパンサーの姿を描く。 時系列としては「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」の後の話。ブラックパンサーの単独映画なので、アフリカにある超技術国家ワカンダの王族としての使命や決意といった彼のアイデンティティが主なテーマとして描かれている感じ。平たく言えば“平和や世界貢献の思想に対するベクトルの違いが生んだ一族内のイザコザ”といった内容でしかないが、展開は伏線と回収がよく纏まっているのでとても観やすい。超科学SF+アフリカ・ファンタジーといった趣の世界観もなかなか面白いね。ただ展開自体はソツなく作りすぎというか、意外性が乏しいというか…。良く言えば王道。「どうせ死なないよね」とか「そんなこと言って助けに来るんでしょ」とか、ある程度読めてしまうのはちょっと勿体ないかなあ。 一方、現在のアメリカ社会というか、トランプ政権への当てつけの様なテーマが内包されているのが今時な感じ。ヒーロー映画というエンタメ作品ではあるものの、アフリカが舞台であり黒人が主役の話でもあるので過去の奴隷制や黒人差別への言及もちゃんとされているし、その辺がアメリカでは評価されそうな内容だとは思った次第。個人的にはこれでもちょっと主張が強く感じたけれど。 アクションシーンは肉弾戦・格闘戦の割合が多めな印象。あんまり早回しも使ってないし、最近の映画にしては殺陣(というかカット割り)も若干もっさりな感じに思える部分もあったかな。それでも大人数のアクションや、派手めのカーチェイスなどはさすがハリウッドって感じ。 |
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ワカンダ・フォーエバー (2022年制作) |
MCUとしては30作目の単独ヒーロー映画。ブラックパンサーことティ・チャラ王の亡き後、ワカンダはその母ラモンダが女王となって治めていた。一方ヴィブラニウムを巡って各国が動いていたが、米国の海上調査施設が何者かの襲撃を受ける。 冒頭、いきなりティ・チャラが亡くなってしまう。観客はティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマンがこの作品公開の2年前に大腸癌で亡くなっていることを知っているし、代役を立てないという方針も知った上で観ている。なので突然ティ・チャラが亡くなるという描写も当然のこととして受け入れてしまうのだけど、MCU全体の流れで言えばそこへの前フリもなくあまりにも唐突な展開になっているのは否めない。 シュリがブラックパンサーを引き継ぐ流れは悪くないと思う。個人的に気に入った場面としては、ラモンダ女王が「私の家族はみな消えてしまった!」と悲しみに怒るシーンと、幻影のキルモンガーが現れるシーン。あとはラストの喪明けと追悼を重ねた場面かな。ただ、ヴィブラニウム探知機の話からタロカン帝国との“同盟か敵対か”の話までテンポが良いかと言われるとややイマイチな感じもするし、ストーリーとしては追悼要素(シュリの気持ちの整理)を納得できる形で入れたがために尺が長くなりすぎた感もある。役と役者を同一視した結果の内容であるとはいえ、良く言えば観客を信じているのかもしれないけど、それに対する良し悪しも色々と考えさせられる作品だった。 |
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1944年のオランダを舞台に、家族をナチスに殺害された女性が、レジスタンスのスパイとしてドイツ将校に接触を図る戦争ドラマ。 ポール・ヴァーホーヴェン監督らしいエログロな演出も見られるけど、でも本筋である戦争ドラマとしてかなり気合いの入った作品になってました。やはり自身の戦争体験もあって思い入れがあるんだろうね。 ストーリーは“色気で将校に近づきスパイする”というのが本筋なんだけど、案外早く、中盤には将校に看破される。こんなに早くバレてどうなるのか?なんて思いもしたけど、それでもグイグイストーリーを引っ張っていく展開は上手かった。ただ、どんでん返し的な展開は多いものの不思議なことに驚きが少ない。というのは基本的に誰も信用できない(序盤でそう台詞にも出てくる)世界だと刷り込まれているからなのかなあ? どんでん返しにしてもそうだけど、後半の小道具に至るまでちゃんと序盤で伏線を張っているところがニクいね。そういうところを丁寧にやっているので、この話に観客が入り込めるのでしょう。まあ、疑問点と言えば、ワナがあることを知っている人物がそこに行ったのは…?くらいかな。(弾が当たらない自信があった?w) |
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ひたすらリアルな戦争描写。戦争の非常さと残酷さを、余すところなく体験した気分になる。見終わった後も、高揚感や感動を感じると言うよりは、何のための戦争だったのか?正義とは何なのか?といった疑念を感じる。丸々2時間戦闘シーン、「パール・ハーバー」とは対局にあるリアルさと演出で、圧倒されました。同じプロデューサーなのに、方向性が全然違います。いい事ですが。しかし、あの手術シーンは痛すぎる! | ||
NYで逮捕した一人の日本人。その男を日本に送還することになった刑事が日本到着直後に男に逃げられ、大阪府警に疎まれながらも捜査を始める。 この映画は松田優作の遺作であり、彼の異常に熱を帯びた演技がひたすら印象に残る。はみ出し刑事物としては普通の出来なんだけども、その松田優作の演技が観る者を引き込むね。あと、米国人から見た異文化世界の大阪が、リドリー・スコット監督の手にかかるとまるで「ブレードランナー」の様なイメージになっているのが、大阪に住む人間としては非常に面白い。なまじ知っている土地なだけに、映っているロケ地がどこか考えてしまって集中しにくいがw 妙な日本の表現は多々あれど、日本を小馬鹿にしていた主人公の刑事(マイケル・ダグラス)が、次第に日本の刑事(高倉健)と友情を結ぶストーリーは日本人的には悪くない。主人公も同僚を殺された復讐のみに走るのではなく、ラストはホシとしてあげるわけで、そういう成長もあるわけだし。ただ、序盤のいくつかの振りがいまいち後半に生かせていない気もするし、ラストの銃撃戦なんてハリウッド的ではあれど、日本を舞台にしている意味がないというのも事実。 |
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1999年のシエラレオネを舞台に、“紛争ダイヤモンド”利権をめぐる内戦や悲劇を描いたサスペンス。 一見するとサスペンスでありアクションである娯楽映画。しかし消費者の知らない“紛争ダイヤモンド”の出自をこれでもかと見せつけるそのストーリーは、先進国の人間としてショックを受ける。反政府軍に拉致され、兵士となる子供。マシンガンをぶっ放す彼らの姿は絵空事事ではないことを理解しないといけないんだよな。 ディカプリオはそのダイヤを密輸する傭兵アーチャーの役だけど、良い演技をしてました。カネのことしか頭にない男が次第に変わっていく様を自然に演じてたね。そして彼に影響を与えていく現地人ソロモンを演じるジャイモン・フンスゥも素晴らしかった。ストーリー上、利用する側とされる側という両者ではあるけど、バディ・ムービーとして良くできていると思う。あと、ジャーナリストを演じるジェニファー・コネリーね。彼女とアーチャーのような関係は、けしてハッピーエンドではないけど俺は好きです。 筋としては、危機になった時にご都合的に切り抜けるような箇所もあったけど、そこは“お話”として俺は納得しました。娯楽映画の皮を被って“紛争ダイヤモンド”の問題を教えてくれる良くできた映画ってことで。 |
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1972年に北アイルランドで起きた血の日曜日事件。その一日の出来事をドキュメンタリータッチで描いた社会派ドラマ。 デモを引率する下院議員、デモに参加する若者、デモを抑えようとする英国軍の三者を当事者が映したかのように描く演出法は、同監督が撮った後の「ユナイテッド93」にも通じている。それが極めて臨場感の高い、それでいて客観性を失わない社会派ドラマにさせているねえ。 人口の光源を用いず、手持ちカメラで追っていく映像は、まるで現実と錯覚する様。でもこれは劇映画だけども実際に起こった事件を扱ったものなんだよな。劇中、軍隊が市民を虐殺する恐ろしい場面が出てくる。しかし平和的なデモ行進に参加した市民(若者)の一部も、英軍に投石行為をして挑発いる。その場の空気が恐ろしい。 エンドクレジットが終わっても流れ続けるU2の“Sunday Bloody Sunday”の演奏がさらに心を揺さぶってくるわ。 |
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アメリカ人にとっての“戦争”とは、ベトナム戦争以前と以後で意味が大きく変わってしまった。「地獄の黙示録」は圧倒的な狂気の世界だったが、この作品は一兵卒の目を通じてベトナム戦争自体のリアルを描いている。良心の意味を持たない世界が広がっている。そこにエリアスとバーンズという対極な兵士の行動を見せることで、戦争状態とは何かを考えさせられる。エリアスは善意(この場合は“常識的な”と言う意味)の兵士だ。兵士としての任務を全うするが、新兵をいじめることもしないし、民間人に銃を向けることもしない。対するバーンズは兵士としての能力こそ高いが冷酷な男。平気で村民を射殺し、子供にすら銃を突きつける。今の時代に生きている人間にとってエリアスが正しいことは一目瞭然。しかしベトナムという所はそういう場所ではなかった。エリアスが天を仰いだ時、戦争における良心など無意味だということを突きつけられる。主人公はラストにこう語る、「俺たちは自分自身と戦っていた」「俺はエリアスとバーンズの間の子だ」と。良心と冷酷さが対峙する狂気の世界。そして正義だと信じていた自分たちの本当の姿。ベトナム戦争がアメリカ人に残した傷跡が、この映画から分かるような気がする。 | ||
(2012年制作) |
ティム・バートンが1984年に発表した同名短編映画の長編リメイク。愛犬スパーキーを事故で亡くした主人公の少年ヴィクター。彼は雷の力で死者をよみがえらせる装置を作り、見事にスパーキーをよみがえらせるが、それが引き金となって騒動が起きてしまう。 元々は実写だったらしいけれど、本作はストップモーションアニメでしかも3D。そして実にティム・バートンが趣味がにじみ出た作品になってますな。「フランケンシュタイン」「魔人ドラキュラ」のようなユニバーサル初期のホラーのような、彼の好きなジャンル映画へのオマージュがそこかしこに。お約束の風車もちゃんと出てくるし、もう趣味で作ってるよね、これw まあ"フランケン〜"を名乗る以上はストーリーラインはある程度読めるのだけど。ただ趣味を詰め込んできたクライマックス前のドタバタは非常に愉快。怪獣映画の…どう見てもあの怪獣まで出してくるとは。あの超展開には笑ったw 監督が楽しんで作っているのが透けて見えるので観ているこちらもなんだか楽しくなってしまうのだけど、それこそ作り手の嗜好やジャンル映画についての知識が前提になってしまうので、そういう意味では間口は狭いかも?でもやっぱり良くできた映画だとは思う。ストップアニメーションとしても一級品だし。 主役の少年たちは子役が演じているので俺の知らない役者だけど、大人側の配役はマーティン・ランドーやウィノナ・ライダーだったりと、いかにもバートン組といった感じ。劇中のテレビに映る「魔人ドラキュラ」で、若き日のクリストファー・リーもしっかり登場。 |
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(1931年版) |
メアリー・シェリー原作の同名小説の映画化作品。 歴史的に言って、この映画の怪物・研究装置・風車小屋のイメージが後世の映像作品に与えた影響は計り知れないものがあります。確かにこの作品を観ればそのイメージの鮮烈さは脳裏に焼き付きますわ。 ストーリーはかなり簡略化されているものの、原作をちゃんと追っているのには驚いた。観る前は怪物のイメージだけの原作から逸れたホラー映画かと思っていたからね。なので原作に沿っている分、人間の傲慢さ、人造人間の悲劇は描けているし、ラストなどは怪物の運命に肩入れしてみてしまうと物悲しくもなるわけです。 でも結局のところ、この映画では怪物は怪物でしかなく倒すべき存在として描かれている気はする。当時の価値観としてハッピーエンドで終わるためだとしても、それを生み出した人間の責任が問われない(多少因果応報な目には遭うが)のは、今の価値観で言うと釈然としないモノは残りますね。 |
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(1935年版) |
大ヒットした1931年のモンスター映画、「フランケンシュタイン」の続編。 冒頭、バイロンとシェリーと、当の作者であるメアリ・シェリーが「フランケンシュタイン」について語り合うという、何ともメタな感じで始まる。怪物自体は前作のラストに焼け落ちた風車で死んだと思われたわけだが、「実は続きがあって…」と「作者が言ってることだから」という免罪符にしているわけだ。ずる賢い脚本家w それはさておき、内容自体は前作ではオミットされた原作の要素をいくらか再構成したものなので、強引な続編の始まりでもあながち「フランケンシュタイン」の物語として見当はずれなものではない。怪物と盲目の老人との交流(この場面は良いよね)や、伴侶となる怪物を求めるところなどは怪物の孤独を的確に表現する描写だが、そういったところは原作にもある要素ですな。一方でマッド・サイエンティストなプレトリアス博士はオリジナルだけれど、これは話を進めるためのキャラクターといったところだろうか。 なぜ「怪物の花嫁」ではなく「フランケンシュタインの花嫁」(原題も同じ意味)というタイトルになるのかはよく分からないが、まあキャッチーではあるか。冒頭、プレトリアス博士が見せる小人の人造人間などは、特撮合成がお見事。 |
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(1994年版) |
メアリー・シェリー原作の同名小説の映画化作品。 ユニバーサルの'31年版以降に作られた怪物のイメージではなく、原作の世界観を忠実に描こうとした作品。なのでホラーやモンスター映画というよりは、望まれず創造された異形の怪物の悲哀が前面に出た人間ドラマと言える。もちろんタイトルロールである学生・フランケンシュタインが主人公ではあるけど、人間の飽くなき探求心が招く悲劇の体現者であって、どちらかというと科学万能に対する疑念というテーマ的には、否定的な存在かな。 怪物を演じるのは名優ロバート・デ・ニーロ。彼に演じさせればさすがに怪物すらも感情移入の対象にw まあ盲目の老人やその家族との話のような、実に切ないエピソードが効いているのだけど。「名前もくれなかった」という台詞は泣けます。それにしてもアップに耐えるツギハギ男の特殊メイキャップが良くできているね。 基本的に原作に忠実なストーリーになっているけど、端々に過去映画のオマージュも感じさせる。(花嫁まで作るのはやりすぎ?) 監督兼主役のケネス・ブラナーはシェイクスピア役者だからなのか、屋敷のセットなど(特に大ホールの階段)はまるで舞台の様な雰囲気で演出していて悪くなかった。燃えるエリザベスのシーンなどは不自然に火が燃え広がってるけど、ビジュアルとしては劇的で美しい。 |
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(1959年版) |
突如飛来した空飛ぶ円盤。外宇宙から来た彼らの目的は墓荒らし。 史上最低の監督として名高いエド・ウッドの代表作。映画を撮りたいのだという情熱は感じられるものの、情熱だけではどうにもならない質の低さには、ある者は頭を抱え、ある者は失笑すること間違いない珍品。迷作を期待していればその期待を裏切りはしないけれど、時間を有意義に使うならもっと他に観る映画はあるだろうw ストーリーにツッコミを入れるとキリがないが、後年の「死霊の盆踊り」に比べれば何らかの主張をしようとしているように見えるし、まだ何らかの物語という形になっているとは思う。ただ“真面目に作ってこれか”という様な学芸会レベルのセットや演技、そして演出に目を奪われて、ストーリーで何を言いたいのか頭に入ってこない。ただ、いかにも深夜映画枠を埋めるために存在してそうな、そんな安っぽい雰囲気に魅力を感じてしまうのも事実。「初めは『何だこりゃ』とゲラゲラ笑いながら観始めてたのに、気づけば眠ってしまっていたよw」みたいなことを言いながら観たい作品である。 |
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(2021年版) |
「グランド・セフト・オート」チックなオンラインゲームのNPCである“ガイ”は、街ですれ違ったプレイヤーキャラの女性に運命を感じて接近を試みるが…。 自分が“創られた世界”の中に用意された“キャラ”であることを自覚してしまうという展開自体には目新しさはないかな。背景で繰り広げられるゲーム的な騒々しい状況も彼らにとっては日常であったり、NPCらしいルーティーン的な行動や台詞という部分に面白みをもたせようとする部分はいまいちノレなかったかも。そして話がゲームキャラが現実の女性が操作するキャラクターに恋をするという展開に至り、自分の興味は「NPCとPCなんて成就しない恋なのに、どういうオチを付けるんだろうか…」という方向へ。 その点に関して言えば、話のまとめ方は「こうくるか!」という感じでほんと良かった。「僕は君へのラブレター、書いたのは外の世界の人」…この台詞には正直衝撃を受けたね。AIの自己実現の先にこれを持ってくることで観客が期待する恋物語のベクトルを見事に転移させてしまった。もちろん前フリで「ガイの片思いの相手にはモデルが〜」云々という台詞はあるのだけど、それを踏まえてあの台詞をAIに言わせてしまうところがニクいなあ。 主演がライアン・レイノルズで良かったと思える作品ではある。パロディネタでは自分がツボにハマった場面もあったけど、こういうノリの映画で真面目にトボケている彼は強い。本作の悪役ポジションを演じるタイカ・ワイティティは裏表もなくイヤな奴って感じが強すぎて、現実の人間役のくせによっぽどNPC臭い深みのない役回り(苦笑) カメオ出演ではクリス・エヴァンスやチャニング・テイタムも出ていたねえ。一方でヒュー・ジャックマンやドウェイン・ジョンソンは顔を隠していたので観ている間は気づけなかった。どうせアバター役なんだったら2人もハッキリ顔を出しても面白かったんじゃないかとは思ったけどな。 |
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メキシコの天才女流画家の人生を描いた作品。苦難の人生を歩む主人公フリーダをサルマ・ハエックが熱演しています。俺だったら主人公のような境遇にあって、あのような生き方は出来ないだろうなあ…。そういう意味ではラテン気質ていうやつなのかもしれないけど、映画の中で紹介される彼女の作品の中にはそういう辛さを感じるものがある。でも夫のディエゴは、彼女にとって“大事故”であると同時に“救い”でもあった。最後まで観て、そこが救われるところです。 ストーリーはフリーダの人生に沿ったものだけど、その時の世界情勢を色濃く反映してるから、ある程度の予備知識は必要。トロツキーが何者かくらいは知っておきたいところです。キーワードは共産主義と社会主義革命ってところかな。 ところで演出が面白かった。フリーダの絵と同じ構図のカットや、突然ポップになるニューヨーク行きのシーン。極めつけは「キングコング」のパロディw ディエゴをキングコングとダブらせるなんて色んな意味で上手いw |
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(2017年制作) |
小さなシェルターで両親と暮らす25歳の青年ジェームズ。ところが突然警察に救出され、両親と思っていた2人が誘拐犯だったことを知るが…。 物語の出だしは「ルーム」か「10 クローバーフィールド・レーン」かって感じだけど、観終わった時の感じは「僕らのミライへ逆回転」みたいだったね。「ブリグズビー・ベア」という偽の両親が作った偽の着ぐるみ教育ビデオが世界のすべてだった青年が、自己実現のためにその番組の続きを映画化する。日本で例えるなら「おーい!はに丸」しか知らずに育った青年が、その続きを作るような感じか。とても奇妙なプロットだけれど、創作表現に対しての敬意を感じるし何より登場人物が皆優しい。偽の両親の行ったことは犯罪だが、真に悪意のある人間はこの映画には登場しない。優しい物語だった。 序盤こそ世界を知らないことからくる世間ズレがちょっとした笑いを誘うけれど、あまりそこは本質じゃないように思う。パーティーに行ってハイになったりしてるのはご愛敬だが、同好の友を得て自主製作動画がネットで有名になっていくくだりは、今時さを感じさせつつも夢もある話だと思った。 ラストの映画の完成披露でジェームズは「皆に不評だったら?」という不安に駆られるが、それはどんな創作者でも同じ道を通るのだろう。それ以上に「ブリグズビー・ベア」=ジェームズ自身であるというこの物語にとって、その作品が皆に受け入れられるという事は彼そのものが皆に受け入れられたというエンディングに他ならない。それを見届けたブリグズビー・ベアは別の次元に旅立った。つまりジェームズの新しい冒険もここから始まるのだ。 |
