Movie Review!-ラ行

ラーヤと龍の王国
ライオン・キング(1994年版)
ライオン・キング(2019年版)
LION/ライオン 〜25年目のただいま〜
ライト/オフ
ライトスタッフ
ライトハウス
ライフ
LIFE!
ライフ・アクアティック
ライフ・イズ・ビューティフル
ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
ライラの冒険 黄金の羅針盤
ラスト・エンペラー
ラストキング・オブ・スコットランド
ラスト サムライ
ラストスタンド
ラストナイト・イン・ソーホー
ラスト・ブラッド
落下の王国
落下の解剖学
ラッシュ/プライドと友情
ラッシュアワー
ラッシュアワー2
ラッシュアワー3
ラブ・アクチュアリー
ラブリー・ボーン
LAMB/ラム
ラ・ラ・ランド
ラン・オールナイト
ランゴ
ランペイジ 巨獣大乱闘
ランボー
ランボー/怒りの脱出
ランボー3/怒りのアフガン
ランボー/最後の戦場
ランボー/ラスト・ブラッド
ラン・ローラ・ラン
リアル・スティール
リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い
リスペクト
リチャード・ジュエル
リトル・ミス・サンシャイン
リバティーン
リバティ・バランスを射った男
リベンジ・マッチ
リメンバー・ミー
リリーのすべて
リンカーン
リンカーン弁護士
ルーヴルの怪人
LUCY/ルーシー
LOOPER/ルーパー
ルーム
ルック・オブ・サイレンス
Ray/レイ
冷血
霊幻道士
霊幻道士2 キョンシーの息子たち!
霊幻道士3 キョンシーの七不思議
霊幻道士完結篇 最後の霊戦
レイジング・ブル
レイダース/失われたアーク《聖櫃》
レヴェナント:蘇えりし者
レオン
レオン(完全版)
LEGOムービー
レゴバットマン ザ・ムービー
レザボア・ドッグス
レスラー
REC/レック
REC/レック2
REC/レック3 ジェネシス
REC/レック4 ワールドエンド
RED/レッド
RED リターンズ
レッド・オクトーバーを追え!
レッドクリフ Part I
レッドクリフ Part II -未来への最終決戦-
レッド・ドラゴン
レディ・イン・ザ・ウォーター
レディ・キラーズ
レディ・プレイヤー1
レディホーク
レナードの朝
レミーのおいしいレストラン
レ・ミゼラブル
レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
LOGAN/ローガン
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
ローズマリーの赤ちゃん
ロード・オブ・ザ・リング
ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔
ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還
ロード・トゥ・パーディション
ロープ
ROMA/ローマ
ローマでアモーレ
ローマの休日
ローン・サバイバー
ローン・レンジャー
6才のボクが、大人になるまで。
ロケッティア
ロケットマン
ロシアン・ルーレット
ロジャー&ミー
ロジャー・ラビット
羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来
ロスト・イン・ラ・マンチャ
ロスト・バケーション
ロストワールド ジュラシック・パーク
ロッキー
ロッキー2
ロッキー3
ロッキー4/炎の友情
ロッキー5/最後のドラマ
ロッキー・ザ・ファイナル
ロッキー・ホラー・ショー
ロビン・フッド(1991年版)
ロビン・フッド(2010年版)
ロボコップ
ロボッツ
ロボット
ロリータ


邦題
満足度
感想
ラーヤと龍の王国

(2021年制作)
8
調和の象徴だったドラゴンがいなくなり、5つの国に分かれたクマンドラ。その国の一つ、ハート国の長の娘だったラーヤは最後のドラゴンを探す旅に出る。
ポスターなどからは中国っぽい世界観かと思ってたけど、実際に観ると東南アジアのイメージだったね。世界観は独特な面もあるけど、“人同士の不信と信頼”というテーマに対して龍を統合の象徴にして上手くまとめている印象。5つの国をめぐりながらその国々で仲間を増やしていくという展開も、国が違えど一つの目的に向かって信頼し協力できるのだという分かりやすい描写だよね。まあ予定調和な展開だと言えば否定はしないけど、ディズニー映画だし多少キレイごとに見えても気にはしないw むしろ分かりやすくていいんじゃない?という感じ。
情景の違う土地を移動して進む話なので、TVシリーズにでもしてそれぞれをじっくり見せてもいいような構成だとは思った。でもそこを107分で描くというのでかなりサクサク話が進む印象。テンポが良すぎて苦労している感が薄いという気もしなくもないけど、まあそこはご愛敬。結局この話が描きたいのは「シスーを探すことに苦労した話」ではなくて「人を信頼するに至るきっかけを描く話」だもんな。だからシスーにも話の序盤で出会うし、シスー自体が高徳な感じではなく、特別な力で事態を決着させるようなデウス・エクス・マキナでもない。言ってみれば人の好いおばちゃんという風味なわけで、それが良い。
キャラクターとしてはラーヤもライバルであるナマーリも力強い若い女性だし、一方で“白馬の王子様”ポジションのキャラクターが登場しないってところに“今どき”な感じがする話でもあった。アニメ的にはタロン国で出会った小さい窃盗団のスピード感が面白かったな。その後も結構活躍するしねw
ライオン・キング

(1994年制作)
8
アフリカ・サバンナの動物の王国。その王であるライオンのムファサに息子・シンバが誕生した。ムファサはシンバに王国のことや王としての心構えを教えるが、そんなある日、ある事件によって命を落としてしまう。
冒頭のアフリカの情景や動物の描写はディズニーらしいデフォルメとは違って写実的な方向だったのだけど、話が進むにつれてどんどんディズニーらしいデザインへと変わっていくあたりは、観ている側が内容に引き込まれていく段階とシンクロしているようでよく考えられていると思った。中盤以降に登場するティモン(ミーアキャット)やプンバァ(イボイノシシ)に至っては完全にディズニーアニメが得意とする動物キャラの擬人化イメージに至っていて、そのあたりのバランス感覚は上手い。(ザズー(サイチョウ)は狂言回しに近いので最初から擬人化傾向強めかな。)
キャラ設定的にはどうしても「ジャングル大帝」の事が脳裏をよぎるが…もうそこは問わないとして、内容的にはシンバの叔父であるスカーの奸計絡みの話でシェイクスピア劇の様な印象が強かった。王道を学び、外の世界を知り、運命を自覚して帰還する若者の物語という意味では、戯曲としてのまとまりもよく出来ていると思う。シャーマン的な立ち位置のヒヒがシンバに「過去から学ぶ」例えで、「杖で殴る」という行為ひとつで説明するのは賢者っぽい説得力もあっていい感じだね。
ムファサの声はジェームズ・アール・ジョーンズで、さすがの貫禄。スカー役のジェレミー・アイアンズも卑屈な感じがとても良い。ザズーがローワン・アトキンソンだったとは…最後まで気づかなかったw
ライオン・キング

(2019年制作)
7
1994年に公開されたディズニーアニメの実写…っぽいフルCGアニメ版。
ストーリーはほぼそのままオリジナルの通りなので、そういう面では安心感がある。王位の簒奪を目論む王弟の策略と、野に下った王子が再び運命と立ち向かうというストーリーはシェイクスピアっぽくよく出来ているから特に変更する必要もないか。「サークル・オブ・ライフ」の流れるオープニングや、シンバがティモンやプンバァと出会って時間が経過するあたりの演出などはアニメ版そのままだし、リスペクトをささげているのもよく分かる。
となると、逆になぜここまで写実的なCGでこの話を描かないといけなかったのかが…正直言うとよく分からない。情景やキャラデザインはどこまでも写実的でリアリスティックだし、VFXの技術的な面で言えば素晴らしいの一言だけど、リアルになったことでアニメ版で感じた生々しさが薄まるという不思議。人語を語らせて物語を進める以上は「擬人化」という性質を消すことはできないわけで、そのリアルな見た目に対して人の感覚に準じた物語や設定とのバランスにちょっと違和感も感じているのかもしれない。昔観た「ダイナソー」で感じた時に似た感覚というか…。そういえばあれもディズニーだったな。
パンフレットを読むと、ファブロー監督は「ジャングル・ブック」の実写化を経験したことでもっと技術的に追求できると考え、実写を使わない実写として「ライオン・キング」を題材に選んだ様子。でも俺はパンフを読んで思った。パンフにはとても写実的な油絵風味のコンセプトアートが大量に載っていたのだけれど、どうせ写実的に見せるならそのコンセプトアートのタッチままでアニメ化したものを観たかったなあと。アレクサンドル・ペトロフの油絵を動かす作品の様な、絵が動くということの表現を追求したものを。
LION/ライオン
〜25年目のただいま〜

(2016年制作)
8
ふとしたことで回送列車に運ばれ迷子となったインド人の5歳の少年サルー。その後オーストラリア人夫婦の養子となったサルーは、25年後、自分の生まれ故郷への想いを強くしていく。
少年時代のかすかな記憶を頼りにGoogle Earthを使って生まれ故郷を探し当てる。それだけならまだしも養子に行ったオーストラリアからインドの田舎を探し当てるというのだから、まあ映画にもしたくなるドラマだよね。貧しいながらも母や姉を慕っていた5歳の少年時代の思い出があってこそ、後半の「突然いなくなった自分の無事を知らせたいのだ」という想いに共感するのは容易い。話として一ひねりあるのは、25年間育ててくれた育ての母に対して“実母を探すこと”が主人公・サルーにとって裏切りではないかという後ろめたさにつながっているというところ。だから抱え込んで悩む。実の家族への想いと育ての家族への想いとの間で苦悩する。この辺がドラマの根幹になっているよね。なので「Google Earthで見つけた」という話の奇の部分は、実はあまり重要なことではなくて探すツールは何でもよかったんだと思う。家族への想いというか“愛”で奇跡を自ら手繰り寄せたことの方が筋書きとしては重要なんだろう。実際そういう風にも描いていると思ったし。主演のデヴ・パテルはいい演技だったな。
この映画ではいくつかの“愛”が描かれるけれど、主人公の2つの家族への愛、主人公と彼女との愛、でも一番驚きをもって感じた愛は育ての母、ニコール・キッドマン演じるスーの愛かな。子供が生めないから養子をとるわけではなく、少しでも苦難の中にいる子供を救いたいという精神は…いかにもキリスト教的な“愛”って感じだと思いました。
ライト/オフ

(2016年制作)
7
部屋の明かりを消すと現れる影。3分足らずの短編作品を80分の長編にリメイクしたホラー映画。
闇という人が根源的に不安を覚えるシチュエーションをうまく生かしたホラーだと思う。原作の短編と同じく“電気の明滅ごとに何者かの影が現れる”というワンアイデアは見事。なにせ部屋の電気を消した先の闇なんて、どこにでもあるものだもの。そういうシチュエーションの身近さこそがホラー映画では良い効果を発揮する。だが、逆に言うとそのワンアイデアしかないので、この長編では話を支えるために家族の物語を入れてきた感じかな。それによって物語としては分かりやすいホラーになっているで悪くない。
ただ、シチュエーション的にはいい感じのホラーではあるものの、個人的にはもう少し不条理感や理不尽さがあった方が好み。ダイアナという存在が、結局母親の認識が生んだ産物でもあるというはなんだか説明的(しかも強引)すぎるような気もするし、説明しすぎると何か対処出来そうと思えてしまって怖さが少し弱まる。ラスト、母親の自殺によってダイアナも消滅するという流れは…観ているこっちは自殺という行動が既定路線に見えてちょっと感情が乗ってこなかった。なるほど、とは思ったけれど。
そうそう、見せ場としてはマズルフラッシュのたびに姿が消えて銃撃が効かないという、明るくなると消えることを逆手にとった表現はなかなか良かったな。ホラーのキャラクターとしてはダイアナは闇の中でこそ輝く良い感じの存在感があるね。
ライトスタッフ
9
米国が世界初の有人宇宙飛行に挑戦したマーキュリー計画を描いた、史実に基づいたドラマ。
こういうのが男のドラマというのだろうか。特にサム・シェパード演じるイエーガーの姿にはしびれる…。ジェット機による音速飛行記録を競い合っていた仲間が宇宙飛行士になり名声を得ていく中で、空軍のエースパイロットでありながら“学歴がない”という理由で宇宙飛行士に選ばれなかった彼。それでも彼は妬むこともなく、また一人、音速飛行のためジェット機に乗る。その姿はほんと、格好いい。
イエーガーは主人公の一人ではあるけど、もちろん話のメインは宇宙飛行士の方。そっちももちろん素晴らしい。ドラマやエンターテイメントとしての創作はあるにせよ、米国宇宙開発史の歴史、そしてその中で選ばれた宇宙飛行士達の姿には感じるものがあるね。7人みんなそれぞれに良いキャラクターしているしw 個人的には、ただの若造だったゴードン・クーパーの成長や、妻に「ジョンソンだろうが家に入れるな」と妻に言ったジョン・グレンが良かった。
そう、リンドン・ジョンソン役の人、似てたなあ…。ジョンソンってイヤなヤツだわw ちらっと映ったアイゼンハワー役の人も似てたね。
ライトハウス

(2019年制作)
8
1890年代のニューイングランドで灯台守として2人の男がある孤島に上陸する。2人しかいないその島での灯台管理の生活が始まるが…。
いかにもA24のホラー映画らしいというかなんというか…、観る側に心理的な圧迫を与える感じがとてもいい。ほぼ2人芝居というこの話は、ベテランと新任の感情の対立だけでサスペンスとしても描けそうなものだけど、そこへさらに様々なメタファーを加えることで力や欲といった“男”の情念を浮き彫りにしているところが興味深い。舞台となる灯台自体を男根のメタファーとして捉えることができるし、そう考えるとその場所で2人の男のパワーバランスが描かれるという事自体がそもそも象徴的な感じだよね。
この映画をホラーにしているのは、血なまぐさい結末だったりその背景に超自然的な何かを感じる部分があるというのもあるけど、やっぱりそれ以前に演出として主人公の怒りや恐怖といった感情に観客を巻き込んでいく見せ方が上手いところだと思う。冒頭、着任した灯台での感情は霧笛のうなり声で増幅され、後半での主人公の狂気は目にする虚実のあいまいさによってさらに強化されていく。話の全ては新任の男の主観だったのだと思えば、一見不条理にも思えるフラッシュやモンタージュ的な描写の数々が心理的な一貫性として圧迫感を与えてくるわけで、そのあたりのバランスが絶妙だったな。
2人芝居をこなすのはロバート・パティンソンとウィレム・デフォー。どちらも素晴らしいよなあ。どこかマトモではない感じや汚らしい感じも含めてさすがの演技だわ。ちなみに個人的に一番ハラハラしたのは生き埋めにされるデフォーの姿だったかもしれないw
ライフ

(2017年制作)
8
探査機が火星から持ち帰ったサンプルの中に休眠中の微生物を発見。その生物は急速に成長し、ある日、国際宇宙ステーション(ISS)のクルーに襲い掛かる…。
閉鎖空間で襲い掛かってくる地球外生命体…。シチュエーションとしては使い古されたベタな話だけど、一人また一人と死んでいく流れがテンポよく飽きさせない。SFスリラーとしては夏休みの夜中にでも放送してそうなB級感が強いが、この場合はそれが魅力だし、ISSのセットや地球外生物のVFXの質が高いので今の時代に真剣に作られたジャンルものとして好感が持てる。
その上で、役者陣が良いよね。ジェイク・ギレンホールにレベッカ・ファーガソン、真田広之にライアン・レイノルズ。メインを張れる役者達なのに、途中で死んでも不思議ではない微妙な感じが別の意味で緊張を持続させてくれますw 実際、最初に死ぬのはライアン・レイノルズだったし、でもちゃんとワンアクションこなしてから退場するところはさすがだなあ。真田広之の役は中盤の危機を引き起こすので、日本人としてはちょっと複雑な気もしたけど。でもこれも彼自身の里心と、事情を知らなかったという事が原因なので、ホラー映画でよくある馬鹿なやつがパニクったのとは違うからその辺は良いかな。
それにしてもラストは…。ここまで真剣に話を進めてラストにそう落とすとは…なんと意地の悪い。まあこの手のジャンル映画のお約束と言えばそうだけど。自分としては序盤の食卓シーンがなんとなく「エイリアン」のオマージュっぽく感じたので、ラストの脱出時にレベッカ・ファーガソンが録音してるのを観たらそりゃあそのまま終わるのもありだなと思ってしまって…。見事に逆を突かれましたw でも気に入りましたよ。
LIFE!

(2013年制作)
8
単調な日々、憧れの同僚、ふとしたことで妄想の世界に浸る主人公。そんな中、勤務するLIFE誌で、最終号の表紙ネガが見つからない事に気づき、撮影した写真家を探す旅に出る。
原作は主人公の妄想壁を描いた短編小説だけど、今作はさらに膨らまして、平凡な日常を生きるベン・スティラー演じる主人公の人生の転機を描いている。話としては妄想の部分はエッセンスでしかなくて、より重要なのは「LIFE誌の真髄だ」と語られる紛失した最終号の表紙写真。それがいったいどんな写真だったのか、というミステリーが原動力になって話を転がしていく。この構成がまず上手いね。ベン・スティラー監督はオフビートな笑いを所々に入れてきているけど、全体的に真摯な作品だった。
まあ旅のシーンでは、それまで平凡に生きていた男が、窮地に立たされたからと言ってガイドなしであんな山を登るのかとか、ちょっと力技な感じがしなくもないけど…。ある意味でファンタジーな現代劇だと思えばテーマの美しさを引き出すには良い映像ではある。遂に見つけたショーン・ペン演じる写真家との会話。「カメラが邪魔に感じるんだ」と自分の目で心に刻もうとするその表情は、人生のその瞬間瞬間の大切さを感じさせるようで良いやり取りだった。
この映画は平凡な日々から飛び出して、知らない世界を見ろと啓蒙している作品ではないと思う。確かに世界を見ることの素晴らしさを感じる部分もあるかもしれないけど、そもそも平凡な日々を否定していない。最終号の表紙に写ったそれは、主人公が日々繰り返していた日常の光景であって、それが"LIFE"(人生)の真髄だと、そしてそれを理解してくれている人がいるということを端的に見せてくれる。
ライフ・アクアティック
8
いい加減で自己中だが、どこか憎めない海洋ドキュメンタリー監督のズィスーと、彼を取り巻くクセのあるクルーや関係者との珍妙な“ジャガーザメ”探しの冒険を描くコメディ。
コメディとは言ってもドタバタではなく、とぼけた登場人物達を淡々と追っているだけ。でもその雰囲気の奇天烈さが良いね。バカではないがオシャレでもない脱力系の不思議な感覚。その雰囲気があるからこそ、どう見たって舞台のセット的なカメラの横移動や、作り物丸出しの海洋生物たちもリアルに受け入れられるわけだね。そういう風に見せる演出は上手いと思う。
しかしこの手の映画にはビル・マーレイのキャラがハマるなあ。子供のように拗ねるウィレム・デフォーも最高! まさにイエロー・サブマリンな潜水艦のデザインも良いねえw
ライフ・イズ・ビューティフル

(1997年制作)
9
第二次世界大戦直前のイタリア。お調子者の主人公・グイドはある日出会ったドーラに一目惚れし猛アタックを開始する。そして5年が経ち、一人息子のジョズエももうけたグイドだったが、戦争という現実がグイド一家をユダヤ人強制収容所送りにしてしまう。
物語の背景がホロコーストという悲劇を描きながら、とてもシンプルに人間性の讃歌を描いたあたたかい寓話だと思う。主人公のグイドが如何にお調子者で口が回り機転の利く男かをさんざん描いている物語の前半は完全にコメディ。というかコントのようですらあるけれど、グイドが憎めない男であり、そしてドーラへの恋を応援したくなるようなキャラクターとして実にテンポよく描かれている。そしてその恋が成就した5年後…空気が変わる。このシフトチェンジが見事。
世の中が変わってもグイドの人間性は変わらない。しかしままならぬ時代の空気が追い詰めてくる。それを幼い息子にはまだ感じさせまいとする親の愛に胸が締め付けられるよね。父親としてグイドが息子のジョズエに語る話はウソだけれど、これこそが“やさしいウソ”というものだろう。しかし機転を利かせた様々な方便の裏で残酷なホロコーストは確かに存在するわけで、その事実に真摯に描いている(ホロコースト自体を茶化していない)からこそ、この寓話が際立つのだと思う。その構造が上手くできている。
グイドはお調子者だけれど空気が読めない男ではない。空気を読んでいるからこそ、この行動ができたのだ。最後に一等賞の賞品が現れた時、「なんとやさしい物語か」と感動しました。
ライフ・オブ・パイ
トラと漂流した227日