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(2013年制作) |
ある日の午後、娘が行方不明になった。容疑者は逮捕されたが精神的に幼いその男は自供しない。父親であるケラー(ヒュー・ジャックマン)はその容疑者に固執していく…。 幼い娘が失踪する。その状況にあって、語らぬ容疑者が目の前にいた場合に父親としてどう行動するか…。主人公ケラーの妄執じみた行為は行き過ぎだと思うけども、共感できる部分もある。人間の感情論としてそこまでさせてしまうという恐ろしさがこの物語の核でもあるわけだけど、序盤で一見脇道と思えた神父とその家の地下室にある死体の関係性が、そのままケラーの行為と重なる仕掛けは、宗教と罪の対立という人間の在り様を見せつける様でもある。 真犯人にしても、人間の本性をさらけ出させるためという、神との対決を目的とした確信的な行為である部分は不気味。映画としては安易に性犯罪者による犯行としない部分でサスペンス性を高めているし、気分の良い作品ではないけれど、2時間半という長さを感じさせない緊張感は見応えがあった。まあ、宗教的な暗喩は中盤のハエとヘビでピークを迎えるものの、そこまでなので、もうちょっと終盤でもそういう仕掛けがあっても良かったかなとは思ったけどね。 ケラー役のヒュー・ジャックマンは強い信念に憑りつかれる様を好演。だけどこの映画は、もう一人の主人公・ロキ刑事役のジェイク・ギレンホールが良い。努めて冷静だけど、静かな熱さが透けて見える感じが上手いんですわ。観客としてはケラーの行動が突き抜けすぎてて、もちろんロキ刑事に感情移入してしまうわけでw 容疑者役のポール・ダノはこの手の役が似合いますなあ…。役者はみんな素晴らしいです。 |
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サンフランシスコの観光名所としても有名な金門橋。ここは年間に二十余人が飛び込み自殺を行う場所でもある。 この映画はそんな投身自殺の場面を望遠カメラで捉えながら、彼らの関係者にインタビューを行うという趣向のドキュメンタリー。正直、人の死ぬ瞬間が写っているだけに気分の良いものではない。関係者のインタビューも、本当に本人なのか役者による再現なのかは判然としないけど、ドキュメンタリー作品の作りとしては凡庸かな。 「人は何故自殺するか」と考える切っ掛けにはなるかもしれないけど、あえてそれをカメラで追い続けるところには、やはり倫理的な抵抗感はあるなあ。自殺する人、自殺に失敗した人、そしてその家族や友人。それぞれに事情があるだろうが、全体的に作り手側のドライな印象を受けた。別に湿っぽくなれというわけではないけど、このテーマを扱うならもっと考えさせられるモノが作れたんじゃなかろうか。 映像のセンセーショナルさに引きずられて作られたんじゃないかとすら思う。 |
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(2015年制作) |
1962年に行われた米ソのスパイ交換。その交渉にあたった米国人弁護士ジェームズ・ドノヴァンの姿を描いたドラマ。 今、米国の良心を演じさせたら右に出る者のいないトム・ハンクス。本作の主人公である弁護士ジェームズ・ドノヴァン役も見事にハマっているが、いかにもトム・ハンクスらしい役なので(贅沢な注文だとは思うけど)逆に安心感が強すぎたかなあ。どちらかというと助演であるソ連スパイ、ルドルフ・アベル役のマーク・ライアンスが実に良い味を出していたと思う。物静かなたたずまいの中に見せる覚悟の様なものというか、ドノヴァンが度々尋ねる「不安はないのか?」に対する「(不安が)役に立つのか?」というセリフが人を表していて印象的。 この物語は信念と覚悟の物語だと思う。登場人物それぞれに信念がある。ストーリーはドノヴァン中心なので彼の“法の正義”に対する信念や“若者を救うのだ”という信念がメインだが、その信念が状況を動かして行く姿は力強くドラマチック。コーエン兄弟の脚本も、スピルバーグの演出も心得たもので見応えがあった。橋の上で交換を待つアベルがドノヴァンの様子を察し「待つ」と言うシーンは静かだが二人の信頼関係をよく表していてとても良いよね。 基本的にシリアスドラマだが、ところどころ良いさじ加減で入るジョークは面白い。ソ連大使館の偽家族の退出はベタベタだがw 一方これはギャグのつもりかは分からないのだけど…、アベルを弁護するドノヴァンに「何故スパイを弁護するんだ!」と詰め寄る警官が、「俺はノルマンディーで従軍していたんだぞ!」と言っていたのが妙に可笑しくて。(「プライベート・ライアン」でオマハビーチに上陸したトム・ハンクスに言うのかよw) |
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(2014年制作) |
ロバート・A・ハインラインの短編小説「輪廻の蛇」を映画化したSF作品。 タイムパラドックスものによくある“閉じた関連性”の物語。ただ、ある出来事の「きっかけは何か」という問題に対して展開が閉じている話はままあれど、人物の存在自体まで閉じているのはなかなかユニークだね。原作は半世紀以上前のものだけど、新しいとか古いとかいうのを超越した普遍的な驚きと、そこはかとない怖さを感じる話でした。 まあ話のキモであるバーテンダー( イーサン・ホーク)とジョン/ジェーン(サラ・スヌーク)の関係性には、俺は中盤の顔が焼ける2回目のシーンで気づいてしまったので正直言うと驚きは半分くらい。でもそう思うと、冒頭でイーサン・ホークの顔になった場面の「母親でも気づかない」というセリフは、ちょっと卑怯なミスディレクションの様な気もする。ジョンの出自を考えれば「母親」という単語はいささか不自然だなあ。 とはいえジョン/ジェーンの存在の輪と、航時局員と爆破犯という輪の流れを短い時間で見せ切ってはいるし、観ている側はそれぞれのつながりを頭で整理して観ることになるので、それはそれで面白かった。中盤までのジョンの身の上話はちょっと長いのでともすれば退屈な感じもあるけれど、後半で重要な要素になるので無駄ではないし、総じて鑑賞後の見応えには繋がっている。ただ、物語としては彼(彼女)の運命が最後まで閉じていることを知る訳で、気持ちのいい話ではないけど…それもまた良し。 |
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時間の砂 (2010年制作) |
同名ゲームをモチーフに、ジェイク・ギレンホール主演で実写化したアドベンチャー作品。 アクションに次ぐアクションと、その合間を埋めるありがちなストーリー。ブラッカイマー・フィルムらしい映画といえばそうですね。だけどこの作品は編集の繋ぎがどうもギクシャクしていて、観ていてもそれが気になってしょうがない。話の流れは分かるんだけど、カット間の一拍が詰められている感じというか…どうも落ち着かなかった。2時間枠へ話を詰め込むのに必死になっている印象かな。 展開は基本的に追いかけっこなので、追う側・追われる側の緊張感が必要になると思うんだけど、そこも都合良く追っかけてくるので違和感があるのかもしれない。テンポは速いが…。 主演のギレンホールは、彼のイメージの無かったアクションへの挑戦は良かったかなとは思う。けど、作品内容としてはちょっと凡庸だったのが勿体ない。 |
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やられました!w ただのバカ映画かと思いきや、テーマもしっかりしているし素直に感動させられたね。まず、もし自分が全能の神になったらどうするか。そりゃあもちろん主人公ブルースのように普通はなってしまうんでしょう。そういう“もしも神の力があったら”というドラえもん的発想が、観客の心をとらえていると思う。そしてブルースのキャラクター。わがままで自分のことばかり考えている。誰しもが持っている心の一部を誇張したような彼。彼は思う、「何故俺はこんなにツいてない!神よ!あんたは職務怠慢だ!!」少なくとも俺は似たようなことを考えたことがあるだけに、ブルースには共感する所が多かった。しかし全編にわたるネタの数々には笑わせてもらったなあ。まさか隕石が落ちるとはねw でも、この映画はネタだけではなくてテーマ。“人の気持ちは操れない”、これにつきる。そう、神ですら人の心は操れない。だからこそ…w こういう映画が、良い映画なんだと思うねw | ||
(1980年制作) |
人気コメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」から飛び出した“ブルース・ブラザース”が巻き起こす騒動を描いたコメディ。 ジェイクとエルウッドのドタバタミュージカルコメディ。あふれ出るブルース、R&B、ソウルへのオマージュと共にノリノリです!ジェームズ・ブラウン、レイ・チャールズ(盲目をネタにしてるところが凄いなあ)、アレサ・フランクリン、ジョン・リー・フッカーのゲスト出演が豪華過ぎ!この映画の頃には少し人気が下火になっていた人物もいるけど、そんな彼らへのオマージュでもあるだろう。特にキャブ・キャロウェイに唄わせる趣向は素敵だ。映画のクライマックスとも言える後半の舞台で、前座とはいえ黒ずくめの衣装から一転、舞台装置まで往年の感じに切り替えての"Minnie the Moocher"である。この衣装転換こそ映画の嘘…いや魔法ってやつだろう。 音楽、ミュージカル映画としても十分に楽しいが、本筋のコメディのハチャメチャぶりも素晴らしい。冒頭、養護院の金銭問題を聞きに行くあたりは特にテンションが高いわけでもないが、なぜか自動ドアな養護院の扉(神の力ってやつかw)にクスリとする。ジェイクを付け狙うキャリー・フィッシャーがメチャクチャで、ロケットランチャーはともかくビル爆破はやりすぎや!でもやられた二人がそれでもケロッとしているのが、コメディ映画のコメディ映画たるところですな。映画の嘘と言えばそう、終盤に追いかけてくるナチの車が落ちるシーン、状況がメチャクチャすぎて爆笑したw 色んなものに追いかけられてエスカレーションしていく状況の中で、やはりパトカーの大群に追いかけられるカーチェイスはこの映画の白眉でもある。「やりすぎ」という言葉を知らないのかと思えるほどひっくり返す映像は実に爽快w これだけの騒動を起こしたのだから、最後にジェイクとエルウッドは落ち着くところに落ち着く訳だが、最後も演奏にて納得のエンディング。爽快なミュージカルコメディですね! そうそう、終盤に出てくる納税課職員の役者は…知らずに観ると面食らう。スピルバーグ監督、こんなところで何やってんすかw |
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(1998年制作) |
前作から18年後に制作された続編。ジェイクは死んでもういない。刑務所を出所したエルウッドは再びバンドを結成しようと奔走する。 冒頭に、亡くなったジョン・ベルーシとキャブ・キャロウェイ、ジョン・キャンディに捧ぐと出るが、やはりベルーシが演じていたジェイクの不在は大きい。プロットは前作と同様ながらストーリーは割と淡泊だと思うし、やはり前作ほどのパワーは感じない。特に新メンバー参加のあたりは各々動機づけがイマイチ分かりにくいというか…。キャブなんてカーティスの子供という設定が生かし切れないまま、神の啓示ですぜ!?すごい無理やりw まあ、笑ったけどさ。 そんな具合に、あまり話が面白いとは思ってないです。前作のセルフオマージュに頼っている部分も多いし、今作はナチじゃなくてロシアン・マフィアと南部のWASPに追われてたけど、ブードゥーの呪いでネズミに変えて解決って…ヒドイw 謎の演出(3人のゴースト・ライダーとか)も…ジョークなのかなあ? とはいえ、やはり歌のシーンは楽しいのですよ。それで救われているよね。 ラストのバンド・コンテストは超豪華!洋楽に疎い俺だってB.B.キングとエリック・クラプトンは知ってるぞ。アイザック・ヘイズもいたね。そういえば前作も登場した神父役のジェームズ・ブラウンは、劇中ではサム・ムーアの脇で歌ってただけなのでどうしたんだろう?と思っていたら…ラストに独壇場が用意されてた。さすがはファンクの帝王、大トリでしたw |
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(2009年制作) |
サシャ・バロン・コーエン扮する"オーストリア人でゲイのファッションレポーター"・ブルーノが、セレブになるために奔走する姿を描いた半モキュメント・コメディ。 "半"としたのは、ブルーノ(コーエン)のとんでもない行動に巻き込まれた人々のリアルな反応が収録されているからであるが、ともすれば悪ノリが過ぎるように見えるので、人によっては不快極まる映画。でもカリカチュアされたブルーノのゲイっぽさは、明らかにコーエンがゲイを笑っている表れだと思うし、逆にボラットを「ホモ野郎!」と拒絶する人々をも笑いものにしてる。相容れない嗜好の断絶を笑いものにしているという点では、すごくよくできたブラックコメディだと思うのだが。如何せん表現が下品すぎるw 逆説的ジョークは、今回「有名になるためにアフリカの黒人を養子に」が特に冴えているか。有名人の養子ブームを嘲笑い、しかも人種問題にまで切り込んでいるのだけれど…意図とは反対の表現で見せるので、まともに受け取る人はそりゃ怒るかw しかし体を張って風刺という笑いを体現するコーエンは、真のインテリコメディアンだと思う。 徹頭徹尾、偽善者や主張する人間をコケにした映画だが、こんな映画なのにエンディングでブルーノと共に歌うアーティスト達にはビックリした。ボノもスティングもエルトン・ジョンも、シャレの分かる人たちだなあw |
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(2023年制作) |
ひょんな事でスカラベのスーパーパワーを身に付けてしまった青年の姿を描いたヒーロー映画。DCEUの15作目。 ブルービートルというヒーローの誕生譚(オリジン)が描かれていて、メインテーマは主人公と家族愛とか家族の結束かな? 同じ様な要素のあるドラマの「ミズ・マーベル」に比べても全体的にテンポが良いので普通に楽しめました。正体は秘密…ではなく最初から家族に知られるところになっているし、終盤も家族一丸で敵地に乗り込んでいくあたりがユニークだね。 一方で敵側のキャラクターは悪辣さにしても強烈さにしてももう一つパンチが無いので、そのあたりはちょっと物足りない気もする。敵のボスにスーザン・サランドンなんて名優を配している割にはキャラクターが薄っぺらいのはもったいない。まあ“最初の話”なら敵のレベルもこんなものかもしれないけども…。 シリアスと言うよりはコメディチックなやり取りのほうが多いので、その点でもノリはよく楽しめるかな? 特に元革命家のばあちゃんが終盤にキレキレになっていくあたりは面白かったw あとはもうちょっとDCEUならではのユニバースの広がりというか、キャラクターのクロスオーバーがちょっとでもあればよかったと思うのだけど。でもこの時点ですでにDCEUは収束気味だったから、“ほぼ単独作”という感じの作風になってしまったのも仕方ないのだろうかなあ。 |
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スタンリー・キューブリックが、海兵隊の訓練とその後の戦闘を通して、殺人機械と化していく人間の姿を描いた作品。 この映画は前半の海兵隊訓練所編と、後半のベトナム編とでかなり印象の違う。個人的にはやはり前半の訓練所の印象が強烈。鬼教官ハートマンの情け容赦ないシゴきの凄まじいこと。新兵に対しての人格を否定するような汚い言葉の数々。案の定、精神崩壊していく“デブ”の顔といったら…。 訓練所のシーンは、フレームワークなんて「ああ、キューブリックらしいなあ。」と思える画だったけど、後半にベトナムの場面になってからはその感じはほとんど無くなった気がする。悪くはないけどキューブリック的な感じは薄い。でもクライマックスのスナイパーの処刑や、ラストの「ミッキーマウス・マーチ」の狂気じみた雰囲気は恐ろしい。「ミッキーマウス」…、凄い皮肉なラストだよなあ…。 |
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(1997年制作) |
かつて鉄鋼業が盛んだった英国のシェフィールド舞台に、失業者達が生活のために男性ストリップを計画する姿を描いたヒューマンコメディ。 主人公は正直言ってダメなヤツなんだろうけども、子供の親権を失わないために必死になってストリップショーを計画する。参加する仲間もみんなそれぞれに事情があって参加するわけだけど、彼らに元々そういう露出云々の性向があるわけではなく、そもそも地方の失業問題というシビアなテーマを背景にしている点が、コメディ作品ながらドラマとして共感できる部分になっているんだろうね。展開も小気味良いテンポで進み、90分足らずの作品なのに良く纏まってました。笑いの要素も極端に下品ではなく、英国喜劇らしい雰囲気が楽しかったです。 主人公ガズはロバート・カーライル、元上司はトム・ウィルキンソンと、なかなか手堅い配役。ガズの友人でデブに悩んでいるデイブ(マーク・アディ)の奥さんとのエピソードがなかなか良い感じです。 |
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(1999年制作) |
“ブレア・ウィッチ”に伝説の森へ、映画学科の3人の学生が撮影に入っていった。彼らは戻らなかったが、そこにはフィルムだけが残されていた。 低予算で映画を成立するための「登場人物達が残したフィルムを上映する体にすればいい」というアイデアを成功させた先駆的な作品。しかしこの映画に金はかかってないが、観る方はだいぶ金を出さなきゃいけない。物語の背景となる魔女伝説や、(この映画用に創作された)「ラスティン・パー事件」などを知っていないと、怖くないどころか気の狂った3人がわめいているだけに見えるという奇っ怪な作品にw 米国では公開前にネットで実際の事件の様に流し、それを事前に見ていた観客がこの映画を観て恐怖するという、ネットを上手く使った盛り上げ方にしても良くできている。でもそれは映画単品としてはその魅力が伝えきれないことの裏返しであって、少し皮肉な話でもある。 日本では本などからそういう裏設定情報を仕入れるしかなかったけど、やはりそれを知っていると知らないとではかなり映画の怖さが変わるんじゃないかな。特に最後に映る1カットはね。壁に向かって立つその姿の不気味さと言ったら…、今でも思い出すだけで背筋がゾクゾクする! |
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黒ずくめの主人公、香港映画のようなアクション、日本アニメの影響。「マトリックス」より先に似たようなモチーフで見事に作り上げてます。ストーリーも明快でいい。クラブでの戦闘から爽快にヴァンパイアどもを倒してくれるしw しかし当面の薬がニンニク注射とは…、清原はヴァンパイアにはならないのねw 爆発するヴァンパイアが明らかに「北斗の拳」なのは面白い。方々に日本語や日本人(?)が出てくるし、日本アニメに影響されまくりなのは明らかかもw 中盤に出てくるクラブ内、女子高生ルックの2人組が支離滅裂な日本語の歌を歌ってるのには失笑w | ||
前作で死んだはずのウィスラーが生きていた!前作の“散り様”に共感した俺の気持ちをどうしてくれる!という怒りもそこそこにw まあ、前作通りのアクションをたっぷりと楽しませてくれます。明らかに分かるのは残念だけど、CGアクションも上手く使えてたとも思う。リーパーズのあごの描写は上手いねえ、なかなか感心します。リアルだった。ただ、ストーリーに重みが無くなった…。“ヴァンパイアになってしまう”という十字架を背負うブレイドの肉体が、前作では話の重みになってたのに、血清を打つシーンはあるもけど、それ自体がブレイドの弱点としては描かれていない。ダークヒーロー的な要素が薄れてしまった…、ビジュアルが良かっただけに残念。 | ||
新たな仲間と共に、ヴァンパイアの始祖であるドレイクとの決戦に挑むシリーズ第3弾。 シリーズ3作目ともなると目新しさもなくなるし、さすがに辛くなってくる。ダークでスタイリッシュな映像とブレイドの格闘にこそ、このシリーズの売りがあるのだろうけど、そこにマンネリを感じてしまうと…。 ブレイドに新たな仲間を加えることで新味を出そうとはしているんだけども、物足りなさは残る。道化役のライアン・レイノルズはネタがちょっと中途半端か…、良い味は出してるんだけどね。 |
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この主人公、ウィリアム・ウォレスはまさに英雄。勇猛果敢な戦いぶりと“祖国の自由の為に”という信念に、心打たれる。イギリスの横暴ぶりも相まって、ウォレス達反乱軍を嫌でも応援してしまう。保身のことしか考えていないスコットランドの父王や貴族達に対しての、皇太子ブルースの苦悩も描かれているし、時代背景もよく描かれているのは良い感じ。話の流れをある程度観客に補完させるのも良かった。ただ一つ気に入らないのは、死んだ妻に誓った事はどうなったんだ?ということ。皇太子妃と恋に落ちるんじゃねえよウォレス!“祖国の為に”という信念を貫いたのには憧れるがね。 | ||
(オリジナル劇場版) (1982年制作) |
人間に対して反乱を起こした人造人間“レプリカント”。レプリカントの“処刑”担当官であるブレードランナーの主人公は、地球に潜入したレプリカントを追うが…。 この映画が後のSF映画に与えた影響は非常に大きいと言われるけど、実際に観てみれば、雨に煙る未来都市の陰影やネオンと下層の雑踏との対比、“キレイな未来”とはほど遠い世界観はある種の魅力を放っていて、今でもその映像には引き込まれるね。 物語としては「フランケンシュタイン」の昔からある人造人間の苦悩が軸になっているわけだけど、話の展開はわりとスローで善くも悪くも一昔前の映画といった感じ。終盤の鬼気迫るレプリカントとの闘いこそ恐ろしいほどの緊張感があるが、そこに行くまでは画の暗さだけが印象に残り気味なんですわ…。あと冒頭と終盤にある主人公のモノローグは、あまりにも冗長すぎやしないか?と言うくらいの説明台詞だねw 公開当時はその世界観の理解に必要だったのかもしれないけど、今となってはそれが感情移入の邪魔になっているとも言える。特にレプリカントの死の際のモノローグは要らないよなあ。 最後に、このバージョンではエンディングでレプリカントのレイチェルと逃避行しますが、“寿命”についての語りもこのストーリーでは余計だと思う。 |
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完全版 (インターナショナル劇場版) (1982年制作) |
オリジナル劇場版「ブレードランナー」に数カットの残酷描写を追加したバージョン。 タイレル社長の目をつぶすシーンが、若干見せすぎ…というかそこが元々差し替えられていたシーンですね。他にも追加された描写はあるけど、話の筋やモノローグを含めた演出が変わっているわけではないし、鑑賞後の印象が変わるということも特にないです。個人的な趣味で言うと、残酷描写が増えても“ハッキリ見える”こと以外に意味がないなら、オリジナルのままで良いんじゃないかって気がするかな。そのあたりは米国内でパッケージ化する際の事情が絡んでいる気がするけど、まあオリジナル版を観ているなら、インターナショナル版はよっぽどのファンでない限りスルーでも問題なさそう。 |
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ブレードランナー 最終版 (1992年制作) |
劇場公開から10年後に制作されたディレクターズ・カット版。 オリジナル公開版で個人的に気に入らなかった箇所、つまり冒頭とクライマックスのモノローグとエンディングの逃避行がバッサリとカットされていて、画で魅せる一つの作品としての完成度が上がったように思える。 特にレプリカントの死のシーンは余韻があって良い。エンディングもだいぶ印象が変わってるけど、レイチェルの残された寿命はハッキリしないままの逃避行の方が、やっぱり観る側の想像が膨らんで良い感じだよね。個人的には説明を冗長な台詞に頼った映画はキライなので、このディレクターズ・カット版の方が好みです。 他の修正点としては主人公デッカードの夢として“ユニコーン”のシーンが追加されているんだけど、ラストの折り紙と直結して「おっ?」と思う反面、元々あった“デッカードはレプリではないか?”という暗示を余計に混乱させている印象は受けた。俺としてはデッカードはレプリではない方が良いと思っているので、ユニコーンの追加の意図については今ひとつピンと来ないかな。 |
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ファイナル・カット (2007年制作) |
劇場公開から25年後に制作された最終バージョン。 ストーリーや演出から受ける印象については、ディレクターズカット版から大きく変更された部分はないけど、ワークプリント版や国際版からの追加シーンなど、最終版にという名に相応しい形態かと。しかし本作で目を見張るのは何と言ってもリファインされた特撮シーンの鮮やかさ。デジタル修正の威力もあるのだろうけど、元々の素材として35mm映画なのに特撮部分だけ65mmフィルムで撮影していたという効果が、ここにきて絶大な威力を発揮してますね。 それにしてもレプリカントのロイ・バッティを演じたルトガー・ハウアーの存在感はすごい。これは全バージョンに通じてのことだけど、映画の終盤は完全に彼の映画になっているもんな。バッティ最期の独白とその後の間は、もはやそれだけで芸術。 |
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(2017年制作) |
オリジナル版の公開から35年後に制作された続編。デッカードの逃避行から30年後の2049年を舞台に、人類とレプリカントの秩序に関わる真実に触れることになった捜査官Kの姿を描く。 もはや伝説的な存在になってしまった「ブレードランナー」の続編を撮るという企画を最初に聞いた時は、「あれの続きを作れるのか?」と懐疑的だったけど、実際に観てみるとビジュアル的にも精神的にも地続きの見事な続編になっていた。ドゥニ・ビルヌーヴ監督の感性がリドリー・スコットが作った光と影のビジュアルイメージに違和感なく重ね塗りされていて、二つの作家性が感じられる作風は良い感じ。話のテンポはどちらかと言うと落ち着いた感じだし、繰り返し映し出される2049年の情景も悪く言えばくどいので、163分という上映時間は体感的には割と長めに感じる。でもそれこそがこの作品の世界観に厚みを与えているのは間違いない。 本作ではレプリカントが製造されるものから繁殖するものになる可能性を話の主軸にし、そこにKの過去に関する謎をミスリードさせたり、ウォレスの目的を絡めたりすることでサスペンス・ミステリー調のSFといった趣になっている。「her」の様に人工知能との"疑似"恋愛要素も描かれるけど、レプリカントであるKの記憶にまつわる話も含めて、製造された人間の人間らしさという曖昧な境界に「ブレードランナー」らしさを感じるところ。そのキモを外さなかったからこそ続編としての満足感を感じるわけだけれど、カルト的な人気のある作品の続編に手を出すというのは挑戦だったろうなあ。そこにあえて挑み、成功させたのは本当に見事。 |
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(2013年制作) |
「カーズ」の世界観で飛行機を主人公にしたスピンオフ作品。農薬散布の小型飛行機ダスティは飛行機レースの世界に憧れ、夢をかなえるためにその世界に飛び込んでいく。 擬人化された車達の世界を描いた「カーズ」の世界観は面白い。今作はそのまま飛行機を主人公にしたわけだけど、魅力ある世界観の再利用したいというディズニーの思惑は分かるものの、話が類型的すぎるというか…。よく言えば王道なんだろうけどちょっと深みに欠ける感じがして、本家「カーズ」のそれと比べるとずいぶんと見劣りするのは事実。 登場キャラクターたちもずいぶん台詞が多くて、全体的に落ち着かない感じがした。子ども向けの楽しさを追求するとこうなっちゃうのだろうか?元々企画段階ではビデオ映画用の作品だったらしいけど、それでも「ピクサーならもっと練った脚本を出してくるんだろうなあ」と思ってしまうのは残念かな。(本作はディズニートゥーン・スタジオズが制作して、ピクサーはノータッチ) |
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妻をステージで亡くしたマジシャンと、そのきっかけを作ったマジシャンとの、復讐と争いを描いたミステリーサスペンス。 なかなかに凝った作りで魅せてくれる映画だった。マジシャンとマジシャンの化かし合いというか、その駆け引きを描く展開が面白い。いくつかの時間軸を入れ子で見せることで、ラストのオチまでしっかりとストーリーが運ばれていくし、伏線もちゃんと張ってある。ある意味バカ丁寧なくらい伏線が張ってあるのでオチは中盤で分かってしまうのだけれど、見応えは十分ありました。 19世紀末の雰囲気がまたこの世界観にあっていて、良い感じ。話のキーとなるマシンは、舞台背景がリアルなだけにちょっと浮いた存在ではあるけど、まあそれがあるという前提での話で受け入れれば、自分を殺し続けた男の妄執を描くのには重要か。「観客は消えたものの存在など気にしない」というのにも生きてくるしね。 |
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(2022年制作) |
伊坂幸太郎の小説「マリアビートル」を原作にしたアクション・コメディ。不運な殺し屋のレディバグはあるブリーフケースを盗むために新幹線に乗り込むが…。 原作は未読。純粋にブラッド・ピット主演のコメディ映画として観たけれど、勢いで話が突き進んでいってなかなか楽しめた。一応、新幹線を舞台に殺し屋が戦うアクションものというのが本筋だけど、「運行中の車内でこれだけ大暴れしたら列車を止めるでしょ…」というリアリティラインを無視出来るくらいには、最初っから“架空の日本”って感じで突っ走っていたのが潔い。極論を言えば別に日本が舞台でなくても良かったかもしれないけど、意識的にそうすることでファンタジーに仕立て上げている部分はあると思う。 ブリーフケース争奪戦が話の取っ掛かりで、それ以降は車内でもどんどん人死が出てくるし血なまぐさい表現は多いかな。それでもニヤニヤして楽しめるのは、運の悪さに振り回されるブラッド・ピットの常に困っている様子がいい感じだからだろうか。監督は「デッドプール2」のデヴィッド・リーチ。その監督つながりを連想させるキャスティングにもニヤつく場面が多いけど、カメオでライアン・レイノルズが出てきたシーンは吹き出してしまった。カーヴァー…ってお前かい!w 一方でチャニング・テイタムとサンドラ・ブロックがちらっと出ていたのは時期的に「ザ・ロストシティ」繋がりを連想する。 日本を舞台にした殺し屋たちのアクションだし「これをタランティーノが撮っていたらもっと遊んでいたのかな?」と思う瞬間もあったけど、最後まで勢いで押し切ったデヴィッド・リーチの遊び心というか深刻ぶらないさじ加減も絶妙でいいなと思ったね。 |
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ホラー映画代表の夢の共演。ホラー映画の雄の対決ながら、ある意味コミカルな人外同士の肉弾戦は面白かった。ただ残念ながら、ある程度調べたとはいえ俺は両シリーズとも未見だったので、本当の意味で楽しめてないのかも?細かいネタとかあるのかな?まあ、逆に細かいことを気にせずにお祭り気分で楽しめましたが。しかしホント、ホラーじゃないよねえ、笑えるしw 夢の中でのフレディの無敵ぶりには驚いた。あのジェイソンをボコボコにしちゃうんだからカッコイイわ。まあジェイソンは死なないけどw ラストも両者を立てて良い感じですな。 |
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(1987年制作) |
どんなシチュエーションでも、正体の分からない、まして姿の見えない敵と戦うのは恐ろしいもの。そういう意味でこのプレデターは恐ろしい敵だと思う。映画のタイトルは「捕食動物」だけど、この宇宙人は食べる為に人間を捕まるのではなく、狩りを楽しんでいるように見える。その点で“エイリアン”よりもタチが悪いかも。“プレデター”と死闘を演じるのは、シュワ氏演じるダッチの率いるコマンドー部隊。シュワ氏はこの手の役をやらせればバッチリはまるけど、逆に言えばこういうイメージしか湧かないw この映画は派手なシーンはあるものの、ガン・アクションは結構大味。むしろ後半の戦いにあるような緊迫した駆け引きの方が楽しめる。よく言えばメリハリが効いているのかな。見えない敵との、狩るか狩られるかという緊迫感を楽しめる映画だと思います。 | |
(1990年制作) |
前作のジャングルから舞台を変え、今回はロサンゼルス市街地での“狩り”。続編とはいえ、キャストも舞台も変えてきたのは正解だと思う。さすがに同じシチュエーションは飽きるからねえ。見る側にとってはプレデターの能力や特徴は周知の事実。それを踏まえた上での脚本は頑張ってると思う。しかし特殊部隊の筋肉マンでも倒すのに苦労した相手を、暴走野郎とはいえ一介の刑事が倒してしまうとはw 前回に比べて弱くなったか?w まあそれでも奴らの残虐さは変わらないし、手に汗も握れるんだけども。この映画でプレデターの目的がハッキリし、そして彼らの知的レベルも垣間見える。人間を狩りの対象とはしているけど、武器を持ったヤツだけを殺し、そしてたとえ獲物であっても相手を認め讃える心を持っている。その点がただの殺戮マシンである“エイリアン”と全く違う、面白いクリーチャーだと思う。 | |
(2010年制作) |
目が覚めると空中を落下していたエイドリアン・ブロディ演じる主人公。未知のジャングルでに訳の分からないまま集められた兵士や犯罪者と共に、姿の見えない敵との戦闘を開始する。 内容的にはシリーズ1作目と世界観を一にしたといった感じ。しかし舞台は遙か彼方の猟場。そして“選ばれた”と思われる人間側の構成がプレデター側の意図を示唆するサスペンスが良い。 単純なリメイクを考えると、観客はプレデターの意図も科学力も知っている訳なのでそう目新しいモノはないかな。なので、前半部はブービートラップには引っかからない等の手強さを臭わせつつ、狩る側と狩られる側の極限の緊張感で引っ張っていったのだけど、このあたりが絶妙で面白かった。ただ、中盤に10年間生き延びてきた男(フィッシュバーン)と出会うあたりで、その辺の緊張がブッツリ切れてしまうのが構成として勿体ない気はする。 そういう意味でこの映画は後半部がわりと淡泊なので、逃げて耐えて最後に知略で反撃して勝った1作目ほどの爽快感には負けるかも。ただ、その代わりにプレデターvsプレデターなどのサービスもあるので、ファンとしては楽しませてもらいました。そうそう、集められた人間側はどれも様々な人種のステレオタイプな感じだけど、日本刀で戦うヤクザ・ハンゾーはおいしい役とはいえ日本人としてはこそばゆい感じw |
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ザ・プレイ (2022年制作) |
18世紀の北アメリカ大平原。主人公であるコマンチ族のナルは一人前と認められるための"試練の狩り"に憧れを持っていた。そんなある日、天から“狩人”がやってくる。 ネイティブアメリカンの女性が男社会の中で一人前の狩人になろうとする物語という構造は、「たくましい女性像」という今日的なテーマに寄せている感じかな。そこにちゃんとドラマ性をもたせた上でプレデターの存在が絡んでくるというのが面白い。やっぱり圧倒的なプレデターは格好いいよね。その一方で、レーザー誘導が捉えていないと意味がないのにバンバン鉄釘を射出するうっかりさんなところは微妙だけど(苦笑) まあそのあたりで先の展開が読めてしまう部分もあるものの、総じてプレデターがプレデターらしい映画になっていたのには満足です。原題の"PREY(獲物)"が、プレデターにとっての獲物と主人公にとっての獲物というダブルミーニングになっているというのもニクいところですなw 下手な説明ゼリフが少ないのもいい感じ。主人公の心情や立ち位置、トラバサミや底なし沼の伏線、薬草やプレデターの持つ装備の機能も描写からちゃんと理解できる様に描いているところには好感が持てました。中盤に登場する白人がフランス人っぽいのは18世紀当時は北アメリカの中央部はフランス領だったからだっけ。演出上はコマンチ族が英語を喋っていて、中盤に言葉の通じない白人が非英語という見せ方も当時の地勢を上手く利用しているなあと変なところで感心。 そういえば序盤に「ライオン」を狩りに行く描写があるけど、あれってピューマだよね。原語でも"Lion"と言っていたので不思議だったけど、調べてみるとピューマのことを米国西部では"Lion"と呼ぶということを初めて知った次第。(ややこしいから日本語字幕では「ピューマ」にしてもいいのでは。) |
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若き日のジーン・ハックマンがいい味を出してるけど、映画が始まってしばらくは“普通の刑事物”っていう感じだった。でも追跡劇が始まる後半に入ってから盛り上がる盛り上がる!カーチェイスシーンはものすごい迫力だし、今でも十分通用する。実話ベースらしいけど、よくまとまってたし面白かった。でもオチに驚いた。いわゆる“ハリウッド的”な終わり方でなかったのがなんともリアル。主人公が完璧な善人でないのも“リアル”という面ではいいのかも。しかしアメ車は頑丈ですなあw | ||
ザ・リバティ、 カンザス・イヴニング・サン別冊 (2021年制作) |
雑誌「フレンチ・ディスパッチ」の創刊者でもある編集長が心臓麻痺で急死した。彼の遺言により雑誌は追悼号が最終号となるが、その記事の内容はこのようなものだった。 という体裁のオムニバス映画ですね。とはいえそこはウェス・アンダーソン監督の映画なのでひとクセもふたクセもあるわけだけど、その作風はあいかわらずアンダーソン監督にしかできないアンダーソン印の作品となっておりました。ワンカットを見ただけでも「これはアンダーソン作品だ」と思えるのだから、ほんとにすごい個性だし、その立ち位置を揺るがぬものとして観客に認知させているのはさすがです。 本作に関しては、監督が雑誌「ニューヨーカー」に対するオマージュを捧げているものになっていて、その辺の知識が足らぬ自分としては表面的な部分しか受け止めきれていない気がする。パンフにはそのあたりの「ニューヨーカー」に関する解説が色々書いてあったので、理解を深めてから観るとまた印象も変わるかもしれないけど、初見では正直言ってそれぞれのエピソードには入り込みにくい部分もあったかな。もちろん思わずニヤついてしまうようなやり取りや描写も多々あったけどね。でもどちらかというと、自分の場合はその各エピソードをつなぐ幕間やプロローグ・エピローグの方が入り込めていたかもしれない。ビル・マーレイ演じる編集長に透けて見える人間性がとても良かった。記者やスタッフに“敬愛された編集長”というキャラクターがあってこそ、追悼号に選ばれた記事たちによるエピソードにも意味がこもるというものだしね。 それにしてもキャストは凄まじく豪華だよなあ。アンダーソン作品の常連俳優はもちろん、新たに参加した俳優も、これだけ俳優たちが揃うのも彼らが「ウェス・アンダーソン作品に出たい!」と思っていることの表れですな。 |
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(1984年制作) |
水上警察と陸上警察が反目しながら、最後には協力して海賊を退治するジャッキー・チェン監督・主演の香港映画。 20世紀初頭の英国植民地下の香港が舞台ということで英国総督がいたり、英国海軍の提督がいたり。でも提督など海賊に捕まったりして宗主国のエラい人なのに影が薄いw まあそれでその救出計画が「A計劃」というわけですが。 アクションはキレがあって体も張っているし、見栄えがいいね。特にラストのジャッキー、サモ・ハン、ユン・ピョウと海賊の首領との格闘戦はお見事。序盤の自転車でのアクションも見せ方の工夫も含めて上手いと思う。有名な時計塔のシーンは…痛いw ストーリーは単純だしコメディ仕立てなので分かりやすい。ドタバタ喜劇的要素としての序盤の乱闘シーンなどは、ちょっと長く取りすぎな感じもするけれど、まあそこは作風…というかジャンル映画だからなあ。敵地での合言葉のやり取りは地味に好きですw |
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(2008年制作) |