(2012年制作)
9
ベストセラー小説「パイの物語」をアン・リー監督が実写化したサバイバル・ドラマ。海難事故によって、トラと共に救命ボートで漂流することになった青年の物語。
表面的には設定からも分かるとおりのサバイバル・アドベンチャー映画。海の上で如何に生き延びたのかという話だけど、最後まで観ると実はそれだけではない深い話が織り込まれていて、実に心が揺さぶられる作品だった。感動というのとは違う。どちらかというと…衝撃? この映画で描かれる動物も宗教観もサバイバルも、一見テーマのように感じるけれど物語の中での重要性はそこじゃない。事実は何かということも問題じゃない。ただ、彼の生き延びたという真実の話を聞いて、何を感じたかという問いかけの映画。
トラと漂流したというだけで十分寓話的だけれど、後半に出てくるファンタジックなミーアキャットの島には、実はすごく違和感を感じたんだよね。あまりに突飛すぎて。しかしそれが終盤の大きな仕掛けの伏線とは思わなかった…。物語の構造としての、叙述の面白さ。それがこの映画を、単なるサバイバル映画とは違う高みに持ち上げていると思う。
登場する動物は特に救命ボートの上はほぼCGということらしい。…があまりにリアルで全く違和感がない。VFXの素晴らしさも特筆すべきところ。作品自体も3D上映を前提に作られているけど、水の中の浮遊感や、海面と水中の距離感など、立体を生かした構図が劇中の映像をより幻想的にしていて良いね。
ライラの冒険
黄金の羅針盤
7
同名児童文学作品3部作の1作目。
独特の世界観が面白いけど、俺は何となく入り込めなかった。良いファンタジーアドベンチャーとは思うんだけど、やはり2時間ではテンポが速いせいもあるのか一直線にストーリーが進んでいくのが何となく合わない。まあ、特に1作目は児童文学の体ということもあるらしいのでそういう展開もありなんだろうけど、やはり同じファンタジーでも「LOTR」の重厚さと比較してしまうと物足りないかな。
ヨロイグマのイオレクはなかなか渋い。ネバー・エンディング・ストーリーのファルコンを思い出さなくもないけど、ピンチの時に駆けつける様は頼りがいもある。が、氷原での戦いでフレーム外から突然現れて敵もビックリ!という描写はちょっとリアリティがないかw
グノーシス主義の影響との指摘もある“ダイモン”の設定は、この作品ならではで面白いと思う。その謎も含めて2作目以降に引っ張っていくけど、続きは気になるねえ。
ラスト・エンペラー
9
実際に紫禁城を使っているだけあって、迫力があった。人間溥儀の人生を、等身大の目線で見ていて、そこが彼の心理的な悲しさを伝わらせてくる。神に等しい存在であった皇帝は、実は生きていて「死んで」いた。そして日本に利用され、すべての権力を奪われてしまう。しかし、老人になり、彼が1人の人間になったとき、初めて「生きた」んだと思う。そこが救いだねえ。
ラストキング・オブ・スコットランド
7
実在したウガンダの独裁者アミン大統領の姿を、彼の主治医となったスコットランド人青年の目を通して描くドラマ。
序盤こそ民衆に歓迎されている大統領だけど次第にパラノイアな本性を現していく。その彼を演じるフォレスト・ウィテカーの演技は確かに見事だった。事実上の主人公であるスコットランド人医師は、実在の人物4人を纏めたキャラクターということもあって、医師とアミン大統領のやりとりなどはフィクションだと思う。でも劇中で描かれる出来事は事実に基づいているというのだから、「アミンという人物はこうだったんだろうな」と思わせる力は十分。ただほぼ医師の主観なので大統領の悪行は第三者からの噂を聞くだけという描写がほとんど。彼が実際に目にしたのは、不貞を犯したが為に手足を切り取られた大統領の妻の死体と、吊り下げられた自分自身くらいか。その時にはもう手遅れだったわけですな。
しかし、この手の映画を観る時はやはり歴史とか地勢関係を頭に入れておく必要があるなあ。この作品で言うと英国がどう介入していたのかとか、スコットランドとイングランドの関係などは予備知識として要ります。まあ、英国人からすれば常識なんだろうけどね。
ラスト サムライ
8
ハリウッドの描く日本像には疑問点が多い。その点この映画はなかなか日本文化についての描写に親しみを感じる。“サムライ魂”をいかに表現するか、この点が一番のテーマであるし頑張っているのが伝わってくる。ただその為に、少々時代錯誤的に古い“サムライ”が描写される。元禄文化を抜けてきた武士とは思えない、どちらかというと戦国時代の武士に近いかもしれない。でも映画を観ていくと勝元のモデルが西郷隆盛なのが分かるし、そのサムライ達の生活描写は日本人として嬉しい所もある。ラストの戦闘シーンは日本版「ブレイブハート」と言った様相。最後の明治天皇の決めゼリフが英語なのは個人的には解せませんでした。途中で襲撃してくる刺客が、典型的な“忍者”の描写なのにはちょっと失笑気味でしたw 全体的には結構好印象な映画です。
ラストスタンド

(2013年制作)
7
移送中の麻薬王が脱走。時速300kmで疾走するコルベットが向かう先は、メキシコ国境沿いの田舎町・ソマートンだった。
田舎町の保安官を演じるシュワルツェネッガーの、「ターミネーター3」以来10年ぶりの主演作品。さすがのシュワ氏でも65歳でバリバリのアクションをこなすと違和感があっただろうが、ベテラン保安官という役どころにあって、経験を生かした状況判断を見せるキャラがなかなか良い。脱走した麻薬王が刻一刻と町へ近づく中、次第に事態を把握していく前半の展開は盛り上がったし、色々伏線になりそうな設定があって期待も大きくなっていったのだけどね。ただ、残念ながら前半に比べて後半が少し雑だった。
結局のところ正面からの銃撃戦に突入するし、カーチェイスあり肉弾戦ありで、アクション映画としては見せ場もあるけど前半の段取り感を考えるとこうも力押しというのは…。バランス的にどうなのだろうか? 道化役の武器マニアも、確かに笑えるシーンはあるのだけど、本来緊張感が優先されるべき銃撃戦の中で、ちょっとだけ浮いていた気もする。
ラストナイト・イン・ソーホー

(2021年制作)
8
ファッションデザインの専門学生である主人公のエロイーズ。憧れのロンドンに越してきた彼女だったが、下宿先で1960年代半ばの女性・サンディの経験を追体験するという夢を見る。
エドガー・ライト監督の新作なので興味が湧いて観たのだけど、コメディ、アクション、ときて今度はホラー。しかもジャンル映画として器用にこなすだけではなく、監督らしい映画趣味とセンスの上で昇華させてしまうのだから恐れ入る。本作では「男性の欲のはけ口にされる女性」という現代的なテーマで60年代の女性が遭った出来事が描かれているけど、それを現代の女性と同一化することで主観的な嫌悪感を強化させるという構成には感心した。個人的には現代の価値観を過去に持ち込んで一方的に断罪する話は好きじゃないのだけど、この設定であれば何も不自然ではない。だって現代の女性が追体験しているのだから。
エロイーズがサンディと同一化する場面の見せ方は秀逸。鏡を使ってそれを表現したり、ダンスシーンで入れ代わり立ち代わり一体化していることを視覚的に表現しているけど、結構古典的な特撮や編集でそれをやっているように見えるのが良いね。ホラー映画としてはビックリ系と言うよりは居心地の悪さが主体な印象。その上でちょっとした真実の暴露があって話の緩急が上手くできている。考えてみれば大家が「夏は排水溝から匂いが出る」と言っていたのも伏線なわけで、展開の積み重ねと結末に「映画を観た」という満足感を得られました。
ラスト・ブラッド

(2009年制作)
5
Production I.Gのアニメ「BLOOD THE LAST VAMPIRE」を、香港映画が実写化した作品。
原作となったアニメは、物語の背景をほとんど語らない寡黙なところが好きなんだけど、この作品はそれとは逆な印象が強い。個人的には、背景を明らかにすることは神秘性を無くす事になる気がするけど、このリメイクの制作者達はあくまでエンターテイメントとしての纏まりを優先した様子。しかしそれが故に追加された設定や後半の展開は冗長だと思うなあ。まあ、原作ファンだからそう思うのかもしれないけど。
原作は50分ほどの中編作品。この映画の前半はその雰囲気に沿って話が進むけど、あくまで雰囲気だけで殺陣等のアクションはいかにも香港映画風。それにしたって町中が翼手(吸血鬼)だらけって設定はどうよ。一部の人間に紛れ込んで暗躍していることが不気味なのに、ワラワラ湧いてきてゾンビ映画の様相。それだけいたら“組織”でなくても気づくだろw この辺の感覚が俺の求めるのとはちょっとズレてたんだよなあ。
後半はさらに話に入り込めませんでした。クライマックスなんて、親玉のオニゲン(演じるのは小雪)が出てきて、主人公に「私はお前の母だ」って…「帝国の逆襲」のパロディとは!
落下の王国

(2006年制作)
7
20世紀初頭のハリウッド。スタントの事故で重傷を負い入院をする一人の男が、その病院で知り合った少女に思いつきの物語を聞かせる様になる。
劇中劇の形で描かれる思いつき物語のイメージ。これが特異で、美しい世界遺産の風景と、舞台劇の様な派手な衣装と相まって鮮烈な印象を残しますな。こういう画面の構成力や想像力は確かにすごいと思う。ただ、現実パートは筋は通っているものの、個々の部分で描き方が浅いように思えて勿体ない気もする。登場人物なんかは空想と現実でリンクさせているのだから、もう少し共通点を強調しても面白かったと思うんだけどね。「オズの魔法使」の様になれたかも。
個人的にはエピローグが気に入った。映画黎明期のスタントマンという職業に対する敬意。バスター・キートンたちのスタントのすごさ。考えてみればこの映画の劇中でも役者が落ちまくっているか。最初は「落ちる」事にテーマがある映画なのかと考えていたのだけど、観終わった後は、これって「落ちることの表現者」に対するオマージュ映画なのかな?と思った。
落下の解剖学

(2023年制作)
7
フランスの山荘で起きた1人の男の転落死。その妻・サンドラが殺人の容疑で裁判にかけられる。
サスペンスかと思ったら普通に裁判モノ、しかし心理的にはサスペンスだった。ラストで裁判は結審するし、サンドラは無罪にもなる。でも最後まで観て残るモヤモヤは、結局核心部分が藪の中だったからだろう。劇中で描かれるピースだけを見れば、殺人が行われていても不思議ではないのだから。しかしサンドラが殺したのか否かというのは、この作品にとってのマクガフィンでしかない気がする。描いているのは殺人の裁判だけれど、見せたいものは"ある夫婦の関係性"なんだろうな。そういう意味では、次第に浮き彫りになるサンドラの人間性と夫婦関係という見せ方には工夫を感じさせるものがあったし、主演のザンドラ・ヒュラーの演技もとても良かった。ドイツ語を母国語としながらも基本的に英語で話し、さらには慣れないフランス語で裁判に挑むという彼女のキャラクター設定にも、一筋縄ではいかない複数の「面」を感じさせるところですね。
ドラマ的には目を引く部分はあるものの、派手さはあんまりない印象。一番感情がむき出しになったのは終盤の夫婦の口論の録音だろうか。でもそれも派手さとは違うしなあ。ともかく、地に足付いた描き方で、ある程度観客に感情を委ねてしまうような映画だった様に思います。
ラッシュ
プライドと友情

(2013年制作)
10
互いをライバルとして戦ったニキ・ラウダとジェームズ・ハント。劇的な1976年のシーズンを中心に、対照的な2人の生きざまを描く人間ドラマ。
俺の生まれる前の話だけども、伝説に残るシーズンであったし、どういう流れの出来事だったかは知っていたのだけど…。やはり映像として、物語としてみると感情が揺さぶられる。ニキ・ラウダの奇跡の復活がイタリアGPで、フェラーリに乗って、もうあの場面は男泣きですよ。
対照的な2人の主人公が互いを好敵手と認め突き進んでいくストーリーは熱い。まあ脚色はだいぶ入っているけど、組み立ての上手さはロン・ハワード監督らしい優等生な感じだね。2人の生き様という主題がブレないし、F1のウンチクやレースに過大な時間を割かなかったのもバランスが良い。監督が撮影前はF1をあまり知らなかったということが、逆に妙な思い入れを起こさせず、ドラマを重点とした演出に繋がって良かったのかも?車に思い入れがあるとレースシーンの方が長くなっちゃうからねw でも俺は今でも鈴鹿に観に行くようなF1ファンでもあるけど、そのレースのダイジェストさは不満にはならない。的確な要約で76年シーズンをあっと言う間に進行させ、クライマックスの数レースにきちんとフォーカスさせていると思う。それに当時のレースの雰囲気は確かにそこに活写されているのだから。
その上での人間ドラマ。ラウダが事故で顔に酷い痕が残った遠因は、確かにハントがレース前に言った意見だったかもしれない。でも謝罪に来たハントにラウダが「かもな。でも…」というイタリアGP前のシーンは良い。プロとして、人としての姿勢に感服する。レースに掛ける「生きること」の姿勢こそ違うけれど、2人とも真のレーサーであり、それが故の好敵手。それが結実するのが富士で開催された最終戦、F1世界選手権イン・ジャパン。
ラッシュアワー
8
東洋人と黒人のコンビ、これだけでも珍しいし実際なかなか楽しませてくれる。喋りばっかりのクリス・タッカーと、アクション担当のジャッキー・チェン。二人のキャラを巧く生かしてるのがいいね。アクションだけが売りじゃなくて、笑いというポイントがあることで、メリハリがついて楽しめる映画になってるんだろうなあ。ジャッキー映画お約束のNG集も楽しかった。
ラッシュアワー2
8
ジャッキーはいくつになっても頑張るなぁ。50近いとは思えないな、あの動き。個人的には1よりも、この2の方が面白かったかも。ジャッキーが喋るようになって、クリス・タッカーとのコンビもいい感じに思えたし。エロ親父風なゆるんだ顔のジャッキーも、何か新鮮だった。エンディングのNG集には爆笑。
ラッシュアワー3
7
6年ぶりのシリーズ3作目。
相も変わらず下らない展開で笑わせてくれる。今回は言葉遊びも多かったけど、これは言語が分かっている方が良いんでしょうなあ。そういう意味だと日本人は損をしている。
ジャッキーは歳をくったよなあ。まあそれでも十分に体を張って頑張っているのだけどね。ちょい役のロマン・ポランスキーには驚いた。
話自体は細かい辻褄が気になるけど、本シリーズはノリを楽しむ映画なので目を瞑りますw 個人的にはタクシーの運ちゃん絡みのアクションが面白かった。自分をスーパースパイ(ジェイソン・ボーン?)と思いこんで目の色が変わった瞬間は良いね。しかしパリは色んな映画でカーチェイスされる街ですなあ。
ラブ・アクチュアリー
8
舞台は英国、時期はクリスマス。9つの様々なクリスマスの出来事を平行して描くラブストーリー。
ラブストーリーと言っても映画の冒頭でも語られる様に、ここでのテーマは恋愛に限った話ではなくどちらかというと欧米的な“愛”の話という印象。特にロックスター(ビル・ナイ)の話と、義理の親子(リーアム・ニーソン)のエピソードは個人的にもその傾向の話で好きかな。でもどの話もスッキリとしていてクリスマスに心を温めるには良い映画だと思います。
9つあるエピソードはそれぞれ平行して描かれるので、次々に場面が変わってめまぐるしい。にもかかわらずそんなに混乱しないのは、内容のシンプルさと共感のしやすさからだからかな。役者も非常に豪華なので、アンサンブル映画としても非常に楽しい。英国首相役のヒュー・グラントも雰囲気にイヤミが無くてが良いね。メインではないものの、印象に残る仕事をこなしてくれたローワン・アトキンソンも良いです。
ちなみに、米国へナンパの旅へ行ったコリンの話だけは俺は共感できませんでした。途中まで夢オチにするのかと思っていたのに、まさか大願成就しちゃうとは…これだけはそれでいいのか?と。うーん、アメリカの女はバカっぽいって事なんでしょうかね、イギリス映画だしね?w
ラブリー・ボーン

(2009年制作)
6
ある日、近所の変質者に殺された14歳の少女、スージー。彼女は地上と天国の狭間で、残された家族を見守るが、変質者は再び犯行の衝動に駆られていた…。
アリス・シーボルドの原作は未読。鑑賞前はもっとアグレッシブに現世へ介入する話なのかと思いきや、その手だてもほとんどなく見守ることしかできない主人公だった。つまり、ある日突然家族・友人を失った人々が、時と共にそれを乗り越えていく話であって、死んだ者はそれをつねに見守っているよ、…という暖かいストーリーなのだ。
しかし観ているとそう一筋縄ではいかない。そもそも原因となる事件があり、変質者の物語がある。ここで作品の筋が二つになり、その上にスージー本人の恋のあって…、と描こうとしているプロットの多いこと。そのせいか、ここのパーツの提示と収束が話の中に溶けていないというか、どうも散漫な感じです。まあ、そういうパーツが上手くかみ合わないこと(特に変質者が逃げおおせてしまうところとか)が現実感なのかもしれないけど、映画的なカタルシスを求めていると物足りないかなあ。
スージー役のシアーシャ・ローナンは雰囲気が良いし、変質者役のスタンリー・トゥッチは上手い。キャラの濃いスーザン・サランドンが印象に残ったけど、その割にはストーリーを動かす人物ではなかったのがちょっと不思議。
LAMB
ラム

(2021年制作)
7
アイスランドの山間部で牧羊を営むマリアとイングヴァルの夫婦。ある春の日、新たに生まれた子羊の異様な姿に戸惑いつつ、彼らはアダと名付けて実の子のように育て始める。
構成としては全三章で作られていて、アダの登場、第三者(イングヴァルの弟ペートゥル)の登場、そして結末…といった感じになっている。アダは頭から右腕にかけてが羊でそれ以外は人間の姿という子供。夫婦がそれを受け入れて育てるというのは狂った話な気はするなあ。その様に雰囲気だけはホラー風味を醸し出しつつも、話としてはほぼ大半が穏やかな日常という感じで、作品としてその異質な感じが独特であるとは思う。彼らが愛情を注いでいる様子や、ペートゥルがアダを受け入れてしまう様子を見ているうちに、こちら側も「これはこれでも彼らにとっては良いのかもしれない」などと思ってしまうのだから、話の組み立ては上手いのだろう。
全体的にはセリフは少なめで、雰囲気と日常会話でこちらも状況を理解しているんだけど、結局この話が何を訴えているのかは少しフワッとしている気もする。全体的には「こういう幸せもあるのだ」という雰囲気。でも子供を奪われた母羊の運命がそのままラストに返ってくる展開は、子供を奪うという行為に対しての因果応報の話のようにも思える。ただ銃で撃たれたのが母羊を殺したマリアではなくイングヴァルなので、マリアには殺されるよりも奪われることに“罪”の重きが課せられているような感じなのかな。
羊飼い、マリア、隣人の妻を欲する…。いずれにせよキリスト教モチーフの要素がよりこの話の雰囲気を強化している。頭がヤギならバフォメットだが、羊の獣人でも悪魔の様には見えちゃうね。
ラ・ラ・ランド

(2016年制作)
9
LAで出会ったそれぞれに夢を持つ男女のラブストーリーを描いたミュージカル映画。
アバンにある渋滞のシークエンス、ワンカットで一気にミュージカルに引き込んでくるパワーには感動した。本作はブロードウェイなどの舞台作品の映画化ではなく完全にオリジナル作品だけど、耳に残るミュージカルナンバーやそこから感じ取れる感情の色味が映像とマッチしていて素晴らしい。特に何度も繰り返される"City of Stars"やピアノ曲の"Mia & Sebastian's Theme"が、主人公たちの心情を表現するカギとしてうまく使われていて感心した。映像と音楽をセットにして印象に残すことで、後半の反復で効果的に場面が脳裏によみがえる。主題のリピートやリフレインといった音楽的な構造と映画の合成作品というか、まるでそんなものを観ているかような感覚も覚えたね。
そういった構造的な上手さは監督のセンスの良さがハマった部分だろうか。一方でミュージカル作品としても、端々にRKOやMGM作品などへの目配せが全開で、監督の嗜好がまるわかりで実に清々しい。決してマネではなくオマージュとしての引用だけれど、最初はあまり印象がよくなかった二人が(夜の公園ではないが)夜のマルホランド・ドライブでダンスを通じて気持ちが近づいていく流れなど、なんだか往年の作品のお約束だよねw 
物語は夢を持った二人の男女のラブストーリーだけど、結末はちょっとビターな感じ。でもセブ(ライアン・ゴズリング)がミア(エマ・ストーン)に「夢をあきらめるんじゃない!」と実家の前まで行ったのは熱かったな。二人ともお互いに関係が終わっていることは分かっている。けどセブは彼女の夢のためにそれを後押ししたんだよな。エピローグとなる5年後の場面でセブが思い浮かべたミアとの“ありえたかもしれない人生”は切なくとも美しい。映画としてのエピローグ、音楽としてのリピート、そしてもう一つの物語の可能性。自分たちの夢を追った男女は果たしてそれを叶えたかもしれないが、セブが夢想したそれの様に手の届かなかったものもある。でも彼らの出会いが彼らの夢を叶えたのだ。そういう意味で夢のあるドラマだったと思う。
ラン・オールナイト

(2015年制作)
8
マフィアの殺し屋として生きてきた主人公・ジミー。自分の息子・マイクに銃を向けた男を射殺するが、それは組織のボスであり親友でもあるショーンの息子ダニーだった。
手際のいい進行であっという間に話を進めていくのが良い。ジミーとショーンの友情、息子・マイクとの微妙な距離。「一晩だけ逃げ切れば解決する」という時限性が話の密度を上げるか。多少ご都合な面もあるけれど、サスペンス・アクションとしては佳作でしょう。友情と仁義、そして父親と息子の反目と和解という全編にわたって男くさい映画なのが良いよなあ。無駄なお色気もなく、ただただ男くさい。それが見応えになってる。まあ結局「リーアム・ニーソンの家族に手を出したら負け」という話だけどねw
リーアム・ニーソンはここ10年くらいどうも似たような役のアクション俳優になってしまった。この映画もその枠から外れないが、全盛期は過ぎたのだろうけど凄腕の殺し屋という説得力があるのはさすが。迫力があるのはタッパのせいなのか、目力なのか。暗視装置やレーザーサイトといった最新の道具を使いこなす黒人の殺し屋に対して、主人公が使う武器はスタームルガー・リボルバーだったりウィンチェスターだったり、その辺のアナクロな感じもカッコイイ!特にラストのウィンチェスターのリロードは…!
同監督の作品「フライト・ゲーム」では携帯電話のメッセージの出し方がVFXを使って凝ったことをしていたけど、本作は空撮から一気に地上に寄っていくという特殊効果をバンバン入れてきてる。この監督はそういう視覚的なギミックが好きなのかな?
ランゴ

(2011年制作)
8
カメレオンの主人公は、ひょんなことから砂漠の真ん中にある町に流れ着く。そこで調子に乗って無法者兄弟を倒した男だと吹聴したことからその町の保安官になることになるが…。擬人化した動物たちの西部劇風CGアニメ作品。
主人公のランゴの声を演じるのはジョニー・デップ。彼の演じるキャラクター(ちょっと変な人)がにじみ出ているランゴのキャラは滑稽で憎めなく、面白い。それが「デップが演じているから」という印象によるものなのが興味深いね。(同じキャラでもアーメド・ベストが演ると違うだろうなあw)
全体を通してマカロニ・ウエスタンの雰囲気を再現しているのも面白いが、作り手のそれに対する思い入れが伝わってきていいね。"西部の精霊"なんてもうまんまイーストウッドの風貌だしw 舞台は現代だけど、世界観を動物の世界にしたことで違和感なく西部劇に感じられる。"金"ではなく"水"が重要であるという設定もわかりやすい。まあ西部劇なのに空中戦があったりするのはご愛嬌だけど、作風としての面白さは子供向けというよりもやっぱりマカロニ・ウエスタンのファンに対する目配せの方が強く感じるかなあ。"弾は一発で十分"というのが話の背骨として機能してますね。
ランペイジ 巨獣大乱闘

(2018年制作)
8
同名アーケードゲームを原作にした巨獣が大暴れするアクション・パニック映画。
冒頭は「ゼロ・グラビティ」的な宇宙ステーションのシーンで始まるけど、手前の浮遊物と奥行の対比などの3D映えを意識した構図が目立っていたなあ。市街地を巨獣が破壊しつくす終盤のシーンなども迫力満点。結局のところアクションシーンは全般的に3Dアトラクション的な見せ方に終始しているし、そういうポップコーンムービーとしての自覚があっての中身としてはよく出来ていると思った。
あまり頭のよくなさそうな企業のトップの陰謀は、この手の話ではかなりステレオタイプな印象。特殊な経歴を持つインテリマッスルな主人公と、彼と行動を共にする女博士。割と義理堅いサポート役の役人に、噛ませ犬の傭兵や足止めにもならない軍隊と…とにかくベタのてんこ盛りw 最終的には主人公が身一つでもって震源地で戦うなど、これもまたアクション映画の王道ですな。ご都合な展開も含めてあまり考えてはいけないタイプの映画だとは思うけど、ここまで開き直ってストレートな“アクション映画”になっていると逆に気持ちいい。
ドウェイン・ジョンソンが巨大なゴリラと組んで巨大ワニと戦うなんて、実際に考えればシュールそのものなんだけど、「彼なら勝てそう」と思わせてしまうのがすごいよなあ。まあ止めを刺したのはゴリラのジョージだけど、ジョージも憎めない性格でよろしい。(まあ作中の大半は凶暴化してたけど。)
ランボー

(1982年制作)
8
ベトナム帰還兵の主人公がある田舎町で保安官に不当な扱いを受け、逃げ込んだ山中で一人反撃に出るアクション映画。
アクション映画には違いないけども、米国の帰還兵に対する扱いへの疑問や帰還兵自身の哀しみがテーマか。90分程の上映時間でテンポよく話も進むし、ドラマとしても見応えがあって良いと思う。少なからずラストの心情吐露ではグッとくるものがあるしね。
よく考えると、ゲリラ戦のプロであるランボーが大暴れする割にはそんなに人死には出ていない気がする。物損や負傷者はかなりいるようだけど、確実に死んだのは自業自得なヘリから落ちた奴だけか。そういう意味でも反戦映画としての思想が感じられる作品でした。
ランボー
怒りの脱出

(1985年制作)
7
前作から3年後に制作されたシリーズ2作目。特赦の条件である捕虜の存在確認を行うため、単身カンボジアに向かう。
前作とはうって変わって、単純なアクション映画になってしまったことをどう受け取るかで、この映画の評価も変わるだろうけど、個人的にはちょっと勿体ないと思った。少なくとも前作はベトナム帰還兵の悲哀を描けていたからね。今作でも取って付けたように話に出ては来るけど、基本的に無茶なアクションを魅せるだけの作品になってしまった感がある。善くも悪くもそういう作風がもてはやされた時期なのかもしれないけど、1作目のキャラを使った別物と思った方が良いのかも。
逆境に耐え、力で自体を過帰結する不屈の超人の活躍を楽しむアクション映画としてみるなら十分だけど、やはり前作と比較してしまうと辛いところです。
ランボー3
怒りのアフガン

(1988年制作)
7
前作から3年。アフガンに侵攻したソ連を偵察すべく潜入したトラウトマン大佐が捕虜となった。かつての上官を救出すべくランボーが立ち上がる。
前2作までのアメリカという国の兵士に対する冷淡さといった風刺的なものはなりを潜め、アフガンゲリラと共にソ連=敵に対して攻撃を仕掛けるという、全くのアクション映画になってしまった。ドンパチが見所の娯楽映画として観ればそれなりに迫力もある場面もあるけど、ストーリー展開は単純明快で特に捻りもなく、やはり1作目を忘れてしまわないとちょっと辛い出来かな。
アフガンゲリラに協力を仰ぐという内容や、エピローグでは作品をゲリラに捧げてすらいるこの映画。制作当時からの20年で変わってしまった世界情勢が皮肉に思えて仕方がないね。「我々はベトナムで学んだ」というトラウトマン大佐の台詞も虚しいばかり…。
しかしムキムキのスタローンが活躍する様はアクション映画として悪くないとは思う。活劇としてのこのシリーズに影響を受けたほか作品も色々あると思うしね。
ランボー
最後の戦場

(2008年制作)
7
前作から20年。タイの奥地でひっそりと生活していたランボー。ミャンマーで白人ボランティア達が軍事政権に囚われたとの知らせを受け、救出を依頼された傭兵達と共にミャンマーの奥地へと向かう。
前シリーズまでと比較して、ひどく戦闘描写が凄惨なものになった。機銃や地雷で人肉は吹き飛び、ナイフで割かれた腹からは臓物? まあ、実際の戦場は同等以上のものなのだろうから、そういう行為に対して嫌悪感を抱かせることに対しては成功しているだろうか。村の虐殺後の光景は臭いすら感じそうなくらいだったしね。
軍事政権側の虐殺は酷いが、ランボー側の逆襲もこれまたこっぴどいもので、俺はその場面を見て「北斗の拳」を思い出してしまった。悪逆非道な敵であればあるほど、それ相応の最期をむかえさせるという話に共感してしまうのは人間のサガか…?
展開は至ってシンプルだけども、ほどよく纏まっていたかな。不発弾の使い方もベタだけど悪くない。しかし現在進行中のミャンマーの問題を描いているだけに、これだけ殺伐とした戦闘を見せられるというのは複雑な心境になってしまうけどね。
ランボー
ラスト・ブラッド

(2019年制作)
7
アリゾナの牧場に戻ってから10年。旧友マリアとその孫ガブリエラと共に平穏な生活を送っていたランボーだったが、ガブリエラがメキシコで消息を絶ってしまう。
前作から10年の間に家族を持ったランボー。ガブリエラに対して、血が繋がらずとも娘同様に見守っている様子には「ランボーも幸せを手に入れたかー」と感慨深いものがあったけれど、もちろんそのままで終わるはずもない。生き別れた父親に会いにいったガブリエラは、当地で人身売買組織につかまって売春宿へ…。そこから彼女を奪還すべく怒りのランボーが単身メキシコへ! うーんこれは「96時間」っぽいぞw
でもこの映画は“色々と手遅れな”「96時間」だった。最初に乗り込んだときに組織にボコられて、次に目を覚ますと4日を過ぎてるってもう96時間どころじゃない。リーアム・ニーソンなら初っ端から無双したのかもしれないけれど、これがランボーだからなのか…彼の背負う業は彼の幸せを守らせてはくれなかった。なぜ彼が幸せになることを許さないのか、スタローン(共同脚本)はランボーに厳しいなあ(苦笑)
かくて復讐の鬼と化したランボーは人身売買組織を壊滅させる。ベトコンのゲリラ戦法のように坑道を張り巡らせた牧場の地下で、一人ずつ罠にかけて惨殺していく様子は「やりすぎじゃ…」と思わなくもないけど。まあランボーの怒りの表現としては分からなくはない。ただ、敵も敵で、ランボーが待ち構えている農場や坑道にランボーの思惑通り入っていくのは、ちょっとご都合主義な感じが強い気もしたけどね。
ラン・ローラ・ラン
8
恋人からのヘルプの電話。20分以内に10万マルクを作るため、ローラは走る。
テクノサウンドをバックにひたすら疾走するローラの姿を描いているわけだけれど、そのスピード感は見事。特に冒頭はグイグイと引き込まれたね。ただ、映画は81分あるのに、20分で金を作るという展開が先に提示されたんで、「その先はどう言った展開にする気だろう?」と興味津々で観てたんだけど…。まさか“やり直し”ムービーとは。面食らったw
3度繰り返すうちに、微妙な違いが大きな変化に繋がっていくけど、その辺の伏線の張り方は良くできてたかな。おそらく“神”と思われるキャラクターもいるし、ある種のファンタジーだけど、こういう突っ走り方は気持ちが良い。しかし、3回ともろくな目に遭わないマイヤーさんは気の毒…w
リアル・スティール

(2011年制作)
8
人間ではなくロボット同士のボクシングが行われるようになった近未来。廃棄所で拾ったロボットと共に試合を重ね、親子関係を取り戻していく父と子の姿を描いたドラマ。
ロボットが殴り合うというシチュエーションが少年心をくすぐる仕様になっている映画ではあるけど、核となるのは親子の物語。別れていた妻が亡くなり、久々に再開した息子との関係を修復していく話としてはベタベタで、まったく予想通りに展開していくのだけど、描き方が丁寧なのである種の王道さは逆に心地いい。親父・チャーリーは息子・マックスの歳も覚えておらず、親権を金に換えようとまでする序盤には「なんちゅう親だ」とも思ったけれど、案外たくましいマックスが話をポジティブな面で支えてくれる。クライマックスでマックスがチャーリーに向ける視線は感動的ですね。
ロボットのデザインはメカがむき出しで、ちょっと武骨な感じがレトロフューチャーで良い。CGによる合成も「トランスフォーマー」以上の存在感で現実のその場所にいるような質感ですね。劇中では「日本のゲームで覚えた」とか登場ロボットのデザインとか"日本"が意識された個所もあるけど、"ロボット=日本"というイメージがまだ米国にあることは、嬉しいようなこそばゆいようなw ロボットの名前が"ATOM"だったり、操縦方法が鉄人28号を想起させるような部分も、日本人としては気になる部分ではある。
リーグ・オブ・レジェンド
時空を超えた戦い
7
名作小説界の“スパロボ”ってな感じか。まさに夢の競演なんだろうけど、それぞれのキャラを生かし切れているのかはというと、ちょっと消化不良気味。潜水艦の常識が欠如したノーチラス号や、やたら寒さに強い透明人間も、ある意味小説よりも荒唐無稽で「おいおい」と思ってしまう。まあ、後半さすがに盛り上がってくるけど、それぞれの対決で主人公が一番地味な戦いをしてるのはご愛敬w ネモ船長の科学者とは思えないような戦いぶりはちょっと憧れるかもw
リスペクト

(2021年制作)
8
“ソウルの女王”アレサ・フランクリンの半生を描いた伝記映画。
アレサ・フランクリンといえば、俺の中では「ブルース・ブラザース」で“Think”を歌っていた人…というところだけど、あの一場面でも“ソウルの女王”と言われるに納得の圧倒的な歌の圧力が印象的だった。そんな彼女の前半生を、歌の才能によって成功していくサクセスストーリーの裏側で父親や夫からの抑圧があったのだという苦しみが描かれていく。このあたりは直球的に男性に抑圧される女性という今日的なテーマとして分かりやすい感じかな。タイトルの“リスペクト”は曲名であると同時に色んな対象に対しての“敬意”についての意味が込められているようだけど、本作のアレサ本人に対しての敬意がメインだとして、他に登場人物が何に敬意を払っているのかについて、どの様に敬意を求めているのかについてという意味もあるか。神であったり、父親の威厳であったり、女性に対してであったり、自分という人格に対してであったり。逆に言えば内容がタイトルを意識しすぎているきらいはあったかも?
曲や歌詞に登場人物の心情を重ねて描くのは歌手の伝記映画としては常套手段。本作でも多用されていて効果は抜群な感じ。何より主演のジェニファー・ハドソンの本物の歌唱力がそこに説得力をもたらしているよね。もはや似てる似ていないに関係なく、“この物語のアレサ”という説得力があった。アレサの父親役はフォレスト・ウィテカーで、彼はバプテスト教会の牧師でありキング牧師とも親交が深い公民権活動家だけど、何かと娘を管理下に置こうとする人物。アレサ目線なのでどちらかというと否定的に父親を描いているけど、彼にとって“自分のいる家で招いた客が娘をレイプした”のだという事実を内心でどう抱え込んでいたのかは気になる…。彼の娘に対する抑圧は過去の出来事の裏返しなんだろうかとも思ってしまった。
リチャード・ジュエル

(2019年制作)
8
1996年アトランタ五輪の大会期間中に発生した爆弾テロ事件で、容疑者として捜査や報道に晒された爆弾の第一発見者・リチャード・ジュエルの姿を描いたドラマ。
「容疑者像に合う」という一方的な決めつけで進む捜査や報道の理不尽さは、主人公側の視点に立ってみればたまったものではない。翻って「あいつが犯人っぽい」という先入観を持たない人がいるのかといえば、自分も含めて否定しきれないが…、だからこそ捜査や報道は真実に誠実であってほしいと願う。この映画は不幸にもその暴走した先入観による捜査・報道に翻弄された警備員の話だが、クリント・イーストウッド監督の職人芸とも言える様な、端的で手際のいい人物・状況描写はもうさすがの一言につきますな。リチャード・ジュエルという人物にはそのように疑われかねなかった突飛さがあり、犯人を検挙したかったFBI捜査員の動機や、報道を先んじたいという記者の欲も強調して描かれる。ドキュメンタリーではないので、それぞれが容疑者・捜査機関・報道機関のカリカチュアされた像にはなっているけど、その様に整理されているからこそ見やすいのだと思う。そういう意味で映画作品としてよく出来ている。
個人的に興味深いのは、捜査官や記者が求めた犯人像が「英雄=犯人」という“マッチポンプで自分の名声を得ようとする人物”だとしたこと。これって捜査機関や報道機関が“犯人をでっちあげて、それを一方的に検挙したり報道したりする”ことと何が違うだろう? そこにはとても強烈な皮肉が含まれていると感じる。
リトル・ミス・サンシャイン
7
末娘のミスコン出場のためにオンボロバスに乗って移動することになったバラバラな家族6人の、道中の出来事を描いたコメディ作品。
作品として言いたいのは“結果ではなく過程が重要なのだ”と、目的であるはずのミスコンの描き方を観ていても分かりますな。でも、だからといってこの問題だらけの家族のそれが解決するわけでもなく、むしろその問題が表面化して終わっていく。そのあたりがただのコメディではなくこの作品の魅力を深めているんだろうね。
その展開の切っ掛けを持たせるのは、一貫してアラン・アーキン演じるおじいちゃん。とんでもジイサンではあるけど魅力的なキャラではあります。
ただコメディ作品とはいえ大笑いするような内容でもなく、どこかしら居心地の悪さもあった。ネタ自体が問題家族達の姿だからかなあ? まあ、ボロボロでも一つの家族になる結末は良いと思います。
リバティーン
7
17世紀の英国に実在した放蕩詩人の後半生を描いた時代劇。
エキセントリックな人物を演じることにかけては当代一のジョニー・デップ。演じる主人公・ロチェスター伯爵は彼が好んで演じそうな役柄だと思う。天才的な芸術家ではあっても時代には理解されず、世の中に希望を持ってはいない主人公。彼の孤独感というか、そういうものが伝わってくる作品でした。ただ、伝わっては来るんだけど、個人的には話に入り込めなかったかな。
画面は舞台の時代背景を反映してか暗く、重い。そもそも屋内は蝋燭の明かりだけだし、屋外もロンドン市内であっても道は泥だらけ。退廃的な雰囲気も相まってるんだけど、このあたりの雰囲気作りは良い感じでした。ただストーリーは少々場面転換で飛び気味のところが見受けられて、どうも落ち着かない感じ。まあ、プロローグとエピローグで場面が対になってたり、構成が考えてあるとは思ったけどね。
リバティ・バランスを
射った男

(1962年制作)
8
上院議員の夫妻が西部の田舎町にやってくる。ある人物のひっそりとした葬儀に出席した上院議員は、そこで新聞記者に理由を尋ねられ過去を語りだす。
ジョン・フォード監督の晩年の作品だが、手際のいい冒頭の語り口から対決シーンの緊張感まで、老いを感じさせない娯楽作品。リバティ・バランスというのは本作における悪漢で、演じるリー・マーヴィンの憎まれ役を一身に背負った演技が素晴らしい。なにせ主人公側はジョン・ウェインとジェームズ・スチュアートの2枚看板なわけで、それに引けを取らない敵役にならないといけないわけだから。いやはや、いい存在感だった。食堂での三者が対峙するシーンなど、最高だね。
作品自体は法を信じる男の成功物語のようでいて、その実は「西部のやり方」を覆せなかった男の話。東部からやってきた弁護士のランス(ジェームズ・ステュアート)は、法を信じ、教師にもなり、西部の田舎に民主主義の芽を育てたが、結局最後に彼という人物を決定づけたのは「リバティ・バランスを射った男」という箔だった。義憤に燃えて決闘を受けた面についても、牧場主トム(ジョン・ウェイン)が言う「銃には銃を」という西部の掟に取り込まれたわけだし、そのあたりは皮肉にも感じる。「伝説が記事になる、それが西部だ」という新聞屋のセリフには、大衆にとっての“真実”の価値について考えさせられたな。
決闘の伝説。“そういうこと”にして多くを語らずに身を引いたトムの男らしさは渋い。演じるジョン・ウェインのオーラも相まって、実に渋い。しかし彼も物語における勝者ではない。ランスを“法の正義”の擬人化だとするならば、自分の恋した女性がランスに恋していることを知って身を引くことを選んだトムは、“西部の掟”の擬人化だとして時代が変化していくことを暗示させてもいると思う。作品が単純な正義の話を描いていないところが面白い。
リベンジ・マッチ

(2013年制作)
7
かつて死闘を繰り広げた2人のボクサー、シャープとキッド。30年前に果たせなかった遺恨試合のため、再びトレーニングを始める。
出オチ映画、とでも言うべきか。だってこの二人のボクシング映画と聞いて「ロッキー」と「レイジング・ブル」を想像しない人はいないでしょうよ。そんなわけで「エイリアンvsプレデター」ではないけれど、ボクシング映画の名作のキャラにだぶらせた二人のドリームマッチがここに開幕。…が、話としては老人二人が試合にこぎつけるまでの話が少々物足りない。意識的に「ロッキー」と「レイジング・ブル」をパロディにした場面もあって、どちらかと言えばコメディ作品(監督もコメディ映画を得意とするピーター・シーガル)なんだけど、取ってつけた昼のドラマのような展開がいまいち薄く感じるかなあ。スタローンにデ・ニーロ、キム・ベイシンガーにアラン・アーキンと大物が揃っているのに、なんか勿体ない。
終盤のボクシングシーンは真面目に描かれていて、迫力もそれなりにある。ラストにシャープの片目が見えないことを知ったキッドの行動に少し感じ入るものはあったけど、それをやるならドラマ部分はその選択に至るキッドの心情に踏み込んだ方が良かったと思うんだが…。コメディとドラマのバランスが中途半端になってしまったというのが、正直思うところです。
それはそうと、エンドクレジット中のおまけには爆笑した。タイソンとホリフィールド相手に"遺恨試合"をもちかけるって、あんたw
リメンバー・ミー

(2017年制作)
10
メキシコのとある町。音楽に憧れながらも、音楽を禁じられた一家に生まれた少年・ミゲルは、ひょんなことで“死者の国”に迷い込んでしまう。
テンポが、美術が、なによりストーリーが素晴らしい。メキシコの“死者の日”は日本で言うところの“お盆”に近い感覚の様だけど、先祖を敬うという物語には共感しやすい。“家族”への反発があった主人公が、この物語を通じて大切さを心に刻んでいくという物語も良い。しかしそれ以上に、話の土台を「音楽を禁じた家族」と設定にすることで、音楽という縦糸が主人公…ひいては家族を繋げていく物語をより強固にドラマチックに仕立てている。この構成は実に見事だった。伝記映画も作られたメキシコの芸術家・フリーダ・カーロがちょくちょく出てくるけど、これは知っている前提かな。
「家を出て行ったひいひい爺さん」というキーワードが観客への一つのミスディレクションにもなっているけど、この辺りは少々読める部分もある。しかし子供も楽しめる物語とすれば絶妙な塩梅だとも思うし、大人目線で言えばその先にあるヘクターの物語で一気に感情をわしづかみにされてしまう感じ。“Remember me”という、まさにこの物語の主題歌にふさわしい楽曲が心に染みる。
子供は素直に死者の国での冒険物語を楽しめるだろうが、大人が観れば自分の思い出に残る家族の事を重ねながら観ることになるだろう。この物語が訴える感情は文化を超えて訴える力があると思う。とてもやさしく素晴らしい冒険と成長の物語。
リリーのすべて

(2015年制作)
7
世界初の性別適合手術を受けたリリー・エルベの伝記映画。
自分の身体的な性別が本来のものではないという感覚は、正直言って俺には分かりません。この映画は主人公が男の身体でいることに違和感を感じ、そしてついには本来の自分を手に入れるべく決断する物語を描いているわけだけど、その「自分とは何か」という信念の物語だと思って観た次第。そういう意味で、成功するかどうかも分からない手術に挑む彼女(彼)の姿には、そこに本当の願いが感じられるところではある。本人がそう信じているのであれば、本人のためにはそれが良かったのだろう。それがたとえ死ぬことになっても、女として死ねたことに満足していたかもしれない。最後に宙を舞うスカーフには、肉体というくびきから解き放たれたリリーの魂の自由を感じられる。
他方、その妻ゲルダの心情はどうか。個人的にはこちらの方に感情移入してしまったが…。愛した夫が手術を受けに行くシーンは、これまでに観たことのない今生の別れのシーンだった。夫がリリーになるということは、夫の精神的に消滅することだと感じている。それでも人としての彼(彼女)の望みを受け入れるゲルダの気丈さよ。このように受け入れられるものか…。凄く強い人物だよなあ。
実際、映画としては人の精神性の在り方と儚さを描いた作品として悪くはないと思ったものの、いささか理解者ばかりでキレイすぎる気もしたかな。ハンスとの三角関係も、もうちょっと掘り下げてもとは思った。(ハンス役のマティアス・スーナールツがプーチン大統領に見えてしまって参った参ったw) 実際のリリーは5度の手術を受け、卵巣や子宮も移植されている。彼が望んだのは“男ではない体”ではなく“母になれる体”だったのだろうか。そうなると「女とは何か」という部分にどんどん踏み込んで行ってしまう気もするので、この映画の様に2回の手術と簡潔に脚色したのはまあ納得するところではある。
リンカーン