ウォーターゲート事件で失脚したニクソン大統領。事件後、主人公である英国のTV司会者フロストは彼へのインタビュー番組を作ることで米国のTV界に返り咲けると考えたが、ニクソンは想像以上の強敵だった。 事実を元にした舞台劇の映画化作品なので、内容については多分に創作が含まれていると思うけど、2人のインタビューでの駆け引きは緊張感があって引き込まれるモノがある。4回のインタビューの内、最終ラウンドまで防戦一方だったフロスト側の焦り(資金不足のまま制作しているという進退をかけた焦り)もあって、物語が盛り上がります。 監督はロン・ハワードだけど、相変わらずそういう作劇方法が丁寧で分かりやすい。歴史的背景をほとんど知らなくても舌戦の様子だけで楽しめるように作る丁寧さが、逆に親切すぎる感じはしたけどw 物語の進行中、“登場人物達のインタビュー”を差し込むという疑似ドキュメント的な演出もあるけど、それがさらに内容の解説を担当しているわけだ。さすがにフロストの表情についてまで解説されるとは思わなかったけどね。(普通、そこは観客のリテラシー能力にゆだねられるところだからなあ。) フロスト役のマイケル・シーンもニクソン役のフランク・ランジェラも、表情から雰囲気まで演技がバッチリだった。見た目が本物にそんなに似ていなくても、やはり演技力で勝負してくる役者は見ていて気持ちが良い。雰囲気だけでそう見えてくるから不思議だねえ。 |
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2001年度のトニー賞を総なめにしたブロードウェイ・ミュージカルの映画版。 印象としてはミュージカルを素直に映画化した感じ。“映画的”というよりは舞台をそのまま切り取ったようなイメージですね。もちろん場面転換や舞台の広がりのように映画ならではの演出もあるけど、個人的にはもうちょっとだけでも映画ならではの捻りが欲しかった気もする。まあ十分に面白かったんだけどね。 舞台制作の裏話、ゲイ、ナチを徹底的に皮肉な笑いに変えたストーリーは楽しい。個人的に下ネタが鼻につかなくもないけど、ショウビズの舞台裏の世界はそんな感じなのかな? 映画の導入部こそちょっと入り込めなかったけど、マシュー・ブロデリックが“I Wanna Be A Producer”を歌うあたりからどんどん盛り上がってくる。そして劇中劇「春の日のヒトラー」は実に笑えましたw エンドクレジット後、最後の最後にメル・ブルックスが登場して「もう終わりだ、出て行け!」と怒鳴る。良い、面白いねw |
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けして悪くはない映画だが、謎が謎のまま残されてしまうので、多少釈然としないものがある。でも、映画の中でも語られているように、その現象に答えを求めるのはいけないのかもしれない。解決しない分、観賞後に自分なりの解釈で納得するというのは、ある意味想像力をフルに使って楽しい・・・。が、けして辻褄は合わない。映画中にある複線はいわゆる超常現象な訳で、やはり答えを求める方がナンセンスなのだろうか? | ||
伝説的な猟奇殺人、切り裂きジャックの犯人像に迫るサスペンス。もちろん迷宮入りの事件なので真相は分からないし、この映画もフィクションな訳だが、王室の陰謀、王子の復讐、フリーメイソンの儀式…と言った具合に提示される可能性の数々。結局この映画としては個人の暴走ということでまとめているけど、なかなか上手い具合に料理していると思う。ジョニー・デップは少々「スリーピー・ホロウ」の役どころとしては近いものがあるものの、まったく別のキャラクターをみごとに演じきっている。しかし、オープニングからアヘンでラリっているとは、そんな主人公はなかなかいないなw 結末は完全なハッピーエンドとは言い難いけど、それでも個人的には納得しています。きっと向こうで幸せになったのだと。この映画には当時のロンドンの世相みたいなものが描かれているけど、エレファントマンが出てきたのは驚いた。 | ||
(2012年制作) |
世界各地の古代遺跡で発見された同じ星図。人類の起源の答えを求め、科学者たちを乗せた宇宙船プロメテウスが地球からはるか彼方の惑星へと降り立つ。 リドリー・スコット監督が描く人類の起源…という宣伝展開だけど、元々の企画が「エイリアン5」だったということもあり、極めて「エイリアン」の前日譚に近い印象のSF作品になっている。「エイリアン」に登場したいわゆるスペースジョッキーと呼ばれる巨大宇宙人の死骸がなんだったのか(多少の矛盾はあるけど)がここで描かれるのだけど、ファンとしてはそれだけでもワクワク。しかし"人類の起源"なんて大仰なテーマを挙げた割には、そこは匂わせる程度で具体的な描写は少なく、「エイリアン」的な世界観のビジュアルや雰囲気を楽しむ映画でしかないような気も。 冒頭の巨人が人類の起源に見えるけれど、彼らの意図がよくわからないのが決定的で、なぜその後になぜ滅ぼそうと地球に来ることを考えたのかも謎。アンドロイドのデヴィッドの思考は不気味。ある種の感情を感じる行動はどこまでが指示されたものなのか…?デヴィッドを演じたマイケル・ファスベンダーの雰囲気はなかなか良かった。 「エイリアン」が前提の映画としては良いと思うのだけど、やはり単体の映画としてみるとあまりにも抽象的な気はする。個人的には登場する科学者たちの行動がいまいち頭が悪いのも気になるところ。いくら組成が正常な空気だからと言って、どこまでが安全かわからない遺跡の中でヘルメットを外すとか。横に逃げればいいのに真っ直ぐ逃げるとか…。 |
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真夏の魔法 (2017年制作) |
フロリダの安モーテルで暮らす母娘。6歳の少女・ムーニーにとっての毎日は友達とのいたずらや冒険の楽しい日々だった。 言葉は悪いかもしれないけど、この作品で描かれるのは底辺の母子家庭の暮らしである。安モーテルで暮らし、娘がいたずらをしても叱らないどころか悪びれもしない母親。宿代の工面のために香水を押し売りし、体を売り、窃盗と転売もする。正直、この映画を観ている間も状況としてのハッピーエンドが想像できなかった。案の定、児童福祉局が来るという顛末に、俺は仕方がないよな…と思ってしまった部分は大きい。 しかしこの作品が描いているのは、そんな環境の中でもある意味で無垢な感性のまま子供らしく遊んでいるムーニーの輝ける世界なのだと知る。それは母親がいて、友達がいて、毎日が輝いている夢の国。だからこそ終盤で福祉局の人間に引き離されそうになった時に拒絶し、ラストには友達に手を引かれディズニーワールドへと逃げ込んだわけだ。その幕引きはあまりに唐突で俺は一瞬面食らってしまったのだが、ディズニーワ−ルドが比喩でしかないのは自明だとして、ムーニーにとってはそれまでの毎日こそそれと同じ夢の国だったという示唆だよね。 視点が子供の世界なのだけど、殊更にフィルターがかかることもドラマチックにすることもなく、日常を淡々とカメラで切り取る俯瞰した感じとのバランスが興味深い。ウィレム・デフォーが演じるモーテルの管理人がその家族を自分の立場の範囲で優しく見守っているわけだが、個人的にはそちらの方に共感した感じ。“普通のおじさん”を演じるデフォーは良かったなあ。 |
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(2018年制作) |
1988年大統領選挙の予備選で、民主党大統領候補の最有力候補となったゲイリー・ハート。しかしあるスキャンダルからその流れが一変してしまう。 一見すると主人公のゲイリー・ハートは自分の脇の甘さから墓穴を掘っただけに見える。劇中でケネディやジョンソンの発言が例え話が上がるが、「時代が違う」と繰り返されるように政治家の女性関係に関する認識が変わっていった時代だったのだろう。このゲイリー・ハートはその流れを読み誤って転落していった。俺自身は政治家が完璧に清廉である必要はないと思っているのだけど、ゴシップネタに飢えた当時のマスコミ(大衆)はそういう話は見過ごさなかったということだわな。まあ時代を描いた伝記映画とすれば、興味深くはある。 しかし、この話を観ていても何を焦点に言いたいのかというところが曖昧に感じたなあ。プライベートに隠し事のある政治家が問題なのか、状況証拠で飛ばし記事を書いたマスコミが問題なのか、女性に対する扱いが問題なのか。そこが曖昧に感じるのはいずれの話にも手を付けながら、核心には踏み込んでいないという感じがするからだと思う。マイアミでの出来事をボカしているので、マスコミのスクープの信ぴょう性もボヤけているわけで、結果的に別件で不倫してましたという部分でストーリーに落としどころを作っても今一つしっくりこない感じ。 まあ存命でしかも実績のある政治家を扱っている話であるし、疑惑の部分を確定的に描くことは避けたのだろうとも思うのだけど。物語としては何だか及び腰に感じる部分はあった。 |
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おデブな女子高生の主人公が人気テレビ番組に出演することを夢見、実現していくミュージカル作品。 序盤からラストまでノリノリです。テンポの良い曲がずーっと続くので、非常に楽しいのだけども少々疲れる。でもミュージカル映画の楽しさを教えてくれるような作品ですね。 舞台が60年代のボルチモアで、そこには肌の色が違うという事による偏見、体型が太いというだけでの偏見がある。そういった人の偏見を打破しようとするパワーが描かれるんだけども、重いテーマなのにそんな雰囲気を吹っ飛ばすかのような曲が気持ちいいね。 TV番組のホスト役のジェームズ・マースデンがすっごい笑顔。ヤサグレたサイクロップスの時とは大違いだw 60年代的な番組の雰囲気を知らない世代から観ると新鮮な印象を受けます。 |
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(2015年制作) |
南北戦争後の米国・ワイオミング。猛吹雪の中、嵐をやり過ごすために停車場に籠ることになった奴らの運命を描いたクエンティン・タランティーノ監督の西部劇・ミステリー。 167分という上映時間が長いのか短いのか。正直、映画の半分くらいまでは長かった。しかし後半はとても短く感じる怒涛の流れ。しかも鑑賞後は、あれほど長かった前半があってこそのエンディングだなと納得。かつての南軍北軍にいた白人と黒人が協力して“吊るす”シーンは、カート・ラッセルが演じた賞金稼ぎに対して見せた最後の手向けとして、その前半で見せた関係性があってこその説得力だろう。 全体的には6つのチャプターがあり、大まかには3つの場面…“ミニーの紳士服飾店”へ到着するまでの前振り、密室劇での駆け引きと殺人、そしてネタ晴らし&エンディングで構成されている。ネタ晴らしになるまで登場しない人物がいるので“ミステリー”としては反則なんだけど、まあその後の展開がタランティーノらしい凄まじく血みどろなものだったので、そんなことはどうでもよくなってしまいました。喋って喋って、そして撃ち殺す時にはためらわない。タランティーノ監督の作家性に満ち溢れた作品!まさかの登場、チャニング・テイタムも良いよ、その弾けたあっと言う間の散り様!w とにかく後半が血みどろなんだけど、主に血まみれになるジェニファー・ジェイソン・リーへの扱いに笑ってしまう。賞金稼ぎのカート・ラッセルにボコボコに殴られ、血を吐かれ、脳漿を被せられる。ひでーw でもタランティーノのこの映画はエグいけどそんなに下品ではないんだよな。汚い言葉や差別用語も多々出てくるけど、ちゃんと人物の背負っている生き様の説得力になっている。そこがやっぱりこの人の映画の魅力。 |
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(2017年制作) |
天才的な運転技術で強盗を逃がす仕事をしている主人公の青年。ウェイトレスと恋に落ちた主人公は真っ当な生活を始めるが、そんなある日、かつてのボスから再び仕事の依頼が来る。 足を洗いたいが状況が許してくれない、というのは犯罪映画ではよくあるシチュエーションだけど、この映画は起承転結もキャラクター構成もよく出来ていて素直に面白い。主人公は犯罪に協力しているが、事情があっての事で殺しも好んでいないという人物像を、状況や手短な会話で伝えきる演出は上手いね。主人公が音楽を手放せないという設定は、作品を既成の曲を使ったミュージカル調にするための力技的な部分もあるけれど、iPodやカセットテープといった少し前のガジェットを使うことで作品のアクセントに変化させるアイデアには感心した。 観ていると起承転結の「承」にあたる助走(状況描写)期間が少し長い気はしたけど、これがあってこそ終盤の話の転がし方に効いてくるので考えられてはいるな。主人公や周囲の人の人物像も、強盗メンバとの関係性も、観る側の理解が出来てから「よーいドン」といった感じで始まる終盤のハラハラ具合が気持ちいい。ドク役のケビン・スペイシーが悪人と理解者の両面を垣間見せてイイ味を出してます。 冒頭のカーチェイスは細かいカットも効いて迫力満点。観客へのツカミとしても良いし、ベイビーのドライビング技術も一気に理解させられて一石二鳥ですね。車種がスバルってところも日本人的には嬉しいw 映画や音楽へのオマージュが散見される作品ではあるが、終盤の銃撃戦は特に「ヒート」っぽいなあと思った。また、映画への言及としては「ボニーとクライドか?」というチンピラのセリフが、「俺たちに明日はない」を観た身としては(最後に警察にハチの巣にされるんじゃ?)と軽い不安を煽ってきて憎らしいw 結果、ハッピーエンドだったけどね。 |
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(2022年制作) |
「赤ちゃんポスト」の前に捨てられた一人の赤ちゃん。捨て子を不正に取引するブローカーと、彼らを負う刑事、そして赤ん坊の母親の思惑が入り混じりながら描かれる人間ドラマ。 是枝監督は前作でフランス映画を撮ったかと思えば本作は韓国映画。でもどこで撮ろうとも是枝監督らしい“家族”の話になっているのだからブレがない。乳児の違法養子縁組という犯罪(人身売買)を描いていて、それを巡って警察やヤクザまで動いているのに、派手さや緊張感とは別の次元で話を動かしているところの手際の良さは見事だねえ。特に“子供を捨てる親”という行為に反感を持っていたキャラクターがどの様に変化していくのかという部分において、ペ・ドゥナ演じる刑事とカン・ドンウォン演じるブローカーの相棒・ドンスの存在感が大きい。 子供を捨てる話を観に来たら「生まれてきてくれて、ありがとう」という言葉を聞かされるとは思っていなかったけれど、その優しさこそが本作の魅力ではあるか。犯罪を描いているし、主人公たちが嘯く「善意」の胡散臭さもあるが、それでも登場人物の背景を知るにつれて感情移入させられてしまうのは演出の巧さなのだろう。 気になるところとすれば主人公のサンヒョンが最後の手段で殺人を用いたことか。「もう彼らには俺は必要ないのだ」と言ってヤクザから(疑似)家族を守る姿に侠気を感じつつも、彼は罪を重ねて姿を消すしかなかったという結末はややビター。でも、ソン・ガンホの「犯罪は行っているけれど実際的には良い人なんだろう」と感じさせる演技はやっぱりさすがだと思う。 |
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(2014年制作) |
マーベルコミックを原案にした初のディズニーアニメ化作品。主人公の少年・ヒロは、兄の遺した介護ロボット"ベイマックス"の行動によって、自身の発明したマイクロボットが秘密裏に大量生産されている事を知るが、そこに現れた謎の仮面の男に襲われる。 設定はだいぶ違うようだけど、原案は日本を舞台にしたアメコミ「BIG HERO 6」。ヒロとその兄・タダシとの交流などをメインにした序盤はあまりヒーロー物には見えないけども、中盤以降はガラッと変わってスピード感あふれるアクション映画に。ベイマックスの白くて大きくヨチヨチした感じで歩く姿の可愛らしさからも良いが、後半の結構パワー系のポジションになるあたりはギャップ的な面白さもあるね。最後まで観るとヒーロー活劇としては割とオーソドックスな展開ではあるけれど、ヒロを守るベイマックスといった構図に一貫性があるあたりや、チームの仲間もキャラが立っていて悪くない。それにしてもマイクロボットを操る仮面の男のビジュアルはカッコイイな…。 まあ細かいことを言えば、復讐のためには街の被害を顧みず、あまつさえ教え子を殺しにかかる様にさえ見える教授の行動は少し疑問に残るが…。結果的には兄以外に犠牲者も出ず、敵にもそれなりの事情を与えるあたりはディズニーなりの配慮なんだろうかね。 ディズニーアニメになってもしっかり登場してくるスタン・リーにはクスッとしたw |
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(2016年制作) |
1950年代のハリウッド。スタジオの“何でも屋”エディは、その日も様々な問題の解決に奔走する姿を描いたコーエン兄弟のコメディ映画。 劇中、スタジオでは様々な問題が起こる。共産主義者によるスターの誘拐、未婚女優の妊娠、役者に対する監督からの苦情、ゴシップを嗅ぎつける記者…。この映画はそんな諸問題に振り回される男のコメディ…なのかと思ったが、観てみるとそうでもない。いや一面的には正しいか。コメディとしてはハリウッドのスタジオ・システムがまだ成立していた1950年代という時代のあるあるネタというか、そういう部分を取り上げたパロディとしてはそうだ。俺自身はまあまあ楽しめたけど、正直、その時代のネタを知っていないと分かりにくい映画だとも思う。 そして実際の物語の軸の一つは、ジョシュ・ブローリン演じる何でも屋のエディの映画作りという仕事の誇りに対しての事であって、他に描かれる“様々な問題”はエディの大変な日常の一部でしかない。なので色んな事件自体はそんなに深くない感じ。 もう一つの話の軸はキリスト教だよね。冒頭で「妻に嘘をついた」と告解するエディ。エンディングでも告解しているが、神父に「さして大した罪でもないのに」と言われるほどの内容だ。そんな男がスタジオを守るために世間に対して嘘を作っているのが皮肉だが、エディはそれを罪とは思っていない。コーエン兄弟はつまり「映画とは嘘なのだ」を自覚的に描いてオマージュとしているのだと思う。 |
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呪われし勇者 |
8世紀から10世紀ごろに成ったとされる叙事詩を原作に、ある勇者の巨人や竜との闘いを描いたファンタジーアクション。 ストーリーはいかにもな雰囲気の漂うファンタジーで、話は上手く纏めているけどちょっと物足りない。あと全体的に暗くそして子供向きではない展開もあるんだけど、この映画版は勇者を誘惑する悪魔の存在が特徴だから、それがこの話をちょっとダークな方に持っていっているのかもね。誘惑に負けてしまう勇者というのは人間くさくて現代的とも言えるか。 映像は全編フルCG。背景も人も全部。人物はアンソニー・ホプキンスやジョン・マルコビッチ、アンジェリーナ・ジョリーのCGモデルが良くできている。でもやっぱり生身の質感と違うんだよなあ。「ファイナル・ファンタジー」の頃から考えると格段に良くはなっているけど、やっぱり生々しさはまだ出てこないか…。このあたりにはCGの限界を感じるところです。 それでも炎や水の描写は凄い。多少張り付く感じに違和感もあるけど、それでもここまで出来るのかと感心しました。竜との最後の闘いは迫力満点だったね。 |
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(1984年制作) |
都会に引っ越してきた主人公ダニエル。ダニエルは学生空手チャンピオンのジョニーからイジメや嫌がらせを受けるようになるが、2ヶ月後の空手大会で決着を付けると挑戦をたたき付ける。 全体の作りは画に描いたような青春スポ根モノのお話。イジメに遭って、師匠について修行して、大会に出て優勝する。ベタだw しかし主人公がイタリア系であり、師匠であるミヤギがアジア系の爺さんで、その二人が金髪のアングロアサクソンと闘うという構図が興味深い。その上でミヤギの教えである「勝つことが全てではない」空手道の精神論などの表現も良い感じ。とか言いながら、ストーリー上は優勝しちゃうけどねw これは話のカタルシス上やむなしか。 いわゆる「こき使われてるだけと思ったら鍛えられていた」という修行シーン自体はギャグなんだと思うけど、これはこれで妙な説得力があるので不思議。ただみっちり修行しているというわけでもなく、合間合間にガールフレンドとよろしくやっている主人公の姿を見ると、ホントに強くなるのか?と思ったりもしないではないが…。青春映画だからないとこういうシーンがないとダメなんだろうな、きっと。それ以前にイタリア系だから女に積極的なのも当たり前かも?w 試合までは割とテンポのゆったりとした演出だったけど、良い意味で丁寧。さすがに最後の試合に至る経過は敵側の策略もあってテンションが上がってくるけど、決着が付いた後に掌返したようなジョニーの態度はいささか急ぎ過ぎとは思った。と言うかホントに決着を付けるべきは敵側の“先生”だって話だよね。そこまで話が至らないのは少し腑に落ちなかったけど、でも格闘の勝負が全てじゃないという意味なら、最後のミヤギの笑顔でエンディングというのも悪くないとは思う。 |
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(2010年制作) |