(2012年制作)
8
1865年南北戦争末期、第16代米国大統領リンカーンは奴隷制廃止のために、合衆国憲法修正十三条を可決するべく議会に働きかける。
エイブラハム・リンカーンの伝記映画だけど、ゲティスバーグ演説も暗殺も直接は描かれず、憲法修正を巡る議会という戦場が中心となって描かれる。政治劇としては大統領と議会の関係や、ロビイストを使った工作など、現代にも通じる米国政治制度がドラマとして成立していて見応え十分。信念に基づいて修正案を通そうとするリンカーンや、可決に急進的なスティーブンスが目的のために信念を曲げた発言をする場面には、政治家としての姿にシビレもしたね。
リンカーン役のダニエル・デイ=ルイス…は説明不要の憑依演技。キャラクターとしては、議論の最中でも逸話を持ち出して笑いを取和ませて本題に入るという穏やかで機知に富んだリンカーン像を体現していて、観ている側としては共感しやすい。スティーブンスを演じるトミー・リー・ジョーンズは真逆のキャラクターながら、その威圧感を表現した演技がまた良い。彼が頑なに修正案を闘争とした理由が分かる場面ではちょっと拍子抜けしたけど、彼も人間だという良い場面ではあるか。
リンカーン弁護士

(2011年制作)
8
腕は良いが、料金を吹っかけて犯罪者の弁護を引き受ける主人公。ある日引き受けた依頼は、依頼人が冤罪だと主張したが、実は罪を他人になすりつけるために主人公を利用したものだった。
主人公の立場が矛盾していて面白い。というのも、依頼を受けた弁護士として無罪にしないといけない。しかしその依頼人は友人の仇であり、明らかな犯罪者でありながら無実の人間に罪をかぶせた男であり、何とかして有罪にしなければならない。この相反する行動をどのように解決するのか、という展開が上手いね。
演出はオーソドックスな感じだけど、サスペンスとしても法廷劇としても十分、その話の持って行き方には魅かれました。主演のマシュー・マコノヒーが、少々悪徳っぽいのに信念のある敏腕弁護士を上手く演じていて、キャラクターにピタリとハマったのも大きい感じ。ライアン・フィリップ演じる依頼人は憎まれ役として良い感じだし、その彼がボコられるシーンはスカッとしたが…これって私刑だから弁護士がこれを誘導しているってのは考えるとヒドイなw ハーレー軍団の使い方が良かった。
ルーヴルの怪人
6
フランスでは有名な怪奇伝説をモチーフにした話。とはいえサスペンスやホラー映画を期待しても肩透かしを食らう。全体的に話に盛り上がりが無く、淡々と進んでいく印象。謎解き云々の話もないし、観客はただの傍観者。そりゃ盛り上がらないかw そう意味で同じような映画でも「ヴィドック」は良くできてたと思う。基本的に怪人の元になるミイラの目的と、その攻撃性との関係に納得できないのが、この話を無意識のうちに破綻させてる気がするなあ。
LUCY
ルーシー

(2014年制作)
6
人類が普段使用している脳の潜在能力は10%。マフィアに掴まった主人公は、ある薬物によってその潜在能力をさらに覚醒できるようになるが…。
リュック・ベッソン印のSFアクション。…SF?もはや妄想の類だと思うけど、その中二病らしさがリュック・ベッソンらしいと言えばらしいか。設定はアクションを見せる道具でしかないという潔さを感じる。主人公ルーシーを演じるのはスカーレット・ヨハンソンで、すっかりアクション女優の貫録ですな。でもこの映画ってどちらかというと韓国マフィア役のチェ・ミンシクで香港ノワールっぽい画を撮りたかっただけ?とも思えた。そもそも敵が韓国マフィアでも最初の舞台が 台湾だったり、それ自体に意味はないし…もうよく分からなくなってくる雰囲気映画。
設定の説得力のために博士役で登場するモーガン・フリーマンだが、終盤も尻切れ感があるので、単純に説明役としての機能しかない?なんだかもったいない気がするが…。デル・リオ刑事もチートの主人公に振り回されるのであれば、もうちょっと狂言回しに徹した方が楽しかったのにと思ったり。
CPH4の効果がどうかはともかく、脳の潜在能力が極限までに行ったことで神にも等しい全知全能の力を手に入れたわけだが、生命の進化、主人公と最初の人類の“繋がり”をそれらしく見せているだけで、だからと言ってなんだというアンサーがハッキリしない幕切れは微妙かな。せめて最後のデータを使って何かが変わった…とかまで見せるならともかく。
LOOPER
ルーパー

(2012年制作)
6
30年後から送り込まれる標的の処理を生業とする職業・ルーパー。ルーパーの主人公はある日送り込まれた標的である未来の自分に逃げられ、掟破りとなったことで組織からも追われる身になってしまう。
“未来の自分殺し”というちょっと趣向を変えたタイム・パラドックスものとして興味深く鑑賞を始めたのだけど、もう少し設定の生かしようもあった気がするのでを若干期待外れ。結末に主人公が決断した理屈は、結局それまでのタイムマシンものと変わらないし。リアルタイムにリンクする過去と未来の人間の傷や記憶の共有設定なんかは「BTTF」的で面白い考え方だけど、序盤で提示される時間の分岐に対しては若干微妙な気もするか。なのでSF映画としてみるとちょっと…。
基本的にはアクション映画の雰囲気で進むのだけど、話の最大のカギであるレインメーカーの正体が分かると、何ともホラー映画のような雰囲気になったw 「オーメン」…かなあ? 子供の環境が未来を変えるという決定的な説得力がなく、未来に曖昧な希望を残す形で話は終わる。それ自体はこの手のSFとしてはアリだけど、逆にちょっと凡庸に思えてしまった。
ルーム

(2015年制作)
9
小さな部屋で生活する母親と少年ジャック。ジャックは5歳になったある日、部屋の外には世界が広がっていることを知る。
その母子が部屋に監禁されているのだと観客が知るのは物語の序盤。どうやら母親(ブリー・ラーソン)は17歳で誘拐され、少年は誘拐犯の子供らしい。そうなると普通に「どう脱出するのか」が気になるところ、しかしこの映画が描くのはそんな表面的な話ではない。部屋の外に広がる世界の話でもない。親子の物語だった。
もちろん話の中心は主人公である母子だか、他にもさまざまな親子の心情が感じられる。特に祖父(ウィリアム・H・メイシー)の態度がものすごく印象に残った。彼は少年を「直視することが出来ない」と言うが、その心情は孫という以上に「娘を誘拐した男の子供」としてしか思えないことの表れだろう。これは男親の心情と、女親の心情の差が見事に表れているとも思える。祖母は祖父とは別の男と暮らしているが、初めはなぜそんな設定なのか不思議だったのだけれど、前述の祖父の態度を観て理解した。義理の父親でなければこの孫は受け入れられまい、と。これは感情の問題だ。
この映画は“部屋”を出てからがドラマで、そこに至ってからの母親の感情の変遷にも嘘を感じない。部屋にいる間は子供を守ることに自分の存在意義を見出していたのだろうが、だからこそ部屋を出た後に彼女の中で親子関係が再構築されなければならなかったのだろう。そう思うと、世界が最も変化したのは少年ではなく母親だったのだと感じる。少年が初めて知る世界を語りながら、その実は母親の内面やその関係性を描いている、良くできた物語だなと感心した。
ルック・オブ・サイレンス

(2014年制作)
7
2014年に公開された「アクト・オブ・キリング」の姉妹編。視点を被害者の側に移し、かつて兄を虐殺されたアディと加害者たちとの対話を映し出したドキュメンタリー。
正直言うと、撮り手のエゴが前面に出すぎている感じがしてドキュメンタリーとしてはあまり良いとは思えなかった。なるほど、「もう過去のことだ」という加害者に対して、絶対に忘れることのできない被害者の傷との対比は明確だし、そのアディの兄に起きたことを白日の下にさらすという点では意味のある作品かもしれない。でもどうも「無自覚でいることの罪」という大義名分のもとに、被害者・加害者双方の傷に塩を塗りに行っているようにしか見えない居心地の悪さが気分悪い。
加害者に過去を再現させるという「アクト・オブ・キリング」の切り口はとても良かったのに、本作では彼らに(加害者にとって)不快な質問を浴びせて後悔を強要しているようにしか見えなかった。メガネの調整と称して油断させ被害者の家族を接近させている点も個人的には引っかかる。監督の主張はビシビシ伝わるが…この手法で監督がカメラの後ろにいるのはなんだか卑怯な気もする。マイケル・ムーアなら自らがインタビュアーになっていただろうか。終盤、亡くなったコマンド・アクシの家族から反発を受けるシーンが一番印象に残った。
理不尽な虐殺行為、その被害者たちの記憶と加害者たちの意識の溝は埋まることはないのだろうか。これが戦争ではなく軍が裏で糸を引いた民兵の行為だというのも底の深い話にしているところだが。だからと言ってこの様な過去のえぐり方は…なんだか辛い。
Ray/レイ
9
ソウルの神様、レイ・チャールズの半生を描いた伝記映画。彼がいかにして名声を得たかの歴史…、そして盲目の黒人であった彼の苦労や、過去に起きた事故の記憶にさいなまれ、ドラッグに溺れる姿を描いた人間ドラマですね。
はっきり言って愛人を持ち、ドラッグに溺れる彼の姿は褒められるものではない。でも、もうどうしようもないところまで来たときに言われた妻の言葉で、彼は目が覚める。彼は自ら決意して厚生施設に入り、代替薬物で苦しまずに治療することも拒み、激しい禁断症状を乗り越えてドラッグを断ち切った。その姿はまるで自分に対して罰を与えているかのよう。俺は彼のそんな姿に心打たれたわ。
しかし主演のジェイミー・フォックスの見事な風貌には驚かされる。あるカットなんて、本当にレイ・チャールズ本人に見えるくらい。演奏シーンも見事に演じきっているし、ヒットナンバーと相まってノリノリで観れたね。彼の歌が、彼の生き様そのものだったと言うことを改めて発見出来る映画でした。
冷血
6
トルーマン・カポーティの同名小説を原作とした、カンザスで起きた一家惨殺事件の実在する主犯2人の行動を追ったサスペンス。
やはり原作小説と比べてしまうと、全体的に描写の積み重ねが少なくなってしまうので、主人公であるペリー・スミスへの思い入れのようなものは薄くなってしまう。原作が、特に後半はカポーティの同情心のようなものが行間から感じられたのに対して、映画は展開自体もあっさりしているんだよね。まあ、ポイントは押さえているしロバート・ブレイクの演技も確かなのだけれども。事件のあらましを知るには良いと思うが、やはり原作にあった感情は感じない。そもそも小説にはカポーティは登場しないので、映画でそれらしき人物(設定は違う)が存在している時点で別物と考えるべきなのかなあ?
それでも、犯行場面は見応えがあった。ペリーとディックの間の独特の緊張感と、ペリーの犯行に至る心理。映画では明確に語られないけど、そこもしっかり表現できていると思う。そういう意味でポイントは押さえていると思います。
あと、原作で印象的だった瓶集めの少年と老人を車に乗せた場面があったのは、個人的に良かった。
霊幻道士

(1985年制作)
6
20世紀初頭の中国を舞台に、キョンシーを巡る騒動を描いたアクションコメディホラー映画。
キョンシー映画といえば個人的には子供の時に「幽幻道士」シリーズの方を観ていた記憶があるのだけど、ジャンルの先駆けとしてはこの「霊幻道士」の方がオリジナルですかね。サモ・ハン・キンポー製作の作品ということもあってかコミカルな場面も多く、ゾンビ要素の強い“キョンシー”という題材を使ってはいても、ホラー映画というよりはカンフーアクション映画としてのテイストの方が目立つ印象。
1985年の香港コメディと思えば許せる範囲ではあるけど、作りはまあ牧歌的というか、大仰な演技に加えてストーリーラインも荒い気はする。女幽霊の話もどこまで必要だったのか分からないレベルだし…(苦笑) あと、頼りがいのありそうな道士に対して間が抜けてる二人の弟子には度々イライラもさせられますが、まあこれはある程度はお約束の流れでもあるので笑って許さないとダメかなw
霊幻道士2
キョンシーの息子たち!

(1986年制作)
5
20世紀後半の香港を舞台に、キョンシーを巡る騒動を描いたアクションコメディホラー映画。
続編扱いにはなっているけど、舞台も現代になっているしキョンシーが登場する以外に前作とは何の関わりもない作品。内容は、墓荒らしによって持ち出された親子3体のキョンシーの御札が剥がされて騒動に発展するという内容だけど、展開は行き当たりばったりな印象が強いかな。ベビー・キョンシーと子どもたちのくだりはほのぼの過ぎるくらいで、もはやホラーでもアクションでもなんでもない。というか少女との交流とかは「E.T.」のマネでもしようとしてたのかなって感じ。
事態が悪化するのはたいてい登場人物の無知でバカな行動によるものが多くて、それがこのコメディのノリと言われればまあ受け入れるしかないけれど、やっぱりややイライラはするw 特に「研究室に忍び込んで好き放題やってる記者はどうなのよ」とも思うのだけど、まあ記者役がユン・ピョウならそれは映画としては笑うところなのだろう。という具合に、作風というか、ノリについていけないとやや苦しい印象はあった。
霊幻道士3
キョンシーの七不思議

(1987年制作)
6
19世紀の中国を舞台に、ある村を襲う妖術師と道士たちの戦いを描いたアクションコメディホラー映画。
シリーズ3作目ですが、例によって内容は前作までと繋がりありませんね。本作は時代が遡って清朝(?)時代の中国が舞台なので、世界観などはキョンシー映画でイメージするそれと合致していて悪くないかな。ただ描かれる怪異自体は正確にはキョンシーではなく幽霊ということもあって、ピョンピョンはねながら襲ってくるようなキョンシーらしい描写は無いけれど。
兄弟幽霊と組んで幽霊退治の詐欺を行っているミン道士はなかなか憎めないキャラでいい感じ。(ラム・チェンイン)道士の弟子は相変わらず調子乗りで騒動ばかり起こすので「もうそんな奴は破門にしたほうが良いんじゃないの」と思ってしまいますが、道士はどのシリーズでもいつも弟子を見放さないですねえ(苦笑)
若干脇道に感じる場面もあったけど、前作ほどは話の筋のバラバラさは感じなかった気がする。基本的には女妖術師が“敵”としてハッキリしているからだろうね。アクションシーンが多めだったのも好印象ではある。結局、妖術師側の事情は一切見えないけど…まあそこはご愛嬌か。
子供の頃にキーワードだけ聞いて存在を知っていた「天ぷらキョンシー」がこの映画に出ていたことを知りました。(劇中ではそうは呼ばれないけどねw)
霊幻道士完結篇
最後の霊戦

(1988年制作)
5
19世紀中国の山奥を舞台に、近所に住む道士と和尚の確執とそこに襲い来るキョンシーとの戦いを描いたアクションコメディホラー映画。
タイトルで「完結篇」を謳ってますが特にシリーズ完結編ではありませんね。シリーズとしては4作目。しかし相変わらず前作との繋がりもなく、特に本作はコメディ要素が強めなドタバタ映画の様相。そういうドタバタさが売りだからなのか、道士のいたずらや和尚の反撃のくだりなども尺が長くなったのだろうけど、そのあたりにはちょっと冗長さも感じてしまったかも。
本筋は黄金の棺から復活したキョンシーとの対決で、キョンシーが復活した際のアクションでは光るロープや桃剣の特殊効果に手間を掛けてるなあと関心もしたりしたかな。一方で化けギツネやオカマの側近、その他のキョンシーのくだりはやっぱり本筋からすると脇道の要素でしかなく、正直…これって尺稼ぎをしてるだけだよね?とも思う部分も多い。本作は特にコメディ成分が強かったのもあって、それに反比例してホラーとしての物足りなさを感じた部分もあるかなあ。個人的には「3」くらいの塩梅が良かったのだなと再認識した次第。
レイジング・ブル

(1980年制作)
7
ボクシング元ミドル級チャンピオン“ブロンクスの怒れる牡牛”ことジェイク・ラモッタの栄光と挫折を描いたドラマ。
マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の名コンビの作品ですね。それにしてもデ・ニーロの演技…というか身体変化がすごい。ラモッタ全盛のころのボクサーとしての体の絞り具合と、引退して腹が出たオヤジの雰囲気と…、ここまで体型を変えますかというくらい役の経年劣化が見て取れる演技はスゴイ。
この映画は、猛烈なパワーで相手を圧倒するボクサーの話なんだけど、とにかくラモッタは嫉妬心と猜疑心の強い男で、次第に何もかも失っていくという…。まあ哀しい男の伝記ですな。その感情の暴発が試合のシーン以上に迫力がある。妻とデキてると思い込んだラモッタが実弟(ジョー・ペシ)の家に殴り込みに行くシーンなんざ、ほんとに殺しそうで怖いw
映像は白黒で40年代からの雰囲気を出すのに貢献しているのか。血まみれの試合もその分マイルドになっているけど、見せ方が上手いので打ち合いの迫力は良い。ただ、基本的にはラモッタのどうしようもない部分を淡々と見せられる映画なので、盛り上がりとか…もう一つだったかな。
レイダース
失われたアーク《聖櫃》

(1981年制作)
9
「インディ・ジョーンズ」シリーズの第1作。1936年、冒険家であり考古学教授でもあるインディのもとに米陸軍から依頼があり、彼はナチスが探しているという聖櫃の争奪戦に挑む。
かつてあった連続活劇へのオマージュとしてルーカスがアイデアを出して盟友スピールバーグが監督した作品なわけだけど、冒険活劇の金字塔として名を残すことになった一本ですね。適度な謎解きとテンポの良い展開、アクションに次ぐアクション、インディのタフなヒーロ像。どれをとっても痛快。銃撃戦や格闘戦などの往年の活劇っぽいアクションに古めかしさもあるものの、そもそもがオマージュなのでそういう意味では完璧。“カイロ・ソードマン”との対決シーンは主演のハリソン・フォードが体調不良でアクションができなくなったためにアクションを変更した偶然の産物だけど、これみよがしの登場→即射殺という流れは今観ても面白いよなあw そういった柔軟さも含めてノリに乗ってたころのスピールバーグ監督の勢いを感じるところでもある。カーチェイスシーンでサイドミラーを多用するのもスピルバーグらしいよね。
タイトルは「侵入者たち」の意味だから、インディの他にライバルのベロック、そしてナチスの三者を指しての物語ということかな。その通り彼らによる“聖櫃”を巡っての対決で終止する展開にブレがないわけですが、最後に決着をつけるモノが聖櫃自身だったというオチが良いなあ。インディ一人で敵を壊滅させるのは流石に無理があるけど、聖櫃の力であれば納得してしまうもの。
そしてこの冒険活劇を彩る劇伴。ジョン・ウィリアムズの作ったテーマ曲には一度聴いたら忘れないワクワク感がある。
レヴェナント:蘇えりし者

(2015年制作)
8
19世紀前半、北アメリカ西部の伝説的サバイバーであるヒュー・グラスの伝説を基にした復讐劇。
実在の人物であるヒュー・グラスの伝説を題材にしているけれど、映画としてはだいぶ精神的というか…神話的な物語だなと感じた。グラスの設定も色々と映画的肉づけがあるんだろうが、白人でありながら先住民の妻と混血の息子を持ち、先住民の精神世界に近く繋がっているかの様な描写がある。
土から這い出すところやグリズリーとの死闘とその毛皮、馬の体内での耐寒描写など、生まれ変わりや動物から命を与えられているということが象徴的に描かれているよね。回想シーンではあるが、死んだ妻の胸元から鳥が飛び立つシーンも印象的だった。物語としては一人の男の復讐劇でしかないが、その実、人は自然の一部であるという先住民の死生観を感じさせる精神的な作品であるとも思う。過酷な冬の未開拓地。その冷たい空気の切り取り方は素晴らしい。ほぼ自然光で撮った映像にも目を見張るが、アクションを絡めた長回しも見事だよなあ。
レオナルド・ディカプリオはこのグラスという人物を体当たりで見事に演じている。グリズリーに喉をやられたため、作中の大半では唸り声しか上げていないが、そんなものは関係ないね。生き抜くこと、復讐することの情念がひしひしと伝わってくるのが良い。復讐される側、フィッツジェラルドを演じるのはトム・ハーディ。彼は声が良いなあ。グラスの復讐劇を成立させるのはこのフィッツジェラルドのキャラクターにかかっているわけだから、トム・ハーディの助演も偉大だよ。フィッツジェラルドもグラスと同じくサバイバーだけど、利己主義者というかリアリストというか方向性が違う人物だよね。確かにひどい奴だけど、あの状況にあって全否定できる人物なのかどうかは少し悩むキャラクターではあった。彼はある意味で弱い人間だったのだろう。
一方で作劇的に少し気になるのは、最後にフィッツジェラルドのとどめを先住民に委ねたところ。委ねること自体は良いのだけど、アリカラ族は族長の娘を探して追跡してきていたのだからフィッツジェラルドの生死には筋違いなんじゃ…と思ってしまって。あ、でも中盤にグラスが図らずもアリカラ族のその娘を救ったのだから、その恩という意味でグラスの息子の仇をアリカラ族がとったということか。そう思えば納得だが、その一行とラストに遭遇するのはちょっと出来過ぎだなあw でも神話みたいなものだから…それもありなのかな。
レオン

(1994年制作)
9
孤独な殺し屋・レオンと家族を殺された少女・マチルダとの出会いを描いた、リュック・ベッソン監督の代表作。
後に22分のカットが追加された完全版が公開されたけど、俺が最初に観たのはこの劇場版だったので、話のテンポや2人の距離感についてはやっぱりこちらの方が好みかな。凄腕の殺し屋だけど完成された“大人”とはちょっと違う部分がレオンのキャラクターに魅力を与えているし、12歳なのに妙に大人びている部分のあるマチルダ、そして何し始めるか分からないキレた刑事・スタンフィールドというメインキャラクターの立て方が素晴らしい。この3人の配役は完璧だし、映画が始まってから家族を殺されたマチルダがレオンと行動をともにするまでの流れもほんとに完璧だよね。
少女のマチルダに「愛人よ」と言わせたり、マドンナやマリリン・モンローの格好をさせるあたりでベッソン監督の趣味性が垣間見えるけれど、まだジョークシーン的な扱いなのでマイルドではあるか。シリアスシーンではやっぱりゲイリー・オールドマン演じるスタンフィールドが全部持っていっていると言っても過言ではなく、殺し屋よりもいきなり人を殺しそうなキャラクターとしてとても強烈。カプセルを噛んでキメるシーンのインパクトと言ったらないねw
終盤の特殊部隊に襲撃されるシーンでは別れの場面にグッとくる。劇場版でのレオンとマチルダの関係描写だと、俺は男女の感情というよりは疑似家族的な感情といったイメージで捉えていたかな。いずれにせよ、孤独に生きていた殺し屋が見つけた「守らなければいけないもの」に対する行動と結末に涙腺が刺激される。
レオン
完全版

(1996年制作)
8
1994年に公開された劇場版に22分間のシーンを加えた完全版。
追加シーンは主に映画の後半にかけて入れられているね。1つ目はレオンがマチルダを連れて“仕事”の手伝いをさせているシーン。狙撃以外にもより実践的な射殺についての説明もある。この一連の流れの最後で手榴弾による「リングトリック」が提示されるけど、これはラストへの伏線として効いているのでカットされていたのはもったいない感じはするなあ。
2つ目はマチルダがシャンパンを飲んだりキスを迫るシーンや、麻薬取締局からの救出後に“初体験をしたい”とレオンに語るシーン。これはマチルダの大人びた感性とレオンへの愛をハッキリと見せる一方で、レオンがなぜ女性を愛することをやめていたのかを語る重要なシーンも含まれていて、キャラクターの関係性によりに厚みを与えていると思う。この映画の大半の場面では基本的に好意のベクトルがマチルダ→レオンとなっているわけだけど、レオンの戸惑いというか心理的な壁の理由がわかるとラストの別れのシーンの印象がまた違ってくる。決定的なのはラストに「愛してる」と伝えた順番で、それがレオン→マチルダの順だったことで彼がかつて愛するものを失ったトラウマを乗り越えたことをハッキリさせている。この感情面のドラマが理解できるのはこの完全版だからこそ。
ただ劇場公開版の感想でも書いたけど、自分としては先に観た劇場公開版の(サスペンス映画的な)テンポの良さの方が好みかな。監督が主人公2人のドラマとして描きたかったのはこれだというのはよく分かるし、実際にこちらのほうがキャラクターの完成度が高いのも事実だけどね。
LEGOムービー

(2014年制作)
7
全てがレゴブロックで出来たレゴワールドに住む青年・エメット。ひょんなことから"選ばれし者"に間違われ、世界を破壊しようとするおしごと大王との戦いに巻き込まれてしまう。
CGながらストップモーションの様な挙動で動き回るレゴブロック達。凄まじい数のレゴが行進する映像は圧巻。そういった巨大なレゴの街を見るだけで、童心がよみがえりワクワクしてしまうw ストーリーはレゴの世界だけを描く前半と、”上にいるお方”の世界を見せる後半で展開上の捻りがちょっとある。結局は「トイストーリー」シリーズの様な「オモチャはオモチャらしく遊ぼう」というテーマに落ち着いてしまうわけだけど、そういう意味ではありがちな話かな。まあレゴの場合は創意と工夫によって広がる自由度こそがキモなわけで、その部分は表現されているとは思うけど。正直言うと、個人的には全編テンションが高すぎて疲れてしまったw
それにしても映像はすごい。爆発や煙といったエフェクトまでレゴで表現しているのはご愛嬌だけど、まさか白波を立たせうねる海をブロックであのようにレゴでみせるとは…。凄まじかった。他にも前景と遠景の極端な構図とか、3Dを強く意識した演出も多数あって迫力満点。あとはバットマンだよね。ワーナー映画なのでDCコミックのヒーローが多数登場してたけど、バットマンの扱いは…もう道化だよw
レゴバットマン
ザ・ムービー

(2017年制作)
8
「LEGOムービー」からレゴのバットマンをスピンオフしたCGアニメーション。レゴのゴッサムシティを舞台に、バットマンとジョーカーの因縁の対決が繰り広げられる。
「LEGOムービー」のガチャガチャ感そのままに、ちゃんと“バットマン”をやってるんだからすごいなあ、感心した。バットマンとジョーカーの関係性は「ダークナイト」でもテーマにされたところだけど、今作でもそこは取り入れられ、さらにそこから広がっていくところが面白い。序盤でバットマンのヴィランが総出演してるだけでも「サービス良いなあ」と思ったのに、まさか悪の軍団のメンツが…すごすぎる…!ワーナー映画の悪役総出演じゃないか!(ワーナーじゃないのもいたけど)とにかく豪華すぎて笑ったw ヴォルデモートにサウロンにエージェント・スミスにグレムリン、彼らの恐ろしさは元ネタの映画を観ているものなら説明不要だろう。というか本当に説明ないけどw 西の魔女は姿を見せるより先にセリフが聞こえてきたのにはニヤリとした。これって観る側が知っているのが前提だよね、遊んでるよなあ。ダーレクはさすがに俺は年代が違うので拾えなかったが(苦笑)
そんな具合に観る側のリテラシーを信じて遊んでいる作品で、もちろん「バットマン」の事も知っているのが前提で作られている。これまでの実写版映画をネタにしたメタなジョークは好き。そのメタな感じと、何でも話に組み込めてしまう自由さこそがレゴの本質でもある、そんな風に感じられるのがよくできていると思ったね。その上でちゃんとバットマンの孤独感というテーマに踏み込んでいるところがすごい。見た目はレゴだし茶化したようなコメディでもあるんだけど、ちゃんと“バットマン”というキャラの本質を突いた物語になっているんだよな。
レザボア・ドッグス

(1991年制作)
8
宝石強盗に失敗した襲撃犯たちの確執と、その顛末を描いたQ.タランティーノの監督デビュー作。
ラストシーンから考えたんじゃないの?というくらいMr.ホワイトのラストが良いな!演じるハーヴェイ・カイテルは仕事に対するプロらしさと共に人情味をとてもよく醸し出しているね。Mr.オレンジを庇い続ける仁義は、彼の負傷の原因が自分だからという責任感からくるものか。その仁義のためならたとえ同志であっても銃を向ける…。一方でラストに自分の正体を明かしたMr.オレンジも、Mr.ホワイトに対する彼なりの仁義の通し方だったのだろう。自分の正体を知らぬままに命までかけて庇い続けてくれた彼に対する仁義。しかしそれはMr.ホワイトにとっては知りたくなかった真実であって、だからこそラストの1カットはとてもツラい。ツラいが、とても見応えのあるエンディングだった。
いわゆる「タランティーノ節」とでもいうか、登場人物が捲し立てる台詞のテンポで、ストーリーと直接関係なくてもグイグイ引き込んでくるエネルギッシュな演出はこのデビュー作にしてすでに確立されている感じ。ストーリーも時系列では進まず、タイトルの直後がすでに事件の後で観客に「一体何が!?」と思わせる構成だ。上手いよね。そして事件の前後を主要キャラクターの視点で話が行き来するうちに、観客は事態を理解する訳だが、その時にはもうラストの三つ巴じゃないか!なんて手際の良い…。
ラストが際立って良いが、中盤でMr.オレンジがMr.ブロンドを撃ち殺すシーンはスカッとした。悪役は悪辣であればあるほど反撃の時にカタルシスがある。分かってるねえ。でもそんなMr.ブロンドもボスであるジョーへの仁義を通す男だったのだよな。そういえばジョーの風貌を「ファンタスティック・フォー」のザ・シングに例えていたけど…確かに似てるぞw
結局この話は、結果だけ見れば一番仁義なき男・Mr.ピンクことスティーヴ・ブシェミの一人勝ち。何という皮肉な話だ。
レスラー

(2008年制作)
9
80年代に数々の名試合を行ったレスラー、ランディ。20年後、老いを感じながらも未だに現役でメーンを張るランディだったが、ある日、心臓発作で倒れてしまう。
導入部からしばらくはランディの後ろ姿をカメラが追いかける形を取り、まるでドキュメンタリーかの様な印象。それによって主人公の地平にまで見ている方の目線が落ちて、リアルな空気感に自分がグッ引き込まれていったのが分かった。この辺が上手い。そこまで引き込まれたら、もうひたすらボロボロになって戦い、そして周りの人間に対して不器用な主人公に感情移入しまくりです。娘には絶縁され、いい仲になりそうだった馴染みのストリッパーには壁があり、現実では身どころか心をもボロボロにされる主人公は、最後の居場所を求めてリングに上がる。もうこれを男泣きせずに観られようか。
この主人公・ランディをミッキー・ロークは見事に演じてます。観ているだけでランディの心の痛々しさが伝わってくるというのは、ランディとロークがだぶって見えるくらいイメージの近さを感じるからだろうか。この映画に関しては、ランディ役はミッキー・ローク以外には考えられないものになってる。それは間違いない。
終盤、心臓の違和感を感じながらも最後まで戦うとするランディ。ラストカットは冒頭のラム・ジャムを反復させつつ暗転し、結末は観客の想像に。それはランディというレスラーの姿を、そしてその彼の生き様を、たった2時間で観る者の心の内に焼き付かせてしまった。良作です。
REC

(2007年制作)
8
スペインのPOVホラー映画。消防士の活動に密着取材していた主人公だったが、通報を受け向かった先のアパートで想像しないような惨劇に遭遇する。
POVとしては、消防士に密着取材中のTVクルーの映像というモキュメンタリー的な設定なので、カメラを回し続けている部分にはある程度説得力がある。まあ危機的な状況で被写体が上手い具合にフレームに納まっていたり、ワザとらしい部分もあるけど…ご愛嬌だと許せる範囲。状況的にはバイオハザード的なゾンビものという感じだけど、限定的な空間で次第に状況が悪化していくスピーディな展開はなかなかいい感じ。映像は、リアルタイムとは言わないまでもおそらく数時間くらいの出来事なのかな?序盤のアパート封鎖がいかにも都合のいい舞台を作るための状況だけど、「何でこんなに封鎖が早いんだよ」という回答も簡単に台詞で説明があるし、そのあたりの段取りは割とよくできていて感心。
個人的には登場人物たちのパニック描写がちょっとヒステリーチックに見えすぎて、少し辟易した部分もあるけども。まあ、ああいう状況に落ちればそうなるんだろうか。
クライマックスの舞台となる部屋は良い感じに異常な雰囲気。その部屋に飛び込んだ直後のシーンでは、真っ暗な部屋の中でカメラの背後にいる主人公アンヘラの声がリアスピーカーから聞こえてきて、音響もなかなか雰囲気を盛り上げてますな。(画面が暗いので余計に位置取りの想像が膨らむ。)「羊たちの沈黙」を思い出す様な暗視カメラの映像も良い効果を出しているね。さて、ラストは感染源の正体に襲われるわけですが、そのシルエットはなかなか良い。…が、これならハッキリ見えない方が想像力が働いてもっと良かったかなあ…とも。
REC/レック2

(2009年制作)
6
スペインのPOVホラー映画の続編。前作の結末の直後に突入したSWAT部隊の顛末を描く。
前作はバイオハザードだったけど、今作はオカルト映画になってた。ただオカルト要素はともかく、他にも色々な底の浅さが露呈してしまって個人的にはあまり楽しめず。というか…SWATなんだから退路を確保するためにも各階チェックしろよとか、最低でもツーマンセルで動けよとか、3点バーストじゃないのかとか、制圧射撃を(略)…そんな無粋なことばかり気になってしまったw 前作の登場人物は素人だからこそパニック描写も許せたけど、今作はプロのSWATなのでその辺が気になって仕方がない。
SWATの動きにモヤモヤする中、さらに後先考えないバカな少年らが登場し、封鎖されているアパートにワザワザ入ってきたあげくに「早く出たい!」とかナメたこと言うもんだからイライラしちゃって…。そんな少年らが“感染者”に襲われたところでは、観ているこっちが「早く噛んでしまえ!」と思わず向こうを応援したい気分にさせるのだから本末転倒。世話がないなあ(苦笑)
クライマックスは前作と同じく暗視カメラを使っての“最上階”探索。その前に何故か生きていたアンヘラと合流しているが、まあその時点でおおよそのオチは察しがついたかも。ラストの「実はこうだった」のシーンもどこか既視感が…。それでも「堕天使を暗闇に閉じ込めた」のくだりから、暗視モードでのみ見えるというドアや井戸?の設定は悪くない。とはいえSWATの視点カメラにしても、終盤の暗視モードにしても、映画としてはバラバラというかアイデア一発だけで終わってしまった感はあるけどね。
REC/レック3
ジェネシス

(2012年制作)
6
スペインのPOVホラー映画の続編。前作までとは別の場所で発生したゾンビ・パンデミックを描く。
冒頭に映される結婚式の生い立ちビデオ。「スペインも日本と同じようなことするんだな」と思った。(逆か?)その後、結婚式と披露宴の様子を録画しているビデオカメラの映像に変わり、「今度はそういう体で撮ったことにするんだな」と思いながら観ていた矢先…カメラが壊れた。あれ?後は普通のゾンビ映画というか、POVにはならず。まさか「REC」シリーズのアイデンティティをアバンタイトルだけで捨ててしまうとは…。ナンバリングタイトルなのに。
違った意味で予想していなかった展開だが、普通の映画と同じように客観視点になってしまうと、本当に普通のB級ゾンビ映画というか…。花嫁チェーンソーと甲冑の花婿を撮りたかっただけなんじゃないの? かといってそれで無双するわけでもないし、どうも中途半端。まあ容赦なくどんどんやられて、結局全滅するのは良いんだけど。(神父は生き残ったことになるのかな…?)
人物が表面的なので結局花婿と花嫁にもいまいち感情移入できなかったなあ。むしろ太っているのでダクトの脱出をあきらめたカメラマンの方がヒーローだと思ったくらいだし、そうそうスポンジ・ジョンの活躍をもっと見たかった。あれでやられたらただの出オチじゃないか。そんな感じで、どちらかというと設定を借りたスピンオフな感じの作品でした。
REC/レック4
ワールドエンド

(2012年制作)
7
スペインのPOVホラー映画の続編。事件のあったアパートからアンヘラを救出したSWAT隊員。目を覚ますとそこは見知らぬ船室だった。
監督が1〜2作目のジャウマ・バラゲロに戻り、時系列的にも「2」の続きということになる。「2」であったオカルト要素はかなり鳴りを潜め、どちらかというと「1」のバイオハザード的なホラー映画に戻った感じ。かと言って「2」や「3」の設定を無視しているわけでもないし、「2」のアンヘラの寄生虫が入っている設定がミスディレクションとして機能しているところもあって悪くないな。ただ、1作目で臨場感を発揮したPOV要素は遂になくなってしまったのは残念だけど…。(申し訳程度に監視カメラ映像はあるが。)それを気にしなければ普通には楽しめる出来栄えだとは思う。
雰囲気でジワジワ怖がらすというよりは、狭い舞台の中を猛スピードでゾンビ(感染者)が襲いかかってくるのを観るジェットコースター系のゾンビ映画だけど、終盤のワラワラ湧いてくる勢いは結構良いんじゃない?まあ根源が寄生虫設定だし、宿主がパワーアップするでもないのでどうしても敵のラスボス感は弱いけど、退治よりも脱出が目的という点では、追い詰められている感じや時限性などがちゃんと入っているので印象はそんなに悪くなかった。むしろアンヘラは闘うヒロインとして覚醒した感があるので、その辺は楽しめたかな。
RED/レッド

(2010年制作)
7
引退して年金生活を送る元CIAエージェントのフランク。ある日、武装集団に襲撃されたフランクは昔の仲間を集めて反撃に出る。
グラフィック・ノベル原作のアクション映画なので、ジャンルとしてはアメコミヒーローモノになるんだろうか。大味な上に色々なところで荒唐無稽だけど、そういうジャンル映画と思えば楽しめる。コンテナターミナルでのバトルは可笑しかったw ただ話のテンポが少々もっさりしていたかなあ。もう少しキレの良い展開も出来たと思うけど、高いテンションのまま突っ走るということがない。
出演者はすごく豪華。アカデミー俳優を含む大ベテラン4人が主役というのも大したものだけど、脇役にリチャード・ドレイファスとアーネスト・ボーグナイン!キャスティングが渋すぎる。(この中では)若手のカール・アーバンも格好良くキマっていて良い感じでした。それにしても変人を演じさせたらジョン・マルコヴィッチはとんでもなくハマるねw 面白い。
RED リターンズ

(2013年制作)
7
冷戦時代のミッションがリークされ、国際指名手配となったフランクとマーヴィン。米国特殊部隊、MI6、そして最強の殺し屋に追われる彼らは、真相を突き止めるために行動に出る。
再び追われる立場にするためにウィキリークスを使うあたりは時事を取り込んで感心。でもまあ、話の構造はよくある感じだよね。敵に追われ、真相を突き止め、意外な黒幕と対決…。とはいえコメディ作品だし細かいことを気にせずに観れば、比較的軽妙なやり取りとテンポの良さは悪くない。
モーガン・フリーマンが前作で退場したので、新たにキャサリン・ゼタ=ジョーンズとアンソニー・ホプキンス、そしてイ・ビョンホンが参加。ホプキンスは登場シーンからさすがの"演技"だったなあ。ネタバレになるけど、演技を演じているわけで、それが演技に見えないようなそぶりで…。彼の軽妙な演技と悪人の演技と本作で両方楽しめるのが良い感じ。イ・ビョンホンはすっかりハリウッドのアクション俳優という感じですが、名優の向こうを張って頑張っていると思う。
中盤、パリでのカーチェイスが見どころだけど、個人的にはそこ以外のアクションは平凡に思った。オチの仕掛けはもう少し上手く見せてほしかった気もする。どんでん返しのつもりだろうけど少し雑かなあ。
レッド・オクトーバーを追え!

(1990年制作)
8
ソ連の最新鋭潜水艦の艦長が、亡命の計画を胸に秘め出航する。米国はソ連軍の動きを察知し対応を開始するが…。
トム・クランシー原作のジャック・ライアンシリーズの第1作。ジャック・ライアンは何人もの役者が演じているけど、本作のライアンにはアレック・ボールドウィンのアナリスト的な線の細さは合っているように思う。一応ライアンがシリーズの主役なんだけど、本作では明らかにソ連原潜レッド・オクトーバーの艦長が主役。(ロシア人に見えるかはともかく)いかにもなオーラを発するショーン・コネリーや、スコット・グレンの切れ者艦長的風貌が良い味を出しているよ。レッド・オクトーバーのドクターは最後まで真相を知らないままだったけど、シリアスな話の中で良い感じに道化になってたのは好みw
情報が遮断された中での行動の探り合いという潜水艦映画らしさを見せながらも、冷戦期ならではの米ソの国家間の駆け引きも見どころになっていて面白い。潜望鏡での発光信号によるやりとりは、結構名シーンだと思うけどね。そんな具合に駆け引きが魅力な話なだけに、ラストの艦内での銃撃戦は完全に蛇足だと思ってます。
他方、潜水艦アクションとしては漫画の「沈黙の艦隊」並に無茶なことをしているけど、多少荒唐無稽だということを承知すれば実に手に汗握る展開ですわ。ジョン・マクティアナン監督のこの辺のさじ加減は嫌いじゃないですよ。ソ連側の追尾艦がアホなのがちょっともったいないが…。艦内戦をやめてラストは魚雷戦に集中してくれれば…というとこだけが不満。
レッドクリフ Part I

(2008年制作)
7
「三国志演義」の中から“赤壁の戦い”に至る過程を描いた2部作の前編。
そもそも「三国志」を描いたストーリーが数多ある中で、この映画を「俺の知っている三国志の話と違う」と思うのはナンセンスなのではあるけど、俺は分かりやすくなり過ぎてちょっと物足りなかった。
孫権・周瑜と劉備・孔明の利用し利用され合う関係がなりを潜め、「曹操軍という強大な敵に協力して立ち向かう」という綺麗な話になっているんだよね。映画としての纏まりを考えればそういう展開の方が分かりやすいとは思うけど、やはり手を組んでいても裏をかき合っているという緊張感が孫権と劉備の間にはあって欲しいところ。
アクションシーンに関してはケレン味溢れる殺陣が非常に面白い。趙雲、関羽、張飛もイメージに合った造形で良かった。いささか“八卦の陣”の展開はやりすぎ(曹操軍がマヌケすぎ)だと思うけど、盾の後ろから一人一人武将が現れるシーンはまさに「よっ!待ってました!!」といった演劇的手法。盛り上がったのは確かだ。
でも全体的に観れば少々間延びした感じもあるし、2時間半の上映時間ももうちょっとテンポ良く出来たのではないかと思う。
レッドクリフ Part II
-未来への最終決戦-