1984年の同名映画を、主人公を黒人少年に、舞台を現代中国に変更したリメイク作。 舞台が中国になり、描かれる武術も空手から功夫に変更されているものの、ほぼ1984年版を踏襲したストーリーラインにはオリジナルに対する敬意が感じられる。元々のプロットが良いので奇をてらった話の変更をしなかったのは正解だろう。修行シーンの変更では「小間使いさせられていると思ったら…」ではなく「服を掛ける躾…?」になって多少オリジナルのウィットは消えているけど、それでも日常の動作が修行になるという面白さは生きているね。ライバル側の師範は相変わらず“人”として悪い。しかし本作ではラストにその師範の鼻を明かす場面があるので、ここはオリジナルよりも溜飲の下がるところで良い感じでした。 主人公役はジェイデン・スミス。生意気そうなキャラクターそのままなのはそれとして、身体を鍛えている部分では説得力もあるし、アクションも見事にこなしていたのは大したもの。そしてその師匠役がジャッキー・チェン。オリジナルのミヤギの様な飄々とした感じはあまり無いけど、功夫シーンの説得力はさすが。一番の見せ場は少年6人との闘いですが、彼のアクションシーンがここしかなかったのが残念に思えるほど。ただジャッキーになったことで、オリジナルのミヤギが抱えていたマイノリティであったことに起因する過去の悲劇が変更され、興味深かったマイノリティのテーマが無くなっていたのは少し残念だった。 |
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(2016年制作) |
飼い主の留守中、ペットたちは何をしているのか…。 飼い主に好かれている飼い犬マックス。ある日、飼い主がもう一匹の犬デュークを引き取ってきたことから自身の立ち位置に不安を感じるわけだが、そういうプロットは「トイ・ストーリー」を想起させる。人間の観ていないところでの彼らの世界を描いている点も同じ構造だよね。まあそういう身近な存在の秘密というところが、子供には想像を掻き立てやすくて良いかもしれない。 しかし話の動きだす中盤は、マックスとデュークの話、彼らを探すギジェット達の話、彼らを追うスノーボールの話も描かなくてはいけなくなって、何かと落ち着かない。保健所職員からの逃走も相まって、基本的に彼らの追いかけっこがベースで進むのでちょっと忙しない気もしたかな。まあバタバタぶりはカートゥーンの系譜なんだろうし、画面を所狭しと駆け回るキャラクターたちのテンションが下がらないので、アトラクションムービーみたいな感じと思えばありか。でも飼い主の目の届かないところでのペットの日常生活…というよりは、ただの動物たちの冒険譚みたいに思えたので、導入プロットを生かし切れているのかはちょっとよく分からない。 とはいえ世界観やキャラクターは割と好みではある。個人的にはニューヨークをちょっとデフォルメした感じの風景デザインが良いなあと思った。 |
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(2019年制作) |
飼い主の知らないところで、ペットたちはどんな冒険をしているのか…。 基本的にカートゥーン的な擬人化やドタバタ風味な部分は嫌いではないんだけど、作品のターゲット年齢が低めなのか、それとも勢いでごまかされているのか、何となく薄く感じてしまった。冒頭から3つもの物語が並行で展開し、それらが最後に収束していくという構造は話としてやりたいことは分かるのだけど。「人間の知らないペットの生活」以上にもう一つ、なにか共通した主題がそれぞれに感じられると良かったんだけどなあ。序盤でそのあたりをバラバラに感じてしまったのが何か気になって…いうのが正直なところ。 主人公マックスの成長は描かれた通りなので分かりやすいけど、環境の大きな変化として提示された「飼い主の子供」という要素が「マックスの心理的ストレスの原因」以外で機能していない様にも思うし、なんというか…話の入口と途中と出口での若干チグハグさの印象がぬぐえなかったんだよね。 まあでも、明白な悪役がいて、それに対抗するアクションがあって、最後には大団円を迎えてめでたしめでたし…という分かりやすい話は、カートゥーンの系譜としては正しい構造なのかもしれないとは思うのだけど。 |
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(1989年制作) |
スティーヴン・キングの小説「ペット・セマタリー」を原作にしたホラー作品。ペット霊園の奥にある、死んだものを生き返らせる土地が引き起こす物語。 話の始まりは死の概念がまだ曖昧な子供にペットの死をどう受け入れさせるかという話だったのに、途中からは大人が我が子や妻の死を受け入れられるかという話になり、なかなか人の業に踏み込んでいてテーマが興味深い。ホラー映画としては、デカい傷や切断シーンの特殊メイクは頑張っているものの恐怖演出はどこか牧歌的で、怖いというよりは死者をよみがえらせるという行為への気味悪さの方が前面に出てるかな。子供たちの「ペット霊園」というタイトルとは裏腹に、内容はいい大人が人の死を操ろうとする話だってことにも何か皮肉めいたものも感じるけど…これは考えすぎか。 主人公は“いい幽霊”のパスコウから行くなと言われたそばからそこへ行くし、やるなと言われたそばからそれをやるし、結末はもう自業自得としか言えませんな。何回同じ轍を踏むねん、と。逆に最初怪しげだった向かいの家の爺さんは実際には悪い人ではなかったので、死にざまには同情。でも生き返らせたらどうなるかを経験した人物なのに、主人公に復活の儀式を教えたのは…同情心があったとしてもちょっと理解には苦しむ。他にもパスコウが霊体として関与できる理由がハッキリしないのは気になるし、主人公の妻の姉のトラウマが具象化して襲ってくるのも流れとしてはどことなく浮いている感じ。 それにしてもパスコウさんは、見た目はあんなだけどいい人(幽霊)だったなあ。 |
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(2019年制作) |
スティーヴン・キングの小説「ペット・セマタリー」を原作にしたホラー作品。ペット霊園の奥にある、死んだものを生き返らせる土地が引き起こす物語。 同原作からは30年ぶり2度目の映画化ですが、どこか牧歌的な感じのするホラー映画だった旧作と比べると、全体的に彩度控えめな画作りで今どきなホラーっぽい感じにもなっている。姿は同じなのに中身が違うというのは、対人に関する恐怖の根源に触れるようで好みな要素ではあるし、その上で、生き死にをどうにかしようという人の傲慢さを家族の物語へ落とし込んでいる設定が面白いよね。 ストーリーとしては原作や旧版とは違う展開もあって、本作では弟のゲイジではなく姉エリーが死ぬことになる。そこはまだいいとしても、妻レイチェルの復活が主人公ルイスではなくエリーの手で行われるので、それによって邪悪な者の意思は強調される反面、主人公に感じた人の業のやるせなさはちょっと薄まってしまったかも。まあ行為に対する気味の悪さはちゃんと描かれているけれど、ホラー映画としては普通な印象です。主人公に警告するパスコーの存在感も、親切さより不気味さの方が強くなってしまったのはちょっと残念。 基本的に“腐った土地”は人智を超えた現象を引き起こす場所なわけだけど、劇中で主人公がエリーの頭に“傷を閉じた跡”を発見するシーンがあったのは超常的な出来事を俗っぽくしてしまう感じで不満。「中身が入れ替わったこと」に対するエクスキューズであることは分かるけど、ちょっとクドいかな。 |
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(2011年制作) |
一組の夫婦を主人公に、離婚・老人介護などの社会問題とともに人間の軋轢を描いたイラン映画。 様々な賞を受賞しただけのことはある見応えのあるドラマです。初めは小さなすれ違いから次第に事態がこじれていく様は心苦しいけど、緊張感があり、引き込んで離さない。裁判モノの王道とはいえ、証言者のウソと真実を次第に明らかにしていく構成がテーマとマッチしていて実に秀逸。また、イランが舞台だけれど登場人物が抱える問題は普遍的な人間関係によるもので、素直に感情移入してしまうわ。"宗教上の理由"というイスラム教徒の心情がキーにもなってくるけど、序盤の伏線が効いていて理解しやすいと思う。 タイトルをテーマに人間同士の間に横たわる溝のようなものが見える。その一方でかろうじて繋ぎとめようとする絆に希望も見える。劇中ではそれが上手くいかず、様々な人の溝が深まり所謂アンハッピーエンドでもあるけれど、この映画のその安易ではないリアルさがいい。エンドロールの長いワンカットも印象的。 |
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(2014年制作) |
半神半人の英雄・ヘラクレスを、人間・ヘラクレスとしてドウェイン・ジョンソン主演で描いたアクション映画。 一昔前ならシュワルツェネッガーが演じそうな主人公だが、ギリシャ神話の映画化…ではなく、怪力はあれど傭兵として生計を立てる一人の人間・ヘラクレスと仲間達という構成が面白い。それらしいハッタリで伝説が作り上げられていく過程、それでいて傭兵として勇敢に戦果を挙げる姿には、ドウェイン・ジョンソンのカリスマ性と屈強な肉体が見事にハマってる。仲間達のキャラクターも立っているし、それぞれの戦闘スタイルを生かした戦闘シーンも見応えがあっていい感じですな。 98分と短めの尺なのでストーリーはテンポ良く進むものの、トラキアとその反乱軍との戦いは規模的に少し小ぢんまりとした印象もあって、壮大なスペクタクル・アクションとまでは思わない。とはいえコテュス王を演じるジョン・ハートの裏表の演技など、勧善懲悪で予定調和な感じがプログラムピクチャー然とした…良い意味で安い感じであり、それがこの作品を観やすくもさせているのかなと。 エンドクレジットでは伝説の真実(?)が垣間見えて良いね。この見せ方には感心したw |
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自転車選手の孫を誘拐されたおばあさんが、相棒の犬と共に孫を取り返すために奮闘する姿を描いたフランスのアニメーション。 凄く個性的なアニメ。極端にデフォルメしたキャラクターや、ほとんど台詞の無い本編など、アニメの表現力を生かした良い作品だと思う。ただ、個性が強すぎるから万人ウケするかどうかは分からないけども。 多少展開が強引なところもあるけど、ある種のファンタジーだし、それはそれで許容すべきところか。でも序盤の描写には感心した。孫の感情や、おばあさんの心情を台詞無しで確実に伝えてくる。絵のキャラクターだけで物語を伝えるのってのは、確かな演出力だよねえ。 ところで、どう見てもジャミラを思い出してしまうマフィアの手下ども。あのデザインは奇抜だなあ…。 |
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〜心がつなぐストーリー〜 (2011年制作) |
60年代のミシシッピー州が舞台した。黒人家政婦と彼女たちを記事にしようとした若手の女性記者の物語。 舞台が舞台だけに黒人差別の真っただ中。冒頭に提示される「自分の子供を預けて、雇い主の子供を育てる気持ちは?」に代表される様に、白人に使われるだけの"彼女たちの気持ち"という明確な主題が最後まで貫かれていて、人間ドラマとして見応えがある。その時代を描いた社会派な話ともとれるし、その中で生きる逞しい女性たちの映画とも取れる。いずれにせよ良いドラマ。 主人公はエマ・ストーン演じる白人女性の様だが、実際にはナレーションを考えるとヴィオラ・デイヴィス演じる黒人女性の物語か。ブライス・ダラス・ハワードがイヤな役(道化でもあるが)で彼女達に関わり、単純なグッドエンドにしなかった部分に、地に足着いた社会派な部分が強く感じられるね。コミュニティとしての保守性を考えれば、むしろエマ・ストーンやジェシカ・チャスティンの様に黒人に対して偏見を持たない方が異質なんだろうけれど。でもそちらの方が友情として美しいし、対等な感謝が描かれているのだから、半世紀前から社会は進んだのだと信じたい。 |
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人間に育てられた悪魔の子“ヘルボーイ”が、FBIの秘密捜査員として悪魔を退治するために活躍するアメコミの実写化作品。 ギレルモ・デル・トロ監督らしい色調がダークな雰囲気出していて良い感じ。そういう暗い雰囲気がありながらもクロエネンのように魅力的なキャラクターや、所々にあるジョークが独特な感じで面白いです。特にヘルボーイのリズに対するいじらしい恋路の様子は人間くさくって微笑ましいw ゴツい風貌のくせにそんなかわいげのあるオッサンを演じたヘルボーイ役のロン・パールマンは、もうこれ以上もないくらいにハマり役だと思います。あの悪役顔のパールマンがヒーロー役で主演というだけでも、個人的に何故か嬉しくなってしまう。 ストーリーはアメコミモノにしては若干長めの132分もあるんだけど、特にダレずに観られた。ただし、取って付けたような展開はアメコミだからしょうがないとしても、なんだか大事の割にこぢんまりとした展開に思えてしまうのは少々勿体なく感じたね。米国で発生したサマエルは結局どうなったのか?(後で退治した? 1匹残らずロシアに行った?)その辺もウヤムヤなので引っかかるところではある。 |
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ゴールデン・アーミー |
“悪魔”の捜査官、ヘルボーイと仲間達の活躍を描いた実写版アメコミ映画のシリーズ2作目。 オッサンくさいヘルボーイは相変わらずだけど、今回はエイブが恋をしてドギマギしたり、現場に出るといまいち頼りない上司とか、人間くさい仲間達が面白い。前作に比べてアクションシーンも思い切りが出て迫力があったし、半ば怪獣映画のような描写もサービスたっぷりで良かった。 ストーリー的には善くも悪くも典型的なコミックの実写版といった内容で、特にテーマの深みを感じるようなものではないかな。まあ考えこまずにアクションやギャグを楽しむ向きの作品だから、これはこれで悪くないけと思う。 魅力のあるクリーチャー達のデザインは、デル・トロ監督らしさが前面に出ていて良い感じ。大群で押し寄せるゴールデン・アーミーは「キャシャーン」を、ラストバトルの舞台は「カリオストロの城」を思い起こしてしまうけど、オタク監督であるデル・トロだから完全にオマージュとしてやってるんだろう。日本人としては気になるところだけどねw |
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(1987年制作) |
ベルリンの守護天使ダミエルは他の守護天使たちとともに人々の日常を見守る。そんなある日、彼の心境に変化が…。 ヴィム・ヴェンダース監督の詩的な語り口が…というか、話の大半がポエムのようなモノローグで構成されているわけだが、それを守護天使たちが耳にする人々の心の声という形で「詩」にして聞かせる演出は、映像と融合した現代的な詩の表現なのだなあという感じ。大まかな話としては、悠久の時を過ごす天使が有限の時を生きる人間になりたいと願った物語であって、天使の目を通して切り取られた人々の情景や時間の流れはアーティスティックな印象を残す。一方で舞台となったベルリンを80年代後半に撮った作品なので、「壁」そのものにも大きな存在感があるなあ。21世紀の今では歴史の一コマになってしまったけど、「ベルリン」と言えば「壁」というイメージだった時代が象徴されてるね。 主演のブルーノ・ガンツは、天使の時の優しいほほえみと人間になってからの感情にあふれたほほえみの演じ分けが良い感じ。喜びの質が変わったことが凄く伝わってくるのはさすが。しかしこの映画で最も目を引いたのはピーター・フォークの存在だろう。彼は序盤でベルリンにやってくる俳優として登場するわけだけど、カメオ的な出オチかと思ったらそれが本人役で、しかも劇中で「コロンボだ!」と言及されるくらいメタ的な存在であるというところが重要だよね。要するに「ファンタジー」と「リアル」の橋渡しとして、現実の存在である“ピーター・フォーク”という存在を使ったわけだけど、これは見事だった。現実の延長の上に元天使としての顔を垣間見せるフォークの演技は良かったなあ。 |
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(2018年制作) |
祖母が亡くなったグラハム家。その日から彼らの家にまつわる運命が動き出す。 ジャンルとしてはホラー映画だけど、ハリウッドにありがちな俗っぽい脅かし系ではなくて、何かの存在を感じたりといった不穏な圧迫感がメインで雰囲気が大変良い。観ていた俺はジャパニーズ・ホラーのヤバそうな雰囲気が脳裏をよぎったけど、あからさまな化け物が出るわけではないし、家族の話として終始した部分が本作のホラーとしての質を高めていると思ったね。 大きなテーマとして家系が持つ隠された目的と運命が話の軸になってはいるものの、この話の何が怖いって、母親の精神状態が次第に悪い方向へ行き、降霊の儀式をやってしまうまでに至る流れに説得力を感じてしまうところだよな。結果的にそれ自体は悪魔崇拝者の誘導だったわけだけど、それにしたってそれを受け入れてしまう心理状態という話に、人がカルトにハマる瞬間を観た気がしてとても居心地が悪かったなあ。(ホラー映画としてはいい意味ですよw) 序盤で色々と伏線がバラまかれているけど、あえて見せすぎず語りすぎずといった塩梅は好みです。特にチャーリーの舌打ちの音の使い方など、序盤での彼女というキャラクターの印象付けと、終盤での“そこにいる”感じの印象付けに抜群の効果を発揮しているなあ。そして意味深なミニチュアハウスの造形が見ている側の不安をあおるが、他にも場面場面でファンノイズの様な音が聴こえ続けたりもして、圧迫感を無意識に作用させる演出が上手いね。終盤は描写的にもややオカルト映画要素が強くなってしまったけど、統一された雰囲気がとてもいいホラー映画でした。 |
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数奇な人生 |
80歳の肉体で生まれ、通常に人と逆さまの時間で身体が成長していく男の一生を描いたドラマ。 主人公の成長が、何故“老人→青年→赤ん坊”へと成長していくのかについては、ファンタジー映画だから気にはしない。劇中の登場人物も、そのことについて不思議には思っても“何故だ”とは考えないもんね。そういうもんなのだ。 その上で、“老い”を逆回しに体験する主人公は、数ある人生の内の一つとして描かれる。エピローグがまさに物語っているけど、若返る事が奇異なだけで“ただの一人の男の物語”なんだと思う。育ての親に愛され、友人を亡くし、幼なじみを愛した一人の男の話。周りの人が老いる中で自分だけが若返ることは強烈ではあるけど、だからこそ真剣に人生というものを考えて向き合える話だったかな。 主人公を演じたブラッド・ピットは、見事なVFXとメイキャップで老人から青年まで若返っていったね。まさにCG技術の進歩が生んだ説得力だけど、それを安直なSF映画ではなく、こういったドラマに生かしているというのは良い。 監督は「セブン」のデヴィッド・フィンチャーだけど、一部の雰囲気以外は今までのフィンチャーっぽくない気もする(良い意味で)。ストーリーラインが「フォレスト・ガンプ」(脚本家が同じ)を想起させる部分も多いので、「フィンチャー版『ガンプ』」と言ったらそう思えるかもねw 一つ残念だったのは、現代のシーンでハリケーンが上手くストーリーに絡んでいるように思えなかったところか。ロケ地がニューオリンズなので、“カトリーナ”のことを外せなかったという米国人の気持ちは分からなくもないけど…。 |
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最高機密文書 (2017年制作) |
1970年代初め、泥沼化していたベトナム戦争について、政府は当初から勝てないと知っていたという内部文書の存在がニューヨーク・タイムス(NYT)に掲載される。ワシントン・ポスト(WP)の主幹ベン・ブラッドリーはNYTに対抗して取材を始めるが…。 表面的には報道機関に圧力をかけてくる政府と、報道の自由を守ろうとする新聞社の闘いの話。だが実際に観てみると、ストーリーの主軸は新聞社という男社会の業界で夫の死によって図らずも社主となってしまったキャサリン・グラハムの苦悩と決意を描いたドラマだよね。冒頭、株式公開に関する会議でのスピーチの練習をしても肝心の場で声が出なかった彼女が、終盤では機密文書の暴露記事掲載で啖呵を切った。その対比が彼女の責任者としての成長を描いている。ベンに「編集方針について指図は受けない」と一蹴された冒頭と、掲載の決意について「あなたが背負っているものの大きさが分かった」と言われる終盤との対比にしてもそう。男社会であることが当然という時代にあって、「世襲だろ」という目を自分の力で跳ね除けたという物語こそがこの映画の主題。だからこそ、この映画のタイトル(原題)は彼女が受け継いだ"THE POST"であるわけだ。("WP"と"地位"のダブルミーニング) もちろん機密文書を巡る攻防もそのドラマに花を添えているわけだが、個人的にはこの部分は割と表面的な印象だったというか…。歴史の断片としては興味をそそるものの、全体を俯瞰するには割と予備知識が求められるし、その辺が結構大胆にまとめられているような気がした。この映画をキャサリンの物語ではなく実録モノとしてとらえるのならば、ベトナム戦争の背景や歴代政権の関係性、マクナマラがどういう人物か、果てはニクソンのパラノイアの事までも分かった上で観た方が良い気がする。もちろんウォーターゲート事件の事も知っていないと、ラストシーンの意味すら分からないわけだし。そういう意味では割と淡泊な印象も受ける作品だった。 |