(2009年制作)
5
“赤壁の戦い”を描いた2部作の後編。
日本人の知る吉川英治や横山光輝の「三国志」を想像して観に行くと、物足りない展開が目立つ。「連環の計」に至る過程や「黄蓋の鞭打ち」といったエピソードが大幅に省略されてたのが個人的には残念かな。前作でもそうだけど、基本的に周瑜と孔明が友情を抱いているので「三国志」的な権謀術数のやりとりも、底が浅くてあんまり緊張感が伝わってこない。全体的なテンポの悪さも相まってあんまり楽しめませんでした。(そもそも“赤壁”がすでに地名になってるし…。)
映画のオリジナル要素は前作よりはるかに増え、「演義」の映画化と言うよりはまさに「ジョン・ウーの三国志」。翻案モノだと割り切ってみるのが良いんだろうけど、だとしても強引で平板な設定や展開が多いので、個人的には気持ちが盛り上がりませんでした。尚香と叔材のエピソードは個人的には要らない。というか尚香が間者になっている時点でムチャだなあw そういう話の組み立て方も含めてやっぱりどこか演劇的雰囲気の漂う作品だと思いました。
当時の再現をしたいわけじゃなくて、あくまでこの映画だけで纏まる“劇”としての組み立てようとしたんだろうね。前作はそれも上手く機能はしていたけど、今作ではそれが為に俺は白けてしまう部分も多かった。前作からの話の引っ張り方が良かっただけに残念です。
レッド・ドラゴン
9
この映画を観て「羊たちの沈黙」と圧倒的に違うのは、“レッド・ドラゴン”ことダラハイドの人間的な部分に同情をしてしまう事。俺は“バッファロー・ビル”には嫌悪感しかなかったけど、“レッド・ドラゴン”にはある種の哀れみのような感覚で観てしまった。ストーリー構成もよくできていて、中だるみが全くない。レクターとの駆け引きや、犯人の推理などは本当に面白かった。3作品の中でもっとも若いレクターを演じているA.ホプキンスも実に渋い!あえて不満を言うなら、あそこでダラハイドは自殺していてくれた方が、俺としてはいい感じだったんだけど…。最後にグレアム家へ実行しに行ったが為に、ダラハイドへの同情は消えてしまった。映画としては盛り上がってるからいいんですがw
レディ・イン・ザ・ウォーター

(2006年制作)
5
あるアパートに現れた謎の女性・ストーリー。管理人のヒープは住人から聞いた東洋のおとぎ話によって、彼女の目的を知る。
ポリネシアぐらいの伝説ならまだ分からんではないが、東洋のおとぎ話と言われても東洋人の自分にはあまりピンとこないな…。まあ非米国的な雰囲気のおとぎ話を作ろうとしたのだろうけれど、リアリティを飛び越した内容を語るにしても進行状の説得力が薄いせいですっかり空想のお話になってしまった感じ。
共感しにくい原因は、登場人物が“おとぎ話”を作中の現実と重ねてほとんど疑わずに受け入れていて、観客を置いてけぼりにして話が進むからだろう。そうなると「実は誰々が何の役割だった〜」みたいなことを見せられても、観客としては「ああそうですか」としか思えないわけで。例え「重要な役割を担うものはその前に登場している」みたいなセリフがあって、確かにその通りだったとしても…微妙かな。
この作品は作劇のセオリーを二重に構成させたところ(例えば真のギルドが霞むくらい目立つギルドっぽい集団をだす、とか)が引っ掛けの一つになっているのかもしれないが、作劇に対するアンチテーゼにまでは至っていないところが弱い気がする。ホラーの定番に対する言及なんてものはギャグのつもりなんだろうけど、もはや白々しい感じで、なんだか上手くないよね。
人には役目があるという前向きさや登場人物たちの善意によって物語を成立しているあたりは、優しいおとぎ話としての魅力もないことはないのだけど、やっぱり観客をその世界観に引き込むまでには至っていないのが勿体ないかなあ。これまでカメオ出演的な登場をしてきた監督が、本作ではかなり役が大きくなっていることも、観る側にジョークと取ればいいのかシリアスに受け取ればいいのか一瞬混乱を招かせている要因の一つの様にも思える。
レディ・キラーズ
7
善意のアメリカ人というイメージが定着したトム・ハンクス。この映画ではなんと犯罪者に!でも随所に彼らしいキャラ造形が出てくるので、ファンとしては納得です。彼の紳士でいて知的そうで、でも胡散臭い感じの演技がいいw ところで内容の方はドタバタ喜劇かと思いきや、結構淡々と描かれていくのが意外だった。でも観賞後にコーエン兄弟の映画と知って納得。彼ららしい映画ですな。出てくる人物は、みなひとクセもふたクセもあって面白いが、幕引きが俺にはちょっと意外だった。「もしかしたら『キューブ』みたいになるのかなあ?」なんて考えてたんだけど、トム・ハンクス主演というのもあって、俺には話の着地点が予想出来ない。その分楽しめたかも。あと、さりげに絵が演技しているのが面白い。個人的にはあの描写はマダムの心理描写なのだと思ってます。とりあえず引用の多い映画なんだけど、旧約聖書の簡単な内容と、エドガー・アラン・ポーが何者かくらいは知っておいた方が楽しめると思いますな。
レディ・プレイヤー1

(2018年制作)
8
"OASIS"と呼ばれるVR空間でもう一つの人生を楽しむことが一般化した近未来。その"OASIS"の創始者の遺言で示されたイースターエッグを巡って、プレイヤーと巨大企業の熾烈な競争が繰り広げられる。
原作の「ゲームウォーズ」は既読。…のせいなのか、いい意味で映画的なエンターテイメントとしてまとめた部分が、逆に原作から感じた80年代カルチャーに対する熱いオマージュが薄まったようにも思えてしまい、ちょっと期待値に及ばなかった部分も。人物描写も淡泊になってるし、作中の時間経過もかなり圧縮されてる。まあそれでも140分の映画だし、ストーリー的にはよく要約したとは思ったかな。(原作者がこの映画の脚本も書いている。)ただ、ラストはどうかなあ?あの結論を観た俺は、「それはお前らがリア充だからそう思うんじゃん!」と思ってしまった(苦笑) 原作はもう少しロマンチックな感じだったんだけどな。
それはそれとして、劇中で提示される3つの試練は面白い。どれも映画的な見せ場としてたまらないけど、個人的には2つ目の試練が特に興奮した。まさか「シャイニング」の中に入るとはねw 本作は、全編にわたっておびただしい数の映画やゲームからの引用(キャラやセリフ)が登場する作品だけど、基本的にストーリーを追う分にはそういった他作品の知識が無くても全く問題はない作りになっている。ただ、この「シャイニング」に関してはその内容自体がネタ振りになっているから、知っている人が観ると、それを知らないエイチの挙動がいちいち面白く見えるわけだ。「シャイニング」を引用したのはスピルバーグからキューブリックへのオマージュでもあるんだろうけど、映画ファンならニヤつくこと間違いなし! 楽しいなあ。
日本人的にはハリウッド映画でガンダムVSメカゴジラが観られただけで感涙ものだよね。そういうお祭り映画としてみると最高なのは間違いない。
レディホーク

(1985年制作)
7
中世を舞台にしたファンタジー。牢から脱獄したコソ泥の少年。追手に捕まりそうになったところを黒衣の騎士に助けられるが、鷹と共に旅をするその騎士にはある目的があった。
呪いをかけられ、昼は人、夜は狼の姿になってしまう騎士ナバール。そして昼は鷹、夜は人間の姿になってしまう美女イザボー。呪いで姿を変えられるというおとぎ話でありがちな話にしても、お互いがこのように変身することによって生じるすれ違いの設定は面白いと思う。惜しむらくは、狼であることや鷹であることが「姿が変わる」こと以上の意味をあまり感じなかったところかな。能力を生かしたのはイザボーが塔から落ちそうになった時に鷹に変身したシーンくらいか。まあ変身に自分の意志が介在しないので、生かしようがない設定だと言えばそうだけど。
話の中心は騎士と姫の恋物語である一方、映画としての主人公は狂言回しとなるコソ泥の少年。このあたりの構造もおとぎ話としては正攻法な感じ。ワーナーと20世紀FOXの製作映画だけど、どちらかというとディズニーが好きそうな雰囲気だよなあ。アクションシーンが全体的にどこか牧歌的なのもそう印象に繋がっているかも。そういえば、劇判が中世が舞台の作品なのに一瞬ミスマッチにも思う様なシンセも使ったロック調な感じで耳に残る。慣れるとこれはこれでいい感じだが。
コソ泥少年を演じるのはマシュー・ブロデリック。“ネズミ”と自称するすばしっこさは序盤の追いかけっこでいい立ち回りを見せていると思う。騎士ナバールを演じるルトガー・ハウアーと、イザボーを演じるミシェル・ファイファーはさすがの雰囲気。司祭が差し向ける刺客セザールをアルフレッド・モリーナが演じているが、思わせぶりな割にちょい役の上、死にざまが哀れでちょっと苦笑い。
レナードの朝

(1990年制作)
8
嗜眠性脳炎によって数十年間も意識の無かった患者達。新任のセイヤー医師がパーキンソン病向けの新薬を試み、意識を取り戻した患者達との交流を描いたひと夏の物語。
良心の医師役にロビン・ウィリアムズ。眠りから覚めた患者にロバート・デ・ニーロ。二人の名演には文句などあろうはずもないが、特に“30年後に目覚めた少年レナード”役のデ・ニーロはさすが。症状のシーンも相まって、終盤のダンスシーンはジーンときます。舞台は精神病棟だけど、生々しさよりはどこか穏やかな感じの描写が多くて落ち着いて観られる。しんみりした映画であるので、精神病棟のリアルさよりもそういう作風にはあった雰囲気を優先したという感じなのかな。
眠り続ける患者を起こしたこと、治療を試みたことは、確かにこの患者達にとって生きることの喜びを感じ取れた一瞬であり、それは幸せだったろうと思う。けど薬に耐性が出来て再び元の無意識状態になっていくという現実は非常に残酷で、そういうところで医療というテーマについて考えさせられたりもしました。
でも周りの人間も少なからず影響を受け、レナードから背中を押された形のセイヤー医師の変化など、良い感動を与えてくれる作品でもあります。
レミーのおいしいレストラン
9
“料理”に憧れを持つネズミのレミーが巻き起こす、フランス料理レストランでの騒動を描いたピクサーのCGアニメ。
やはりピクサーの作品はとても質が高い。厨房の敵であるネズミが、料理がダメな雑用係を操って一流の料理をするっていうプロットからしておかしい。背景の作り込みや描写は驚異のレベル。特に今作ではアニメならではの嘘というのが絶妙だったね。擬人化されたリアルな体型のネズミ、死んだ料理人の霊、髪の毛で操作される特異体質(?)な人間w。描き方が良いです。でもそれだけでなく手堅いストーリ運びにすっかりやられてしまいました。
ストーリーは単純ではあるのだけども演出の妙でグイグイと引き込まれる。ネズミの世界と人間の世界の距離感とそれを繋ぐ主人公レミーの世界観は、説明が無くても観ているだけで分かる。伏線もちゃんと張ってあるし、料理の話なのにアクションもドラマもギャグまでもしっかりと描かれる。そして最後には、なんだか「がんばろうかなあ」なんて気分にさせてくれるんだよね。実に良い映画でした。
レ・ミゼラブル

(2012年制作)
8
ヴィクトル・ユゴーの小説を原作にしたブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品。
ミュージカルの映画化にもいろんなパターンがあるけど、この作品は歌の先録りをせずに撮影時の歌唱をそのまま使用しているので、役者の演技のライブ感が前面に出ていて印象に残る作品になった。まさにミュージカル。そういう舞台的な息遣いの一方、空撮からシームレスにクローズアップに持っていったりというカメラの大胆さは逆に映画らしい演出。19世紀のフランスを再現した大掛かりな舞台も、大作感を出すのに効果を発揮してますね。
「あゝ無情」のあらすじは何となく耳にしたことがあったものの、ストーリーをちゃんと見たのはこの映画が初めて。一人の男が救われ、救い、また登場人物たちがみな信念に基づいて必死に生きて死んでいく様を描いた人間賛歌。主人公ジャン・バルジャンを通して描かれるそれは名作として残るだけあって感動的だと思う。
演じるヒュー・ジャックマンの演技も見事で良い。ジャベール警部役のラッセル・クロウは個人的に歌声がちょっと細い気がするのだけど、見た目の貫録からはキャラにあっているとは思う。二人ともそれぞれに葛藤する場面ではやっぱり画面に映えるよなあ。アン・ハサウェイもお見事。テナルディエを演じたサシャ・バロン・コーエンは、主役級の手堅い演技の一方で道化的な役を上手くこなしてますなあ。一部はアドリブなんじゃないかってとこもあったけど、彼らしさを残しつつも真面目な話の中で浮いてないし、さすが。
レモニー・スニケットの
世にも不幸せな物語
7
米国で有名な児童文学の映画化作品。
予告編を観たときはずいぶん面白そうなダークファンタジーだと思ったけど、本編はテンポが良いのか悪いのか微妙な感じ。主人公の3姉弟はとんでもなく不幸だということだけど、割とあっさり話も進むので飛び抜けて気の毒と思えなかった。少なくとも観る前に原作を読んでおくべきだったのかもしれない。
ジム・キャリー演じるオラフ伯爵はとんでもない悪党だと思う。人を殺しまくってるし。でも主人公達を食う演技のおかげで、彼の行為に怒りを憶えることもなく、そして姉弟達に感情移入することもなかった。確かにジム・キャリー以外に伯爵役は思いつかないけど、皮肉にもそのせいでストーリー上の大事なものが死んでいる可能性があるかも?
舞台美術は実に良くできてる。まるでティム・バートンの映画のよう…、というかティム・バートンの世界そのもの。ファンタジーっぽさは抜群ですなあ。
LOGAN/ローガン

(2017年制作)
7
ミュータントのほとんどがいなくなった未来。衰え始めたウルヴァリンの最期を描いた「X-MEN」シリーズのスピンオフ作品。
“ウルヴァリンのアイデンティティ”という2000年の「X-MEN」シリーズ1作目から存在した一つのテーマの帰結。ウルヴァリンことローガンを演じ続けたヒュー・ジャックマンのために用意された花道の様な作品でした。アメコミヒーローものというよりはシリアスなロードムービーといった趣だけど、テーマにある「殺し続けてきた男の最後の闘い」はクリント・イーストウッドの「許されざる者」にも通じる生き様のドラマとしての深みを感じる。作り手がそれを意識的にやっているのは明らかだけど、この様に少しジャンル的な変化をつけられるのもシリーズに歴史があってこそだろう。
舞台となった時代にミュータントがほとんどいなくなったことも、ローガンやチャールズがボロボロになって隠れ住んでいる理由もそこは深くは語られないが、ローガンという一人の男をテーマにするならそこはこれくらいサッパリでもいい。その上で、ローラというかつてのウルヴァリンと重なるような少女を出すことで、チャールズとローガンという疑似親子、そしてローガンとローラという疑似親子の関係性によって、ローガンがかつてチャールズから与えられた人間性を彼女に与えていくというドラマになっていく流れが良い。最期の敵がX-24という自分の姿をしているというのも悪くない。
ただアダマンチウムの銃弾は伏線としては分かりやす過ぎたし、個人的にはチャールズの最期があのようなものだったというのもちょっと哀しさが先行してしまってちょっと…。「俺が愛する奴はみな不幸になる」とローガンに思わせるにしてもなあ、哀しい。あと「シェーン」が名作なのは間違いないし、ローガンの墓前で引用するのも良いシーンではあるんだけど…ちょっとくどい気はした。
ローグ・ワン
スター・ウォーズ・ストーリー

(2016年制作)
9
「スター・ウォーズ」のスピンオフ作品。デス・スターの建設に携わった科学者の娘を主人公に、エピソード4の直前にあったデス・スター設計図を巡る攻防を描く。
エピソード4のオープニング・クロールの数行で語られていたデス・スターの設計図奪取の話。それを2時間強に膨らませただけと言えばそうだが…。正直言ってやられました。特に尻上がりに増していく戦闘の激化は、「これが観たかった」と思えるような艦隊船と空中戦の連続で大興奮。ラストは…もう卑怯だよね。ライトセイバーを振り回しながら突き進んでくるベイダーへの絶望感、そしてレイア姫! 何十年も「スター・ウォーズ」を観続けていてよかったと思えた瞬間ですw
観客としてはこの後の物語を知っているわけで、きっと登場人物たちは死ぬ運命なのだろうという事が何となく分かりながら観ている。その過程を観ていくわけだが、なかなかに個性の強いキャラたちをバランスよく描いていると思う。もっと「七人の侍」になるかと思っていたが、実際はそうでもなかったな。一方、主人公のジンについては前半に背景説明の助走を長めに取っている割には、父親のゲイリンやソウ・ゲレラとの関係性の決着はちょっと淡泊な気はした。とはいえ父親の遺志を継ぎ、デススターの弱点という反乱同盟にとっての希望を繋いでいくという一本筋の通った物語になっているところは良い。終盤には「このキャラたちで続編を観たいなあ」とも思えたが、それが叶わない事実が突きつけられると少し切ないね。
しかしスピンオフなのに、エピソード4の前編と言ってもいいんじゃないかというくらいに本編のキャラクターが出てきたな。いや、逆にスピンオフだからこそここまでやれるのかも?w モン・モスマ、ベイル・オーガナ、カンティーナで腕を斬られたお尋ね者、レッド中隊、もちろんレイア姫やベイダーも。アクバー提督を思い起こさせるラダス提督も良い。ファンサービスしまくりw 特にターキン総督は驚いたなあ。演じるピーター・カッシングは20年以上前に亡くなった俳優なのに、完全にそこに存在してるじゃないか。エピソード3でも似ている役者を使ってチラ見せはしていたけど、本作はそんなレベルじゃない。本当にピーター・カッシングの演じるモフ・ターキンだった。今の映像技術をもってすれば、亡くなった役者に演技をさせるという事すら可能だという事実を目にして愕然とする。場合によっては名優に対する冒涜なんじゃないかとも思ったが…、本作は“モフ・ターキン”というキャラクターを蘇えらせたものだと自分を納得させた。確かにターキンがそのままの姿で出てきたことは、シリーズのファンとして嬉しかった自分もいたのだ。
ローズマリーの赤ちゃん
7
ある夫婦がニューヨークの古アパートに引っ越してくる。妊娠した妻は自身の不調や周囲の異変から妄想に取り憑かれていく。
純然たるホラー。いわゆるショッカー映画でないところが良いね。主人公ローズマリーの精神状態にクローズアップし、誰も信用できなくなっていくところの不安感が怖い。
主人公の妄想なのか、それとも悪魔崇拝の生け贄にされているのかという揺れがミソなわけだけれど、そういう意味では若干周りの陰謀っぽさが見え見えな気はした。もうちょっと隠されていた方が俺としては好みだったかもね。でも上手くできていると思う。
しかし、隣人のばあさんは例えまともだとしてもお節介すぎて嫌だなあw
ロード・オブ・ザ・リング

(2001年制作)
8
J・R・R・トールキンの小説「指輪物語」を原作にしたファンタジー映画。冥王サウロン復活の予兆が現れる中、サウロン復活の鍵となる指輪の持ち主となったホビットのフロドは様々な種族の"旅の仲間"とともに指輪を葬る旅へと出発する。
学生だった公開当時に劇場でこの作品を観て、その世界観の描き方に圧倒されたのを覚えている。「本気でファンタジーを描いている」という熱量にはあてられたね。ただ原作は未読だったので、ファンタジー要素として出てくる個々のキャラクターたちのステレオタイプなイメージにベタさを感じた部分もあったのだけど、まあ「指輪物語」こそが後のファンタジー作品に圧倒的な影響を与えた存在だということを考えれば、そもそもベタなのは当たり前だわなw
それこそ当時は「ファンタジー=勇者の冒険物語」的な思い込みがあったので、主人公が王族の血を引くアラゴルンではなくホビットの青年フロドだというところには違和感を感じたのは事実。そこは三部作の最後まで観れば腑に落ちるところは大きいのだけど、本作だけを観た時は特別強いわけでもないただの巻き込まれ型の主人公にしか見えなかったので、「アラゴルンのほうが格好良いなあ」などと薄っぺらい見方をしていたのも思い出すところです(苦笑)
この「旅の仲間」は3部作の1作目で、結局はまだまだ序章。映画館で観ていた時も「え、ここで終わり!?」と思うところで終わったし、そういう意味では本作だけでは消化不良なのだけど、でもまだまだ旅は始まったばかりなのだ。「なぜ指輪の運び手がフロドなのか」ということを主人公と共に観ているこちらも戸惑いつつ、彼らの運命の行く先を見届けようという期待も膨らむ第一部でした。
ちなみに学生の頃はそこまでボロミアに感情移入しなかったんだけど、大人になってから観るとだいぶ感じ方が変わってしまいましたね。続編(SEE版も含む)を観て彼の背負っているものを知ったからというのもあるかもしれないけど、指輪の誘惑に惑わされる心の隙も共感は出来るし、その後の討死もより悲しく感じたかな。
ロード・オブ・ザ・リング
二つの塔

(2002年制作)
9
J・R・R・トールキンの小説「指輪物語」を原作にしたファンタジー映画。指輪を葬るためにモルドール潜入を模索するフロドたちはかつての指輪の持ち主であるゴラムと出会う。一方アラゴルン達はサルマンの軍勢によるローハン総攻撃を察知するが…。
3部作の2作目ということで、特にあらすじや世界観などの説明もなく直接前作の続きからのスタート。物語は佳境に向けて動き出している感じが強くなっていく。フロド達のことは指輪の影響が強く出始めて心配になってしまうし、一方で人間側は敵勢力との決戦の前哨戦となるヘルム峡谷の戦い(角笛城の合戦)でのギリギリの戦いにハラハラしてしまうなあ。このヘルム峡谷での攻城戦の規模感は圧巻の一言。セットでの演技とミニチュアの砦とCGによる大軍勢の合成で描かれた一連の視覚効果が見事で、公開当時も「ちょっと前にはこんな映像は撮れなかっただろうな」と思わせるに十分な衝撃があったことを記憶しているし、20年経った今観ても見劣りはしないね。
視覚効果で言えばゴラムのことも外せない。デジタルキャラクターとしての感情の乗ったキャラクターの完成形を作り上げたよなあ。もちろんモーションキャプチャーのアンディ・サーキスの演技があってこそのものでもあるけれど、内面の分裂したゴラムの見せる感情表現は見事。サムがゴラムを信用しないのも、フロドが(自分の未来を感じて?)見放せないと感じるのも、その感情が伝わえるのはゴラムというキャラに説得力がなければ成立しないわけだから。
内容的にはそれぞれの役割と運命に気づき、受け入れていく転換点のような話に思える。劇中でも言及されている通り、フロドは指輪を葬る使命が命と引換えであることを悟り始めているし、アラゴルンはローハンとともにした行動の中で指導者の何たるかを改めて見つめ直していたかもしれない。エントに出会ったメリーとピピンも機転を生かしてアイゼンガルドを破壊するというまさかの偉業(w)を果たしていたし、それぞれの役割が物語の舞台をクライマックスに導いている感じはする。物語はいよいよモルドールとの決戦へ向かい、そしてゴラムの企みとは…というところで次作へ続くw
ロード・オブ・ザ・リング
王の帰還

(2003年制作)
10
J・R・R・トールキンの小説「指輪物語」を原作にしたファンタジー映画。モルドールの軍勢による侵攻が間近に迫るゴンドールにガンダルフが赴くも、執政はガンダルフの進言を拒否してしまう。一方でフロド達はゴラムの案内でモルドールへの秘密の道へ向かうが…。
3部作の完結編として「指輪物語」の結末までを描いた作品だが、201分という上映時間をかけても「まだ端折ってるんじゃないか」(実際、端折っている)と思われるような恐ろしい密度でもある。というか3部作を通してそうなのだけれど「よく映画作品としてまとめ切ったなあ」という感想が一番強い。おそらく「作品の世界観を守る」という部分が一番難しいのだろうが、その上で物語として成立するギリギリのところまで話を削いで再構成をした作り手の胆力には敬意を表したい。劇場版3本合わせた上映時間は558分だけどSEE版の3本合計は681分なわけだから、劇場版は「入れたかった描写」を合計で2時間分も削ったバージョンなのだ。
端折っているという意味では、やはり観ていてもそこそこ展開を急いでいる感はある。でもそこは作り手にも映画として成立させることと原作への敬意とのせめぎあいがあるだろう。それでも「なんとしてもこの話を映像作品として完成させるのだ」という執念が込められているし、観ている側もそれを感じ取るのは難くない。それがこの3部作の最も価値のある部分だと思う。
物語はペレンノール野の決戦で最大の山場を迎え、そしてフロドの旅の結末へと話が進む。観ていて心が揺さぶられたのはローハンの軍勢がセオデン王を先頭に「死」を叫びながら突撃するシーン。そして滅びの山の山腹でサムが「指輪の重荷は背負えなくとも、あなたなら背負えます」とフロドを背負って山を登るシーンだ。細かいことを書き出すと止まらないので書かない(笑)が、登場人物の運命や使命や決意といったものにあてられた感情が洪水のように溢れてくる。それだけで、この長い物語を観ていて良かったとも思える。
所持者を虜にする指輪の力は強かった。フロドでなければ滅びの山まで正気を保つことも出来なかったんだろうけど、それでも最後の最後で誘惑に負けたのだから。そういう意味では実際には指輪の勝ちだったと言っても良いのかもしれない。しかしその指輪が滅んだのもまた、指輪の誘惑にとりつかれたゴラムの執着によるものだ。偶然の結果だとしても最終的にゴラムがいたことによって悪が滅んだのだという結末は考えさせられるところでもある。
フロドは最後にエルフ達やガンダルフと共にヴァリノールへと旅立っていく。劇場公開当時は俺の知識が不足していて「他の国に行くのか」くらいの感覚で観ていたけれど、この世界観にあってはヴァリノールは人間のいる世界とは切り離された場所。あえて仏教的価値観で言えば西方浄土が一番イメージしやすいだろうか。とにかく現世から去っていくということである。それを知ればこの港での別れのシーンは涙を禁じえない。サムとフロドの友情は本物だった。ああいったエンディングになるのは切ない気もするけど、そこがこの作品の奥の深さか。エンディングは最後の歌詞まで堪能したい。
ロード・トゥ・パーディション
10
ギャングの世界を舞台にして、親父と息子というものを描いた素晴らしい映画。マイケルとマイケルJr.親子とジョンとコナー親子、そしてマイケルとジョンの親子にも似た関係。複雑に絡み合う感情が見事。特にポール・ニューマンは渋かった・・・。最後の「お前で良かった」はものすごく心に響きました。トム・ハンクスも“父親”と“殺し屋”の演技も最高!中盤のコミカルなシーンもさすが、という感じです。驚くのはジュード・ロウの今までのイメージを覆す怪演。役者根性を感じました。
ロープ
8
“優越者による殺人”の論理を実行した2人の若者の顛末を、ワンシーン・ワンカットで描くヒッチコック監督の代表作の一つ。
劇中80分間をリアルタイムで進行させ、しかもほぼワンカットで展開する演出は、当時として実験的な意味合いもあったのだろうけど、今観てもとても新鮮。カラー作品と言うこともあってか、とても60年前の映画とは思えないね。
当時は十数分でフィルムの切れたのだろうか、十数分ごとに強引に登場人物にカメラが寄って暗転させて場面を繋いではいた。そういう技術的制約もある上での80分間のワンカットは、かなり人物の動きを考えて撮らないといけないだろうし大変だったと思うなあ。
ただ、ワンカット、ワンカットとは言うけど、本当のところは1カ所だけカットを割っている場面がありました。中盤、殺人者の若者が言い合ってる時、その犯行に何となく感づいたジェームズ・スチュワートのアップになる場面がそう。でも全編がワンカットなので、そのカットが逆に印象的になるんだよね。この辺の演出も良いなあと思いました。
作中に出てくる優越者の論理というのはすごくいけ好かない考え方であるし、最後には糾弾される。そういう思想が描かれるのは、戦後直後という時代にあって多分にナチズムの存在を意識していたんだろうかね?
ROMA
ローマ

(2018年制作)
9
1970年代初頭。メキシコシティ・ローマのある白人家庭の住み込み家政婦として働く女性を主人公にした人間ドラマ。
アルフォンソ・キュアロン監督らしいこだわりの映像美がそこかしこ。冒頭の床を洗い流す水と終盤の波の対比、その後の展開ものを予感させる割れたものを映すカット、そして飛行機。長回しを好む傾向にあるのもそうだけど、この映画で印象的なのはパンの多用かな。ゆっくりとカメラを振ってその空間を切り取っていく感じは、家の中の落ち着いた場面でも、中盤の暴動のシーンですらも同じスタンスで映し出される。その客観的な視点は主人公の人となりを丁寧に観る側に伝えるが、日常を描き出すだけのスタンスはややもすると退屈な状況になりかねないところでもある。
ところがその日常の積み重ねこそが、主人公の人生の中にくるドラマのある瞬間を伝えるための地ならし。主人公が海岸で「生まれてほしくなかった」と心情を一言吐露するクライマックスの場面に結実する。あの場面はとても美しい場面だったが、それは主人公と雇い主の家族との関係や、主人公が経験してきたこの1年の姿を知っているからこそ胸に迫るものがあるのだ。人のドラマの“ある一瞬”を切り取るためにここまで丁寧に話を積み上げていく監督のセンスは素晴らしいと思う。
映画のラストでは開けた中庭の空の上を飛行機が横切っていく。冒頭や中盤でも意味深な映り込みをする飛行機というモチーフだが、劇中ではその意味として明確に説明があるものではない。でもそこから感じられるポジティブな何かに、主人公や雇い主一家には幸せになってほしいと思った自分の気持ちが重なっていく。
ローマでアモーレ

(2012年制作)
7
パリを舞台に、4つの物語が平行に描かれるウディ・アレンの群像ラブコメディ。
冒頭、交通整理の警官が観客に語りかけてくる場面で早速この映画のスタンスを見た気がしたが、それぞれ人を食ったような展開もあり、何度も「なんじゃそりゃ」という笑いがこみあげてきた。群像劇ではあるけどだからと言って最後に一つにまとまるわけでもなく、本当にそれぞれの物語として終わる。ただモザイク状のその進行はだからと言って混乱するわけでもなく、"ローマ"という共通世界の雰囲気映画としては良い。いくつかは観光映画みたいな場面もあるしね。セックスするしないという話が多めなのはテーマとしては仕方ないけど、個人的にはおしゃれというよりはちょっと下世話な感じもしたので、その辺はちょっと微妙だったかな。
メインの男性キャラは、ほぼ皆アレンの分身に見えるw そんな中、ボールドウィンだけ内面の代弁という少し不思議な立ち位置なんだけど、監督は「最も無難な見方はジョン(ボールドウィン)が記憶の中で若き自分である"ジャック"を思い出している」という解釈を語っている。なるほどそう思えばいないようでそこにいる不思議な演出も合点がいく。でも観ている間には逆(ジャックの理性としてジョンが…)と思っていたのでえらく混乱したがw
ロベルト・ベニーニの何故か(理由は明かされない)名声を得た小市民の話も、娼婦(ペネロペ・クルス!)を妻と勘違いされた青年の話も楽しんだけれど、個人的にはシャワーの中でしか美声の出ない葬儀屋がツボにはまってしまって…。しかもそれでオペラ『道化師』をやってしまうのがあまりにシュールでゲラゲラ笑ってしまったw これってこの映画がソープオペラですよっていうシャレなのかなあ?
ローマの休日

(1953年制作)
10
多忙な日々から抜け出したアン王女。路傍で眠るアンを偶然に解放することになった新聞記者ジョーだったが、彼は彼女の正体に気づき、王女のお忍び休日をスクープしようと画策するが…。
正直に言うと、有名すぎて観る前からイメージが先行していたんだよね。身分違いの恋のメロドラマ…。しかし俺のそんな俗っぽい想像は意味をなしていなかった。話の4分の3ほどは、休日を楽しむ王女とスクープをモノにするために動く新聞記者のごまかし合いがメインであって、カメラマンのアーヴィングを巻き込んでシチュエーション系のコメディーとして進行する。そこには打算はあっても恋はなかったのだけれど。でもそこでの積み重ねがあって、取材対象でしかなかったはずの王女への恋心に気づいた後は…その過程がすごく生きてくる。写真の扱いが実に小ニクイなあ…(途中、何度も小突かれるハメになったアーヴィングは実に気の毒だがw)
結末の身の引き方は実に大人な行動だが、何とも胸を締め付けられる。交わされる目線と表情で何もかもを物語っているのもすごいが、ラストのドリーで引いていく画がジョーの心の内を感じさせられてすごくいい。中盤までに山ほど名シーンのある作品だけど、俺はこのラストの余韻ですっかりやられてしまったよ。
名作というものはホントに説明台詞がほとんどないもんなんだよな。この作品は最初から最後までそうだけど、画で魅せ、感じさせられるんだよね。これが映画なんだな、と思った。
ローン・サバイバー

(2013年制作)
8
Navy SEALs創設以来最悪の事件となったレッドウイング作戦の全貌を描いたアクション・ドラマ。
絶望的な退却戦の状況には観ていて本当に絶望してしまった。これは助からねえ…。多くの銃弾を浴びながら必死に逃げ、崖から飛び降りて全身を打ちまくる姿は痛い。銃創から破片を取り出す姿も痛い。このように観客を戦場に投入する力強さという点で、実に見事な作品だった。
200人のタリバン兵に囲まれた4人のSEALs隊員。その内で1人しか生き残らなかったから"ローン"なわけだけど、3人の死は分かってはいても苦しいものがあるね。お互いを兄弟と呼ぶ"戦場の絆"が引き裂かれていく瞬間でもあるわけだ。それに何より、決死の救出に向かった少佐の乗るCH-47があっけなく撃墜されてしまったのには驚いた。でも実話なんだよなあ、これ。少佐はともかく、新人隊員のパットンを前半にやたら登場させると思ったらそういうことか、と…。
作品としては、パシュトゥーンの掟に従って主人公を救った村人との交流が後半のキモになるけど、掟の話はエンドクレジットまで明かされないので、鑑賞中はなぜ助けられたのかはよく分からない。前半で羊飼いの命を助けたから…?とも思ったら、そこは繋がらないらしいw でも主人公の不安を共有するには掟は知らない方が良いので、現地語にほとんど字幕が付かないのも含めて良い演出とは思う。
ローン・レンジャー

(2013年制作)
7
1933年のラジオドラマや、その後のTVドラマで人気を博した「ローン・レンジャー」を、ジョニー・デップとアーミー・ハマー主演でリメイクした西部劇。
愛馬シルバーを駆り、悪漢を倒し繰り広げられる活劇…が終盤まであまり描かれない。平和主義のジョン・リード検事がインディアンのトントと出合い、如何にローン・レンジャーとなったかのドラマが主体なのだけど、2時間半の上映時間は正直言って長いと思った。モニュメントバレーを舞台にし、大陸横断鉄道や銀鉱山を巡る陰謀など、"いかにも西部劇!"といった要素をふんだんに使って真面目にドラマを描こうとする姿勢が見え、監督のジャンル愛が伝わってくる。でもやっぱり「ローン・レンジャー」と聞いて期待する活劇からすると、真面目に西部劇を意識した作りもあってか、中盤までが大人しく、そして長く感じてしまうかなあ。
その代わり機関車を強奪してからの終盤は、それまでの長ったるい感じを払拭する大活劇としてほぼ満点の出来栄え。景気のいい「ウィリアム・テル序曲」とともに駆け抜けるローン・レンジャー。機関車を並走させての銃撃戦!すばらしい!
本来脇役だったトントは、ジョニー・デップが演じていることもあってかほぼ主役の扱い。1933年からの回想という形でストーリーは進むけど、この構成が少し話を止めているような気も…?まあ、でもこういう変なキャラを演じさせるとやっぱりデップは似合うけれど…、もうある種のパターンに入ってるな。
6才のボクが、大人になるまで。

(2014年制作)
8
6歳の少年メイソンが、日々の生活の中で成長し、高校を卒業するまでの姿を描いたドラマ。
12年。"究極の順撮り"とでも言うべきか、これだけの時間をかけて同じ俳優で撮りつづけるとは…。長寿TVドラマならともかく、1本の映画というフォーマットでやりきったその志の高さには脱帽するほかないね。3時間弱の上映時間の中で次第に歳を取っていく登場人物たちの姿には、ただ単に"12年"という言葉以上の説得力があり、観る者に「人生」という漠然とした存在の何かを訴えてくる。そしてうまく言葉にはできないけれど、作り物ではない“本物の時間”を確かにそこに見た。
映画の序盤はiMacやゲームボーイアドバンスなどの懐かしい小物も登場し、少し前の映画でも観ているよう感覚で面白い。とはいえそれが本質ではないわけだが、ネイサン少年の成長が主題の様でそれもまた少し違うような気がした。確かにネイサンを通して描かれた世界ではあるけれど、母親と父親の人生の物語でもある。そして父親と母親で、「子供を育てる」ということに対する責任へのアプローチの仕方の差も興味深い。離婚家庭であるということもそのアプローチへの違いの要因ではあるだろうけど、子供にとっての父性と母性の存在感の違いを考えさせられるドラマでもあった。
ロケッティア
8
若き飛行機パイロットが、成り行きで手に入れたロケットをめぐる争奪戦を描いたアメコミ原作のヒーロー活劇。
30年代のアメリカを舞台に、FBI・ギャング・ナチスを向こうに回しながら恋人を守るために奮戦する主人公。まあストーリーは子供向けというか…マンガだよねw でもそのベタベタなヒーロー活劇な感じ、時代背景とその雰囲気がとても良い。伏線のガムの使い方は結構好きだな。そしてロケッティアのアールデコ調なデザイン(特にヘルメット)が決まってるよね!
主人公クリフは恋人ジェニーを愛しているが、若干のドジッ子成分で序盤がドタバタ。でも根が真っ直ぐなので好感のもてるキャラだと思う。年上のメカニック・ピーヴィーとの親友関係も良いが、BTTFのマーティとドクの様な感じだとも思った。そのピーヴィーを演じるのは今や名脇役として名高いアラン・アーキン。ジェニーはジェニファー・コネリーだし、敵役のネヴィル・シンクレアを演じるのはティモシー・ダルトン。今考えると錚々たる出演者陣ですな。
FBIとギャングが出ればもちろん銃撃戦はお約束。でも一応ディズニー映画だし、流血は映さないよ!というポリシーがあるのかどうかわからないけど、そのおかげである意味“30年代”という時代劇にマッチした演出になった気もするね。アクションというよりは活劇といった表現の合う作品ですが、小ネタもいろいろ仕込まれているので、分かるとニヤリとできて面白い。シンクレアのモデルがエロール・フリンなのはともかく、最後の墜落先がハリウッドサインで、しかもそれが原因で"HOLLYWOODLAND"の"LAND"が壊れるという小ネタ。大爆発するヒンデンブルク号…じゃなくてルクセンブルク号。ハワード・ヒューズの飛行場から飛行機の模型にぶら下がって逃げるクリフだが、その模型が“H-4 ハーキュリーズ”。それを見たヒューズが「あいつは飛ぶぞ」って言ってるけど、“あいつ”ってクリフじゃなくて“はーキュリーズ”のことだよな…この飛行機バカめw
ロケットマン

(2019年制作)
8
エルトン・ジョンの半生を描いたミュージカル映画。
正直言うと積極的にエルトン・ジョンの曲を聴いたことはなかったので、この映画を観て、聴いて、「おお!この曲か!」という興奮に繋がらなかったのは自分の知識のせいでもあるのだけど、もし知っていればさらに満足度は上がったに違いない。“I'm Still Standing”は聴いたことがあったがそれはCGアニメの「SING」でだったかな。そういえば「SING」で歌ってたのも本作のエルトン・ジョン役であるタロン・エガートンじゃないか。彼は歌がうまいなあ。
内容的には親からの愛に恵まれなかったエルトン・ジョンの少年時代から、音楽での成功と挫折、そしてドラッグ・セックス・アルコール中毒からの更生までの半生を描いている。山あり谷ありの半生にはそれだけでもドラマがあるが、それをミュージカル仕立てにしているところが面白いし、引き込まれる。監督は「ボヘミアン・ラプソディ」のポストプロダクションを引き継いだデクスター・フレッチャーだけど、ミュージシャンの伝記映画という同ジャンルでありながら「ボヘミアン〜」とはまた違った個性の作品に仕上げている部分が良いね。
栄光を手に入れながらも孤独を感じているというキャラクターとしては、「ボヘミアン〜」で描かれたフレディ・マーキュリーと似たような部分はあるか。それを乗り越えて自分らしく生きるという面でも共通点も感じるが、本作はエルトン・ジョン自身が制作総指揮をしているという点で本当に過去の自分と向き合っている作品かもしれない。この映画をR指定にするか否かという話があった時に、エルトン・ジョンが「僕はPG-13指定の人生を歩んできていない。」と語っているしね。
ロシアン・ルーレット

(2010年制作)
7
ゲラ・バブルアニ監督が、自身の作品「13/ザメッティ」をハリウッドでセルフリメイクしたサスペンス映画。
金持ちの道楽で人の命がもてあそばれている感じは「ホステル」みたいな感じだけど、あの様にエログロではなく純粋にサスペンス。何度も何度もロシアン・ルーレットに挑まされる精神の極限状態を描いた映画ですね。ただ、やはり16人が円陣を組んでお互いに隣の頭を狙うという異常性のインパクトは、どうしても1回目がピークになってしまうかな。“主人公は最後まで死なない”という観ている側の思い込みもあるしねえ。そういう意味では"プレイヤー"側は無名の俳優で固めてくれた方がよかったかも。
ゲーム後の展開は警察の尋問も一時見失う金も、もう一つ踏み込みが浅い。たぶん送りつけるための動機づけでしかないんだろうけど、こっちの方でももうちょっとサスペンスフルにはできたと思うけどね。ただ、ラストの死にざまなどの展開は悪くない。あの半券を飲み込んだことで、主人公が自分のことよりも家族のことを考える人間だったということが端的に見て取れる。
ロジャー&ミー
7
マイケル・ムーアの原点とも言うべきドキュメンタリー作品。彼の故郷フリントの失業問題を取り上げ、企業のあり方(ここではGMへの集中攻撃だが)を鋭く突いていく。劇中でGMの会長ロジャー・スミスに会う為に3年かかったと言っているが、凄い執念。それにしても、アポ無し突撃取材は企業や団体の素の対応が垣間見えて、ドキュメントとして真に迫る。まあ、はっきり言ってGMからしたらマイケル・ムーアはとてつもない邪魔者かw 映画のラストでロジャー・スミスが語るクリスマスと、家を立ち退かされる家族の映像が交互に映し出されるが、観ていて「このオッサン(会長)は何を言ってんねん!!」と怒りすら憶える。こういった語り口で企業論理の不当性などを訴える人物は必要だし、それが行える米国はまだ自由の国なんだと思うね。
ロジャー・ラビット

(1988年制作)
8
探偵のエディは弟をトゥーンに殺された過去があり、トゥーン達を快く思っていなかった。そんな折、エディはトゥーンであるロジャー・ラビットの妻ジェシカの浮気調査をスタジオの社長に依頼される。
満足出来るCGでの合成技術なんてもちろん無かった88年に、ここまで見事に実写とアニメを融合させたことに脱帽。極めて自然に人間の役者の相手を務めている。実写の小道具を動かしたり、トゥーンの方も所謂アニメ塗りではなく、実写のライティングに合わせて陰影をつけたりとかなり手間暇かけているのが分かるが、それにしても見事。
この映画の製作会社はディズニー資本のタッチストーンなだけに、ダンボやら「ファンタジア」のホウキが冒頭から出てくる。それだけでもサービス良いと思うのに、突然ドナルド・ダックとワーナーのキャラクターであるダフィー・ダックとの共演シーンが。そしてミッキー・マウスとバッグス・バニーが会話を!これはまさに夢の共演ですな!いずれも脇役とはいえ、実に贅沢な映画だ…。ヨセミテ・サムやトゥイーティーも出てるし、ポーキー・ピッグもお約束。子供の頃にルーニー・テューンズを観ていた身としては、チョイ役でも嬉しいね。ベティ・ブープがいるのにポパイはいないなどの(おそらく)大人の事情もあるようだけど、アメリカン・アニメーション愛が楽しい。
アメリカにおけるトゥーンとは基本的にドタバタコメディなので、このロジャー・ラビットもその線に漏れず暴れまくる。やたらハイテンション&オーバーリアクションで空気を読めない行動には少々イラつく場面もあるが…w トゥーンにわだかまりのある主人公の心情が変わっていくというのも予定調和だし。でもまあそれも含めての世界観か。ドタバタコメディではあるけど、ストーリーはきちんと伏線もきちんと張られているし、やはりこの世界観を描き切ったことはすごいですよ。
羅小黒戦記
ぼくが選ぶ未来