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(2011年制作) |
NYの高級マンションの管理マネージャーである主人公は、そのマンションの最上階に住む富豪のが横領したマンション従業員の年金を取り戻すべく、富豪の隠し財産を狙った泥棒行為を決行する。 ベン・スティラーが主演、エディ・マーフィーが助演という豪華な犯罪コメディ映画。脇の俳優陣も手堅い。テンポは軽妙だし内容も分かりやすい話だけど、序盤の状況説明からしばらくはちょっとノレなかったかな。ただ後半の決行する段はちゃんと盛り上がり、ラストも小気味良く話を纏めてきたので鑑賞後感は良い感じ。どうやって最後の隠し場所に上げたのかなど、ご都合主義な設定や勢いで行っている部分もあるけど、まあコメディ映画なのでw 内容としては義賊的な側面からも共感を覚えるのだけど、敵役のアラン・アルダが善悪両面の良い演技で支えていますな。ビルの最上階に住む富豪を労働者たちが出し抜くという話は、米国の今日的な鬱憤を表現しているようにも思えます。 |
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1880年に発表された同名小説3度目の映画化作品。旧友の裏切りで奴隷となったユダヤ人貴族の運命と、キリストの生涯を絡めながら描いたスペクタクル大作。 あまりにも有名な戦車競争のイメージが強すぎて、キリストの話がかすみ気味だけど、この映画は新約聖書とのリンクがまた違った感動を味わえます。特にキリストの受難に立ち会ったベン・ハーらがラストに体験する奇跡は、いかにもキリスト教のお話ですね。 とは言いつつもやはり主人公はベン・ハーで、彼の数奇な運命に見入ってしまったあげく、クライマックスの戦車競争では思わず立ち上がってしまうほどの興奮!あのレースシーンはもう今後の映画では撮れないだろうなあ。いくらCGによる特撮技術が進んでも、この映画の生々しい迫力は絶対に出せないと思う。そういう意味で確かに金字塔な映画なのは間違いない。 |
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ドキュメント映画を初めて観たけど、これは凄かった。テーマ、構成、その他ホントに良くできてる。アメリカの銃社会が問題とされて久しいけど、「何故アメリカは銃犯罪が多いのか?」という事に答えを出すのは、当たり前に難しい。マイケル・ムーアの体当たりの取材に感服する次第です。俺は(俳優としてでなく)人間としてのチャールトン・ヘストンが嫌いになったね。口が悪いかもしれないけど、まるで頭が悪い。それに比べてマリリン・マンソンの言っている事の方が何千倍もまともに聞こえる。アカデミー授賞式でのムーアの「(イラク攻撃に対して)偽の選挙で選ばれた偽の大統領、ブッシュよ恥を知れ!」というスピーチは、実に小気味良く聞こえる。疑心暗鬼のWASP達。実に怖い。 | ||
(2015年制作) |
FBI捜査官の主人公・ケイトは、国防総省主導が主導する麻薬カルテルの操作に参加するが…。 邦題は“境界線”を意味するが、もちろん一つには米国とメキシコの国境を指しているのだろう。もう一方では主人公のケイトと、捜査に参加しているコロンビア人・アレハンドロとの光と影の境界を指しているのだろう。終盤、顔に光が当たるケイトと対照的に、顔の大半が陰で隠れるアレハンドロは、分かりやすいくらいに対比的。しかしこの映画は決して光が勝つ話などではなく、どちらかというと光が闇を垣間見て、打ち砕かれる話だ。 原題は「暗殺者」を意味するスペイン語の“SICARIO”。なるほど、最後まで観るといつの間にかアレハンドロという存在の話にすり替わっていたけど、原題からしてそうなんだね。観客は遵法を旨とした主人公ケイトに感情移入するが、街中に惨殺死体がぶら下げられるようなメキシコの実情を垣間見せることで、現実を突きつけられる。アレハンドロはそんな中で麻薬カルテルに復讐を誓う男。そして米国の思惑のためにそれを利用しているCIA。キレイごとでは済まない世界に放り込まれた主人公=観客の困惑こそがこの映画の核か。どうすればいいのか…モヤモヤとしたものが残る。 「プリズナーズ」や「複製された男」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、今作でも人が生み出す正邪の境界線を流動的に切り取るのが上手い。 |
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ソルジャーズ・デイ (2018年制作) |
米国内で自爆テロ事件が発生。米国国防省はメキシコからの密入国を手引きする麻薬カルテル同士をつぶし合わせる極秘工作の実行を決定。命令を受けたCIA工作員のマットは麻薬王の娘の誘拐を計画する。 前作「ボーダーライン」の人が生み出す正邪の境界線を浮き彫りにした内容は、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作家性とマッチしていて非常に深みのある作品だったけれど、監督が交代した本作はそれと比べると少しマイルドというか、普通のサスペンス風味という感じに落ち着いてしまった気がする。いわゆる“汚れ仕事”を行う暗殺者のアレハンドロやCIAのマットと価値観のぶつかる相手(観客の代理人)がいないため、ストーリーの上で倫理的な葛藤が前作ほど表面化しないからだが…、そこは本作で描きたいテーマが違うということなのだろう。まあ全く葛藤が無いわけではなく、少女を救うか否か、もしくはアレハンドロを救うか否かの選択はあるわけだけど、結末自体は予定調和だよね。個人的にはもう一歩「綺麗ごとの通用しない世界」として踏み込んで欲しかったかも。 メキシコからの不法入国という時事的な問題を取り上げた硬派な話ではあるものの、あくまで舞台装置として割り切っている感じはする。結局自爆テロの犯人も米国籍の者だっていうんだから、この作戦自体が茶番じゃんという事になるが、お上に翻弄される裏の実行部隊を描いてるってことでエンターテイメントなサスペンスに寄っているよね。その辺が前作より軽く感じる部分。とはいえ説明台詞が極力排されているのは良いし、ベニシオ・デル・トロとジョシュ・ブローリンという渋い二大俳優の演技は魅力。 |
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(2023年制作) |
不安神経症気味の男・ボー。彼は母親のいる実家への帰省当日にトラブルに遭ってしまい帰省できなくなるが、しばらくしてその母親の訃報を知る。 「ボーはおそれている」。…何について? という話ですね。全体的に4幕で構成されていて、不条理コメディというかブラックコメディというか、そんな感じで主人公に対する不安な体験を観客にも共有させてくる作品でした。アリ・アスター監督の作品なのである程度身構えて観たのだけど、ホラーテイストは弱めなのにどうにも不穏に感じてしまう場面が多々あって、こういう「味」を出すのは美味いなあと感心した次第。辻褄の合うところと支離滅裂さが綯い交ぜになってはいるけれど、それがこの世界観の魅力ですよね。 映し出されているものは主人公の主観。そういう意味ではある種の叙述トリックみたいなところもあるのだろうけど、観ているものと真実が果たして合致しているのかどうかも怪しいわけで。冒頭で渡された薬の副作用かもしれないし、強迫神経症が見せる幻想かもしれない。それが分かった上でもそのまま主人公の内面に観るものを巻き込んでいく演出は上手かったと思います。 一方で上映時間3時間はやや長さを感じたのも事実。3幕目の森の劇団の話は主人公にとってある種の癒やしだったかもしれないけど、ちょっと長さを感じたかも? それ以外はとにかく主人公がずっと不安になってるし、場面によってはそれが笑いに昇華されていてやられたなあ。個人的には天井に張り付く男と、腹上死した死体の片付け、あと父親の姿(怪物w)に笑ってしまった。主演のホアキン・フェニックスが醸し出す味が、主人公から目を離せないものにしているのは間違いない。 最後まで観ると、彼が真に恐れていたのは"母親"だったことがわかるし、神経症気味な原因もその母親にあるのではないかと感じる。色々な断片が繋がっていく4幕目が種明かしのフェーズだけど、狂言だったというだけだとちょっと物足りない印象はある。ただただ母親がヤバいなあとは思ったけれど。それでも最後まで主人公は自責の念に苛まれ、(彼の内面で)自身を裁判にかけて有罪にしてしまった。やっぱりこの監督の映画はバッドエンドなのかw |
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言わずと知れた大ヒットコメディ映画。小さな子供が大の大人を翻弄するという構図は、アメリカのカートゥーンで良くある形ですな。例えば「トムとジェリー」とか。さすがに実写にすると生々しいけど、それでもこの泥棒2人組がマヌケすぎて可笑しい。頭が焼かれるところは何回観ても笑えるw そして、ただ面白いだけではなくて、きちんと“家族”というテーマを描いているところがこの映画の良いところ。実際100分間の映画の中で、ドタバタシーンは終盤の15分くらいのもの。それ以外のシーンは、丁寧に状況の変化や人物の様子を描いてる。特に母親の狼狽ぶりはくどいくらいw 教会で老人と話すシーンなんてかなり良いシーンだし、そういったドラマ部分が気に入ってます。しかしこの主人公は大人なのか子供なのか。いや、実際は子供なんだけど、しゃらくせえよなあw | ||
(2004年制作) |
クリス・ヴァン・オールズバーグ原作の絵本を基にしたCGアニメ作品。サンタクロースの存在を信じられなくなった主人公の少年だったが、クリスマスイブの夜、家の前に突如北極点行きの蒸気機関車が現れる。 サンタの鈴の音が聴こえそうもないオッサンの自分としては、この映画の様に子供の夢を大切にすることを前面に出されるとこそばゆいが。車内や北極点での出来事を通じて「信じる事」の大切さを見つけていくストーリーは児童向けの作品としては良さそう。だけど「オズの魔法使」のフォーマットにも似ている気がするが…、まあ王道っていう事なんだろう。 CG映画としてはパフォーマンスキャプチャーを使って人の演技を取り込んでいるけど、顔に関しては作り物っぽい感じが残っていて“不気味の谷”に近いところにある感じ。造形をあえてリアル志向にしているのは何でなんだろうかね。まあトム・ハンクス演じる車掌がそのままトム・ハンクスを取り込んだ姿をしているのは悪くないし、突拍子もない「北極号」の世界観を地に足付けるという意味では効果を出しているとは思う。宙を舞うチケットのくだりや、北極点でのプレゼントと滑り台のあたりなど、CGの強みを生かしたワンカット演出もあって楽しませようという意志が強く感じられるのは良い。 そういえば主人公の少年の動作も、パフォーマンス自体はトム・ハンクスが演じているのか。こういうことが出来るCG…というかキャプチャー方式は面白いかな。 |
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置いてけぼりのホリディ (2023年制作) |
1970年のクリスマス休暇も近いボストン近郊のバートン校。休暇中も帰れない生徒5人の監督役として、教師のポールが休暇明けまでの2週間面倒を見ることになるが…。 偏屈で嫌われ者の教師ポールと、孤独を感じる一人の生徒アンガスが2週間という時間の中でお互いの背景を知り、次第に関係性に変化が現れてくる様子がとてもいい。師弟愛の様な…、いや男と男の友情か? なんかそれとはちょっと違う気はするけど、少なくとも物語のはじめの頃にあった表面的な壁が次第に無くなり、お互いに認めあっていく様子に人間ドラマとしての芯が感じられる。物語が動き出すのは生徒5人が途中でアンガスだけになってからなので、そこまでは比較的話も固い感じはするものの、彼がふざけて脱臼したあたりからは話の軸が見えてきて面白かった。大げさな盛り上がりもわざとらしい感動描写もないけれど、登場人物の背景を少しずつ積み重ねていくことで共感させていく見せ方は巧かったね。 もう一人の登場人物である息子を亡くした料理長メアリー。最初はポールとアンガスとメアリーで擬似親子関係にでもするのかと思ったけど、そこはそうでもなかった。どちらかというとポールとアンガスの見守り役的なポジションか? 彼女も彼女なりに抱えているものがあって、1970年代というものの象徴的存在とも感じられる。そう、若者がベトナムで戦死している一方で、国内の親の金で学校に入り適当な成績で過ごしている若者がいるという対比。でもそれ自体に批判的な話ではなくて、作品自体は若者の心の成長を描いている話だとは思う。 偏屈な教師だったポールにも、2週間の間にアンガスへの認識が変わっていった。彼は今やバートン校にしか居場所のない男でもあったが、彼は最後にアンガスの人生のために自分の守ってきた居場所を捨てたのである。物語はポールの新しい人生の始まりで終わる。少しビター、でも前向きに。ポールを演じたポール・ジアマッティはやはり上手い。 |
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(2002年制作) |
アクション俳優としてのマット・デイモンに感心しました。多少早回しの演出はあったものの、観ていて違和感の無い体術、そしてスパイものとしての緊張感もあり、結構楽しめました。領事館での脱出のシーンでの落ち着き様は、警備隊とのテンションのギャップが可笑しいw カーチェイスも(ルパン三世を思い出すけどw)カッコイイし…、なんか本当にアクション映画でした。ただ主人公は非情になりきれなかったという点で、工作員としては失敗だったのかな、と。こういう結末で、足も洗えたし幸せになれてハッピーエンドかと思ってます。 | |
(2004年制作) |
前作から2年後、再びCIAの陰謀に巻き込まれる元スパイを描いた映画。 主人公、ジェイソン・ボーンは気の毒だ。せっかく静かに暮らしていたのに、ああいう具合に恋人を殺されたら、行動に出るのも分かる。寝た子を起こしたCIAの黒幕が悪い。それはそれとして、この“リアル”スパイ大作戦は面白い。どんなに追われても冷静に行動し、相手の裏をかき逃亡する。色気や変装でどうにかするスパイではない、知性的な行動が格好いいね。カーチェイスではメチャメチャに走るけどw 全般に手持ちカメラっぽいフレームが、揺れて揺れてしんどい。特にアクションシーンは何がなんだかという感じもあるけど、それが臨場感に繋がっている気はする。でも目が疲れた…。 ストーリーは1作目の雰囲気を上手く継承出来ていて良かった。原作があるとはいえ、監督が変わればどうなるか分からないからねえ。ただ、ひねりが少ない分ストレートに楽しめるけど、何か物足りない気はする。あ、でもラストの方の告白シーンは良かったかも。贖罪にはならないが伝えておかなければ…、という感じがイイ。 回想シーンにクリス・クーパーがちょっとだけ出てるけど、アカデミー俳優なのにほとんど顔も分からないくらい。よく出演したなあ。でも、おかげでシリーズとしての一貫性が出来るわけで、彼は良い仕事をしましたw |
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(2007年制作) |
ジェイソン・ボーンシリーズ完結編の第3作。ボーンの出自に関わる陰謀を隠そうとするCIAとボーンの戦いを描く。 前作から引き続いてポール・グリーングラスが監督した今作、もう全編グリーングラス節が炸裂です。登場人物と同じ地平に立ったカメラ視点が嫌でも緊張感と臨場感を盛り上げてきて、素晴らしいの一言。まるで人物に張り付いているかのようなカメラワークと異常な数のカットで、目も回るほどの映像だけど、それがこの映画のアクション手法なんだよね。 よく考えるとストーリー自体を追うだけならそんなに時間はかからない。陰謀の正体は小出しに判明するものの、そんなに捻りもなく一直線だしね。でもその話の合間にあるアクションの見せ方だけで2時間をもたせるんだから大したものですわ。 ただ、前作のラストシーンをまさかこの映画のクライマックスの一部に持ってくるとは思わなかった。実に粋な演出じゃないかw そして、エピローグは1作目のイメージを呼び起こしつつ、完結編として終わらせる。これで3部作1シリーズという纏まりを出して…良くできているわ。 今作でボーンの自分探しの旅は終わったのだから、確かに話としては完結か。完結したとしても、このシリーズは冷戦後の世界、21世紀を代表するスパイ映画なのは間違いない。 |
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(2012年制作) |
新「ボーン」シリーズの1作目。前三部作で描かれた計画の裏で進行していた「アウトカム計画」と、その末梢指令によって命を狙われた主人公たちの姿を描いたスパイ・アクション作品。 世界観はそのまま、というか「アルティメイタム」と同じ時間軸の出来事なのである種の安心感はあるものの、ある意味で代わり映えはしない。新主人公アーロン・クロス役のジェレミー・レナーは良い感じだけど、前シリーズの「自分は何者か」に対して「薬が必要だ」というのは、彼らを突き動かすものに対して少し印象が弱かったような気もするね。基本的にひたすら追われる側だし、逃げ切っておしまい。続編を見越してか追う側との決着もつかず、うーん、ちょっと消化不良かも。 監督はグリーングラス監督が降板したので、前作まで脚本家を務めていたトニー・ギルロイに交代。アクションシーンこそシリーズのトレードマークであるカット割りの多用で迫力を出しているものの、全体的にはやはりちょっと緊張感が物足りない。まあ、これは監督の演出志向によるのだろうけど、やはりグリーングラス監督の"どこかからか覗き見しているような視点"が欲しかった感じ。 | |
いやあ、ディズニーランドのアトラクション宜しく、お子様向けです。逆に言えば良くアトラクションの雰囲気を再現していると思う。実際、元のアトラクションも怖くないわけだし。そう、全然怖くない。恐怖を求めて観るとガッカリしますな。では何を求めればいいのか?それはアトラクションの追体験でしょう。ランドの続きがそこにあると思えば多少納得出来ると思います。でも時間の制約か予算の都合なのか、黒幕が呼び出した炎のドラゴンのオチが納得出来ません。カタルシスに欠けるというか…。観終わって思った、「『パイレーツ・オブ・カリビアン』になれなかった『ハムナプトラ』やな…」とw | ||
10万の軍勢を率いる趙国に攻め込まれた人口4000の梁城。その梁城を守るため、一人の“墨者”革離が訪れる。日本の漫画を原作にした中・日・香・韓の合作実写作品。 そもそも墨家思想を知っておかないと根本的なところで話しについて行けなくなる気がする。俺は原作を読んだことがなかったので、思想についてはちょっと予習してから観たけど、おかげで話に入り込めました。 前半の攻城戦は結構迫力があって見物。攻め込んでくる趙軍に対してあの手この手で防ぎきる革離の知略が良いね。だけどこの話の本質はそういったアクションではなく、やはり後半の人間模様にあるんじゃないかと思う。梁王は革離に国を救ってもらっておきながら、人心が革離に向くのではと恐れ謀反人扱いするし。革離に共感した人は殺されたり斬られたり…。墨家思想の理想と矛盾、狡猾な梁王と趙軍の名将巷淹中との対比が何とも皮肉で考えさせられたね。 |
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(2008年制作) |
母子家庭で暮らし、学校ではイジメに遭っている少年・オスカー。ある日、隣室に引っ越してきた少女・エリと親しくなるが、彼女には秘密があった。 エリはヴァンパイアなのであるが、それ以上にそもそも少女でない。彼女と書いたけども、去勢された少年である。(日本版では根幹にかかわるシーンでボカシが入ってしまっているが…) そう思って観ると、オスカーがエリに恋心を抱き、エリもオスカーに好意を寄せるにしても、人間と非人間である以前に最初から生産性のある関係ではなかったことになる。主人公の父親があえてゲイとして描かれるのもその暗示だろうし、冒頭で初老の男性と共にエリが引っ越してくること自体が意味深(オスカーの未来?)なものに思えるし、いろいろと深い。単純なヴァンパイアホラーという以上に人間という生き物について考えさせられる部分があった。そこがこの作品の魅力なのは間違いない。 ただ、個人的には手作り感のある演出にもう一つ入り込めなかったところはある。全体的に画が明るいというのがそう思わせているのかなあ? ヴァンパイア的な場面では、あえて見せないという演出をうまく使ってはいたと思うけどね。 |
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(1959年制作) |
人違いから殺されかけた主人公がどんどん事件の深みにはまっていく様子を描いた、ヒッチコック監督のサスペンス映画。 主人公はスパイではないんだけど、フォーマット的にはスパイ映画のそれだよね。命を狙ってくる敵の組織がいて、機転を利かせて脱出したり、謎の美女と出会ってロマンスが始まったり、飛行機に追われたり崖っぷちに追い詰められたりとアクションをこなしていく。ラストではすべて解決してヒロインとねんごろに…。って、それだけ書いてたらほんとに「007」みたいな感じだなw 広告会社の人間である主人公の人となりを冒頭の秘書との会話で一気に観客に悟らせるのはテンポが良い。その後、割とピンチな状況でも軽口を忘れないこのキャラクターはは肝が据わってるというかなんというか。主演のケーリー・グラントの演技の軽妙な演技も相まって、この男の運命に興味がわいてくるのは上手いところだね。割とコメディチックな表情の演技もしている気がするけど、特に酔っ払い運転の演技はギャグにしか見えないw サスペンス映画だけど深刻に感じさせないそういう面での軽さは面白い。 ロマンスの相手を演じるのはエヴァ・マリー・セイント。ヒッチコック作品らしい金髪美女として画面映えするが、敵か味方か…という立場で話を二転三転させるキーパーソンとしても上手く機能しているのが良いな。自称26歳というにはちょっと無理がある気もしたけど、まあそこは役の上のことなので…ご愛敬ということで。(実際には当時の彼女は35歳。) 原題は"North by Northwest"で、邦題のセンスも悪くはないのだけど、一方で原題に「ノースウエスト航空で北へ」という意味も含まれているとする説は割と好みだったりする。 |
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(2008年制作) |
事故で磁気を帯びてしまったことから、レンタルビデオ店のビデオを全てパアにしてしまった主人公。彼は店員と二人で元の映画を自主制作していくが…。 前半は純然たるコメディ。というかバカ映画。主人公は頭のネジが緩んだ濃ゆい人物を演じさせたら抜群のジャック・ブラック。被害妄想で発電所を爆破しに行って、感電して磁気人間になるなんてバカ映画の設定以外の何ものでもないが、この映画のキモは磁気人間が巻き起こす騒動などではなかった。 映画を自主制作していく過程で映し出される手作り感たっぷりのニセ映画。名シーンばかりが再現されていて元ネタを知っている人ならニヤニヤしまくりなんだけど、実はそれすらもラストへの誘導なんだよね。ラストに町内の皆で作り上げた自主映画を上映したときの一体感が、まるで「ニュー・シネマ・パラダイス」にも通じるような映画愛の感動を感じさせてくれるのですわ。そう、観賞後の感覚は、まるで前半がバカ映画だったことを忘れてしまうような清々しい感動だった。まさかそういう風に持って行かれると思ってなかったので、ジーンとしちゃったよw 全体的に見れば話の繋ぎに荒い部分があったりするけど、それでも映画を好きな人が作ったんだなということが伝わる良い作品でした。 |
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(2005年制作) |
アメリカ人とアイスランド人旅行者の若者3人が、東欧で刺激を求める旅を求めてあるホステルに行くが、そこで凄惨な体験をするスプラッタ。 まあ、まず個人的に主人公らにあまり感情移入できないので、どんな目に遭おうと知ったことではないのだけども、一番死ななそうな人間があっさり殺されたので、有名俳優を使ってないあたりのアドバンテージを生かした脚本は良かった気はする。でも思ったほどの残酷描写はなかったかなあ。R-18だけどね。 よくよく考えると女に誘惑される様な前半の描写が無く、東欧でいきなり彼らが拉致されたって話は成立するわけだけど、でもその辺の女絡みもしっかりやっちゃうところが制作タランティーノ印のB級映画らしい所なんでしょうな。終盤、主人公らをこの展開に引きずり込んだ3人が都合良く目の前に現れたところは笑った。ご都合過ぎるw |
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(2007年制作) |
舞台は東欧。ホステルの宿泊客を誘拐し、金持ちに殺人を楽しませるスプラッタ映画の第2弾。 誘拐されるまでに時間をかけすぎw なんでそんなに手間暇かけて近づくのか、と。最後に力づくなら最初から力づくでいいじゃないか…などと野暮な突込みを入れたくなるほど本題までが長い。前作と同じような展開にならないように腐心しているのは分かるけど、殺す側のへんな迷いなんかが入っていまいち緊迫感が薄くなった気もする。ラストの逆転劇は、しっかり前振りがあるけど少々強引な設定ですなw 冒頭は1からの続きとして描かれるけど、生き残りがあっさり死んで完全に顔見せ程度。話が本作の主人公になってからも、列車の中の意味ありげな老人はあまり生かされず、助けようとしてくれた青年とか、どうも取ってつけたような展開もチラホラ。その辺は時間稼ぎに見えなくもない。殺人描写は、相変わらず趣味は悪いけどインパクトは弱くなったかな。 |
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(1972年制作) |
豪華客船が大津波を浮け転覆。10人の生存者達は、牧師を先頭に決死の脱出を試みる。 70年代のパニック映画ブームの火付け役となった本作は、「転覆した船から脱出する」だけの内容ながら2時間の上映時間を飽きさせずに見せ切るパワーがある。もちろん次から次に直面する危機にどう立ち向かうかによって話を引っ張る面もあるんだけど、そこについても荒唐無稽なイベントや誰かが足を引っ張ったりする様なワザとらしい展開ではなくて、転覆した船で起こり得そうなシンプルなものばかり。そういう具合にシンプルな展開でもこの話から目が離せないのは、やはり主役二人の熱量がすごいからなのだろう。神の救済よりも努力による解決を信じる牧師と、牧師と別の意見を持ちながらも協力したり反目したりする警官の2人。その彼らを演じるジーン・ハックマンとアーネスト・ボーグナインの激突は見ものだったな。そのほかの登場人物についても、会話の中で背景をサラッと説明しつつ「どの人たちも助かってほしいな」と思わせるところがこの作品の良いところだと思う。 特撮面では嵐の海上にある船が少々ミニチュア然としているのがちょっともったいないかな。もう少し大きい模型でもよかったのかもとは思ったけど、それがこの時代の映画の味ともいえるか。一方で船内シーンでは巨大なパーティ会場が逆さまになる場面が迫力満点だったねえ。 そういえば序盤にしか登場しないけど、レスリー・ニールセンが船長を演じてますな。真面目な船長役だったけど、後年のコメディ映画(「裸の銃を持つ男」)を知ってるとなんかつい違う目で見てしまうw |
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名作パニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年製作)のリメイク。 リメイクとは言うものの、登場人物の設定がまったく異なるので、正直別物かな。ドラマとしてはオリジナルの方が断然良かっただけに、ただの迫力があるだけの映画になってしまいました。もちろん、転覆の迫力は段違いにこっちの方が良いんだけどw 結構広げれば盛り上がりそうな伏線は張りつつも、特にそれを語ることなく終わるので、不思議だったなあ。伏線という意味では、序盤から救命ゴムボートが1艘浮かんでるのが見えてたけど、個人的にはこれは蛇足…。 とにかく客船の転覆シーンはすごい! 船内のスタントもとてもリアルで迫力がある。オリジナルで不思議だった、天井になった床にくっついたままのテーブルやイスは無かったですなw かわりにピアノがくっついてたけど、あれはオマージュかw |
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「トップガン」をベースに数々のパロディで彩られたコメディ映画。 パロディ映画は本来元ネタを知らないとダメだけれど、視覚的なギャグも多いんで元ネタを知らなくとも笑えます。でも、やっぱり「ロッキー」や「ナインハーフ」のパロディは元ネタを知らないと意味不明かも? しかしチャーリー・シーンのマジメ顔っぷりが面白いよなあ。内容がバカバカしいだけに余計そう思える。おとぼけ連発の提督も最高に面白いねw オチがフセイン元大統領というのが、今となっては時代を感じさせるが…。 |
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前作から2年。今度は「ランボー」をベースに様々なパロディが描かれるコメディ映画。 前作のヒットを受けての続編ということだけど、話はだいぶ違うのに上手く前作のキャラ設定を生かしてるよね。とくにハチャメチャな提督が大統領になってたのが面白いw 個人的に一番ウケたのは、やっぱりスター・ウォーズネタ。あとT2のパロディかな? でもよく考えると、この二つのネタ共がおとぼけ大統領とフセイン大統領との対決シーンなわけで、つまり、この二人のキャラが完全に主人公を食っちゃってるって事か? |
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俺たちスーパーポリスメン! (2007年制作) |
「ショーン・オブ・ザ・デッド」のスタッフ・キャストが送る、田舎の村へ飛ばされた警官の奮闘を描いたコメディ。 田舎の長閑な風景とは裏腹に、どうにも不穏な事件(殺人?)が並行して起こり、それを不審に思った主人公・エンジェルが調査を行うが、村の誰もが「事故だ」と言って取り合わない。大きな陰謀が隠されているのか、はたまた“田舎”というコミュニティの怖さを描いているのかと思いきや、とっても底の浅い動機の集団に脱力しそして憤る。脱力と憤りとは、これは主人公の気持ちであり、観客の気持ちであるわけだけど、ここまで話を進めるのが長い。しかも白鳥の話と相棒のダニーがふざけている以外は、割とまともな警官モノっぽく話が進むので期待していたほど笑うところがない…。 が、しかし。エンジェルがキレた後が最高だった! 長閑な村の中でぶっ放すショットガンにマシンガン! というか、先に仕掛ける村民の爺さん婆さん! こんなシュールな銃撃戦は観たこと無いよw 自転車に乗りながら二丁拳銃をぶっ放す婆さんなんて…w よくよく観れば色んな映画のオマージュがあり飽きさせない作りになっているし、最も直球な「ハートブルー」のパロディも良いね。元007がこんな役で…というのも楽しい。必要以上にスプラッターな殺人シーンも「ショーン〜」を作った人らなら、ご愛敬というところか。 |
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(2018年制作) |
2008年にインドのムンバイで発生したイスラム過激派による同時テロ事件。テロリストに襲撃されたタージマハル・ホテルの従業員たちは、銃声が響く状況下でも誇りにかけてゲストを守ろうと行動を起こす。 実際の事件を基にした物語だけど、こういった「プロがプロとしての誇りにかけて行動する」という話に俺は弱い。もし料理長がスティーヴン・セガールなら一人で解決したかもしれないが、現実はそうでない。ホテルマンも普通の人々であることには変わらないはずだが、それでも彼らはプロとしてゲストを守るという信念を貫いた。この映画からはそんな人たちへの敬意がヒシヒシと伝わってくる。 映画的な構造としてはパニック映画的な印象だけど、ピンチの作り方があざとさの一歩手前で踏みとどまっているのは好印象。泣きそうな赤ん坊やケガをして足を引っ張りそうな人物など、お決まりの要素自体はあまり引きずらないからね。まあ「部屋にいるはずの赤ん坊を救いたい」という感情を行動原理にして話を動かすのはいささか映画的ではあるものの、その部分で軸となる女性が実はイスラム教徒であるという設定自体は上手く、終盤にテロリストと対峙させるという状況に持って行ったのは実に効果的だった。序盤に「祈りなんて意味があるの」と言っていた女性は、終盤の射殺直前で祈りを唱えたことで、テロリストは狼狽し彼女は生き残ったのだ。敵は宗教ではなく、テロリズムなのだということなのだと思う。 実行犯のテロリストは少年といった年ごろだが、その行動は信仰心を電話の先にいる“指導者”に利用され、聖戦を信じ込まされているという感じ。もちろんこんな事件を起こした実行犯には同情しない。しかし本当の首謀者は姿すら見せず、今も捕まっていないのだ。 そういう意味では胸のすく話ではないけれど、そういった憎むべき犯罪に遭遇した普通の人々が、自分たちにできることを貫いて多くの命を救ったという事実に希望がある。良い映画だった。 |
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1994年、アフリカのルワンダで起きた民族大量虐殺。そのただ中で1200人もの人を救った一人のホテルマンの実話を元にした物語。 「世界の人々はあの映像を見て−“怖いね”と言うだけでディナーを続ける。」劇中、白人の報道カメラマンが言う台詞。そこで残虐な行為が起きていても世界は無関心で、それは俺自身にも言えたこと。それだけに凄く胸が痛い。それでもドン・チードル演じる主人公は“家族を守る”という信念から、そして“人間としての品位”から、虐殺から逃れた人々をかくまう。人間は残酷である一方で、良心の生き物でもあるはず。この主人公には心打たれました…。 ニック・ノルティ演じるオリバー大佐の姿にも考えさせられた。彼も避難民を救おうとし、民兵を鎮圧する必要も訴えていた。でも国連や世界は動かないという現実を知って、平和維持軍として、西側の人間としての自分を恥じる大佐。超大国の論理の不条理さがひしひしと伝わってきたね…。 何がそこで起きたのか、実話だけに心打たれた映画でした。 |
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(2013年制作) |
1970年代半ばにSF小説「デューン」を映画化しようと企画したアレハンドロ・ホドロフスキーの創作の経緯と顛末をインタビューしたドキュメンタリー作品。 “企画倒れ”と書くとイメージが悪いが、“芸術家としてのビジョン”と“出資者側のリスクヘッジ”との軋轢で実現しなかったプロジェクトですね。いくらビジョンがしっかりしていても12時間映画というのは…さすがにホドロフスキーもこだわりすぎだわ。本作はホドロフスキーの創作に対する熱意を追う視点で描かれているので、若干同情的な気持ちになる面はあるけれど。 制作中止の顛末を追ったドキュメンタリー作品といえば有名なのは「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2002年)があるが、それと違うのは本作が撮影にすら入っていないということか。なので主に監督のビジョンの紹介と、それに共感した仲間が集まっていく過程をインタビューで描いている感じ。語られるのが40年近くも前の事ともなれば、それらの語り口も「今やいい思い出だけど…」といった感じのものだし、「俺らの作ろうとしていたものはすごいものだったのに」という自賛の感じが強く出ている印象。もちろんそれらが(仮に完璧に)実現していれば特異な作品にはなったと思うけど、成功していたかどうかは…どうかな?w でもホドロフスキーの「映画はビジネスである前に芸術なのだ」というポリシーに全力投入していた熱意というものは十二分に伝わってきた。原作とは違う結末にしてしまうことに対しても堂々と「愛を持って原作レイプするのだ」といってしまうのだから、嗚呼この人はほんとに自分の美意識をこの世に残したいという芸術家気質の人なのだ、と。少なくともその情熱は形を変えて残り、特に「エイリアン」に影響を与えたというのはそうなんだろうな。流石に他に紹介された作品への影響は取ってつけた感がなくもないけど、まあそう言いたくなる気持ちはわからんではない。 かくしてホドロフスキーの企画は中止となり、後年権利を買い取ったディノ・デ・ラウレンティスが監督にデイヴィッド・リンチを据えて映画化した。失意のホドロフスキーが「デイヴィッド・リンチ版を観てあまりの酷さに元気になった」というエピソードは笑える。監督同士としての同情と製作者への怨念が感じられるよねw 製作費を全額自分で出資出来るなら別だけど、自分の思う通りの映画を作れる監督なんてのはほとんどいない。世の中にごまんとあるであろう企画倒れの話の内で、このエピソードがこの様に日の目を見ただけホドロフスキーは幸せかもなとは思った。 |
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人命救助に命を懸ける消防士達を、等身大の目線で描いたドラマ。 本当に直球勝負の映画だった。描くのは消防士そのもの。そこには陰謀や犯人捜しといったものはなく、あるのは家族と仲間、そして消防士という仕事。911へのリスペクト映画ということだけど、本当に命を懸けて炎と闘っている彼らを観ると深い尊敬の念を憶えるね。 主人公のホアキン・フェニックスは凄く良かった。何が良いって彼の普通っぽさがこのストーリーにハマってる。確かにヒーローには違いないんだけど、これは普通の人達の物語であって、隣にいる人達の人生を描いた映画。だからもしこれがヒーロー然とした人間に演じられても説得力が出なかったと思う。等身大だからこそ、ラストは切ないけれど感動してしまうんだわ。 |
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(1981年制作) |
1924年のパリ五輪で英国に金メダルをもたらした2人の陸上競技選手を中心に描いた人間ドラマ。 第54回アカデミー作品賞の本作。結果的に金メダルを獲得するとはいえ、勝つことで潜在的な差別を跳ね除けようとしたユダヤ人のハロルドと、信仰心によって走り、信仰心のために走ることを拒んだエリック。陸上競技を通して、自身のアイデンティティと闘った2人の生きざまを描いているからこそ名作になったのだと思う。特にハロルドの話は権威主義的と静かに闘った若者の話として胸を打つが、彼のコーチになったサム・ムサビーニもまた同じモノと闘っていた男で、二人がこのオリンピックで得たものは金メダル以上のものだったことは痛いほど伝わってくるね。 この映画はヴァンゲリスによるテーマ曲が印象的だけど、流れるのはオープニングとエンディング。浜辺を走る彼ら英五輪代表の姿はOPとは全く違う余韻に浸れる。こういう循環も良いですね。 |
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1968年6月5日、ロバート・ケネディ暗殺現場のホテルに居合わせた22人の様々な人たちの姿を描いた群像劇。 いわゆるグランド・ホテル形式と呼ばれるスターを多用した群像劇だけど、総勢22人!多い!w その人数で話がブレているかと言えば、小粒だけども各人の日常や人生が描かれているから纏まりとしては悪くないと思う。だけどそれがロバート・ケネディ事件に巻き込ませるということ以外、主題として統一したものがあるかというとよく分からない。“暴力”の愚かさを説いたケネディの演説をバックに映される、暴力によって日常を打ち砕かれた主人公達の姿を見た時はさすがに怒りにも似たものは感じたけどね。 すぐ武力に訴えるような政治はダメだ、と誘導されるような感じでラストはかなり政治色が強くなった気がする。この辺はに共和党ブッシュ政権を暗に批判しているが如くの演出だよなあ。悪くはないけど、政治映画と群像劇としての融合はもうちょっとだった気がしました。 |
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思いがけない冒険 (2012年制作) |
「ロード・オブ・ザ・リング」の物語から60年前の中つ国。若きビルボ・バギンズの冒険を描いた3部作の1作目。 現実では"LOTR"の完結から9年後の作品だけど、あの世界観を最新の技術でそのまま再現したピーター・ジャクソン監督には敬意を表したい。"LOTR"では簡単に触れられただけだったビルボの冒険の詳細は、やはり興味深い。共通の登場人物などはその後の話も知っているわけだし。特にゴラムとの出会いの場面は、後々の話に深くかかわっても来るからなあ。ただ、映画全体としては170分の長尺は多少長いと思う部分も。まあそれも含めてLOTRらしさだし、描き切ろうというという熱意も分かるけど…。何せストーリーとしては、「ビルボが隊長であるトーリンに認められるまで」なのでw サウロンの影はちらつくものの、旅の目的はドワーフの故郷を取り戻すためにドラゴンを退治しに行くというもので、前シリーズの様な悲壮感は少ない。冒険ファンタジー映画として王道な感じになったかと。おなじみの灰色のガンダルフが活躍しているのは良いなあ。毎度ドワーフの人数を数えてる様は遠足に出た先生の様だけどw ドワーフはキャラが多いので、隊長のトーリン以外はまだ描き切れていないところもあると思う。そこは次回作以降だろうか? |