(2019年制作)
9
2011年から公開された中国産Webアニメの劇場版。人間の開発によって住んでいた森を追い出された黒猫の妖精・小黒は、人里や街をさまよう内に同じ妖精の風息に救われるが、しかしそこに"執行人"・無限が襲来する。
オリジナルのWebアニメは未見だけれど、本作はその前日譚ということでこの一本だけでもすんなりと話に入れるので問題ない。内容的にはいわゆる「能力バトルアニメ」だけれど、現代中国を舞台にして東洋的な設定を上手く融合した世界観が魅力的。人間の開発を背景にした「共存か敵対か」という話は、主人公が両派と交流していくという展開も相まって「もののけ姫」を想起させるものもあるけれど、全体的には「ジブリっぽい」ファンタジーというよりも「能力バトル」の要素の強いアクションものって印象かな。あと、中国産だけど日本人に受け入れやすいのは「アニメ」の記号的なデザインが日本のものと全く変わらないからだよね。そのへんは外国産でもアメコミやバンドデシネを基にしたアニメとは違う部分。
アクションシーンのクオリティはかなりのもので、自由自在なカメラワークで繰り広げられる空中戦や飛び交う物体のスピード感は(思い出補正された)「ドラゴンボールZ」も真っ青な迫力! これは空間表現が凄すぎるなあ。これだけ動いても何が起きているか分かるのはアクション演出のセンスだね。しかし本作の魅力はそれだけでなく、ストーリーのまとめ方も良いのです。序盤の主人公(と初見の観客)に無限を敵だと思わせておいてからの「実は…」という展開は“起承転結”に忠実でも引き込まれるし、それでいて無限との交流などをダイジェストで見せる思い切りの良さもテンポアップに繋がっていて好感。終盤のバトルにしても風息の仲間があちこちで戦っているのに、それらはサラッとしか見せないのもテンポ重視って感じだけど、それがいい。
とにかくこの作品がよく出来ていると思うのは、映像のクオリティだけでなく演出が主人公・小黒の感情に寄り添っているところだよね。だからこそ小黒の無限への気持ちや風息との対峙が盛り上がるわけで、その小黒視点を貫いてテンポよくまとめた脚本はほんとお見事でした。
ロスト・イン・ラ・マンチャ

(2002年制作)
8
テリー・ギリアム監督が長年温めていた企画である長編映画「ドンキホーテを殺した男」の撮影が始まろうとしていた。しかしこの撮影は様々な問題に直面し頓挫することになる。その様子を記録したドキュメンタリー映画。
この時の映画「ドンキホーテを殺した男」はいわゆる“お蔵入りになった作品”。序盤から資金面での不安が見え隠れする中で、さらに(文字通り)嵐に見舞われたり主演にドクターストップがかかって撮影がストップしたり、企画として失敗した作品の制作の様子がこのように公開されること自体が物珍しく、興味深い。でもどんどん物事が悪い方向へ転がり落ちる様子は、もし自分が関係者だったらと思うと恐ろしいなあ。大雨の中、泥水に流されていく撮影機材の映像はショッキングだったけど、絵に描いたような泣きっ面に蜂の出来事だったので…申し訳ないけど観ているこちらとしては笑ってしまった(苦笑)
そもそもこんな失敗の記録が作品として成立するのは、テリー・ギリアムのキャラクターや彼のビジョンといった要素が「ドン・キホーテ」の物語にどこか重なるところがあるからだけど、このドキュメンタリーの制作側もそのあたりを自覚して作品にしているのが上手いよね。本来製作にかかわる人間なら隠したいような内容かもしれないのに、それでも世に出したことにはタダでは転ばない執念も感じるところ。(元々メイキング映像用の素材だったって話だし、失敗しなければこんな形のドキュメンタリーにもならなかっただろうしね。)
ちなみに、この作品が公開された時点でテリー・ギリアムは諦めていなかったことはエンディングにテロップで示されるけど、それが結果として実を結ぶには十数年の月日が必要となるのであった…。
ロスト・バケーション

(2016年制作)
8
ひと気の少ない美しい砂浜へサーフィンをしに来た女性。日が傾き、最後のひと波というところでサメに襲われる…。
“サメに追い詰められる”というワンシチュエーションで一本撮りきってしまったスリラー映画だが、取り残された主人公の状況だけを追ったその潔さが緊迫感に繋がってお見事。どうしようもない状況で一人取り残される感じは「海の上の『127時間』」という感じだね。
序盤のサーフィンシーンは実に格好良く、サーフィンをたしなんだことのない自分でも「気持ちいいだろうなあ」と思えるが、サメの存在が感じられるようになってからの一転して海の恐ろしく感じられる転換が良い。小さな岩場から半径数十メートルの海の上という狭い範囲の舞台で、すぐ先に安全であるはずの海岸が見えるというのも効果的。すぐそこに行けば助かるのに、行けない。そんな状況には陥りたくないなあ。でもそれを疑似体験出来るのが映画のいいところ。
もちろん主人公は海岸に人影が見えたら助けを求めるわけだが、自分のバックパックを盗むような酔っ払いにさえ、海に入ろうとすると「危険だ!入っちゃだめだ!」と叫ぶ。その姿勢には好感。サバイバル面での説得力を持たせるために医学生という設定なのだろうが、追い詰められても絶望しない姿が良いよね。主人公だから諦めないのか、諦めないから主人公になれるのか、何にせよこういう作品にあって良い主人公だと思う。
基本的に武器が無いので避難することしかできないのだが、「この状況でどう決着をつけるのだろう…」と思いながら観ていたのだけど。逃げ切って終わりではなく、ちゃんと最後に対決して自力で勝ってしまうあたり、映画としてのカタルシスがあってよろしい。
ロスト・ワールド
ジュラシック・パーク

(1997年制作)
6
前作「ジュラシック・パーク」から4年。テーマパークのイスラ・ヌブラル島とは別に作られたサイトB…恐竜の繁殖用のイスラ・ソルナ島。マルコム博士はそこへ自然繁殖している恐竜の調査を依頼される。
思い入れの強い一作目の続編ということで、公開時もワクワクして観に行って裏切られた気分で帰った記憶があるが…(苦笑。とにかく話がどうにも乗り切れない。登場する恐竜が増えているのは良いけど、もはやそれだけでは驚かなくなった観客にとって、それを満足させるだけのストーリーではないよね。最大の違和感は島での話と、終盤のサンディエゴの話が分断されてしまっているところか。他にもマルコムとサラの関係が中途半端な描き方(恋人設定がマルコムを島に行かせる動機でしかない)だし、マルコムの娘が黒人である理由が不明(養子?という話すら出ない)な上にストーリー上ほとんど機能してない。
個人的にはニックのフェードアウトも気に入らないなあ。檻から恐竜を解き放ったり、ローランドの弾を抜いたりしたことで結構被害出してるぞ…。身を挺してマルコムたちを救ったエディがT-REXに食われたのに、なんでニックは英雄気取り(私の主観です)で助かってるんだよ…。エディが気の毒すぎる。個人的にこの映画で感情移入できたのはプロのハンターであるローランドだけだった。恐竜ハンターという立ち位置からすればストーリー上は悪役かもしれないが、最後まで自分の筋を通したプロとして、良いキャラだったと思うよ。
そんな感じでストーリー上は不満が多い。悪く言えば行き当たりばったり。ラプトル撃退での体操競技の伏線?知らないよ、上手くないよ。サラはT-REXが嗅覚抜群だと自分で言っておいて、なんで幼獣の血が付いたジャケットいつまでも着てるんだよ。いかん、不満が止まらないw とりあえず今作のスピルバーグ監督は、撮りたい画を撮って遊んでるんじゃないのか?という印象です。サンディエゴ襲撃シーンは特に…怪獣映画を撮りたかったんだろうということだけは伝わってくる。
ロッキー
9
今まで未見だったんだけど、こんなにいい映画だとは思わなかった。下町でくすぶっていた男が、自分という存在を証明するために闘う。アポロに全く感情移入できない中、ロッキーのその姿勢に心うたれた。たとえ試合に負けても、誰がどう見てもこの勝負はロッキーの勝利だと思う。相手はもちろんアポロではなく、ロッキー自分自身だった。
ロッキー2
8
第1作のラストからアポロとの再戦を描くシリーズ第2作。
続編という意味でオープニングからエンディングまできちんと前作を意識しているストーリーは巧い。それにファイトマネーが入ってちょっと調子に乗ったり、その後に就職が上手くいかなかったり、それでもエイドリアンが本当に心の支えであるというロッキーの姿は人間として共感できる。だからこそ観客はロッキーに感情移入できるんだろうねえ。
前作が非常に良くできていたので、それを思うと無難な作りの続編と言えなくもないけど、それでもやっぱりラストのインタビューシーンにはジーンとくる。
ロッキー3
7
ハングリー精神を無くしたロッキーが復活する課程を描くシリーズ第3作。
1、2作目を経てストーリー展開が決まってきた印象。要は、挫折して、目が覚めて、努力して、勝つ。最後に勝ってしまうのなんかは観ているうちに分かってくるんだけど、もはやドラマというよりは予定調和のある娯楽映画だよね。
ミッキーが死んでしまうシーン(特にロッキーが勝ったと信じているところ)は哀しいし、旧敵アポロと共にトレーニングするシーンはそれはそれで(テーマ曲のせいか)熱くなる。ただ、ムカつく敵に一度は負けても、最後にはちゃんと勝ってしまうところが1作目と比較しても安易で微妙と感じてしまうところかな。
ロッキー4
炎の友情
7
ソ連の強化ボクサー、ドラゴと対戦し死んだ親友アポロのため、ロッキーがソ連でドラゴとの大戦に挑むシリーズ第4作。
東西冷戦を背景にとうとう政治色(?)まで出てきた「ロッキー」。といいますか、話を盛り上げるためにアポロをいとも簡単に死なせてしまった脚本にはビックリ。親友の死を目に、ロッキーの燃え上がる闘志と死への恐怖感が描かれるあたりは巧いと思うけど、でもアポロが死んじゃうなんて。
作品の尺は91分だけど、話自体は短い。ことある毎に歌が流れ、そのバックでトレーニングをしたり、回想したり、ストーリーを追うだけなら1時間以内に収まりそうな気もする。ジェームズ・ブラウンが歌うシーンもあってノリノリにはなるけど、でも丸々1曲流すことは無かろうw
ここまで来ると1作目の出来映えが懐かしい、と思える作品です。
ロッキー5
最後のドラマ
8
ドラゴとの闘いで脳に障害を負ったロッキーは、引退しトミーという弟子を育て上げるが、金満プロモーターの策により弟子に裏切られる。作風を原点に戻したシリーズ第5作。
3作目と4作目は完全に娯楽ヒーローモノな作品だったこのシリーズ。5作目になり、再び方向転換して人間ドラマになりましたな。個人的にはこの“ロッキーの人生”を描いた話が「ロッキー」という映画らしさなんじゃないかと思う。それは1作目で感動した原因が彼の生き様だったからに他ならないし。さすがに1作目のように素晴らしい作品とは言えないけど、でもその方向修正は歓迎するね。
しかし劇中の金満プロモーターは何の暗喩だろうか?やはりハリウッド?トミーはシリーズ3作目と4作目の暗喩なのかなあ?
エンドクレジットでシリーズの場面を映し出していくのは感慨深い。
ロッキー・ザ・ファイナル
8
前作から16年。ロッキー・バルボアの最後の闘いを描くシリーズ第6作。
まず冒頭で観客にエイドリアンが亡くなったことが知らされる。あれだけ心の支えにしていたロッキーの心中や…というわけだけども、過去を引きずりまくりのロッキーが哀しい。でもそこから再び闘志を燃やすロッキーの姿は、お約束とは知っていても、やはりこうグッとくるものがあるよね。
作品の雰囲気は完全に1、2作目に戻り、1作目で脇役だったキャラもフューチャーされているのでそこからのファンには感慨深いものがある。逆に脇役過ぎて覚えていない危険もあるわけだけどw そういう意味では事前に復習はしておいた方がよいかも?
全体的に単調に話が進んでいく感じだけど、やはり最後の試合ではヒートアップ! 殴られても立ち上がるロッキー、脳裏によぎるエイドリアンやミッキーの姿、そして最終ラウンド。自分に挑戦する熱い男の姿に、俺は思わず泣いてしまったねw やはりここで感動できるかは、これまでのシリーズを観てロッキーの人生を見てきたからなのだろうか。
ロッキー・ホラー・ショー

(1975年制作)
9
ミュージカル舞台劇“The Rocky Horror Show”の映画版。なので映画の原題は“The Rocky Horror Picture Show”。
カルト映画の代名詞の様な作品だが、なるほど画面から伝わってくるエネルギーは、ただ奇抜なだけではない魅力にあふれている。全体に1940年〜1970年代のSF・ホラー映画へのオマージュに溢れているが、それ以上に古城の主であるフランクン・フルター博士のキャラクターが強烈過ぎて、何もかもを吹き飛ばす。「私は性倒錯者よ!」と奇抜な格好で高らかに歌い上げるシーンは一度見たら忘れられないw (スーザン・サランドンが劇中のほとんどを下着姿のままで過ごすという状況が普通に思えてくる不思議(苦笑)) その他、いずれも奇抜なシチュエーションの中でロック調の曲に合わせて展開されるミュージカルシーンのテンションの高さ。「これはホラー?コメディなんだっけ…?」と困惑しながら、何かいけないものを観ているかのような錯覚に陥りながらノせられていってしまった。終盤のRKOのロゴをバックにラインダンスをするシュールな光景には、どうやったらそんな発想が出るのかと、感服した。
確かにセットなどは低予算さが目に付くチープなものもあるが、それが過去のSF怪奇映画へのオマージュとして妙な効果も発揮しているのが面白い。舞台の延長と思われる演出もあるものの、それ以上に舞台では出来ないであろうオンボード映像やカットバックを多用する演出も組み込まれ、映画的なセンスも感じられるところが良いよね。
と、ここまで書いておいてなんだけど、やっぱりカルト映画なので観る人を選ぶ作品だとは思うのです。
ロビン・フッド
7
有名なロビン・フッドの物語をケビン・コスナー主演で描いた娯楽活劇。
緑のタイツをはかないロビンフッドであるが娯楽作品としてはなかなか楽しめる。演劇調の演出が多いのでリアルさよりは舞台劇の様な印象も受けるけど、こういった活劇には良い感じの描き方でした。特にアラン・リックマン演じるノッティンガム卿は大げさで良い感じw
ラストに昔映画作品でロビンを演じた大物がカメオ出演するんだけど、俺はそのロビンフッド作品を知らないので、大物自体の登場には驚いても、そこに感慨は起きないんだよね。その小憎い演出を楽しむにはそういう予備知識がいるんだけど、そこが不勉強だったので…不覚でした。
ロビン・フッド

(2010年版)
8
リドリー・スコット監督がラッセル・クロウ主演で制作したロビン・フッド物語。十字軍遠征からの帰還〜フランスによる英国侵略の撃退からシャーウッドの森に入るまでを描いたエピソード0的な作品。
主演のラッセル・クロウがごつい!カリスマ性は見事だけど所謂ロビンのイメージとはちょっと違うかも。ただ、10年間の十字軍遠征を生き延びたのだから、これぐらいタフそうな貫禄があった方がリアルなのか? そもそも、この映画は12世紀の英国をリアルに再現しようとする感じが見て取れるので、ごついロビンというのも意図的だろうね。
ラッセル・クロウが主演ということもあって、全体的には「グラディエーター」的な重厚的史劇のノリで見応えは十分。その上でロビン物語として有名なプロットも上手く取り入れ、リアル感と戯曲的なノリとのバランスが上手い。物語のテンポも良いし、登場人物が多い割に相関も理解しやすい。リドリー・スコットの職人的演出感が感じられますわ。ただこのジャンルの映画として目新しいところはないので、そういう意味では物足りなくも感じる部分があるのも事実。まあこうなると、ハードル自体がずいぶん高くなっているのだけどね。
個人的には、「BOB」や「ER」に出ていたスコット・グライムスが脇役で活躍しているのが嬉しい。
ロボコップ

(1987年制作)
8
街の悪党に惨殺された警察官マーフィー。彼は警察のロボット化を目論むオムニ社によってサイボーグ警官"ロボコップ"として生まれ変わる。
今観てもロボコップはクールなキャラだよね。銃弾をはね除け、正確無比に任務をこなすロボコップ。正確にはサイボーグなのに何故“ロボ”なのかは別にしても、そのキャラクターの魅力は抜群ですわ。展開としてはヒーロー映画のパターンに沿ったものではあるけど、極端な暴力描写を含めつつもテンポ良く進めるバーホーベン監督の演出は確かだね。巨大企業の思惑や犯罪者との癒着を背景にしたり、深刻なニュースをさらっと流すニュースキャスターや、CMで流れるヤバ目のゲームなど、ブラックなニュアンスも魅力。
対人戦ではほぼ無敵のロボコップの活躍は観ていて実に痛快。犯罪者もロボコップの顔とか生身の部分を撃てよ、というお約束のツッコミも思うところではあるけど、当たらないのが様式美かw 生身の記憶を少し取り戻した部分にマーフィーのドラマの一端を見出しつつも、そっちの方にブレず、犯罪者の制圧というアクション映画に徹した姿勢が良かったと思う。
ロボッツ
7
ロボットだけが暮らす世界で、ある青年ロボットと仲間が古いロボットをスクラップにするという陰謀と闘う物語。
ストーリーや世界観は「メトロポリス」や「魔女の宅急便」といった雰囲気を感じないでもないけど、無難に、素直に受け容れやすい。そもそも“ロボットだけの世界”というのはちょっと異質なんだけど、それはそれで独特な世界を作ったと思う。機械を擬人化して、暗に整形やなんかといった人間社会への皮肉とも受け取れるのは面白い。
主人公ロドニーはステレオタイプな好青年だけど、彼の親父さんはそれに輪をかけて良い親父さんだ。主人公がロボットシティに行くシーンは感動場面かな、ステレオタイプだけどw
それにしてもCGアニメの世界も技術革新はめざましい。もともとCGIは無機質なものが得意かもしれないけど、発展期に入っていたこの頃は質感も大したものになってきた。光の反射や塗料の禿げ具合。使い古した感じがとても良い味を出してたね。
ロボット

(2010年制作)
7
自身に似せてとんでもない機動力を発揮するスーパーロボットを開発した科学者。彼はそのロボットに感情をインプットするが、思わぬ事態からロボットが暴走し始める騒動を描いたインド映画。
語りつくされた感のあるロボットと感情という命題。プロットに目新しいものはないものの、インド映画らしい歌って踊ってという演出が入ったり、後半では見たこともないような合体攻撃を見せたりと好き放題に繰り広げられる。そのイマジネーションには感心した。リアリティは全然ないんだけどねw 要するに突き詰めたエンターテイメント性というか、作り手の映画に対する確固たる信念を感じる。
主演はインドのスーパースター・ラジニカーント…って初めて拝見したのだけど、オープニングでデカデカと"SUPER STAR"と表示されるので間違いないのだろうw ヒロイン役のアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンは元ミス・ワールドだそうで、確かに美人だがインド的というよりは欧米的な印象。
ロリータ

(1961年制作)
7
ウラジミール・ナボコフの小説を原作にした、ある未亡人の娘に心を奪われた中年男性の姿を描いたドラマ。
今や“ロリコン”という単語が独り歩きしているきらいがあるが、まさにその語源となった“ロリータ”という少女を巡る話で、映画では下宿先の娘として登場するそのロリータ(15歳)に一目惚れしてしまう中年のハンバートが、いかに娘に近づくか、そしていかに手元に置き続けるかに腐心する話でもある。原作では少年時代に死別した恋人の面影をロリータに重ねているということではあるが、映画ではその辺はオミットされているのかな。単純な一目惚れのように見える。
前半は下宿先の主人である未亡人のシャーロットにアプローチされてうんざり気味なハンバートの様子がメイン。“娘に近づきたい中年”vs“娘が邪魔な夫人”の闘いは、時にそのやり取りがコメディチックな感じでも描かれるけれど、笑えるというよりは…どちらかと言うとシャーロットは哀れにしか見えない。確かにうっとおしいキャラクターではあるが、その最期は気の毒だな。
そして後半はハンバートとロリータの新しい生活が始まるけど、ハンバートのロリータに対する束縛がどんどん厳しくなる。ハンバートのそれはもはや強迫観念にしか見えないけど、それはやましさや自身の無さの裏返しなんだろうか。映画的にはそこまで深くは感じ取れないけれど、いずれにせよ死んだシャーロットも、主人公のハンバートも、当のロリータも、実のところ自分の事しか考えていないという話には人間の業を感じるところはある。ただ、作品的には芸術的というよりはソープオペラ的なノリのように思えた。「キューブリック作品」として身構えるとイメージは違うだろうが、この時期はまだキューブリックは自分の製作作品でもないから、大衆受けを理解した作品にしているという感じだろうか。
この作品のトリックスター的な役として登場するクィルティを演じるのがピーター・セラーズ。劇中、複数の人物に扮して主人公の前に登場するという一人の男という役どころだが、都度々々雰囲気を切り替える演技はさすがだねえ。キューブリックの次作「博士の異常な愛情」でも一人三役をこなすわけだけど、その片鱗がここにはある。
このコーナーは暇ができないと更新できないので、不定期に更新しています。


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