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竜に奪われた王国 (2013年制作) |
若きビルボ・バギンズの冒険を描いた3部作の2作目。さまざまな危険を乗り越え、ついに一行は目的地のはなれ山にたどり着くが…。 どうも一つ一つの場面が長いというか、じっくり描いているのは良いけど少々テンポが犠牲にされている感はある。熊人のビヨルンも唐突に出てきてそれっきりだったり、森のエルフからの逃亡や湖の町の流れも行き当たりばったりと言えばそう感じなくもない部分も。まあ原作が児童小説なんだから、それは求めるところが違うのかもしれないが。 映像は流石のクオリティ。頑丈な樽(w)の流れる様なアクションシークエンスは楽しかった。あそこは笑いながら観られたな。レゴラス無双も見応えがあるが、やはりこのシリーズの弓のアクションはカッコイイ。レゴラスは「LOTR」よりも感情に若さが出ているのが良いね。スマウグのデザインもカンバーバッチの声も素晴らしいけど、ただやはり掛け合いがちょっと長い気がするのは微妙なところか。緊張感はあるが。 それにしてもビルボは大活躍だね。タイトルに偽りなく冒険をしているw 一方で「LOTR」を思い起こすサウロンの暗躍。そしてスマウグが飛び立ちこれからってところで暗転されられたら、やっぱり次作も観たくなってしまうわ。 |
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決戦のゆくえ (2014年制作) |
若きビルボ・バギンズの冒険を描いた3部作の3作目。遂にエレボールを奪還した仲間達だったが、財宝の山を前にトーリンの様子が変化していく…。 元々2部作の予定を3部作に膨らませていることもあってか、基本的には物語全体の終盤だけで作られた話、ってことになるのか。スマウグは前作で良い引きだったものの、冒頭でやられてしまい少し拍子抜けしつつ…、あっさりと次の展開であるトーリンの財宝やアーケン石への執着についての話へ。この辺は「LOTR」の力の指輪で描かれるような囚われる心の様子がこのシリーズらしい。クライマックスである大軍団による決戦の様子も「王の帰還」を彷彿とさせる迫力で(特にドワーフの盾の列をエルフが飛び越えてオークに切りかかるとか)盛り上がるよなあ。 とは言え、個人的には「ホビット」全体の流れを見た時にいかにも原作が児童小説と感じる部分もあって、ハイファンタジーとしての満足度は「LOTR」に比べると少し物足りない。まあ想定読者が違うだろうから単純に比較するのは間違っているとは思うけれど。でも「LOTR」シリーズと、この「ホビット」シリーズ全てをピーター・ジャクソン監督が撮ったことが、確実に作品全体としての統一感に繋がっているわけで、それはとてもいい形で作品として完成したなと思うところです。 |
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(2018年制作) |
イギリスのロックバンド“クイーン”の結成から伝説のライブとなったLIVE AIDまでを、フレディ・マーキュリーの人生を中心に描いた伝記映画。 圧巻のライブ、LIVE AIDを映画の最終盤に持ってきた構成がこの映画のすべて。リード・ボーカルのフレディ・マーキュリーという男がエイズで亡くなったというのは周知の事実。まあ時系列に脚色が色々あるとしても、栄光の裏で孤独に苛まれ続けた彼の心情を観客に追体験させるという意味では正解なんじゃないかな。そしてその果てに、あんなライブ・パフォーマンスを見せられたら観客としては震えが止まりませんよ。それまでのドラマを内包してるかのような選曲がたまりません、これが実際のライブの再現だってんだから…もう出来すぎじゃないかってくらいに良かった! ピークは最終盤のライブだけど、そこに至るまでも観客はクイーンの他の有名な曲が生まれていく様子に立ち会える。展開のテンポも良いし、会話の端々も面白い、序盤を過ぎたころからずっとついて回るフレディの孤独感とのバランスとしても良い構成だなと思った。この映画は監督が途中で降りたり、主演が決まるまでも色々あったりで難産なイメージだったけど、完成作品を観るとそんなことは気にもならない出来栄えでした。ぜひともいい音響の劇場で体感したい、体感するべき作品ですね。 |
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栄光ナル国家カザフスタンのための アメリカ文化学習 |
ユダヤ系イギリス人のサシャ・バロン・コーエンがカザフスタンのTVレポーターに扮し、米国文化を学ぶという名目で大騒動を起こすコメディ。 ボラットが次々に一般人に取材を試み、一見ドキュメンタリーのように見せるモキュメンタリーで展開するけど、ムチャクチャ。ムチャクチャなくらいバカw でもその無茶な取材の相手は明らかに狙ったもので、根底にある現代米国への風刺は切れ味が鋭い。その辺は見事なんだけど、でもかなり下品なギャグが多いので観る人は選ぶかな。 ユダヤ人のコーエンが、ユダヤ人を守銭奴の悪魔と思いこんでいるボラットに扮しているのが最高にシュールなんだけども、カザフの“ユダヤ追い祭り”ってオイw 愛国心や女性蔑視ネタの笑いも社会へのアンチテーゼとして上手いなあと思いながら観ていた。一見するとバカ以外の何者でもないんだけど。いや、でもホテルを全裸走り回って取っ組み合いをしたボラット一味はやっぱりバカだw |
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栄光ナル国家だったカザフスタンのための アメリカ貢ぎ物計画 |
強制収容所に収監されていたボラットが14年ぶりに釈放された。カザフスタン大統領の意向でトランプ政権の主要人物に貢物を送るという使命を受け再び渡米するが…。 露悪趣味的だし下品極まりないネタの数々も相変わらず。ただ、ユダヤ人がユダヤ人差別主義者を演じているという部分に面白さのあった1作目に対して、本作では作り手の反トランプという信念に従ってそのまま共和党支持者をこき下ろすことが主眼なのは明らかなので、表層はともかく、その下のベクトルは1作目とは違うなと感じた次第。公開時期('20年10月23日)を考えても明らかに米国大統領選挙を意識しているし、そういう部分や一部の手法に関しては、どちらかというと「目的のための作品」というマイクル・ムーアのドキュメンタリーにも似た性質の作品だと思う。 “ボラット”がキャラクターとして有名になりすぎて、前作の様に突撃撮影での立ち回りがしにくいという状況的制約もムーア作品に通じるところがあるかな。という事で本作ではその役回りを“娘”のキャラクターにさせているわけだけど、彼女を演じたマリア・バカローヴァは素直に凄いなと思った。演技というか、その度胸に感心したわ。 本人がご登場のジュリアーニは素直にアホだなというか、わきの甘さにあきれ果てるw 全体的には前作よりは面白くはないという印象が強いのだけど、終盤のCOVID-19の元凶だったというどんでん返しでのオチは悪くない。(まあこれも“武漢ウイルス”に対するアンチテーゼなのだが。) さすがにこれをネタにするのは不謹慎だと思う部分もあるけど、それをやれるのが“ボラット”だとも思う。トム・ハンクスのカメオ出演は驚いたなあ。 |
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(1984年制作) |
警察学校を舞台にしたドタバタ劇を描いた80年代を代表するコメディ作品。 時事性などほぼ関係無し(暴動シーンは時代かな)のギャグが繰り広げられるので、今でも十分に笑える。多少下ネタは目に付くけど、米国製コメディはこういうノリが多いので、そこは割り切らないといけないところかな。 まあ何にせよ、やられ役であり、悪役であり、ボケ役でもあるハリス教官がいるからこその話で、そのおちょくり加減は良いw ラサール校長もトボけているキャラなので面白い。でも演壇ネタが大オチにも繋がるので重要と言えばそうか。 ハイタワーやタックルベリーなどは、子供時代に大ウケして観ていた記憶がある。あの声帯模写にも憧れたもんだ。ハード・ゲイの店のネタは子供の頃にはよく分からなかったけどね。 |
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全員出動! (1985年制作) |
警察学校を卒業し、配属された分署で巻き起こる騒動を描いた2作目。 安定したドタバタぶりが楽しい。1で成立したキャラクターを上手く使って展開する笑いもテンポが良いし、よくできた続編っていう印象。ギャング団のボス・ゼッドとして登場したボブキャット・ゴールドスウェイトの演技が強烈過ぎて…w いたずら相手は分署の所長の座を狙うマウザー班長。シャンプーのくだりはくだらないけどすごく笑わせてもらったw プロクターとの掛け合いもいい感じ。タックルベリーの銃の比喩とか若干の下ネタもあるけど、上品な方だよね。全体的に見れば手作り感を感じる作品ではあるけど、時代を代表するコメディ映画であることは間違いない。 そういえばラサール兄弟の会食が鉄板焼き屋(茹った金魚には爆笑した)だったり、日系人と思しき人が色々出てきたりしていたなあ。バブル前の時代だと思うけど、すでに日本資本とかが入っていたりしたのだろうか。 |
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全員再訓練! (1986年制作) |
母校の存続の危機!ラサール校長の呼びかけで帰ってきたかつての卒業生が、個性的な新入生を指導していく3作目。 相変わらずの世界観を安心して楽しめるが、少々マンネリ感も漂いつつもある。前作で強烈なキャラを発揮していたゼッドは、本作でも変わらぬハジけっぷりで悪くないけど、改心して警察学校に入れるとはムチャなw ガスマスクの訓練で煙を吸ってハイになってるのは可笑しい。プロクターが迷い込む場所もお約束でイイね。でも全体的には大笑いするような場面はあまりなかったかも。とはいえ90分弱の尺でテンポよく話が進むので、気軽に楽しむ分には悪くない映画ではある。まあ終盤の海上チェイスは、この映画一番の見せ場なのは理解しつつも…ちょっとクドかった気はするが。 結局最後に廃校になったのはマウザーの学校で、ラサールの学校を廃校にするために色々画策していたマウザーの計画は失敗。でも彼が悔しがる姿どころか、海上チェイスに紛れ込もうとした際にカヌーがひっくり返ってそのままフェードアウトでは…ちょっと物足りない気もする。 |
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市民パトロール (1987年制作) |
シリーズ4作目。ラサール校長の思いつきで始動した市民パトロール隊計画。早速アカデミーで志願者の教育を始めるが…。 クセのある生徒とアカデミーでの教育現場のドタバタ、そして1作目以来の登場となるハリス警部いじり…とポリスアカデミーらしい内容。だけど全体的にはお約束を含めた単発ギャグを繋いだだけのコント集の様な趣かな。ハリスの脇から煙が上がった瞬間は大笑いしたけど、他は意外性のないネタが多いので微妙な感じ…。 ストーリーとして市民パトロールの教育という背骨はあるけど、結局はそれもアカデミーという舞台を描くための手段でしかないし、目立つ生徒がミリタリー婆さんくらいなのはどうなんだろう。冒頭で見せた若い奴らのスケボーアクションが後半でも生かせれば纏まりも違ったのだろうけど、そういうわけでもないし。クライマックスでまさかの空中チェイスに持ち込むものの、見せ方が淡泊なのでいまいち盛り上がらなかった感じ。若手の頃のシャロン・ストーンも出ているけれど、ヒロイン枠(?)とは思えない見せ場の少なさだったね。 |
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マイアミ特別勤務 (1988年制作) |
シリーズ5作目。ラサール校長の表彰が行われるマイアミへ移動したアカデミー一行。ひょんなことから宝石泥棒の鞄と校長の鞄が入れ替わり…。 今作からスティーヴ・グッテンバーグが降板し、事実上の中心キャラだったマホニーが不在。そういうこともあって、アカデミーから舞台を変えた番外編にしたのかも?ドタバタコメディには違わないけど、おとぼけ校長とハリスのピエロっぷりに拍車がかかっている気がする。プロクターやタックルベリーも完全にバカになってたなあ…(苦笑 それはそれで俺は嫌いじゃないですよw でも終盤のハンパなチェイスもあっけない幕切れは相変わらず。お約束ですね。まあマンネリではあるが、何とかそこから抜け出そうともしているし「4」よりは面白かったかな? 今作の悪役はどこか憎めない宝石泥棒集団。そのリーダー・トニーは宝石を取り返さないとボスに殺されると焦りまくっているという状況だけど、トニー役の人(ルネ・オーベルジョノワ)、どこかで観たなあ…と思ったら「DS9」のオドーじゃないか!なんか一気に親近感がわいたよ。 ちなみに中盤、ジャネット・ジョーンズ演じるケイトの道着が、カットごとに左前になったり右前になったりしてすごく気になってしまった。いいかげんな映画だなあ…w |
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バトルロイヤル (1989年制作) |
シリーズ6作目。街で警察を出し抜いた強盗犯罪が増加。その対応のため、ポリスアカデミーのメンバーが応援として派遣される。 今作もアカデミーは舞台にならず。アカデミーの特異なキャラたちによる個性を再利用したコント集には変わりないが、毎作品で繰り返される同じ単発ネタをお約束と取るかマンネリと取るか。ハリスがどんな目に合うのかは良いとして、ジョーンズの格闘吹替えネタはさすがにもういいんじゃない?w 前作ではまだゲストっぽかったニックも、今作では明確にマホニーの立ち位置にいるものの、微妙に生真面目そうなキャラクターが影を薄くさせている感じ。個人的には、もはやハリスとプロクターのコンビ芸くらいしか楽しんでないかも。 大きな流れとしては強盗団の捜査と、警察情報のリークの真相が話の主軸。だけど黒幕もリークの真相も早々に察しが付くよね。まあそこを推理するための作品ではないのは承知してるけど、それらしき理屈(回りくどい地上げ)を用意しているのが逆に底を浅く感じさせているかも?何にせよ敵側が安っぽ過ぎやしないかね。 |
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モスクワ大作戦!! (1994年制作) |
シリーズ7作目。世界を手に入れようとするロシアン・マフィアを逮捕するため、米国からロシアにあのアカデミーの面々が派遣される。 前作から5年ぶりのシリーズ最終作。レギュラーメンバーからハイタワー(ババ・スミス)やフックス(マリオン・ラムジー)も抜け、もはや形骸化した感すらあるが、輪をかけてコントの質が低くてワクワクしない。「食べ物で遊ぶな!」と言いたくなるようなネタが何故か多くて、笑えるどころか不快感さえ感じてしまうようでは…。これでシリーズが終わってしまったのも仕方がない気もする。話のほとんどを気ままに彷徨ってるだけのラサールは悪くないし、地下鉄のエレベーターでハリスとすれ違ったシーンみたいなのは好きだけど、その他は全体的に面白くはないかな。唯一盛り上がったのは、ついにハリスがアカデミーのメンツと共闘したカーチェイスのシーン。ここだけは感慨深かったなあ。 1991年にソ連が崩壊したことで、こんなコメディがモスクワでロケ出来るようになったのだろう。そういう意味では冷戦終結の象徴みたいな作品だよな(大げさ)。例によってロシア人役は殆ど米国人なのはご愛嬌だけど、それがクリストファー・リーや若き日のロン・パールマンなのはちょっとだけ面白い。 |
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(1982年制作) |
郊外の新興住宅地に住む一家だったが、ある日ポルターガイスト現象が起こり始め、そして末娘の姿が忽然と消える。 ジメッとしたホラーを期待すると何かちょっと違う。どちらかというと超常現象系のSFチックなイメージで、作品としてはSFXの派手さが主眼になっている気がする。それが怖さにつながるのかというと…どうだろうか。まあ少なくともファミリー向けのホラー映画というなら否定はしないけれど。 TVのノイズに不安を感じさせる冒頭の掴みは上手い。顔がボロボロ崩れるゴアチックな描写はホラーの醍醐味だよね。ポルターガイストの原因もなるほどといった感じ。ただ割と分かりやすいギャグも散りばめられていて、その辺は実にスピルバーグ(脚本)の趣味が出てるよなあ。雷を怖がる息子に数を数えさせて安心させた次のカットで親のベッドで川の字になっているとか、7時間かけて移動を撮ったというカメラマンに飛び回る家具を見せるくだりもそうだよね。エンディングのモーテルでTVを外に出すのも完全にジョークですわ。なので俺にはコメディ映画にも思えてしまいました。 |
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(2008年制作) |
TVドラマでスーパードッグを演じる犬の主人公・ボルト。ドラマスタッフはボルトにドラマの出来事を現実と思わせながら撮影していたが、ある日、ボルトはさらわれた(様に見せられた)飼い主の少女を救うために撮影所を飛び出してしまう。 自分がスーパードッグだと思いこんでいるボルトが「トイ・ストーリー」のバズ、飼い主に捨てられた黒猫のミトンズが「トイ・ストーリー2」のジェシーを思わせる設定で、ディズニー映画なのにかなりピクサー臭がする。飼い主の所に戻るために長旅をするあたりなども、動物映画の王道的なラインでさほど新鮮味もない。 だけど“スーパーボイス”の伏線の上手い張り方や、“冒頭のてんこ盛りアクション→中盤でのキャラの掘り下げ→大団円のクライマックスへ”、と緩急のある展開で安心して観られるのも確か。ピクサーっぽいのも、ストーリーに安心感があるのも、元ピクサーのジョン・ラセターが今作からディズニー映画の総指揮を執っている影響があるからなのだろうけど、これはディズニーとして今後良い方向に行きそうな予感を感じさせてくれたね。 |
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(2009年制作) |
同名グラフィック・ノベルの実写化作品。越冬直前の南極基地で他殺体が発見される。基地所属の保安官キャリーは捜査を開始するが…。 制作はホラーを得意とするダーク・キャッスル。だけどこの映画はホラーでなくてサスペンスです。まあ死体やピッケルを振り回して迫る殺人鬼の描写などはホラーのそれだけどね。 肝心のサスペンスの組み立てがちょっと甘めだったのが不満だけど、氷点下の地獄である南極で、しかも嵐の中での取っ組み合いや追跡といったシチュエーションはなかなか面白かった。普通この手の話なら、外に出ずに基地内だけで謎の敵に襲われて完結しそうなものだけど、飛行機や雪上車であっちこっちに行ったりと身が軽いのも意外。 そうそう、劇中で主人公は凍傷によって指を二本失ってしまいます。事件の真相に気づくための伏線なわけだけど、そうとはいえ女性の左手薬指を奪ってしまうとは…。これはある意味ホラーな出来事だね。 |
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(2013年制作) |
大統領警護官の面接に来た主人公。面接当日、娘と共にホワイトハウスのツアーに参加するが、その時ホワイトハウスが何者かに襲撃される。 同年に「エンド・オブ・ホワイトハウス」という似たシチュエーションの作品があったので、どうしても比較してしまう部分もある。だけど、こちらはシリアスなだけでなく、ローランド・エメリッヒ監督らしいユーモアも随所にあって、夏休みのアクション大作とするには十分な出来栄えだと思ったね。娘を守るつもりが、行きがかりで大統領を守り…国を救うという、なんともデカい話になっていくのだけど、展開がテンポよく伏線も効いているので多少のアラは気にならないw "旗振り"の使い方は良かったなあ。 ホワイトハウスが占拠されることに説得力を持たせるのはなかなか難しい。「エンド・オブ〜」にしても本作にしてもそこは腐心したところだろうと思うけど、監督曰く「ここのセキュリティは外部犯では不可能。内部の犯行でないと無理だ。」と対抗作を意識した発言もしている。結局、警護長官の手引きという設定だけど、まあそれでも力技かな?w 主演のチャニング・テイタムはすっかりアクション俳優が板につきましたなあ。大統領役のジェイミー・フォックスもカリスマ性が出ていたと思うし、マシンガンを構えてメガネ…とランチャーを落っことしたギャグには笑いましたw |
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